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100年以上の歴史をもつ「オートカー」の日本語版がでた。この雑誌の売りはロードテスト、新型車が出ると独自のテストを厳密に実施、総合評価を出すので自動車メーカーはこのテスト結果次第で売上も変わるから、もっとも気になる雑誌。100年以上ロードテストしているので世界中のほとんどの車はテストしたことになるが、T360はトラックなのでテストして無いと思う。ホンダS800のロードテストが今月号に出ているので・・テストは1967年4月のものだが、当時の日本自動車工業を考えると立派な成績だ。「静止から時速97kmまで加速するのに、たった13,4秒しかかからない。これは、2倍以上の排気量を持つMGBと同じ数字である」イギリスの雑誌だからMGBと同じと書いているが、私の感じではS800がはるかに速いと思う?今、私の周りにはロクナMGBしかないですが。シフトもサスペンションも良好と有るものの、ハンドリングに関する評価は低い。最後に「日本車が安いだけの不愉快な盗作だとイメージする時代は終わった。ホンダは強烈なセールスポイントを持つ」と誉めてはいるが「相手を倒す力を持ったコピーを作ってきた」とも書いてある。ライトウエイトスポーツカーはヨーロッパの歴史と伝統そのもの、人力車しか知らない日本人が作ってきたから、手厳しい。本田宗一郎や中村良夫が採算度外視したエンジンを載せ、理解不能(中村いわく)なサスペンションを付けたのも、外国人の評価に、ただのコピー品と言われないためだったのか・・
2003年04月30日
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「なぜ日本車は愛せないか」この本は面白い。著者はクルマの楽しさについて、13歳から91台のバイククルマを乗り継いだ実体験で話している。本物のクルマ、贋物のクルマでは、本物の例として、ホンダ・スーパーカブを上げている。トップページのバイクです。中村良夫の紹介もS500を代表作品に上げるのが普通なのに、F1とホンダT360で中村良夫を紹介している。記憶では中村良夫の紹介に、先ずT360を上げたのは過去に小林彰太郎だけかな?中村良夫の事を評論家が書かないのは、本人がイッパイ本、雑誌に書いているので書き様がない。さすが著者はクルマを良く知っている、と、おだてるのもT360のオーナーだけか。イタリアの印象ではピアジオ・アペが出てくるので、これもオーナーとしては嬉しい・・・
2003年04月28日
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ネコパブリッシングから「なぜ、日本車は愛されないのか」立花啓穀著にT360の設計者、中村良夫の遺言が出ている。この本、自動車評論家が書きそうなタイトルなので、タイトルで損している。著者は世界で賞賛されたユーノス・ロードスターの生みの親、クルマの企画設計者は「クルマを知らない」みたいな事を自動車評論家は偶に書いている、が、この本を読むと物凄い知識とクルマの主張があり、ヤッパしクルマを設計する人間はとんでもないクルマ好きだ。第1章に中村良夫の遺言とあり、入院前前日の見舞いでの会話だから遺言になる。写すと長くなるので、本を買って読んで下さい。1800円。「コンピュターではなく、クルマを熟知した極小数のプロがコンセプトを練って作り上げる事です。こういったクルマが人々の共感を呼ぶのです」これが、中村良夫の最後の言葉になった。
2003年04月27日
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当地の知人が何処からかトヨタスポーツ800(ヨタハチ)を見つけてきた。もちろんレストア前の状態、見てないがどの程度かは想像つく。2年かけてレストアするそうなので完成が楽しみ・・当地で10年ほど前に1度見たことがある、路上駐車していたのを発見、シゲシゲ見た記憶が有るので、ヤッパし当地では当時でも、もっと昔でも、T360同様滅多にお目にかかれない車だった。ヨタハチはパブリカのスポーツタイプ、トヨタ初のライトウエイト2座スポーツカーとなる。発売は1965年なので当然、ライバルはホンダスポーツS600。ヨタハチも戦中の航空機技術者が作ったので飛行機そのもの。ホンダはエンジンを航空機に模したのに対し、トヨタはデザインに飛行機のイメージを。スタイル自体は朝鮮戦争時の戦闘機F86セーバーを模しているのでカッコいい。ヨタハチ最大の特徴は、なんと言っても軽量化とその空力からの燃費!1リッターのガソリンで25Kmは走る。現在の低燃費車などは裸足で逃げ出す経済性、ただしブレーキはきかず、ハンドルはかなり重いのでパワステしか乗ったこと無い方にはキツイ、エアコンなし。ハチとS800は並ぶと写真になる、がT360は場違い。
2003年04月26日
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4月14日の日記にT360の設計者中村良夫はマラネロ(フェラーリ本社)に一度も行かなかったと書いたが、本田宗一郎の死後、1度だけ訪問している。すでにホンダは大企業なのにフェラーリは昔と同じ町工場みたいなので驚いていた。中村は本田宗一郎を戦時中の東条首相と同じと見ていた、中村は研究に来た東条にジェットエンジンの説明などしている。直接激励され感激していたが、東条自身なんの力も無く、軍閥の操り人形と見ていた。本田宗一郎もホンダH1300(空冷エンジン)を出した前後から社内の誰か(中村は知らないと書いている)の操り人形になっていると感じていた。日本独特の派閥の事だと思うが、技術的なことに口を出されるのが嫌だった。この件で中村自身の手でF-1を撤退する事になる。東条と本田宗一郎の共通点はワンマンと思っていたが、操り人形とは・・・
2003年04月25日
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ネコ・パブリッシング刊のガレージライフが良く売れている。勿論、他誌も単発で出しているが、どちらかと言うと日曜大工の参考書みたいのが多い。モーターマガジン社から最近でたのが「ガレージスタイル」この本は見ていて楽しい・・・外車がほとんどだがホンダSとかスバル360もあり。この手の本は地方(地価が安いから)で売れるのかと思ったが、某編集長に聞いた所、都会で良く売れるらしい。私としては大金持ちのガレージばっかでなく、庶民的なガレージも見たいと思っているが、これは夢が無いので本としては売れないらしい。なるほど・・T360専用のガレージとなると、どうしてもS500が1台いる。さらにホンダの場合バイクも数台ないと絵(写真)にならないのでマイカーも含めるとかなりの面積がいる。ヤッパし宝くじですか・
2003年04月24日
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T360の引き取りが昨年5月6日、日記の開始が5月14日でした。そろそろ1年、何とかネタを考えて1年は頑張ろう!!
2003年04月23日
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スズキの「ちょいのり」にはエンジン内パーツにプラスチックが使用されていると書いたが、今の自動車にもヘッドカバーやインマニにかなり使用されてるそうです。知らんかった。しかし、シールやスペサーの簡単な部品ではなく、エンジン内部の重要な部分に使用されるのは始めてでは?レストアで一番厄介な材質はプラスチック。多くは外装に使われるが紫外線に弱く、部品も一番速く欠品になるので難しい。スクーターのラビットもプラスチックを使っているが、プラスチックの割れているものは、よくよく考えないと後で苦労する。一番良い部品はアルミ。何十年経っても一皮向けば新品以上になる。次は鉄、再塗装、再メッキでこれも新品になる。アルミの場合は酸化皮膜が出来るので意外と丈夫。例外としてステンレス。新車時にはメッキより質感が劣るが、何十年もすると、この材質は嬉しい。いっそ全部ステンレスにしてくれれば。鉄でもアルミでも何十年も雨ざらしされた物はレストアは無理だが世の中には達人もいるので、レストア出来ない物は絶対無いが・・・T360のプラスチックパーツは中期以降はボンネットが主なもの、後はウィンカーレンズとコマゴマした電気部品のみ、T360ではプラスチック部品は驚くほど少ないので助かる・・
2003年04月21日
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昨日の日記でのスリーブエンジンとは4サイクルに2サイクルの吸気、排気窓を合わせたようなエンジン、ロータリーエンジン同様、言葉では説明しづらいので、本を見て下さい。原理的には素晴らしく、戦闘機のエンジンにも多数使用されたがオイル消費量が多く、これが致命的となる。そのうち復活してくるかも?鈴木孝著「エンジンのロマン」に天才画家として知られる佐伯祐三がパリの地を踏み、ガソリンスタンドと題する美しい絵を描いた。その店の看板に「カソリン・オイル」と書いてあり、1920年代はスタンドでガソリンの約10%オイルを補給するのが普通であった。オイルをケチるとエンジンの寿命が短くなり、レーシングカーや戦闘機は良いがトラック、乗用車では経済性が優先されるのでオイル消費量は絶えず改善されていった。1910年と現在ではオイル消費量は700分の1にまで減っている、今はオイル点検を知らない人も多い。現在は経済性より環境が先される。
2003年04月20日
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スズキの新型バイク「チョイノリ」が売れてるらしい、59800円は激安!TVで宣伝してるし、ネーミングも最高、この低金額では売れて当然。2サイクル・バイクは興味が無いので他人事と思っていたが・・・なんと!このバイク、4サイクルのOHVエンジン、カムシャフトやカムギヤはプラスチック製。このバイク歴史的バイクかも知れない。昔、ライラックなどは騒音防止のためかベークライト製のギヤを使用してたが経年劣化で溶けて部品調達が大変だった。OHVは古くからあるカムの方式なので低速回転ではこちらが現在でも効率が良い。ちなみに、トップページの写真スーパーカブもOHVエンジン。OHCはほとんどの場合チェーンで駆動させる方式。第二次大戦まではカムやバルブを使わないスリーブ・エンジンが自動車、飛行機に良く使われていて、サイレントエンジンとも呼ばれ静かなエンジンだったが、オイル消費量が多いので、いつのまにか廃れた。59800円のこのバイク、安かろう悪かろうのデザインだけを変えたバイクと思ったが、たぶん50年後もマニアの手で見ることが出来るユニークなバイクと、思う。
2003年04月19日
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グランプリ出版から「クルマ道」入門から免許皆伝まで、津久見友彦著が出た。この本、著者が主宰しているホームページ「カーワールド」の記事を中心としたもので、カーレポートのエッセンスの集大成となっている。当然、安全運転、用語解説、旧車の歴史など。全部読めば、車仲間と話をしてても、ソコソコの知識がありそうに思われる。話題のクルマ各種紹介しているが、この手の本は乗用車しか紹介しないが、なんとなんと、ホンダT360を1ページで紹介している。これだけでも感心。ヒョットしてこのHPを見て、多少気になり取り上げたのかと思ったが、T360はシングルキャブだけと書いてあるので、このHPは見ていない。昔の軽トラのキャブの数など気にするのはオーナーだけ。取り上げるとしても、S500の次なのは如何なものか、T360はホンダ四輪第一号車である・・・http://carworld.honesta.net/
2003年04月17日
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以前、イギリスではまだ少数だが三輪車が生産されていると書いたが、有名なリライアント・ロビン(Mrビーンに出てた車)は2001年で生産を終わってました。後はキットカーと呼ばれる極小数の三輪車のみ、残念。三輪車がなぜ昔大ヒットしたかは、自転車は倒れるが、もう1個車輪を足せば絶対にコケナイ。三輪車は全輪が接地しているのでサスペンションの問題が少ないが、安全性を考え四輪にすると、どうしても1個車輪が浮くようになる。そうするとコントロール出来なくなるので4輪とも接地させる技術、バネとダンパー組み合わせの技術が決定的な技術項目となり、これが複雑でお金もかかった。三輪車は好きなんですが、これから新しい技術で出るかも?特に燃料電池(水素など)が普及してくると構造的にシンプルな三輪車が見直されるかもしれない。低公害と見られれば売れるような。
2003年04月16日
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本田宗一郎とエンツォ・フェラーリはジャーナリスト達が同一俎上に置いて比較してきた。T360の設計者中村良夫は30年のグランプリ生活で何度もエンツォにマラネロ(フェラーリ本社)に招待されるが、結局、一度も行かなかった。なぜなのか、不思議な気がする。遊びに行けば大歓迎されるのに?訪問して、フェラーリ入社を奨められたら、どうなったか。ホンダと違い、フェラーリのレース中心車生産は中村の憧れであった。マラネロ訪問は、お世話になった本田宗一郎に悪いと思ったのか?
2003年04月14日
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BBSの欄にある小南氏とは、以前の日記にも書きましたが、元ホンダ社員で現在はレストア・ショップを経営。小南氏の名前を初めって知ったのは、オールドタイマー誌で16回にわたりホンダSとTのレストア講座を見てから。このシリーズの内容はSを細部に渡り克明に解説してあるので、おそらくこれ以上の記事は二度と出無いと思う。T360はホンダ・スポーツの同属として付録で取り上げられているので、Tの記事は少ないが基本は同じなのでこれで十分。特にエンジンの詳しい写真と解説は勉強になる。オールドターマー誌の連載を元に本も出しているので、ご希望の方は下記のショップまで。(2万円)T360がレストア用にショップに入ったようなので、一度見学したいが埼玉県では遠い。レストアが完了すると、日本で一番調子の良いT360になるはずなので、向学の為、一度試乗してみたい。コミー・リプロダクション・オート埼玉県 越生町 0492-92-6039HPは有りましたが、現在不明
2003年04月12日
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早々と陥落。独裁者の下で徹底抗戦は無いと思ったが、予想通りとなる。「最後の一人まで戦う」は必ず出る言葉だが、実行したのは日本とイスラエルだけ。それも愛国心で、後ろに懲罰隊が控えている軍隊では口だけ。T360の設計者、中村良夫は東大航空研究所出身なので前線には出ていない、著書には友人が戦地に行く時、後ろめたい気がしたと書いている。東大航空・・は戦時の一番多い時でも17名の入学生しかいなかったらしいので、相当な秀才。ここの卒業生が戦後自動車産業の主役になった。なぜ、ホンダがバイクしか作ってない時、無謀にもF-1グランプリに参戦したのは、中村良夫の戦中の思いがあったのでは。
2003年04月10日
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昭和30年代は三輪車と四輪車の関ヶ原となり、三輪車が絶滅する。軽四を自分で登録した方なら分かるが、陸運局(国)ではなく軽自動車協会になる。これは昔、国策で軽自動車を地場産業にしようとしたらしい。当時の軽とは三輪車が主で、全国各地で生産され世界でも例を見ない三輪車大国になったと書いてある。大きい物では3400ccの三輪車も有った、ダットサン、パブリカでも1000cc未満なので、これだけデカイと四輪が良いと思うが、たぶん税金が有利になったのでは?イギリスでは昔、車輪の数で税金が決まっていたので、今でも少数だが三輪車は生産されている。
2003年04月09日
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T360の発売は昭和38年。今日発売の週刊アエラに以前、書き込みした「県立博物舘」と「番号問い合わせ」の県立博物舘が大きく記事として取り上げられた。4台の車も写真入りで出てた。30年代は今、ブームらしいので地方の金太郎飴みたいな博物舘と違いユニークと書いてある。展示物は県民の提供なので、たいして税金もかかってないと思うし、地方の美術館が何億円もする名画を買うよりましだ。普通、地方の博物舘は子供の遠足ぐらいでしか行かないが、入館者は大幅にUPしたらしい。入館料は100円、第三日曜日は無料です。ゼヒ福井県立博物舘に御越し下さい。実は、私はまだ行ってません、近くで歩いていけるので、いつでも行けると思うと行けない・・・あすも30年代。
2003年04月08日
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ノスタルジックヒーローの総力特集「名車たち」シリーズ第一弾が出た。1965~69年の名車27台の中に、なんとT360も入っていた。私は、ダントツの日本の名車と思っているが、雑誌にはほとんど取り上げられない。コニー360や三菱ミニカもデザイン的にも日本の名車と思うが、ほとんど取り上げられないが、今回は出ている。福島県の神山さんは4台のT360を所有している、個人では一番多いのでは?この方も4台とも前期だけなので、台数的に多い後期型のほうが優先的に廃車にされた可能性が多い。クローラも所有しているので、ホームページを始めて、もう10セットは出てきたような・・意外と多い。本の内容は大変良いので永久保存版、2000円も妥当な値段なのでお好きな方は1冊どうでしょうか。
2003年04月07日
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まさかこの手があったとは!本田宗一郎の本は山ほど出ているので、も~新刊は出ないと思ったが、またまた出ました。幻冬舎刊「ニワトリを殺すな」ケビンDワン著、本田宗一郎は架空のミスターダンディーとして登場。現在の不況は哲学の無い経営者による不況として、ミスターダンディーの生き様を「見習え」と教えている・・・タイトルの意味は本を買って読むと分かります。今、本田宗一郎の伝記をだしても、まず誰も買わない。後ろに延々と参考文献を書かないといけないし、小説風にしたのも最近出たがたいして売れなかった。プロジェクトXは本の売上には結びつかない。この本、本田通に言わせると一言あっても、素直に読めばまったくその通り、良い本ですので一読お勧めします。厚さの割りに1000円は高いようだが、350円の週刊誌を思うとデフレプライス、企業管理職の方には不況脱出のバイブルとしても。今から読んでも手遅れですが・・・
2003年04月06日
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T360の開発スタッフは本田宗一郎→中村良夫→久米是志(エンジン担当)→中島源雄(ボディー担当)が各チーフとなりスタートするが、勿論、ネジ1本まで本田宗一郎が口を出す。Sのボディーは森潔がチーフとなるが、気が弱いのかチェーンドライブに猛反対した中村良夫に隠れて社長命令でチェーンドライブを設計した。社長に逆らえば当然殴られた。さすがに中村良夫も呆れたと書いている。この時期、殴られた事が無いのは中村だけでは?Sのチェーンドライブはなかなか良く出来ていて、意外と故障が少なかった。縁石に乗り上げてケースを破損する事例が数件あっただけだった。中村良夫はS360を先行して発売したかったが、藤沢の全てに置いてトラック最優先と言われていたので逆らえなっかたし、S360は実際にはスポーツカーとするにはパワー不足だった。S500でさえ、試作車はボディーにアルミを多用してたので何とかなったが、市販車では500ccでもパワー不足なのでスグ600ccに変更した。
2003年04月05日
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T360も書く事がなくなりまして・・・・昨晩、古いバイク1台エンジンをかけた、ガソリンとバッテリーさえあればOK。これは休眠する時にキャブの清掃さえしておけば何年たっても1発始動する。が、クラッチの張り付きだけはどうしようもない。週一でもクラッチを触るだけで防げるが、10年以上触ってないので張り付いた。当地は湿度が高いので粉状になった石綿が糊のようになり張り付くが、現在のクラッチは滅多に無い。古いイギリス車は梅雨時には必ず発生する持病、国産車も30年以上前のクルマは発生する。修理の方法は〝お仕置き〟。まずエンジンをかけ、回転を上げイキナリギアを入れる、これを数回繰り返す。タイヤを高回転させてクラッチを切り急ブレーキを踏む方法もあり。この方法はチェーン、シャフトに負担が多いので、数回やってダメな場合はクラッチをスクレーパーで剥がすのが確実だが、クルマもバイクもクラッチは面倒な場所にあり作業自体めんどくさい。ついでに他のバイクもチェックしたら・・・張り付いてる~
2003年04月04日
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ノンキーさんのホームページに「2003みんなで遊ぼうクルマ祭り」の案内が出ていた。「ツインリングもてぎ」で開催だが、当地からは遠いのでチョット行けない。この手のイベントは川原や空き地で開かれる車、バイクのイベントと違って家族には喜ばれる。川原のフリマは大好きだが、女性にはトイレの問題で絶対無理。鈴鹿サーキットでも有るので私はこちらを、何時になったら「もてぎ」にいけるのやら・・委細は下記に、昨年のURLも張り付けます。○開催日時 2003年5月5日(月・祝日)9:30~17:30雨天決行○開催場所 ツインリンクもてぎ第2パドック 参加事項 ○参加車両のメーカー、車種は問いません。 ○クラブごとの参加台数の制限はございません。 ○参加料金 無料※入場料金・駐車料金のみご負担ください。 当日の流れ 9:00~10:00 会場(パドック)に集合 ↓ 会場にて車両展示~「クルマつり」各イベント・アトラクションでお楽しみください。 ↓ オーナーズパレードラン~会場にて車両展示http://www.twinring.jp/motorsports/motor/events/MATSURI/index.html
2003年04月03日
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モーターマガジン今月号に5ページにわたり1963年の車事情が書かれている。T360の発売された1963年はどんな年なのか?モーターマガジン誌では「お祭りさわぎ」のような年だったらしい。東京オリンピックの前年、白黒テレビ洗濯機は一般家庭で珍しくは無く、舟木和夫の「高校三年生」と黒四ダムの完成。道路と高速も次々完成、鈴鹿サーキットで第1回日本グランプリ自動車レースも開催された。この記事5ページ中、1ページがホンダ初の4輪車としてホンダS500を紹介、当然べた誉め。勿論、ホンダ初の4輪はT360。中村良夫はT360の研究、試作は全てに置いて最優先で行われた、と書いている。ホンダT360は一言も出てこない。長々とS500の紹介するのなら、枕詞でT360の事も一言入れて欲しかった?ホンダの意外性を表すのにはスポーツカーよりも、DOHC水冷4気筒4キャブ、オールアルミエンジン軽トラックが良いと思うのだか・・・
2003年04月02日
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戦後の自動車の発展を本で見ていくと、1960年代が一番輝いている・・年代別に5段階に分けられているが、実に上手く分けてある。1946~60年 純国産化の時代1961~70年 マイカー時代の幕開け1971~80年 試練の時を迎えて1981~90年 世界を視野に捉えて1991~00年 迫られる技術革新60年代には現在お馴染みのネームが出揃う。63年、T360の発売年にはブルーバード1200(410)アヒルのお尻といわれていたが私には「柿の種」に見えた。ベレット、コルト1000、コンテッサ900、グロリア、ファミリア、セドリック・エステートワゴンなどが出ている。60年前半は今見ても、すでに完成された車だ、1967年にはマイカーの駄目押しとしてホンダN360が出てくる。(年表をみると遅すぎた)他のメーカーが何処もマイカー優先でカローラ対サニー戦争なんかしてるのに、ホンダはDOHCの軽トラと需要が見込めないオープン・スポーツカーだけを作っていた。年表を見ても変な会社だが、トヨタに次いで第二位のメーカーになってしまった。トヨタとホンダ以外の社長はいつのまにか、みな外人。
2003年04月01日
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