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ノンキーさんど~も、webでホンダを検索すると必ずノンキーさんのホームページにヒットします、個人コレクションとしては最大級コレクターさん・・http://park7.wakwak.com/~stepup/ 昨日の書き込みに当地にT360は少ないと書いた、当地の誰に聞いてもT360は知らないと言います、旧ホンダSF社員さんに聞くと、結構売れたらしいが残っていない。日本海側は湿度が高いので残ってないのか?当時のホンダ車はスグ錆びるので有名だった。ところが三重県の方に聞くと、三重県では昔は軽トラと言えばT360、それくらい販売台数が多い。三重県にもT360マニア?がいまして、チョット前(10年ほど)までいっぱい有ったらしい。当然、三重県近辺のT360オーナーは大量のパーツを持っているみたいで、羨ましい。三重県で多いのは鈴鹿があるから。鈴鹿市は昔、本田宗一郎に敬意を表し、本田市に名称変更を申し出たが「個人の名前を市名にするなど、とんでもない」と本田宗一郎に断られた。T360の説明欄で当時の軽トラ総販売台数とT360の販売台数が書いてある、ホンダのシェアーは約10%、三重県のようにディーラー販売力の強い地域があると、当地のT360は限りなく下の数%程度と思われる。
2003年10月31日
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T360の書籍、雑誌は何度か書いた。雑誌は日記を見て下さい。T360オンリーの書籍は当然、無い。その中でも唯一、T360にページを割いているのは『ホンダ・スポーツ』ネコパブリッシング刊4900円だけ、後の本は、ほんとうに写真1枚と説明数行のみで、ろくな記事は無い。ホンダ・スポーツはもちろんSシリーズの解説がメイン、後半にT360を探し試乗する記事が有る、この本の初版は1978年、T360が発売されて15年目の本である。発売後15年経つと実動車は日本にほとんど無くなり、ヤット探し出して試乗、解説している。私がT360に強く興味を持ったのが25年前に出たこの本。本を見て当地でも探したが、25年間一度も見なかった。最初に見たT360はこのHPの車だ。ホンダスポーツと違ってT360は商業車なので消耗品、15年で絶滅して当然だが、若干、現在も生き残っている。さて、若い方がホンダSに興味を持つと、この本はお勧めです、がムックタイプの安価な本が多い中、ハードカバー4900円は高いかも、オーナーなら必備の1冊。重版を重ねているので現在でも本屋さんに注文すれば入手できる。
2003年10月30日
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アペの日本ホームページで一番印象の有ったページは「商用車のAPE」13ページのモッタ(motta)のアイスクリーム移動販売車。http://www.walk.co.jp/ape50/flash/topics/t1/bu.html モッタなるアイスクリーム屋さんを知ったのは、ミッレミリアの車検の最、ブランカのデザイナー名が印刷ミスでロト・モットーがモッタになっていた、検査官がモッタは「アイスクリームです」と検査官全員でアイスキャンディーを舐める真似をしたので、モッタってアイスクリームメーカーが有るんだと分かった。この件は笑ってお終り。ロト・モットーはイタリアの1950年代のデザイナー、35歳で亡くなるまで車のデザインを手がけ、現在も数台現存しているらしいが、もっか調査中。写真の初期型アペは後輪がチェーン・ドライブ、これはホンダS5、600などと同じ仕組みになっている。小排気量には有利なので古くからある方式。推測ですが・・本田宗一郎は1962年イタリアのモンツァにグランプリを初めて見に行く。この時、好奇心の塊、宗一郎はモッタのアイスクリーム販売車を見てS600に使いたかったのかも?S500のチェーンドライブは突然現れる、本などにも、何でチェーンドライブにしたのか書いてない。荷台を広く取れるメリットはあるが複雑でトラブルも多い。T360の設計者中村良夫は猛反対するが、中村の言う社長の「絶対的前提条件」なので引き下がった。本田宗一郎がチェーンドライブを何処で思いついたのか?詳しい方がおられましたら教えて下さい。
2003年10月29日
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アペのホームページを見ると、最新型は1996年からになってる、最大の特徴はヘッドライトが二つになった。アペの場合、ライト二つが絶対良い。昔の1灯は夜間の場合スクーターに間違われて、狭い道ではハットする時があるので荷台の両脇に反射テープを大きく貼っている。我が国は三輪車が絶滅して長い時間が経っているので、ドライバーは1灯=スクーターと思い、すれ違いのさい横幅があるぶん結構危ない。昨日のHPを見て笑ったのは、カーステレオ標準装備(騒音が酷く聞けませんって)灰皿とシガーライター標準装備(バーハンドルなので片手運転は危険です)この装備は冗談と考えるのが一般的かな。昔のアペに比べて最大の特徴はセルモター付き、これは便利です。コツさえつかめば手動でも1発でかかる。内装豪華、椅子が広いので2人乗りも出来る、もちろん違反。昔のアペは2種類あるみたいだ?ミニカー登録できない時代(昔は輸入車に対して規則が物凄く厳しかった)に登録された物は電装化してある、バッテリーとスモールランプが無いと登録できなかった。市町村登録なので規則の緩い町では輸入されたままで登録されているのも有る、この場合バッテリーなしでワイパー足踏み、キーも無い、私のはこのタイプ。若い方は50万円以上するイタリア製スクーターを平気で買う、なので、アペはこれから流行りそうだ・・・我が国のアペは趣味としての乗り物みたいだが、チャンと働いているアペもいる。http://www.karakiya.net/
2003年10月28日
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久々のアペです。ホンダAPE(エイプ)ではなく、イタリア・ピアジオ社のAPE、ベスパ・カーとも呼ばれている。昔、ベスパ総代理店成川商会から発売されていた、その時代の生き残りと個人輸入の極少数の台数が現在も走っている。アペは現在も生産されていて、イタリアでは良く見かける、ほとんどが商業車で立派に仕事している。最近、アペの輸入会社が出来たらしいとの書き込みが有り、ホームページを見に行ったところ、今月25日にオープンしたばかし。HPの内容は大変良く、分かりややすいので興味のある方は覗いてください。歴史や働いているアペの写真は・・・たぶん欲しくなるな~最初のロット12台はすでに完売らしい、66万円から各種ある。当方としては部品がどうなるのか?アクセサリーのコーナーもあるが現在工事中。http://www.walk.co.jp/ape50/
2003年10月27日
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なる新刊がグランプリ出版から出た、桂木洋二著だからハズレは無い。プリンス自動車は高級車なので一般には縁が無い、私も当時は全く無縁、それこそミゼットやスバル360が周りに走っていた、少年のころの話ですが。プリンスは日産と合併する、合併後、日産社員組合は自動車作りよりもプリンス潰しを最優先にした。最後のプリンス社員も定年退職し、日産にプリンスの面影が残るのは御料車とスカイラインのテールランプのみなのかも?この本には、こんなイジメの話は出てません。歴史、特にグランプリの話は面白い、スカイラインオーナーにはお勧めです、ホンダについてはチョコッとだけ。プリンスのお公家さんのような社風と正反対なのがホンダ、草莽のホンダには勝てない。面白い話としては、特振法(自動車会社の制限)はホンダなど自動車を、まだ生産してないメーカーに不利なのだが、高級車を作っていたプリンスは逆に大衆車を作れなかった。通産省は自動車自由化の前にメーカーを普通自動車メーカー(トヨタ日産)ロールス、キャデラックのような高級車専門(プリンス)と軽車輌専門(スバルなど)の3種類に統合したかった。トヨタ、日産、ホンダは政府の方針を無視して生産する。プリンスはド真面目すぎた、と書いてある。
2003年10月26日
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お天気が良い日だけT360で通勤している。足に使っている現行車は暖機運転は冬でも全くしない、イキナリ全開で走る訳ではないし、最初トロトロ走れば問題ない。雑誌などの未再生原型車オーナーさんの話を見ていると、アイドリングを長く、オイル交換を頻繁にするのが長持ちの秘訣と書いて有るので、T360はタップリ、暖機運転している。通勤距離は短いのでガソリンの半分は暖機運転に使用していると思う。アイドリング・ストップ運動には逆行してる。
2003年10月25日
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中曽根元総理が定年を拒んでいる??老害かもしれんし、可哀想でもある・・ホンダT360が発売されたのは1963年、66年がマイカー元年と言われ爆発的に車が売れた。中曽根みたいな優秀な官僚が敗戦後のショックから立ち直るのに国民にマイカー持たせる、この時代、官僚は全てについて目標を持っていた。、今とは違う?66年がマイカー元年と言われるのには諸説ある、丙午だから子供の代わりに車を買った、一番もっともらしいのは、過激な労働争議を終わらせるのにマイカーを持たせればローンで会社を辞められないので組合活動が下火になるはず・・・当時の官僚は賢い、その通りになった。中曽根一番の功績は、あの貧しい中、国民、特に子供に夢を持たせる為に南極越冬観測隊を出した事だと思う。発想が凄い!今、南極条約で基地は作れないので、遅ければ南極に日本の基地は作れなかった。すなおに引退していれば、日本の影のドンとして尊敬されてたのに・・・
2003年10月24日
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私のT360にはオプション純正のカーヒーターが付いている。これからは便利な装置だ、特にデフロスターとしてフロントガラスの曇り止めには抜群の威力を発揮する。この時代の暖房は贅沢品、後付けでつけたもんです。スバル360には最初からヒーター付いていたが余り効かなかった様な記憶が・・・T360のヒーターはマルエヌ製、聞いた事ないメーカーなのでWebで調べたら実在していた。HPを見たら、何と何と、同じ物をまだ製造しているではないか、驚いた・・http://www.maruenu.co.jp/prod19.htm 一番最初に出ている、丸い太鼓のような製品、中高年の方には懐かしい製品だと思う。古いパーツリストで見ると一式16500円、T360の幌と骨組みのセットは5900円なので、オプションとしては高い物だった。材質はアルミでシッカリ作ってある、現在の材質はPPとなっている、PPってプラスチック?昔のはMARUENUとルーバーに書いて有るが、それ以外は全く同じ形だ。当地の除雪車など建設機械にはまだ需要があるのでこの形は永久不滅かも。パーツリストには付属の「暖房車」ステッカーのイラストも書いてあるのでパソコンで作ってもらう予定、暖房車と誇らしく貼っておく。もっと凄いのは冷房車ステッカーだろう・・・当時は超贅沢品。三角窓で十分だったよ~な記憶が・・
2003年10月23日
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全国でクラシックカーのイベントが静かな流行、田舎の当地にも有る。しかし、20年以上続いているイベントはそんなに多くない。海外では20年程度では新参者だが日本では十分歴史が有る。24回も続けているのは大したものだ。2013年、10年後はホンダ4輪生産50周年なので盛大に各地でイベントが開催されるかも?ホンダS(S5~800)は1964~70年まで生産された。(詳しい台数などは日記に書いたので)パーティーより盆栽を好む日本人にはクラブ活動は難しいのか、中村良夫は1986年10月の文に「ドイツより規模の小さいイギリスのホンダSクラブから創立20周年の記念に設計者中村にお声がかかった」とある。海外では発売と同時にクラブが設立され、将来に備えて部品の備蓄も始めている。特にイギリスでは相当あるらしい。1986年に中村は「日本にもSのクラブが有るらしいとは聞いているが、残念ながら、かっても今も、その存在と実態を知らない」と書いている。これからは趣味としての古い車が見直されると思う。ホンダスポーツS600はモナコのレーニエ大公?も購入した。中村はF1グランプリのオープニングパレードにレーニエ大公の御料車にしてもらおうと工作したが、宗主国のルノーに負けた。中村は残念がった、この時、使用されていれば伝説になったのに。以後レーニエ大公とパーティーの都度話をした事はS600とF-1の話だと思う。T360のクラブは当然ない。
2003年10月22日
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私のT360は27年ぶりの公道復帰から約1年、たった1年。この間、T360は1台も見たことない。糸魚川クラッシックカーミーティングには糸魚川のIさんのT360が1台参加した、行かなかったので見ていない。金沢にはT360オーナー2名参加していたがT360では来なかった。結局、博物舘にも行ってないので残念ながら比較研究することも出来ず。11月23日の鈴鹿には4台は参加しそうなので行きたいが行けない。ミーティングに参加するT360オーナーさんからお電話いただき、情報をいただいた。まず、ホンダSに比べるとT360オーナーの交代はない、つまり、T360を乗り出すと手放さないないらしい。また、ワンオーナーが多いのも特徴らしい、約40年浮気せずに乗ってる訳だからオーナー歴1年の私などガキ。ホンダSは中古車のマーケットが確立しているので売りやすい、平均200万円ぐらい、もちろん程度にもよる。もし50万円で売りに出ていても後100万円はかかる?状態と金額は正直に比例している。つまり、今売っても、欲しければ何時でも買える。T360の場合、ナンバー付き実動車はオーナーが絶対手放さないから、稀に出る20年は動いてないような車を手に入れて、自分で公道復帰するしかない。偶に旧車専門店でT360が出る事も有る。私も20年以上探していた、念じれば通じる?面白い車と思っても、こんな危ない(部品など)車を欲する方は奇特なひとです。
2003年10月21日
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ツインカムクラブから申し込み書が郵送されてきた、感謝!封筒の中に会報?があり、初めて読みました。今回はセルモーターについて、勉強になった。さすが、歴史と伝統の有るクラブ、冊子も格調高い。「ホンダスポーツ(S5~800)はヒストリクカーであり、今の車でもある。オーナーにとってはエスとはピュアスポーツなのと。中略、時の次元を超えた存在、それもスポーツとしての存在を私達にアピールしている・・・」Sはまぎれもないピユアスポーツカーと思うが、T360はど~なんだろう?ノンキーさんのBBSに昨日、関東で開催された部品交換会にT360が部品を満載して出店してたらしい、私のT360もバイク自転車を運び、ゴミ捨てにも度々使用する。完全な現役商用としてのT360は存在しないと思うが、立派なピュア・ビジネススポーツだと思う・・・もうチョット良い呼び名はないものだろうか?http://www.eonet.ne.jp/~spirit/honda_s/index.html http://park7.wakwak.com/~stepup/
2003年10月20日
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11月23~24日鈴鹿サーキットでホンダ・ツインカム・クラブの走行会が開催される。http://www.eonet.ne.jp/~spirit/honda_s/index.html FAX、メールでお誘いいただきましたが、当日、絶対外せない都合がありまして、参加できません。お誘いいただきまして ありがとうございます。感謝!来年の25回には参加します。鈴鹿サーキットは走ったことがなく、ましてフルコースは滅多に走れないので是非とも走りたい。何よりもT360には最高の晴れ舞台、走らせてやりたい。毎回、T360は3台前後参加するので、参加車輌を見るのも楽しみの1つ。もし、T3601台だけならホンダSの中では1台だけ〝みにくいアヒルの子〟状態、なんセ軽トラですので。T360オーナー三重県のTさんにもお会いしてお話をお聞きしたい。しかし、40年前の360cc軽トラで鈴鹿のフルコースを全開で2時間も走ってエンジンが持つのか??当地からはS800Cが1台参加します。S800オーナーに言わせるとT360は動くシケインらしいですが排気量は半分以下、重心が高いのでカーブは恐いと思う。1962年一部開業した鈴鹿サーキットでT360のお披露目があった。この時、本田宗一郎もT360がサーキットを走るのは最初で最後と思ってたのでは?
2003年10月19日
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60年代ホンダF-1ドライバー達の中で有名なのは、ジョン・サーティス、ホンダF-1初優勝のリッチーギンザーそしてロニーバックナムはホンダファンなら知っている名前だ。前々回紹介した新刊書『旭日のGP』の作者菅谷充さんにメールを出した所、返事をいただいた。その中に「ロニー・バックナム未亡人が、亡き夫に関係した品々を展示したいとのことで、カリフォルニアのジャーナリストを通して中村良夫氏の著作が欲しいと頼まれ、古書店まで探して、手に入る限りの本を送りました。中村氏が亡くなったときは、海外のほうが反響が大きかったので・・・」私、名前ぐらいは知っていた、あらためて『私のグランプリ・アルバム』中村良夫著 二玄社刊を見てみたら、T360設計者中村良夫と親交のあったF1ドライバー約30名の中ではトップバッターとして登場しているではないか、昔読んだ時にはジャック・ブラバムとかスターリング・モスとか超有名なドライバーの印象が強く、中村良夫がいの一番に名指ししているとは・・・1992年全盲となったロニーバックナムを中村がカリホルニアまで訪ねて行く・・・本に詳しく載ってますので。優秀なドライバーを嗅ぎ分ける才能は中村良夫と本田宗一郎が持っていた、みたいだ。宗一郎は「日本人でドライバーになりた人はいっぱいいる、外人ドライバーは高い給料を取るが車を良く知っている。1周回ってきて、ハンドリングがどうのとか文句ばっかし言う、実はこれが非常に参考になった」と書いている。ロニーバックナムはホンダ最初のF1カーを走らせ、ホンダ最後のF1カーを走らせた。
2003年10月18日
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明日からフレンチ・ブルーミーティング(FBM)が始まる。全国からシトロエンなどのフランス車オーナーが車山に大集合する。当地からも明日、早朝から何台も出発する、紅葉の綺麗な時期だが高原なので毎年お天気は良くない・・今年は良さそうだ。http://www.kurumayama.com/fbm/map/index.htm イベントと言えば先週終わった、ラ・フェスタミッレミリアは大成功に終わった。聞いた話では、見学者10万人以上らしいので凄い!来年からはいよいよ1950年代までの車しか出れない見たい、段々厳しくなり、今回の参加車85%はそのままイタリアのミッレに出れる資格があるそうだ。今年の参加台数は107台完走率は高い、日本の一般道路を1600Km走るのだから大変。ラ・フェスタ参加資格の有る車を所有していても、お休みが取れなく参加出来ない方が多いと聞くので、皆さん参加しだすと書類審査は益々厳しくなる。
2003年10月17日
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ヴァーチャル戦記とかシュミレーション戦記と呼ばれるジャンルが有り、若い方を中心に人気がある。谷甲州などは北陸に住んでいるらしいので、当地でも人気が有る、私はヴァーチャル戦記は読んだ事がなかったし、興味もない.最近、と言っても今日か昨日の新刊で『旭日のGP』菅谷充著、学研から出ていたので、パラパラ見たら結構面白い。上巻だけ読んで下巻は明日にでも読む予定だ。この本、ヴァーチャル・グランプリレースなので面白い。ヴァーチャル物の読者はオタク?ぽいのが多いので、下準備は完璧にしておかないと突っ込まれる、筆者は本田宗一郎、レース関係の本は全て読破して書いているので、これは楽しい本だ。ホンダファンやレースファンには結構お勧めします。内容は、1935年に日本からグランプリ参戦するのだが、山本五十六と本田宗一郎(監督として)大倉男爵も出てくる。最初のページの登場人物にホンダT360の設計者中村良夫も出てくるので、どのように登場して来るのかと思ったら、陸軍の技術将校として出てきた。陸軍、海軍は兎に角、角突き合わせていたので上手い登場のしかただ。ホンダファンなら知っているエピソードが一杯出てくるので楽しいですよ・・・登場するドライバーはオールスターキャスト・・・各850円
2003年10月16日
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ホームセンターにて安売りしてたので購入、水圧70barなので平均的機種。さっそく車を洗車してみたが、いまいち。ホイールは綺麗になった。コンクリートブロックは驚くほど綺麗になったので、風呂場や庭で使用するのは問題ない、エンジン関係のキツイ汚れはこの機種では無理みたいだ。車屋さんにある業務用は強力、更に強力なのは建設機械用の洗浄機はベニヤ板を打ちぬくそうなのでエンジンに使えば一変に綺麗になるかも。車に使っていいのは70barまでかな?強力な洗浄機で塗装をいためた人もいる。
2003年10月15日
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T360予備エンジンの調整に着手。いただいたメールなどでは「分解は慎重に、できたらプロに任せるように」との事なので、年内にかけて外部からゆっくりと。昨日までに発電機とセルモーターの分解調整再塗装は終わった。キャブも完了してるので、いよいよ本体。実は、タベット調整は何回となく、と言うよりも日常的にやってはきたが、シムと呼ばれる調整方法は今だかって経験がない。T360のシムは直径1センチほどの小さな円形鉄板、調整はノギスではダメで、所持していないマイクロメーターがいる、マニアルを見ると指定工具はピンセット!50ccバイクのコッターピンにピンセットは使用する、自動車整備ではロングノーズプライヤーは使用すると思うが、ピンセットとは時計なみ、クリアランス0.2mm誤差0.02mm、厄介そうだ。コッター抜き専用工具とピンセットはあるがマイクロメーターはないし、訓練しないと100分の1ミリの精度は難しい。バルブの擦り合せまではやりたい、素人ではここまででしょ~修理のつもりが壊した事は何回もある、今回、壊した場合、部品がない。
2003年10月14日
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日本のオートマチックは戦後から、1959年のクラウンが最初となる。軽四輪では意外に早く、1963年ホンダT360が発売された年にマツダ(東洋工業)水冷4気筒アルミエンジンのマツダ・キャロルが最初、と書いてあるので、旧車イベント会場のキャロルを見てもオートマは今だ見た事ない、それくらい珍しい車種なのかも。しかし、マツダは先進性のある会社だ、本田宗一郎が生まれて来なければ、マツダが日本で一番アバンギャルドな自動車会社に成っていたと思う。ホンダのオートマは1967年のN360から、ずいぶん遅い搭載だが、軽トラとスポーツカーとF1カーしかないのではオートマ車はどだい無理。ホンダの高回転高馬力はオートマには相性が悪いと思う。3段ギィヤと小型トルクコンバーターの組み合わせでチョット変わったオートマ、レバーはコラムに付いていた。N360のオートマはイベントなどでは偶に見れる、生存率は高そうだ。当時のオートマは燃費も加速も悪く、なによりも、オートマ=女々しいイメージがあり、まず若い人は買わなかたのでは?一世一代、生まれて初めてのマイカーを故障の多そうなオートマで購入する方は少ないかと。>佐藤琢磨には期待していない・・・みたいなことを書いたが、6位はたいしたもんだ!F1は結果オーライ。
2003年10月13日
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週末はいよいよF-1。F1のHPは沢山あるので、佐藤琢磨には期待してない・・期待を裏切ってくれ。「ホンダ明日への疾走」の中に、アラスカ奥地でのテストのさい、住宅個数数個の村でお世話になり、日本の事について質問したら、東京は知っている、大阪、名古屋は知らない。鈴鹿は知っていて「一度レースを見に行きたい」と言ったので鈴鹿は世界でも有名なのかと感激したらしい。私でもイギリスの何処にあるかは知らないがシルバーストーンは知っている。ドイツはホッケンハイムそして聖地イタリアのモンツァ、モナコは今年実際に走ってみた。それくらいにF1開催地は有名になる、本田宗一郎もサーキットを作る時そこまでは考えなかったと思う。この話しは有名ですが。ホンダが新しい工場を建てるのに、2ヶ所の候補地に絞った。岐阜県大垣市と三重県鈴鹿市。大垣市の市長室は立派だが、出された麦茶はぬるかった、料亭での盛大な接待もあったが本田宗一郎は気に入らなかった。次に、鈴鹿に行ったら市庁舎は(このころは町?)ボロだが麦茶はギンギンに冷えていて、食事は職員と同じ弁当だったので本田宗一郎は即決で鈴鹿に決定した。大垣市も当時の市長がシッカリしていれば世界に冠たる大垣市になっていたのに。地の利ははるかに良いし、当地からも近いので私としては大垣市が良かったのに・・・
2003年10月11日
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T360に関する日記だけを集めようと思ったが、量が多い。また、仕方が無いが重複してる箇所も多いので、そのままT360の説明と読み物の二つに分けてUPした。日記からの抜粋を並べただけなので箇条書き風になった、何れまとめる予定ではある。エンジン分解整備が始まれば書くことも増えると思うが、中途半端に始めると恐いし。日記を最初から読んでいくのは面倒な作業なので徐々に載せます。結構間違っている物もある。本田宗一郎は特振法が廃案になることを一番良く知っていたとも書いてあるが、この部分は間違いなく書いてあったのだが、どの本なのか分からない・・・雑誌だったか?証拠が無いので「軽四輪誕生の記録」から引用した。
2003年10月09日
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今年も撮影に行ってきた。相変わらずデジカメは下手ですな~写真中央白い花は蕎麦、蕎麦畑は昨年より耕作地が大幅に増えた、その内コスモスを追い抜くかも。減反政策の一環だが、一等地の水田を観光農園とは・・もっと米を食べないとダメだ!朝はパン、昼は麺類が多いかな、昨晩はスパゲッティだし。米の消費を上げるには、おかず無しの炊き込みご飯が良い。T360の水温はピッタシ一定している、以前書いた冷えすぎエンジンは、アンダーウォータープレートを取り付けたら温度が上がるようになった。このHPを見た方のアドバイスのおかげです。プロショップに持っていけば1発で分かるのでしょうが、当地には無い。近くても岐阜県まで行かないとダメ、当地のS800は岐阜県まで調整に行く。県内には出来る店は無い。4連キャブの調整は専門店かオーナーの我流しかない。
2003年10月08日
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野球はテレビでしか見たこと無い、高校野球の地区予選は県営球場で見たことあるような・・・それで、プロ野球の聖地、甲子園での野球を一度見てみたいと思い今晩、19時受付開始の日本シリーズの電話予約とインターネット予約をトライしてはいるが・・・当然、通じません。「混雑してるので後でおかけなおし下さい」のアナウンスのみ。まぁ~発想が大甘なのは間違いないです・・・http://t.pia.co.jp/ 0570-00-0023今晩24時までです。
2003年10月07日
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ノスヒロ別冊「70年代の名車ー2」をパラパラと見ていたら、フロンテクーペが出ていた。2サイクル3気筒、デザインはジウジアーロと来てるので、70年代と言わず今でもカッコいい。当時、軽4にはもったいないデザインと思った。突然、フロンテクーペの話になったのは、知人が手放したいので、誰か欲しい方がいないか聞かれたもんで・・・フルレストア済み、ゴム類も新品に交換して力が入ってますが、その分、あまり安くは売りたくないみたいだ。色は茶色、上記雑誌に出ているタイプと同じ?自分でレストアするよりも、スグ乗りたい方には良いかも。もし、興味が有りましたらメール下さい。折り返し先方のTel教えますので委細双方で、金額等もです。ご自分でレストアされた方なら経験済みでしょうが?レストア済みの車を買った場合が自分でするよりも、はるかに安く済む。場合が多いようです。レストアして万が一高く売れるのは、トヨタ2000GTのように、未レストアの固体自体がほとんど無い場合のみ。レストアそれ自体が楽しいのであって、お金でないことは当然ですが・・
2003年10月06日
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ホンダと本田宗一郎を書いた本は200種以上あるそうだ。最近『怪物伝説』稲垣謙治著河出書房新社なるホンダの本が出た。サブタイトルは「本田宗一郎としたたかな男たち」。流石に書く事が出尽くしているので、フィクションの『にわとりを殺すな』同様苦労している。面白い本だが立ち読みで終わってしまうのが 惜しい。最近面白いのは新刊書より雑誌、CGではCB750の連載が終わり、バイカーズ・ステーションの「無事、これ名人」が面白い。広田俊二は本田技研設立当初に入社、退職して13年経ち雑誌の対談に応じている。本を出すのは今まで上級技術者だけだったが、一般の職工が語り始めていて、コッチの方がよっぽど面白いし、なるほどと感心する。今月号のバイカーズ・・・当時の工場イラスト入り、このイラストをみると改めて本田宗一郎の韋駄天ぶりが分かる。
2003年10月05日
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某雑誌に車関係の記事を書いた、もちろん私の記念のつもり。今日、原稿料なるものが振り込まれてきた。この手の投稿はせいぜいオリジナル・ボールペンセット程度と思っていたのに現金とは・・・嬉しい!!原稿料なる物を受け取るのは、おそらく最初で最後になると思う。記事は3ページ。思ったより金額が多いのでビックリ。もちろんプロのライターはもっと高いのでしょうがプロはそれでご飯を食べるのだから当然。家族で豪華お食事しても、まだ余る、それともオークションに出ているボロバイクを買おうか・・・農発エンジンなんかも。
2003年10月03日
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マスターシリンダーの22ミリ、サークリップが甘くよく外れる。これは、昔の修理で修理屋さんがワッシャーを入れ忘れたから、溝が甘くなって斜めになっている。溝を彫りなおすと良いが、専用工具がいるので素人では無理。それで、23ミリのクリップを入れた。1ミリ違うだけで非常に硬い、つまり外れ難くなったので正解。これでブレーキ関係は完璧になった、自信ある。パイプを含めカップ類も新品、純正部品はなし、すべて汎用品と流用、ブレーキホースは現行ホンダ・アクティー用を無理やり付けた。今回の材料費、23ミリ・サークリップ1コ55円、油脂類若干約5円ていど。ブレーキロッドの取り付けは最初24ミリを使用するも硬すぎる、23ミリでも硬いので時間がかかった。作業時間は2日で合計2時間だった。
2003年10月02日
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いよいよ今週末の5日~9日までラ・フェスタ・ミッレミリアが開催される。8月23日の日記にも書いた。東京~福島~箱根ミッレミリア(1000マイル1600Km)を4日で走りぬける、高速道路は少なく下道。車もドライバーも大変だ。一番凄いのは参加出来るクラッシクカーを所有している以上に、前後合わせて1週間の休みを取れる事。当然、奥さんの許可を取る為にも御夫婦の参加が多い。1957年までの車は参加出来る、もちろんヒストリー付きの凄い車。チョット違うのはスポンサーさんの車らしい。かなりの参加車輌は5日に向けて調整中、ショップさんも必死。結局、間に合いそうも無い車もチラホラ。このイベントに関して、お金の話もなんですが・・・参加費は?十万円、さらに1週間休める方が参加出来る。スケールの割にはお安いと思う。と、言ってもT360よりはるかに高い。来年はゼヒ参加して下さい。T360では門前払い。
2003年10月01日
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