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トップページの写真をみるとホンダS800クーペ(屋根アリ)は非常に小さく見えます。T360のサイズは長さ3M、幅1.3M、高さ1.5Mです。S800は長さで30cm幅で13cm大きく、高さは30cmも低い。3階の窓から見ればT360がはるかに小さいのですが、正面から見るとT360が親分みたいにデカイ顔してます。当県では5~7台のSが生息してるらしいが公道を走れるのはこの2台だけ、少ない。輸出先ではトイカーと呼ばれたのが分かります、まんまオモチャ。シルビー・コブラ製作者のシルビーが中村良夫とS600でドライブした時、中村が自動車と何回も言ったのに、シルビーはトイカーとしか言いませんでした。アクセルは全開のみ、OFFかONのみ。T360との比較は360cc対800cc、30馬力対70馬力、34万円対44万円?比較するとトラックがかなりの割高、Sが安すぎたのか?ホンダスポーツS600はモナコのレーニエ大公?もお買い上げ、中村はグランプリのオープニングパレードにレーニエ大公の御料車にしてもらおうと工作しますが、ルノーに負けた。中村は残念がってましたが、以後レーニエ大公とパーティーの都度話をしたそうです。S600とF-1の話だと思う。
2003年01月31日
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昼から寒波も緩み 今回の雪も一段落しました。T360の入っているガレージのシャッター前に屋根の雪が落ちるようになっているので、2メートルの雪が有ります。これを退かすのが大変、明日にでも・昨日 クローラは藤沢武夫が考えたと書きましたが、藤沢の生まれを調べたら、戦後福島県で製材業をしてました。クローラは実体験で特に冬の製材業ではゼヒ欲しかった車かも?本田宗一郎は浜松なので雪用の商品は思いもつかないはず。藤沢武夫と中村良夫の本だけ読むと スーパースター本田宗一郎の出番が無い!
2003年01月30日
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昨日まで雪の少ない北陸らしくない天気でしたが、朝から吹雪、大雪。今日撮影すると良かったのですが、鉄道、飛行機とも運休してるので当地まで来れませんでした。朝から雪カキなので疲れてT360のクローラ交換やる気なし。雪が一段落してから、パウダースノーでのテストを、昨日の雪はシャーベット状で最悪の雪。ホンダ社内で誰がクローラを作ろうと考えたか? 某雑誌編集長の話では藤沢武夫(副社長)とのこと。確かにスーパーカブも藤沢の発案なのでクローラもアイデアーの1つとして出たのか、複雑な品ではないのでホンダの技術を持ってすれば直ぐ出来たはずです。昨日のテストは抑えて最高スピード20Km、雪質の良い時に最高速のテストと登坂テスト予定。どちらにしても 誰も居ない山道では立ち往生が恐いので慎重に・・・応援にS800クーペが来てくれて感謝、普通タイヤで良く登ってきたもんだ・・
2003年01月29日
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本日 某雑誌の取材で雪の無い当地で雪を求めて山へ。ガレージでクローラからスノータイヤに交換し、近くの山(20分)までドライブ、急な坂道を3速50Kmで山登り。着いて、クローラに交換し吹雪の中で撮影、さらにスノータイヤに交換し帰宅。当地のホンダS倶楽部、編集長と打ち上げ。クローラの交換はお手の物、簡単に出来ます。どこでもOK・雪が無いと思ったら今晩からかなりの積雪、後1日待てば山まで行かなくても。あまり雪が無くて満足なテストではなかったが、これからさらに過激なテストを予定、雪次第ですが・・・
2003年01月28日
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本日雨、気温14℃明日から雪?クランクシャフト用ニードルローラーベアリングは何度か書きました。ホンダ関係の本にはこのベアリングで高速回転が可能になったと有りますが、ベンツ関係の本にはローラーベアリングを用いるとエンジンを短くまとめる事が可能となり、コンパクトと軽量化から決定したと有ります。もちろんW196や300SLRのグランプリカー中心ですがホンダは軽トラック。たぶん両方の長所が有りホンダは高速回転に重きを置いたのでは。欠点は複雑高価な点です。組み立て式クランクはホンダには複雑なクランクを加工する工作機械がまだ無かったから。中村としてはローラーベアリングは必ずしも必要とは考えてなかったが「転がり軸受け(ローラーベアリング)は社長の決定的な強烈な前提条件で私が引き下がざるおえなかった」と書いてます。
2003年01月27日
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今日明日と天気が良いみたいで気温はなんと10℃、水曜日が一番気温が下がるか・T360の形式番号はAK250、T500はAK280、S360はAS250ですが、中村良夫の本にはT360をAK360と書いて有ります。最初勘違いをしているのかと思いましたが、「HONDA F1」二玄社刊12000円にもAK360と書いてありAK250とは一言も書いて有りません。推測ですが、AK360で開発したが、通産省登録に際しAK360は余りに平凡な為、すでに登録が有りやむなく250にしたと考えられます。Aはオートモービル、Kはカーゴか貨物、Sはスポーツだから平凡。当時、大小のメーカー、町工場が軽トラを生産してたので、この番号ならすでに使用されていたはず。車種を番号だけにすると、すでに登録されてる場合が多く、ポルシェの場合すでにボルボ?に番号を登録されており、やむなく911と変な番号で登録した。T360の車庫証明取得の際、型式AK250と書いたら 余りに簡単な番号なので「後も書いてください」と言われ、書類を見せたらOKでしたが、納得してないようでした。ホンダ1号車だから番号スッキリ。
2003年01月26日
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マニホールド(吸入管)はキャブレターから気化したガソリンをシリンダーに導くただの管ですが、T360のは2重構造にし中に水が循環してます。(写真はキャブレターにあり)最初、たかが360ccのエンジンに なんでこんなに複雑にするのか不思議でしたが、理由が有りました。T360設計者中村良夫の戦前果たせなかった夢?撃墜されたP51マスタングのエンジン・マリン61型の調査をした中村は、マリン61型(ロールス・ロイス)が、ただ機械というよりも工芸品、芸術品に近いまで加工、仕上げがされていたと書いてます。特に過給機ケーシングは一体構造だとばかり思っていたら「分解していくと壁面は精密な2重構造となり内面には冷却水が還流していて愕然とした」と書いてます。当時日本は複雑な工程を避けていたのに対して、まったく正反対の方向だったので衝撃を覚えたとあります。中村が戦時中物資不足で出来なかった事をT360エンジンで試しているのでは?このエンジンは芸術品だと思う。
2003年01月25日
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雪の予定が全然降らず。来週から気温が下がるので期待できそう。昨日 鈴鹿F1の話が出たので、本田宗一郎の功績数有れども、鈴鹿サーキット建設もあの時代を考えるとたいしたものです。1962年5月鈴鹿サーキットのホームストレッチとショートコースが出来たのでT360のお披露目があった。発売は翌年8月。運転したのは当然社長。S360では運転席に社長、助手席には中村が座りサーキットをテストランした。鈴鹿サーキットを公式に走った第1号車はホンダT360です。S360の発売中止はエンジンの問題と 思ったほどスピードが出なかったからと書いてある本も有りますが、政治的問題(特振法)で普通車の500ccにして販売した。社長は本当はもっと小さい車を望んでいた。中村は性能的にはOKだが、軽四輪規格では後部がスンズマリとなり普通車になり喜んだ。
2003年01月24日
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いよいよ今晩から寒波が来るみたいです。積雪熱望・・・T360の日記にやたら設計者の中村良夫が出ますが、中村は技術者には珍しく、文もイラストも書き どうも出版社に頼まれると断れない性格か各社から大量の本が出てます。ホンダにも当時の事情に詳しい方は大勢居ると思いますが、本、雑誌ともに無い。ホンダの社内報にはもっと詳しく載っているのでしょうが、見る機会が有りません。Webで公開すれば?ただし T360だけの記述は有りません。SやF1のついでにチョコットだけ。中村の本が多い最大の理由は1987年?の鈴鹿サーキットF1開催に有ります。雑誌はオートスポーツぐらいしかなく、F1を知っている方もほとんど居ない状態なので、中村さんに解説を頼んだ。第1回鈴鹿F1には私も行きました、まさか日本でグランプリが見られるとは・・感動。 ピケ、マンセル、フェラーリなどを目の前で見れるとは・・(マンセルの事故は残念)一番役にたったのはオールドタイマー誌です。NO-26まで有った元ホンダ社員小南寿一さんのSセミナー全16回。あの記事を読み直すと ますますエンジン分解自信なし・・・
2003年01月23日
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T360のエンジンはF1エンジン(1500cc12気筒)と同じと 今まで書いてきましたが、何で軽トラックがと不信に思う人がいるはずです。特にホンダSオーナーはS500ではないのか?中村良夫が後年書いたイラストをUPしました。見ずらいですが、一番上はT360と本田宗一郎、二番目が中村とSです。F1は三番目ですが、本当の順序は二番目でSが三番になります? ホンダ四輪車の始めの1台がT360、もしS360が同時に発売されたらS360ですが、発売されませんでした。F1製作にあたり1962年に試作360ccエンジンが完成。リッター出力93馬力、平均ピストンスピード14(m/sec)を達成、これは当時のレーシングエンジンと同じなので 中村は「これでF1に勝てる」と感じました。エンジン開発には紆余曲折有りましたが、T360のエンジンがF1とSシリーズの大元です。
2003年01月22日
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雪の予報が雨!このまま降らないようならクローラを積んで山までテストに。T360を基礎に作られたホンダF1車はT360発売の翌年、ニュルブルクリングから念願のF-1参戦を果たします。監督は中村良夫、日本からの観戦者は小林彰太郎(元CG編集長)とカメラマンのジョーホンダ(日本人です)の二人だけでした。今のF1はジャーナリストだけでも100名以上?小林さんは「パドックから始めて出された真紅の日の丸も鮮やかなホンダF1を見た感動的な一瞬は、今も鮮烈に記憶している」と書いてます。この時の観戦記でヨーロッパの人も東洋から来た日本人に注目の全てが集まり、特にピットに貼り出してある日本語の日程表や注意書きに興味があり、始めてみる漢字を写真に収めていたと書いてます。ホンダのマーク入りのものは全て無くなり、中村がかなり持ち込んだホンダの作業用帽子も取られ、他のチームの帽子を被っていた。当時から記念にチームマーク入りの物は皆欲しがった。レースはテストなしのイキナリ本番、予選に調整が間に合わなかったが主催者はホンダ車が出来上がるまで1時間以上待ってくれた。今なら考えられない。観客も待ってくれた。小林さんはホンダS600でヨーロッパまで応援に行った。途中でS600のピストンが破損しベルギーホンダまで牽引されてエンジン修理した。小林さんは相当腹を立てたらしく、帰国後ホンダに抗議に行くと、作業着姿の本田宗一郎が黒板の前で故障原因を丁寧に説明してくれて、怒りも収まった。小林彰太郎さんが講演会で当地に来られた際に夕食を共にする機会があり、飲みながら午前3時近くまでお話を聞くチャンスがあった。まだまだお元気・・・
2003年01月21日
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今日も暖かい天気ですが、明日から雪が降るようだ?ホンダF1(二玄社刊)によると、ホンダとベンツ(M196など)のレーシングエンジンの違いは、ニードルベアリング組み立て式クランクシャフトは同じですが、ベンツはボルトで組み立てるの対して、ホンダは圧入式組み立て。名人だけが出来る職人芸でホンダ全社で この圧入が出来るのは河井優夫ひとりだけだったそうです。当然本人が休むと作業も中止。(F1だけですが)名人に頼るのは日本人の悪い癖で、こんなエンジンを街中の修理工場で出来るわけがない。オールドタイマー誌にT360の名人が「このエンジンだけは二度と触りたくない」と書いて有ります。 春になったら私がやる訳ですが・・・不安。S800のエンジンは作業しやすいが、T360は半分以下なので細かくて大変とのこと。以前、飛燕戦闘機(DB601の国産エンジン)を書きましたが、知人の大学の先生から 九州の何とか部隊は名人の修理屋さんがいて飛燕の稼動率は80%だったと指摘をうけました。内地の部隊なら良いでしょうが、前線の部隊では・・・中村良夫は著書で、ラバウルから帰ってきた戦闘機乗りの大尉が飛燕(彗星?)の工場に現れて「飛べない飛行機を作っているのは国賊だ!」と日本刀で大暴れし、皆逃げ廻った と書いてます・・・複雑繊細ニシテ実用ニ非ズ
2003年01月20日
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穏やかで暖かい日で雪上テストできず。T360のエンジンはメッサーシュミット戦闘機DB601エンジンを参考に作られましたが、このエンジンを参考にしたのはアメリカも同じです。DB601は過給機(スーパーチャージャー)にヘッテンガー博士の流体接手を使用、デトロイトの自動車メーカーは これからオートマチック車を作ります。50年代ガソリンの安いアメリカだけがオートマ車が普及しました。現在は日本でもオートマ車が一般です、このオートマも原理はDB601エンジンです。もちろん現在のインジェクションもDB601からです。中村良夫はコピーでは無く「新しい技術の再構築」と言ってます。戦後、ホンダはダイムラー・ベンツ(601)エンジンに日本的な技術を付け加え、T360、F-1エンジンはベンツと違ってきます。以前T360と300SLRは同じと書きましたが、実はホンダがもっと凝ってます・・・長くなるので明日に。有名な本田宗一郎の空冷対水冷対決で空冷優位を強調するのにロンメル将軍の機甲師団を出すのに対して、中村良夫は水冷優位の引き合いにメッサーシュミット戦闘機を出すと本田はおとなしくなったそうです、が・結局はワンマン・オーナーの勝ち。
2003年01月19日
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クローラは以前に何回か書きましたが、追加で若干。クローラでの雪上走行は普通の車と変わりませんが、通行量の多い道は危険です。当然スピードは出ませんが、クローラ自体のブレーキが凄く、アクセルを離すと強力なエンジンブレーキ状態になります。エンジンブレーキはクラッチを切ればOKですが タイヤ自体がブレーキです。シフトは素早くしないと減速が激しい。もしシフトミスすると追突される危険が有り、雪道で車重500Kgにこのクローラでは減速距離は信じられないほど短い、結果、追突されます。アメリカ陸軍のM-1戦車(100トンぐらい?)は時速100Kmで制動距離は20メーターなので、T360なら数メーター 30Kmぐらいしか出ませんが。ゴム・クローラはニットー製です、デッドストックがあるかな~Webでクローラを調べたら、製作している会社があります。下記にhttp://www1.odn.ne.jp/~aaa33090/ キャタピラはアメリカの商品名、クローラもしくは帯態(自衛隊?)軌装式、T360は半軌装式(ハーフ・トラック)街中でクローラを見かけたら、面白がって着いてかないで即追い越しを、追突します。雪上で普通車はボーリングの玉。
2003年01月18日
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本田宗一郎はどんな古いパーツでも出すと言ってました。だから博物舘はいらない。これは生前の話で、今はパーツの供給は他社と同じレベル。注文すると御相談パーツ(欠品ですが何れ作るかもしれない?)となります。まず無理です。T360の場合はラッキーな事にSシリーズと互換性のパーツが多いので 何とかなりましたが、ホンダに注文した部品はクラッチ・マスターシリンダーのシール以外全て「欠品、すでに金型も無いので生産も出来ません」との回答でした。当然ホンダ車でS600などは各プロショップが部品を生産しているので何とかなりますが、Nコロ、バモス、ライフ、1300等は大変なのでは・・この問題を取り合えず解決するにはホンダOBの方がネットでパーツの互助会みたいなのを 立ち上げればと思いますが?T360の設計者中村良夫は(社長もまだ生きていた)ニュールブル500Kmに参加したS500のフレーム番号の問い合わせに「もともと当方にはこのような考古学?的興味はない。本田技研にも当時の記録は〝一切無い〟本田技研はそういうコトには〝一切コダワラナイ〟タチです」と書いてます。F-1黄金時代の桜井監督も同様な事を書いてます。部品供給をホンダに求めるのは もう無理、10年乗ったら廃車にして新車を買えばよいのでそれから先は趣味の世界 Do It Yourself
2003年01月17日
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T360の愛好者クラブは当然ない。ホンダSやNはイッパイ有ります。中村良夫は1986年10月の文に、ドイツより規模の小さいイギリスのホンダSクラブから創立20周年の記念に設計者中村にお声がかかったと有ります。海外では発売と同時にクラブが設立され、将来に備えて部品の備蓄も始めている。特にイギリスでは相当あるらしい。1986年に中村は「日本にもSのクラブが有るらしいとは聞いているが、残念ながら、かっても今も、その存在と実態を知らない」と書いてます。自動車文化?はスタートから欧米に比べて50年遅れているのは仕方ないが、部品供給を含めたクラブは必要と思う。例えばホンダSクラブは関西と関東で違うみたいで?全日本Sクラブとは聞かない。将来は統合されて行った方が良いのでは。パーティーより盆栽を好む日本人には難しいかも?長くなるのでご「相談パーツ」は明日に。
2003年01月16日
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本日吹雪。昼休みにクローラ装着し一回り。雪の上は快適??明日からお天気が良くなり、事情もあり明日 元に戻します。履き替えは簡単。昨日F-1の話が出たので補足。ホンダがF-1に参戦したのは以前書きましたが、何時頃から考えだしたかはハッキリしません。中村がそう書いてます。1961年社長本田宗一郎がヨーロッパに工作機械の買い付けに行き、ついでにモンツァのグランプリを始めて見ます、もちろん中村がお膳立てをした。このレースはグランプリ史上最悪のレースで死者13名を出し、社長は4輪車レースの凄さにがく然として帰ってきます。この時 あきらめていたら世界のホンダは無かった?1961年9月、オートモービル・イヤー誌が取材に来て社長にF-1参戦の噂を質問、本田宗一郎は「ホンダはやります!」と答え、通訳の中村は「社長そんなこと おっしゃって大丈夫ですか」と聞きなおした。 社長は「そう・言え!」。中村は通訳終わると「とぉとぉやるんだ!!」・・感激したと書いてます。中村良夫著F-1関係の本は、二玄社、三樹書房、山海堂から十数点出てます。「F1グランプリ時とともに」二玄社、「グランプリよこんにちは」三樹書房、「F1グランプリ全発言」全3巻山海堂から。
2003年01月15日
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T360の設計者中村良夫は著書で「T360はなぜかクレームが無かった」と書いてます。この言葉でT360を買った客筋が見える。中村がホンダに入社したのは38歳。それまでは「くろがね」で主に三輪車の設計でした、オート三輪車は商業車であり酷使されるのでクレームが絶えなかった。もちろんクレームの有るのは良い事で、中村も使用者の気持ちが分かったと書いてます。軽トラックは純粋に商業車ですが、買ったお客はオートバイのホンダフアンがほとんど。モータースポーツ好きでTTレースなどでのホンダの活躍を知り、商用二の次で購入したのでクレームは無かった。T360発売2年前に噂となっていたF-1参戦を正式に表明T360をF-1に繋がる軽トラ車と思い購入した。中村の言う「特殊な客」が「T360を志の高い車」として購入。逆に言うと、特殊な客にしか売れなかった・・・
2003年01月14日
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北陸の冬なのに連日10℃の気温あり、15日から雪みたいですが以前降った雪はだいぶん溶けた、道路の横は雪山ですが。ホンダN360の開発には2点あります。まず中村良夫が社長より信頼してた藤沢副社長(専務)から、売れる車、生産コストの安い車の生産を頼まれたのと、当時スバル360が売れていて大人4名乗車の軽四輪はこれから伸びると考えたから。このスバル360の設計者 百瀬善三(NHKプロジェクトX)は中村の1年先輩なので、負けず嫌いの中村としてはスバル360に勝ちたかった。中村は早い時期からFF車が将来の中心となり、特に小型車ではFFが絶対有利と考えていたので、百瀬のリヤ・エンジンの後輪駆動は古臭いといつも言っていた。N360は発売と同時に売れた、スバル360をあっという間に追い抜き軽四輪販売日本一に。この時期、ホンダのバイクは売れなくなり、もしN360がヒットしなかったらホンダは倒産していた。
2003年01月13日
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自信を持って発売したT360、S600、LPの販売は散々だった。社長本田宗一郎は自動車生産にあたり中村良夫に「軽四輪、4気筒、後は任せる」だけの指示でした。中村は革新的なV型4気筒FF車(A320)を試作する、社長は口を出さない約束が 口も手も出してきて、ついには中村の言う「オバケエンジン」のT360が出来た。次の軽四輪は世間をアット言わせ、絶対売れる車を目ざした中村は前回の失敗で学習し、社長をいかに騙すかに苦心する。社長はエンジンとデザインにしか興味が無く、エンジンの図面は一切見せず、デザインを社長好みにし、デザインが決定後エンジンを見せた。この車は中村が言う「限りなくバイクに近い車」なのでエンジンは簡単にしてある、当然社長はオバケエンジンを主張したが、いまさらデザインの変更は出来ないと社員全員で社長をなだめ出来たのがN360。(Nはノリモノとか なんでもの意味)N360は爆発的に売れ、倒産寸前のホンダを救った。なぜ中村がN360の設計に こだわったかは長くなるので明日に。
2003年01月12日
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昨日今日とお天気が良く気温10℃もあるので、今年の初乗り。エンジン快調、今の550cc軽四輪より文句なく速い。アイドリングの時 燃料ポンプからカンカン叩くような音がしていたが、今日は異常なし。長く乗ってなかったのでポンプに空気が入っていたのか? しばらく乗らない時はキャブと燃料ラインのガソリンを抜いておく事にしてるので、その為だと思う。昨晩クローラを付ける予定でしたが来週にします。今年は暖冬かな~? 暖冬は嬉しいが今年はチョット困る。スノーモービル用スキーの入札を忘れた、落札価格は新品同様で3500円ぐらいだから 安いと思う。春になったらイッパイ出物があるかも。急にJAFのB級ライセンスが必要(要らないかも)になり、JAFに講習会を聞いたら、当地でも年1回開催されるとの事、こんな田舎でも講習会があるとは驚き、 しかし開催日は1月19日の日曜日。来週ではないか! 費用は12000円、JAF会費6000円の18000円、2時間の講習でチョット高いんでないの。受講者は数人との事。
2003年01月11日
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毎日書き込みする為、本から一節をパクッて書いてます。したがって前後の説明が欠落してますので 話半分で見て下さい。T360のエンジンはツインカム・ニードルベアリング・シャフトですが突然出来たのでは無く、レーシングバイク(CR93など)で実証済みの技術です。詳しくはロイ・ベーコン著「ホンダ・クラシック」などは解りやすく図説してあります。また、このエンジンに決定するまでA320(V型4気筒)水平対抗4気筒、2気筒空冷など有り、中村良夫はT360には2気筒空冷ぐらいを考えてましたが本田宗一郎の職人的勘で水冷4気筒ツインカムになります。中村良夫はA320に自信が有ったが晩年「多くの車を作ってきたが多かれ少なかれ意思に反した物を含まざるを得ず、純粋に自分の車と呼べる物は、とうとう1台もなかった」もちろん邪魔をしたのは本田宗一郎ですが結果として 良かった場合が多い?中村良夫著「クルマよ何処へ行き給うや」グランプリ出版。アマゾンで中村良夫を検索すると20件(絶版あり)出てきますので一読を。遺稿となった「中村良夫自伝」ではT360やS600、本田宗一郎は一言も出てきません(たぶん今まで詳しく書いてきたのでカットしたのか)小林彰太郎の追悼文で始めてツインカム・トラックT360が出てきます。
2003年01月10日
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そろそろクローラの装着をしようかと。後輪はクローラ、前輪にはスキーを履くのが本当ですが、T360のスキーは実物を見たことなく、除雪が完璧な現在、ガレージで付けてアスファルトの上をガリガリと鉄板で行くのは無理と思ってましたが、昨日、輸入車ディーラーの社長とT360の話をしていたら、昔T360クローラ、スキーを所有していて、冬によく遊んだそうです。スキーが無いならスノーモービル用のスキーが使えるとの事です。早速 オークションを見たら安い出物が有ります。(スノーモービルのスキーは消耗品みたいです)チョット改造すれば取り付け出来るので これは来年の楽しみに。その社長は20年ほど前に石川県の方にT360一式売ったそうです、名前は調べてくれます。 今も所有してるのか?
2003年01月09日
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klmさんからDB601エンジンは艦上爆撃機「彗星」にも搭載されていたとの書き込みを頂きました。早速 グリーンアロー出版「日本海軍軍用機集」を見たら、ダイムラーベンツ601の国産化と有ります。しかも 海軍ではゼロ戦、一式陸攻についでの第三位の生産量と有りますが稼働率は陸軍の「飛燕」と同じく最低、こんなに生産して「複雑・繊細ニシテ実用機ニ非ズ」と書いて有り、悲劇とも有り・・・・合掌この点についてT360の設計者中村良夫は著書で、よほど悔しかったのか何度も書いてます。最初の生産では本物より高性能を出すので、軍から過剰な注文が来て量産となると指定の金属が不足、悪い金属で量産を続けた。特にクロームは全く枯渇し、アメリカは性能を次々上げて来たのに日本はひたすら性能を下げていった と書いてます。T360のエンジンは中村良夫の怨念か?そう言えば、どの本にもT360エンジン材質は採算を度外視した最高級材質を使用していると書いて有ります・・・販売価格34万円でエンジンだけでも34万以上したらしい?販売にあたりトヨタの社員2名が「素晴らしいエンジンですが、本当に こんな軽トラ売る気ですか」と聞いたらしい。
2003年01月08日
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何とかT360と関連付けようとスターリング・モスまで引っ張りだしました。で、次は石原裕次郎。伝説の俳優と伝説の軽トラとの関係ですが、無理やりですが・あるんです。裕次郎の愛車ベンツ300SLは昨日書いた300SLRの市販車バージョンで1400台(2800台と書いてある本もある)が億万長者用に販売されました。(300SLRはW196の後継車で300SLとは違いますが)裕次郎の愛車は小樽?の記念館にあるらしい。SLは特徴的なガルウイング・ドアで有名ですが、問題はエンジンです。ニードルベアリング組み立て式クランクはT360と同じです、これは素がDB601エンジンだから。さらに機械式インジェクションで物凄く複雑。300SLは3千cc、T360の8倍の排気量なので可能ですが、中村良夫は対抗して4連キャブにします。さらに300SLはシングルカムなのにT360はツインカムにオールアルミエンジン この部分は勝ってます。裕次郎の300SLとT360のエンジンは良い勝負してますがお値段は天と地ほどの開きがある・・・
2003年01月07日
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当時の超一流レーシングドライバー スターリング・モスは発売されたばかりの S500のエンジンを見て「まるでF1エンジンのミニチュアのようだ」と書いてます。この時、すでにT360として同じエンジンを積んだ軽トラが有った事は知っていたのか? 360ccの排気量なのでサンプル的に生産した車だと思ったのかも、実際は1万8千台生産されました。T360のエンジンはメッサーシュミット戦闘機を参考に設計されましたが、このエンジン(DB601)はベンツ製です。日本では「飛燕」イタリアでは「G55チェンタウロ」としてライセンス生産されますが最後まで難し過ぎて、まともに生産できなかった。スターリング・モスは1955年にミッレ・ミリアのレースでDB601エンジンを素にした「300SLR]で優勝し、現在もこの記録は破られていません。このカーナンバー722は日本でもっとも有名なレーシングカーです。(ミッレミリアは1957年に中断)つまり 私の乗っている「ホンダT360」はスターリング・モスの乗っていた「ベンツ300SLR」と親戚なんです・・・ほんとかな~?
2003年01月06日
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いよいよ雪です。7日まで降り積もるみたいで、70cmは積もります。一段落したらクローラの準備、今日なんかクローラに良いのですがまずは除雪から、これが大変で。前々回ナショナルカラーを書きましたが、1964年T360発売の1年後の話なので補足を。世界最初の本格的モーターレースは1895年のパリ~ボルドー往復なのでホンダがFIに挑戦した1964年より69年前である。ナショナルカラーが最初に制定されたのは1900年ゴードン・ベネット・トロフィーレースからです、参加国は4ヶ国、フランス青、ベルギー黄色、アメリカ赤、ドイツは白色です。赤はイタリア、ドイツは銀色のイメージが強いのですが、それはもっと後の話になり、詳しくは「モータースポーツミセラニー」高斎正著、朝日ソノラマが一番良く分かります。お勧めの1冊です。フランスの青はパナールが良く使っていたから、ドイツの白は1934年のレースで規定重量を1Kgオーバーしたのですが極限まで軽量化されたレース車は減量できないので急遽全ての塗装を剥がし、何とか規定にパスしてレースに優勝。速い車(優勝車)はカッコ良いので以後ドイツ車は金属剥き出しのシルバーになって行きます。
2003年01月05日
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ご存知の方も多いと思いますが、スイスに本社があるショパール社は高級腕時計のメーカーで「ハッピーダイヤモンド」や「ミッレミリア」などが有名です。それと軽トラックと どんな関係があるの?と聞かれれば 有りません。有るとすれば、T360の設計者中村良夫の愛用時計だったぐらいですか。ミッレミリアの公道ラリーは北イタリアのブレシアからローマ往復1600Kmを走り、1927年から1部中断が有りますが毎年5月に開催されます。ショパールはこれを記念して限定腕時計「ミッレ・ミリア」を参加者350台にカーナンバー入りの時計と市販用に2千個販売します。日本でも毎年売られています。カーナンバー入りは特に貴重ですが、ナンバー入りをなぜか私も愛用(もらい物です)しています。中村良夫はウイリアム・ホンダ関係者プレゼント用の時計(カシオ製2000円)を愛用、プラスチックのベルトが磨り減り交換しようと思ったら、スイスの名家でホンダ・スイス代表のファッシオからショパールのミッレ・ミリア腕時計をプレゼントされた。よっぽど嬉しかったのか生前 本や雑誌に書いてました・・・中村良夫も重役になり、ショパールをはめてS600なんかはイベントで運転したかも知れませんが、T360は絶対無いと思う??
2003年01月04日
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別にT360で行った訳ではないですが、天橋立文殊堂に初詣に行きました。元旦は珍しく良い天気で天橋立の白い砂浜を散策、さすが日本三景のひとつ 日本にまだこんな自然が残っていたのか・・・楽天無料ホームページはT360の公道復帰までの日記として書いて来ました.5月6日~9月9日までのレストアで終了の予定が年越しになるとは思っても見ませんでしたが、書き込みは面倒ではないので もうしばらく。明日からT360に関する書籍からパクリで書き込みます。戦後の日本自動車の歩みはいろんな本に書いて有りますが、どれか1冊を奨めてくれと言われれば前間孝則著「マン・マシンの昭和伝説」上下巻でしょうか、この本すでに絶版となってますが講談社刊なので図書館には有ると思います。膨大な参考資料と当事者の聞き取りで構成、なかなか読みやすい本です。この本からNHK「プロジェクトX]なら10話は出来ます。立川飛行機→たま自動車→プリンス自動車→スカイラインなども話としては面白い・・・
2003年01月03日
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