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一昨日ホンダTN360を出したので、ホンダ軽トラの系譜を。T360の後継車種がTN360、NはN360の2気筒空冷エンジンを改良して搭載したから。水冷4気筒からなんの脈略もない2気筒エンジンにするとは、大胆。普通のメーカーなら多少とも前車の影響を受けるが、TとTNでは全くつながりが無い、ホンダらしい作り方だ。TN360はTN3,TN5,TN7が最後のTN360と呼ばれている。軽四輪の排気量が550ccになると現在のアクティーと呼ばれる。下に、TN360の映像リンクを貼り付けた。この形は正式名称ではないがTN0(ゼロ)と呼ばれている初期型である、ライトのメッキリングが特徴。TN5からは縦型4灯ヘッドライトとなり、私自身も記憶がある。当時の軽トラはほとんど丸目2灯なのでマツダかホンダか、あるいは他社かハッキリしない。あの時代に軽トラに興味のあった人間はいないような・・・なんでも一緒だった。このTN360もクローラを履いているがT360用クローラとは補助輪の取り回しなど若干違う。http://www.honda.co.jp/news/1969/4691101.html
2004年01月31日
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トップページの写真は雪の降らない地区の人なら凄いな~と見るはず。北陸では湿った雪がドッカと降るが、溶けるのも速い。今日で気温は8℃くらいあり雪は急激に減った、路面は乾燥している。現在の雪質はパウダースノーの正反対でべしゃべしゃ(方言?)この雪質ではクローラのテストは出来ない。今回のテストは絵になる写真撮影が目的なので、粉雪を舞い上げながらの疾走を期待している・・・セルフタイマーで撮るのは無理なので子供にでも頼む予定だが、寒いと断られそうだ。次回、寒波がくればテストできる、シベリア寒気団が来るのかどうかは、わからん。来なければ、また来年。このての旧車は永遠にレストア途中、未完成が楽しい・・・
2004年01月30日
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このHPを見ていると、それ以前の軽四輪より、いかにT360は複雑高性能な軽四輪かお分かりいただける、と、思う。水冷4気筒ツインカム30馬力エンジンは軽トラ用としては異常な高性能だが、じつは、T360発売中に発売されたN360は空冷2気筒で31馬力だった。T360よりはるかに簡素なエンジンでT360を上回っている。N360のエンジンを搭載したT360の後継車種TN360は30馬力。TN360が発売された時、ホンダ販売店はT360のエンジン修理で散々泣かされてきたのに、空冷2気筒で30馬力も出るので愕然としたらしい。メカの方々は、なら、最初からTN360を出せば、こんな苦労もしなかったのに、と泣けてきたらしい・・・やっぱし、このエンジンはスポーツカーに搭載してこそ素晴らしい。だいたい、スポーツカーと軽トラは性格も住む世界も違う、両極端な車体に共通のエンジンとは。(この次期、ホンダには2種類のエンジンを量産できる工場はまだなかった)「最初から間違っていた軽トラ」と言われても仕方がない。乗ってみるとT360は素晴らしい車なんですが、軽トラって言うだけで・・・
2004年01月29日
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トップページに当地の雪の状態をUPした。こんな感じだ。当地での組合等の寄り合いは「芦原温泉」が多い。越前海岸沿いの料理旅館も偶に有るが、芦原温泉の方がえらいさん(お年寄り)に人気ある。ゆっくり出来るから。明日は組合寄り合いで芦原温泉に行く、ウン十年?ぶりに「えちぜん鉄道」で行こうと思っている。積雪が多い(景色が良い)ので電車での移動も悪くない。車の場合は除雪した雪が道路側面に積み上げられ、リュージュのコースを走って入るみたいで景色は見えない。デジカメも持参するので芦原温泉までの20分間は、たぶん運転席の横に立ってると思う。乗客は推定5名前後かな・・新年会は後三つあるので電車利用の予定である。なぜか「えちぜん鉄道」は事故が多い、今年の雪でも架線が切れた。前回の事故は11月1日の日記に書いた。http://plaza.rakuten.co.jp/echizenn/diaryold/20031101/
2004年01月27日
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日本クラシックカー協会主宰の旧車イベントが毎年東京で開催されている。このイベント報告は車雑誌などに出ているので、知ってはいたが、なんせ東京の話なので行くことも無かった。雑誌を見た印象は・・寒そ~。参加者も写真で見ると少ないような気がしていた。実際は右のリンク欄にあるchossさんの写真を見る限りでは、物凄く盛大かつ盛況である。ど~も雑誌のカメラアングルはどの雑誌も同じ、会場の雰囲気が出ていない。それに比べるとchossさんのHPは盛り上がり方が分かる。この手のイベント報告はインターネットの方が雑誌を上回っている。関西では聞いた事ない、有るのかも?
2004年01月26日
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宗一郎が車開発に関して第1号の指示は「軽四輪、4気筒、後は任せる」と、T360設計者中村良夫は書いている。軽四輪については、現実的に売れそうだから、普通車はまだ贅沢品、軽四輪からスタートするのが常識と思う。4気筒の指示は宗一郎の強い意気込みを感じる。昭和の初めから欧米では水冷4気筒4サイクルエンジンが普通であり、高級車は8気筒などだが基本は4気筒。このエンジンにすると騒音振動が少なく、自動車と言えるものであった。それ以外、空冷2気筒2サイクルなどのエンジンは簡易型自動車、応急的な安物と見られていた。昭和10年に画期的国産乗用車「ダットサン」が出る。水冷4気筒4サイクル500cc、チッポケな車であったが欧米から見ても完成された自動車であった。この車は旧車イベントなどではよく見れる、現存台数も多い。水冷4気筒4サイクル360ccを作ればそれだけで本物の自動車メーカーと呼ばれるので、最初から自動車メーカーを狙った。欧米では騒音振動の多い車は全て安物と見られていたので、本田宗一郎は最初から4気筒エンジンを指示したと思う。バイクで小排気量マルチ化はホンダの得意とするとこ、360cc4気筒作るぐらいは朝飯前。もっと凄いのは、最初に開発した軽四輪のエンジンでF-1参戦も視野に入れてた。
2004年01月25日
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イタリアで毎年開催されるMill Miglia参加合格車の発表がMM選考委員会から発表があった。今年は19台参加となった。不合格になった車も凄いのですが・・・日本から参加で一番古い車はアストンマーチン(1932年)カレーの宣伝で有名な女優、某ひかるさんのご主人、今回も奥さんは見学だけみたいです。しかし、某ひかる御夫妻ですが、美男美女、頭も性格も良く、しかも大金持ち・・・いるんですね~栗原(マチャアキ)さんは今回はマセではなくアルファSSザガート、コ・ドライバーは名人田中さんのコンビで参加します。面白そうな参加者は山野エミール、鈴木正文さんの組では。鈴木さんはご存知、雑誌「エンジン」の編集長。山野さんはコカコーラ宣伝の初代モデル(男)さん、実物はメチャクチャかっこいいです。ミッレの記事は最近あまし出ないので、7月にはエンジン誌でミッレミリアの特集が組まれるはず、楽しみだ。下記は日本のサイト、近日中に発表される。http://www.beatbit.com/lafestamm/
2004年01月23日
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昨日の日記でバイク屋さんがイキナリ、それもツインカムトラックを販売し出した。ホンダの事前研修なしと聞くと驚く。T360は良く売れたらしい、ただし、初期トラブルも多く販売店は悩まされた。4連キャブはオーバーフローしやすく、連日連夜修理に追われた。本田宗一郎もこの状態では振興ホンダの名が廃るので「2年間5万キロ」の無料保障を付けた。ムチャですな~無料となると更に修理がどっと来たらしいので、対応できず、アッセンブリー交換(部品ごと全部交換)になるのでキャブの山が出来たらしい。元々T360のエンジンはオーバークオリティーなので4連キャブの修理を止めて2連キャブに交換していった。顧客も複雑な4連キャブより2キャブを喜んだらしい。性能も2キャブが良かったとの話しを聞いた。最終型では1キャブになる。 (OT誌から)設計変更は日替わりメニューなので使えない部品が山積みになっていった。(このパーツが残っていたら宝の山) 常識破りのツインカムトラックT360、しかもホンダ最初の市販4輪車なので熟成しきれなかったのは仕方がない、それに2年間5万キロの無料修理保障を付けた本田宗一郎の意気込みは凄い物を感じる。販売店は泣いたらしい・・・
2004年01月22日
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昨年の鈴鹿ミーティングでお話できた大阪のT360名人「Kさん」は昭和39年、大阪のホンダ販売店に入社した。18歳だった。オートバイが大好きだったので、カブやCB72の2輪販売実績のある中規模の工場を選んだ。T360の発売は昭和38年。Kさん入社の年、39年に販売店(協力店)配車があった。この当時にはホンダSFはまだ無く、自転車かバイク店だった。工場では車は扱った事が無く、配車の時にはただららぬ緊張感が張り詰めていたと、雑誌OT誌に書いている。前代未聞のツインカムトラックを扱うのに、事前研修も無く、4輪車を扱ったこともなく、ぶっつけ本番だった。大阪のこの工場ではT360は良く売れた。スバルサンバー30万円、ミゼット23万円の時代にT360は34万円と高かったが30馬力の高馬力は魅力的だった。営業にはツインカムとか4キャブなどは関係無く、積載量と時速100km出る、これだけで売れたらしい。売れれば修理が付きまとう訳なので、4キャブの修理がどっとやって来た・・・明日修理編。
2004年01月21日
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昨晩、一昨晩と深夜TVで面白い番組をやっていた。ホンダの「ローラースルーゴーゴ」って知ってますか?ホンダが作った子供用スケートで三輪自転車みたいな物、足で漕ぐ。私も余り記憶になかった、ホンダ個人HPなどには良く出てくるのでかなり売れた商品と思っていたら4ヶ月で発売中止になったらしい。これはアメリカで訴訟問題が発生したから。ホンダコレクション・ホールにも展示してあるらしい。昨晩は桜井章一(プロ麻雀師)この男、20年間負けた事がない。麻雀やってる方には神様と言われている、著書多数。昨晩のTVでは秘技「詰め込み」をやっていた。こんなの有りかと驚いた・・・役万なんか簡単に出来てしまう。麻雀は久しくやっていない、1年前にやったきり。麻雀はも~流行らないのか・・・全自動麻雀台も我が家にあったが、知人が車に積んで持って行き、そのまま水田に突っ込んでお釈迦になった。
2004年01月20日
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昨日はお天気がよく、朝方は氷点下だったのでT360のエンジンを1週間ぶりにかけた。チョーク全開で1発始動。エンジンがかかったら即チョーク閉、アクセルだけで暖機運転する。このエンジン、チョークは出来るだけ短時間にした方が良いみたいだ。当然、暖機運転中は運転席にいないとダメなので煙草を吸いながら気長に温まるまで待つ。毎週1回はエンジンをかけるようにしている。こうする事によっていい調子を維持できる。しかし、暖機運転だけしていると、プラグにカーボンが溜まってくるので、月2回は走った方が良い、しかも80Km以上でエンジン内部を完全に焼かないとダメだ。点火プラグはどんなに汚れても450℃以上で自己清浄作用が有るので、冬季のガレージ内エンジン暖機運転はほどほどに、外を短時間でも80Km以上で走らないとカブル。このエンジン、トロトロ走るようには出来ていない。門前の小僧なんとやらで・・プラグをしょっちゅう見てるとシリンダー内の状況が多少分かるようになった、と、思うのは気のせいか・・そこまで行くには、まだ10年早そうだ。
2004年01月19日
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ホンダT360は雑誌などでの取り上げられる回数は少ない。車雑誌が細分化してきて、旧車専門誌が出来るまでは皆無(記憶では?)。ホンダ最初の4輪車はS500が一般的だった。また、たかが軽トラに気に止める物好きも極少数だった。最近出た「昭和の名車」JTB刊もS500がホンダ最初の4輪車でN360がホンダ最初の軽四輪と書いてあった。T360は「後からS360のエンジンを載せたトラックが出た」と書いてあるだけ、書いてあるだけでも大したもんだ。実は、私もT360は良く知らなかった、漠然と興味が有っただけ、昔、見た記憶もなかった?AK,BKがあると知ったのもOT誌かNH誌のどっちかだった。(販売店の力関係で当地には少なかった、三重県にはウジャウジャ走っていたらしい)以前日記で紹介した今月号の「カー&ドライバー」のホンダ55台は、かって見た事ないイラストだった、なんせ、T360が一番最初に書いてあるからだ。これでT360の地位も安泰?雑誌で凄かったのは「Jsティーポ21号」ホンダ特集「ホンダよ、夢よもう1度!」だ。表紙はカブF、271、S5、NSXの集合写真、590円の本1冊、怒涛のホンダ特集だった。この本でのT360説明は親切、クローラの写真も出ていて、ますますT360に興味を持ち出したのを覚えている。久々に見なおしたら、コレクションホールの所在が鈴鹿サーキットだった、懐かしい・・・
2004年01月17日
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来週25日に東京で恒例の旧車イベント「ニューイヤーミーティング」が日本クラシックカー協会主宰で開催される。この時期の東京のイベントなので見たことない。昨年はホンダ車がテーマだったらしが、雑誌をみるとT360の参加は1台も無かったので不思議な気がした。関東にも何台か有るのに?以前にはT360クローラが参加していた。オールドタイマー誌に載っていたが、今はどうなっているのか?オーナーさん、このHP見てたらメール下さい。このイベント、見学は入場料千円いります、屋外の旧車イベントで見学有料なのは少ない。地方と違い東京は無料では見学者が来すぎるのでは。イタリアと東京のミッレミリアは見学無料になっている、当地からワザワザ見学に行った方も。有料と言えば、神戸で毎年開催される「ポンテ・ペルレ」も有料になるかもしれない。今年のスタート地点はユニバーサルスタジオ・ジャパンになるみたいなのでUSJの入場料がいる、その分、派手な演出になると思うのでUSJも見れてラッキーかな。デロリアンなら旧車じゃないが参加できるかも(バックツーザフィチャーはユニバーサル?)http://www.ponte-perle.com/
2004年01月16日
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車の歴史が続いたので福井県のオートバイについて。おそらく、全国都道府県で最初のオートバイの記録が有るのは半分ぐらいでは?これは、車は最初から輸入車で記録がしっかり残っているのに対して、初期のオートバイは自転車にエンジンを後付けただけなので、器用な自転車店や鍛冶職人なら作ってしまう。1898年(明治31年)にCマンチニーがオートバイで下関旅行をしているのを見て、広島の柴義彦が5台分の部品を購入し組み立てる。このバイクはホンダ「リトルホンダP25」に似た後輪にエンジンを取り付けたタイプなので、エンジンさえ手に入れれば簡単?に作れたと思う。自動車と違い、バイクは当時の道路も何とか走れたので外人がツーリングした、これを見た日本人は絶対欲しくなるので、自動車より普及は早かったと思う。純国産1号車は「アサヒ号」1914年。福井県の1号バイクは自動車より早い明治末期では?武生の郡史に「武生打ち刃物」の行商にオートバイを使用したと書いて有るが、車種等不明。大正末期、福井市では荒川産業がトライアンフ、本田氏がインディアンの販売店をしていて、福井石川富山に相当数を販売していた。
2004年01月15日
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大正11年、16歳の本田宗一郎は上京し自動車修理業「アート商会」に見習いとして入社したのは良くご存知のはず。この時期、全国から小学校卒業後(16歳)上京し、自動車会社に見習いとして入社した青年は多い、特に福井県から上京した青年が多い。福井に帰って自動車業を始め、前日日記の自動車草創期の聞き取り調査で思い出を残している。これを読んでいると、本田宗一郎とダブル。大正11年東京に来て本田は自動車の多さに驚く。大正7年上京した本県の菱川氏はヤナセに入社、当時、東京でもタクシーは滅多に走っていなかったと書いている。ヤナセでの自動車修理は部品は何も無いので自作するだけ、パッキングも段ボールをハサミで切って作った。スプリングが折れても、自分で焼入れし作ったらしい。この話で思い出すのは、本田宗一郎の神話に近い修理技術だ、レースの途中でスプリングが折れてリタイヤかと考えた時、社長がガスバーナーと墨(炭素)で修理したなどの話、若い時に何度も修理していたので過熱の炎で炭素含有量と強度が読めた。これを見ていた若い社員が「神がかり」と思ったのも、うなずける。当時の修理工は酸素バーナーと旋盤を使って部品を作った。同時期、上京した福井の時松氏も自動車会社に見習いとして入り、大正11年、石川県知事公用車の運転手として月給100円で雇われる。当時の校長、警察署長が60円の月給の時、20前後の修理工が100円の月給だった。運転できるだけで女性にはムチャクチャもてた時代だった。今のパイロット以上だったらし、本田宗一郎の時代がかった芸者遊びもこの時代の自動車関係者なら当然だったのかも。
2004年01月14日
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T360の話題も滅多に無いので車の歴史を。ローカルな話題。自動車の発明は1886年のダイムラーベンツ、ガソリンエンジン車だった。日本初登場は1900年で1902(明治35年)には輸入エンジンで国産バスを製造している。国産1号車は1907年タクリー号、ガソリンエンジンであった。「日本自動車倶楽部」の誕生は1910年で約70台の自動車があった。(陸運要覧)このような記録本は無数にあり、一番細かく記録してある本は『日本自動車工業史稿』などである。この時代の本はどれも面白。当地、福井県の自動車の歴史は産業、行政として詳しい記録が残っている。そのなかで、昭和53年福井県自動車60年史として、存命中の自動車極初期関係者の聞き取り調査があり、当時の面白い話題が幾つも記載されていて面白い本です。(上記本はすでに絶版)福井県の自動車第1号車は1917(大正6年)相模氏(福井トヨタ)がアメリカ大使館払い下げのT型フォードでタクシー業を始めたのが最初となっているが、大正2年ごろ国際港敦賀に走ったのが福井県での最初の車となる。この車は敦賀~三方間の定期トラックだが車種、台数は不明だ。大正3年には天皇の御料車としてディムラー、ベンツ、フィアット車合計9台が輸入された、大正3年の自動車総輸入台数は945台。大正10年、福井県には12台登録されていた、福井駅~赤十字病院バス運行始まる。大正末には約70台の登録、全国的にみると増加が驚くほど少なく、昭和20年まで増加が少ない。新物好きの日本人なので当地にもっと早く自動車が走っても良かったが、実際は道が酷く、特に自動車通過可能な橋は少なかった。整備などはエンジンを背負って大阪まで修理に行ったらしい・・・パイオニアの苦労は想像以上だった。この本の面白い話題を1つ:太平洋戦争になると福井県のガソリンはシェル石油なので、アメリカ資本として地元の業者で勝手に使ってしまった。敗戦後、福井に進駐したアメリカ軍に呼び出されてガソリンを返せと言われビックリしたそうだ、なんとか猶予してもらい払った。しかしガソリンはあった。三国に有った陸軍飛行場にはガソリン千本(ドラム缶千本は相当な量だ)が残されていて、これを業者仲間で穴の中に隠し、皆で分けたらしい・・・しっかりしてるな~ 敗戦直後のガソリンは闇値で高かったと思う。
2004年01月13日
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今月号「カー&ドライバー」誌にホンダの特集記事があった。ホンダの歴史やエピソードを簡潔に上手く書いてある。一番の目玉は「思い出のホンダ55台」T360~ステップワゴンGまで選択してある。55台選ぶのは大変だったと思う、選者は岡崎宏司なので文句は出ないと思う・・・あるかな~55台はイラストで描かれ1枚のポスターとして販売されるはず、1メートルを越す大きさなので車好き、特にホンダ車オーナーには喜ばれる。1963~2003年まで40年のメモリアル55台。この手の歴代一覧イラストは外車では多い、何れも大型ポスターとなりインテリアには最高、国産も全て揃うと圧巻となるはず。フェラーリのポスターはスペックよりも販売期間と生産台数が出ているので本で調べるより速い。細かいスペックよりも旧車においては販売期間と総販売台数が興味の有るところだ。最初と最後のシリアルナンバーも載せるともっと便利と思う。1冊440円なので永久保存版としてゼヒ1冊。@T360の重量700kgとなっているが、初期型は610Kg、S500より軽い。
2004年01月12日
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時計は何回か日記に書いたがカメラは今回初めて。クラシックカー・イベントで旧車にマッチしたカメラを持参する方は少ない、いや、見た事無い。旧車バイク・イベントでは稀にいて、思わず、本当にフイルムは入っているのかな~と疑いたくなるカメラも出てくる。車イベントでは圧倒的にデジカメ、35ミリは少ない、あっても使い捨てカメラ。たぶん車イベントでは撮られる方が多いので、後でもらえば良いだけ、自分で自分の車を撮っているのは親ばか風に見られるからかも知れない。私もデジカメだが2眼レフも偶に使用する。これを首から下げていると雰囲気がでるので。実際バイクイベントなどで首から下げている方を見ると・・・いい感じ。フイルムは高いがピントのシャープさは特記もの、セルフで撮る時も上から覗けるので三脚がなくてもOK。愛用のカメラはミノルタ・オートコード、露出計が付いている。30年ほど前に買った、安かったのと、あの当時でも2眼レフはクラシックだった。オークションでよく見るのはロシア製の2眼レフ新品カメラ、旧車イベントではライカなどが雰囲気有ると思うが、なんせ、ベラボウに高い。中国製2眼レフカメラも売ってはいる、どうせ記念撮影ぐらいなのでロシア製がおもしろそうだ。若い方にはロシア製「ロモカメラ」が流行っている、デジカメもまもなく携帯に取られる・・・そうなると、マニアだけのクラシックカメラを若い女性が持ち始めると思う。こんなのファッション雑誌で取り上げるとアット言うまに流行ってしまう。そうなると、2眼レフカメラも大手を振って首から下げられる、今はカッコつけてるみたいでカッコ悪い。アマチアカメラマンみたいに高額機を何台も持参すればカッコいいが、1台(安物)しか持っていない。以前、T360の雑誌取材が有った時に1眼レフカメラも使用したが、デジカメでのカットが多かったのが意外だった、大量に撮りノートパソコンでその場で確認できるので便利。
2004年01月11日
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ホンダは最初から全てが変わったメーカーだ。1号車がツインカムの軽トラ、次に、あまり売れそうも無いオープン・スポーツカーを出した。N360で初めて乗用車を出し、これが初めて当ったので、いよいよ待望の普通乗用車を出したのが「ホンダ1300」。当然、ユニークな作りとなった。本田宗一郎の空冷信仰は強烈でこの件は何度も日記に書いた。DDACと呼ばれた強制空冷は現在も評価が分かれる。T360と1300の共通点は設計変更の多さ、どちらも設変(セッペン)は日替わりメニューだった、この点もT360同様問題児として?引き付ける車だ・・・実際は良い車だったらしいが、なんせ当地では滅多に見れなかった車だった。宣伝は都会ぽい物だったので田舎では少ないのかも??ホンダF1黄金時代の桜井総監督は著書で、入社当時、ホンダ1300クーリングファンの設計を任せられ、何も分からないので猛勉強した「あれほど勉強した時はなかった」と、書いている。ムチャな本田宗一郎の課題に答えた若い技術者が、シビックとそれに続く低公害エンジンの開発の中心になっていった。1300には「77」と「99」の2種類ある、キャブの違いでヘッドライトが□か○で判別出来る。さらにクーペタイプもあり、何れも最終型では水冷(145)エンジンになる。資料としてはネコ・パブリッシング刊『ワールド・カーガイド29ホンダ』など。専門書はT360同様なかったような?現存台数も極少数、T360とイイ勝負している。
2004年01月10日
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今月発売の雑誌に有名なポール・フレール先生の娘むこが大の本田宗一郎ファンなので、N360、N600、S6,8をレストアし終わり、次にホンダ1300を探しているらしい。まさに、ホンダ旧車の本流を行っている。私の場合にはホンダの旧車となれば、T360,N360、PL、Sそしてホンダ1300だと思う。創業者本田宗一郎が直接指揮した車だからだ。シビックは旧車にするには完成しすぎてるような?ホンダ1300については、今月号オールドタイマー誌に未再生原型車の記事が有り、大変面白いので読んで下さい。N360については発展型(亜種)が多いので泥沼への1里塚になりやすい。ちなみに、バイク旧車は多すぎるので2台だけと言われればスーパーカブとC92かな?モンキー、ナナハンやCB92を押す方も当然多いと思う。国産旧車とは?聞かれると、一線で区切るのは難しく、メーカーでも違い、何よりも趣味の問題なので年齢で大きく違う。
2004年01月09日
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今年は昨年以上にクラシックカー(旧車)イベントの開催がある。雑誌のイベント案内を見ていると月平均20件、実際はもっと多いと思う。規模はさまざま、優雅なイベントから駐車場で参加費無料のオフ会まで、ほぼ日本全国どこかで毎週開催されている。日本で最高峰のイベントはラ・フェスタミッレミリア、参加費も当然最高額(T360より高い)になる。雑誌の広告に長野県で2泊3日の旧車イベント案内があった。参加費39000円なのでリーズナブル、2泊3日となると参加者が限られるが、これからは金額ではなく日帰りか最低2泊するようなゆったりとしたイベントが増えると思うが・・・5月23日は福井県金津町のフレンチトーストピクニックがお勧めです。7月には第四回金沢クラシックカーミーティング、ミゼットなど国産小型車の充実は日本一。9月4日は日本海クラシックカーレビュー、日本最大級の旧車イベント、一度も行ってない方はゼヒ。11月は鈴鹿ツインカムミーティング、これはホンダスポーツだけで一般見学はできない。北海道赤平や福島県、四国、九州にも行ってみたいイベントがある、たぶんリタイヤするまでは無理だろな~
2004年01月08日
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北陸とは思えないような良い天気、異常気象?スキー場は開店休業状態。週間天気予報にも雪マークがない。したがって三日続けてT360で通勤した。今日、スノータイヤに交換。今年は1年中スノータイヤを着けている予定。T360のタイヤは12インチ、ところが新しいスノータイヤなので一回り大きい、ほぼ13インチあるから見栄えが良い、普通タイヤは白い線の入っているホワイトリボン・タイヤなので軟弱に見える。スピードも約10%上がると思う。雪用タイヤ、スタッドレスと違いスノータイヤは騒音が大きく、路面抵抗も大きいが、馬力の余っているT360には丁度良く、何よりも乗り心地が良い。騒音はモトモト五月蝿い(お尻の下がキャブなので素晴らしい吸気音)トラックなので気にならない。午前中、県立図書館まで本の返却に国道8号線を流れに乗って80Kmオーヴァーで走行しても騒音もステアリングも全く問題なし。普通タイヤより1インチ大きい部分はゴムなので、硬いTのサスペンションとは相性がいいのか劇的に乗り心地が良くなった。もちろん、新品普通タイヤを奢れば乗り心地も良くなると思うが、今あるタイヤでなんとか・・・
2004年01月06日
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ホンダT360の設計者中村良夫は1986年の雑誌にヨーロッパには700台のホンダSが元気に走り回っていると書いている。一番多い国はドイツ、250台現存している。1986年の話なので、日本同様この20年でレストアされ台数は毎日増えているので現在は結構な台数では?イギリスには60台確認されている、現在なら100台以上は間違い無い。そのイギリスでT360が1台確認された訳だから、ヨーロッパに何台かあるはず。ただ、日本と違って自動車クラブの発達しているイギリスで1台ではヨーロッパ全体でも10台かな~イギリスでたった1台のT360は正規輸入車なのか個人輸入かは不明。判明したらUPします。
2004年01月05日
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謹賀新年の日記にネタでもダシでも話題を下さいと書いた。さっそく、凄いネタが来た・・イギリスにもT360が1台だけあるそうです。昨日、イギリス・パナールクラブのメンバーから日本のメンバーにT360の問い合わせが有った。話によるとイギリスには1台しかなく、情報に困っているらしい。イギリスにもホンダSクラブは昔から有るが、パナールのクラブというのが意外だった。webでオーストラリアにT500は有るのは知っていた、ヨーロッパにT360とは正直驚いた。当時の欧州には日本の軽トラにあたる安価で手ごろなトラックは各種出ているのに、ツインカムの軽トラがワザワザ輸出されていたとは思わなかった。輸出台数はホンダで分かると思いますので、何方か調べて下さい。この件は詳しく判ったらUPします。パナール社:1890年創業、世界で最も古いフランスの自動車メーカーの1つ、今はシトロエンに合併されている。
2004年01月04日
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ホンダT360、昨年1年の活動状況。走行距離は1200Km、初の県外遠征はお隣り金沢まで往復250kmの走行。この程度の走行じゃ故障も出ないわな~と思ったが、オーバーヒートでウオーターチョークプレートの取り付け、ブレーキランプ点灯しっぱなしでブレーキスイッチを疑ったたがエアーが若干噛んでいたのとブレーキ調整とブレーキオイル交換で完治。プラグ全部交換2回、オイル交換1回、バッテリー交換1回、キャブ調整ほとんど毎回、ブレーキシリンダーの点検2回、これは一番気になっていた箇所だが全く問題無し、オイル漏れ毎回(気にしない量)。全グリスアップ3回、後はモロモロのイジクリは有ったがお楽しみのはんちゅう。こうして見ると故障は思ったほど少ない、走行距離は少ないですが。致命的な故障が無いがこれから発生すると予想できる、予想される故障に対しては部品を積んで有るので対処できるはず?旧車はサバイバルなのでスタンド、ホームセンターが建ち並ぶ便利な国道沿いも砂漠と思っている、自走で絶対自宅までたどり着く。余談ですが、当家に戦前の車で遊びに来た師匠は、燃料ポンプ故障の際に、コンビニで買ってきたペットボトルの中身を捨てガムテープでフロントウインドに固定、燃料ホースを接続してガソリンを抜き取りペットボトルに補充しながら無事帰宅した。これぞ旧車乗りと感銘した。新車から5回?車検を受け、27年のブランクを経て今年は2回目の車検の年にあたる。
2004年01月03日
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毎年、正月は温泉宿が当家の恒例イベントとなっており先ほど帰宅、リラックスできました・・・今年もT360、1本でホームページを進めたいと思っています。このHPはT360を入手した時、前オーナーから動かすのはムリといわれ、ディスプレー用として販売したいとの事なので、ディスプレー用として購入。もちろん100%公道復帰を目指したのでHPを立ち上げ、推定2年のレストア期間中、日記を書いていけば挫折した時など、すでに公開している事で〝引くに引けない〟状態を作り出そうと考えた。が・・・あにはからんや、3ヶ月で公道復帰を果たしてしまい、当初予定のオールペンを含めたレストアと考えていたものは、走りゃ~ええじゃなか、になった。今日まで見た中で完全レストアしたT360はなかった、結構ヤレていて、それが貫禄に見えた。完全レストアは「オトキチ」さんが現在、完全レストア進行中なので、完成後一度拝見して触発されてからにしようかと・・・ただT360に限った話題は滅多にないので、ネタかダシとなる話題を掲示板かメールでお願いします。
2004年01月02日
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