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大野隆之

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Jan 13, 2012
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テーマ: 戦争反対(1197)
カテゴリ: カテゴリ未分類
 戦前のいろいろな歌詞をみて多少は理解が深まったので、「君が代」について考えたい。

 以前も国歌については論じたが、橋下市長当選により、またぞろつまらない議論が行われている。以前の私の主張は、次のようなものであった。

 学校行事は国際的な義礼である国旗国歌に対する所作を学ぶ重要な機会である。自国のシンボルたる国旗国歌を尊重できないような人間が、他国を尊重できるわけがない。

 この考えは今も変わらない。ここら辺がしっかりしていないから、新婚旅行という晴れがましい機会の一部を被災者慰問に割いてくださった、ブータン国王の歓迎会を、仲間の資金集めのためにサボる大臣が現れたり、下品な物まねで冒涜する芸人が出てきたりするのである。嘆かわしい限りである。

 「君が代」は世界の国歌の中でも、徹頭徹尾平和を願う歌詞である。例えば極端な例になるがフランス国歌の歌詞は次のような内容である。

進め 祖国の子らよ
栄光の時が来た
我らに対し 暴君の
血塗られた軍旗は 掲げられた

聞こえるか 戦場で
獰猛な兵士の怒号が
奴らは来る 汝らの元に
喉を掻ききるため 汝らの子の

 このような歌詞を「良心の自由」において歌いたくない、という意見ならば、私は承認せざるを得ない。ワールドカップでも歌わない選手がいて、ローラン・ブラン監督は「微妙な問題だが、私個人の考えで明日の試合で国歌を歌うように選手に促した。…誰にも行動の自由はあるが、国歌を知っているのなら歌わないと」この談話には国家代表の監督としての苦渋が現れている。実際フランスでは何度も歌詞を代えようという運動が起こっているが、フランス革命は現在のフランスの原点であるから、なかなか変えられないようである。

 これにくらべ「君が代」は幸いにして、徹頭徹尾平和を祈る歌である。「こけのむすまで」の後には当然ながら「平和と繁栄」に対する祈りが省略されており、それはあまりにも当然だからである。「さざれ石の巌となりて」の部分は長い時間を表現しているが、同時に「さざれ石」が国民であり、「巌」を国家として読むことが出来る。一人一人の国民が自然と統合して国家となり、国民の統合の象徴たる天皇を言祝ぐ。実際「君が代」は明治憲法よりも、むしろ現行憲法の一条にフィットしている。

 このように平和的な歌であるから、国民に犠牲を強いる戦争になると、まずいことになる。さざれ石ひとつぶひとつぶを大切にしなければならないのに、それがどんどん死んでいくのである。戦争報道の場合、戦意を昂揚し、戦死をある程度容認するような歌が必要である。そのためにNHKが制作したのが「海ゆかば」という楽曲であった。(昭和12年)

海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね)
山行かば 草生(くさむ)す屍
大君(おおきみ)の 辺(へ)にこそ死なめ
かへりみはせじ


海で戦ったとしたら、水浸しの死体になるだろう。
山で戦ったとしたら、草まみれの死体となるだろう。
それでも天皇のために、死のう。
決して後悔はすまい。

 この歌の元となったのは大伴家持の「賀陸奥国出金詔書歌」という長歌である。長歌全体としては大仏建立のために資金が不足していたところ、東北のほうで新しい金山が見つかってよかったね、という内容であり、切り取られた部分は大伴家の皇室に対する長年の忠誠を強調した部分である。しかしここだけ切り取ると、まさに「死」そのものを賛美するような内容になってしまう。近年保守派の中には「海ゆかば」の精神をも賞賛する人がいるようだが、私は反対である。死を恐れないことと、死を美化すること、はては死をこいねがうことは全く別であり、明らかにゆがんでいる。



 今回は詳しく述べないが、この歌は沖縄でも愛唱され、船越義彰はこの歌を歌うたびに、感動で涙が出た、と悔恨をこめて語っている。ずっと以前見たインドネシアを紹介する番組では、突然インドネシア人の老人がこの歌を歌う様子が紹介されていた。今聞くとそれほどでもないが、おそらくメロディーにも人の心を揺り動かすものがあったのだろう。ただこの歌が準国歌にまで位置づけられていったのは、繰り返しになるが、本来の国歌である「君が代」に戦意昂揚の要素がかけらもなかったからである。(つづくかも)





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Last updated  Jan 13, 2012 02:07:29 PM
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