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大野隆之

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テーマ: 戦争反対(1197)
カテゴリ: カテゴリ未分類
 昨日の書き方は予断をもって受け止められるような書き方だったようである。反省している。あらかじめ述べるならば、11月3日集会は現時点ではあったとも、なかったとも断定できない。

 北中城図書館所蔵の「沖縄新報」合冊は、11月14日以降のものであった。一切解説が無いので、憶測も入るのだが、この合冊は「比嘉」という人物の所有物を写真製版したものである。別の場所にまるで囲まれた「潮」というサインがあるので、比嘉春潮の所有物だったのではないかと推測する。当時比嘉は東京に暮らしていた。冊子の途中には鉛筆書きで、次のような趣旨のメモがある(大意)。

 十・十空襲以降、郵便の往来が途絶えた(おそらく東京との間)。
 12月末頃から、ようやく郵便物が復旧した。
 1月4日に、11月14日~12月13日分が一気に送られてきた。いつ再開されたかわからないが、この少し前ではないか。

 11月14日が再刊初日では無いという見方には私も同感である。もし初日なら何らかの挨拶が想像されるが、14日付にはそのような文言は無い。ではなぜ14日分からなのかは、今のところ全く見当がつかない。

 私は昭和19年の11月というのが、十・十空襲の直後だという事実をすっかり忘れていた。しかし写真版とは言え、以前のものと比べると、活版のコンディションなどが、極端に悪化している。空襲で沖縄新報は一度壊滅的な打撃を受けたと見て間違いない。しかも11月半ば以降になっても、ようやく事業を再開した企業等の告示が相次いでいる。

 11月3日について、今、確実な出来事は、空襲後普天間に移った県庁機能が那覇に戻った日である。全市の9割以上を焼き尽くした被害から、ひと月弱で県庁機能を戻したのだから、随分早いと言える。そしてこの時期のトピックとしては、それまで疎開に難色を示していた県民が急激に疎開に申込み始めて役所はごった返した、ということである。

 さて、このような状況下の那覇で、果たして全県的な集会が可能だったのだろうか?逆にいえば、こういう状況だから、開く必要があったとも言えるのだが・・・。



 県立図書館の蔵書目録を見ると「沖縄新報 昭和19年11月14日~昭和20年2月27日」というのがあり、これは私が見たものと同じものであろう。もう一つ「沖縄新報 マイクロ複製本 昭和19年11月~20年2月」というのがあり、私のこれまでの研究経験からいうと、これも同じものの予感がぷんぷんするのだが、そういう予断を排して調べることを研究という。あす息子の参観日が終わったら行ってきます。(つづく)






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Last updated  Jan 28, 2012 08:15:45 PM
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