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大野隆之

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テーマ: 教育問題(406)
カテゴリ: カテゴリ未分類
 儒教の本質は言うまでもなく「仁」であり、「仁」とは「他人への思いやり」ということである。この「思いやり」という言い方は他にうまい表現がないかなあ、という感じがするが、いずれにしろ儒教の特色とは、対他関係に出発するところにある。この点で、独立した自由な主体がまず存在すると考える近代思想と対立している。

 戦後「忠君愛国」への極端な反省から、「個人の自由」ということが世間に喧伝されてきた。以前援交コギャル(古い表現なのか?今はなんというのか?)のドキュメントを見ていたら、

コギャル「別に誰にも迷惑かけてないんだからいいじゃん」
司会者「でも、お父さん、お母さんはどう思うかな」
コギャル「あたしは親の持ち物じゃないもん」

 おおお、なんという理論武装。戦後民主主義的な価値観の立場に立った場合、彼女を説得するのは無理である。「自分を大切にしなさい」w。自己の貞操や将来より、目先の金の方が重要だと彼女は「個人の自由意思」に基づいて、自己決断したのである。彼女の「思想良心の自由」は最大限に尊重すべきである。憲法第19条にも書いてある。

 実は欧米の場合、法的な自由権とは別に「キリスト教」という強力な道徳律がある。「汝姦淫するなかれ」である。このような最低限の道徳律に基づいて、「個人の自由」は成立している。しかし日本にはそのような戒律は無い。したがって「個人の自由」を最大限尊重した場合、道徳は壊滅する。

 去年だったかな、子供をほったらかしにして何週間も遊びに出かけ、子供が飢え死にしてしまうという事件が起こった。もちろんこれは刑法犯であるから、法的に裁かれた。子供たちは「お母さんまだかなあ」と待ち続け、苦しみながら死んでいった。法的にどのような罰則がくだされようとも、もはや後の祭りである。彼女の行為を食い止めうるのはおそらく道徳律であろう。

 「個人の自由」ごときより大切なものがあるのである(続く)。





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Last updated  May 10, 2012 01:00:29 AM
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