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遅い遅いと思われた桜が、このにわかな陽気のせいで一気に咲き始めた。今日で三分咲きから五分咲きまで行ったかも。そう、いつもの桜狂想曲が始まる。桜の名所に近く暮らしているので、やってくる車や花見客の傍若無人さに、毎年毎年うんざりするのだ。警備員が立っていようが、横断歩道が有ろうが、全く無視して、自分の事しか考えない人々によって、生活道路は大混乱に陥る。勝手な位置での駐停車、乗降、積み下ろし、そして、無茶な追い越し。対向車が来ているのに。。。昼間っから、それで、うんざりした。そして朝が来れば、ゴミの山だ。そんなことはまあ、あまりにもありふれた日常なのだが、明日からは、私の日常の方が変わるので、そっちの方がうんと大事だ。小・中・高・大そして、高校。今までは4月1日(いっぴ)は年度の変わり目で、出会いと別れがあって、緊張感をもって生きて来た一日だが、それも明日からは、貫く棒の如きもの なのか、ゆく川の水は絶えずしてしかももとの水にあらず・・・なのか、起きなくてもいい、4月1日を、迎える。惜しむらくは、3月に行くはずだった車の定期点検を、依頼してずらして持ってきてしまったせいで、午後に予定が入っているのだが、さすがに、昼過ぎまでは寝てないだろうから、多分、大丈夫だろう。帰って、風呂に入って、寝よう!桜三月、起きたら四月。明日は無職の一日目!
2024年03月31日
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60歳の時に、一度退職して、その後再任用を期間満了まで、5年続けていたので、既に退職のお祝いはしてもらっていたのだが、今回は、完全リタイアおめでとう!って、卒業生が確認しにやってくる日々。そうだぜ!もう、学校に来ても、会えないんだぜ!これっきりさ。。。そこに、別に、今は寂しさを感じないくらい、忙しく辛い1年間だった。コロナが、緩んだせいで大流行したし、インフルエンザも久しぶりの大流行だったし、あっちこっちで自習監督が必要だった。一番年寄で、一番ヨレヨレな私が、一度も自習なんか出さないのに、若い人は家族からもらったり、家族の看護をしたりするから、感染も起きやすい。最後の1年くらいは、余裕で過ごしたかったけど、無理でした・・・で、4月からは、本当に居ぬ(居ない)ので、本当に去るので、と、私からは別にどこにもアナウンスしないけど、情報は駆け巡り、卒業生が会いに来る29日でした。42歳が二人と、36歳と。36歳かぁ、もう、そんなになるのかぁと、今思ったけど、身の回りに山ほど卒業生が働いている環境だから、なんか、わざわざ会いに来られると、恐縮する。36歳の卒業生は、音楽の教員だ。農業と音楽の両方の免許の取れる大学にやった。両方とって、音楽を選んで、もう今は3校目で勤務中だ。春休みらしいラフな格好でちょっと会いに来た。って感じだ。以前の勤務校で、私が一緒だった女性が、今、彼の職場に居るらしく、4月から転出するその彼女からの言付けも、一緒に。この業界、世間は狭いが、何処に行っても、悪口で盛り上がられるよりは、話題に上らない方がましだ。ま、あと4月19日の離任式と歓送迎会とを済ませたら、天下晴れての「素浪人」となる。29日の夜は、以前の学年の飲み会だった。いつものように、話し込んで時間が過ぎた。30日は、昼間っから姫路の小さなホテルの宴会場で、送別会。これは、退職する校長のおこぼれをヒラの我々二人が、かぶった形なんだけど、まあ、校長は、良かれと思って声を掛けてくれたことだし、もう一人の退職する同僚とは、26年世話になっているし、私が断ると、その同僚に悪いなぁと思って、ありがたく、送別を受けた。校長と、同僚とは、共に、同窓生でもあるので、感慨があるだろう。会を仕切ってくれた人にも、恩がある。最後、終わってから送ってくれた人にも、恩がある。沢山の人に恩を感じながら、送別会を終えた。さて、終わって、会場を出たら、最後に主任をした学年の卒業生が二人、待っていた。どこで聞きつけたんや???彼らは、卒業して6年目か。24歳か25歳だ。サッカー部のキャプテンと、GKだった二人、同級生のサッカー部員5人からの記念品として、黒いパーカーをプレゼントしてくれた。THE NORTH FACE いつも私が着てるから、このメーカーのを喜ぶだろうと思ってくれたんだな。。。ありがとう。私は、いつも中古品を買ってるから、新品を着るのは初めてだよ!職場では、同僚からも力を貰って来たけど、一番力を貰うのは、目の前の高校生からだ。こちらが出す力が大きければ大きいほど、向こうから返ってくる力も大きい。キラキラした青春の一時期を見せてもらった上に、こうやって、立派に成人して職業人となっている姿を見られることは、この職業の大きな魅力だと思う。高卒で働く子も居れば、大学で資格をとってそれを活かして働く子も居る。キャプテンは、今度、元夫君が入院する県立病院の理学療法士になっているから、病棟で見かけるかもしれない。ああ、そう、こんな出会いも、これからはこれまでの記憶の欠片を綴り合わせるようになっていくのだ。最後に、会いに来てくれたことが、どれほど、私を幸福にしてくれたかは、彼らにはわからないだろう。43年間は、平坦ではなかったし、特にこの26年間は、色々なことが辛く苦しかった。でも、どこかで、誰かのために、自分が役に立っていたかもしれないと思えるのは、幸福なことなのだ。。。みんな、本当にありがとう。43年間分の、山ほどの出会いに、心からの感謝を捧げます。
2024年03月30日
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同じ誕生日を迎えるならば、大嵐よりは、晴天で迎えたいと思う職業人としての最後の誕生日だった。いったい何なんだ???って思うくらい不安定な天候が続いていることは、甲子園の球児を応援している全国の皆さんも思うだろう、兵庫県を含めて。ところが、今日は、もう、これ以上ないだろうってくらい、良い天気だったんだ。昨夜の母からの電話でも、今日の四試合を楽しみにしていると言っていたが、まあ、ほんと、甲子園日和のお誕生日になりました!弥生も末の七日、曙の空朗々として、月は有明にて・・・だったかどうかは寝坊だから知らないが、明日はまた雨と言われている中、今日だけ、私のために、晴れてくれて、年に1度の春の自然観察に出かけられました。今年は天候不順で、寒い日も多かったせいで、ソメイヨシノはまだまだな上、各地のヤマザクラも満開ではなかったのだけれど、それでも、あちこちで咲いていて、嬉しい観察になりました。瀬戸内海の臨海部では、さすがに暖かかったのか、開花も順調で、内陸部では見られなかったキブシの花房も見られたし、揖保川沿いを観察すると、上流では柳の新葉の展開もまだ黄色だったのが、海に近くなるにつれて、黄緑になっていました。海辺では、ハマダイコンの開花も見られ、白やら薄紫やら、個体差を確認できました。加古川は、温暖で夏の降水不足が気になるくらいの土地ですから、当地でのソメイヨシノの開花が遅いのは、ちょっとやはり寒かったためかと感じました。昼食と観察を終えて戻ってきてから、卒業生から盛花をプレゼントされました。今までは、毎年、誕生日と母の日とにこの盛花をもらっていて、職場に置いて毎日見て楽しむことができていたのだけれど、今回は、あとの水の管理もあるから、他人に頼めないし、家に置こうと思います。4月からは毎日が日曜日なので、1年かけてゆっくり片付けて、取り敢えず持ち帰ってきた捨てられなかった山ほどの思い出深い品々を、整理していこう。でも、まあ、取り敢えず、4月中は、寝たいときに寝て、起きられた時間に起きて、43年間の勤続疲労を癒してから・・・と、思っていたら、2月8日に元夫君の初期の腎臓がんが発覚して、私の退職を待って4月3日に入院、4日に手術と決まっています。その後のことは、切ってみてからですが、この2日間だけは、朝起きよう。毎日、新聞を届けて欲しいとの要望なので、起きたら、新聞を届けて・・・と、考えてはいます。同時に退職するずっと年下の同僚は、あれこれ思い描いていた退職後の生活のために、オーバーホールしようと念のため受けた癌検査で2か所疑いとかで、大変じゃん!でも早期で良かったねって言ってたら、急遽、父上の不調とかが発見され、そっちで大忙しも重なって、退職後の色々な薔薇色の予定は、ほぼキャンセルになったと嘆いていた。子供の手が離れ、フィアー夫婦だけののびのびした生活って思ってたら親の看護と介護と、自分の老化と劣化と。人生って難しい。本当に難しいものだとつくづく思う。還暦やら、古希やらって言っていた時代、ほとんどの人生は70歳までは続かなかったから、介護も看護ももっと早い時期に訪れていた。ところが、親も80過ぎても生きてるし、自分の人生も100歳まで生きる覚悟が必要になるし、子供は近くに居るとは限らないし、想定外に継ぐ想定外と向き合わなければならない。。。去年、本格的な片づけを始めたら、てきめんに膝や股関節を痛めて、一気にぎっくり腰になった。それで、一時諦めていたんだけど、湿布貼りまくって、股関節痛が収まって、ぎっくり腰も収まったので、年明けからまた片づけを再開した。寒い中での作業を続けていたら、かつて経験したへバーデン結節のような痛みが出て来た。毎晩、指に湿布薬を貼って寝ている。自分の身体の声を聞き、機嫌を取りながら、ともかくも撤収作業は完遂されなければならない。明日は、朝から職場、明後日は朝、心療内科を受診してから職場。夜には宴会。土曜日は昼間っから送別会だ。痩骨の肩にかかれるもの、まず苦しむ。。。とは言え、時間は逆流しないから、進んでいくしかない。長い反省文をここにしたためるのは、今回を最後にしたいものです・・・65歳を生きて迎えた私。
2024年03月27日
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