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先日の夢に引き続き、職場で、昔や、大昔の同僚も登場する夢を見た。私の妹は、25年間中学で英語を教えていた。彼女は、子供の頃おっとりした控えめな、でも芯の強い性格だった。家が貧しかったので、オルガン教室からピアノ教室に進めなかったけど、オルガン教室の先生が惜しんでくれるくらい熱心に、練習していた。やがて、彼女が小学校の5年生の途中で官舎を出て初めての自分達の家に住むのだけど、その時に、父が、書斎にエレクトーンを買ってくれて、妹の為に先生がレッスンに来てくれるようになって、ピアノには遅かったけど、エレクトーンはどんどん上達して、教える資格まで到達した。そして、転校先の小学校から中学校に進み、苦手だった体育も得意になって、もともとよくできた勉強にも励んで、素晴らしい成績で、高校に進んだ。私の母校でもあり、妹の上の娘も通った高校で、彼女は生徒会長をし、勉学に一層励み、英語を得意として、外国語に力を入れての進学を志していた。もし、入試の時にインフルエンザにかからなかったら、人生は違っていただろう。彼女は、第一志望の国立大学の入試の直前、インフルエンザで寝込んで、なんとか受験したものの、結局不合格で、滑り止めの私学に進んだ。英語に磨きをかけ、教員免許も取り、愛知県の高校の英語の採用試験にも合格し、なのに、実家のある地元の中学の採用試験に不合格だった。まあ、年に1人採るかどうかっていう試験だったけど、二次の面接にも手ごたえがあったのに、不合格だったのだ。面接官は、楽しい面接だったと声を掛けてくれたくらいだから、力が認められていたんだろう。でも、地元の国立大学の教育学部や、広島大学の教育学部の男性の学生に勝てなかったのだろう。全てが、推測でしかないが、地元の田舎では官尊民卑の風潮は強い。英語なら、最低でも北九州大学は出てないとね・・・って感じだった。。。補欠でさえなかったので、不合格に落胆する間も無く、愛知県のそこそこ有名な進学校の校長から電話がかかってきていて、彼女の大学の地元近くの名古屋市内の勤務が4月から始まるはずだった。ところが、状況が変わった。何故か、不合格のはずの県教委から電話が、実家にかかってきた。愛知県内の大学の卒業記念パーティーに出ていて、連絡がつかなかった妹に、私の両親がなんとか連絡をつけるべく、立ち寄る予定のあった私の当時の家に電話をかけてきた。そして、妹は、そこで、不合格からの劇的採用になり、人生が、根底から、また、覆った。もし、あの時、連絡がつかないまま愛知県で高校の教員になっていたら、妹は、まだ勤めていたかもしれないし、少なくとも、実家から徒歩30秒の所に家を建ててはいない。大学時代の彼氏と結婚していたかもしれないし、そうじゃないかもしれないけど、少なくとも、今の立派な旦那様とは出会っていない。彼は、妹の2校目の勤務先での同僚なのだから。妹は、英語に一層磨きがかかり、余計に、日本人離れした発想になっていく・・・日本語は、構造的に空気を読むようにできている。英語は、最初に、yes か no かを、旗幟鮮明にしなければ話し始めることができない。私の今朝の夢に出てきたかつての同僚たちは、女性二人とも、英語の教員だった。非常に優秀だった。一人は、在職中に、国費で、スコットランドに、1年間留学し、戻ってきてから管理職試験を経て、さっさとやめて、大学の教員になった。最初は国立大学に居たが、その後、私学の教授として迎えられている。もう一人も、在職中に、県費で、アメリカに1年間留学し、戻ってきてから、ドクターを取るために自費で2年間留学した。その後、日本での仕事は辞めて、アメリカで働いている。彼女たちは、マインドが違う。人生に対する考え方が、くっきりしている。周囲に渦巻いていた男たちの妬み、嫉み、やっかみなどは、気にもかけなかった。なぜなら、人生は、自分のものだからだ。「自分こそが自分の主(あるじ)、その他に主とて何あろう。 自分を修め、整えてゆく時、そこに得難い主を見出す。」この言葉は、大学の寮の朝の御勤めで言わされる仏教の箴言だ。妹が25年間で教員を辞めるまでに、色々な葛藤があったと思う。周りには、順調に採用され、選ばれ、脚光を浴び、大学院に進み、英語以外にもいろいろとこなせ、仕事のできる、そんな妹に対する感情が常に突き刺すようにあったと思う。中学の教員は二十年前、男社会だったろうから。私は、「出過ぎる釘は打たれない」とばかりに、尖っていた。いつも、ずっと、尖っていたと思う。子供のころからの「不出来」を当然のこととして生きてきた。自転車に、補助輪無しで乗れるようになるまでに何年もかかったし、リコーダーがふけるようになるまでにも何年もかかった。未だに音符は読めない。塗り絵さえまともにできなくて、色を塗る地図帳が苦手だった。そして、妹と違って、羨まれるような優等生だった過去の記憶が全くない。常に劣等生で、やっと何とか一条の光が見えてきた高校時代に、膝を故障した。できない側で、本当に運だけで、たまたま源氏物語の宇治十帖のシーンが出題されて、採用試験にも合格し、這うようにして43年勤めてきた。yumiさんと出会ってジュリーを追いかけ始めるまでは、街を出歩くこともできなかった。あの時、yumiさんと出会ってなかったら、多分、ずっとどこにも行かないままだったろう。だから、今でも、本当に不思議だなぁと、なんであの時、ジュリーの還暦ツアーで盛り上がったのか、なんで、あの時、横浜に出かける気になれたのか、神戸の国際会館の三階の席で、1つ飛ばした隣がyumiさんだったのか・・・「立たんば!!」って言ってもらって、ス・ト・リ・ッ・パーで立てたのが、奇跡。そこからが、翌年の奇跡元年につながる。モグラや螻蛄のような人生だったのに、セミの羽化までのような人生だったのに。奇跡があって、自分で立って、その時から、違う世界も見えるようになったのだ。五十肩でも、靭帯切っても、ジュリーのコンサートに行くために頑張った。そして、身近にも、年上のジュリ友さんができた。以前からの知り合いだった人が、なんとジュリ友さんだったのだった。昔の同僚達、他にも幾人かが夢で出てきた。みんな、自分の人生を、自分で決めて、自分で歩いて、生きたいように、生きてね~~~職場でも、そうだったように、私は、ずっと、ずっと、応援してるからね!!!
2024年06月30日
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実際には、一昨日あたりから、左の腰の周囲に不吉な違和感があったが、昨日は、かなりヤバいぞ~~~って感じになって、夕方からツボに「プチシルマ」を貼っている。ギックリ腰のツボは、手の甲に在って、小指と薬指の骨の分岐点と、人差し指と中指との骨の分岐点とが、それぞれの場所なんで、一応、左だけでなく左右のツボに、貴重な「プチシルマ」を4粒貼って、左側だけは折ある毎に上から圧を加えてもいる。明らかに左の手の甲の方のツボは押すと痛みがあり、特に人差し指と中指の分岐点は、明確。プチシルマは、本来痛いところに直接貼るのが正しい使用法だけど、腰に貼るほども持っていないし、アホほど高いので、替わりにツボに貼って、かつ、指圧しているわけだ。湿布も、一昨日は、寝る前に左腰の患部に2枚を貼っただけだったけど、昨夜からは4枚貼りにしてもいる。ギックリ腰の怖さを一度知ってしまうと、もう、知らなかった頃の自分には戻れない。慎重に、慎重に、おっかなびっくり、動いている。違和感があっても、軽い痛みがあっても、動けるうちはまだ大丈夫なんだ。大丈夫なうちに、対処しておかないと。。。左膝の半月板の損傷を15歳でやらかして、その後、ロッキングと言われる現象を何十年間経験した。特に、慣れるまでの最初の数年間は、何をどうしたら、そのロッキングが起きるのかも、さっぱりわかっていなかった。体育の授業は高校3年で見学になり、大学1年では、みんなに交じって普通に軽い運動をしていたが、冬の朝、雪のグラウンドで馬跳びをしていて、着地に失敗し、脱臼して痛みで気絶した。目が覚めたら、接骨院で、また麻酔されて脱臼は治ったけど、ロッキングは治らなかった。あの時が、一番長く跛行していたと思う。当時はまだ松葉杖を持っていなかったから、そうとう辛かった。大学2年生の体育は、特殊体育に移され、白血病の予後を戦ってる人と二人で教授の部屋で授業だった。半月板損傷から、膝に内視鏡を入れて診断がおりるまでに5年もかかったくらいだから。レントゲンに映らない軟骨である半月板の損傷は、50年前には、原因不明の症状だった。内視鏡を入れる検査ができるようになったのも、台湾から技術を持った医師が来日して以降で、21歳の私が、検査を受けた時、まだ、山口県では半月板の内視鏡検査自体、県立病院だけが可能だった。どういう時にロッキンが起きるのかを経験を積んでしっかり留意して、行動を限定的にして行って、それでも、不意に、どうしようも無い時もある。ギックリ腰は、その半月板のロッキングに似ている。私が、「ロッキング」という症状の名前自体を知るのは、40代半ばで、子宮と卵巣の摘出の為に癌センターに入院して、全身麻酔をかける直前だった。自分の左膝の症状を説明して、麻酔後の、意識の無い時にも、注意して欲しいとお願いしたら、担当の看護師の中に同じ症状の人がいて、「ロッキング」という言葉を使った。若い人の間では、もう、スポーツ医学で普通に使われている言葉だったのだ・・・実は、だから、ぎっくり腰も、「急性腰痛症」なんて症状名だけでなく、もう少し、医学的進展があっても良さそうなものだが、劇的な症状の割に、「ギックリ腰」なんて哀しい呼称で、蔑まれている。本人たちにとっては、これほどまでに深刻なことなのにである・・・日常生活上での、実際の劇的発症後の不自由さは、経験しない若い人にはわからないだろう。最近、へバーデン結節や、プシャール結節などの言葉が、ネットで出るようになった。老眼になるように、五十肩になるように、閉経するように、更年期が来るように、難聴になるように、へバーデン結節やプシャール結節は、長寿命化にしたがってたくさんの働く女性たちの問題になった。昔からあったのだけれど、大きな声で語られてこなかった。でも、避けては通れない更年期を巡る経年劣化の一部の現象だ。私達のように、フルタイムで定年まで働く女性だけではなく、年金だけでは厳しい家計の不足を補うためにも、60代から70代の女性は半数以上が働いている。国の統計に表れているくらいだから、相当な労働力になっているのだと思われる。だから、男女を問わずだが、経年的変化をしっかりと知り、対処しつつ健康に老いを過ごせるような準備が必要なのだ。へバーデン結節にしろ、五十肩にしろ、更年期障害にしろ、ちゃんと知って、迎え撃てば、初期症状のうちに迎撃できる。へバーデン結節の炎症の初期に、ちゃんと対処しておけば、辛い変形も痛みも軽減できる。五十肩だってそうだ。更年期障害だって、ちゃんと予防的に婦人科を受診していれば、初期からのコントロールで多少とも違うし、対症療法もある。更年期性の鬱とか、老人性の鬱とかは、正しい予備知識を持つことで予後が変わる。90歳の母の指は、すらっとまっすぐだ。母の五十肩は、辛くて長かったと聞いている。肩が上がらなかったから、板書の字が、黒板の半分から下だけしか書けなかったとか。私が五十肩になった時、母は、大丈夫やで、治るでぇと、請け負ってくれた。その言葉だけでも、相当安心だった。私は、ツボを見つけて、さっさと直したけど、右・左、また右。と3回有った。ツボに巡り合うまでの最初の右肩の時は服を脱ぐことが大変だったが、ジュリーのコンサートの為に頑張った。63歳の妹の指は、何か所かへバーデン結節の瘤ができている。その指で、ハープを弾き、ウクレレも弾き、機を織る。65歳の私の指は、最初に発症した右手の親指だけが軽く曲がっている。色々だな。。。まあでも、乗り越えて生きていくのだ。幾山河 越え去り行かば 寂しさの はてなむ国ぞ 今日も旅行く (牧水)幾年月 乗り越え来れど 哀しみの 絶えなむ日々ぞ 今日も老いゆく (小芋)牧水は、わずか43年の生涯であり、さらに半分は、まだ学生時代である。昔の人ってどんだけ老成してたんやろうと、ふと思った。若山牧水と正岡子規のシルエットは似ていると、ふと、思った。昔の人は、どんだけ早逝していたんやと、ふと、思った。
2024年06月29日
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まず、今朝の夢から一度起きて、珍しくトイレに立って、もう一度寝たら、変な夢を見てしまった。職場の事務室で、今から、どこかにお葬式に行くんだけど、校長や教頭も行く準備を済ませているのに、私だけ、香典を準備したはずの袋が見当たらず、待たせているっていうところ。色んな可能性のある場所を探し、手提げを見て何度も探すんだけど、どうしても香典袋が出てこない!!!大ピンチじゃんってところで、目が覚めた。最近、よく、色々なものを見つけ出せないことがある。実家に帰った時も、ちゃんと用意したはずのデンタルフロス・ピックを包んだ紙包みが、とうとう見当たらず、暇さえあれば歯を磨く羽目になっていた。ところが、こちらに戻ってみたら、なんのことはない、ちゃんと背負っていったリュックの、何度も何度も探したポケットに、ちゃんと入っていた。いつものことだ。見失ったものは、大抵最初に見た場所にちゃんと入っている。オロオロしながら見るから、「見るとも見ず」の状態になってしまうのだ。仕事をしている時も、何度となく探し物をしていた。探し物をしていて無駄に時間を過ごすのが情けなかった。その状態・状況を思い出した。そこで、夢か現か、判然としないが、自分の慶弔用のハンドバッグが見当たらないことを思い出した。もう、何年か使っていないのだが、たしかそのハンドバッグの中に、慶弔用の真珠のネックレスと、本式の御数珠とが入っている。そのバッグごと、どこかにあるはずだが、どこだかわかんないし、コロナ以降、本当に葬儀というものと縁が切れた。最後の葬儀は主任してた学年の在学中の生徒の保護者の葬儀で、行ってみたら、保護者であると同時に、前任校の担任してた生徒の葬儀でもあったのだった。。。諸行無常だ。受付してた女性が前任校の教え子だったので、あれれって思ったら、そうだった。。。その時、中の良かった知り合いも来てて、何なのって聞いたら、部活の顧問してるって。弟が、亡くなった父親と同じ高校で、同じ部活動をしていたのだった。その時が最後だ。。。後は、不義理か、コロナか、家族葬だ。。。夢で、香典袋を探していたけど、リアリティがあり過ぎる。毎日、手提げ袋の中を見ては、何かを探している。さて、もうかれこれ3日ほど前か、いや4日経つか、深夜に蔵から家に帰っていたら、線路と用水路を挟むけど、家の真横の位置の道路上で、動く影がある。前にアナグマの親子連れを見た場所よりさらに家に近い場所だ。なんと、ライトに浮かんだ生き物たちは、アライグマだった。アライグマは、尻尾の模様が特徴的だから、間違えようが無い。彼らは、右手から道路を渡ろうとして、私の車を見て、止って、2匹で立ち上がって、抱き合うようにしてフリーズしてる。危ないなぁと、フリーズしとらんと、ちゃんと逃げなよ!とつぶやきながら徐行して通り過ぎた。今、我が家の庭のヤマモモは、完熟してぼとぼと落ちてるから、それを食べに来た帰りかもしれない。アライグマは、木に登って果樹を荒らす大害獣なのだが、我が家のヤマモモは地面に落ちまくっているから、登る必要もない。我が家と、遭遇地点を伸ばすと、そこには安心安全な日岡神社がある。もっとも、我が家だって、基本的に朝から晩までほとんど安全なのだけどね。犬も居なくなったしね。こないだ、ヤマモモの木の下に穴が掘ってあったけど、こいつらかなぁ?アナグマじゃないのかなぁ・・・などと、考えている。その後は見ていないんだけど。キツネ・タヌキ・アナグマ・アライグマ・ゴイサギの子(ホシゴイ)何が来ても驚かないけど、人間は止めてね・・・って感じだな。家から蔵までの間に、季節が良ければ、コウノトリが群れてる姿も見られる。サギなんか、アオサギ・アマサギ・オオサギ・コサギ、何種類でも観察できる。兵庫県の田舎だわぁ・・・高齢者も多いから、サギには気をつけないと。。。真夜中の道で、一番怖いのは、痴呆症の徘徊者なんだよねぇ。。。人間が、一番怖い。
2024年06月28日
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来月は12日の金曜日から13・14・15と、3泊4日で行き来する予定ですが、戻りの15日が月曜日だけど祝日?でお休みの為、指定席券を取りに前もって行きました。12日の方は、まあ、自由席で大丈夫だと思うのだけれど。12日の新幹線と乗車券からは3割引きになるジパング倶楽部。でも、8月は繁忙期で使えないから、EXを使うことになるのかな。ついででないとガソリン代がもったいないので、地元の信用金庫の光熱費用の口座に入金も。一日の何か一つ仕事をしたら、もう、他のことをするのが面倒になってしまう。あとは、木の枝を払ったり、蔓草を切ったりしたのと、午前中に一週間分のご飯を炊いたのを200gずつの包みにしたのとくらい???そこからは、蔵に来て、今度は短時間で潅水の調整をして、大葉を収穫したり、ミニトマトの剪定や整枝、紐付けなどをしたかなぁ。。。ベランダのニラも収穫しました。ミニトマトは、毎日食べる分、採れるようになっていて、採って洗ってパック詰めして冷蔵庫。夕方になると、プランターのあちこちから、黄色いオシロイバナが咲きます。実用一点張りじゃなくて、花も色々あって、紫陽花もあって、小さなベランダはカオス。ミニトマトは、もう8月の中旬を限りにと思っているので、花は見つけ次第房ごと切ってて、ソバージュ栽培を目指しつつも、一応脇芽を搔き採る作業をし始めています。8月はさすがに3泊4日では済まないだろうから、そうなるとトマトの潅水不良は避けられません。今のうちから50日後の状態を想定して作業です。それにしても、去年までのミニトマトと違って、今年は、野性味たっぷりに茂っていて、HB-101の初期灌水での滴下が奏功したものと思われます。だって、栽培環境は一緒なんだもん。育てやすいトマトっていうのは、確かにあるかもだけど、本当にミニトマトっていうのは野性味が強く、ソバージュ栽培に適しています。勝手に脇芽が出て、ものすごい勢いで伸長して、すぐに花芽をつけて、花房の基部から実が付き始めて、支えきれない重さになると自重で倒れるのだけど、屈曲した茎からは恐ろしいほどの気根が出ます。気根が、牙に見えるくらい、すごい。。。成り始めの時はマットな表面の緑の粒なのに、見る間に透明感のあるグリーンに変化して、ある日、赤くなっている。気を付けないと、空中湿度が高い日は熟した実が裂果するので、それはそれで、その場で食べちゃうけど。トマトと違って、ミニトマトは楽しいかも。去年とか一昨年とか、選んだミニトマトが難しかったのもあるかもしれない。あれこれ思いながら、ともかくも、樹上完熟ミニトマトを毎日採る楽しみを、楽しもう。早く、茗荷が摂れるようにならないかなぁ。。。次の目標は、青じその、挿し木と、ミニトマトの挿し木苗作り。挿し木苗なら、小さなスペースで短期間置ける気がする。青じそが、バジルほど簡単なら、絶対挿し芽も成功するはず。時期的に、害虫の発生する時期だから、早めに苗を更新したい。
2024年06月27日
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今日は、朝から、待っていた荷物が届いて、それを再梱包して妹の家に送った。届いたのは「しらすのおせんべい」で、母が食べてくれたので、再度取り寄せたもの。それを、昨日届いた千葉県産の殻付き落花生とかと一緒にして、荷造りをした。妹のダイエットの為に、もち米の玄米も送った。ヤマト運輸の集配所で一番便利で近いのは、いつものマックスバリュなので、そこに持ち込んで、ついでにちょっと買い物をした。それから、たんぱく質の補給になるからといつも買っているプリンを買いに、近くの薬局に行ったのだが、まさにプリンだけ、有っただけ3つ買って出た。それを、店の薄いポリ袋に入れたのだが、確かに3つ買って3つ入れたのに、カルタの蔵に来てから、冷蔵庫にしまおうとしたら、2つしかない。冷蔵用の袋にも入っていないし、車も2度、観に行ったけど無くて、まさかの、落としてきた???って思って、念のため電話をしたが、誰も出ない。仕方なく、店まで車を走らせた。5分の道のりだが、往復すればプリン代よりガソリン代だぁあああと思うけど、食べ物を粗末にすることは許されないので、ともかく、落ちてるかもしれない薬局の駐車場へ。無かった。店内に入る。レジの人は忙しそうなので、荷出しをしている若い職員さんに声を掛けた。「あのぉお、さっき、プリンを一つ・・・」って言いかけたら、その人が、笑顔で、「ああ、お客様が駐車場に落ちてたって届けて下さいました。極みのプリンですよね」って・・・ああ、職員間で情報が共有されていたのだ。良かった。恥ずかしかったけど、ちゃんと行って正解だった。薄い袋から穴が開いて、滑り落ちたのだ。。。あの店で、「極みのプリン」を買う人は限られているから、次からしばらく恥ずかしいが、まあ、仕方がない。ちゃんと冷蔵庫で冷やして置いてあった。食べ物を無駄にせずに済みました。神様、お客様、店員様、ありがとうございました・・・そうこうするうちに卒業生から電話があって、トウモロコシをくれるって言うので、近くの7-11まで会いに行って、話をしていたら、相互に知り合いの旧職員さんが通りがかって、もう一人来るってことで、別の卒業生が、やってきて、なんとも、面白い4人がしゃべってた。4人共知り合いで、仕事関係者で、私以外は卒業生だ。卒業生と言っても、下は28歳から、上は68歳まで、幅広いが、専門的な知識はすごい。話が長くなりそうだったので、先にはけた。春先はイチゴ、夏はトウモロコシ。いつも、ありがとうなぁ。縁は続くのだ・・・さて、トウモロコシを電子レンジで蒸している。。。プレビュー見てる間に1本蒸しあがった。早速食べている。美味しい。専業農家の作る、美味しいトウモロコシ・・・夏やなぁ。そうそう、極みのプリン、税込みでも1つ120円しなくて、たんぱく質5g摂れる。最高のデザート用スイーツ。。。
2024年06月26日
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重度の花粉症のせいで、60歳の時に既に両眼の白内障の手術をしている元夫君は、14年後に後発性白内障と言うことで、レーザー治療を受けた。これは、本当ならもっと早くにあるべきだったが、不自由ながらも見えていることと、元夫君が本質的に非常に怖がりであると言うことと、想定外のガンの手術が入ったことと、なんだかんだと2回の延期を経て、今日になった。ちゃんと医者の話を聞いていないから、異常に怖がっていたが、あっけなく終了。10時30分に家を出て、まあ20分もかからないで眼科の医院には着いた。20台以上は駐車できる広い駐車場がまあ、いっぱいだった。で、施術と隣の薬局での投薬があるので、12時に迎えに行く約束になって、一旦離れて蔵に向かった。蔵の潅水を調整していたら時間が来たので、迎えに行って、そこから延々投薬が終わるまで待った。天候が曇りで小雨もあるくらいだったから、待てたけど、カンカン照りだったら怒って帰るくらいの時間を待った。でも、まあ、元夫君は面倒なこともなく、安心して出てきて、すぐに薬局に向かったけど、それからが長くて、一度薬剤師が薬局から眼科に来たのは、後で聞けば、元夫君の薬を確認する為だったらしい。元夫君より後から眼科を出た人たちが、投薬を終えて次々と駐車場に戻ってくるのに、一向に来ないから、変だなあと思っていたが、まあ、あんまり出ない薬なんだろうな。帰りは、ほっとして上機嫌な元夫君が、ずっとしゃべっていた・・・不安から解放されて、安心してるんだと分かるし、行きと違う混雑しない道を選択して帰ったので、まあ、自分の蔵の横を通りながら、そのとりとめもない話を聞いた。よほど心配だったのだろうな。饒舌な人だ。私も、一仕事済んで、次は7月5日の元夫君のガンの手術の術後の経過を見る検診。私自身が、年金とかの目途が少しずつ立ってきたこともあり、気持ちが落ち着いている。昨日、早く帰って、ぬるいお湯につかってから涼しい部屋で寝たら、なんと7時間半は、目が覚めずに寝ていた。そこからまた二度寝して、たっぷり寝た。途中で起きなかったのは、画期的だ。昨日はよほど睡眠不足で疲れていたのと、元夫君のための外出時間が思ったより遅い時間に設定されていたのとで、相当リラックスできたのだと思う。今夜も、今日のうちに寝るのを目指して早く帰ろう。固定資産税の2期目を払った。次は、住民税の2期目だな・・・
2024年06月25日
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今日(こんじつ)疲れたり。吾、早朝よりゴミを纏めて之を捨てに之く。早暁より、之き遅れたる悪夢、見ること数回に及ぶ。何ぞゴミステーションの夢を見るべきぞ。是れ、強迫観念の為せるものにして、見ざること甚だ難し。常に之に苦しむ。時間に制限有る時、遅るること許されざる折など、殊に甚だし。閑話休題山口県の西端から、新幹線を3本、在来線を2本乗り継ぐ。クレイジーな午後。 朝もクレイジーな夢に苦しみ・・・こだま さくら ひかり 姫路駅での乗り継ぎ、神技。我ながら。蔵に着いたら、天気のおかげで、水やり当番も機能し、全部元気だった!明日は、元夫君の白内障の治療。今日は早く寝る日。。。朝から、実家のごみ捨てのため、寝不足。怖いごみステーションの夢を見すぎて・・・なんで、私の見る夢はフルカラーで物語性があって、あんなに怖いんだろう・・・細部にまで、リアリティーあるから、ものすごい疲れる。大好きな朝寝坊を放棄するくらい、疲れる・・・しかも新幹線が細かい乗り継ぎのせいで、居眠りもできない。。。はぁ・・・
2024年06月24日
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初めて美味しいトマトを自由自在に食べられた時は、昼ご飯トマト2個とか・・・凄い技術のある先生がいらして「〇〇先生のトマト」と言われていて・・・定年退職されたときは、顧客衝撃度高すぎて・・・鬼花トマトっていう、変形した雌蕊のトマトが、樹上完熟したやつは、さすがに1つでしたけどね。トマトの基本は、産地で食べる、完熟トマト。実がはじけるくらい充実した割れ実とか、鬼花とか、季節的には冬から春が旬ですね。夏は、酸味が抜ける前に熟してしまうので。低温でじっくり熟した巨大果は、美味しいですよ~~~不恰好ですけどね。普通のトマトなら、おしりのスターがきれいに入ったのがいいですね。トマトは、中心部とそこから周囲に延びる放射状の果肉が甘くて、皮は、全く味がありません。種を包むゼリー質が、緑のうちは酸味が強いです。真夏のトマトは甘みと酸味がありバランスが大事、冬のトマトは、酸味も抜けて甘い。トマトの嫌いな子供は、ヘタの周辺部の青臭さや酸味が嫌いなことが多いですね。トマトのヘタの周辺部を包丁で切ると、包丁に青臭さが付くので、切り分け方が大事です。上手にくりぬけたら、最高です。トマトの美味しいのを食べられたら、果物なんか目じゃないです。。。閑話休題トマトの完熟果の色には、赤だけでなく、黒や白や緑もあります。許容できるのは赤と黄色とオレンジまでかなぁ・・・黒や紫やって食欲をそそらないし、緑は、普通には熟していない有毒果の色なのに、紛らわしいので、嫌だな。白は論外ですね。サーモンピンクもあったなぁ。。。安ければ「ぷちぷよ」系のミニトマト。でも、最近甘みの強いミニトマトも出てきているので、目が離せません。yumiさんに倣って、冷蔵庫で酸味が落ち着くならと置いたら、ミニトマトとは思えないくらい美味しくなったので、今後はその手を使おうと思っています。今日も一日雨だったので、多分、ベランダのミニトマトは大丈夫と思うのだけれど、心配。そわそわします。
2024年06月23日
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起きなきゃいけないが無くて、母親もデイケアに行く日だったので、一旦目が覚めてから、トイレにも行かず、また寝て、9時間寝た・・・さすがに、2度寝の夢で、リアルすぎる職場の夢とか、見知らぬ駅での乗り継ぎで走ってる夢とか、脳の記憶や不安の見せる夢を見たけれど、身体は休まったし、しっかりと眠れたなぁって満足感があった。起きてから、まず、2ヶ月ぶりの美容院に行って、髪を切り、白髪染めしてもらい、美容師さんの話を聞いた。この2ヶ月行かなかった間に、なんと帯状疱疹を発症し、帯状疱疹性の神経痛に苦しんでいたそう。で、あまりに辛いとこぼしたら、客の一人が、イトオテルミーを紹介してくれて、三日に上げず通ったところ、かなり楽になったと。でも、施術者の人から三日おきは来過ぎやから、自分でしてって言われて、自宅用のセットを買って、自宅でもしているとのことだった。で、私の高校時代の恩師が、イトオテルミー療法の信奉者で、職員間でも、より上位な施術者が居たってもう50年ほど前の話と、現に、今の親しい友人のお母さんも、施術できる人で、友人は片頭痛のひどい時には行って施術してもらってるって話をしたら、とても喜ばれた。イトオテルミー療法なんて、知らない人には、「何なん!?」って感じで、気持ち悪がられておそらく、共感を得ることが難しいと思うけど、帯状疱疹性神経痛も、わからない人にはわからないし、私はおじいちゃんが苦しんでいたので知ってて、ダブルで話が通じたってことだな。雨の中、他に客も無く、気楽な会話でしたが、温熱療法を久しぶりに思い出した。私の膝のように、半月板が損傷したり、靭帯が切れたりしたのは、温熱療法向きではないけど、細胞レベルの修復とかだと、免疫関係の色々な症状に、温熱療法は効果があるかなと。50年前にイトオテルミー療法の話を聞いた時と違って、今は、温熱療法はちゃんと免疫系等などへも、効果がわかっているので、美容師さんに、続けてね~~~って、励ましてきた。最近、へバーデン結節やプシャール結節などの更年期以降の症状なども、言葉として取り上げられるようになって、知名度が上がっていると感じる。これらも、メノポーズ(更年期)を経て、初老期、老年期へと命がのびているからで、50代で五十肩をやったときに、江戸時代には長命病と呼ばれとかって書かれていて、50代が長命だった時代には、その時期を経た後のこととかはわからなかったと感じたものだっつぁ。幸い母が五十肩をやっていたので、大丈夫やでって言ってもらえたことが、安心材料だった。NHKの朝の連続テレビ小説の中で、主人公のお母さんが急死するのだけれど、年老いても元気に家族のために働いていた・・・とかって書いてあって、それが、55歳なんだもんね。「年老いて」、とか、「老いても」とか、55歳から男性に年金が支給されていた時代って、55歳だったら、もう十分に老人だったんだなぁって、65歳の我が身や、91歳を迎える母のことを思ったりした。40歳で、もうおばあちゃんになっているのが当たり前だったのは、ちょっと前の日本。イトオテルミー療法の創始者である伊藤金逸医師は、そんな日本で、温熱による免疫力の賦活を、医術としてでなく、家庭ででき、相互にできる療法として、普及することを目指していた。鍼灸師などと違って、器具を正しく使えばだれでもできる方法を考えたところが、変わっている。久しぶりに聞く言葉で、色々な懐かしい話を思い出した。熱く語っていた恩師は、高校2年の担任だった。ご存命だろうか。閑話休題昨日、人生の中で食べたことも無いくらいひどいトマトを食べたが、今日は、その同じパックのトマトと、実家の地元のトマトとを湯剥きにして皮を除いた。なんと、昨日のトマトは、母の手で、包丁で皮をむかれていて、そのためによほど益々ひどいことになっていた。私は、たとえミニトマトでも、皮は剥かない派であるが、母は、例えばみかんでも、中身しか食べず、袋は残す派であり、ミニトマトなど、基本論外。殻付きのピーナッツを買っても、中の薄皮は絶対に食べない。母にとっては、健康よりも嗜好なのだ。口当たりは、食べ物の命のような感じなんだな。そんな母のために、トマトを湯剥きし、急冷できる氷水を準備できたことは、昨日の努力の成果だ。ブロッコリーも頑張って母の一口サイズの小房に切り分け、一部はレンジで蒸し、茎の部分はちょっと長めに茹でて、母の口に合うようにした。4月以降に、市販のトマトを買うようになって、美味しいトマトを食べてきた26年間を懐かしむが、美味しくないトマトっていうのはあっても、不味いトマトっていうのは、初めてだった。私はトマトをどれほど見てきたかって言うくらい見てきたので、見れば、ましなものを選べるので、その成果だと思う。トマトは、本当は、美味しい食べ物だと、世の中の人は知らないかもって、市販のお手軽トマトを見て思うんだ。本当に美味しいトマトを食べてしまうと、その後はもう、知らなかった時には戻れない。その事実を深く悲しむ。
2024年06月22日
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朝は、頑張って7.5時間で起きて、(昨日は2剤潔く飲んで昨日のうちに寝たので)まだ雨の残る中、蔵に行って、潅水の確認と水の補給を頑張って、8時半過ぎに戻って、予定通り、加古川駅まで送ってもらった。いつもの通り、神戸線は遅れてたけど、5分だったので、むしろ、一本予定より早いのに5分遅れで乗れた。姫路駅では9時50分までさくら号を待つのだが、直前にのぞみ号があるため、意外にちゃんと空いているところが、このさくら号のありがたいところ。けちけち大作戦の第一歩、ジパング倶楽部の使えないのぞみ号ではなく、使えるさくら号にして、かつ、自由席で座って帰る実家。新下関では、妹のお迎えをいただく。実は、このお迎えが、非常にありがたく、かつ、高価だ。。。妹は、毎回の送迎に対して1万円を受け取ってくれる。タクシーよりは、手軽で、安いけどねぇ。元気だったころは、妹が忙しかったから、自力で乗り継いでいた。小倉から下関、下関から黒井村とか、その逆パターン。新下関から下関 下関から黒井村とか、その逆パターン。新下関から幡生、幡生(はたぶ)から黒井村とか、その逆パターン。今は結構、贅沢に、妹の送迎をお願いしている。すごい時短。片道25分足らずで、実家。昼ごはんは、母が播州素麺揖保乃糸の黒帯を2把茹でていたので、それ。妹が、お昼は素麺やでって言ってたのは、素麺鉢を、母が準備させていたから分かったらしい。ネギすらも無く、まして大葉や茗荷も無く、況や錦糸卵やハムの千切りやキュウリの千切り、干しシイタケの千切りをやである。母が、素麺を茹でるために、使った鍋は、おそらく小さな鍋で、母は、素麺を折って、その鍋に入れたから、IHクッカーの周囲に素麺がちょっと散っていた。気持ちだけ、昔の、子供の頃の夏休みのような、簡素な素麺だった。子供の頃、母の実家の周囲は素麺農家だった為、木箱で素麺が届いていて、本当に毎日、大げさでなく毎日、夏休みの昼ご飯は素麺だった。茹で上げた大量の素麺の上に、氷がちょっと乗っているのを、各自が取って、食べるのだ。素麺の上の氷が貴重だったのだから。錦糸卵や、ハムやキュウリや干しシイタケやの乗った素麺と言うのは、絵空事の世界だったおばあちゃんと同居して初めて、それが、現実世界の食べ物だと知った。おばあちゃんは干しシイタケから出しをとって、その干しシイタケを甘辛く炊いて・・・それが、専業主婦だったおばあちゃんの作る素麺で、おばあちゃんは、甘辛いゴマダレで食べる素麺も好きだった。そのための胡麻を煎って、胡麻をすりこ木で摺って、干しシイタケを炊くような甘辛い味にして。でも、今日の90歳の母の作ってくれた素麺は、ちゃんと美味しかった。実のところ、黒帯の、上等な素麺を、箱を開けて間もなくで、ちゃんとゆで上がりを水で洗ってあれば、後は、素麺のつゆが美味しければ、大丈夫なものなのだ。でも、私としては、2倍濃縮のつゆを薄めるのに、ちょっと氷水を使いたかった。それで、氷を見たら、なんと、有史以前から冷凍庫に在ったかのような結氷状態になっていて、新しい氷ができていないのだった。自動製氷機が機能してないじゃん!って思ったけど、その場は、氷河を削るように固まった氷を割り取って、ちょっとだけ使った。食事のおかずは、オリーブオイルで焼いたかぼちゃの薄切りと、ミニトマトと、胡瓜の塩もみと、妹の家からの差し入れの煮物(豆腐と鮭の入った)母は、自分の食べられる分だけ素麺鉢に取り、揃いの、つゆを薄めたガラスの容器に満足して、食べていた。私は、残りをいただいた。まあ、1対2くらいの割合だったかな。毎日贅沢に食べている大葉も無ければ、茗荷も、ネギすら無くても、母が、捨てようと思っていた素麺鉢を使って、2人で食べられて、相互に満足した。麺つゆがもう無くなろうとしていて、母がメモ用紙に麺つゆって書いた。ご飯のあと、2時半から、整形外科にいつもの診察を受け、薬局で薬を受け取って、それから買い物に行くのだと、母は思い描いていたようで、私は平日の親孝行と、妹孝行とを実現できた。眼科に加えて、整形外科への付き添いもできるようになれば、妹の負担はよほど減る。だって、2時半からの診療開始に、2時前から家を出て、2時10分から待合室で待って、6番目だったけど、2時45分過ぎても名前を呼ばれもせず、やっと呼ばれたら、一緒に診察室に入って、1~2分の問診と着衣の上からの背中の触診、これだけで、今度は、支払い。支払いが終わったら、今度は、薬局に車を移して、母は車内で待ち、私が薬局で待って説明を受け、支払いをした。母の認識では400円なんだけど、それは、診察で、薬はもうちょっと高かった。そこから、今度は買い物なんだけど、一か所で、最短で済ませたかったので、母は乗り気じゃなかったけど、地元の雑然としたスーパーに行った。ところが、なんと、平日の昼間って、こんな田舎でも、やっぱりすかすかなんだわ。母は、私が連れて行くときが土曜や日曜、祝祭日、年末年始と、限られるので、あの混雑が嫌だったのだろう。ところが、本当にスカスカで、年寄は病院かデイケアか、施設入所、働ける人は平日昼間は働いている。そういう世の中なんだと思えた。その前の整形外科は、年寄と、付き添いで混んでいた。若い人は施設のスタッフか、病院の職員だった。診察室の前で私に話しかけてきた隣の席のおばあさんは、私に母の年齢を聞いた。来月91歳です。って答えたら、自分は92歳だという。もう、びっくりする。そのおばあさんは、一人で来ていたのだ。しかも、腰は、90度に曲がっていて、股関節も8年前に「腐ってしもうて手術して」って、いや、股関節骨頭壊死だろう???って思ったけど昔話に出てくるような腰の曲がった杖の持ち手ではなくて、杖の上から10cmくらいの所をつかんで、でも、自分一人で歩いている。しかも、話す内容は明晰で、全く耳も不自由なく話している。住まいはかなり山側の人だったが、なぜか、父のことを知っていた。父とはそのおばあさんは同じ年齢だ。父の勤めていた先まで覚えていたから、びっくりした。もう、亡くなって何年にもなる。もしかしたら、同じころに、病院に入院していたのかもしれない。世間は狭い。もう一人のおばあさんは直接母に話しかけていた。いつも妹と来るから、今日は私なので、「別の人かと思うちょった」ってことだった。あとで、何処の方?って聞いたら、母は、わからんって言った・・・畏るべし。。。妹は、諸活動を通して地域の高齢者のアイドルなので、母ではなく、妹を知っている人の可能性もある。閑話休題買い物は、混雑なく、スカスカの店内を、母は、元気に歩き、予定の蚊取り線香とマヨネーズと麺つゆとを買った後、見たいと言った出来合いのおかずを見に行き、そのあと、ぐるりをもう一周して野菜を買って、支払いを済ませて出た。結構な量を買ったが、冷凍に回すという話なので、OK!大冒険を終えて帰宅すると、姪が来ていて、「お帰りなさい」って出迎えてくれた。彼女の皮膚の状態を危惧していたが、皮膚科で飲み薬を懇願して出してもらった結果、悪化していた表面が改選され、塗り薬が浸透するようになったらしい。まあ、何としても、医者はステロイドは出したくないのよね。特に内服薬は。でも、シャープに効かせて、短期で離脱できるようにするのも実は大事。。。ちょっと明るくなった姪に、ほっとした。オリックスの新しいポスターの話などして、スマホのこととかも相談に乗ってもらい、助かった。私のポケットWi-fiから、スマホに飛ぶように。まるで、自分のものであるかのように、彼女は、私のポケットWi-Fiを扱いこなし、ちゃんと使えるようにしてくれた。多分、彼女にとっては、似たような何かなんだろうけど、私は、何がどうなっているのかさっぱり。ても、取り敢えず、何でもかんでも取り敢えずは、アンテナが立っているので、大丈夫なんだろう。夕方、前回帰省からの懸案事項だった、西日対策の買い物にジュンテンドウに出かけ、思った通りのものを買い、想定通りに西日対策を完遂した。明日以降にならないと、対策の効果はわからないが、ま、取り敢えず、こんなものかなぁと。晩御飯の時に、母の作ってくれたおかずが、少ないと母は感じたようで、冷凍庫から焼き鳥を出してきて、足そうとするから、鶏肉を焼いたのに、そこに焼き鳥を足すよりは、今日買った出来合いのおかずの方が良くない?って言ったら、母も納得してくれたので、母が選んで買ったゴボウと人参入りの魚肉天ぷらを足した。ホウレンソウのお浸しと、トマトと、ブロッコリーと鶏肉のソテーと、ゴボウ天と。鶏肉のソテーは味しみも良くて美味しかったので、母はご機嫌だった。妹は、母の手作りの夕食を長いこと食べたことがない。反対に、妹の家からおかずの差し入れはある。両方ありがたく、いただいている。冷凍の鶏肉を解凍するところから、下味をつけて焼いて、ブロッコリーを合わせて。ブロッコリーは、冷凍食品だったからか、母には大きかったように思う。もう少し、小さく切り分けたら、味しみも良く、凍ったままでも早く使えるけどなって、思った。まあ、冷凍食品を切るのは、結構難しいし、一旦解凍してからでも良いんだけど。そう言えば、冷凍庫に葱の冷凍品が無かったので、ネギを買ってきて、刻んで冷凍した。母は、小ねぎはビーズのような細いのが好きなのだそうだ。でも、実際に普段買ってるのは、それよりはちょっと太いと思うけどな。それと、今後のために、冷凍庫の自動製氷機能を回復させようと頑張った。自分の今後の為だし、素麺を母が食べたいならなおのことだ。まあ、解体して、貯水器を洗い、隅々まで磨いたけど、シリコンゴムのパッキングは無理だった。でも、晩御飯の後、ちゃんと氷ができていて、感動した。いつもより長く歩いて、母は草臥れていたと思う。でも、まあ、明日はデイケアに行く日だ。早朝から起きて、今日できなかったことを済ませて、デイケアに、意気揚々と臨んで欲しい。取り戻せている感覚と、日々揺らいでいく自信と、混在する、90歳と11ヶ月。そう言えば、今日、夕方の買い物の前に、家の車の鍵が見当たらなくて真剣に探し回って、ま、妹に借りに行けばいいかぁと諦めるまでなって、母に、車の鍵が無いねん。今日、買い物から帰ってきてからな・・・って言って置いた。で、もう一度同じところを空しく探していたら、母が、私を呼ぶ。「有ったわ!お母さんが、上に座っとった!」いやいや、普通さ、座布団の上にキーあったら、座らないでしょ?座っても、気が付くでしょ?そもそも私は、母の座面に置きはしないだろうけど、どこでどうなってそこにカギが行ったのかは、わからない。母と、姪と、最後に私と。。。ま、出てきて、良かったさあ。。。 なんくるないさぁ。。。てげてげでOKOKだわぁ。本日の課題姪のリアル世間は非常に狭いので、オリックスの話をちゃんと予復習して、次に備えよう。
2024年06月21日
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いやいや、やっとのことで、本支給の年金の、老齢厚生年金に辿り着きました。。。今朝、ネットでゆうちょダイレクトの入金を確認して、金額も確かめて、それから、蔵に行くついでの郵便局で記帳して、一部下ろしました。ちょっと感動した。。。今までのは、特別支給だった。在職停止もあったけど、何より、調整期間中の特別支給。これから始まる本当の無職の年金暮らしの第一歩、老齢厚生年金!この後、八月からは?かな?国民年金が、あれこれ引かれて支給かな???退職共済年金も、8月かなぁ・・・ってことは、全部が揃うのは10月かなぁ・・・って思いながらも、憧れの年金というものを、43年分の納付期間を経て、受け取れてうれしい。日本に厚生年金が導入されたころ、男性の平均寿命は55歳だった。平均寿命まで働いて、生きていたら、もらえるのが、厚生年金や共済年金って感じの制度だった。おじいちゃんは55歳から一度も働かず、満87歳、天寿を全うして、年金もらって、家で死んだ。おばあちゃんは、遺族年金があったのかな。96歳まで生きた。最後の2週間足らず入院したけど。おばあちゃんがおじいちゃんの後妻として結婚した昭和20年代は、まだ国民年金制度は無かった。昭和36年に制度ができたんやったっけか・・・父は、84歳目前で無くなったが、64歳からの20年間支給されていた。母も、22歳から働き詰めに働いて、59歳で退職して、60歳から支給を受けている。。。母が実家で、私を生んだ頃は、育児休暇も無く、産休さえも満足にはとれていなかった。私が、あと6日ほどゆっくりしていたら、一つ下の学年だったなぁ。憧れの年金生活、全部もらえるようになって、全部天引きされる金額が分かったら、そこから、自分の自己資金の組み立てを考えよう。今は、払っている看護や介護のための生命保険も、見直しをしよう。私の過去の経験に寄れば、見直しして生命保険を止めたとたんに、癌や重大な病気が見つかる人が多い。国民の50%以上は癌になるし、癌にはどんどん治療法が増えてきているし、色々なことを勘案して、生命保険を見直そう。おばあちゃんは、昔、独身だった頃、郵便局に勤めていた。っていうか、実家が、簡易郵便局を持っていた。で、その時にかけていた保険が、満期を迎えて、もう自分にはかけられなくなった時、父と、父の妹、つまりおばあちゃんの子供名義で保険を掛けた。そしたら、2人とも次々に癌になって・・・結構な金額になった。父と、母とは怒っていたけど。無断でって。でも、父は、父で、気が弱くて断り切れなかった生命保険の会社から、母は母で郵便局の簡易保険から、結構な保険料をもらっている。先だっての元夫君の入院の時、元夫君はガン保険からもっと入ると思っていたらしいが、丁度、一日ごとの個室の代金ぐらいにしかならなかったらしい。65歳で一旦それまでかけていたジブラルタ生命の医療保険が切れて、(潰瘍性大腸炎の既往を口にしたために)更新できない羽目になり、最低の補償しかない、別の会社の保険に入るしかなかったせいだなぁ。。。まあ、そんなもんでしょう。良かったやん、短期間で退院できたんやし、追加治療も無かったして、私は言っておいた。7月5日の次の担当医の診療では、何を言われるかわからないけど。こないだの2年ぶりの大腸の透視は、大丈夫だったと言っていたし。今ここで、わけわからん入院治療とか、本当にやめてほしい。入院とか、痴呆とかは、別居して出て行ってからにして欲しい。成人後見人制度とか、自筆証書遺言書補完制度とか、全部、ちゃんとしてからにしてね・・・ワンコ死んで、体調も悪くて、でも、口も態度も相変わらず悪くて、いったいどうなんねやろって、こっちが不安になってくる。ま、でも、ともかくも、現金が手に入ったので、元気になった!元気な笑顔で、カラ元気じゃなくて、母親に会えるんだと思うと、ちょっとほっとする。今日は、早めに帰宅して、帰省の準備を仕上げて、早く寝よう。明日、また、早朝から蔵に来て、潅水の仕上げをしてから、8時45分くらいには、家を出たい。白内障の手術を来週に控えているので、元夫君は、謙虚である。他に交通手段のない、不便な場所の病院に送ってもらって、待っておいてもらってって言うのを、左右で合わせて2回。運転手は相互に必要なわけではない。まあ、雨なら、送ってもらいたいけど、歩いても10分も掛からない距離の駅がある。お互い様やんとか、私が言っているのは、私の方が毎月で、ずっと回数が多いのと、時には姫路まで、前のように送ってもらう必要があるからだ。JR神戸線は、遅延が普通だが、不通は困るんだよね。明日の無事を祈る。祈る以外にできることが無い。 毎日曇り時々雨か、曇り時々晴れの予報だ。
2024年06月20日
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21日の金曜日から24日の月曜日まで、3泊4日で帰省するので、切符を作りに行った。前回は、初めてのジパング倶楽部だったが、今回は、ちょっと考えて、余裕を持って行った。5月は、小倉までの往復にして、全部自由席でチケットを作ったが、今回、小倉をギリギリで折り返すのを止めて、同じ時間に、新下関から「こだま」に乗って、徳山駅から「さくら」の指定席を取って、岡山駅から「ひかり」に乗り換えて・・・っていうのにした。小倉までの往復の乗車券と自由席特急券の値段と、徳山から岡山までの「さくら」の指定席券と、変らないなら、徳山駅で待つ方が、合理的だし、移動の負担が少ないなぁと思った。地元の駅からの往復は新下関駅までとして、全部のチケット代は21630円指定席券はまあ、吸収される気がする。勿論、のぞみを使えないので、時間的には不自由だけど、そこは、値段。今回は2回目で、20%offだけど、4回目以降は、30%offになる。もっとも、8月は繁忙期でジパング倶楽部は使えないから、4回目は9月以降のことになるな。7月のことも考えながら、帰省中に、妹の家族の予定を聞こう。にしても、今日も、JR西日本、湖西線での接触事故で遅延って、遅延しない日はあるのか???って感じで。加古川と姫路の間は、本当に不安定で、怖い。日程も時間も、ギリギリ。親孝行と、潅水の両方を考えながら組むからなぁ。。。一食でも多く、母親と食事をすることを考えて帰るので。一方で、蔵のベランダの潅水は、夏場はもう、本当に綱渡り。浮いたチケット代以上に、「水やり当番」の代金がかかってるんじゃないか???まあ、「水やり当番」は、実際に機能しているので、助かっているけど。明日は、明後日からの帰省に備えて、新たに増設。準備もなかなか大変だ。時折、差し込む場所を替えないと、びっしりと根が巻いている。植物の力って凄いと感心する。どのみち、8月の帰省にはかなり無理があるので、一番水の必要なミニトマトは、新しい花を着けないように今から管理している。見つけては花芽を摘む作業は、申し訳ないけど、仕方ない。今ある実を確実に熟させるのに、あと50日と計算している。やっと、最初の実が、赤く色づいてきているところだ。そう言えば、今週、母は、妹に買い物に連れて行ってもらっていた。すごい気力の回復ぶりだし、それを、妹に見せている。私とは、年末年始の帰省の時からよろよろでも買い物に行きたがったし、母の妹の3回忌の法要のための供養のお菓子を送るのを自分で店に行って手配した。その時にも、気力が違って来たなぁと思ったけど、半年の間に、随分と好転した。妹や姪には、病院に連れて行ってもらうけど、買い物までは遠慮していたようだったが、病院の帰りにちょっと寄るくらいの買い物なら、母は、行きたかったのだ。眼科がちょっと遠いから、近いところに替えたらと妹が言っていたけど、母は、通い慣れた、自分で要領のわかっている病院に行きたいのだ。自分でできること、自分の行ったことのあるところ、要領のつかめているところ、今の母のリハビリの段階は、そこだ。できていたことを、思い出し、自分でやって、自信を取り戻す。暮れの、呆然自失の体からは、良くぞここまでって思うけど、母は、気が強い。我も強い。だから、多分、もう少し頑張ると思う。7月は、91歳の誕生日が来る時でもある。「食べごと」と母が呼ぶ食事の支度に関わることを、母自身が、可能な限り差配することで、2週間先の献立を考えて、食材を注文する。脳を刺激し、指先を使い、自分の食べたいものを食べ、私を喜ばせる工夫をする。 だから、実家に帰ると、私は、母の作った、母の用意した、主婦である母の食事を食べる。もっとも、昼と夜だけだが。。。外食は、母が望んでもあんまりしたくない。母のペースが狂うから。気も遣うし・・・いつも、外食から帰ったら、母は、ぐったりしている。こっちも、それを見るとげんなりする。さて、明日のために、「水やり当番」のチューブに通水する準備をしよう。18本のチューブを、チュウチュウ吸って、中に完全に水が入った状態にしないといけない。「サイフォンの原理と 毛細管現象を利用して あなたに代わって水やりをします」って。1日で、2L~3Lは軽く水が減るから・・・なかなか脅威。高低差とか、本数とか、気難しい装置だぜ。まあ、無かったら、夏場は帰省できないくらい、存在自体は頼もしいけど。
2024年06月19日
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くたびれてへろへろになりながら帰宅したら、なんか、見慣れた色の封筒がまた来ている。今度はなんやぁ???って思って、公立学校共済組合からの封筒を見ながら、取り敢えず、シャワーを済ませて、部屋に上がった。この時点で、もう1時過ぎてるよ・・・そこから、意味の分からん内容を確認した。要するに、令和6年4月からの、老齢厚生年金と退職共済年金(経過的職域部分)との証書。ありがたい決定通知書なんだけど、まだ、意味の分からないことが書かれている。老齢厚生年金は、6月20日付て4月5月分を送金しますって書いてあるんだけど、こちらは、想定よりも2ヵ月も早いから、狂喜乱舞なんだろうけど、もう一方の退職共済年金(経過的職域部分)は、まだ、在職停止中なんだよ~~~いやいや、そりゃあね、老齢厚生年金が、2か月分、6月に支給されるのは、ありがたいです。これは、あたしだけじゃなくて、日本中のたくさんの3月末で退職した人が感じてることだろ。でもさ、金額はそれに比べて多くはないとは言え、経過的職域部分の「在職停止中」って・・・考えても、こんがらがるばっかりなんで、昨日は、薬を追い飲みして寝ました。二日で2錠も無駄に飲んだ気がする。で、起きてから、電話して聞いたら、電話口の女性が言うのよ、3月で退職される方が多くて、手続きに時間がかかっているから、差し当たり、老齢基礎年金は先に6月20日に出すけど、経過的職域部分の退職共済年金は、もう少し計算に時間がかかるから、待ってて。って。で、私は、聞いたの。それは、私が、20年ではなくて10年を選択したからですかって。そしたら、いえいえ、それは、また別ですって。そうかぁ、じゃあ、うわさに聞く、有期の退職共済年金は少額だが、別にくれるんだな。。。しかも、もっと計算に時間がかかるから、最後になるって。。。そだろね。生まれたくて弥生も末の七日に生まれたわけではないけど。。。27・28・29・30・31・4/1 そりゃあ、後になるでしょう。でも、ちょっと元気が出た。現金なものだ。いや、現金とはまさにこのことだ。井原西鶴の作品の中だったかに、「万病に効く」と書いてあった。本当にその通りです。8月まで我慢って思っていたのが、想定より2ヶ月も早くに60%分が支給されるなら、パソコンの買い替え費用とかできちゃうよ~~~って、まだ振り込まれたわけでもないのに、るんるんしている。有期退職年金は、従来、普通は20年を選ぶらしい。金額も大したことはないと聞いている。一時金で受け取る人もあるらしいが、私は、65歳から考えて、20年後に減額されるとき、意味を忘れてそうだから、意識がしっかりしている75歳までと思って、10年を選んだ。さて、実際の金額がいくらなのかもわからないが、数千円の少額でも、自分が頑張って働いて積み立てた年金なんだから、ありがたくいただける日を待とう。こういう時、「鶴首」って言うんだろうか。。。
2024年06月18日
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昨日の晩、やっと、5ポイント溜まったのを貼った応募はがきを出した。5ポイントは、とおの昔に溜まっていたが、貼ったのは先月か、そして自分の必要な情報を書いたのは先週で、車に乗せて、蔵の帰りに、蔵の中の郵便ポストに投函しようと思って忘れること数日、やっと、応募はがき(500円分の値引き)を湖池屋宛に出した。湖池屋って言っても、大好きなカラムーチョを食べたのではなくて、夜寝る前の口腔の緊張を和らげてくれるタブレットの定期購入分。毎月1ポイントたまるんだけど、1枚のシールが100円分だから、さすがのいい加減な私も、捨てないで取っておくことにしている。で、今朝は、荷物の受け取りをして、それから蔵に向かった。途中で、郵便局に寄り、住民税の第一期を払った。税金に払うのに、小銭の勘定を昨夜しておいた。昨日のyumiさんの飲み物のことを読んで、そうそうコーヒーを水出しにしようと思い立って、昨日のうちに、ドリップパックをアルカリイオン水で浸出させて冷蔵庫に入れて置いたので、忘れないように、それを持って出た。他に、家で使ってるパソコンと家用のポケットwi-fiも一緒に。もし、わからないことがあったり、繋がらない事態になったりしたら、調べるのに、Wi-fiがもう一つ必要になるかもだし、今のパソコンは、最初からインターネットにつながっているって言う状況を必要とするみたいにWindows11の解説とかに書いてあったから。昨日までに、調べられるものは全部調べたつもりだったけど、実際に困難に直面したら、途中で電源切れないし・・・って思って、壊れたのを除けても、買ったばかりの3号機と家用の2号機と、蔵の1号機と、ポケットWi-fiは、docomoのを最新の3号機に割り振ると、普段、蔵で使っている1号機には、家用のを使うことになってしまう。docomoのは、家でも使ったことあるし、今までの古いのでも、すんなりUSBケーブルを挿しこむだけでなんにでも行くけど、家用のは、他で使ったことが無くて、蔵のパソコンが嫌がるかもって心配だった。人見知りするかもって。そしたら、蔵のパソコンが、最初に、ちょっとしたパスワードを聞いてきただけで、それはWi-fiを操作すればすぐに出たので、まあ、何とかなりそうな感じだった。すったもんだの末に、三号機の初期設定は、済んで、これまでの蔵のパソコンと、そのまま、同じMicrosoftのデータで使えた。で、色んな設定が、ネットでどんどん送られてくるので、つぎつぎやっていて、結構、時間がかかった。今回初めてNECのパソコンを買ったのだけど、打鍵はし易くて、まあまあ。それと、タッチパネルの仕様が、最後に職場で支給されて使ってたパソコンと同じだったので、あんまり困惑しないで済んだ。後はファンクションキーの無いことに慣れるのみだなぁ。これも、職場の最後のパソコンが、ファンクションキーの無い奴で、結構不便だったから、なんか慣れなきゃなぁ。。。ついつい、慣れてたF7とかF10とか、押してしまうんだよね、とっさに。職場の時と違うのは、それで失敗しても、仕事に響かないってことかな。友達に聞いたところでは「初期はフル充電ではないかもしれないから、取り敢えず充電な。」と言われたので、今は、三号機は、お休み中で、古い一号機で入力している。今朝は、そもそも家の二号機で、入力したし。今まで、なんの困難も感じずに適当にほろほろやってきたのは、いざとなったら、職場で誰にでも聞けたからなんだな。現物持ち込んで聞けたもんな。そもそもそんなことさえ、せんでも すんどったんは、奇跡的に、なんとかなってきてたからやな。Windows10までは、初期設定の段階でネット環境を気にせんで良かったし。その後は、差し込むだけのポケットWi-fiを、実家でも使えるdocomoで使ってきてたし。実家のあたりは、まだ、docomoしかアンテナが立たない・・・スマホの時も、姪と同じにすることで、何とかなったし、その上、転勤してきた同僚が、全く同じ機種やったし・・・なんでも、気軽に聞けた。今、私には、社会がないので、電話で恥ずかしいような初心者な内容も聞ける友人は得難い。「今度買う時は、ヤマダ電機にしてよ。私は息子のゲーム用のパソコンを買った時、全部してもらった」と、お叱りを受けた。その通りでございます。。。反省しております。。。今度買う時は、家から一番近いヤマダ電機で、全部してもらいますわ。思い返せば、一番最初にUQの契約してスマホ買った時、ヤマダ電機で、全部してもらった。そうでした・・・そうでした・・・スマホやったら、最初から自分でするとか思わへんのやし、パソコンも、自分でなんでもするって思わなええんや。今回、パソコンの不調から、色々と周辺の不調も見えてきたけど、一番びっくりしたんは、まだ、何年もつこてなかったプリンターが生きとったことで、カラーコピーとか、インク2色入れたら、きちんととれた。二番目にびっくりしたんは、そのプリンターに、パソコンからのデータは届くのに、コピーとちごて、パソコンのデータの黒い字は印刷されへん!コピーは、カラーで、完全に、インクも入れて、できてるのに、しかもデータはパソコンとちゃんとつながってるのに、yahooの赤い字だけ印字されて、肝心の黒い文字は出ない・・・いや、かすかに1ミリ程度の幅で、薄い線が出る。なんなんやぁ。。。それと、スマホのGmailが、キャパオーバーで、もう20日近く受信できなくなっていたこと。知らぬこととは申せ、恥ずかしい。警告メールが2度も届いたのに、意味が分からず、放置しておいたら、5月23日を境に、ぷっつり。しかも、それが、Gmailなんか普段使わんし、見んし、全然気にも苦にもなってなかったのに今回、いきなり、Microsoftからの最初の確認メールがスマホに届かず、2台持ちのガラ携の電話番号のお陰で、なんとか初期設定ができた。。。後で深夜に、原因がわかって、5月23日以来のメールが一気にとどいた。明日、警報級の雨の中、UQ行くんかって思ってたけど、行かずに済んだな。反省ばかりの、そして反省することが増える一方の日常だ。ユダヤの民話に「ありがたいこってす」っていうのがあって、絵本を持っている。今の状況は、これだ。自分が置かれている困難な状況を、忘れるほどの困難が次々にやってくると、それらを取り除いた時に、元々の困難な状況が、楽に感じられる。
2024年06月17日
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自宅の冷蔵庫は、まあ、現状を維持できていて、さすがにドアの負荷も減ったので、頑張ってもらおう。ところで、カルタの蔵にも、小さいながらも冷凍庫の独立した冷蔵庫がある。いや、昔の学生のアパートの冷蔵庫って、冷凍庫は独立してなかったから。。。でも、これがまあ、安けりゃぁ良いだろうってくらいの感じで買ったので、当時は、夏の飲み物とか、販売される野菜や果物を、冷やしておくくらいの感覚だった。蔵を買った時に、ついでに買った一連の家具と同じ安物で、まさかこんなに使うとか、買った当時は思っていなかった。当然、自動製氷機などは無いし。。。蔵を買ってすぐに、私は前十字靭帯断裂の大怪我をしたので、蔵も、冷蔵庫も10年選手だ。買った当時から冷蔵庫は安物感満載だったが、今も元気に働いているし、これに関しては、壊れたら、すぐにでも買い替えようって思えるようなものだが、まあ、物もちがいいのと、今までもそうだけど、蔵に居る時間が限られているから、一日のうち、ドアの開け閉めをするときが少ない。これまでに2度、ドアがちゃんと閉まってなかった事件があった。が、まあ、本体の責任ではなくて、私の深夜の時間帯の不注意に起因するので、2つの原因については以後十分に気を付けている。ところで、今まで、冷凍室内に、氷を作ることをしないで来たのだが、この間、ちょっと買った枝豆入りの豆腐、充填豆腐だったのだが、その1口サイズの入れ物が、普段買っている豆腐の入れ物に丁度、縦横丁度で2つ収まる。小さな片手の平よりも小さな製氷皿の出来上がりだ。ほんのちょっとだけ氷が欲しい時、ジャストのサイズで、且つ、私の使っている500㏄の水筒にもばっちりするんと入る。取り出してちょっと押すだけで、プルンと外れてくれる。実に愉快だ。なんの力も、苦労も無く、何なら、次のを準備することを急がないなら、手も濡れない。稲美町の水道は、美味しい。その水は、加古川のと違って浄水器を通さなくても美味しい。それと、お取り寄せの粉末緑茶が有って、20年選手のステンレスの水筒が有って、ジャストサイズの氷が有れば、飲み物代は只じゃん・・・いや、タダではないけど。そもそも加古川に越してきて以来、40年近く、浄水器のお世話になっている。アルカリイオン水を作るというパナソニックの製水器を使って、アルカリイオン水を作り、それを使って水出しの三番茶を作って、ずっと飲んでいる。血糖値の上昇を穏やかにする働きが、水で抽出した三番茶には期待される。三番茶は安いのに、水で出すと、美味しい。水で時間をかけて抽出するから美味しいのであって、かつ健康茶。これが基本の飲み物で、それを飲み切った日には、我慢して粉末緑茶を飲んできた。これも同じ会社の、静岡県の掛川のお茶だ。お湯で出すのは、茶カテキンの抗菌作用・抗ウイルス作用とかを期待する時でそれ以外は、水で出す。その私の水分の補給に、欠かせないお茶を、豆腐のパックが助けてくれる。あの日、棚から、豆腐のパックが私を呼んだんだ。半額だよ~~~って 甘いよ~~~って。だから、買った枝豆入りの充填豆腐。60gずつの小さな6つのパックが連なった。でも、普段は、高くて買わない・・・国産大豆じゃなかったし。あの日も、本当は緑の大豆で作った豆腐が好きなんよねぇ・・・って思いながら、買った。でも、買って良かった。甘くておいしかったし、ちょっとずつ(60g)食べられたし。偶然の出会いに感謝。起きてすぐに飲む、膝のための飲みものがある。森永の製品だ。タンパク質を含んでいる。125mlのパックに、10gのタンパク質。これと、ミルミルの3.2gと、ジョアの4.1gカゴメの野菜ジュースからも、1.8g以前は、朝と昼だったけど、今は、ブランチ。このたんぱく質が、19g摂れてるのは、実は想定外だった。晩御飯できっちり摂れていると思っていたが、森永のコラーゲンドリンクが、10gっていうのは、二度見した。膝の為には、コラーゲンとか、プロテオグリカンとか、せっせと摂りたい。それで、朝は森永のを、夜はサントリーのを飲んでいる。この他にも、サントリーのサプリをずっと続けている。ともあれ、食品の成分表示を見てきたつもりだったのに、森永のドリンクのは、意外過ぎて気にもしていなかった。コラーゲンの値を、サントリーのと比べては居たけど。普通に歩く。普通に見えるように歩く。実際には、半月板も摩耗して、前十字靭帯は切れたままの左膝。老後の入り口に立って、食べ物を吟味しながら、ちょっとずつ、あれこれ考える。何かを減らすなら、何だろうなぁ。。。って。
2024年06月16日
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今年から始まった素浪人無職マラソンの、巨大支出 第3弾! 「住民税」!!!昨夜帰ったら、届いてましたわぁ・・・封筒が。なんか、特別徴収っていう年金からの引き去りを取り敢えず置いといて、普通徴収っていう方法で4回分。1年間の合計は256300円これを 7月 1日までに58300円と次回は 9月30日までに66000円、次は 12月 2日までに66000円、最後は 1月31日までに66000円。年金からの引き去りは第3期から可能になるだろうから、そうなったら、年金から自動徴収かな。分からない。市からの文書にもなんかごたごた書いてあるけど、わかりましぇ~~~~ん。取り敢えず、年金が、普通に定期支給日に支給されるのは、早くて8月、普通は10月だろうから。第一期、第二期は、金融機関で振込用紙で納めてね・・・ってことだな。でも、送付されてきた用紙は、4期目まで全部入っている。256300円という住民税の根拠は、昨年度の給与所得に特別支給の年金の所得があるからだ。でもまあ、かねて聞いていた、退職直後の年収マックスの時と違って、多少とも、クッションが効いている。それに、3月に慌てて払い込んだ健康保険料が、33万円近かったことを思うと、精神的な痛みは経時的な覚悟の定まりもあって緩和されている。年金支給開始年齢の変更に伴う、段階的な措置が続き、まさにその渦中にあって、翻弄される。私は63歳から特別支給の厚生年金が支給開始だったし、かつ、同じ年度でも、直前までの人は、全額支給停止に近かったのに、支給停止は、一部だった。一部と言っても、まあまあな金額だが。1歳下の元同僚は、経過措置のために特別支給は64歳からで、その代わり、ボーナスも均した数字が、月額50万を超える分だけのカットになった。私たちの一部支給のカットラインは月額47万だったから、彼の手取り額は、少なくとも3万は高い。そもそも彼は、大学院卒の専門職で本俸も高かったし、手取りもずっと10%高かったから、50万円でもカットかもしれない。昔の同僚で、年金生活のために管理職を目指して、給料を上げたいと言い切った人居たなぁ。偉いなぁ。しかも退職後は大学の教員になってたなぁ。根性あるなぁ・・・私なんか、両親を見ているから、年金だけでも、子育てと家のローン終わったら、生きられるって。そんな感じだった。実際、仕送りとかしなくても全然大丈夫で生きてきている。次は、次回の介護保険料が案内されてくることだろう。取り敢えず、第一期は、コンビニででも、払えるから、払ってしまおう。パソコンは、予定通り、今朝、届いた。amazonだから、ちゃんと玄関ドアの脇に、置き配されてたわ!気力が沸いたら、明日開梱しよう。初期設定って、どうすんだっけ・・・ま、いざとなったら、ヤマダ電機に持ち込みかなぁ。データ移行とか・・・って、今までしたこと無いなぁ。そもそも、このパソコンに前のデータとか移行してないし・・・なんなんだぁ???って状態ですね。今日は、冷静を保って、取り敢えず、早く寝よう。今日の目標は、いつものように、今日のうちに寝る!
2024年06月15日
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昨日、家に帰ったら、なんか、冷蔵庫が変。開けてみると、中にいっぱい露がついている。ドアポケットからは、雨だれの滴のように。庫内も、露で水浸し・・・これは、相当長い間、ちゃんとドアが閉まっていなかったからだと考えて、慌ててキッチンペーパーで取れる水分は全部取った。しかし、ドアは、ちゃんと閉まらない。この冷蔵庫、ドアがちゃんと閉まらないのは2回目だ。三菱の大きな冷蔵庫で、冷凍庫も冷蔵庫もよく冷えるし、野菜室も良好。なんだけど、前にも一度、閉まらない時があって、その時は、仕事から帰ったら冷蔵庫がグルグル巻きにして、ビニールテープで止めてあった。そのビニールテープが、絶縁テープで、真っ赤だった。20年近く前なのに、鮮明だ。あの時は、冷蔵庫のパッキングが完全にべろべろに緩んだ状態だった。見たらわかるやろう!ってくらいだったのを思い出す。今回も、ドアのパッキングが緩んでいるんだろうと見当をつけてみると、扉の取り付け側の下の10cmほどが、へんな形にめくれている。それが、引っ掛かる形になってきちんと閉まらないのだろうと、判断して、その部分のサランラップを乗せて、閉めながらめくれたところを矯正した。でも、まだうまくいかない。仕方ないから、サランラップをドアのパッキンの左右に密着させて、応急的に冷気の漏れを止めた。状態を説明してメモを付けておいたが、私が起きた時には、元夫君は、朝の食後の睡眠中だった。早朝に起きて、散歩して、途中の公園の和式トイレで排便して、帰ってきて、朝ごはん食べて、寝る。今日は、この間に「洗濯機回して」、「洗濯物乾して」、が挿入されているが。まあ、寝ていたので、放っておいた。その後起きてきた気配がしたので、パッキンが緩んでるから交換してって言ったら、冷蔵庫を買い替えるって話をするから、いや、パッキングの緩みや弛みが原因やからって言ったら、元夫君が、いつものように、わけのわからん大見栄を切り始めたのでもうええからって、自分で、三菱に電話をかけたんだけど、なんせ21年も前の冷蔵庫だから、パッキンなんて置いてない。9年が取り置きの期限らしいし、何より、パッキンの交換は2年おきって・・・書いてあった。新しい冷蔵庫で、パッキングが代替できるものがないか聞いたけど、「無い」とのことだった。無いなら仕方ねぇなぁ、自分でなんとかするかぁと思って、透明なテープで変形したねじれ部分を元の形に固定した。念のため、外周を見ると、扉の下部のパッキンも緩んでいる。こら、あかんわって思って、扉と、パッキンの上部をさらに2か所テープ固定して、ドアが密着できるように直した。いやあ、密着すると、こんな感じなんやねぇ・・・って感動。直ったので、元夫君を呼んで、見せて、次壊れたら、買おうということにした。65歳の私だって、あらゆることが面倒なのに、74歳になろうという元夫君が、面倒くさくないはずは、ない。どんどん、色んなことが、面倒くさくなっていくのだと分かる。昨日、蔵を出るまで、自分のパソコンの買い替えのことでいっぱいいっぱいだった。ところが、家に帰ると、冷蔵庫だ。緊急非常事態じゃん!途端に、面倒くささが切り替わる。。。そうかぁ、こう言うことのための貯金も用意だなぁ。高齢家電対策費。。。ヒス起こす元夫君の様子は、見たくないものの一つだ。。。ところで、今日、話をして、当の本人は前の、パッキンが緩んでドアが閉まらなくなった時のこと、何も覚えていないとはっきりと言っていた。あんなこともして、覚えていないのか・・・助けてもらった恩も忘れたのか・・・バカやろ!って思っている暇はない。老化は、進行する。朧化も、進行する。家電も、建材も、あらゆるものは経年劣化する。備えの一歩は、まず現金やなぁ。次に貯金、信頼できるカード。つながるネット、通じる電話。。。
2024年06月14日
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三日っていうのは、子供のころから三日坊主として知られる自分には親しみのある言葉だ。注意欠陥障害多動っていうのは、まあ、普通は、三日坊主よね。三日も続くのは、それなりに設定日数が長い時。夏休みって、40日間もある。そのうちの最初の三日ってことよ。でも、なんで坊主なんだろう。修行が厳しくて、続かないからかなぁ。。。一日目は、計画を立てて、二日目はそれをやってみて、三日目にはもう挫折しているって感じ。でも、計画は立てているから反省はあるんだけど、開き直りも早いからなぁ・・・それで、計画倒れっていう言葉もあるのだろうなぁ。悟りが開けるのが早いっていいかもだけど、実際には諦観の方の開き直りだからなぁ。。。まあ、あれこれだらだら、する前から言い訳を並べてやらないよりは、思い付きからでも、なんかやってみて、三日坊主でも、二日目はちゃんと前進してるんだから、良しとしよう。うじうじしても始まらないので、パソコンは注文した。amazonは明後日の朝には届くっていうことだから、三日坊主にはぴったりだ。初期設定???知らんがな。今までも、買ってからずっと放置してたことが有った。でも、今回は結構切羽詰まっているので、なんとかするんじゃないだろうか。。。誰が???いや、本人が・・・今回、潰れた三号機も、今調子の悪い一号機も、その前の二号機も、考えてみれば、初期設定は、自分でしたんよ。だって、いつも、通信販売で買うし。docomoのWifiをUSBポートに刺すだけだから・・・いやぁ、それでも、なんか、officeとか、面倒くさかった気がする。けど、もう、注文したし。別に、office使えなくても、困らないような気持になってきたぞ!!潰れた三号機は、結局office入れなかった気がする。入れなくても、三号だから、困らなかったし、職場ではどうせ私物のパソコンからは仕事上の印刷とかできなかったから。ま、深く考えるのは止そう。中学の1年生の時の担任の先生が、「万事即決主義で、深く考えることを好まない」って通知表に書いてた。深く考えて、躊躇し続けると、面倒くさくなって止めてしまう性質だから、軽率でいいんだよ。ついでにあの時の担任の先生Mr.Yanagino 「を好まない」は間違いで「ができない」です。こないだ、晩に帰る道すがら、彼の口癖を思い出していた。「シャラップ」「スタプライティン」いつも授業中に「シャラップ」って言ってたから、それがあだ名になっていた。今の私は、初期設定のうまくいかないことへの予期不安を感じないようにするのが難しい。しかし、老後の毎日は、予期不安の連続線上にあるんだろうなぁ。2月8日にまさかの元夫君の腎臓ガン。そして4月4日の手術。その後の便秘。。。今週の月曜日は泌尿器科、火曜日は耳鼻咽喉科、水曜日は整形外科、右足の裏が不調らしい・・・来週の火曜日、18日は、胃腸科で大腸カメラを久しぶりにやるらしい2年ぶり・・・去年は、先生が、癌で、休院してたからなぁ。元夫君も、不摂生のツケをどんどん払っている。私は、初期の腎臓ガンでロボット手術やしなぁってくらいの感覚だけど、本人にとっては、たいそうな不安だろう。腎臓の7cmほどの腫瘍の周辺の腹腔内は大丈夫っぽかったし。予期不安も色々あるだろうが、それより、実際の不調が次々に来るので、それ以前の軽微な不調は忘れるらしい。。。そんなものかいな。当年とって74歳と言うのは。。。昨日、帰宅したら、郵便物が届いていて、年金額の通知と、年金フォーラムとが入っていた。が、年金額の通知の欄には「繰り下げ待機中」って、印字されていた。こらこら、繰り下げなんかした覚えはないぞ!「手続き中」とか「手続き停滞中」とかやろう???年金フォーラムの方に、カメさんのイラストが、お辞儀して、あだこだ書いてあって、最後に、「お待たせすることとなりますが、ご理解くださいますようお願いします」って。。。8月下旬まで待とけってことね。なんかきたなぁと思ったら、これよ。。。まとめて払うからさ、って。所得税減税に言及しなきゃいけないから、通知書を送ってきたのかなぁ・・・まったく。意味不明な通知書。こういうのは、予期不安じゃなくて、予測不能だあ!
2024年06月13日
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いつもと違う職場で使ってたパソコンを久しぶりに立ち上げてみたら、4月19日に液晶が壊れて、横に筋が入ったのの記念写真を撮ったんだけど、さらに一層悪化していて、げんなりしている。ちょうど、今打っている行のところが、最初は液晶一列と部分的に2列目3列目がほんのちょっと。だったのに、今日、立ち上げたら、最初のところよりも下にも上にも黒い部分が2列か3列増えている。その上、電源入れる前から、なんか、画面の左端に、10円玉を上下ちょん切って張り付けたような液晶の欠けが見えて、嘘やんと思ったら、これが、現実でした・・・電源入れたら、もろに欠けてた。。。これは、もう、本当にあかんやつやなぁ。。。終わったなぁと、思った。取り敢えず打鍵はできるが、もう、あきらめよう。そもそも、中古のパソコンなんか買うんじゃなかったと、アマゾンで買った時に後悔したけど。ずっと前から使っていた家のパソコンよりも、劣化が激しいなんて、どういうこと???と、安物買いの銭失いという言葉を思い出した次第です。第1パソコンでも、第2パソコンでもない、第3パソコンの分際で、先に壊れるなんて。一生のうちで、もうパソコンを買わない!なんてことは、ありえないから、どうせ新しいのを買うけど、なんだかなぁな、気分です。第1パソコンも不調だけど、うんざりしつつも、買い替えを躊躇していたが、この10円禿を見て、とうとう買い替えを決意したわ。思えば、もし、スマホが無かったら、もっと早く買い替えを決めていたろう。スマホで、ネットに繋がるようになって、パソコンが不調でも、スマホで調べられるから、ちょっと心に余裕がある気がする。6月の買い物は、カード決済なら支払いは7月だし、気にせずに買えるから本当によかった。またDynabookかなぁ
2024年06月12日
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なんか、寝そびれて、ちょっと辛くて、でも兎も角、断続的にでも7.5は寝た!それから、南向きの窓に、遮光用のシートを貼り付けた。これからの暑さ対策。私の寝室は、東南の角の部屋だから、朝からもう、滅茶苦茶日が当たって、暑い。で、今まで、日中はいなかったから、毎年夏になると、ベランダ側の南のアルミサッシに遮光シートを付けてきた。紫外線カットと断熱効果のあるはずのカーテンも吊るしてあるけど、そのカーテンとガラスとの間に、車のフロントガラスの遮光シートを付けてる感じ。これを付けると、一気に室内は暗くなるけど、基本的に寝に帰るだけだったから、苦にもならず。今年、今までと違って、朝から仕事に出かけたりしなくなって、どうしようかなって思っていたんだけど、まあ、いいかぁ、省エネになるしなぁって。。。朝から、天井近くに設置した扇風機をかけて、安いプレハブ住宅の悲哀を噛みしめている。やたら寝にくかったのは、覚悟が足りないからだなぁ。。。働いてた時なら、さっさとエアコンをかけて、室温を低くして、布団を着て寝ていた。翌日の仕事に差し支えてはいけないからね。それを、しないから、寝苦しいのではないだろうか。あんまり、薬増やしたくないしなぁ。昨日の晩御飯の続きで、今夜は、料理しなくても、豪華本格中華だし、本当は火曜日は買い物に行く日なんだけど、もういいかぁって思えて。買い物にも行っていない。明日も、まだ、本格中華の残りが待っている。食料品はしばらく要らんかも・・・なんだか、急に台所仕事をするのが億劫な暑さになってきたし。蔵の台所は、西日がカンカン照りになるから、そりゃあ暑い。オーブンや、直火を使った加熱調理は、したくない季節が早くもやってきたのかぁ。午後9時で、気温26度 湿度56%だけど、これは、除湿器をかけて実現している湿度。ただ、エアコンの除湿機能と違って、本格的な除湿器なんで、むしろ稼働中は暑い。。。毎日、自宅でも蔵でも、恐ろしいくらいの除湿器の水を捨てる。自宅の除湿器は、和室2間14畳分を除湿しているからなぁ。。。家を建てた初めての夏、梅雨時に、1階の和室は畳がカビた! 本当にびっくりした。生まれて初めて、畳にカビが生えたのを見た。新築の家で、畳、カビる???悪夢だった。だって、日中誰も居ないから、閉め切って出勤するやん・・・あの日、カビを掃除しながら、本当に怖かった。風呂の黒カビと違って、畳のカビは、白かった。。。風呂の黒カビの方が、絶対まし。勿論、そんなものは、許されないけれども。。。家には、留守を守る人が居ることの重要性を思ったわ。風を通せるように開けておけるっていうのは、すごいことなんよ。今は、黄砂が入るから、むしろ閉め切って除湿器かけることになるけど。。。除湿器、フル稼働中。電気代とか、他で節約するし・・・そろそろ蔵の南面するお勝手口のドアにも、日よけを設置する時期が来たかも。。。晩御飯の後、樋口恵子さんの「老いの上機嫌」という読むにはライトな、そして内容はヘビーなエッセイ集を読んでいた。91歳とか、90歳とか、そういう年齢で、「老い」をどう生きるかというのを、母を考える上で、重要かと思って読んでいる。勿論、自分も、元気に長生きしたら、いや、樋口さんもそうだけど、元気じゃなくても長生きしたら、きっとこの本の内容が助けになるかなぁと思って。89歳で乳がんの手術とか、77歳で胸腹部大動脈瘤感染症の手術とか、車椅子のこととか、補聴器のこととか、さらっと書いてある。墓じまいのこととかも・・・父の胃がんの手術は52歳だったが、父は病名もどんな手術かも知らず、必死で生きていた。勤めに復帰し、車の免許を取りに通い始め、パソコンを導入して翻訳の仕事を加速させていった。考えてみれば、家を建ててたった12年後くらいの癌だったのだ。胃は全摘で、食道から小腸に繋げ、リンパ郭清は必要なところは全部したし、脾臓も膵臓も取った。膵臓をどうとったのかも、わからないが、糖尿病が劇的に悪化する中、胃部全摘の後、本当に気力だけで生きていたと思う。でも、そこからは75歳以降に、軽微な脳梗塞とか、心筋梗塞でペースメーカー入れるとかになるまで、まあまあ、父は頑張っていた。頑張っていない父を知らない。頑張っても、頑張っても、どうしても勝てなかったのが、糖尿病だったと思う。でも、全摘迄した胃癌を克服し、最後まで清明な状態を保って、翻訳もし遂げ、父は亡くなった。文字通り、眠るように看取られて亡くなったのだ。お医者さんからは、いつ死んでもおかしくないし、生きてるのが不思議なくらいと言われる状態だった。気力だけで、生き切ったなぁと思う。母は、今、また、ちょっと気力を取り戻しつつある。こうなったら、100歳越えだぁと、目標を106歳に設定しているが、7月に91歳になる。樋口さんが「ヨタヘロ期」と名付けた状態で、「ただ立っているだけでふわ~っと転ぶことがある」っていう加藤シズヱさんの言葉も、70代の樋口さんには良く分からなかったことが、今は分かるっていうのが、すごく学びになった。母の為であることは、つまるところ自分の為であるので、しっかり意識して生きよう。今は体感としてわからないことも、やがて分かる日が来る。その時に、今が、一番若いから、今から備えるのだと分かった。
2024年06月11日
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今日は、(って言っても、日付変わってるんだけど、)起きたら、スマホにlineのメールがいくつも入っていて、ま、ひとえに、寝てて反応しない私が悪いんだけど、要するに、こないだlineで繋がった卒業生のお母さんからと、彼女からと、今夜の晩御飯へのお誘いだったのだわ・・・急だから、いつも。大抵当日の昼間、「今日、お料理作ったから来て」ってなるんだけど、今日は、昼間じゃなくて、朝の内だったけど、私が、寝てたから、気づくのが遅かったわけで、で、色々調整もあるから、6時半くらいにってお願いして、それまでにすることは済ませて、出かけました。色んな事を、卒業生の子のことで聞けたし、家族との初めての出会いからのことも振り返れたし。 頑張って予定を整理して出かけて良かったって思います。でも、もう、お腹が、いっぱい過ぎて、苦しくて・・・いつも、食べきれなかった分はパックにつめて持たせてくれるから、さらに明日も、同じものを爆食することになりますね。。。初めて出会ったときから、もう23年が経って、17歳の中学3年生だった子が、41歳で、ママになる日を待っている。。。夢のような、色々なことがあったけど、お父さん、お母さん、彼女も、お兄ちゃん(この子の高校と大学進学の費用とを、私と父が支援した)も、よく、心折れずに、頑張ってここまで来たなぁって感じです。卒業生の子に、旦那さんは何歳年下なん?って聞いたら、4歳と言っていた。そうかぁ、学年は1つしか違わないけど、年齢は4歳違うのかぁ。高校入学した時点で、18歳だったからなぁと、大変だった彼女の中国でと日本での中学時代を思った。お母さんは、まさか、自分の夫はおばあちゃんの五男だったのに日本に来る家族に選ばれるなんて思わなかったろう。来てからも、肝心の夫が鬱病で苦しむなんて想像もしなかったろう。今日、食事をした部屋も、初めて食事に招かれて一緒に食べた時と同じ部屋。あの時、まだ、おばあちゃんが使っていた部屋だった。おばあちゃんと話したなぁ。おばあちゃんは中国では日本語をしゃべらず、日本に帰ってからは中国語をしゃべらなかった。だから、家族は、日本に来てから、全く知らない日本語を勉強した。お父さんは、完全にメンタルやられてて、辛い時期だったけど、お母さんやお兄ちゃんの頑張りで乗り切ってきたし、おばあちゃんが、自分が生んだ子をみんな引き取りたいって言った時には、卒業生の子が、あらゆる手続きをしてくれた。最初のうちはまだ本当に介護福祉士として勤め始めたばかりだったし、大変だったと思う。偉かった、よく頑張った。彼女の頑張りのお陰で、いとこたちもおばあちゃんと会えて、おばあちゃんが亡くなる時には、もう、みんな日本で暮らし始めていた。一番最初に、その懸け橋になったのが、実の娘ではない、お嫁さんだったのだから、偉いと思う。おばあちゃんも熱心なクリスチャンだったけど、お母さんもそうだった。だから、宗教的な熱意や愛が、一家にあったなぁと思う。卒業生の子は、いとこたちがみんな大学に行きそれぞれに経済的にも豊かになる中、自分だけが、専門学校卒だったけど、本当は高校卒業時点で、就職を強く勧められていた。だから、お兄ちゃんと同様に、進学していいよって支援してあげることができて、今の資格を持って、仕事を選べているところが、良かったと思える。高校出ただけでは、一度仕事を辞めると、次に条件が下がるけど、彼女は、条件を下げずに選べる。いざとなったら、っていうことが、資格をちゃんと取れたから言える。そして、今があるよねぇ。2度の流産があったらしい。それで、一旦仕事はやめて、取り敢えず、妊活ってなったと。そうかぁ。それで、5ヶ月まで黙っていたんだなぁ。最初の妊娠の時、すぐ流産したから、それで、2度目の時はそもそも言わなかったらしいし、今回も、安定期を待って、やっと、母の日に、私に伝えたんだねぇ。私は、嬉しいし、心配でもある。病院のことなども、詳しく聞いた。できることなら、本当に、今すぐにでも入院して欲しいくらい心配している。10月4日が予定日と言っていたけど、もう、夏の暑い時期を入院しててほしいわ。。。お兄ちゃんのとこの上の子は、来年は中学生だし。。。色んな事が、家族の上にある。何が有っても、できる限りのことはしたいと思っている。そうやって、どんなときにも、一家を支えられたらと思う。無くなった私の父が、ずっとお兄ちゃんのことを気にしていた。樺太からの引き揚げでも、台湾からの引き揚げでも、沢山の人が死んだ。帰れなかった人も居る。父にとって、この一家を支えることは、自分の人生を支えることだったと思う。私も、だから、命ある限りは、支えになりたいし、また、その存在を支えに、自分が生きていたいと思う。父が、仕事で知り合った中国人の息子(彼は中国で日本語を学んでいた)を迎え入れ、広島大学の大学院を終えるまで支援した。仕事で知り合った時、中国の大連で、相手の中国人は、日本への留学体験があるインテリだったため、文化大革命以降、長く下放されて苦しい時代を生きていたと聞いた。実際、日本にもそのお父さんもやってきたことがあったが、流暢な日本語だった。この二人の父親たちはもうこの世には居ない。その息子の彼も、もう、60歳で定年を迎えた。二人の成人した息子がいて一人は働いている。二度と、中国への出張はしないで欲しいと、心から思う。何があるかわからな過ぎて、怖いから。時間は流れて行く。人の命にも限りがある。次の世代、次の世代へとつながっていくことは、ありがたいことなのだと思う。自分の命が有限でも、つながる命がそこにあるなら、記憶にも残るだろう。語り継がれるうちは、少なくとも、誰かの記憶に生きている。私は、父の生きて、誰かのためにそっと手を差し伸べ続けた事実を、少しでも長く、覚えておいて欲しい。それは、引き揚げ後、父の教育の為に苦労を重ね、終戦直後、若くして亡くなった父方の祖母への鎮魂でもある。父や妹は、中国語を話せるまでになってたけど、私は、全くダメなままでした・・・遺伝ではなくて、個体差ね。
2024年06月11日
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昨日の晩から降り出した雨は、大して量は降らなかったが、まあ、潅水とは違って、雑草の上にも恵の雨だったと思われる。明日は、ちゃんと草刈りを頑張ろう。今日は、庭のヤマモモの木で、小鳥が騒いで、なかなかにぎやかだった。木が茂っているので、声だけではわからないけど、ヤマモモの木からだとはわかった。昨日の真夜中とか、雨の中でもほととぎすが鳴いているのが聞こえたから、まあ、色んな鳥のにぎやかなさえずりを聞くのは良いものだ。今日は、第二日曜日で5%割引の日で、かつ、スマホでイオンの決済をしたらポイント10倍dayだと。なんで、1週間分のヤクルト製品をまとめ買いした。どうせ買わなければいけない定期購入品なら、こんな時に買うべしだ。ジョアとミルミルとヤクルトと・・・買い物に出る前に、元夫君に会ってしまい、仕方なく通院の予定を聞いたら、月曜日は、泌尿器科と耳鼻咽喉科に両方行くらしい。18日は大腸のカメラが予定されている。整形外科やら、胃腸科やら、忙しいことだ。予約が、ネット予約優先になっている胃腸科では、滅茶苦茶待ち時間が長いらしい。面倒な世の中になったものだ。私の受診するのは、今のところ心療内科だけだから、ネット予約っていうのは、想像がつかない。出来そうな人は、通ってこない気がするよ。私も、1月に1度の診療日に次回の予約を入れている。後期高齢者夫婦で来ているところとか、すごいおばあさんを私くらいの娘が連れてきてるところとか、大抵、付き添いは女性だが、最近は、平日の昼間に予約入れらるようになったので、益々患者の高齢者とよく会う。今までの勤務時間後のギリギリの受診だと、仕事帰りの人も居たろうが、まあ、そんな時間帯を避ければ、私が若手の患者ってことだ。元夫君は、ネット予約の申し込みも、パソコンでやっているようだけど、普通、スマホ持っていたら、スマホでさっとできるからなぁ。相変わらず、使う時だけ電源入れている我儘な使い方だからね。母の定期メールに寄れば、梅雨入りしているらしい。日本列島、西から梅雨入り?テレビを観ていないから、情報弱者な私だ。元夫君に、バナナ食べ過ぎやろ?って言ったら、そんなことはないって言ってたけど、朝2本昼2本なら、それだけで4本。って言ってから買い物に出て、冷蔵庫にしまうものを入れに戻ったら、2本は残してあった。買い過ぎなんちゃう?本当に何でも、極端だから。彼の使っている専用レジかごの中には、まだあと2房、9本も残っている。そうして、火曜日と土曜日とには、また2房とか3房とか買う。リンゴも小なりとは言え、一日何個食べるんやろ。。。ゴリラ???その食生活で、かつ便秘っていうのは、有り得ないと思う。ご飯と卵と納豆と酢玉葱の朝・晩と、トンカツとかとブロッコリーとご飯との昼ご飯。お米も、胚芽米だし。牛乳に野菜ジュースも毎朝、飲んでいるし。運動もしっかり歩いているし。一日毎朝、一回っていうのは、譲れない便秘ラインらしいが。植物性の油、荏胡麻油とか、亜麻仁油とか、オリーブオイルとか、加えてみるか?機能面で、腸が劣化してくると、便秘になりやすいらしいが、どっかに、大きなポリープでもできてたら、面倒くさいと、思ってしまう。基本的な生活習慣を抜本的に見直して、日中の、朝食後の朝寝、昼食後の昼寝を、止める努力をして。と、思うけど、まあ、人生は彼のものだし、夜が夜間頻尿で続けて眠れないのも知ってるし。この悪循環は、どっかで立つべしなんだろうが。その悪循環の中に私の時間を取り込まれたくないだけなので、深入りは避けたい。今日は、ちょっと、自宅の庭のニラを摘んだ。大きくて、やわらかいニラの、2度目の収穫。気が付けばもう9時を回っている。室温24℃、湿度58%11時までに、今の仕事を切り上げて、今日は、帰宅したい。
2024年06月09日
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朝のうちから、なんか、不調で、午後、買い物を済ませて蔵に来てから、左足のふくらはぎが痙攣した。昨日の晩、寝る前に、右には不穏な感じがしたので、右の脛には湿布貼っておいたけど、左はそうでもないかなって思ったら、甘かった。真昼間に、ふくらはぎが痙攣するなんて、そうそう有っていいいいことではないぞ。違和感を感じてから、まず、芍薬甘草湯を一服して、それから、更に湿布を二枚。なんとか収まっているけど、ちょっと困ったなあ。今日は、なんか、暑い一日だったから、下肢のいつもつけているサポーターを膝だけにしてた。だから、思いがけず、ふくらはぎが冷えたのかもしれない。兎も角、蔵に置いてある、新品のレッグウォーマーを左右につけて、保温している。今朝は、そんなたいそうな庭仕事をしていなくて、買い物も、軽く済ませていたし、なんで、下肢が拗ねてるのかというと、やっぱり昨日と今日との立ったりしゃがんだり?かなぁ。本気で、筋肉を強化しないと、危険かもって思った。そう言えば、6月7月8月と、帰省の時に必要になるなぁと思っていた大き目のペットボトル、奇跡のように4つも手に入った。スーパーの出口付近に、ペットボトルの回収箱があるのだけど、丁度、私が通りかかった時に、無理やりいっぱいになってる回収箱にでかいのを入れようとしてた男性。入らないから苛立っていたんだけど、私が、「それ、下さい!!!」って頼んで、無理やり入れようとしていた大きな焼酎のボトル、4つも、それも下さい、そちらも下さい、さっきのも下さいって、もらったので、彼もすっきり、私はにっこり。大助かりだ。これで、給水用のボトルの目途がだいぶ立った。500ccのペットボトルって、1日も持たないからなぁって思っていたけど、あのサイズなら、4日はOK。それは、嬉しいことだった。ついでに、もう少し、水やり当番を買おうかなぁ。そうしたら、7月の5日間や、8月の6日間も大丈夫になりそうだ。。。?帰省は、やぶさかではないが、枯れる植物は見たくないからね。雨が、降る音が聞こえる。支度をして、ちょっと早く帰ろう。今日は、母の日以来久しぶりに、卒業生の子に会えた。妊娠6ヶ月になっている。案ずるより産むがやすしって言うけど、彼女の場合は、本当なら、もう入院して出産を迎えて欲しいくらい。41歳での初産は、そのくらい、妊娠継続も、出産も、産後の子育ても、不安でいっぱいだ。つわりが落ち着いてきたという。乳がんの手術の時の抗がん剤の副作用を思えば、どんな辛さも我慢できるのだろうが、胎児は、一瞬一瞬も気を抜けない状態だと思うので、ハラハラする。今日は、lineの交換をしたくて、彼女の部屋まで会いに行った。外出から戻ったら、連絡してねって、今までのガラケーからメールしてたんだけど、お互いのために、lineの方が、絶対に便利だからね。31歳でも、癌の治療を経ての、流産を経験しての今の状態なら心配する。まして、41歳だ。。。神様、お願いです。無事に、産み月を迎え、産声を聞けますように。天国の、おばあちゃん、あなたが祖国日本に、中国から連れてきたあなたの孫を、その胎児と共に、どうか、守ってあげてください。彼女の乳がんを助けて下さったように、この、妊娠が、幸福なものとなりますように、お守りください。
2024年06月08日
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普段、私は、夜中にっていうか明け方に目が覚めても、トイレに行くことはないんだが、今朝は、不覚にも、トイレに行きたくて目が覚めた。これって、本当に「不覚にも」ですね。だって、私の二階の部屋のベッドから、一階のトイレまでは、寝ぼけてては行けませんからね。かと言って、二階の元夫君専用トイレを使うのは、断じて嫌ですから。でも、でも、今朝は、覚悟してトイレに行って、そのまま、もう一度寝て、7時間半、寝ました。反省がまだ生きているので、そこで起きたんだけど、何もしたくなくて、ベッドに腰かけて、新聞を読んでいました。新聞は、働いている間は、読んでいなくて、代わりにネットで朝日と毎日の会員になっていました。でも、文字情報は大事だなぁと、実家に帰っているときに思ったので、ネットで読める情報以上に、色々な新刊本の宣伝とかを、読むために、広げています。ネットだと、目を背けたくなるような世界情勢とかは読まなくて済むけど、新聞だと、一面にどんと来るので、裏側から・・・読んでいます。で、朝日新聞が、結婚以来の新聞なんで、それを。実家では毎日新聞。母が、まだ丹念に新聞を読むので、朝夕、ちゃんと取っています。新聞の記事で、バックナンバーが気になって一週間前のを読んだりしているうちに、元夫君が病院に出かけて、それから、ブランチを済ませて、庭仕事を始めました。ヘタにブランチをしていると、元夫君が話しかけてくるかもしれないし。庭仕事は、今日の予定を軽くこなして、茗荷のA地点とB地点のうちの、A地点を重点的に。それから、元夫君が居ないうちに蔵にきました。ガソリンスタンドで、給油も済ませて、久しぶりに満タンに。蔵では、給水システムの確認と、後は、古くからの友人に頼まれた牛乳パックの処理のお手伝いを。牛乳パックからハガキを作るっていう工程の、一番地味で大変な部分ですが、慣れない人には、気の毒なところ、黙々と、やっています。冬場は、パックを煮てフィルムをはがしやすくする工程が我慢できるけど、暑くなってくると、この熱処理が辛くなるんですよね。逆に、冬場は、指先が大変なはがす作業は、今の時期は全然冷たくないし、大丈夫。これを、仕事としてやるのは、嫌だけど、ボランティアなら、コツコツやるのは、大丈夫。熱処理するのは、本当は、エネルギーの無駄だから、嫌なんだけど、水だけで処理するのは、今度は、水換えも日にちも掛かるのでいや。一見すると、紙パックからハガキっていうのは、再生利用なんだけど、ちゃんとハガキとして使えるようなものにするのには、絶対的な時間と労力の無駄。仮に、使ってみてもいいかなぁって思えるようなハガキができたとしても、関係者以外は、買わないだろうなぁと思うと。。。だって、字を書くのも、意外と難しいのよ。そんな再生パルプのハガキって。yumiさんの手作り品みたいに、セットでも売れるレベル、高くても買いたいレベルのものを作るのと違って、作業学習で、何かを作った満足感とかそれをパッキングして販売してみる喜びとかそういうことのための下準備だから・・・まぁ、もう一息、週末も頑張ろう。yumiさんの庭の敵と、私の庭の敵とは、ちょっと違うんだけど、タヌキとか、アナグマとか、そっちね。元夫君とか・・・ササとか・・・まだ、個々の虫のレベルではないです。かつて、庭に犬小屋も無く、快適だったころ、枸杞を植えていたら、いっぱいサシガメが来て、ナス科の害虫ってカメムシでした。茎をさされてました。意外なところで、鳥さんたちですね。敵は。勝手に色々な種をまいていくので。白膠木(ヌルデ)の木が生えて困っています。アカメガシワとかは、かぶれないから切ればいいんだけど、ヌルデは、私、かぶれるんで。。。
2024年06月07日
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昨日の反省を生かして、今日は、二度寝までに留めてその時点で起きました。夢は見たけど、ちょっと奇想天外すぎて・・・out!年金も入らないし、給与は無いしで、入金される予定の無い口座が2つもあるけど、取り敢えず、引き落としは毎月あれこれあるので、それに堪えられるように、お金を入れて置かないといけません。それで、今日は、郵便局の通帳に現金を入れに行って、記帳しました。年金生活が始まって、よく聞く、毎月のように足らずが出て、退職金の貯金を取り崩し、とか、大きな引き去りのある月( 私だと年払いの保険とか、税金?・車検 )は赤字だから、退職金をとか。そうならないとは限らないので、毎月の収支を2か月ごとに合わせた上で、大きな金額も捻出??車検積み立てとか、固定資産税積み立てとか、なんちゃら積み立て、かんちゃら積み立て。。。と言うことですね。2ヶ月の収支もわからないのに、果たして、積み立てなんか、できるんかぁ???って限りなく疑問。しかし、まあ、退職金は、5年前にもらってから、今のところ、減っていないので、(そら、退職後も、5年間は働いていたんやから、)これらを切り崩すようになっても、生きていけそうな気がしてきた~~~。毎月10万円を切り崩しても、25年は生きられるとして、今の母の年齢まで、生きたとして。にしても、自分の支給額が分かるまでに5ヶ月は、長過ぎるでしょう???いろんな化粧品の広告が、ネットで流れて来るけど、自分の年金から、毎月10%とか15%とかを化粧品に使うのって、すごいと思う。国民に占める年金生活者の割合がどんどん高くなっていくと、シミ取りとか、シワ取りとか、そんなもののために、勤労者が年金の原資を払ってくれるのかと。今の年金制度は、そういうものだから、1円も払っていない人の分も、勤労者が、負担するのが、3号制度だからねぇ。あの広告の対象者は、どんな生活水準の人たちなんだろう。女性は、何歳まで、自分の外見上の老いを受け入れずに生きるのだろう。シミもシワも無い綺麗な顔で、90とか100とかまで生きるとは思えない。どこかで、折り合いをつけるはず。健康では居たいと思うから、サプリも飲むけど、お肌の張りよりは、膝の痛みが軽減される方が、私には重要だな。ベランダの 大葉やパセリ 摘みながら 老いていくのも 幸せかなあ明日は、自宅の庭の茗荷の周辺を徹底的にやろう。茗荷まで刈られてしまったら、恨めしいからね。庭の桔梗 オカトラノオも 初霜も 刈られ消えけり 心無き手で老いて猶 言葉の棘も 行動も なんでこいつは ここに居るのや居りたくば 悔い改めよ 言動を 喰い新たにと 我は言はざり一つだけ 月曜始めの カレンダー なんでそうなん 面倒やんか
2024年06月06日
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昨日も3度寝の起き際の夢で、職場の昔の仲間の女性達と新年度を迎える準備をする夢を見た。登場する女性たちの中には、今も居る人も居れば、遠の昔の同僚も居た。場所は、生徒指導室だった。生徒指導部長は、今の、現実の人だった。強迫観念的な、夢から、早く逃れたい。実は、生徒指導室は、非常勤講師の席が置かれる場所でもあるので、縁起が悪い。何があっても、もう働かないから。それにしても、15年以上前から会っていない人とか、なんで出てくるんだろう。話題にはよく上っていたから、それでかなぁ・・・などと、思っていたら、今朝の3度寝の夢は、もう、圧倒的にひどい夢で、生徒指導中だった。18年前の卒業生と、10年前の卒業生と、どちらも担任もしていない子らなのに、何故か、鮮明に女の子が二人。途中で入れ替わって夢は続いた。喫煙を発見して指導している夢で、もう、本当にこちらが助けて欲しいって思うしんどい夢。18年前の女の子とか、フルネームで思い出した。しかも、およそ、そんなこと、しそうもない子。10年前の子もなんだけど、有り得ない展開なんで、ものすごい疲れた。目が覚めてからも、ずっと、反芻して辛い。なんで、あんな子たちの夢を見るのだろうか。。。喫煙なら、その子と同級生の、同じ中学から来た子で、実際にあったし、でも、あの子は違う。私の脳内に、なんで、笑顔の画像と共にその子の名前が刻み込まれていたのかも、わからない。自分では消去できない脳内の記憶って言うものを、本当に扱いかねる。というわけで、今日の反省点、1、悪夢は3度寝で見る可能性が高まるので、2度寝までにしよう。 9時間と欲張って思わず、7時間半で切り上げよう。庭の雑草たちとの戦いから目を背け続けることはできないので、今日は、ちょっと頑張った。三つ葉を摘んだり、アキノノゲシの脇芽を摘んだりしてから、本格的に除草にかかった。ところが、甘く見ていたヨモギが、1週間ほどで茎の強度が上がり、簡単には切れなくなっている。昨日は、ハサミのネジがまた外れて、途中で嫌気がさしたけど、今日はそんなことを言ってられないので、修復したハサミと、前からあるハサミとで、除草に精を出したが、木質化しやすい草を放置していた自分の甘さを痛感した。ササも、新芽を伸ばしていて、一気に20~30cm。まだ展葉していない新芽に、おののいている。今までななら、地面を見ることも無かったが、yumiさんを見習って、地面を見る努力もしたいので、今日ハサミを入れたところをもう一度強めに刈り取っておきたい。というわけで、今日の反省点。2、植物が夏に向けて茎の強度を上げている。負けないように庭に居る時間を増やそう。3、オカメザサにも新芽が出る。地際から、入念に刈ろう!早い話、3度寝を削って、その分、庭に出る時間を早めにして、長めにとればいいのだが、それを両方できるとは、考えにくい。できない目標は立てないようにしないと、立てた目標に対しての反省が増えるだけなので。。。さて、今日は、カゴメの野菜ジュースの受け取りを設定していて、庭仕事中に気配で気づいて出られた。以前なら、重いとも感じなかったのに、今は、ジュースやコメの配達物を重いと感じる。コメは25キロ、ジュースは何キロだろう。しばらく飲んでいなかったので、久しぶりに市販されていない野菜ジュースを明日から飲むことになる。ちょっと冷やしておこうかな。定期購入品の精選は、重要な課題であるが、カゴメの野菜ジュースに関しては、代替品を見つけるのが不可能と判断して、止めるのを止めた。自分が何歳まで生きるのか、どういう場所で、どういう生き方で生きるのか。不確実で、不透明で、不安定だ。だから、最終的に準備したお金を切り崩して生きていくことになるとして、早く定期支給の年金額が知りたい。2年間は引き去りが始まらない健康保険料とかもあって、一括納入を来年末まで続けて、その後、国民健康保険に移行して、引き去りが始まるだろう。介護保険料の見直しや、住民税の見直しなども、3年後をめどに考えなければ。元夫君を見ていると、介護保険料と健康保険料と住民税とが、一緒に国民年金から引き去られ、所得税は共済年金から引き落とされている。彼は、毎月に均すと17万円を自分の使いたいように使っている。働いていた時よりも、ずっと月の自由になる金額が多いのは、退職金を生活費などに充てていて、まさに切り崩して生きているからなのだが、本人は、なんの不自由も無いらしい。「生活? そんなものは、執事に任せておけ!」と、言う暮らしが、本人の望みだった・・・誰が執事やねん???とは言え、もう、犬も居ないし、遠出もできなくなったろうから、車の買い替えなども考える頃かなぁ。まとまったお金は、手許にちょっとおいて、競馬資金を銀行に入れて・・・何かあった時に、金融機関を使えなくなるので、考えておいて欲しい。まだ73歳。8月に74歳。私は65歳。妹は、63歳。妹の主人は62歳。元夫君と干支で一回り違う。それぞれの老後は、色々だ。妹は25年間勤めて、50歳前に退職した時に「これからはお金に働いてもらう」と言って、退職金で投資を始めてた。着実に稼いでいる。だから、ボランティアとか、したいことをして、生きている。妹の主人も色々と運用しているらしい。心臓や血圧など、健康上の問題もあるので、時間講師もしながら、自分の母親のことも気遣いつつ。元夫君を見ている限り、競馬で損をしていることはあっても、稼いでいるとは思えない。純粋に消費者として、浪費的生活を、彼は楽しんで生きている。週に2度、決めた曜日に、決めた店に行き、決めたものを買ってくる。買ったら、すぐ食べて証拠隠滅を図るのだが、大きなスイーツを2袋ペロッと食べている。台所のゴミ袋に、そのまま袋が捨ててあるので、それと知れる。トンカツを買い込んでくる。トンカツは二日に分けて食べているようだ。体重の管理は自分でしているようだし、まあ、好きにすればいいのではないだろうか。合間の日は、低カロリーのグリルチキンを食べてもらっている。犬を飼わなくなったら、毎月お金が余るらしい。そりゃあ、あれだけ獣医や犬の餌やってかかっていたのだから、当然だろう。それを、自分の食欲に向けても全然OK。だけど、毎日3本とか4本とかのバナナは、食べ過ぎだと思う。リンゴは1つらしい。医師の指導で、果物を食べるように言われて始めたのだが、食べ物だけ見ると、犬のかわりに猿を飼い始めたのか?っていう感じだ。昨日、ブロッコリーが安かったので、上機嫌だった。分かる。198円でも、直前まで298円だったことを思えば。毎日、朝に牛乳と野菜ジュースを混ぜてとろとろにして飲み、朝夕で、納豆2パック、卵、玉葱の甘酢漬け、味噌汁。ブロッコリー、動物性たんぱく質。味噌汁。昼食だけ卵は食べずに、動物性たんぱく質をつまりトンカツとかを食べる。彼が、365日20年間の、犬中心の生活の中で、確立した食習慣を、心から尊重する。卵も、結構いいやつを選んで買っているようだし。ブロッコリーは強迫観念的に食べている気がする。ご飯は特別栽培米の胚芽米。お茶は、自分で浸出する冷茶、三番茶の水出しで、血糖値は優等生だ。
2024年06月05日
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久しぶりとは言っても、自分にとっての買い物は久しぶりって意味だけど、近所のイオン系列のマックスバリュに寄ってから、買い物を済ませて、ガソリンスタンドで1000円分だけガソリンを入れて、それから蔵に行くと言う計画だ。昨日は、日本年金機構からの通知のせいで、なかなか寝付けず、せっかく昨日のうちに帰宅したのに、入眠にすごく手間取った。脳があれこれ考えるせいで、眠りにつけないって感じだな。年金機構からの送付物「国民年金・厚生年金保険年金証書」って書いてあって、厚生労働大臣 職印まであるのに、印字されているのは、Ⅱ 国民年金 決定通知書 の 部分だけ。私は、480ヶ月には25ヶ月不足なので、満額は支給されないってことは、まあ前からわかっていたし、その分5年間の再任用期間中に、経過的加算部分が積み増しされているはず。それは良いとして、Ⅰの 厚生年金保険 決定通知書 の方は、全く何も印字されていない。?????裏の説明を読んでも、同封の説明を読んでも、共済年金加入者(途中から厚生年金に一本化されたのに)の扱いについて、無印字で理由が示されていなくて、っていうか、見つけられなくて、途中で、もう、嫌になって、明日になったら、また電話して確認しようってなって、それでやっと布団に入ったのだ。でも、脳は盛んに活動しているから、そう簡単には休まない。軽く1時間近く、悶々として寝返りを繰り返していた。まさかだから、薬の追い飲みもしなかったので、結構つらかった。で、明るくなって目覚めたら、5時半だった。ああ、4時間半しか寝てないのかと思って、そのまま寝た。次は8時過ぎで、90分寝たことになる。次は、9時過ぎに元夫君が出ていく物音がして、目覚めた。火曜日はいつも9時から買い出しに行っているようだから、それかな、にしては帰って来ないなと思っていたら、買い物の前に病院にも行っているようだ。産婦人科以外は全部かかったことがあると豪語しているから、毎週の予定にも色々な医者が並んでいる。今日は何だったんだろう。ガンの話は次は7月5日のはずだしなぁと思った。昨日の朝、かかりつけの内科医に行って、便秘薬を処方してもらったとメールを寄こしていたから、そこではないことは間違いない。彼の人的交流の範囲は会話の相手に関しては医者か歯医者か看護師か、薬局の人々。今日も、新しく居抜きで入った薬局の人たちの感じが悪いと文句を垂れ流していた・・・以前かかっていた歯医者の悪口も、今日は朝から聞かされた。思い出し怒りならぬ、思い出し悪口。。。もう、全開だった。。。70代も半ばに差し掛かろうとしていて、癌の手術後、便秘で苦しんでいるようだ。便秘っていうのは、人それぞれに基準が違うんだけど、彼の基準は毎朝すっきりらしい。あれだけ排尿の困難を抱えて若い頃から苦しんでいる割に、最近までは潰瘍性大腸炎の下痢こそあれ、便秘は聞いたことが無い。なのに、先月半ばから、急に言い出した。毎朝の快適な排泄が大事なのは言うまでも無いけど、同僚の女性達が週に2回とか3回とか言っていたのを聞いているので、個人の受け止め方なんだなぁと感心する。。。基本、指定難病の潰瘍性大腸炎が人生の半分くらい続いた人だから、便秘って思うのかも。いきむと、脳血管障害につながるから、いきまない方が良いよって、前に言ったら、ちゃんと酸化マグネシウムを医者が出してくれている。腸内環境を整えるのが先だと思うけどね。酸化マグネシウムは、下痢になったら、止めましょうと、医者は言ったらしい。まあ、一番穏やかで、基本的な処方だし、食事の内容から見て、リンゴとバナナで繊維は摂れるようになっているし、後は、腸内環境の改善だと思うけどね。一朝一夕にはできないから。それと、週に二回のトンカツ以外で油を摂取していないので、オリーブオイルかなんかを取り入れるのもありかなと思う。荏胡麻油でもいいけど。90代の母親、70代の元夫君、60代の足の不自由な私。昔、父も母も入院していた時、私が膝の靭帯を切って、杖で歩いていた頃だ。妹が、私に向かって、「姉上が来てもなんもできんやん。杖が、一本増えるだけやん。」って言った。でも、実際には、私は、杖で帰省し、父の乗っていた軽四を新下関の駅の駐車場に泊めながら、先に退院した父の介護にあたっていた。妹は、父のことはできないから、母のことをするからって言うことだった。今は、あの時の父以上に、母に手がかかる。強情で、可愛げが無くて、外面が良くて、気が強くて、全身から昭和の中学教諭のオーラが出ている母。身勝手で、身贔屓で、我儘全開だ。父の感じていた衰えや、無力感や、イラ立ちや、あらゆる老いへの恐怖や・・・自分が生まれて初めて手に入れた我が家を離れることへの哀しみや。今、母は、それを自分の身の上に感じている。母の心は揺れている。妹が入所施設の話をするからだ。当然だろう。側に居て、妹は心配している。姑は痴呆が進んでいて、原発癌は緩解したのに、別の癌が進行していて。夫は、60歳で退職した後、時間講師で仕事をセイブしながら、母親の元へ通っている。しかし、その夫も、コロナの後遺症の心臓疾患と、基礎疾患の高血圧とで、万全ではない。だから、妹は早く安心できる施設入所を勧める。ずっと前に、母が大腿骨の骨折で、入院した時、妹は、ものすごい心配して、家を大改造しようとした。家の中を車椅子で生活するイメージを、妹は持っていたのだ。だから、板の間と和室との段差を全部無くすと言い張った。車椅子でしか生活できなくなると言うのは、脅迫的な思い込みだ。無駄やからって邪魔やからって思っていたし、実際、不要だった。今、母は、伝い歩きで、家の中を歩いて、必要なら杖を使い、「歩行器は嫌いなんや」とか言いながら、91歳を迎えようとしている。黒柳徹子さんは、必要な時は車椅子を使っている。草笛光子さんは、まだまだ、歩き回って、ダンスもしている。母の友人には、まだ独居で車を運転している人までいる。母は、まだ、伝い歩きや杖での歩行が可能な状態、現に食事の支度も片付けもしているし、週に2回のデイサービスを受けて、入浴できているし、トイレにも自分で行っている。洗濯をし、浴室乾燥も駆使して、乾燥もしているし、仏事も、一人でこなしている。シングルタスクを、自分のペースでこなすなら、まだまだ大丈夫だ。祖母が母の前で倒れた時、母は、祖母の願いを無視して、延命措置を望んで救急車を呼んだ。96歳だった。母は、今は、家で居たいし、十分年を取って、「管管は、苦だ」と言っている。医者にも、苦痛を伴う治療は要らないと言っている。それをちゃんと汲み取ったら、家で、倒れて死んでいたとしても、母が望むなら、それでいいと思う。母の手を取って、一緒に外出している時、私の時には、どうなんだろうと、思う。元夫君の保証人とか、遺言状とか、もう、面倒くさすぎて、忘れたいけど、こないだ、話をしたとき、「前に隣保長をしたとき、70歳やった。10軒しかないから次は80歳ですわぁ」って言ってたから、元夫君は80歳までは隣保長も務まる健康体で居る予定のようだ。排泄中に脳の血管が切れて死んだら、みっともないから、是非、酸化マグネシウムが効いて、健康に過ごしてもらいたいものだ。6月中には、次の第二回目の白内障の手術をするらしい。ここでも、運転手は、私だ。ならさ、もう少し、私の言うことを聞けば・・・?さて、買い物に出かけて、クーポンに気づいて、全品5%off、更にポイント10倍!と言うことで、ヤクルト系の飲み物やら、なんやらを買いました。6月になったので、クレジットの引き落としが7月の予定だから、経済的な逼迫度は低減した。7月1日には、ちょっとまとまったお金が、保険会社から振り込まれると、最終確認通知が来ていた。麗しい4月5月をけちけち暮らしで過ごしていたが、6月からは、ちょっとましな暮らしをしよう。。。って、あんまり、変わらない気がするけど。今日、元夫君から、身なりがみすぼらしいからもう少しかまってくださいと言われた。そうだよね。みすぼらしいよね。意識して、みすぼらしい格好をしているよって、思ったけど。。。黙って聞いておいた。こざっぱりした上着とかより、何十年も着慣れたジャンパーを着てしまうから、しかも、ずっと、オーバーサイズの服を着ることに慣れているから、余計にみすぼらしいだろう。買い物用と、帰省用とに、どっかから調達しようかなぁ。あるんだけど、ポケットの多い、お気に入りの古着を来ちゃうんだよね・・・ははは・・・
2024年06月04日
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大体、今日、山口県の西端から九州に一旦渡って、小倉駅から新幹線で岡山、岡山から乗り継いで姫路。姫路から乗り継いで加古川、更に加古川線を・・・そんなハードな動きで移動する65歳の私に母は、郵便局に乗せて行けと言うのだ。まあねぇ、徒歩5分の郵便局ではなくて、JR2駅先の郵便局まで、母を乗せて行く。朝の9時からの営業に間に合うように。母は、この小串の郵便局が好きである。かつて、豊浦町の本局であったので、ゆったりしている。今でこそ、下関市の端っこだが、かつては豊浦町の中心地だったところだからな。客としてきても、広々として応対にも満足できるのだろう。母は、悠然と座り、私に書いてきた出金票と通帳を渡して、待っている。そこには、万札で30万円分、千円札で3万円分の指示が鉛筆書きもしてあった。なるほど、この指示を守るには、ATMでは無理で、窓口でないとダメだ。かつ、大きな局だから、お札もきれいで、応対も丁寧と来ている。母は、ただ座っているだけで、別に一緒に来る必要もなかったのだが、自己有用感を満たし、美しい海沿いの道をドライブもし、私に教えるためにも、来たのだな。来る途中に、母が「たお」さんの店を教えてくれた。旧街道沿いの、JRの駅のすぐ近くだ。なるほど、ちゃんと道路の向かい側には駐車スペースまである。こんな細い旧街道の道で、勝手に駐車されたら、周りに迷惑だから、駐車場も確保し、何十年て、営業しているのだろう。先に「たお」さんを見たので、帰りは、海沿いの道をまさにドライブした感じ。今日は快晴の日本海の美しさを堪能できる朝の海だった。小串には、小さな島がある。そして、おそろしく美しい海が広がっている。さて、往復で40分ほどのドライブは終わり、母の目的は達成された。1,貴婦人然として、侍女にお金の引きおろしをさせ、2,顧客としての丁重な扱いを受け、3,かつて通い慣れた道を通り、美しい景色の中をドライブし、4,娘に、地元の常識としての有名店舗の場所を教えた。これで、次からは、「たお」さんでなんか買うてって・・・って言えるわけだ。帰宅後に、妹がやってきて、デートDVの関するミニパンフを作って配布してみようかと思っていると試作品を持ってやってきた。今日はその社会福祉協議会みたいな、なんとかの会合が午後にあるらしい。デートDVは、職場でも取り組みをしていたなぁと思い出した。で、その会合のために、妹ではなくて姪が送ってくれることになったのだが、12時半過ぎに、早めに昼ご飯を済ませて待っていると、姪が車で来てくれて、何故か、助手席に、心配した父親、つまり妹の主人が乗っている。そこからは我が家を通って1分足らずで自宅に戻るのらしいが、我が実家の駐車スペースにちゃんと入れられるかが不安らしく、先に降りて、誘導している。大丈夫なんかぁ・・・しかし、まあ、これで、姪が送迎してくれるのなら、話は簡単で、私は自宅防衛軍、かつ専業孫の姪をあてにして、いつでも帰省できる。姪の横に乗り込んで、一蓮托生の30分ドライブだ・・・って無事についたけどね。話を聞いていると、姪は、皮膚症状の劇的な悪化と、目と鼻の症状の悪化が激しく、今年の春先から、散々らしい。夜も眠れない程、皮膚がかゆく、薬も効きにくい。春先は、目やにが止まらなかったし、鼻水もすごかった。今まで、花粉症とか無かったのに・・・っていうので、黄砂アレルギーちゃうかぁと思っている。もしそうなら、徹底的に対策しないとQOLの低下は今後何十年も続くし、ヘタすると、喘息とかの呼吸器疾患にもつながる。。。そう思って心配になった。閑話休題新幹線で小倉まで出て、小倉から、すかすかのさくら号の自由席で折り返して、岡山まで行って、岡山からは、岡山が始発のひかり号に乗って、姫路まで。。。平日昼間だぁああああ!帰心矢の如しだけど、姫路での乗り継ぎが悪くて、まあ、13時24分の新下関駅スタートから、16時45分の加古川線の最寄り駅まで。すかすかの、平日の昼間の新幹線を堪能したけど、加古川線は、混んでました。そこから、本当に帰心矢の如しで、無心に400数えて自宅について、車に乗り込んで蔵のベランダを目指しました。ベランダの植物たちは・・・果たして???って30・31・1・2・3の、4泊5日の日程に耐えられるのか???結果は、まあまあ大丈夫でした!萎れかけてたのは、ミニトマトでしたが、これは枯れてもいいくらいの気持ちだったので、枯れたら困る紫陽花とかは、全然大丈夫でした!そのミニトマトも、潅水後に復活しました。HB101もサービスしたし。結局、努力の成果はあったと言うことです。。。ああ、嬉しい。方策をとって、全くの無意味ではなかった。効果はあった。高価だったけど。って感じでした。努力が無駄にならなかったことが、嬉しい。次に帰る時には、どうするかを、更に考えました。。。真夏に向けての試行錯誤を続けます。ぐったりして帰って、努力が無駄だったら、ショックが大きすぎますよね。だから、ちょっとでも成果があったことを、良しとして、今日は、睡眠不足なので、今日のうちに寝ます。。。
2024年06月03日
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まあ、歩いて行っても私の足なら5分か7分そこらの距離だが、母の行く美容院へは、勿論、私めが運転手を務めさせていただいて。。。皮膚科の先生の指摘で、白髪染めやら目薬やらを全部やめて以来、美容院へは、シャンプーとカットだけのために行っている。しかも、90歳にしては豊かな御髪でいらっしゃって、白髪染めを止めてから今、結構黒い部分もあることに気づく。父は70代ですでに純白の白髪だった(叙勲の時の写真が上に掲げてあってそれと知れる)が、母は半分ぐらいはむしろ黒くなっている。白髪染めは頭皮に悪影響があると言うことだろう。小一時間で済むので、電話をもらってまた迎えに行き、そのまま、母のお気に入りののんびり買い物できる青空市場という名前の農協の裏の倉庫に。母は、人参とお仏壇の花が欲しいと言っていた。前回、お漬物が美味しかったので、また買って、そしたら、絹ごし豆腐も買うと言うので、地元産の大豆を使ったという絹ごし豆腐も。7時半から12時までの営業らしい。今日は、漁業者の人も3人、加工品を売りに来ていた。母の凄いところは、聞こえにくいことをおくびにも出さず、祖母もそうだったが、物静かに話す。お陰で、聞こえていない、通じていないっていうのが、店舗ではわかりにくい。昨日の電話の時も、プチパニックなんだけど、ちゃんと録音を再生して、内容を聞いてから、電話番号にかけ直したが、その時の挨拶とかは、いかにも元教員らしくしっかりしている。直前までプチパニックだったとは、とても思えない。この電話のせいで、自分の予定したタスクがこなせなくなっているのを、予定したタスクを忘れることで消化してしまう。料理は、マルチタスクな行為だから、そこに思いがけないことが起きると、お手上げなんだと思った。90歳って、シングルタスクをこなすだけでも、なかなか大変な年齢なのに、私だってこなしきれない時がままある。ヒス起こしそうになるもん。お昼ごはんは、昨夜と同じ薄塩鮭を母が焼いた。よほど味が好みだったのだろう。それと、地元のお店の作っているお漬物と言っても甘酢漬けであるが、これが美味しくて、母と一盛り上がりした。「たお」さんという製造者なのだが、母によると、仕出しのお弁当やら、配食のサービスをする店。今回、蓋に貼ってあるシールを見るまで分からなかったのだが、昔は母も良く利用していた店らしい。小串に済生会病院があるのだが、かつては国立の結核療養所だったらしい。その後、国立の病院として存続していたが、国が、国立病院を次々に廃止した流れで、廃院になりそうだった。地元で存続運動が続けられ、父が健勝だったころは、地元を代表して東京まで交渉に出ていた。父も昔取った杵柄で、国との存続運動のための交渉の術は知っているし、宿泊にしても、安く泊まれる宿の会員だったりして。結果的に、国立ではなくなったものの、山陰線側の山口県では大きな総合病院として残った。小串の済生会病院として。併置されている高齢者の一時入所施設もある。どちらも、結果的に、父はその後、たびたび、利用している。 鄙ではあるが、誠に風光明媚な、海岸沿いの一角。かつての結核療養所だった頃から、海辺の景勝地である。入院中の部屋が良ければ、松原越しの眺めは最高だ。川棚温泉という古い名湯も車で10分ほど。この地に、「たお」さんは今も根付いているようだ。母が言うには、私の祖父母がまだ健在だったころに、病院の最寄り駅のそばで、お惣菜を買えたので、帰りに良く利用していたと。母は、たまたま、そこの中学が31年前の最後の勤務地だったのと、その後も父がよく入院していた事情もあって、お店や業態を知っているようだ。いやいや、考えてみれば、母も、しょっちゅう入院している。。。田舎のこともあり、味付けが濃いめだったと母が言う。確かに、少量でたくさんのご飯が食べられるという目的のおかず、らしい甘酢漬けだが、大根も、切り方に工夫があり、レンコンや長芋の薄切り、生姜も2種類の切り方で、そこに、彩りの人参と胡瓜だから、生姜の味と、多品目のそれぞれの食感が楽しめる。何かを足すとしたら、柚子の皮を盛り付ける時に足すくらいだろう。朝から母が、入所型の施設の話をする。妹が、見てきてあれこれ言うからだろう。今までのデイで知り合った人たちとも会わなくなって、新しいところに移るってこと・・・私が居るうちに見に行けば?って妹が言うらしいけど、母の日常から、6畳一間のアパートタイプの居室っていうのが、なんか、ピンとこない気がする。家でトイレに自分で行けなくなったら、施設に入ると母は言うんだけど、施設に入ったって、夜のトイレは、紙のパンツかおしめを要求されるだけで、毎回誰かがトイレに付き添ってくれたりはしない。入院中の病院じゃないんだから。前段階として、ポータブルトイレを使うとか、まず、夜にだけでもリハビリパンツを履いてみるとか。それをしないで、いきなり施設って言っても、結局は、人手の足りない介護の現場ではおしめだよ。暮れに退院してから一度は間に合わなくて失敗があったらしいけど、その後は、そんなことも無く過ごしているようだし、とにかく、去年の夏前に、一度、ポータブルトイレを使うこともしてみたことだし、死んだったおじいちゃんのを捨てずにとってあったので・・・これからいきなり施設より、独居だから使える訪問介護とかの方策を探るのもありじゃないかな。母は、ポータブルトイレ用の消臭剤とか、凝固剤とかを知らない。ポータブルトイレ自体を覚えていなかったくらいだから。おじいちゃんの終末期は、訪問看護と、父の手でとの両面があったと思う。父は祖父の介護や看護を、実はしっかりしていた。だから、母は、下の世話とか、した記憶がないのだ。最期は、ある朝、ごはんを食堂にでてきて食べた後、自分のベッドに横になって、次に父が見に行った時には、祖父は眠るように亡くなっていた。葬儀で米寿と紹介されていたが、数え年であって、満年齢ではない。父とは24歳違いの申年の祖父、見送った時の父の年齢は63歳で、今の私よりも若い。祖母は96歳、父はもう少しで84になる数週間前の83歳だった。老いを考える。老いは必ず訪れるからだ。必ずしも老いなくても、実家の近所のおばあさんのように、毎日徘徊してチャイムを押して歩く人も居る。自民党政府は、70歳からを老人としたいようだけど、なかなかどうして、人生は難しいようだよ。今の私にできることは、老いに備えて、歯を磨くことくらいかな・・・節制と、徳を積む「親孝行」はしておこう。今朝の夢は、赤いヤモリの夢だった。小さい女の子が居て、その子の頼みで、赤いヤモリを保護するのだけれど、なかなかすばしこくて、何故か、赤い、心臓の所が透けて緑っぽくって、しかも大きい。本当のヤモリは、ベージュか灰色で、心臓が動くのが台所のガラス窓越しにも見えるし、毎晩何匹も居るのでよく知っているし、私はヤモリを大事にしている方だが、赤いヤモリが登場したのは、一昨日のネットの記事で、飼育されるペットとしての特殊なヤモリの摂食障害の話が出ていたのと、昨日のネットの記事で、巨大なヤゴから大きなトンボが出てきた話とが混ざっていると思う。実際にどちらも写真付きで見たから。夢の中でも、トンボも出てきた。夢の中ではトンボの黄色い顔とか印象的だった。ネットの記事ではヤモリは赤くはなかった。目が、赤いヤモリだった。なんで、あんなに心臓が四角く緑で大きいのか、わからないけど、右手で触っている感じだった。最近ネットで検索するのが、カエルだったりヤモリだったり、するのは・・・そのうち、夢の中に、オオスカシバの親子が、恨めしそうな顔で出てこないかと、心配している。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
2024年06月02日
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今朝は、昨日の午後の母の写真のせいで、証明写真を撮る夢を見た。登場したのは、最後に担任したクラスの子等と、その他2クラスの合計3クラスが、個人写真を撮ると言うのに、体操服で・・・こらあかんがな。。。はよ着替えて並び直しや!なんてシーンだった。登場した中に、委員長もちゃんと居たし、写真に写ることが苦手な発達特性の女の子も居たから間違いなく10年前の最後のクラス。で、その根本原因は、昨日母親が見せてくれた90歳の母が生まれて100日目の写真から、岐阜時代、台湾時代、帰国後、進学後、成人、就職した初の担任クラスの集合写真。。。いくつかのアルバムを整理して貴重なものをちょっとだけ並べたミニアルバムのせいだ。中には、小学校(国民学校)の集合写真も有れば、女学校の写真もあり、クラス写真・同じ小学校からの7人だけの女学校仲間の写真もあった。女学校から中学校との合併があり、分離がありして、凄い人数の集合写真があった。中から、母を探すのだ。。。白黒写真の数百人から・・・その後、母の大学入試のための証明写真が登場するのだが、晩年に父がデジタルで引き延ばしてくれた写真と、元になった写真屋での写真とか。その時の、母のセーラー服が、借りたものだと、母が言う。母は、両親が居なかったから、祖父の経済力と奨学金と授業料免除で進学するのだが、なんせ、受験費用を捻出するために修学旅行にも参加せず、工場の集金業務をして貯金していたから、制服も、あんまりきれいではなかったと見える。一緒に写真屋に行った女学生に借りて、写真を撮ったのだと澄まして言うからおかしかった。ちなみに、私の高校時代の証明写真は、今の父の書斎の私のすぐ左手に、貼ってある。父が、ペン立てに貼って置いていたから、そのままだ。校章の割印もある。そのすぐ上の、作り付けの2間もある本棚のガラス戸には、私が5歳の時の家族写真も貼ってある。あの頃は、何かあると、記念写真を写真館に撮りに行ったようだ。さて、女子大時代の写真もちょっと有って、この頃に父とは合ハイ(合同ハイキング)で知り合っている。小さな二階建ての間借りで、二階で私が音を立てると、一階から叱られた。なんと、その時には、父の従妹が、青森から大阪の夜学に通うために狭い借家に同居していて、父・母・従妹・私・妹の5人の家族写真なのだ。学年で3つも離れているのに、私は小柄で妹は大柄だったから、服のサイズも同じくらい。よく双子に間違われたものだった。朝、母が出て行ったあと、夕方、夜学に通うお姉ちゃんが出ていくまで5歳と3歳とを見てくれて、その頃には、大学勤めを終えた父が戻り、母も、戻るって感じだったのだと思う。私は、借家の2階に住むのは向いていない子だったと思う。生後1ヶ月ちょっとで母は勤めに復帰しているので、私は、色々な親戚の手で育てられた。少なくとも、母の手ではない。母は、妹を育てるのも大変だったし、ずっと勤めていたからね。集合写真集の最後を飾っているのは、母の初めて担任したクラスであり、それまでの生徒の一人としてではない、それからの母の人生が、始まっていっているのだなぁ。私も、初めて担任した時のクラスの集合写真を持っている。もうカラーだ。なんと、赤いスカートとか履いてる写真だ。何回も担任したけど、やっぱり、最初と最後って、印象深いものだと思う。最初の学年で世話になった同僚には、退職して唯一、挨拶の手紙を書いた。日々の泡沫のような、寄せては返す仕事が、さっぱりと消えてなくなったので、多分そのせいで過去の26年間の夢をよく見るのだと思う。22歳から始まって、5年家建てて転居して12年念願かなって希望したところに転勤して26年65歳で上がり。。。この26年を、今の自分の年齢に足せば、今の母の年齢に達するのか。ああ、そろそろ、母がデイケアから戻る時間だ。母が湿気させてすっかり美味しくなくなった千葉県産の殻付きピーナッツを、全部食べてしまって、新しく取り寄せた袋を開けたいと思っている。取り寄せた落花生はさっきヤマト便で届いた。なんだって、ファスナー付きの袋から全部出して、紙箱に入れて湿気させるんだ???そして、落花生に文句を言う。。。違うから。お母ちゃんが、湿気させたんやんか!!!そんなことを考えながら、湿気た、そして酸化した落花生を、消費している。確かに、美味しくはないけど、お母ちゃんのせいやからね!殻付きの落花生は、気温の急激な変化が苦手で、高温多湿は超苦手。だから、酸化させないためには、密封して小分けして、冷蔵庫の野菜室とか、長期保存なら、小分けして冷凍庫とか、もっと大事にして欲しい。。。今回の落花生は、いつも頼んでいるナッツの専門店から取り寄せた。でも、まあ、来るまではどんなに良くても、後の対応次第だから。どうするかなぁ・・・母の蛋白質対策は、なかなかに難しい。今日のお出かけが済んだので、母は、玄関にカギをかけ、チェーンまでかけてしまった。。。やれやれ、明日の御用は、美容院への送迎と決まっている。
2024年06月01日
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