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先週、背中が痛かったので、検査をしてもらった。背中の痛みは気になるからと、超音波で検査した。心配した膵臓には異常はないという。ただ、胆嚢に石があるのが分かった。今のところ痛みがないのでようすをみることに。膵臓の薬は以前から飲んでいるが、先生は悪性リンパ腫の再発を心配しているのだろう。リンパの方も心配した数値ではないと言っていた。夕方、自立援助ホーム『星の家』に夕食を届けに出かけた。今日は私ともう一人の担当になっていた。メニューは、鳥肉入りの煮物を別の人が作り、私はほうれん草の胡麻和えと、カボチャのベーコンとの炒めあえにキュウリとキャベツの浅漬けを作って行った。ボランティアの女性が居て、ほうれん草の胡麻和え久しぶりで嬉しいと言ってくれた。野菜が高くてとのことらしい。カボチャの炒めたのには、煮たものしか食べたことない言っていた。若い人には和風ではないカボチャもいいかもしれませんよ、と内心思ったけれど。さて少年たちの反応はどうかな。
2012.02.24
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図書館での地域教育のイベントに沢山の人が集い、賑わった。人が集まるって良いねえ。親子が様々なブースで楽しんでいた。私も古切手を使った栞作り、押し花を使っての栞を作って孫にお土産に持って帰った。麻雀をやりませんか、と誘われたブースのあったのには驚き。元小学校の校長先生が、語り部になっていらした。その情熱に感動。我らのブースは、随筆の会。入会を勧める目的もあったが、自分が楽しんでしまい目的の方はイマイチ。それでもお仲間のうれしい差し入れのお寿司にサンドイッチを美味しく頂いた。久しぶりの温かな戸外での食事はいい気分。この雰囲気はお花見にでも生かしたいな。それにしても地域のお祭りを近くの生涯学習センターで行われていた。そこでは孫たちの鼓隊やら金管バンドやら小学生の演奏会が行われていたのは、残念。同じ地域に二つのイベントはなんとかならなかったのかしら。
2012.02.20
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珍しくゆとりのない1週間であった。13日は更生保護女性会の地区集会、そして、そのまま北海道の山奥にある遠軽の地に、非行少年の為の塀のない家庭学校を築いた人の、一生を描いた映画を鑑賞しに移動。私がかつて十数年前、訪れた場所の創設までの苦難の道が描かれた物語であった。当時中学校が荒れていてたくさんの保護観察の対象の少年たちが我が家を訪れていた頃であった。14日は、かつての保護司仲間のつどいであった。共に犯罪の多い時代を保護司として苦労を分かち合った仲間たちである。90歳目前の方も二人、未だに衰えを知らないお二人に畏敬の念しきり。息子祐二を今の病院にいざなってくれた方もご一緒させていただいた。このお仲間のご縁がなければ今の祐二の処遇はなかった。担当医の方も保護施設の理事長さんでいらっしゃるし、ご自分も保護司に率先してなられた方。このご縁が受け入れのない息子たちの様な立場にもかかわらず入院を許可されている所以。縁は異なもの。15日は地区の小学校での茶道教室。私がこの学校に勤務していた頃から行われている6年生最後の行事。初めて茶道を指導する立場で参加。みな真剣な目で話を聞き、実際に茶をたてる顔は真剣。いい雰囲気であった。それにしても久しぶりの着物に疲れてしまった。16日は地域の子供支援についての研修会。昔から比べると随分子供っへの支援は充実している感があるのだが。17日は今年から私が任務を離れた人権擁護委員のお仲間たちと昼食会。6年間の事務局長としての日々は、私に活気とパソコンを駆使するすべを教えてくれた。いつの間にか喜寿を過ぎていた。思いがけない病気から蘇らせてくれる力ももらっていたのかもしれない。
2012.02.18
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隣のおじいさんにも見える位置にぶら下げたDVDの機器を、うるさがり屋のおじいさんだが素知らぬ顔して覗き見していた。いつもはうつらうつらしているのに。昼間寝てしまうと夜眠れないと言って看護師さんを困らせているので、敢えて見てもらえるようにセットした。いかりや長介さんと同年輩かやや上ぐらいのおじいさんだからきっと家族そろってみていたのだろう。祐二はその時代ではないが、それでもおかしそうに眺めていた。懐かしい若い頃の歌手たちの出演が特別嬉しいのか盛んに拍手していた。
2012.02.10
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更生保護女性会恒例の新年会がIホテルにて開催された。会場は手作りの華やかさの感じの良い雰囲気。お仲間と出席し私にほどよい料理を頂いた。それにしてもお仲間のコーラスがすばらしかった。お歳を感じさせない美声、何と86歳の方も。平均年齢は七〇歳ぐらいかなあ。なにしろ指揮者が凄い。かつてNHK中学校の合唱コンクールで4回も日本一に導いた先生の指導テクニック。それに答えたおばさまたち(おばあちゃまたち?)の精進ぶりも見上げたもの。私は別の混声合唱グループでこの先生にご指導いただいているのだが、こちらにも参加したくなった。会場を早めに出て、NASVAの所長さん達がお出でになるため、祐二の病院に向かう。所長さん達はきれいなお花を持ってきて下さり、祐二と初対面。照れたように顔をこすりながら、それでも機嫌のよい顔で迎えてくれたのでほっとした。握手の真似ごとも、サヨナラの合図も何となくやっていたような気がするのだが。
2012.02.08
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久しぶりにお昼を食べに行こう、ということになって夫と娘と3人で出かけた。行く先は娘にお任せだった。何と、カラオケ場なのにびっくり。食事をオーダーして待つ間、昔懐かしい曲をバックミュージックにして待つことしばし。娘に乗せられて、カラオケ好きの夫がマイクを持った。80歳の声、まこんなところかね。お母さんも歌ったら、と、「津軽のふるさと」が掛った。こういう所で歌うのは初めてなので、何やらこそばゆかった。そのうち食事が届いた。結構美味しい食事にありついた。祐二はカラオケ大好き人間だった。自分のマイクを持っている位で、CDの枚数は数え切れないほどある。300枚以上あったことを少し前に確認している。3分の1は、アルバムだから、曲数にしたらとんでもない数になるだろう。こうした場所で、楽しい時を過ごしていたのだろうと思ったら、辛くなってきてしまった。
2012.02.07
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大腿骨壊死という原因不明の病気にかかって大手術をした姪を見舞った。著名な会社の社長秘書だった姪が早めに退職して、マラソンのはしごをして元気な筈だった。かつて美空ひばりが掛った病気になってしまったという。病名については知っていたが、不安は大きかったが術後の様子は大手術を感じさせなかったのに安心した。毎月ベトナムに単身でかけていって、取引をしている彼女の妹とも久しぶりに会えて、話が弾んだ。彼女は小柄でキュートな女性ながら、会社の顔であるようだ。ハノイやホーチミンでの商談を一手に引き受けているとのこと。個性豊かな二人の姉妹は、常にポジティブ。素晴らしい日本女性に育ったものだ。50歳と47歳と聞いて驚いた。我が家にも同じ年代が居るのだから不思議はないのだが。従兄弟どうしながら少年少女時代から会うこともなく、知らないことも多いはずだが、彼女たちは祐二の事を結構知っていた。私の著書はすべて兄が届けてくれていたのか「君へのメッセージ」以外に書いた本の話題にも触れていたので、全てを熟読してくれていたらしい。ブログの話をすると、「おばさんはブログも書いてるのすごい」と驚いていた。「じゃあときどき覗いてね」とは言ったものの、案内をするのを忘れてしまった。
2012.02.05
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かつて出来たリハビリとくに言語に関するものができなくなった。てんで反応しないし、のってもこない。喜々としてやっていたことをやらないし気力がない。それが何を意味するのだろう。どうしても後退したように思えるのだが。数字をパッパっと指で示したあれは何だったのか。名前を指で宙に書いて見せてくれたのは。体の部位を表す漢字を見せると、身体を指さしてていたのに。色の見極めもしたし、今日が何日かを暦を指さしてみせたのに。うわめづかいにかんじょうもあらわさず、無気力そのもので、みんな出来なくなってしまった。それでも、近くにいる人の手をつかんだり、勉強に使う教材を破ってしまったりはじつに素早い。脳に何かが起こったのだろうか。それとも興味がなくなったのか、気力を失ったのか。這えば立て立てば歩めの親心をもてあそびすぎるじゃないか。今日は午前中、児童養護施設で、4歳児の3人と遊んできた。1年近く接してきたが、随分と成長した。落ち着いて一緒に話をしたり優しさが行動に見えて可愛い。親が居ても親と生活できない子たち。「おばちゃんまた来てね」の言葉に思わず抱きしめてしまった。そして高い高いも。この子たちに幸あれと願わずにいられなかった。祐二にこのことを話した時、かすかにうなずいていたが、どこまで分かっていたのかな。
2012.02.02
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