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普段外に出ない娘だが、私の友人たちが何かと気にかけて心配してくださる。6回のがん治療を経験している私を知っている人たちばかり。そんな時、「私に似て能天気な性格なので、助かります」と答えている。親亡き後の祐二を託したいと思っている娘の発病はいささかショックだが、くよくよしても始まらない。今は私が元気でいなくてはという使命感さえ出てきた。『お母さんより一日は長く生きるから」という娘の顔は意外に明るい。それでよし。
2012.08.31
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26日には、家族会『らいめい』の集会で初めて昼食会。と言っても会場の軽食。とっても安いのにボリューム満点。中には目を丸くするような、大盛りのカレーなんかあったりして。年配者には、ちと多すぎるかも。27日には更生保護女性会恒例のチューリップ球根の仕分けにはるばる日光街道に友人たちと出かけた。1時間あまりかけ会場にたどり着いた。会の活動資金源になるこの球根は県下の更生保護女性会に発送される。かつての保護司の仲間の交流会。脳梗塞で倒れたこの前まで会長でいらしたT女史が顔を見せてなんと歌を披露してくれた。御年89歳。まだまだご健在であることに感動。お声も全くお若い。いつも大輪の花のような容姿にため息さえ出てしまう。歳はとってもああありたい。祐二のところに行く。ちょうど言語のリハビリが終えたところであった。今日もあまり反応をしめさなったようだ。聴覚士の女性が若いだけに、気の毒だ。かつてのあの嬉々とした反応はもう期待できないのだろうかねえ。29日この日スカイツリー見学に行く予定であったが、我が家の諸事情で断念した。参加者の良い一日となるようひそかに念じた。孫が明日の学校を控えて咳がひどい。治療に連れて行った。元気はよいのだが。
2012.08.31
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お別れしてから、もうあれから7年がたつ。祐二がセンターに入院した時、私が初めて会話を交わした患者さんのお母さんだ。いつも前向きで暗さを見せない生き方は、ともすると先の見えない息子を思い、暗くなりがちな私を上向きにしてくれた方だった。生まれは東京と横浜と違っていたが、年も同じ、戦時中の疎開したところが近いということもあって、ともに交通事故にあった息子を看護する母として親しく話のできた人であった。『あなたから頂いた巾着袋を持って散歩していたら、急に電話をしたくなったのよ』という。遷延性意識障害の息子さんを家に連れて帰ってから7年になるという。そのうえ、近くに住む97歳になるお母様を何かと面倒を見ているとのこと。「息子は多くの人に可愛がられているので見ている私もうれしいんですよ』とおっしゃる。おもいかえすと、あの当時から息子さんは、いい笑顔を見せていたことを記憶している。「あの子を見ていることで私は生きていられるような気がする。生きている張り合いってこと」その言葉に私はどうだろうとその言葉をかみしめている。祐二の笑顔もいい。つめを腕や手に爪を立てる悪い癖さえなかったらもっと看護師さんたちから可愛がられるのに、と思う。
2012.08.21
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祐二のいたずらがエスカレートしている。ラジオのコードに手が届いて、引っ張ってしまったらしい。コードを引っ張ることで壊してしまったものはこれでいくつめかな。それでも引っ張るだけならいいとして、それを投げるのが怖い。ほかの患者さんにぶつかってしまったら大変なことになる。目を見てじっくり話しても、ただへらへらするだけ。どこまでわかってどこからがわからないのか、わからない。どうすりゃいいのよ。退屈なのだろうなあ。ほとんどベッドで、過ごさなくてはならないんだから。ずっとそばで話し相手になったり、車いすであちこち移動してあげられればいいのだが。一般の病院では限界があって、車いすの乗るのは、リハビリの時間だけだものなあ。祐二のような患者を預かってくれる病院はそうはないだろう。病院にプラスにならない祐二のような患者を引き受けてもらえるだけで感謝なのだが。家に連れて帰っても81歳の夫と75歳の私がいつまで耐えられるか、まして祐二を託そうと思っていた娘が、がん患者となった今、このまま引き受けてくれている病院にお世話になるしかない。ついつい泣き言を言ってしまう。でもね、君の笑顔は最高だからね。愚痴も泣き言も吹っ飛ばしてくれる。だからあまりいたずらしないでくれるかい。お願いだからさ。
2012.08.18
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一〇日ほど入院するということだったが、術後出血が多く、もう一度開くかもしれないといわれて驚いたが、何とかそれは免れた。管が抜けないままの退院である。暫くは看護師さんがしていた介護をしていくことになる。 毎日付き添っていたので、祐二のところへはご無沙汰だ。私の代わりに夫が出かけていた。明日は私が祐二を見舞ってやろう。どうして来なかったんだい、なんて話してくれればいいんだけれど。
2012.08.16
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午前中祐二のところに出かけた。お姉ちゃんの手術もあって一週間ぶりであった。なぜかげらげらと笑いっぱなしの祐二。何がおかしいのか、さっぱりわからない。オリンピックで祐二の後輩が銅メダルを取ったことや、今年はいつもより選手が頑張っていることなどをじっくり話して聞かせた。わかっているのかいないのか、うなずいてはいる。事故から10年たった今も、食べる喜びをあじわっていない。看護師さんとも話し合った。本能としてまず食べることを欲しない人はないのに、なぜ拒否をするのかがわからない。
2012.08.08
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途中PSの携帯から呼び出しがかかったら、手術変更だということだった。8時30分に手術室に入ってから、5時間30分後目で、連絡はなかった。予定通り手術は進行したということ。放射線や抗がん剤によって摘出箇所を縮小させるということにはならず、乳房全摘出という手術が施された。全身癌の摘出箇所だらけ、そのうえ悪性リンパ腫と向かい合っている私の娘だから、本人も家族も随分気を付けていたはずだった。私の経験しない箇所の切除であった。入院経験も病気療養の経験もない娘だったが、やはり病魔は潜んでいたのだ。病室のだれよりも健康的で、病気が何とも似つかわしくない娘の堂々たる体格と私似のポジティブな気質で、先生方も看護師さんもあまり神経を使わなくて助かっている様子だ。今日からしばらく私が見舞うことになる。夫も子供もいない娘には私が一番頼りになる存在であることは間違いない。千葉から妹夫婦が車で駆けつけてくれた。そして宇都宮の兄夫婦も。早く回復してほしい。
2012.08.03
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「祐ちゃんしばらく来られないよ。我慢してね」私の話に気のせいかうなずいていた感じ。「お姉茶の手術が無事終えるように、祐ちゃん祈ってよね」これまた、まじめな顔してうなずいていた。「祐二君ベッドの柵をはずしてしまったんですよ」と介護士さんの言葉。ドキッとした。いつも両手で柵を持たせて横向きをさせていたからだろうか。進歩といえばそうだが、危ない危ない。 「ベッドの柵を外して起き上がるつもりかな」それはないだろう。
2012.08.02
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