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今年は一時帰宅を申請できないまま連休に入ってしまった。私に体調不良もあった。ひざの故障で長い事立っていることも、座ることも難しい。その上、看護師介護し共に、総入れ替えに近い移動があったので、まだまだ祐二を分かるのに時間がかかる様子だ。何かとトラブルも多く大変なようで、一時帰宅についても祐二の場合食事やら薬やら、いろいろと体調管理に関する準備が多い。それに今の私には祐二を全介護するのも難しい。この前の帰宅予定も高熱のため見送りになっている。口がきけたら、帰りたいようと叫ぶだろうか。私だって連れて帰りたいようと叫びたいのだけどね。そんな思いもあって祐二の傍らにずっとついて語りかけた。手を握って問いかける。うちに帰りたいかい。タイミングよくかすかに頷くのだが、さてどこまで通じているのやら。家に帰れないから、母さんもお父さんもせっせと病院に通うからね。これも「うん」とうなずく。ところで言語の先生がこのところお休みが続いている。体調が思わしくないらしい。それでなくとも、このところ言語の方は絶不調。どうも気になる。頭に何か起きているのではと思うくらい後退している。随分出来る事が多くなって希望が持てていたのに。数字の感覚はまだましなのだが、言葉や問いかけに反応しなくなっている。頭に何か起きてきているのだろうか。言語指導者も頭をかしげていた。代わりの人が来ても変化なし。反応がないだけでなく、突然凄い形相で枕を投げたりして。どうかしてるよ。心配だ。
2012.04.29
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今年も氷川きよしのコンサートに夫と共に出かけた。舞台と観客席の一体感のあるショーにすっかりのみ込まれてしまった。今年の氷川君ちょっぴり顔が小さくなったかな。少年の顔がのぞいたり、円熟みのある顔になったり、さまざまな舞台の顔が見られた。観客とのやりとりもなかなかのもの。コミカルさが良い。絶唱型だから喉に気をつけてほしい。最新版の「桜」なかなかいい。中西作詞平尾作曲という話題作。売れるんじゃない。ところで桜といえば、我が家近くの公園の桜も古木から花が散って、ごつごつした樹木がいやに目立っている。何時だったか、我が家の愛犬ライリーと散歩していたころ、日々変わる桜のの姿に、感傷的になったなぜか清少納言の一文がひらめいた事があった。ただ過ぎに過ぐるもの帆あげたる船。人のよはひ。春、夏、秋、冬。というたった一行である。バカのひとつ覚えってやつ。このところ、清少納言が新聞の一隅に目に付く。先ごろも、昴について書かれていた。昴の素晴らしさ、そして、それを歌にした歌った歌手もまた素晴らしいと。そして、遠く清少納言もまた、昴を愛でていると。そう言えばかの清少納言は、星はすばる。といっている。自分の思う事を大昔の清少納言がどう思っていたのかと思うとワクワクする。
2012.04.25
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県のミュージカルの団体が集まって発表した楽しいミュージカルであった。我が家の孫も出演していたので、家中で出かけて観劇した。孫一人に大人5人の取り巻き。ちょっとおおげさかも。それにしても、それぞれの団体が30分ずつの公演。どの団体も熱演して、結構プロとそん色ないでき。たいしたものだ。このところひざの故障で整形外科に通っているが、知り合いが多くて驚く。みんなどこか故障を抱えている。年を感じるひととき。膝が痛いと、力が入らない。恒例になっている5月連休の祐二一時帰宅は無理かも。病院に出来るだけ多くせっせと通うことになるかなあ。
2012.04.22
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日光の知人の誘いを受けて、久しぶりに電車に乗って出かけた。驚いたことに乗客の7割は外国の人でほとんどが英語を話す人たちであった。われわれ日本人がこの日の日光での行事を知っていないのではないか。もちろん私も新聞を見るまでは気付かない事であった。観光客の少ない中にも、外国の観光客の姿が目に付いて、なぜかホッとした気分になった。二荒山の神事であるので派手ではないが、町内ごとに11の花車に着飾った子どもたちが乗りこんでの愛らしい姿かけ声太鼓のおとが、参道を上がってくる。引き手はこれも年齢に合わせた装束で花車を引いていく。日光のまちぐるみで、弥生祭はとり行われていると感じた。5月の千人行列はもっと派手に行われているが、弥生祭は、また別な日本情緒があってよかった。これもまた厳かな感じでいい。飛び込みで、外国の人が綱を引く姿があった。廻り中が、外国の観光客ばかりのように感じた。日光はやはり結構なところだ。日本人たちよ、もっと日光に集まってきてほしい。日光を見ないで結構とは言えないよ。お昼には、湯波懐石を食した。いいねえ湯波は。一見抹茶の羊羹のように見えたのが、木のスプーンで触れるとそうめん状に代わる食べ物には驚かされた。どうやってつくるのか???
2012.04.17
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家に近い公園の桜が、つかの間の好天気に、一気に咲きだした。孫とじじばばでおにぎりを持ってささやかな宵桜見物をした。明日は天気予報によると悪天候らしい。待ちに待ってやっと開いたせっかくの花を散らされるとも知らないで、いじらしいほどの咲き誇りようだ。さまざまのこと思い出す桜かな 芭蕉二,三日前の新聞で目に入った俳句である。今まで知らなかった俳句だが、我が身にずしんと響いて心に残った。元来桜を追っかけて旅した時もあったくらい、桜に心惹かれている私である。そのせいか、桜にまつわる思い出は数知れない。三十二年前、私の命が抗がん剤の副作用で危ぶまれた時に、小学二年生だった末息子が、面会謝絶の私の病室の前に立っていた。その手には桜の小枝があって、それを預かった看護師さんが私の枕元に活けてくれた。会いに来ても会えない私の病状を子どもなりに感じ取りどんな思いで佇んでいたのであろうか。「今日も息子さんが窓の下に来てますよ」その二、三日後、窓をのぞかせてもらったことを覚えている。ランドセルを背負って、四階にある私の病室を見上げて桜の枝を振っていたそのときの息子の姿が、眼裏に残っていて消えない。当時この病院には大きな桜の木があったが、病室の増設に伴い花の咲く前に伐採されていた。枝を払われ倒された桜の巨木は完全に片付けられないまま積まれてあった。健気にも切り刻まれた桜の小枝に花芽たちは息づいていて、蕾を膨らませていた。あのとき病院中のそこここに、それらの桜が活けられていて元気をもらった覚えがある。あの時の息子は今から十年前に輪禍に遭遇し、言葉も食べることも忘れたベッドでの日々である。芭蕉ならずとも、桜はさまざまなことを思い出させる。息子の目が空いた、手が動いた、笑ったと遅々とした変化ながら、桜は命をつないでいく様を見てきた。そして私が満開の桜に心をはせる事ができるのはまた、私の生きている証でもある。命二つの中に生きたる桜かな 芭蕉
2012.04.16
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祐二が認知症という事を実感した出来事があった。かつて有吉佐和子の「恍惚の人」を思い出させる場面を再現したような事だった。おむつを引き抜き投げてしまったらしい。汚物のついたものをである。 最近では、簡単に衣服の中に手が入らないように、上下のつながったものを着ているのだが、ジッパーを外すことを覚えて手を股間に入れてしまうらしい。覚える事はいいのだが、そんな事だけは知恵が回らなくともいいのだが。困ったものだ。そんなことでは看護師さん達に嫌われてしまうじゃないか。そのことを話して聞かせるとわかったように頷いている。どこまで分かっているのかねえ。かつて大好きだったチョコを口に近づけても、奪い取って投げてしまう。食べる事に関して少しの欲求もない。手に触るものはすべてひったくるようにして投げてしまう。なまじ手が効くようになったのでますます始末が悪い。食べるという事は脳の活性化につながるというのになあ。
2012.04.15
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居眠り磐音江戸双紙の38東雲ノ空を読み終えた。2002年に始まったこのシリーズも38冊となった。良くも飽きずに読みつづけたものだ。33巻までは我が家にそろっているが、それ以降は、図書館に新刊が出るたびに予約をして借りてよんでいる。ここまできたら完結まで読まずにはいられない。時代小説は昔から性にあっているのか、年のせいなのかあきることがない。考えてみると、中学生の頃、受験を控えた時でさえ、図書室に入り浸って貸し出し禁止の分厚い宮本武蔵を読んでいて、危うく図書室に閉じ込められそうになった記憶がある。私の読書傾向は乱読傾向があるが、時代小説を優先している感がある。現代小説を読んでも心の憂さは晴れないが、時代物は心の憂さばかりか、身体の不調さえ忘れさせてくれる。年齢にも関係しているのかどうかは分からないが。さて祐二の顔をみにでかけるとしよう。担当看護師さんが新しくなったと聞いた。大好きな看護師さんと会えなくなった祐二の心に変化はあるだろうか。
2012.04.08
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4人ベッドの一つが片付けられていた。様態が急変したのだろう。祐二は何事もなかったようにへらへらと笑い手を叩いている。何やら暗い気持ちになってしまった。この頃、祐二は今の状況を分かるときが来るのだろうか。生きていることを喜んでいるのだろうか。何も分からない今の方が幸せなのだろうか、なんて色々考えてしまう。私やお父さんがこうして車を走らせて顔を見に来られるのも、そう長いとは思えない。先を考えるとさすがの能天気な私も気持ちが重くなる。このところ身体も少しずつ、ガタが来てしまったようで、整形やら、内科やら、病院通いが多くなっている。い。愚痴を言っても始まらない。もう愚痴るのは止めよう。
2012.04.06
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