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それぞれの時代には、それぞれの青春があります。十七歳、十八歳という年齢は、自分自身がオリジナルでありたいということを強く意識する一方で、時代の色に染まることを余儀なくされる年齢でもあるように思います。現代の高校生や大学生の人たちも、否応なく「現代」という時代の波打ち際で翻弄される経験をしているのかもしれません。
今回は 1928
年生まれ
で、 2014年
の夏に亡くなった哲学者 木田元
の自伝風おしゃべり 「闇屋になりそこねた哲学者」(ちくま学芸文庫)
の案内です。この人が研究していた ハイデガー
や メルロ・ポンティ
といった現代哲学には、それなりに興味を持ち続けてきましたが、分かっているとはとても言えません。
しかし、たとえば 現象学
の メルロ・ポンティ
をちょっとかじってみようと本屋や図書館の棚を覗いてみると、この人の翻訳のお世話にならないで読むことは不可能だと思います。
長く 中央大学
で教えていた人ですが、大学教授を辞めてからの著書には simakumaくん
にも読めるものが、たくさんあります。哲学的に咀嚼したうえで、自らの体験や研究を学問の素人向きに書いた本が結構出ているのです。
文庫になっているこの本もそういう一冊です。この本はインタビュー形式の自伝で、まあ、文体が 「おしゃべり」
だから読みやすいですね。かなり暴走して言いたい放題のような所もあるのですが、実はそういうところに、この哲学者の人柄が感じられて、面白いと、ぼくは思います。
ところで、この本の眼目の一つは、 1928
年生まれの青春の回想
という所にあると思います。ぼくにとっては、なくなって久しい母や、叔母と同じ年です。彼は 1945
年
、 十八歳
だったんですね。子どもの頃は満州で育ち、その年には江田島にあった海軍兵学校の生徒だったそうです。
ある日突然の敗戦。入学したばかりの学校は廃校。シベリアに連行された父は消息不明。満州から逃げ帰った母は生死の境をさまよっている。学校も仕事も金もない。時代の岸辺に打ち寄せられた流木のような有様の十八歳。あなたなら、誰かが拾ってくれるのを永遠に待ち続けるでしょうか。
彼は 農業専門学校
に通い、生き延びるために闇屋を始めるんです。やがて、やくざな世界から哲学へと転回していく二十代の軌跡が、縦横無尽といった風情で語られています。そこまでが、この自伝の前半の山場です。
たとえば、 広島への原爆投下
を目撃した様子を 50
年後の 老哲学者
はこんなふうに回想しています。
ヒロシマに原爆が投下されるのも江田島から見ました。僕は満州育ちです。満州には海がありません。大連、旅順までこないと海を見ることは出来ません。今みたいにどこの小学校にもプールがあるという時代ではありません。中学校にはありましたが、戦争が始まって伝染病などの関係でほとんど使えませんでした。だから、僕は泳げません。
ところが、入学願書には、どれくらい泳げるかを書かされます。全然ダメだと書いたら落とされると思ったので。二千メートルと書いてしまいました。泳げといわれたら困るなと思っていたら、幸か不幸か、その年は瀬戸内海で伝染病は発生していて、水泳の練習はなかなか始まらなかったのです。
八月になってようやく水泳の練習を始めるというので、その朝カッターに乗って島の反対側に行きました。そちらがヒロシマの側です。服を脱いでふんどし一丁になって「さあ、海に入るぞ」と身構えた時、ピカッと光ってあたり一面暗い紫色になりました。そうして二十秒くらいたったときでしょうか、すさまじい爆風がきて、吹き飛ばされそうになりました。
上級生が「広島の火薬庫が爆発したんだ」といっていましたが、ただならない気配なので、とうとう海に入らないまま、また服を着て学校に帰りました。
あるとき、僕が委員を務めていた朝日新聞の書評委員会に 「原爆は本当に八時十五分に落ちたのか」 という本が出ました。それによると七時半という説もあるし、九時何分かいう説もあるそうですと朝日の記者が紹介したので、 そんなことはないよ、俺見てたもの といったら、皆ビックリしていましたが、確かに原爆を目撃したには違いありません。あんな悲惨なことになっているとは思いもしませんでしたが。
江田島の海軍兵学校
もただの学校として回想されていて、まあ、語り方がのんびりしています。原爆がどんな時代の始まりを意味していたのか、教えられることも気づくこともない少年。時代から放り出された十八才が、哲学が面白いと思うようになる敗戦直後の生活は、悲惨極まりない青春であるにもかかわらず、ユーモラスで痛快なんです。
小説家、 北杜夫
の 「どくとるマンボウ青春記」 (
中公文庫
)
という傑作があります。戦争直後、 旧制松本高校
から、 東北大学医学部
へ進んだ頃の思い出の記ですね。高校生の、頃夢中になって読んだ本なのですが、その作品と時代も重なっていて、雰囲気が似ています。
そういえば 北杜夫
も 木田元
も、それぞれ医学部と文学部哲学科で勉強の内容は違うのですが、出た大学は同じ 東北大学
でした。この学校には、なにか独特なものがあったのかもしれませんね。(S)
追記2022・05・06
どうして、そこにたどり着いているのかということについての、いろいろ、紆余曲折を説明するのは端折りますが、 2022年
の 5月
、 木田元
の ハイデガー
と メルロ・ポンティ
にたどり着いています。
「メルロ・ポンティの思想」(岩波書店)
と 「ハイデガー『存在と時間』の構築」(岩波現代文庫)
です。久しぶりに、毎日、少しづつ、辛抱して本を読んでいます。亡くなって、10年近い年月が経ちますが、ようやく 木田元
という哲学者と会って、その言葉を聴いている、ちょっと、ワクワクの日々です。
「この年になって、現象学の哲学史の講義を聴いてどうしようというのか。」
「オモシロイ!」
と出会ってしまった幸運に身を任せてどこまで行けるかという気分です。できれば、この案内で 「面白実況中継」
するところまでは、何とかたどり着きたいのですが、さて、続くでしょうか?
自宅の前にある小学校のグランドから子供たちの声が響いてきます。急な人出のニュースに、ちょっとビビった 2022年
の連休も、もう終わりなのですね。なにはともあれ、コロナが本当に収まればいいですね。じゃあ、乞う、ご期待!ということで(笑)、バイバイ。
追記2023・05・05
上の投稿をしてから1年経ちました。個人的な 木田元ブーム
は、実は、まだ続いていますが、何の結論も出ていません。わかったという、おぼろげな輪郭もないままです。それでも続いているのは、なんとなくの面白さが漂っていることはわかるような気がするからでしょうね。
まあ、根気よく続けます。今年中には、何か感想が云えるようにはなるでしょうね(笑)
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