PR
カレンダー
カテゴリ
コメント新着
キーワードサーチ
すでに訪れる者も尽きた受付で、退屈しのぎに啄木は歌を作っていた。歌はいくらでも、すらすらと鼻歌でも歌うようにできた。そして、歌ができればできるほど啄木の絶望はつのるのだった。 断るまでもありませんが、ここに登場する 「啄木」 は 高橋源一郎 の小説中の人物であり、引用された 「短歌」 は 「啄木歌集」 のどこを探しても見つけることはできません。
あほやねん、あほやねん、桂銀淑(ケイウンスク)がくり返すまたつらき真理を
ハーブティーにハーブ煮えつつ春の夜の嘘つきはどらえもんのはじまり
システムにローンに飼われこの上は明ルク生クルほか何がある
ぼくはただ口語のかおる部屋で待つ遅れて喩からあがってくるまで
啄木 に 二葉亭 の葛藤はなかった。だが、 二葉亭 の知らない葛藤を啄木たちは味わわねばならなかったのである。
ふるさとの訛なつかし 啄木 の、あまりにも有名な歌ですが、この言葉遣いはどこから出てきたのでしょうね。あるいは、近代日本文学は、いったい誰の口語で書かれていたのでしょうと問うことも出来そうです。 「言文一致」 と高校の先生は、ぼくも嘗ては言ったのですが、作品として出来上がった 「文」 は、いったい誰の 「言」 と一致していたのでしょう。生活の言葉を棄てた架空の日本語だったのではないでしょうか。
停車場の人ごみの中に
そを聴きにゆく
きみがむこうから 歩いてきて という、引用があり、 北村透谷 以下、 樋口一葉、尾崎紅葉、斉藤緑雨、川上眉山、国木田独歩 というふうに、当時の新聞に載った死亡広告が引用されています。
ぼくが こっちから
歩いていって
やあ
と言ってそのままわかれる
そんなものか 出会いなんて!
(辻征夫「きみがむこうから・・・」)
夏目漱石 氏逝く こうして、 二葉亭 の葬儀の場で始まった、ながいながい 「日本文学盛衰史」 は、近代文学という物語の終焉にふさわしく、登場人物たちの 「死」 で幕を閉じます。
現代我が文壇の泰斗
昨日午後七時胃潰瘍の為に大正五年十二月十日朝日新聞
週刊 読書案内 糸井重里「ボールのよう… 2022.05.12
週刊 読書案内 高橋源一郎「『ことば』… 2021.08.31
週刊 読書案内 高橋源一郎「読むって、… 2021.03.04