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関越道でバスが壁に衝突し、7人の死者と、45人の重軽傷者を出す事故が起こった。真に痛ましい限りである。新聞記事などの写真を遠くから見ると、バスは、防音壁にもたれ掛かっているようにも見えるが、よく見るとあろう事か、防音壁がバスの中央を切り裂くように(バスが防音壁に串刺しにされるように)なっているではないか。バスの事故多しと雖も、このような形の事故は珍しいと同時に内部の乗客は助かりようがないと感じた。解説の図や、写真などから判断すると、バスは、先ず、防音壁が始まる少し手前で、通常の低いガードレールにぶつかり、車体を半分ガードレール(道路)外に突き出したようで、その形で、前進する速度は、少し落ちたであろうが、そのまま防音壁に達し、バスの丁度センターを切り裂くようにほぼバスの全長に渡って切り裂かれやっと停止した様子である。この防音壁は、ガードレールよりも強度を上げ、作られたものではないかと思われる。なぜならこの防音壁を3mの高さにしたのは、下にもクロスする道路があり、之に上の関越道の車がジャンプして落ちないことを意図したものだと想像できる。もう少し手前で、バスが通常のガードレール部に当たっていたら、突き破って道路脇のブッシュの中に落ち込んでいたかも知れないし、もう少し遅かったら、バスは左側の側面を防音壁にスライドするように擦りながら落ちずに済んだかも知れないという微妙な位置関係のようだ。そのいずれの場合も、今回のように串刺しには成らない分、死者の数は減じていたかも知れないと思われるほど微妙な場所の様に思える。それにしても、この4月には、12日の昼間、祇園への車突入に始まり、22日の低気圧による突風にあおられトラック5台横転したのは別としても、23日には無軌道な18歳が京都・亀岡を暴走運転し、死者3人、負傷者7人を出し、その無謀さに怨嗟の声が出たばかりで、さらに之に呼応するかの如く、27日には千葉で通学でバス待ちの児童の列に車が突っ込み、児童1人が死に、付き添いの母親等数人が負傷するという事故があり、同じ日に愛知でも登校中の児童に車が突っ込み、2人が重軽傷を負っている。そしてこの関越道のバスが壁に衝突する事故であるが、この陰に隠れて同日、香川でも乗用車と観光バスが正面衝突する事故で8人が病院に搬送されるという事故も起こっている。約半月の間に、たて続けに7件の事故が起こった勘定だ。何処か異常を来した日本列島の膿があちこちで吹き出しているようにも見える。これらの事故は、それぞれに追求されるであろうが、追求したからと言って、その時はシリアスな顔をする朝のコメンテーターも、次の話題に映った瞬間あっけらかんと全て忘れているようで白々しい。バスは大量の人を運ぶ道路移送の有力な手段である。関越道の事故があって、反省としてか、之までのバスによる事故の代表的なものを新聞が記載していたので、そのまま転記すると、2005年4月の福島県猪苗代町の磐越自動車道で、大阪発仙台行きの高速バスが横転。乗客3人が死亡、約20人が重軽傷。2007年2月の大阪府吹田市の府道で、長野県からのスキー客を乗せた大型バスがコンクリート柱に衝突。乗員1人が死亡、 運転手と乗客約20人が重軽傷。 2007年10月の静岡県牧之原市の東名高速道路で、ツアー客を乗せた大型バスがトラックに追突。約20人が重軽傷。 2011年9月の三重県亀山市の新名神高速道路で、東京発大阪行きの高速バスがトラックに追突。約50人が重軽傷。2012年2月の福島県西郷村の東北自動車道で、スキー客を乗せたツアーバスが作業車に追突。約20人が重軽傷。と重大事故だけでも多く発生している。その度に、「有ってはならないこと」とか「今後このようなことの起こらぬように」とかその時は聞こえの良い言葉が聞けるが、マスコミやコメンテーターに何の力もなく、ただ事実を重苦しい様子で伝えるだけである。その中で、民主党の原口総務大臣(当時)が前原国交大臣(当時)に改善を要求したが聞き入れなかったと言うことを聞き、愕然とした。之だけの問題を起こしてもなお、国交省内部では、問題のプライオリティーは低いのであろう。今年の1月には「交通事故死、11年連続減」「昨年発生件数、70万件下回る」と新聞は伝えたが、それらが半年も経たないうちに帳消しになるような勢いである。確かに、交通事故に於ける自動車事故の死亡者は、1970年の16,765人をピークに漸減し、2006年には、4,914人と減り、その後はそのままの数字で推移しているようであることは間違いないが、時折センセーショナルな形で起こる航空機事故に比するとその度合いは遙かに多い。何時も身近に乗ろうとするバスが、このように事故を多発させては、おちおち何処かに行こうかなどとも考えられなくなる。今回の関越道事故は、昨今の格安不定期長距離高速バスの事故の典型である。昨今の旅行者の急増により、格安高速バス会社の数も3倍にもなっていると言うし、競争原理剥き出しの儲け主義は、明らかに運転手にしわ寄せされ、引いては、我々利用者が、命を賭けることになる。野放図な規制緩和が、悪夢を産む例の1つであろう。今後は、利用者の我々が、吟味して、バス会社なり、その元締めの旅行会社を常によく見きわめて利用しなければならないだろう。
2012.04.30
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朝早く、先輩から電話があり、「今掘った筍を届けるので下に降りてきて」と言われ、急いで戴きに降りた。今年は結構豊作だったが、今回で最後だと丁寧に紙袋に入れた大きなタケノコを貰った。聞けば、枚方に住む私の同級生にも家を訪ねながら届けたとかで、この後も高槻の同級生(共にバスケットボール部での後輩)にも届けるのだという。心臓ペースメーカーを入れておられるが、フットワークは軽い。有り難いことである。早速タケノコを湯がいておく時間だけ時間をずらして、かねて予定していた、連れ合いの2人の孫達を伴って「京都大恐竜博」に出掛けた。小学校に入った兄の方とは、既に何回か恐竜展に出掛けている。来年から幼稚園という弟の方とは、去年、福井の恐竜博物館に行ったのが初めてである。私はと言えば、のめり込むほどではないが、恐竜が好きでも、1人では出掛けるのも面白くなく、こんな機会は望むところである。連れ合いは、理科の先生と言うことでもないだろうが、恐竜が嫌いではなく、学生時代に野尻湖のナウマンゾウ発掘に参加したほどの、言わばベテランである。勿論、兄の方が恐竜に興味を示すのが早かったが、弟の方は、福井で、首が長い恐竜の模型を見て、いたく感動したのか、恐竜好きになっているようである。言わば、恐竜好き4人が恐竜博に行くのだから、それは楽しいものである。しかし、今回の大恐竜博は京都のパルスプラザという聞いたことのない場所で行われるので、たいしたものを期待していなかった。孫達のお目当ては、最後に通るお土産物店でのおもちゃの恐竜を買うことである。車に乗るなり、キーマンである連れ合いの顔を覗き込んで、「ねぇ、おもちゃ買って良い?!」と聞く。心得た連れ合いが「良いよ」と言うと2人とも「やったー!!」と言うことで、恐竜博そのものが一段と輝きを増すと言う仕掛けだ。朝出掛けるのが遅くなったので、会場に着く頃には、お昼の時間帯になってしまった。近くで手軽に食事をと、マクドナルドを目指すも通りすぎ、レストランでの昼食となった。兄は相変わらずのうどんと、弟は、お子様ランチがないのでミニ天丼と、それぞれにお腹を満たし、いざ会場について駐車場に入り会館の入口に行くと、何と長蛇の列である。それこそ、1列では並びきれず、折り返して最後尾に付くと、30分待ちだという。之は大変だとは思うものの、食べ物屋に並ぶわけでもないので、仕方がない。連れ合いが、場所取りと言うことで、1人列に並び、孫達は、周りの子供の10倍位元気よくそこら中を走り回る。中には、親の手を握り、じっと待つ子供がいるが、むしろそんな方が何故か不自然なほどだ。大人2人で行った利点を発揮、私が、羊追いの犬になった如く、孫達の行くえを追う。2人はある種連携しながらも、思い思いの方向に走り回るので、目がロン・パリになるほどだ。之もまた1つの楽しみだろう。弟の方は、少し陰にいたと思ったら、半分に割れたコンクリートブロックを抱きかかえて現れる。こりゃぁ大変だ、「落としたら足に怪我するよ」と、掛け寄り注意する。そんな中、列の順も入口近くになり待ち時間も10分を切る頃にやっと招集を掛け、列に並ばせた。入口付近の恐竜のティラノサウルスの看板前で2人の写真は期待に満ちている。入ると、すぐちゃちな内容であることは、分かるが、それは大人の見方。うんちの化石などに触り、後は、想像複製の恐竜が動くエキジビションのホールに入る。最初は緑の「パラサウロロフス」だ。さあ、こんな恐竜も居たのかと思う中、兄弟手をしっかりと繋いで見入る様は微笑ましい。次は、「オビラプトル」だ。少し色彩はけばけばしいが、之は聞いたことがある。仲良く並んだ2人に連れ合いは「卵を狙われて怒っているのよ」と説明をしている。恐竜は卵生であることに気づくのはいつ頃だろうか。隣は、緑色に彩色された「スピノサウルス」だ。ワニのような口をし、背中に垂直に大きな背びれが付いている。2人ともしっかりと見入っている。振り返らせて撮った写真は、お兄ちゃんはすまし顔で、弟は喜色満面である。次のは、大きく背中に多くのトゲを背負った「アンキロサウルス」だ。最大の鎧竜だとかで、確か富山県でも出土したとニュースであった。草食の恐竜だがでかくてなかなか迫力がある。2人ともしっかりと見上げている。反対側には、初めて聞く、「ペンタケラトプス」が居る。トリケラトプスの親類であろうか、5本の角を持つ恐竜で、名前もそのように付けられている。木の中から半身を出している部分的な小さな模型かと思っていると、何と、その全身がせり出してくる。そのような機械仕掛けになっているとは知らなかったので、とても迫力があり、そんな時に必ず挑戦的に手を出すのが弟の方だ。「やるならやるぜ」といった感じだろうか。角を折れると、「ディオフォサウルス」が大きな緑の体に赤いトサカを付けて立っている。横に回転して口を開けるなどと、工夫が凝らしてある。そこは大人しく短時間で通りすぎた。と言うのがその隣には、肉食のウシと書かれた「タウノサウルス」が、まさに他の恐竜を倒し、その内臓をえぐり取っている様を動かして見せている。口元は赤いペンキなのでリアルさには欠けるが食いちぎった肉を加え、血がしたたり落ちている。之には2人の目が釘付けになった。次は今回の目玉であるとても大きな模型で、暴君トカゲと説明された、「ティラノサウルス」の登場である。写真を撮るから「ギャオー」という顔をしてご覧というと、先ほどの肉食の恐竜を見た後だけに、お兄ちゃんの方は、今まで見せたことがないような怖ろしい形相をして見せた。弟の方は、なんだかとぼけた顔になったのもまた面白い。このティラノサウルスは、目玉というだけあって、色々な仕草をおよそ5分程度の間隔で繰り返していて、最後には口から息を吐き出すのだ。勿論圧巻は耳まで避けた大きな口を開くところで、カメラの枠からはみ出すほどの迫力だ。勿論2人は食い入るように5mはあろうかという巨体の高さのその大きな顔を見つめる。連れ合いも、之には感動したようで、3人ともその場所からなかなか動かなかった。やっと動いて振り返ったコーナーには、怖ろしいかぎ爪を持った2匹の「ディノニクス」に襲われる、「カスモサウルス」が血まみれだ。カスモサウルスもトリケラトプスの仲間だろう。可哀想にもがく、カスモサウルスに同情的なのは、弟の方が、トリケラトプスのファンだからだろうか。「お母さん助けてー!」と言わんばかりに叫ぶように、のたうち回る仕掛けに、「可哀想」と言いながらも、之もまた魅了されたようだ。兄の方は、ディノサウルスが他の恐竜を食べているところが見たかったという。次は大人しい、良い母親のトカゲと説明がされた「マイアサウラ」である。「ねぇ、良い母親って書いてあるよ」とは字が読めるようになった兄の方だ。そこは短時間で通ると、最後に弟の大好きな「トリケラトプス」の登場だ。かなり大きな模型が動くのを、弟は食い入るように眺めている。ティラノサウルスが豪快なら、草食のトリケラトプスは華麗であり、私も好きだ。会場の展示を見終わって、そしてお待ちかねのおもちゃコーナーである。兄は既に沢山の恐竜おもちゃを持っているのだが、その全てを暗記していて、之は持っているとか、たちどころに答が返ってくる。ふと手に取った一見精巧なおもちゃは、何と4000円もする。流石にこれはやめておこうねと、2人して止めた。大きさがほぼ同じで、安い方なら、2つ買ってもおつりが来ると言うことからか、連れ合いは、誘導尋問に掛かったように「2つ買っても良いよ」と言ってしまう。ところが変な現象が起きた。欲しいものが1つづつは有り、残りの1つが同一の「アンキロサウルス」だ。同じものを2つ買っても仕方がないので、それは「2人共通に使えばいい」と言うと、それならば要らないという。変な奴らだ。結局収まったのが、兄が「トリケラトプス」と「アンキロサウルス」で、弟は色違いの「トリケラトプス」と家にあるのとおそらく同じ「ティラノサウルス」と決まった。これらを振り上げて撮った写真は彼らのこの世の天国的な喜びで一杯だ。「やったー!!」という感じだろう。凱旋する2人の姿を写真に収めて後から見ると、連れてきて良かったと思うのである。かくして、重要な行事を終えて、家にたどり着いた時は、心地よいものの、ぐったりと疲れ知らぬ間に居眠りをしていた。
2012.04.29
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連れ合いが奉職する中学校の参観日だと言うことで、出掛けることにした。今までにも参観日には訪校したことはあるものの、目的意識もなく、ただ連れ合いの授業風景を見ると云うぐらいの漫然としたものだった。今回は、町の住民委員会で、教育部会とやらに所属したので、少し視点を変えて、現在の中学校が抱える問題の一端が理解できるかということで、注意深く見ることにした。朝1番 (1時限) からでも良かったのだが、何かと諸事にかまけて、参観したのは2時限目からだった。今日は来年高校受験を控えた3年生の教室は如何かと、3年生を中心に見て回った。2時限目に訪れたのは、女性教師による英語の教室だった。菅原道真について、京都と奈良を部隊に、日本の生徒がアメリカの生徒を北野天満宮に案内するといった内容で進められていた。寝ているというわけでもないだろうが、1~2人机に俯せて、全く授業には関係ないという連中がいた。私の中学時代とは隔世の感がある。勿論そのようなことは事前に情報を貰っていたので、取り敢えず見過ごすことにした。授業は比較的に順調で、先生の質問に手を挙げて答えようとする生徒がいることは昔と変わらない。最終段階で、先生が今日の授業をまとめようとした時だ。ある生徒が英語に関係なく全く別のことを質問したのである。先ほど机に臥していた2人の内の1人だ。少し怪訝な気持ちであったが、見過ごすと、時を移さず、また同様の無関係な質問で先生の授業の妨げをした。私はたまらず「君、うるさいぞ!」と大きな声を出した。一瞬教室内が締まったと思ったが、その君はなにやらごそごそしていたかと思えば、ぷいと立って、教室から出て行った。「これか!」と思い私は付いて出た。教室は3階で、1階降りる毎に「君は何という名前だ」と聞き、1階までに3回聞いたが頑として答えない。私は、しつこく、彼の後を付いていった。行くところが無くなったのか、職員室に飛び込んで、「この人何? 訳わからへんわ」とのたまわった。「訳の分からないのはお前だ!」と口に出したいものの、我慢して、事情を教頭先生に説明して、バトンタッチをした。いやはやである。3時限目は数学の「因数分解」である。数学辺りが、分からなくて、ふらふらするのが居るかと思った。例題として(x+1)(x+2)=x^2+3x+2というのが黒板に書かれていて、左の項から右の項への計算を「展開」、その逆を「因数分解」との話で始まった。数多く例題が、プリントで配布されており、出来る人は、どんどん前に進みなさいと言うことのようだ。私が見た最後列の生徒3人は、物足りないのか、どんどん先に例題を解いている。しかし、先生の言う通りを実直に書いていく生徒もいる。勿論端から分からず(分かろうとしないのか)よそ事のように無視する生徒もいる。之では理解力のある子供には、授業がつまらなくなるだろうと思うものの、町立の中学校では、これが限界なのかも知れない。ここで気づいたのは、PTAのお母さん(おばさん)連中のうるさいことだ。たまに会ったお知り合いかも知れないが、教室の中に入り、短時間ではあるが、本人達は小声のつもりで挨拶と近況の報告しあいである。ひそひそ話しているが、皆聞こえるわけで、さらには、暑いから教室の窓を開けっ放しにしているその廊下で、世間話に余念がないおばさん連中が居るのである。これも本人達は小声で密かに喋っているつもりなのだろうが、これが皆ぼそぼそと聞こえ、私ならず、きっと生徒達にも聞こえているだろうと思うと、「あんた達、何しに来てるのや!」と言いたくなるほどだ。この親たちにしてさっきの子供のような子ありかと思わせるものであった。昼休みに、わざわざ食事に出掛けるのも面倒で、控え室で、おかきを1つご馳走になり、4限目の「技術」の授業を参観した。機械と道具の違いを例題を挙げて、進めていた。機械について、しりとりで、10個名前をあげようとの話になったが、4つ目で頓挫した。「キカンシャ」の次が出てこない。生徒から声がないので、後ろの父兄の方に聞いてみましょうと振られた。2人しかいないもう一方の参観者の女性は、「思いつきません」と極めて自然に答えたので、私の番になりようやく「今はカメラというのだろうが、昔は写真機(シャシンキ)」というと、先生はいたく褒めてくれたのには、恐れ入った。そして、最後になかなか出てこなくてセンタクキの後に「キカンシャトーマス」で締めくくったのには笑ってしまった。機械と道具の違いは、3つの条件の1つである、仕組みがないということで結論はそれだけだったようだが、あまりしまりのない授業のような気がした。5時限目の「社会」の先生はベテランのようで、年配である。近代歴史の授業で、テーマは「民主化の進展」であった。連合軍総司令部の指示により、1.財閥解体と2.農地改革、3.米ソ対立(冷たい戦争:冷戦)についての話であった。近代史を平易に教え、おそらくは、指導要領に沿って教えるとこのようになるのかとも思ったが、日中戦争後の中国内部の抗争(蒋介石と毛沢東)では、毛沢東が「人民に優しい政治をしたので:、共産党が勝ち、今日に至った」と端折って説明したことに違和感を覚えた。毛沢東は最初の理念はいざ知らず、何千万人もの自国民を自らの政策の不備で殺した(餓死させた)ことなどこれでは分かるまいと思ったわけだ。そんなこんなで、5限まで、参観したが何とか現在の中学教育の実態の一端を知る事が出来たかと思っている。夕方は、連れ合いと我々共通の友人と、さらには、連れ合いが初奉職した小学校の教え子(今は55~56歳)さん5人と、連れ合いの兄が経営するカラオケクラブで、心行くまで楽しんで帰った。初々しい連れ合いが担当した教え子さんに映る良き先生振りを聞いて、友人も盛んに教師冥利に尽きると言っていた。私にも、こんな昔はあったのだが、さて、今の中学生はと聞かれると、そんな楽しい小学校生活を送ってこなかったのだろうなと、感じずには居られなかった。
2012.04.28
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予想された結果とは言いながら、なんだか絶望的になる。大物政治家と呼ばれる人物はかくも歪んだことを引き出せるのかという気持ちだ。「陸山会事件」というのはどういった内容で、どういう展開になるべきかかを自分なりに考えてみた。小沢一郎の公設第一秘書である大久保隆規が西松建設の巨額献金事件で有罪判決を受け、この下っ端である、石川知裕議員、池田光智秘書さらには田代政弘などが次々逮捕され有罪判決を受けたことで、言わば彼らの上司である小沢の共謀の有無を問われたが、起訴に至らなかったというものだ。検察の不起訴処分を不当として、検察審査会による強制起訴になったが、争点が、1.政治資金収支報告書への虚偽記載の有無、2.元秘書3人との共謀の有無、3.強制起訴自体の有効性などに絞られた。はや、この時点で、国会議員としての力量はいざ知らず、国会議員としての資質欠如で、議員を辞職する必要があったと思う。問題が複雑多岐にわたり、しかもこれらに対して、小沢自身の口から、何ら明確な回答を得られないままの無罪判決であり、到底納得のいくものではない。この間に、「郵便割引制度悪用事件」を担当し、データ改ざんまでして、冤罪を作り上げた前田恒彦元検事がこの事件にも拘わり調書作成をしたという、検察側汚点も絡まって、検察への不信感がより増してしまった。その影響で、多くの供述が証拠として不採用になったと同時に検察の何でも立件有罪化の方針への批判に焦点が行き、本事件へも大きく影響をした。ただ、西松建設の巨額献金や陸山会の世田谷土地購入で、4億円もの(こんな金は小沢にははした金のようだ)金が小沢から貸し付けられ、この点がクリアに説明されていない。建設業界との長年にわたる癒着の発覚を免れるために小沢が、陸山会に貸し付けた事まで認定しながら、秘書達だけがやったことで済むわけがないだろう。その為に、政治資金規正法を作り、何度も改正をしているが、この法律の虚を突く事件は枚挙に暇がないほどだ。4億円の出所の説明も、最初は政治資金と言い、次は、定期預金の担保での銀行融資と変更、さらには父親から相続した遺産と嘯き、いや、あれは帳簿等の記憶も記録もないとの証言を二転三転したにも拘わらず、あの冤罪まで作り出す、検察が出所特定さえ明確に成しえなかったのは何故だろうか。全く不可解である。通常に企業では、部下の失策は上司にありとのことで、上司が責任を取るのは当たり前になっている。その為議員の場合も、連座制という条項が新たに取り入れられて、秘書が有罪であれば、議員もその罪有りとされたが、この点にも、「全く関与しなかった」とか、「秘書が勝手にやった」と嘯き、それが又まかり通るという、摩訶不思議さである。裁判では、強制起訴は有効であり、虚偽記載も認定しながら、これらは秘書達のやったことであると逃げ、共謀性に於いて、知らぬ、存ぜぬだけを是として無罪となったわけだ。釈然とするわけがない。話はそれるが、今控訴中の3人の控訴棄却にも等しい判決でもあったのだが。ここまでの判決内容で、何故無罪なのか、更に疑問はつのる。「疑わしきは罰せず」という言葉も聞かれた。とんでもない話である。この言葉は、「刑事裁判において、被告人が不利な内容について被告人側が合理的な疑いを提示できた場合には被告人に対して有利に事実認定をする」と言うことだが、1つには之は一般の国民に適用すべき事であって、国会議員には当てはまらないと考えるのと2つ目としてなお、「被告人側が合理的な疑いを提示できた」と言う点でも何ら為されていないことである。法はどうあれ、ここまでの疑惑を持たれながら、しかも4億円の出所をコロコロ変える、何枚舌をも使い分ける人物が、この先、国政を担って良い訳がないというのがその意見である。政治かならずとも、「瓜田に履を納(い)れず」であり、「李下に冠を整(ただ)さず」である。昔「疑惑のデパート」と揶揄された首相も居た。こういった連中が国政を担っているのかと思うと、暗澹たる思いである。説明の責任も果たしていないとする追求もまた生ぬるい。自公も口にはするが、もう1つ覇気がないのは、自ら顧みてすねに傷持つ輩が数多居るからであろうか。藤村官房長官は裁判で説明責任は果たしたと極めて生ぬるい。国民の大多数は、未だに猜疑心を払拭できていないし、政治家としての資質を問題に思っている。指定弁護士(検察側)の控訴が待たれるが、先は暗い。それを見越してか、小沢側は、既に戦勝気分で、同罪で服役した鈴木宗男は喝采し、あの松木謙公等は涙までしている。さらには、ちんどん屋の谷亮子等は、「先生に国政を引っ張って貰わないと!」と馬鹿丸出しのアホらしさである。また、同じ年の2009年に同様の偽装献金事件疑惑を起こした馬鹿鳩までが、「早く元代表に大いに頑張ってもらえる状況を作って欲しい」と述べるに至っては、もう世も末だと思うばかりである。
2012.04.27
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今年2回目の定例ゴルフコンペが高槻カントリーであった。コンペは81回目という事だが、私はトータル36回の出場になる。 今回は、歯抜けの10組34名の参加で、我々は通常の4人組ではなく、友人の奥さんが都合で抜けたため、我々より2つ若い人との4人組であった。スタートは5組の最終だ。2日前、久しぶりに打ちっ放しの練習に行ったが、球の数は少なく(高く)なっていた。前に出来ていたようなことが出来なくなっている。やっぱり歳かと思ったが、3コイン(約145球)を打って、体は極限に来たが、少し感触が戻ったと言うところか。昨晩から雨が降り、予報では、傘マークながら降水量は0.5mm程度で、出来るのか危ぶんだが、曇りのまま経過し、気温も適度で、快適であった。最近は、消防署(119)ペースになってしまっているので、多いハンディーが少し恥ずかしくなってきている。インからのスタートを例によってホールバイホールで振り返ってみる。 No.10(M)は、左ラフだったが、まずは問題ないところだ。しかし、2打目で既にヘッドアップ、チョロしてしまった。続く3打は135YDの上りだ。比較的クリーンに振れたが、何と左バンカーにトラップ、焦って、出すもグリーンオーバーと上がってみれば、トリプルだ。友人Aは3パットながらボギー、友人Bも3パットで、ダボ、若い人は8打のスタートとなった。 No.11(S)は、余裕のあるクラブを選択したが、芯を外したものの、ランで何とかグリーンに駆け上がった球はピンから7mで、後続はないし、立ててある旗より近いのでニアピンではないか。ラッキーだった。しかし、バーディーはおろかパーも外しての3パットだった。友人Aはなんとダボ、友人Bはグリーンを外すも、1パットのパーだ。若い人はボギーである。 No.12(M)は、クリークのあるミドルで、今回も相性が悪い。ティーショットは極めて理想的(今までで1番)に、クリーク手前のFWセンターで先端だ。そこからは書くのもおぞましい、チョロ、続いて低く、岩に当たって左のグリーン上、それから返してエッジと上がってみれば、7打だ。ここで、何時も力落ちする。友人Aはボギー、友人Bはパーを拾い、共に1パットだった。若い人は、6打である。No.13(M)は、右が崖の、ドラ短ホールだが、ティーショットは、まず会心の当たりでFW真ん中だ。まずの2打目もクリーンに当たり、左ラフで残り50YDだ。ここでのコントロールショットはピンをかすめてオーバー、最後1パットながらボギーだ。友人Aも友人Bも共にボギー上がりだ。若い人は9打叩いていた。No.14(S)は、打ち降ろしで、グリーン手前は池である、どうも相性が悪いホールと言う観念がある。今日は左グリーンで、距離があるので、ウッドでトライしたら、会心の当たりで、オーバーだ。返しも、もたつきパットも惜しと、ダボである。友人Aと若い人はボギー、友人Bはあわやのところで手前の池に落ち、私と同じくダボだった。No.15(M)は、ドライバーは少し地面を叩いて、左ラフへ。2打目を又チョロして、後のショットも全く噛み合わず、パットは惜しかったものの、トリプル上がりだ。友人Aはボギー、友人Bは3パットでダボ、若い人は私と同じトリプルだった。No.16(L)は、打上、打ち降ろしだ。ティーショットは、当たりまずまずだが、左ラフに落ちる。若い人が一番よく、友人Aはミスでバンカーに入り、友人Bは私より後ろだった。2打目もクリーンに当たり、左足下がりのラフである。打ち降ろしで145YDは、何とかなるかも知れないが、嫌なライで、頭が上がってしまい、あろう事か十分避けられる右の池にこぼれ落ちた。従って1打罰の5オンでダボとする。友人2人と若い人は、友人Bのみ1パットで救われボギーだった他は私と同じ結果だった。 No.17(M)は、右ドッグのドラコンホールで、友人2人にとっては、越えられそうな位置に旗が立っている。友人Aは、距離は出たが左のラフへ、友人Bは旗に届かなかった。私も、当たりはまずまずだが左ラフと権利はない。ここでは若い人が、今日一番かのショットでFWセンターを捉えた。その後、私は2打で、40YDに付け、アプローチパットと普通で、ボギーだった。友人Aもボギー、1パットの友人Bはパーだった。若い人は何とダブルスコアであり、ゴルフはティーショットだけでないことを知らせてくれた。 前半最終、No.18(L)は、ティーグランドが少し後ろだが、前回よりも少し距離が出たものの、右ラフで、つま先上がりだ。友人2人は良い当たりでFWを捉え、拮抗している。私は2打を、FWに置くべく体を開いたのかも知れない。つま先上がりをすっかり忘れ、左に引っ張りすぎる形で左OBとした。引き続き打ち直し、2打、3打と刻む形で、最後80YDを残すアプローチで、池に落とし、何と7オン2パットと9打だ。(しかし、頭に血が上っていたせいだろう、2打罰を忘れているのを今気がついた。ま、いいや、時効だ。)友人Aは実力のパー、友人Bもボギー、若い人はダボだったから、私の申告に誰も気がつかなかったのだろうか。失格ものである。 10:55と前回より約30分遅れで前半を終わったのは2組目と5組目の差であろう。その分後半のアウトは11:30スタートと早く言うことで、ゆっくり食事は出来ない。既に、前の組は、第2打に掛かる位にやっとレストランから出た。No.1(M)は、FWセンターを捉える気分の良いティーショットだ。友人Aは打上で220YD飛ばす抜群なショットだから張り合えないが、友人Bには勝った。若い人も良い気分で、私をオーバードライブしていく。2打目は低い球で、50YDに付けた。3オンの2パット、出だしはよい。友人Aはバーディーを逃すパー、友人Bと若い人は私と同じボギーだ。No.2(M)は、ドラ短のホールで、旗を見たら結構距離が出ている。FWの始まりと旗までには広いスペースがある。どうせ私は2オンするのは無理だから、最終組でもあり、ドラ短を狙うべくアイアンで、辛うじてFWに届かせドラ短をものにした。2打目は今日1番と言う位にクリーンヒットし、目論見通りだ。3オンを3mに乗せたが、1パット目は惜しくも外れパーは取れなかった。友人2人はオーソドックスに、2オン2パットのパーである。若い人は4パットのトリプルだ。No.3(M)は、比較的長いホールで、今日のティー位置は後ろと直前は崖となっていた。ティーショットは綺麗に飛び、コースも良かった。友人も「巧い!」と言ってくれ、やれば出来るんじゃないかと思ったが、友人Aは遙かに前を行っている。2打目も超が着くぐらいよく、残り40YDだ。しかしここからがお粗末で、アプローチをオーバーし、1.2mに4オンしたが、1パットで沈めきれずダボだった。一寸したことなのにと思いながら、友人達のボギーを見ていた。若い人はトリプルだった。No.4(S)は、フラットなショートで、グリーンは右の方で少し長い。友人2人は1オンして待っている。大きめのクラブで振ったが、距離は良いものの、右のラフに落ちた。友人Bがニアピンを獲得、しかし、この賞は申告忘れで貰っていない。私は惜しい1パットを逃し又ボギーだ。若い人は1歩遅れてくる。No.5(L)は、右ドッグレッグの池有りコースだ。ここで、力んだのか、ティーショットは大きく左に、しかも高く上がり、あわやと思うと崖から落ちてきて助かった。2打目もダフリ気味で、残りは未だ170YD位ある。友人Aがミスショットした右崖方面に3打目で到達、ここで1打の差があるといった具合だ。4オンを果たしたが、ピンの位置からは遠くしかも2段グリーンのピンのない下段に落ちた。1パットが強すぎ3パットで、ダボとなる。友人A は3打目をダフリ、私と同じになった。友人Bと若い人はボギーである。No.6(M)は、打上、右ドッグレッグだ。ティーショットはまずまずのFWセンター。2打目も低いが50YDの左ラフだ。3オンは5mで、2パット目が実に惜しく、3パットした。友人Aに「3回目だな」と言われ、勿体ない感じだ。友人Aのボギー以外全員ダボだった。No.7(M)は、距離の長いハンディキャップ1のミドルで、ドラコンホールだ。友人Aは左に飛びOBすれすれで、私は、距離は出たが、左のラフに沈んでいた。ここで若い人が打った球はまっ直線にドラコン旗を抜いていった。ドラコン確保である、私は、2打目もクリーンに当たったが、クロスして右に出たので、OBかもと、暫定球を打った。(しかしセーフだった)3打目のクラブチョイスを誤って、オーバーし、返すランニングアプローチも強く、惜しい1パットを外し、ダボだ。友人Bは1パットを沈めパー。友人Aはドライバーのミスを背負って私と同じ。若い人はドラコンを生かし切れずに、トリプルだ。No.8(S)は、横長のグリーンで、カップは右に切ってある。ニアピンの旗は左の方にある。私はそこでOB。打ち直して尚乗らず、ダブルスコアだった。友人Aは1パットのパー、友人Bはボギーで、誰も1オン出来ず、旗の回収も忘れてしまった。最終No.9(L)は、ティーショットをトップ気味に最後はゴロで転がる始末。2打から4打まで刻んだように進み、アプローチもオーバーするなど、良いところ無しで終了だ。8打も叩いた。友人Aも、最終でOBとなり8打、若い人も8打で終了、ただ友人Bのみ、1パットのパーで上がった。大忙しの表彰式で、友人Bが初めて優勝するという快挙であった。次回の私のHDCPは32になる。早く何とかしなければと思うが、之ばかりはどうにもならない。優勝した友人Bは何とHDCPは下がって13となる。えらい違いだ。今日は、ニアピンと、意識してのドラ短で我慢しよう。しかし4回あったパットの「惜しい!」だけは何とかしたいものだ。
2012.04.26
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今月22日、おそらく日本国民には直接影響はないかも知れないフランス大統領選挙が行われて、1回目の投票では決まらなかったようだ。現職のサルコジ大統領は、フランスが第5共和制を敷いた第6代目の大統領である。1959年からの初代シャルル・ドゴール、第2代のポンピドー、第3代のジスカールデスタン、第4代のミッテラン、第5代のシラク、そして現在のサルコジと、6人しか居ないのだから、覚えている人も多いかも知れない。勿論その間に首相は18人程度替わっているが、何と言っても大統領制の国では、国家元首は大統領であり、首相の影は薄い。その点議会制民主主義の我が国では、1959年以降26人もの首相(トップ)の交代があった。お手本にしたイギリスでも、1959年以降は、10人が交代しているに過ぎない。気に入らなければすぐ変わるというのが日本なのか、無能だから続けられないというのが日本なのか、とにかく政治の上では世界に注目される存在には成り得ない。そう言ったことはさておき、今回のフランス大統領で、現職のサルコジ大統領はすんなりと、再選されず、社会党のオランド氏が高得票を得て、サルコジ大統領との決選投票と言うことになったようだ。しかもこの2人同年齢の57歳だという。そこで、両者の主な主張を新聞で拾い読みすると、極めて明瞭で、身近な相反した争点が見える。改めて気になる点を抽出すると、項目 サルコジ オランド税制 付加価値税率引き上げ 富裕層の所得税引き上げ同上 金融取引税導入 銀行や石油会社への新税原子力 推進 原発依存低減といった内容が書かれている。これを見る限り、短絡的にオランド氏に当選して貰いたいとよそ事ながら思う。泡沫候補もいるようだが、主要候補は、両氏を含め5人で、両氏以外の得票率は約30%だと言うことだ。第1回投票で1位になったオランド氏の得票は、28.63%で、2位サルコジ氏は27.08%とその差は僅かに1.55%しかなく、予断を許さないところだ。旧いデータだが、1986年のフランスの登録有権者数は3,750万人ほどで、投票者数や投票率(78.1%位らしい)等を鑑みても、3,000万人程度が投票することになるようだ。羨ましい感じで、3,000万分の1でしかないが、直接選挙に関与できていると言うことだろう。そうすれば、民主党が政権を交代した時のマニフェストに、守られなかった項目が多々(殆ど全部)ある中、唐突に消費税の引き上げが天命の如く突っ走る現野田政権などは、いかにももどかしい感じがする。オランド氏は、経済通で、「富裕層の所得税引き上げ」を謳い、更に、「銀行や石油会社への新税」を挙げている。我々庶民にとって、これ程分かりやすく、支持したい気持ちがする公約はない。ひがみで言うわけではないが(かも知れないが)例えば、高級議員宿舎(実勢40数万円の家賃が10万円足らずで更に値下げ!?)など、どれを取っても、不平等、不公平、不合理な策はない。結局は民主党なるものが、玉虫色の政党であり、右から左まで、間口は広く奥行きが狭いことも、旧弊を破り得ぬ原因であろう。今や既成政党に期待する人は居ないにせよ、当面はこの体制で突っ走るのだから、どのように決められても、お上の言いなり(いや民主主義の多数決で決まった!?)で行かなけれいけないのが辛い。富裕層に屋上屋を架すようなことを何故するのだろうか疑問であるが、この疑問を容易に解答してくれる人は居ない。ただ、この事を飯の種に、ああでも無い、こうでもないとさえずり雀が多いことだけは確かである。「銀行や石油会社への新税」についても、銀行が倒れたら恐慌になると言うことで、怪しくなったら国民の血税を注ぎ込み、一新した従業員の給料は、民間の他の業種の2-3倍というのだから、話にならない。石油会社なども、石油が止まったら、エネルギーが無くなるぞと、これまた大恐慌と煽り立てるから、あだやおろそかには出来ずにいるのが日本である。他にも過剰な利益を上げ、一般の人間には到底わかりにくい絡繰りで運用する通信会社なども之に入れても良いと思う。そしてオランド氏の極めつけは、「縮原発」であろう、極めて明快な方向性である。日本では今大飯原発再稼働ありきで、侃々諤々の中、巷の雀までが話題にし、「電力不足って本当?」と素人までが言いだしている。個別論議もさることながら、方向性が見えない政策に、我々は苛立つのは、大飯が再稼働なら、次々となし崩しに再開発をするといった体質は政府の従前のやり方であるからだ。そんな中、ドイツのメルケル首相も元は推進派であったそうだが、今は縮原発から脱原発に方向を切っている。之が「君子は豹変す」、という真の適用例ではないだろうか。不足電力は原発保有のフランスから購入できるから等と言うことも挙げられていたが、ドイツの2050年を見据えた再生エネルギーの割合は80%と掲げている。やれば出来ると言ったことが覗える。世に「既得権」というものは、貧乏人から富裕者まで、之を破ることは誰もが好まないようだ。天下り然り、原発交付金を貰い不釣り合いな箱物(個人にもなにがしかお金が渡っていると思うが)を得た住人然り、麻薬が止められない者どもと同様、将来の危険や、孫子の危険までは考える余裕もなく、ただいまが良ければ、他はどうなろうと・・・。と言う性根だろう。一寸遠いけど、小浜市がオバマ氏を応援したように、日本の片田舎からフランスのオランド氏を応援したい気分だ。
2012.04.25
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かねて気になっていた連れ合いの実家の庭の手入れをした。周りの家に比べて、少し広い感じの庭には、所狭しと、樹木が植わっている。時々木を刈り込んでいて、前回は1ヶ月ほど前に手を入れたが、高さの高い木には手が届かず、特に道路に面した側の、形が整った槙の木のトップにニョキッと伸びた新しい枝は、一寸気になっていた。朝、連れ合いを学校に送り届け、その足で早速庭の手入れを始めたのだが、正月前に刈って飾っていた葉牡丹も、大きくなりすぎて、最早見苦しいというか、明らかに、景観を損ねている。兼好法師なら、庭のあり方を如何に云うだろうかなどと考えながら、「鎌倉時代にはコンクリートもなかったしなぁ」とも思った。2鉢あった葉牡丹を根こそぎ抜いて、土を取り、ゴミ袋に収納した。それまであったという脚立も無くなっていたので、連れ合いが新しく購入していたものを使い、槙の木のトップにはみ出し延びた葉を切るべく脚立に上がるも、高さが不足していたので、届かず、塀の上に足を掛けた。大谷石で出来た塀の上部の石は、モルタルの上に載っているだけで、既に横方向の力には弱くなっているので慎重に登る。門の横の形作られたツゲの木も、飛び出した目を摘み揃えた。あしび、大手まりなど、鉄柵を越えて、道路側にはみ出ている部分を、邪魔にならなく、かつ見苦しくない程度に、切り取った。甘茶、サルスベリなどには差ほどの手間は掛からない。しかし、松から芽が出て、盛んに花粉を散らしている。松ばかりは、芽の剪定についても、真中の芽を採って二芽残す等となかなかうるさく、専門の手に依らないと枯れさせる恐れがあると聞くので、控えることにした。周りに手を入れていると俺の子孫を繁栄させるのだとばかり盛んに花粉を放出してくる。前回切っておいたタイサンボクは大きな枯れ葉を見つけて取り除く程度である。山桜桃(ユスラウメ)もさして手が掛からない。ただ、この一帯の地面には、雑草が生えており、この雑草は意外と簡単にさらうように取れる。しかし、端に植えられた、柊に手が触れると鋭利なトゲが指にちくりと痛い。何で、こんなトゲで武装する必要があるのだろうか、タイサンボクの大きく丸い葉に比べて、いかにも攻撃的である。通路側に植えられた平戸ツツジは、これから咲こうとしている事はつぼみが物語っている。これが一斉に咲くと綺麗だ。端の平戸ツツジの奥のコーナーにはキンモクセイが、これも高く伸び上がっている。上部を刈るのに脚立と隣の塀に足を掛ける。見れば、隣との塀を越えて随分とお邪魔しているようだ。ある程度刈り込んで、邪魔にならない程度にし、隣に落ちた葉っぱを、外に箒で掃き出した。家の壁側には、鉢植えのまま置いてあった桜の木を、以前私が移動したこともあって、1本は枯れ、1本が残るだけとなっていて、その枝には、既にサクランボがつぶつぶで緑色の小さな実を付けていた。これは注意しないと、去年、熟した実を取ろうとしたその前日に泥棒に残らずもぎ取られてしまった。「心なく、苦々しげなることよ」と兼好法師は言うだろう。玄関側から裏手に回って、サツキや柊南天などは、前に手を入れたので少し刈る程度である。丁度玄関前に、鉢に植えたまま大きくなったりんごの木が、白く小さな花を一杯咲かせていた。これは花を愛でるだけで、素通りだ。反対隣の家との境に、異常に高くなったモチノキが、赤い小さな実を付けながら新しい枝を更に上に延ばそうとしている。これも前から気になっていたところだ。脚立に上がり、又隣家との塀に乗り移って、やっとの思いで上に延びすぎた枝の元を切り落とした。さらには隣家の裏側に伸び出している枝も、切り落とし、少しすっきりした。地植えの牡丹、南天、あじさいなどは差ほど手が掛からない。と言うより、あじさいは放って置けばどんどん伸びるので、前回ばっさりと小さく刈り込んでいたのが、いま丁度良い具合に新緑でまあるくなっている。さて裏側の柿の木は、前回手を入れたので一寸切りそろえるだけでよく、キンギョ葉ツバキなどは、一寸盛りを過ぎて、花が枯れているのを見苦しくない程度に摘み取った。その横の蔓バラは、連れ合いが、買ってきた苗木から、大きくなったようだが、何と蔓ばかりが長く不自然に伸びて、花を付けると美しいが、蛇のようにうねる枝は何とかならないかと何時も思っていた。バラに刺があるのは当たり前だが、柊よりも更に攻撃的である。何とかコンパクトに纏めたいと思うものの、それも出来ず、今回見てみると葉が萎れ枯れかかっている。取り敢えずは、そのままに放置した。裏手は、町の小さな公園の一角だ。ピンクのサザンカはもう時を過ぎているので、ツバキ同様見苦しくなった花が散乱している。山ツバキなども旬を過ぎている。こういった花は、咲けば綺麗で、花が落ちて無くなれば、また青葉で良いのだが、過渡期の状態は、汚らしく感じる。兼好法師だったらどう言うだろうか。その横の小手毬は、公園の方にしな垂れかかっているが、はみ出した分を、一度切ろうとしたら、公園に来ていたお年よりの女性に「風情があるのでそのままにしておいて下さいね」と云われたらしく少し手を入れただけだ。ここにも徒然草にあるように、ゆかしき庭の風情を楽しむ隣人や知らない人達が居るのかと、少し心が和む。ならば、更に一層手を入れなければと思いつつ、つい他のことにかまけることが多いのは、未だ若いせいだろうか。朝8時半頃から始めて昼を過ぎるまで没頭していたら、腰が痛くなったが、一渡りの区切りを付けて、予定通りゴルフの練習に行った。先に体を使っていたせいか、少し体の周りがよく、1コイン45球に減った練習ボールを3コイン打って、帰途についた。
2012.04.24
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第七十一段【本文】 名を聞くよりやがて面影は推し測らるゝ心地するを、見る時は、また、かねて思ひつるまゝの顔したる人こそなけれ、昔物語を聞きても、この比の人の家のそこほどにてぞありけんと覚え、人も、今見る人の中に思ひよそへらるゝは、誰もかく覚ゆるにや。 また、如何なる折ぞ、たゞ今、人の言ふ事も、目に見ゆる物も、我が心の中に、かゝる事のいつぞやありしかと覚えて、いつとは思ひ出でねども、まさしくありし心地のするは、我ばかりかく思ふにや。【訳文】 人の名前を聞くと、すぐにその人の容貌が推測できるような気持ちがするのに、実際に逢って見る時には、しかしながら、予想して来た通りの顔をしている人はないものであるが、昔の物語を聞いて、その中の事実が、今時の他人の一家のあのあたりで起こったのであろうと思われ、物語中の人物も、現在見ている人の中に自然に考え擬せられるのは、私ばかりでなく、誰でもかように感ずるのであろうか。 それからまた、どうかした折に、ちょうど今、人が言っていることも、わが目に見える物も、自分の心の中に、これと同じ事がいつかあったのだがなあと思われて、それがいつのことか思い出せないけれども、たしかにあった気持ちがするのは、私だけがかように思うのであろうか。【注釈】・面影:顔つき第七十二段【本文】賤(いや)しげなる物、居(ゐ)たるあたりに調度の多き。硯に筆の多き。持仏堂に仏の多き。前栽に石・草木の多き。家の内に子孫(こうまご)の多き。人にあひて詞(ことば)の多き。願文(ぐわんもん)に作善(さぜん)多く書き載せたる。 多くて見苦しからぬは、文車の文。塵塚の塵。【訳文】 いかにも下品な様子に見える物を挙げてゆくと、坐している周囲に道具類が多く置かれていること。硯の中に筆がたくさん置いてあること。持仏堂に仏像がたくさん安置してあること。庭の植え込みに石や草木がごてごてとたくさんあること。家庭内に、子や孫が大勢いること。人に対する時に、やたらに多くのことばをしゃべること。願文の中に、自分の善根を行なったことをたくさん書いて載せてあること。 いくら多くても、見っともなくないのは、文車に載せてある書物。ごみの拾て場所にあるごみ。【注釈】・賤しげなる物:下品で心の劣っているように見える物・願文:神仏祈願の趣意を記した文・作善:果報を受くべき善因・文車:書物を運ぶために室内で用いる小さな車第七十三段【本文】世に語り伝ふる事、まことはあいなきにや、多くは皆虚言(そらごと)なり。 あるにも過ぎて人は物を言ひなすに、まして、年月過ぎ、境も隔りぬれば、言ひたきまゝに語りなして、筆にも書き止めぬれば、やがて定まりぬ。道々の物の上手のいみじき事など、かたくななる人の、その道知らぬは、そゞろに、神の如くに言へども、道知れる人は、さらに、信も起さず。音に聞くと見る時とは、何事も変るものなり。 かつあらはるゝをも顧みず、口に任せて言ひ散らすは、やがて、浮きたることと聞ゆ。また、我もまことしからずは思ひながら、人の言ひしまゝに、鼻のほどおごめきて言ふは、その人の虚言にはあらず。げにげにしく所々うちおぼめき、よく知らぬよしして、さりながら、つまづま合はせて語る虚言は、恐しき事なり。我がため面目あるやうに言はれぬる虚言は、人いたくあらがはず。皆人の興ずる虚言は、ひとり、「さもなかりしものを」と言はんも詮なくて聞きゐたる程に、証人にさへなされて、いとゞ定まりぬべし。 とにもかくにも、虚言多き世なり。たゞ、常にある、珍らしからぬ事のまゝに心得たらん、万違ふべからず。下ざまの人の物語は、耳驚く事のみあり。よき人は怪しき事を語らず。 かくは言へど、仏神(ぶつじん)の奇特、権者(ごんじゃ)の伝記、さのみ信ぜざるべきにもあらず。これは、世俗の虚言をねんごろに信じたるもをこがましく、「よもあらじ」など言ふも詮なければ、大方は、まことしくあひしらひて、偏(ひとへ)に信ぜず、また、疑ひ嘲るべからずとなり。【訳文】 世間で語り伝えていることは、事実談ではおもしろくないのであろうか、その大部分はみないつわりごとである。 世間の人々は実際にあるよりも以上に物事を大げさにこしらえて言う上に、まして、年月が経過し、場所も遠く隔たってしまうと、言いたい通りに語りこしらえて、筆によっても書き止めてしまうので、すぐに、その通りにきまってしまうのである。それぞれの専門における芸能の上手と言われる人のすばらしい事蹟などは、道理をわきまえずして、その芸道のことに通じない人は、やたらに、神様のように崇(あが)めて言うけれども、芸道に通じている人は、いっこうに、それを信仰する気も起こさないものである。どんなことでも、噂に聞くのと実際に見る時とは、何ごともちがうものなのである。 語っているそばからうそがばれてゆくのを気にかけず、口から出まかせにしゃべりちらすのは、すぐに、根拠のないこととわかるのである。次にまた、自分でもほんとうでないとは思うものの、人の言った通りに、鼻のあたりがぴくつきながら言うのは、その人のうそではなくて、始めに言った人のうそなのである。また、いかにもほんとうらしく、話の所々を不審がって、よくも知らない風をし、そのくせ、話の端々をつじつまを合わせて語るうそは、誰でも信用するので、恐ろしいことなのである。また、自分にとって名誉となるように他人から言われたうそというものは、言われた本人はたいして言い争って否定しはしないものである。また、人がみなおもしろがるうそは、自分だけひとり、「そんなでもなかったものなのになあ」と言っても仕方がないので、黙って聞いているうちに、それを認めた証人にまでされて、うそがますます事実として決定してしまうのであろう。 何にしても、うそのあまりにも多い世の中である。こういう世間では、うそをば、ただ、普通にありふれた、珍しくないこととして受け入れているのが万事に間違いがないであろう。下層階級の人の物語には、聞いてびっくりすることばかりである。身分のある、立派な人は、不思議なことを語らないものである。 以上のように言うものの、神仏の霊験、また、神仏の人間として現われた人の伝記については、そう一概に信じてはならないというわけでもない。こうした方面のことは、その中にまじっている、世間一般のうそを本心から信用しているのも馬鹿らしいし、「まさかそんなことはあるまい」などと否定していっても仕方がないので、大概は、真実あったこととして相手になり、心中には、いちずに信じてはならず、また疑って馬鹿にしてもならないものなのである。【注釈】・あいなき:おもしろくない・あるにも過ぎて:あるよりもっと過剰に・言ひなす:わざと言い変える・物の上手:芸能に達した名人・かたくななる人:ものの道理のわかってない人・そゞろに:むやみやたらに・さらに:少しも・かた:一方には・あらはるゝ:虚偽が露顕する・浮きたる:あてにならない・げにげにしく:いかにももっともらしく・おぼめく:おぼつかないと思う・つまづま:はしばし・あひしらひて:応対する第七十四段【本文】 蟻の如くに集まりて、東西に急ぎ、南北に走る。高きあり、賎(いや)しきあり。老いたるあり、若きあり。行く所あり、帰る家あり。夕に寝(い)ねて、朝に起く。いとなむ所何事ぞや。生を貪り、利を求めて、止む時なし。身を養ひて、何事をか待つ。期(ご)する処、たゞ、老と死とにあり。その来る事速かにして、念々(ねんねん)の間に止まらず。これを待つ間、何の楽しびかあらん。惑へる者は、これを恐れず。名利に溺れて、先途(せんど)の近き事を顧みねばなり。愚かなる人は、また、これを悲しぶ。常住ならんことを思ひて、変化(へんげ)の理を知らねばなり。【訳文】 蟻のように群集して、あるいは東や西に急いで行ったり、あるいは南や北に向かって走ったりしている。そうした人間の中には、身分の高い者もおり、賤しい者もおり、また、年をとった者もおり、若い者もいる。そして、行く所があれば、また、帰る家もある。その生活は、夕方に寝ては、朝に起きることをくり返している。その人間の毎日せっせと努力している所は、一体何であるか。あくまで長生きしたいと願い、また、利益を求めて、止まる時のないありさまである。 人間が、養生して長生きしたとして、一体どんな事を待ち迎えるのか。待ち受けるところは、ただ、老いと死だけである。この二つのものがやって来る事は迅速なもので、瞬間と瞬間のあいだにも休止することがない。この二つを待ち迎える人間の生きている間に、何の楽しみがあろうか。ところが、人間の中の迷っている者は、老いと死の到来の迅速なことを恐れない。それは、名誉や利益を得ることに夢中になって、人間の到達点である死が近くにあることを反省しないからである。また、愚かな人は、老いと死の迅速にやってくることを悲しんでいる。それは、わが身がいつも変わらないことを願って、一切の事物の変化してやまない理法を覚(さと)っていないからである。【注釈】・いとなむ:つとめて物事をなす・期する:期待する・念々の間:きわめて短い瞬間・先途:到達する地点(老いと死)・常住:我が身の何時までも変化しないこと第七十五段【本文】 つれづれわぶる人は、いかなる心ならん。まぎるゝ方なく、たゞひとりあるのみこそよけれ。 世に従へば、心、外の塵に奪はれて惑ひ易く、人に交れば、言葉、よその聞きに随(したが)ひて、さながら、心にあらず。人に戯れ、物に争ひ、一度(ひとたび)は恨み、一度は喜ぶ。その事定まれる事なし分別みだりに起りて、得失止む時なし。惑ひの上に酔へり。酔の中に夢をなす。走りて急がはしく、ほれて忘れたる事、人皆かくの如し。 未だまことの道を知らずとも、縁を離れて身を閑(しず)かにし、事にあづからずして心を安くせんこそ、しばらく楽しぶとも言ひつべけれ。「生活・人事・技能・学問等の諸縁を止めよ」とこそ、摩訶止観(まかしくわん)にも侍れ。【訳文】 することもない生活の所在なさを苦しいと思う人は、どのような心なのであろう。何物にも心がひかれて移り動くことがなく、自己の身がただひとり静かに保たれている状態が何よりも好ましいものである。 世間に順応してやってゆくと、人間の心は、外部の塵境に気をとられてたやすく迷い乱れ、他人と交際すると、人間のことばは、他人にどう聞こえるかに規定されて、心の真実のままではないのである。人におかしいことを言ったり、他人と言い争ったりし、ある時は相手の人を恨むことがあるかと思えば、ある時は喜ぶことがある。しかも、こうしたことが変化して常のない状態である。分別心がむやみに発動して、損得を思う心が絶え間なく動いている。これは、心が迷い乱れている上に、さらに、心が酔いしれているのである。しかも、その酔いの中に夢を見ているような状態なのである。身は走りまわってせわしくなり、心はぼんやりとして自己を忘れている点では、すべての人がかくのごとき状態である。 まだほんとうの仏の道を悟ることはできなくとも、我と外境との交渉を離れて、一身を閑静な状態に置き、周囲の雑事に関係しないで、心を安楽にするということこそ、かりそめにも楽しむことと言えるのである。「生計・社交・技能・学問などとのかかわりあいを止めてしまえ」と、『摩訶止観』の中にもございます。【注釈】・まぎるゝ方:心が他の物事にひかれ移ることがなくて・外の塵:心の外部にある人の心証を汚すもの。六塵(色・声・香・味・触・法)・ほれて:ぼんやりして・摩訶止観:中国天台宗の根本聖典
2012.04.23
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今日は、気分転換に温泉でも行こうと云うことで、連れ合いが近場の温泉地を探して、見つけたのが、伏尾温泉であった。最近は、海外旅行から、プチ旅行に至るまで、広告冊子やチラシ、ダイレクトメール、新聞とその膨大な量の旅行へのお誘いが氾濫には驚かされるが、その中の1つにこの伏尾温泉の名があったというわけだ。場所は、住まいからも程近い大阪府内の池田市の奥にあるという。何時もよくゴルフに行く近くであったが、今までこんなところに温泉があるなどとは知らなかった。温泉という名を聞くと、折角なら一寸遠出をという感じだが、何しろ温泉なのだからと近場で十分と決まったわけだ。一寸雨交じりの天候であるし、日曜で交通渋滞なども考慮して、例によって早めに出ることにした。私の何でも早めと言うことについて、当初連れ合いは、「何で、こんなに早く?」という反応だったが、もう既に慣れっこになっている。ところが小雨のためか、171号線はがら空き状態であった。地図の案内によると、箕面の有料トンネルを潜って、すぐ右折をすれば近いと書いてある。で、そのトンネルを潜りアプローチロードを降りると、右折は通行止めとなっているではないか。「そんな、アホな」またトンネルを戻り、遠回りか!」などと思い、温泉の宿、不死王閣に電話してみると、出てきた女性は、一寸お待ち下さいと例のオルゴールが長く続く、事前にイライラしていたこともあり、次に出てきたフロントと名乗る男性に食事を予約しているものでと名前を云うと、「えーっと、団体様ですかね」と返ってくる。ますます頭に血が上り「トンネルを通ってきたけれど、道は通行止めだし、オルゴールを聴きに来たわけでもないし、もうキャンセルだ!」というと、「まぁそういわずに」と電話でやり取りしたところ、一寸左折した側になにやら昔から道を造っているのを思い出した。どうもそれがバイパスであるらしく、取り敢えず行ってみると、その通りで、2時間かかるつもりが1時間ほどで着いてしまった。余り早すぎると言うことで、不死王閣の下の駐車場で時間待ちをしていると、今度は向こうから「道に迷われているのでしょうか?」と聞いてきた。「じゃぁ、そろそろ行くか」と不死王閣の駐車場の方に移動した。一般の車は少ないようだが、旅館のシャトルバスが次から次へと池田駅から多量の客を運んで来ているようだ。何と結構混んでいるではないか。露天風呂あり、春は桜が、秋には紅葉との謳い文句だが、もう少し早かったら、きっと桜も綺麗だったろうなと思わせた。桜には少し遅く、新緑には少し早いと言うことだが、それでも温泉に浸かりに来る人は多いらしい。この温泉の泉質は天然ラジウム泉の炭酸泉で、リウマチ・痛風・動脈硬化・高血圧・慢性肝・胆道疾患・外傷後遺症に効能があるという。さらに、単純放射能泉(天然ラジウム泉)なんて書いてあるではないか、「え!放射線」と、妙に過敏になっている自分に気づくが、高血圧が良くなればいいか、と単純に考える。それでもラドンといえば放射線を発するわけで、肺ガンに関して危険であるとの記事もある。まぁ、みんなで入れば怖くない、というわけでもないが、取り敢えず昼食の部屋に案内された。個室になっており、結構贅沢な気分にさせてくれ、料理も美味しかった。食休みの後温泉に入ったが、露天風呂からは、八重の桜だろうか、未だ満開に近い桜が一本残っていた。そして、この温泉には「衣懸けの湯」という名前が付けられているとの説明があり、その名前の由来は近くの標高315mほどの五月山の頂上付近にある「衣懸けの松」にちなんだとのことだ。池田に伝わる「織姫伝説」では、呉の国から来た呉織(くれはとり)と漢織(あやはとり)という2人の女神が織物の技術を伝えたといい、この織姫が染めた絹をかけて干したと伝えられる松が、「衣懸けの松」というわけだ。帰りにフロントで、「そんなパンフレットはないか」と聞くと、「ありません」だった。ここは、顧客管理も手でやっているようだし、古めかしいが、そう言った故事などについても勉強不足な感じで、営業的には、今一という感じだ。しかし、ここに温泉が出そうだという慧眼が創業者にあったようで、「東は箕面に温泉があり、西は宝塚に炭酸泉が出ている」さすれば、この2点を結んだ線上だから温泉が出るのではないかと掘り始め、2年掛けて掘り当てたのだそうだ。なかなか立派である。1時間ほど温泉に浸かり出てくると、何時までもほかほかとして良い気分になった。帰りは、池田方面から吹田の友人宅に立ち寄り、遅くなった中欧旅行の土産を置いて(丁度留守だった)帰った。夕食は、太郎君一家と一緒に食べたが、連れ合いの孫達が日に日に成長しているのを感じて、時が流れているのを実感したのである。
2012.04.22
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先輩のお伴で、母校のバスケットボール部を訪問した。もう何度通ったか分からないほど、結構足繁く通っている。それというのも、今期から先輩が母校バスケットボール部のOB・OG会長になり、そのついでに私が副会長(他にも数名いる)ということで、新体制で出発と云うことでの内々の打合せであった。母校バスケットボール部の創部は結構古く、近く90周年を迎えると云うことだが、OB・OG会は私が在籍した頃に比べて低調となり、ついには立ち消えになっていたところ、3年前に再立ち上げをして、若い(といっても50代は超えている)人に会長を依頼して今日まで来たのだが、何と大阪市内の中学校の教師であるその会長は、会長就任時の総会で、1度挨拶をしたきり後は一切何も行動をしなかったという極めて不可解な男であった。先輩が音頭を取って、若い適当な人に依頼すべく発足前2回ほど会合を開き、先輩の奢りで飲んだ時はさもやりそうな雰囲気であり安心をしていたのだが、蓋を開いてびっくりである。先生という職業は忙しく大変であることを知った私は、結構我慢をしていたが、先輩から、連絡すべく電話をしても、又留守電にメッセージを残していても、一切返事がないのである。こんな先生、いや、人間は見たことも聞いたこともないので、我が後輩なのかと唖然とした。(今でも、唖然とし続けている)その彼も、就任以降2回総会場に顔を見せたことがあるが、何と、総会が終わり頃に、現れ、何の断りもなくただ奥さん(奥さんには会計をお願いしていた)を迎えに来たというためであったということだから驚いた。こんな男に、教えられている子供は一体どうなるのだろうかとさえ思った。その後、適任でないことがやっと周知され、他の人材をと探したら、母校の近くの中学校の校長で、停年を間近に控えているというOBが居て、何かと忙しそうな役職を持っているようだが、依頼できないかと訪問をした。その時は、何かと注文を付けたものの、その条件が整えばさも、やるというような、口ぶりであったが、その後、総会への誘いにもこれまた一切応じないという有様で、先輩共々、先生という存在に対する不信感は頂点に達したし、これら後輩達の不遜な態度にあきれかえった。私自身の経験でも、発足当時OB・OG会のホームページを立ち上げてくれたという、之は若い20代の中学校教諭にホームページの件について打合せをしたいとメールするものの、返事が無く、2回電話でアプローチして、その時の返事はよいのだが、その後も一向に連絡が来ないという、極めて、不可思議な体験をしている。それぞれに立派な先生であろうに、こちらが先輩だと云う意味などではなく、1人の人間としてその礼を欠く対応(いや対応がない)には呆れの3乗で、最早言葉を失った。何も強制してやれと云うわけでもなく、お願いベースであるわけで、忙しいなら忙しい、出来ないのなら出来ないということが何故云えないというのも又不可解極まりなく、人を人とも思っていない態度には、之が我が後輩で、しかも人を教えている人達なのかと、暗然とした気持ちになった。そんなことを言っても始まらず、私自身もOB・OG会にそれほどの思い入れはないのだが、こういった顛末で、世話役を引き受け、我が子以下の若い生徒を応援する陣頭に立つことになった。先輩は、何とかしたいという情熱で居られるようで、私も行きがかり上フォローしなければならないと云ったところが本音であるから、余り強くは云えないかも知れないが、人から連絡を受けたり、アプローチがあったりしたら、少なくとも(嘘になろうとも)返事を返すのが当然で、梨のつぶてとか、無視するなどとは、今までの社会生活では考えられなかった。本音を云えば、之から尽力しても、後は続かないだろうとは思うものの、バスケットボール部の卒業生(在籍した)は約800人いるという中で、この体たらくかと実のところ嘆かわしい気持ちである。勿論高校3年間の在籍(中には中学からやっていた人もいるが)だけで、卒業後は別な道に興味を持った人など千差万別であるから、バスケットボールに興味がないという気持ちの人も半数以上はあろうかと思う。しかし、それをどうこう云うわけでなく、人間としての基礎的な行為さえ出来ない者達が、先生をしているという現実を知った時、呆れると同時に、落胆するわけだ。人生も一巡以上すると、良いところも沢山見てきたが、悪いところも沢山見ざるを得なかった。しかし、この度のように、イタチの最後っぺを喰らったような、気持ちは、何としても残念である。義理とか人情とかを期待する時代ではないが、あまりに身勝手で、自分さえ良ければいいのだという根源はここら辺にあるのではないかと嘆息しながら、しかし、向かう3年で、何とか次を担う人が居ないかと相談しながら、帰途についたのである。
2012.04.21
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元学校長とのゴルフ時に知り合った現在の委員長からのお誘いもあって、私が住民委員会の委員として出席し始めたのは、昨年の夏(7月)である。最初は、暗中模索であり、当然従前の活動や、現在の問題点、さらには今後の取り組みなどについて全て白紙での参加であった。参加して始めて、住民の立場に立って、様々なことを市長に意見具申をするのがその精神であると知った。この委員会は、相当長く続いているようで、現在では15期(?)らしく、委員長も代々替わっておられるようだ。委員長が替わればやり方も変わると言うことだろうか、私は、その委員長推薦枠での参加という立場であるらしい。今日もその委員会があったが、私は、やむを得ず欠席したのを除けば、かれこれ10回は参加している。前にも書いた気がするが、島本町は4つの小学校があり、その小学校区単位で、住民委員は構成されていて、様々な角度から、町全体のオンブズマン的な立場での提言をしているようであるが、特に法的な根拠があるというわけでもなさそうで、皆ボランティアでの参加となっている。しかしながら、町から何らかの補助(経費など)も出ているようであるし、町では権威を持った組織であることは伺うことが出来る。最初にメンバー構成表を見せられたが、地区毎選出の委員の他に別枠に私他4人の名前があった。最初はどのようなところかといったことや、経緯などを拝聴するだけであったが、3回ほど前からは、4つの部会に分かれて、具体的提言問題抽出と、その対応(提言のとりまとめ)を行うという深掘り作業に入った。その部会は、1.教育、2.環境・設備、3.生活支援、4.その他財政・行政といった括りである。ここに至るまでに、委員長から、町のあり方について島本町の活性化や、将来あるべき姿などを大所高所からパワーポイントを使った考えを披瀝され、それを拝聴して来た。委員会の構成はその上部に役員会があり、そこであらかた討議されたことを委員会で報告されると言った方法で進められる。従って、古参の委員(役員)さんは、月に2回の拘束を受けると共に、その調査などを真面目に行うと、かなりな時間を取られることになるようだ。朧気ながら、概要を掴むに至り、いよいよ上記4部会について問題点の抽出を図ろうという段階に入ったわけだ。私は、元々島本町の住人でなく、町の様子や、市議会なども傍聴したこともなく、かつ、どんな人が市会議員で等と言うことは、全く知らないわけで、問題点などといわれても、にわかに何も浮かばないというのが正直なところだ。連れ合いが中学校の教師を永年やって来て、延長に延長を重ねて、今でも老骨(?:見かけは若いが)にむち打ちながら教鞭を執っている関係で、私は、1.の教育という部会に所属する意思表示をした。そして、今日で3回目の部会を迎えたわけだが、問題の抽出にはBS(ブレーンストーミング)なる方法を用いてと、事務局長は余程この言葉が気に入っているのか、盛んに昔そんなことを聞いたことがあるなぁなどと思いながら聞いていた。BS法は1953年に提案された方式であるから、私などが、入社後10年ほど経ち脂も乗った頃よく行われた手法のことである。ブレインストーミングの4原則 に、1.結論厳禁、2.自由奔放、3.質より量、4.結合改善等というものがある。更に対象とする問題によって、メンバーの選び方は先ずその問題について、実績のある人、そして、知見のある人というのが理想であるが、私を含めて、構成メンバーにそれらしい人は居ないようだ。頭の中で考えた問題提起によって出しうる結論は、およそ実効性がないということは過去の経験から十分理解しているので、私は、大風呂敷を広げる(BS法)もいいが、喫緊の問題を通じて、ある程度現場に出て参加し、肌で感じることが必要ではないかと考えている。格好良くBS法で等と言うが、空っぽな頭に如何に嵐を起こしても、何も出てこないのは自明の理である。私などが過去経験したBS法は問題に直面し解決策を迫られ、参加メンバーが等しくその課題の問題点を共有しているところから始めたものであった。因みに、そういった類のことをその部会のメンバーに提言し、予め(役員会など?)で出されたアイテムについて、問題が提起された根源、さらには、進展の度合い、そして現状などのレクチャーを受けたいと言ったが、ことごとくでもないが、そう言った方向ではなく、今は、問題提起のためにBS(頭に嵐を起こす)のだというわけだ。それでは、上記したように何も出てこないわけで、もう既に3回を経過している。まぁ、ボランティア、気長にやってなんぼだから、「ま、いいか」ということになる。BS法には、結論厳禁というのがあると同時に、否定することも慎まないといけないわけで、意見を出したら、すぐに「そんなことは応えてもらえませんよ」、などといわれる。「とにかく今は、課題の抽出です。」の一点張りのようになる、ではその肝心の新しい課題はというと、時間経過と共にどんどん出てくるわけでもなく悪戯に時間だけを浪費することになる。如何に立派な課題を標榜し、それを揉んで、分厚い立派なレポートを出しても、役場側(教育委員会)は適当に政治的答弁をするだけに終わってしまうのではないかと云うことで、実効が上がらず、委員会の自己満足になってしまうのではないかという危惧だ。私達が中学生の頃は、学校の授業中に私語したり、立ち歩くなどといったことは考えられなかったが、今や一部の跳ね返りが、全体の規律を乱し、過度な労力を教師に掛けているという実情をかい間聞くと、そうした喫緊の課題を解決せずして、何が、教育改革だ、学力向上だと云っているのかと本末転倒の気がする。勿論そう言った現象が起こることの原因を見きわめ、その目を摘むことまで行かなければならないが、そういったために地域住民のささやかな力を注入すべきではないだろうか。話はそれるが、最近は「殺人を犯した側の人権」等という言葉も出る位、本末転倒なことが闊歩している。生徒への体罰は厳禁だとして指の1本でも触れると、教師には謹慎その他が待っているというのでは、つけ上がった悪童達を懲らしめる事は出来ないだろう。又来月もこの部会はある、不幸なことに部会長にノミネートされていた人は、病気入院したとかで、1回もお目に掛かったことはない。乗りかかった舟だから、もう少し様子を見るしかないと思っている。今日は奇しくも、連れ合いが奉職する学校の歓送迎会があり、高槻まで送迎したが、一度先生達の忌憚のない意見を聞いてみたいものだと思った。
2012.04.20
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一昨日、梅田シネマで「別離」を見たが、その時「第九軍団のワシ」という映画が向かいの劇場で上映されているのを知った。パンフレットを見ると、ローマ帝国時代の、ハドリアヌスの長城に関してのものだ。ローマ時代に興味を持っている私としては、この映画を見逃すわけにはいかないと徐々にその気持ちが高まった。その気持ちが高じ、今日、連れ合いが学校に出掛けている間、1人で観に行くことになった。昼と夕刻の2回しか上映していないので、昼の部に間に合うように出掛けた。昼時間の「うめきた」ヤードは、結構賑やかで、スーツ姿のサラリーマンは勿論、昼食に出てきた、とび職の人達の独特のズボンスタイル(ニッカーボッカーズ)が目に付いた。例外なく同じようなスタイルなのは、サラリーマンが背広を着ているのと同じ意味であろう。閑話休題、「背広」の語源について、昔、岩田一男が「英語に強くなる本」だったかで、述べていたが、軍服と違うとの意味で、Civile(市民)が訛ったとか、背広服を売り出したロンドンの高級洋服店街「サヴィル・ロウ」(Savile Row)が訛ったとか言った説があるように、ニッカーボッカーズも裾を絞ったズボンの総称であるようだ。皆が働いている中を、私1人、映画を観ていて良いのだろうか?等と考えながら映画館まで歩いた。又、少し早めについて館外で待っていると、私と同年代の老夫妻(?)が会話していたが、奥さんの方は、どんな映画なのかわからず、旦那の方が何かとレクチャーをしているのが耳に入ってきた。やはり、この種の映画は、女性は余り好まないのだなぁと思いながら待っていた。私の方は、少し興奮気味に待っていたが、入場者数は、一昨日とほぼ同じで約20人程度だった。やがて映画が始まった。字幕には西暦120年と書かれていた。幾分史実とはかけ離れているところもあるが、実話を元にしたこの映画は、当時のブリタニア(現在のイングランドとウェールズ)やカレドニア(現在のスコットランド)の様子を垣間見せてくれる。物語自身は、架空のものであり、活劇を主とした娯楽番組であるが、観る方は、それにローマ時代の史実を、空想を交えて織りなすから結構面白く観られる。西暦120年、ローマ帝国はブリタニアへの侵略を進めながらも、北端地域に君臨するカレドニアの部族の抵抗に手を焼いていた。アクイラ(仮名)率いるローマ軍最強といわれる第九軍団の5000の兵士が「黄金のワシ」(第九軍団の軍団旗:これが主人公の名前に取り入れられている)を掲げてカレドニアに侵攻したが、霧の中で忽然と姿を消し、再び帰ってくることはなかったということから始まる。 最強軍団を失い、ローマ皇帝ハドリアヌスは、カレドニア人の南下を防ぐために建設した防壁が「ハドリアヌスの長城」と呼ばれる防壁で現存し、世界遺産ともなっている。この防壁は、後に更に北部に建築される「アントニヌスの長城」が出来るまでは、ローマ帝国の支配圏における最北端の境界線(この世の果て)と呼ばれた。中国に於ける、匈奴対策として作られた万里の長城と同じ意味合いを持つ。 それから20年後、誇り高きローマ軍人として成長したアクイラの息子マーカス・アクイラは、ブリテン島(イングランド)の南西部に位置する小さな砦に赴任する。赴任して間もないある夜、先住民族による砦襲撃を事前に察知し、之を撃退したマーカスの軍団(映画で百人隊長という言葉が出てきていたので、ローマ軍歩兵隊長で、ケントゥリオと呼ばれる中間的な階級である)は、その功績を称えられ賞を授けられたものの、マーカスは足に重傷を負い名誉除隊となる。生きる目的を失い、絶望の淵に追いやられたマーカスは、伯父の屋敷で傷を癒しながら憂鬱な日々を送っていた。ある日、木製コロシアムで、観戦していたマーカスは剣闘士と戦わせられるローマにとって蛮族であるブリタニアのブリガンデス族出身エスカをふとしたことから助ける。そして、エスカはこの恩義を感じて、命の恩人であるマーカスに忠誠を誓い、奴隷として仕えることになる。そんな時、ブリテン島北端の神殿に、奪われた「黄金のワシ旗」があるという噂を聞いたマーカスは、旗を蛮族に奪われたとして不名誉な噂を立てられていた父の汚名を晴らすため、また自らの生きる誇りを手にするため、エスカを従え、たった2人で危険な北の荒野へと奪還の旅に出る。 2人は、砦から北上しハドリアヌスの長城に到達、そこから北へ行くべく開門を要求した時、警護のローマ兵達は正気かとばかり呆れる。しかし、マーカスにはエスカという現地語を話す奴隷がいる。そして是非とも「黄金のワシ旗」を奪還しなければならない。いまなお完全には解明されていないイギリス歴史上の謎を題材に展開し、最後は感動的終末になるというところはいかにも映画だが、娯楽として観るには、何ら不都合はない。このように未知の土地(蛮族の土地)に足を踏み入れた2人は、幾多の苦難に遭遇し、中でも凶暴なアザラシ族(ピクト族のことであろうか?)に拿捕され、一時は、ブリガンデス族の王子であったエスカが主人で、マーカスはローマから連れてきた奴隷と偽り窮地を脱するなど、まるで安宅の関で弁慶が義経を打擲する場面とダブるような事態にも陥る。やがて、マーカスは、このアザラシ族に客人として遇されたエスカと共に、アザラシ族の長(おさ)のところに飾ってある「黄金のワシ旗」を見つけ奪還して帰還しようとする。アザラシ族のあどけない子供に脱出するところを見られるが、何とか時間を稼ぎ逃亡する。後は、通常の活劇同様の展開で、馬で逃げる2人を素足のアザラシ族が追い詰めるのである。窮地にたった2人の前に、父の軍隊からの脱走兵達で、父の武勇を告げる兵士達が十数人現れ、迫り来るアザラシ族を返り討ちにするのである。いかにも帳尻合わせ的で、この脱走兵達を迎えにひた走るエスカの強靱さを見る時、幼い時に見た鞍馬天狗が現れる時のような興奮を覚えた。いずれにせよ、5000人の大軍は、スコットランドを北に侵攻しイギリス北部で忽然と消えたという説と別の場所で、壊滅した説があるが、どちらにせよ5000人もの兵士が消息を絶ったというのは歴史的事実である。いかにも野蛮に描かれたピクト族、しかし紀元2世紀頃のスコットランドは、かくも未開で、野蛮な土地であったのかと目を疑うほどであるが、2世紀といえば、日本は邪馬台国の時代である。それなりの闘争があったことは同じであるし、邪馬台国が畿内か九州かとの議論があるように、消えた第九軍団も、このスコットランドか、パレスチナにおいて対ユダヤ闘争時であったのか、議論の分かれるところらしいのも又興味がある。昼過ぎに終わり、連れ合いに上等な弁当を買って急いで家路に就いた。
2012.04.19
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太郎君のお嫁さんが使っているパソコンが、急にインターネットと繋がらなくなった。湘南に行った姫ならIT関係のベテランだからと、聞いてみたようだが、電話で指示をするにも、なかなか分からないだろうと、私が仲介に入ることになった。私は、パソコンをユーザーとして使っているだけで、その経験は豊富だが、他人のパソコンの不調を直すまでの力はない。調子の悪い時や、最近のSNS等のことについても姫に良く聞いたもので、その度に的確な指示をもらえて随分助かっている。今回もそのように解決することを目論んで、夕方、両者の都合の良い時間に、電話で指示を受けながら、お嫁さんのパソコンをいじり回したが、結局、遠隔指示では、インターネットの復旧をすることは出来なかった。電話代は、携帯電話会社が同じなので、確か無料であることは救いである。何時も思うのだが、やはりパソコンは難しいと言うことだ。私は、その昔、企業に入社した時からほどなくして出てきたパソコンのはしりから購入し続け、パソコン暦は長い。だからといって、ハードを直すことが出来るほどでないし、ソフト的にもアプリケーションを使う程度であり、元々スタンドアローンの時代ならいざ知らず、インターネットに繋がるようになって、意図しないダウンロードや、インストールなどが勝手に行われている今の時代には付いていくことが出来なくなりつつある。一通りのワードの使い方、エクセルの使い方などは分かるのだが、それ以上の通信関係となると、トラブれば、何時も四苦八苦している。私が元々、安いデスクトップを買わなかった理由の大きな理由は、トラブった時に持っていってより詳しい人に聞くためにハンディーである必要があったからだ。パソコンは手順通りにやっていると殆どのケースでは再現性があるのだが、インターネット環境にあると、時として、ウィルスのせいと迄はいかないのかも知れないが、突如変な表示が出てきたりするわけだ。こうなるとお手上げで、購入店に電話したり、依り詳しい人に電話したりして、指示を仰ぐなどのことをやって来た。特に最近では、メールや、インターネットなどで、互いにプロトコルがどうとか言い出すようになって、はたと、難しくなった。現在の若者は、分数の分からない大学生でも通信やインターネット検索などは自由にこなしている。昔書いたことがあるが、私の年代の人は、全くパソコン音痴という人が多かった。「俺は、キーボードなど打ったことがないよ。ハハハ」と嘯いていて、それで通じていた。文書の活字化は、当時若い女性に頼めばそれで良かったわけで、自身でする必要はなかったからだ。あの男は、今頃どうしているのだろうか?今もアナログ人間で、何か趣味を見つけて余生を送っているだろうか、それとも未だに偉い人で、若い者達に昔通り「之ワープロに直ししておいて」などと言っているのだろうか。その男も、私の親しい友人も、立派に工学部出身なのだが、それと之とは全く連動していないようだ。(菅前首相のように、原発事故で、「私は工学部だから」などとよく言えたものだと思ったものだ。)私も工学部だが、見えない電気や通信などは敬遠してよく分からなかったので、人を悪し様に言う資格はないが、未だ私の世代では、パソコンは駄目だという人が多く、又それで成り立っているので、それほどの不便を感じる事はないのかも知れない。現在の私からパソコンを取ると、何も残らないと何時も連れ合いに言われるが、私とて、パソコンに自分の時間をどれだけ取られているかと恨めしく思うこともある。先ず第1に、読書の機会が減ったこと、第2に季候の良い時期に外を歩く時間が無くなり犠牲にしている面があるなどという場合だ。私にはパソコンに向かうオブリゲーションはないのだがついついこういったブログなどに時間を費やしている自分に気づく。妙に几帳面というか、自らにブログを書くというノルマを課すと、途中で頓挫することが罪悪感のように感じるからかも知れない。このブログも、字数を1万字(半角か?)という目標で、毎日書いていると、時間がとてつもなく掛かることがある。(今は半減目標としている)昨今の事件や、政治の動向、国際問題などを書き出すと、勢い関連事項を調べることになり、随分と深みにはまってしまうことがあるからだ。テレビなどで出てくる、コメンテーターという名前の芸能人などは特に、当たり前のことをただオウム返しに言っているだけで済んでいるが、あれで、出演料がもらえるのが羨ましい。害はないかも知れないが一利もないのである。まぁ、それは置くとして、今回のパソコントラブルは、無線LANが巧く機能しないと言うことで、私の能力を超えているわけだ。何かと姫との電話で遠隔指示を貰いながらやってみたが、拉致があかない。姫も、そのものを見ているわけではないし、機種も違うなども有り、パソコンのトラブルシューターが仕事ではないので、結局解決には至らなかった。幸い連れ合いの学校にはそう言ったことを専門に扱う人が入っているとかで、そちらに解決をお願いすることになった。こういった現代の機器に触れている内に、やはり私も時代に取り残されつつあることを感じる。最近では、児童や幼児でもゲームを与えられるとマニュアルなど見ずにすぐに上達するのは、機器に対する恐れがないからであろう。昔テレビが入った時には、恐る恐るチャンネルを触っていた気がするが、今はプラグインで、すぐレスポンスが返ってくることは当たり前になっているが、パソコンは未だその域に達して居らず必ず「設定」という過程を経なければならない。昔ガソリン自動車が普及し始めた頃は、「仕業点検」などという言葉で、エンジンオイルやファンベルトの張りなど乗る前にチェックをしてから乗ったり、また不都合な場合は、自分自身で部品の交換など出来たりしたが、今頃のように電子制御だったり、ハイブリッドだったりするような車には手も足も出ず、ただ乗り回すと言うだけになってしまった。しかし自動車の方も、昔のようなトラブルはほとんど無くなっているので、済んでいるが、パソコンの場合は、一種独特の難易度が潜在していることを感じざるを得ない。お嫁さんのパソコンを現状回復できなかったことは残念だったが、之ばかりは致し方がない。こう言ったことが、便利なパソコンをしてもパソコン嫌いを生み出す原因の一つになっているのかも知れない。
2012.04.18
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この映画は去年(2011年)イランで製作された映画である。連れ合いが、「イランの映画が上映されているようよ」というので、あまり内容も確かめずに、すぐにアハマニネジャド大統領を思い浮かべ、さらには、核開発疑惑、そして、古のペルシャの文化などが頭に浮かんできた。そして、詳しく調べることもなく、観に行きたいと思う気持ちが強く働き、急遽出掛けることになった。勿論連れ合いは学校があるので、それが終わってからということになり、最終の18:50上映に合わせて出かけた。梅田ガーデンシネマだから、今開発途上で、中途半端な地下道を通る一寸遠い方だ。しかし、今の梅田北開発の中を通ると云うことは、ある意味で、発展感を実感できて、景気の「気」が良いような気分になる。バブルの頃に、建築ラッシュであったことや、私もそれに拘わっていて火傷させられたこと、さらには、社保庁の不要箱物を多数建築したこと、そして、ドバイやドーハでのあらゆる高層ビルの頂上にクレーンが動いていたことなどを思い浮かべた。一寸早すぎた到着に、映画館の前で時間待ちをしたが、この新梅田シティーは詰まるところオフィス街で、その一角にシネマコンプレックスと、多少の飲食街があるという、ある意味一般人には寂しいところである。やがて、映画館が開場になり、5,6番のチケットを見せて入ったが、映写時には、20名程度になっていただろうか。入場前に並んでパンフレットを置いてある、「第九軍団のワシ」というローマ時代に5000人が消えたとされる、実話の映画化が同時に上映されているのを知り、そちらも見たくなった。何しろ、イングランド北部「ハドリアヌスの長城」という、ローマ帝国北端の城壁とされる場所で5000人もの軍団が消失したというのだ。血が湧くではないか。ハドリアヌスは、あのローマ帝国5賢帝の1人で、塩野七生の「ローマ人の物語」にも当然出てきていたが、もう記憶は薄くなっていて、5000人の軍団消滅のことは記憶にない。僅かにローマ軍がブリタニアで、ブリガンテス族により軍団壊滅という記述があった。おそらく之のことだろうなどと思ったが、しかし今回は、当初予定の通り、「別離」を見ることにした。いつもは眠くなる時間であるが、別の意味で興味が湧いて、まんじりともせず2時間余を映画に見入った。物語は、何処にでもあるストーリーで、人の心のアヤを綴ったものであった。むしろ日本でも日常起こっている事であろうし、何となく身につまされる部分もある。確かに中東の映画らしく、画面には、例のアラビア文字(いや少し違うペルシャ文字であろう)の字幕が流れるが、意味が分からない。(喋る言葉もアラビア語ではないようだ)物語は、テヘランに住む2つの家族の間のトラブルを描いただけのものであるが、その中に、人間心理の複雑さ、夫婦間の問題、格差社会の現実、介護の在り方、信仰心などの描写を淡々(この言葉は適当でないかも知れないが)と描いているのだ。むしろ、イランに於ける濃密な人間ドラマといったところで、一部を除けば、それが日本であっても少しもおかしくないといった感じだ。心が荒廃していると勝手に思いこんでいるイラン、その日常には、日本人が忘れてしまったような美徳さえ描かれているとも思えた。現在のイランの社会情勢が如実に分かるというわけではないが、イラン人が考えていることは、日本人が考えているところのものと、余り変わらないと云うことだ。人間の心を描く映画は、あらすじを書いても映画の云わんとするところを書き尽くせるわけではないが、2組の夫婦間の物語である。一方は、中流の上クラスで結婚14年の夫婦(ナデルとシミン)と中学1年生の娘テルメーそして認知症のナデルの父の4人で、テヘランのアパートで暮らしている。もう1組の夫婦は、テヘランからは相当遠隔地に住んでいるのであろう、認知症のナデルの父の介護のために雇われた敬虔なムスリムの女性ラジエーとその夫(ホジャット)で、夫は失業し、性格破綻者のようだが、幼い娘3人をもうけている。そんな2組の夫婦を中心にした諍いの展開である。娘の将来を案じたシミンは国外移住を計画し、1年半かけて海外在住の許可を得たが、その間にナデルの父が認知症を患ったことで誤算が発生する。ナデルは介護の必要な父を残して国を出ることはできないという(この辺は、ムスリムの年長者を思う気持ちがより強く感じられた)。折角得たチャンスを娘のために(実は自分のためであろう)活かしたいと主張するシミンは、たとえ離婚してでも国外移住を希望して対立する。親権を巡り話は裁判所に持ち込まれるが、映画の冒頭は裁判所での2人の互いの意見陳述から始まる。離婚は認めても娘の国外移住は認めないと、ナデルが譲らず、協議は物別れになり、シミンは、しばらく実家で過ごすこととなる。シミンはかつてのイングリッド・バーグマンによく似た美人であるが、この妻の海外移住に固執する点、裁判が物別れになった後、娘が夫と住みたい希望はあったものの、娘を置いて一人里帰りしてしまう点にやや身勝手さと、唐突な感じを受ける。そこで、家政婦として、又父の介護のために、ラジエーが雇われるのである。ナデルの父が失禁する場面に激しく動揺し、ムスリムの女性が男性の体に触れることは罪ではないかとわざわざ聖教者に電話で問い合わせるなど、イスラム教の縛りを感じさせる場面がある。(ファトワーは活きているという感じだ)それも何とか乗り切ったが、また別の日には、ラジエーが目を離した隙に、父がふらふら町に徘徊に出て、それを追ってやっと探して連れ帰る。このラジエーは、妊娠19週目で、この時危険な父を救うために車にはねられ倒れたのだ。(この時点で映画は何も知らせないが後に大きな問題点となる)。その後ラジエーは不調を感じ、医者に行くのだが、認知症の父が昼寝から起きてまた、変な行動をしないかと善意でベッドに手を縛り出て行く。そこにナデルと娘テルメーが帰宅し、ベッドに手を縛りつけられた父がベッド下に落ち、気絶しているところを発見するのだ。ラジエーはほどなく戻ってくるが、ナデルはラジエーが父を放置し、てっきり無断外出したと即断し、頭に血が上って事情も聞かず、また無くなったお金をラジエーが盗んだと決めつけ、彼女を手荒く玄関から押し出したのだ。(ここで階段に転んだのだろうか・・・)その晩、ラジエーが病院に入院したことを知ったナデルは、シミンと一緒に様子を見に行き、彼女が流産したことを聞かされる。これにより、ナデルは19週目の胎児を殺した「殺人罪」で告訴されるのだ。ナデルはラジエーの妊娠を知っていて突き飛ばしたのか、そして、それは流産するほど強かったのか。ラジエーは夫ホッジャトが失業し借金を抱え、さらに性格破綻さえも感じさせる。その上幼い娘もいるという貧しい女性故の特殊で無理からぬ事情があった。ラジエーは何よりも泥棒呼ばわりされたことが許せない。コーランに掛けて取り消して欲しいと言うそんなところがイスラム社会らしい。物語は中略となるが、この辺りの心理葛藤は映画に任さざるを得ない。この映画で娘テルメーの役柄の意味合いは大きく、裁判所は最終的に離婚を認め、娘がどちらの親を選ぶか決断をせまるが、テルメーは両親を室外に待たせ・・・・。そして、どちらを選んだのかは、語らずじまいで、観客の想像力に任せるという形で、廊下で離れて待つ両親を映したままエンディングとなる。映画の登場人物は、多少の嘘や、誇張があるが、それとて、最低限の身の潔白を守りたいと感じられるほどに、些少なことのように思われるほど、それぞれ何の悪意もない善良な人々であると感じる。罪を犯した現代の日本人に、これ程の正義感・信仰心・そして名誉を重んじ「恥」の精神を残す人が居るのだろうかと逆にイラン(ペルシャ)人の高潔さが目を引くほどだ。今あたかも、イランの核問題で揺れているが、同一民族であるとはにわかに信じがたいほどであり、かつてサウジで聞いた、「アメリカ人は好きだが、ブッシュは嫌いだ」という如く、政治は、民族意識を超えた異次元で展開しているようでならない。この映画はアカデミー賞外国語映画賞を含め、多くの映画賞を受賞しているのに対し、イラン政府は「映画はシオニスト政権に対する勝利」として報じたというが、之も何をか況やである。イランの女性たちは現在もヒジャブ(ベール)を着用しているが、本人の意思で離婚も出来るし、子供もどちらの親と暮らすか選べることを本作では語っている。外で見るよりは、より解放されつつあることを知るのだが、映画の力は偉大だと思う。
2012.04.17
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アフガニスタンでタリバンが攻勢に出ている。首都カブールの中心部で昨日(15日)、欧米諸国の大使館や議会さらには在アフガン日本大使館もロケット弾の砲撃を受けた。幸い40人の大使館員は全員無事だったようだ。大使館と聞いて、とっさに1996年12月17日のペルーの日本大使公邸占拠事件を思い起こさせた。日本には昔大使館付き武官という制度があり、軍人が同時に大使館にいたようだが、最近は、世界は平和とばかり、非軍人だけである。しかし、こういった、紛争国では、なにがしかの対策を講じておかないと、他の平穏な国のようには行かないのではないかと思った。ペルーの場合は、一か八かで、特殊部隊が突入して、ゲリラ全員が射殺されたということだったが、之もまた危険なことで皆ハラハラして見ていた。特に狙われるのは、アメリカ大使館で、例えば、サウジアラビア在のアメリカ大使館の周囲には、四隅に機関銃を持った兵士が鉄条網の脇で警戒をしていたし、この間の中欧旅行では、スロヴァキアのアメリカ大使館は特に厳重に警戒しているような説明があった。今回もアメリカ大使館を中心に砲撃が敢行されたようだが、アメリカと同盟関係にある国は、ことごとくターゲットになった感じである。遠因は、20世紀後半のソ連の突然のアフガン侵攻にまで遡るが、2006年頃から注目しているとこのタリバンという名前が出ない日がないかと思われる位に新聞紙上を賑わせ続けている。今でこそ反政府武装勢力タリバンと言う名で呼ばれているが、このタリバンがアフガニスタンの正式政権についた(国民の意思)ことがあるから話が複雑になる。今回の騒乱の直接の原因は、2月22日に、駐留アメリカ兵らがイスラム教の聖典コーランを燃やしたことにある。この時は流石に、タリバンならずとも、一般住民ら計1000人以上がデモを行い、死者や負傷者を出した。すぐさまオバマ大統領はアフガニスタンの現政権であるカルザイ大統領に謝罪したが、このような謝罪は、タリバンにとっては何の効果もない。さらには、考えられないことに、3月には駐留アメリカ兵が民間人への銃乱射事件を起こし、17名を殺害するなど、追い打ち行動に出たのである。オバマ大統領は、ここでもカルザイ大統領に哀悼の意を示したと云うが、こういった一連の事件が、之から、撤退をしようとするアメリカ軍にとって何のメリットも生じないということさえも考えない輩が居ると云うことである。ガルザイ政権は、辛うじてタリバンを制圧していると云いながら実際には、アメリカ軍の駐留があってこその現状維持である。世の中には、多様な人間が居ることは分かるし、日本でも常軌を逸した行動を取る人間は数多いるが、アフガニスタンに派遣されるようなアメリカ兵は、イスラム教に於けるコーランの意味を知らないというのが先ず、不思議である。仮に、変な例えだが、逆にアフガニスタンの兵士が、アメリカ本土で、聖書を焼いたとしても、ここまで大きな問題とはならなかったという気がする。それほど、彼らにとってのコーランは、異常な位に重要な聖典であるわけだ。アメリカ兵が之を知らなかったということは考えにくく、たぶんに確信犯的な事件であったのだろう。この裏には、2001年の9.11事件があることは間違いがないだろう。こういったふうに元を辿っていくと、アフガンでのこの種の負の連鎖は止めることが出来ないような気さえしてくる。之に先立つこと、9月には、タリバンはアメリカ大使館を攻撃している。今回と同じような方法で、アメリカ大使館から数百メートル離れた建設中のビルからのロケット弾攻撃である。これらの事件は、逐一列挙する時間がないほどだが、その後イギリスの兵士の殺害もあり、連鎖は確実に続いている。そして今回は日本大使館にも砲撃弾が着弾したと云うことで、之も中間的現象だというところだ。大使館員も生きた心地がしないのではないだろうか。日本は、勿論自国の満足で、アフガンに派兵はしていないから、タリバンの標的になるはずがないなどと考えるのは、日本の勝手な考えで、タリバンにとっては、敵の友達は敵なのである。之までは、事がある毎に、「日本人の被害は確認されていない」といった一言が添えられていたが、今後はどうなるか分からない。タリバンは、元々アフガニスタンの北部辺境地に発したイスラム原理主義の神学徒であったが、極めて過激であり、その目的とするところは、アフガニスタン統一、イスラム原理主義の拡張、対立勢力の排除ということで、裏では、アルカイーダや、パキスタンが支援している。さらにはサウジアラビアなども之に荷担していた時期もあり、ここでも複雑なモザイク模様を呈している。互いに非難合戦をしたり、謝罪したりの連続を見ると、現カルザイ政権が如何に弱体化しているかを物語る証拠にしかならない。日本も、駐在している人達は、こういった関係を熟知していると思うが、そろそろ他人事ではなくなったことを、中央の永田町ではどのように理解し、どのような対処をしようとしているのか、消費税と、原発に隠れて全く見えてこないのも不思議である。
2012.04.16
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近頃珍しく気を引くコラムが目に入った。日経の中外時評で、標記のことについて書いてある1文である。日経新聞論説副委員長の池田元博氏の手によるものだ。氏はロシア駐在が長く著書に「プーチン」などもあるようで、私などとは比べものにならない位世界を見つめる目が鋭いといった印象を受けた。1回り以上もお若いようだが、「あ、そうだったのか池上彰」以上に教えられる点が多い感じだ。2日前に北朝鮮のミサイル打上について書いたが、その奥の深さを垣間見る感じで、北朝鮮が、核に固執する背景がよく分かった。私は、3日前のブログの最後に、「ロシアは遠い世界のことでどうでも良い。」などと書いたが、全く浅はかであると感じた。元より、限られた情報源のうわ面と、テレビの一般向け放送位がニュースソースであるから、私程度の感覚の者は掃いて捨てるほど居るだろうし、別に之で飯を食っているわけでもないから、それはそれでどうでも良いのだが、久しぶりに穿ったこのコラムは面白かった。そのまま転記するのも良いが、少し感想を交えて抜き書きすると、北朝鮮をして核開発に向かわせた事の起こりは、1945年7月にベルリン近郊のポツダムで行われた、米英ソのポツダム会談に始まるという。ついこの間中欧旅行で訪れた、あのツェツィーリエンホーフ宮殿の円卓を思い浮かべた。その席上で、ソ連のスターリンがアメリカのトルーマンには冷たかったといったガイドの話を聞き、かつ部屋割りにもその様子を示すものであったが、その時、トルーマンは、スターリンにそっと耳打ちをしたのだそうだ。「我々はとてつもない破壊力を持つ新型兵器を開発した」と。勿論、トルーマンが明かした「新型兵器」とは、原爆のことである。会談直前、アメリカは初の原爆実験に成功していて、スターリンもスパイ活動を通じてかなりの情報を入手していたものの、相当な衝撃を受け、その後国内での開発にハッパをかけアメリカに遅れまいと、正式な国家プロジェクトとして原爆開発を促進したと言うことだ。ところが、ソ連はまもなく大きな難題(国内には、核兵器の製造に必要な原料のウラン鉱石がほとんどない)にぶち当たり、そこで、大量のウランの調達先として目をつけたのが東欧諸国と北朝鮮だったというのだ。今ロシアは、北朝鮮を擁護する様な振る舞いをしているが、当時、法政大学の下斗米伸夫教授の「モスクワと金日成」によれば、スターリンには当初、北朝鮮を「政治的理由から同盟国としてみる考えはほとんどなかった」とのことだ。それより重要だったのは、ウランを中心とする資源の確保だったのである。同書には9,000トンものウランが北朝鮮からソ連に運ばれたと書かれている。因みに広島型原爆に使われたウラン235は約60kgというから、9,000トンを天然ウランとすれば、ウラン235の割合がわずか0.7%であるとしても、広島型原爆の1,050発分に相当する。その点で、当時のソ連にとっての北朝鮮は有用であり、北朝鮮にとっては、金が入るドル箱といった関係だったようである。そこで、北朝鮮の「建国の父」である金日成主席は、ソ連の後ろ盾で台頭したという事だ。主席が建国当初から「核の魅力」を認識していたとしても不思議ではなく、北朝鮮は1956年には、ソ連の核研究所の創設に加わる協定を結び、研究者や科学者を送りこんでいるのである。之が、現在の北朝鮮が独自に原発建設を進める原動力であり、まさに金日成の長年の野望だったわけだ。そしてその意志は、金日成の息子金正日に伝えられただろうし、その子(私は、金日成の子ではないかと勝手に思っているが)の金正恩に「遺訓」として受け継がれているのである。ソ連とアメリカは、キューバ危機こそあったが、ホット・ウォーにはなっていない。その根拠は、ソ連に於ける1949年の原発実験成功が抑止力であると感じたのは、世界の中でも特に北朝鮮への影響は甚大であったろう。核兵器があればこそ、ソ連はアメリカに侵略されないでいると云うこと、そして、自身の閉塞的な独裁体制を保つための基盤であると考えても不思議ではない。これが、北朝鮮をして、飽くなき核兵器開発に駆り立てているのである。北朝鮮に優しく「核を放棄しなさいよ」などといっても聞くわけがないのは、もし核兵器がなければ、直に自らの体制崩壊に?がり、自殺行為である位に感じているわけだ。まして金正恩は名目上の独裁国家のトップに付いたが、20代とまだ若く、党や軍での実績も乏しい故に早期の実績を焦ったのであろう。このように、3代世襲の独裁国家を維持していくうえでは、当面、父親(祖父)の「遺訓」統治に頼らざるを得ないというわけだ。新体制においてもいち早く「先軍政治」を標榜し、軍事優先の統治を踏襲する意向を表明しているのはそのためだ。このように、核・ミサイル開発が「遺訓」であり、国家存亡のキーポイントであるという考えから、核開発を容易に放棄しないということになる。私などは、派手なパフォーマンスで、ミサイル発射に世界の耳目を集めておいて、その裏で、着々と核の開発を進めているとしか思えない。勿論ミサイル発射は失敗に帰したのだが、その得るところは、日本の脆弱な対応かつ幼稚な防衛体制を露顕させたことである。しかし、北朝鮮が、この今回のミサイル発射に費やした額は8億5000万ドルだと試算されていて、この金額は北朝鮮全人口のおよそ8割に当たる「1900万人の住民が1年間食べていける食糧」を確保できる額だという。このような体制が、長く続かないと歴史は示しているが、しかしながら、ほんの一時でも彼らがこれら開発を成功させ、我が国が被弾することになるというならば由々しき事態になる。最後に、このコラムは、北朝鮮の創始者、金主席の生誕日はくしくも、豪華客船のタイタニック号が沈没した日に当たるのだそうで。ミサイル発射の失敗は、核に固執する「金体制」の先行きを予兆しているのだろうか、と結んでいるが、早くそうなって欲しいものである。
2012.04.15
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太郎君の仕事と、お嫁さんの病院予約がバッティングしたので連れ合いの孫兄弟と時間を過ごすことになった。以前にもこういう機会があった気がするが、今年は、お兄ちゃんが小学校に入学し、弟は来年から幼稚園に入園すると云うことで、両方とも相当しっかりしてきている。太郎君と連れ合いとの子供の引き渡しがマンション眼下のコンビニ駐車場であったが、私が到着した時には、2人の兄弟は連れ合いに何かおやつを買って貰っていた。兄の方が、おちんちんの先が痛いと云うことで、最初に近くの診療所に行き、私と弟が車で待つ間、診察を受け、特に問題はなさそうで、消毒だけをして貰ったと帰ってきた。医者は、大したことがないが、ふぐり(之を「いなり寿司」と例えたようだ)まで腫れると大変だとか云われたと、少々気にしていた。弟の方は、買って貰った4本入りのゼリースティックを次々と食べながら、3本目には「これ食べても良いだろうか?」と聞いてくる。「これ食べては駄目だろうか?とは聞かないね」というと、そうは云うが、やはり食べたくて全部平らげていた。外は少し雨模様で、どうするかという計画もなく、取り敢えず用事を済まそうと、高槻に行った。車の中で、兄に小学校での感想を聞いたら、大人しくしていると云うことで、「では、猫を被っているんだね」というと「猫を被るってどういうこと?」と聞いてきた、説明すると、「じゃぁ猫かぶりしてる」との答だ。高槻に着き、雨の中、連れ合いと弟とが、用事を済ませ、今しがた開いた、地下の商店街で買い物をしていたようだ。兄の方は、私と車の中で待っていたが、買って貰った「ニンテンドー3DDS」ゲームに必死である。今の子供にとっては、何物にも代え難い宝物なのであろうが、必死にする時には、周りの声が余り聞こえていないようだ。連れ合いと弟は、思った以上に時間を掛けた買い物を終えて帰ってきたが、兄は1言も文句を言わない。そこからどこに行こうかと車を走らせたが、名残の桜を見ようと大山崎から八幡市に向かう三川合流の中洲の桜堤を思い出した。駐車は難しいかも知れないが、取り敢えず行くべしと、行って見たが、案の定駐車は別の場所でという事で、之は断念した。そして頭に浮かんだのは、目の前に見える八幡男山である。ふと、徒然草の第五十二段を思い出した。【仁和寺にある法師、年寄るまで石清水を拝まざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、たゞひとり、徒歩(かち)より詣でけり。極楽寺・高良などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。 さて、かたへの人にあひて、「年比思ひつること、果し侍りぬ。聞きしにも過ぎて尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず」とぞ言ひける。 少しのことにも、先達(せんだち)はあらまほしき事なり。】 という下りである。そう言えば、この近所に高校時代の同級生の家があり訪問時、車で山(石清水)に登ったが、麓からケーブルカーに乗ったことはない。みんなも初めてだろうと、それに乗ることにした。仁和寺の法師が神に参たと見紛った極楽寺という名はなかったが、高良神社は存在した。兼好法師時代以降消失して、明治政府の神仏分離令で、高良神社の名のみ残ったものかと思いながら、車を止めて、中に入ると、再建される前はさぞ豪壮であったろうと偲ばれ、仁和寺の法師も之を本殿かと見紛ったのには、無理からぬところもある気がした。私も、年寄るまで石清水を拝まず過ごしたわけで、今回、車にて詣でたわけである。そして、今度は高良神社には一瞥をくれただけで、途中の茶店で、走井餅と桜餅を頂いた。あんこ嫌いと云っていた兄の方も流石に美味しかったようだ。店を出て、早速兼好法師時代にはなかったケーブルカー乗り場に向かった。孫2人は糸の切れた凧のように大はしゃぎで走り回る。京阪電車の八幡市駅奥にケーブルカー乗り場はある。孫2人は元より始めて乗る連れ合いも一寸感激していたようだ。男山ケーブルは子供の頃登った生駒山と同じく鋼索線で引くタイプである。高低差僅か82m、距離にして400mという短さではあるが、途中のトンネル内で、上下するケーブルカーがすれ違い、橋も有りの結構凝縮方のケーブルカーである。孫2人は興味深そうに一番前で車窓から眺めていたが、あまりの短さにもっと乗りたいと言っていた。私は、どちらかを連れて帰りは歩いて降りようと思っていたのだが、連れ合いを始め、2人の孫の勢いに押され、帰りもケーブルカーになってしまった。男山山上駅を降りると、少し歩いて、石清水八幡宮がある。途中の展望台からは、右に城陽方面、正面には京都方面、左には、我々が来た天王山方面がパノラマのように広がる。桜の咲き乱れる参道を仲良く歩きながら、連れ合いは、2人に椿の汁の吸い方を教えていた。弟の方は、木から摘んだ綺麗な椿をお母さんに持って帰るんだと大事そうに持っていた。連れ合いは、ヤマツバキが美しく咲いているのを見て、兄に「これはヤマツバキというのだけど、『詫助』とも云うのよ」というと、すかさず「わびって何?」と質問していた。之を説明するのは非常に難しく連れ合いも困った様子であった。石清水八幡宮では、お神籤を引き、お守りを買って、恭しく寝殿に参っていた。この2人は既に仁和寺の法師を超えたわけだ。その時点でも持て余すパワーは収まらず、「では向こうに見える鳥居のところまで走って帰っておいで」と云うと、兄弟揃って、長い参道を元気に走って帰ってきた。そこから1段下りて、桜が綺麗な公園に出た。エジソンの記念碑などがあり、弟は鳩を追いかけ、兄と共に木に少し上って写真を撮った。兄は、相談があると言うので聞いてみると、何か商品がもらえるらしく2拓で「デジカメ」か「恐竜の化石」なのだそうだ。「どちらも良さそうだけれど、デジカメは安っぽいかも知れないね」と云うと「じゃあ、恐竜の化石にしようかな」といっていた。やがて帰りのケーブルカーも堪能するには短かったが、今度も一番前の席で立って食い入るように見ていた。お腹も空いたので、いつものうどん屋でうどんを食べたが、その繁盛振りに驚いた。家に帰ってからは、やはり3DDSで遊んで、昼寝する気配が無く、私と連れ合いが一寸うつらうつらするだけであった。暫くしてお母さんが帰ってきたので、バトンタッチして、太郎君のマンションを後にした。今日は私も初めてだったが、3人とも楽しんだようで、めでたしめでたしだった。
2012.04.14
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大山鳴動してネズミ1匹というような簡単な帰結ではなさそうだ。北朝鮮をして本当にミサイル開発と核開発を止めさせるように考えているのは、日韓米くらいなもので、中ソに関しては差ほど真剣に考えているとは思えない。このくせ者両国はミサイル打ち上げを敢行し、それが国連安保理決議に違反していようとも、一向平気のようである。中国などは、勿論国連安保理決議を無視した行動は責められるべきだが、直ちに制裁に走るのは人道上も考えものだとか言を左右にしている。いつものことだが、人権を虫けらほどにも考えていない国ほど言辞上は美しい。ミサイル失敗によって権威を若干失墜したが、核開発を進めて再びカードを手にするだろうといっている専門家が居るようだが、元々これらは両輪が相まっての脅威になるわけで、単独では如何ともし難いところだから、北朝鮮が、核開発を加速しこそすれ、今まで封じ込めていたと云ったようなことはないはずである。日米韓などが、問題として息巻いている根拠は、国連安保理決議1874号に「北朝鮮に対し、いかなる核実験又は弾道ミサイル技術を使用した発射もこれ以上実施しないことを要求する。」というのがある。しかし安保理の常任理事国に入っていて異を唱えるのはアメリカだけで、他の中国や、ロシアなどは、それほど身構えていないと云った、極めて、アンバランスな状態なのだからいわば北朝鮮のやりたい放題となる。現在の若い金正恩にそれほどの力があるとは思えないが、金日成を神格化し、今度は金正日を神格化することによって、先軍政治と遺訓政治を混交した、危うい脆弱な形の出発点が覗える。金日成を永遠の国家主席としたように、金正日を永遠の総書記として、立派な銅像を建てることによって、虎の威を借りようと必死である。我が国には、豊臣政権末期には秀吉は五大老に対し、己の死後、息子・豊臣秀頼を五大老が補佐し、合議制をとることにより、徳川家康の台頭を防ごうと考えていたが成功しなかったという歴史的事実がある。この秀吉の思惑に反して、結果的には家康の独壇場となり、秀頼は石田三成などの武将に支えられながらも、消えていくという運命を辿った。北朝鮮に、家康が居ないとは云いきれないような気がする。金正恩は当時の秀頼よりは歳がいっているとは云え、未だ1人では、何も出来ないわけで、今回のように金正日の遺訓としてミサイル発射を強行し、性急に自らの実績にしたいと考えたのであろうと推測できる。そこで、勿論失敗などは考えられなかったようだが、改良型テポドン2は敢えなく発射後数分で、四分五裂してしまった。金正日を神格化したわけで、その遺訓通り行動して失敗するはずはないところ失敗したわけだから、表面上は、何事もなかったような振りをしているが、金正恩としてはこれ程、はらわたが煮えくりかえる結果はないはずだ。必ずや、失敗の責任を取らされ、粛正される人物が多数出るような気がする。前田利家相当の趙明禄は早々と死んでいるわけで、金正恩がこのまま3世世襲を続けられるのかも含めて、混沌としてきたような気がする。またそうでないと、あの北朝鮮の地域に於ける異様な雰囲気はまさに異次元の世界である。それにしても日本の対応の稚拙さはどうだろうか。発射を感知できたのもアメリカのレーダーのお陰であり、且つそれも自分自身の装備では正確に知りうる立場にないということを如実に示し、あれほどの備えをしながら、発射後40分を経過して、やっとあのヌーボーとした田中防衛相が「我が国に一切影響はない」と防衛省をして言わしめられたのである。田中防衛相も最も安堵している組の1人ではないだろうか。発射数分で爆発を起こし、黄海に水没したから良いものの、失敗する技術しか持ち合わせていない北朝鮮のミサイル技術が、軌道を間違えずに予定通り飛ぶと予想するほど甘くはないわけで、その累禍が日本に及んだ時には、安っぽい防衛大臣の首一つでは変えられない事態となっていただろうからである。現在想像するに、北朝鮮はてんやわんやの状態ではなかろうか。多くの専門家や、知識人という連中が読み解こうとしているが、なかなか思惑通りに進まない。それは、北朝鮮自身が、どのように進むべきかに不透明感があるからに相違なく、未だに金正日の専属料理人とやらに情報を頼り、テレビに招請しているようでは、日本が本当に核を被弾するまで、きっとこの国の政府は真剣に自分でこのならずもの一団のことを考えないのではないだろうか。アメリカの真の関心は中東、中国は自らに累が及ばない限り座視か支援、ロシアは遠い世界のことどうでも良い。ただ韓国だけは、隣同士の問題であり真剣であろうが、日本はといえば、拉致の問題をも真剣に実行する誰も存在しないわけで、情報源も料理人だけだから、何をか況やということであろう。日本人の忍従力と復元力は、驚異的で、これぞ農耕民族のDNAといえる。原発であれほど酷い仕打ちを受けながら、先ず原発ありきを政府が率先している様を見ると、断末魔的な気分にさせられる。取り敢えずは北朝鮮のミサイル発射失敗に「万歳(マンセー)!」
2012.04.13
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連れ合いの同僚で、早々とリタイアした人との3回目の山登りである。同行する友人も同じ、メンバーで、同僚さんの学友と、職場時代の同僚の計4名である。昨日は、結構暗くなるまで雨が降っていたので、少し心配になり、今日決行するのかどうかメールしたところ今日は晴れるという返事が返ってきた。やる気十分である。今日の集合は、野洲駅に9:00ということで、連絡を見ると7:56に島本駅を出れば、十分に間に合う時間である。ところが、小学校の遠足前のようにはしゃいでいたわけではないが、最近昼と夜が反転したような生活を送っているため、夜は寝ずに待っていたことになる。すると勢い出発も早くしようかという気になった。7:05に島本駅を出ると野洲に直通で、8:05に着く電車があった。向こうで1時間も何をするのかといわれながら、家にいてもすることもないので早めに出掛けた。それというのも、前回観音寺城・安土城登山の時には、朝早すぎて、席も空いていたことから寝てしまい、気がついた時には寝過ごしてしまっていたという失敗をしていて、それが、連れ合いの同僚さん以外の2人との初顔合わせであったから、今回は絶対そのような失態をしてはいけないという気もあった。朝7:05の列車は、ほぼ座るところがない程度に混み合っていた。今回寝てはいけないと云うことで、立ったまま行くことにした。新書を読みながら、殆ど車窓には目も呉れなかった。京都までも結構駅の数があるものだ等と思い、京都に着いたら少しは空くかなどと考えていたが、京都で降りる人もいるけれど、結構乗ってくる人もいるようで、京都以東で仕事をしている人も多いようだ。野洲に着いた時は、空はこれ以上ないまでに晴れ上がっていた。ベンチに腰を掛けて、一寸通常でない町で、朝のんびりしているのも良いものだと思いながら、本を読みつつ待つこと1時間、全員の顔が揃った。前回確認したところに依ると、私が最年長で、S19年生まれ、以下1つずつ若くなって、最年少でもS22生まれということであるから、まぁ、老人部隊と言うことになる。地元のS20年生まれの提案での今回の近江富士(三上山)登りである。私が「キャプテンの指示に従う」というと、「キャプテンではなく隊長と呼んでくれ」とのことだ。弁当を買っていたのは若い方の2人で、隊長と私は、手作り弁当を持参していた。前回も連れ合いが作ってくれたが、とても美味しくて、今回もお願いしたものだ。駅からは、表通りを採らずに、旧中山道を通ったが、そこも結構交通量は多かった。三つ叉で中山道と分岐するところから左折して、行畑の交差点から野洲高校の横を通る。野洲高校は、サッカーの名門校であるようで、1度全国大会でも優勝していると云い、その時に人工芝のグラウンドが出来たのだという。早速桜の綺麗なトンネルが迎えてくれた。目の前に三角にそそり立つ標高432mの三上山が見えてくる。日本全国には、郷土富士と呼ばれる山が沢山ある。ここは近江富士と呼ばれていて、標高は最低ではないかとの話だったが、香川の讃岐富士は標高422 mと10mほど低いようだ。そんな話をしていると、御上神社の裏手に出た。暫く国道8号線を歩くと、御上神社に到着、天之御影神が御祭神で本殿は国宝となっている。結構由緒ある神社のようである。鰹木は、出雲大社のそれと似ている。悠紀斎田記念田の背景に広がる公園には、今が満開の桜がこれ以上ない位に綺麗に咲き誇っている。さていよいよ三上山の登山口に差し掛かった。左に行けば、表登山道で、急坂が多いと書いてある。右に行くと裏登山道で、女山の谷を通る打越経由の道である。隊長はこれが3回目(表道2回)だとかで、表は急坂があり、我々には裏登山道が適当であるとの判断で裏登山道に入る。猪除けの柵があり門を開けていよいよ始まりである。看板には山頂まで1.3kmであるという。高々、なんて思ってはいけない、平地なら、目を瞑っても何の造作もないが、相手は山で、しかも急峻である。私の家の近くには、山崎の合戦等で馴染みの天王山があるが、そこは270mの標高でその倍以上だと云うから、一寸骨があるような気がする。しかし隊長も他の2人も山歩きは平気の方である。勢い私が先頭に立たされた。俵藤太が大蛇(美しい女性の化身)に頼まれ、百足の退治をしたという物語付きの山に挑む。さらには飢饉にあえぐ天保13年、不正な検地をしようとした役人に抗議するため、三上村庄屋土川平兵衛らが農民と共に一揆を起こし、「検地中止書」を書かせたという偉業をしのんだ「天保の熱(ほとおり)」という碑を過ぎ、後はじっと下を見つめて歩いた。高野山で拾ってきた手頃な枝を今回も持っていき、杖としながらの登りである。しかし半年しか経っていないのに、冬場寒くて何のトレーニングもしていないこともあり、今回は所々で腰を下ろして休憩した。本格登山家のS21生まれは、「さっきから6分しか経っていないよ。あまり休みすぎると返って疲れるよ。」等と手厳しい。しかし隊長は私の体調を考えて、時々休ませてくれる。私は朝飯が早かったせいで、腹が減ってくる。皆からキャンディーを合計4つ貰って、飢えを凌いでの登山である。昨日雨が降ったせいで、岩肌に水が湧き出ている感じで危険もある。時々書かれた道程に「さっきからまだ80mしか歩いていないのか」などと思いながらの苦労の山登りだ。やがて頂上に着き、展望台からの眺望は実に雄大であった。何しろ孤高の如く立っている山だけに極めて視界がよく比叡山や琵琶湖も一望である。更に眼下には隊長の家も見えるという。登りで買った1パック酒で昼食かと思いきや、隊長は、このまま下って、公園で花見がてらに昼食だという。下りは楽だが、靴下が薄いせいか、つま先が痛くなる位に急である。脚の付け根や、膝をがくがくいわせながらやっと反対側の花緑公園に着く。桜は満開で、平日ながらかなりの人出である。シャクナゲはあと少しで咲きそろうような感じだ。桜が綺麗で、人通りの少ない場所を選び、連れ合いの作ったにぎりめしをほおばると、実に旨い。1カップ2つを飲んだ。というのも、昼食場所まで風呂屋のバスが迎えに来るからだという当初の計画だったからだ。しかし、時間が3時間以上も余り、それではと計画変更して再び、北の方を回って妙光寺山地蔵磨崖仏の方を回ろうと云うことになったらしい。「ここで待っている」というわけにも行かず。ほろ酔いで付いていった。途中までは良かったが、この妙光寺山地蔵磨崖仏というところまでは、再び山に登らないといけない。後で地図を調べると130mは登った感じだ。 未だ登るのかと、息切れしながら登り着くと、そこには像高約1.6m、彫り込み厚さ10cmの地蔵磨崖仏があった。地蔵は柄の短い錫杖と宝珠を持ち、木沓を履いているのが特徴だとか。こんな仏が合計3ヶ所位あるそうだが、1ヶ所で十分である。やっと緩やかに下った道から国道に出ると、羨ましい位に桜に取り囲まれた野洲中学校に出た。予め隊長が、風呂屋からのバスの待ち合わせ先を変更していてくれたので、そこからはマイクロバスで、守山駅前のホタルの湯に入り、そこで飲み放題の夕食を採って、帰途に就いたのは、19:00を回っていた。守山駅で、隊長はそのままマイクロバスで野洲に帰り、我々は、東海道線を下り、最初に登山家が京都で降り、私が島本、最後の歴史博士は西宮まで帰っていった。実にしんどかったが、楽しい1日であった。予定外の下山後の2km余が堪えたかも知れない。帰って今日の歩数を見ると、23,457歩と案外大したことはなかった。
2012.04.12
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数日前のことである。またこの男がしゃしゃり出てきて、イランに行き、核開発の真意を糺そうとしたようだ。それにしてもこの男ほど、間抜けでどうしようもない鳩は居ないかも知れない。「僕ちゃんが思ったとおりになる」と言うことを骨の髄まで感じているのではないだろうか。通常の人間関係では、「KY」(空気が読めない)人はいるが、一国の総理まで経験した男が、そうであっては、国民全体が迷惑し、累をあまねく及ぼすことに成りかねない。この男については、奇行、奇言に枚挙の暇がないほどだが、どうして、彼のような男が、総理になったのであろうか今更ながらに7不思議の1つだと言っても良いかもしれない。表向きは、金にまつわることで辞職したことにはなっているが、元々宰相としての器でなかったと一言で片付けられるのではないだろうか。小沢一郎をして、担ぐ御輿は軽い方が良いと言ったと言うが、おとなしく担がれているならまだしも、この鳩は時々突拍子もないことを言い出すからたまったものではない。自民党は、大いにこの鳩によって助けられていると言っていいかも知れない。勿論その分国民は大迷惑をしているわけだが・・・。最初のキャッチフレーズ「友愛」までは良かったが、之も聞いてみると祖父の受け売りと言うことで、彼の心からの発信でなかったわけだ。今回は、アフマニネジャド大統領に会って、あわよくば、自分一人の力量で、核開発を断念させるつもりだったのかも知れない。こう言ったことは、通常の外交ルートで行い、その上で、どうしようもないデッドロックに乗り上げているわけだから、元首相というだけでの訪問であり、国内的な創意で出掛けるのとも違い、何をか況やであるわけだ。持ち帰ったものは、イランにアメリカの核に対するダブルスタンダードがあるのは良くないとか何とか言ったようなのである。さもありなんと聞いて思うわけだが、その点は、言っていないと突っ張ねている。では何のために言ったのかというと、何ら成果がないのであって、まるで税金の無駄遣いである。日本人は係累に弱いと言うことのようだが、ここまで馬鹿な鳩に入れあげるのは何かというと、やはり金ではないだろうか。学生の頃も、金を持ったぼんぼんは、周りからたかられて、本人は、それが、自分本来の魅力のためだと勘違いしていると言ったケースはよくある話だ。この鳩、民主党最高顧問で、外交担当となっているから余計におかしいのではないか。そんな名前を付けたら、この馬鹿鳩なら、一丁何かやってやろうかと思う気になっても不思議ではない位、頭は単純なのである。沖縄基地問題で、あれだけ味噌を付け、アメリカとの関係を貶めておきながら、何を外交担当かと、これまた民主党の処遇自身にも極めて不可思議な感覚である。周囲は(自民党は勿論だが民主党からも、そして政府からも)馬鹿鳩のイラン訪問問題を強く中止するように求めていたようだが、「僕ちゃんが行って何とかする!」という具合に出掛けたのであろう。自公はその結果について野田首相の責任も追及する構えのようだ。しかしそんなことをしても、蛙の面にしょんべん的なことに終わってしまうであろう事は見えている。最初は、中止要請をしていた野田首相も一旦出掛けていってしまってからは、馬鹿鳩のイラン訪問は問題がなかったという有様である。イラン国営テレビで、馬鹿鳩が上記アメリカのダブルスタンダード的なことについて、国際原子力機関(IAEA)を批判したと報道されたが、帰国後に在日イラン大使館が馬鹿鳩に陳謝したことなどを踏まえ、問題ないとの認識を示したというが、本当にイランが陳謝したかどうかは極めて疑わしく、問題である。自民党の谷垣総裁は「日本外交の信頼性を傷つけた」と馬鹿鳩を非難しているが、そもそも、こういった愚か者を辞めさせるようにしなければ、何時までもこの種の問題は続くであろう。それでも帰国後、本人がイラン行きについて「結果を一言で言うと、非常に行ってよかった」と述べたという。この発言となる根拠について馬鹿鳩は「核兵器のない世界をつくりたいと強く申し上げ、イランのアフマディネジャド大統領はじっくり耳を傾けた。言葉は通じた。先方からも機微なよい話をしてもらった」と自ら成果をアピールしたというのだ。「機微なよい話」とは何かを聞いてみたいところだが、結局は時間の無駄であろう。訪問については「イランに赴き、日本の立場を真剣に訴えることが政治家、首相を経験した人間としての使命かと思った」と反論したそうだが、アメリカのカーターのような才覚があれば別だし、綿密な計画の下での行動ならいざ知らず、単に「友愛」のアッピールだけでは、アフマニネジャド大統領と言わず、どんなイラン人も耳を傾けることはないであろう。あー、早くこの馬鹿鳩を檻に閉じ込めてくれないだろうか。
2012.04.11
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第六十六段【本文】岡本関白殿、盛りなる紅梅の枝に、鳥一双を添へて、この枝に付けて参らすべきよし、御鷹飼 下毛野武勝に仰せられたりけるに、「花に鳥付くる術、知り候はず。一枝に二つ付くる事も、存知し候はず」と申しければ、膳部(ぜんぶ)に尋ねられ、人々に問はせ給ひて、また、武勝に、「さらば、己れが思はんやうに付けて参らせよ」と仰せられたりければ、花もなき梅の枝に、一つを付けて参らせけり。武勝が申し侍りしは、「柴の枝、梅の枝、つぼみたると散りたるとに付く。五葉(ごえふ)などにも付く。枝の長さ七尺、或は六尺、返し刀五分に切る。枝の半に鳥を付く。付くる枝、踏まする枝あり。しゞら藤の割らぬにて、二所付くべし。藤の先は、ひうち羽の長(たけ)に比べて切りて、牛の角のやうに撓むべし。初雪の朝、枝を肩にかけて、中門より振舞ひて参る。大砌(おほみぎり)の石を伝ひて、雪に跡をつけず、あまおほひの毛を少しかなぐり散らして、二棟の御所の高欄に寄せ掛く。禄を出ださるれば、肩に掛けて、拝して退く。初雪といへども、沓のはなの隠れぬはどの雪には、参らず。あまおほひの毛を散らすことは、鷹はよわ腰を取る事なれば、御鷹の取りたるよしなるべし」と申しき。 花に鳥付けずとは、いかなる故にかありけん。長月ばかりに、松の作り枝に雉を付けて、「君がためにと折る花は時しも分かぬ」と言へる事、伊勢物語に見えたり。造り花は苦しからぬにや。【訳文】 岡本の関白殿が、花の咲き盛っている紅梅の枝に、雉一つがいを添えて、この枝に雉をとりつけてさし出せという旨を、御鷹飼役の下毛野武勝にお命じになったところ、武勝は、「花の咲いている枝に雉を付ける仕方は心得ておりませぬ。一つの枝に一つがい二羽を付けることも、存じておりません」と申し上げたので、関白殿は、その仕方を料理役にお尋ねになり、また、故実に詳しい人々にお尋ねになった上、もう一度、武勝に、「それなら、お前の思う通りに雉をとりつけて差し出せ」とお命じになったので、武勝は、花も咲いていない梅の枝に、雉一羽を付けて差し上げたのであった。 武勝が申しましたところでは、「雉は、雑木の枝や、梅の枝の花がまだつぽみであるのともう散ってしまったのとに付ける。また、五葉の松の枝などにも付ける。その場合の枝の長さは七尺、もしくは六尺で、切り口は返し刀で五分の長さに切る。そして、枝の中ほどに雉をとりつける。枝の中には、雉をつける枝と、雉の足に踏ませる枝とがある。雉を付けるには、しじら藤の蔓の裂かないのを用いて、二か所結びつけるのがよい。その藤の蔓の端は、ひうち羽の長さに合わせて同じに切り、牛の角のような形にたわめておくのがよいのだ。これを贈り物にするには、初雪の降った朝、雉を付けた枝を肩にかけたまま、御邸の中門から威儀をつくろって参上する。そして、大砌の石の上を伝わり歩いて、庭の当に足跡を残さぬようにし、雉のあまおおいの毛を少しむしり散らして、二棟の御所の欄干にその枝を立てかけておく。御祝儀の衣類をくださると、肩にかけて、礼をして退出する。初雪だからといって、沓の尖端の隠れない程度に降った雪の場合には、参上しない。あまおおいの毛をむしり散らすわけは、鷹は獲物の鳥の弱腰を両脚でつかむものであるから、お飼いになっている鷹がその鳥を取ったという体裁にするのであろう」と申した。 花の咲いている枝には鳥を付けないというのは、どのような理由であったろうか。九月のころに、造花の梅の枝に雉を付けて、「君がためにと折る花は時しも分かぬ」と和歌で言って贈ったということが、『伊勢物語』の中に見えている。花の枝でも、造花ならばさしつかえがないのであろうか。【注釈】・膳部:料理人・五葉:五葉の松・大砌の石:軒下の雨だれの落ちるところに敷いた石だたみ・あまおほひ:短い羽毛第六十七段【本文】賀茂の岩本・橋本は、業平・実方なり。人の常に言ひ紛(まが)へ侍れば、一年参りたりしに、老いたる宮司の過ぎしを呼び止めて、尋ね侍りしに、「実方は、御手洗(みたらし)に影の映りける所と侍れば、橋本や、なほ水の近ければと覚え侍る。吉水和尚の、 月をめで花を眺めしいにしへのやさしき人はこゝにありはらと、詠み給ひけるは、岩本の社とこそ承り置き侍れど、己れらよりは、なかなか御存知などもこそ候はめ」と、いとうやうやしく言ひたりしこそ、いみじく覚えしか。 今出川院近衛とて、集(しふ)どもにあまた入りたる人は、若かりける時、常に百首の歌を詠みて、かの二つの社の御前の水にて書きて、手向けられけり。まことにやんごとなき誉ありて、人の口にある歌多し。作文・詩序など、いみじく書く人なり。【訳文】 上賀茂神社に付属する岩本社・橋本社の祭神は、在原業平・藤原実方である。世間の人がいつも二社の祭神を混同して言い誤るので、ある年参拝した時に、年とった神官が通りかかったのを呼び止めて、このことを尋ねましたところ、「実方を祭ったのは、ここの御手洗の流れにその霊の影が映った所だということでございますから、橋本社の方がいっそう流れに近い位置にありますので、橋本社が実方を祭ったのだと思われます。吉水の和尚が、 月をめで花を眺めしいにしへのやさしき人はここにありはら (月を賞し、花を眺めて味わった、遠い昔の優雅な人は、ここに神としている在原業平だ)という和歌をお詠みになったのは、石本社のことと伺っておりましたが、わ、たくしどもより、かえっでよくご承知のことなどもございましょう」と、大そう礼儀正しく言ったのは、実に立派だと思われた。 今出川の院の近衛といって、和歌の撰集などに数多く歌をとられている人は、若かった時分、いつも、百首の歌を作っては、あの岩本・橋本二社の社前の御手洗の水で清書して、神にお供えなさったのである。まことにたいした名声があって、多くの人の口に吟誦される和歌がたくさんある。この人はまた、漢詩や漢詩の序文などを立派に書く人である。【注釈】・御手洗:参拝時に手を清める水第六十八段【本文】筑紫に、なにがしの押領使(あふりやうし)などいふやうなる者のありけるが、土大根を万にいみじき薬とて、朝ごとに二つづゝ焼きて食ひける事、年久しくなりぬ。 或時、館の内に人もなかりける隙をはかりて、敵襲ひ来りて、囲み攻めけるに、館の内に兵二人出で来て、命を惜しまず戦ひて、皆追ひ返してげり。いと不思議に覚えて、「日比こゝにものし給ふとも見ぬ人々の、かく戦ひし給ふは、いかなる人ぞ」と問ひければ、「年来頼みて、朝な朝な召しつる土大根らに侯」と言ひて、失せにけり。 深く信を致しぬれば、かゝる徳もありけるにこそ。【訳文】 筑紫の国に、何某という、押領使などというような役職でいた人が、大根を何にでもきく妙楽と思って、毎朝、二きれずつ焼いてたべることが長年になった。 ある時、邸の中に人ひとりもいない隙を見はからって、恨みを抱く者たちが襲撃して来て、邸を囲んで攻めつけた時に、邸の内部に、勇士が二人現われて、命を惜しまず奮戦して、敵を全部追い返してしまった。押領使は、まことに思いがけないことと思われて、「ふだんここにおいでになるとも見えない方々が、こうも奮戦なさるのは、一体、どのような方ですか」と尋ねたところ、長年の間、信頼して、毎朝おあがりになって来た大根たちでございます」と言って、姿を消してしまった。心から深く信じきってしまえば、このようなど利益もあったのであろう。【注釈】・押領使:地方で兵をもち凶徒を鎮圧する役第六十九段【本文】書写の上人は、法華読誦の功積(こうつも)りて、六根浄にかなへる人なりけり。旅の仮屋に立ち入られけるに、豆の殻を焚きて豆を煮ける音のつぶつぶと鳴るを聞き給ひければ、「疎(うと)からぬ己れらしも、恨めしく、我をば煮て、辛き目を見するものかな」と言ひけり。焚(た)かるゝ豆殻のばらばらと鳴る音は、「我が心よりすることかは。焼かるゝはいかばかり堪へ難けれども、力なき事なり。かくな恨み給ひそ」とぞ聞えける。【訳文】 書写山の性空上人は、長い歳月、法華経を読誦した功徳が積み重なった結果、人間の六根が清浄となって、自由自在な働きを示すのにふさわしくなった人であった。旅行の途中、仮りに作った小屋にお立ち入りなされた時に、大豆の豆殻を焚いて大豆を煮ていた音がブツブツと鳴っているのをお聞きになったところ、それは「他人でもないきさまたちのくせに、うらめしいことに、おれを煮て、ひどい目にあわせるのだな」と言った。また、焚かれる豆殻がバラバラと鳴る音は、「おれの本心によってやることであるものか。おれがこうして焼かれるのだって、どんなにか我慢できないことだけれども、どうしようもないことなのだ。そんなにおれたちをお恨みなさるな」と言っていると聞こえた。【注釈】・疎からぬ:親密である第七十段元応の清暑堂の御遊に、玄上は失せにし比、菊亭大臣、牧馬(ぼく)を弾じ給ひけるに、座に著(つ)きて、先づ柱を探られたりければ一つ落ちにけり。御懐にそくひを持ち給ひたるにて付けられにければ、神供の参る程によく干て、事故なかりけり。 いかなる意趣かありけん、物見ける衣被(きぬかづき)の、寄りて、放ちて、もとのやうに置きたりけるとぞ。【訳文】 元応元年の大嘗祭の際、清暑堂で催された、催馬楽の御遊において、琵琶の名器の玄上は紛失していた間のことであるが、菊亭の大臣が、もう一つの琵琶の名器牧馬を弾奏された折に、定めの席について、まっさきに琵琶の柱を手でさわって具合いをみられたところ、その一つがとれて落ちてしまった。すると、御懐にお持ちになった飯糊で柱をおとりつけになったので、神前へお供え物が上げられる間にうまく糊が乾いて、何のさしつかえもなかった。 どんな恨みがあったのであろうか、見物していた衣被(きぬかず)きの女が、牧馬に近づき、柱をとりはずして、もとのように琵琶につけておいたということである。【注釈】・そくひ:飯粒を練って作った糊
2012.04.10
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人員削減は今に始まったことではないが、ソニーの人員削減には、背水の陣と言ったものを感じる。リーマンショック以来、新聞紙上には、人員削減の記事が途絶えることはない位で、その数を合計するととてつもない数になっているだろう。私は、人員削減の記事を見る度身につまされる思いもあり、メモしてきたが、当時は、非正規社員の再雇用停止など、所謂本体にまではその影響は及んでいなかったとは言え、1700万人にも及ぶリストラ計画が目白押しであることを知り、暗澹たる思いになったことがある。今日なお、その尾を引いているのであるから、もし東日本大震災がなかったとしたら、この経済界の問題が、なお一層えぐり出されていたような気がする。世界経済の問題も、ユーロショックに置き換えられて、本来なら表舞台に躍り出る筈の日本に於ける諸問題は、割合的に陰に隠れたような状態であった。ソニーの問題は、私にとっても大きな問題であった。と、一段と次元の低い話になるが、正直白物家電ではない、所謂エレクトロニクスに於いては、私の持ち物はソニーのブランドで占められていた気がするのである。それ位ソニー神話が日本に行き渡っていたわけで、先ずテレビのトリニトロンなどといえば、何処がどう排他的なのか忘れたが、とにかく他社が真似できない製品であったような気がする。中国辺りがSQNYと紛い物を出す先頭を切ったのもソニーではないかと位に思っている。勿論ウォークマンも1番に買って、カセットテープの出し入れこそ面倒であったが、粋がって持ち歩いたものである。そのお陰が一部あったかと思うが、英会話の教材を持ち歩いて聞き流せると言ったこともソニーあってはこその話だった。そしてごくごく個人的に言えば、ソニーが発売したパームトップ「クリエ」を思案の挙げ句に買ったのである。それが2005年頃だっただろうか。驚いたことに、買って1週間もしないうちに「クリエ」は生産、発売とも廃止と発表され、ソニーはパームトップ(電子手帳)の分野から撤退するというのである。之には私も腹が立った。私に売りつけた(勿論ソニーから直接ではなくヨドバシカメラからだが)時には、既に撤退が決まっていたのではないか。ということは、私は、鴨になって在庫を整理に一役買わされたのである。この辺りから何かソニーにいかがわしい雰囲気を感じていた。その頃からだったと思うが、ソニーは本業だけでなく、金融やその他あらゆる分野に業容を広げていったのである。一見会社が発展しているかに見えたが、創業者の技術重視の会社から儲けのためには何でもやる会社へと変貌していたのである。その後CDを開発、勢いに乗ったかの感があったが、やがてどういう訳か(私は、技術軽視のリーダーによるミスリードによるものと思っている)ソニーの凋落が始まったようである。「理想の経営者」ともてはやされながら、技術者で無い出井伸之氏の下何ら見るべき成果もなく、出井会長が退き、後任にはストリンガーという外国人が起用されたのである。そうせざるを得なかった原因は巨額の赤字の計上であった。創業以来、初の売上高、営業利益の下方修正を余儀なくさせられる状態であったのだ。表向きは勇退の如くであったが、内実は、業績不振のための起死回生の人事であったようだ。その要因は、かの、トリニトロンブラウン管やウォークマンなど他の追随を許さない製品が出せなくなった事による。そして今期のテレビ部門の不振である。流石に8期連続の赤字には耐えがたいと言うところであろう。IT産業の目まぐるしい変化と、それに追従する技術力は、ほんの少しの手抜きをも許さない位に熾烈であるようだ。同様の性能を持つものであれば、安いものを買い求めたくなるのは海外では常識である。ただ日本は、メイド・イン・ジャパンに固執する傾向が強いが、之も最初の内だけで、製品の値段が安くかつ、安定した製造管理(QC技術のノウハウも韓国に供与してしまえば最早ブランドの根拠が無くなる)の下で製造されれば、畢竟日本製品が売れなくなるのも道理であり、且つその結果ますます韓国(サムスン電子)の巨大化を招くことになったのである。 まさに身を切る(シュリンク)ことで再生を図ろうとしているが、次期平井社長が、本来のソニーを取り戻せるか、単なるその場凌ぎに終わるのか、これからがソニーとしての正念場であろう。海外に駐在していた時も、ソニー、パナソニック、トヨタなどのブランド名は、日本人をして、少し胸を反らせる存在であったが、いまや、そういった看板は、「Samsung」や「LG」にその地歩を譲っているようで、少し寂しい気がするのである。今日は又、連れ合いの学校の入学式である。時代を背負う若者達が、こういった試練に耐えて、日本株式会社を牽引していってくれるのかどうか、はなはだ心許ないところもある。また、元の造船会社のOB会が東京で行われているようだ。私も含めて、今後の造船界に起死回生の何かが興るとも思えない状態では、ただただ、肩を叩き、酒を酌み交わして、過去の栄光に酔っているだけではないだろうか。
2012.04.09
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今月の1日は姉の78回目の誕生日だった。エイプリル・フーレだからよく覚えている。昨年の喜寿の祝いはスペイン・ポルトガル旅行に行く前に京都で昼食会をしたが、今年は、中欧旅行の後となった。場所も見晴らしの良い、今は丸井が入っている京都の美濃吉での誕生日祝いとなった。昔は、姉や私には誕生日を祝う風習(行事)など無かったが、大阪に帰って、連れ合いが、何かと気を遣ってくれるので有り難いことである。行楽(花見)の日曜日なので、阪急電車の特急は満員の状態だった。河原町のホームで待ち合わせたが、ホームも人でごった返していた。美濃吉も、予約を入れずに入ろうとする人が、大勢待っていて、之では予約無しに食事をするなど殆ど無理ではないかと思われた。中に招じ入れられても、満席であり、窓側のカウンター席は一杯で、通路から壁側のボックス席が予定されていた。ほんの印程度の桜酒が舐める程度出てきたが、後は先付から始まるままごとのような「初桜」という会席料理なのだが、人が多いせいか、料理が来る間隔がとても長く感じられた。姉は80歳を前にして、一頃よりも元気が良くなっているようで、ひとまず安心した。毎週4回梅田のトレーニングジムに通ってメニューをこなし、週2回はボランティアで梅田に出掛けている日課だ。それだけではなく、少し若い、といっても既に喜寿を迎えられた友人と更に年を取られた男性とで、ゴルフに出掛けるというのだから、恐れ入る。とにかくお祝いの席は和やかに終わったが、生憎、連れ合いが咳き込んでいて、食事後、京都散策か、シャガール展かとも考えていたが、大事を取って今日はそのまま帰ることにした。後ほど姉から連れ合いにメールが入ったのに依ると、姉はそのまま梅田まで言ってジムに行き、一汗流したと言うから恐れ入った。私の家系は、親父もお袋も79歳、80歳とそれほど長寿ではなかったが、長女の85歳を筆頭に、末弟である私まで未だ元気である。 2011年の日本人の平均寿命が男性79.64歳、女性86.39歳と、言うことだそうで、ともに世界一の長寿国となっている。長く生きることは「長寿」といって言祝ぐものだったのはどうやら過去のことで、今では、ややもすると、御輿型の年金が、騎馬戦型になりやがては肩車型になろうかと言うほどに、支える側の子供はなかなか生まれないし、医療の発達故か、年寄りはなかなか死なず、毎年のように平均寿命を更新している。未だ長生きが、罪悪感のようにはなっていないが、そのうち「姥捨て山」のような制度が復活しかねないと感じるほどになってきた。やがて年金制度が破綻すると、こういった風景にも真実みが出てきそうな気配であり、そうならないうちに早くあっちの方に行った方が良いのかも知れないが、何しろ丹波哲郎ではないので、あっちの様子が分からなく、ムスリムに刷り込まれている、死ねば天国で、酒池肉林、若い綺麗な女性は、山のようにいるなどというわけでもないだろう。私は、一応真宗に入っていることになるのだろうが、さして熱心な教徒でもなく、ただ親父の宗派がそうだったというだけのことである。仏教成立以前の古代インド思想を起源としているらしい六道という考えがあるようで、やはり現世でろくな事をしていないと、天道や人間道といったまともな道を歩むことも出来ず、修羅道、畜生道、餓鬼道はては地獄道に落ちることになるかも知れないのだ。よもや望むべくもないが、天界道に至れば、天人とされ人間よりも優れた存在で寿命は非常に長く、また苦しみも人間道に比べてほとんどないとされている。しかし、天界道にもやはり死があると言うからこれがまたややこしい。一般には、人間は人間道に依拠しているわけだが、四苦八苦という如く、大いなる苦しみに悩まされるのが常とされている。しかし、一縷の望みは、苦しみが続くばかりではなく楽しみもあるとされている点である。そして、信心深ければ、仏になりうるという救いもあるというのだ。 せめて、後の四悪趣(修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道)について、この際考えないで生きて行ければいいなぁなんて事を考えている。歌にも詠われていて、人気の地蔵菩薩については、功徳利益に、二十八種利益と七種利益が説かれている。みな四字熟語で、どちらの御利益も最後は、畢竟成佛(ひっきょうじょうぶつ:必ず仏になる)という具合に、とどのつまりは仏になれるとある。今の生き方がどうであろうと、何処か地上界でないところでは、「お!お前も仏になったのか」といった会話が交わされているのかも知れない。歳を食った誕生日などには、時々そう言ったことも考えるのである。
2012.04.08
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4月3日から4日にかけて、全国的に台風でもない低気圧が大暴れすると言ったことが起こった。それは「爆弾低気圧」と呼ばれる現象だそうで、今まであまり聞いたことがない名前である。それもその筈で、気象庁では使わない用語と言うことらしく「急速に発達する(発達した)低気圧」という表現を使うのが通常らしい。しかし今回のような、突風や、その異常な爪痕を見る限り、爆弾低気圧と呼ぶ方がふさわしい気がする。では、爆弾低気圧とは、どう言った定義のものかを見てみると、急速に発達し、熱帯低気圧並みの風雨をもたらす温帯低気圧だという。具体的には発生した低気圧の緯度を φ とし、24時間で 24×(sin φ/sin 60°) hPa 以上の中心気圧の低下が見られたものをいうと書かれている。この現象は、冬から春先にかけて、日本付近、アメリカ合衆国東海岸、ニュージーランド付近などで頻繁に発生しているとのことだ。今回は、全国的にその災禍を被ったようだが、特に裏日本では突風で横倒しにあったボックス型の大型トラックの写真が強風(突風)の凄さを物語っていた。因みにその地方の緯度は約35度であり、上記の式に当てはめると、24時間以内の気圧変化は、△hPa=24×(sin φ/sin 60°)=24×(sin 35°/sin 60°)=16hPaということになって、それ以上に急激な気圧低下が起こったと言うことのようだ。今日の新聞には、「爆弾低気圧」はなぜできたかと言った簡単な説明が加えてあった。それによると、24時間以内に24hPa以上気圧が低くなる温帯低気圧のことを「爆弾低気圧」と呼ぶと書いてあるから、上記緯度の修正を加えていない分、気圧変化は大きな事になる。今回の場合、2日午後9時現在では1006hPaだったものが、24時間後には964hPaといった具合に42hPaも低下していたというのだから、異常な現象が誘起されたのも当然かのように思える。そのメカニズムを説明通りに書くと、南からの暖気と、この時期としては強い北からの寒気が日本海側で衝突して、冷たい空気は下へ、暖かい空気は上へと、分かれて、大きな上昇気流が発生したようだ。南からの暖気は、大量の水蒸気を含み低気圧にそのまま供給されることによって、凝結して水になる時、熱を放出して空気を暖めると言うことになるとの説明がなされていた。今回爆弾低気圧が発達したメカニズムは対流圏とより上部の成層圏の境目(対流圏界面)にくぼみが生じその境目に沿い気流が上昇したことで、きれいな渦を巻く台風に似た構造になったとする分析結果が公表されているが、また別の説明では、通常水平であるべき対流圏界面が、傾斜することによって、西から東に向かって流れる通常の気流が、この傾斜によってより助長され上昇したという説明の仕方もなされている。 また対流圏界面が降下した影響で、気圧の谷が日本海上でも列島の近くに入り込み、東シナ海の暖かく湿った空気(暖湿流)が対馬海峡を通って気圧の谷へ流入し、暖湿流の水蒸気が上昇して凝結する際に放出された熱で、低気圧付近の上昇気流が一層強められたとの説明もある。 非常に強まった低気圧は周辺の寒気を巻き込んで真ん中に暖気が取り残され(暖気核)、きれいな渦を形成したもので、通常は台風(熱帯低気圧)から温帯低気圧に変化するものだが、今回の現象は全くその逆である。 こういった現象24時間の内に、42hPaも低下していたという異常な気象変化は、7年ぶりのことのようだ。この様な思いがけない自然現象は有限のものであっても、殆ど忘れた頃にやってくるので、今回のような「爆弾低気圧」といったものに対しては、予防することも叶わないわけで、それがもたらす被害が少なからんことを祈るばかりである。この、「爆弾低気圧」によって、毎日新聞では、農水被害が約1億7000万円に達したとの話だが、産経新聞に 依れば、約6億2600万円にものぼったというのだから、どう言った算出方法を採っているのか、強い興味を持った。こういった風に、自然現象による災害の見通しなどは、見方によって大きく違って発表されても、我々としては、甘んじて、言われるがままであるということだ。原発の問題でも、書き方一つで如何様にもなると言うことを傍証した形で知ったような気分である。
2012.04.07
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ピカピカの1年生が誕生した。島本町には4つの小学校があり、町内会もその4つの小学校を基準に分けられている。旧西国街道沿いの第1小学校、少し山側の第2小学校、私のマンションから見え、校庭に遊ぶ子等の歓声が間近に聞こえる第3小学校、そして、国道171号線を挟んだ、淀川よりの第4小学校である。島本町は2012年の人口推計に依れば29,925人ということで、2年前に比べて、1000人ばかりの増加であるという。もうかれこれ6年住んでいるので、我が町と言っても良い位だと思うが、近隣に田畑を残して、裏には山があり、大阪を代表する淀川も有りで、風光明媚な良いところである。加えて、大都市、大阪や、古都京都、さらには古の奈良の都にも近く、その気になれば、港町神戸へも日帰りは十分可能だという立地条件である。昔から、大阪のベッドタウンとしての役割を果たしていたようで、それが、私の住む上牧当たりにも開発が及び、昔にない、立派なマンションが多く建っている。生憎、連れ合い自身は、自分の学校があるため、孫の入学式に行けないというとこもあり、私が代表して出向くことになった。私もここに来て6年間、2年ほど経ってから辺りの景色に誘われて、ウォーキングを重ねてきた。従って、どんな小さな道があるのかとか、ここを曲がれば近道だとか、色々な経験をしているが、島本町ほど歴史的に興味深いところはないのではないかと思う位だ。地理的には、対岸の枚方との間に、日本の動脈が絞り込まれた要衝の地である。国道1号線や、京阪電車は淀川の向こう側であるが、淀川からこちら側にも、国道171号線があり、JR東海道本線、名神高速道路、阪急電車や単に通過だけであるが東海道新幹線迄が通っているのである。又、昨今は、道幅が狭いながら交通量も多い、昔の西国街道もここを通っている。孫の住居は、第4小学校の校区に当たっているというので、心持ち遠く感じる。それは、私のマンションから双眼鏡で覗ける第3小学校に比べてという意味で、通学に特段の距離があるというわけではない。第4小学校の近くには、最近も未だ売り出し中の巨大新築マンションがあり、その入居者が学校児童数に関係していると言うところまでは至っていない感じだ。孫の家から小学校までは、国道171号線という極めて交通量の多い道路を横切らなければならないが、そこには、しっかりと横断歩道橋が出来ており、信号を、手を挙げて渡る必要はない仕組みになっている。集団登下校も始まると言うが、ちゃんと決められた道路を通るのであれば、むしろ狭い道を、車両を避け避け歩くよりは返って安全ではないかと思っている。朝入学式の時間を待ちきれず、1人で2時間前位から、通学路を確かめたり、以前歩いた淀川の堤防まで出たりして時間を潰した。第4小学校の校庭は、とても広く、小学校には勿体ないと言うほどの広さである。やがて、母親に付き添われた、新小学校1年生の孫が、やって来た。背中には大きなランドセルを担いでいる。今未だ体に比べて大きなランドセルだが、卒業頃になるとどんな風になっているだろうかと考えた。孫の弟とお父さんの方は少し遅れ気味にやってきて、同時入学児童の両親達と同じように校門の「入学式」と看板が立てられている前で記念写真を撮った。体育館が主会場であったが、入ってみて驚いたのは、約25名のクラスがたった2組しかないという事だ。これぞ少子化かという思いで、他の第3小学校などの話しも聞けば同じようなものだという。孫の母親の頃は川西市だが3クラスはあったというし、果て、自分の頃はと思いだしてもやはり3クラス程度はあったような気がした。迎える6年生も、同じ位の人数なので、教える先生方に取っては楽なのかも知れない。第4小学校には、教頭先生ともう1人の先生が連れ合いの同僚さんと言うことで狭い町ではある。ところが後ろの我々が座る保護者席には、児童の3倍は座っていたのではないだろうか。入学式に集まることが即ち愛情の多寡とは関係はないかも知れないが、皆幼い子供の晴れの門出を祝っていることに変わりなく、健やかに成人して欲しいと願うばかりだ。体育館に掲げられた、校歌も地域柄、「天王山」という歌詞と「淀の川」という2つが入っていた。私の通った茨田南小学校(現鶴見区)の校歌何と言っても「生駒山」と「徳庵堤」であった。しかし、昔の校歌は「偉くなります僕たちは、豊かに生きます私たち」などと、現代では到底考えられないような、クレームが付きそうな内容であったが、第4小学校の校歌は、「友よたがいに輪をつくれ」や「友よたがいにはげまし学べ」といった協調ムードが醸し出されていた。校歌1つ取っても、60年の歳月を感じる思いだ。しかし、輪は大事だが、個性を育むことも又大切なことである。幸い、孫は、自分自身をしっかり持っているようで、どうでも良いことは和するが、やはり気に入らぬところは頑として主張を通すところがあるというので、今から楽しみである。自分の小学校時代はというか、小学校から大学を通じて、親がこういった式に来た記憶がない。忘れているだけかも知れないが、同じように言祝ぎ、同行することも又必要だが、大いなる愛情で、包み込むことを忘れてはいけないと思いながら、式が終わり、新しい教室に入るというところで先に失礼した。
2012.04.06
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重慶市トップの薄煕来氏の話が伝わったのは3月10日頃の中国全人代の最中のことだった。最初は何を云っているのか分からず、今以て、その真意を知るまでには至っていないが、中国も行けいけどんどんの政府目標をGDP8.0%から7.5%に減速し、内政注力を計るとか、国防費は依然11.2%の2年連続2桁増をキープするなど、実態はまだまだ多いはず等と言いながら、世界をアメリカと2分する強力なパワーを持つ国になった。世界中のどの国もが目を離せない国になった。そして既定の路線であるが、国家(共産党)の指導部も今秋には大幅に入れ替わることになっている。たまたまチェコのホテルで朝食が一緒になった青年に連れ合いが隣の席を勧めたのがきっかけで、少し話した。上海から来ているという青年は、良く聞くと上海から150kmほど内陸部に入ったところに住んでいるという。何かの団体で来たと言うが、朝は1人で食べていた。中国の勢いは、右肩上がりで凄いとジェスチャーを交えて話し、この度リーダーも変わると、言ったものの、何と読むのか分からず、紙に「習近平」と話したらうなずいていたが、日本のように選挙で選ばれるわけではないから、私たちには関係のないことだと、言葉少なだったが、少し抵抗感を読み取った。その頃は、未だ、今日喧伝されているように次期中央常務委員候補の薄煕来氏が解任されるというような話は知らなかったが、帰って、中国の権力闘争の凄さに慄然としたものを感じた。次期権力者を決める全人代の最中にまで、どろどろ試合が繰り広げられていると言うことだ。薄煕来氏は重慶の市長であり、重慶は、中国内陸部であるが、要衝の地である。薄煕来氏の腹心であった副市長に付けた王立軍氏がアメリカ領事館駆け込みんだという事件から事は始まったらしい。(前代未聞の破廉恥行為と言うことらしい)どうやらよく報道を聞いていると、中国共産党指導部内の権力争いに帰結するようだ。薄煕来氏の父は元副首相であり、中国共産党高級幹部の子弟(太子党)の1人であり、その意味で、習近平次期国家主席の同胞でもある。なかなかオープンにはされないが、中国国内での内なる権力闘争は凄まじいものがあるようだ。この事件によって、次期習近平を支える太子党であった薄煕来氏の最高指導部入りは流れ、その代わりに胡錦濤派の若手2人の登用が急浮上したというのである。 習近平次期国家主席の太子党と、胡錦濤国家主席の共青団派とは政策的に差ほどの変わりがあるはずもないから対立しているといっても、個人の抱える出自ベースということになろうか、この流れから、更に保守派、太子党の習近平氏の基盤が脆弱になる可能性がありそうである。香港紙によると、胡主席は内部会合で王氏を「国家と共産党に対する裏切り者」と評した。温家宝首相も14日の記者会見で「真剣に事件の教訓をくみ取らなければならない」と述べ、薄氏らに反省を促していた。 腹心が起こした事件の責任を取らされた形だが、今秋開かれる党大会における薄氏の最高指導部入りの芽は消え去った。今後の処遇次第では、薄氏と同じ元高級幹部子弟で構成する太子党グループの習近平副主席の権力基盤への影響力低下も囁かれている。こういった抗争の末、中国共産党政治局常務委員が選出されるわけで、巨大で陰湿な権力闘争である。薄煕来氏(太子党)の部下が「打黒」(暴力団取り締まり)で勇名を馳せたことが、ポピュリズム的で良くないと、共青団側は指弾する。標榜するところは同じでも手柄は我に無ければならないと言ったところか。13億人を超す国民が、こういった、たった9人の中央政治局常務委員の胸三寸で決まるというハイパー権力主義は、更に2派に分割されているというのだから、考えてみれば、怖ろしいことである。
2012.04.05
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一体どういう事だと目を引いた。ドイツ大手に続いてアメリカでも太陽電池会社が破綻したと書いてある。私のように原発に依存することなく自然、再生エネルギーでやっていきたいと思う者にとっては、一寸見逃せない記事である。ドイツ大手とはあのQセルズのことである。そう言えば、昨日の新聞にQセルズが価格競争の激化で、法的整理の手続きに入ったという記事があった。富士経済が2008年に太陽電池および太陽電池関連の部品/材料の市場動向についてまとめた調査報告書「2008年版 太陽電池関連技術・市場の現状と将来展望」によると、世界の太陽電池(太陽電池モジュール)市場は、2007年に1兆2008億円規模であり、これが2012年には2007年比で3.9倍の4兆6751億円規模になると予測しているのである。不幸な事例ではあるが、福島原発事故が、これらの数値を押し上げたことは少なからずあるだろうし、これからは、世界的に見ても、自然エネルギーの一端である太陽電池の前途は明るいと思っていた。一口に太陽電池といっても多くの種類があり、大きく大別してシリコン(Si)系と非シリコン系があるという。中でも、Si系太陽電池は太陽電池市場全体の90%ほどを占め、今後も高い成長率が期待されていたのだ。その中でも変換効率はやや劣るが、従来のシリコン系に比べコストが約半額という安価な薄膜Si太陽電池等は今後一層延びると予測されていた。 やはりそこは良くしたもので、薄膜Si太陽電池の市場にはすでに100社近くのメーカーが参入していて、そのうち10~20社が生産を始めているという過当な競争下にある。知的財産権が何処まで及ぶのか、すでに2007年には海外メーカーによる薄膜Si太陽電池の生産量は日本メーカーの合計生産量を上回っていたということで、その後もアメリカ、ドイツ、中国、台湾、インドなどの地域で生産量が拡大すると推定されていた。そして1年も経たぬ2008年には、中国の台頭がめざましく、圧倒的日本、ドイツそしてアメリカを遙かに抜き去り、トップに躍り出て、今日、世界の1/4のシェアを占めるに至ったのである。Qセルズはこんな環境の中、中国との激しい価格競争に敗れてしまったようだ。中国はどの業界でも、人件費の安さを武器に、世界的に価格破壊を起こし、業界を席捲していくのである。私は、この中国もやがては、国内問題と、人民の内なる目覚めにより、現在の状態が大きくずれることになると思っているが、あくまで個人的な観測であり、それが何時起こるかの推測は難しい。アメリカに於いてもソリンドラ社が同様な経緯で破綻に追い込まれているという。アメリカは、原発再稼働を決定したと言うから、自然エネルギーへの依存度も相対的に低くなると考えられるが、ドイツは原発離れを宣言しているので、太陽光発電などの停滞は、苦しいものがある。自然に優しいという点では、これに勝るものはないが、何しろ発電コストが割高になると言う点がネックのようだ。電力の買い取り制度で、コスト高を吸収するにしても、他の発電システムによる安価な方式に普遍的に勝つには、今のままでは成り立たないようである。しかし折角の火を消すことはあってはならないと思うし、このまま、中国のチープレーバーに頼ることでしか、効率化できないようでは、先進国の名折れといわなければならない。発電コストが割高である分、買い取り価格の上昇でカバーするという方式は、一見合理的に見えるが、我が国が、いかほどの隠れた金を原発につぎ込み、一旦被害が起こったとしても、自然災害を言い訳に、一切の保証金を税金で賄うようなトリックを使えば、原発画の発電コストが安くなるのは眼に見えている。我々は、原発が如何に高コストであるかを、身を以て体験しているのである、頭の良い官僚どもにだまされない気概を持たなければ、何時まで経っても我が身を犠牲にしながら、一時の利便性を買うだけことになりかねない。
2012.04.04
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正直、旅行の疲れであろうか、熱までは感じなかったが、咳が止まらない。従って1日中部屋から1歩も出ず、今日の万歩計はたった294歩である。之と言って何もすることはないのだが、咳するための1日で、かといってベッドに伏せるわけでもない。未だ肌寒い感じの部屋に電気毛布を掛け、ダウンの上衣を着て、只ひたすらに咳をしていた。マスクというのも面倒なもので、咳によりつばの飛散には役に立つが、そのもので、ウィルスの侵入を防げるとか、ウィルスの飛散を防げるといったものではないようだ。外出して、人混みに中で、咳をおおっぴらにすると言うことは、いかにも無作法であるからマスクしているのだと言った具合に考える方が妥当なのかも知れない。前回は、若干熱っぽかったようだったので、連れ合いの勧めもあり、医者に行って、咳止めの薬を貰ったのだが、4日分の処方で、あまり多くを処方されなかった。私が、「インフルエンザの予防接種を断ったので、こんな風になって、申し訳ないですね」というと、医者は、「あれは、利く人には利くが、打っても利かない人も居ますし、まぁ、あまり関係ないですよ」という。元々私もそんな風に思っていたので、その後話を続けることもなかったが、病名が明らかであって、対処療法が確立されている場合は、手術なり施薬で当然快方に向かうのであるが、根本的に原因が不確定なものに対しては、やたらと薬を与えるのは考えものなのである。昔流に言えば、咳=風邪との素人判断をし、それなら医者へ行き、熱冷ましの注射1本打ってもらえ、てな事に勝手にルートを決めていたのだが、咳一つでも、色々な原因があるわけで、私には幸い今のところ花粉症の症状はないので、助かっているが、あらゆる咳の状況に、画一的な処方などあるはずがないのである。私は、勿論ホメオパシー(代替医療)を信ずるものではないし、適切な西洋医療行為を信じてはいるが、如何なる時にも一応は、自身の持つ回復能力を信じている。言葉は適切でないかも知れないが、人間には、汎用的な病気に対しての抵抗力は備わっているものである。その病気が、汎用的なものであるかの判断を素人が下すのは、危険ではあるが。私にとって言えば、過去、70年近くを生きてきていて、ある程度のパターンでは、そう言った病気に罹っては回復してきているわけだ。従って放置しておいて大丈夫かどうかは、おおよそ感じで分かる。しかし、咳を続けると、ある種のウィルスに依り気管支に炎症を起こすなど2次的な弊害を起こすことがあるので、医者を訪ねると言うことになるわけだ。ある検証によると咳の速度は22m/secであるという結果がある。之は殆ど、80km/hということになり、台風どころの速度ではないわけで、そのスピードを持ったマスが、気管支の道にハンマーで打ち付ける如くするわけだから、之を沈めることは意義のあることである。まぁ、そんなわけで、医者で、4日間の咳止めを取り敢えず処方して貰ったが、その後は通院していない。前回の訪院で、私の咳は、細かな砂の粒子(65μm)が、気管支を刺激しているある種の喘息だろうということだった。それならサウジで、サンドストーム中でもマスクもせずに外にいたことなどを考えると、納得がいく。微細粒砂が気管支に刺激を与え、それに抗しようと好酸球が集結してきてそれが更に刺激を増長していることなども考えられるわけで、悪戯に咳き込むと言って咳止めを飲むことが長期的にみて良いことでないかも知れないのである。そんなことを考えながら日がな1日を過ごした。
2012.04.03
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3月末にヨーロッパから帰ってきたが、何と、日本の方が未だ寒いのではないかと思わす気候であった。姫は束の間の帰阪をし、飛ぶように帰っていった。旅行中に電話を貰っていた人に断りの電話をしたり、昨日は、わざわざ高槻方面にテニスの練習に来るというので、昼食を共にした野洲の友人と会うなど、未だ元気だった。今日あたりから咳込みが激しく、1日中「ゴホン、ゴホン」とやっていたので、殆ど外気には触れていない。思い出しながら書いているのだが、本日は、北朝鮮の長距離ミサイルについて、まだなおくすぶっている状況が書かれていた。アメリカも何度同じ手口でだまされ続けているのか、又、中国や、ロシアは、この北朝鮮という無頼の輩達を自らの橋頭堡として巧みに利用しているのか、考えてみれば、何度も同じ事を繰り返しているようだ。これは今9日に書いているわけだが、このままだと今週後半か、来週前半には、北朝鮮は、間違いなく、長距離ミサイルを発射するであろう。前回までと違って、今回は、東倉里(トンチャンリ)から南方黄海方向に打ち出し、北朝鮮の理想的には、我が国と台湾の狭間を通り、フィリピンの東方海上に着弾予定だという。しかし、北朝鮮のことだから、どれ程制御技術が進歩しているか分からなく、一遍やってみろ的なニュアンスが強い。しかし、日本なども愚かしいことで、それに対して、今から、迎撃態勢を取るという物々しさだ。「有事」のさいに、これ程、事前アナウンスがあるなどとは考えられないのに、何とも悠長なことである。しかし、自衛隊としては、一寸外れたコースにでも来てくれた方がむしろ実戦演習になろうかとの意気込みで、口には出さねど、内心喜々としているのではないか。それが証拠に、3年前に北朝鮮が唐突にテポドン2号を発射した時に比べて、いかにも予定事項的に粛々と事が進んでいる。北朝鮮は、その気(捨て鉢)になれば、無警告で2年前の延坪島(ヨンピョンド)のようなことを平気で行うのであり、全てが計算し尽くされている。向こうが現実的に、犠牲者まで出しているのだから、こちらも、平壌に向け1発ぶち込む位しないと、この茶番劇は永遠に終わらないであろう。北朝鮮は既に、日米のMD迎撃能力の限界を超えた大量の同時攻撃(飽和攻撃)を行うことが出来るまでになっているという。あらゆる点で、お互いにウォー・ゲームを楽しんでいる風情がある。現実問題、与那邦島や、西表島、石垣島などには、退避命令や退避措置が出来ているのだろうか。ねらい所はあたかも、中国が、我が物顔に我が国領海を侵して航行する場所ではないか。中国が、北朝鮮をして、我が国の迎撃能力を査定するために行わせているのではないかと、金正恩が、温家宝とハグしている様などを見ると勘ぐってしまう。北朝鮮の方は、先ず、アメリカが本気にならないようにする。アメリカは、何とか北朝鮮に先制打撃をする口実が得たい。との思惑であろうが、最後の日本が、MD(ミサイル防衛システム)が成功するかどうかの試金石となる。と言う点が大きいかと思う。未だ、日本も、アメリカも、肉を切らせて骨を切ると言ったつもりはないだろうから、北朝鮮の「瀬戸際外交」が、之からも続くと言うことに成りかねず、気づいた時には、手遅れということになるかも知れない。親父の代は何とか出来たが、もう、そうは行かないと言ったことを今の内に金正恩に知らしめるのも手ではないかと思うのだが。
2012.04.02
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有識者は今まで何をしてきたのか。ピアスの「悪魔の辞典」を補完するとすれば、有識者のことは「知識は有するが、之を行使する義務を課せられていない傍観者」とでも載せたらいいと言うことになるかも知れない。およそ、知識や知見と言うものは、色いろな方向があって然るべきであり、軍隊の行進のように、同一方向を向いていないと言うことではないはずである。ところが、「○○学会」などとなると、少数意見は無視され、あたかも科学の神髄は1つでしかないという事になるのだから怖しい。南海トラフの存在が、東海、東南海、南海地震を同時に受けた場合のシミュレーション結果は20mを超える津波が起こる可能性がある都府県は、6つあるという結論に達したようだ。東京、静岡、愛知、三重、徳島と高知であり、高知の黒潮町では、34.4mという推計値が出されている。で、どうすればいいのかといえば、それに対する対処提案はない。山が遠く、過疎の高齢化した村では、地震発生後に津波が到達する時間は極めて短いので、逃げることも出来ないわけだ。従って、「こんなん出ましたけどーーー」といっていたずらに住民を不安がらせることしかできない。専ら、もう廃炉を決定していたのかと思った、浜岡原発が津波に襲われた対策はどうすべきかなどと、ふざけた話になっているようだ。付録にさりげなく、南海トラフ近傍では、マグニチュード(M)8級の地震が、100年~150年周期で起こっているというデータもあるようなのだ。それが今回は、M=9の地震も想定されるというのだ。指標(M)がたった1つ上がるだけというものではなく、マグニチュードはエネルギーの対数をとったものなので、マグニチュード(M)が1増えるとエネルギーは凡そ32倍になるということなのだ。どんなに大きな地震でも、遠く、かつ地球の底深くで、起こっているならば、それは未だ救いがあるかも知れないが、関東から、九州に至る南海トラフで起こるならば、その応答の震度も又大きく成らざるを得ない。そして、気象庁震度階級関連解説表(平成8年2月)による最高級の揺れをも伴うというのである。この発表をカラー刷りの地図と共に発表して、注釈は次のようである。「千年に1度」の最大級の地震を想定したものではあるが、「次ぎに起こる地震の予測ではなく、近い将来発生する恐れが高いわけでもない」と極めて曖昧な表現を使い、従って、結論は「適度に恐れよ」ということらしい。最早恐れ入って、二の句が継げないと言うしかない。結論としては、まあ、そのうちとてつもない地震が来て、津波が海岸を襲うが、十分心づもりをして、あわよくば助かる方法はないかと考えよと言うことのようだ。しかし日本の技術力は凄いので、そんなとてつもない地震や津波に対して浜岡原発を十分堅固に供えることが出来るので安心しろと言うことなのか。科学は万能ではないし、それを扱う人間は、更に低次元の間違いを犯す者であること、そして、判断する政治家は、最悪のレベルの者の集まりであることはここには考慮されていない事により大きく目を見開かなければならない。
2012.04.01
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