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今日は柳生街道の前半部分を歩いた。連れ合いの元同僚で、絵画のスケッチなどで、意気投合して、今は山歩きなどで、時々行動をする友人が居る。登山というほどではないが、平地を歩くわけではなく、ワンダーフォーゲルと言ったところだろうか。もう1人の山歩きの好きな人も一緒である。昨年の夏に連れ合いと共に醒ヶ井に梅花藻を見たり、養鱒場や風穴洞等を歩いた頃から山歩きに誘われる事が多くなった。観音寺城、安土城跡などを皮切りに、高野山を走破し、今年4月には近江富士(三上山)に登ったことがある。その一連で、今日は、柳生の里に行くことになっていた。秋の陽は落ちるのも早いだろうと言うことで、2回に分けていくことになり、手始めの今日は、近鉄奈良駅からバスで、破石町に出て、山道を歩き、圓城寺までの道のりを歩いた。柳生の里と言えば、柳生宗矩の子の柳生十兵衛や荒木又右衛門と言った名前が浮かんでくる。柳生新陰流の剣豪達が通ったという道のりである。所要時間は5時間で、歩行時間は約3時間余とある。京都から近鉄奈良線に乗ると、友人も乗ってきた。6時23分発でまだ外は薄暗い。近鉄電車に乗ることは稀である。車中で話しながら奈良路を南に下るとのどかな田園風景が続く。とは言っても近年は、住宅地としての開発が進んでいて、昔のような広がりはない。近鉄奈良駅でもう1人の友人と待ち合わせて、破石町から柳生街道に入る。この道は滝坂道とも呼ばれているようで、車の走る道路脇は、春日大社の外れで、神苑から出てきた鹿がたくさん出迎えてくれる。柿の木にはたわわに実がなっていた。飛鳥中学の前をUターンする様に回り込むと、そこから程なく東海自然歩道に入り込む。道の脇に流れるのが能登川である。能登川と言えば、東海道線に同名の駅があるが、そこのことかと口に出すと、地名と川の名前の違いで関係はなさそうだ。奥入瀬川の小型版だ。「妙見宮五丁」の碑が見えると山道は石畳となる。江戸時代の街道である。暫く行くと寝仏が見える。大日如来が彫ってあると言うが識別できない。そこから少しで夕日観音があるが、之は道から離れているため一寸識別しづらい。今度は通り過ぎたのかと思う頃にやっと朝日観音が見えてくる。鎌倉時代の彫刻で、朝日を浴びると美しいと書いてある。観音とは書いてあるが、真ん中が弥勒仏で左右に地蔵仏の3体である。さらに行くと、山道が開かれたところがあり、そこには、荒木又右衛門が試し切りをしたとのいわれの、首から先が切れているような首切り地蔵が立っている広場だ。ここには車でも来られる道があるようだ。巨大な杉2本が威容を誇っている。そこから山道を採ると少し下るようになり、地獄谷石窟仏がある。そこからさらに段々と下って行くではないか。地図にはその先、急な坂道とあるから、今降りている分をまた倍以上登るのだとのことだ。朝早かったせいで、お腹が空いて力が出ない。先を行く友人に飴をもらってやっと元気が出た。這々の体で上り詰めるとやがて峠の茶屋である。江戸時代のままのような茶屋は、風情がある。名物とやらの草餅を食べたが、美味しいので、一つ連れ合いにと求めた。マユミという赤い実を付けた木が脇に植わっていた。もう1人の友人は、植物にも興味があるとかで小形の植物図鑑を持参していた。彼が教えてくれた木に、カゴノキがある。幹に特徴があるこの木の樹皮は灰褐色~灰黒色で、点々と丸い薄片になってはげ落ちて、あとが白い鹿の子模様になるためこう呼ばれているようだ。峠の茶屋からは比較的なだらかな下りと上りの山道が続く。途中農家の人が無人で作物を置く店で、7個入りの柿を100円也で買った。北の方に和束町があり茶の生産で有名であるが、ここでも所々茶畑が見える。東海自然歩道は県道184号線から外れて再び山道にはいる。前半の苦しさからは解放されてピクニック気分である。2~300m毎に設置された木製の道標に従って進む。栗の木の葉を敷き詰めた山道は枯葉道路である。程なく国道369号線に出るがその先が今日のゴールの圓城寺である。もう1人の友人はなにやら歩き足りないといった風情で、このまま柳生の里までも行きかねない感じだったが、この先は春に回して、ここで終わることにした。境内のうどん屋で山菜うどんを持参したおにぎりと共に食べたが具の大きなうどんだった。圓城寺には、何の変哲もない社2つが国宝で、多宝塔に収納されている大日如来像も又国宝である。ガラス越しに特性のめがねで見るようになっていた。後背部が青く、金色の残った座像は奥の方に静かに座っていた。帰りは忍辱(にんにく)寺の前のバス停からバスの人となった。友人に小銭200円を貸していたので降り際に、払っておいてと言って降りたが通じていなかった。しかも200円ではなく650円だったという。運転手も何も言わないままだったが、気の毒なことをしたので、近くのバスの案内所で事情を話し、正規運賃の650円を払って帰ってきた。差ほどの疲れもなくその時点で今日の歩数は2万歩を越えていた。
2012.11.30
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コンサルタント会社に勤める友人がパキスタンから一時帰国するという時期が少々早まったようだ。ジンバブウェ時代から世話になった人で、海外駐在中、一時帰国や、新しい赴任の時など、折り目節目に連絡をくれる。ジンバブウェはもう16年も前のことだが、その後も何くれと無く連絡を取っているので、海外を行ったり来たりしている様子がよく分かる。私も別々な仕事であるが、ジンバブウェに続き2007年のドバイまで海外を転々としたが、プロジェクトが終わりかけると次の仕事探しで何かと力になってくれたのである。16年前からの仕事は、この友人の尽力に依るところが大で、私にはベトナムの話しや、フィリピンでの話などが、次々に出ては消えたが、サウジアラビアへの別なチャンネルが開け、その後も結局63歳でドバイを最後に勇退するまでは色々と力になってくれたのである。そして、私がドバイを引き揚げた頃から、彼は、アフガンやスリランカ、そしてパキスタンへと転々とプロジェクトを渡り歩いていることになる。現在のパキスタンのプロジェクトは遅延しており、完了までは未だ時間が掛かるようだ。海外では何が起こるか分からない。勿論工期の遅延などもあるわけで、リスキーであることに変わりはない。郷にいれば郷に従えではないが、彼の国の事情を無視して、日本流を貫くことなどは出来ない。しかし、総じて日本人は聡明でかつ律儀そして真面目であるため、海外では高い評価を得ているのである。中には色々癖のある人間もいるようだが、海外で日本人が尊敬されるのは、日本人のこういった気質に依るところが大きい。彼の仕事は、日本からパキスタンへの有償援助(ODA)であるインダスハイウェイの一環で、首都カラチから350kmほど離れたインダス川沿いの総延長200kmの道路建設であるという。パキスタンは核兵器以外は、何もない国のようで、やたらと軍人が多く、その工事も1000人ばかりの軍人を使っているのだという。彼独特のしゃべりである。政情は安定しているとは言い難く、たばこを買いに出かけるのも、最低2人の護衛付きだと言うから大変だ。しかしそう云ったことも、遠く日本から見ると誇張されやすいが、いざ現地に溶け込んでしまうと慣れも出てか、差ほどシリアスに感じないものである。パキスタンと言えば、貧しい国の印象だが、カラチは都会であり、イスラマバードは幽玄の郷のようだという。いずれにせよ物資が不足しているようであるから不便なことは論を待たないようだ。そのため月に1回国外脱出の時には、UAEのドバイに飛ぶのだという。首都イスラマバードよりは近いというから世界地図を広げると確かにオマーン湾を一飛びするとドバイは意外に近いようだ。政情はアフガンよりは多少ましと言えるかも知れないが、いずれにせよ過酷な所のようで、環境も砂漠のど真ん中の工事なので周辺は55℃を指すことも珍しくないようだ。そして道路のアスファルト工事になると、路面は100℃をゆうに超えるわけで、シビアである。しかし彼は痩せていないので、その理由を聞くと、危険で、活環境が悪いので、止めようと云った素振りをすると、それを察してか、キャンプではシェフを交替させ、日本食を作って引き留めようとするのだそうだ。おかげで、太ってくると言うから、カタールに行ったときのキャンプの状態を思い出した。過酷な仕事環境だから、仮設のキャンプでは空調は効いているし、食べ物は実に豊富で、自分の意の赴くままに食べていると大いに危ないことになるわけだ。そのような過酷な作業環境でも、日本にいるよりは良いと再びパキスタンに帰ることを望んでいるというのだ。日本の殺人的な通勤地獄よりは、灼熱の砂漠の方が、職住接近であり、またなにものにも束縛されないと言った気軽さがあるのだろう。こう云ったことは、海外における不便さが気にならない人間にとっては、日本の快適さよりも好まれるのかも知れない。若いと思っていた彼も60歳に手が届きそうなのであるが、なかなかそうは見えなく位に若さを保っている。こういう生活が性に合っているのだろう。70歳くらいまでは働きたいという気概を持っている。そんな彼もジンバブウェの環境はことのほか良く、彼の経験の中では最高だったと述懐していた。私は実に幸運で、インドや、パキスタンの話があったものの、2番目の赴任地が、ジンバブウェの首都ハラレであったことはついていたわけだ。最近になってジンバブウェ近傍のプロジェクトが再び遡上に登っているようで、ジンバブウェの隣国ザンビアの外れでビクトリアフォールにほど近い、ボツワナそしてカブーリビ回廊が突き出ているナミビアの4国が接する地点のカツングラプロジェクトが始まると言うことで、そこに行くべく次の作戦に入っているという。連れ合いも合流しての楽しい会話もこの日の内に東京へとんぼ返りするために時間があっという間に経ってしまい、最終に近い新幹線で、彼は東京に帰っていった。
2012.11.29
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高校バスケット部OBでラウンドした。メンバーは、先輩と、友人Bそしてこの期に還暦を迎えた後輩のの4人で、世代の年齢差は11歳である。今日のゴルフも散々だった。このところ乱れたゴルフで、手の付けられない状態だ。天候も良く、状態も悪くないのにとんでもないゴルフになる。之を脱皮するのは何時になる事やら。朝、先輩が迎えに来てくれてゴルフ場に向かった。自分への縛りとしてごく簡単に記録を残しておく。前回のラウンド同様、( )内は悪くても之くらいは可能である改善余地である。 No.1(M)は、3打目アプローチをショートした。ボギーは取れたのに・・・(+1)。No.2(M)は、3打目70YDのアプローチを高く上げすぎて、手前のバンカーに落とした。4打目がアウトだけで、しかも3パットだった。(+1)。No.3(M)は、比較的長いホールだが、3打目の残り80YDのアプローチをダフリ、ショートした(+1)。その後チョロでバンカーへ(+1)、そこからトップでGR向こうへ(+1)。1パットでなければ悲惨な結果だった。(-1)。都合(+2) No.4(S)は、フラットなショートで、ティーショットが何とゴロだ。1パット目はカップまで5cmで惜しかった。(±0)。No.5(L)は、右ドッグレッグの池有りコースだ。快調なティーショットだったが2打目をチョロ。3打目レイアップのつもりが、転んで池に入った。3パットも重なって、9打だった。(+2)。No.6(M)は、右ドッグレッグだ。ここでも、2打目をチョロだ。4打目のアプローチをGR上に付け、何と5パットした。ここも9打だ。(+3)。たて続けに魔のホールが続いた。 No.7(M)は、距離の長いハンディキャップ1のミドルで、3打目80YDを番手を間違って、大きめのクラブを持って振ったらやはりGRオーバーし、返しも中途半端に短く3パットしてしまう。(+1)。No.8(S)は、横長のグリーンで、今回は左にカップが切ってある。1オンしなかったが、アプローチとパターはまずまずでパーである(±0)。前半最終No.9(L)は、DR、2打目は完璧で、3打目155YDで乗せられずに、またしても3パットだった。ダボは残念だが完全にボギーで上がれたかと云えば、疑問が残った。(±0)昼食はバスケット部のOB会のことを話題にし、後輩さんもやる気なようで、収穫だった。先輩が食事をご馳走してくれた。後半に入る。前は親子連れだろうか、2サムで入り込んできた。No.10(M)は、2打目をラフから底をすくった天ぷらで、左のFWバンカーに入れた。4オンの3パットで残念だが、1打は確実に余計だった。(+1)。No.11(S)は、辛うじてGR手前にオンし、ほぼ典型的なパーとなった。(±0)No.12(M)は、クリークのあるミドルで、いつも相性が悪いが、今日は2打目をグリーン向こうにこぼしたのが痛かった。しかし、ダボなら良しとしなければいけない。(±0)このホールでは、前の組の若いのが、クリーク越えで1オンしているのが見え、イーグルを取ったのには参った。No.13(M)は、右が崖のホール。2打目はまたしてもゴロ前進だ。3オンは良かったが、3パットで元の木阿弥。合わせて1打は損をした。(+1)No.14(S)は、打ち降ろしで、グリーン手前は池である。キックにすくわれて、3パットでもボギーを拾った形だ。(±0) No.15(M)は、ティーショットは安定しているが、またしても2打目のチョロだ。3パットも手伝って、トリプルは解せない。(+1)No.16(L)は、打上、打ち降ろしだ。ここもティーショットは良かったが、連続2打目のチョロだ。4打目の左足下がりのアプローチは巧く乗った。1パット目は惜しかったがやはりチョロが余分。(+1)No.17(M)は、右ドッグのホール。2打目を左に引っかけてしかも天ぷら気味で、左の柵に当たってOBを免れた。之は3打目シャンクとなってももうけたことになる。またまたの3パットも、やむを得ぬか。しかし総じて1打は全く余分である。(+1)最終、No.18(L)は、DR、、2打、3打はまぁ、こんな所かという感じだが、4打目結果オーライのニアオンは救われた。しかし、当然乗せるべき所である。ボギーはやむを得ない。(±0)振り返ってみると(タラレバの世界ではあるが)、前半は10打、後半でも5打の合計15打は改善されてしかるべきである。90台後半は可能と言うことだ、来月の友人とのラウンドではミスの無いようにしなければならない。特に2打目のチョロ(合計4回)は、気をつけて気負わずにやるように努めよう。また、パットでも、5パットを含み3パットが10回はなんと言っても酷すぎるのではないか。
2012.11.28
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中学校の期末テストは明日から始まる。今日は、期末テスト前学習会の最終日である。13:30からの始まりに少し遅れたが、未だ生徒は集まっていない。10分経って25人程度集まって来たが、3人は早々に引き上げ、女生徒5人も30分後には引き上げていった。思い起こせば、自分が中学時代には、あまり勉強をした覚えはなく、このように皆と一緒の場所で試験に備えると言うこともなかった。本当に覚えたり、集中したりするのには適さないのではないかという雰囲気だ。落ち着くのを待って、生徒に話しかけるのだが、今日も土曜スクールに来ていた良くできる子の側に座った。ボランティアは6人である。それぞれ位置を占めて、適切なアドバイスを行っているようだ。私が相手をした生徒は、2人であるが、1人は良くできる生徒である。そのことは土曜日で初めて接触したときに解っていた。もう1人の生徒は、日頃見かけない顔なので、聞くと、転校してきたばかりであるという。良くできる生徒とは、小学校時代に一緒だったが、父親の仕事の関係であろう、名古屋に転居し、そして再び茨木市に帰ってきて、そしてまたこの島本町に帰ってきたのだという。やむを得ぬ事とはいえ、幼い頃に転々とするのは、子供にとって寂しいことだし、勉強する上でも少なからず不利であろう。私の場合などは、小学校時代の6年間は動かず、中・高・大と腰を落ち着けて学べたことは大いにラッキーだったと思う。転校してきた先に幼なじみが居る事は安心材料の1つであろう。「君たちは仲良くしなさいよ」と思わず声を掛けた。転校して戻ってきた生徒に、前の学校の試験成績を聞いたが、あまり芳しい点ではなかったようだ。落ち着かない家庭環境や、落ち着かない学校の状態は、当事者の生徒にとっては、過大な負担となる。転校の生徒は、ひたすら英語の文章を書くのに終始していた。提出しなければいけないプリントには、声を出して発音しながら書きましょうとのことだが、生徒は無言であった。やはり英会語をする上では、発音をしっかりしなければいけないし、単語などを覚えるのにも音読は必要であろう。その生徒に、声を出して読みながら書くように勧めたが、「英語を読む雰囲気ではないんですよね」と訳の分からないことをいっていた。良くできる生徒の方は数学の代数の文章問題に取り組んでいた。例えば、「クラス全員でクラス会を開くとき1人500円ずつ集めると、クラス会の費用が2500円不足し、1人600円ずつ集めると1200円余る。このクラスの人数を求めなさい。」と言った問題である。クラスの人数をXと置くことは、出来る。文章を代数式にすると、500X+2500=600X-1200となるのであるが、文章のままに、不足しているからマイナス(-)で、あまりはプラス(+)と単純に考えて、500X-2500=600X+1200と書いて頭をひねっているのである。之では人数(X)がマイナスになってしまい不都合である。正しい答えX=37人が出てこないのだ。文章を如何に正しく数式に落とす時に、物理的な意味を深く考えなければこういった間違いを犯すが、良くできる生徒もそんなところがひっかっかる葉だ。じっくり読めば解るであろう事も、時々「余る、不足」の意味を数式に落とすときに、プラス・マイナスを間違え無いようにと、注意を促した。このような文章問題が試験に出たら落ち着いてて読めばいいのだが、焦っていると、往々にして、引っかかって間違うといった問題となってしまうようだ。問題のプリントを終えた頃に別のテーブルで勉強していた女生徒3人に中間テスト問題を聞いてみると、忘れたと言って話したがらない生徒や、率先して話してくれる生徒、何点台としか覚えていない生徒と言ったふうにそれぞれだった。概して、良くできる生徒は、ためらうことなく、覚えている正確な点数を教えてくれる。皆、明日からの試験で、少しでも良い点を取ってくれたらと願いながら、テスト前学習会を終えた。中華レストランで、紹興酒を飲みながら夕食を採り、そのまま連れ合いの兄が経営する高槻のカラオケクラブに出かけた。一組の老夫婦が来ていて、順に数曲を歌った。明日はゴルフだと言いながら、結構遅くまで歌って帰った。
2012.11.27
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第百五十六段【本文】 大臣の大饗(だいきゃう)は、さるべき所を申し請けて行ふ、常の事なり。宇治左大臣殿は、東三条殿にて行はる。内裏にてありけるを、申されけるによりて、他所へ行幸ありけり。させる事の寄せなけれども、女院(にゃういん)の御所など借り申す、故実(こしつ)なりとぞ。【訳文】 新任の大臣が催す大饗の宴会は、その大臣が適当な所をお願い申して借りて催すのが、普通のことである。宇治の左大臣殿は、東三条殿でお催しになっている。この東三条殿は、その当時、内裏であったのを、宇治の左左大臣がお願い申し上げなさったので、天皇は他の場所へ行幸になった。これというほどの縁故はなくても、女院の御殿などをお借り申し上げるのが、古来からの慣例であるということである。【注釈】・宇治の左大臣:藤原頼長・東三条:代々摂関家の首長の領地・女院:天皇の御母・内親王などへの尊称・故実:古例,慣習第百五十七段【本文】筆を取れば物書かれ、楽器を取れば音(ね)を立てんと思ふ。盃を取れば酒を思ひ、賽を取れば攤打(だう)たん事を思ふ。心は、必ず、事に触れて来(きた)る。仮にも、不善の戯れをなすべからず。 あからさまに聖教の一句を見れば、何となく、前後の文も見ゆ。卒爾(そつじ)にして多年の非を改むる事もあり。仮に、今、この文を披(ひろ)げざらましかば、この事を知らんや。これ即ち、触るゝ所の益なり。心更に起らずとも、仏前にありて、数珠を取り、経を取らば、怠(おこた)るうちにも善業自ら修(しゅ)せられ、散乱の心ながらも縄床(じょうしゃう)に座せば、覚えずして禅定成るべし。 事(じ)・理(り)もとより二つならず。外相(げさう)もし背かざれば、内証必ず熟す。強ひて不信を言ふべからず。仰ぎてこれを尊むべし。【訳文】 人間は、筆を手に取ると、自然に何か書くようになり、楽器を手にすると、音を響かせようと思う。盃を手に持つと、酒のことを思い浮かべ、賽を手にとると、賭事をして遊びたいと思うものである。このように、人の心持ちは、きっと、何かの事実に接して生ずるのである。だから、少しでも、よくない遊びをしてはならないのである。 かりそめにでも、仏典の一句を目にとめると、何ということなく、その前後の本文も目に入る。そのことで、思いがけず、長い間の考え違いを改めることもあるのだ。かりに、いま、この経文をひろげて見ないならば、この考え違いのあったことを知るであろうか。これが、即ち、物事に接するということの利益なのである。信仰の気持ちがちっとも起きなくとも、仏前にいて、数珠を手にし、経文を手にするならば、いいかげんにしている間にも、善果を得るはずの所行が自然と実践でき、散漫で乱れた気持ちであっても、縄床(じょうしょう)において坐禅すれば、知らず知らずのうちに、禅定が実現するであろう。 人間においては、現象とその本体たる真理とは、元来、二つのものでなく、一体のものである。だから、外部に現われた行為が正しい法に反しなければ、内心の悟りは必ずでき上ってくるのである。したがって、仏前の形式的な所行につき、無理に不信仰を言い立ててはならない。かえってそうした所行をうやまって尊重しなくてはならない。【注釈】・卒爾:たちまち、ふと、思いかけずに・修す:行う・散乱:放散、乱動の意・縄床:縄で作った椅子・禅定:精神を統一し、純化して雑念・煩悩を離れ内観によって真理を思惟し徹見する事第百五十八段【本文】「盃の底を捨つる事は、いかゞ心得たる」と、或人の尋ねさせ給ひしに、「凝当(ぎゃうたう)と申し侍るは、底に凝(こ)りたるを捨つるにや候ふらん」と申し侍りしかば「さにはあらず。魚道なり。流れを残して、口の附きたる所を滌(すゝ)ぐなり」とぞ仰せられし。【訳文】「自分の飲んだ盃を人にさし出す時に、盃の底に少し残ったたまりを捨てることは、どういうことと承知しているか」と、ある方がお尋ねになった時に、「それを『凝当(ぎょうとう)』と申しておりますのは、盃の底にたまっている酒を捨てるということでございましょうか」と申し上げましたところ、「そうではない。それは『魚道』のことだ。盃の底にたまった酒のしずくを残しておいて、自分の口のついた所を洗い清めることをいうのだ」とおっしゃった。【注釈】・凝当:盃の底・魚道:魚の群れがいつも通る道第百五十九段【本文】 「みな結びと言ふは、糸を結び重ねたるが、蜷(みな)といふ貝に似たれば言ふ」と、或やんごとなき人仰せられき。「にな」といふは誤なり。【訳文】「みな結びという結び方は、糸を組んで結んで、重ねて長くした形が、蜷という貝に似ているので、そういうのだ」と、ある高貴なお方がおっしゃった。「みな」といわずに、「にな」というのは、まちがいである。【注釈】・蜷:巻き貝第百六十段【本文】門に額懸(か)くるを「打つ」と言ふはよからぬにや。勘解由小路二品禅門は、「額懸くる」とのたまひき。「見物の桟敷打つ」もよからぬにや「平張打つ」などは、常の事なり。「桟敷構ふる」など言ふベし。「護摩焚く」と言ふもわろし。「修する」・「護摩する」など言ふなり。「行法も、法の字を清(す)みて言ふ、わろし。濁りて言ふ」と、清閑寺僧正仰せられき。常に言ふ事に、かゝる事のみ多し。【訳文】門に額を懸けることを「打つ」と言うのはよくないであろうか。勘解由小路の二品(にほん)禅門は、「額懸くる」とおっしゃった。「見物の桟敷打つ」もよくないのであろうか。「平張打つ」などと言うのは、普通に言うことである。「桟敷構ふる」などと言うのがよい。「護摩焚く」と言うのも、よくない。「護摩を修する」 「護摩する」などと言うものである。「行法ということばも、法の字をホウと濁らないで言うのは、よくない。ボウと濁って言うのだ」と、清閑寺僧正がおっしゃった。ふだん口にしていることに、このような、よくない言い方をすることが特に多いものだ。【注釈】・護摩焚く:護摩は火中に供物を投げ入れて供養することで、焚くは重複する・行法:教法・理法・行法・果法の一つ・清閑寺僧正:兼好の友人
2012.11.26
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今日は3年に1度の同窓会旅行がおごと温泉であった。その昔、雄琴温泉と言えばソープランドで有名であったが、名前を平仮名にし、心機一新町造りを行ったそうだ。そんなこともあってか幹事はこの温泉を選択したようだ。午後4時に温泉旅館「雄山荘」のロビーに集合して、宴会をし、その晩泊まって翌朝は流れ解散と、実にシンプルな計画である。連れ合いも、生徒が来訪するから早めに実家に行くというので、昼前に出発することにした。1泊だから特に旅じたくも必要なく、京都駅では久しぶりに新幹線乗り場に近いカレー屋で、カレーを食べた。湖西線の各停を待って、乗車するが、何ともレトロな列車である。京都の次の山科で湖西線に入る。車窓は特に見るべき物もなく、ただ琵琶湖が目に入ってくるだけだ。山が湖にせり出しているとはいえ、平地もあるのに列車はなぜかトンネルの中に頻繁にはいるようだ。大津京を過ぎ、唐崎を通り、比叡山へのロープウェイがある、坂本を過ぎると、おごと温泉駅である。旅情を楽しむ暇もあらばこそだ。おごと温泉駅に降り立ったが、回りには何もない。僅かに東に六角足湯があり、西に仰木太鼓の銅像が建っているだけだ。さてどうしたものかと、駅前唯一のベンチに腰掛けて、本を開いた。いっそ、ホテルに早く行くかと電話を掛けたが、シャトルバスは2時30分頃から動き出すという。スマホで場所は確認できるから、ぼちぼち歩いていこうと決めた。国道に出るとうるさそうなので、1本中の道を南へ進んだ。途中、琵琶湖ウォーキングのゼッケンを付けた人が何人か通り過ぎていった。右の山を見上げると、雄山荘の看板が見えた。「あそこまで歩くのか。」と思ったが、行くしかない。途中汗ばんで、上着とベストを脱ぎふうふう言いながらホテルに着いた。あまりにも早く、ホテルのフロントは、奥の休息スペースに案内してくれた。そこで仰向けに昼寝をしていると、部屋の用意が出来たと案内してくれた。石川遼のバーディーパットを見ていると、幹事が入ってきた。先に坂本の日吉大社に行ってきたという。そう言う手があったのかと思った。そうこうしているうちに漸次集まりだし、風呂に入れると言うことで、先に一風呂浴びた。上がって、食事時間までは時間があるので、何人かが持ってきた冷酒を開け、部屋で酒盛りが始まった。既にそこで十分に盛り上がって、宴会が始まるときには、既に酩酊状態である。参加者は12名で、卒業者は全部で29名だったそうで、3割強が集まったことになる。暗い古びた部屋で、出された膳は、細々とお品書きにはあったが、皆ほんの少しずつの皿であった。そこで各自が最近のことどもを話し始め、順番から、私が最後になった。何を喋ったか、あまり覚えていないが、隣に座った、今は放送大学の所長をしているとかの友人が「我々工学分野で過ごしてきた一定レベルの人間は、そこそこの生活で、現在に至っていて、皆満足しているのだ。過去に何をしてきたかは、この年になってみれば、皆同じだ」といったような言葉に妙に納得してしまった。友等は趣味も多彩で、中には詩吟を朗唱する友人もいた。大江敬香の近江八景を朗々と唸っていた。【堅田の落雁 比良の雪、湖上の風光 此の處に収まる、烟は歸帆を罩む 矢橋の渡、風は嵐翠を吹く 粟津の洲、夜は寒し唐崎 松間の雨、月は冷ややかなり石山 堂外の秋、三井の晩鐘 勢多の夕べ、征人容易に 郷愁を惹く】彼は、自分で、その紙をメモして持ってきていた。後で、ネットで調べると、近江八景とは琵琶湖の南部にある八勝景で中国の瀟湖八景を模して定めたとか。八勝景とは、1.堅田の落雁,2比良の暮雪,3粟津の青嵐,4唐崎の夜雨,5矢橋の歸帆,6石山の秋月7,三井の晩鐘8,勢多の夕照を言うのだそうだ。また、文化サークルで知り合った女性と結婚したというハッピーな友もいた。また、私のことを何処かで見てきたような顔だと言い、「そうだ、建仁寺を訪れたときに見た栄西禅師だ」と言う友がいた。何と、「あの臨済宗の栄西に私が似ていると?!」と思い、帰ってネットで調べてみると、いろいろな肖像画や銅像が残されているようだ。しかしどれを取ってみても似てるとは言い難いのにと思った。(特に頭が四角く、大きな点は如何かと言う感じだ)私が喋り終わったところで、宴はお開きとなったが、また部屋に戻って、色々と話は続いたようだった。中に1人原発推進者だというのがいて、エネルギー確保上必要だと持論を展開していたが、他の全ての友人は、原発には反対のようだった。侃々諤々と話は続き、その推進者に、今回の福島事故のことを聞いた友達が居たが、その友人に「あれだけの事故をして、皆一生懸命考えてきたから、今後事故は絶対に起こらない」と言ったのには、流石に呆れてしまった。友人の1人は「おまえはアホか!」とまで言っていたが、どうしたらそのように単細胞的に考えられるのか、今持って不可解である。その話を潮に各自は銘々の部屋に戻った。私と数人は、それから温泉に浸かりに行ってから就寝した。
2012.11.25
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恒例の中学校学習ボランティアの土曜スクールである。今日集まった生徒はいつもより少し多くて10人が来ていた。迎える方は学生を含めて、8名であり、まずまずのバランスである。9:30開始だが、全体が落ち着くのは約20分後くらいである。その頃になると、大体ボランティアが担当する相手の生徒が決まっている状態だ。今日は見慣れない生徒が来ていて、社会(地理)の問題プリントと向き合っていた。アフリカ大陸とヨーロッパ大陸を書いたそのプリントの回答欄に比較的すらすらと答を書き入れていた。最初は別のボランティアさんが覗いていたが、その後私が担当することになった。アフリカの国名を問う問題や、欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)に始まり欧州共同体(EC)に変化しさらにEUへと拡大結成された経緯を問う問題に答えるなど、中学1年生では最早かなり詳しいことを習っているのだと言うことを感じた。そして、オランダロッテルダム港がユーロポートとしてEUの玄関口であることも問いの中に入っていた。解答集を見ないと解らないプリント問題もあり、結構深い知識が問われているようだ。4枚の地理のプリントを終えたところで、私が、中間テストの点数を聞くと国語(68点)以外は高得点で、数学(95点)、理科(88点)、社会(91点)、英語(94点)と言うことだった。おそらく土曜スクールに集まってくる生徒の中では1番優秀なのではないだろうか。なかなか教え甲斐のある生徒が来たものだと感じた。もうすぐ期末テストがあるので、是非高得点を取って欲しいものだ。彼が次に取り組んだのは、数学の幾何である。所謂図形を扱うもので、初歩的な、線分の2等分線の作図方法や三角形の平行移動や線対称、回転移動であった。単純な平行移動の問題は、簡単に回答していたが、線対称や回転移動になると、やや首をかしげる事が多くなっていた。例えば、三角形の両脇に2本の線分があり(その感覚は5cm)その線分に対して両側に線対称の図形を書くと、両側に出来た三角形の各々の頂点間の距離はいくらかという問題では、少し頭をひねっていたようだ。簡単に見える問題でも、取り組み方を間違うと結構頭の中が混乱するものらしい。特に点対称となると、図形外の点について回転することがなかなか頭に入りにくそうである。解説してあげると「あ、そうか!」と言ったリアクションで納得する。特に図形を扱う幾何学では、フリーハンドで絵を描くにしても、出来るだけ丁寧に描かないと次の発想が出てこないことがある。その点を注意しておいたが良くできる子は反応も速いし応対も丁寧である。180℃回転対称図を描くに当たっては、頭の中で描いていては勿論解り難いが、先ず三角形の頂点と回転中心を直線で引くことが肝要である事を示唆した。言葉に描かれた問題を図形に落とす段階で、少し戸惑うこともあるようであった。この生徒は、一旦解ると、どん欲に問題と取り組み、やる気を十分に見せ、終了予定時間も気づかないほどであり、時間の経つのも早く感じられた。隣では、現役大学生が教えていた。覗いてみると2次関数の図が描かれていて、あれこれと雑用紙に書いて説明をしている。説明が終わったところで、生徒が、そのメモを下さいと言っていた。私の場合は、そう言ったことを想定して、最後にメモノートを渡すことにしているが、生徒の側から欲したのを見て、之はなかなかやる気のある子だなと感じた。こういった生徒ばかりだと、段々と成績も上昇することが期待できるが、なかなか落ち着かない子や、問題の区切り毎になにやらおしゃべりにうつつを抜かす子もいて、そう言った取り組み方の指導がより必要になるのだとの印象である。離れた席には、この間から付き添って教えていた生徒に、別のボランティア女性が付いていたが、相変わらずおしゃべりの声が聞こえて、真面目な子ではあるが、勉強に集中できていない点があるのが残念だ。終了時間になって、件の男子生徒に、イスラエルとハマスの件を質問したところ、新聞紙上で知りうることなど茫洋と理解していた。紛争地帯とシリアなどの地図を簡単に描いて、その辺りの国名を質問したら、理解していた。時事の問題でも、理解が行き届いているようで、ボランティア学習会に来て初めて充実した勉強の補助が出来たと感じた。
2012.11.24
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今月は我々2人の誕生日が集中しているので、連れ合いの息子一家がまとめて今日誕生日を祝ってくれる事になった。そして之は、ここ数年の恒例行事となっている。私は朝早く姉の家にグリップを取り替えたクラブセットを届けてきた。早朝走っていると、なにやら左車線が渋滞している、こんなに朝早く何事かと、右車線を通過してみると、どうやら、ユニクロの売り出しセールで、なにやらお土産をくれると言うことらしかった。連れ合いは大学時代の親友達と京都で昼食会を済ませていた。誕生会は夕方6時半から、京都伏見にあるサンマルクというレストランでの夕食会である。勿論孫達も一緒である。予約を入れてあるので、待つこともない。座るテーブルはいつも決まっている。大人と子供を含む6人となるとそこしか該当する席はないようだ。これに姫が加われば、オールスターキャストと言うことになるが、姫は湘南だから今日は6人だ。着席して、食事の注文を終えたら、なにやらプレゼントがあるという。先ず連れ合いには籐で編んだようなおしゃれなバッグである。私にも大きな袋が用意されていた。中には紺でデザインも斬新なカーデガンだった。着ていったシャツとも良くマッチしていて、暖かいので、そのまま身につけて過ごした。孫達からも何かあるという。そしてプレゼントされたのは、色彩の折り紙を切って模様を作った作品である。前にももらったことがあるが、母親に教えられて切ったのであろう。さらに、お兄ちゃんの方は、恐竜の本を取り出して、見せてあげるという。その本は、お兄ちゃんのために我々が買ってあげた恐竜図鑑である。ナショナルジオグラフィック社発刊の本格的な図鑑であり、恐竜好きの私が選んでプレゼントするときにまた見せてねと言っていた本である。その内見せてあげると言ったことを思い出してくれたようだ。丁度恐竜のデータベースを作っているところなので、データーを補強するのに使わせてもらおう。お兄ちゃんが本を貸してあげると言うからか、弟の方も、本を出して貸してあげるという。4歳の弟が取り出したのは絵本「ぐりとぐら」である。ありがたく見せてもらうことにした。やがて料理が運ばれてくるが、ここサンマルクは、焼きたての小さなパンを次から次へと運んでくれる。毎回3~4種類のパンを運んでくれるので、その全てを食べるというと、満腹になり、本格的な料理が運ばれたときには、食べられなくなるほどである。それでも次々に運ばれたパンを次から次へと平らげていく。弟の方は、ことのほかパンが好きで、運ばれたパンを黙々と食べ続けるのである。お兄ちゃんも食べるが、こちらの方は、うどん大好き人間で、兄弟でかくも違うものかと言った対照的兄弟なのである。太郎君の運転する大型のデリカで来たので、アルコールを注文するのは私だけであった。グラスのビールを頂くことにした。運ばれてきたビーフシチューも、よく煮込んでいて、とても美味しかった。この店はいつも満員であることから、出される料理も、毎年美味くなっていくような気がするほどだ。食後に、貸してくれた恐竜の本を開けて説明をしてくれた。少しは読んでいるのかと思っていたが、結構あれこれ見ているようだ。鳥が恐竜の仲間であったことなどおいおいに理解していくだろうが、図鑑のなかの白頭鷲が特に気に入っているようだ。鳥は飛翔する恐竜であるから、いろいろなところに簡単に移動でき、恐竜の仲間でも特別発達した形態なのであろう。今、「ダーウィンの危険な思想」を読みかけているが、種は、淘汰されながら、生存し続けると言った点では、空を飛ぶ鳥こそ、現代における恐竜の進化した形態ではないかと言うことだ。彼の頭の中はどうなっているかは解らないし、恐竜に対する興味がどう云った方向に醸成されるかも解らないけれど、福井の恐竜博物館だけは、未だに行きたいポイントであることは変わっていないようで、それとなく、また行きたそうに言う。多様性を持った子供の興味をそれを子供自身が選ぶ前に規制してはいけないと思う。近いうちに恐竜博物館を再訪しなければいけないと思った。既に両親も、丹波竜の発掘現場のツアーに申し込んだとかで、生憎選に漏れたようだが、子供の多様な知識欲に対応する姿勢は良いものだと思いながら聞いていた。親が子を遺棄したり、育児に悩む時代に子供に寄り添いながら共に見つめて行く太郎君やお嫁さんにエールを送りたいと共に、そんな幸せな家族の一員に加えてもらっている自分はありがたく、とても良い誕生祝いをしてもらったと感謝している。
2012.11.23
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今日のゴルフは散々(terrible)だった。最初の5ホールはそうでもなかったが、その後がいけなかった。お通夜のようなじっとりとした展開で、わざわざ金を払って一体何をしているのかと思うくらいに落ち込んだ。結果は、このコンペに参加して悪いスコアの下から4番に位置する。振り返ると今年の3月には今日のスコアよりも悪かったが、その時の気分はさほどでもなかったように記憶している。それもその筈、その時はBB賞を頂いたのに、今回はメーカーであったためだ。毎回ホールバイホールで書いているが、それを書く(反省)ことによって何らかの参考になればとの思いなのだが、反省だけなら猿でも出来るという思いになってしまった。で、今日は悪かったところだけをかいつまんで、書くにとどめよう。ベースはこの3月の記録を基にしているが( )内は悪くても之くらいは可能である改善余地である。No.1(M)は、3打目アプローチを案の定トップしてGRをオーバーしたことだ。ボギーで納められたのに・・・(+1)。3月はトリプルだったそれよりましだ。No.2(M)は、1パット目カップに蹴られて、惜しくもパーを逸しただけで普通だ(±0)。3月も1パット目が後5cmと入らず惜しくもボギーだったので経過は似ている。No.3(M)は、比較的長いホールだが、3打目の残り90YDのアプローチをショートした(+1)。3月もダボだったので同じ経過だ。No.4(S)は、フラットなショートで、1オンできなかったが距離はぴったりで、こんなところだ(±0)。No.5(L)は、右ドッグレッグの池有りコースだ。快調なTee Sと2打目だったが、3打目のダフリと4打目のシャンクでバンカー入りが痛恨である(+2)。タラレバで言えばバーディーも、との思惑がダボは痛い。ここらが転機となった。3月はボギーだったので、その時よりも下回った。スコア的にはダボだから差ほど悲観することではないが、心理的動揺は大きかった。No.6(M)は、右ドッグレッグだ。このホールが転機になる。ティーショットの当たりが悪く右に出たのはまだしも、2打目を引っかけ左、3打目をチョロし、4打目をトップ気味のゴロでGRに届かず、5打目をトップでGR向こうへ。極めつけは3パットである(+4)。3月はダボだったから正しくこのホールが魔のホールだった。No.7(M)は、距離の長いハンディキャップ1のミドルで、ドラコン・ドラ短ホールだ。3打目100YDのアプローチが僅かにGRに届かず手前のグラスバンカーに転げ落ちたのが痛恨。深いラフでクラブを取られチョロ、3パットは仕方ないかも(+2)。3月は滅茶苦茶で、ギブアップと同じ12打だったから付いていないのかも。No.8(S)は、横長のグリーンで、今回も左にカップが切ってある。1オンしなかったが、アプローチとパターはまずまずであった(±0)。3月はバンカーからバンカーへ右往左往であったから、良くなっている。前半最終No.9(L)は、DR、2打目は完璧で、3打目160YDが所謂、待ちチョロ。左に引っかけてしまい、続く4打もチョロだった。3オンは無理でも、4オンは可能だったはずで、ダボは残念だ(+1)。3月もダボだったから進歩無しか。昼食も共通の話題も無く、ハンディーの少ない人も同様に悪かったので、話は弾まないまま、後半にはいる。内心大波賞を期したが、やっていく内に小波賞で良いかになり、それも駄目でBB賞が目標になったが、それも果たせなかったわけだ。No.10(M)は、また3打目でトップしゴロだったが、結果はオンだ。しかし3パットして何のことはない(+1)。3月もダボだったが、2オンを生かし切れず残念だ。No.11(S)は、辛うじてGR手前にオンした。何とここでは、1パット目を萎縮して4パットとしてしまった(+1)。ここは(+2)かも知れない。3月もダボだったが、今日のは極めて痛恨である。No.10、No.11で後半も完全に湿ったムードになった。No.12(M)は、クリークのあるミドルで、どうも相性が悪い事がまた現実に。DRを左に引っ掛けて枝に当たって、直下に。2打目は出すだけで3打目がクリークに入ったかに思ったが、結局見つからず、ロストだ。誰も熱心に探してくれず、また見ていてくれないのでさらに落ち込む。結局9打とした(+4)。3月は8つ叩いていた。No.13(M)は、右が崖のホール。DRを左に引っかけた。2打で回復、しかし110YDを乗せられず、アプローチは良い当たりでオーバー、上がって7打だ(+1)。3月はダボだからまた1つ悪い。No.14(S)は、打ち降ろしで、グリーン手前は池である。皆と同様池ポチャはやむを得ないか。ボギーで納めたのは成功だ。3月はダボ故1つ改善か。No.15(M)は、もたもたしたが1.5mの難しいパットが決まり、ボギーを拾った(±0)。3月はトリプルだから、ここも改善である。No.16(L)は、打上、打ち降ろしだ。DRは天ぷら気味だが、そんなものだ。アプローチをバンカーに入れたが、まだご愛敬だ。グリーン上の4パットが最悪である。ダボは御の字だったのに・・・(+2)。3月は、トリプルだったので、1打悪かった。No.17(M)は、右ドッグのホール。ここでDRを大きく左に上げOB。最悪である。前方に進むがプレ4が無く、私のために適当にプレ4位置を決めて4打で届かず、トリプルとなる。明らかに2打は損した(+2)。3月は、パーだったからここでは大きくビハインド。最終、No.18(L)は、DRこそ悪かったが、2打、3打は良く100mの池越えアプローチでチョロして池へ。1打罰の6オンで、2パットだった(+1)。3月はトリプルだから一緒である。何のメリハリもない、面白くないラウンドだった。
2012.11.22
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先日、姉に誕生祝いをしてもらったときにゴルフクラブのグリップの話になって、姉は、クラブ購入以来グリップを変えたことがないという。私もつい先頃まで、そのようなことは考えもしなかったが、同じコンペで顔を合わす人から、グリップを変えると少し飛びが違いますよと言われて、漸次変えていった。それで飛距離が伸びたとは思わないが、確かに手にフィットするので、それまでずれた時もあったのが無くなったような気がしている。同じようなことを姉は一緒にラウンドしている友人に言われたようだ。車を持たない姉は重いバッグを抱えて、ゴルフショップに行くことも叶わないので、同行して欲しいと頼まれた。グリップは多様で、本人の好みもあるので、同行してゴルフショップに出向いた。色とりどりで、材質も様々である。一番手にフィットして、色や模様の気に入ったものを選んだが、全てのクラブのグリップを変えるとなると結構な値段がするものだ。この際だから普段余り使わないクラブも変えることにしたようだが、さほどすり減っていないグリップは何となく勿体ない気がする。向こう何年間ゴルフが出来るかは解らないが、相当な入れ込みようである。そう言った話の時に、80歳を超えるラウンド仲間の男性達が、今まで冬には絶対行かなかったのが、最近は積極的に行こうとの話になっているという。後何年出来るか解らないが、出来るときにやっておこうとしているようだと感想を漏らしていた。ゴルフ好きの男性は、クラブ(ドライバー)を何本も買う人がいるようだ。尤もスコアがいい人にその傾向があるようで、少しでも飛ばしたいとかフィットするクラブとかを選ぶ故である。私のようにまともに芯に当たることが少ないプレーヤーにとっては、如何に高価なクラブを使っても活かせないわけで、あれこれ良いクラブを選択する意味がない。今持っているクラブを何とか使いこなす方が先決である。勿論道具に頓着しない人もいるわけで、人はそれぞれである。しかし事グリップとなると、滑りやすくなったものを使うよりも新しく手にフィットしたものを使うにしくはない。兎に角パターを除く手持ちのクラブ全部をやり変えることにした。之でスコアが1つでも2つでも良くなれば良いのだが。月末にラウンドすると言うから、結果を聞いてみたいものだ。後日取りに行くと言うことで、バッグ毎店に預けて、姉は帰っていった。午後3時半から、中学校の試験前の勉強会があるので、家で待機していると、先輩から電話である。バスケットボールOB・OG会の決算についての話で来ると言われるから待ち合わせて詳細を詰めた。私は、かつて会計の業務などはしたことがないので、一寸したことも気になるが、銀行勤めであった先輩は案外ざっくりとしている。勿論、収入と支出が合えばそれで良いのが、私の場合は、会員の誰が、幾ら払ったと言うことを記録していないと、整合性がとれないからと、詳細まで突っ込んでいくと、なかなか大変な作業になる。パソコンを横に置いていないと、なかなか詳細まで解らないのだが、打ち合わせたときには勿論パソコンを持参していないわけで、結局帰って私が調べる羽目になった。OB・OG会費の納入は、勿論各会員の自主性に任しているわけだが、既に払った人と、未だ払っていない人については厳格に仕分ける必要があり、督促するにしても、すでに払った人への督促は厳に慎まなければいけないから、各人別の支払いを纏めておく必要があるわけだ。一寸気が遠くなるが、やらなければいけないので、仕方ない。先輩と別れて、中学校の学習会に出かけた。いつも使う図書室ではなくコミュニティールームを使う。そこは、図書室と違って、教室のように机は黒板に向かって前向きに並んでいる。試験前の集中学習と言うことで、集まる生徒は登録制でなく自由である。従って誰が来るかは解らず、また顔を出したが、すぐに帰る生徒もいる。何となく最後まで残っていた生徒は、15人程度だった。学校の先生も様子を見に来て、そのまま生徒を指導するので、生徒2-3人にボランティアか先生がそれぞれアテンドすることになる。生徒が取り組む教科はそれぞれで、数学あり、国語あり、英語ありである。私は歴史(日本史)を覚える生徒に付き合うことになり、プリントの文章中に赤字で書いてある答を、赤い下敷きをかぶせて見えなくしたものを答えるやり方で4ページほど付き合った。中学校の歴史といえど、年号や、その時の出来事などは、覚えるしか無く、半分以上忘れているので、なかなか大変である。帰り際に他の生徒の数学を少し見たが、こちらの方は、覚えることもなく出来るので、納得する指導が出来たと思っている。
2012.11.21
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今日で68歳となった。還暦を過ぎて早8年、古希まで2年となったわけだ。尤も古来の長寿祝いの言葉は数え年であるため、正式には来年が我が古希となる。之もまたおかしな言い方で、我が古希ではなく、私も古希になるという方が正しいのだろう。しかし女性の平均寿命が世界2位に後退したとはいえ、2011年で85.90歳となり、男性が79.44歳になった今は、70歳で古来稀と言う言葉は当たらないだろう。その上100歳以上の人は5万人超えると言う時代であるから、ますます稀とは言い難い。因みに人口10万人当たりの100歳以上の人数は高知が最多で、78.50人で全国平均は40.20人だという。私の住む大阪はと言うと、全国平均を下回り30.40人だそうだ。そうすると、我が町島本町は人口が約3万余人だから9人程度は居る勘定になる。従って、古来稀とは少なくとも90歳以上くらいでないと感覚的には合わなくなっている。織田信長ではないが、「人間50年下天の内を比ぶれば・・・」と言った時代には70歳でも稀だったのだろう。この100歳以上の人数は、調査開始の1963年は153人だったそうだから半世紀で、340倍程度に増えていることになる。途中経過は、1998年に1万人を突破し、2007年に3万人、2009年に4万人を超えたそうだから1998年以降急速に長寿命世界がやってきたというわけだ。従って、私が古希を迎えたからと行っても、一生の単なる一里塚にしか過ぎないわけである。回りの家族や先輩等を見ても、70歳を超えたからと言って老いぼれてしまったと言う人は少なく、皆かくしゃくと生きている。私の場合、明治生まれの両親から生まれ、両親共80歳前後で亡くなったので、DNA的には80歳(傘寿)を目処に寿命を考えたいたが、この頃5歳くらいは上積みしても良いかなと思っている。しかし、高校時代の友人などには早世した者も大勢いて、今年も立て続けに鬼籍に入った者もいる。私は生活習慣病の3冠王(高血圧症、高脂血症、糖尿病)ではあるが、自覚症状もなく、毎日絶好調とも云える日々を送っているため、古希を前にして特別の感慨もない。最近新聞で、日本人の3大死因が書かれていたが、勿論それは、「がん、心臓病、脳卒中」と言うことになる。そのうち、心臓病と脳卒中は動脈硬化が要因であり、高血圧はその最たる原因であろうか。また、ご多分に漏れず私はそれほど重大ではないと思うものの、BMI(ボディマス指数)≒27と所謂メタボリックシンドロームと言うことになり、之により、糖尿病、高血圧症、高脂血症だと言うことになっているわけだ。しからば十分に運動をしたり、暴飲暴食を控えたりすべきであるが、運動と言えば、月数回のゴルフとか、NHKの講座で、梅田や京都に出かけるのと、たまの歩こう会などで、運動しているだけである上、食物はこれでもかと言うくらいに食べているので、先行きは決して明るくないかもしれない。気持ちの何処かでは、危機意識があるものの、毎日の行動で、自覚することもないので、ついつい自分に甘くなってしまう。まだ動ける内に少しは社会に貢献できないかと、誘われるままに小学校や中学校の学習ボランティアに参加しているが、際だって成果が上がっているわけでもなく、子供達に少しでも学ぶ楽しみを教えたいが、なかなか思うようには運んでいない。また、先輩に誘われるままに、高校時代のバスケットボール部OB・OG会の世話をさせてもらっているが、これとて、昨今の若い人の気質などを考えると、こういった会があること自体さほど魅力的ではないのかと思うことがある。若い頃手がけて、忙しさや、高いグリーンフィーなどで、中途が抜けたゴルフを再開しているが、特に巧くなるわけでもなく、健康のためとも認じながら、月に何回かラウンドしているだけだ。さらに知的好奇心を満たすためにNHKの講座を時々受講しているが、それも単なる自己満足でしかない。昔から、オブリゲーション(義務や拘束)でないことをやるのは好きだったが、「学んで思わざれば即ちくらし」と言ったところである。そんなことで、今私がどう生きようと世の中が変わるわけでもなく実に恬淡としたものである。そんな晩年果報者の私であるが、今日の誕生日に「おめでとう」と言ってくれた人は近来稀に見るくらい多く、10人余を数え、ありがたいことだと感謝している。
2012.11.20
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今日は予約していたiPhone 5を受け取りに行く日だ。水無瀬の店は広く閑散としているが、あまりに商品知識のない店員だったし、梅田のヨドバシカメラは雑踏の中、何人もの人が並んでいるような状態で、気押されてしまうし、じっくりと話を聞いてもらえそうになかったので、京都の店を選んで注文をしておいた。京都の街が動き始めるのは遅いようだ。ソフトバンクの店も11:00オープンとある。少し早めに行って店の前で、通りを行く人などをぼんやり見つめて待った。店の立て看板にiPhone 5「即日お渡し可能」と書かれていた。そろそろそう言ったときが来たのかと私の注文がほんの少し早かったのだと思った。しかしそのことを中で聞いてみると、看板は出したものの、予約者との関係で混乱するため即刻看板は取り下げたというのである。やがて、シャッターが開くと同時に店内に入ったのは私ともう1人である。予約した品を取りに来たことを告げると、奥に通された。ウナギの寝床のような店内だが奥行きは深い。同じ四条通にあるドコモショップは恰もジュエリーショップのような広さでありゆったりとしていたが、ここはそう言うわけにはいかないようだ。ソフトバンクの月間伸び率は他社を凌いでいるとはいえ、国内携帯電話通信会社のシェアはソフトバンクはドコモの半分程度であると言ったことの結果であろう。ソフトバンクが2兆円を超えるM&Aでアメリカの3位と5位の携帯会社を買収した結果は未だ出ていないようだ。ともあれ新しいモバイルを持つために説明を受ける必要があるのだが、「1時間ばかりお時間を頂きますがよろしいですか?」という。勿論そのつもりで来たわけで、否やはない。こちらも聞きたいことがあるので、メモを取りながら説明を聞いた。メモした項目は15項目程度有った。料金引き落としは従前通りで良いかとのことから始まり、各種のサービスについて事細かに説明をしてくれた。通信会社の料金設定ほど複雑なものはないと言うくらいで、説明を聞かないと全くとんちんかんなことになってしまうだろう。旧モバイル(iPhone 4)の処置の仕方には3種類あって、1.下取りする、2.家族が旧型を使うに当たって、無料で2年間パケットサービスを従量制で使える方法、3.家族が旧型を使うに当たって、1980円を払うと、パケットが無制限に使える方法が有るのだそうだ。もう1つの選択肢として、iPhone 5を落としたり何らかのトラブルになったときのバックアップデータとして残すというものだ。そのいずれかを選択するのに店頭で即決めなければならないアイテムもあり、結構脅迫的観念を覚える。iPhone 4から iPhone 5に変える最も大きな点は通信速度であろう。iPhone 4は3G(7.2メガ)という通信速度だが、iPhone 5はLTE(3.9G:300メガ)という、とてつもなく早いと言われている。しかし、聞いてみると、現段階では、環境整備がまだまだで、本当のLTEが使えるのは都心部のような限られたスペースでしか無く、例えば、京都で言うなら、寺町辺りのみで、河原町の一部では未だ不安定だというのだ。従って使える領域が限られていて、その他は以前と同じ3Gの速度のままだという。そして敢えて言うなら、LTEになって、常に外部の環境をサーチしている分、幾分電池の消耗が早いというのである。消費者は、LTEの釣り文句に誘われて、先物買いをしているというところだろう。客寄せパンダよろしく誇大広告一歩手前と言うところかも知れない。外部から取り込む(所謂ダウンロードをイメージしたもの)時は3Gの機能しか発揮できないところでも、一旦取り込んだものを表示させるなどの時には、結構早くなっていると感じることが出来るようだ。私は、通信コストについて、外国では社会インフラとしての通信が身近で安価なものであるのに比べて、日本のガラパゴス状態の通信会社同士が基本的にカルテルを結んだ如く、諸大手3社の金額がほぼ一定に高い水準で推移している点など、不満を述べたが、一介の消費者と、一介の従業員では如何ともしがたく単なる愚痴に終わってしまった。また、海外での使用について、海外では間違ってもインターネットを使うべきでないこと、(べらぼうに高い)ツアーの添乗員がここは良いと言うところでも、ソフトバンクと提携している通信会社でないと法外に取られることもあるので注意が必要とのことだった。海外でもWi-fiを使う場合は無料となるので、そちらを使うべしとの案内である。最後には、破損時や遺失時の保険のことや、今はやりのテザリングの話などを聞いた。そんな説明と随時の質問を浴びせることなどで、終わって帰るときにはゆうに3時間を経過していた。帰り道をJR経由として、京都駅に立ち寄り、昨日孫が落としたマフラーを遺失物係など2箇所で聞いたが残念ながら届けがなかったとのことであった。
2012.11.19
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昨日のブログは2回書いてしまった。毎日何が起こっているのかが混同するような日であった。今日は、姉が我々2人の誕生祝いをしてくれるという。姉は去年喜寿を迎えたが、未だ元気である。一時体調を壊したことがあるが、見事に立ち直っている。昼食の場所は、グランドオープンを3日後に控えた阪急百貨店に入っている「つる家」だ。梅田も、阪急の改装がほぼ成ったので、こぎれいな街に変身している。私の小学校から中学、高校そして大学4年の10年余、お世話になった阪急電車のターミナルである梅田の阪急百貨店は、かつて8階建ての淡い黄土色の外観であったが、その後電車のシンボルカラーと同じ小豆色のビルに変わり、今日はその上にオフィスタワーが載るといった高層ビルに変化している。従って、阪急のビルの回りも様変わりで、昔の名残はほとんど無くなっている。そんなビルの13階につる家はある。13階だから近隣の高層ビルに囲まれているわけで、さほど景観は良くないが、それでも眼下にはJR大阪駅の環状内回り線が見える。私はやはり大阪人であろうか、梅田の街にいるとなんだか落ち着くのである。詳しくは知らないのだが、ほぼ街の全容が把握できているからに違いない。一部が未だ工事中であるが、ほぼ新装成った百貨店内の広いエスカレーターを使い、店内を眺めながら13階まで上った。最近の百貨店はスーパーはおろか、コンビニにも売上で劣るといった時代であるが、新装成った百貨店は集客面でも期待できそうな雰囲気である。9階辺りから3階位の吹き抜けの構造はそこが建物の内部とは思えないほどの雰囲気で、ドバイのモールのようでもあった。昼食の弁当は少量多品目で、年寄りには丁度良い位だ。私だけが中のグラスビールを飲んだが昼間なので、酔いがほんのり感じられた。出てきた話題にゴルフがあるが、もうすぐ傘寿になろうとする姉は、何とゴルフクラブのグリップを変えたいというのだ。一寸驚いたが、本人はその気になっているし、連れ合いも抵抗なく賛同している。姉と一緒にラウンドする男性2人は、共に80歳を超えているのだとか。最も若い女性でも古希を過ぎているというのだから、凄いシルバーパワーである。誕生日祝いとか言って、食事を共に出来るのも、連れ合いのおかげである。姉も私も、そう言った家族の雰囲気の中で育たなかったから、いつも自分は「晩年果報者」だと思っている。過去に何かとあったものの、人生の最後をかくも豊かな気持ちで過ごせることに感謝している。食事を終えて、ぶらぶらと店内を歩きながら、連れ合いは、昨日マフラーを無くした孫(弟)にマフラーを買おうとキッズコーナーで探していた。少し赤みがかった紺の縞模様の可愛いマフラーを見つけ、購入していた。その後、孫(兄)がひがまないようにと兄弟共に好きな動物のフィギャーをバランス良く買っていた。至れり尽くせりである。そんなおもちゃを物色している間に私は、詰まったシャープペンシルを直してもらいに文具店に立ち寄った。3色のボールペンにシャープペンシルも付いているそのボールペンは便利ではあるが、シャープペンシルの先端部が詰まっては、何の便利さもないわけだ。先端部を掃除する0.5mmの細い棒を欲しいというと、何故か非売なのだという。極めて理不尽さを感じるが、それの類似品で、国産のシャープペンシル用消しゴムを買うとその針金が付いているというので、それを求めた。買い物を終え5階に降りるとそこはブランド品のフロアーである。Dior, Cartie,Viton・・・がフロアー全体にあり、ゴージャスな感じである。その一角にBVLGARIがあって、そこには喫茶が併設されている。喫茶に入り、ブランド料付きの高いコーヒーを飲んだ。壁面には、往年のソフィアローレンや、エリザベステイラーなどの写真が掛けてあり、若き日のショーン・コネリーの写真もあったが、連れ合いは判別できなかったようだ。出口に洒落た2つのネックレスが飾ってあり、連れ合いにどうかとふと値段を見ると、何と安い方でも78万円、高い方は97万円ではないか\780,000と書いてあるゼロの数字があまりに多すぎるので、その旨を連れ合いに言うと、「その気持ちだけを頂くわ」とのことだった。いったいこのフロアーの商品を全部集めると幾らになるのだろうかと、想像してしまった。こういった点はスーパーやコンビニでは感じられないのだが、果たして庶民のどれくらいが購入するのか、思わず3人で、「やっていけるのだろうか」と嘆息し合った。姉と別れて、帰り道で、私は、先日破れてしまったiPodのケースを買いに走り、電車に乗る前に、久しく来ていなかったハーゲンダッツのアイスクリームを食べて帰途についた。
2012.11.18
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今日は盛りだくさんな用事をこなした。毎日、我が身を忙しさの中に置くと、体や心が鈍ることはないだろうと思っている。朝は中学校の土曜スクールに顔を出した。今日もボランティアの人の方が集まった生徒の数よりも多かった。生徒は6人である。顔ぶれはほぼ一定している。私は2年生の女生徒の国語を見ることになった。毎回決まった生徒ではなく、覗き込んで声を掛けた感じで相手の生徒が自然に決まるといったものだ。他のボランティアさんが覗き込んで見始めた生徒は、そのボランティアさんが受け持つといった案配だ。私の相手となった女生徒は、国語が余り得意ではないと言う。中間試験の成績を聞くと、やはり大学で言う欠点に届いていないようだ。女性ボランティアさんが用意してくれた国語のドリルをやってみることになり問題に取り組んでいた。出来上がったところで覗き込んだ私が解説をするという段になった。漢字の読みや書き取りでは、読みはほぼ完璧に出来ていたが、書き取りは所々空白があった。また、対義語を求める問題の中に「過去-( 来)」というのがあり、選択する中に、平仮名で(しょう、・・)があって、生徒は「未来」と書きかけたが直して「将来」と書いていた。私は、そこで、「将来」ではなく「未来」が良いと言って、そう書きかけた生徒の方が、正解と書いてある解答集よりは良いと教えた。之は問題が悪い、あなたは「120点だ!」といったのである。また、「重箱読み」という問題は、生徒が等しく苦手としているようだ。例えば、「箱」は「はこ」と読むのが訓読みだが、「百葉箱」とかいて「そう」と読むことも出来、音読みとなる。なかなか難しい漢字もある。土曜スクールを終え、連れ合いの孫を伴って、姫が帰阪するのを京都駅まで迎えに行った。連れ合いの母親が卒寿を迎えたとのことで、お祝いにと湘南から駆け戻ってきたわけだ。何とも羨ましい家族愛である。ところが、孫の1人(卒寿を迎えたご母堂にとってはひ孫)が買い物途中でマフラーを無くした(落とした)ようなのだ。姫を迎えて帰り道の車の中で、ひどくションボリしていて、思いついては何度も何度も自分のリュックの中を探すが、無いので、涙をこらえている。痛々しい感じだ。子供心に、大切な物をなくした痛みをこらえているようだ。ものを大切にする心を見て、可愛そうだが、何となく安堵した気分もあった。その後私は、夕方、バスケットボールのOB・OG会の事務的な打合せで母校の高校を訪問した。之で何度訪問したか知れないが、母校がとても身近になった。いつもは会長である先輩と同行するのだが、今回は1人での訪問である。部の顧問の先生は、卒業した高校が違うので、後輩というわけではない。その先生は今年定年を迎え、延長して働いている部活動に熱心な先生で、我々も協力しがいがあるというものだ。今日の先生は15:00~17:00までは現役選手の練習のコーチをしていて、その中でも16:00まで中学生が体験で来ている相手をするという忙しさで、しかも18:00頃からOBが集まりだし、19:00~21:00の間に、若手OBが練習試合をするといったスケデュールらしい。従って、打合せは17:00~約1時間だけが使えるといった案配である。その間に、細かい詰めを行い、年度末に発行する報告書に載せる現役や、OB・OGの活動記録についての打合せをし、会費納入の督促の仕方や、新規に作った納入口座の確認、OB・OGの会員名簿の原本確認と所在不明者の扱い等々多岐の問題を打ち合わせた。決算の報告についても、現状の入金状態や、使途金の確認など、兎に角細かなあらゆる事を凝縮して打ち合わせたのである。こんな時先輩が一緒だと、ついつい話題があらぬ方向に飛んでしまうので、事務的には1人で来たほうが能率が良い。中でも問題はホームページ(HP)である。若い卒業生が立ち上げてくれたまでは良いが、更新が成されてなくて、報告書でHPを喧伝している割に見てくれの活動は何もしてないと言った弊害がある。HPが有ることに依る弊害が起こっているわけだ。何度も当該の若いOB(中学校の教師をしているという)にアプローチするものの、なかなか逢うことも出来ず、HP問題は棚上げのままであり、困惑している。何とか打開策をと、当面はその若いOB先生にアプローチを試みると言うことをお願いして高校を辞去したが、朝からの生憎の雨はやっと小振りになったものの、高校への行き帰りは、ことのほか道路が混雑して、帰り着いたら19:00を過ぎてしまった。何とも忙しい日であった。
2012.11.17
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イスラエルが今日にもガザ地区に侵攻しようとしている。この紛争は、何年もの間続けられ、いっこうに解決を見ない。パレスチナとイスラエルの確執、イスラム教徒(中東諸国)とユダヤ教徒(ユダヤ人)の戦いである。この戦いのルーツはと言えば、ずっと昔にさかのぼり、おいそれと解決できる課題ではない事が解る。紀元前10世紀頃、ユダヤ人はに古代王国を建国するがアッシリアとバビロニアの侵攻により滅ぼされる。その後ローマ帝国に支配され、これに反抗するがやがてユダヤ人国家は消滅する。と言うのが起源かと思えば、未だ前がある。紀元前3千年紀、地中海とヨルダン川・死海に挟まれた地域一帯は「カナン」と呼ばれ、神がアブラハムの子孫に与えると約束した土地だと言うことだ。しかしこれはユダヤ人が聖書を基に申し立てていることであり、元々カナンはイスラエル人が到達する前には民族的に多様な土地であった。聖書の「申命記」によれば、この、神の約束によって原住民のカナン人はイスラエル人に追い払われる事になるのである。神は一体どう云ったつもりで、ユダヤ人にこのような約束してしまったのだろうか。大いに疑問の残るところであり、今日のパレスチナ地区の紛争の種は神(ユダヤ教の)が撒いたものであるということになる。ユダヤ教の神ヤハウェイが約束したことをイスラム教のアッラーが知っていたのか。元々神は唯一1つである(イラーハ・イッ・ラッ・ラー)とイスラム教は言っていて、旧約聖書の創世記などは、イスラム教徒もユダヤ教徒、そしてキリスト教徒も共有しているのである。さすれば、ヤハウェイ=ゴッド=アッラーであるはずだから神は2枚舌を使ったことになるのだろうか。このことは、1915年、イギリスのマクマホンが第一次世界大戦を有利に運ばんが為にアラブの指導者シャリフ・フサインと交わしたフサイン・マクマホン協定でアラブ人がオスマントルコに対して反乱を起こす事と引き替えに中東地区をアラブ人国家として独立させる約束をしたことに繋がる。一方で、イギリスはユダヤマネーを戦争に利用するためにユダヤ人に向けて発表したのがバルフォア宣言で、それによると、イギリスはパレスチナでのユダヤ人国家建設を約束しているのだ。神が使った(?)2枚舌をイギリスのバルフォアはここで使ったのである。しかし、このパレスチナの土地(アラブ人国家の範囲)に関してよくよく見れば線引きが曖昧な部分があるが、ユダヤ人に約束した土地(ナショナルホーム:ユダヤ人居住地)との齟齬はないとされている。ところが、この約束した土地はもともとパレスチナ先住民が住んでいたところであり、この土地の大多数がアラビア人である以上、主権がアラビア人のものであることは明らかであるとされる。このように見ていくと、神は約束した土地にユダヤ人を住まわせることを約束したが、主権はあくまでアラビア人にあると言うことなのであろう。しかし、現在は、イスラエル(ユダヤ人)が完全にこの土地を支配し、その上、既成事実として、入植地の拡大を図っているわけだ。このことにアメリカは基本的に同調しているわけで、話が複雑になっている。今、日本では、中国との間の尖閣列島という領有権問題で中国の横槍を受けているわけだが、身につまされるところである。このようにして四次に亘る中東戦争が起きる訳で、第一次中東戦争はイスラエルが一方的に建国宣言をし、これを不満としたアラブ人が蜂起したが、圧倒的不利とされていたイスラエルが結局勝利し多くのアラブ人が難民となりパレスチナを追われる結果となった。第二次中東戦争はスエズ戦争とも呼ばれるスエズ運河の帰趨を掛けた戦争だが、イスラエルを含む西側諸国は撤兵し終戦となった。続く第三次中東戦争はPLO(パレスチナ解放戦線)が樹立され、武装闘争を展開イスラエルへの本格的なゲリラ攻撃テロを開始した事によって、イスラエルは電撃的な侵攻作戦を開始し始まったわけだ。ここまで見てくると、今回のイスラエルによるガザ侵攻の目論見は、第三次中東戦争の焼き直しのような様相なのである。こうしてみてくると、この侵攻後やがて再び一時的和平が結ばれ、そしてまた紛争が続くといったサイクルを永遠に続けるのかも知れない。
2012.11.17
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造船時代にバスケットボール部の監督をしていた人が寺を回っていて、洛西の寺や茨木の総持寺を見に来るというので、案内を兼ねて一緒に回ることにした。何でも四国八十八カ所を回り終え、今は西国三十三カ所を回るという最終段階だとか。聞けば、過去10年、週2回のNHKの仏像に関する講座を受け続けたという、専門家といって憚らないほどの造詣があった。流石東大出の人は違うものだと感心した。JR向日町駅に8:00に迎えに行って、奥さんとは初対面であったと思うが、夫人は予め私の現役時代の写真を見せられていたのか、面影はありますねとの会話で始まった。向日町駅で2人を乗せ、寺周りは始まった。回った寺の順序は1.善峰寺→2.三鈷寺(夫妻だけ)→3.十輪寺→4.光明寺→5.楊谷寺→昼食→6.総持寺→7.宝積寺→8.大念寺の順に8寺である。他にも金蔵寺,正法寺(岩間寺),勝持寺も行きたいとのことだったが、総持寺の場所が離れていることもあり、その3寺は次回と言うことにして、端折った。第1番目の善峰寺は特に紅葉が美しい。しかし今年は夏が長かった関係で、未だ色づいていない木もたくさんあって、これからの感じだった。昨日の雨がやや残る雰囲気は、山全体をミルク色の霧がすっぽり覆っていて、紅葉も霧が掛かって鮮明ではない。しかし、幽玄の風情は霧によって増しているようだ。残念ながらその霧のために下界は見えなかったが、逆に俗世を忘れて、紅葉を愛でる良い感じの時間だった。ここは西山三山の第一番である。善峰寺の北門から隣の三鈷寺へ出ることが出来る。しかし一旦出ると帰ってこられない回転ドアなので、夫妻だけ三鈷寺に出て、私は、車で下の登山口に回って待つことにした。結構時間が経ったのは、三鈷寺の住職の話を聞いたり、お茶の接待があったからだそうだ。境内の庭から東山三十六峰を背景にした京都市街の俯瞰は最高だとの話だったが、今日は生憎霧のために見られなかったようだ。残念ながら、私も連れ合いも、三鈷寺には来たことがない。善峰寺からの途中に三鈷寺に登る登山口があるが、そこから上りで500mとのことらしい。その口で夫妻が降りてくるのを待ち、次は、善峰道の中間当たりの十輪寺である。ここの大きな銀杏の木もまた黄色く色づいていて見応えがあった。「なりひら寺」と通称されるこの寺には、在原業平が塩焼きの風流を楽しんだとされる塩竃の跡があった。十輪寺を後にして、今度は粟生の光明寺を訪れた。丁度明日から紅葉の祭りが始まるとのことで、寺門の前の駐車場はロックアウトされていた。その横の道路に車を止めて、明日から有料になる寺の境内へと入った。光明寺といえば全国に多くあり、先ず鎌倉の名前が出てくるが、ここは西山三山の1つである。紅葉がつとに有名で、明日からの祭りに備えて、庭木の手入れなどおさおさ怠りないといった風情であった。先ず山門をくぐった石段の広さと、その石段に掛かる紅葉は秀逸である。寺の内庭は箒目も鮮やかな石庭で、ここも明日からの祭りを控えて、掃除に余念がなかった。光明寺を後にして西山三山の最後の1つである、楊谷寺(柳谷観音)に向かった。ここはよく訪れる寺である。善峰寺や、光明寺と共に私がスケッチして年賀状に使った寺でもある。石垣も立派な風情で、石段を上がると本堂に着く。この寺の見所は、奥の院に向かう山道からの振り返りざまの景色であろうか。山道を少し登ったところで本堂の方向を見ると、甍の奥に雨に洗われた常緑の松や紅葉した楓などのグラデーションが特に素晴らしく見える。写真に撮ると変哲もなく見えるが、やはり実物に如くは無い。絵心をくすぐる風景だ。光明寺を後にし、国道171号線に出て、我が屋の近所に最近出来たラーメン店で、昼食のラーメンを食べた。寺の入場料や駐車場はおろか、食事代まで出してもらって恐縮だ。そのまま171号線を茨木方面に向かい、途中道を見落としたりしたが、西国三十三箇所第22番の札所である、総持寺に着いた。今は街の中に埋もれた寺であるが、往事は相当な広さであったことが覗える。街中にしては、境内はかなり広く取ってあり、格式の高さを感じる。ここでは紅葉を期待することは出来ない。瓦を焼いた寺瓦窯跡が見られる。ここは助けた亀の恩返しという逸話で有名だとかだが、訪れただけという感じだ。寺回りの最終段階で、再び171号線を京都に向かって走り、山崎駅の裏手にある、宝積寺(宝寺)を訪れた。ここには連れ合いの親しい友人が睡っている。山門には仁王様である、那羅延金剛力士と密迹金剛力士が迎えてくれる。まじまじと見ると結構迫力のある顔である。駐車場から出ると重要文化財の三重の塔が見える。寂れた塔であるが、どことなく風情がある。本堂には本尊の十一面観音(重要文化財)が有るとかで、先輩1人が代表で見に入った。本堂横の閻魔堂には、この期に御尊像の拝観が出来ると言うことで、ここも先輩1人が入ったが、扉を開けたその間から中が覗けて、中央に閻魔王坐像、周りを取り囲むように司命坐像、司録坐像、倶生神(ぐしょうじん)半跏像、闇黒童子半跏像の重要文化財五体を見ることが出来た。宝積寺から歩いて少し下ると、訪れる予定の最後の寺である大念寺がある。いつもは素通りする寺だが、結構由緒ある寺のようで、本尊の阿弥陀如来(重要文化財)は基より、それより有名になったという、木造阿弥陀如来立像が別途置かれている。この像の胴内から幾多の納入品が出たとのことで、住職の話を聞かせてもらった。之で今回の寺周りは予定通り終了し、車を置いて京都に出て、合流した連れ合いと共に京都浮橋にて4人で会食して歓談した。天気も狭間で大変良く、結構な行楽であった。
2012.11.16
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木曜日の定例である小学校の放課後学習会があり、今日は1年生が対象である。今日は授業が早く終わったせいで、児童達は早く学習ルームに集まってきた。中学生を対象とした土曜スクールと違って、小学校ではボランティア不足である。実質的に20人の児童の相手をしたボランティアは私を含めて3人だけだったので、席に付かせるのも苦労をした。今日の宿題は国語のドリルで、簡単な漢字をなどるものと、算数は2桁(10台)から1桁の数を引く引き算のプリントが1枚だったようだ。如何にも少ないため、大概の子供はすぐに終わってしまう。時間が余った子供達は、する事が無く、新たなプリントも持ち合わせがないため、席を立って歩く子供や、黒板に悪戯書きをする子、等収拾が付かなくなった。急遽プリントの裏に似たような算数の引き算を書いて、手渡すと、たちまち答を書いて持ってくる。よく分かっている子供には物足りないのであろう。それでも中には、16-7=、が解らない子もいる。「先生!16-7は?」と聞いてくる。遊び回っている子がそれを見て「あのな、10から7を引くやろ、そしたら3や、それと残った6を足したら9が答えや。」と教えている。実に的確に教えているのを見て、この子は大丈夫だが、何とか歩き回るのを止めさせられないだろうかというのが課題になってくる。早くできた子にさらなる問題を準備しておく方が良いと感じた。勿論じっくりとやれば解る子もいて、千差万別であるが、兎に角1人が歩いたり、黒板に悪戯書きを始めると、我も我もと雷同するのが出てくる。与えられた課題が途中でもお構いなく立ち歩くので、首根っこを押さえるようにして席に付かせると、やっとまた1問を書くと言ったありさまである。いつも立ち歩く子は、今日は不思議に本を読んでいる。「宿題は済んだの?」と聞いても夢中で本を読んでいる。「じゃぁ、まあ、それはそれで良いか」とそのまま見ていたが、今日は、終わるまで本を読み続けていた。出来たプリントを持ってくるので、○を付けていくと、殆どが出来ていて、100点である。「先生100点と書いて」という子が必ずいる。私は、先日京都で、「よくできました」と熊さんが旗を掲げるスタンプを買っていたので、それを押してあげると、他の子達も競ってそのスタンプを押したがった。勿論できた子しか押させないから、皆一生懸命書いてくる。押して貰うことよりも、押したがるのである。スタンプは一躍人気者になった。時間が余った子は、プリントの裏紙に、絵を描き始めた。男の子は、新幹線と、スポーツカーである。スポーツカーには「ブル、ブル、ブローン」と書いてある。なかなか雰囲気が出ていて、如何にもスポーツカーの特徴を捕まえている。女の子は、3人の人を描いていて、そのどれもが、髪の毛は申し合わせたように弁髪のようで、頭の真ん中はつるつるである。真ん中の1人は、如何にも私らしいが、両側の女の子の絵は、友達かも知れない。「私は、髪があるよ」と抗議している友達もいた。描いた子は特に頭に髪がないとの意識はなく描いているようなのだ。面白いと思った。その絵にサインをして(名前を書いて)もらう事で、その子の名前をより覚えやすくなった。良くできましたのはんこを押して、記念に貰っておくことにした。そんな調子で、宿題は終了したのであろう、「先生帰って良いですか?」と聞きながら三々五々、帰ってしまい、大半が居なくなった。そんな中でもプリントに向かっている子供もいて、その内容は、定規の使い方を知って、物の長さを測り、その答を書くというもので、実際の定規を当てて計るなど何cm何mmと書かれた答をチェックするには、自分も計ってみないといけないわけで、めがねを掛けたり外したりと忙しかった。今日の学習会では、小学校の1年生は45分間連続して緊張感が保てないと言うことを実感した日になった。その上、宿題が簡単で、すぐ終了するのと、追加のプリントがないのとで、なおさらである。にわか作りの類似問題もたいてい答えられるようだから、先ずこれで良いだろうとの思いになる。そんなことで、学校とボランティアのいっそうの連携を図らないと、十分な成果が得られないと感じた。このように、今日のボランティアは学習というよりは、どうしたら授業時間中、緊張感を保つことが出来るのか、といった、躾のためにはどうしたらいいのかという事を考えさせられる45分間であった。
2012.11.15
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このところ世界はめまぐるしく変わっている。先にアメリカ大統領にオバマが再選され、今日は中国の共産党大会が終了して、習近平の指導体制がスタートした。一方、それどころでないのが、国会の先生方である。昼の民主党-自民党の党首討論で、野田首相が「明後日16日の解散を宣言したのである。」野党3党との合意で、早期解散を口にして早3ヶ月が経ち、無策な野党は、ただただ「解散」を合唱するだけの無意味で無駄な日々を過ごしてきた。「嘘つき呼ばわり」を極度に嫌う野田首相は、小学校時代の先生にバカ正直といわれたことを引き合いに、嘘ではなかったこと、そして嘘でないことを示すとして「16日に解散します、やりましょう」と野党自民党の安倍総裁に詰め寄った。その一瞬予期せぬ発言に安倍総裁は少し鼻白んだ様に見えた。窮鼠猫をかむといった表現が当たっているかも知れない。明らかにこの点では野田首相の勝利であった。通常のシャンシャン党首討論ではない迫力を感じる瞬間であった。明らかに虚を突かれた、安倍総裁は、「約束ですね、いいんですね」を繰り返して、その直後はっきりと即答できなかった。あれほど長い間解散を迫っておきながら、いざ解散となると、自民党は、総裁の権限で即答が出来ない体質なのだと言うことを露呈した。すぐさま自民党内の会議が招集され、夕方には安倍総裁の口から、野田首相の提案(0増5減・衆院定員40減)を受け入れる旨の発表があった。この数時間は何を意味するのか、安倍総裁のリーダーシップの欠如なのかも知れないし、合議制の民主主義とはこういったものかと思わせる事態だと感じた。民主党内はといえば、もう、蜂の巣をつついた様な混乱ぶりであるという。その後「やってられるか」と離党者が目白押しである。幹事長の輿石は憮然たる表情で「総理の唯一最大の権限」と嘯く始末。中には、事もあろうか民主党を離脱し、自民党のお世話になりますとヌケヌケという議員まで出る始末。やんぬるかな、国会議員が国を憂うる選良だと言うことを見事に否定し、国会議員は、ハイリスクハイリターンの職業であることを世に示した典型的な例の1つになった。身を切る発言は、大義名分であり、如何なる理屈を述べても、之に真っ向から反対するのは得策ではないことを皆知っているわけで、こういった思いが何故この時期まで言えなかったのかを考えると、誰のための政治であるのかとの問いを改めて感じることになる。NHKの朝ドラに、心を読める青年「愛」がいるが、愛に聞くまでもなく、国会議員の本音は、自己保身であろう。自分が国会議員でなくて、何の政治があろうかというのが本音であり、決して、之をやりたいが為に議員になったという高邁な理想の人は皆無と言っていいのではないだろうか。美味しい既得権を手放すことは、辛いことであろう。国会議員にとって、定数削減は、就職先が狭まった労働市場に他ならない。七転八倒してやがて消えゆく40人哉である。いっそうみんなの党が掲げる定数半減にして、後は各国会議員のシンクタンクで国政を執るという方が、見えやすいのではないだろうか。マスコットおばさんや、客寄せパンダのような議員こそ、国民のために百害あって一利無しというべきであろう。身を処するに敏な、自己保身一辺倒の議員こそこの際排斥すべきである。隣国、中国では暗躍死闘の末、どうやら新体制が固まったようだ。党常務委員を9名から7名に削減され、その構成がやっと決まったようだ。颯爽と登壇する新指導部7人は王岐山を除いて皆赤いネクタイをしているのが印象的である。この7人の合議制で、これからの中国の方向が決まるわけで、はなはだ興味深いことである。総書記は習近平で、首相は李克強であることは以前から決まっていたようだが、後の5人はかなり流動的だったようだ。背後の長老達の思惑が大きく影響していることや、その攻めぎあいがどのように展開されたのであろうか、ただ推測するしかないが、決まった顔ぶれを見ると、現胡耀邦の息の掛かった者は李克強だけだという結果である。後の5人はいずれも、江沢民派と任じられているのだ。一方の胡錦濤は総書記引退後も中央軍事委員会のトップに君臨し、院政を引くと見られていたが、どうやら一切の職から退任することになったようだ。代わりにと言っていいのか、胡錦濤が掲げた「科学的発展観」が毛沢東の掲げた中国共産党綱領でである「マルクス・レーニン主義」や「毛沢東思想」などと並んで中国の基本的な思想として掲げられた。日本のような開けっぴろげの指導者選びと異なった、中国の体質であるが、そう言った人事の結果が、もろに日本に関わってくるわけで、今後も注目していかなければならない。かつては中国という国家内の波立ちであったが、今や地球全体の津波のような存在になってきた中国の存在は、アメリカの人事と共に日本の環境を決める重大な存在であることになった。
2012.11.14
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サイモン・シンとエツァート・エルンストの共著本である。この2人の中で、私は特に、サイモン・シンについてこれまで、「ビッグバン宇宙論」、「フェルマーの最終定理」、「暗号解読」を立て続けに読んで、そのすばらしさに惹かれていた(私の読後感はどれも「秀」だった)。特に1作目の「ビッグバン宇宙論」には惹き付けられたので、彼に、「宇宙のシンちゃん」とあだ名を奉った。医療そのものについてはさほど関心がなかったが、そのシンちゃんが著した書だというので書店で手に取り購入したのが「代替医療のトリック」である。この書では代替医療である、「鍼治療」、「ホメオパシー」、「カイロプラクティック」そして「バーブ療法」を代表に取り上げ、それが本当に効くのかという観点で、概ね否定的に書いている。勿論巻末にはあらゆる代替医療を採り上げて解説している。その梗概を示すには、私は非力だが、何点か響いた部分を抽出する。まず、本書の指針としてギリシャのヒポクラテスの言葉である「科学と意見という、二つのものがある。前者は知識を生み、後者は無知を生む。」に依っている。先ず中世ヨーロッパで絶対的な支持を以て行われた「瀉血」を採り上げていた。病気は4種類の「体液」(血液・黄胆汁・黒胆汁・粘液)のバランスが壊れることによって起こるとされていた当時の説により、病気は血液が淀むためだとのことから、体を切って悪い血を流すという荒っぽい方法である。今このような事をどの医者もやっていないが、当時は殆どの医者が行っていたという出だしである。代替医療の効果として挙げられているのが「プラセボ効果」である。簡潔に言えば、偽薬効果と言うことで、偽薬を処方しても、薬だと信じ込む事によって何らかの改善がみられる事を言うのだが、この改善は原病やその症状自体の改善というよりは、「薬を飲んでいる」事による精神的な安心感によるものだということだ。「鍼治療」についても、このプラセボ効果が占める可能性が高いとの結論である。1つの例として実際に鍼を打たないのだが、偽針と呼ばれる方法で、恰も患者に鍼を打った如く思わせたのと、実際に鍼を打った被験者の両方共が同程度の鎮痛効果をもたらせたなどといった実験なども用いて解説している。次いで、「ホメオパシー」であるが、ここ数十年で最も成長著しい代替医療の1つとされている。なんと、現在でもベルギーでは半数の人が日常的にこのホメオパシーに頼っているというのだ。ホメオパシーとは、「極度に稀釈した成分を投与することによって体の自然治癒力を引き出す」という思想に基づいて、病気の治癒をめざす行為もしくは思想を指すと解説にある。その内容は、健康な人間に与えたら似た症状をひき起こすであろう物質をある症状を持つ患者に極く僅か与えることにより、体の抵抗力を引き出し症状を軽減する」という理論とそれに基づく行為だというのである。有効物質を含む原液を限りなく薄め(希釈し)て得られた液を使うというのだ。それも希釈の度合いが薄ければ薄いほど(実際には含まれないまでに薄める)有効だと言うから、何をか況やであるが、それが効くと信じられているのだ。分かりやすくいえば、例えば大津で琵琶湖に何らかの有効なエキスを垂らして、竹生島で試験管に水を汲んで飲むという想像が当たっている。さらに「カイロプラクティック」であるが、上述のようにさほど積極的な危険度はなかった代替医療と異なり、X線照射に伴う比較的軽微なリスクだけに留まらず、頸椎へのマニピュレーションといった高いリスクを含むという治療法である。マニピュレーションとは顎関節にある関節円盤を正しい位置に戻すと言う名目で、首に高速小振幅の振動を与えるもので、之により、頸椎隔離が起こる危険性があるというのだ。何と恐ろしいことではないか。しかも、この治療法は日本でも行われているようで、治療費は保険適用の場合で約3300円程度だと言うことだ。そして「ハーブ療法」については、中に有効とされる薬草もあるが、殆どが疑問符を付けられるかまたは弊害があるものが多いという現実である。ハーブ薬はちゃんとした検証を受けていないものが多く、安全性もモニターされていないものが多いので、危険性を完全に把握できていない部分があるとのことだ。アレルギー反応や、他の薬との併用によっては重大な症状になる恐れもあるというわけだ。しかしこういった代替医療は、世界中に浸透していて、各国政府も完全に否定すると言った動きになっていない上に、有名人がこういった代替医療を経験してプラセボ効果などで良くなったと宣伝するケースもあって、そのブームは収まらないと言うのが現状のようだ。そしてこういった代替医療について、宇宙のシンちゃん達は次のように述べて本を締めくくっている。「社会の中で、最も切実に医療を必要としている弱い立場の人たちを食い物にし、金を搾り取り、偽の希望を持たせ、健康を損なう危険にさらし続けることになるであろう」さてこの本をどう読むかだが、代替医療を信奉する人は、つたなき紹介よりも是非この本を読むことを勧めるものである。
2012.11.13
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NHK講座の2回目である。 今日は高校同期のゴルフコンペのある日だが、NHKの講座とバッティングしたため、ゴルフの方を不参加とした。ゴルフコンペは最初の日から今日に変更したので重なったというわけだ。早めに出かけて、iPhone5の予約をした。発売以来1ヶ月も経っているのにもったいを付けて在庫は無く予約して1~2週間掛かるという。こう云ったところも日本らしいと思った。水無瀬のショップは商品に対する理解不足であり、梅田のヨドバシカメラは殺人的な混みようなので、京都で注文することにしたわけだ。新しい通信方式であるLTE(ロング・ターム・エボリューション)の早さはどうかとの好奇心もあった。さらに高速な第4世代の方式も2015年頃には発売されるとの予測もあり、進歩には目を見張る。注文を終えたが思いの外早く済んだので、時間潰しにと書店に入った、この頃から何故か開始は13:30(実際は13:00)と思いこんでしまったために講座の教室に着いた時には20分経過していた。近頃こういったボーンヘッドが時々ある。今回の講座は、壮そうの大阪国際大学の鷲田睦朗講師であった。受講していたのは男性が4人と女性が6人である。 「同盟市戦争、都市国家から都市ネットワーク国家への転換点」と副題された今日の講義は、都市国家ローマと近隣都市国家間の内戦とも言うべき同盟市戦争を中心にローマ帝国への道を語ったものである。同盟市戦争とは、紀元前91年末に、都市国家ローマと同盟を結んでいたイタリア各地の都市国家や部族が、ローマ市民権を求めローマに対し蜂起した戦争のことである。残念なことに導入部の講義は終了していたので、その部分を理解するのは、資料のキーワードしか無い。ローマ帝国の版図と言えば最大時を思い浮かべるが、発祥の時点では、現在のローマを含むラテン市(区域)のみに留まり、周辺のイタリア同盟市などとローマ連邦を形成していた。このローマ連邦は緩やかな繋がりで、ローマの方針として「分けよ、そして支配せよ」と各同盟市毎の自治に委ねられていたようである。当初はローマ市民権の価値は低かったようで、各同盟都市の市民権と併存していたようである。このようにローマ市民になることは納税と従軍が科せられるために、たいしたメリットはなかったと言うことだ。ところが、BC167年からローマ市民は地租を免除されることになった。現在のギリシャやトルコ西部などを併呑した際の戦利品などがローマの財政を潤沢にしたためである。にわかにローマ市民権の価値が高まったので、希望者が増大し、それによってローマ側も市民権発行を渋るようになってきた。そのような経緯で、隣接都市国家フレゲッラエ市がローマ市民権を得るために反乱を起こし鎮圧される事態に発展した。こういった同盟市戦争以前にも、ヌミディア(現在のアルジェリア)とのユグルタ戦争、ユトランド半島に興ったゲルマン人である、キンブリ族やテウトニ族などによる、ローマ侵攻によって起きたキンブリ・テウトニ戦争等があった。これら戦争に於いて、国家による武具支給や志願兵に対する給与の支払いが行われ、そして戦争による戦利品の分配などで次第にローマはその存在価値を高め近隣同盟市を収合していった。この同盟市戦争は、対外戦争という性質ではなく、12同盟都市、8部族間で行われた、独立国家イタリアの創設を主張した内戦のようなものであった。ローマは大概、緒戦では守勢に立ったが、最終的には勝利を収めている。勝利後のローマの施策は反乱を起こしていない同盟市に対してと同様、降伏した同盟市に対してもローマ市民権を与えたために、急速に反乱は収束に向かいローマと各同盟市との一体化が促進され、イタリアのローマ化が本格化したのである。ただし、ローマは領域国家ではなく、各市を繋ぐような形のネットワーク国家へと変容していったのである。正にローマは1日にして成らずの感がある。20分の遅延は理解を難しくしたかも知れない。しかし、初期にキンブリ・テウトニ戦争でゲルマン人(キンブリ族やテウトニ族ら)がローマに接触していたという点など初めて知る事も多く、大変勉強になったが、最後に質問で「何故に戦争(内戦)を引き起こしたのか」という質問には明確に回答が得られなかった。今日も講座修了後、連れ合いと待ち合わせて、京都の町を散策し、夕食を食べて帰宅した。
2012.11.12
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連れ合いの兄が経営するカラオケクラブのチャリティーカラオケ発表会があった。既に10回を重ねているとかである。私は第8回から参加し、6月にあった30周年の記念のパーティーを含めると、4回目の出場である。場所は決まって高槻京都ホテルである。昼食を済ませ、昼過ぎに家を出た。雨が降っていたこともあって、車で出かけることとした。車の中で、確認の電話があって、会場に着いたのは15:00を過ぎていた。そのまま会場にはいると、休憩時間中で、暫くして、再開されたときには既に半数の30人は歌い終えていた。今日エントリーしているのは土壇場で出られなくなったという人を含めて62名であった。私の出番は、40番と後半に入ってからだった。カラオケクラブで、顔を合わせるメンバーの殆どがこの発表会には参加しているようで、既に4人の方が出場し、発表を終えていた。中には、このイベントに早くからエントリーとその発表曲を申し出ている人もいて、相当な力の入れようである。入場して3人目の人は奥さんが急に声が出なくなったと言うことで、その代打ではないが、別の欠席者のところで歌を披露していた。さらに数人の後、2人のカラオケクラブでの知り合いの人が発表していた。前の前の発表者が演奏しているときに、出番待ちのコーナーに出向くのだが、特別に緊張しているというわけではないが、それでも口が渇くのを覚える。やっと自分の出番が来た。次の演奏者としての紹介アナウンスとともに森進一の「港町ブルース」の前奏が聞こえる。ハンドマイクを受け取り、舞台の中央に進むが、会場は暗くしてあるのと共に、会場前方から強烈なスポットライトが当てられているために、殆ど着席者の顔は判別できない。イントロが始まるテロップが流れると、そこからはもう自分の世界である。歌うほどに調子が出てきて、恰も出場者の中で最も巧い位のつもりになってくるから不思議である。歌う前から挙がるという人もいるようで、マイクがまともに持てないとか云う話を聞いたが、私の場合は、全くそのようなことはない。歌う巧拙によって合否が決まるとかいったこともないので、実に気楽なわけである。目をつぶって、殆ど覚えた歌詞を、時々画面のテロップを見て確認しながら、函館から高松を経て、鹿児島まで歌いきった。実に爽快な気分である。席に戻って、連れ合いに感想を聞くとまんざらでもない評価だったので、安心した。その後も、カラオケクラブの知り合いが2人ほど歌うのを聞いた。その最後の人は、狭いカラオケスタジオではマイクがじゃまになるほどの大きな声であるが、広いホテルの会場でもやはりマイクが要らないほどに大きな声で、尾崎紀世彦の「また逢う日まで」を熱唱していた。独特の編曲でこれでもかと言った高い声での発表は、十分に納得していたようだ。大トリの女性は、別にカラオケ教室で教えているという若い人だったが、JuJuの「Sign」を歌っていた。最早私の理解できる曲ではなかった。全員が歌い終わったところで、120余名から集まったチャリティー金を福祉会に贈呈する場面があり、その後、プロと友人の祝歌があり、いよいよディナーが用意された。やがて乾杯も終わり、フリードリンクとディナーが開始された。高槻京都ホテルの定番であろう、出てくる料理は去年と余り変わらないがなかなか美味しい。中華テーブルのように回るテーブルの上の洋風なオードブルは、全て完売になった。ウイスキーの水割りもことのほか進んで、何杯飲んだであろうか。やがて祝舞があり、ライブで、連れ合いの兄が往事のスター時代の先輩を偲んで、鶴田浩二の「網走番外地」や森繁久弥の「船頭小唄(枯れすすき)」等数曲を聴かせて歩いた。郷愁に満ちた元スターのライブだけに、歌は切々としていてさらに、トークもお手の物で、万遍なくテーブルを回って話し、そして歌っていた。早くに親を亡くして必ずしも幸せの中に育ったわけではなかったと連れ合いが回想するのを聞いて、私は幼少の頃にさほど、ものを思うこともなく、育ってきたことを感謝した。最後は、昼間カラオケクラブで歌を教えている兄貴の奥さんが、2曲ほど歌を歌ってお開きとなった。集まった100人を超す人たちも十分に満足して帰ったのでは無かろうか。したたかに飲んで、連れ合いの運転する車で帰宅したときには良い時を過ごしたという充実感で満たされていた。
2012.11.11
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高校のバスケットボール部のOB・OG会を立ち上げて(正しくは再興して)早3年になる。立ち上げ時に痛恨の人選をしたばかりに、空白の3年間になってしまったが、それを何とかしたいとの思いで、先輩共々尽力しているところである。しかし考えてみれば、高校時代にバスケットボール部に入っていたとして、卒業後どれほどの人がバスケットボールに興味を持ち続けているかと言えば答は否定的にならざるを得ない。現に私が卒業した高校で過去バスケットボール部に在籍していた人を拾い出すと、約900名弱居るがその全員に案内状を発送したところ、100名近くが住所不明で返送された。その封書の中に、今後現役支援をするしないのアンケートの葉書を同封していた。その表書きにはこちらの住所を書いてあるのはもちろんで、裏面には、2拓で、1.支援する。2.支援しないの文字は刷り込んであるわけだ。貰った相手は、ただどちらかに○を付して投函するだけで良いのであるが、その回収はとみると、20%を切る143通しか帰らないのである。未回収の700余通は限りなく支援しないというか、熱のない人たちであろう事は想像に難くない。で、その返信された143通の葉書の内で、支援すると答えた人は100通に満たず、残りの約50人は今後支援をしないとの表明であった。之を総じると、卒業した人の約1割程度しか関心がないと言っていい結果になったわけだ。内情を聴いてみると、卒業年度が近い(3年間の在籍で同時に在校していた)人たちの間では交流会を別途開いているような話も聞くが、その人達は大上段での全体のOB・OG会に参加したいとは思わないようだ。考えてみると、世代の違う若い人にしてみれば、昔はどうあれ、既に老人の域に入っている人などと同じ会合を持っても話も合わないし、意味がないと思うのであろう。我々のクラブは、創部以来ほぼ90年を経過しているが、そんな伝統あるクラブだとしても、大阪府下でさえも、優勝などしたことがないのであって、帰属意識が希薄であることは容易に推定できる。私の場合は、同期生に恵まれたこともあって、大阪府下で、ベスト4になったことが2回あるので、鼻が高いし、現役を訪問してもなにやら堂々としていられるが、それ以外の人は、最早バスケットボール部のことは綺麗さっぱり忘れてしまいたいという完全否定派は少ないにしても、それほどの関心を持っていないのが普通であろう。現に私の同期でも高校を卒業してからは、バスケットボールには全く縁のない合唱の道に入り、現在に至っている友人が居るが、そんな友人は、私が声を掛けることで義理立てして来てはくれるが、余り積極的ではないのは当然である。今日の会合には、やっと7名が参加してくれたが、今後細々とやっていくしかないわけだ。話の中で、卒年3年おき程度にKey man(幹事)を置くべきとの意見があったが理想的ではあるものの、そうすることはかなり難かしいであろう。それでも心ある人からの拠金(会費)は集まるので、それを以て現役生徒達へ備品の購入などの支援を行っているわけだ。かつて我々が現役の頃にはクラブのOB・OG会の存在をさほど意識しなかったし、影ながらの支援がどこから来ていたのか良く知らないのだが、それはそれで何とか楽しく過ごしていたわけだ。現に残っている最も古い名簿でも、旧制中学校時代のものはなく、高校1回卒業の方の名前がトップである。我々は第15回の卒業に位置づけられているわけで、現役の頃には、10歳上の先輩がコーチなどで顔を出してくれたことを思い出す。その時も先輩は随分年配だと思ったが、今考えるに50歳も年齢差のある生徒にとって、我々はどのように映っているのだろうか。中には孫のような感じの子もいるわけで、まさか雲の上の人とは思わないだろうが、異次元の人といった感覚であろう。OB・OG会を通じて、ノスタルジックに考えるのは歳を取ってからであろうし、友人や交際範囲が狭まったからであろう。特に平成時代に卒業した人は高校時代と言わず、学生時代に活動したクラブに対する帰属意識は希薄なようである。クラブ活動の世話をすることは結構労力と気合いが要るものだが、果たして、このOB・OG会がどのようになるか余談は許さない。しかし、若い頃に情熱を燃やした部活動への郷愁が現代に生きる人たちにどれほどの影響力を持っているかを知る上でもこの会合に注力する意味があるのではないかと考えている。
2012.11.10
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今月7日にアメリカ大統領選挙があり、現職のオバマ大統領が再選を決めた。アメリカ51州の総選挙人数は538人で、最終得票は、オバマが332票でロムニーが206票という結果となった。各候補は州単位の選挙で、その州を抑えると、州の選挙人全てを獲得するという総取り方式であるから、選挙人数が多い州を抑えると有利である。オバマは最大票田のカリフォルニア州や北部のニューヨーク州などを抑えた一方、ロムニーは南部の大票田である、テキサス州を抑えての接戦であった。オバマ氏は東海岸や西海岸の大方を抑え、ロムニーはアメリカの内陸部を抑えたという格好だ。フロリダ州を残して現職のオバマは再選を決めたが、最後まで帰趨がもつれたフロリダ州もオバマが抑えて、29人の選挙人の票を獲得してロムニーを突き放した格好だ。選挙中には接戦と報じられた大統領選だったが、結果はオバマの圧勝の形で終了した。かつて、アル・ゴアがブッシュとの対戦で最後まで揉めた時のフロリダ州の二の舞には成らなかったようだ。オバマは北部工業地帯の各州や黒人票及びヒスパニック票を順調に獲得しての勝利だったようだ。しかし、得票数と得票率を見ると、(フロリダ州確定前)ではオバマが6963万(50%)に対し、ロムニー(5700万(48%)であって、その差は僅かである。過去4年間のオバマの業績がロムニーを圧倒するまでには至らなかったと言うことだろう。しかし、とにもかくにも黒人(有色人種)初の大統領は、2期目の4年間にはいることになった。アメリカのお祭り騒ぎの大統領選は、1年を掛けて、繰り広げられる1大イベントであるが、一旦就任すると余程のことがない限り向こう4年間の就任は確保されるわけで、日本のように日替わりにはならないので安定感があって良い。当選が決定したらロムニーは潔く敗北宣言を出し、オバマはノーサイドを訴える。オバマの場合、特に経済政策がキーポイントになるようだ。アメリカも、議会は共和党が過半数を制したようで、日本と同じねじれ現象である。超党派で乗り切りたいとしているが、「財政の壁」と呼ばれる「実質的な増税」や「強制的な歳出削減」に如何に対応するかである。日本にとってアメリカの動向は注視しなければならない。経済ももちろんだが、外交政策についても、中国に寛容なオバマ政権となっては、日本が軽視される傾向にあると言っても良い。と言うよりも、共和党のロムニーよりも中国との関係をより重視していくだろうからだ。中国との関係をより柔和に考えているオバマが、東南シナ海における中国の出方に如何に対応していくかが、目下の日本にとって重要な問題となる。2年前から「同盟のジレンマ」を感じ始めた日本だ。まだ(1)戦争に巻き込まれる不安は逼迫していないとしても、(2)アメリカに見捨てられるのではないかと言う点でオバマはロムニーより日本にとっては手強い相手だ。共和党のブッシュ政権から知日派とよばれる人々は次々といなくなり、かつて日本を通り越して中国と接近したニクソンのようにアメリカの関心はすでに中国へと移り「ジャパン・パッシング(日本素通り)」の兆しもある。早くも次期大統領を見据えて、クリントンは政権を去るようだが、彼女は米中関係を「今世紀の世界で最も重要な2国間関係」と打ち出していてその傾向は変わらないだろう。現にオバマの演説で「Chaina」の言葉は多用されたが、「Japan」の言葉は無かったという。現防衛大臣の森本敏も野にあったときからオバマ政権は財政を緊縮する上で、かさんだ戦費を抑えるために、対外関与を減らすと目されるとして、それは中国やロシアとの協調路線に傾き、米中関係が進展することは避けられないとみていた。19世紀のイギリスの宰相であるヘンリー・ジョン・テンプル(パーマストン卿)がいみじくも言った「国家には永遠の友も同盟国もない。あるのは永遠の国益だけだ。」の言葉を噛みしめるときが来たのかも知れない。馬鹿鳩が対米関係にくさびを打ち込んで以来、日米関係は極度に悪化し、アメリカの対日政策は大きく変化していると感じる。自国を自国で守れず、アメリカに依存しながら、アメリカを悪し様に扱う日本は、アメリカにとってパーマストン卿が発したことばをより強く感じさせる結果を招いたと言うことかも知れない。オバマは、有色人種の中でも、日本人が南アフリカで採られた準白人級であったのとは違い黒人である故に、如何に世界を生きていくかをよりよく知っていると思われる。これからの4年間アメリカ頼みを脱するには如何にあるべきかを考える時期が来たようだ。
2012.11.09
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木曜日の恒例である小学校の放課後学習会はこのところ2回抜けてしまったので、随分と久しぶりの感じがする。その間、教育デーがあり11月1日には小学校で、学校地域ネットワーク交流会(仮称)が行われた。小学校に関係した人たちが集まる会合の1回目だが、なかなか盛況だった。学校当局やPTA(運営委員会)は勿論だが、学校協議会を始め、ゆめ支援本部、安全ボランティアそして私が所属する学習ボランティアの皆さんが一堂に会し、その数、約30人であった。様々な視点からの意見はただ拝聴するだけに終わったが、子供達に注がれる地域の愛情は、並々ならないものを感じた。老人パワーではあるが、その一角を担うことが出来て光栄である。過去1年間PTAの会長をやってきた比較的若い人は、現在は学校協議会の委員として子供達の日常を語っていたが、安全ボランティアや、学習ボランティアに正当な評価を下していた。こういった親ばかりなら、子供を育成する上で楽だろうと思うのだが、何時如何なるきっかけで、そんな子供達中で、なぜ、何人かの素行が歪んでくるのかとの思いに駆られた。池田小学校の事件以来、安全のボランティアは各学校で取り組んできているところだが、この学校も同様に注力しているとはいうものの、なかなか人手が足りないというのが、実情のようだ。子供の安全は何にも増して確保されなければならないが、なかなか理想的には行かないようだ。私が関与する学習ボランティアも20人ほどの学童を見ているのだが、通常4人程度のボランティアではとても間に合わないというのが実情だ。20人を4人であるから、1人は5人を担当すれば事足りるとの計算になるが、そうはいかないのが現実だ。隣のことじゃれ合う子や、ランドセルの中身をぶちまける子、さらには立ち歩いて黒板に悪戯書きをする子など様々で、ボランティアの見学に来た人に案内した人が「何しろ、席に付かせるのが先ず仕事ですから」と説明していたのに共感できた。学習ボランティアとは聞こえが良いが、大学受験を控えた高校生の塾ではないのだから、内容は至極簡単であり誰でも参加できるわけだが、子供を席に付かせることについてのノウハウを持ち合わせていないので、右往左往するばかりだ。しかし、今日の2年生は、前に比べて少し整然としてきた感じを受けた。それでも私1人が相手できる人数は、限られている。飛び飛びの学習会なので、子供の顔さえも、逐一解答のプリントに書かれた名前を見てしか解らないありさまで、なかなか的確に対応が出来ない。「君は・・・だね。」では迫力がないわけで、「○○君はとても良いね」と名前を呼ぶ方が伝わりやすいからだ。名前を覚える努力はしているが、なかなか臨機に出来ないというのが実情だ。それでも何回か接していると、子供の性格なども垣間見えてくるわけで、こちらも学習しているというわけだ。今日の宿題は、国語の音読と六の段と七の段の九九の暗記であった。音読は、「ビーバーの大仕事」という内容で、木をかじって、川で云々と、教科書の2ページ程度の内容を読むのである。すらすら読める子やたどたどしい子もいる。読み終わったら連絡帳に「すらすら読めた」とか、「つかえながらでもちゃんと読めた」などの欄があり、そこに「おうちの人」のサイン欄に署名するわけだ。たどたどしい子には「もう1回!」と注文を付けると、今度はよりよく読める。赤字で、「よくよめました」とコメントを書く。すると子供は納得するのだ。九九ではカードを見なくてちゅうですらすら言える子もいれば、カードを見ながらたどたどしく言う子もいて、既に差がつき始めている。中には「ろく(6)れい(0)がれい、ろくいち(1)がろく・・・と順番には云えるが、急に「ろくごは?」と聞くと戸惑って、最初から始める子もいてなかなかである。国語の書き取りもあって、教科書の副読本の内容をノートに書き写すのだが、これもすんなり書く子や、1行書いては、よそ見をしてしまう子など様々だ。どんな字を、と覗くと、乱雑な字を書く子や、枡一杯に綺麗に大きく書く子もいる。綺麗に書く子を見かけると、殊更に大きな声で誉めるようにしている。子供達の間でも一定の了解があるのだろうが、誉められた子は内心嬉しいに違いない。とそう思う。この頃の子は誉めて育てるのが一番で、誉められて気を悪くしないのはどこでも同じであると言うのが私の信条である。今日は今までにないことだが、早く宿題を終えたのか、三々五々、「もう、帰っていいですか?」という子が大勢いた。その一方で、9人ほどは時間が来ても終わらず、延長して、最後までやり遂げる姿があった。1~2の児童は最後までやんちゃをして私のノートにも自分の名前や、私の名前を落書きして帰ってくれた。難しい漢字も自分の名前なら書けるようだ。記念に取ってある。
2012.11.08
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高校時代の先生が主催するゴルフコンペに参加して、今回が4回目である。前回は体調が悪く参加できなかったので、1年ぶりと言うことになる。今回も前々回同様、私と、元バスケットボール部(友人B)と野球のクラブ活動をしていた(友人C)の3人である場所は何時もと同じ猪名川国際CCである。朝は6時30分に家を出て、いつものように友人Aをピックアップ、友人BをJR高槻駅でピックアップして、前回同様、茨木ICから名神高速に乗り、中国道の豊中ICから一般道に入る道を選んだ。スタートはインからで、今回も我々3人は、5組目の最終である。1つ前の人のクラブの値段を聞いてびっくりした。ドライーバー1本が24万円で、フルセットは120万円かかったのだという。凄い人がいるものだ。No.10(M)は、かなりな打ち降ろしのミドルで、少し右にドッグレッグだが、ティーショットは、フェアウェイにかかる左ラフだ。2打目は何と大天ぷらで、3打目も届かず、4打目をトップしてさらに返しをチョロし、6オンの2パットでダブスルコアだ。情けなくなる。友人Bはダボ、友人Bはボギーである。No.11(S)は、広い谷越えのショートホールで今日の距離は135YDだ。6Iで5mにワンオンし、パーだった。友人Bは左に引っかけてOBし、プレ4からダブルスコア、友人Cボギーだった。No.12(L)は、544YDと長く超打ち降ろしのドラコンホールだ。先輩に貰ったドライバーではなく、間違って自分のを使ったが、まずまずだ。2打目は当たり悪く、ゴロの状態で、カート道を少し越えた左ラフだ。3打目は何と、直前の250YD杭に当たり跳ねて右側ラフに飛んだ。4打目で、やっと残り100に付けた。また、5打目をトップし6打でやっとニアオンだ。そこからパターで3つ叩き9打である。友人Bはダボ、友人Cは私と同じだった。No.13(M)、440YDのミドルで若干打ち上げ気味のティーショットになるが、2打目からは、極端に打ち降ろしのうねったホールである。ティーショットはまずまずの飛びだ。2打目はクリーンに当たり、左ラフで、残り100YDとなった。ところが何と3打目をシャンクして、右ラフで残り50YDと真横に飛んだ。4オン、2パットのダボである。1タッチ目のフィーリングは良く5cmに寄せた。友人Bも3パットのトリプルで、友人Cはダブルスコアだ。No.14(M)は、250YDと距離は短いが、ティーグランド直前に大きな谷があり、これを越えるのが一苦労といった、谷を越えてから打上のミドルである。右に飛び、辛うじて谷越えを果たし150の打ち上げを残した。前の組が空くのを待って振ったが何と5Iのつもりが、クラブを間違えて7Iでは届かない。3打目をまたトップして向こうのバンカーに入れ、返しは出るだけの5オン。2パットのまた、トリプルだ。ここでは全員がトリプルだった。No.15(L)は超打ち降ろしだが、2打目が谷を越える変則的なコースで、ティーグランドから谷迄は230YDである。普通、ドライバーは持たないようだが、私は、ドライバーで当たりはまずまずの残り190YDだ。ローカルルールで、2打目のティーアップが可能だったので、再びドライバーで挑戦し、何とか谷を越えた。135YDの打ち上げを8Iでチョロして、4打目も届かない。5打目でやっとピンに当たり20cmに乗って1パットのダボだ。友人達はそれぞれ3パットして私と同じだった。No.16(S)は、殆どフラットかやや下り気味のショートで、アゲンストの風だったが、ニアオンした。1パット目が弱く、3パットのボギーだった。友人Bはグリーン左からパー、友人CはボギーだったNo.17(M)は、これも、超打ち降ろしのミドルで、NO.15と同じように2打目が池越えである。ここはドライバーでも谷までは届かない。私は185YDくらい残した。ここもローカルルールで、2打目のティーアップが許されている。しかし、アゲンストの風も災いして無念にも前の谷に落下。プレ5からの2パットで、トリプルだ。友人Bも2打目谷落ちである。友人Cは1打目を右にOB、プレ4から谷を越したが3パットでやはりトリプルだった。グリーンで正に屈もうとしたとき、後続が打ち込んで来てすんでの所で直撃を食らうところだった。文句を言ったが、平謝りの相手はマナーを知らない若造だった。前半最後のNo.18(M)はFWが右に大きくスロープしている緩やかな360YDの打上で、当たりはまずまずでFWセンターだ。ここは、相当飛ばさないと、皆傾斜で同じ凹みに集まる仕掛けである。2打目は超クリーンに当たって、残り60YD。3打で届かず、4オンするも、グリーン傾斜でエッジまで戻った。念力の2パットでやっとダボである。友人Bもダボ、友人Cトリプルだった。昼食はバイキングとつい食べ過ぎになるのをこらえて、野菜を多く取った。後半のアウトのスタートティーに行くと、高槻カントリーほどではないが、眼下に紅葉があり、やはり狂い咲きの桜が2本8分通り咲いていた。No.1(M)は、打ち降ろしで、比較的よく振り切れて、120YDを残す、FW右サイドだ。しかし、2打目を打ち損ねて、ゲインは少ない。やっと3オンしたが3パットでダボだ。2人の友人達は共に綺麗にドラーバーを飛ばし、2オン2パットの理想的なパーであった。No.2(L)は、池越えロングで、まずまずのFWセンターだ。2打目もクリーンに当たり、FW左で残りは170YDだった。3打目も良い当たりだったが、少し右に出てキックが悪くバンカーに落ちた。4打はバンカー脱出だけで、4mのオンをスリーパットと散々で、トリプルだった。友人Bはボギー、友人Cはすんでの所で崖に池に落として、プレ4からのダボだった。No.3(M)は、打上で、右に出てラフの掛かりに落ちた。2打目は超クリーンに当たり、残り50YDの砲台打ち上げだ。3オンして2パットとボギーはまずまずだ。友人2人も揃ってボギー上がりだった。No.4(S)は、なだらかな打上のショートで、左は山が被り、前が見づらい。距離は135YDプラス打上分20YDとある。バフィーも気負って当たらず、グリーンには届かない。2打目をまたトップして、グリーンの向こへ。友人Bは1パットのパー、友人Cは3パットしてダボである。No.5(M)は、335YDの打ち下ろして打上のミドルで、当たりは良く、残り120YDに飛んだ。しかし、2打目を気負ってまた、チョロし、ゲインは少しだ。3打でオンしたが3パットしてしまいダボとした。友人Bはボギー、友人Cは、3パットの7つを叩いた。No.6(M)は、超打ち降ろしであるが、左右の山が迫っていて、昔はかなりなプレッシャーであったが、今はさほどには感じない。少し高く上がって距離は出なかった。2打目はクリーンに当たり、右ラフに出て、残りは50YDだ。5mの下りラインに3オン、2パットのボギーである。友人Bは3パットのボギーで、友人Cはティーショットを左に引っかけOBで9打叩いた。No.7(S)は、最後のショートで、超打上だ。7Wで届かず、2打目を相変わらずトップでGR向こうへ。返す3打をまたチョロの7mにやっと4オン。1パットは良かったが、ダボとした。友人Bは左に出して、あわやのOB。上がってダブルスコアだった。友人Cは2オン2パットのボギーで上がった。No.8(M)は、ホールの右は広いが、左は山がせり出している。ティーショットは、少し引っかけて左山裾だ。2打目をクリーンに当て30YDに付けた。3オンまでは良かったが、何と3パットで、ダボである。友人Bはティーショットを私のすぐ隣に落として、そこから同じくダボ上がりだ。友人Cも同じくダボだった。最終のNo.9(L)は、谷越えの打ち降ろしだが、2打目から打上で、向こう側の土手に届かないと苦しいことになる。谷を越え、辛うじて右のラフに落ちた。2打目、3打目を連続チョロし、やっと4オンし、最終パターは3つ叩いて、トリプル上がりとしてしまった。友人2人は共にボギーだった。終わって表彰式では、和気藹々のうちに終了した。谷越えが、合計6つ、そのうち、2打目の谷越えが2ホール有るのは何となくプレッシャーで、且つ難しい。今日のグリーンはクラブコンペの後だったせいか非常に早かった。
2012.11.07
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第百五十一段【本文】 或人の云はく、年五十になるまで上手に至らざらん芸をば捨つべきなり。励み習ふべき行末もなし。老人の事をば、人もえ笑はず。衆に交りたるも、あいなく、見ぐるし。大方、万のしわざは止めて、暇(いとま)あるこそ、めやすく、あらまほしけれ。世俗の事に携はりて生涯を暮すは、下愚の人なり。ゆかしく覚えん事は、学び訊くとも、その趣を知りなば、おぼつかなからずして止むべし。もとより望むことなくして止まんは、第一の事なり。【訳文】 ある人が言うことには、年が五十歳になるまで、上手の域に達しない芸ならば、その芸を捨ててしまうのがよいのだ。その年になると、精を出して稽古のできる将来もない。老人がやる事をば、人も嘲笑することができない。また、老人が大勢の人たちの間に仲間入りしているのも、下らなく、みっともないものだ。大体、五十以後は、世俗的な一切の仕事は廃して、ひまがあるのが、見よく、また願わしいことである。世間の風習からくる俗事にかかわり合いながら一生を過ごすのは、最も愚かな人である。知りたいと思われることは、他人に教えを受け、尋ねても、その大体の様子がわかったならば、一通り不審がなくなったというくらいで中止するのがよい。最初から、何も知りたいという望みを起こすことがなくてすませるなら、それが一番よいことなのだ。【注釈】・あいなく:くだらなく・めやすく:見よく、体裁良く・下愚:最低の愚かさ・ゆかしく:知りたい第宵五十二段【本文】西大寺、静然上人、腰屈まり、眉白く、まことに徳たけたる有様にて、内裏へ参られたりけるを、西園寺内大臣殿、「あな尊の気色(けしき)や」とて、信仰の気色(きそく)ありければ、資朝卿、これを見て、「年の寄りたるに侯」と申されけり。 後日に、尨犬(むくいぬ)のあさましく老いさらばひて、毛剥げたるを曳かせて、「この気色尊く見えて候」とて、内府(だいふ)へ参らせられたりけるとぞ。【訳文】 西大寺の長老、静然上人が、腰がまがり、眉が白く、ほんとうに徳のそなわっているらしい様子で、宮中に参内なさっていたので、西園寺の内大臣殿が、「ああ、何とも尊い様子だなあ」と言って、尊信する様子が見えたところ、日野資朝卿が、上人を見て、「あれは、年をとっているのでございます」と内大臣殿に申し上げられた。 後日になって、むく犬で、あきれるほどひどく年をとってやせ衰え、毛が所々剥げているのを人にひっぱらせて、「この犬の様子は、尊く見えることでございます」と言って、西園寺の内大臣殿のもとへさし上げられたということである。【注釈】・尨犬:むく毛の犬・内府:内大臣の唐名・参らせる:差し上げる第百五十三段【本文】 為兼大納言入道、召し捕られて、武士どもうち囲みて、六波羅へ率(ゐ)て行きければ、資朝卿、一条わたりにてこれを見て、「あな羨まし。世にあらん思ひ出、かくこそあらまほしけれ」とぞ言はれける。【訳文】 為兼の大納言入道が、逮捕されて、多くの武士がまわりをとり囲みながら、六波羅探題の庁舎へ連行したところ、資朝卿が、一条大路のあたりでこれを見て、「ああ羨ましいことだ。この世に生きている思い出としては、あのようでありたいものだ」と言われた。【注釈】・為兼:京極為兼第百五十四段【本文】 この人、東寺の門に雨宿りせられたりけるに、かたは者どもの集りゐたるが、手も足も捩ぢ歪み、うち反りて、いづくも不具に異様(ことやう)なるを見て、とりどりに類なき曲者なり、尤も愛するに足れりと思ひて、目守(まも)り給ひけるほどに、やがてその興尽きて、見にくゝ、いぶせく覚えければ、たゞ素直に珍らしからぬ物には如かずと思ひて、帰りて後、この間、植木を好みて、異様に曲折あるを求めて、目を喜ばしめつるは、かのかたはを愛するなりけりと、興なく覚えければ、鉢に植ゑられける木ども、皆掘り捨てられにけり。 さもありぬべき事なり。【訳文】 この資朝卿が、ある時、束寺の門に雨宿りをなさっていた折りに、そこに大勢集まってすわっていた不具者(かたわもの)たちが、手も足もねじれ曲がり、そりかえって、からだのあちこちが不具で異常な様子であるのを見て、「みな、それぞれに、類のない変り者だ。大いに愛賞するだけのことがある」と思いながら、じつと見守っておられたうちに、たちまちにそのおもしろみがなくなって、見づらく、また不快に思われたので、こんな変り者は、ただありのままで珍奇でない物には及ばないと思って、邸に帰ってから、近ごろ、植木が好きで、普通のとちがっていて、曲がりくねっているのを探し出して、自分の目を楽しませていたのは、あの不具者をおもしろがるのと同じことだったのだと、興ざめに感ぜられたので、鉢にお植えになった、多くの植木を、全部、鉢から掘り出して、お捨てになってしまった。 いかにも、そうもありそうなことである。【注釈】・かたは者:不具者達・いぶせく:不快に第百五十五段【本文】世に従はん人は、先づ、機嫌を知るべし。序(ついで)悪しき事は、人の耳にも逆ひ、心にも違ひて、その事成らず。さやうの折節を心得べきなり。但し、病を受け、子生み、死ぬる事のみ、機嫌をはからず、序悪しとて止む事なし。生・住・異・滅の移り変る、実(まこと)の大事は、猛き河の漲(みなぎ)り流るゝが如し。暫しも滞らず、直ちに行ひゆくものなり。されば、真俗(しんぞく)につけて、必ず果し遂げんと思はん事は、機嫌を言ふべからず。とかくのもよひなく、足を踏み止むまじきなり。 春暮れて後、夏になり、夏果てて、秋の来るにはあらず。春はやがて夏の気を催し、夏より既に秋は通ひ、秋は即ち寒くなり、十月は小春の天気、草も青くなり、梅も蕾みぬ。木の葉の落つるも、先づ落ちて芽ぐむにはあらず、下より萌(きざ)しつはるに堪へずして落つるなり。迎ふる気、下に設けたる故に、待ちとる序甚だ速し。生・老・病・死の移り来る事、また、これに過ぎたり。四季は、なほ、定まれる序(ついで)あり。死期(しご)は序を待たず。死は前よりしも来らず、かねて後に迫れり。人皆死ある事を知りて、待つことしかも急ならざるに、覚えずして来る。沖の干潟遥かなれども、磯より潮の満つるが如し。【訳文】 世間の風習に従って行こうとする人は、何はおいても、物事の都合よくゆく時機を知らなくてはならない。事の運ばれる順序に適しないことは、他人の耳にさからい、心にもそむいて、その物事がうまくできないものである。そうした時機をわきまえなくてはならない。ただし、病気にかかること、子を産むこと、死ぬことだけは、時機を考慮することがなく、順序がよくないといって中止となることがない。生じ、存続し、変化し、滅び去るという、物が変移してやまない、真実で、重大な事実は、ちょうど、水勢のはげしい河が満ちあふれて流れるようなものだ。少しの間も停滞することなく、どんどん実現してゆくものなのである。したがって、仏道の修行および俗世間の処世に関して、きっとやりとげようと思うことには、時機のよい・わるいをいってはならない。何やかやと準備することなく、足ぶみしてその実行を中止してはならないのである。 四季の移り変わりも、春が過ぎた後で、夏になり、夏が終わってから、秋がやって来るのではない。春は、そのうちに夏の趣を起こし始め、夏の間からもう秋の趣が入りまじり、秋はすぐに寒くなり、冬の初めの十月は、小春の天気の暖かさで、草も古くなり、梅もつぼみをつけてしまう。木の葉の落ちることも、先に葉が落ちて、その後で芽が生ずるのではなくて、葉の下から芽を出し、その勢いの進むのにこらえきれないで、古い葉が落ちるのだ。これは、葉の落ちる時機を待っている生気を、木の内部に成しているために、待ち受けて交替する順序が非常に速くて、続いて起きるのである。人間の生涯に、生・老・病・死がつぎつぎに変化してやってくることもまた、自然界の変化よりまさって速いのである。四季の変化は、それでもやはり、きまった順序がある。が、人の死ぬ時は、順序を待たないで、突然やってくるものなのだ。その死は、前方からと限ってやって来るものではなくて、それよりさきに、人の背後に接近しているのだ。人間はみな、自分に死のあることがわかっていながら、それほどにも、死を待ち迎えることが切迫していない状態でいる時に、死は不意に到来するのだ。それは、ちょうど、沖の方の干潟が遠くに見えるけれども、潮のさす時は、海辺の磯から潮が満ちてくるようなものである。【注釈】・機嫌:そしり嫌う・生・住・異・滅:(四有為相)生は物が生じること、住は物がある期間存続すること、異は存続しながら絶えず変化していくこと、滅はやがて滅び去ること・真俗:真は真諦(出世間の法・道理)、俗は俗諦(世間の法・道理)・とかく:あれやこれや・生・老・病・死:「四苦」人間を苦しめ悩ますもの
2012.11.06
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前回のコンペで、高槻カントリーの紅葉は綺麗だと話したところ、連れ合いは、その紅葉を見たいという。ではと、ついでにゴルフもと言うことで、2人で、ラウンドすることにした。病み上がりの友人夫妻にはまだきついかと敢えて声を掛けなかった。朝は通常コンペと同じ位の時間に出発した。やや曇りで、午後からの雨が心配だったので早く終わりたいという気もあった。早く着いて、スタート時間も早めにスタートできた。(8:21→8:05)今日はインからのスタートで、前も夫婦の2サム、後ろは男性3人組だった。No.10(M)のティーショットは、まずまずFWCRである。2打目も快調だが、左ラフだ。アプローチはややトップ気味で、GR向こうへ。返す4打をチョロして、1パットのダボスタートだ。連れ合いは余り良くなかった。No.11(S)は、5Iでもう少しだったが左バンカーへ。脱出は30cmにナイスオンで1パットのパーを拾った。連れ合いは2オン2パットのボギーとした。No.12(M)は、クリークのあるミドルで、ティーショットはFW右の60YD残しだ。2打を失敗してクリーク手前で止まった。3打で良いところに乗せたが、2パットしてボギーである。連れ合いは3パットだった。No.13(M)は、右が崖の、コンペではドラコン・ドラ短ホールだ。振り切れてFWCRへ。2打目も良く、バンカー越えの左ラフだ。アプローチは良かったが、若干向こうにこぼれた。4オンの2パットのダボである。連れ合いは、ティーショットがなかなか良い当たりだったが、上がりはトリプルだ。No.14(S)は、打ち降ろしで、グリーン手前は池である、今日のグリーンは左で、150YD打ち下ろしだ。7Wで一寸左にそれた。2オンしたものの、何と3パットで、ダボである。痛い。連れ合いも良くない。No.15(M)は、ドライバーの当たりは低い弾道で超が付く快打だった。しかし、2打目をダフって前のFWバンカーに入れた。(余裕があったので練習で打ち直すとGR手前に快打だった。)3打目を7Iで脱出GR手前右ラフに落とした。4オンの2パットでダボ。連れ合いは3パットでトリプルだった。No.16(L)は、当たりが悪く右バンカー手前だ。2打目はクリーンに当たり残り150YDの左足下がりに運んだ。続く3打目で隣の右グリーンにオンした。そこから90cmに4オンし、1パットでパーを拾った。連れ合いは2打、3打は順調で、アプローチも30cmに付けたが、ティーショットのOBがあったので2桁だった。No.17(M)は、右ドッグのコンペではドラコンホールだ。ティーショットは、FW右にまずまずだ。2打目は低めの球で、右ラフ80YDに落ちた。3打目は上り分だけショートし、4打で1.5mにオン。しかし惜しくも2パットで、ダボだった。連れ合いはティーショットと2打目も良く、上がりは私と同じだった。前半最終のNo.18(L)は、右土手からFWへと思惑通りだ。2打目は少し当たりが悪かったが、残り170YDの右ラフだ。3打目の5Iは失敗で、残り60YDの右ラフに進んだだけだ。アプローチもやや足らずで、5オンの2パットでダボだった。辛うじて50を切った。連れ合いは、ティーショットを私の前まで運んだり、池に落としたものの、アプローチを30cmに寄せるなど、同スコアでの上がりだった。昼食にドリンク券が付いていたばかりに生ビールを飲んでしまい午後の3ホール辺りまでは、お腹が窮屈で、困った。レストランの窓外に見える紅葉は実に美しかった。No.1(M)は、軽く振って右FWだ。2打目は何と左に行きすぎて土手の下に止まった。前下がりが気になったが、ここで大失敗のシャンクはまさかの右バンカーに入った。脱出はトップ気味でGR向こうへ。5オン2パットのトリプルスタートは痛い。連れ合いも少しのビールで調子は悪い。No.2(M)は、右に出てFWを少し外したラフ。しかし、2打目は超クリーンで、50YDの上りを残した。3オンし1パット目の狙いが少しはずれて2パットのボギーである。連れ合いは未だ調子が出ない。No.3(M)は、比較的長いホールで、左の小山が突き出ている。ここは思惑通りそのカート道を使って、少し距離をゲインした。2打目は少し左に引っ張ったのか、ラフに落ちた。アプローチをGR向こうにこぼし、4オン2パットのダボだった。連れ合いは、今日1とも今迄1とも云える快ショットで、FWCRを捕らえた。上がりは私と同じである。No.4(S)は、フラットなショートで、近い方の左グリーンだ。クラブ選択を誤ったか、GRに届かなかった。2打目のランニングアプローチも失敗して、3オンの2パットでダボある。連れ合いはトリプルだった。No.5(L)は、右ドッグレッグの池有りコースだ。ティーショットは当たりは良い感じだが、右のラフに落ちた。2打目は5Iで軽く打ったがFWCRに巧く運べた。3打目は当たり損ないだったが、結果はまずまずのGR手前のラフだ。池越え4打目がGRに届かず、5オンの2パットでダボだ。連れ合いは1打多い。No.6(M)は、やや不満の右ラフだ。2打目も最悪でチョロ。3打目でやっと左ラフ70YDだ。4打目でニアオンし、そこから2パットで、ダボである。連れ合いはまた2桁だった。このグリーンから振り返ったコース左の紅葉はとても綺麗だった。No.7(M)では、少し雨が気になったが小雨でまもなくあがった。距離の長いハンディキャップ1のミドルで、コンペではドラコン及びドラ短ホールだ。当たりはまずまずで、FW右に落とした。2打目はクリーンに当たり、残り95YDだ。3打目を僅かに左に外したが4オンし1パットで沈めて、ボギーである。連れ合いは、今日2番目かと云えるティーショットで、私とほぼ同じ、ラフに落ちた。上がりは3パットで8打になっていた。No.8(S)は、横長のグリーンで、カップはバンカー越えだ。ここは鬼門であるが、案の定右の崖下に直撃で落とすOBだ。派手なジェスチャーに後続男性達に笑われた。打ち直しはバンカー手前で、アプローチはやや強くGR向こう。上がりはダブルだ。連れ合いも同じスコアだった。最終No.9(L)は、ティーショットは思いの外距離が出ず、右の木の10YD手前のラフだ。2打目はまぁまぁだが、スロープ下のFWには届いていなかった。3打目はライが悪くダフって、残り150YD。4打をマウンドの上に運んで、5オンの2パットでダボ上がりだ。連れ合いのダウンスロープ前の第3打は、素晴らしい当たりだったが上がりは良くなかった。結局、あれこれで、後半は50越え、100をオーバーしてしまった。なかなか100が切れないなぁ。早いスタートだったので、ホールアウトは13:05で、心配した本格的な雨にも遇わず、ゆっくり出来た。
2012.11.05
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日経、日曜日の「日曜に考える」である。東京大学藤本隆宏教授と三菱重工業佃嘉章副社長(社長ではないかと思うが・・・)に日経社員がインタビューした形式で書いてある内容によると、なかなか面白い。現在、重工業の社長は、私の年代か少し若い年代の人が多く、そう言った意味でも興味がある。しかし藤本教授は、1世代若い年代である。藤本教授に依れば、日本の製造業の先行きは決して憂慮するものではなく、過剰な悲観論は返って士気を阻喪させるだけだとの見解である。インタビュアーは、あくまでも日本の製造業は危機に瀕しているとの見方でインタビューしている。その根拠は、ソニー、パナソニック、シャープと言った電機産業の巨額赤字計上などがあるようだ。これに対し、藤本教授は個別産業の業績悪化はいつの時代にもあったと切り捨てる。今期初の貿易赤字についても、現在も数十兆円規模の輸出があり、近視眼的には赤字の貿易収支も、ほぼ均衡しているではないかとの見方だ。海外に拠点を移す企業が多い中、日本にあっても十分にやって行ってる現場があるというのだ。日本にしか出来ないことは未だあって、新興国の賃金高騰を見れば生産性を上げていくことを地道に続ければ、勝機が再来するというのだ。この点は、マスコミが不安を煽るような行きすぎた報道への警鐘だろうかと感じた。私は造船出身だが、我々は、韓国にマーケットを掠われてしまったが、その韓国も賃金上昇の洗礼を浴び、中国に王座を譲る結果となった事を知っている。労働集約型の産業では、こう云ったことは当然予期されるものであることは、佃社長も言っている。安い労働力を求めて中国に進出して、今回の尖閣騒動以外でも、賃上げ要求が各所で起こり、初期のうま味は薄れつつあり、次第に、より安い労働力を求め東南アジアへ、シフトする傾向にある。やがては東南アジアも目覚めて、アフリカへ向かうなどと言ったことが起こるかも知れない。従って、闇雲に海外進出するのは考え物で、生産性が高く、かつその高さを継続するためには国内拠点は必要との見解であり、当然のことと思う。政府や経団連は、法人税の一括引き下げを叫ぶが、一律ではなく、日本で雇用を維持する企業には手厚くと言うことを考えるべきで、アメリカ既にその方向であるという。佃社長への質問にインタビュアーは「六重苦」と言う言葉で、質問を始めているが、「六重苦」とは1、円高 2、電力不足 3、高い法人税 4、自由貿易協定交渉の遅れ 5、環境対応 6、労働規制であり、確かに円高が輸出産業には酷でも、輸入産業はほくほくしているのであり、一概に言えない。円高還元セールなどを見かけるが、還元の割合は、そのメリットよりも低いのが現状である。今や造船業とは云えない三菱重工だが、佃社長は造船分野でも日本の優位性を保つことは出来ると言っている。それは、客船であり、部品数が普通の商戦の40倍もある物量の裁き方などは、低い技術力ではこなせないと言っているのだ。中国が造船業のトップになったとはいえ、彼らは既にある図面から安価な船を増産することには長けても、無から有を造ると言った創造的分野ではとても太刀打ち出来ないというわけだ。三菱重工はかつて、その出来ない部門の技術力を中国に与えてきたので、今日の軒を貸して母屋を取られる現状を生んだのだが、客船を造るという特化したことについては、そのノウハウを渡していないようだ。これは三菱重工だから云えることかも知れないが、ともかく、既存の製品などは常に陳腐化することを念頭に置いて、新しいものを求め続けると言ったことも、生産性の向上に日々努めることと相まって重要な要素になるであろう。佃社長はまた、もう1つのポイントとして、サービスというキーワードをあげていた。サービス業ではないのに何故と思うが、例えば船のエンジンについても引き渡したエンジンの稼働状態を鑑みて、次の点検日を示唆したり、適切な助言を行うことだと言っている。事実ガスタービンなどでは、遠隔監視センターを設け稼働状態をチェックするなどして、タービンの点検日を助言するという事を行っているという。BOT(Build-Operate-Transfer)の先を行くビジネスモデルかも知れない。日本の空洞化を防ぐ重要ポイントは、技術やノウハウ、知恵を伝承することであり、伊勢神宮の20年遷宮の知恵を企業も真似たいところだとしている。1990年、「製造業は永遠です」を書いた牧野昇から20年余、その後1993年に当時三菱重工業の会長であった飯田庸太郎が「技術ひとすじ」で述べたように、「技術」と言うバックボーンが有れば、道は自ずと開けると言うことは現在もなお通用することであろう。
2012.11.04
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今日、文化の日は友人の年1回の謡・仕舞の発表会である。昨年は失念して、別のグループとの高野山登山に行くことになり欠席した。今年は早々と予定に組み込んでいたので、出席することが出来た。去年は、連れ合いも出席して、友人も夫妻で来るとか、なかなか賑やかだったようだ。9時45分に開場とあったのでまた少し早めに出発した。梅田駅ではすんでの所で、引き返してしまうほどに寝込んでいた。しかし今日は飛び降りることが出来た。寝起きで、頭が回らなかったので、出口を間違いさらには能楽会館への道のりで少し迷った。しかし着いたときは15分ほど前で、1人の友人は既に来ていた。午前9時45分開演とあるので5分ほど早めに席についたら、何のアナウンスもなく時間通りに主催の先生の独鼓「松虫」が朗々と始まった。正面に鼓を控え、斜に構えた先生の声はなかなかのものである。30分足らずは続いたろうか、いよいよ友人の素謡「芦刈」が始まった。之も斜めに中心近くからツレの女性(左右衛門の妻)、シテの男性(左右衛門)、そして友人の演ずるワキ(妻の従者)との順で着座した。板張りに何も敷かずの着座は、さぞ苦しかろうにとは、私の感想である。芦刈の物語は、津(摂津)の国の住人である左衛門が貧乏のすえ、妻を離縁するが、妻は、京の都に上って、さる高貴な人の若君の乳母となり、生活も安定したので、従者を伴って難波の浦へ下り、夫の行方を尋ねるというところから始まる。左衛門は落ちぶれて、芦を刈りそれを売り歩く男になっていて、ある日妻の一行とも知らず、面白く囃しながら芦を売り、問われるままに、昔、仁徳天皇の皇居があった御津の浜の由来を語り、笠尽しの舞を舞って見せる。いよいよ買ってもらった芦を渡す段になって、思いがけず相手が妻だとわかり、さすがに今の身の上を恥じて、近くの小屋に身を隠すのだが、妻は夫に近づき、やさしく呼びかける。夫婦は和歌を詠み交わして、心もうちとけ、再びめでたく結ばれるというものだ。そして、さわやかに祝儀の舞をまい、夫婦うち揃って京の都へ帰ってゆくとの話だ。友人の声は、低く朗々としていて、毎年の練習で、腕を上げている事が見て取れた。難波浦がどこで、御津の浜がどの辺なのかは知らないが、歌の途中に水無瀬川が出てきたので、おそらく私の近くの淀川を下ったものであろう。眠くならないようにと、舞台の友人をスケッチしながら聴いていた。ギャラリーは友人2人を含んで、25名程度であった。「御津の浦わの見つつを契りに、帰る道こそ嬉しけれ。」を朗々と歌う後ろの地頭らの合唱は聴き応えがあった。残りの素謡「野宮」「敦盛」が住んで休憩のため場外に出て、待機中の友人を交えて暫し歓談した。私が、「芦刈」は大阪で、「野宮」は京都、そして「敦盛」は神戸が舞台なので、「三都物語とは良くしてあるものだ」と言うと、件の友人は、それには気づかなかったと言うが意図したプログラムか否か問うてみるとのことだった。配られた昼食(入場無料の上、弁当が配られるのだから何とも言えなく美味しい話だ。)件の友人は準備で去った後残った3人でまた暫し話をして、午後の友人の発表に合わせて、入場した。入場時には前の素謡「弁慶」を発表中だが、凛として舞う女性だった。やがて友人の番で素謡「玄象」が始まった。この「玄象」とは、琵琶のことで、「今は昔・・・」で始まる今昔物語の1話である。村上天皇の御代に、玄象という琵琶が突然無くなってしまい、皇室伝来の品で、大変な宝物を失った天皇は大変お嘆きになり、「このような、高貴な伝来の品が、我が代によって失われてしまうとは」と落胆する。これは、誰かに盗まれ、天皇に悪意を抱く者が取って壊してしまったのであろうと疑われた等と言った内容らしい。最初は謡から始まって、舞に移り、舞台の左手を皮切りに縦横に舞台を使って踊る様は、内に秘めたものを感じさせ、なかなか、気合いの入った舞であった。背後には太鼓、鼓、笛などを引き連れ、右には謡を発する人など、狭い舞台は、友人の独壇場になっていた。今昔物語では、玄象は、さながら生きた者のようであったようで、未熟な者が弾こうとすると、玄象は腹を立てて鳴らず、また、塵を拭かずに弾こうとしても、玄象は腹を立てて鳴らなかったそうだ。また、ある時、内裏が火事で焼失したが、誰も取り出してはいないのに、玄象は自ら庭に出て来ていたとの話である。今昔物語にはこういった有りそうでない話が満載であり、この期に少し物語を読む機会を得た。終わって、友人達とも別れ、Windows 8の発売やi-Pad miniでごった返すヨドバシカメラに立ち寄ってから帰宅した。
2012.11.03
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昨日と同じ、授業参観の2日目である。午後から高校のバスケットボール幹事会の下打ち合わせがあるので、午前中だけでもと、授業の参観をしに行った。夕方には、町の住民委員会があり、その教育部会の連中に少しでも現状を伝えることが出来るかとの思いもあった。このところとても忙しくて、2兎も3兎も追っているので、なかなかそれぞれに思うとおりのアウトプットが出せない苛立ちがある。ともあれ朝はばたばたして、1時限目の始まりには間に合わなかったが、途中から教室に入ったのは2時限目の数学の平面図形の授業である。既に黒板には問題が書かれ、木製のコンパスや定規などを使って作図中であった。昨日の図形幾何は2年の授業であったが、今日は1年が対象である。しかし、教室内が、昨日までと違って人数が半分位であった。何故かは分からなかったが、これ位(約20人弱)であれば、授業もやり易いのではないかと感じた。途中入室だから、詳しくは分からないが、先生も手際よく、指名しながら作図させていた。線分に垂直線を引くことや、角度75°を作図する方法などを勉強していて、たいした違和感もなく、授業の進みや、生徒の態度も普通の感じだ。3時限目に選んだのは3年生の国語の漢詩である。30人程度の部屋は満杯だ。私も漢詩には興味があったので、中学校ではどんなことを習っているのかとの気持ちも手伝った。部屋は1杯だが、先ず普通の感じの授業である。3年生ともなると受験が目先にちらついている故か、授業態度もやや良くなっている感じがする。冒頭、2年生で習った漢詩の復習として、作者3人の名前が挙がっていた。李白、杜甫、孟浩然である。先生の質問にしっかりと反応していた。詩の形式として、五言絶句と五言律詩、七言絶句と七言律詩の定義を思い起こさせ、「レ点」「一、二点」など基本的な漢詩の読み方や、漢字の羅列だけの白文、返り点を付した訓読文、平仮名を交えた書き下し文などの定義を思い起こさせていた。取り上げられた漢詩は杜甫の「春望」(五言律詩)である。私がメモを取っていると先生は余ったプリントを持ってきてくれた。若く溌剌として、ネクタイ姿の先生はとても好感が持てた。やはり、服装、そして言葉使いなどから始めるべしとの思いが強まった。ここに、渡されたプリントの詩を書いておく。【国破山河在 城春草木深 感時花濺涙 恨別鳥驚心 烽火連三月 家書抵萬金 白頭掻更短 渾欲不勝簪】である。読み方と漢詩のルールに重きが置かれ、意味までは深く入り込まなかったが、ついでに読み方と、意味を書いておこう。【国破れて山河在り 城春にして草木深し 時に感じては花にも涙をそそぎ 別れを恨みては鳥にも心を驚かす烽火三月に連なり 家書万金にあたる 白頭を掻けば更に短く すべて簪(かんざし)にたえざらんと欲す】【「国は破れても、山河は健在である。城内には春がめぐり、草や木が青々と繁っている。時世のありようを考えると、花を見ても涙がこぼれてしまうし、家族との別離が悲しくて、鳥のさえずりを聞いても心が打ち震える。戦火は三月になってもやまず、家からの手紙を万金に値するほど待ち望んでいる(が、来ない)。白髪頭を掻くたび、髪は抜け落ち、これでは冠をとめる簪もさせないことだろう」】である。作者にとっての春は何かとの問いの答は次回となった。充実した授業だった。4限目は年配の女性教師による3年生の理科(物理)で、エネルギーの話だ。漢詩の3年生のクラスに比べてざわついている。この差は何なのだろうか、女性教師だと侮っているのだろうか、教え方が悪いのか、はたまた生徒の質が悪いのだろうか。一寸考えただけでは分からない。位置のエネルギーと運動のエネルギーの変換を図を示して教えているのだが、全く聞いていない生徒や、他のことをしている生徒、さらには、遠く離れた生徒同士が、関係のないことを喋っていることなど、落ち着かない授業となっていた。そして、何となく授業を終えたが、終了間際はさらに生徒がざわついて、後味の悪いものになった。5限目は2年生を相手の道徳の授業である。この学校で道徳??と興味もあり参観した。若そうな女の先生で、大丈夫かなと思ったが、案の定大荒れだった。まず、入室しようと思ったが内から鍵が掛かっていた。目で合図して、中の女生徒に明けさせたが、既に不愉快である。授業のテーマは「私の存在(集団生活の向上)」であった。内容は、1.怪我などでクラブを休まないといけない時の心境を書け、2.1人だけ取り残された気持ちになったのは何故か、など、6項目について、生徒の感じ方を引き出すものだった。のこのこ、後から入室する2人の女生徒、きょろきょろしている生徒、机に伏して寝ている生徒、別な本を出して読んでいる生徒、さらに憤りを感じたのは真ん中の席で、前から2番目の生徒は終始一貫後ろを向き後ろの生徒と大きな声で話し、さらに甲高い声で笑うなど、ここは何処か疑うほどだ。先生はさすがに「何が可笑しい、ちゃんとやってや!」とはいうものの態度は変わらない。数人の生徒が聞いていただけの授業だが、最後の先生の「最後、聞いてね!」という言葉も空しかった。そんな劣悪な授業参観を終え、玄関を出ようとすると、どこからと無く背後で甲高い嬌声が聞こえた。「ここは動物園か?!」そう思いながら学校を後にした。
2012.11.02
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今日は、丸1日を教育関係で過ごした。町あげての教育週間のようで、小学校は「参観DAYS・学習発表会」があり、中学校は公開授業という催しである。私は、小学校の学習会と、中学校の土曜スクールなどに学習ボランティアとして参加しているので、その両方に関係がある。特に、小学校では連れ合いの孫が1年生だという事もあって、学習発表会には顔を出すことにしていた。中学校の公開授業での関心は、以前に体験した極めて劣悪な授業風景がどうなっているか追跡調査の観点からも是非観てみたいと思っていた。(結果は悪くなっていたようだ)朝、先ず小学校に出かけた。発表会前の孫の顔を見に行った。1年生2組のそれぞれの教室では9時40分からの発表会に合わせての準備がされていた。学習会で見慣れた悪戯好きの子供が私に気づいて「なんでいるの?」と聞くから「見に来たんだよ」と答える。既に交流が成り立っていると言うことで、少し嬉しくなる。発表会は体育館に移動して始まった。1年生の発表は、「おおきなかぶ」を全員が、身振りも交え、打楽器を叩きながら「うんとこしょ、どっこいしょ」と大きな声で発表していた。孫もご多分に漏れず一生懸命ではあるが、動作など若干クールな感じを受けた。しかしやんちゃ坊主達をここまで統制を取って指導している先生方の苦労が忍ばれた。発表を見終わると、その脚で中学校にとって返した。3時限目の授業に間に合ったが、それから昼食を挟んで6時限までの4コマを1年から3年までが万遍なく見られるように選んで参観した。3限目は3年生の英語で、アメリカ人の補助員付きの授業だ。教室は空席もあるが印象は「多い!」と言う感覚だ。テーマは「道案内」で「Could you tell me the way to ~ ?」である。内容も進め方も工夫が凝らされていて、昔私たちが学んだときには味わえなかった、nativeの発音も聞けるので、恵まれているとは思ったが、肝心の生徒側といえば、大半の生徒はまともに聴いているのに、跳ね返りと無気力な者達が目立ち先生はそれらを抑えるのにエネルギーの大半を費やしているように見えた。表だっての妨害もさることながら、深く学ぶために準備されている先生方の力が削がれているようで、この跳ね返り達の影響は、計り知れず強大であることを感じた。ブッシュではないが、私がAxis of evilと名付けた4人の生徒は、授業には関係なく、なにやらメモを持って歩き回って、回し読んでいると言った有様だった。後日このアメリカ人補助員に会う機会もあるので、感想を聞いてみたいと思っている。4時限目は1年生の国語(古文)である。学習会で聞いた生徒達の国語の成績が悪かったのが那辺に原因するかを確認したいとも思っていた。先生は若い女性だったが、教室に入るなり、いきなりざわついた感じは一体何なのだろうかと思った。1人嬌声を上げる生徒もいた。どだい古文などと言ったものはたいていの子供にとって面白くないかも知れない。それを説き聞かせるのであるから先生も大変だ。端から、跳ねっ返りを想定した挑戦的なしゃべりは少し気になるところだが、それもこれも跳ね返りを抑えるためには致し方のないことなのであろうか。内容は「いろは歌」で最期には、全員で、「色はにほへど散りるぬるを・・・」と合唱して終わった。意味の説明はなかったが、歴史的仮名遣いを理解することは出来たのだろうか。食事に出て帰って、5時限目の授業は、2年生の数学である。悪の巣窟と言われる2年生集団であるが、極悪な生徒は端から授業には出ていないようだ。内容は多角形の内角の和はと言うもので、図形幾何の初歩である。先ず3角形の内角和が180度であることを3つの角度を集めて図形上で確認することから始まって、図形が、4角、5角、6角形・・とn角形になった一般的な内角和を求めるのがゴールである。(因みにn角形の内角の和は180°×n-360°である)さて、生徒側はと見ると、だれて、机に伏している者や、席が離れた男女がお構いなしに授業と関係のないことを話していたり、前後の席同士振り返って話していたりとそれぞれが学ぶ以外に忙しそうだ。学習会で見かけた生徒達もちらほら居たが、その生徒はまだましと云いながら、なにやら授業に身が入らないようで、やんぬるかなである。授業そのものは2次元から多次元へと極限(lim)についてのイントロとして分かりやすかったように思うが、先生はしきりに「難しいな、これは」を連発していた。ざわつく生徒に「昼を食べて、眠いやろうが起きてや!」となかなか大変である。続く6限目は1年生の理科でベテランの先生である。何を隠そう連れ合いなのだ。部屋に入るなり叱咤の声が飛んでいて、従前の時限とは違った締まった雰囲気だった。理科室という、ややもするとざわつきそうな環境ながら各人に名指しで答を求めると言ったやり方はかなり功を奏しているようで、皆静かに授業を受けている雰囲気だった。それでも中に1,2名無気力そうな生徒がいたのはやむを得ないといえるだろうか。物質の沸点・融点を学ぶというもので、後半は実験が為された。それぞれ融点の違うメントール(43℃)、セタノール(50℃)そしてパルミチン酸(63℃)があり、その内の1つの物質を試験管に入れて温度計を差し込み、それを水を満たしたビーカーの中に入れ、下から火で温めて何℃で溶けるかを観察し、その物質が何かを特定するといった実験である。(因みに今日の実験では融点が最高のパルミチン酸だった)やっていることを理解しているのかどうかは分からないが、皆それぞれに実験を楽しんでいた。総じて40人程度の教室を1人の先生で受け持つのは、それが向学心に燃えた子だけならまだしも、授業をまともに聴かない子供と一緒では、無理がある上、折角学ぼうとする子供達にとっては極めて迷惑かつエネルギーの要ることだろうと慨嘆した。今日のこの結果を、何とか活かして、改善したいと思うが、何はともあれ、授業を参観している保護者が、殆ど居ないのを見るにつけ、大同して事に当たることは難しいと感じた。
2012.11.01
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