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東電福島原発について、政府ではなく、一般の識者が独自の検証をした結果が発表された。政府の資料では成しえていない、事故当時の菅首相や、日米政府関係者へのヒアリング等を含めた調査結果であり、額面上は、どこからも圧力を受ける関係の無いものだそうだ。 この、「民間事故調」は昨年9月から開始し、半年にわたる調査・検証の結果であり、そのボリュームは4000ページを超える詳細な報告書である。勿論その一つ一つを読み返すわけにもいかないが、大略次のようなことが明らかにされている。検証委員会の構成は高い専門知識と識見があり、今回の事故に強い関心を持つ科学者、法律家、エネルギーの専門家の計6人と言うことで、委員長は前科学技術振興機構理事長の北澤宏一で、委員には遠藤哲也、但木敬一、野中郁次郎、藤井眞理子、山地憲治である。産経新聞によると、その大略の要点が書かれている。章は12章から成っている。要点を引用しながら、見直してみる。【第1章・福島第1原発の被災直後からの対応】では、 「事故の直接の原因は、津波に対する備えが不十分で、電源喪失による多数の機器の故障が発生したことに尽きる。設計で用意された注水手段から、代替注水へと切り替えることができなかったことが決定的な要因となり、放射性物質の放出抑制ができなかった。」と書き出されている。之は既に、我々の知るところでもある。そして、その原因は「シビアアクシデントに対する備えの不足と連絡系統の混乱である。背景には、複合災害の影響として通信や輸送の手段が限られたことや、隣接するプラントの水素爆発等の影響を受け、作業環境が悪化した」とされている。俗に当初から想定外であると言う言葉が何度も聞かれたのはこういった、対津波対策不十分に帰結されるのである。想定をしていないことに対して何ら言及していないのは、過去に例があっただけに、少なくとも不満足である。【第2章・環境中に放出された放射性物質の影響とその対応】では、 「放射性廃棄物の処理について、従来の法体系で規定されていなかった。一般廃棄物や災害廃棄物の受け入れに支障が出ているケースが存在する。低線量被曝に対する科学的理解の不十分さが、社会的混乱を招いた一つの要因とも思われる。政府は事故による被曝をX線撮影などと比較していた。しかし、自主的な被曝と事故として受ける違いを考慮せず、より不信感を招いた。」低線量被曝に対する科学的理解の不十分さが混乱を招いたが、当初の政府高官や原子力委員長など多くの専門家は、現状でも問題はないと言い続け、何ら対策らしきことも口にしなかった。理学などに於いては、理論認識の差はあるものの、汎用化された学問についての見解はおおよそ同一となるはずのものが、現状肯定を続ける御用学者の如何に多いことかを痛切に感じた。【第3章・官邸における原子力災害への対応】では、 「官邸の現場への介入が原子力災害の拡大防止に役立ったかと言えば、むしろ無用の混乱と事故が発展するリスクを高めた可能性も否定できない。」とされており、事故後の菅首相のヘリコプター視察は返って良い選択ではなかったとのニュアンスである。また、東電からの退避申し出については、東電側は全面退避の申し出ではないと釈明しているが、具体的に誰を残すなどの断りもないことから、東電の主張に十分な根拠は無いとしている。東電に危険な物を扱っていると言った認識の薄さを感ぜざるを得ない。福島第1原発だけでも、軽く振り返って、原子炉格納容器の気密性試験データ不正操作、地下1階のたまり水から自然界の約8000倍の放射能の検出、冷却用海水の温度データが不正操作、虚偽データが国に報告、放射性物質含む水を海中に放出(トリチウムなど放射性物質を含む水約365リットル)、制御棒2本の駆動装置の弁からの水漏れ、タービン建屋内で水漏れ、再循環ポンプで故障で出力低下、地下1階で放射能を含む水漏れ、制御棒を動かす配管36本に亀裂、自主データ改ざんで、放射能を帯びた蒸気が配管に漏洩、制御棒を動かす為の配管10本にひび、蒸気を水に戻す復水器の真空度が低下、発電用冷却水の温度データの改ざん、熱交換機と原子炉繋ぐ配管弁不具合(57%しか開かない)を発見しながら問題なしと報告、発電タービンが自動停止、放射能を帯びた漏水の可能性、原子炉内の制御棒4本の位置が一時的に確認できない状態になった、定期検査でデータ改ざん、出力調整用の制御棒17本のうち9本から多数のひび発見、内1本には、最大12cmのひびがあり表面の一部が破損、配管の弁から放射能を含んだ蒸気の漏出、・・・・。と、虚偽と、改ざん、事故のオンパレードなのである。「最悪シナリオ」が作成されたが、官邸でも閲覧後は回収され、存在自体が秘密に伏された。その内容は、4号機と他号機の使用済み燃料プールの燃料破壊が起きた場合、住民の強制移転は170km以遠に、年間線量が自然放射線レベルを大幅に超える地域は250km以遠に達する可能性があるとの結論を得ながら、何ら具体的対策は採られなかった。「菅首相の危機に対応する手段」は、行動力と決断力が頼りになったと評価する関係者もいる一方、「トップダウン」型へのこだわりと、強く自身の意見を主張する傾向が挙げられるとされ、トップマネジメントとしては、的確さを欠いたとの評価である。悪く云えば、そう言った行動が混乱や摩擦の原因ともなったとの見方もある。【第4章・リスクコミュニケーション】では、多くの国民は原発事故や放射能の不安におびえ、血眼になって情報を求めたが、政府は国民の不安に応える確かな情報を提供し得なかった。曖昧な説明、発表情報の混乱、SPEEDIなど情報開示の遅れなどで、政府に対する国民の不安や失望感が深まった。また、海外に対しては、さらに脆弱な情報発信しか行われなかった。【第5章・現地における原子力災害への対応】では、官邸主導の原子力災害対策本部と東電との情報共有不足により各機関が十分に連携した対応を行うことができなかった。「SPEEDI」に付いては、文科省の対応は極めて劣悪で、後日の批判や責任回避の為、一方的に原子力安全委員会に運用を「移管」した後は、逃げの一手に回った。【第6章・原子力安全のための技術的思想】では、原子力技術は米国の追随型であり、それが、事故の遠因になっている可能性があるとし、我が国独自のリスクを十分に考慮していなかった。【第7章・福島原発事故にかかわる原子力安全規制の課題】では、外部事象のリスクを規制関係者がそれほど重大なものとみなしていなかった。(之は、今も同様であり、このような重大事故を招じたにも拘わらず、全て、未曾有の大災害(津波)にその因を帰している)日本の官僚機構は前例踏襲を重んじ、原子力安全のように常に新しい知見を取り込んで改善・向上させなければならない性質の部署でも、保安院なども公務員の通常の人事ローテーションに組み込まれ、専門的人材を長期的に育成するシステムになっていないうえ、期に敏な、法律や指針の改定が出来ない官僚気質が弊害している。保安院長の「文科系だから・・・」の発言が、ずばり核心を突いている。【第8章・安全規制のガバナンス】では、日本は国際的な安全規制の標準を形式的には満たしていたが、実行的な安全規制をする能力が不十分である。電気事業者:安全規制の一義的な責任は電気事業者あることを忘れている。原子力安全・保安院:電気事業者に対抗するだけの技術資源を持っていない。(全く存在感がない)原子力安全委員会:十分な法的権限と調査分析能力を持たない。(単なるご意見番)と言ったことを露呈。【第9章・「安全神話」の社会的背景】では、中央と地方の2つの「原子力ムラ」がそれぞれ独自の「安全神話」を形成しながら、結果的に原子力を強固に推進し、一方で外部からの批判に曝されにくく揺るぎない「神話」を醸成する体制をつくってきた。(やりたい放題)【第10章・核セキュリティへのインプリケーション】=略【第11章・原子力安全レジームの中の日本】=略【第12章・原発事故対応をめぐる日米関係】【最終章・福島第1原発事故の教訓-復元力をめざして】では、▽事故は防げなかったか:全電源喪失から炉心溶融まで起こし、海水注入するも改善されず。▽人災「備え」なき原子力過酷事故:冷却機能が失われてなお、翌朝まで何ら対応がなされなかったことは、「人災」であることを強く示唆し、これは、長く原子力安全文化を軽視してきた東電の経営風土の問題である。▽不十分な指導しかできなかった原子力安全・保安院も、保安院の「規制調査」を任務とする安全委も同罪である。▽SPEEDI:鳴り物入りで、喧伝したが、全く宝の持ち腐れになった。(税金の無駄遣い)▽安全規制ガバナンスの欠如:原子力安全・保安院は、規制官庁としての理念も能力も人材も乏しく、単なる「ご用聞き」にしか過ぎなかった。▽「国策民営」の曖昧さ:政府が最大限の責任をもつべし、対応する実行部隊の役割を法体系の中に明確に位置づけなければならない。と言う結果である。このおぞましい機構を名前だけ「原子力規制庁」と看板を書き換えただけ、そのまま原発を推進することの危うさを国民の誰もが共有しなければならない。
2012.02.29
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エルピーダメモリが会社更生法を申請した。今時の社会、何が起ころうとも驚くことはないけれど、いわば国策会社としてスタートしたのは、1999年であるから、13年経ったばかりである。一寸驚いても良いかもしれない。名前が示すように、パソコンに使う半導体のDRAM(記憶保持動作が必要なメモリー)製造に特化した会社で、NECと日立製作所が、各社の事業を統合して作った、いわば半導体の日本における統一会社という存在であった。発足当時の半導体の世界シェアは東芝が13.7%で1位、韓国のサムスン電子が12.7%2位であり、NECと日立製作所は10.6%と9.5%と日韓でかなり拮抗した状態であった。市場の見通しも98年、99年と伸びており、2000年には300億ドルの市場が見込まれたが、日本国内で、3社が鼎立していたのでは、韓国に遅れるとばかり、経産省肝いりで、NECと日立製作所の半導体部門を統合、発足せしめた会社がエルピーダメモリである。その後、三菱電機のDRAM部門を合併し、日本で唯一の半導体メーカーになったのである。その後も2007年までの3年間で5000億円を投じ、広島県に世界最大のDRAM工場を建設したり、台湾にも進出したりするなど、上位の韓国サムスン電子など企業を追い上げる体制を整えていった。更に近年2010年には、アメリカのメモリー会社スパンションを買収することで、携帯電話のメモリーや、DRAMとの融合を図って複合型メモリー生産に打って出たのである。この時点では、パソコンの需要も伸びるであろう事や、大型計算機に対する半導体需要も根深いと見て、いたわけだが、パソコンの需要は、減少の一途を辿り、現在では、スマートフォンに取って代わられたようである。携帯電話のメモリー市場も毎年着実に伸びており、エルピーダは新市場に進出し、成長を目論んだのである。そこに起こったリーマン・ショックで、たちまち経営不振の陥ったようだ。経産省としても、日の丸半導体メーカーはエルピーダメモリしか無く、2009年には改正産業活力再生特措法によって、公的資金(税金)を投入することに決めたのである。この、改正産業活力再生特措法はまさにエルピーダメモリのために作った法律のようで、適用第1号となったのである。金融機関や、公共性の高いと考えられる民間企業への公的資金投入は、過去何度もあったが、唯一とはいえ、一般製造業に対して公的資金の投入は今まで聞いたことがない。そこで思い出すのが、経産省幹部の木村雅昭のインサイダー取引である。上記の状態で、2008年夏まで、2000~4000円であった株価はへたってきて、305円までになった。ところが、この木村、公的資金と、民間の協調融資が、決定出来る立場を利用していち早く察知して、安い間に妻名義で株を購入させ、持ち直した段階で、売り抜くという、インサイダーをやってのけたのだ。終戦後、疲弊した日本をどうにかして立ち直らせたいと云った当事の官僚の気持ちのかけらさえも持ち合わせていない、この木村のような男が如何に多いことか、このような男がいるために、韓国と如何に競合して勝とうかとか、韓国を如何にして凌ごうかと言った、創意も、工夫も考えれることがあればこそである。同様に、エルピーダメモリ側の経営陣も、今までの既存ビジネスモデルを、量産することによってのみ成長するという安易な経営方針しか持ち合わず、おそらく、NEC、日立、そして三菱電機の寄り合い所帯は、融合した総合力としてのシナジー効果を出し得なかったばかりか、いつの間にか国策という点に安住するという怠惰な企業に成り下がってしまったようだ。ここで、木村の犯した罪は、1つインサイダーに於ける不労所得の獲得のみならず、日本の産業界に対し、遠望を以て導くといった本来の官僚の仕事が眼中になかったことが最も大きな罪科といえよう。その昔は、鉄が産業の米と言われた。しかし、重厚長大、5K産業は嫌われ、鉄鋼では、この度の、新日鉄と住友金属の大型合併でも、世界シェアの2位に甘んじなければならなくなっていて、造船などに至っては、韓国にも中国にも抜かれ、その上、造船産業の明日はあるかとまで言われる状態になってしまった。その重厚長大を追いやったのが、軽薄短小といわれるIT産業であり、この頃から産業の米は半導体だと言われてきたわけだ。しかしそれも韓国に抜かれて、この度は、1本に絞った日の丸半導体が倒産という憂き目に遭っているのである。鶴田浩二の歌ではないが、「何から何まで真っ暗闇で、・・・何処に日本の道がある」という感じだ。そもそも産業の米、等と言うが、日本では、実際に本物の米など作らずに、休耕する方に補助金を出すといった馬鹿げた政策を採ってきた。21分野の1つである米に引っ掛かって、TPPもなかなか先に進めない。21分野の何処が問題なのか、具体的に、客観的に判断しているところがあるのだろうか。「米」対「輸出産業」といった構図しか聞かれないのでは、TPPの是非を論ずるにはあまりにも稚拙である。エルピーダメモリに戻ると、2011年のDRAM市場のシェアは、サムスン45.1%と断トツに肥大化し、同じ韓国のハイニックスが2位で、21.6%、エルピーダメモリは、かつてのNEC1社分より少し多い12.2%止まりであった。そこにユーロ危機に始まり、アメリカの経済も脆弱さを露呈し、煽りを食って、円の高騰を招いたことが、輸出を念頭に置くエルピーダにとっては、致命的な痛手となったようだ。かくして東証上場廃止となり、負債総額は、4480億円と、製造業としては過去最大の損失を出した。そして、各国からのオファーもなく、国策会社のエルピーダ巨艦はただ沈むのを待つだけとなったようだ。折角量産合理化工場として建設した広島工場もアメリカの半導体受託生産大手の、グローバル・ファウンドリーズに売却が決まった。エルピーダメモリは、以降会社更生法により再建を試みるわけだが、更正方法は、更生手続開始申し立て時の取締役(坂本幸夫社長)を管財人として引き続き業務の運営に当たらせる運用形式の所謂DIP(Debtor In Possession)型会社更生手続となるようである。申請申し立て代理人の林信明弁護士は、DIP型を採るに当たって、「半導体業界は、高度な専門性が必要なために坂本氏が経営陣に残り、再建を全うして貰う」と述べているが、之は真っ赤な嘘である。坂本幸雄社長は驚く無かれ、半導体はおろか、電機とは全く関係のない、日本体育大学体育学部を卒業しているのである。よもや体育大に電機工業科なるものがあるとも思えないからだ。確かに、経営難にあえぐ半導体産業界で数社の再建を成功させた手腕から「半導体業界の救世主」とあだ名された事もあったとのことだが、彼が最初に入社した、日本テキサス・インスツルメンツ(TI)社では、体育会系で、半導体に関する知識もなく、倉庫係として資材の出入庫から始めたという経歴であると書かれている。先頃の原子力保安院前院長の寺坂信昭の場合と全く同じである。電機会社であれ、また重工業の会社であれ、技術屋が社長をしなければならないと言うことはないわけだが、ひねくり回した挙げ句、更正法の適用を受けるに至って、「専門性」があるから、引き続き業務運営に携わるとは、どのように見ても納得のいかない。そこで出てくるのが、経産相の枝野である。表面上は「大変残念だ」と言うだけで、エルピーダメモリに約280億円もの公的資金(税金)を投入しようとしているわけだ。体育会で、フットワークは軽いのかも知れないが、半導体の何たるかを門前の小僧として学んだだけの坂本幸雄に引き続き音頭を取って欲しくない気持ちだ。DRAMは、昔は、日本がシェア8割を占めるまでの日本の得意分野であったのが、唯々諾々と、韓国2社にトップを奪われたのは何故か、半導体は、回路の線幅を如何に微細化することでの競争である。微細化と言っても、ナノレベルの話であり、サムスンは、量産を開始した2006年頃には、エルピーダメモリと同じく、線幅90nm(ナノメートル)であったのが、常に一歩先んじて、今では20nmにまで達しようかという技術レベルである。どう考えても体育会系が、そのような専門的な知識を我がものにしているとは思いがたいわけだ。半導体メモリーと一口で云っても、DRAMあり、MRAMあり、FRAMありPRAMさらにはフラッシュメモリー有りと、様々なメモリー形態があるわけで、最近のスマホやタブレット型のメモリーは、DRAMを使っていない上に、パソコンはスマホにその地位を奪われるといった状態で、今日の趨勢を読めなかったエルピーダは、やや殿様商売に過ぎたのではないかと言うことだ。執行者もお粗末、監督官庁も嘘つきと来れば、日本の製造業でさえ明日はないと言うことになる。
2012.02.28
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生活習慣病の3冠王でありながら、不思議と自分は健康だと思っている。この生活習慣病は、「サイレントキラー」と呼ばれて、何しろ前触れ無しに突如色々不都合なことが発症するから、重大な病気と考えなければいけないようだが、往々にして、「サイレント」であるばかりに、無頓着になりがちなところがある。近くの、掛かり付け医師に薬を飲むようにと勧められてからでも、2年余経過している。最初は2冠王だったが、昨年の中頃から、高脂血症とやらの薬が増えて、3種類となった。しかし、それから以降、薬の処方量は一貫して変わっていない。十分に回復したのでもなく、それ以上の強い薬を処方するまでもないと言うことのようだ。血圧に関しては、医者は決まって「一寸高いですね、もう少し様子を見ましょう」などと言う。と言うことは、もう少し経ったら良くなるのか、もう少し経ってから、もう少し強い薬が必要になるのか、そこの所は解らない。まあ、しかし、血圧に関して言えば、血流と、血圧の関係を考えると、ベンチュリ効果によれば、連続の式から、流量が一定のとき流れの断面積を狭くすると流速は増加するので、血の密度が一定であるなら、連続の式から、V2=(A1/A2)×V1(A1:通常血管面積、A2:壁面にコレステロールが溜まって狭くなった血管面積)が成り立つだろうし、そうすれば、コレステロールが溜まって、通常の流速(V1)に比べて、血管面積が狭くなった分、流速(V2)は早くなって、ベルヌーイの定理から流速が高くなると圧力は低くなると言うことと、なんだか矛盾したものを感じる。これはまあ、さらさらの粘性が低い血液と、どろどろで粘性が高い血液でも違うわけだろうから、こう簡単にはいかないのだろうが、人間の体というのは実に微妙である。私は昔から血圧は高い方で、ずっとそう言った状態で推移しているので、気にはしていないが、WHOガイドラインでは、高い方(心臓収縮時Systolic)で140mmHgと、低い方(心臓弛緩時Diastolic)で90mmHgが境界線のようだが、一寸興奮するとたちまち急上昇するなどのことはしょっちゅうあり、2回続けて計ると落ち着くためか大抵2回目の方が低めに出る傾向にある。肝機能を示すGPTとやらも今回高かったようだ。血糖値に至っては、正常値の上限を50%も越えていたり、1~2週間の血糖値状態が解るというHbA1c(ヘモグロビン)も高いゾーンに入っていたりで、之も注意していかなければならないとのことだ。正月からこの方、食べる一方で、寒いことも手伝って、運動はしないという悪循環で、良くないとは認識するものの、やはり自覚症状がないのは、心に隙を与えてしまう。さらに、どうも我がルーツは糖尿の気があるらしく、このDNA伝承もあながち無視し得ないだろう。寒いから、同級生達も巣ごもりをしているかと思ったが、毎日のようにウォーキングに励み、体重を減らしたという者も居て、見習わなければと思っている。食べ過ぎて肥るのは当たり前である。基礎代謝量という値があり、1日中、何もせずじっとしていても、生命活動を維持するために生体で自動的に(生理的に)行われている活動に必要なエネルギーをいい、その相当エネルギー量は主として、骨格筋、肝臓、脳が半分以上を占めると言われている。厚労省は成長期が終了して代謝が安定した一般成人では、一日に女性で約1,200、男性で約1,500キロカロリー(kcal) だという基礎代謝量の早見表を出しているが、自分にぴたりと来るわけではない。それほど細かな値は必要ないのだが、その計算方法としては、■基礎代謝量=基礎代謝基準値×体重(基礎代謝基準値:体重1kgあたりの基礎代謝量)と言う算式が出されており、50~69歳までの我々(男性)の場合、基礎代謝基準値は21.5 (kcal/kg/日)とされていて、30~49の働き盛りの22.3 (kcal/kg/日)とそれほど変わりはないのである。そこで、1日あたりの基礎代謝量は上記基礎代謝基準値×体重でだせる事になり、之によると、35歳で体重65kgの男性の基礎代謝量が1450kcalと計算される。私の場合は、一寸肥っている分だけ大きくなるが、自分で決めているほぼ理想的(体重)では1505kcalで良いことになる。ところが昨今の食事での摂取量は、之を遙かに越えているものだということであろう。プライマリーバランス(財政収支)のように、家計にも収支がある。この事は、どの世界でも同じであり、収入(Income)が大きくて、支出(Outlet)が少ない方が良いのは、経済であり、その逆は身体であろうか。日本経済の逆のようであれば、国家的には潤沢(色々使い道がある)なことが出来るわけだが、そうだと身体にとっては、良くないのである。身体にとっての収入に当たるのは、勿論毎日の食事であり、この食事の量が、1日に消費する、総消費エネルギー量より多いと、収入が勝り、内部留保(脂肪・コレステロール)が大きくなると言うわけだ。食事については、最近のレシピや、レストランのメニューにも摂取した時のカロリー数が記入してあるものが多いので、根気よく計算すれば、1日の摂取エネルギーは計算できる。一方の、支出に相当する、1日に消費される総消費エネルギー量は、基礎代謝量と深い関係があり、その関係式は以下で表される。■総消費エネルギー量=基礎代謝量×生活活動強度指数ここで「生活活動強度指数」というのは、家での活動や仕事など、生活することで消費される運動量を指数化したものである。この計算式から、基礎代謝量が高く、生活活動強度指数が高い(運動を良くする)人はそれ相応のエネルギーが必要だと言うことである。この生活活動強度指数は日常生活においての活動でどのくらいの負荷がかかっているかを意味していて、厚労省の発表によると生活活動動作は大きく4段階に分かれている。それぞれ指数が、1.3(低い)、1.5(やや低い)、1.7(適度)、1.9(高い)と当てはめられている。●1.3(低い):安静時が多い場合。散歩や買物など、ゆっくりした1時間程度の歩行のほかは大部分が座った姿勢での読書や勉強、テレビ、音楽鑑賞などをしている場合。 ●1.5(やや低い):歩行時間がやや長く、2時間程度の場合。座っている姿勢が大部分ですが、立った姿勢での作業も比較的多い場合。 ●1.7(適度):1日1時間程度はウォーキングやサイクリングなどをしている場合。また、立った姿勢でいることが多い場合、そのうち1時間程度は農作業など、体に負担のかかる作業をしている場合。●1.9(高い):1日1時間程度、激しいトレーニングをしていたり、木材の運搬や激しく体に負担のかかる仕事をしていたりする場合。 このように摂取エネルギー(カロリー)と、総消費エネルギー量のバランスが崩れると、肥満(現代では摂取カロリー過多)が起こると言うことになる。総消費エネルギー量を上げること即ち生活活動強度指数を上げると言うことが必要になるわけだ。・運動については筋肉が多いほど基礎代謝量は大であることから、筋肉量を増強する運動が良いとされる。基礎代謝を高める運動について無酸素運動である筋肉トレーニングで先ず筋力を増大し、さらに、有酸素運動で全身を使い持久力を上げて脂肪の燃焼効率を図ると言うことだ。有酸素運動は全身を使う運動であり、ウォーキングやマラソン、水泳などが挙げられる。従って座っているだけで、脳を遣うだけでは、やはり代謝量を上げることは出来ず、足も細くなっていくため、ますます食物の摂取が幅を利かせてくると言うことになる。今日は、とにかく、普段滅多にかかったことのない、風邪を引いてしまい日頃の病気以外に医師の門を叩いてしまった。鬼の霍乱のような日であった。
2012.02.27
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「日本では小刻みにやっているけれど、海外では定期的にやっているものなぁんだ?」その答は大統領(首相)の選挙(交代)と言うことになろうか。日本の首相は、もう既に砂利のような存在になってしまった感がある。砂浜で小石を拾うが如く、小粒なのは沢山いるが、之といった巨岩がないと言うことにもなる。今年は4で割り切れる閏年であり、オリンピックの年でもある。また、4年任期の大統領選挙も今年に集中してあるようだ。3月4日のロシア大統領選、3月18日のドイツ大統領選挙、4月22日のフランス大統領選、11月16日のアメリカ大統領選、12月19日の韓国大統領選、期日はよく分からないが最も影響がありそうな1人として、中国の国家主席交代である。因みに昨年は、年初から「アラブの春」の嵐が春一番でなく何回にも分けて起こり、チュニジア(ベンアリ大統領)、エジプト(ムバラク大統領)、リビア(カダフィ大統領)と硬軟取り混ぜて、政権が変わった。続いて、シリアのアサド大統領が倒れるかと思っていたが、本当なのか、はったりなのか、アメリカのジッカー国連次席大使によると、弾圧による死者数が6000人に達したとされる今も、アサド政権は、日に3人から100人以上と言った単位で、反体制派を殺害していると言うことだ。之をシリア側は、「テロリストとの戦い」と称しているわけで、どうも報道の状態からすると、いかにも嘘くさい。そんな折、アルカイダの発祥の地とされる、イエメンでも大規模デモが起こっていて、サレハ大統領も曲折はあったが、比較的すんなりとハーディー副大統領に権限委譲を行った。後はシリアだけかという感じだが、やはり世界は広く複雑怪奇な絡み合いがあり、フランスなどは、シリアに今にも攻撃を仕掛けようかとの姿勢だが、そう簡単には、行動を起こせない。国連では、シリア制裁案が、中国とロシアの拒否権で通らず。同じアラブ連盟からは、弾圧を止めるように勧告されても言うことを聞いていない。このシリアの動向如何では、隣国レバノンにも波及しようかという勢いだ。そう言ったことで、中東には未だ重大な残り火があるものの、今年に入った。そこで、あと1週間に迫った、ロシアの大統領選挙だが、茶番劇とも言える、メドベージェフ大統領とプーチン首相の首相と大統領の取替っこ選挙が行われることになっている。憲法の大統領任期は1期4年を2期までで、それ以上の延長へ出来ない。之を回避するための窮余の一策でメドベージェフの1ポイントリリーフとなっていた。もしプーチンが大統領に返り咲けば、以降は、6年2期という憲法改正で、向こう12年間はプーチンの独裁が執り行われることになる。あのかつて、鉄のカーテンで囲まれていたソ連の復活が眼に見えるようだ。ソルジェニーツィンの収容所列島などの悪夢が復活するのではないかと、恐れる。一応連邦共和制で大統領制であるが、形の上では民主的に見えても、内実は、非常に強権的独裁体質を内包している。筋骨隆々とした姿をアッピールし、対外的に強いロシアを演出してきたが、今や、そんな子供だましでは流石のロシア人も、手玉に取ることは出来ない状態になって来ているようだ。昨年9月に首相と大統領の取替えっこをすると発表したが、既に大統領の基盤である「統一ロシア」(与党)の支持率は過去4年間で、約20%支持率を着実に落としている。そういった経緯の中、下院選が行われたが、与党の「統一ロシア」は77議席(全体50議席の17%)を失った。この大きな原因は、一党支配による汚職や官僚政治の広がり、投資環境の改善の遅れに対する失望感などが挙げられた。選挙でも、下院選に於ける不正が挙げられる。(与党投票の水増しや、一部野党の登録を認めないなど)その頃からプーチンのいないロシアをとの声が高まりはじめた。それを意識してか、対外的に強い印象を持たすべく、我が国北方領土へ、ずかずかと入り込んできたのである。一方内向きには野党による都合の悪いサイトにはサイバー攻撃を掛けるなどの行動を採っている。またプーチン自身のスキャンダル(10億ドルの私用の宮殿を公費で建設、事前コンサートのチケット代などが使途不明など)も相まって、今回の大統領選挙の行方が注目される。おそらくは、之を覆すに十分な手は、今のところ見えていない。ロシアも、2000年から、ひょっとしたら2024年までにわたる長期間を、強烈な統制社会で終始するかも知れない。しかし、猫の目がコロコロ変わるような日本の政治システムと首相選びでは、汚職がないかと言えば、確率は低いかも知れないが、官僚の意図するままに動かされることは、ロシアと同じであろう。アメリカの大統領選挙は11月16日という事だが、1大イベントは既に始まっている。ロシアの選挙の2日後にスーパーチューズデイを迎えることになる。現職のオバマ大統領は、2期目に向けて出馬を表明済みであり、対する共和党は、当初、ロムニー、ポール、サントラムそしてギングリッチが小差で争っていたが、大金持ちでモルモン教徒のロムニーか、パレスチナ人は「創作された民族でテロリスト」と発言したギングリッチか、人口中絶に反対し、進化論を批判するサントラムかに段々と絞られてきている。それに、未だ降りていない、ダークホースのポールもいる。アメリカは、直接選挙だと言うが、有権者は候補者に投票するものの、州毎に得票数が一番多かった候補が、その集の選挙人を総取りする方法で、行われるため、得票率が全国1でも当選するとは限らないと言ったやり方である。その選挙人は合計538人いる。アイオワ州を皮切りに漸次勝敗が決められていき、候補者は、その度にその州の選挙人を丸ごと獲得するという手順だ。3月6日(火)は特に広範囲に11州で同時に選挙が行われるためスーパーチューズデイと呼ばれるわけである。せめて日本も直接首相になって欲しい人の名前位書きたいものである。フランス大統領選挙は4月22日に行われ、もし過半数に到達しない場合は5月6日に決選投票が行われるという手順だ。世論調査では、社会党のオランドが1位で、現職のサルコジは2位に留まり伸び悩んでいるとのことらしい。フランスは、ユーロ問題で、ドイツに負けじとユーロ圏を引っ張っては来たが、ドイツのメルケル首相と何時も2人3脚でないと立ち行かない如く、自らのリーダーシップを発揮することが、少ない感じで、「メルコジ」と揶揄されるまでになっている。フランスと言えば、思い出すのは、史上初の女性首相として颯爽と登場したクレッソン首相は全く無礼な女だったことだ。その発言たるや、「日本は敵――規則まもらず世界征服たくらむ。」であるとか、「日本人はウサギ小屋のような小さなアパートに住み、2時間もかけて通勤している」「日本人は黄色いアリ」などと公式な場で発言するなど、平気でフランス人独特で不遜な、人種差別的発言をしたことである。更に、昂じて「黄色いチビ」などとも表現した。従って、原発大国であるフランスに対しては、良い感情は持たないが、ナポレオンが略奪したせいか、パリには、貴重な美術品が多数ある点については、どうしても評価せざるを得ない。ドイツの大統領派、象徴的な存在であるから問題ないとして、韓国大統領選は、今年の12月19日に行われるが、アメリカのように、1年越しのお祭りフィーバーはないので、未だなりを潜めているところだ。しかも任期は5年だが、再選は禁止されているから、与野党とも新しい候補者を立てて、戦うことになる。候補者は、与党ハンナラ党のパク・クンヘ(朴正熙の長女)と、野党は、ソン・ハッキュや最近人気の出てきたという、ITベンチャー企業のアン・チョルス等が取り沙汰されている。去年の10月26日にソウル市長選があって、その帰趨が、大統領選挙を占う試金石とされたが、アン・チョルスが推す野党統一候補のパク・ウォンスンが、与党ハンナラ党でパク・クンヘが推すナ・ギョンウォン女史を破り、野党に風が吹いてきたようにも見える。市民活動家がソウルを制したと言うことで、大企業優遇がちで、貧富格差を助長したとされる、李明博への風当たりも辛いところだ。しかし、日本と比べたら例えばサムスン辺りは、パナソニックや、日立、ソニーを足しても未だ追いつかないといった状態であるし、半導体でも、悠々とトップシェアを確保しているなど見ると、遙かに優れていると思われる。かつての日本のお家芸であった、車、造船、電機で、次々とシェアを塗り替えられていて、日本は為す術がないというのが現状である。一頃海外で「現代自動車はイニシャルプライスは安いが、よく故障するので・・」等と云った話しも聞かれたが、インドでも自動車らしきものを生産するこのご時世では、十分彼らのスペックに合った製品ができるまでになったものだと思われる。之は全くの余談であるが、マヤ文明で用いられた暦の1つである長期暦によると、2012年には人類が滅亡するという説があるそうだが、世の中は、単なる話として紹介している以外は、現実性がないと無視している。しかし、私には、「人類」という変わりに、「日本」と置き換えると、案外現実味を帯びて感じられるから怖ろしいものである。
2012.02.26
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第四十一段【本文】五月五日、賀茂の競(くら)べ馬を見侍りしに、車の前に雑人立ち隔てて見えざりしかば、おのおの下りて、埒のきはに寄りたれど、殊に人多く立ち込みて、分け入りぬべきやうもなし。 かかる折に、向ひなる楝(あふち)の木に、法師の、登りて、木の股についゐて、物見るあり。取りつきながら、いたう睡(ねぶ)りて、落ちぬべき時に目を醒ます事、度々なり。これを見る人、あざけりあさみて、「世のしれ物かな。かく危き枝の上にて、安き心ありて睡るらんよ」と言ふに、我が心にふと思ひしまゝに、「我等が生死の到来、たゞ今にもやあらん。それを忘れて、物見て日を暮す、愚かなる事はなほまさりたるものを」と言ひたれば、前なる人ども、「まことにさにこそ候ひけれ。尤も愚かに候」と言ひて、皆、後を見返りて、「こゝへ入らせ給へ」とて、所を去りて、呼び入れ侍りにき。 かはどの理、誰かは思ひよらざらんなれども、折からの、恩ひかけぬ心地して、胸に当りけるにや。人、木石(ぼくせき)にあらねば、時にとりて、物に感ずる事なきにあらず。【訳文】 五月五日に、賀茂の競馬を見物しました折に、私の乗っている牛車の前に下賤の者たちが立ちさえぎって競馬が見えなかったので、同乗の人たちはめいめい牛車から下りて、馬場の柵のそばに近よったけれども、そこは、ことに大勢の人が入り込んで、私たちがその中へ人を分けて入れそうもないありさまである。 こうした時に、柵の向こう側にある楝の木に登って、木の股にしっかりとすわってまたがったまま見物している法師がいる。木の枝につかまりながら、すっかり眠りこんで、あわや落ちそうな時に目をさますことを何度もくり返している。これを見ている人たちが、嘲りあきれて、「世にも稀なばかものだ。よくもあんな危険な枝の上で、安心したままで眠っているのだろうかなあ」と言うので、私の心中に即座に思いついた通りに、「わたしたちに死のやってくることは、この今の瞬間であるかも知れない。それを忘れていて、競馬見物に日を過ごすというのは、あの法師より、愚かなことはいっそうまさって甚だしいことなのになあ」と言ったところ、前にいる人たちが、「ほんとうにその通りでございますね。私たちこそ、ひどく馬鹿でございます」と言って、みな、うしろをふりかえって、「どうぞ、ここへお入りなさいませ」と言って、場所を退(の)いて、わたくしを呼び入れました。 これくらいの道理を、誰だって思いつかないことはないであろうが、ちょうどよい折であったために、思いがけない心地がしたので、人々の心につよく響いたのであろうか。人間は、木や石のような非情の物ではないので、時機によっては、何かの物事に深く感動することがないこともないのである。 【注釈】・雑人:下賤の者・埒:馬場の周囲を結んだ垣・柵・楝:栴檀・あさみて:あきれて・所を去り:退く第四十二段唐橋中将といふ人の子に、行雅(ぎやうが)僧都とて、教相の人の師する僧ありけり。気の上る病ありて、年のやうやう闌(た)くる程に、鼻の中ふたがりて、息も出で難かりければ、さまざまにつくろひけれど、わづらはしくなりて、目・眉・額なども腫れまどひて、うちおほひければ、物も見えず、二の舞の面のやうに見えけるが、たゞ恐ろしく、鬼の顔になりて、目は頂の方につき、額のほど鼻になりなどして、後は、坊の内の人にも見えず籠りゐて、年久しくありて、なほわづらはしくなりて、死ににけり。 かゝる病もある事にこそありけれ。【訳文】 唐橋の中将という人の子に、行雅僧都といって、真言宗の教相の研究をする人たちが師事する僧があった。のぼせあがる持病があって、だんだん年をとってゆくうちに、鼻の中がつまって、息も出にくいようになったので、いろいろと治療じたけれども、病気がひどくなって、目や眉や額などもやたらに腫れあがって、顔の上部を蔽ったので、物も見えなくなり、ちょうど、二の舞の面のように異様に見えた顔が、そのうち、やたらに恐ろしく、鬼のような顔になってしまい、目は頭のてっぺんのあたりにつくようになり、額の辺が鼻になるなどというありさまで、それからは、住んでいる坊の内の人にも逢わず、自室にとじこもっていて、長年たった後に、いっそう病気がひどくなって、死んでしまった。 このような病気も存在することであるのだ。【注釈】・真言密教の教義の方向・気の上る:のぼせあがる・闌くる:老年になる・つくろひ:治療する・わづらはしく:病気がひどくなり・二の舞の面:腫面第四十三段【本文】 春の暮つかた、のどやかに艶なる空に、賤しからぬ家の、奥深く、木立もの古(ふ)りて、庭に散り萎れたる花見過しがたきを、さし入りて見れば、南面の格子皆おろしてさびしげなるに、東に向きて妻戸のよきほどにあきたる、御簾の破れより見れば、かたち清げなる男の、年廿(はたち)ばかりにて、うちとけたれど、心にくゝ、のどやかなるさまして、机の上に文をくりひろげて見ゐたり。 いかなる人なりけん、尋ね聞かまほし。【訳文】 晩春のころ、のどかでほのぼのと美しい空の下に、身分の賤しい人のものとは思えない家があって、その家の奥が深く見え、庭の木立ちもかなり時代がついて、庭に散ってしおれた花もそのまま見て通り過ぎてしまうには惜しいほどなので、邸の中に入って見ると、寝殿の南側は、格子を全部下へおろしてさびしい様子であるが、廻って行ってみると、寝殿の東側に向かって妻戸がほどよいくらいにあいていて、そこのすだれの破れている所から覗いて見ると、その中に、清らかで美しい容貌をした若者が、年は二十歳ぐらいで、くつろいではいるが、しかし、奥ゆかしく、のんびりと落ち着いた様子をして、机の上に書物をくりひろげながら見ていた。どんな人であったろうか、今も探して名を聞きたいものだ。【注釈】・文:書物第四十四段【本文】 あやしの竹の編戸(あみど)の内より、いと若き男の、月影に色あひさだかならねど、つやゝかなる狩衣に濃き指貫(さしぬき)、いとゆゑづきたるさまにて、さゝやかなる童ひとりを具して、遥かなる田の中の細道を、稲葉の露にそぼちつゝ分け行くほど、笛をえならず吹きすさびたる、あはれと聞き知るべき人もあらじと思ふに、行かん方知らまほしくて、見送りつゝ行けば、笛を吹き止みて、山のきはに惣門のある内に入りぬ。榻(しぢ)に立てたる車の見ゆるも、都よりは目止る心地して、下人(しもうど)に問へば、「しかしかの宮のおはします比にて、御仏事など候ふにや」と言ふ。 御堂の方に法師ども参りたり。夜寒の風に誘はれくるそらだきものの匂ひも、身に沁む心地す。寝殿より御堂の廊に通ふ女房の追風用意など、人目なき山里ともいはず、心遣ひしたり。心のまゝに茂れる秋の野らは、置き余る露に埋もれて、虫の音かごとがましく、遣水の音のどやかなり。都の空よりは雲の往来(ゆきき)も速き心地して、月の晴れ曇る事定め難し。【訳文】 粗末な竹の編戸の中から、ごく若い男が、月の光のもとでは色彩がはっきりしないが、沢(つや)のある狩衣に濃紫の指貫袴という身なりで、いかにも趣ある様子をして、小柄な少年ひとりを供につれて、遠くまで続いている田の中の細道を、稲の葉に置く露に衣服をぬらしながら分けて行く、その間、笛を何ともいえないほどおもしろく吹き鳴らして興じているのを、こんな所では、何とうまいことだと聞いてわかる人もあるまいと思うにつけて、その男の行く先が知りたくなって、目送しながらついて行くと、笛を吹くのを止めて、山のほとりの惣門のある、大きな邸の中へ入って行ってしまった。その邸内に、榻台(しじだい)に車の長柄を載せてある牛車の見えるのも、山里だけに、都よりは目につく感じがして、どなたのおいでかとそこにいる下部に尋ねると「これこれという宮様がここにご滞在中で、今夜は御法会などがございますのでしょうか」と言う。 邸内の様子をうかがうと、御仏堂の方には、法師たちが参集している。夜ふけの寒い風に誘われてただよってくる空(そら)だきの香の匂いも身に深く透る気持ちがする。寝殿から御仏堂の廊下に往ったり来たりする女房たちが、薫りを追風に匂わせる心づかいをしているなどは、人の訪れのない山荘にもかかわらず、気を配っているのである。 思う存分に秋草の生い茂っている庭は、草葉に置きあまるほどの露に一面に蔽われていて、虫の声が恨みごとを言うように聞こえ、庭を流れている遣水の音が静かに落着いて聞こえる。空を見上げると、都で見るよりは雲の往来も速いような気がして、雲間の月の晴れたり、曇ったりする様子も絶えず変化し続けている。【注釈】・あやし:粗末な・ささやかなる:小柄な・そぼち:濡れる・榻:牛車の軛を支える四脚の台・そらだき:来客を迎えるためにたく薫物・かごと:恨み言第四十五段【本文】公世(きんよ)の二位のせうとに、良覚僧正と聞えしは、極めて腹あしき人なりけり。坊の傍に、大きなる榎の木のありければ、人、「榎木僧正」とぞ言ひける。この名然るべからずとて、かの木を伐(き)られにけり。その根のありければ、「きりくひの僧正」とぞ言ひけり。いよいよ腹立ちて、きりくひを掘り捨てたりければ、その跡大きなる堀にてありければ、「堀池僧正」とぞ言ひける。【訳文】 公世の二位の兄弟の中で、良覚僧正と申し上げた方は、非常におこりっぽい人であった。 住んでいる坊のすぐそばに、大きな榎の木があったので、世間の人は、「榎木の僧正」とあだ名を言った。これを知った僧正、このあだ名は不都合だと言って、その木を伐っておしまいになった。ところが、その木の根が残っていたので、今度は、世間の人たちが「きりくいの僧正」とあだ名を言った。すると、ますます腹を立てて、僧正は、その切り株を掘り起こしてほかへ捨てたところ、その切り株の跡が大きな掘のようであったので、世間の人は、さらに、「堀池(ほりけ)の僧正」とあだ名を言った。【注釈】・公世:藤原公世・せうと:兄弟・腹あしき:腹を立てやすい人
2012.02.25
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少々風邪を引いていたために、これを書いているのは、28日になってからで、その間に事態は刻々と変わっていたようだ。今日は、高校時代の同窓生3人と、我々2人とで、ミニ同窓会を開いた。その中の1人が、自衛隊出身で、山口に住んでいるが、時折、実家である高槻に帰ることがあるというので、その期を捉えて、会うことになったというわけだ。連れ合いの実家に近いこともあり、中学も同じだという?がりである。一佐で退官したと云うから、親父(大佐)と階級は一緒だが、彼の場合は、大使館付き武官であったようで、各地を転々としているというような話であった。もう1人は、何やらテクスタイル関係で、彼も海外へは多く出掛け、前に聞いた話では、私と同じく、ジェッダにも居たそうである。ジェッダをジッダと呼んでいたようだが、昔風の読み方であろう。彼の場合は、晩年になって、高校時代に、連れ合いの友人に「ほ」の字になり、結構思い詰めたそうである。とてもそのようには見えないが、人は見かけによらぬものである。彼ら2人は、連れ合いと同じ中学出身と言うこともあって、昔から親しくしていたようだ。もう1人は、中学はまた別だが、最近あまり会っていないことや、体の調子がやや悪いとのことを聞いていたので、久しぶりに会ってみたくなり、声を掛けたものである。いつものことだが、話し終わって、振り返ってみても、何を話したのかさえ覚えていないというのが正直なところである。原子力関係の会議ではないから、議事録は取っていないので、今思い出せと云われても殆ど飛んでいる。しかしながら、楽しい時を過ごせたことに間違いはない。前回会った時は、最後に私が寝てしまったとかで、失礼したようだが、今回は最後まで起きてまともに応対をしていたことは確かである。と言うのも、1人を除き、高校時代は元より、卒業してからも一度も会話したことがなったので、共通の話題がないと言うことだ。1人は、同じ運動部で、私はバスケットボール部、彼はサッカー部と放課後の練習や休みの日の練習などで顔を合わすこともあったので、話はそれなりにある。しかし、一旦顔を合わせ、同窓生だと認識すると、途端に何やかやと話があるものだ。と言うか、連れ合いなどと話をしているのを聞いていると、「そう言うことがあったのか」と当事は、世間に疎かった私などは、耳新しく、新発見をすることがある。近々に、高校同期全体の同窓会を開く事になっているという。そう言えば、卒業以来、半世紀が経ったのだなぁと感慨深くもなる。しかし、もう既に、物故者も多いようで、私などは、風邪を引いても、年寄りだから、早く医者に行かないと等と急かされ、自力回復を目指そうにも猶予はないと言うことだ。今何をしているのか、2人は、未だ仕事をしていると言っていたようだが、1人は、しかと覚えていない。いずれにしても、私のように、家に籠もりっきりの者はいないようだ。そう言えば、世の中は、既に60歳停年から、65歳停年まで、延長する動きになっている。集まった、5人は、まだまだ死にそうにはなく、それ以上に続いて働いている人もいるわけで、65歳迄の停年延長も悪くないかも知れない。しかし欲を云うようだが、現役時代に高度成長期を経てきた身の上では、何となく富が偏在し、労働に対する対価が少なかったと思うし、60歳停年であろうが、後の人生を、悠々自適に暮らせれば等と夢のようなことを考えてしまう。時あたかも、「AIJ投資顧問」と言う訳の分からない会社が企業年金の運用に失敗し、約2000億円を消失したというのである。積み立てていた年金をごっそりとメルトダウンしたという事だ。少ない給料から、老後のことを考えて、しかも、それほど裕福なことすら考えているわけでもない年金を、勝手に運用して、皆んなすっちゃったと云うことなのだ。直感的には、競馬や競輪を思い浮かべた。ここに2000億円ある、之を、AIJは今回の競馬に全額つぎ込んだが、これが当たると直感した馬が、落馬でもないのに入らなかったというに等しい状況だ。勿論買った馬券は、皆、パーである。こういったギャンブルに似たことをするのが、投資運用会社である。そして、損をしたから(この場合は全部無くなったから)と云って、何の保証もないわけである。しかも、馬券を買ったのが、本人自身であれば、それはそれで納得いくだろうし、自分が賄えるリスクの範囲であったろうが、今回の場合は、その全額を預託していたわけだ。1部上場会社も入っているようだが、9割は中小企業の厚生年金基金だという。こうなっては、会社が、之を補填するなどと云うことも出来かねるであろうし、重大な問題であり、看過できない。私などは、こういった信託形式の運用をすること自体が罪悪だと思っている。好景気の時には、こういった預託を強力に推奨されるわけだが、大きな声で「ハイリターン」が期待できますよといい、小さな字で「ハイリスクであり、元本を保証するものではありません」と書いてある。しかし勧める側は前半のことを強調して、それならば、「少し託してみるか」という気にさせるのである。(1種のマインドコントロール)少し前に、サブプライムローン問題が起き、リーマンショックがやってきたが、この時預託した、お金は、網の目のようにサブプライムなどの株運用に潜り込んでいるため、そこだけを引きはがして、取り戻すことすら出来ないということであった。それが、「○○信託」と呼ばれる機関であり、その、「○○信託」自身が、解析した結果で、資金運用しているわけでなく、それをまた下請けに出しているという形式なのである。今回のAIJはこの下請けに相当する機関として、企業年金から預託を受けた資金の約2000億円を一括租税回避地(タックスヘイブン)の英領ケイマン諸島にある、私的投資信託を使っていたとのことだ。こう言ったことは、「証券取引法等監視委員会」のチェックすべき所ではあるが、そう言ったきな臭いところには逆に目が届かないといったのが当たっているようだ。それを良いことに、AIJは損失が起きても、粉飾した報告書をせっせと提出するものだから、預託した側も安心しきっていたという。極めて悪質な、やり口である。之を察知した会社も約60社ほどあるという。このご時世にこんなに高い運用実績はきな臭いと判断したようだ。極めて優秀な経理部門を持っていると感心する。こういった、60社が出来たチェックを、何故、それが専門である「証券取引法等監視委員会」が成しえなかったのか、極めて怠慢と云わざるを得ない。こう云った、下請けまでは手が回らないというのが正直なところであろうが、暴力団も幹部は家にいても手下が悪事を働くケースが殆どだから、この手下の動きも見張らないと意味がない。こういった投資顧問が契約した資産の総額は何と146兆円にも上ると云うから、他にもAIJに類した会社がないかを徹底的に洗い出して貰いたい。幸か不幸か、私が勤めていた会社は、俗に1流企業だといわれながら、企業年金の制度はずいぶん前から行っていなかったようだ。まさかこんな事を想定してのことではあるまいが、何ともはややりきれない気持ちであろう。人間負けが混むと、前後の見境が無くなる輩が多くいるようで、大王製紙のお坊ちゃまや、リーマンショック以来、株価の暴落で、巨額の損失を被った会社などは、ハイリスクと雖もハイリターンを期して、こう言ったところに手を染めると云うケースもあるようだ。オリンパスも似たような、やり方で、資金を回し、損失を巧みにかわしていた。一攫千金を夢見る側も悪いのかも知れないが、そう言った頭の回る人がもっとまっとうな方向にその頭脳を使えば、日本の国も少しはましになるのだろうと思う。そう言った話をしたわけではないが、皆それぞれのレベルで、幸せな生活を送っているようで、それはそれで、結構なことではないかと思った。帰りに連れ合いの兄のカラオケクラブで全員で「高校3年生」を合唱した。
2012.02.24
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日経新聞で、上記の特集が書かれていた。このところ、韓国に抜かれたばかりではなく、今や中国にもおいていかれてしまった日本の造船界が、今後どうなるかについて述べたものである。このように、日本の造船業は既に中国や、韓国に後れを取り、円高要因も相まって、受注はがた減りで、造船の2014年問題と称する、受注ゼロにも成りかねない状況下である。かつて、2007年にも中国や韓国の造船受注での大攻勢で、2010年以降には大量の船舶が供給されたために日本の造船業界も3~4年程度の受注残を抱えているものの、それ以降が勝負であるといった記事もあった。このような危機は、過去何度も言われ、その度に造船界の再編が叫ばれてきたが、昨年から、今年に掛けて、JFEホールディングスとIHIはいよいよ今年10月に統合する運びとなったようだ。之により、多少の効率化は望めるが、長期ビジョンを語れるほどには、抜本的な構造改革とは言えない気がしている。通常は、受注があり、それをこなしていくと利潤が出るのが当たり前の構造であろうが、中韓の造船の攻勢で、船価は下落、円高による影響は、受注して建造すれば赤字を累積する結果を招くまでになった。こういった状態は、過去にもあったが、事業を続けるためには、施設などの償却費を稼ぐためにも、赤字を覚悟での受注もあり得た。しかし、現実に、船価を低減することは、日本のような場合には、一定の給与水準を保っているために、コストダウンにも限界が出てくるのは必至である。日本の造船各社とも、受注残の取り崩しで、凌いでいるのが現状のようだ。そしてこのままでは2014年には受注残は底をつくというのだ。造船産業は、どんなに改革しても、又作業ロボット(溶接ロボット)などを導入しても、所詮は、労働集約産業であり、労働費がコストの大部分を占める事になる。換言すれば、材料費や、機器などの値段は、何処でも同じようなものであり、残りは工賃に掛かってくると言っても過言ではない。最近はどうなっているのか定かでないが、日本の平均年収を1にすると、韓国は0.7であり、0.05程度だと云うから、初めから勝負にならないことは解っている。しかも、鋼材あたりも中国製を使うなどと云うことでは、勝負しようとしても無理である。その一方で、海運各社は、工業資源の大量輸送を当て込んで、巨大船を大量に発注したものの、リーマンショックで、中国辺りでも、荷動きが低迷してきたため、船腹の余剰感が拭えなくなった。従って、造船界にとっては、之も大きな受注源を失う原因となるわけである。我々は、過去に於いて構造改革や危機対策など、為替により左右される最たる業種としての辛酸を舐め、身を削って、今日まで何とか生き延びてきたのであるが、最早今回の状況は、それらとは違った根本的な悪化要素を含むまでになってきた。設備面に於いても、かつては日本が支配的で、独創的な工法などを有していたが、それすらも韓国や中国に流れ、独自性を維持できるどころか、現代重工などでは、年28隻の新造船建造が可能な設備を持つという。昔は、船台2ヶ月、偽装2ヶ月といわれ、1隻を完成するまでに4ヶ月掛かっていた。今でもそれ位は掛かるであろうから、1年で3隻建造するのが関の山である。28隻というと、船台でも、ドックでも9台(9ドック)は有していると云うことになり、その工場設備の広大さは想像を絶する位に馬鹿でかいだろう。金融機関の幹部には、「造船会社の上層部ほど過去の成功体験に引きずられている」と言ったそうだが、必ずしも当たっていないと思う。造船業が、隆盛を極めた、その根本原因は国による支援であったろう。昔は、計画造船と言って、政府は1947年に、海運会社に対して船舶公団や復興金融公庫を経由して長期低利の融資を実施して造船会社に計画的に船舶を発注させることで、対外貿易に必要な船舶量を確保するとともに、造船の新規発注を起こすというものであった。そして、この計画造船は、1987年の第43次計画造船まで実施されたのだ。日本は、こういった、国による保護があったが、それは廃止され、全くの自由競争原理の下に置かれた。一方の韓国や中国は、国による造船業の振興政策があり、ある程度国の基幹産業として位置付けている。従って、彼我の差は開く一方なのであるが、韓国が中国に抜かれてのを見ても、韓国に於ける工賃の上昇が、船価に及ぼす影響が大きくなって来た事を示している。人々の暮らしが、貧しい頃は、低賃金で働いても、給与を得ることで満足していたが、徐々に裕福になるに従って、賃上げの要求もされるであろうから、何時の日にか、韓国や中国でさえも後進国に道を譲らねばならなく成るであろう。ちょうど造船大国のイギリスが凋落の一途を辿ったと同じ事が日本の造船業に於いても当てはまるのではないだろうか。最近は、車社会では、ハイブリッドカーや、電気自動車といった方向に進んでいる。船も同じ方向で、三井造船では環境負荷低減船(エコシップ)の建造が試みられている。CO2排出を少なくする船舶を建造している。しかし、特にこの場合のエコは、エコノミーと云うことを意味し、如何に低燃費で走れ、燃料代をセーブできるかという事に掛かっている。これらのことは、既に従来から行われてきたことであるが、線型を如何にすれば抵抗なく走れるか、又エンジンそのものを改良して、燃料を少なくして所定馬力を得られるかという事に掛かっている。イニシャルコストでは、韓国や中国に太刀打ちできなくなった今、ランニングコストを如何に抑えるかで、船主にお得感を売り込むかと云うことであろう。之もそのうち韓国や、中国に技術が流れるであろうから、今の内に稼いでおく必要があり、且つ次の手も考えないといけないだろう。ユニバーサル造船では、設計人員を増やし、新型船の開発を立ち上げて軌道に乗せるべく注力している。私などは、韓国や中国の後塵を浴びることになったのは、彼らに日本の優れた技術を供与して故だと思っている。ところが最近では、こういった高度の技術を海外の造船所に売却するというのだ。対象は今のところインドインドのラーセン・アンド・トゥブロ(L&T)と言うことだが、将来は、L&Tとの共同受注の道を探るとのことだ。造船の将来は、JFEとIHIの統合に見られるように、大規模巨大造船会社のへの道と、得意分野に絞った、ニッチトップとの両派に2極化していくだろうとの見通しだ。こういった目論見も最後は優秀な人材に依るわけで、今日のような造船斜陽化を感じさせる雰囲気の中では、なかなか思うように人が集まらないと云うことになるのではないか。2日前には、資源輸送船の建造費が急落したと出ていたが、積載重量15万トン超のケープサイズ型の船舶の建造費が2008年では、10000ドルであったものが、今年辺りでは、4800万ドルと、半値以下に下落していると云うことだ。世界景気の低迷から来るものもあるが、この低価格で建造し続けるわけには行かないだろう。国の施策も僅かではあるが、取られつつあるが、かつての様な国抱えの優遇策には成り得ないであろう。アメリカではシェールガスの採掘が進んでいるという。日本でも最近やっと愛知沖で、メタンハイドレードの試験採掘に手がついたようだ。こういった、海底資源を掘削するリグなども今後需要が高まると思われる。純粋な船で、しかもタンカーやばら積み貨物船、鉱石運搬船などのように何処ででも出来るものを対象に韓国や中国と競争しても所詮無理があるだろう。関空建造時代にメガフロートの考え方もあったが、力関係で、土木側の埋め立て方式に変わってしまった。今、メガフロートの需要も掘り起こしてはどうだろうか。沖縄の基地をメガフロート上に乗せるといった考えもあながち否定しなくてもいいのではないかと思う。
2012.02.23
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65歳以上はまだ高齢者じゃない。4年ほど前に75歳以上は後期高齢者と云うレッテルを貼られ、医療面では優遇を受けると云う建前で、自公時代に後期高齢者医療制度は導入された。後期高齢者医療制度は医療給付費の約5割を国費(税金)、約4割を現役世代からの支援金、約1割を高齢者自身の保険料で賄うと言うことになっていた。高齢化が進む中、医療費が増大するのに対応して、高齢者にも一定の負担をさせること狙った制度であった。しかし施行してみると、制度導入時に所得の低い高齢者の保険料負担が急増したり、年金からの天引きで保険料を徴収したりしたことに加え、75歳以上だけを別枠の制度(邪魔者扱い)にしたことなどから批判が噴出し、結局、同制度は廃止となり、新たな仕組みをどう構築するかが政権交代後の民主党の大きなテーマになっている。政府はこの度、「高齢者」の定義を見直そうとしている。「高齢者」とは所謂お年寄りであるが現在の定義では、65歳以上の人のことを指している。従って我々は既に高齢者の仲間入りとなっているわけである。65歳以上を更に分けて、65歳以上75歳未満を前期高齢者(ヤング・オールド)、75歳以上を後期高齢者(オールド・オールド)として区分する場合もあると言うことだ。自分が中学生や高校生時代には、65歳は十分におじいさんであると感じた。ところがこのおじいさん年振る毎にその割合が増え、支えて貰うはずの若者や現役達にとって率が段々増えてきたのである。又このおじいさんやおばあさんたちがなかなか死なないと来ているのだ。それとは反比例するかの如く出生率は少し上がったものの1.37と現状人口を維持していくためにはまだまだ少ないのである。人は能力に関係なく1年で1つ歳を取るわけで、生まれない、死なないでは、老齢者の割合が増えるのは自明の理である。現在の人口を維持するためには、出生率2.01は必要であると言うが、なかなか及ばない。政府は、小手先の手をいろいろ考えているのかも知れないが、一向に拉致があかない。過去何人もの少子化担当大臣を生産してきたが、これら大臣達は一筋の光明を残すことなく次々に変わっていった。大臣を置けば何とかなるというものでもなく、之ばかりは盲腸のような大臣達であった。そうなれば、人口が減少する将来に向けて、一人当たりの生産性を上げる以外にはないのだが、之もおいそれとは巧く行かない。基本となる教育1つ取っても、まるで満足なことになっていないほか、名目上の大学に入って、大学卒(学士)の称号を得る若者達が増えているだけで、真に学力が向上し、生産性が向上する事が期待できる基盤になっているとはとても思えない。分数の計算が出来ない者を大学生と呼べるだろうか。又ロンドンとイギリスの国は何処にあるのですかなどと、云う質問まで、何のてらいもなく出てくるのである。この大きな要因は、女性の社会的地位の向上とそれに押されてか、草食性と言われる男子の増加である。女性の社会進出は、実に好ましいことであるし、粘り強い思考で日本のパイオニアに成っていただきたいところだが、そうなると、結婚して子供を儲けると云うことがなかなか難しくなり、反比例の関係とまではいかないが、家事や育児に払う時間が取れなくなると云うのが現状のようだ。草食系男子は、その名の通り、牙を抜かれたライオンのようで、なかなか獲物(女性)を捕獲しようなどと云う気持ちさえ起こらず、だだ、女性サイドからのオファーを待っているというのではないかと思われる。女性は、かつて、通常、男性のパラサイトとして、やって来たわけであるから、むしろ、家事を引き受け男性を働きやすい環境に置き、子供もそれなりに出産していたのである。之が逆転すると、「オネエ」は子供を産むことが出来ないわけで、出生率の低下は免れない。そんな事態が既にここにあるというのに、未だ、支援する体制が十分どころか、まるで機能していないというのが現状である。幼少の頃から保育所や、幼稚園などを通じて、他人の厄介になりながら生活することは、可愛そうであるが、又そういった経験を振ることが、幼児期に必要な社会性を身につけるためには必要なことかも知れない。それすら充実していないのだ。話を戻すが、こういった風に掃き溜まった高齢者は、増え続け、2030年の日本の人口は2010年時点から10%近く減って、1億1500万人台になり23%だった高齢者(65歳以上)の人口割合は30%を突破。ほぼ3人に1人が高齢者になると云われている。あと20年先だから、私も高齢者として残存しているかどうかは解らないが、我々よりも3年後の団塊の世代と言われる、団塊おじいさん・おばあさんは確実に増加しているだろう。そこで政府は得意の目くらましに出ようと云うことだ。見方を変えよう。今まで65歳をおじいさんと思ってみていたが、じっくりと観察してみると、なかなかどうして元気じゃないかと云うことである。しからば定義を変えて、65歳は未だ壮年であるとすれば、之を支えるのは自分自身で行うべきで、今の現役や若者にとって、見かけ上のサポート対象が減るというわけだ。そこから得られる事項は多い。年金や介護の社会保障費は、まだまだ支払わなくて良いと言うことになる。各種の控除や、老人優遇パスなどの発行も不要である。掛け声ばかりで未だ定着したと言えない65歳停年延長制も、年金の支給時期が、暫時遅らされているにも拘わらず、之に連動していないのである。お金は出せないが、停年を延ばす段取りは出来ているといった按配で、実質的に現在の60歳から65歳の人は、何らかの空白期間が生まれるという話になる。新聞によると、60歳以上で、自分が健康だと思っている人は実に65%に上るという。特に団塊の世代(1947年~1949年生まれ)と言われる人は、今なお社会の第1線で働く人が多いともいう。それでは何歳から高齢者になるのかと見てみると、年齢による線引きはしないのだそうである。柔軟に対処するという政治的な文言から、例えば、未だ働いている人は元気なのだろうから、高齢者じゃなく、働く意思があっても家でぶらぶらしている人は高齢者としてしまおうというのかも知れない。そもそも、65歳以上を高齢者と定めたのは、1950年代に国連が統計上の分類として打ちだしたものに準じている。なおその当事の日本人の平均寿命は男性が63.60歳、女性が67.75歳と言うことで、老人(高齢者)とは概ね平均寿命に達した人という意味合いであったようだ。しかし、2010年には、この値が男性79.64歳、女性86.39歳となったわけであるから、過去の決め事が無意味なものとなったと云うことだろう。新しく生まれてくる赤ちゃんは、漸減し、15~64歳の人口も之に習って減少するという中、65歳以上の人は、平均寿命を延ばしていくというのだから、無理からぬ話である。日本では、国立社会保障・人口問題研究所で人口減少問題、少子化問題、そして高齢化問題について統計と予測をしているが、それによると、少なくとも、10年前から日本の人口は2000年にそのピークを迎え、それから漸減して、2050年には1億人となり、100年後には半減することも考えられるという見通しであった。そう言った見通しを得ていたにも拘わらず、ジェスチャーだけの人口対策に終始し、足下の問題で浮き足立った対応しかできないとは、情けないというか、人口研究所を置く意味がないとも云える。なおその時点での、2050年に於ける高齢化比率(65歳以上の人口)は、35.7%であると言うことから、多少は何か策を講じた結果が出ているのかとも思えるが、それとて、大した施策の変更も見られないわけで、行き当たりばったりの結果が今日であると言うことなのだろう。今回の見直しは、高齢者=65歳以上という定義を変えるのだから、高齢化率は分子が少なくなり、値が小さく出てくるのは当然のことである。こういった小手先の問題だけに終始していては、何ら抜本的な解決には成らないだろう。
2012.02.22
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日経新聞に、こういう見出しで記事が掲載されていた。中国の元最高実力者、トウ小平が南部都市を周り、市場経済化の大号令を掛けた「南方講和」の最終日から20周年に当たる日だという。経済に疎い私などが書くのも気が引けるが、中国はそれまで、社会主義統制経済で、一貫していたところを、社会主義は理念として、残しながら、西欧に於ける資本主義の考えを導入するというものであった。しかし彼らにも意地があり、資本主義は穢れたものであると言うことで、敢えて、市場経済という名前を作ったのである。市場に於いては、需要と供給の関係で、成り立つと言うことだが、元々他利を考える国柄ではないので、あるものは全て利用し、偽物であろうが儲かるとなればなり振り構わずにやってのけるといった貪欲さがある。こういった中、市場に金がぐるぐると回り始めたのである。その富を掃除機のように吸い取ったものが富者となり、特権階級となって之で社会主義国家かと思わせるほど富は偏在して貧富の差は日本以上に激しくなった。所得格差を表す係数にジニ係数というのがあり、格差がない社会はこの値が0となり、この値が1に近づくほど格差が広がっていると言うことを意味する。計算式は難しくはないがサンプル数が多くなると煩わしいので、今仮に年収2000万円の人と500万円の人が居るとしてこのジニ係数を計算すると、平均差:(|2000-500|+|500-2000|)/2 =1500平均値:(2000+500)/2 =1250ジニ係数:(平均差)/(平均値の2倍)=1500/(1250×2)=0.6(注)| |は絶対値を示す。と言うことで、0.5を越えており、数値から見る通り、かなり格差が激しいというわけである。新聞に示された、中国の過去のジニ係数をグラフ化したものによると、1997年のジニ係数は0.37程度であったものが、ほぼリニアに右肩上がりを示し(即ち格差は毎年上昇の一途を辿り)2006年の値は0.46とクリティカルに近いほど、かなり格差が広がっていることを示す。OECDなどの調べによると、ジニ係数が高い国としては、メキシコ、トルコなどの0.4を越える国から、高い方ではアメリカの0.37程度のもの、そして日本では0.28が0.314に上昇していると言った値が出されている。因みにOECDの平均値は0.31と言うことらしい。これらの国から比較しても、中国は、2006年以降も格差がますます広がる傾向にあり、世界1の格差大国であることも間違いない事実のようだ。そこで、トウ小平が行った市場経済に基づく経済発展を今後も推し進めていくのか、(資本主義の仮面を被った共産主義)政経一体化となる、社会主義の方に軸足を置くのかが次期習近平主席の考え方に掛かっていると言うのだ。その答の1つとして、習近平は訪問先のアイルランドで、中国の経済成長率の目標を1%程度下げることを発表したのである。現胡錦濤主席はトウ小平の正統な後継者を自負するものの、がちがちのマルクス主義者であることから、必ずしも市場主義を支持しているはずはないと言うことだ。表向き敢えて市場主義に反対はしなかったが、政権のスローガンに「和諧(わかい=調和の取れた)社会」を掲げていることからも、政府による所得再配分を目指していたことが見え隠れしている。そこに起こったのがリーマンショックである。この時、市場経済に任せた事により乱脈な経済破綻が起こったとして、中国ではいち早く国家介入で、50兆円の景気刺激策を打ったのであり、胡錦濤は、その手段で経済を回復軌道に乗せたとする自負がある。それを「国家資本主義」と称しているが、之を押す者達は、市場のみに任せる自由主義経済は、時にこのような破綻を招くと言いたいのであろう。一方では、市場経済化を推進した、朱鎔基元首相などの一派は、「貧富の差が拡大したのは市場経済のせいではなく、権力側のチェックの緩み、即ち政治改革への怠りのために、一部特権層の出現を黙認したからであるという。これら両天秤の要にいる習近平はいかなる方向に舵を切ろうとするのかが注目されているというわけだ。天安門事件を武力制圧したと言え、トウ小平の晩年に於ける南方講和(南巡講和)が中国経済の躍進に貢献したことは否めない。現政権は、ひたすら、経済発展には満足しているものの、共産国家としての体制が脅かされることを畏れている。南巡講和もそう言った停滞感からの打開策として、トウ小平は内密に事を進めていた。彼は北京ではなく、広東省を選んだのには、それなりの理由があったのであろう。中国のような広大な国土を一定の規制で進めることは難しいだろう。為に、多くの官吏が登用されざるを得ないが、これら官吏は、官吏独特の感覚を醸成し、自ら与えられた権力を精一杯行使して、己の任用中に巨額の金を集めることに意を注ぎ始める。こうして得た既得権は絶対に離そうとしないのであるが、之は、何も中国に限らず、日本の官僚の中でもほぼ常識的になっている。ここに来て、中国が、国家統制経済の必要性を感じ始めたのも事実であるが、その歪みが起こっていると言うこともある。中国を真の市場主義を定着させるためには、林立する同種企業の淘汰と統合である。経済に歪みが生じているのは、これら国営企業と民間企業との競合に於ける混乱がある。そして、この統合は、後に国家権力と密接な関係を持たざるを得なくなるというジレンマに陥ることであろう。一方では、中国は経済発展を遂げたとは言え、基幹になる産業が自国だけでは育っていないという点も挙げられる。SONYをもじって、SQNYと称したり、CoCaColaをCaCaCalaなどと言ったりしているようでは、どうしようもない。かといって自国ブランドを作って売り込もうとしても、そうたやすくブランドが出来上がるわけでもない。中国は、何十年か前の日本の道を歩んでいるようだ。とにかくアメリカや、西欧にキャッチアップすることで、何とか立ち上がろうとした。そして守りから、離れ、そしてブレークスルーして破るという自己の実力までに高めたが、中国は、守という段階からなかなか脱しようとしない。その原因は、やはり、国家統制下にある企業の存在であろう。安定した成長というか、確実なものを求めるのは、世の常であり、一旦ヒット商品を出したら、なかなか、次が出てこないと云ったこともあるだろう。その根源は国家企業偏重の経済政策にあるというわけだ。得てして国有企業は、競争するマインドが無くなり、イノベーションに対して消極的である。中国が、近い将来GDPにおいて世界のトップに成るであろうことは予想されているが、13億人の全てが、それ相応の富を手に入れるまでにはなかなか至らず、格差の社会はますます増長し、それ故に近い将来、圧倒的多数を占める貧困層が、再び立ち上がり、第3の天安門事件が起きることも又考えられるわけである。
2012.02.21
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第三十六段【本文】「久しくおとづれぬ比、いかばかり恨むらんと、我が怠り思ひ知られて、言葉なき心地するに、女の方より、『仕丁(じちやう)やある。ひとり』など言ひおこせたるこそ、ありがたく、うれしけれ。さる心ざましたる人ぞよき」と人の申し侍りし、さもあるべき事なり。【訳文】「長い間、女の家を訪れないでいる時分に、どんなに恨んでいることであろうと、自分の無沙汰の怠慢さが思い覚えられて何と言いわけしてよいか、よいことばが見あたらない気持ちがする時に、その女の方から『仕丁がおりますか。いましたら、ひとり貸し下さい』などと、手紙でいってよこしたのは、実に思いがけないことであって、うれしいものだ。そうした気だてを持っている女こそ好ましいものだ」と、ある人が申しましたことは、いかにももっともなことである。【注釈】・怠り:無沙汰の状態・仕丁:召使い第三十七段【本文】朝夕、隔てなく馴れたる人の、ともある時、我に心おき、ひきつくろへるさまに見ゆるこそ、「今更、かくやは」など言ふ人もありぬべけれど、なほ、げにげにしく、よき人かなとぞ覚ゆる。 疎き人の、うちとけたる事など言ひたる、また、よしと思ひつきぬべし。【訳文】 ふだん、何の隔てもなく馴れ親しんでいる人が、どうかいう時に、自分に気を使かって、改まった身だしなみをしている様子に見えるのは、「いまさら、そんなにしなくても良いではないか。」などと言う人もあるに違いないが、それでもやはり、誠実であって、よい人だなと思われるのである。 この反対に、親しくない人が、思いがけず、うちとけた事などを言っているのは、これまた、よい人だと、きっと心をひかれるに違いない。【注釈】・心おき:気を使う・げにげにしく:誠実で・よき人:教養のある人第三十八段【本文】 名利(みやうり)に使はれて、閑かなる暇(いとま)なく、一生を苦しむるこそ、愚かなれ。 財(たから)多ければ、身を守るにまどし。害を賈ひ、累(わづらひ)を招く媒(なかだち)なり。身 の後には金(こがね)をして北斗を柱(さゝ)ふとも、人のためにぞわづらはるべき。愚かなる人の目をよろこばしむる楽しみ、またあぢきなし。大きなる車、肥えたる馬、金玉の飾りも、心あらん人は、うたて、愚かなりとぞ見るべき。金は山に棄て、玉は淵に投ぐべし。利に惑ふはすぐれて愚かなる人なり。 埋もれぬ名を長き世に残さんこそ、あらまほしかるべけれ、位高く、やんごとなきをしも、すぐれたる人とやはいふべき。愚かにつたなき人も、家に生れ、時に逢へば、高き位に昇り、奢(おごり)を極むるもあり。いみじかりし賢人・聖人、みづから賎しき位に居り、時に逢はずしてやみぬる、また多し。偏(ひとへ)に高き官・位を望むも、次に愚かなり。智恵と心とこそ、世にすぐれたる誉も残さまほしきを、つらつら思へば、誉を愛するは、人の聞きをよろこぶなり。誉むる人、毀(そし)る人、共に世に止まらず。伝へ聞かん人、またまたすみやかに去るベし。誰をか恥ぢ、誰にか知られん事を願はん。誉はまた毀りの本なり。身の後の名、残りて、さらに益なし。これを願ふも、次に愚かなり。 但し、強ひて智を求め賢を願ふ人のために言はば、智恵出でては偽りあり、才能は煩悩の増長せるなり。伝へて聞き、学びて知るは、まことの智にあらず。いかなるをか智といふべき。可・不可は一条なり。いかなるをか善といふ。まことの人は、智もなく、徳もなく、功もなく、名もなし。誰か知り、誰か伝へん。これ、徳を隠し、愚を守るにはあらず。本より、賢愚・得失の境にをらざればなり。 迷ひの心をもちて名利の要を求むるに、かくの如し。万事は皆非なり。言ふに足らず、願ふに足らず。【訳文】 人間にとり、名誉・利益の二つに使役されて閑暇というものがなく、長い生涯を苦しめ続けることは、まことに愚かなことである。この二つの欲望のうち、利益につき考えてみると、あまりにも財産が多いと、それを守ることにつとめて、自分の身を守ることがおろそかになるものである。多くの財産は、他人からの危害を自ら求め、難儀を抑きよせる媒介物なのである。自分の死後には、金を積み重ねて北斗星をささえるほどあっても、それはかえって、後に残った人にとって、迷惑な物と思われるであろう。愚かな人の目をよろこばせる快楽というものも、またつまらないものである。たとえば、大きな車や、ふとった馬や、金や玉の装飾のごときも、物の道理をわきまえた人は、何ともひどく、愚かなものと見なすことであろう。黄金は山に捨て、宝玉は淵に投じてしまうのがよい。このように考えてくると、物質上の利益に迷うのは、特に愚かな人なのである。 もう一つの欲望である名誉についていうと、いつまでも埋もれることのない名声を長い後世まで残すということこそ、誰もそうありたいと願うことなのであろうが、しかし、位階が高く、高貴な身分の人だけを、すぐれた人と言うことができようか。なぜならば、愚かで劣っている人でも、よい家の生まれであり、運のよい時にめぐり合えば、高位に昇り、ぜいたくのありったけをしつくすこともあるのである。これに反して、昔から、非常にすぐれた賢人・聖人が、自身は低い位に甘んじており、また運のよい時世にめぐり合わないで終わってしまったことも、これまた多いのである。こう考えてくると、いちずに高官高位をほしがることも、物質上の利益への欲望に次いで愚かなことなのである。 以上のような世上の名誉欲ではなくて、智恵と心の二つが、特に、一般の世間よりもたちまさっているという名声をも残したいものであるが、よくよく考えてみると、名声を大切にするのは、世人の評判を喜ぶことである。しかし、その誉めてくれる人も、また、悪く言う人も、ともどもに、いつまでも世に生存するものではない。名声を他人から伝えられて聞く人も、またすべて、たちまち世を去ってしまうであろう。こうした中で、自己の名声を誰に対して恥じ、また、誰に認められることを願うものであろうか。その上にまた、自己の名声は、他人から悪口を言われる原因なのである。こう考えてくると、死後の名声というものは、残っても、少しも自分のためにはならないものである。したがって、智恵と心とが世間よりたちまさっている名声を望むのも、高位・高官をほしがるに次いで愚かなことなのである。ただし、世間の評判のためではなくて、ただひたすらに、智そのものを得たいと思い、賢そのものに成りたいと思う人のために言うならば、その智恵が発達することで人間の虚偽が生じたのであるし、賢い才能というものも、人間の煩悩が発展・拡大したものである。一体、他人から伝えられたのを聞いたのや、他人に学んで知ったのは、ほんとうの智ではないのである。そこで、いかなるものが智であると言うことができるか。世の中で可といい、不可といっても、はっきり区別できるものではなくて、一つながりのものなのである。またいかなるものを善と言うのであるか。以上述べたような、人間の相対的な境地を超越した、まことの人には、人間的な智もなく、徳もなく、功もなく、名声もないのである。そういうまことの人の境地は、あまりにも高いので、人間の誰がそれを認知し、また言い伝えようか。それはできないことである。このまことの人は、自分の徳を隠し、愚者のどとくに身を保つのではない。もともと、賢愚・利害というような、人間の低い境地にいるのではないからである。 人間が、自己の迷った心で、名誉や利益の欲を追求すると、以上のようなことになる。欲望の対象となるすべてのことば、みな否定されるべきものなのである。したがって、言い立てるにも及ばないし、また、得たいと願うにも及ばないものである。【注釈】・名利:名誉と利益・まどし:おろそかになる・人の聞き:世人の評判・一条なり:ひとつながり第三十九段【本文】 或人、法然上人に、「念仏の時、睡(ねぶり)にをかされて、行を怠り侍る事、いかゞして、この障りを止め侍らん」と申しければ、「目の醒めたらんほど、念仏し給へ」と答へられたりける、いと尊かりけり。また、「往生は、一定(いちぢゃう)と恩へば一定、不定と思へば不定なり」と言はれけり。これも尊し。 また、「疑ひながらも、念仏すれば、往生す」とも言はれけり。これもまた等し。【訳文】 ある人が、法然上人に向かって、「念仏を唱える時に、睡気におそわれて、念仏の行を怠けますことがございますが、どうして、このさまたげをやめましょうか」と申し上げたところ、上人は、「目のさめている間は、念仏を唱えなさい」とお答えになったが、これは、たいへん尊いことであった。 また、ある時は、「往生は、きっとできると思えばきっとできることであり、できるかどうか確かでないと思えば、不確かなことなのである」と言われた。このことばも、尊いことである。 さらにまた、「往生できるか、どうかと疑いながらでも、念仏すると、往生するものである」とも言われた。このことばもまた尊いことである。【注釈】・一定:確実必然な事第四十段 因幡国に、何の入道とかやいふ者の娘、かたちよしと聞きて、人あまた言ひわたりけれども、この娘、ただ、栗をのみ食ひて、更に、米の類を食はざりければ、「かかる異様(ことやう)の者、人に見ゆべきにあらず」とて、親許さざりけり。【訳文】 因幡の何において、何の入道とかいう人の娘が美貌であるという噂を聞いて、多くの人が求婚したけれども、この娘というのが、ただ、栗だけをたべて、少しも、米の類をたべなかったので、「こんな変わり者は、他人に嫁ぐべきものではない」と言って、親が許さなかった。【注釈】・言いわたる:言い寄る・見ゆべき:嫁ぐ
2012.02.20
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1ヶ月に1回開かれているという、連れ合いの兄が経営するクラブでカラオケ大会に2回目の参加をした。175回目という事で、月に1回開催していると言うから、15年は続いていると言うことだ。従って、勿論当初の常連さんも変わってはいるだろうが、中には80歳を超える老齢の方も参加している。歩くことは不自由でも、椅子に腰掛けたままで朗々と歌う様は、元気いっぱいに見える。ゴルフで80歳を過ぎてラウンドしている人もいるし、人それぞれに、何か目標を持って生活することが、張りになるのだと言うことを感じる。我々は、勿論若い方で、更に若い人でも還暦は過ぎている。2回目なので要領は分かっている。前回は、申告した得点が低すぎて、オーバーしたために、BB(ブービー)賞になった。ゴルフで言うオネスト・ジョン方式である。特に今日は、懐メロシリーズだと言うことで、結構古い歌が歌われた。前回は13人の参加であったが、今回は15人と参加者が増えていた。増えた参加者は、連れ合いの幼友達の夫婦だと言うことで、連れ合いが子供の頃にお寺の境内で、みんなを集めて美空ひばりを歌っていたとか裏話を聞かせて貰った。例によってカラオケ機械2台が出す点数を足して、2曲の合計点に対してのオネスト・ジョン方式である。即ち、機会が出した合計に一番近くしかも越えない点数を申告した人が優勝となるルールだ。(例えば、自分の力が、どの機械も80点程度出すと考えたら2台の機械が2回評価するわけだから80×4=320点が想像される点数となる)ところが、機械は機械だが、本当に再現性があるかどうかも解らず、聴いていて巧いと思う人出も点数は上がらなかったり、たいしたことはないと思われるような歌でも、高得点が出るといった具合で、一般にカラオケを歌う人に「もう二度と来るか!」と思わさないような配慮が働いていることは容易に想像できる。さらに、15人を競馬よろしく、枠組みを作り、誰が優勝するかを当てる連勝単式方式もあるから、こちらの方も当てなければならない。しかし、この方は、より以上に予想は難しく、当たるのはまぐれと言うことになる。しかし、1口500円という馬券は、参加者最低2口ということで、30口×500円=15000円と言うことだから、返って優勝するよりも率が良いかもしれない。更に、最近は該当者無し、と言うことで相当プールされているようなので、楽しみは倍増である。勿論下手は下手なりに申告点を低くすれば当選圏内にはいることは可能であるから、歌の巧拙は問われない形になっている。とはいうものの、長年歌ってきている皆さんは、結構甲乙付けがたい位に上手に聞こえるのである。となると、機械がどのように判定するかと言うことだが、之が今ひとつ理解しがたい反応をするわけだ。音程がずれたらとか、歌い出しが遅れたり早かったりだとか、リズムが合っていないとかで判定しているようでもないのである。機械であるから、なにがしかのしっかりとした基準があるはずなのに、とにかくあまり納得出来ていないのが現状である。自分の歌を機械がどう評価するかを会得するまでには、通い詰める必要があると言うことかも知れない。巧くしたものである。いよいよ歌合戦が始まった。皆の申告は、345点が最高で以下341点・・・・と最低の申告は連れ合いの310点である。散々低すぎると言うことを言っても頑として聞かない。何しろ低音の高音域の歌手の歌が低音で歌い切れるかというのを気にしたようだ。私は前回オーバーしたので、その分を見越して高めの332点を申告しておいた。最初に歌った人は、「潮来笠」で、1曲目の点数の1つの機械は伏せてあるので、1つの点が出されるが、92点と高得点である。一気にオーバーが予想された。こういった調子で、連れ合いの番になり「波止場しぐれ」を歌うと、90点と之も高い。彼女が「波止場しぐれ」を歌うのは、太郎君のお嫁さんが小豆島生まれで、つい先頃我々も小豆島に生き、土庄港から高松へ行く船に乗ったときの印象が気に入ったからであるようだ。石川さゆりの高音が出せないと点数を低めにしたらしいが、昔混声合唱でソプラノを受け持っていたのだから、もっと高い点をと言うのに聞かない。どうやら前回大幅にオーバーしていたのを気にしている風であった。案の定オーバーは確実で、馬は枠外である。私が「好きだった」を歌うと、やはり92点であり、之も高すぎる。それまでの人では、85点が最低で、それを例外とすると、89点が最低、中には94点が1人出た。歌が上手いことで通っている女性であった。私の後から歌った人も、最高点の94点の人の他も全て、90点以上と言うことだった。体操ではないが、最高点(94点)と最低点(85点)を除外して、皆の平均を取ると、90.9点との高得点で、皆さんオーバーの気配であった。どうやらこの機械は高めに出るようだ。2曲目が始まる前に、前回同様会席の膳が配られる。御寿司というチョイスもあったが、前回同様幕の内にした。飲み放題のお酒も酔っぱらっては歌えないと、少し控えめになる。食事が終わると後半戦の始まりである。後半戦は、歌った直後に両方の機械の得点が明らかにされるのだが、全員が歌い終わってしまわないと、1曲目の伏せられた点数が明かされないので、全員が歌い終わった時点でないと、勝敗は解らない。 最初のおじいさんの2曲目は「古城」であった。得点は(77+91)点である。選曲は店に入ってからの申告なので、私とダブってしまっている。之は一寸プレッシャーだと感じた7番目の連れ合いは「池袋の夜」を歌い(84+85)点であった。高音を抑えて、青江三奈風な低音の歌い方も、なかなか上手く、選曲としては新鮮で良かったが、如何せん申告点が低すぎたようだ。1人おいて、私は1番の人と同じ「古城」を歌った。得点は(75+87)でそのおじさんに、6点も差を付けられてしまった。途中の歌詞の出足が早すぎておかしかったが、それが反映したのだろうか。それなら納得できるのだがと、結構内心はこだわった。そんな具合で、全員が歌い終わったが、私と最初の人が「古城」でダブっていたので、3人目の人は曲を変えたとか言っていた。そんな風に、ダブった曲は「潮来笠」、「湯島の白梅」があった。結構皆さんお上手で、隠し得点を加えて総合得点のトップは、何と、連れ合いの349点であった。然るに自己申告点は皆の中で最低の310点であるから、その差39点もオーバーという考えられない見通しであった。次も女性で、346点である。連れ合いの子供の頃からの知り合いとかで、先頃喉の手術をしたと言われていたが、歌は上手いと前評判の人だった。私の場合は、真ん中どころで336点と連れ合いとも13点も差を付けられ、何やらゴルフのお返しをカラオケでやられたような気がした。優勝(金)はロンゲのおばさんで、「雨の中の人」と「湖畔の宿」を歌い313点と申告点ぴったりであった。銀はメガネのおばさんで、「お富さん」と「お座敷小唄」を歌い、申告点333点に対し331点で2アンダーだ。銅は点数をせかせかと書いて、研究に余念がないどうやら5歳年上のおばさんで、「一週間に十日来い」と「まつの木小唄」を歌い、333点の申告点に対し、330点と3アンダーと言うことで、銀の人と1点差だった。前回私が取ったブービー賞は、「高原列車は行く」と「潮来笠」を歌い、申告点319点に対し、337点で、18点オーバーの一寸頭髪の薄い丸顔のおじさんであった。因みに私は申告点332点に対して336点と4オーバーであり、次回こそはアンダーを出せそうな気がしている。懐メロ曲集と言うことだったが、知らない歌で、高校時代の先輩の「アメリカ通いの白い船」、「公園の手品師」などがあった。後は昔良く聴いた歌で、手拍子が出る歌が多かった。
2012.02.19
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その昔「ニッポン無責任時代」という映画が流行った。今は亡きクレージーキャッツのコメディ映画である。この映画が製作されたのは1962年で、私が学生の頃のことである。植木等が高らかに歌う、「スーダラ節」や「サラリーマンどんと節」で、「サラリーマンは気楽な稼業と来たもんだ。・・・・タイムカードをガチャンと押せば、ちょっこらちょいとパーにはなりゃしねぇ」と歌っていた頃を思い出す。時あたかも日本の高度経済成長期の真っ只中であり、全てのものが、右肩上がりで、今映画「3丁目の夕日」で振り返っている東京オリンピックの開催やベトナム戦争、三波春夫の歌で宣伝した大阪万博などによる特需等で、日本は国民総生産(GNP)が資本主義国家の中で第2位に達した時代である。学生気分で、日本の国は安泰だ等と感じたものだ。しかし、タイムカードを押しただけではなく真面目に働いたと自負している。当事は、日本のマジョリティーがサラリーマンであったので、日本全体が無責任という風潮で、茶化したが、私の感覚では、それなりに、皆頑張っていたのではないかと思っている。ところが昨今の風潮を見ると、どうにも無責任なことが多すぎるように感じるのである。この間福島原子力発電所事故調査委員会における斑目春樹原子力安全委員会委員長や寺坂信昭前原子力安全・保安院長の発言を聞いていて、このおじさん達は一体何を言っているのだろうかと無責任者第1号、第2号であるような気がした。斑目委員長は東京教育大附属から一直線に東京大学に入り修士課程まで修了したエリートである。しかし、おそらく東大教授時代から「先生、先生」と呼ばれ、世間からは隔絶した社会で育ってきたことは、想像に難くない。全く同世代に東大工学部で学んでいた馬鹿鳩(鳩山由紀夫)を思い出した。この2人が東大を代表しているとは思わないが、実に無責任さ加減では酷似しているのである。どうやらその時代の東大工学部には何か無責任ウィルスがはびこっていたのではないだろうか。斑目委員長は、原発事故に関して、審査指針類に瑕疵があったことは認めざるを得ないと述べ、表面上は謝罪したものの、その実、自らの責任を完全に国に、また事業者(東電)転嫁しているのである。手短に言うと、安全委員会として指針を出すと、それによって、事業者は安住し、それ以上の安全追求を怠っているとし、政府はそれをそのままの基準を是として認める。さらに、それを以て、お上のお墨付きとして原子炉が運転されているのが現状である。根本的に、自己の責任を回避することに終始しているのである。更に陳述した寺坂信昭前原子力安全・保安院長に至っては、「私は事務系なので、よく分かった人を官邸に残す方がよい」と考え、保安院に帰ったというのである。要するに、事故後の善処についての中枢から去ったと言うことなのである。専門の部下を帯同するとしても自らも前線に残るべきではないのか、と言うことで、敵前逃亡に等しいわけである。こういった、連中に、原子力の安全を担保させているかと思うと、これ以上原発を続行することに危惧を持たない訳にはいかないのであるが、政府は必ずしも、その姿勢を見せないのである。ましてや東電社長の発言を見る限りは、責任の片鱗をも感じず、原発がなければ停電し、日本の産業は壊滅するぞとの脅しの下に、電力料金値上げをぬけぬけというのである。「三すくみ」と言うのは状態を思いだしたのである。「三すくみ」は色々な形態があるが、思い出すのは、児雷也の話であり、カエルに変身できる児雷也とナメクジの妻そして、ライバルの大蛇の関係である。ヘビ → カエル → ナメクジ → ヘビ …… とどこまで行っても解決せず、すくんでしまうと言うものだ。ヘビはカエルを一飲みにできる。ヘビには負けるカエルだが、相手がナメクジならばやすやすと舌でとって食べる。ところがカエルに食われるナメクジは、身体の粘液で(カエルより強いはずの)ヘビを溶かしてしまうと言う寓話である。従って、この時カエルがナメクジを食べてしまうと、その後ヘビに食われてしまうから、カエルはナメクジを食べられない。ヘビ、ナメクジも同様の状態となるわけで、このため、三者とも身動きがとれなくなるというのだ。今回の原発事故では、三すくみどころか、何十にもすくんでしまっているのである。従って、各機関のトップが話す内容は、どれも第三者的発言であり、実に他人事なのである。そして畢竟、機関(例えば原子力安全委員会)はあるが、ただ、助言、アドバイス、之位ならどうかと言ったところであり、我が身がその危機に曝されたらどうなるのかと言うこと、そうならないようにするにはどうするのかと言ったことまで腹をくくってリードすることなく今日まで来ているのである。そもそも、原子力安全委員会と原子力安全・保安院の2つの機関のミッションの違いがよく分からないのである。縦割りが良くないという話もあるが、このような安全に関する機関が鼎立すれば、百家争鳴で、数多の意見が出ることは自明であり、それをとりまとめるのが誰なのかが明確にならないわけだ。そう言った権限の分散化には危機管理が及んでいるが、それ故に誰も責任を取ることが必要ないと言うことになるわけである。本来なら、もう何人かの逮捕者が出ていて然るべきなのに、誰も温々としているばかりでなく、電気が無くなればどうなるか解っているだろうな、的な脅しで、原発をなお推進するスタンスで、物事が進んでいるのである。この事態を踏まえて、4月からは原子力安全委員会+原子力安全・保安院=原子力規制庁と統合されるようで、何となく一元化されるような錯覚を受けるが、之も国民の目を眩ます事でしかないと言わなければならない。テレビでは、原子力規制庁とは言うが、規制は推進と読み変えた方が良いという見方も言われている。原発が無くなれば、たちまち原子力村は瓦解することになり、大量の有能な人達が干上がるという現実があるから、原発を廃止するという方向にはならないのだろうかと考えてしまうが、そこの所を巧く考えないと、この危険は永久に続き、40年を経過した原子炉も、なお使われて、やがて、汚染地区が増えると言ったことの危険性を残すことになる。事故後の体制にしても、被曝を回避するために、避難回避出来る範囲をある程度想定してから強引に逆算しているのだそうで、今回の事故で飛散した放射線物質は、想定計算での1000倍か、1万倍と言ったような値であり、もし、正直に之に基づいて計算したら、日本中どこにも住めなくなると言う事も明らかにされた。この事からも、先ず原発ありきから出発しているわけで、前途は暗澹たるものである。寺坂信昭前原子力安全・保安院長の陳述も聞いたが、先ず議事録を取っていなかった件については実に曖昧模糊とした答弁に終始し、事務系であるとの公言しておきながら、「公文書等の管理に関する法律」の存在を知ってか知らずか議事録を作成していなかった件については、技術系を次長に任せている上、文科系のなす事をさえも、していないわけで、一体この男は何を仕事にしていたのだろうかとの思いが強い。官邸との電話やり取りも、委員の詰問で、たった4,5回しか為されていないとか。呆れたもので、全くの他人事である。あのオリンパスの「飛ばし事件」では、証券OBと交されたメールは3000回に及ぶというのだ。如何に自分のことと、他人事ではこうも違うのかという現れである。最終的に、原発事故調査委員会の黒川清委員長は「安全保安院長自身に専門性が無く、斑目委員長と共に国民の安全を守る意識も希薄だと感じた」と批判したようだ。しかし、どういう委員会を作ろうが、何を知ろうが、誰も責任を取り、罰に服することはないのであれば、単なる茶番にしか成らない。こういった、安全、技術の知見とレベルで、原発を継続することも、又海外に売りまくろうとすることが計画されている。この事故調査委員会のヒアリングを聞いて、原発を海外に拡販すると言った施策が是であることが言えるとは、相当高慢ちきな考えであると言わねばならない。どうしても、原発となると、問題が大きく、今もなお継続している案件であるので、書き続けてしまうわけだが、彼らの他にも、今の日本に、無責任な輩が、如何に多いことかと考えざるを得ない。小沢一郎の金問題、検察の隠蔽問題、西日本の事故問題、オリンパス問題、大王製紙問題等々枚挙に暇がない。黄泉の国から植木等が「こりゃ、参った!」と言っているのが聞こえるようだ。
2012.02.18
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NHKの美術講座の7期目の5回目である。講座の残りは今回を含めて後2回で終了だ。 随分長きにわたって美術講座を聴講して来たが、1回1時間半ほどの講義時間ではあるが、集中して美術に浸れるというのもなかなか得がたいものである。今日はグスタフ・クリムトについてだった。 グスタフ・クリムトは、帝政オーストリア時代の画家である。1862年ウィーン郊外に金の工芸師である父のもとに生まれ、博物館付属の工芸学校に進んだ。当時は、美術学校と工芸学校の差は歴然としていて、壁画や本の装飾、建築装飾は工芸の方に分類され、美術学校の方は絵画専門という狭い範囲であったようだ。しかし、工芸学校と雖もレベルは大学並みであり、高度な内容であったが、ステータス的には美術学校の方が上だという感覚だった。 1879年に弟エルンストと友人の3人共同で会社を設立し、美術やデザインの請負や劇場装飾を中心とした仕事は順調であった。ウィリアム・モリスやフランスのアールヌーボーに影響を受けた。 最初の作品は「牧歌」である。寓意と実話の本の挿絵として描かれた。真ん中の円の中には、ミューズが子供達に鳥の巣を見せている。両端の男はそれぞれの表情であるが筋骨隆々と描かれていて、クリムトのデッサン力の力を見る思いだ。しかしクリムトは徐々にこのデッサンを壊す方向に向かうのである。芸術というものは、何かを壊し、新しいものを見つけることなのかという感じだ。「守・破・離」というところだろうか。次は「旧ブルグ劇場の観客席」である。この作品は、ウィーン市からの依頼を受け描かれた作品で、遠近法を巧みに使い、観劇する当時のウィーン社交界の人々を正確に描き第一回皇帝賞をうけるなど高く評価された。これにより、クリムトの名は広まったと云って良い。その環境で、ウィーン大学大講堂の天井画の制作を依頼されたが、出来上がった作品は、依頼者が意図したテーマに反し、理性の優越性を否定する寓意に満ちたものであったので、多くの人の不評を買う事になる。その果てに、之を依頼した文部大臣が攻撃される事態にまで発展した。あまりの論争の大きさにクリムトは契約の破棄を求め、事前に受け取った報酬を返却した。その後この絵はナチスによって没収され、ナチスが撤退するとき放火により焼失し、現存はしていない。 この事件を契機に保守的なウィーン美術家組合を嫌った芸術家達と共にウィーン分離派(アカデミズムからの分離)の結成に参画した。美術が曲がり角に来たときであった。次は「愛」である。分離派を立ち上げる前の作品で、安っぽいメロドラマ的な男女の愛の姿を描き、それを天から、3人が眺めているという構図だが、日本美術の影響が強く出ている。明治時代日本から大量に屏風や掛け軸などが流出していた事による影響だという。内容はきざな匂いがして、之を以てアカデミズムから分離するとの意思表示と言われている。次は「パラス・アテナ」第2回の分離派展に出された作品で、アテナ(アテネ)はギリシャ神話において最高の女神で、知恵と諸芸術、そして戦いを司る女神である。ホメロスの時代からよく取り上げられる女神である。神話的逸話通り恐々しく威厳に満ちている。パラスは女神アテネが倒した巨人族バラスに因んで付けられて美称であり、胸で舌を出した黄金仮面は見た者を石にするという逸話で知られるゴルゴンだ。この舌は、分離派への理解を示さない保守的な伝統主義者たちへの侮蔑・挑戦と解釈されている。黄金を多用したところはいかにも工芸学校出身という感じだ。堂々とした挑戦的なこの絵自身が、アカデミズムへの挑戦であるのかも知れない。黄金の槍を左手に持ち、腕の部分に描かれる梟はアテネの象徴であるほか、右手には勝利の神ニケを持って描かれている。次は「ユディット」である。ユダヤの裕福の家に生まれたユディットはホロフェルネス率いるアッシリア軍に町を包囲された時、アッシリアの陣地へ行き、町の攻略方法を教えると言って偽って、敵将ホロフェルネスに近づき、ホロフェルネスに招かれた酒宴で、酔いつぶれて寝込んでしまったホロフェルネスの首を切り落とした。そして、将軍のいなくなったアッシリア軍を敗退させたのである。左手に半分だけ描かれたホロフェルネスの首は生々しい。顔の部分はアカデミックな手法で描かれている。次は、「ベートーヴェン・フリーズ」(部分)である。第九のシラーの詩をテーマにしている。中世美術を思わせる作品で、花咲く楽園の中で歌う少女達の前で抱き合っている男女である。屋根の上に、丸い黄金の球を載せたような分離派会館の中に収蔵されている。之に関連してか、イタリアのサン・ヴィターレ聖堂のことが紹介された。次は、「希望1」である。クリムトのモデルであったヘレマが望まぬ妊娠をした。その姿を描いたものだが、上には、ドクロなども描かれていて、生まれ来るもの死んでいったものという具合に人の一生は、決められたものであると言うことであろうか、当初不評であったこの作品も、クリムトならではの斬新性が見られる。次は、「人生の三段階」である。生まれてきた赤ちゃん、それを抱く母親、そして2人をうなだれるように老婆が見ていると言った構図で、全員が裸で描かれている。人生には段階があるが、皆平等であるという西欧に於ける死生観を描いたものである。次は「ソニア・クニップスの肖像」である。クリムトは女性に持てたようで、沢山の庶子を残している。背景にあしらった花など、この絵にも日本美術の影響が見られる。クリムトの絵は、正方形の作品が多い。この画面も正方形で背景を暗くし、ピンクの華やかな衣装の女性は右端に寄せられ、横向きのシルエット、右上方に顔、背後に花と明らかに装飾的な効果で溢れている。正方形を使うのは、従来使われた長方形のものに比べて、敢えて遠近法を破るといった手法を採るからである。オーストリアのベルヴェデーレで宮殿にあるとかで、あと1ヶ月後にお目にかかれるようだ。次は「エミリエ・フレーゲの肖像」である。クリムトが精神的な意味も含め、最も親しくしていた女性であり、縦長の絵は、日本の掛け軸の影響なのかも知れない。ここで、クリムトの写真を紹介されたが、絵を描くための仕事着姿であり、さほど魅力的とは思えなかった。エミリエ・フレーゲは長くクリムトと一緒にいたが、子供は作っていないというか、プラトニックだったのか、子供の出来ない身体であったのかも知れない。次は「フリッツア・リードラーの肖像」である。フリッツア・リードラーの夫は高級官僚であり、彼女自身クリムトのパトロンの一人であった。顔や手は写真のように写実的で、知的な容貌が的確に描かれているが、背景の平面化、装飾化、幾何学的図形化がはっきりしてくる。頭部の櫛形の模様。髪飾りのようでもあり、壁の装飾のようでもあって、クリムト特有の装飾である。次は「アーデレ・ブロッホ・バウアー」の肖像である。この絵はクリムト展の表紙を飾っていた。夫は銀行家であったが、アーデレはクリムトの恋人の1人でもあったようだ。顔だけが写実的であるが、後は装飾をふんだんに取り入れ、金も多用されているので、いかにも豪華に見える。次は「ダナエ」である。「ダナエ」は見るからにセクシーなポーズは説明の言葉が不要な位官能的である。ダナエの足の間には黄金の雨に姿を変えたゼウスが忍び寄り、ダナエと交わってしまうのである。そしてダナエはそれを恍惚の表情で迎え入れているのだ。表情からは、エクスタシーに浸る顔を優美に表現している。ゆたかな顔の表情は、数多くの女性像の中でも秀逸であるといえる。この絵の裏には、ギリシャ神話が隠されている。次は「接吻」である。あまりにも有名な作品だと私は感じている。黄金とその周りの装飾に彩られた、そしてそれも金をふんだんに使った接吻は、世界一豪華な接吻なのかも知れない。良く見ると、女性が膝をついている足先は、絶壁となっている。究極の状態に於けるこの絵は何を云いたかったのであろうか。陶酔の裏には、危険から破滅が待ち受けていると云いたいのかも知れない。この女性もエミリエ・フレーゲだと云われ、最も親密であったときの絵なのだそうだ。この絵は、ウィーンに於いて恋人達のメッカになっているようで、15分間隔で、予約をし、この前でプロポーズするという事が流行っているのだという。次は「死と生」である。この絵には金は使われていない。金で表現する手法が飽きられたこともあるが、当時有名になってきたエゴン・シーレの影響もあると言われている。右には生きている様々な状態を、抽象的に描き、それを左の黒マントを着たドクロが招いているという構図である。黒マントにもクリムト独特の装飾画為されている。ドクロは招くと言うより手の棍棒で、誰を殺そうかと狙っているようである。当時の暗い世相を反映した作品である。次は「エウゲニア・プリマヴェージの肖像」である。黄色をベースにした作品だが、ここでも金は使われていない。次は「アダムとイヴ」である。全裸のイヴの後ろにアダムは背景のように描かれている。晩年の作品で、明るい女性像を描き、之もまた縦長である。次は「ひまわりの園」である。クリムトがよく行ったアッター湖の庭に咲くひまわりを描いた作品である。遠近感をわざと殺して平面的に描いている。緑の背景の中赤、白、黄色の花が咲き乱れる様は美しいと感じる。最後は「アッター湖畔のカンマー城」である。クリムトが、エミーリエとよく避暑を過ごしたアッター湖畔の風景である。ここで彼は生涯の恋人エミーリエと安息の日々を過ごしたのであろう。望遠鏡を使うと遠近感が消されるが、それと同じ意味で、彼は四角いフレーム越しに見てこの絵を描いたという。ここでの何点かは、ベルヴェデーレ宮殿で見ることが出来るだろう
2012.02.17
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3月末に中欧ヨーロッパ5ヶ国を旅するツアーに申し込んだ。連れ合いが、継続して学校で教鞭を執る事になったで、学校が始まる前に行っておくかと云うことになった。連れ合いの場合、駆け足だとは云うが、イギリスのステイ経験や、ヨーロッパの中枢部に行った経験を持っている。姫もチェコに留学の経験があり、中欧に関しては、なにがしかの親近感を持っているようだ。私の場合は、先進国や、所謂文明国に行った経験はないので、中央ヨーロッパというのがどう言ったものであるのか、殆ど知らない。勿論高校時代に学んだ、世界史によって、色々な事を学んできたのだが、理科系のコースに進んだと云うことで、その後、あまり勉強もしていなく、詳しいことは、殆ど解っていないのが正直なところである。勿論昨今のユーロ不安、欧州危機などを通じて、各国の経済状態などは、目にすることが出来るが、地政学的な問題だとか、特にユリウス・カエサルの末裔だとする、ハプスブルグ家が栄華を極めた所とはどんなところだったのだろうという思いを持っていた。通る国は5ヶ国(ドイツ・チェコ・スロヴァキア・ハンガリー・オーストリア)で、昔、チェコとスロヴァキアは同じ国だったのに位しか頭にない。オリンピックの体操の華と云われた、ベラ・チャスラフスカの時代は確か同一国家であった。「プラハの春」を契機にチェコとスロヴァキアは袂を分かつことになったわけだが、そう言った政治的内容は別として、中央ヨーロッパには独特の雰囲気があることは、既に知っている。ただ旅行対象国は、定義的には、中欧も西欧も東欧も含むことになるわけだが、ちまちまと近隣諸国をバスで通過することになりそうな旅行である。私は、海外旅行といえば、先ず行き先の予習をして、自分なり40ペ-ジ程のツアーガイド冊子を作成するのである。その段階で、訪れる国の歴史や、地理的な関係、それに観光で有名な箇所を予習するわけだ。この作業は結構時間が掛かり、何をどう纏めるかでも一寸した工夫が要る。今日その一応の完成をみたので、そこから得られた知見を書いておく、先ず、3月末だという事で、気温は極めて低い。世界地図を広げ日本との緯度関係を比較をすると、訪れて宿泊するところは全て稚内よりも北に位置することが解る。帰国する頃の日本に於ける桜前線は、やっと近畿・関東を含む南部地帯であり、札幌でも5月4日頃でないと桜が咲かないわけだから、中央諸国の3月末は推して知るべしである(10.6℃~-2℃)。日本でもこのところ大雪が降り、私の住む大阪でも積雪を見ている。ヨーロッパでは、2月の初めに大寒波が襲い、死者280人(その後500人を超えたとか)を出したり、交通も大混乱したりしているというニュースが新聞紙面を飾った。被害が最も深刻だったのはウクライナだそうで、スロヴァキアやハンガリーとは隣接しているし、イタリア、フランス、イギリスなどでも寒波の被害は大きいという。ただ救いは、この寒波も2月1杯であろうとの観測である。旅行時には、少しは緩んでいないと、わざわざ冷蔵庫 (あるいは冷凍庫の) の中に入って行くことにも成りかねない。関西空港を真夜中に出発するのだが、その日も公称1日に数えられている。使う航空会社はカタール航空で、私がサウジやドバイで鉄骨の生産管理的な仕事をしていたときに製品の納入場所がカタールのラスラファンと云うところであった。今やカタールは世界1の天然ガス産出国になっていて、ラスラファンはそのまさに現地である。とにかく面積は狭いが、ふんだんにガスが噴出するので、随分とお金持ちの国になり、最近では1人当たりのGDPは世界最高クラスに急伸している。おそらく航空機もリニューアルしてくれていることだろう。ドーハでのトランジットも又懐かしいところである。初日は、ベルリンに着いて、東西ドイツを分断していた頃の門の1つであり、ドイツの象徴とも言えるブランデンブルグ門や、フリードリッヒ王が、王妃のために造営したシャルロッテ宮殿などを駆け足で観光する。次の日は、近くのポツダムへ行き、フリードリッヒ王の夏の離宮サンスーシ宮殿の外観を見て、日本を無条件降伏させたポツダム会談が行われたツェツィリエンホフ宮殿の中に入って見学するという。何やら舌を噛みそうな名前である。大学時代第2外国語にドイツ語を選んだが、すっかり忘れてしまっている。午後はそそくさとチェコのプラハに向かう。プラハには、夜近くに到着するので、プラハ城のライトアップも見られるかも知れない。翌日プラハ城に入り、またカレル橋を見たり、旧市街を見たりすることになる。昼食を有名な市民会館内のレストランで採ると言うことだ。どうやら、ただの市民会館とは違うようで、アールヌーボー様式のなどと案内パンフレットには書いてある。次ぎにバスで向かうのは、本旅行の目玉と言われている、チェスキー・クルムロフ歴史地区である。私は、恥ずかしながら、この言葉を聞いたのは、今回が初めてであり、初めはなかなか1回では発音できなかった。中世、各国領土間の派遣の狭間で揺れ、チェコスロヴァキア領になったとき、1時ドイツ系国民を追放すると言う所業に出、この地区は荒廃状態に置かれ、それが返って、現在のような、景観美を残した街並みになったという皮肉な土地でもあるらしい。翌日はスロヴァキアのブラチスラヴァへ向かう。ここでは、ブラチスラヴァ城をはじめ数カ所を見て歩くようだ。ブラチスラヴァでの宿泊はないので、そのまま、ハンガリーのブタペストに向かうことになる。ドナウ川とモラヴァ川の合流点にあるという、ジェヴィーン城跡はなかなか景観も良さそうである。ブラチスラヴァ観光を駆け足で終わると、その足で、次なるハンガリーへと向かう。ハンガリーの首都ブタペストに3時間余で着くと言うから、大阪からは名古屋を一寸越えた辺りである。とにかく、この辺の国は隣接しているため、同国内の都市からその国の離れた都市に向かうよりも隣国の首都に向かう方が近いといったことにもなる。ブタペストでの宿泊を終えて、朝からブタペストを観光する。王宮からマーチャ-シュ教会等を観光する予定だ。国会議事堂をちらっと見て後はお定まりのショッピングである。日本の観光なら、はとバスに乗って国会議事堂前を通り、六本木当たりでお買い物と言ったところだろう。その日はウィーンに泊り、翌日は、ウィーンの歴史地区観光という手はずである。バロック様式のヴェルヴェデーレ宮殿の中には、あの「接吻」を初め「ダナエ」などの絵画で有名な、グスタフ・クリムトの作品が所蔵されていると云うことだ。之も今回の楽しみの1つである。オペラ座を横目で見て、最後の観光地はシェーンブルン宮殿となっている。シェーンブルン宮殿は、ハプスブルグ家歴代王の離宮に使われたという、贅を尽くした宮殿のようだ。パリのヴェルサイユ宮殿のような存在だったのかも知れない。因みにシェーンはドイツ語で美しいであり、ブルンは泉だそうだ。昔の王達が、狩猟をしていた頃、ここには美しい泉が噴出していたのだろう。この後もショッピングは勿論組まれている。かくして、中央5ヶ国を延べ8日(実質6日)の観光を終えることになるが、かくも複雑な歴史変遷を経た国の背景を理解することは、付け刃的には到底無理があるが、個人用ツアーガイドを作ったことで、少しばかり中欧を理解できたのではないかと思っている。世の中は不景気であり、製造業は、日本を脱出安い労賃の国へとシフトを進めているが、何故か新聞や、各種広告には、馬鹿でかい旅行記事が満載である。勿論相対的円高のおかげであり、今回の旅行も燃料サーチャージ込みでの格安旅行である。従来は、小さな字で「この他に4万円程度のサーチャージが掛かります」と書いてあるのが普通だったが、最近では、そうでなく、サーチャージ込みといった広告が多い。実力の伴った円高であれば良いのだが、脆弱な基盤にも拘わらず、ユーロが駄目、アメリカのドルも心許ないといった結果の相対的円高であるので、心底喜んでばかりは居られない。しかし、こういった旅行をするときには、瞬間的に円高であることのメリットを素直に享受することにしている。
2012.02.16
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会社を停年になってからから随分経った。大阪に帰って、しばらくは、中国やドバイに行っていたので、収入もあったが、今は完全に年金生活である。海外で給与を貰っていた名残のときに、確定申告とやらに出掛けたら、法外な税金を取られそうになった。(法外というのは当たっていないかも知れないが)聞いてみると経費を差し引くことが出来るという。今まで納税に関しては、会社が源泉徴収から年末調整までやっていたので、国民の3大義務がどれ程複雑なのかを知らなかった。要は、(税金)={ (入ってきたお金)-(必要経費)}×(税率)と言うことなのであるが、この一つ一つが究めてややこしいのだ。(入ってきたお金)については、サラリーマンなら源泉徴収とか云って税務署は完全に把握しているわけだ。ところが、(必要経費)となると、サラリーマンには、靴1つ、ネクタイ1本でも、必要経費とは見なされないのであるが、収入が完全に把握できない商売人や、その他については申告に頼っているわけで、その場合は、経費について細かく規定があるらしく、上手な人は、節税のため全力を注入して税金を如何に払わなくて済むかと奮闘するようだ。つい最近も、本人はサラリーマンだったが、裕福な家に生まれた人と税金の話になったが、「寄付金」も課税対象から外れるとかで、言うことを聞かない息子や娘にくれてやる位なら何処か(今なら東日本大震災)に寄付する方が良いなどと云った話もあると聞いた。それは極論としても、サラリーマンは、入りから出まで全てを抑えられているので、問答無用の扱いである。とは言っても、そこはお上のこと、お慈悲もあるわけで、サラリーマンには、経費分としてザックリと「給与所得控除」なるものがあるというわけだ。之で一安心と言うことかも知れないが、このザックリが、多めであればいいのだが、そこはやはり渋く抑えられているのが現状である。そこで、一般には、私企業ではサラリーマンの兼業は認めては居ないが、それでも、兼業で何かをやっている人(農業との兼業とか?)の人は、年末に稼いだ分を申告しなければならないし、またその年度に大病を患い、入院とか、高額な医療費を払った場合には、還付を受けることも出来るというわけだ。それ位のことは茫洋と知っているが、実際の細かなことまでは知らないといった方が当たっている。世に青色申告なる言葉があるが、サラリーマンはおそらく関係ないのであろう。1949年の「シャウプ勧告」に基づくものらしいが、何故青色かについては、「青色は気持ちのよい色で、青空のようにすっきりとした色だから」と言うことらしい。なんだか馬鹿馬鹿しいネーミングだ。税金と聞いて、喜々としている人は居なく、税そのものが、灰色申告である。また、白色申告というのもあるらしく、この辺りになると最早何を云っているのかさえ解らない状態である。そして、確定申告であるが、上記したように、予期せぬ出費とか、予期せぬ収入(あれば嬉しいが)があった場合は、サラリー(給与)以外のその収入と支出を年末に申告し、調整すると云うことになる。こういった複雑な構成になっていることを知ったのも、恥ずかしながら今回が初めてである。昔、江戸時代の百姓は、絞れば絞るだけ水分が未だ出てくると云われたが、今の通常のサラリーマンには、昔の百姓以上に絞り出す水など無いのである。時々、企業自体が、高額の申告漏れをしている事が新聞紙上を賑わすが、之はインテンショナルな脱税意思で、十分罪に価するが、単なる申告漏れとして、収められることが多い。もし、之がマルサに摘発されなければ、まるまる儲けに計上されるわけで、この点で納得いかないものがある。そう言った意味で、マルサも大変だろうが、個人的には、そのような方法も採れず、納税を忘れて、滞納したら、延滞予告の通知は来ないで、いきなり追徴税を払わされると云うことになる。今、「マイナンバー」導入を云々されているが、個人的には、隠す物もなく、プライバシーなどと云った大仰なものもないものにとっては、あらゆる手間暇が省略されるし、一元化されるわけで良いことづくめのような気がする。更に期待できるのは、個人情報が簡単に役所で行えるために、職員の大幅な減員が可能となることであろう。しかし何時の世も、どんなことでも、悪いことをする輩はいるもので、「マイナンバー」制度導入時に考えられる諸悪事を現時点で洗い出し、対処は厳罰方式で臨むと言うことが現実的ではないかと思う。例えば、懲役2ヶ月、執行猶予5年だと言ったものは、実刑とは言えないと考える。話はそれたが、ドバイでの収入があった年の確定申告で、やたら高額の税金を提示されたので、愕然として、聞いてみると、諸経費分はと言う話になり、そのようなことを意識していなかったので、戸惑っていると、パソコン購入代や、その他のものを経費として落とせると教えてくれた。そこで、領収書が無くても大体幾らですと申告したら、案外すんなりと受け付けてくれて、当初算出された1/10まではいかないが、大幅に税金が減額されたことがあった。今まで、鬼のように思っていた税務署が、優しく見えた瞬間である。この時期、確定申告の人が一気に集まる、所謂年中行事の時期に当たるので、町では、税理士を頼んで、年金生活者の税務申告相談が行われている。之は、遠い茨木税務署(本署)まで行かずとも楽なので、利用するが、町の住民ホールのような処に集まった人(老人)は大勢いて、番号札で、順番待ちをしなければならない。実際に会場の中には、1列7人掛け位で7列位の椅子が配列されており、その背には番号が書いてある。そこで待機をするのだが、番号札は会場外で渡している。番号札を呼ばれた人は、場内に入り椅子に掛けることが出来る、約50人待ちの中に入れるという形だ。一見合理的なように見えるが、それがそうでもない。なぜなら、50番以内に入った先頭の人から、極端には1人ずつ相談テーブルにまた呼ばれるわけで、2重点呼である。それだけならまだ良いが、1人立つ毎に、後続の人は1つずつ席を移動しなければならないわけで、悪くすると49回席を移動して初めて相談テーブルに付くことが出来るというわけだ。私でも面倒だと思うのに、杖をついた老人が、それをやらされるのは、如何なものかと思った。日頃歩くことがないので、気を利かして、立って、座ってと言う運動をしていると考えれば、納得がいくのかと思ってしまう。そんな中、自分の番が来たが、持参した確定申告用の書類は連れ合いが管理してくれているので、担当税理士もこのまま出来そうだと云うことだが、そこで気がついたのだが、昨年の偶数月納付している国民健康保険料が、何故か10月と12月分だけは過去の4回の納付額の3.5倍以上になっている点だ。そこで、急遽町役場に連絡したが、説明を受けても要領を得ず、説明書の発送をお願いした。昔から、お上のやることに落ちはないという風に育てられたので、疑いもしなかったが、このところのお上は、云ったことも守らないし、やることはえげつないので、油断も隙もないと云うところだ。何にしろ、納得するにしくは無いと思ったわけだ。さらには、医療控除であるが、最近は、生活習慣病の3冠王になっているので、かかりつけの医者に毎月掛かり、検査費用も使っている。しかし、昔の頭で、医療費は20万円を超えなければ控除対象でないという固定観念があったのだが、聞いてみると、年金所得しかない、低所得者層は、最近年間所得(不労だが)の5%を越えると控除の対象になると言う。それでは、その位は支払っているかも知れないと之も保留である。交通費も申告可能とかだが、タクシーや自家用車は駄目とかなかなか面倒くさい。まぁ、この時期は、年1回だが、少額の不労所得を得る身では、あだやおろそかに出来ぬものだと感じた。月曜日にはカラオケ大会があるので、ついでに高槻まで出て、カラオケルームに初めて入って、月曜日に歌う曲の選曲と練習をした。
2012.02.15
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十選で久々に西洋美術を取り上げていた。昨年の3月の記事である。今回は東京ステーションギャラリー館長の冨田章さん(以下館長という)の選んだ「偽装された自画像」を鑑賞してみたいと思う。館長によれば、「自画像」を画家自らの姿を正確に描き出していると考えたら大間違いで、内実は、自分を美化し、卑下し、時に捏造するという偽装を施すのだそうだ。最初はボッティチェリの「東方三博士の礼拝」である。現地ウフィツィ美術館には行ったのだが、時間が短いのと、作品が多いのとで、おそらく長くは見ていなかったのだろう。ボッティチェリはこの作品の右端に自分を紛れ込ませているのだ。「東方三博士の礼拝」は、救世主イエスの降誕を告げる新星を発見した東方の三人の王(一般的にはメルヒオール、カスパル、バルタザールとされる)が、エルサレムでヘロデ王にその出生地を聞いた後、星に導かれベツレヘムの地でイエスを礼拝する場面ということで、ボッティチェリの作品の中でも最も著名な作品の1つとして、有名である。この中にボッティチェリ自身だけでなく当時フィレンツェを支配していたメディチ家の人々が登場人物に偽装されているというのだ。中欧の聖母に跪く第一博士のメルヒオールの姿は、国父コジモ・デ・メディチである。その他にも、メディチ家の主だった人物や当時の知識人などが描き込まれているようである。時の絶対的な権力者は、画家にこの絵を描かせることで、権威の高揚を図ったのであろうか。こういった被画体の人物は、その画面に溶け込むように偽装されているが、画家自身は、この絵を視る人の方を向いている。鑑賞者と、この歴史的場面との仲介者としての自負、そして、当時は署名の習慣がなかったので、署名替わりにもなっていたという。次はヤン・ステーンの「大人が歌えば子供が笛吹く」である。この絵は別名「陽気な家族」とも云われている。17世紀オランダ絵画黄金期を代表する風俗画家ヤン・ステーンの代表作の一つである。古くからネーデルランド地方(オランダ)に伝わる諺に「悪い行いは良くない結果を招く」という教訓的なものがあるが、その真意は、「善行であれ悪行であれ、子供は親を真似るものだ」と言うことらしく、日本で言う「子供は親の背中を見て育つ」と似ているかも知れない。この画題は、同地方では幾人もの画家たちが手がけてきたという。之が自画像の部分だというのだ。真ん中より右の黒い帽子を被ったのが、ヤン・ステーン本人だという。この親、子供にパイプを吸わせているのである。日本だったらとんでもない話だが、この登場人物は、ヤン・ステーンの家族である。左端で酔っぱらってワインを、おどけながら注がせている女性は妻である。中央の老婆は祖母と云うことになる。手にしている用紙の文面には、「そう歌えば、そう真似てピーピーとする・・・」などと書いてあるとか。ヤン・ステーンの描く家庭は陽気で高揚した家族像の典型であったようだ。しかし、毎回自堕落な女に仕上げられた妻はうんざりしていたという。次は、ギュスターヴ・クールベの「出会い(クールベさん、こんにちは)」である。この絵は、色々な人が好きな絵らしく、ここでも過去に2回取り上げられている。(「記憶の中の名画」と「オンザロード」)3人3様のとらえ方であるが、館長の見方は、当時は未だ社会的地位の高かった中央のパトロン、アルフレッド・ブリュイアス、よりも大きく尊大に描いているという点である。更に、クールベは、日なたに立ち、パトロンは日陰で、挨拶するべく手を広げている。この絵を観たパトロンはどう思ったか知らないが、クールベはこの絵を確信犯的に描いていると言うことだ。アバンギャルド芸術をリードした画家に相応しい気概である。クールベは美術史に残るセンセーショナルな画家であり、私は、クールベの作品は、面白いと思うが、ある人は、好きになれない画家として取り上げていた。その根拠は、「この作品が示しているように、描かれた人物に対するクールベの横柄な態度は他の作品にも見られ、この画家の自己顕示欲の強さが彼の作品の根底に見え隠れし、作品全体が冷たい感じがして温かみが感じられない」というのだ。また「同じ写実主義の画家ミレーは自然に対し深い愛情と尊厳を込めて優しい眼差しで描いているのに、クールベの眼差しは人を見下し、自然は単なる写実の対象物でしかなく画面全体が乾ききっている。」と言うことだった。次はレンブラントの「居酒屋の放蕩息子」である。之も前に出たような気がするが定かでない。あの「夜警」で有名なレンブラントは多くの自画像を残している。若い頃から晩年までの自画像があり、パラパラ漫画のように見れば、彼の成長ぶり(老いぶり)がよく分かる。自画像としての名称はないが、この「居酒屋の放蕩息子」も彼の自画像である。レンブラント自身の自画像でもあり、妻サスキアの肖像画でもある。 レンブラントは、新約聖書ルカ福音書に記される「放蕩息子」の逸話で、父から財産を等分に与えられた兄弟のうち、弟は家を出て放蕩し財産を消費した後、豚の世話役となり、その餌で餓えを凌いでいたが、最後には実家へ戻り、父は息子の帰還を喜び、祝福を与えるという福音書がベースで、その放蕩の戒めとしてこの絵を描いたともいわれているが、実際に、レンブラントは、妻サスキアの実家の資産を食いつぶしたとも云われている。どことなくサスキアの目が鋭いと感じるのはそのせいだろうか。テーブルの上の孔雀は傲慢を意味しているのだとか。次は、スーラの「化粧する女」である。点描で知られるジョルジュ・スーラだが、確実な自画像は1点も残していないという。自画像とは全く関係の無いように見えるこの「化粧する女」だが、実は、左後方の額(鏡)の中に、自画像を描き入れていたというのだ。それを観て知人が、之はおかしいといったので、スーラは自画像の上から花瓶を描いたのだというのだ。そう言われてみれば、透かしのように何かが描かれた跡が見える気がする。スーラは自画像を花に置き換えたのである。1958年X線検査で、男の顔が浮かんできたというのだ。そうすれば彼唯一の自画像である。しかし之は後に恣意的にX線技師が手を加えたものであることが解ったとか。何しろややこしい話で、X線写真の偽造自画像と言うことである。しかし、この恋人マドレーヌ・ノブロックはややふくよかな姿であったことは確かなようだ。次はゴーギャンの「光輪のある自画像」である。戯画的自画像とも云われ、近代絵画の画家ポール・ゴーギャンを代表する自画像作品の一つである。戯画的と言われるだけあって、他の自画像に比べ、見るからに謎めいている。自画像ゴーギャンの頭上には光輪(円光)が描かれており、背後にはリンゴ(禁断の果実)、前景には装飾模様のようなブドウのツル、そして手には蛇を持つなど極めて不可解な内容である。その解釈や説は多様で、之と云って定まったものがないのが現状だが。自らをキリストに擬しているとか、蛇からキリストとは真反対の悪魔(シャイターン)とする説、秘儀を授かったものとしての自画像等々、多様である。この自画像は、「レ・ミゼラブル」の主人公ジャン・バルジャンに擬せた顔つきの自画像とどことなく似ている。1888年に描いた「レ・ミゼラブル」にいた面心が働いたのだろうか。この作品は1889年作である。色々なバウンダリーがあるようで、謎も多かったのだろう。次はゴッホの「ゴッホの椅子」である。え!椅子が自画像か?と思ってしまう。館長は、「人は、自分とは全く別の人や、動物、あるいはものに投影することがある」之を「他者に偽装した自画像」と呼ぶのだそうだ。アルルで描いた「ゴッホの椅子」は陽光の強烈な光と色彩と、画家仲間たちによる共同制作を熱望し、1888年の2月から南仏アルルへ滞在したゴッホが同地で制作した作品である。この椅子は画家自身が黄色い家(アルル滞在時の共同生活場)で使用していたもので、之と対を成す「ゴーギャンの椅子」も描いている。比べてみると、ゴーギャンの椅子の方が遙かに豪華であり、ローソクが置かれている。ゴーギャンに対する尊敬の念がここにも表れているようだ。一方この作品は、籐製の粗末な椅子で、パイプが1つ置かれている。このパイプはゴッホ自身、気がめいったときに効果があると信じていたものである。耳切事件が起き、ゴーギャンと別離する直前に描かれたという。この椅子こそが、物に偽装したゴッホ自身の偽装自画像というのである。次はルーベンスの「四人の哲学者」である。17世紀のフランドル派を代表するルーベンスであるが、この絵の左端が、ルーベンス本人である。そしてヤン・ウォウェリウス、哲学者のユストゥス・リプシウス、ルーベンスの兄でリブシウスの弟子であったフィリップ・ルーベンスと並んでいる。画面右手にはセネカの銅像とチューリップが描かれているが、古代ローマの哲学者セネカは解るが、チューリップを良く観ると2本は咲いて、2本は萎んでいる。フィリップとリプシウスは既に故人であるという。(他の解釈では、人物が入れ替わっているものもある)この絵は追悼のために描かれたもので、またX線で調べると、ルーベンス自身は、もう少し右で、着帽していたという。生え際の後退を隠すための帽子を脱いで描き直したのは、個人に対する敬意の表れだろうか。次はアンソールの「仮面の中に自画像」である。ベルギー象徴主義を代表するアンソールは「仮面の画家」と云われるようになる。やたら仮面が登場するからである。仮面には、「仮の姿」の意味と、「偽装」の意味がある。真ん中で振り向くアンソールの顔は何か冷ややかで、周りの仮面と溶け込んでいるようで、実は、本人も仮面であるかの如き表情である。百様もある仮面の中で、彼は何を表現しようとしたのか、残念ながら私には解らない。見た感じは、グロテスクだと云う感じで、案外画家もそんなところを狙ったのではないだろうか。最後は、ベラスケスの「ラス・メニーナス」(女官たち)である。スペイン絵画の巨匠と言われ、我々がプラドを訪れたら、これだけは見るべしと、ガイドは云い、やたらと時間を掛けて説明してくれたおかげで、他の絵画が十分観られなかったという苦い経験がある。この作品にも偽装が隠されているというのだ。その1つが、ベラスケスが国王夫妻を描いているが、絵には出てこず、背後の鏡に映っていると言う仕掛けだ。之だけの空間があるのに国王夫妻は鏡一杯に描いてあるということだ。その2は、このように国王夫妻が並んで描かれたベラスケスの作品はなく、国王夫妻と王女を1つの画面の中に納めるという偽装を行っていると云うことだ。この絵には、その他にも多数の逸話があるが、誰がランキングしたのか、世界三大名画に入っているそうだ。因みに、1.ディエーゴ・ベラスケスの「宮廷の待女たち」2.レンブラント・ハルメンス・ファン・レインの「夜警」3.エル・グレコの「オルガス伯爵の埋葬」だとか。
2012.02.14
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この頁でシリアのことを取り上げたのは、2011年11月の2回である。もう1昨年になるが、チュニジアで起こった暴動によるジャスミン革命で、ベン・アリ政権が追われ、アラブ諸国は、独裁から解放へと大きく動き出した。「アラブの春」と称され、世界的にも劇的な事柄であった。この革命を成就せしめた大きな要因としてファイズブックなどのSNSの存在が挙げられる。おそらくこういったツールがない場合には、この革命自身があり得なかっただろう。SNSを使いこなすのは、日本でも若者が圧倒的に多い。所謂ある一定の年齢層以上は、あまり使っていないと思われる。そして、日本は、急速に高齢化に向かった邁進していることを考えれば、現状の不満をぶつけることも出来ず、殆ど諦めに近い心境で、空しい政治の流れを、何でも忍従しなければならないと言うことになるだろう。江戸時代、島原では、領主の松倉氏が最悪の藩主で領民を搾取の対象としか捉えず、自らの蓄財(城も含め)のため、難癖を付けて、何からでも税を取った。例えば家に棚をつけたら「棚税」、窓をつけたら「窓税」、子が出来たら「頭税」、囲炉裏を作れば「囲炉裏税」、挙げ句の果てには死者を埋葬した時の「穴税」まで制定したと言うからたまらない。さらに、将軍家光からキリシタンを根絶せよ厳命を受けて、火あぶり、苛烈な拷問はては、キリシタンを雲仙の火口へ生きたまま投げ込んだという。之が日常的だと云うからたまらない。その当時SNSがあったらどうだか解らないが、後に、百姓一揆や打ち壊しなどが起こったと言うから、少しは助けになったかも知れない。松倉氏の場合は特例かも知れないが、日本人は昔から忍従の精神に富んでいる。(昔の百姓=今のサラリーマン)打ち壊しが起きたのは飢饉の時であり、庶民は食べる物がないのに、豪商の家とかには倉一杯に米があるといった不公平感故であった。今は、飽食の時代であり、職が無くても、何処かのコンビニの裏に行くと未だ食べられる弁当があったりするわけで、飢えて死亡するといった例は殆ど聞かない。原発事故で云えば、これ程条件が揃ってるのだから、原発をぶっ壊して、放射線をまき散らし、なおぬけぬけと値上げを口にする東電社長などは吊し上げられても然りであるが、それもせず看過するとは、日本人は何処まで従順なのだろうかと言いたい。北朝鮮では飢え死にする者が跡を絶たないと聞くが、独裁による恐怖政治のためか、唯々諾々と死んでいくのである(としか見えない)このように日本を含めて、世界中何処でも独裁による恐怖政治と、洗脳などで、反抗する力さえ奪われて、その分富裕の人達には富が自動的に集まるというシステムになっている。民主主義国家と言われているはずの日本でもそう言ったことを突き崩せないのであるから、武力を背景にしたシリアなどでは、なかなか思うようにいかないのは至極当然と云うことなのだろう。ヨーロッパ諸強がアラブ世界を自由に操っていた時代は、永年植え付けられた被植民地意識が抜けず、アラビアのロレンスなどに見られるようにむしろ西欧人によって、独立に対する意識が芽生えると云うことも経験している。アラブ諸国(自国)を外敵から守るためには、強固な統治しかなく、独裁でも何でも強い指導者の必要性を感じていた。その時の為政者は、未だ若く、多少なりとも、真に国を憂う気持ちがあったであろう。しかし、そんな為政者も初期の情熱を40年も続ける意志の強い人間は居ないと言っていい。第3次中東戦争(6日戦争)で、イスラエルの電撃的急襲でシリアはゴラン高原を掠め取られ、国内で、急進派と、穏健派が対立、現大統領の父親である、穏健派ファーフィズ・アサドが大統領になったのが現在の1歩前の段階だ。温厚そうに見えるファーフィズ・アサドも、国内宗教問題で、アラウィー派を擁護、多数のスンニ派と対立しやがて、これらを力で弾圧する。更に、ここからは親ばかの典型で、交通事故で亡くした長男に変わって、次男のバーシャル・アサドを世襲で大統領に付けるべくあらゆる事に注力したのだ。どうも日本の2世にも馬鹿鳩のようなのが居るが、北朝鮮然り、シリア然りである。イラクのサダム・フセインが息子のウダイを見限ったのとは反対に、ファーフィズ・アサドはバーシャルを次期大統領に相応しいと宣伝するために、バーシャルがロンドン留学の経験があって高学歴、開かれた国際感覚を持っているといった息子の「博識」さを喧伝した。その一方で、バーシャルの無能を察知した軍のベテラン達を皆処刑してしまった。親ばかというのは、何処の国でも同じであり、無能不的確など何処吹く風で、世襲大統領を誕生せしめたのだ。日本では、こういった野蛮な粛正などはないものの、平気で無能な連中を、2世だかなんだか、やたらと信奉する傾向にある。平和と言えばあまりに平和だが、国際的評価は、間違いなく低下どころか、今では歯牙にも掛けられていないようで、自分の庭先に我が物顔で通る敵国人を安易に許して看過しているのである。前回11月の末までは、アラブの春のドミノ倒しは、シリアからイエメンという段階に入っていたはずで、そのイエメンは、サレハ大統領が権限委譲して、国外亡命してしまい、当面残るはシリアだけとなっていた。シリア内にも、既得権益を守ろうとする者達(アサド大統領派)は、リビアであったと同様に存在する。シリアに対する制裁をと言うことにも反応して、政権支持のデモを行うと云った有様だ。勿論その間、アサド大統領派は、正規シリア軍として子供に対して迄拷問をし、256人が死亡せしめたと伝えられていた。その時同時に死者は全体で3500人にも達するとのことであった。勿論アメリカはいち早くアサド大統領の退陣を要求しているが聞き入れる風もない。安全保障理事会では、あろう事か、ロシア、中国は伝家の宝刀の拒否権を行使してまで、シリア制裁に反対したのである。同胞(とは言っても宗教的派閥などで一筋縄ではいかないが)のアラブ連盟でさえ、シリア制裁措置に賛成しているのだ。シリア内では、アサド派に反対する正規軍からの離反兵が「自由シリア軍」を編成して立ち向かおうとしている。この時点で弾圧による死者は4000人と報じられた。なおトルコやフランスは軍事介入さえ視野に入れてきた。クリスマスには、ローマ法王までシリアの暴力を訴えたが、之は異国の宗教だからシリアは露ほども感じていないかも知れない。今年の1月にはアラブ連盟が、アサド大統領に退陣要求を突きつけている。3月には死者は5000人と報じられた。それでもアサドは動かない。アラブ連盟までが、ロシアへの問題提起にいたり、ロシアも苦境に立っている状態だが、それでもロシアにとって敵の敵は味方論が根強いようだ。2月に入っても、殺戮は続き、問題は解決しない。アメリカはシリアを「残忍で、機能不全の独裁政治」と断罪する一方で、ロシアは「シリア主導でないと解決できない」と弾圧と殺戮を容認しているのだ。ここで、シリア主導での解決の中に「自由シリア軍」勝利(革命達成)は視野に入っていないだろう。ロシアと中国は、アサドが、その反対派を殺せるだけ殺して、すっきりしろと云っているのだろうか。とにかく人道を顧みない国の考えることは、我々のレベルではとても考えられないことである。安保理に於いて、アダド退陣に明確に反対をしている中・ソ以外にも、対応を決めかねている(様子を見ている)国があり、インド、パキスタン、南アフリカ、アゼルバイジャンとグアテマラである。その後も弾圧による殺戮は続いていて2月6日の報道では死者数は6000人に迫る勢いだという。外交とはこういうものか、安保理での各国の表現は下記の通りだ。(弾圧停止を求める決議案に対してである。)【拒否権】・ロシア:決議案はシリアの実情を反映していない・・・裏では独自にシリアに接触打開を探る・中国:シリアの問題の適切な解決策にならない。【賛成】・嫌気がさす。今後の流血事態は拒否権行使国の責任だ・フランス:拒否権を発動した国には歴史が厳しく評価するだろう【当事国】・シリア:危機は捏造。一部大国の標的になっている「シリア自由軍」のダメージ増加、国連安保理は動けない。殺戮は日に日に増し、シリアの言い訳は明らかに通らない。外交と商売(ロシアの武器輸出)は人命よりも尊いのか。解決にはもう少し掛かりそうであり、その間の死者は一体幾人らになるのか。
2012.02.13
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第三十一段【本文】雪のおもしろう降りたりし朝(あした)、人のがり言ふべき事ありて、文をやるとて、雪のこと何とも言はざりし返事(かへりこと)に、「この雪いかゞ見ると一筆のたまはせぬほどの、ひがひがしからん人の仰せらるゝ事、聞き入るべきかは。返す返す口をしき御心なり」と言ひたりしこそ、をかしかりしか。今は亡き人なれば、かばかりのことも忘れがたし。【訳文】 雪が趣のあるさまに降っていた朝、ある人のもとへ、言ってやらなくてはならぬ用事があって、手紙をやろうとして、雪のことを何とも書かずにやった、その便りの返事に、「わたくしに、この雪を見てどう感ずるかと一筆もおっしゃらないくらいの、心のひねくれている方のお命じになる事をどうして承知することができますか。重ね重ね情けない、あなたのお気持ちです」と書いてあったのは、実に面白いことであった。 今はこの世にない人なので、これくらいのことも忘れがたい。【注釈】・がり:(人の)居るところ・ひがひがし:ひねくれている第三十二段【本文】 九月(ながづき)廿日の比(ころ)、ある人に誘はれたてまつりて、明けるまで月見ありく事侍(はんべ)しに、思し出づる所ありて、案内させて、入り給ひぬ。荒れたる庭の露しげきに、わざとならぬ匂ひ、しめやかにうち薫(かを)りて、忍びたるけはひ、いとものあはれなり。よきほどにて出で給ひぬれど、なほ、事ざまの優(いう)に覚えて、物の隠れよりしばし見ゐたるに、妻戸を今少し押し開けて、月見るけしきなり。やがてかけこもらましかば、口をしからまし。跡まで見る人ありとは、いかでか知らん。かやうの事は、ただ、朝夕の心づかひによるべし。その人、ほどなく失せにけりしと聞き侍りし。【訳文】 九月二十日ごろ、ある方のお誘いをこうむって、夜の明けるまで、月を見て歩きまわったことがございましたが、その途中で、その方が思い出された所があって、そこへ行き、私に家の中の様子をうかがわせてから、室内にお入りになった。外で待っていると、荒れ果てて、露がいっぱいおりている庭に、わざわざ焚いたのではない香の匂いが、しつとりと薫っていて、耳に止まらぬほど低く話している声に、とても、何かしみじみとした情趣が感ぜられる。 適当な時間がたって、その方は女の室からお出になってしまわれたのであるが、自分は、この家に住む女の様子が優雅なものと思われて、物かげからしばらく見ていたところ、女は、送り出した妻戸をもう少し押し開いて、月を眺める様子である。人を送り出すとすぐさま、戸を閉じて掛け金をかけ、中にひき籠ってしまったら、残念なことであろう。人の去った後の自分の様子までも見ている人があるとは、どうして知ろう。こういうようなことは、ただ、日常の心がけによるものであろう。 その女の方は、まもなくなくなってしまったと聞きました。【注釈】・事ざま:この家に住む人の様子・やがて:すぐさま第三十三段【本文】 今の内裏作り出されて、有職の人々に見せられけるに、いづくも難なしとて、既に遷幸(せんかう)の日近く成りけるに、玄輝門院御覧じて、「閑院殿の櫛形の穴は、丸く、縁もなくてぞありし」と仰せられける、いみじかりけり。これは、葉(えふ)の入りて、木にて縁をしたりければ、あやまりにて、なほされにけり。【訳文】 現在の内裏をご造営になって、有職に明るい方々にお見せになったところ、どこも欠点がないということで、もう少しで天皇のお遷(うつ)りの日が近づいた時に、玄輝門院が新造の内裏を御覧になって、「昔見た閑院の内裏の櫛形の穴は、今度のと違って、丸くて、縁もないものであった」とおっしゃったが、これは、まことにすばらしいことであ?た。 この、新造の内裏の櫛形の穴は、昔のに比べると、切り込みの部分があって、木で縁がしてあったので、まちがいということで昔の通りにお直しになった。【注釈】・今の内裏:当時の皇居・有職:公家の様々な先例慣習を明らかにし、究めること・葉(えふ)の入りて:完全な半円形でなく切り込みがあること第三十四段【本文】 甲香(かひかう)は、ほら貝のやうなるが、小さくて、口のほどの細長にさし出でたる貝の蓋なり。 武蔵国金沢といふ浦にありしを、所の者は、「へなだりと申し侍る」とぞ言ひし。【訳文】 甲香というものは、ほら貝のような形の貝で、それより小さくて、口のあたりが細長く突き出ている貝のふたの事である。 武蔵の国の金沢という浦にあったのを、その土地の者は、「へなだりと申します」と言った。【注釈】・甲香: 長螺(ながにし)という貝のヘタ。 香料と混ぜ 合わせて煉香(ねりこう)を作る。第三十五段【本文】 手のわろき人の、はゞからず、文書き散らすは、よし。見ぐるしとて、人に書かするは、うるさし。【訳文】 文字を書くの下手な人が、遠慮なく手紙をどんどん書くのは、良いものだ。これに反して書く文字が みっともないと思って、他人に書かせるのは、いやみなものだ。【注釈】・手のわろき:字の下手な・うるさし:わざとらしく、いやみなもの----今日は、夕刻から太郎君と一緒に、連れ合いの庭の倉庫エオ整理した。2つあるスティール製の小屋には、旧い本も入っていた、いずれも、もはやそのものを見ることもないだろうということで廃却することにした。外国古典文学や値段の張りそうな図鑑などもあったが、当時残しておきたいという心境も分かったが、廃却して、2つの倉庫を1つにまとめることに決まった。その当時は必要かと思うものでも、跡から振り返ってみると、案外見ないものだと感じた。太郎君一家と夕食を共にして、帰宅した。このような場合兼好法師なら難と日記に書き付けるだろうかなどと思った。
2012.02.12
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アメリカが34年ぶりに新規原発を承認した。人類の愚かさは際限なく続くと云うことだろう。最早諦めの境地にしかならず、無力感を感じる。日本では、困窮したときに、かつては直訴とか云って筵旗を立ててお上に申し出たが、大抵は、きついお咎めを受け、打ち首になるのが落ちであった。今ではデモをして為政者(国会)に訴えても、それ位で原発が止まることはないようだ。アメリカ人がデモをしたかどうかは知らないが、とにかく再稼働を決めたのだという。何でもアメリカに追従する日本のことだから、日本でも原発再開派は力を付けるに違いない。何とも愚かしいことである。日本人が原発を嫌うのは、広島、長崎でのアメリカによる原爆投下に端を発している。原発関係者は原爆と原発は全く違うという。そして原爆による被爆と原発による被曝は違うのだというわけだ。しかし、そう言ったことは詭弁であって内実は「核分裂」と言うことで全く同じ現象なのである。ここで、核分裂について復習すると、発見者はオットー・ハーンで、英語ではnuclear fissionと云い、核分裂反応とは、不安定核(重い原子核や陽子過剰核、中性子過剰核など)が分裂してより軽い元素を二つ以上作る反応のことを指すとある。(Wikipediaの受け売りだが) 『この不安定核は主に次の3つの過程を経て別の原子核に変わる。 1.電子もしくは陽電子を放出して僅かに軽い核になる。 2.He核(アルファ粒子)を放出して少し軽い核になる。 3.He核より重い大きな核(重荷電粒子線)を一つ以上放出してかなり軽い核になる。 このうち 1, 2 は一般には原子核崩壊(それぞれベータ崩壊、アルファ崩壊)といい、この核崩壊を起こす原子核は放射線を出す能力を持つ(放射能)。原子核分裂というと 2, 3 になるが、一般的には 3 の事を指す事が多い。 核分裂性物質の原子核が中性子を吸収すると、一定の割合で3の過程で核分裂を起こし、合わせて中性子を放出する。この中性子が別の核分裂性物質の原子核に吸収されれば連鎖反応が起こる。また、この崩壊過程は発熱反応である。この連鎖反応と発熱反応の性質を利用して一度に大量の熱を生成する事が出来る。これが原子力発電や原爆の基本原理である。』とある。とにかく、お湯を沸かす手段のために放射能を有する核燃料(ウランなど)を使うのである。そして中性子が別の原子核に吸収されると連鎖反応が起こり続けて、安易に熱源を得られるということだ。やかんで湯を沸かすのに、ガスを使うか電気に依るか、かまどに薪を焚くかの違いである。このかまどに薪をくべると煙る(CO2)し、薪の入手は高い、といった論法で原発が安易に使われ始めたのだ。その根拠は、燃料が安価だと言うことと、原子炉は5重の安全装置で守られているという神話である。その神話は、1.燃料を焼き固めペレット内に納めている、2.燃料被覆管には頑丈なジリコニウムを使っている、3.原子炉圧力容器は鋼鉄製で頑健、4.原子炉格納容器は鋼鉄とコンクリートで之も頑健、5.原子力建屋はコンクリート製で安心、と言ったもので、之だけ手段を講じているよというものだった。しかし結果はどうだったろうか? 写真でも動画でも何回も見たが、この神話は本当に神話だったことを裏付けたではないか。その後日本は、たちまち、原発を抑制する側に動くかと思ったら、原子力村の結束は固く、東電を初め各電力会社の自己保身と、既得権の死守のためにあらゆる脅しと脅迫めいたことで、原発の維持推進を図ろうとしているわけだ。曰く、「原発が無くなると、燃料代が高騰し、値上げするよ」「エネルギー不足で工場は全て海外に出て行くよ」とかの類である。現在日本では54基の原発があり、検査等で、3基稼働、そのうち1基も稼働できないと云うことになりそうで、それなら大混乱と喧伝しまくっているのである。この裏には、もし廃炉にするなら長期間かかると同時に、巨額の金が掛かるという。従って、40年で廃炉を決めていた基準も、見てみれば案外使えそうじゃないかと言う者も出てくる。全く、何をか況やである。日本人は鈍感且つ従順である。昔からイエス・ノーをはっきり云わなくても腹芸で済んできた。その流れであろうし、またそういった遺伝子は若者にも受け継がれているようだ。従順さの遺伝子はより多くを男性が受け継いでいるのではないだろうか。「草食系男子」がその事を代弁しているようだ。脱線したが、アメリカも勿論スリーマイル島の原発事故に遭っている。アメリカは広いと云いながら、このスリーマイル島は、東部ペンシルベニア州にあり、今回建設・運転許可が下りた、東南部のジョージア州ボーグル原発との距離は、日本に置き換えれば、福島と大阪の距離である。何故許可したのかは理解できない。現在アメリカでは104基の原発を有しているという。そのうちどれくらいが稼働中なのか知らないが、エネルギー源としては、シェールガスの目途も立ち、何も今更原発に頼らずともと言う気がするのだが、どういった根拠に基づくのだろうか。新原発許可はスリーマイル島事故から34年ぶりだという。5人の委員のうち委員長だけは、福島原発を例に引いて、賛成はしなかったそうだが、他の4人の考えは如何なるものか問うてみたい。ここに来てオバマ大統領も愚鈍な並みの大統領でしかなかったと云わざるを得ない。アメリカの原子力会社(原子力村)の親分(ファニングCEO)は「1つの技術(エネルギーの)全ての問題を解決できないが、原子力が解決策の大きな役割を果たすのは明らかだ」と述べたという。またCO2かと思うが、真意は何処にあるのか分からない。シェールガスで、エネルギー輸出大国にも成るという見通しがあるにも拘わらず何故なのかというと事だ。勿論許可したNRC(米原子力規制委員会)では、安全強化に乗り出してはいるとも書いてあるが、果たしてそれも、どの程度なのか疑わしい。この委員会の英語名はNuclear Regulatory Commissionであり、規制(Regulatory)する 側の期間であったはずが、最近では、「規制の虜」と揶揄され、その意味は、日本に置ける、原子力委員会や保安院の如く規制機関が被規制側の勢力に実質的に支配されてしまい、規制機関の許認可が、被規制側にお墨付きを与えるだけの意味しか持たなっているというのだ。故に冒頭、人間という者は愚かしいと表現したわけだ。之でアメリカは、原発を強烈に推進してくるだろう事は明らかになった。原発推進派は少数で概してお金を持っている側だ。過疎対策などで大量のバラマキがあれば、自分の所は大丈夫と高を括ってそのバラマキを受けるであろう事は、想像するに難くない。前出の原子力大手のCEOは「原子力産業にとって歴史に残る成果だ」と云ったそうだが、私などは、オバマ大統領は歴史になお残す愚鈍な大統領で、ファニングCEOは人類を破滅に導く道を開いた男だとして歴史に残るだろうと思う。之に関連して、日本は死の商人の道を歩みつつある。今回許可されたのはWH社製の原子炉であるが、日本からは東芝が2基、三菱重工が3基と受注しているのだ。懲りていないのは、何処も同じである。日本は更に、ベトナムや、マレーシア、タイでも原発を売り込んでいる。更に以前からトルコでの原発に関しては韓国に負けじと競っている。更にだ、ヨルダンのようなきな臭いところや、バルト3国のリトアニアにも触手を伸ばし、原発を世界中に拡散しようとしている。非核3原則もあったものではない。明確に軍用(核弾頭)なら目くじらを立てるが、原発のためのウラン濃縮技術なら平和利用だから可だという。しかし、イランの動向は当てにはならないという。アメリカの唯我独尊にはほとほと嫌気が射す。さらに、ITの雄マイクロソフトのビルゲイツは東芝と組んで、私財数千億円を投じて低コストで100年間運転可能な次世代原発を造るべく動いているという。100年使えても101年目には廃炉しなければ成らず、火力発電所や、そこらの工場のように今日で「やーーめた」では済まないのである。脱原発の道を歩むドイツの道、国民投票で90%を越えて原発に反対したイタリア、その他オーストラリア、ベルギー、スイス、フィリピンと脱原発を歩こうとする国々、その他でも原発慎重論が歩く国もいる。どうして福島で悲惨な目にあった日本がブレーキを掛ける側に回れないのか、産業が発展しても、今回の事故が起これば、元も子もなく、根こそぎ利益が吹っ飛ぶばかりでなく、未来永劫(少なくとも半減期間)放射線の災禍に悩み続けなければならない訳だ。コスト計算もしっかりと納得いく方法で比較して欲しいし、原発開発に投じた開発費用やバラマキの金相当をつぎ込み、見えている自然エネルギーを開発して貰いたい。
2012.02.11
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沖縄の米軍基地問題は本当に解決できるのだろうかと言った具合で、迷走に次ぐ迷走をしている。また野田総理が近々沖縄を訪問して県民の慰撫に当たるという。何とも名状しがたい無様な状態である。自民党政権時代からの持ち越し問題であり、その間、何も進展をみなかったので、民主党政権になって、何らかの進歩を期待したが、先ず出てきた馬鹿鳩(鳩山)は最低でも県外移設を高々と謳ったからたまらない。みんなその気になったかと云えば、笛吹けど踊らずで、終いには「海兵隊ってそんなに重要なことだとは知らなかった」的な発言をして失笑どころかか馬鹿にされたのである。続いて、農業専門でやっていれば何も問題はなかったものの、何を狂ったのか、防衛大臣に起用された、一川保夫は、防衛相就任の直前に記者団に対し「安全保障は素人だが、これが本当のシビリアンコントロールだ」とぬけぬけと発言 、またブータン国王夫妻歓迎の宮中行事を欠席し、民主党議員のパーティーに出席「私はこっちの方が大事」というし、その他諸々のこれでも議員なの?との見識を疑ったものだ。派閥均衡という悪癖が、民主党になっても、引き継がれている悪い例だ。そこで颯爽(???) と登場したのが田中直紀だ。妻の真紀子はにこにこ顔で夫の大臣就任を喜んでいたようだ。大学で政治学を学び一旦企業に就職したが、田中角栄の下で再び政治を志すと云ったところだろうか。この直紀君、歳は取っているが、自民党時代から大臣には成れない器であった。しかも、未だぼけるには早いと思うが、国会での応対がまるで素人、このままでは「防衛省・自衛隊があまりにも分かっていない」「防衛政策の進展など期待できそうもない」と評されるだけに留まらず、北朝鮮からも「日本防衛相・田中の無知がさらけ出され、物笑いの種になっている」と報道される始末。沖縄県知事ばかりか日本中を唖然とする防衛感覚である。これで、沖縄の基地問題が悪くなりこそすれ、改善は見られないだろう事は明らかになったわけだ。これでは、「白河の 清きに魚の すみかねて もとの田沼の 濁り恋しき」ともいかず、どぶからどぶへと渡り歩いて、やっぱり元のどぶの方がましか、いや、新しい動きがあるそうだから、そっちの様子を見ようかなどと云った政治不在の世界に突入してしまった。そんな国会での迷走は何処吹く風、一川、田中と連続して、国威まで失墜させながら、粛々と官僚が描いたロードマップ(行程表)通り事を進めようとしているわけだ。この直紀君国会でも答弁で「手順表を持っておりまして」と日米政府間の極秘文書を暴露しますます泥沼に突入させたのである。極秘内容は、このままでは危険な状態の普天間基地を14年までに辺野古に移すと言うのが内容だ。ある程度止む無しの方向に向いていたのを、馬鹿鳩を筆頭に、これら無能大臣が沖縄県民の心を逆なでしてしまったのである。今度こそと思う大臣もでくの坊ばかりで、この時ばかりは、やはり国会議員にも資質が必要だと改めて思った次第だ。沖縄は、日本でも有数の暖かい観光地の1つであり、青い海と美しいサンゴ礁など、豊かな自然に恵まれ、沖縄を訪れる観光客は年間約400万人を数えるという。しかしながら、この沖縄は基地の島として大きくクローズアップされている、それは、島の約10%強がアメリカ軍基地であり、在日のアメリカ軍基地の75%は沖縄に集中しているという現実である。何もこんな美しい島にと誰でも考えるかも知れないが、一方ではアメリカ軍の駐留によって潤っていると云った事実もあるわけだ。こう言ったことを念頭に置かないで空証文を出したり、アメリカ軍兵士による女学生暴行事件などよく知らないといったり、あまりにも無知というか、馬鹿としか云いようのない人物を防衛大臣に据えるから事が大きく拡散していったのである。余程、民主党に人が居ないと云うことを如実に物語っているとしか云えない。自民党なら汚職と既得権で金まみれ、民主党なら、国民生活第一と言った謳い文句も空証文、之で既成政党に倦まない人が居たら不思議な位である。「頑張ろうニッポン」もいいが、「ウェイクアップ ニッポン」である。今までは誰かが何とかしてくれた、しかし之からは自分のことは自分で始末しなければならないと云うことを、もうそろそろ気づいても良いはずなのに・・・。アメリカが何故沖縄に軍事基地を集積するかについては、今までは、対共産主義のフロントラインと言うことが大きな理由であった。しかし、近年特に中国の一般漁船と言わず、艦船が我が物顔に日本の領海を侵犯して第1列島線をたやすく越えて行動するのを許しているわけだ。ならば、アメリカ軍が沖縄にいる存在理由も薄れてくるのも道理だ。今やアメリカは、第2列島線をも考慮に入れて、防衛戦略を考えているに違いない。日本は専守防衛であり、先に手出しは出来ないとなっている。何しろ、現行憲法には次のように書かれているからだ。【第二章】戦争の放棄第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】 1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。アメリカに防衛をお願いするなら、日本国民を、また沖縄県民を納得させなければ軋轢を生むに決まっている。それを和らげるどころか、眠っていた桶の底に沈殿していた澱のようなものまでかき混ぜてしまっているのだから、何をか況やである。イラクの支援も必要だっただろうし、スーダンのPKOも必要だろう、また、カンボジアやモザンビーク等への協力も国際関係上必要なことだったが自国の安全に関してはあまりにも手抜かりと他人頼みになっていないかと言うことだ。アメリカは独自にアメリカ軍のトランスフォーメーションを考えている。ソ連が倒れてからは、その対象は民族紛争や、テロ対策と言ったことに絞られていたが、今やアメリカにとって最大の仮想敵国は中国である。日本の基地1つ動かすことが出来ない政府を相手にしていても仕方がないと言うことで、いよいよ痺れを切らして独自の再編に取り掛かったようである。こういった再編については、一応日本に打診があり、取り決めを行っているようだが、この取り決めは、日本のことを思ってではなく、アメリカの国防予算削減が急務であるためのものだ。日米共同発表の要旨は1.普天間の辺野古移転の方向性は今後も堅持する2.普天間移設とは独立して、米軍の一部をグワムに移転すると共に県南5施設を返還する3.在日アメリカ軍のトランスフォーメーション計画見直しは数ヶ月以内に行う4.いずれにしても日米同盟は強化するといった内容である。もし、中国との戦闘に入れば、(中国が日本上陸を敢行して乗っ取ろうとしたら)などと考える前に、中国は、在中国の日本工場を閉鎖しロックアウトするであろうし、また中国にある日本の資産凍結に走るであろう。在中で勤務する日本人がどうなるのか、政府は、きっと助けには行かないだろうし、当てに出来るものではない。アメリカなど欧米人種(白人)は黄色人種に一種の優越意識を持っているので、一朝有事であっても自分たちを犠牲にしてまで、日本国民を助けるとは考えられない。助けるとしたら、アメリカ本土が危うくなると云う見通しがあればだろう。おそらく、之と同じで、大和人=やまとんちゅ(本土の人)は、島人=しまんちゅ(沖縄の人)の事を1段下に見ているのではないかと云うことだ。勿論潜在意識の中でだが。それは、太平洋戦争時に最後の砦として、捨て石にしたことでもわかる。沖縄県民の多くは、アメリカ軍の即時撤退を願っているが、アメリカ軍の駐留による経済波及効果に依存している人達もまた居るわけだ。現在、基地として用地を提供することで約800億円、米軍とその家族が使う約500億円の消費等の合計1800億円は沖縄県民所得の約5%に相当し、基地で経済が潤っていることもまた現実である。この代償に、軍用機発着時の騒音や墜落事故がある。米軍のヘリコプターによる事故も少なくない。飛行機からの落下物然りだ。加えて、米兵による交通事故や犯罪も深刻そのものである。地位協定一つ手が付けられない政府なんかあってもなくても同じようなものである。これらを解決するには、1.浮体工法で、好きなところに人工島を建設し、何時でも騒音目一杯でも聞こえないような場所を探すこと、勿論、海の中への落下も自由だ。 2.沖縄を良い意味で独立国にして、バチカンとローマのような関係にしてしまうことだ。そうなると、沖縄県民お気持ちを踏みにじって物事は決められない。アメリカ自身、沖縄―フィリピンーグワムーハワイといった広域布陣で、中国、北朝鮮からの攻撃に備えるべく検討中である。
2012.02.10
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「大陸が北極付近に終結か」といった新聞記事があった。プレート(岩板)が移動していることを根拠に、数億年後に1つの大陸となると言うのだ。何処かで聞いた話。2億3,000万年前にはパンゲア大陸と言う広大な大陸があり、2億年前の三畳紀には南半球を中心にゴンドワナ大陸と北方にはローラシア大陸といった具合に分かれたという話であるが、今回また一緒になろうという事なのだろうか。プレートテクトニクス理論は、図らずも、東日本大震災に於いて、嫌という程聞かされたので、地球の我々が住む表面は実に薄い皮の上に乗っているのだと言うことも解っているつもりだが、このプレートは地震でもない限りは、それほど目立って動いているなどの実感はない。去年梅田まで電車で30分だったが、今年名20分で行けると言うことでもないし、勿論線路がグニャグニャに曲がっていることもない。まさに10年1日の如く、そう言って極端な変化は感じないのである。当然と言えば当然のようだが、しかし、我々が乗っているプレートというのは動いていることも、また観測されている。新聞に依れば、このプレートの移動によって、約2億年後には南北アメリカやユーラシア大陸が北極付近を中心に集合して1つの巨大大陸になるという研究結果がアメリカで発表されたのだ。既にそうなった後の大陸名はアメイジア大陸(「アメリカ」と「アジア」を繋げたもの)として知られている。またの名を、ノヴォパンゲア大陸(「新しいパンゲア」の意味)と言うのだそうだ。あくまで、可能性があると考えられているのだが、これらの推論は、地球科学を学ぶ者にとってはごく自然な現象ではないかと思われる。一寸脱線だが、東日本大震災時に国土地理院が計測したところによる水平方向の最大移動は、宮城県女川町江島での東南東方向5.85mであったとされ、更に上下動は、「牡鹿半島」で1.14m沈んだとされている。ユーラシア大陸から北極点に一番近い距離は600km程度である。プレートは違うので比較にはならないが、之が東日本大震災の時の移動量5.85m(勿論毎年こんなに動いてはたまらないが)で単純に割ると、10万年余で北極圏集結となる計算だ。と言うことは、2億年で、現在バラバラの大陸が一体化する話はあながち法螺ではない。この結果から推察するに、パンゲア大陸→ゴンドワナ大陸+ローラシア大陸→アフリカ大陸+ユーラシア大陸+アメリカ大陸+オーストラリア大陸と分割し、現代に至り、これ以降はまた収縮期に入っていて、ひたすらアメイジア大陸に向かって一体化の途上という過程で、地球はそうして息をしているということなのだ。現に専門家も、終結と分散を数億年ごとに繰り返しているのだという。逆の見方で、仮に600kmを2億年掛けて動くということは、平均して、年に3mm移動していることになる。人間に一生を100年と見積もっても、生きている間に30cmの移動だと云うことになる。その観点から見れば、東日本大震災時の移動は如何に大きいかと云うことも解るわけだ。研究チームは、「ある超大陸の中心と地球の核とを結ぶ線は、その1つ前の超大陸の中心と地球の核を結ぶ線と90度をなす事」を突き止めたとのことであるが、この部分の意味がよく分からない。他にも色々な説を唱える学者がいるようだが、勿論我々も含めて、その説が正しいかどうかは、生きている間には完全に証明できないと云うことになる。解らないなりに記事を読むと、蓮舫女史の嫌いなスパコンで将来の超大陸の位置を推定すると、そのアメイジア大陸は、約2億5千万年前に現在のアフリカ近くにあったとされるパンゲア大陸から北方に90度離れた北極付近を中心に形成されると云うことらしい。そしてその結果、北極海とカリブ海は消滅するというのだ。ここで殊更カリブ海を加えたところなど、いかにもアメリカの研究チームであると思われる。別の説では、この超大陸の合体で、太平洋が消滅し、そこに大山脈が出現するとか、東ユーラシアと北アメリカが直接衝突し、その南にオーストラリアが衝突する形になるとか、オーストラリアが両者の間に割り込むところまで北上するとか、南極大陸がオーストラリアの南側に衝突するとか様々な推定が為されているようだ。大西洋が消滅するような形で超大陸が形成されるという説を採れば、この超大陸はパンゲア・ウルティマ大陸またはパンゲア・プロクシマ大陸と呼ばれるのだそうだ。地球は動いていること、しかも我々が住んでいる大地はガイアというギリシャの女神によって担当されていると云うが、女心がかくも揺れるのは、住人としては大変困ることである。ガイアは、大地の神・農業の神とされ、神話でも、地球表面だけで、全体を統括している事になってはいないようだ。そもそも大陸が移動していると云うことを提唱したのは、アルフレッド・ウェゲナーのプレートテクトニクス理論である。皆この理論の斬新さに飛びついて、そこから地球の学問が大いに進展したと言っても良いだろう。しかし、このウェゲナーによるプレートテクトニクス理論では、地球のリソスフィア(地殻とその直下の上部マントル)のみに目が行っているのではないかと云うこと、即ち、女神ガイア、プラスアルファのみの動向のみを論じている嫌いがあると言うことだ。大陸移動説の大前提である、移動させる原動力の解明(言及)が心許ない。ウェゲナーは、この原動力を、「離極力」であるとし、極から逃走する力とか云っているが、その頃の状況では、それが限界だったのだろうと云われている。解釈が正確かどうかは元より覚束ないが、地殻が、液体(上部マントル? )に乗っていて、その浮かんだ大陸は自転だとか潮汐力によって動くのだとする解釈である。このような力で、巨大なマス(質量)を移動するに足るとは到底考えがたいと云うことで、現在は、スーパープルームによる、下部マントルや更に中心に近い地球の核にまで議論が及んでいる。プルームは通常、深さ670kmの所で一旦停滞し、この停滞部分が上部マントルと下部マントルの境目にあたる。この停滞部分(境目)を通り越して上下するプルームをスーパープルームと称しているわけだ。但し、こういった地球内部については、実証した学者は居ないわけで、あくまで想像の産物であると言うことである。しかし、この地球内部の現象までを考慮しないと、現在議論されている、大陸移動説は、根拠が薄弱となる(移動のための原動力エネルギー不足)。即ち、核付近で高温になったマントルプルームが対流する下部マントルとの境界のすき間を縫って、地殻まで上昇し、そこで火山活動や、地殻の変動をもたらすという具合である。高温で上昇(地表に向け)するプルームをホットプルームといい、地表で冷やされたプルームをコールドプルームと呼んでいる。このコールドプルームはプレートの境目である箇所から再び地球内部に潜り込むと云ったことを繰り返すわけだ。ギリシャ神話におけるガイアの父親はカオス(混沌)となっているが、日本に於けるイザナギの尊に相当し、このカオス(混沌)から物事は始まっているのである。従って、どのようにホットプルームが発生し、どのように動くかは、神(カオス)のみが知るということである。(Nobody knows)現在人間はそう言った未知の分野を知ろうと、科学という名の下に説明を試みているが、科学は謎だらけであり、ほんの少しずつしか進歩はしていない。未知のことが明らかになったと云っても、その時点での話で、その理論をスーパーシードする理論が出てくれば、その努力はまた振り出しに戻ると云った按配である現段階では、新聞に一部の理論の確証を得たという報告であるが大陸の移動、そして、極への集中一体化での超大陸の出現などは、全て、このスーパープルーム運動であるとされるわけで、時に日本近海に於ける太平洋プレートによる北米プレートへのコールドプルームの引き込まれた結果が、東北大震災であり、諸説ある東海―東南海―南海連動地震は、フィリピンプレートと、ユーラシアプレートとの関連である。日本近海の4つのプレートは地球規模で、連携しているわけで、当然局地的なとらえ方は出来ない。しかし、プレート自身は、剛体ではないから、チリで起きた地震の原因であるナスカプレートの移動が太平洋プレートを介して、日本にどのような影響を及ぼすかについては、一寸した仮定の取り方で変わってくることは明かである。従って、東大の先生が、また京大の先生が、地震が何年後に何%の確率で起こるとか言うことを聞いたからと云って、一喜一憂するのもどうかなと思う。結局人間の力はたかが知れているわけで、カオスの思うがままになるのだろう。
2012.02.09
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数日前、太郎君夫婦が竜王のアウトレット・モールに行って、色んな店があるので、時間を忘れる位だったという話を聞いた。そう言えば、この近くのゴルフ場に行くときにそんなモールの話を聞いたことがあったが、それほど気にも留めていなかった。この間の同期会で、滋賀に住む友人が、結構大きなモールが出来たと云ったことも思いだした。連れ合いは、太郎君の話に触発され、一度行ってみたいと思っていたようで、それならと学校の帰りにそのまま向かうことにした。正式名称は、「三井アウトレットパーク 滋賀竜王」と言うことで、三井不動産が手掛けているようだ。同じようなモールは、大阪にも神戸にも横浜にもその他沢山あるようで、この竜王のモールは2010年7月8日にオープンしたようだ。名神高速道路の竜王ICを降りると懇切丁寧に場所をガイドしてくれるので分かりやすいし、且つICから500mと、すぐなので迷うことはないと聞いていた。高速に入る前にガソリンを入れる事にした。上牧から水無瀬間の国道171号線には4軒ほどのスタンドがある。この間、スピードパスのスティックを作ると更に易くなると云うことで申し込んだので、今日は、そちらの店で入れることにした。反対車線と云うこともあり、出口から強引に入った。勿論従来のスタンドもこちらのスタンドもセルフサービス店であるので、自ら全てをやらなければいけない。もう何回か経験しているので、その点に問題はない。大体に於いて、関東よりも5円程度安い感じを受けているが、上牧に一番近い店は中でも正直な値段だと思っていた。しかし、少し前、反対車線ではあるが、2日間ほど他店より10円近く安い日があり、そこで給油したときに、カードが要らないスティック(スピードパス)を作ることを勧められた。そこで入れることにし、給油機の前に止まると、先ず支払い方法をと聞いてくるので、スピードパスのスティックをかざす。後は他店と同じ手順だ。満タンを指定し、放電タブに触り、注入を始めると、何やら、単価132円と出る。標識では、134円だから、2円だけ安いのだが、それなら、スティックにした意味がない。ただ、カードを持っていなくても良いと言うだけだ。前回スピードパスを作ったときの説明と違っていたような気がしたが、仕方ない。スタンドによって、少しずつ単価が違うのだ。そして、その表現も、2段表示になっており、どうやら現金(初見)の客なら高く、カード使用者は2円引きとか、また、その店独自カードだと更に安いとか、何やらややこしいのである。満タンにし終わって、出ようとしても若い店員2人は向こうで互いに喋っていて、無愛想である。呼んで、その内の1人に聞いてみるがどうも要領を得ない。「向こうの店では、カードに判子を押してくれて、溜まればティシュを呉れたりするよ」というとそんなサービスも無いという。では、何もメリットが無いじゃないかと言っても済みませんと言うだけだ。なるほど、生のカードを持たなくても給油できるのが売りなだけなのだと、納得した。連れ合いは、今まで単価を見ながら店を探したことがないと云うが、私は、1円でも安い店を選ぶのが癖になっている。最近は、ガソリンの値段も馬鹿にならないし、省エネカーに買い換えることも出来ないので、なるべく単価の安い店を選ぶにしくは無いと思っている。以前、消費税込みで単価が105円の時、その内の56円はガソリン税であり、更に消費税として5円取っているという2重課税になっている話を聞いた。それでもスタンドの粗利は、8円程度であるという。イランに制裁を加えるためにアメリカに追従して、禁輸方向に動くと、サウジ辺りに追加輸出をお願いすることになり、それがまたコスト高に繋がらないとは言えない。イランの核武装は共通の脅威であるが、潤沢なエネルギー源を確保しつつあるアメリカは、イランに制裁を加え、禁輸するとしても一向困らない体制になっているわけで、日本が割を食う形だ。どうせイラン制裁をするなら、制裁で輸入減少分はアメリカが同値段かそれ以下で供給することを担保して然るべきである。ガソリンを入れながら何時もそんなことを考える。「相棒」の杉下右京ではないが、それが私の悪い癖なんですと云ってみても、仕方のないことである。ハイブリッドカーや、エコカーと言われるものが増えるのも道理である。前に、エコとはエコロジー(環境)だと云うことで、エコノミカル(経済的)ではないと言っていたが、今や後者の意味合いが大きいのではないかという感じだ。大山崎ICから名神に入り京都へ向かっていると、ひらひらと雪花が舞っている。お昼を食べていないので、大津SAで食べることにした。駐車場内は一部工事中であり、平日だからか、さほど混んではいない。地下に降りて食堂に入ると、窓越しに琵琶湖の南岸が開けている。それにしてもこの大津のSAは随分古くなったものだ等と考えながら、ザルうどんを頼んだ。ソバは置いていないという。どうも関西は、ソバを置いていないところが目立つ。私は、うどんも好きだが、ソバの方が何となくヘルシーな感じがするので、昼食はなるべくソバを頼むことにしている。連れ合いは、うどんにチキンが入った汁物を頼んでいた。食事中ふと外を見ると、ひらひら雪は吹雪に変わっていた。之は大変だ、竜王までだが、前が見えないなら行けないかも知れないと本気で思うほどに視界は悪くなっていた。しかし、幸いなことに吹雪いたのはその時少しだけで、食事が終わる頃には、元のちらほらと降るまでに回復していた。それにしても、変な天候である。東の空は青空が遠望できるのに西の空はどんよりしているという按配だ。それでも晴れて良かったと再び高速道路に戻ると、ほどなく草津JCTを過ぎ、栗東ICを越えるとすぐに竜王ICになる。草津JCTを越えると一寸遠出をした気分になるのは、少し前まで姫が、瀬田まで通っていたからだろう。竜王ICを降りると、懇切丁寧に看板が掲げられ、駐車場付近には、整理の人が立っている。それにしても随分広く駐車場を取ってあるものだと感心する。後で調べてみると、敷地面積は約180,000m2で、駐車場としては約5,000台も置けるスペースを確保しているというから凄い。やはり郊外ならではである。しかし単に見に来ると云うだけでは、往復の通行料2300円強とガソリン代がかかるので、一寸した物でも沢山買うと云うことでなければ意味がないかも知れない。その為の店舗は、鉄骨2階建ての中に165店あるというのだ。一々入って物色していては、かなり疲れることになる。この、165店のうち142店はアウトレットだという。アウトレット(outlet)の直接の意味は「放出品、はけ口」と言うことで、その起源は、おもにシーズンおくれの残品やB級品とよばれるきず物を廉価販売するためであって、アメリカで始まった方式である。従って、従来ルートとの競合を避けるためにも郊外に開設されることが多いと言うわけだ。こういった商業施設をアウトレット・モールとよんでいるわけだが、一方では、メーカー直営型の安売り店と言う性質もあり、日本では、B級品とか、きず物等は扱っていないようだ。アメリカの大型車で乗り付けて、大量に買っていくスタイルを、真似ているわけで、案外日本での買い物も、百貨店などは鉄道ターミナルにあって、駐車場の心配や駐車料金のこと、さらには持ち帰りの事などを考えると、一寸足を伸ばそうかなと云う気になる心理的要素もアウトレット・モールを流行らせる一因かも知れない。アメリカは知らないが、アウトレット・モールへ行けば、商品が倉庫のようなところに山積みされているという印象だが、やはり日本では、そう言った乱雑なやり方では定着しないのであろう。162店-142店である、20店は通常スタイルの店と云うことで、有名ブランドショップも入っている。そう言ったところが日本に於けるアウトレット・モールの味噌かも知れない。之に加えて、飲食店の併設、アミューズ施設の充実を図れば、子供連れでも終日過ごすことが出来るというものだ。ブランドショップとしてスペインのアパレルメーカーのザラ (Zara) を例に取ると、パリの、オペラ座横にある店と比べると、品数も品質も違うようで、中途半端感は否めない。連れ合いは、靴や洋服、帽子などを購入し、私も靴と帽子を買って貰って、寒くならないうちにそそくさと帰ることにした。一寸、私の靴の話をすると、思ったサイズがないと言うことで、一寸追求して、連れ合いの靴も買うのだからと、安くなっていた値段を更に、2000円値引きさせ、その3割引と一寸お得感を味わった。来て良かったなぁ。
2012.02.08
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連れ合いがかねて、映画「麒麟の翼」を観たいと言っていた。大抵は一緒に観るのだが、私には、その映画よりも「ミッション・インポッシブル」の方が観たいと思っていたので、上映時間を調べると、一寸ずれて放映されている事になっていた。そこで、映画館までは一緒に行って、映画は1人ずつ別々に観ることになった。私の方が、少し後から始まるのだが、少し開演には一寸早めに違うブースに入った。未だ誰も来ていなかったので、観やすい真ん中の席を占めた。やがて、おきまりの著作権の関係で、写真は駄目とか、携帯はオフにしろとかの注意が流れて、次回からの予告編から始まり、やがてそれも終わりに近づいた。その頃までは、館内の照度はさほど落ちていないので、館内を見渡せるが、どういう訳か、広い館内には私1人しか居ないではないか。そんなことがあるものかと何度見渡しても、やはり1人しか居ない。そして、その後も遅れて入場してくる人もなく、最後まで1人きりの映写会となった。こんな事は初めてで、終わって連れ合いが出てきたので聞いてみると、「麒麟の翼」の方は20人だったという。勿論ずいぶん前から封切りされているとは言え、こんな事で、やっていけるのかなと他人事ながら心配した。ストーリーは、アメリカ版007と言ったところか、イーサン・ハント(トム・クルーズ)が、縦横無尽にアクションをやってのけると言うもので、こちらのボンドガールに相当するエージェント・カーター(ポーラ・パットン)もアクションはお手のものという設定である。更に2人のチームメンバーがスパイ活動を展開するという内容だ。アメリカの諜報機関はIMFという名である。このシリーズは昔の映画の続編で、4作目だとかである。このIMFに一見不可能な任務が与えられると言うことだが、それを何とかチーム一丸となってやり遂げるという内容である。先ず、皮切りに、IMFエージェントがブダペスト(ハンガリー)で、「コバルト」というコードネームの人物に渡されるはずの秘密ファイルを奪う任務で易々と達成して、道路を歩いていると、マフィア(陰謀集団)の女殺し屋(モロー)に簡単に殺され、ファイルは横取りされてしまう。このブタペストを、私は、ブルガリアのソフィアだと勘違いしているかも知れない、実に美しい街並みである。その秘密ファイル核兵器の発射に関する機密事項が入っているという設定である。こういったアクション映画は、アクションに見とれていると、一寸したストーリーのキーポイントを見過ごしてしまう。そして話はモスクワのクレムリン宮殿にワープし、そしてクレムリン宮殿が爆破されるという事件が勃発する。マフィア(陰謀集団)の仕業であろうが、この時アメリカはこの事件に関係ないという形を取るために、アメリカ大統領から「ゴースト・プロトコル」(幽霊取り決めとでも云えばいいのか)と言う絶縁状に似た形で、IMFの存在自体が切り離され、天涯孤独(国籍もない)といった状態に置かれるのである。通常こんな仕打ちをされれば、何もしないのが当然だが、この4人は、妙に正義感が強いのか、それでも悪に立ち向かうと言うのだ。アメリカの言い分は、とにかくアメリカが関与したとロシア側が思っているので、君たちを切り離すといった単純なことなのである。さしたる実情も調べないで、このような重大な問題を4人のチームに託するなどと云うことはあり得ないと思っていては、この映画は前に進まない。何故かこの4人は、ロシア諜報員によってテロリストチームとされてしまうのである。アメリカは助けてくれない、ロシアからは追われると言った、究極の事態になるわけだ。クレムリンの爆発は勿論特撮であるが、迫力満点に仕上げている。しかし、平時のクレムリンは、現在のそれであろうと思う。モスクワなどへは行く予定もないから、映画のシーンで楽しませて貰った。実際の首謀者は、マフィア(陰謀集団)のカート・ヘンドリクス、別名コバルトという核兵器戦略家であり、アメリカとロシア間の核戦争を誘発すべく画策している人物である。IMF長官は、コバルト追跡任務続行のためにイーサンに便宜を図るが、長官は敵に射殺されてしまう。ここで、長官に同行していた分析官のウィリアム・ブラントがチームに加わるのである。何故核戦争を起こさせようとしているのかというインセンティブは、この狂気じみた核兵器戦略家ヘンドリクスは、人類が次の段階に進化するためには核兵器による浄化が必要であると信じているというのだ。本当かいなと、思うほど、実に単純な展開である。その為に、ヘンドリクスはロシア側の核兵器発射制御装置を盗むためにクレムリンに潜入し、その盗難を隠蔽するためにクレムリンそのものを爆破したというわけだ。そして、マフィア(陰謀集団)の女殺し屋(モロー)がIMF諜報員から奪ったファイルには、核兵器の装置を機動するための暗号が記されていたというわけだ。そして、イーサンたちは、モローとヘンドリクスの部下が取引する予定となっているドバイのブルジュ・ハリファに先回りして行くのである。お互いが、相手を誤魔化して、お互いに取引が成立したと思わせる仕掛けをするのだが、ここでもIT器機はふんだんに使われる。勿論DPSも駆使されるわけだ。私が居た頃のドバイでは、未だブルジュ・ハリファは建設途上であった。ドバイの信用危機などで、援助を受けたアブダビ首長の名前を取って改名(元の名前はブルジュ・ドバイ)して、少し遅れたが、2010年には竣工した。現在竣工した建物としては世界最高の高さ162階、828mの超高層である。900室と言うホテルだが、イーサン達の舞台は118階と119階である。それでも地上600mは越えているであろう。その窓外を観ると、遠く小さくドバイタワーなども見える。この階の窓を破って、ガラスの窓に特殊な吸着盤を装着した手袋でへばりつきながら移動するのである。下を観ると、箱庭のようなドバイの新開発地が見えるが、手袋でよじ登ることなどそこのけで、ドバイの街を俯瞰するシーンに堪能させられた。突如襲う強烈な砂嵐であるが、あれほどの砂嵐は先ず起こらないだろう。しかし、司会が数十mといった具合には、砂嵐の威力が凄まじいことを、サウジアラビアで経験した。ドバイの街を砂嵐から逃げる、トーブを着た男性や、アバヤの女性もまた懐かしい。そんな中で行われるカーチェイスも半端ではなく、GPSを使い、ハイウェイを逆走して車を正面衝突すると言った荒っぽいものまである。エアバッグが命を救うのか、使われている車は、レクサスではなくBMWである。トム・クルーズにとっては、日本車よりもやはりドイツ車が評価が高いようだ。何だかだで、人工衛星をコントロールして、核弾道の誘導をするとか云う話になったのか、彼らはインドのムンバイまで飛ぶのである。インドと言えば、ITここにも関連があるわけだ。我々はアラビア海に面したインドの西岸であるこの都市をボンベイと習ったが、いずれにしてもインド第1の都市で、ドバイ同様世界の貿易港でもあって、賑やかなところらしい。之も映画で見せて貰った。ストーリーの展開より、先ず、世界の都市巡りという観点からこの映画は面白かった。また、個々のアクションも奇想天外であり、嘘と解っていても、何故か手に汗握るような場面もあって、楽しめる。おもちゃのようなリモコンロボットを使って、磁気浮揚を起こさせると行った事も、なかなか、面白いものだ。円形の駐車タワーも出てきた。私もこういった駐車場のコンセプトデザインをしたことがあったが、ここでは、既に実用化されている。そう言った驚きと共に、駐車場として、円形タワーを使い、且つセンター部分に稼働エレベーターとして使い、敏速に走らせるというアイデアが、夢物語ではないことを実施してくれていたようで、何となく愉快であった。最後は、ヘンドリクスがついに暗号を手に入れ、中央海嶺に沈む潜水艦から核弾頭ミサイルをアメリカに向かって撃つのである。之を阻止すべく、核爆発を止める暗号キーワードを人工衛星に送ろうとする。しかし、妨害もあり、なかなか上手く行かない、そして、後数秒という、すんでの所で、核爆発の解除に成功し、核弾頭の利かないロケットが、シアトルのビルの頂部をかすめ取り海に墜落するのである。之を市民には隕石騒ぎに置き替えて伝え、物語は終わるが、仲間の分析官が、最後に、セルビア人殺しの問題があったヨーロッパでの紛争地点で、イーサンの妻を守るために監視していたが、不首尾で殺させてしまったと白状するが、実は、妻は生きていたという、またまた、奇想天外な物語である。次はアフガニスタンで会おうと言っていたから、次回はそちらの方が舞台になるようだ。
2012.02.07
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我々が住んでいる地球は太陽系の惑星の中でも唯一水が豊富にあり、生物の成育に有利に出来ているという。というか、他の惑星には、今のところ之といった生物が居る事が確認されていない。しかし、最新の観測では「液体の水」が存在する惑星が相次いで見つかっているというのだ。地球上の人間のような知的生命体が居るかどうかは今後の話らしいが、地球に似た環境の星の存在がにわかにクローズアップされてきた。NASA(米航空宇宙局)の発表だが、地球によく似た惑星は「ケプラー22b」と呼ばれる星で、地球からは何と約600光年も彼方にあるというのだ。この惑星のサイズは半径が地球の2.4倍で、太陽の約0.98倍の大きさの恒星の周りを290日で公転しているという。この「ケプラー22b」の表面温度は22℃と言う事で、水が液体のまま存在し得るというのだ。大いに好奇心を掻き立てられるとは言え、光速で飛んで行って約600年掛かると云うから、当然、現在の人間は誰も到達する事は出来ないと言う事になる。地球は太陽から適度に離れ、「ケプラー22b」は「ケプラー22」と言う恒星から適度に離れている事で、水が沸騰したり、氷のようになったりしないという同じような条件の位置にあるというのだ。こういった条件の場所を「ハビタブルゾーン(habitable zone:HZ)」と呼ぶらしい。従ってハビタブルゾーン(HZ)とは、宇宙の中で生命が誕生するのに適した環境となる天文学上の領域のことである。地球も「ケプラー22b」もハビタブルゾーンの中に丁度あると言う事だ。今までにも、こういったハビタブルゾーンに相当する条件を満たす星として、「グリーゼ581c」があり、このグリーゼ惑星群は、中心である、太陽に相当する恒星の大きさは太陽の約0.3倍だとのことだ。「グリーゼ581」は4つの惑星を従えていてそのうちの2つがハビタブルゾーンにあるというのだ。こういった地球に似た星は、表面の75%以上が雲で覆われているため、表面に液体の水が存在できると考えられている。このハビタブルゾーンは中心となる恒星からの距離範囲が、太陽系では大体0.97~1.39AU(AUは天文単位〔*〕)の領域にあると言われている。勿論、この距離は、各惑星系によって異なっていて諸説あるという。【注*:1AU(astronomical unit))とは約1.5億mで之は地球と太陽の平均距離ということだ。】ある恒星(一般の惑星系)のハビタブルゾーン中心までの距離(AU)はその恒星の(見かけの光度)/(太陽の見かけの光度)の平方根になるという。(見かけの光度はボロメトリック光度とよばれる)従って、例えば、太陽の25%の光度を持つ恒星では、HZの中心は0.5AU付近となり、太陽の2倍の光度では1.4AUとなる。まぁ、並みの頭では追い付かない論理であるが、ここでは、600光年であれ、生物が住む可能性のある環境の星が、あるのだと言う事に絞り、ロマンを述べているわけだ。今回発見されたという「ケプラー22b」が現時点に於いて地球に一番似ていると云う事だが、その表面が岩石なのか、実際に水があるのかは解っていないという。しかし2010年までには、こういった液体の水を持つ可能性のある星が500個であったのが、去年1年(2011年)では一気に3000個も見つかったのだそうだ。宇宙の現象は動いている(拡散している)とか、そのうちにビッグクランチ(宇宙の終焉)が起こり、宇宙が消滅してしまうという事を考えている学者がいるという事であり、ビッグバン(爆発で起こった宇宙の始まり)があれば、終わりもあるだろうと云ったことである。そうなると、CO2温暖化や、地震・津波、核爆発なども何故かちっぽけなものに見えてくるからおかしな気分になる。物事には順序というものがあり、明日すぐにビッグクランチが起こって、全く何もなくなると言う事も考えにくいが、そうではなく、ただただ、そのような事は現段階で予想できないというのが正しいのかも知れない。今でも我々地球上の気象の変動すら正確に言い当てる事も出来ず、地震予知に至っては、その予知の要否まで議論される程に曖昧模糊としている。私などが経験してきた、例えば造船などでは、設計の不良によって引き起こされ、損傷や果ては沈没などの事故が起こると、たちまち事の真偽が検討され、自分の責任だと解れば責任を取らされて、何らかの処罰(辞職を含め)を受けなければならないが、天気予報士が、明日の天候を間違えたとしてもテレビ放送で司会者に揶揄される位が落ちであり、地震予知委員会などでは、地震が起きる時期がずれても誰も咎めないし、原子力委員長などは平然と「想定が甘かった」と嘯くだけだ。因みに、競馬・競輪などのギャンブルや、スポーツの勝ち負けを論評する評論家などに至っては、当たろうが当たるまいが、ニコニコしているし、それで事足っているわけだこうなると、もっと希有壮大な宇宙を論じる者は、何処がどう変わろうと、誰も解らないのだから、気楽と云えば気楽である。明日ビッグクランチが起こって、宇宙が無くなれば、それを予見できなかったと責める人も居ないのだから。話を元に戻して、「ハビタブルゾーン」を持つ惑星の存在の可能性が、1年間で500個から3000個に増えたという、飛躍的な進歩は、「宇宙望遠鏡ケプラー」の存在だという。太陽系外の惑星探査を目的として造られた望遠鏡で、何しろ15万個の恒星を同時観測できるのだそうだ。(他の資料では10万個)ケプラー宇宙望遠鏡は「トランジット法」という手法で、惑星を見つけ出すのだという。「トランジット法」というのは惑星が軌道面を通る際、ときどき恒星の前を横切るがこのときの恒星はみかけ上、一時的に減光する。この恒星面通過(トランジット)による減光の観測で惑星を検出する方法のことで、このケプラー宇宙望遠鏡を使用する事によって飛躍的に惑星発見個数が増大したという。現在、ハビタブルゾーンに存在する惑星は「ケプラー22b」を含めて全部で48個ある事も分かっているし、今後もその数は増加するとの事だ。この話は、何も今に始まったわけではなく、散発的に報告されている。ケプラー宇宙望遠鏡が打ち上げられたのは2009年3月6日であり、3年半のミッションと云うから調度今年9月にはその役割を終える予定となっており、にわかにその成果の集積が為されたものと思われる。専門家は宇宙には、生命を宿す条件を備えた星は沢山あると言っているが、素人でも、単純にそれ位の事は想像できるのだが、未だに、液体の水があるかどうかは解らないのだという。私などは、高々太陽系で太陽の回りには、水星-金星-地球-小惑星―木星-土星-天王星-海王星-(冥王星)が規則正しく回っているという位な事しか知らないわけで、この間、冥王星はその惑星からも追放の憂き目にあったとか、考えれば考えるだけ、希有壮大である。専門家の中には、あらゆる事が、解っているようだが、とは言っても、地道な理論と一部の発見に裏付けられたものである。例えば、太陽系では、小さな岩石惑星が太陽の近くを回り(水星、金星、地球のことか)大きなガス惑星や氷惑星は太陽から遠くを回る(木星や土星のことか)と言うのが一般常識のようだが、ケプラー宇宙望遠鏡の観測結果によると、地球の質量の10倍~100倍の大きな惑星が恒星のすぐ近くを通るケースも多く発見されたと云う事だ。東工大の井田教授は「それまでの惑星形成の理論では説明が出来ず、理論の修正が迫られている」との見解を表明している。今回発見された「ケプラー22b」はハビタブルゾーンに入っている中で最も地球によく似ているというものの、その位置は光速で飛んでいっても600年掛かるというのだから、とてもじゃないが、人類が生きている間に伝承できる事でもなく、まぁ、現在は、夢の又夢と云うところである。しかし、こういった希有壮大な事に真剣に取り組んで、生活をしていける人達は、羨ましい限りである。宇宙が誕生してから137億年と言われ、地球が誕生したのは46億前であるというのが定説で、その中で人類の誕生からは大きく見ても1000万年にも満たないわけで、地球の歴史を、1年に凝縮したと考えると、ヒトは、大晦日の夕方以降にやっと出現した事になり、この新参者が、大宇宙を論ずるのであるから、全く暗中模索と云う事なのかも知れない。
2012.02.06
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連れ合いの勤めている前学校長とのプライベートゴルフも、回数を重ねて今日は12回目となる。学校長は退職されているが、未だに交誼は続いている。今回も亀岡ゴルフクラブ(GC)で行うと云う事であり、10回目が 去年の8月8日の同じコースだったので、半年ぶりであるが、我々同様このコースが気に入っているようだ。今回は、前学校長自ら予約を入れて貰った。そう言えば、前回は、真夏で、これ以上暑い年はあったかと思うほど、暑かったのを思い出す。しかし人の記憶は、いい加減で、今年はこのところ寒波で大変であり、去年の事などすっかり忘れている。 しかし、この日は、ゴルフには格好の日和で、天候も良く、風もない穏やかな日であった。しかし、冬で山奥だと言う事で、コースのあちらこちらに、残雪があり、白化粧が斑にある。スタートは8:28で、アウトからである。最初このコースで、100を切ったので、相性が良いと感じたのだが、それ以降は、1度も100を切れず、今日に至っている。相性と言うより、実力のなせる技、致し方ない。朝が早いので、道路凍結も心配したが、箕面トンネルを越してきたので、その心配は杞憂に終わった。No.1(M)は、左からせり出している小山が気になるが、それを過ぎると一寸左ドッグレッグの打ち降ろしだ。 何時も通り左の山裾に落ちる。2打目はFWウッドをチョロしてしまった。3打目はクリーンに当たったが、2打目のチョロが響いて、グリーンまでは届かなかった。4オンは比較的しなやかに行き、1パットで沈めてボギースタートは幸先がよい。連れ合いは、転んで肩を打ったり、寝不足だったりで、どうなるかと思ったが、力が抜けて、素直に出来て、ボギーで付いてきた。前学校長も、女性先生もダボスタートになった。 No.2(M)は、直線のミドル。右2斜面から転げて、ラフに落ちたが、2打はクリーンに当たり120YDを残すFWに付けた。このところ飛ばないので3打目を大きめのアイアンで狙ったが、距離は良いものの、左右のグリーンの真ん中に落ちた。パターで40cmに付けたまでは良かった。ここで、当然入れてボギーだと安易に構えたが、大きく外れ、何と、何と5パットをしでかした。我が人生でもあり得ないシチュエーションだ。9打を叩いた。前校長のティーショットは目が覚めるほどの当たりで、進歩の跡が伺われる。しかし、その後が続かず3パットの8である。付き合いが良い。連れ合いは7打、女性先生はボギーと快調である。No.3(S)は、超打ち降ろしで、今日は右グリーンと近目(92YD)である。前回来たとき意地悪い大きなバンカーは埋められて、修復中であった。打ち降ろしを忘れたわけではないがこんな時に限って芯に当りグリーンオーバーのバンカーだ。バンカーも1度で出ず、2度目でやっと出て、パターで狙ったチップインは、グリーン反対側にこぼれた。従って5オンという有様で、上がって7打と意気消沈だ。前校長も7打と付き合う。連れ合いは、6打、女性先生は1オンのパーである。そう言えば前回もパーだった。すごい。No.4(L)は、男性は池越え、女性ティーは、ずっと前、私は、前ホールを引きずっている。ここで何とかと力んだのだろう、左に引っかけ、何と池の中だ。ニューボールを4ホール目でなくした。後はプレ4である。プレ4からもチョロで、5打でもグリーンに届かない。パターで乗せて2パットの8打だ。前校長も、2打目OBで9打。女性2人は8打で、私と同じだ。No.5(S)は、フラットな短いショートで、HDCPも17で簡単そうに見える。ティーショットの当たりはよいが、少し左に引っ張る癖が出て、バンカーに入れた。脱出で2オンと2パットで、まずまずのボギー。前校長は1オンでのパー。女性陣は私と同じくボギーである。No.6(M)は、右に隣のコースとの仕切りネットがある。そのネットに当たって、下のラフに落ちた。ラフは枯れているので、ウッドで打ちやすく、2打目は超クリーンに当たって60YDを残すFWだ。7mに3オンし、2パットのボギーである。前校長のティーショットも同じ網に掛かったが、上がれば、ダボである。女性連中もダボとなった。それにしても連れ合いは良く付いてくる。No.7(M)は、右が土手、左がOBのやや打ち降ろしだが、あまり右に出すぎで斜面中央部の棚の溝に落ちた。斜面は雪で、滑りそうなので、ボールを無罰で、下まで降ろさせて貰った。2打はクリーンに打て、残り90YDで、バンカー越えが残った。3打は、飛びが悪く何と、バンカーの斜面部に目玉となった。しかし、諦めて軽く振ったら、何とアウトできた。しかし巧く出たものの3パットをしてしまい7打だ。前校長は8打と調子が悪い。連れ合いはダボと好調、女性先生は私と同じだった。 NO.8(M)は、右がOB、左は、土手で帰ってくるはず、フェアウェイにやっと掛かるところまで出た。2打目はあまり当たりが良くなかったし、3打目を右のガードバンカーに入れてしまった。4打で乗り2パットのダボである。ここで前校長はボギーとする。連れ合いは、バンカーから脱出できず、結局ギブアップとなった。女性先生もボギーであった。 No.9(L)は、距離が結構ある。気持ちよく振れたと思ってもフェアウェイにやっと届く距離の右ラフである。またしても力んだのであろう、2打目をチョロで、少しだけの前進だ。3打は右ラフ、4打もグリーンには届かずで、5オンで3パットをしてしまった。前校長と連れ合いはダボ、女性先生は9打であった。前半は、女性先生が断トツで、私と前校長はやっと60を切る同点で、連れ合いは、ギブアップを含めて私とたった2打しか違わないといった按配である。上がりは10:50とスタートが早い分早めに終了した。 50分程度の昼食時間に、前校長と、女性先生は生ビールを飲んでいた。私はこのところビールは飲まない事にしている。前半の体たらくを払拭するためにはリラックスできるよう飲んだ方が良かったかも知れない。今日の客の入りは多そうで、カートはすぐさまインスタートの列に置かれた。午後のNo.10(L)は、緩やかな打ち降ろしで、左のOBさえ注意すれば、と云う事で少し右目だったが、カート道か何かで跳ねて、隣のコースに落ちた。そこから林越えでの戻しのショットは、フェアウェイに出た。3打目はまたまたチョロである。4打目はガードバンカーの手前である。アプローチをしくじり、グリーン向こうへ。やっと6オンで、2パットである。前校長は、快心のボギーだった。連れ合いは、バンカーを渡り歩いて結局左バンカーから右バンカート吸い込まれ、ここでもギブアップである。女性先生はダボである。 No.11(M)は、結構難しい最後が右ドッグの打上砲台グリーンである。右OBを注意して、気持ちよく振り抜けた。2打もクリーンに当たり、100YDの高い砲台グリーンを残した。そこからのアプローチは、気持ち良く乗った。2パットでボギーである。ここのアプローチがうまくいったのは初めてかも知れない。前校長はOB有りで8打。連れ合いは2桁、女性先生はやはりボギーである。之では後半も負けてしまいそうだ。No.12(M)は、緩やかな打上で、実際の距離よりは長く感じる。何とここで、大チョンボのチョロである。全くどうなったか解らないが、FWまでも届かない有様だ。2打目はクリーンに当たったが、左の土手に当たり、いつもなら当然落ちてくるところをボールが見えない。やっと斜面中腹の雪の中に見つけた。少し移動してつま先下がりを当てられず、転げ落ちたボールは、カート道に沿って相当バックした。しかもそこから右へOB打ち直した球がやっとオンで2パット、罰2を加えて、8打だ。前校長はダボ、連れ合いは2桁、女性先生は私と同じ8打である。No.13(S)は、途中が少し窪んだ砲台型のグリーンで、私には手頃な距離のショートだが、一寸アゲンストだったのか、前回同様1m程度ショートした。2オン2パットのボギーである。前校長は、置くに突っ込み6打、連れ合いはダボである。女性先生はまた私と同じ。 No.14(M)は、何とHDCP18と最も簡単なホールとされている。民家が近いとかで、ウッド禁止ホールである。 当たったり当たらなかったりのアイアンだが、斜面でのランもあり、池が少し気になる残り100YDと言うところだ。2打で何とか乗り、あわやバーディーであったが、パーとした。前校長と連れ合いはダボで、女性先生はボギーで納めた。ここでまた、女性先生とイーブンになった。 No.15(M)は、高く上がるがまずまずのFWセンター(之は前回も同じだ)。2打目は右土手から戻ってくる。3打は距離ぴったりだが、隣のグリーンへ。ドロップエリアから、ピッチエンドランのつもりで打ったが、グリーンが瓢箪型でまたこぼれた。結果5オンの2パットで7打だ。何とこのホールは皆7打であった。No.16(L)は、久しぶりに振り切れて、上出来のティーショットはFW真ん中だ。下りもあるから、欲目では200YDを越えている。しかし、2打目をダフリのチョロで続かない。3打目はまたクリーンに当たり、90YDに付けた。ちぐはぐである。アプローチはオンして2パットの、ボギーである。前校長はダボ、連れ合いは9打、女性先生は私と同じボギーである。No.17(S)は、距離のあるショートだが、広さは限りなく広く、打ち降ろしだ。何とその広いコースを右に大きく外れ、OBである。プレ4ではなく、打ち直しの第3打を打つと、今度は右バンカー手前で落ちた。アプローチは巧く抜けオンして2パットの6打である。前校長はボギーであり、連れ合いは私と同じダブルで、女性先生は、ダボで、ここで1打負けてしまった。何とかイーブンに持っていきたいと思うが、最終ホールである。 No.18(M)は、左狙いで、クリーンに振り抜けた。落ちたところはカート道上で2回大きく跳ねるのが見えた。ラッキーにも、残りは130YDと乗せられると思い振った球は惜しくもバンカーに落ちた。3オンで、2パットのボギー、前校長は7打で終わった。連れ合いも7打、女性先生はボギーと私と同じで、結局後半も1打差離されてしまった。 前半より6つスコアを上げたが、やはり100は切れない。レディース・ティーが相当前にあることを考えても、女性先生8打差のぶっちぎりで、終わった。久しぶりのゴルフで心地よい疲れで帰宅したら、連れ合いの一家と夕食することになった。京都で学会の打合せがあると、姫が帰阪すると言うことだ。夕食の焼き肉は、最近一寸太り気味、且つ栄養過多になっている私には、我慢のしどころで、控えめに頂いた。姫は、あわただしく、その日の夜行バスで湘南に帰るという。その夜、何とも思わず飲んでしまったので、姫の運転で、京都駅のバスターミナル迄送り、帰りは連れ合いの運転で帰宅したら翌日になりかけていた。
2012.02.05
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連れ合いと、孫2人を預かり、映画「日本列島 いきものたちの物語」を観に行った。映画館はいつもの高槻だが、活発な子供2人を電車で連れて行くのは、一寸冒険かと、車で行く事にした。この映画の売りは、「25人の動物カメラマンが全国30カ所以上で2年半にわたり撮影を敢行し、日本の大自然のなかで暮らす生き物の営みを通して家族愛、きずなを映し出し、日本の素晴らしさを描く」といった主旨のものだった。さらには、私にはどうでも良い事だが、ナビゲーターに人気俳優などがナレーションすると言う事も評判であったようだ。孫達とは以前から、この映画を観に行こうと約束していたが、行く間際になって、兄の方は、昔観た「ライフ」と言う映画にシャチによる、少し残酷なシーンがあった事を良く覚えていて、「あんな所はないの?」と引け腰である。「無いでしょう」と言うと、それから暫くして、「映画長いの?」と言う質問だ。「ははぁ、あまり観たくはないのだな」と気がついた。しかし、予約をしてあるので、10:25の部を見る事にした。弟の方は未だ、内容もよく分からないので、飽きはしないかと心配があった。そんな事もあって、連れ合いは、他の人に迷惑にならないようにと、最後部の右端の指定席を取っていた。兄の方は動物の病気を治す獣医さんが、今のところ将来の夢だという。弟の方は、面白い人になる事なのだそうだ。親に連れられて、動物園や、和歌山のアドベンチャーワールド、果ては北海道の旭山動物園等に行っているので、動物に関しての興味は大ありなのだが、残酷なシーンというものには耐え難い苦痛を覚えるようだ。それはそれで、優しい心の持ち主であるわけで、良い事ではあるが、人間界と違い、動物の世界では、生存のために時として惨たらしい事も起こるわけだがその辺の機微を理解する事は一寸難しいらしい。肉や、魚、そう言った食べ物は、人が殺したものを食べているのだとか言った事とは別世界なのであろう。かく言う、私も血を見るのが嫌いで、時として、直視できないときがある。作り事だから、関係ない、では済まされない何かがあるわけで、知らず、知らず感情移入をしているのであろう。取り敢えず映画は始まった。日本には何と9万種の動物が入るとの説明だったと記憶するが、3万3千余種は海での動物であるという。多様な動物の中には絶滅危惧種もいるが、映画ではそう言った種類は対象とされていない。限られた動物の生態を見せているのだが、今ひとつ単純で乗っていけないものがある。最初の画面は、キツネが弱った子鹿を追い詰め、食べるという場面だ。何やらのっけから残酷な場面で始まったようだ。兄の方はそれを観て、きっとこの映画も予想していた通りかと、身構えたのかも知れない。前後のシートで、我々は後ろに座って「何かあったら手を挙げたらいいよ」と声を掛けていると、早速手を挙げる。そんな残酷な場面は、手を握り返すか、自分で眼を覆っている。キタキツネにも兄弟はいる。そして、その2頭の性格もまた、異なるようだ。それから、知床半島のヒグマの物語である。ポロとポンという兄弟クマが、その性格も敏捷性も違っている事を、孫達は理解しているのだろうか。やがて訪れる親との別れ、親は、子供が寄りつこうとするのを邪険なまでに追い払う。それは非情さから行われるものではなく、何時までも親に頼って餌を自分で取れなければ、自分たちが生きていけないのだと言う事を、言葉が使えないから行動で示しているわけだ。動物はドッグイヤーと呼ばれるように成体になるまでが極めて早いから、親が意地悪をしているように見えるかも知れない。そんなクマを、可愛そうだと思っているのだろうか。兄のポロは比較的魚を捕るのが巧く、弟はなかなか獲れない。それでも物語の最後には、2頭共巧くマスを獲る事が出来るのだ。弟の方は、それを観て面白いという。下北半島のニホンザル親子の愛情溢れる触れあいも描かれている。屋久島に生息するサルとはまた違った性質を持っている事も紹介されている。季節が冬から春になる変化や、場所が、時々勝手に移り変わる事で、どちらのサルの事か区別できないと云った場面もある。物語は、子供には少し難しいようだ。その物語性を観なければ、極単調な行動としか映らず、動物園の方が、種類も豊富で、面白いかも知れない。そう言う意味では、この映画は、小学校高学年から、中学生を対象としているのかも知れない。ドキュメンタリー映画に物語を後付けした事が如実である。下北半島のサルの子供は、「めだが」と名付けられ、観察対象になっている。ある日何故か母親とはぐれ、雪降る寒い中をさまようが、3家族には受け入れを拒否され、たまたま1家族には1夜の暖を取るべく、群れて眠れたようだが、人間の領域を荒らす事で、猟犬に追われ、散り散りになって逃げるが、めだかははぐれ、追い付こうとしてマイナス20℃という極寒の中、川に飛び込み逃げる。めだかは川から出て凍える手先を震わせている。やがて、死んだであろう事が、画面を通じて伝わってくる。兄の方は、こういった場面が辛いらしい。サルはよその集団の面倒は基本的に見ないのだそうだ。屋久島のサルは、自分の領域を侵す、雄ザルを徹底的に排除し、格闘して、生々しい傷を相手に与えると同時に自分も傷つく。そうして、領域内の平和と安定を保つというのだが、この点は、下北半島のサルとは少し異なっているようだ。兄の方は、こういった闘争場面も好きではないらしい。子ザルが死んでしまっているのに、母ザルは、未だ生きているかの如く、毛繕いをしてその場を離れようとしない場面などはよく分かっているようだ。この近くの六甲山系にも猪は居て、家族で生活している。子供は多く、「イチロー」「ジロー」「サブロー」・・と名前を詰めるのも面倒な位だ。母親の乳房も早い者勝ちで占領される。母親は、子供に乳を飲ませるため、自分が食事をするときには、子供に対しても非情な態度を取るようだ。之も、子供を思っての事である。やがてうり坊も大人の仲間入りをする。そして巨大なザトウクジラはまだ、泳ぎが達者でない子供を背中に乗せ泳ぎのレッスンをしている場面や、襟裳岬の銭形アザラシは、群れているようで、他のアザラシに干渉されるのを嫌う性格があるようだ。北海道知床半島のヒグマも紹介され、親子の姿が撮られている。冬眠から覚めたクマは体重が3割方減少しているという。遡上するマスが彼らの栄養源である。ヒグマにも兄弟が居てマスを獲るのが比較的早くマスターできた子グマとそうでない子グマが居る。クマがマスを上手に取ると云う事を思いだして面白そうに話したのは弟の方である。南方の海で毒を持つイソギンチャクに守られて生きている色鮮やかなクマノミも紹介された。クマノミは、生まれた時は皆オスで、そのうち、身体の大きな個体がメスに変わるという珍しい性質を持っている。ナマコは、驚くほど大きなものが居るようだ。之がナマコかと言うほどに大きくなると2mを超すようになるのだ。ナマコは棘皮動物で、縮むと、通常の大きさにもなるという。初めて見る巨大なナマコは、やはり気持ちの悪いものだ。宮崎のホタル、島根のクモなど行間を埋めるように動物が挿入されている。さらに丹頂鶴の美しいフォルムと、仲睦まじいカップルが捉えられていた。ともあれ、丹頂鶴は生涯その伴侶を変えないと言う事らしい。これもあまり聞かなかった事だ。他には、頬を膨らませられるだけ木の実をかじりほおばるリス。巨大なタコが、海中を悠々と泳ぎ、危険が迫れば、黒い墨を吐いて逃走する。こういった場面は、よく見かけるのだがそう言った事もこの映画には取り込まれている。流氷の空に生きるオオワシが自分よりも小さな鳥を捕獲する場面もある。そうかと思えば、富士山系にいる粘菌と呼ばれる実に奇妙な動物とも植物とも言える生き物まで出てくる。そのほか、南のサンゴ礁に生きるユーモラスな魚、サンゴの産卵。北の海のシャチ、数万ものミズナギドリの大群、サンマやイカの群れなど、など。日本列島内にも様々な生きる戦いがある事は解ったが、何もかも詰め込みすぎたのと、季節が変わって再び同じ動物が違って生活をする様子など、一連の物語が物切れで、あまり面白くはなかった。兄の方は時々手を挙げて「ねぇ、この映画、後何時間かかる?」の言葉に象徴されているようだ。最初の内兄のお腹に手を入れて(之が落ち着くらしい)観ていた弟も、やがて飽きて、通路を歩き始める始末だった。終わって、弟の方は駅前陸橋の手すりで遊んでいて、転んで頭を丸い手すりにぶつけてしまった。あっと思う間もなく、之は泣くかと思ったら、げらげらと笑い出したのには驚いた。自分の1人芝居が照れくさかったのだろう。後で、傍の埴輪の人形にキックをかませていた。
2012.02.04
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第二十六段【本文】風も吹きあへずうつろふ、人の心の花に、馴れにし年月を思へば、あはれと聞きし言の葉ごとに忘れぬものから、我が世の外になりゆくならひこそ、亡き人の別れよりもまさりてかなしきものなれ。 されば、白き絲の染まんことを悲しび、路のちまたの分れんことを嘆く人もありけんかし。堀川院の百首の歌の中に、昔見し妹が墻根は荒れにけりつばなまじりの菫(すみれ)のみしてさびしきけしき、さる事侍りけん。【訳文】 風が吹き過ぎてしまわないのに早くも散ってゆく花、その花のように移り変わってしまう人の情愛にかつて親しんだ年月のことを思うと、しみじみと感銘の深いものだと耳に聞いた、ひとつひとつの言葉を今も忘れないにもかかわらず、その人が自分の身の上からかけ離れた、遠いものになってゆく、世の常例は、ほんとうに、故人との死別よりも一層悲しいものである。 それゆえに、白い糸が何かの色に染められることを悲しんだり、路が分かれめから分岐してゆくのを嘆いた人もあったということである。『堀河院の百首』の歌の中に、こういう一首がある。 昔見し妹が墻根は荒れにけりつばなまじりの菫のみして (昔逢った愛人の家で見た垣の下の土は、今はすっかり荒れ果ててしまった。茅草の茂りの中に、わずかに菫ばかりが咲いていて) この歌の、寂しい様子は、そのようなこともございましたのでしょう。【注釈】・あはれと:あはれなりと・我が世の外に:自分の運命とは無関係に第二十七段【本文】御国譲りの節会行はれて、劍(けん)・璽(じ)・内侍所渡し奉らるゝほどこそ、限りなう心ぼそけれ。新院の、おりゐさせ給ひての春、詠ませ給ひけるとかや。殿守(とのもり)のとものみやつこよそにして掃(はら)はぬ庭に花ぞ散りしく今の世のこと繁きにまぎれて、院には参る人もなきぞさびしげなる。かゝる折にぞ、人の心もあらはれぬべき。【訳文】 御譲位の節会を行なわせられて、劍・璽・内侍所という、三種の神器をお渡し申し上げになる折りは、この上なく心さびしいことである。 新院が位をお退きになった、その年の春、次のようなお歌をお詠みになったとか。 殿守(とのもり)のとものみやつこよそにして掃はぬ庭に花ぞ散りしく (主殿寮の役人たちが、なおざりにして掃除しないこの庭には、一面に敷き並べたように、桜の花が散っていることである) 新しい治世における政務の繁忙なのに心を取られて、院の御所には参上する人もないのが、さびしそうである。このような時には、特に、人々の本心も露顕してしまうものであろう。【注釈】・御国譲りの節会:新帝即位時の群臣への饗宴・新院:上皇に対する呼称・おりゐ:位を退く・殿守:下級役人第二十八段【本文】諒闇(りやうあん)の年ばかり、あはれなることはあらじ。倚廬(いろ)の御所のさまなど、板敷下げ、葦の御簾を掛けて、布の帽額(もかう)あらあらしく、御調度どもおろそかに、皆人の装束・太刀・平緒まで、異様(ことやう)なるぞゆゝしき。【訳文】 諒闇の年ほど、しみじみとした感じのすることはあるまい。その中でも、天皇が、服喪のためにお籠りになる倚廬の御所の様子などは、板張りの床を地面に近く、下げて造り、葦の御簾を掛けて、その御簾の布製の帽額(もこう)は粗末であり、諸道具類も粗略であって、奉仕する廷臣たちすべての装束や、帯びている太刀や、それについている平緒まで、平常と違って異様であるのは、重々しい感じがする。【注釈】・諒闇:天皇が御父母の喪に服する期間・倚廬:諒闇の初めに天皇が籠もられる仮御所・帽額:御簾の上部に横長に引く幕のようなもの第二十九段【本文】静かに思へば、万(よろず)に、過ぎにしかたの恋しさのみぞせんかたなき。人静まりて後、長き夜のすさびに、何となき具足とりしたゝめ、残し置かじと思ふ反古(ほうご)など破り棄つる中に、亡き人の手習ひ、絵かきすさびたる、見出でたるこそ、たゞ、その折の心地すれ。このごろある人の文だに、久しくなりて、いかなる折、いつの年なりけんと思ふは、あはれなるぞかし。手馴れし具足なども、心もなくて、変らず、久しき、いとかなし。【訳文】 心静かに思いにふけると、何事につけても、過ぎ去ったころの懐かしさばかりは、何ともがまんができないものである。 家人の寝静まった後で、長い夜の慰み事に、何と定まったこともない、身のまわりの道具類をとりかたづけ、残して置くまいと思う、書き損じの紙などを破り棄ててゆくと、その中に、亡くなった人の、気ままに文字を書き散らしたのや、絵を慰み半分に描きつけたのを見いだしたのは、ただもう、その当時の心地がしてくるものである。現在生存中の人の便りさえも、もらってから長い時が過ぎて、どんな機会、いつの年のことであっただろうかと思い返してみると、しみじみした感じになってくるものなのである。亡くなった人が日常使い馴れていた道具類なんかも、情(じょう)のない物であって、昔と変わることなく、いままで存在しているのが、亡くなった人のことを思うと、何とも悲しくなってくる。【注釈】 ・具足:身の回りにある調度・所持品 ・反古:書き損じた不要の紙 第三十段【本文】 人の亡き跡ばかり、悲しきはなし。 中陰のほど、山里などに移ろひて、便(びん)あしく、狭き所にあまたあひ居て、後のわざども営み合へる、心あわたゝし。口数の速く過ぐるほどぞ、ものにも似ぬ。果ての日は、いと情(なさけ)なう、たがひに言ふ事もなく、我賢げに物ひきしたゝめ、ちりぢりに行きあかれぬ。もとの住みかに帰りてぞ、さらに悲しき事は多かるべき。「しかしかのことは、あなかしこ、跡のため忌むなることぞ」など言へるこそ、かばかりの中に何かはと、人の心は、なほ、うたて覚ゆれ。 年月経ても、つゆ忘るゝにはあらねど、去る者は日々に疎しと言へることなれば、さはいへど、その際(きわ)ばかりは覚えぬにや、よしなし事いひて、うちも笑ひぬ。骸(から)は気(け)うとき山の中にをさめて、さるべき日ばかり詣でつゝ見れば、ほどなく、卒都姿も苔むし、木の葉降り埋(うづ)みて、夕べの嵐、夜の月のみぞ、こととふよすがなりける。思ひ出でて偲ぶ人あらんほどこそあらめ、そもまたほどなく失せて、聞き伝ふるばかりの末々は、あはれとやは思ふ。さるは、跡とふわざも絶えぬれば、いづれの人と名をだに知らず、年々(としどし)の春の草のみぞ、心あらん人はあはれと見るべきを、果ては、嵐に咽(むせ)びし松も千年(ちとせ)を待たで薪に摧(くだ)かれ、古き墳(つか)は犁かれて田となりぬ。その形だになくなりぬるぞ悲しき。【訳文】 人の、死後の有様ぐらい、悲しいものはないのだ。 人の死後、中陰の四十九日の間、都近くの山里などに移って行って、便利のよくない、狭い場所に大勢で雑居して、死後の追福の法事などを一緒にいそしんでやっているのは、気ぜわしいものである。日数がたちまちに過ぎてしまう度合いは、他のどんなものにも似ないほど速いものだ。中陰の終わる日には、実に情味なく、おたがいに話し合うこともなく、自分本位に要領よく身のまわりの品々を整理して、めいめい散り散りにその場所から離れて行ってしまう。死者の遺族は、自分たちの家に帰ってみると、山里におけるよりもいっそう悲しいことが多いものであろう。「これこれのことは、ああ、恐れ多いことです。遺族の方たちのために避けると聞いていることですよ」などと言っているのは、これほどの悲嘆の中で、どうしてそんなことを言うのかと、人間の気持ちというものは、やはり、情けなく感ぜられる。 死後の年月が経過して後も、少しも忘れてしまうものでほないが、「世を去った人には、日ごとに気持ちが遠ざかるものだ」と世間で言っている通りであるから、忘れないといっても、死んだ当時ほどは感じられないのであろうか、故人につき、とりとめもないことを言って、笑ってしまうものである。死者の遺骸は、人気のない山の中に埋葬して、参るはずになっている日だけそこに時折りお参りして見ると、間もなく、卒塔婆にも苔がつき、まわりの木々の落ち葉が降って墳墓を蔽ってしまい、夕方の嵐、夜中の月ばかりが、わずかに、話しかけてくれる縁者であるというありさまなのだ。 故人を思い出して慕ってくれる人がいるうちは、哀れと思ってくれるであろうけれども、そんな人もまもなく世を去ってしまえば、名前を聞き伝えているだけの、後世の子孫たちは、その故人のことを哀れと思うであろうか。そうしたわけで、死後のありさまを弔う法事も絶えてしまうから、どこ まの人かと名さえも知る者がなくなってしまい、墳墓に生(は)える、毎年の春の草ばかりを、世のあわれを解する人は、しみじみと感動して見るであろうが、結局のところ、しまいには、嵐に吹かれて咽(むせ)ぶように鳴った墳墓のほとりの松の木も、千年を経過しないで叩きこわされて薪になってしまい、古くなった墳も鋤で掘り返されて、田となってしまうものである。かくして、亡き人の古い墓の形さえもなくなってしまうのは実に悲しいことである。【注釈】・中陰:死後49日間「中有」とも言い、前生に死してから次の生を受けるまでの期間・山里:京都郊外の里(貴族の別荘など)・果ての日:中陰の終わる日・物ひきしたゝめ:身の回りの品を整理する。・行きあかれぬ:山荘などから去ってしまう・あなかしこ:恐れ多い・よしなし事:とりとめのない事・よすが:ゆかり、縁・さるは:それだから
2012.02.03
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日経新聞に3回に分けて、北朝鮮のポスト金正日についての分析が書かれていた。後継者は表面上、三男の金正恩が後継とされ、ほぼ世界中にアナウンスをし終えたところであるが、果たして、この金正恩という男はどういう性癖を持っているか、また、29歳と言う若さだという。それが、単独では北朝鮮という複雑な集団を統率するにはやや物足りなさを覚えさせるのである。私もそう言った考えに同調する。世襲君主制を実践する、ならず者集団であるが、日本での世襲議員が問題視されるなか、そう言った悪癖だけが引き継がれていると云って良いだろう。日本に於ける天皇制も世襲制であるわけだが、こちらは象徴的存在であるから、まだしも、北朝鮮の場合は、従来個人崇拝であり、世襲した人間が、何もかも踏襲して、自由に方向付けをすることが出来、そして最悪なのは、自分と、その取り巻きのことしか考えない利己的利益集団であるからだ。こういった独裁体制の世襲は、先ず文明の遅れた後進国であると言う事なのだが、この北朝鮮は、特に、国の名前を付すに値しない集団であるからなおさらだ。中東で、今まさに風前の灯火になっているシリアも、この世襲独裁国家という範疇にはいる。シリアの場合も、喜ばしい姿でないことは明らかだが、現政権に疑問を持つも者が居るという事で、多少なりとも救いがある。北朝鮮は、金正日が予定より早い死亡のために、準備万端整っていたとは言い難い。そこに今の北朝鮮の脆弱性を感じるのである。例を引くまでもなく、豊臣秀吉が逝去の際、徳川家康ら時の5大老を枕元に呼んで、くれぐれも秀頼のことを頼むといったが、結果的には徳川家康によって、完膚無きまでに打ちのめされたという事実を我々は知っている。金正日が、なぜ長子でない金正恩を後継に選んだのか、また彼の名前が、ハングル表記の違いからか、最初は「金正雲」とされていた。その後、ハングル表記を変更するとかで、「金正恩」のほうが正しいとされた。しかしこの名前に変更される前には、途中「金正銀」という字も宛てられたりするという経緯を辿っている。これ程、闇に包まれた感じの男も少ないのではないか。と言うか、29歳では、全てを託すには、心許ないと云ったことも背景にはあったのではないだろうか。私だけの憶測だが、この金正恩という男は、金正日の子供ではなく、実は金日成の子供ではないかと言うことだ。即ち金正日の末の弟だという想定である。何しろ、北朝鮮は、金日成が築いたものでありそう考えても不思議ではないのである。金日成70歳頃の種だとすれば、満更荒唐無稽な話ではなくなる。そうでなければ、金正日には金正男と言う長男が居るわけであり、それが、放蕩の限りを尽くすということで見限ったとしても、では、次男の金正哲という男も居るではないか。その両方とも呆けているとしても、それらより、未だ纏まりが良かろうと考えるのに、三男である金正恩が突如浮上するというのはいかにも不自然である。また金正恩が極めて金日成に似ているという事からもそう言った勘ぐりが出るわけだ。そんな金正恩なら、老齢の党や軍の長老であっても、旗印としては、ついて行きやすいと云うことがあるのかも知れない。加えて、その神秘性を出すためか、金正恩の出生地は明らかにされていない、偉大なる指導者に相応しい神秘的な場所の捏造が考えられているのだろう。これは金正日がソ連生まれと言われながら白頭山出生だという伝説が捏造されたのと同じ理屈である。年齢をも不詳と云うことなどは、ますます、そう言った匂いが強い。長男と次男の出生は明確に解り、それより近代に近い三男の正恩の誕生日が不詳というのはいかにも不自然である。ここからは日経新聞の解説だが、金正日が、自分を守る特権階級の忠誠心を繋ぎ止めるには金のばらまきが必要で、その額は何と年10億ドル必要だという。国家予算が180~190億ドルと言うことからして、巨額と言わざるを得ない。こういった高級幹部は2万人~5万人いるという。(多く見て5万人としても1人当たり年間160万円と云うことになる)。北朝鮮の一般人の1ヶ月の生活費は4人家庭でなんと2600円~4000円」(年4万8000円)というのだから、餓死者が出るのも頷けるし、高級幹部は、安穏と暮らしていけるのだろう。一般に買えない品でも、安価で幹部は手に入れられると言えば、その差は額面だけの問題ではない。実際にこの忠誠資金の為、金正日が用意した原資は、40億ドルだというのである。また、総書記よりも金持ちは、30人以上いると云うことも書いてある。闇のルートで蓄えられた金は、一元管理(労働党39号室)されているため、関係する者が一部を隠匿することは、当然考えられ、それはどの世界でも同じである。彼らはあらゆる、手段で金作りに懸命だという。最近は、武器輸出ルートなどの開拓や、石炭・鉄鉱石、果てはレアアースまで手を延ばし、中国の悪徳業者と金儲けに余念がないという。ヤミ資金の流れは、海外に派遣された者が自国に送金する忠誠資金と呼ばれるもの、武器輸出、偽タバコ、麻薬、偽札、国際保険詐欺などがあると言うことで、前述した主従関係、忠誠心は、全て金で保たれているという事である。金正日は強力なライバル出現を嫌い、170人ほどの極側近でないと金正日に意見を具申するなどと云ったことは出来なかったという。従って、不穏な動きは、即座に察知されていたことであろう、まさに強権、恐怖政治であったわけだ。幹部を高級な贈り物攻めにして、忠誠心を買うやり方は、一方では贈り物が途絶えると、幹部側に猜疑心を生むという。もう消されるのではないかと云ったことだろう。一方、北朝鮮への制裁を何故嫌がるかは、通り一遍に民が困ると云うことではなく、こういった幹部に贈り物が出来なくなり、引いては疑心暗鬼を産み、統率側への求心力が無くなることを懸念すると云う意味合いが強いのである。このようにして、北朝鮮総人口2400万人の中で、日々の食事に困らないのは、約2割だと云われている。即ち、平壌市に住む住人に限られると云うことのようだ。また年2トンの人糞を差し出せと云いった事も書いてある。疲弊農地対策なのだそうだが、元々農業輸出国であった北朝鮮を、疲弊させたのは、先軍政治、とにかく巨額の費用を投じ、核・ミサイルの開発に血道を上げたせいである。この結果は、あの3000万人~4000万人も餓死させた、中国共産党の毛沢東の政策に似ている。金正恩は、先軍政治はそのまま堅持し「人民に白米を食べさせる」といったが、そもそもそんな約束が果たせる道理はない。勢い脱北者が増産されるが、之も阻止する姿勢は変えていない。北朝鮮内の恥部を明らかにされたくないというのは金正日と同じであろう。国境付近で、無知で、洗脳された、まるで上九一色村のような住民に、正しい情報を風船に付けて送ることをも阻止しようとする位である。鴨緑江を、銃弾を受けずに脱北出来る確率は低い。しかし、それら脱北者が、国に待つ同胞に贈る送金が、彼らの親族の命を繋いでいる。こんな不自然なことが永く続くわけはないし、また続けさせる事があってはならない。北朝鮮はそれなりに、先軍政治と言われる軍偏重の組織体制を有している。中国に似て、北朝鮮共産党と朝鮮人民軍が微妙なバランスを保って統治が可能となっている。北朝鮮ほど人口比率で軍隊の多いところはないだろう。予備役を含めると、4人に1人は軍人である。従って、この軍隊を掌握することが、北朝鮮統治には欠かせないと云うことになる。軍隊に対して、あめとむちを如何に使い分けるかの力量が問われるわけだ。そう言った意味で、金正恩が、国防委員長の座に座れるか否かは、未知数であり、伝統重視の民族性から見て、若い金正恩の前途は、必ずしも平坦ではないことは明かで、政治体系の崩壊も未だ視野に入っていると云えるだろう。日本は、各国と協調して、このならず者集団を干上がらせる事が肝要だ。じっと見守るだけではなく、北朝鮮を瓦解させるべく動くべきであろう。難民はGDP世界2位となった中国が引き受け、同胞韓国も引き受ければならないであろう。
2012.02.02
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十選も西洋美術関係を取り上げることが少なくなっている。最近でこそまたゴシック辺りの美術が取り上げられてきているが、一巡すれば、そう言ったことになるのかも知れない。画家の数は元より、何々派と呼ばれるジャンルだけでもなかなか覚えきれないほどの数がある。私などは連れ合いの影響で、印象派や、後期印象派から入った感じで、どちらかと言えば正統(悪く云えばミーハー)なのかも知れない。また、ゴシックや宗教が、神話に基づいた絵画、そして、ルネサンスの画家達も分け隔て無く好きである。しかし抽象画からシュールレアリスム(超現実派)辺りになると、理解が覚束ないというのが正直なところだ。また、芸術の本場であるとされる、フランスやイタリアさらには、ベネルックス辺りの絵画は、見る機会も多いし、親しみを感じる絵が多い。今回は東京外国語大学教授の沼野恭子(以下教授という)の選んだ「ロシアの女」というのを学んでみたいと思う。ロシアの画家と言えば、ワシーリイ・カンディンスキーくらいしか浮かんでこない。従って、ここに取り上げられた画家はカンジンスキーを除いて初めて聞く名前ばかりである。教授は、ロシア文学者と言うことで、文学の途上で派生してこの十選になったのでないかと思っている。最初はイワン・クラムスコイの「忘れえぬ女(ひと)」である。この絵はロシアでの美人画の代表的な作品のようだ。背景は霧に霞むサンクトペテルブルグだという。所蔵はトレチャコフ美術館と云うから、貸し出しでもない限り、一生お目にはかかれないだろう。 ロシアだからと言うことでもないだろうが、革命派というジャンルの人だ。それにしては、この「忘れえぬ女」は実にふくよかな顔をした美形である。私などは、ロシアの女性を見る機会が無いから、この絵の人が標準的かどうか知らない。教授に依れば、羽根飾りの帽子、毛皮に繻子のリボンからして高級娼婦であると言っている。原題は「見知らぬ女」と言うらしいが、「忘れえぬ女」と「見知らぬ女」では雲泥の違いがあるように思うが、いい加減である。この絵の女性は、小説「アンナ・カレリーナ」に擬せられると云うが、小説自身を知らないのでコメントできない。この絵の女性は、まさに上から目線で、見下げているように描かれている。画家との関係は何なのだろうと思う。アレクセイ・ヴェネツィアーノの「鎌と熊手を持つ農婦(ペラゲーヤ)」である。一寸調べた位では出てこない画家の名前である。之が、ソ連の、コルホーズ・ソフォーズなどと言われた時代にソ連の大地をさしたる近代的道具も無しに耕していた典型的な農婦像であろうか。教授はスカーフの緑、白いブラウス、そして背景が広大なロシアの自然をシンボリックに表しているという。場所はボルガ川の流域で、トヴェリー州の農婦だという。芯の強さと実直さが良く描かれている。教授はトゥルゲーネフが農民のことを綴った「猟人日記」を引き合いに出して、そこに登場する人物像とラップさせて理解している。之もまた、文学を知らぬ者は語ることが出来ない。画家は、サンクトペテルブルグを去りトヴェリーに移り、牧歌的な風景や雰囲気の中で、被写体に愛情を持って描いたという。ミハイル・ヴルーベリの「白鳥の王女」である。このロシア画家はアールヌーヴォーあるいは象徴主義の傾向を有する。 あまり多くの作品を遺していないというか、作品の多くは失われたとされている。この「白鳥の王女」は白鳥が王女に変身するまさにその時を具象化した作品である。背景の海は、北の国らしく、暗く陰鬱である。人間は現実で、白鳥が空想である。教授はヴルーベリが身を置いていた正気と狂気の狭間を描いたものだという。王女が被っているのは、もともとスラブ民族の女性たちはいつも頭にかぶっていた「ココーシニク」だが、之が王女の証であるという。白鳥の王女はロシアの昔話を元にプーシキンが書いた叙事詩「サルタン王物語」に出てくるという。リムスキー・コルサコフの作曲をオペラ化したとき、美術を担当した画家の妻がこの王女を演じている。プリマドンナである妻がそのモデルであるようだ。ワシーリイ・カンディンスキー「クリノリンの貴婦人たち」である。カンジンスキーの中でまとも(失礼)らしい絵を探すことは困難である。この作品は、比較的真面目に描かれた作品の内の1つである。勝手なことを云うようだが、カンジンスキーの良さが未だ私には実感として解らないので、こういった表現をさせて貰っている。カンジンスキーは、実直な銀行家のような風采である。スターリンが芸術を軽視したので、ドイツへ亡命したとも云う。この作品は大きな屋敷の庭に、女性が沢山集まっている。どうやらこの絵は画家が具象画を描いた最後だったという。しかし、既に人物は相当デフォルメされている。しかし、特徴的なクリノリン(スカートを膨らませるためにスカートの中に入れる釣り鐘型フレームを使ったペチコート)の下着で、スカートがふんわりしていることが解る。この絵も光と色を駆使した明るい作品になっているが、その後の画家の作品も、抽象画ではあるが色彩に溢れた作品を多く遺している。ワレンチ・セローフの「オルロワ侯爵夫人の肖像」である。この画家もなかなか探し当てられない画家である。この絵は、セローフの肖像画で最高傑作と言われるものらしい。オルロワ侯爵夫人はセローフより7、8歳年下で、ペテルブルグ社交界一の麗人と云うことだ。一方では麗人でもあまり知的ではなかったとする説もあり、それを読むまでは、私も何かそう言った雰囲気をこの絵から感じていた。セローフも当時の美術評論家と同じく同じ意見を持っていたという。夫人に不釣り合いに大きな帽子を被せて、この肖像画を描いたというが、ちんどん屋とまでは行かないが、金持ちがすることを見失うとこのようになるのかといった感じだ。しかし、当の公爵夫人は、この絵が嫌いで、画家の死後すぐ売却したという。夫人が画家の意図を見抜いていたのかどうかまでは書いてない。ジャイーダ・セレブリャコフの「身支度、自画像」である。教授はどうも、一般的な画家は嫌いらしい。寝室で髪をとかす下着姿の女性。之もロシア美人というのだろうか。活き活きとした顔は、之から行動しようとする顔のようだ。25歳の時の自画像だという。どうもロシア人の名前は性差がなかなか解らない。女性が重んじられなかった封建的な世界で、活き活きと自分を明るく仕上げたこの作品は、舞台装置家の叔父に絶賛されたという。ボリス・クストージエフの「お茶を飲む商人の妻」である。ボリス・クストージエフはロシアの画家には珍しく、明るく華やかな色調を多用した風俗画や風景画が多い。 アストラハンのインテリゲンチャの家庭に生まれたが、父親は夭折した。しかし、精神的には満たされた少年時代を送り、後年その記憶で、油絵や水彩画に再現したという。帝国美術アカデミーより奨学金を得てフランスとスペインを訪れたりしている。真っ赤な背景の「モスクワのレストラン」などは色彩を奔放に使った証左だろう。この商人の妻はえらくぼってりしている。食卓には、南国の果実と菓子が並べられ、贅沢さを感じさせる。左の「サモワール」(湯沸かし器)の丸みは、放漫に女性との釣り合いか。背景に帝政のロシア風景を配し、ロシア革命の翌年、このような富裕商人や貴族は抹殺される運命にあったが、ボリス・クストージエフのこの作品は体制への皮肉と挑戦なのかも知れない。クジマ・ペトロフ・ヴォトキンの「1918年ペトログラードで」である。ロシア革命がサンクトペテルブルグをペトログラードに変え、この街は、革命の前夜のきな臭さを漂わせている。手前に大きく、ベランダで子供を守るべく母親が力強く描かれている。この母子は、聖母マリアとイエスを想起させると教授は云う。女労働者の穏やかな表情の中にも、この子を守り抜くという気構えが前面に出されている。ペトロフ・ヴォトキンは中世のイコンを愛したという。それ故か、この絵は「ペトログラードのマドンナ」と呼ばれているそうである。リュボーフィ・ポポーワの「1924年夏」である。リュボーフィ・ポポーワは女流画家である。この絵はショーウインドーの飾り付けである。画家は、ある時からカンバスを捨て、本の装丁や、ファッションの実用的領域に入った。アヴァンギャルドが生きられたよき時代だったようだ。カジミール・マレーヴィチの「畑の女達」である。抽象画の先端的点まで到達したという。「シュプレマティズム(絶対主義)」というのだそうだ。最早、私の理解力の外のようだ。幾何学模様だけで、女であること、娘であること、を表している。色彩も自由奔放で、描かれ、究極の抽象画法のようだ。教授は描かれて居並ぶ3人は画一的に描かれているが、それが全体主義へのアイロニーかも知れないと論評している。
2012.02.01
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