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いよいよ2012年も大晦日になった。今年のニュースを振り返ってみて、その中から10大ニュースを考えてみると。世間の人は世界のニュースとして、下記を選んでいる。1位 米大統領選でオバマ氏が再選2位 中国共産党総書記に習近平氏3位 金正恩氏が朝鮮労働党第1書記に4位 英エリザベス女王の即位60年で祝賀行事5位 ミャンマー議会補選でスー・チー氏当選6位 露大統領にプーチン首相が当選7位 大型ハリケーン「サンディ」、米で死者100人以上8位 シリア内戦が泥沼化9位 NASA無人探査車が火星に着陸10位 スペインがユーロ圏に金融支援要請、欧州の財政・金融危機続くまた、日本のニュースとしては、下記を選んでいる。1位 ノーベル生理学・医学賞に山中教授 2位 東京スカイツリー開業3位 ロンドン五輪、史上最多のメダル38個 4位 政権問う師走の衆院総選挙 5位 尖閣国有化で日中関係悪化 6位 金環日食、932年ぶり広範囲観測 7位 中央道トンネルで崩落、9人死亡 8位 巨人が3年ぶり22度目の日本一 9位 地下鉄サリン事件で特別手配の菊地容疑者ら逮捕、オウム捜査終結へ10位 兵庫県尼崎市のドラム缶遺体事件、連続遺体遺棄・行方不明事件に発展私は、この中で、8位に挙がっているシリアの内戦が気になるところである。アサド政権は、この先どうなっていくのか、今や、化学兵器の使用まで取り沙汰されているが、この暴挙を止める事は出来ないものだろうか。ほぼ毎日のように無垢の人々が殺されている記事を見て、戦争というのは、そしてまた1人の狂気がこれほどまでに悲惨な結果をもたらすのかと言う問題である。世界中でトップの交代が相次いだのも、今年のニュースではあろうが、シリアの内戦では、最近のニュースによると死者は既に4万5000人に達すると言うことだ。しかしこの数字はあくまで、シリア人監視団によって明らかにされた数であって、明らかになっていない被害を含めると、実際の死者は10万人に達する可能性もあるという。シリアの内戦は2011年1月26日が起源とされているので、今日で705日(ほぼ1年11ヶ月)が経過したことになる。1日に平均64人、多い時には200人もの人が殺されていると言うことになる。このところの1週間では、1日140人を超えるペースで殺されている勘定になるようだ。この内戦で、シリアから周辺国への難民は41万4838人に上る。中でも隣国トルコは最も多い11万4944人を受け入れている。そして、現在進行形である。アメリカをはじめとする西側諸国はこういった政府側の虐殺を糾弾し、反政府勢力に支援を行っているが、ロシアは、政府側に立って、擁護する姿勢をとり続けている。湾岸諸国もはじめは、政府側を支持していたが、今では反政府側の方を支持する姿勢を取っている。これに対し、日本は「すべての関係者に対して,暴力の使用を控えるよう呼びかけます。」といった外務大臣の談話と言った関与の仕方しかしていない。呼びかけるとは、「・・・たら良いのに」程度のふがいなさである。この生ぬるさは一体何だろうと思う、遠く離れた異国のことは知らないよとでも言いたげな風情である。自国の拉致に関しては世界中の耳目を集めて解決すべきだという、人権擁護の立場なのに、この温度差は何なんだろう。やはり自分だけが可愛いと言うことなのだろうか。日本が、世界で政治的な指導力を持つことが出来ない所以であろう。オバマが再選されたり、習近平が中国共産党総書記になったり、金正恩が朝鮮労働党第1書記になったこと、さらには、ロシア大統領にプーチンが返り咲いたことは確かに直接的に日本に影響があるから重大だと思うが、ミャンマーの民主化も、シリアの内戦も、等しく重大であると言うことだ。そう言った意味では、今年初めの南スーダンで起こった民族衝突で3000人を超える死者を出した独立後で最悪の衝突にも注目したいところである。日本では、兵庫県尼崎市のドラム缶遺体事件は猟奇的であり、関越道のツアーバス事故や、記憶に新しい中央道トンネルでの崩落事故はやはり気になるところである。そして唯一と言っても良い朗報としてノーベル生理学・医学賞を受けた山中教授の存在を挙げないわけにはいかないだろう。
2012.12.31
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今日は連れ合いとその一家で墓参りをした。生憎の雨はほぼ1日中降り続き、墓に参る間中降っていた。太郎君も姫も仕事納めで、全員揃っての墓参である。連れ合いの父親の墓は3箇所にあるとかで、その3箇所を丸1日掛けて回った。比叡山延暦寺大霊園は以前一緒に参った事があるが、京都の北をイメージしていたが、イメージと違って、それは滋賀県にあり、琵琶湖大橋(堅田)よりもまだ北にあった。比叡山よりもずっと北にあるわけだ。むしろ比良山に近く、近くの山は霊仙山というようだ。京都を過ぎ、整備半ばの湖西線を使って北上するが、この間大学の同窓会で集まった雄琴温泉よりもまだ北である。連れ合いの覚えで、真野ICを降りたが、実際は和邇ICの方がずっと近いようだ。着いた大霊園では、雨に曇って下界は見下ろせなかったが、壮大な霊園で、ここで眠るというのは、気分が良いものだろうと思った。事実父親の墓は、大谷本廟にもあるが、そんな団地は嫌だと言う事で、ここに眠っているという。死んでしまったら同じではないかと思うものの、参った方の気分でも、ここの方がゆったりと過ごせるのかなぁと感じた。車を止めた近くには、馬鹿でかい墓地と墓碑が垣間見えたが、死んでも権勢を振るうのかなどとつまらない事を考えた。父親の墓は、周りと同じつましいものであったが、場所は見晴らしが良い。遠すぎず近すぎず実に良い環境だと思った。「釋」の戒名だから真宗であろう。「院号」も付いていたが、最後の「居士」とか「大居士」とかは無かった。居士・信士などの名称は一般庶民に授けられると聞くからやはり違っているのかとも思った。享年は、68才とあるし今日がその祥月命日である。奇しくも我々と同じ年齢で亡くなったわけで、その日に墓に参るというのは何か因縁めいたものを感じた。太郎君もその嫁も、姫も、そしてひ孫にあたる2人も一緒で、大勢で参ってもらえるのは、実に幸せな人だと感じた。雨で出来た水溜りで無邪気に遊ぶ曾孫をどのように見ておられるのかと感慨深い。ひ孫の2人は、「連れ合いのお父さんで・・・」などと説明を聞いているが、どう云った感覚なのか勿論解らないであろうが、それでも墓前で小さな手を合わせていた。私には望むべくもない光景だが、死んでしまえばそんな事も解らないわけで、「これはこれ」と割り切ることにしている。考えてみれば、私は大家族の末弟であったために祖父の存在すら知らない。ましてや曾祖父などと言った存在は全く知らないわけだ。こうやって、4代が一堂に会する(?)のはめでたいことなのであろう。雨の墓参だが、それでもちらほらと参る人たちがいて、そこらの墓地には真新しい花が供えられていた。そこを降りて、今度は大谷本廟に参ることにした。ここにも連れてきて貰ったことがあるが、連れ合いはそのことを忘れているようだ。4年前のことで、ここから清水寺まで歩いたことがある。京都の寺は、既にお正月の準備が万端整っているようだが、ここも、墓参の人たちが、大勢来ていた。本廟近くの駐車場はほぼ満車だが中には法外な駐車料金を表示しているところもあり、こう云ったところが、世俗の嫌らしさを感じ、墓に参るという荘厳なことに水を差す感じがする。本廟の寺では、小さなお骨の袋を堂内の女僧に渡し、女僧がそれを恭しく奥に安置に出かけるところを見た。簡単に納骨できるのかなと思った。そこを辞して、ちょうど予定通り昼が近くなったので、京都のサンマルクにとって返し、昼食を採った。相変わらず、焼きたての美味しいパンを孫の2人は頬張っていた。特に弟の方はパンに目が無く、大人以上に食べまくるといった感じである。小学校1年生の兄貴の方は食欲も旺盛で、注文の品をぺろりと平らげていた。食後最後の知恩院に参った。華頂山の額が掲げられた三門の真正面の階段から上るのは始めてのような気がした。いつもは、車か、脇の女坂を通って緩やかに登るのが常だったからだ。連れ合いは、三門下から御影堂までのシャトルバスに乗ってきた。知恩院は法然上人800年大遠忌に伴って、今平成の大修理中で、御影堂は町工場そこのけの大きな鉄骨建屋ですっぽりと覆われていた。2030年までの6年間は御影堂の姿を見ることが出来ない。納骨堂は、その御影堂の奥にある。一家は揃って、その納骨堂に参っていた。右奥には、明日の夜にならされる大鐘があり、そこへも三々五々人は登っていた。3寺を回り終えて、今日のメインイベントは終わった。太郎君が運転する車の中で、何やら満たされて気分で、うとうと眠りにつくうちにマンションまで帰り着いた。
2012.12.30
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今朝04:25~05:50の間「明日への教訓:広島・チェルノブイリから福島へ」と題したドキュメンタリー放送があった。昨年3月11日福島原発事故とその後の追跡番組の1つである。たまたまテレビを点けたらこの番組をやっていたので最後まで見た。その内容に沿って書いてみたい。福島原発事故から2年を経過しようとしている。オープニングで、事故の翌日に原子力災害対策本部が行った計測では20km圏外でも通常の600倍という高い放射線が確認されたにもかかわらず、枝野前官房長官は会見で安全を明言したのである。(何という拙劣な事か!)従来日本では通常子どもの被ばく線量の上限を1mSv/yとしていたにもかかわらず政府は国際放射線防護委員会が提示する20mSV/yと緩めたのである。(何という柔軟さだ!)これを受けて内閣官房参与で放射線専門家の小佐古敏荘は、この政府の定めた数値は受け入れられないと涙ながらに訴え辞任したのである。この辞任会見を見て、福島県に住む中村夫妻は放射線に対する認識を改めることになったという。 第1章では原発事故後、福島県郡山市に暮らす中村さんは放射線量を下げるため、自力で自宅の除染作業を行ってきたが、一方3人の子どもたちが喉の痛みや鼻血など体の不調を訴えだし、長女の尿から微量のセシウムが検出されたのを機に母親と子どもだけ山形市への自主避難を決めたというのである。そんな中、福島市の生活圏には放射線物質のホットスポットがあることが分かり、子どもたちの衣服からも自然界の2倍という高い放射線セシウムが検出されたというのだ。それでも、阿部さん一家は、ホットスポットが点在する福島市渡利地区に残ることを決めた。2μSv/hが計測された自宅を何度も除染したが、雨が降るたびに数値が戻ってしまうたに、除染ではなく単なる一時的な移染だと言う事で除染作業をやめてしまい、住民の集会で不安を吐露した。また、汚染された食べ物や放射性物質を呼吸で吸い込んで起こる内部被曝の説明がされていた。放射性物質のうち、放射性ヨウ素は甲状腺、放射性セシウムは全身の筋肉、ストロンチウムは骨に蓄積しやすく、遺伝子に影響を及ぼしガンを引き起こすといわれている。この内部被曝の恐ろしさは、外部被爆と違って時間差で襲ってくるようで、これを抑えるために残留を決めた一家も洗濯は室内干し、料理や飲み水にはペットボトルの水を使用、生の野菜を採らないなどの努力を重ねているという。一方、67年前の広島への原子爆弾投下は悲惨な外部被曝現象を見せつけた。しかし、この原子爆弾はその後、黒い雨等によって残留放射線を地域に降らせて、内部被曝をもたしたのである。第2章では、広島で被曝した甲斐昭さんは福島の原発事故を聞き、子どもたちへの内部被曝を心配したという。戦後、甲斐さんは甲状腺の悪性リンパ腫を発症し、53歳の時に右半分を摘出したという。今でも名古屋市の病院に通っているが国は残留放射線の影響を認めておらず、法的には被曝していないとされている。驚く無かれ、国が否定する根拠は、原爆投下の一ヶ月後に来日したファーレル准将の証言に影響されているためだという。その根拠は残留放射線の有無の調査を行うアメリカのオークリッジ国立研究所の科学者らが反対し、残留放射線と内部被曝の因果関係を否定しているためだという。しかし、アメリカ国内の核実験に参加させられ被曝したリッターさんによると、1993年に政府が軍事機密を解いたときにはその実験に参加させられた52万人の内、既に30万人が被曝で亡くなっていたとの真相を話していた。これに対し核実験担当者側のジョン・オークシャー元局長は、症状は放射線によるものとは別だと断言している。また、このときの核実験で200kmも離れたセントジョージ市で丘の上からキノコ雲を見たというクラウディア・ピーターソンさんによると、放射線は風に乗り、200kmを運ばれ、市内に飛散し市民を被曝させたというのだ。彼女の父は脳腫瘍で、姉は皮膚がんで、娘は白血病で亡くなったと証言している。このときも人々は被曝の影響を訴えたが政府は認めなかったという。このように核実験による残留放射線の影響をアメリカ政府は否定し続けていて、日本政府は単にこの見解を踏襲しているに過ぎない。クリントン政権でエネルギー省の上級政策顧問を務めたロバート・アルバレスは核物理学の分野は巨額な研究資金を得るために軍と協力関係を結んでいたため、残留放射線の影響はないという公式発表になっていたと語ったようである。広島で被爆した甲斐昭さんは、核を作りたいがために残留放射線の影響を否定するアメリカに日本が同調していると述べ、また、広島大学原爆放射線医科学研究所の鎌田七男元所長は、当時科学者たちに残留放射線の影響があるとの認識は皆無だったことを明らかにした。被曝した女性の白血病細胞の染色体に残留放射線の影響がみられることや、黒い雨の痕が残る壁から濃縮ウランやセシウムが検出されているとも語っている。今でも、福島で内部被曝をもたらすのは食べ物だとし、黒い雨による内部被曝に関するデータは意図的に隠されているのか事実無いのか、黒い雨と内部被曝との関係は公式には認められていない。第3章ではチェルノブイリにおける内部被曝の影響についてその後の経過を調査している。「チェルノブイリ原発事故」は26年前に起こったが、未だに原発から30km圏内には住むことが出来ない。事故を起こしたチェルノブイリ原発では全てが廃炉に向け作業が進められているが、完了するのは100年後だという。放射線医学研究所のステパノパ小児科部長は、今も被曝した人や子どもなど被曝の影響を診ているといい、IAEAに、ウクライナが報告する健康被害に見解を求めた所、世界保健機構(WHO)に聞くようにと勧められた。しかし、WHOはその回答を拒否、町の専門家に聞けとのたらい回しだったようだ。ベラルーシはチェルノブイリ原発事故の影響を最も深刻に受けた。甲状腺がんセンターのセンター長は事故の5年後に子供の甲状腺がんが増え、10年後には10代の子供が、その後は大人も増えたことがわかったと話している。センター長はまた、安全な放射線量はないと思うと話した。副センター長のミハイル・マリコは低線量でもそれなりの被ばくをすると説明している。国立の研究所は事故の研究を縮小しているが民間のベルラド放射能安全研究所は市民の内部被曝の調査を進めているという。(アメリカも、ベラルーシも政府が如何にいい加減かを示しているが、日本の茂木経産大臣も経済界の走狗で且つ政府の無責任な代弁者である。経済再生を第1に掲げるがために原発再開、あるいは新設も視野に入れるなどといった事が即ち、放射線被害の軽視に繋がっている証左である。)第4章では、ベラルーシのベルラド放射能安全研究所の所長が福島の伊達市を訪れ、会見で、日本の年間の被曝量許容値は「国民に対する国家の犯罪行為」と評している。内部被曝の影響については今も科学者の間で意見が分かれているというが、こういった曖昧な状態のまま原発推進に舵を切った現政府は、とてつもなく危険な存在であるといえそうだ。2011年4月25~26日にかけての1日の福島県南相馬市の放射線量は計0.028mSv/dであり、1mSv/yを基準とすると、約1カ月で超えてしまう。現在の線量が続くと仮定すると、年間総量は約10.22mSv/yとなるため、20mSv/y迄引き上げた場合は、移住の必要はなくなる。そんな事もあって、基準値を簡単に変更したものである。そんな理由で、この基準値を導入した訳で、日本の古来の1mSv/yをなぜ守らなかったのかの意図が見え見えである。私は日経新聞による事故後の福島の放線量を記録しているが、それによると、事故後、27日目のモニタリング値は2.4μSv/h(21mSv/y)、1m高さ値は記録無し。事故後、164日目のモニタリング値は1.22μSv/h(10.9mSv/y)、1m高さ値は1.64μSv/h(14.0mSv/y)。事故後、659日目のモニタリング値は0.66μSv/h(5.8mSv/y)、1m高さ値は0.84μSv/h(7.4mSv/y)。となっている。政府の見解を真に受ければ、復旧時の値としてはもう既に安全な領域である。それでも、まだ、帰る事が許されないのは、やはり問題があるからなのだろう。仮に之を1mSv/y以下になるまで待つとしたら、さらに800日(2年3ヶ月)程度は掛かりそうである。
2012.12.29
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今年も年賀状シーズンになった。本来なら、年が明けて、新年を寿ぎながら書くものであろうが、今では旧年中に書くのが世の習いとなっているようだ。郵政会社の策謀であろうか。私は既に書いて投函したが、連れ合いは今取り組んでいるところだ。年賀状と言えばいつ頃から書き始めただろうか。高校時代に書き始めたかも知れないが、良く覚えていない。学生時代も書いたようで、それほど記憶に残っていない。社会人になってからは確実に書いているから、かれこれ45年間は書き続けている事になるだろう。と言っても1年おきの45回でしかない。その45回も、私の場合は、2-3年ほどは意図的に全く書かなかった年もあったり、海外在住で書けなかった年もあったりするので、合計しても40回程度かも知れない。意図的に2-3年書かなかったというのは、義理で書く年賀状を絶つためであった。こちらから書こうとする年賀状と、相手から来る年賀状は時としてずれる事があり、来た年賀状には返事を書く事にしていると、年々増えていく。出した年賀状に対しても同じ事が云えるのだろう、遅れて返事の年賀状が来る事もある。その時は「早々に賀状を頂き・・・」と書いたり書かれたりしている。そう言った相乗効果で、袖振り合った人に書き貯めると年々賀状の数は増えていくのである。会社勤めだと、その数は膨大になる。会社勤めでも偉くなると、秘書がやってくれる事にもなるだろうが、私信や、一般には、自分で書くものである。もし、プロジェクトで世話になった顧客などにも出すと際限が無くなってしまうが、過去にそう言った事はしなかった。年賀状は又、生存確認の手段でもある。普段没交渉でも、年賀状が来たら生きているという証拠であり、一言「元気でやっております」などと書き添えられていると「そうか元気なのだ」と安心するという類である。きっと相手も年賀状を見て、そこから伝わるこちらの状況を察するのであろう。年賀状はこの他に、出したい人(出さなければならない人)と義理で書き送る人とに別れるようだ。義理で書く人は、ある一定期間交流がある場合に多い。毎年仕事が始まると顔を合わせるのだけれど、年の初めに挨拶しておこうと言った類のものだ。そう言った義理の年賀状は止めようとしても来れば気になってつい書いて返事をしてしまうので、気がつけば膨大な数になってしまう。そんな事を断ち切るために2年ほど出さず、返事も書かない年を作ると、義理で出したり貰ったりしている人からは来なくなる。そんな後に、こちらから出したい人や貰いたい人に再び年賀状を書き始めると、セレクトされて相当数のものが減じられるというものである。義理堅く思うと、なかなか止められないのが年賀状である。そう言った事を経て、最盛期には200枚程度は書いていた年賀状も半分に減り、最近では90枚程度まで減じた。来年もさらに10人程度は書くのを止めようかと思う。勿論環境が変わると、追加する人も出てくるのは当然で、未だ自分の生活が広がっているという事で歓迎すべきであろう。私の場合は、居住地が転々としたので、その時々の時期(Era)がいくつも別れてある。学生時代(高校・大学)、造船時代(造船、研究所、建築鉄鋼、橋梁)、日本工営、JAB、ATC、サウジ、UAE、一般と言ったカテゴリーである。一般の中には親戚縁者も含まれている。勿論関係した時期の長さによって、交流する人は増えるのが一般的であるが、海外勤務では交流する人は多くても、外国人が多いために年賀状を出すまでの関係にはならないし、また帰国すると交流しないのが通常である。メールなどで交流したとしても、自然に消滅してしまう。私の場合は、学生時代が約30、一般が25、造船時代が20、ATCが6、海外時代に関係するのが5と言ったところである。よくぞここまで絞り込んだものだと思うが、この先段々と老いていけば、新たな追加はなく、ますます交流範囲は少なくなり、当事者が鬼籍に入るなどして、段々フェードアウトして行くであろう。その年賀状も、昔は筆ペンで、一人一人の顔を思い出しながら一言ずつ書いていたが、ここ数年は、パソコン上で、絵を描いて色づけしたものを印刷して、それに一言加えるようにしている。従って、年賀状に取りかかるのは1ヶ月程度前から助走期間がある事になる。もらう年賀状もいろいろで、印刷屋に頼んだぶっきらぼうな物から、家族の写真を入れたり、現在の自分の状態を事細かく書いた物まで多彩である。それでも一言手書きのメッセージがあるのは嬉しいものだ。吉田兼好ならこの辺りを徒然草ではどう書いただろうかと思う事がある。人それぞれの癖もあるだろうが、私が貰う年賀状の中に、印刷屋任せの、生存通知だけの所謂義理年賀状が含まれているのは私に未だ娑婆っ気がある証拠なのだろうか。
2012.12.28
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師走も大詰めで第2次安倍内閣が誕生した。3年3ヶ月ぶりの自民党内閣で「危機突破内閣」とのことである。重点項目は、1.経済再生、2.東日本震災からの復興、3.危機管理の3点だという。株価もご祝儀相場であろうか、終値を10,322.98円とした。このところの安倍首相の金融緩和政策と、大型の補正予算が好感されているようだ。ツケを後世に残さないといった事は足下の不景気状態では、何処かへ飛んでしまったようである。当面のデフレ脱却は歓迎だが、その後狂乱インフレが訪れないようにしてもらいたいものである。集団的自衛権も取りざたされ、安倍首相のタカ派の一面が頭角を現し始めている。当然憲法改正も視野に入ってくる事であろう。現在対中国や対韓国が竹島、尖閣で問題になっているところであり、ロシアとの北方領土もなおざりには出来ないわけで、新政権はこれらに対して、そつなく治められるかどうか極めて興味深い。TPPもやがてはアメリカの思惑通りに参加の方向であろうが、どのような経過を辿るか、農家をどのように慰撫するのか、ここに、また国民の血税が多量にばらまかれる日が来るではなかろうか。社会保障と税の一体化は一応題目に上げられているが、当面景気を回復させなければ、消費税も上げづらい筈である。先ず増税先行とだけはならないようにして欲しいものである。又弱者に鑑み、日常の細々した物(特に食品など)については軽減税率を大幅に取り入れて欲しいものである。原発問題では、民主党が2030年にゼロとする事を掲げていたが、茂木新経産大臣は「再検討する」と脱原発に逆行する発言をしている。折しも東通原発の敷地内に活断層が存在する件が問題になっているが、之に呼応するように大飯原発もきな臭いし、敦賀原発、志賀原発と、活断層の疑いがある原発は多く、地震国日本では、他の原発もあながち安全と言い切れるかどうか心配である。新たに設置された、原子力規制委員会だが、安易な基準で審査してもらっては困る。万全が万全でなかった事は福島の事故以来明白であり、全てはヒューマンエラーに帰結するこれらの問題は、如何に建前が大丈夫だと言っても、畢竟オペレーションを行うのは人間であるから、ミスの起こらぬ事はなく、可及的速やかに原発から脱する事に注力して欲しいものである。組閣や党人事で、安倍首相は女性の登用に意を注いだようであるが、見るからに、女性の登用という事のみが先行し、真に実力があるのか無いのか、疑わしい女性も見受けられて、またもや看板倒れにならなければいいのにと思う。今回の選挙では、女性の進出が3割減じたという事だから、国民は、女性の登用を必ずしも望んでいないという事ではないだろうか。内閣構成員の半数以上(10人)が2世議員という事も、心許ない気がする。若いときから政治に目覚めて居るであろう事は想像に難くないが、それが即ち政治家としての器量に繋がるかどうかは別の問題であろう。政治家としての資質は、権謀術数に長けたり、国会運営や、政局運営に精通している事だけではないわけで、昨今の政治家に求められる資質は、高邁な理想とその実行力であろう。気の付く範囲で、各閣僚に対して思う事は、麻生副総理には漫画ばかり読んでないで、失言には注意してもらいたい。谷垣法相は首相になれなかった自民党総裁だが、線の細いのが気になるところだ。最年少の田村厚労相は増税に依らない復興財源を求める会の事務局長であったという。その志を守ってもらいたいものだ。林農水大臣は、参議院からの登用だが、働き頃の手腕を見てみたいものだ。TPPでごねた前農水大臣と違ったカラーが出せるかどうかだ。もう一人新鮮な感じを受けるのが茂木経産大臣だ。サラリーマン経験は遠くなったかも知れないが、サラリーマンの気持ちの分かる大臣では無かろうか。連立維持のための入閣である太田国交相はここは公明党の指定席かとの配置である。一度は引退を考えたのだから捨て身で頑張ってもらいたいものだ。防衛大臣に起用された小野寺氏は外交の政策通であるという。対中国、対韓国との関係で日本の胆力を示してもらいたいものだ。新藤総務相は領土問題に一過言有るようで、小野寺防衛相との絡みで頑張ってもらいたい。根本復興相は福島が地元だけに地元(日本)の復興に本領を発揮してもらいたい。日替わりになってしまった拉致担当相だが古屋氏にはここらでじっくりと問題解決に取り組んでもらいたい。テレビでお馴染みの山本沖縄・北海道担当相には初入閣だが、歯切れの良さはテレビ向けだけではなく、北方領土の返還に結びつけて欲しい。之も日替わり、女性指定席の森消費者・少子化相だが、どうやら消費者の方に軸足があるのかも知れない。参院で1回の当選での抜擢はおやっと思わすが少子化に歯止めを掛ける妙手を考えてもらいたい。同じく女性の稲田行革相だが、この人も竹島には思い入れがあるようで、チームで領土問題にも取り組んでもらいたい。甘利経済再生大臣は安倍首相のお友達だ。閣僚の経験も豊富だが、何をしたかは今一だ。ベテランらしく、手腕を発揮して欲しい。
2012.12.27
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昨日だが、予告編とテレビでの宣伝に乗せられて映画を観に出かけた。有名なヴィクトル・ユゴーの小説の映画化で、しかも劇場オペラ版を映画化したと言うところである。昔、小説は読んでいたので大凡のストーリーは既に知っているのだが、映画ではどんな風になるのかというのが観たいと思った動機である。ジャン・バルジャンと警官ジャベールの相克が強く印象に残っている。映画でも勿論原作通りの展開なのだろうが、オペラ独特の映画はどことなく感じが違うものだ。心の確執を歌で表すのは、ある時には効果的だが、ややもすると大味になると感じた。この映画はその点が売り物なのだろうが、少し上滑りなものを感じてしまった。小説の完全映画化だと思ってみると少し違和感が残るのである。冒頭シーンは大勢の囚人が、木造の大型船を並んだドックの1つに引き入れるという場面だった。造船に従事して来た者としては、木造であろうが、こういったシーンは懐かしさを覚える。それにしても当時の囚人の扱いは過酷、熾烈であったようだ。たった1本のパンを盗んだ罪で19年間も監獄生活を送っていたとあるが、映画でも明かしているように、これには、脱獄の罪も重なっている。1本のパンをひもじい妹のためにかっさらったとあれば、現代では、情状酌量であろうにと思うのだが、5年の刑はなかなか厳しい。ジャン・バルジャンが怪力であった事のエピソードは早々にドックで折れた帆柱を運ぶところで示されていて、之が後に市長になったところで、馬車の下に閉じこめられた男を救うための伏線となり、之が警官ジャベールの猜疑心をかき立てるのだが、その点はさらりと流している。その上、逃亡の末、なぜか市長になっているところもさらりと流しているから、適当に想像するしか無く、あれほど世を恨み、神父の計らいで、窃盗の罪から逃れ、改心した過程から如何に立ち直ったかは観る側に委ねられている。このように要領よく纏められているところもあるかと思えば、薄幸な女性ファンテーヌやその愛娘コゼットの愛を訴える箇所では冗長とも思える位長い時間を与えている。勿論その辺りが、この映画の味噌なのかも知れないが、映画を歴史の一端としてみる側にとっては、アンバランスを感じてしまう。19世紀のフランスは格差と貧困にあえいでいたと言う点は理解できても、民衆が自由を求めて立ちあがろうとしていた映画の革命(Revolution)は何時を意味しているのかフランスの歴史を良く理解していないとよく分からないところであろう。尤もこの映画の意図する点は別なところにあるのかも知れないのだが、過酷な政治的背景の中の人間愛を描くという意味では、十分なのかも知れない。警官ジャベールのあの執拗さは、自ら同じ境遇であったところから、這い上がって、法の番人を強く意識する故に、同階層の人間に執拗なまでの過酷さで臨んだとのことのようだ。人間の心は不思議なもので、そう言った心境になるのだろうかと考えるが、その真逆が、ジャン・バルジャンと言う事になるだろう。日本では「ああ、無情」との邦訳本が出たのだが、「ラ・ミゼラブル」は意味としては、「みじめな」とか「ひどく不幸な」と言った意味であるのに、「無情」は「情けない」とか「心ない」とか言ったイメージを感じるので邦訳はふさわしくないような気がする。コゼットはヴィクトル・ユゴーの愛人を想定したものと言われるが、映画では、その点は抑えられている。しかし、原作ではコゼットの恋人マリウスはジャン・バルジャンにその素性を明かされ、酷く忌避したと言う点も、映画ではさりげなく別れているのは、安直な気がした。正義感溢れる学生が打ち明けられた悪事を憎んで軽蔑すると言った心が、後に自分を泥まみれになっても助けてくれたその人なのだと言う事を知って変心する辺りをもっと落差の大きなものにした方が原作に近く心を打つのではないだろうか。格差や貧困、そして不合理・不条理の渦巻く当時のパリの世情を憂えて、革命を志す学生の行動が俗に六月暴動を想定しているというのだが、テロップは1832年だったと思うので、時代的にも合わない感じがした。また、学生蜂起の背景が、何となくであり、フランスの王政に反発したものであることが端折られている感じを受けた。ジャン・バルジャンはやむを得ず盗みを働いただけの実は聖人であったのだという点は、強く表現されていると感じた。過酷な中を生きたという点がもっと強調されれば、さらに揺さぶられた気になっただろうが、それでも最後はうるうるとした気分になった。
2012.12.26
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民主党政権がばらまき約束を果たせなかった高速道路無料化が、この度は、永久に有料化が避けられない見通しとなった。いやはや、一寸先は闇とは良く言ったものである。高速道路が無料で有名だったドイツのアウトバーンも維持費を確保するためには有料化を考えていると言うから、之が趨勢なのかも知れない。高速道路が無料なのはドイツの他にもアメリカがある。またサウジアラビアやアラブ首長国連合辺りも無料であった。高速道路と言えば、緑の看板があり出入り口にはゲートがあるのが当然と思っていたが、サウジなどでは、無料のため、こういったゲートは勿論無く、どこからが高速道路なのかよく分からない場所もあるくらいで、何時の日か日本でも、こうなるのかと思っていたのだった。それが無理でも、高速道路の無料化実験とか称して、法外に高い通行料が、時限的に値引きしてある道路などは、通行していてなぜか嬉しいものであった。概して実験結果は、無料ないし割引された道路の交通量は増加しているが、之が元のように有料となると走る車は実験前のように少なくなるのであろうか。又、日本の道路は、フランスや、イタリアの高速道路の約2倍の通行料となっており、世界的にも高いといった相場のようである。高速道路はあれば便利とばかり不要不急の道路まで、他県にあって我が県にはないといった理由で、闇雲に作り続けられてきた。こう云った事の見直しで、一頃高速道路の新規建設は、暫く凍結され、民主党政権下では、コンクリートから人へと言うキャッチフレーズと共に沈静化していた。私は姫が湘南に転居したために東名高速道路を通る機会が増えたが、新たに、第2東名高速道路が部分開通すると言ったアナウンスを横目に見て通ってきた。名神高速道路でも、いつも使う、新名神と呼ばれる部分が第二名神高速道路の一部であった事に今更のように気がついた。そうだ、之が、2本目の阪神と東京を結ぶ道路なのだという事だ。日本で初めて出来た名神高速道路とその後の東名高速道路は日本の基幹道路として、産業の発展に寄与した事は異論のないところであろう。その道路も、今では慢性の渋滞状態となり、夜間でも長距離トラックの輻輳に事故が起こらないかと心胆が寒くなる事がある。こんな時、東名を走ると、こちらも事故に巻き込まれるのではないかと不安になるのである。そう言う意味では、部分的とはいえ、第2東名が開通した事は喜ばしい事で、未だ通っては居ないが、交通状態もやや緩和されたと聞いている。このような真に必要な道路と、有れば便利だと言った道路との区別を客観的に別ける事は神でない限り至難の業であろう。尤も、交通量調査などで、計測すれば判然とするわけだろうが、そうしたとしても、我も我もと我田引水を計る議員や首長は後を絶たないからである。今又、民主党から自民党に政権が変わり、凍結していた新設道路も復活する勢いである。我が町近くでも槌音が聞かれるこの頃である。私は第2東名に限らず、旧道路公団の高速道路橋建造に関わっていたので、自らが手がけた橋が日の目を見るのは喜ばしい事だと思っている。このように総論と各論は違うのであるが、それでも建設は不要不急のものは造らないにこした事はない。コンクリートから人へと言う事は必要なことだと思うが、こう景気が停滞していれば、カンフル剤としての公共投資は即効性があるわけで、あながち新規建設そのものが悪いとは云えないだろう。そこに持ってきて今回の中央高速道路の笹子トンネルでのトンネル内天井板の崩落事故である。国土交通省によると、高速道路のトンネルの平均年齢は22年に達するという。事故を起こした笹子トンネルは35年以上経過しており、どうやら、このトンネルに限れば、特に天井板とその上のトンネル頂部までの高さは高いために検査も十分ではなかったようである。既に建造した高速道路やトンネル、さらには橋梁、道路そのもの等々が、原発の時に問題になったように、耐久年度が一斉に到来しており、この維持管理が急務となってきているわけだ。現在の計画は、建造しっぱなしで、維持管理は、後から付いてくる的な感覚であったようだ。世の中人工物で、永久にメンテナンス無しで持つものはない訳で、来年辺りから、新建造よりも修理・修復と言った分野が特に重要になって来るであろう。その前触れというのが、原発に始まって、今回の笹子トンネル崩落事故であったのだ。修理・修復の予算計上が成されていないために、それを捻出するため高速道路の債務完済日を、2050年の設定から10年延期し、3兆円を捻出しようとしている。修理・修復は、これからも続く問題であり、そのため、完済日は再び延期される公算も大で、この結果、高速道路は何時までも有料道路のままであろうという結果である。
2012.12.25
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一昨日の日経に耳寄りな記事が掲載された。液化天然ガス(LNG)を安く購入する事が出来るようになってきたというのだ。世界のLNGの価格決定方式には下記の3つの異なる方式があり、その方式と、このところLNGの価格($/100万BTU)は大凡次のようである。1.米国の指標価格 (ヘンリーハブ)・・・3 ($/100万BTU)2.英国の指標価格 (NBP:National Balancing Point) ・・・10 ($/100万BTU)3.東アジアの指標価格($/100万BTU)・・・15 ($/100万BTU)日本の液化天然ガス(LNG)の輸入価格は、LNGが原油代替燃料と位置付けられて来たため、原油輸入価格の総平均価格に一定係数をかけ決められる方式に依っていた。記事の要諦は、アメリカに於けるヘンリーハブは「シェールガス」の増産で価格が低迷しているということで、現在日本が輸入している価格の5分の1程度だという。日本はなぜ今まで高い原油を買っていたかという不合理さは、福島原発事故で火力発電を使い出して、明らかにされたように、各電力会社ともプレミアムの付いたわざわざ高い原油を買っていたためであり、之と連動したLNGも結果高くなっていたわけである。之に加えて、日本は天然ガスを輸入するに当たって、パイプラインがない事から全てLNGとして船舶に頼らなければならないといった事が上げられる。天然ガスは液化してLNGとするわけだが、マイナス160℃に冷却する事やその後船舶による輸送、そして到着後再び気化するという手順を踏むためにコストはどうしても高く付くのである。尤も私が関係した造船にあっては、高度な技術が必要なLNG船建造は従来日本の独壇場であり、稼ぎ頭であったわけで一面的に評価する事は出来ない。また、島国である事や、近隣諸国(パイプラインを敷設するに当たって)の悪意の妨害なども考慮すると、なかなかパイプライン敷設と言った方向には向かなかったようだ。しかし、このところ、アメリカではシェールガスが潤沢に産出されるに及んで、従来主役であった天然ガスの需要が伸び悩み、価格が低迷してきたのである。日本はここに目を付けて、将来的にアメリカ産のLNGを多く購入しようとの目論見である。冒頭の指標価格面からもアメリカ産を購入する事が得策となってきたわけだ。従来日本のLNG調達先はマレーシア、オーストラリア、カタール、インドネシア等が多かったが、シェールガスの量産で従来のLNGがだぶつき始めたアメリカの政策転換も手伝って、アメリカ産のLNGが視野に入ってきたのである。さらには、アフリカ南東部・モザンビーク沖合にも大規模な天然ガスの埋蔵が確認されるに及んで、日本にとっては、輸入先の選択肢が豊富になってきたのである。モザンビーク沖合の、ロブマオフショアエリア1鉱区では日本の年間液化天然ガス(LNG)輸入量の6分の1弱を20年間生産できるほどの規模だという。さらに、ロシアでは、サハリンプロジェクトに加えて、東アジアからのガス供給ルートが日本を照準に敷設されたり又敷設計画が進められている。ロシアは、ヨーロッパへのLNG供給を一手に引き受けてきたが、このところ、ウクライナやカザフスタンと言った旧ソ連の同胞国家辺りとのトラブルなどによって、販路を拡大する必要が生じてきて、日本へのLNGの輸出を目論んでいるのである。アメリカのシェールガスそのものを輸入する事も検討されており、にわかに電気料金を値上げするなどと言った安易な方向に流れないように、する事が肝要である。脱原発を進める上でも、こういった代替エネルギーの積極的なバランスの良い輸入などもこれから十分に考慮するべきである。さらに、これらLNGの輸入に待つだけではなく、日本の近海に存在するメタンハイドレードなどのエネルギー資源を安価で掘削する技術の開発を推進すべきであろう。エネルギー貧困国だと自ら喧伝するのではなく、原発に掛けた資金を、こういった技術開発に使えば、もっと早く自前のエネルギーを得る事はなかっただろうか。大いに反省をするべきである。
2012.12.24
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今日は2ヶ月ぶりのカラオケ大会であった。連れ合いは風邪を引いて声が出ないのだが穴が開けられないというので不承不承参加した。年末の歌合戦と言う事で、紅白(男女)に別れて、対抗戦の形を取った事もあって、人数あわせのためにも欠席できなかった面もある。集まったのはいつもより多い18名であった。女性が少ないので、男性が1人女性側に回っての対抗戦となった。ルールはいつも通りのオネストジョンで、2曲歌って、パネル点数と、テレビの点数を足して合計点が、申告点以下で限りなく近い者を勝ちとする方式である。過去2回連続優勝の連れ合いは、3番目の札を引き、私は8番目の札を引いた。紅白対抗なので、女性が先行し、女性―男性と交互に歌うので、私はトータルでは16番目という事だ。いつも練習をしないで、当日歌う曲を選択するというやり方で、今日もそんな調子である。クリスマスが近いので、「White Christmas」と「Jingle Bell」でも歌うかと思ったが、「Jingle Bell」の方は2番以降の歌詞があやふやで、且つ早いのでとても舌が回らないという事が分かった。店に向かう道で、「北帰行」を歌うかという事に決めた。連れ合いは、選曲に迷って、結局「西海ブルース」と「逢わずに愛して」を歌う事にしたようである。エントリーが18人なので、店はほぼ満員の盛況である。少し遅れて到着したので、選曲名と馬の投票をそそくさとしなければならなかった。投票後の発表では、馬は、キャリーオーバーを含めて8万1000円ほどになったようだ。おいしいが、なかなか当たらない。最初の女性軍の歌は、人数あわせのために女性側に回った男性からであった。「さざんかの宿」を歌い、テレビの点数は89点であった。結構高得点が出るようだと思ったが、既に申告点は提出済みである。申告点は連れ合いが342点で、私は340点である。私の場合は1つの得点表示を80点と見ての値である。2番手の男性は、店の社長(連れ合いのいとこ)の友人で、前に訪問したときに夫婦で歌いに来られていた人であった。この人は「船頭小唄物語」を歌って、91点を出していた。結構高得点が出る事は解ったが、機械やテレビの癖までは解らない。やがて、連れ合いの番になった。風邪で高音域は殆ど声が出ないかすれ声になっていたが、歌い終わったテレビの点数は84点と極端には悪くなかった。概して、お客さんを相手にする機械は、高めに出るように設定されているわけで、もし、悪い点だと、客は印象を悪くするだけで、店自体には何のメリットもないからだろう。男性の4番目は、高校の先輩だとかだが、選曲は「White Christmas」とかぶっていた。お店の女性が予め伝えてくれたが、選曲を変える事はしなかった。その男性は何と93点を出したではないか。別に対抗心が沸いたわけではないが、93点は、最後に「サントワマミー」を歌った女性と同じ得点で、1曲目の最高点であった。私の番になって「北帰行」を歌い終わったら、得点は86点と、80点平均を上回りそうだった。皆さんが歌い終わって、最低点が「大阪ロマン」を歌った男性の81点であった。夕食が配られ、ブレークタイムとなった。2曲目が始まったが、今度は、隠してあるパネルの点数も公開される仕掛けである。連れ合いの番になって「逢わずに愛して」は、殆ど声が出ていないにも拘わらず、パネルが81点で、テレビの方は85点と、それまでの人と全く遜色がないのであった。男性4番目の先輩の人は、2曲目もクリスマスソングの「Jingle Bell」であり、元々私が考えていたのと全くかぶる事になっていたわけだ。全く同じ発想の人が居るものだと感心した。因みにその人の得点は、64点と、90点であった。さらに歌詞は、1番のものを3回リピートして歌っていたようだ。私の番になって、「White Christmas」を歌ったが、歌い込んでいないので、随所に出遅れたためか、得点は64点と89点であった。先輩の「White Christmas」は91点と93点であったので、何となく釈然としなかった。連れ合いは、しきりに誉めてくれたが、機械は冷徹である。2曲目の点数で最高点は、パネルが92点でテレビが94点であった。また、最低点は、パネルが先輩と私の64点で、テレビは82点であった。かくして、歌い終わったが、紅白の結果は、女性軍はオーバーで、男性軍は4アンダーの勝利であった。もし私が、巧く歌っていたら、軽くオーバーしていただろう。その意味では功労者である。連れ合いは、10点ショート、私は30点ショートで箸にも棒にもかからなかったし、馬はキャリーオーバーだった。
2012.12.23
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今日の日経新聞に地震調査委員会による2012年における向こう30年間の震度6以上の地震が発生する確率の数値が発表された。概説としては、千葉で75・7%、水戸で62・3%と関東地方で上昇しているという。私は関西に在住しているが、関東に住んでいたとしても、この結果が出たと言っておいそれと引っ越しするわけにもいかず、何とも悩ましい限りである。しかも予測期間が30年と言うから、その差が大きく、殆ど、時期は解らないと言っていい。今回発表された地震の発生予測は、将来、地震が起こる時期や場所、規模の大きさを予測することであり、今後数日以内に大地震が起こる場所を当てる直前予知とは異なっている。したがって、いまどうこうという緊急性はないというものの、確率が高い事は気持ちの良いものではない。確率算出手法は、全国に設置された地震計や全地球測位システム(GPS)などの観測データや、津波堆積物の調査で分かった過去の大地震の発生履歴などを用いるもので、結果を地震学者らの意見を聞き政府の地震調査委員会が発表するものである。地震には、100~数百年に1回程度の周期でプレート(岩板)の境界で起こる「海溝型地震」(東日本大震災など)と、1000~数万年に1回程度の割合で活断層で起こる「内陸型地震」(阪神大震災など)の2タイプがあり、一般に海溝型地震のほうが周期が短く、発生確率は高くなる。発表された、今後30年以内に大地震に見舞われる確率の分布を示した「全国地震動予測地図」を見ると、海溝型地震の発生源となるプレートの境界に沿って、発生領域は圧倒的に太平洋側が多くなっている。十勝沖-三陸沖-茨城県沖-東海-東南海-南海と北から南まで、プレートの境界がとぎれる事がない。2011年は公表されていないが、2010年の公表値と今年の公表値並びに増減率を見てみると、次のような事が云える。先ず今年発表されてその確率が最大である地域は静岡市の89・7%であり、さらに80%を越える地域に津市の87.4%がある。1年以内に発生する事も考えられるわけだから、とてもこの辺りに住みたくはない。さらに60%を越える確率の都市は、千葉市、横浜市、奈良市、高知市、徳島市、大阪市、水戸市となっている。ここで不思議なのは奈良市であり、之は海溝型でないと思われるのだが、兎に角発生確率は高い。さらに確率を落として30%以上の都市を見てみると、甲府市、和歌山市、大分市、名古屋市、宮崎市、高松市、松山市と続く。我が住む町、島本町は、大阪市から遠く、むしろ京都市に近いので、大阪市の62・8%と京都市の13・6%とから鑑みて、インターポレーションすると約33%程度の確率となりそうである。尤もこういった計算は無意味ではあるが、自らが置かれている立場を考えておくには必要であろう。ここで、近隣の都市でも確率が大きく変わる例について10%台の京都や神戸に比べ、大阪が突出して高いのは大阪平野の地盤が弱いために南海トラフの地震の影響を受けやすいと言った事が考えられるとしている。ここで反芻すれば、向こう30年間で、島本町が震度6以上の地震に見舞われる確率は約33%程度であると言う事だ。そしてこの依って来る原因は、南海地震という事になろうか。ここで、西日本の太平洋側ではM9級の南海トラフ地震発生も予想されるとしており、極限の地震を考える必要がありそうだ。また、島本町自体はこの間の局地豪雨で川が氾濫した経験があるが、海岸線からはほど遠いので、津波による直接の被害はないであろう。しかし、近くに淀川があり、この川を海水が逆流してくるといった事でも起これば、水害が全くないとは言い難いであろう。そこで気になるのは、各地の原子力発電所はどうかという事だが、新聞には、日本原子力発電東海第2原発(茨城県)は67・5%、東北電力東通原発(青森県)は16・8%、中部電力浜岡原発(静岡県)は95・4%となったようである。こうなれば、絶対の起こるとされる浜岡原発は稼働どころか、早急に廃炉に向けた検討を行い、且つ燃料棒の移転などを考えるべきであろう。しかし、ここで悩ましいのは予測の限界である。日本の主要な活断層は約2000あるといわれるが調査対象は110しかないということだ。所詮人間の推測するところであり、当たるか当たらないかは、たかだか110/2000=5・5%と言う事かも知れない。因みに2010年に予測していたときから比べ、2012年に予測した値が急上昇した都市と増加確率は、水戸市の31・3%(2010年)が62・3%(2012年)と31ポイント上昇と、千葉市の63・8%(2010年)が75・7%(2012年)と11・9ポイント上昇が上位になっている。
2012.12.22
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今日はおいしいゴルフにありついた。先輩が前回友人とラウンドしたというチェリーヒルズでの話である。ゴルフ場のコンペに参加して優勝したために、無料(本人と同伴者3人とも)のラウンド券をゲットしたというのだ。先輩は友人に声を掛けたが、皆予定があるとかで、お鉢が回ってきたわけだ。運転手を兼ねてのこの初めてのコースでプレーさせてもらう事になった。9:07のスタートに、6:45頃出発した。他の2人(同行A,Bさん)とは初対面であり多少緊張したが楽しくラウンドが出来た。コースはプリンスコース(P)→キングコース(K)であった。ホールバイホールでラウンドを振り返ってみる。ティーはフロントである。PNo.1(M)は、ストレートなホールだ。3人とも年齢は上だが、概して良く飛ばすようだ。ティーショットはまずまずだが、2打目飛ばず、3打目ダフリと調子は良くない。トップ気味で、7mにオンしたのを3パットしてトリプルの出足だ。(+1)PNo.2(L)は、少し慣れてティーショットは良かったが、2打目を相変わらずトップして距離を稼げない。3打目はグリーンまで40YD。4オンはするも3パットで、ダボであった。(+1)PNo.3(M)は2打目が谷越えになる。ティーショットは良かったが、残り105YDを前方の谷に入れてしまった。プレ4から5mにオンしたが、2パットのダボであった。先輩はパーをセーブ。(+1)PNo.4(S)は、之も谷越えである。1オンチャレンジを企画されていたが、私はパスした。少し届かず、寄せも失敗し、PTで3オンして、1パットはボギーである。オリンピックで、鉄を獲得。(±0)同行Aさんはパーだった。PNo.5(M)は、チェリーヒルズ最長のミドルである。ティーショットはやや当たりが悪く、2打目はクリーンに当たったが残り30YD。3打目をチョロして乗らず、7mに4オンだった。3つめの3パットでトリプルである。(+1)PNo.6(M)は、打ち下ろしの短いホール。ティーショットは、グリップが少しずれた感じだった。2打目をトップし、右のバンカーに放り込んで残り50YDだ。3打をPWで巧く当て、GR奥に3オンしたが、下りを3パットしてしまった。(+1)PNo.7(S)は、ティーショットを前方顎の高いバンカーに入れてしまった。2打で出しGRに7mのオン。ここでも又3パットでダボとした。(+1) 同行Bさんは、ボギーだが鉄を獲得。PNo.8(M)は、今日一のティーショットであったが、2打目をダフリ、3オンは10mである。2パットはグッドタッチの1パット目のおかげで、ボギーである。(±0)前半最後のPNo.9(L)は、おぞましいホールとなった。ティーショットが当たらず、左ラフを皮切りに、2打目のダフリ、3打目はやや良かったが、4打目をまたチョロした。極めつけは5打目を右にOBした事だ。打ち直し5打目を左バンカーに入れ、6打でもGRに届かず、7オン2パットに罰打2を加えて11打としてしまった。(+4)同行Bさんは、GR手前の大口を開けたバンカーに入ったと思ったのが、探しても見つからず何とロスとしてしまった、ミステリーである。午後はキングコースである。KNo.1(M)は、ティーショットはまずまずである。2打目は悪い癖で、突っ込みきれずショートした。3オンを、3mに乗せ2パットのボギーはこんな所か。(±0)KNO.2(S)は、左に引っかけ、段下のラフへ。そこでヘッドアップのダフリでやっと3オン。2パットでダボとした。(+1)KNo.3(L)は、ティーショット、2打目とも良い当たりであった。2打目は今日のショットの中でも1番良かったのではないか。しかし3打目をお定まりのようなチョロで、4オンはピンと同段の15mにオンである。またしても3パットの憂き目だった。ダボである。(+1)KNo.4(M)は、ティーショットは何とか戻って良いショットである。2打目を打ってはならない右の深いクリークに入れてしまった。見ると水はなく草の上に乗っていたので、そこから脱出ショットしたら成功だった。3オンで1パット目は強すぎたが、返しのパット4mを決めダボで納めた。何となくちぐはぐである。(+1)KNo.5(M)は、ティーショットをまたもや左に引っかけ凹みのラフに落とした。2打目を7Iで出だしたら155YD残った。3打目はクリーンに当たったが、向きが悪く左にOBだった。見つからなかったので、適当にアプローチし、4オン2パットに2打罰の8打であった。痛恨のOBでダブルとなってしまった。(+2)KNo.6(S)は、長目のクラブでもショートした。ボギーである。(±0)KNo.7(L)は、ティーショット打球が低くいがまずまずだ。2打目をドッグレッグ部の谷間に入れてしまってOB。打ち直して右ラフへ。3打目をショートし4オンして2パットだった。罰打を足して又8打である。(+2)KNo.8(M)は、再びティーショットは良くFWCR残り110YDだ。ここで8Iはトップ気味であったが、下りを利用してなんと3mに2オンした。すわ、初バーディーチャンスだったが、3パットしてしまい。何とバーディー転んでボギーであり、オリンピックも逃した。(+1)今日最終のKNo.9(M)は、ティーショット、2打目ははまずまずだったが、3打目4打目と失敗し、1パットで鉄は取ったもののダボ終了となった。(+1)同行Aさんは、ティーショットOBのところ木に当たって左ラフに戻ってラッキーだったが、そのまま2オンしてパーをセイブしていた。初めてのコーストはいえ、2打目やアプローチがこれほど悪いと手が付けられない。改善の余地は19打で、タラレバを入れると93が望めるスコアだった。前半のダブルペリアによるコンペは58位で、賞品はボール2スリーブ(6個)であった。
2012.12.21
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韓国の第18代大統領に朴槿恵(パク・クンヘ)氏がなった。韓国初の女性大統領であり、元大統領の朴正熙(パク・チョンヒ)の娘である。この新大統領は、2世であるが、日本のぼんくら2世と違って、結構数奇な人生を辿ってきたようだ。父親の朴正熙は暴漢に暗殺され、自身も暴漢に襲われている点だ。両親によってつましい生活を教えられてきたという点でも、日本の2世と違って新鮮さを覚える。韓国の大統領は韓国の国家元首でもあり、名実共に国家のトップである。この点で日本の内閣のトップである首相とは根本的に違っている。大統領制は国民が直接選挙で選ぶのに対して、立憲君主制(日本)では基本的に多数の支持を得た政党の党首が国会に於いて首相に選出されるという点が大きく違う。先の衆院総選挙では、自民党が圧勝した(かに見える)故を以てその自民党の安倍総裁が首相になるわけでこう云った事を念頭にして国民は暗に首相を選んだ形となっているわけだ。この点で、先日の総選挙は比較的見えやすかったが、現在の野田首相については国民が彼を首相にしたいと思ったことは直接的にはなかったわけだ。政権交代時に国民が選択したのは、自民党であってはならないこと、国民の生活が第一であると言った「コンクリートから人へ」の政策を支持したこと、さらには、ばらまきと言われるが、子供手当や、高速道路無料化などの政策を支持したからであった。その時には、日米関係を無茶苦茶にしたり、沖縄問題を泥沼化させる等々と言ったことを国民が期待したわけではなかった。選挙の結果、民主党が選ばれ、その後は、ある種必然として鳩山が首相になったが、それまでに披瀝された、鳩山の人物像から、彼がそれほど世間知らずの馬鹿だとは推測が付かなかったわけで、このような点でも、国民が、そのトップを選ぶに当たって間接間接選挙であることの限界があると言うことだろう。国会の中からそのトップを選ぶと言うことは、国民にとってどうしても隔靴掻痒の焦れったさは否めない。今回の韓国大統領選挙の投票率は前回の63%を大幅に上回る75・8%であったそうだ。しかもこの票の中には、日本の小選挙区制の弊害、さらには、国民の1人1票という原則を踏みにじるような事もない、正味の声であるわけで、この点では韓国の選挙制度に一縷の羨望を感じるのである。今回の選挙では、投票率のアップは即ち野党の文在寅氏に有利に働くとのもっぱらの下馬評とは異なり、高投票率にも拘わらず、与党の朴槿恵氏が勝ったのは与党支持者が多い40歳代以上の有権者の投票が多かったことがその原因とされているが、国民の側からは、自らの支持者が、投票という手段で、間違いなくその意図を貫けると言ったことが大統領を直接選べる制度の有利な点であろう。確かに、大統領制は立法と行政が別々に選出されるため民意が二元的になる弊害があるとも言われるが、現在の日本が置かれている真の国民の総意とはかけ離れたところで選ばれるシステムよりは格段によい制度だと思われる。「どうせ、選挙結果は分かっているから」といった諦観で棄権した者も居たであろう日本の総選挙でなく、確実に自分の1票が、国政に反映されるであろう大統領選挙は、それ自体、羨ましくも思うわけである。もう一つの特筆すべき点は朴槿恵氏が韓国初の女性大統領だという点である。世界では、之まで数多くの女性大統領や元首が出現している。アジアでも21世紀に入ってフィリピンのアロヨ大統領、インドネシアのメガワティ大統領、インドのプラティバ大統領と言った女性の進出があるが、韓国もその仲間入りと言うところだ。振り返って日本はと見れば、学者上がりは未だ良しとしても、芸能界から飾り物として出てきたタレントや、親の七光りだけで実績のない者などまだまだトップに女性リーダーを頂くという機運にはなく、今回の衆院選挙では、女性の当選者が3割も減ずるなどと言ったおよそ女性の進出を後退させる要素ばかりである。奇しくも次期大統領となる朴槿恵しは、同じく次期首相となる安倍氏とは旧知の間柄であり、この先多くの難題を抱える隣国として、対中国への対抗として、アジアのプレゼンスを高めるためにも、未来志向で臨むという方向性だが、どのように着地点を見いだそうとするのか、今後の両政府間の駆け引きを見守っていく必要がある。現大統領は、兄の汚職疑惑などもあり、レイムダックになったときから、起死回生の奇抜なるパフォーマンスで、一部浮ついた郷土愛の国民の受けを狙って竹島によじ登ったが、今回の朴槿恵氏はそのような児戯が、国際間の問題によい結果をもたらさない事くらいはわきまえていそうなので、今後の動向を見守りたいと思う。
2012.12.20
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自公が大型補正予算を組むことで一致した。10兆円規模となるようだ。またもや国債が増え、大福帳のツケは増すことになる。自民党の安倍総裁は選挙前から金融緩和を叫び円安に導き、以て株価は、待望の1万円台に乗った。11月11日以降の株価の上昇はかってない程の急激さである。株価好転は望ましいが、今後の対応如何によっては、この株価のかけ上がりの反動が起こらないとも限らない。見かけ倒しの政策でなく、しっかり地に足を付けたものであって欲しい。現在の状況は、かつての自民党の全盛時代を彷彿させるもので独壇場と言ったところだが、一歩間違えれば、急降下することも視野に入れなければならない。現在はデフレが当たり前になって久しく、国民は皆、安いものに群がり、価格は段々と安くなる一方であった。企業も人も萎縮して久しい。企業も個人も、なるべく金を使わないようにと、給料は渋り、消費は手控えられている。こういった現象をデフレスパイラルというのだろう。今買おうとする品が1ヶ月先にはもっと安くなると言ったときに我慢して、今買うのを控えると言ったことは常識で、その結果金が回らなくなり不景気になっていくという状態が延々と続くわけで、ちょうどウスバカゲロウが待つ蟻地獄に蟻が吸い込まれるのように、やがては捕食されてしまうだろう。「コンクリートから人へ」というキャッチフレーズだけでは、巧く回らなかった民主党の施策が、再び、「人からコンクリートへ」と戻ってしまった。自民党の関係者は、昔のように無駄な箱物は作らないと言い、評論家は原発事故やトンネル事故を念頭に、今や補修に力を入れなければならないと説く。次期政権の安倍総裁は白川日銀総裁に対し、物価上昇率の目標を入れた物価目標をたてるように要請、日銀は最終的な物価目標(インフレターゲット)を「2%」として「デフレ」からの脱却をめざす方向で検討に入ったとされる。政府の日銀介入が露骨に示されるほどに緊急性を以て語られている。流通する金が足らない(不景気)ならどんどん日銀札を刷ればいい。何処かで聞いたような話で、ジンバブウェでは無教養のムガベ大統領が同じことを言って、ハイパーインフレを招いたが、日本では根本的にベースが違うと言うことである。経済に明るくない私には、どのような手法で、インフレターゲットを守るか知らないが、過去にインフレターゲットを1%に設定しても、なかなか1%迄行かず、思うように景気が回復しなかったことを受けて、今回は2%に目標アップを行ったのだという。円が大量に出回れば、円の価値は下がり、為替は円安に導かれて、輸出産業は息を吹き返すだろうとの目論見が現在は思惑通りに推移しているようだ。不況時の首切りは経営者側の常套手段であり、最も効果的な手段であるのと同様に、公共投資は即効性のある不況脱出の効果がある。問題は、浮かれて、不要不急の箱物を作らないと言ったことを守ることや、真に必要な対象に投資を限定するなどといった配慮が是非とも必要になる。自民党の公約として、今後5年間を集中改革期間とし、「日本経済再生・産業競争強化法」(仮称)を制定して、「世界で1番企業が活動しやすい国」を目指すとしているが、法人税の大幅減税目論見と相まって、大企業優先となることは必定であるが、企業側が、それによる利益の配分を間違わず、且つ潤沢に行うことによって経済の好転を計ってもらいたいものである。私のように年金がインカムの全てである大部分のサラリーマン停年退職者にとっては、年金の価値が想定的に低下して、生活が困窮することがあっては困るわけだ。今は取りすぎた年金を返せと言っているように、今後物価上昇などに対しては、年金の物価スライド制が守られないとたちまち困窮してしまうことは歴然である。安倍総裁の盟友である麻生元首相が、「他には触れるな、当面は景気1本で押し通せ」と言っているようだが、その向かうところは誤りではないにしても、退場した首相の影が残る自民党に一種の危惧が沸くことは、過去の自民党政権下の施策を知っているからだろう。「コンクリートを使いつつ、人に優しい施策を採ってもらいたいものである。
2012.12.19
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今日は久々に友人夫妻が復帰することになった。このコンペでは9月20日に一緒にラウンドしてから3ヶ月振りと言うことで、めでたいことである。しかし、私のゴルフの内容は依然として散々(terrible)な結果だった。午前中の前半の滑り出しはまずまずであったが、残り4ホール辺りから馬脚を現した格好で、午後はそれにも増して散々な結果であった。 久しぶりを思わさない友人Aも後半崩れ、夫人も前半を好スコアで上がったのだが、後半は崩れてしまった。友人Bもそれほど好成績ではなかった。 一頃90台で回れていたのが嘘のように、再び警察ゴルフ(110絡み)に陥ってしまった。先輩からはコーチのし甲斐がないと言われるありさまで、正に自己嫌悪に陥る結果である。 今回もホールバイホールで、悪かったところだけをかいつまんで、書く事にする。( )内は悪くても之くらいは可能である改善余地のつもりである。 今日はインからのスタートであった。 No.10(M)は、また3打目でも乗らなかったのは痛い。4打でトップしGRをオーバーしたが1パットで納めたのはラッキーだ。(+1)。友人Aのドライバー飛距離は健在である。 No.11(S)は、理想的にパーを拾った。(±0) No.12(M)は、クリークのあるミドルで、会心のティーショットとの後の2打目アプローチをチョロしたのが痛い。(+1) No.13(M)は、右が崖のドラコン・ドラ短ホール。DR、2打はまずまずで、3打目がグリーンを僅かにこぼれたのは残念だ。(±0) No.14(S)は、打ち降ろしで、グリーン手前は池である。カラーからパターでパーを拾う。(±0) 友人Aはポールを使ってニアピン計測して旗を書き直したが、直後のグループに書き換えられてしまった。 No.15(M)は、2打目のチョロと3打目のダフリが痛い。(+1)、パターも1パット目が弱すぎた。(+1) No.16(L)は、打上、打ち降ろしだ。4オンするまでは実力的にこんなものか、だが、3パットは余分だった。(+1)友人Bは3打目を右にOB。 No.17(M)は、右ドッグのホール。ここでティーショット時にグリップが緩んだ。2打目のチョロが痛い。(+1) 55YDのアプローチで乗せられなかったのは良くない(+1) 前半最終、No.18(L)は、之と言ってミスはなく、ボギーで上がれた(±0)友人Aの飛距離は尋常ではなく、240YDを越えたようだ。 夫人は、私と同じで50となり、自己最高だと満足げだった。 昼食では友人夫妻が再び復帰できたことを喜んだ。まだ10時半であったが、すき焼きうどんを食べた。 No.1(M)は、3打目アプローチを案の定トップしてGRをオーバーした。(何度も同じ事をするので嫌になる)(+1)さらに返しで、チョロをしてしまった(+1) No.2(M)は、3打目アプローチで突っ込まれずにGRに乗せられない。(+1) No.3(M)は、比較的長いホールだが、アゲインストに苦労した。このホールは4オンは仕方なく、変な1パット目(+1)で3パットしてしまった。 No.4(S)は、フラットなショートで、バンカーに入れたが7mにオンした。しかし3パットは頂けない。(+1) No.5(L)は、右ドッグレッグの池有りコースだ。快調なティーショットと2打目だったが、3打目のオン狙いが池であった。やはりレイアップして堅実に行くべきだったか。(+1)友人Aはまさかの右へ大スライスOB。 No.6(M)は、右ドッグレッグだ。まずまずの運びであったが、10mを3パットは頂けない(+1) No.7(M)は、距離の長いハンディキャップ1のミドルで、ドラコン・ドラ短ホールだ。2打目の当たりの悪さ(ゴロ)で130YDをグラスバンカーに入れたのはしょうがないとしても、出すときにチョロしたのは痛かった(+1) 友人Aは右ラフに入れ、木に当てるなどの苦労をしていたが、最後10mのパットを沈めボギーでトップ。 No.8(S)は、横長のグリーンで、今回のカップはバンカー越えだ。ティーショットを右にOBしたのが痛恨である。打ち直しバンカーショットからのリカバリーは巧くいった。(±0) 最終No.9(L)は、ティーショットで僅かにレディースティーを越えただけだ。(+1)2打目も当たりが悪かった。(+1)GR上3mのパットを外したのは痛かった(+1)このホールのみ雨に少し濡れた。 結果は皆悪かったが、友人Aは病み上がりながらトップ、友人Bと私の順で、夫人も後半崩れたが、ティーショットと2打までは安定したゴルフだった。 私は改善ポイント+16で(108-16=92)で回れる可能性があることが解った。
2012.12.18
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昨日衆議院議員の総選挙があり、下馬評通り、自民の圧勝、民主の惨敗で終わった。また、今回台風の目になるだろうと予想されていた第3極は、大山鳴動して鼠1匹という結果だった。自公連立で325人と現在の国会議員衆院定数480人の約68%を占めるまでに逆転した。与党連合の民主+国民新党は58人であるから、正にオセロゲームのような結果に終わったわけだ。それにしてもこの惨敗ぶりは悲惨である。前回選挙では政権奪取(政権交代)だけを念仏のように唱えて、その目的を遂げたが、国民に約束していたこと(子供手当、高速料金無料化等々・・・)は出来ず、約束していなかったこと(消費増税)をやってしまうという国民軽視のやり方が批判されたものである。さらには、今や烏合の衆だったことが明らかなように、民主党の構成員を見たとき、之で大同団結できるのかと思っていたところ、小沢一派の離反で、その実態が明らかになったことも大きい。因みに小沢一派は71人中今回当選したのは、小沢一郎本人だけで、他の70人は全て落選となったわけで、国民のシビアな目を逃れることは出来なかったようだ。後出しじゃんけんが有利とされたが、最後に出て来た未来の党は、あまりに準備期間がないのと、小沢一派を取り込んだ故に全く鳴かず飛ばずで終わってしまった。ここに期待した人も多かったのではないかと思うが、学者に何が出来るとか原発以外はどうするのかとか言ったことが見えないままの選挙突入では、信頼して投票しようという気にならないのが常識であろう。日本維新の会は橋下徹の個人的キャラクターに乗せられた人も多かったようだが、石原慎太郎の太陽の党と合流するに及んで、ぶれまくり、選挙前から不協和音を奏でるなど、到底第3極としての求心力を欠いていたようだ。この敗選を受けて、この党も太陽を背番号にした者と、維新を背番号にした者とは互いに背理し、霧散するであろう事は容易に推察できる。選挙前の維新のぶれに加えて、未来の出現で、漁夫の利を得たのが自民党と言うことだろう。漁夫の利を思うとき、ハマグリとシギが互いに譲らず、ハマグリがシギのくちばしを加えて離さない結果、漁夫が双方を採ってしまうとの史書の故事を思い浮かべるが、果たしてどちらがシギで、どちらがハマグリであったのだろうか。史書では趙が燕に攻め入ろうとしたとき両者が争って我を張ると、両者とも秦に併呑されてしまうことをいさめた言葉なのだが、正にこの危惧通りの展開となったわけである。今回の選挙は、争点があまりにも多く、誰が何を言っているのかさえ消化不良のまま選挙をしなければいけないと言った点も国民には極めて解りづらいことだったと思われる。選挙の争点が多岐に亘る結果、自民党は他の12の政党に対して、多くの手(12本の手)をもって課題別に手を握る相手を変える事になるであろう。連立は公明党と、改憲やTPP、原発では維新と、規制緩和、改革ではみんなとと言った具合に項目別連携が成されるであろう。何しろ民主党は当てにならないと言うことは解っている、だが、維新、未来、みんな・・等一体どの党に投票すればこの国は間違いを起こさないだろうかと言ったことは、選挙前の時点では誰も解らなかったわけで、選挙後の各党の離合集散後にその結果は判明することになるであろうと思われた。前回、自民党の体たらくで、愛想を尽かした国民は、額面のマニフェストを頼りに民主党を選んだのだが、之がまやかしであったことは、マニフェストに対して著しく信頼を欠くことになってしまった。今回は、民主党を止めて、いざと考えたとき、思い浮かぶ新しい党が、果たして今言っていることを本当に遂行できるのかとの疑問が沸くのは至極当然のことであろう。そう言った疑念を抱くと、後は、耳慣れた自民党の方が、混乱を起こさないという点では一分の理があったように思う。今回の選挙結果は、こうして欲しいと言った強い願望ではなく、こうならないで欲しいとの点と、どうなるか解らないところは避けようと言ったネガティブな選択の結果であろうと思われる。ここで、新聞に掲載された注目すべき点を記録しておく。1.得票率43%の自民党が約8割の237議席を占めた。(小選挙区)2.「死票」が3163票と53%をしめた。3.2の結果として松原仁(東京:120,298票)が落選し、福井照(高知:44,027票)が当選するアンバランスが起こった。4.投票率が前回に比べて10ポイント低下し59.32%に留まった。5.現職閣僚10人が落選した。(如何に大臣が軽いものかを証明した)6.新人候補が184人と4割弱を占めた(小選挙区)7.女性議員は38人と前回より3割減少した。一方では選挙そのものが違憲状態であることなどを考えると上記3の結果として、下記のことが云えるわけで、この状態を何とかしなければ、民意、民意と言うこと自体が脆弱な基盤の上での話になってしまう。東京都の人口は約1266万人で、投票率は62.22%だから787万人が投票したことになり、それに比べて格差が一番大きな高知県は人口が約77万人しか居なく、その53.89%である48万人が投票したことになる。この結果上記3.の結果となったわけだが、3倍近い得票数であっても当落が逆転する今回の選挙はどう考えてもおかしいと言わざるを得ない。この1人1票という基本的な民主主義の制度を是としない、最高裁判所判事の国民審査の結果は、10年1日の如く約8%内外の人しか、不信任投票をしていない(92%の人がこの選挙格差の違憲状態でも仕方がない)という審判をしていることの方に問題がある気がする。
2012.12.17
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私は現在住んでいる島本町で住民委員会に属している。構成は、地区毎に選出された委員と委員長からの指名で参加した委員とがあるようだが、私は後者である。その委員会の創設30周年記念式典が行われ、参席させてもらった。事前準備は、委員会のメンバーで綿密に行われてきたようだが、私はそれには携わっていなかったので、苦労多きを知らない。しかし、前回の住民委員会で配られた準備と当日の進行表にはその苦労がにじみ出るほど綿密に行われてきたことを物語っていた。当日は手話での進行の紹介を予定していたようだが、折悪しく衆院選挙当日であったために手話者の都合が付かなかったようだ。しかし、大画面のモニターには、逐次発表される内容が、テロップとして流され、十分にその代替として機能していたようだ。こういったITを駆使した面も、素晴らしいものだと感心した。住民委員の中には、IT関連に強い人も多数おられるようである。あの準備があって初めてこの式典があるのだと、いたく感心した。式典のサブタイトルは、「みんなで描く未来の島本、町力アップで次代に繋ごう」である。残念ながら、240名程度入る会場は空席があったが、それでも140名程度は入っていたようだ。(主催者発表では200名と言いたいところだろう)委員長の挨拶に始まり、来賓の町長挨拶や初代住民委員会委員長の挨拶などが続き来賓(多くは町議員)の紹介も行われた。事務局長からは住民委員会の存在意義や過去30年間町長に対して幾多の提言が行われてきた経緯と現在の活動の報告・課題そして将来に亘っての展望などの紹介があった。教育関係では、特に最近は、他所から近隣の高槻市を含めて有名進学校が次々と島本町周辺に進出する(黒船来襲に例えていた)との紹介も行われていた。島本町では、町との相互支援で、「ゆめ本部」を立ち上げ、教育に関するサポートを実施しているという点も紹介された。私もその「ゆめ本部」に関わるボランティアの一員として中学校や、小学校で、教育ボランティアの末端に属させていただいている。少し脱線するが、学習ボランティアで来られる人々は各々の企業に於いて研鑽され、十分な専門知識もさることながら、人格も円満で、島本町の子供達に教育の面で何とか少しでも良くしたいとの思いを持たれている。こういった人材は未だ数多く潜在していると思うが、リタイヤしたとはいえ、このまま持てる知識や味わいを、仕舞い込むのは実に勿体ないことだと思う。「ゆめ本部」ではこういった人たちの発掘も行われているようで、素晴らしい企画だと思っている。昔は、横町のおじさんやおばさんが、悪戯坊主に小言を言ったりして町の平衡を保っていたように聞くが、今日ではそう言った機会は皆無であり、期待できないわけであるから、学習ボランティアの人たちが昔の近所のおじさんおばさんに代わることが出来ないかと思うのである。式典の催しとして、小学校から高校に至るまでの児童・生徒から提出された合計54名の文章の中からより選られた、島本町に関する作文の紹介とその表彰が行われた。冒頭に発表された、小学校の部の最優秀作品である小学6年生の作文は、小学校の児童とは思えないほどよくできたもので、この町が後鳥羽上皇の行幸や、大楠公の決別、さらには山崎の合戦などとの縁がありそう言った紹介も交えた、素晴らしい内容であった。中学生や高校生もそれぞれの立場で、郷土、島本町への愛着を作文に綴っていて、それらの発表に対して、住民委員会から表彰状が贈られた。発表する児童生徒はなぜか女性ばかりであったのは少し残念だった。私も百人一首に思い入れがあるので、この町は好きで良く理解できたが、改めて作文に披露されるこの地の事を聞くとその素晴らしさが十分に伝わってきた。この地を知らない人が聞いても水無瀬神宮やそこに湧き出る名水が町の誇りであることが良くにじみ出ていて十分に町の宣伝になる内容の濃いものだった。そう言えば、東京から来た知人が、「島本町」というからどれほどの田舎(三島郡という市政外である故)かと思ったが、牧歌的な中に、近代性を持った利便性の良い町だと感心していたことを思い出す。島本高校からは、ブラスバンド部が賛助演奏を行って日頃の研鑽を披露してくれた。Joy To The Brass Rockや宮崎アニメの主題歌、ウエスト・サイド・ストーリーのメドレーといった多彩な内容を20分に短縮しての内容の豊かなものだった。式典の最後は、島本高校の校長による講演であった。そのテーマは「生徒の夢が実現できる学校を目指して」である。私は、住民委員会の教育部会で現在の教育上の問題点を如何に改善するかという問題意識を持っているがその点で、非常に興味があったので、この話の内容は特に有意義であった。島本高校は赴任時に半数が茶髪、金髪の生徒だったようだが、地に着いた更生計画や率先垂範し、且つ地道な議論を重ねて、その撲滅作戦を展開して、今ではその姿が見えないまでになったと言った事や登校遅刻、授業中抜けなどの改善策など生徒指導の話や、出口(自らの将来を設定した)を明らかにした、目的意識を持った生徒育成へのカリキュラム、そして、授業に付いてこられない生徒に対する、同校の教員による徹底した補修・講習など、有効な施策を展開して、多くの生徒を四年生大学に輩出するまでにして、今や、国立大学へも生徒を送り込むことが出来たとの話である。開かれた学校作りとのテーマで、地域との連携を密に保っておられるようで、そう言った意味でもこの島本町に於ける、地域住民委員会の存在意義もあるようで、学校現場との密な交流活動がますます円熟して行けばいいと感じた。これらの式典が、殆ど数分内の誤差で進行していったのには、携わった委員の人たちの綿密な計画があったらばこそだと、又再び感心したのであった。
2012.12.16
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今日は予てから計画していたとおり、兄夫妻が来阪し、1泊する事になっていた。何でも義姉の大学時代の友人が大阪に住んでいるとかで、その人達と昼食し話すことになっていたのだという。それには関係のない兄だったが、大阪に来るというので私の所に泊まりに来ることにしたのだという。義姉は先行して来ているという。兄の方は、少しゆっくり目に出てくるというので、土曜スクールの後に京都に到着するようにしてもらった。今日の土曜スクールの生徒は5人とはなはだ少なかった。その内、少なくとも2人は、母親に起こされて、出席させらているのが明らかにわかる。その内の1人に密着した。成績があまり芳しくないその生徒はエンジンがなかなか掛からない。しかし、2時間の間には眠気も覚めたのか、終了間際になって数学のプリント問題集の1葉を終えることが出来た。じっくり観察をしていると、始まった頃は確かに眠かったせいか、プリントに書く字も力なく蛇のようにくねくねしょていたのが終了間際になるとようやく力強い字に変わってきた。終わり頃には、ほんの少し解る箇所で、反応が明らかに変わっているのを見るとき、出来ない生徒でもキラリと光る瞬間を見るわけだ。こういった変化を瞬時に見分けることが生徒をタイムリーに学習の軌道に乗せるためには必要でないかと感じた。今日の収穫と言ったところだろうか。土曜スクールを終えて、京都駅に兄を迎えるため出かけた。兄は、辻堂に住んでいて、姫が湘南工科大に奉職するときにはなにかと世話になった訳で、その時1度大阪に来ないかと誘っていたのが実現したわけだ。考えてみると、歳を取ってから親戚縁者に会うと言うときは、冠婚葬祭の時しかないようで、わざわざ会うために来るなどと言うことはなく、兄の来訪も初めてのことである。京都駅構内で暫く話をしてから、島本の連れ合いの実家に移り又談笑した。そうこうするうちに義姉も合流し、そこに太郎君一家も参入して、全員で高槻に食事に出かけた。創作料理を食べさせるという、「Room Room」で北海道づくしというコース料理を食べたのだが、毛ガニに始まって、次から次へと魚貝が出されたので、食べきれない感じであった。前に下呂温泉で大学の同期会をやったときの夕食は逆に肉づくしと言うことだったが、如何に自慢の飛騨牛なれども、あまりの肉づくしに辟易したが、今回はその逆バージョンで、魚ばかりの料理には、ちょっとねを上げかけた。連れ合いの孫の長男は、カニが好きだとのことで、父親はカニをほじくるのに余念がなかった。弟の方は、差ほど好きでないのか、お兄ちゃんにカニをあげてくれと譲っていた。子供達が加わるだけで、回りが賑やかになる。さっさと食事を終えた子供は、塗り絵を取り出して、塗っていたが、昔の塗り絵に比べると、境界線の処理や、彩りも増えているようで、成長の跡が見て取れる。1つ1つの料理は考えられたもので、美味しいのだが、何でも過ぎたるは及ばざるが如しと言うが、正にこのようなことを言うのであろうかとの印象である。夕方から生憎の雨であったが、それほど激しくないのは助かった。夕食を済ませて、今日の宿となる高槻ワークホテルに移った。ある意味ではここが今日のメインイベントで、この高槻ワークホテルは、最近掘り当てた、温泉がわき出したところに当たっている。兄夫妻をそこに泊まってもらい、我々も全員も高槻市内のど真ん中の温泉にはいるという趣向である。街の、しかも商店街の真ん中の温泉と言うことで興味深かったが、そこは狭い土地に5階建ての建物を建て、屋上が露天風呂と言った設計で、上下に連続した岩をアレンジした段々の風呂などを配置した工夫を凝らした温泉であった。生憎の雨に打たれながらなので、屋上の露天風呂でのんびりすることは出来なかったが、狭い空間を巧く利用した設計になっていた。それほど長くいたわけではないだろうが、夕食の時間が長すぎたこともあって、温泉を後にする頃には、時間は遅くなっていた。兄夫妻と別れて、我々は帰途についた。兄夫妻は明日城崎温泉にカニを食べに行くとのことで、奇しくも高槻での北海道の毛ガニと城之崎でのマツバガニを食べ比べることになってしまったようだ。
2012.12.15
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第百六十六段【本文】 人間の、営み合へるわざを見るに、春の日に雪仏を作りて、そのために金銀・珠玉の飾りを営み、堂を建てんとするに似たり。その構(かま)へを待ちて、よく安置(あんぢ)してんや。人の命ありと見るほども、下より消ゆること雪の如くなるうちに、営み待つこと甚だ多し。【訳文】 世の中における、人々がみな努力してやっている仕事を見ると、それは、春の日のもとで雪仏を作って、その雪仏のために、金銀や珠玉の装飾を骨折ってとりつけたり、お堂を建立しようとするのに似ている。そのお堂の構築を待った上で、雪仏を仏壇に据えることができようか。人間の生命が続いていると思っている間にも、生命の根底から次第に消滅し死に近づいてゆくことは、雪の解けてゆくようであるが、その間に、精出して働き、でき上がるのを待っていることが非常に多いものだ。【注釈】・営み:互いに努力してやる仕事・雪仏:雪で作った仏の像・構え:出来上がり・安置:神仏の像を据えたてまつること・下より消ゆる:人間が生命の根底から次第に死に近づいていくこと・営み待つ:せっせと努力してことの成るのを期待すること第百六十七段【本文】 一道に携はる人、あらぬ道の筵(むしろ)に臨(のぞ)みて、「あはれ、我が道ならましかば、かくよそに見侍らじものを」と言ひ、心にも思へる事、常のことなれど、よに悪(わろ)く覚ゆるなり。知らぬ道の羨ましく覚えば、「あな羨まし。などか習はざりけん」と言ひてありなん。我が智を取り出でて人に争ふは、角ある物の、角を傾け、牙ある物の、牙を咬み出だす類なり。 人としては、善に伐(ほこ)らず物と争はざるを徳とす。他に勝ることのあるは、大きなる失なり。品の高さにても、才芸のすぐれたるにても、先祖の誉にても、人に勝れりと思へる人は、たとひ言葉に出でてこそ言はねども、内心にそこばくの咎(とが)あり。慎みて、これを忘るべし。痴(をこ)にも見え、人にも言ひ消(け)たれ、禍をも招くは、たゞ、この慢心なり。 一道にもまことに長じぬる人は、自ら、明らかにその非を知る故に、志(こゝろざし)常に満たずして、終(つひ)に物に伐る事なし。【訳文】 ある一つの専門に従事している人が、自分の専門外の会席に出て、「ああ、これがわたくしの専門であるなら、こうして無関係に傍観いたしますまいのに」と口に出したり、心中にも思ったりすることは、普通よくあることであるが、これは、ひどく下らないと思われる。自分の知らない専門のことが羨ましいと感ぜられたら、「ああ、羨しいことだ。どうして習わなかったのだろう」と言っておくのがよかろう。自分の賢いことを持ち出して他人と競争するのは、角のある動物が角を傾けて相手につきかかり、牙のある動物が牙をむき出して相手に立ち向かうのと同類である。 人間としては、自分の長所を自慢せず、他人と競争しないのが美点といえる。他人よりすぐれていることがあるのは、大きな欠点である。家柄の高さでも、学問・芸能がぬきん出ていることでも、祖先にえらい人が出たという評判でも、自分が他人よりすぐれていると思っている人は、たといことばに出しては言わなくとも、心の中に、多くの欠点があるのだ。こうした、人にすぐれていることは、深く用心して忘れるのがよい。馬鹿げているとも見られ、他人からも非難され、災難までも招きよせるのは、ただ、このおごりたかぶる心のためである。 真に一つの専門に熟達してしまった人は、自分ではっきりおのれの欠点を自覚しているから、自分の望みがいつも満たされることがなくて、最後まで、他人に自慢することがないものである。【注釈】・一道:ある一つの専門・あらぬ:専門外・筵:会合の席・よに:甚だしく・あな~:強い感動を表す・そこばくの咎:多くの欠点・痴(をこ):馬鹿、愚か・言ひ消つ:けなす、非難する第百六十八段 年老いたる人の、一事(いちじ)すぐれたる才(ざえ)のありて、「この人の後には、誰にか問はん」など言はるゝは、老(おい)の方人(かたうど)にて、生けるも徒(いたづ)らならず。さはあれど、それも廃れたる所のなきは、一生、この事にて暮れにけりと、拙(つたな)く見ゆ。「今は忘れにけり」と言ひてありなん。 大方は、知りたりとも、すゞろに言ひ散らすは、さばかりの才にはあらぬにやと聞え、おのづから誤りもありぬべし。「さだかにも辨(わきま)へ知らず」など言ひたるは、なほ、まことに、道の主とも覚えぬべし。まして、知らぬ事、したり顔に、おとなしく、もどきぬべくもあらぬ人の言ひ聞かするを、「さもあらず」と思ひながら聞きゐたる、いとわびし。【訳文】 年をとっている人が、一つのことにたちまさった才能があって、「この人の死後には、そのことにつき誰に向かって尋ねようか」などと言われるのは、老人のためのよい味方であって、老いて生きているのも、むだなことではない。そうではあるが、そういう老人も、衰退している所がないのは、一生涯がこの専門とすることで過ぎてしまったのだなあと、くだらなく思われる。そういう老人は、専門については、「もう今は忘れてしまったなあ」と言っておくのがよかろう。 一般的に言って、自分の専門についてよくわかっていても、それにつきむやみにしゃべりたてるのは、さほどの才能ではないのであろうかと受けとられ、たまにはまちがいもあるはずである。「はっきりとは心得ていません」などと言っているのは、やはり、ほんとうに、斯道(しどう)の大家なのだときっと感じられるにちがいない。これに反して、自分ではわかっていないことを、得意然と、年もとっていて、そのために反駁もできかねる人が言って聞かせるのを、「そうでもない」と心中に思いながら聞いているのは、とてもやりきれないものだ。【注釈】・方人:仲間、味方・廃れたる所:衰えた点・この事:専門としていること・道の主:専門の大家・したり顔:得意な顔つき・もどき(ぬ):反駁する第百六十九段 「何事の式(しき)といふ事は、後嵯峨の御代までは言はざりけるを、近きほどより言ふ詞(ことば)なり」と人の申し侍りしに、建礼門院の右京大夫、後鳥羽院の御位の後、また内裏住(うちず)みしたる事を言ふに、「世の式も変りたる事はなきにも」と書きたり。【訳文】 「何々という事の式(慣例)ということは、後嵯峨天皇の御治世までは言わなかったのに、近ごろから言うことばである」と、ある人が言いましたが、建礼門院の右京大夫が、後鳥羽上皇が天皇の御位につかれた後で、再び女官となって宮中に住んでいることを言うのに、「世の式も変りたる事はなきにも(世の中の慣例は変わっていることはないのに)」と書いている。【注釈】・内裏住:ここでは女官として仕えること第百七十段 さしたる事なくて人のがり行くは、よからぬ事なり。用ありて行きたりとも、その事果てなば、疾(と)く帰るべし。久しく居たる、いとむつかし。 人に向ひたれば、詞多く、身もくたびれ、心も閑(しづ)かならず、万の事障りて時を移す、互ひのため益なし。厭(いと)はしげに言はんもわろし。心づきなき事あらん折は、なかなか、その由をも言ひてん。同じ心に向はまほしく思はん人の、つれづれにて、「今暫し。今日は心閑かに」など言はんは、この限りにはあらざるべし。阮籍(げんせき)が青き眼(まなこ)、誰もあるべきことなり。 そのこととなきに、人の来りて、のどかに物語して帰りぬる、いとよし。また、文も、「久しく聞えさせねば」などばかり言ひおこせたる、いとうれし。【訳文】 たいした用件がなくて他人のもとへ行くのは、不都合なことである。用件があって行ったとしても、それが済んだら、さっさと帰るのがよい。長座しているのは、はなはだわずらわしいものだ。 他人と対していると、言葉数が多くなり、からだも疲れ、心も平静でなく、いろいろの用事がさしつかえながら時間を過ごすのは、おたがいのためにむだなことである。いやそうに客に向かって話すのも、よくないことだ。客に対して気のりのしない事がある時は、かえって、そのわけを言ってしまおう。ただ、こちらも相手と同じ気持ちで対座したいと思うような主人が、所在なくて、「もうしばらくおいで下さい。今日はゆっくり落ちついて話し合いましょう」などと言うのは、上に述べた範囲外のことであろう。あの阮籍が、好きな客には青い目つきで迎えたということは、誰にでもありそうなことである。 これという用件もないのに、他人がやって来て、のんびりと物語をして帰って行ってしまうのは、実によい。また、便りも、「長い間、お手紙をさし上げませんので」などぐらいに書いてよこしたのは、とてもうれしいものだ。【注釈】・人のがり:人のもと・心づきなき事:気の乗らないこと・なかなか:かえって、いっそうのこと・その由:気に入らないわけ・つれづれにて:所在なく・阮籍が青き眼:人を喜んで迎える・・・反対語:白眼視・そのこととなき:なんということもないのに
2012.12.14
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トルコ海峡のトンネル事業が本格的に稼働しそうだ。一昨日の新聞に掲載されていた。トルコのイスタンブールはボスポラス海峡で西岸のヨーロッパ側と東岸のアジア(中東)側に別れている。そう言った関係でここは数多くの巨大プロジェクトが参集している箇所でもある。海峡をまたぐ吊り橋も現在では2橋架かっているし、鉄道用のトンネルは既に竣工し、今回のプロジェクトは第2の自動車専用道路としてのものだ。第1の鉄道用トンネルは大成建設が関与し、今回の自動車用のトンネルは三井住友銀行が主導し、欧州や韓国の公的金融やトルコの地場銀行が参加しているという。実際の工事は大成建設などの共同企業体(JV)が請け負うようである。私はトンネル屋でもなく、且つ工事中のトンネルには、東北新幹線の宮城県辺りのどこかしらのトンネルに入ったくらいである。高性能セメントの学会からの見学旅行であったので、案内されるままに歩いただけで、多くを覚えていない。従ってトンネル工事の肝になるところは知らないのだが、単純に孔を開けていけば良いだけではないことは解る。鉄骨や橋梁では現地据え付けのことも経験したので、現場に於ける大変さは一応経験している。それが海外となると、日常の生活も慣れない上に、特に土木関係の工事現場は環境が劣悪であることから、一層大変であろうと想像できる。しかしながら、最近は「歴史に残る仕事をしよう」などといったキャッチフレーズを使っているゼネコンもあるように、自らが関係した構造物が残ると言うことは、何とも云えない気持ちになるものだ。今回のトルコ海峡トンネルプロジェクトは総額約800億円という事業である。通常この辺りのプロジェクトは欧州企業の独壇場であるらしいが、最近はユーロ危機など金融面の不安定さもあって、日本にも参入のチャンスが巡ってきたという感じである。以前駐在したドバイも、街がドバイクリークを挟んで南のバードバイ地区と北のデイラ地区に別れ2本の橋と1本のトンネルで結んでいるが極めて不便で、且つ渋滞などで大変であった。従ってイスタンブールの状態は何となく理解できるわけだ。イスタンブールは一度は行ってみたい都市である。そんな異国の地で、大きなプロジェクトに参画できるのも又楽しいことであろう。勿論楽しいばかりでないことは確かだが、なんと言っても、東西の文明・文化がぶつかり、融合して出来た街と聞くだけで、何となく心が躍る。東西の文明と言えば、勿論キリスト教とイスラム教である。アナトリア半島を占めるトルコは、その昔オスマントルコが強大な版図を有した時代の中心にあり、キリスト教徒が十字軍を仕立ててエルサレムに向かう際の陸路にも当たっている。さらに古くは、アレキサンダー大王が東方に大遠征したときの通路にも当たっているわけだ。この街は連れ合いの姫も訪れ、学会を持ったと言うことで、そのすばらしさはつとに聞いているところでもある。第2ボスポラスの架橋では大成建設が之に加わったとか、大変な作業であったろうが、毎日、異国情緒豊かなボスポラス海峡を見ながら仕事が出来る事は、余程の果報者だと私は思った。今回の第2ボスポラストンネル(自動車専用)は約800億円をかけて慢性渋滞となっているイスタンブールの交通を緩和するためにもうけられるもので、第3ボスポラス橋の計画と平行して作られ、海底部と両岸の地底部を合わせて全長14・6kmで2017年の開通を目論んでいる。また、近傍では地下鉄トンネルの構想(マルマライ計画という鉄道+トンネル一体の大プロジェクト)の話もあり、トルコから目が離せない状況である。プロジェクトは、今はやりのPPP(官民パートナーシップ)で、民間の力を大いに借りようという合理的なプロジェクトのようである。大型プロジェクトなので、融資のリスクを抑えた複数の金融機関が共同融資するシンジケートローン(協調融資)だとのことである。海底トンネルの長さとしては、青函トンネルや、ドーバートンネルと比べると断然短いがその意味するところは実に希有壮大な感がある。ヨーロッパの通貨危機にあやかって(?)と言えば語弊があるが、日本も中東での商売がどんどん出来るようになってきたのだなぁと感慨深いものがある。トルコと言えば、トルコ軍艦エルトゥールル号の座礁を助けた見返りにイラ・イラ戦争で切羽詰まった日本人を救出してくれた(このときナショナルフラグの日航は助けに行かなかった)という話を思い出す。親日意識が強いと言われるトルコなので、こういった国で、美しい景色を見ながら、世界に冠たる仕事が出来るのなら、海外駐在生活も楽しいであろうなと、記事を見てそう思った。
2012.12.13
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何やらとんでもないことになってきたようだ。北朝鮮が、人工衛星と称するものを兎に角打ち上げたというのだ。前々からのアナウンス通りと言えばそうなのだが、今回は一寸不意を突かれる事になった。と言うのも、北朝鮮は打ち上げ予告期日が迫って来ると、最下段ロケットが不調とか言って、打ち上げすんでの所で延期すると発表した矢先だったからだ。正にフェイク(フェイント)である。いわば、直前になって「あっち向いてホイ!」と横を向かせていた瞬時に隙を縫って打ち上げたと言うことだ。ミサイルの打ち上げに対して国連は「弾道ミサイル技術を使ったいかなる発射も禁じた過去の安保理決議」などに違反した行為だとして再三に亘って中止を求めてきたが、そんなことはどこ吹く風のならず者集団である。国連が既に形骸化したことを如実に物語る。中国やロシア辺りも一応牽制はしているが、やはり西側諸国とはスタンスは違う。打ち上げのその時、情報の国アメリカは国務長官が風邪で伏していたり関係幹部が不在であったということで、的確な情報を得られなかったという。韓国にしても然りで、勿論日本などは知るよしもなかったという感じであった。ヒキガエルのような顔をして出てきた藤村官房長官は、選挙中に「早く打ち上げてくれれば良いのに」と本音を漏らしていたが、ここでは記者団に囲まれて、「誠に遺憾で、厳正に対処する」ともっともらしく言い放ち、どう厳正かと言えば、「外交ルートを通じて北朝鮮に強く抗議を申し入れた」のだそうだ。全く以て陳腐な会見で、日本の外交はどこにあるのかを思わせる下りであった。政治家が最近よく使う「遺憾」であるが、よくよく調べてみると、その意味は、「思い通りに事が運ばなくて残念だ」ということで、期待したようにならずに、残念に思うといった程度で、英語に直せば(たぶん北朝鮮へは英語で申し入れたのだろうと思うが) regretとかindifferentなどで表され、時にはshameと言う言葉も当てはまるのだそうだ。今回の場合は、「残念」とのニュアンスだろうか、時には、自らの行為に対する謝罪ともつかない言葉としても使われる時もあるのだ。北朝鮮への抗議文を見たわけではないからどういう言葉でどう書いたかは解らないが、とても厳正とは言い難い気がしている。言葉ではなく行動で示すのかと思えば、相変わらず、諸外国との連携を保って、と言う言葉が入り、一方では対応はジャジャ漏れの経済制裁を云々という帰結にしかならない。事前に準備した、イージス艦や、PAC3体制は何のためだったのだろうか。北朝鮮は、韓国または日本いや、アメリカからの厳正な対応(迎撃して打ち落とす)と言ったことを恐れたフェイクではなかったかと感じるのだが、最早如何なるこけおどしにも動じなくなった北朝鮮にとってみては、如何なる言葉上の威嚇も何ら効果がないことを証明したわけだ。日本が独自性を出さないことは既に解っているが、さてこれからの安保理の動きだが、今年4月のミサイル発射後、議長声明を採択してさらなる発射には「相応の措置を取る」と警告していた安保理も煮え切らない中国などを説得できないことだろう。打ち上げ時の落下物が計画通り海に落ちて、実質上の被害もなく、北朝鮮が言う、人工衛星の打ち上げとしては、完全な成功であったわけで、このことが、先を越された隣の韓国などからすると歯ぎしりしてみるしかないといった事態なのである。人工衛星は軌道に入り、地球を回っているという。北朝鮮の技術は着々と進歩しているが、方や日本は勿論アメリカ、韓国などは、10年1日の如く同じような対応パターンを繰り返しているに過ぎない。全く為す術がないというのはこのことを言うのだろう。中国辺りが本気にならなければ、北の暴走はまだまだ続くだろうし、その内、北朝鮮はミサイルの先に付ける小形核爆弾を開発し、それを今回のミサイル打ち上げに通じる技術に磨きを掛け、アメリカ本土、韓国、そして日本を射程圏内に入れて、精度の良い軌道コントロールの下、核爆弾をお見舞いすることも可能になるであろう。之を以て、狂気の集団は、世界に君臨する集団へと変貌しようとしているのである。ここまでならまだ良い、ここまでなら未だ許せるとたかを括っていたら、その内に大変なことになって、その時では手が付けられず遅きに失したとなる日が来るような気がする。アメリカは中国を説得して事に当たる方が早道だと思うのだが・・・。
2012.12.12
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敦賀原発の直下に活断層があると指摘され、その経緯を見守ってきたが、昨日(10日)原子力規制委員会は2号機建屋直下に活断層(浦底断層)がある可能性が高いとして、再稼働への安全審査は出来ないとの結論になった。明瞭にして且つ当然の帰結である。一時疑わしいとのことでこのままでは再稼働もあり得るかとの懸念を持ったが、やはり良識は通ったようだ、敦賀原発1号機は1970年5月24日に国内初の商業用沸騰水型軽水炉として運転を開始した42年を経過した古い原発である。原発の場合なし崩しに延命を図ることも控えられるときに活断層が無くてもそろそろ廃炉も考えなければならない原発であった。運転当初はかなりな反響を呼び、時あたかも大阪万博の開始と伴って、期待に満ちあふれた原子炉であった。当時原発は、資源のない日本にとって科学技術の粋を集めた“夢のエネルギー”と言われ、物珍しさもあって、原発は観光資源としても捉える目もあったという。しかし、時間が経つにつれ、様々な事故や問題が起きたわけだ。1979年のスリーマイル島原発では大量の放射能が外部に漏れる事故や日本での関電高浜原発2号機では一次冷却材が漏れる事故があり、1986年に現ウクライナのチェルノブイリ原発事故と大事故は続くのである。さらに1995年には高速増殖原型炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故があった。そして極めつけは2004年の美浜原発では蒸気噴出事故を起こし、5人の死者と、7人の負傷者を出したのは記憶に新しい。之らの事故は平時の事故であり、天変地異のもたらすものではなかった。天変地異が絡む事故としては2011年3月11日の福島第1原発爆発事故である。ここに挙げた事故はかなりセンセーショナルなものばかりで、その間にも一寸した事故は枚挙にいとまがないくらい頻発しているわけだ。これで、原発は、単なるヒューマンエラーにても起こるし、天変地異(地震や津波など)によっても起こることが確認されているわけだ。敦賀原発はこの双方の事故の可能性が一段と高まってきたわけで、原発推進者でもおそらく疑問視するであろう事態だ。私の友人にもいたが、国民新党の自見庄三郎などは、「あれだけの事故を起こしたので、その反省もふまえたら技術力の日本では2度と事故など起こりませんよ」と同様な耳を疑う発言をして、満座をしらけさせていたが、こういった輩が居る限りは、原発事故は逆になくならないと思ったわけだ。どうしたらこれほどまでに単細胞思考が出来るのかと不思議に感じるばかりである。原発を止めたからと言ってたちまち放射能から解放されると言うことはなく、廃炉にするには25年は掛かるというやっかいな代物である。簡単に廃炉にすることもできず、且つ運転を停止してもなお危険がゼロになるわけではないから、どうせなら運転をと言うこれまた馬鹿げた発想をする輩もいるわけで、いつまで経っても原発は危険なのである。敦賀1号機は2010年に運転を停止する予定であったが、廃炉は5年延期すると決めたばかりである。その時点では、この活断層のことは議論にも乗らなかったというわけで(存在すらチェックポイントになっていなかったのか?)極めていい加減だと言うことである。廃炉が決まると、原子力城下町はたちまち経済的に疲弊する。その点を以て、原発廃止反対を唱える人もいるようだが、本末転倒と言うべきであろう。もしここに活断層がないとしたら、各々出力153.8万キロワットの3、4号機を据える計画であった。その引き替えにと言うことで、老朽化した1,2号機の廃炉延期を承知していたのである。このロジックも又おかしな話で、本来廃炉すべしと決まっていたものを、一寸検査をしたら未だいけそうだとの安易な判断で廃炉を延長しているわけで危険である。これを地元の雇用対策だと言うから、全くふざけた話であり、之をなし崩しと言わずして何というのだろうか。原発を雇用とリンクして考える思考回路が既に壊れていると言うべきである。3、4号機を据える計画があった頃からこの原発直下を走る活断層の話が浮上したのである。過信も良いところで、このような危険が内在しているところに良くまぁぬけぬけと原発の増設を思い立ったのであろうか、全く不思議である。新体制となった原子力規制委員会は、今のところ正常に機能していると評価できるが、当事者の日本原電は、この評価を不服として抗議していると言うから、なおいっそう怖さを感じるのだ。危険をも顧みず、地域民は勿論のこと、日本国民を危機にさらすことを何とも思わない体質になっている原発関係者は猛省をしてもらいたい。
2012.12.11
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NHK講座の3回目である。前回は、開始時間を間違えて、教室は既に始まっていたので、今日は少し早めに教室に向かった。今日のテーマは「全世界の勝利者ポンペイウスがもたらしたローマの平和」である。私がローマ帝国に魅せられたユリウス・カエサルの前時代の語であり、塩野七生さんの「ローマ人の物語3(混迷の勝者)」に詳しいことは書いてある。プルタルコスの「英雄伝」を引用しての説明であった。ポンペイウス(Geneous Ponpeius Magnum)はGenious=Great:偉大なを意味する名前で、最後にMagnus=偉大なを付け足すほどに人気のあった人である。生まれたのはBC88年で、キケロと同年齢で、カエサルよりは6歳年上であった。ポンペイウスは当時ローマ人に知られていた3つの大陸を全て征服した者として、3回の凱旋式を挙行した人物でもある。BC81年に前時代のマリウスを北アフリカに破ったアフリカでの戦い、BC71年にセルトリウスをヒスパニアに破った戦いそしてBC61年に地中海の海賊退治と、ミトリダテスとの小アジアでの戦いの3つの戦役に対する凱旋である。その頃の世界と言えば、アシア(アジア)=トルコ辺りを指す、エウロパ(ヨーロッパ)としてのヨーロッパ地方の地中海寄りのベルト地帯、そしてハンニバル以来有名を馳せた北アフリカのことを指したのである。従ってポンペイウスは当時の世界を制覇した人物として知られているわけだ。、如何に偉大であったかはこのことを見ても明らかだが、私のようにローマ=カエサルと言ったミーハーにはポンペイウスの偉大さまでは印象になかった。講師による両者の対比では、最後に彼らが闘った折りにポンペイウスはと言えば、軍事に明るくない元老院議員を指揮して闘ったのに比べて、カエサルの方はというと、百戦錬磨のベテラン兵士を使ってのもので、勝敗は自ずと明白であったようだ。時に保守的で(オプティマティス)かつ大衆迎合(ポプラレス)であったり当時のローマでは常套的な為政者であった。ローマでの地歩を築いて後、セルトリウスを追ってヒスパニアへ赴きローマによるヒスパニア征服を行った。このときポンペイウスはピレネーを越えるに当たって、後方の兵站に細心の注意を払っている。このように向かうところ敵無しのポンペイウスはローマ人の間に絶大な人気を博していった。こうしてポンペイウスは力の余勢を駆って地中海に出没する海賊退治を行うことになった。このとき部下に起案させたガビニウス法を元老院で通過させ、ポンペイウスは独裁者としての地位を築いたのである。こういった処遇に元老院は反対したものの、めざとい立ち回りのカエサルは之を支持して、ポンペイウスに恩義を売っていたのである。この辺りがカエサルの面目躍如と言ったところだという。ポンペイウスの働きはめざましく出征後たった1ヶ月余で海賊を征服し、地中海をローマのものとした後3度目の凱旋となったのである。海賊の横行で、輸入品の小麦の入手に難を感じていたローマ人も、ポンペイウスの活躍で、潤沢な穀物を得ることが出来たわけで、ポンペイウスの人気は最高潮に達したのである。後に、アウグストウス以降パックス・ロマーナ(ローマの平和)が主に軍事的、政治的なことを指したが、ポンペイウスが成し遂げた、経済的な平和をして、パックスロマーナと呼ぶのにふさわしいとのことであった。ポンペイウスのさらなる東進で、ミトリダテスを滅ぼしたときに彼の威勢はその頂点に達する。ギリシャ文明を元に発展したローマに、東方の先行文明であるヘレニズム文明の諸々のものが移入されたのである。略奪の名の下ローマに届けられるこれらの文明の品々は、ローマをして一躍世界に冠たるものとしたのであった。こういったポンペイウスの所行をサポートして、後に自ら頭角を現したのがカエサルと言うことになる。ポンペイウスが東方を征し、先行文明からの恩恵に浴したのに比べ、カエサルは当時蛮族でしかなかったガリア地方を征定しただけであるのに、カエサルの方が有名になったのはなぜかという点は、カエサルは、「ガリア戦記」に見られるようにプロパガンダが巧いと言う点にあったのだと言うことのようだ。2回目、3回目は同じ講師だったが、次回以降は又講師が変わるようだ。次回辺りには、帝政が開始されオクタビアヌスや、お待ちかねカエサルの話になるであろう。ローマはカエサル(子供の頃読んだ本にはシーザーと呼ばれていた)に始まりカエサルに終わると言った印象を持つ身には、次回と最終回の話が楽しみである。
2012.12.10
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今日の日経新聞「地球回覧」コラムである。中国の政局は一段落して、向こう5年間の習近平体制が動き出した。中国の最高実力者と呼ばれるのは、習で5人目(第5世代)だが、毎回小粒になっているようだ。今回も実際に中国を動かしているのは第3代国家主席の江沢民(第3世代)と第4国家主席の胡錦濤(第5世代)が絡んだ3人であるとされている。党大会終了時には既に次の党大会への布石が為され、さや当てが始まっているのだ。文化大革命の頃は、4人組の粛正などと言った、共産圏独特の陰湿な政界であったが、その本質は変わらず受け継がれているようだ。「政治とは、民を導く・・・」等と言ったことを思う人は今や居ないであろうが、個人や派閥の力学で自分に都合の良いような結果が、政治に現れただけのことで、本末は正に転倒しているわけだ。そう言った中で、今回中国を牽引している3人だが、その健康が注目を浴びているようだ。習近平は今は回復しているようだが、何らかの手術(ガンか?)を受けて国家主席就任前にアメリカのクリントン国務長官との会見をドタキャンしている。69歳となった胡錦濤はチベット在任時代に高山病を患ったとされ、最近は、最高指導者としての精神疲労などから顔面神経痛そして糖尿病などの兆しもあって5年後までその影響力を保てるか未知数である。江沢民は既に死亡説が新聞を賑わしたように86歳の年齢は覆うべくもない事実である。近年好物のスッポンを食べて肝臓の寄生虫に悩まされたとある。また新聞に紹介があった如く、大会中も所憚ることなく大きなあくびをしているというので、調べてみると、何と大きなあくびをしている写真が多数掲載されていた。之は長時間緊張が続かない高齢者特有の症状だそうである。中国に於いて歴史に名を成す条件の一つに健康が挙げられている。過去の国家主席である毛沢東は82歳、トウ小平は92歳、江沢民は現在86歳といずれも長寿である。今の中国の国家支配体制は過去ほどカリスマ的でも、また見た目ほどは盤石でもないようだ。共産党大会の結果、7人の政治局常務委員の内、表向きは江沢民を後ろ盾にした、習近平ら6人が占めていて、胡錦濤派はなりを潜めているようだが、1人李克強だけが胡派として常務委員に名を連ねている。李克強は首相としての地位にあり、従来の首相は、序列ナンバー3であったのが、彼の場合は、序列は習近平に次ぐナンバーは2であり、習近平に何かがあるとトップに立つ立場で、また、5年後を見据えたときに次のトップになる最右翼であることをも示している。それに加えて、他の5人の常任委員は全て江派とも言うべき、長老派に近い存在であるが、皆60歳半ばから70歳に近い年齢である。従って、5年後には引退の道が待っているという仕掛けである。そのように考えていくと、胡錦濤の派閥としては、今回は雌伏し、次の党大会を挽回の機と捉えている感じが覗える。そのため、常務委員を除く他の政治局員18名の中にまだ40代である第6世代と呼ばれる胡春華(49)や孫政才(49)などや李源潮(62)、汪洋(57)と言ったメンバーを多数配していることから、次期を見据えた盤石な布陣としているようだ。如何に江沢民が長命と雖も現在86歳であるからトウ小平の92歳まで命長らえるかどうかは難しいであろう。こう見てみると胡錦濤としては自身の健康に不安があると雖も江沢民が危惧するほど自身の健康が不十分だとは思っていないはずだ。案外胡錦濤は、江沢民亡き後の布陣を自らに有利な人物を充てておくことによって、次世代に於いて押しも押されない立場を確立することに主眼を置いているのかも知れない。誰でも健康でなければ何事も出来ないというのは同じであるが、日本と地政学的に近い国の内実も又同じく健康が最大の注目点になっていることから、今後の中国の動向を注意深く見ていく必要がありそうだ。健康に不安有りという点では、病気で一旦宰相の地位を去った安倍晋三は今度は、そんな気弱だった頃をすっかり忘れるほどの立ち直りで盛んに鷹派的な発言を繰り返している。尖閣列島問題を念頭に置いてであろうか、盛んに「自分の国は自分で守る」とか「防衛軍」などと言った今までになく極右的な発言で選挙を乗り切ろうとしている。ただこの日本、中国のように少なくとも向こう5年間を見据えた長期展望に立っている者は少ないようで、取り敢えず選挙に勝つことに主眼が置かれ、結果次第では、我々の思惑を越えた大連合などが待ち受けているようで、中国以上に読みにくい事態となっている。選挙後の中国と日本がどのような展開を見せていくのか注目されるところである。
2012.12.09
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日経の文化欄にこのようなことを書いた記事があった。この記事がどうして文化欄なのかと言ったことは詮索しないとして、簡単な内容だが、過去に私が認識していたこととは異なる事実があったのだと言うことを知り驚いた。之は、本日が真珠湾攻撃から71年を迎えたという事で掲載されていた。1941年12月8日は、日米開戦の日である。真珠湾攻撃は同日、日本時間の午前3時20分であった。それに対して日本の最後通告の手交はその1時間後の午前4時20分だったのだという。(「ワレ奇襲ニ成功セリ」を意味する「トラ・トラ・トラ」の打電は午前3時23分である。)勿論日本が戦闘に入る準備はその前から行われていて、12月2日には大本営より機動部隊に対して「ニイタカヤマノボレ一二〇八」の暗号電文が発信された。ニイタカヤマ(新高山)は当時日本領であった台湾の山の名(現・玉山)で当時の日本の最高峰(標高は3,952m)、一二〇八とは12月8日のことで、「日本時間12月8日午前零時を期して戦闘行動を開始せよ」の意味の暗号であった。ちなみに、戦争回避で攻撃中止の場合の電文は「ツクバヤマハレ」であったという。しかし実際の戦闘は陸軍によるイギリス領のマレー半島コタ・バルでの奇襲上陸作戦が先行している。これは日本時間の12月8日午前1時30分に敢行されている。しかし、この辺りの情報をアメリカ軍が知らないわけが無く、今回の九州大学三輪宗弘教授の新事実発見もアメリカのメリーランド州にある米国立公文書記録管理局に保管されていたアメリカ海軍によるこれら一連の伝達を傍受していた資料に基づいている。何のことはない、アメリカは、奇襲を知っていたわけだが、それがどこで行われるか迄は知り得なかったのであろうか。この一時を以てアメリカは「真珠湾攻撃は日本軍の騙し打ちである」(Remember Pearl harbour)とのプロパガンダに使うのであった。義理を重んじる対日本人相手故にこのプロパガンダはかなり有効に働いたものと思われる。同じようなことが第2次世界大戦で、1939年9月にドイツとソビエト連邦がポーランドへ進撃したときには宣戦布告が行なわれなかったにもかかわらず、このように喧伝されることはなかったというのである。それはさておき、開戦直前に外務省がアメリカ駐在の大使館に送った公電の内、中核となる電報は902号であり、これはアメリカ政府が戦争回避のための条件を日本に突きつけたハル・ノートに対し、これ以上の交渉を打ち切るとした覚書であった。しかし、その中身は誤字が175カ所もあり(如何に何でも多すぎる嫌いはあるが)、その他は訂正の為の電報や暗号解読機の破壊を命じた訓電などだ。175カ所に及ぶ誤字などの訂正電報は903号、906号の2通で、逐次打電され、大使館に送信しされた。外務省は戦後、この2通の原本を紛失したとして、発信時刻に関して謎が残ったまま(意図して隠滅したか)だったが、三輪教授が今回の調査で2通の発信時刻を突き止めたというのである。前に送った電報に誤りなどがあれば直ちに訂正電報を打つのが通例だが、調査結果によると、2通の発信時刻は前の電報(902号)から十数時間後と大幅に時間がたっていることがわかったというのだ。なぜ訂正電文の2通が遅れたのかについて三輪教授は「発信の大幅遅れは、陸軍参謀本部のみならず外務省も関与していたことを示す証拠」だと分析している。即ち外務省が故意に電報を遅延させた可能性が高いというわけだ。こうしたことを突きつけられると、先ず指令電報902号がなぜそのように間違いが多かったと言うことからしてなにやら腑に落ちない気がする。そして、最初の訂正電報を打つまで、12時間55分間(ほぼ反日)をかけ、それも間違いが多くて次に第2段目の訂正電報が、さらに1時間10分もかかっていたという事実に何かしら意図的なものを感じるのである。これらの電文を既に日本側は処理していると言うことだから、ますますきな臭い。戦後の極東裁判でもこの問題は取り上げられて、陸軍参謀のみならず、外務省が之に関与していたと言うことが明らかにされているという。そう言った流れを知らないのは、日本国民だけで、アメリカは既に承知しながら、この問題を対日戦意高揚の手段として使っていた節があると言うことだ。通告文書作成が遅延したというのを出先の大使館の責任として押しつけて、本国政府はぬくぬくとしていたのかと、今更乍らに驚くのである。いずれにしろ、公的時系列では、明らかに最後通告の前に攻撃を行っていることに変わりはないのである。しかもその引き金となったハルノートには、“Strictly confidential, tentative and without commitment”(極秘文書。試案にして法的拘束力無し。)とあるのだが、外務省が“tentative and without commitment”の箇所を削除して枢密院に提出し、当時の東郷外相が昭和天皇に上奏して「最後通牒」と解釈されるようになったという点が不明のまま残されている。
2012.12.08
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今日は天地の気が塞がって冬となる二十四節気の「大雪」である。それ故か、ことのほか寒く感じたが、北海道では暴風や吹雪が吹きすさび、停電も相次ぐと言った大事態に陥っているという。「大雪」の言葉が言い得て妙であるとばかりは言っていられない。今年の夏はとても暑かったのを逆に思い出してしまう。その時、今年は冬が来るのだろうかという風にも思ったものだ。世に叫ばれる、地球温暖化を思い、CO2を出し続けるとこのまま、地球はヒートグローブになって人類と言わず、動植物は、焼けこげてしまう日が来るのではないかとの思いであった。ところがちゃんと冬は来た。それも生ぬるい冬ではなさそうな、極めて酷寒を予想されるような冬なのだ。CO2→温暖化という単純な方程式でこの地球の気象が動いているわけではないことだけは確かなようだ。夏は極端に暑く、冬は極端に寒いといった両極端な気象状態なのだから、之を以て異常気象というのだろう。今日の北海道は、北部の雄武町で最大瞬間風速36.7mを観測するなど激しい風に見舞われたり、オホーツク海側の猿払村では、ほぼすべての戸数に当たる1650戸が停電するなどし、生活が脅かされる状態だという。また、激しい風や雪のため、通学路の安全の確保ができず道内185の公立の学校が臨時休校になったということだ。之に呼応するかのように近畿地方も、今日はこの冬一番の冷え込みになり、この週末はさらに低温化の恐れがあるというのだ。この現象を気象庁は偏西風の流れが蛇行し列島上空で南寄りになったため、大陸から寒気が南下しやすくなったのが一因だと説明している。因みに、京都府南丹市辺りは氷点下4.9℃を記録したと言うから近畿地方は暖かいなどとは言っていられない。この偏西風が蛇行し、南に押し下げられた訳はと見ると、欧州付近で発生した偏西風の蛇行が、日本にまで伝わったのだという説明をしているが、もう一つ要領を得ない。なぜ偏西風の蛇行が起こるかである。少しさかのぼった直前の気象現象を以て説明されても、ではその元になる気象変化はどうして起こったのかとの疑問が沸くからである。応答としての大雪はこの偏西風蛇行に流され低気圧の進路が北寄りになったことと、ベーリング海付近に停滞する「ブロッキング高気圧」が邪魔をするため東に進めなくなった低気圧が、北日本に向かったと言う風に説明されている。こういった現象は今年の9月にも起こっており、それが厳しい残暑をもたらしたというのである。こういった大雪をもたらす偏西風(ジェット気流)の蛇行や高気圧の壁が起こす「ブロッキング高気圧」は今年の2月にも報告されており、それではなぜ、これらの事象が起こるのかについて、気象庁は昨年秋に南米ペルー沖で海水温が低くなる「ラニーニャ現象」が発生したのが始まりだとしている。ラニーニャ現象は太平洋の赤道付近の中部及び東部の海面水温が平年より低くなる現象のことで、この状態になると、東風が平常時よりも強くなり、西部に暖かい海水がより厚く蓄積する一方で東部では冷たい水の湧き上がりが平常時より強くなるというのだ。従って、フィリピン付近に暖かい海水が蓄積されてこの地域の海水が蒸発し上昇気流が活発になり、上空の偏西風や中緯度帯を流れる別のジェット気流を活発化させ「ブロッキング高気圧」の影響で日本付近で南に大きく蛇行するために非常に強い寒気団が日本を襲うと言ったことになると言うのだ。之でなるほどという人もいるかも知れないが、ではなぜペルー沖の海水温度が低くなったり、時に高くなったりするのかの説明は現在の所解明されていないのだそうだ。従って、オーストラリアのダーウィンや、特定の場所での海水温の観測を元に、平年に於けるそう言った地域の温度がどうなっているかを計測る事で、以降起こる現象を推測するのである。この日、図らずも東北で震度5弱の地震が発生し、宮城県沿岸に津波警報が出された。幸い初動では大きな被害は報告されていないのが救いであるが、こういった天変地異については、まだまだ人知の及ばないことであることに変わりはない。こう云った自然現象を感じ、しかもその究極のところで発生のメカニズム(発生の定性的な意味はある程度解明されているとはいえ、定量的な意味では、又何時それが起こるかなどと言った、定量的で具体的な解明は成されていない)が明らかでない、曖昧なものをベースにして、原子力発電を推進することなどは、あまりにも無鉄砲と言わなければならないと感じる。
2012.12.07
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私が小学校の学習ボランティアになって、今日で21回を数えるが、その内3回ほど欠席したので、実質は18回という事になる。表題はオフィシャル回数で付番することにする。基本的に私は低学年担当となっているので、1,2年生が対象だが今日は2年生である。このところうんと冷え込んでいるので、たくさん着込んで出かけることにした。サドルの高い自転車は右回りをしようとすると倒れそうになる。そんな時、いかんなぁ、歳を取ったものだと自分の反射神経の低下に気づく。少し早めだが、顔なじみになった守衛さんが、校門の通用門を開けてくれる。昔は、門扉なんか常に開いていたもので、守衛さんなんか立っていなかったと思うのだが、時代のせいだし、新聞を賑わす事件を思うと、住みづらい世になったものだとつくづく思う。校庭の片隅には、今年の夏に1年生が咲かせて楽しんでいた朝顔入れのポットが並べられている。1つ1つに名前が書いてあるので見ていくと、学習会で知った名前もあり楽しいものだ。また、校舎内に入って、壁に飾っている展示物を見るのも楽しみの一つである。今日は1階全壁一面に、3年生の手になる習字の文字が全紙の4枚分くらいの大きさの紙に1字だけ書いたものを飾ってあった。「心」「友」「世」・・・など荒ぶった奔放な字は躍動感が溢れて、見応えがあった。今日もボランティアの人は私を入れて4人だった。もう少し多人数ならばといつも思う。児童の数は29人と多いからだ。皆がじっとしていれば、1人で5人なら十分かも知れないが、てんでの発想で押しかけてくる子供達にはタジタジとなる。熱心な女性ボランテャアさんは、大勢で押しかけられるとパニックになってしまうと言って、手作りで、名前を書いたカードと、音読など押しかける子供にと整理券まで用意してこられた。なかなかの気配りである。またその女性ボランティアさんは休むことがないので、子供達からの人気も高い。私の方にも何人かの子供が集中してくる。「はい一寸待ってね」と言いながら、「音読」「バラ九九」などをこなしていく。事務局の人が作った大きめの九九のカードは特に子供達に人気が高い。「先生僕に聞いて!」と列を成す。ランダムに次々見せるカードに「6×8」・・(しじゅうはち)、「7×5」・・(さんじゅうご)と元気な声が返ってくる。何枚か終えて全部出来た子には、「はい!合格!!」と頭を軽く撫でてあげる。連絡帳につかえず云えたに時に三重○を書いてあげる「特別だよ」(実は良くできたは二重丸なのだ)というととても喜んでくれる。並んだ子が、隣の子よりも早いと、「言わんといて!」と遮って、自分も必死に答える。時々は「9×7」・・(ろくじゅうに)等と返ることがあるので「ん!」と遮ると(ろくじゅうさん)と又返ってくるから注意が要る。今度は「音読」だ。どうやらクラスで読む対象が違っているようだ。1つは「なまけ忍者」だ。この文章が面白いので書いておこう。「ぼくの おへやの すみっこに なまけ忍者が かくれてる ぼくが べんきょう していると なまけ忍者の ひくい 声(こえ)―――ちょっと テレビを つけてくれ つづきまんがを 見たいのじゃ なまけ忍者に さそわれて ぼくも テレビを 見てしまう ぼくが おそうじ はじめると なまけ忍者の ひくい 声―――どうせ また すぐ よごれるよ むだな しごとは やめなされ なまけ忍者が いるかぎり なにを やっても ぼくは だめなまけ忍者よ おねがいだ はやく どこかへ 消(き)えてくれ!」である。なまけ忍者の所は教えられて様に低いくぐもった声に変わるのが又可愛い。ちゃんと3回読めたら、又ノートに○を書く、その時「君の頭の中にもなまけ忍者が居るだろう!?」「勉強しないでテレビを見てしまうんだろう!」というと、真面目な顔で「違うよ、僕はちゃん勉強としているよ」と口をとがらせる。「そうか、なまけ忍者を追っ払えるんだ、凄いね!」というとどや顔で席に帰って行く。もう1つは「ある島のきつね」であるが、詳細は略すとして、「うごくともなく動いて」と言った状態を子供が理解できるのかと思ったり、「・・・風景はなかなかすぐれてみえました」の表現などは、子供がどう感じているのか、一寸興味深かった。嵐のように来たりて、嵐のように帰って行く児童に、45分間はあっという間に過ぎる。帰りに回収できた名札は、何枚か欠けていた。(きっと持って帰ったのかな?)中に、1人15分も延長して、九九のプリントと睨めっこしていて、ボランティアさんが2人付きっきりだった。なかなかやるものだ。
2012.12.06
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恒例だった友人夫妻とのゴルフは、友人の具合が悪かったので中断中であった。体調も戻ったと言うことで、夫妻と久しぶりにラウンドした。コースは、馴染みの亀岡GCである。昨日辺りから急に冷え込んできているが、雨だけは免れそうだ。朝早くは寒すぎるので、スタートは最終の10:20だった。友人は2ヶ月半ぶりで、体調を気遣ってのラウンドである。私もこのところ成績が悪く、名誉挽回戦と言うところだ。友人は病み上がりということもあって、18ホール回れるかどうか心配していたが、その点は杞憂に終わった。今日のスタートはアウトからである。例によってオールバイホールの結果、余分だったところを数え上げて記すると、以下の如くである。No.1(M)は、2打からやや打ち下ろしで、2打目までは問題はない。3オンで届かず4オンだが、1パットで凌いだ。(±0)友人は、第1打を右に曲げてダボ、夫人は完璧でボギー、連れ合いはティーショットは良かったがトリプルである。No.2(M)は、左OBのやや打ち下ろしホール。書くのもおぞましいホールであった。ティーショットは左寄りだがまずまず。2打目ライが湿っていてダフリのチョロ、3打を天ぷら気味にバンカー、4打で顎に当たり出ず、5打で出るだけ、6打の95YDをオンしたのが唯一良かったが、3パットのおまけが付いて9つ叩いた。(+4)友人もつられて、トリプル、何と連れ合いはボギー、夫人はダボだった。No.3(S)は、超打ち下ろしのショート、今日は右の近いグリーン。トップして左のグリーン奥へ。そこからトップで手前へ、とダボだ。(+1)友人夫妻はパー、連れ合いもボギーだった。No.4(L)は、池越えで、4オン2パットと上出来でボギー。(±0)連れ合いもボギーと調子よい。友人は右にOBだが上がってダボで、夫人はトリプルだった。No.5(S)は、最も簡単そうなショートで、今日のグリーンは、左で近い方だ。左バンカーに入れたがボギーで上がった。(±0)夫人も同じくボギーで、友人は奥のバンカーへ入れダボ、連れ合いは手前バンカー乍らボギーだ。No.6(M)は、ティーショットはまずまずの右ラフ、2打目のガードバンカー入りは仕方ない。そこからシャンクで隣のGRへ、上がってダボであった。(+1)。友人は悠々のパーで、連れ合いと夫人はダブルだった。 No.7(M)は、左が隣のコースでOB。2打目のバンカーはやむを得ないが、3打で出なかった。しかし10m残した4オンを素晴らしいと誉められた1パットに救われボギーを拾った。悪いのと良いので(±0)。友人は左に極端な巻き込みでOB乍らプレ4をピン側1mでボギーは立派。「何だ、結果は同じかよぅ」であった。夫人もボギーで、連れ合いはトリプルを叩いた。No.8(M)は、3打目110YDのアプローチを若干ショートで手前バンカーだ。目玉を出し切れずしかも3パットのダブルスコは痛恨だ。(+2)ここは夫人が良くてボギー、友人はダボで、連れ合いはトリプルだった。最終No.9(L)は、2打目をダフってチョロし、アプローチが左右のGRの間で乗らず、ダボとした。(+1)友人も同じで、夫人がトリプル連れ合いは9打と奮わなかったが、連れ合いの58はたいしたものだ。昼はレディースデイとかで女性のみ昼食付きでしかもデザートまで付いている。男性は何も無しでがっかりだ。No.10(L)は、緩やかな下りだが、左右は狭い。ティーショットと2打はまずまずで、3打目をバンカーに入れた。4打でGRに乗せたが15mを3パットしてしまいダボだった。(+1)連れ合い夫人は同じくダボだが、友人は2打目を左に引っかけOBで9打を叩いていた。No.11(M)は、ティーショットはカート道に乗り距離を稼いだ。2打目を超クリーンに当てGR手前50YDだ。しかしそこでダフって4オンにしてしまう。1パットに救われてボギーだった。チョロと1パットで帳消しだ。(±0)友人、夫人、連れ合いは等差級数の6-7-8であった。No.12(M)は、1,2打はそこそこで、3打目のアプローチがニアオン。そこから3パットで、ダボである。(+1) 友人はボギーで女性軍は共にダブスルコアであった。 No.13(S)は、途中が凹んでいるがGRはやや打ち上げの位置にある。ピンは奥で、7Wでトライ。当たりは悪く届かない。2打をトップしGRオーバー。3オンで2パットのボギーとなる。(+1)友人は1オンしパーである。何と連れ合いは、Dr乍らかろうじて、1オンしたがパターで4つ叩いて、ダボ、夫人もダボだった。No.14(M)は、ウッド禁止のホールで、左前方に池がある。5Iでまずまずの当たりは残り130YD。7Iでダフリ3オンは下り3mとなり2パットのボギーである。(+1)友人は、2打目飛びすぎで、ボギーだ。連れ合いはダボで、夫人は当たりが悪くダブルとなった。No.15(M)は、茶店のホールで、ティーショットは不発でFW迄届かない。2打目クリーンに当たり残り105YD。アプローチは5mに乗った満足のショットで、之を1パットで決めパーを拾った。ティーショットとアプローチが帳消しで(±0)友人夫妻はダボ、連れ合いは、ダブルスコアである。No.16(L)は、奥まったところからのロング。ティーショットは右に出たがまずまず。2打も良く残り125YDの3打目アプローチをダフる。残り50YDを又トップでGRオーバー。5オンで2パットは情けない。(+2)友人は、流石のパーで上がる。夫人のティーショットは今日一で良く飛んだが、後が続かず、9打。連れ合いはこのホール苦手意識で同じく9打だった。No.17(S)は、見た目は近く感じるがワイドで、実際は距離がある。7Wでのトライは届かず、2オン、2パットのボギー。(±0)友人は不調で、夫人、連れ合いとここも等差級数の5-6-7の上がりだ。 最終No.18(M)は、やや左ドッグである。ティーショット2打とも理想的だが、残り30YDのアプローチをまたまたトップでGRオーバー。3パットのおまけまで付いて7打のトリプルだ。(+2)友人はティーショットを左にOBで同スコア。何と連れ合いは、ダボで納めて大成功だが、夫人は9打と上がりが良くなかった。今回は、寒かったものの、私には向いていたが最近の連続不調を止められなかった。今日は反省都合+17で理想は88だ。(少なくとも90台は固いはず)友人は病み上がりなれど、最終ホールまで続けられたを良しとし、5つのOBにもめげず、私を凌いだ。連れ合いは、過去これ以上ないという、ハーフ58を出し満足そうだ。夫人のティーショットは目を見張るものがあったが、最後は力尽きてしまったようだ。ともかくも、友人が復帰出来、フルにラウンドできたのは喜ばしい。
2012.12.05
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日経の経済教室で「歴史と思想に学ぶ」が月1回のペースで掲載されるという、1回目が昨日の新聞に掲載された。猪木武徳氏のによる投稿である。それを、掻い摘んで書いておく。戦争は経済と社会に様々な帰結をもたらす。膨大な犠牲と悲劇をもたらす一大原因に経済権益がある。戦争は、その最中に膨大な犠牲をもたらすことは論を待たないが、戦後社会も変える。戦時中に開発された軍事技術が戦後民間に転用され経済発展に繋がった例もあるが、一方では官僚機構が肥大化する弊害をもたらす。イノベーションは殆ど常に「利潤」と「戦争」によって動機づけられた。戦争によって軍事技術は発展し、それが民生技術を牽引する。その例は「ゼロ式戦闘機」が鉄道や自動車に流れたり、アメリカペンタゴンの分散型コンピューター・ネットワークの研究がインターネットの誕生へと引き継がれたとの例がある。この大きな力は、戦争が国家の存亡を掛けての戦いであるから、経済活動の利害を超えた多額の開発予算が組まれる事にある。国家が経済統制を強めて、勝つために金を湯水のように使うという点である。イギリスの例では、対ドイツ宣戦布告で、即鉄道会社と海運会社をその統制下に置いた。ロジスティック(兵站)が戦争に如何に重要かが覗える。***ここで思いつくのは、大平洋戦争で、日本が南方進出したときに、兵站が途絶えて敗戦に繋がったと言うことが想起される。また、湾岸戦争時のロジスティックシステムを書いたジェフリー・クルクシャンクの「山動く」等も兵站の重要性を述べている。***次にエネルギー源の確保である。イギリスの当時のエネルギー源は石炭であったが、いち早く価格統制と輸出規制を行っている。***現在の紛争の種になりそうな問題は、エネルギーの確保の問題であろう。中国が海洋に進出したり、宇宙への進出を目論むのは、ひとえにこのエネルギー資源の確保という点にあると考える。***戦時には政府が生産計画を統制し、それに従って原材料の割り当てが行われる。戦争に機械器具は必要でも繊維産業は直接関係ないので、投資資源は機械器具工業に集中されることになる。世界的に、戦時には経済界の巨頭が政府の要職を占める事が多い。このように民間から政府への人材移動が起こるし、こういった機会に平時の社会生活では接触がなかった人間同士が軍隊(軍需工場など)を介して接触し、これを機に自己向上への強い動機が生まれることが挙げられる。(小池和男法大教授)軍隊の中では、インテリ兵士に啓発される者もいれば、逆に学歴はないが、自分の方が上だと感じる者も出てくる。こういった風に、戦時は社会背景が異なる人間を無理矢理接触させるため、互いに競争心が芽生える。こう云った「接触効果」が戦後の進学競争や企業内競争の素地となった。また、人手が逼迫するために女性の労働率が飛躍的に上昇する事も挙げられる。戦争の最も悲惨な点は、多大な人命の損失である。20世紀における2つの世界大戦は、「総力戦」で国家のかなりな人口が戦場にかり出された。***ドラマに出てくる赤紙一枚が、人の運命を決めてしまった。***アダムスミスの「国富論」によると、文明社会では未開社会に比べて、戦場で戦う兵士の対国民比は低下する。古代ギリシャでは、人民の約2割が軍人であったが、近代欧州では、住民の100分の1を軍人として使えば国が破滅すると計算されているという。大英帝国では第1次世界大戦で動員された兵士は600万人近くで、その内約80万人が死亡した。第2次大戦では、死者は38万人と減ったが非戦闘員が多く出た。これによって、経済面の負債は極めて大きくなった。一般に戦時体制では、通貨の増発、物資不足でインフレに陥る。世の悪賢い奴らはこの期に買い占めや売り惜しみで暴利を得ようと画策する。このため「暴利取締令」が出されたが、ここに政府が公定価格を決める必要が出てきてその詳細を決めるのが一大仕事となった。例に挙げられた品に「桐タンス」があるが、種類を挙げると5千種にもなると言うから驚きである。こういった統制価格計算だけでも巨大な官僚機構が必要となる。***現在問題になっている消費税も生活必需品は無税にと思う気持ちはあっても、どこまでが必需品かを決める仕分けが至難の業だという。***戦争は個別の「正義」がぶつかり合うもので、経済計算の上で闘うわけではないから、結果生じる財政負担(終戦処理費や賠償義務負担)は膨大になる。第1次大戦後の対ドイツへの過酷な賠償請求は第2次世界大戦への素地となった。***未だに中国や、韓国などから日本は賠償をと言ったことを求められている。***アメリカが中東における軍事介入を集結し撤退したのも、戦争継続による経済コストが戦争の「大義」を支えられなくなったためである。***まともな神経だと戦争は愚かしいものだと俯瞰できるが、一旦そのモードにはいると止めることが出来ない恐ろしいものを持っている。渦中に入れば俯瞰できなくなるのであろう。戦後日本は軍隊を解体され、その後アメリカから治安維持を目的とした警察予備隊の編成を迫られ、やがて自衛隊と変貌し、それが押しも押されぬ軍隊という実態になって、この期に「国防軍」と名称を変えようとの話になっている。段々とたがを外して、やがて・・・と、今や渦中に入ろうとしている節がある。そうならねば良いが。***
2012.12.04
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昨日中央高速道路で笹子トンネルの天井板が崩落したとテレビのニュースが流れた。トンネルが崩壊との最初の報道に驚いたが、案の定トンネル本体ではなくトンネル内を換気するためのダクトを兼ねた天井板が崩落したとのことである。それならばあり得るといった感じだ。様々な情報からエキスを拾うと、2日午前8時ごろ、中央自動車道路の東京よりの大月ICと勝沼IC間の上り線笹子トンネル(長さ約4.784km)内において、東京側の出口まで1.7kmの場所で、コンクリート製の天井板が約130mにわたり330枚が崩落したという。天井板(1枚は幅5m、奥行き1.2m、厚さ8cmで重さ約1.2ton)は左右に1枚ずつ計2枚1組で中央部の中壁で仕切られその中壁に沿って、トンネル上部から長さ約5.3mのつり金具で1.2mピッチで吊す構造となっている。この換気方式は「横流方式」と呼ばれ、天井板を底辺に、つり金具に沿った中壁で仕切られた左右の空間(天井裏に相当する箇所)が排気と送気に分かれ、トンネル内を換気している。最近よく見かける天井に航空機のジェットエンジンの様なものを取り付けたジェットファン方式とは異なっている。原因は、天井板が止めてあるボルトの劣化乃至は基部コンクリートの割れなどが考えられている。このトンネルは、竣工後30年を経過していると言い、決められた点検は行っていたようであるが、当該部所は打音検査も行われず、お座なりであったようだ。この崩落範囲に、運悪くトラックと乗用車、ワゴンカーが通過中であった。崩れてきた天井版の下敷きになって、9名が命を落としたと言うことである。走行中にトンネル内で天井が落下する事を予想して走る人間など居ないのは当然である。突然降ってきた天井板にさぞかし度肝を抜かれたであろうし、気がつけば天井版の下引きになっていたと言うところだろう。トンネル自体が崩壊すると言ったことはないくらいに十分安全側に建造されているであろうが、こういった駆体そのものに対する安全性は十二分に検討が行われ、対策は採られているのは通常である。最近は有限要素法などと言った解析ツールもあるので、3次元的な解も得られ、本体の安全性を脅かされることはないであろう。しかし、今回も問題となったのは、補助的な部材についてであった。詳しい原因を聞いてみなければ解らないが、現在は、つり具と天井板をつないで固定しているネジが、振動などで少しずつゆるんだか、腐食するなどしたのではとする原因が考えられている。特にトンネル内部は排ガスがたまりやすく、腐食が進行する要素はあるようだ。さらには、地震などにより、周辺の地質の変化が影響した可能性を指摘する声もあるようだ。トンネルは常に外側から内側に向かって力が加わっている。トンネル周辺の岩盤が変形しやすい性質であればトンネル全体が変形して天井板を支えていた中壁辺りがねじれて、バランスが崩れたという可能性も考えられる。1日あたりの平均の交通量は上下合わせて約4万6千台が通ると言うから、車の振動が外壁を伝わってボルトを緩めたのかも知れない。こう云ったことを未然に防ぐために、重要性の高い道路トンネルでは年に1回、一般のトンネルでも5年に1回程度は点検が必要と定めているが、これをお座なりに済ませていれば何をか況やと言うことになるわけだ。3.11の福島原発事故も然りだが、本体は十二分に安全に対する配慮が成されていても原子炉を100℃如何に冷却する為のボイラーに同様の配慮がなされていなければ、今回の事故のような悲惨な結果になってしまう。それと同様に補助的な役割の部材といえども、今回のように落下してしまえば、トンネル本体が崩落したと同じくらいに大惨事となるわけである。かのスペースシャトル、チャレンジャーの事故もほんのちっぽけなOリングの不具合によって起こったと言うことを肝に銘じなければならないだろう。しかもそのことが軽微な問題として無視されたこと(検査で素通りとなったこと)に依ると言う点も見逃されてはならない。「横流方式」の場合の天井板をつるす強度計算では、単純にボルトの強度を吊り荷重(1枚1.2ton)に安全率を幾らと言った単純な計算であろうし、この安全率の中にボルトの腐食代や、振動による動的な荷重なども見込んで算出していると思われる。なんだかの異常荷重が掛かったのか、過度な振動でボルトが緩んで外れたのか、ボルトの材質が基準を満たしていなかったのか詳細の解析を待たなければいけないが、1箇所でも崩れると、括弧撃破的にその累は他に及ぶことも考えられるわけで、原因究明とその対策には十分意を尽くしてもらわなければならない。こういった「横流方式」の換気方式を使ったトンネルは全国で、20箇所とも40箇所とも言われているが、早急に対策を講じてもらわなければ、トンネルこそ地獄への入り口にならないようにしてもらいたいものである。
2012.12.03
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第百六十一段【本文】花の盛りは、冬至より百五十日とも、時正(じしゃう)の後、七日とも言へど、立春より七十五日、大様違はず。【訳文】 桜の花の満開なのは、冬至から数えて百五十日目だとも、あるいは、時止の後の七日目だとも世間では言っているが、立春から数えて七十五日目というのが、大体まちがいない。【注釈】・時正:昼夜の長さが等しい日第百六十二段【本文】遍昭等の承仕法師、他の鳥を日来(ひごろ)飼ひつけて、堂の内まで餌を轍きて、戸一つ開けたれば、数も知らず入り寵りける後、己れも入りて、たて寵めて、捕へつゝ殺しけるよそほひ、おどろおどろしく聞えけるを、草刈る童(わらは)聞きて、人に告げければ、村の男どもおこりて、入りて見るに、大雁どもふためき合へる中に、法師交りて、打ち伏せ、捩ぢ殺しければ、この法師を捕へて、所より使庁へ出したりけり。殺す所の鳥を頸に懸けさせて、禁獄せられにけり。 基俊大納言、別当の時になん侍りける。【訳文】 遍照寺のある承仕法師が、広沢の池の鳥をふだん餌をやって飼いならしておいて、ある時、お堂の中まで餌をばらまいて、入口の戸を一つあけておいたところ池の鳥が数えきれないほど入りこんだあとで、自分も中に入って、戸をしめきって鳥をとじこめ、つかまえては殺し、つかまえては殺ししていた様子がそうぞうしく聞こえたので、草を刈る少年が聞きつけて、ほかの人に知らせたので、近くの村の男たちが大挙して集まり、お堂の中に入って見たところ、大きな雁がたくさんバタバタし合っている、その中に、法師が入りこんで、雁をつかまえては下におしつけ、首をひねって殺していたので、この法師をつかまえて、その土地から検非違使庁へ突き出したのであった。そこで、検非違使庁では、承仕法師に殺された鳥を法師の首にかけさせて、牢にとじこめてしまわれた。 これは、基俊の大納言が検非違使庁の長官の時のことでございました。【注釈】・遍照寺:京都嵯峨の広沢の池の西にあった。・承仕法師:寺院内の雑役に従事する出家者・おどろおどろしく:仰山に、甚だしく・所:事件のあった土地・地元第百六十三段 太衝(たいしょう)の「太」の字、点打つ・打たずといふ事、陰陽の輩(ともがら)、相論(さうろん)の事ありけり。盛親入道申し侍りしは、「吉平(よしひら)が自筆の占文(せんもん)の裏に書かれたる御記、近衛関白殿にあり。点打ちたるを書きたり」と申しき。【訳文】 陰暦九月の異称である太衝の「太」の字は、「太」と点を打つか、「大」と点を打たぬかということについて、陰陽道の仲間が議論し合ったことがあった。これにつき、盛親入道が言いましたことには、「安倍吉平の自筆の占文の裏にお書きになった、天皇の御日記が近衛関白家にある。それには、『太』と、点の打ってある字が書いてある」と言いました。【注釈】・太衝:陰陽道で用いる、陰暦9月の異称・盛親入道:伝不詳・吉平:安倍清明の子で陰陽博士・占文:異変にあたって、朝廷が神祇官に吉凶を占わせる時、結果を記した文書第百六十四段【本文】 世の人相逢ふ時、暫くも黙止(もだ)する事なし。必ず言葉あり。その事を聞くに、多くは無益の談なり。世間の浮説、人の是非、自他のために、失多く、得少し。これを語る時、互ひの心に、無益の事なりといふ事知らず。【訳文】 世間の人が互いに顔をあわせる時は、わずかな間でも無言のままでいることがない。きっと、ことばが出てくる。その話すことを聞くと、大部分は、無益な談話である。世の中のいいかげんな噂話や他人のよい・わるいの批評は、自分のためにも、話相手となる他人のためにも、損失ばかり多くて、得る所は少ないものである。 こういうことを語り合う時に、お互いの心の中で、それらが無益の事だということに気づいていないものだ。【注釈】・黙止:無言のままでいる・浮説:根拠のないうわさ話第百六十五段【本文】 吾妻の人の、都の人に交り、都の人の、吾妻に行きて身を立て、また、本寺・本山を離れぬる、顕密の僧、すべて、我が俗にあらずして人に交れる、見ぐるし。【訳文】関東の人が、上京して、京都の人と交際したり、都の人が関東に行って立身出世をしたり、あるいはまた、自己の宗派の本寺・本山を離れてしまっている顕教・密教の各宗の僧侶とかいうように、総じて、自分の本来の風習の中に身を置かないで、その外部の人と交際しているのは、みっともないものだ。【注釈】・吾妻の人:関東の人・本寺・本山:根本道場・顕密:顕教は「教理が解りやすい、密教は解りにくい・俗:自分が属する生活圏
2012.12.02
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今日の中学校の土曜スクールは期末テストが終わってすぐだから、生徒の集まりも悪かった。19名のエントリーに対して5人の参加である。迎え撃つボランティアは、7人で、マンツーマンでも2人余る。歳を取っての損得勘定からかも知れないが、無償で懇切丁寧に教えてくれる家庭教師が選り取りで得られるこの機会をなぜ利用しないのかと、少々不思議にも思うが、生徒にとってみれば、試験に集中して、日頃勉強しない者でもちっとは励んできて、それが終わったのだからゆっくりしたいという気持ちも分からなくはない。図書館は漫画本も置いてあるので、それを目的に来ている節の生徒もいるようだし、勉強はちっとも分からないが、何となく勉強の雰囲気に触れていると安心するといった心境の子もいるようだ。それはそれで評価すればいいのであって、人間は、数学が分かるから、英語が出来るからと言っただけで評価できないのだから来室するのは大いに結構なことだと思うわけだ。今日私がアテンドした生徒は、丁度そのような生徒だったのかも知れない。あからさまに誰か(親)に背中を押されてきたような節がある。それでも数学のプリントを開いて問題と取り組んでいる。プリントの問題を見て少し驚いた。問題には、「a=0ならばab=0である。その逆の文章を書き、それが正しいかどうか答えよ」と言う問題である(表現は書いたままかどうか自信がない)。生徒は、たどたどしく「ab=0ならばa=0である。正しい。」と書いているではないか、そして見たときには既に2問目に挑戦していて、また頭をひねっている。「2等辺3角形の底辺の角度は等しい。その逆の文章を書き、それが正しいかどうか答えよ」である。そこで私は介入した。1問目は正しいのか前に戻って考えようと言ったわけだ。学校ではどこまで習っているのか分からないのだが、明らかに理解していないようだ。私も昔を振り返ったが、之は、数学の「逆・裏・対偶」の話ではないかという点と、この問題が中学2年生で教えられている事を知らなかった点である。想像するに、「逆」は習っても「裏・対偶」は未だなのだろうと。この問題は理論的な思考を要求される、言わば難しい問題で、単に加減乗除が得意なだけでは解けないだろうからだ。案の定この生徒は全く理解していなかった。これでは幾ら自分で回答しても、また何問回答しても混乱の局地に陥る以外はないであろう。文章を読む力や、問題を理解する力が不足しているわけだ。文章問題を数式に落とす問題とも又ニュアンスが違うわけだ。(例えば、10km離れた両地点からA君は時速2kmでB君は時速3kmでお互いに進むと、何時間後に出会うか)と言った類の問題)「a=0ならばab=0である」の問題に戻り、その君が書いた「ab=0ならばa=0である。正しい。」について、では「a≠0の時はどうなるかな?」と聞いた。既に混乱している。水を飲みたくない馬を美味しい水飲み場だといって無理矢理引っ張って連れて行っても飲まないのと同じである。問題を見たときから拒否反応が始まっているのだから始末が悪い。取り敢えず、「a≠0の時ab=0にはならないかな?」と聞いたが反応は今ひとつだ。「a≠0の時でもb=0だったらabはどうなるかな?」と聞くとやっと、「ab=0になる」と答えるのである。「だったら『ab=0ならばa=0である。正しい。』とはならないでしょう?」と確認すると、納得したような気分になっている。でも彼は納得していないという感じが伝わってくるのである。どこが分からないのかが分からないのであって、教える側は混乱する。「逆は真なり」とか「逆は必ずしも真ならず」と言った言葉を発する機会もない。この問題では「a=0 → ab=0が真(正しい)のとき,その対偶は真(正しい)であるが,逆や裏は必ずしも真(正しい)とは限らない。」といった事になるわけだ。(→はならばと読む)即ち「a=0 → ab=0であってもab=0 → a=0には必ずしもならずである(b=0の場合もある)」これを分かろうとしない生徒に言葉を変えて説き聞かせても無駄であった。(教えている本人の頭の方がおかしくなる)さて少し慣れたところで、2問目は「2等辺3角形の底辺の角度は等しい。その逆の文章を書き、それが正しいかどうか答えよ」に取り組んだ。先ず文章が作れない。散々話して「底辺の角度が等しい3角形は2等辺3角形である」を引き出した。さて、問題の答はどうなっているかわ分からなかったが、「底辺の角度が等しい3角形は正3角形もあるから違うよね」というとそのように書いていた。「正3角形は2等辺3角形の一種だよ」との反応はなかった。終わって、控え室で、島本町の町力アップを掲げた30周年記念式典の話や、土曜スクールに近くの小学校の6年生を迎え入れて試行する話や公開授業の話があった。少しでも、例え1人でも今日より明日の成績が上がること(勉強が解る)を祈念しつつ今日も土曜スクールを後にした。
2012.12.01
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