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2012年7月27日ロンドン・オリンピックは開幕式を迎えた。いつもながら年々華麗になり、目を見張るような開幕式に引きつけられて、ついつい見入ってしまったのだが、すでに競技の方は佳境に入っている。(これは、8月3日に書いている)オリンピックについてはいつか取り上げるべしと思うものの、ついつい情勢の変化に書きそびれていた。今回のオリンピックは、総じて、前評判の高かったアスリート(選手)よりも伏兵的な選手の方ががんばっているように思える。ただ、生涯で1回の晴れ舞台で、自分の全力を出し切れるかという点では、等しく、難しいことであろうと想像する。前評判は、その選手の実力をベースにして、マスコミが作り上げるが、その選手が、必ずしも本舞台で全力を出し蹴れるかどうかは、肉体的、精神的な充実があってのことだろう。スポーツ自体に貴賤はないはずだが、マイナーなスポーツとメジャーなスポーツでは雲泥の差があるようだ。サッカーのようにメジャーなスポーツでは、試合の結果を何度も何度も繰り返し放映され人々の心に感動を呼び起こすが、マイナーな(例えばアーチェリー)スポーツでは、1回きりの放映になってしまう。金メダルを最初に取った、柔道の松村薫選手などは、試合が始まる前までは、さほど注目されてはいなかったように思う。体操の内村航平選手は、卓越した技術に裏打ちされながら、何故鉄棒で落下したのか、その方が注目を引いた。しかしやはり実力は否めず、個人総合で金メダルを取るなど、期待通りの活躍ぶりだ。一方、逆に水泳の北島康介選手は3連覇を云々されながら、あえなく銅メダルをも取り得なかった。水泳といえばアメリカのフェルプス選手は、ずば抜けていて、オリンピックの金メダルだけでも、商売が出来るほど(14個)多数のメダルを取っている。水泳は各種別ごとに金メダルが授与されるので、メダルの重みも軽いかと思えば、それを取れない人がいるのだから、やはり驚異的である。(どうやら史上最多であるらしい)日本水泳界の活躍はめざましいものがある。男子背泳ぎの入江陵介は100mで銅、 200mで銀を、女子100m平泳ぎでも、鈴木聡美は100mで銅、200mで銀を取得して、爽快である。一方、柔道はといえば、なんと言っても、松村薫選手ではないだろうか、柔道しかないといった風な彼女の闘争心は、見ていて日本人がどこか忘れてきたようなものを感じさせた。かつて、谷亮子が、破竹の勢いだったが、以後政治家の道を選ぶという、とてつもない黒星をとったためにその過去の栄光までどぶに落としてしまったようだ。ウエイトリフティングの三宅宏実選手の銀も親父三宅義行の全盛を思い出し、頼もしい限りだ。こういった何回もメダルにありつけるスポーツはそれなりに楽しいが、マラソンといった1発勝負の種目もありこれに引き寄せられる人も多いだろう。サッカーなどでは個人戦でなく金メダルはなにやらその価値が何倍にもなるであろう。銅以上にはならなかったが、卓球の福原愛選手の活躍もなかなか刺激になる。後続の石川佳純選手などもこれから期待できそうだ。オリンピックもますます佳境に入っており、メダル獲得という点では、今後ますますの期待が高まる。さらに地味なところでは、古希の法華津選手を送り込んだ馬術がある。かつてロサンゼルス大会での陸軍軍人西竹一選手(バロン西)の話を思い浮かべる。馬術は、日本人には馴染みが薄いが、今大会でも、イギリスのエリザベス女王の孫娘である、ザラ・フィリップス選手が、銀メダルを取って気を吐いた。馬術はやはり爵位を持ったものが勝つのかなどと考えていると、この間の書評で、スポーツ評論家が紹介していたが、バルセロナ・オリンピックの観客に告げるという「黒い輪」が想起される巨大なオリンピックの裏世界を思うとき単純にメダルの数を喜んでいる場合でもないと思うのである。キラニン、サマランチの会長時代を暴露したこの書籍は、読むほどにオリンピックへの情熱が薄れていくことは間違いない。ほんの一握りの老人(卿と呼ばれる人)たちの金と権力、また薬にまつわる、5つの黒い輪は、これが本当のことかと思うほどに一般の人のあずかり知らぬ事態がオリンピックという名の底部に脈々と流れているのを知るとき、オリンピックに対する見方も変わろうというものだ。
2012.07.31
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福島原発の事故が起こってから今日で507日を数える。この事故が何故に起こったのかを検証する4つの委員会が開かれ、このほどその4つの会議における検証結果がすべて出そろったようだ。それぞれの検証結果はそれなりに評価すべきだが、東電による独自の評価には、全く反省の色すら感じさせない内容で、事故当事者として、真摯にこの事故と向き合っているとは言い難いものを感じる。事故以来の東電代表者のコメントを聞き通暁すると、まるで反省の色がない。国会と政府における調査会は3月11日に起こった、原発事故が、地震そのものから起きた可能性が捨てきれないとしている。所謂「安全神話」が神話であり実話ではなかったということだ。この点について、東電の事故調や民間の事故調迄もが、未だに原発は安全であったが「想定外の津波が引き起こした」という幻想的な原因に帰着せしめていることだ。この時点で、もはや議論が交わることはないであろう。私は、国会(国民の直接選挙で選ばれた国民の総意)の事故調が出した国会事故調の結論に重きを置いている。なぜなら、他の事故調査は、はじめに結論ありきで、多少のカーブ球は入れているが、最後はしゃんしゃんの結論にしようとしているからだ。(その点で、東電自体の委員会は存在までもが弊害と思う)元々、原子力発電に必要な燃料の放射線物質について、この危険な物質が、外部に漏れないようにする「5重の壁」が設けられているという話であった。それは、1.「燃料ペレット」、2.「燃料被覆管」、3.「原子炉圧力容器」、4.「原子炉格納容器」、5.「原子炉建屋」の5つである。よくよく見れば、素人なら大満足であろうこれらのことも、最後の原子力建屋自体が、今回の地震に対して十分な強度を有していたかどうかが、すでに問題であると結論づけている。人は、地面が揺れるのを極端におそれる。自分の立場が何者にも守られていないという絶望感に似た心情になるからだろう。従って世情にも、怖いものの順序は「地震、雷、火事、親父」というのもわかる。そして、今回の事故処理についても、「誰一人として役割を果たしていなかった」ときわめて明確な判断であり、題目で唱える危機管理がなされていない証左である。こういったことに反論するでなく謙虚に受け止めれば、なお原発を使い続け、2030年においても幾ばくかの原発を残すなどといった発想が出てくるわけはないのである。現在ある原発を活かしたい、それはそれで理解できる点があるが、それは、たゆまぬ電力供給という1点でしかない。その根底には、今度は東北の地震のようなものは来ないだろうといった漠然とした気のゆるみからくるのであろう。原発再開を話しているその同じ紙面で、東海・東南海地震や首都直下型の地震について言及がなされているのはどういう神経なのだろうか?対岸に火事はあってもわが家は平気と言うことだろうか。誠に理解に苦しむ。日本における原子力発電は、1954年3月に中曽根康弘らによって導入が企画された。それは、爆発や破壊などがないとした時の原発の有意差であった。その出発点から、原発につぎ込まれた、多大な開発費などを、もし、自然エネルギーに振り向けていたなら、このような未練がましい原発依存は起こり得なかったであろう。信用は営々と積み重ねた努力の結果得られるが、また、1つの、あるいは1言の失策や失言で失墜するものである。原発事故には、我々が知る範囲でもスリーマイル島や、チェルノブイリがある。日本でも、東海村のJOC臨界事故や、近くは美浜原発の上記漏れ事故がある。いずれも直接死亡した人の数は、少ないかもしれないが、放射線物質という目に見えない物質に影響され、悩んでいる人は多い。なぜ、原発依存を脱する「脱原発依存」で衆議が一決しないかについて私は納得がいかない。なぜ危険な存在を身近に許すのか。たいした検討も行わないで、活断層の直上に原発を建てる輩がいることを、肝に銘じて、知るべしである。
2012.07.30
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先輩が会長になって初めての招集だが、集まる人はほとんどいなかった。夏の暑い時期ではあるが、何とも寂しい限りである。もっとも、これといった行事がないわけで、夏の暑い最中(過去最高気温とか)それでなくてもあつい体育館で、現役の試合など見る気がしないといえばそれまでだ。あまり期待はしていなかったが、私の同期は全員参加と言うことで、結束の堅さが揺るぎない。とはいうものの、全員で、884名に出した封書の返事が、返信用に同封したはがきを使うだけなのにたった、115枚しか返ってこなかったことに、ちょっと寂しさを感じる。さらにその中でも現役生を支援しようという人は、約6割強しかいないわけで、高校時代のクラブ活動(バスケットボール)にアイデンティティーを持つものはきわめて少ないと言うことがわかる。我々の時代は、バスケットボール部といってもまともな体育館はなく、手狭な講堂を改造しての練習は、ままならなかった。さらに床の一部は根太が折れているのか、ボールがバウンドしないようなところもあった。それでも、体育館で練習が出来るのは良い方で、時には、競合各部との調整で、炎天下砂地の校庭で練習することもまれではなかった。そんな古き時代に、汗をかき、倒れ、水をかけられ、育ったスポ根は、現在では通用しないのであろう。そんな体育会系では、人も集まらないだろうし、炎天下の練習などは、いじめに通じると言うことになったであろう。現役と、現役に近い若い卒業生との練習試合を概観すると、たとえば、その昔トラベリング(ボールを持って3歩以上歩くこと)の反則については、そんなことどこ吹く風のまるで、ハンドボールの選手が、さらにオーバーステップしたような現実を見せられた。それだけでも、締まりがなく、違和感があるが、今やそれが定着しているようにも見える。まぁ、そんなことを言っていても仕方のないこと、昔あまり乗り気でない人の首に縄をかけるごとくして集めた部員は、やはり長続きするわけもなく、今日の結果は目に見えるようである。自分を振り返ると、会社勤めで、しかも遠隔地にいたときは、全くバスケットボール部のことなど思い出すこともなかったし、総会などに行こうとは思わなかったわけで、気持ちはよくわかる。こういった同窓会の幹事とかをやってみると、今までその任にあった人の苦労がよくわかる。現役を支援するかしないかは別として、現役の活動を書いた冊子を届け、その中にアンケートの返信はがきを入れ、それには、賛否の欄に○を書くだけなのにもかかわらず、返信してこない人が大半だという現実である。私個人的には、中学の後半と、高校、大学、さらには地方の実業団にてバスケットをし続けてきたわけだが、そんな私でも、後輩のことなどどうでも良いなどと考えていた時期もあったわけで、あながち批判するには当たらない。大阪府下の同等校のバスケットボール部OB会は、85周年とか90周年の記念冊子を発行していると言うから、心構えが違うとしか言いようがない。私の場合は、大学においてもそんな部活動のOB会の存在は薄く、以前「銀籠会」という冊子をもらって、以来活動があるのかないのかさえ知らない。一応少ない人数の中でもキャプテンを務めていた時期もあるわけだから、私などが音頭をとってやるべきなのかもしれないが、とんとそのような気にはなれない。伝統を受け継いで行くには、かなりな労力とボランティア精神がいるし、それなりに名の通った組織は、やはりしっかりしたものを持っているようだ。私は、現役の活動を見るにつけ、私たちの時代とは隔世の感があるとの感慨が大きい。体育館もバスケットボールコートが2面もとれるような広さだし、試合に使う、備品なども(たとえば試合経過を知らせるには昔は旗を手でめくっていたが、今はそのような電動機器がありそれを使っている)などこれまた隔世の感があるわけだ。部員数も、30人近くはいるだろうか。昔はたったの5、6人だったなどといってみても仕方のないことで、特に、いじめなどが目立つ今日では、他と比べ勝敗がつくようなことには、誰も参加したがらない風潮で、他との競争心や、ひいては優劣をつけることを極端に嫌っているのではないだろうかとも思える。やがて社会に出れば否応なく淘汰されるのだが、大学時代は、何とか仲良しクラブでといった風で、同好会というのが流行っているのだそうだ。そんな意味でも人の心にも隔世の感が芽生えているのかもしれない。といったことを考えつつ、向こう3年間母校のクラブのお世話をしようと心に決めた。
2012.07.29
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友を語る今日は、連れ合いは、高等学校の同窓会の下打ち合わせの会に出かけていった。来年に卒業後50周年を迎える記念の同窓会を開くための打合せである。卒業時のクラスは8組あり、その各組の代表の集合と言うことだが、何故か人数は12名で、その中に入っているとのことだ。一口に50周年と言うが、半世紀であり、極めて長い期間である。余談だが、同じ高校のバスケットボール部は来年で創部以来91周年を迎えることになるらしく先輩共々、95周年記念誌発行を視座に入れている。ともに長い期間を経てきたわけで、感無量である。私は15年前に、思い立って、その時持っていた名刺の整理を行い、それを基に得意のデータベースで人名住所録なるものを作った。知りうる限りの過去に触れあった人達を残っていた名刺を利用して謂わば「Who’s Who」を作ったわけである。名刺であるから仕事上の付き合いに限られているわけで、それに可能な限り覚えている人を加えた内容で、私が知り得た全ての人ではない。1944年に生まれてこの方、父母の生涯を鑑み、私はDNA的には80才が往生となっているから、仮にそれを大略4期に分けて考える。即ち、第1期は生まれてから大学を卒業するまで、そして、入社してから20年近く経つまで、そして、ベテランといわれて、また不用といわれて定年を迎えるまでの20年、そして、定年を迎えてからこの世の終わりまでの20年間である。そして今、私はこの最終期を迎え、歩いているわけだ。各期ごとに濃淡はあるが、概して60歳からの期間はなぜかしら他の時期に比べてウエイトが軽く感じられる。シニアといわれたりシルバーといわれたり、いわゆる最盛期を過ぎた余暇のように思われがちであるからだ。友達の話だが、第1期は、高校までの期間は、きわめてローカルであり、人によっては、限られた近所での幼友達という交友関係しかなく、その範囲も狭い。私のように親の関係で引っ越しを重ねた身でも、友人はきわめて少ない。ちなみに大阪に住んでいた小学校時代には、四条畷(生駒の手前)辺りがこの世の果てだという気がしていた。奈良に京終(きょうばて)という駅があるが、平城京が都であったときには京終辺りが、世界の終わりなのだと感じたからであろう。今は、小学生でも宇宙を知っているので、時代と教育の成果が大きく世界を広げたのである。で、小学校時代は、約20名程度の交友であったかと思う。中学校でも大略その程度であり、高校に入ってからは、先輩や後輩などとの繋がりも出来、100人以上の名前が出てくる。大学になると専門に分かれることもあり、また交友関係は減って高校時代の半分くらいになる。そこで、大学卒業までの交友者は全部で約200人程度ということになる。私の人名住所録には、約3000人の名前があり、その中には親戚縁者(約30名)も含まれているからその差の2770人は、会社勤め乃至、一般の交友(交友がない名刺交換者を含む)というカテゴリーである。私の場合は、大学時代の交友も多少あるものの、半ば表層的にしか過ぎない。さらに言うと、会社勤めの期間は最も長いが、現在も親しくしてもらっている人、数人はいるが、多くの会社を渡り歩いてきた割には、その会社に在籍していたとき以外は、交友関係というものはなく、きわめて寂しいものである。ということで、高校時代の友人が、私の現在の状況に一番多く影響を及ぼしているといって過言ではない。連れ合いもそのうちの1人であるが、元々世捨て人のような生活をしてきた私に、高校時代の友への門戸を開いてくれたのが連れ合いであるわけだ。思えば、かつては高校時代を含め、同窓会などというものには2度と行かないと決めていたわけだから、現在のように大阪に在住し、連れ合いと生活することがなければ、私の晩年はみすぼらしいものになっていただろうと思う。小中学校と大学における交友は、さほど深度はないし、勤め初めてからの交友も多くあるわけでない。勢い世界は高校時代の友人との関係に絞られるわけだ。例外的に、海外旅行に行ったときに気のあった人たちと時々交誼を結ぶことがある。それ以外の友人関係は皆高校をベースとしたものだ。そんなことを考えると、世の中の著名人が新聞紙上で幅広く交遊しているのを見たとき、あまりの世界の狭さに身の程を知ることになる。その高校時代の友人の中でも、特に親しくしてもらっている人たちがいて、私の社会への門戸はそこから広がっている。現在ホットな交誼は、時々ゴルフを共にする夫妻、所謂メル友になった精神の高揚に欠かせない友人、高校時代のバスケットの同窓生とその先輩等々が私を支えてくれている。来月には東京で、会社勤めの21年間で特に指導してもらった3人(2人になるかもしれない)の先輩との久しぶりの会話が待っている。等々、私の人生を語るときは友を語るときであり、彼らの中で私は生かされていると言っても過言ではない。持つべきものは友であろうか。三高寮歌(人を恋うる歌)に「友を選ばば 書を読みて 六分(りくぶ)の侠気(きょうき) 四分(しぶ)の熱」とあるがけだし当たっている。前にも書いたが、名将言行録の中で前田利家は友を4つのカテゴリーに別けている。人間の心は自分が不遇になるといちばんよくわかると言って、不遇時に、1.ざまをみろとさげすむ者、2.世話になったが今は近づけないと泣きごとをいう小心者、3.さぐりにくる者、そして4.ほんとうに心配してくれる者だとか。やはり友とは4番目の「ほんとうに心配してくれる者」であってほしいものだ。
2012.07.28
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知らないということはどれ程心安らかに暮らせるのだろうか。「インサイダー(Insider)」この言葉が、額面通りの言葉、「体制内で安穏に生活している人」であれば問題はない。しかし最近の「インサイダー取引」と言うと一変に様相が違ってくる。「インサイダー取引」というのは、「企業の役員や大株主は、他社との業務提携などで、株価に影響を与える重要情報を一般投資家よりも早く知り得る立場にあり、こうした情報の公表前に、その企業の株を売買することで、巨額の利益を得たり、損失を回避したりできる。」と言うことで、特化された、言葉として使われている。こういった不公平な取引はよろしくないと、1989年4月に改正証券取引法で禁止されたのだ。法治国家だからといって、法律を制定してしまえば、悪事はなくなるのかというと全くそんな事はない。その例が顕在化したのが野村證券や日興證券での出来事である。野村のスキャンダルと平行して、日興證券も何やらきな臭い。インサイダーとは、単純に理性をこえて、精神が野獣になったときの状態なのであろう。一般の犯罪と違って、極めて専門性の高い事柄であるから、一般には何のことか分からない。インサイダー取引と言えば、世間からは見にくいため、なかなか分からないことが多い。例えばA社が極めて画期的な発明をしたとしよう。端的に言うと、ある製薬会社が、ガンに効く特効薬を発見したとしよう。それが発表されるとおそらく、A社には間違いなく、隆盛が訪れるであろう。素晴らしい会社を応援し、ガンに効く薬が市販されると、世の中のガン患者は、挙って買うであろうし、そうなれば、A 社の売上は急上昇し、誰もがそんな会社の株を買って、配当の恩恵に浴したいと思うのが自然である。株式会社の成り立ちの根本は、そういった将来性のある会社に投資して、自らも恩恵に浴するというのが基本的なスタンスである。江戸時代に坂本龍馬が、「亀山社中」という株式会社組織を作ったのもそういった、事を前提にした資金集めにあると言って良い。この事を巧くやるには、相当な知識と経験が要るのは勿論、高度な情報を知りる立場にないと成せない。SMBC日興元執行役員ら事は、担当したTOB(株式公開買い付け)で、元執行役員から公表前の重要情報を得て株を売買したというのだが、この売買も、じっくり考えないと機を逸するわけだ。あまねく人が、A社がとびきりのガン治療薬を発明したというのが知れ渡っては、妙味が薄れるわけで、人より先に知って、通常の株を買い占めたら、新薬が発売されたとき、その会社の株はとてつもなく高くなる。そのほんのの短い期間に、株を買い、高くなったら売り抜けるという方法だ。居ながらにして何千万、何億円の金が入ってくるだろう。それも資金がアレバだが。そしてこう言ったことから、インサイダーとして情報を知り得たか否かの、立証は難しいようである。インサイダーと言えばかつては増資をネタにすることが多かったが、今では多様化しているようだ。証券会社は、企業の重要情報を直接扱う投資銀行部門と、顧客開拓の営業現場とが同一体に属するわけで、これをインディペンデントに保つことはかなりなコンプライアンスが必要とされる。今回の一連の不祥事のように幹部が不正にかかわったといたら、もうお手上げである。最後は人間の品性によるとしか言いようがない。かつては、自らが株などの売買に関わっていなければ、情報提供者に罪はないと言うことだったが、これも不具合だと言うことであろう。私などは金融(他人のお金を転がして、ゲームのように利益を作り出す部門)そのものに大いなる不信感を抱いてる。不信感を持とうがどうしようが、この魔物は、実に厄介で、多くの経済学者が、奔放な理論を唱えても、1本筋で律することは出来ないようである。証券界の雄とされる野村証券においても、国内は言うに及ばず、海外部門への企業情報の節度無き漏洩は、今尚絶えず、社長の首のすげ替えだけでは、是正されることはないであろう。野村證券に至っては、子会社の幹部が、銀座ホステスに下腹部を出し舐めろと強要するなどの行為もあり、その品性は地に落ちているとしか言いようがない。元々、田淵節也と言う品性の落つる社長のDNAを引いているだけのことはあると、双葉より芳しい社風を思わざるを得ない。
2012.07.27
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前回は、大雨のため中止になったコンペだが、今回は、先輩が懇切丁寧にコーチをしてくれたお陰で、ドライバーなどのショットが回復し、先輩と、友人夫妻とで回ったラウンドでは、それなりの成果(100を切る)が出ていた。その余勢と屈辱的なHDCP32の助けを借りることで、今日は絶対に優勝すると心に決め、連れ合いにも宣言して出掛けてきた。友人夫妻も大いなるサポートをしてくれる手はずである。間際になってもう1人の友人は、身内の不幸とかで欠席することになり、我がメンバーは、私とその夫妻だけであった。出がけに帽子を落として取りに帰ったりしたので、出発は遅れた。しかし、プレーには支障はない、と言うか3人だから身軽で絶好のコンディションであった。予定通りプレーは始まり、インからのスタートであった。 No.10(M)のティーショットは、案の定FWセンターで感じはよい。2打目はグリーンには届かなかったが、3打で1.5mにオンした。打ち切れず、ボギーとした。友人も付き合ってボギー、夫人は7つを叩いて、出足は悪いようだ。 No.11(S)は、6Iで左に少し外れたが、距離はぴったりだ。5mに2オンし、2パットのボギーだ。友人も同じく左に外したが、2オン1パットとパーである。強い。夫人バンカーに落としたが確実なリカバリーでダボだ。夫人のバンカーショットは安定している。No.12(M)は、クリークのあるミドルで、何時も苦手とする。ティーショットは高く上がり100YDを残すラフである。2打目で、大きめのクラブを選択したが、何と当たりが悪く左に引っかけ、異常な跳ねは、クリークの岩にも当たり、キンコン、カンコン挙げ句はクリークに落ちた。罰打1の4打はカラーに止まり、アプローチから1パットで、結局ダボだ。これは痛かった。友人夫妻は、好調で、共にパーである。No.13(M)は、右が崖の、コンペではドラ短ホールだ。狙ったわけではないが、ティーが高いせいか天ぷら気味で、結局はドラ短を獲得した。従って2打目は低めだったが、クリーンに当たったものの70YD手前で届かなかった。アプローチをグリーン向こうのカラーに落とし、そこから瓢箪型のグリーンは、パターでは狙えないので、アプローチショットはまたも前方のカラーに落とした。5オンは、5cmで1パットだったが、またもダボ。友人は1パットのパーで、夫人は、3パットのトリプルと明暗を分けた。No.14(S)は、打ち降ろしで、グリーン手前は池である、今日も右グリーンで、距離は少し短い。6Iのティーショットは見事にオンしたが、このニアピンは後続に塗り替えられたようだ。2パットのパーである。友人もパー。夫人はあわや池を免れ、ボギーだった。No.15(M)は、ドライバーは当たりがまあまあだったが、運悪く右のバンカーに入った。友人は目も覚めるような当たりで、FWの前方に運ぶ。私の2打は、クリークで完全に球を捉えて、50YD手前まで運んだ。友人は、夫人とカートから見ていて段々と力む様子が分かり、何とチョロの1mであった。上手の手から水である。私は、アプローチを8mに載せ、惜しい1パット(30cm)を逃して、ボギーだ。友人もボギーとした。夫人はトリプルである。No.16(L)は、打上、打ち降ろしだ。ティーショットは、後遺症か当たりが今一で、右ラフに落ちた。ラフから5Iで脱出し、175YDの3打地点に運んだ。3打目もクリーンに当たり、池の横の絶好ポジションに着いた。アプローチで、4m弱に付けフックが読み切れずボギーとした。友人は1パットのパー、夫人は、ミスが出て、9打としていた。No.17(M)は、右ドッグのドラコンホールで、まずまずのティーショットは友人の球から遙かに控えめだがFWセンターである。2打目もクリーンに当たったが、バンカー越えを残した。3打目をカラーに落とし、アプローチから2パットと再びボギーだ。友人は、2オンのバーディーパットを外し3パットまでしたがボギーである。彼我の力量がよく分かる。夫人は、トリプルであった。前半最終、No.18(L)は、前回の良好な当たりは出ず、FWに僅か届かずである。2打目のアイアンはよく当たり、FWセンターの残り170YDだ。3打目を右に外して山中だったが、ルールを拡大解釈して救済を受け、4打で池越えのカラー、5オンで、OKボギーであった。友人は、理想的な、パーで、夫人は、池に落としアンラッキーなトリプルだった。あがって、私は思惑通り47だったが、友人は39と破天荒な出来である。夫人は58と、前回ほどではなかった。 気づいたら、マーカーが台毎無くなっていた。一寸気が散るが、これで、私も100を切るゴルフが出来る自信が付いた気がした。10:10で前半を終わり45分で後半である。昼食時後続の人がマーカーを拾ってくれていたのはラッキーだった。後半のNo.1(M)では、FWセンターを捉え、まずまずである。左足上がりの2打を超クリーンに当て、12mほどと遠いがオンした。しかし長いパットはノーコンで3パットとし、惜しくもボギーだった。友人も3パットのボギー、夫人も同様3パットでダブルスコアだった。No.2(M)は、ドラ短のホールだ。当たりは良かったが、左ラフで残り145YDに落ちる。7Wでの当たりは良く、グリーンを少しオーバーした。返しのピッチランが不用意で、手前のカラーにまたこぼれた。PT出オンし2パットと、折角の良いショットに報えなく、ダボである。友人夫妻は共に理想的なパーである。No.3(M)は、比較的長いホールで、目論見通り、FWセンターを捉える良い当たりだ。しかし友人は、遙か前方の及びも付かないFWセンターだ。私の2打は60YD手前のFWセンターで、アプローチをダフってカラーに落とし、PTオンから2パットと、じれったいダボ。友人は、楽々2オンしながら、3パットとしたが、ボギーである。悔しがっていた。夫人は、3パットの8打だった。良いティーショットが生きなかったようだ。No.4(S)は、フラットなショートで、近い左グリーンだ。そこで何と友人は、左にチョロしてしまった。後遺症か。私は、これで楽々ニアピンかと奢ったが、あろう事か、友人につられるように左に引っかけて傾斜に落とした。痛恨である。2打で、バンカーに入れ、3打でカラー、4オン1パットで、ダボは痛い。友人は、リカバリー良く1パットのボギーだ。夫人は我々を尻目に1オン(ニアピン)のパーだ。No.5(L)は、右ドッグレッグの池有りコースだ。ティーショットは快音で、一番良い所だと友人も誉めた。2打目も狙いよく右のラフだが、ピンを狙いやすい。ところが、何を間違ったか、そこからゴロで、池に入れてしまったではないか。痛恨である。罰打を加え5オンから2パットで、ダボである。友人は2打目を左にそらしたが、傾斜部からナイスリカバリーで1パットのパー。夫人は、4オンながら3パットでトリプルだった。No.6(M)は、打上、右ドッグレッグだ。ティーショットはまた、天ぷら気味で左ラフだ。ラフからの今日のアイアンは調子が良く、FWセンター90YDまで運んだ。PWでカラーに落とし、パターでオンして1パットとボギーで助かった。そんな事を尻目に、遙か前に飛ばした友人は悠々2オンし、それを1パットで、バーディーを奪った。夫人はトリプルだ。No.7(M)は、距離の長いハンディキャップ1のミドルで、ドラコンホールだ。友人は左ラフに外した。私は、当たり悪く、左土手からようやくFWに出た。夫人は、私を越えてFWに落とした。私の2打目はクリーンで右ラフ、残り90YDだ。大きめのアプローチは案の定グリーンオーバーのカラー。4オンだが、上りを打ち切れず2パットのダボである。ここでは友人もダボ夫人はトリプルだった。No.8(S)は、横長のグリーンで、カップは楽な左だ。6Iで僅か足らず、パターでオンするも、突っ込みきれず、2パットのボギーだった。夫妻は共に、2オンながら1パットでパーである。私が巧く行かなかったホールで、夫唱婦随で良好なスコアは恐れ入る。最終No.9(L)は、ティーショットを前回と同じように、左カート道で2回跳ね上げるなど、遠くへ飛んだ。打ちにくいので、特別救済されて、2打目はクリーンに打ったが、左のFWバンカーにまた捕まった。3打目をシャンクまがいで右土手に当て、慎重に4オンを果たし、2パットのボギーだった。友人は1パットのパー、夫人はトリプル終了だ。私は何とか良いスコアと思ったが、50で終わり、少し懸念していたが、優勝は間違いないだろうとたかを括っていた。ところが、集計表が回ってきて驚いた。友人がベスグロの79である。すっかり失念していた。彼のハンディーは16で、ほぼ私の倍だからよもやと思っていたが、凄い上にも凄い結果で、ネット63は私を2ストローク凌ぐ、文句なしの優勝である。3位(先輩)に5ストロークあけた私の上を行く9ストロークアンダーは天晴れである。これで、次回は友人は1人シングルプレヤーであり、私は人並みの20のハンディーを頂く身になった。表彰式では先輩に、一緒に回っている友人のことをマークしないのは迂闊だと言われたが、彼我の力量の差が今日は歴然とした1日であった。
2012.07.26
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今日はIBMに電話をして、とても不愉快になった。私は、個人的にデータベースを作成し、色々な整理と、こういったブログ作成時の助けにしている。所謂リレーショナル・データベースであり、特定のテーマ別にデータを集めて管理し、容易に検索・抽出などの再利用ができるようにしていて、非常に便利がよい。 その種類は、85を数えるまでになっている。人名住所録や、事故大鑑、略語全集等々であるが、使用しているソフトは、今や日の当たらなくなった、ロータス社の「Approach」である。(生産は中止されている)現行は、大規模システムではOracle社の「Oracle」が、我々が個人的に使うものとして、小規模システムではMicrosoft社の「Access」が、それぞれ市場の過半を占めている。私は元々、ワープロは「一太郎」、表計算は「ロータス123」で始めた関係で、世の趨勢とは相容れなかった。寄らば大勢が使っているソフトと言うことで、早くから「Word」や「Excel」には乗り換えたが、データベースだけは、乗り換えに失敗して「Approach」のままである。ところが、この「Approach」は2000年版を最後に、生産されなくなった。即ち顧客へのサービスもお仕舞いというわけだ。だからといって、使えないわけではなく、今からマイクロソフト社の「Access」に変更するのも大変であるからそのまま使い続けている。「Access」に比べて軽く、使いやすい。しかし、このDB「Approach」にバグが発生したのである。それも85種類ある中の1種類「略語全集」に於いてのみ発生したのだ。自分で修正することは出来ないので、辿り辿って追跡したら、ロータス社は、IBMに吸収されていて、電話の向こうには、IBMの社員が出てくる。元々、リレーショナルデータはIBMのエドガー・F・コッドによって考案されたものが使われているわけで、その大元に立ち返ったと言うべきであろうか。しかし応対に出たのは、1平社員の営業マンである、安田という男だ。この男、おそらく内容はちんぷんかんぷんであるのだろう、私の質問にまともに向かい合おうとはせず、ロータス社の「Approach」は生産を止めて久しい上、サポート期間が終了しているので、質問に答えられないの一点張りである。お粗末な対応に、腹が立った。商売というものは、こういったものであろうか?それとも私が些細な1ユーザーでしか無く、しかも今や誰も使っていないソフトを後生大事に使っている、ちんけなマニアとでも思ったのか、けんもほろろである。流石世界のIBMと感心するしかない。バグというのは、リレーショナル・データベースに於ける図形処理の部分である。他の84種類のものは、いずれも問題なく処理できるのが、何の拍子にか、「略語全集」だけに処理できない状態が出現したのである。即ち、OLE(Object Linking and Embedding)のコントロールに不具合が出来たわけだ。OLEを使うことによって、あるアプリケーションソフトで作成している文書の中に、別のアプリケーションソフトで作成した情報を埋め込んだり、別のアプリケーションソフトの機能をあたかも自分の機能であるかのように使えるというものだ。テキストデータ(文章)だけでは、分からないことを図や、写真を挿入することで理解が早まるが、その図や指針が埋め込めなくなったわけだ。元の会社が吸収合併され、しかも当該ソフトの更新が行われていない、そんなソフトを使う方が悪いと云った風情である。まぁ、その男が売ったわけではなく、潰れた会社の製品であるから、尤もと言えば尤もなのかも知れないが、とにかく木で鼻を括った対応に切れてしまったが、こちらの困惑をどれだけの人が共有しているか分からない、マイナーな問題であるようで、話にならないのである。所謂泣き寝入りにしか成らなくて、Face bookとやらで呟いてみるものの、誰の応答もなかった。いよいよ疎外感を持って沈んだが、腹立たしいことである。そこで、Facebookに呟いた内容をここで再掲載して、鬱憤を晴らそうと思う。【世の中は真っ暗だ。今日IBMに電話した。ロータス社(LOTIUS)はIBMに合併されたからだ。要は、ロータス社が出していた、マイナーなDatabase(アプローチ)を使っていたが、バグが出てきた。そこで、IBMに助けを求めたのだが、営業(安田さん)が出てきて、アプローチは2004年に販売終了し、最早バックアップはありません。と木で鼻を括ったように言われた。買うときのことは関係なく、吸収合併したときもまだサポートしてくれたかも知れないが、長く使っていても、壊れたらそのままで仕方がないとのことだ。と言うやり方は、極めて容認しがたい。多分技術屋なら何とか話に乗ってくれると思ったが、話を繋ぐともしない。残念ですがお客様、売れない製品を後生大事に使っていても駄目ですっと言わんばかりである。あの天下のIBMも、腐ったものだと思う。ITがどうのと言いながら、是では安穏にソフトすら使うことは出来ない。この憤りをどうしたものか・・・。(嘆息あるのみ)やはり泣き寝入りしかないのだろうか???】
2012.07.25
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ついにやってきた。何だかだと反対される中、昨日陸揚げされたようだ。オスプレイ問題の経緯の中に、日本の追従外交が凝縮されているようで、何となくじれったい。オスプレイを解説で紹介していたのは、7月のことだった。それには、オスプレイとは、「空中で静止した状態から水中の魚を急降下して襲う猛きん類ミサゴの英名にちなんでいる」とあり、垂直離着陸が可能な機であるという。そしてそれが、米軍の最新型輸送機であり、かつ開発段階から墜落事故が相次ぎ、30人以上が死亡していると言ういわく付きの機種であると言うことだ。その事を以て「未亡人製造機」と呼ばれているのだそうだ。日本で、最初にオスプレイの名前を知ったのは、今年4月11日の、「モロッコで墜落 普天間に12年配備予定」と言うのであった。その後、6月13日のフロリダ州で訓練中に墜落したという記事である。その後も、7月9日に機体のトラブルを起こし、米南部ノースカロライナ州のウィルミントン国際空港に緊急着陸していたというのだ。その裏側にどれ程の問題を抱えているかと言うことは、計り知れないが、鋭意設計製造した、実戦機と言うだけに、労働災害に於ける「ハインリッヒの法則」を想起した。「1:29:300の法則」とも呼ばれるこの法則によれば、「1件の重大災害(死亡・重傷)が発生する背景に、29件の軽傷事故と300件のヒヤリ・ハットがある。」と言うものだ。ここで2軒の重大事故(死傷事故)が起こっていると言うことから、不時着を含めた58件の軽傷事故と600件のヒヤリハットが存在していたことが覗える。民間企業であれば、徹底的に調査し、実用機種としては採用されないものであろうが、アメリカの国策機であり、その仕様は、旧型のCH46に比べ最高速度は約520km/hと約2倍、航続距離は約3900kmと約5.6倍、搭載量は約9100kgと約4倍、給油なしの行動半径は約600kmと約4倍(空中給油可能になり、更に1100kmと伸びる)等々とされ、それだけを見れば垂涎の機である。従って、オスプレイを開発した側では、少々の機体の不具合など言っておられるかというところだろう。1度出したものは引っ込められないという妙な心理も働いているのだろう。従って、彼らはこのトラブルを全て、操縦者の訓練不足や、未熟さに起因しているとかわしている。(これをも含めてフェイルセーフとはなっていない)本当はどう思っているかは分からないが、アメリカの、パネッタ国防長官も日本側に安全性を保証している。(本気かな?)アメリカとしては、事故、事故と言うけれど、アメリカ海兵隊に於ける全体の事故率2.45に比べて、オスプレイ10万時間当たりの事故率は、現在使用のCH46の事故率1.14をほんの少し上回る1.93であり、大丈夫という言い訳だ。変な理屈である。ここで、それなら、熟練パイロットが操縦する、オスプレイに大統領が数日乗るとか、パネッタ長官が乗るとか言ったパフォーマンスを行えば良いではないかと思う。ちょうど安全だと言ってカイワレ大根を頬張った菅元首相のように。でもお忙しい彼らは、そんなことはせず、「俺(アメリカ)が言うから間違いないのだ。黄色人種は黙って受け入れろ」と、既にこの関係は、我が国が、ペルー来航時に日米和親条約を結んだ、内容と何ら変わっていないのである。和親条約時のアメリカ側の目的は、当時、清をはじめとする東アジアとの貿易のために太平洋航路を必要としていたその為の前線基地である。では、今回はと言うと、中国(北朝鮮)などの脅威に対応するための前線基地と言うことなので、全く変わっていないのだ。和親条約時は、ペリーと林大学。さしずめ今回は、パネッタと森本敏と言う所か。コメンテーター時代の森本は、歯切れは良かったが、防衛大臣になって何となく口ごもるのは、未だに、実質的に日米和親条約下にあると言うことからかも知れない。アメリカ側としては、「装備変更は日米安全保障条約上の権利」と称しているが、これは、東電の「電気代値上げは、東電の権利」とした、西沢社長の言と相通じる。したがってオスプレイは安全としたアメリカボーイング社の社長の言を掲載するのは、設計製造した張本人の言であり、彼らの手前味噌でしか無く、意味がない。消費税だけには不退転の野田総理も、「アメリカにどうこう云えるような話ではない」と諦観である。ほんの少し技術的な考察として、本機の事故の殆どは、離着陸モード(普通のヘリコプター)から固定翼モード(普通の飛行機状態)のトランジッション段階である、転換モード時に起きている。この点に絞って、揚力の関係を追求しないで、何が安全なのかと言うことだろう。金属制の物体が揚力を得て空中を浮遊するのはひとえに翼断面を通過するときの圧力差(揚力)である。このオスプレイは一般にVTOL(垂直昇降機)と航空機の両方を兼ね備えている。揚力と、推進力を切り替えるときの翼断面周りの流体力学的な空気の流れがどのようになっているかを、真面目に考えていれば、追い風時に離陸モードから固定翼モードに切り替えることの危険さを知るべきである。何故大きな、飛行場に滑走路が直線と交差して斜めに設置されているかを考えたとき、風上に向けて離陸したり、着陸したりするという基本的な流体力学的観点から操縦が行われているという基本的な状態をキープしているということを肝に銘じなければいけない。
2012.07.24
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3ヶ月に1回ある高校同窓生のゴルフコンペも過去2-3回不参加だった。その中には川奈ゴルフもあり、日本でも有数の名門コースなので、残念な気もするが、そのための大枚10万円は堪える。通算参加12回目の今日のコースは、私が住む町内にある新大阪ゴルフクラブである。前回のライオンズ・カントリークラブでの成績は11人中7位で、ドライバーが全く飛ばなくなっていた。しかし、今回は、先輩の指導もあって、ドライバーが回復基調にあるので、ゴルフが楽しくなってきた。そんな事で、優勝を期すと言いながら出掛けることになった。今日は少し出発が遅れたが、裏の山道を回れば、車もほとんど無く、ゴルフ場に着ける。8:52のスタートなのに、8:05の出発となったのも、そんな余裕からだ。何時も早めの出発なので着いたときは未だ誰も来ていないというケースが殆どだが、今日ばかりは着くなり大急ぎで支度をしたときにはもう出発前の説明があった。パター練習も、ストレッチもままならない内にトップの組の私は、スタートのくじを引くと、4番であり、最終だった。インからのスタートで、ホールバイホールの結果は、次の通りである。10番(M)は左に緩やかにドッグのミドルで、やや打ち降ろしである。右に飛んだティーショットは土手に落ちて、前が木の間という所だ。2打目は低い当たりで、バンカーを越えて、棚のような芝の部分に落ちた。残り50YDをナイスオンだが距離はあった。そこを1パットで決め、パーだった。幸先がよい。友人達は、OBを含め、ボギーとダボだ。11番(S)は打上砲台ショート。クリーンに当たりあわや、オンかと思った。グリーンをオーバーしていた。返しをピッチランで乗せたまではまずまずだが、何とそこから3パットだ、おまけに2パット目はホールに接する所で止まる始末だ。ダボである。女性は同じで、他の友人は、パーとボギーだった。12番(M)はここの名物ホールで、コースの中間でグリーンの手前に大きな谷がある。谷までは245YDと、通常私には届かない距離である。皆もそうだが、それでも当たりが悪く近くまで行かないと2打で谷を越えられないという具合だ。残り205YDのフェアウェイセンターに付けたが、2打目がもうすこしのところで、対岸に届かなかった。結局プレ5で惜しい1パットを逃して7つ叩いた。1人は3オン2パット、他は皆OBで、ダボ以上だった。 13番(L)ロングは、ティーショットは右ラフだが、まずまずだ。2打目は低くややクリーンに当たった。3打目は湿って残り100の打上だ。ここで気負って、チョロ。4打で、オーバー。返して、オンから惜しい1パットでトリプルを叩く。左足上がりは、天ぷらになりやすい。ここで友人1人は、パーとしたのは立派だ。もう1人は、2OBの11だった。女性は100YD前方から当然のドラコン賞を取ったが、その後OBを出し、9打であった。14番(M)打ち降ろしで良い眺めだ。ティーショットは狙い通りのFWセンター。105YD打上で、手前バンカーに入る。砂が雨で固まっていたのですくったらホームランで向こうのバンカーに入った。そこからエッジに出し、5オン1パットのダボだった。友人2人はボギーだ。15番(M)は良い当たりで、FWセンターを捉えた。上り153YDを7Wでトライするも、当たりが湿って、40YDショート。アプローチをオーバーし、4オンで、また惜しい1パットを逃して、ダボだ。ここでは、友人2人はボギー、女性はトリプルだ。16番(M)はこれも打ち降ろしから打上で、左バンカー手前のラフだ。残り150YDを7Wで右バンカーに入れた。SWで出し、パターで4オンするも、1.5mを2パットしてしまい、またまたダボで、連続3ホールダボだ。ここでは、女性1人ボギーで気をはいたが、友人1人はダボと、OBを出した友人はトリプルだった。 17番(S)は打ち降ろしのショートで、手前は池だ。ややショートで、パターで1mに付け1パットのパーだった。他もパー1人とボギーだった。フロント最終18番はロングで、谷越えである。気負って引っ張ってしまいOBを出した。プレ4からの当たりは良く100YDに付けたが、5打をチョロし、6オンとなった。1パットはタッチが良かったが、10cmの惜しいトリプルだった。友人1人と女性はボギー、もう1人もOBを出し、9打だった。前半を終わり、後続の組がなかなか上がってこない。後半スタートの12:00間際にすれ違うように食堂に来た。おそい!後半に出た。1番((M)はミドルで、352YDとあるが実際はもっと短い感じだ。途中まで水平で、そこから下っている。まずまずの当たりで、残りが197YDとでた。2打目もクリーンで、左グリーン手前40YDだ。3オンを5mとし、1パット10cmに近づくも2パットのボギーとした。友人1人はパー、他はボギーとダボだった。 2番(S)のショートは7Wで右奥の1stカットだ。パターで2オンを40cmに付け、皆「ナイス、パー」と言いかけたのを2パット。何で?のボギー。友人もボギーとダボ、女性はトリプルだ。3番(M)の打ち降ろし左ドッグは、左のOBが気になり右ラフに落ちた。2打目はラフからで、懸念の天ぷらとなった。残り78YDのFWセンターだ。PWで3オンしたが1パット目をカップに嫌われて2パットのボギーだ。ここでは他の3人は全てOBを出し、ダボ2人のトリプル1人だ。4番(L)ロングは、ティーショットでグリップが緩み右ラフだ。2打目は70%の出来でFWセンターである。3打目は天ぷら気味で、残り120YD左ラフ。そこからチョロチョロして、やっと6オンだ。1.5mをまたまた惜しく2パットのトリプル。友人1人は一緒、もう1人と女性はダボだった。ここもビックリするくらいに女性ティーは前だ。当然ドラコンを取る、ドラコン設定は駄目だった。 5番(M)は、右のカート道の上だ。2打は、セミクリーンに当たったものの、バンカー越えの30YDを残した。このアプローチは絶妙で、1mに付いた。しかし、ここでもカップに嫌われ2パット。残念なボギーだ。ここで、私よりピン近に、他はダボとトリプル。 6番(M)セカンドから打上になるティーショットは先ず先ずのFWセンター残り150YD。2打目はクリーンに当たり、グリーンを僅かにオーバー。パターを10cmに付け、念願のパー。友人2人のボギーと女性のダボに勝った。7番(S)は前を大きな池が遮るやや打ち降ろしのショートで、7Wで距離ぴったりのグリーン横カラー。パターでオンし1パットのパー。友人2人もパー、女性はボギーだ。 8番(M)のパー4は、やや天ぷら気味で残り145YD。2打目をバンカーに入れた。SWで向こう側のカラーに落とし、それからパターでオンして、2パット叩く。ダボだ。女性もダボで、友人2人はパーだった。バックナインの最終9番(M)では、ティーショットはど真ん中のFWセンター。2打目は力んでダフリチョロ。3打目飛ばず残り135YD結局4打でも届かず、惜しい2mの1パットを外して、トリプルと痛恨。皆は2人のボギーとダボ。9番をホールアウトし、ゆっくり風呂に入って、約1時間またされて表彰式が始まった。その席上、今日欠席のA君は、肺ガンで余命がないという。もう1人も、食道ガンらしく、こちらは未だましなようだ。しかし、プレー中の1人も白血病を抱えているので、最早、スコアはどうでも良く、無事帰ってこられたのが幸いとしなければいけない感じだ。落ち着いて反芻すると、何とパット数は、31であったが、その内の13ホールは、2パットでありながら、1パット目が40cmより離れることはなく、カップに嫌われたのが2ホールあるなど、まだまだ改良の余地は沢山ありそうだ。
2012.07.23
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第百十五段【本文】 宿河原といふ所にて、ぼろぼろ多く集まりて、九品(くほん)の念仏を申しけるに、外より入り来たるぼろぼろの、「もし、この御中に、いろをし房と申すぼろやおはします」と尋ねければ、その中より、「いろをし、こゝに候。かくのたまふは、誰(た)そ」と答ふれば、「しら梵(ぼん)字と申す者なり。己れが師、なにがしと申しし人、東国にて、いろをしと申すぼろに殺されけりと承りしかば、その人に逢ひ奉りて、恨み申さばやと思ひて、尋ね申すなり」と言ふ。いろをし、「ゆゝしくも尋ねおはしたり。さる事侍りき。こゝにて対面し奉らば、道場を汚(けが)し侍るべし。前の河原へ参りあはん。あなかしこ、わきざしたち、いづ方をもみつぎ給ふな。あまたのわづらひにならば、仏事の妨げに侍るべし」と言ひ定めて、二人、河原へ出であひて、心行くばかりに貫き合ひて、共に死ににけり。 ぼろぼろといふもの、昔はなかりけるにや。近き世に、ぼろんじ・梵字・漢字など云ひける者、その始めなりけるとかや。世を捨てたるに似て我執(がしふ)深く、仏道を願ふに似て闘諍(とうじやう)を事とす。放逸(はういつ)・無慙(むざん)の有様なれども、死を軽(かろ)くして、少しもなづまざるかたのいさぎよく覚えて、人の語りしまゝに書き付け侍るなり。【訳文】 宿河原という所で、ぼろぼろが大勢集まって、九品(くほん)の念仏をお唱え申していた折りに、そこへ外から入って来た、ひとりのぼろぼろが、「もしかすると、このお仲間に、いろをし房と申し上げるぼろがおいでになりますか」と尋ねたので、その仲間のうちから、ある者が「いろをしは、ここにおります。そうおっしゃるのは、どなたか」と答えたところ、「わたしはしら梵字と申す者です。わたしの師匠の何某(なにがし)と申しました人が、関東で、いろをしと申すぼろに殺されたと承りましたので、その人にお目にかかって、恨みをお晴らし申したいと思って、お尋ね申し上げるのです」と言う。これを聞いたいろをしは、「殊勝にも探して来られましたなあ。そうしたことが確かにありました。しかし、ここでお逢いいたしては、道場を汚しましょう。さあ、この前の河原へ参り、立ち合いましょう。ああ恐れ多いことです、付き添いの方々、どちら側にも味方なさるな。多くの人たちの迷惑になったら、仏事の妨げでございましょうから」とことばで約束して、二人して河原へ出て立ち合い、思う存分互いに刺し違えて、一緒に死んでしまった。 このぼろぼろという者は、昔はなかったのであろうか。近ごろの世に、ぼろんじ・梵字・漢字などといわれた者が、その起こりであるとかいうそうである。このぼろぼろは、出家・遁世している風を装って、しかも、我執がつよく、仏の道に入ろうと願うように見えながら、喧嘩・闘争を専門にしている実に勝手気ままで恥知らずのありさまではあるが、この二人のぼろぼろの話は、死ぬことを何とも思わず、また、それにちっともこだわらない行き方が小気味よく思われたので、ある人がわたくしに語ってくれた通りにここに書きつけておく次第です。【注釈】・ぼろぼろ:非僧俗の無頼の乞食の徒党(山野に放浪する類であったようだ)・九品:浄土往生の九つの段階・階級・恨み申さばや:恨みをはらす・対面:ここでは決闘・あなかしこ:ああ恐れ多い・我執:仏語、実在しない衆生の本体を実在するとみだりに執着すること・放逸・無慙:勝手気ままな心・もろもろの功徳と有徳の者を尊崇しない・なづまざる:こだわる、執着する第百十六段【本文】 寺院の号、さらぬ万の物にも、名を付くる事、昔の人は、少しも求めず、たゞ、ありのまゝに、やすく付けけるなり。この比は、深く案じ、才覚をあらはさんとしたるやうに聞(きこ)ゆる、いとむつかし。人の名も、目慣れる文字を付かんとする、益なき事なり。 何事も、珍らしき事を求め、異説を好むは、浅才(せんざい)の人の必ずある事なりとぞ。【訳文】 寺院の名称や、そのほかのいろいろな物にも名前をつけることは、昔の人は、ちっとも思案をこらすことなく、ただ、ありのままに、気がるに名づけたのである。ところが、最近は、よくよく工夫を凝らし、才の働きを示そうとしているように名前のつけ方が受けとれるのは、実にわずらわしいことだ。人の名も、読みなれない文字を使って付けようとするのは、何の益もないことである。 何事についても、珍奇なことを強いて探し、通説と変わった見解を知りたがるのは、学才の乏しい人の必ずやることであるという。【注釈】・さらぬ:さあらぬの略。そのほかの・異説:普通と違う考え・浅才:浅はかな学才第百十七段【本文】友とするに悪き者、七つあり。一つには、高くやんごとなき人。二つには、若き人。三つには、病なく、身強き人。四つには、洒を好む人。五つにはたけく、勇める兵(つはもの)。六つには、虚言する人。七つには、欲深き人。よき友、三つあり。ーつには、物くるゝ友。二つには医師(くすし)。三つには、智恵のある友。【訳文】 友達とするのによくない者が七つある。第一には、身分が高く重んずべき人。第二は、若い人。第三には、病気を持たず、身体強壮な人。第四には、酒を飲みたがる人。第五には、剛勇で、血気にはやる武士。第六には、うそをつく人。第七には、欲の深い人。 これに対して、よい友には、次の三つがある。第一には、物をくれる友。第二には、医者。第三には智恵のある友。【注釈】・良き友:論語李氏第十六の四 孔子日、益者三友、損者三友、友直、友諒、友多聞、益矣、友便辟、友善柔、友便佞、損矣、 孔子の日わく、益者三友、損者三友。直きを友とし、諒(まこと)を友とし、多聞を友とするは、益なり。便辟(べんべき)を友とし、善柔を友とし、便佞(べんねい)を友とするは、損なり。孔子がいわれた、「有益な友だちが三種、有害な友だちが三種。正直な人を友だちにし、誠心の人を友だちにし、もの知りを友だちにするのは、有益だ。体裁ぶったのを友だちにし、うわべだけのへつらいものを友だちにし、口だけたっしゃなのを友だちにするのは、害だ。」第百十八段【本文】鯉の羮(あつもの)食ひたる口は、、鬢(びん)そゝけずとなん。膠(にかは)にも作るものなれば、粘りたるものにこそ。 鯉ばかりこそ、御前にても切らるゝものなれば、やんごとなき魚なり。鳥には雉、さうなきものなり。雉・松茸などは、御湯殿の上に懸りたるも苦しからず。その外は、心うき事なり。中宮の御方の御湯殿の上の黒み棚に雁の見えつるを、北山入道殿の御覧じて、帰らせ給ひて、やがて、御文にて、「かやうのもの、さながら、その姿にて御棚(みたな)にゐて候ひし事、見慣(なら)はず、さまあしき事なり。はかばかしき人のさぶらはぬ故にこそ」など申されたりけり。【訳文】 鯉で作った吸い物をたべた日は、髪の毛がほつれて乱れないという。鯉は、膠にも作る材料であるから、粘りのあるものなのであろう。 鯉だけは、天皇の御前でも切って料理されるものだから、魚の中でもたいした魚なのである。鳥類では、雉が並ぶもののないものである。雉や松茸などは、宮中の「御湯殿の上」の間に懸けられてあるのも、見っともなくない。上に挙げた以外のものがあると、感心しないものである。中宮の御殿の「御湯殿の上」の間の黒み棚に雁が見えたのを、北山の入道殿が御目に留められて、邸にお帰りになって、すぐに、お手紙で、「あのような物が、そっくりそのまま、もとの姿で黒み棚に置いてありましたのは、見慣れないことで、みっともないことです。こうしたことは、お側に意見するしっかりした人が仕えていないからなのでしょう」などとお申し上げなされたことである。【注釈】・さうなきもの:ならぶものがない・中宮:皇后の別名・北山入道殿:中宮禧子の父第百十九段【本文】鎌倉の海に、鰹と言ふ魚は、かの境ひには、さうなきものにて、この比もてなすものなり。それも、鎌倉の年寄の申し侍りしは、「この魚、己れら若かりし世までは、はかばかしき人の前へ出づる事侍らざりき。頭は、下部(しもべ)も食はず、切りて捨て侍りしものなり」と申しき。 かやうの物も、世の末になれば、上ざままでも入りたつわざにこそ侍れ。【訳文】 鎌倉の海岸で、鰹という魚は、あの地域では、無上のものとして、このごろはもてはやすものである。その魚も、鎌倉の古老の申しましたところでは、「この魚は、わたしどもがまだ若かった時世までは、ちゃんとした方の御前へ出ることはございませんでした。頭は、下部もたべず、切って捨てましたものです」と申しました。 こうした物も、末世となると、上流階級にまでも入りこむという次第でございます。【注釈】・境ひ:地域・さうなし:第一等の・下部:身分の賤しい者・上ざま:上流社会第百二十段【本文】 唐の物は、薬の外は、なくとも事欠くまじ。書(ふみ)どもは、この国に多く広まりぬれば、書きも写してん。唐土舟(もろこしぶね)の、たやすからぬ道に、無用の物どものみ取り積みて、所狭く渡しもて来る、いと愚かなり。 「遠き物を宝とせず」とも、また、「得難き貨(たから)を貴(たふと)まず」とも、文にも侍るとかや。【訳文】 中国からの渡来品は、薬のほかは、なくても不自由はすまい。書籍類は、この国にたくさん流布してしまっているから、いくらでも書写することができよう。それなのに、唐船が、困難な航路を通って、実用にならぬ品々ばかり積み込んで、ぎっしりいっぱいにして、続々と輸送してくるということは、はなはだ馬鹿げたことである。 「遠方の品物は、宝としない」とも、あるいはまた、「なかなか得られない財貨を貴重視しない」とも、古書の中の文句にもございますとか。【注釈】・たやすからぬ道:航行の容易でない海路・無用の物:贅沢品・所狭く:船内が狭いほど一杯に
2012.07.22
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昨日の日経新聞の第1面に、9段抜きであまり見たくない記事が掲載された。そしてこういった大見出しの記事は、通常何面かに渡って、解説なり補強記事が載るのだが、それは一切無く、この記事で終わりである。何やら複雑な気持ちだが、と言っても、ついに来るものが来たと言うだけで、大きな感慨はもはや無い。副題には、供給過剰と円高が災いしていると書かれている。削減の割合は、7%とと言うが、これは造船業界全体としてであり、私が在籍した会社は、何と4割も削減しているというのだ。早い話が、ほぼ半減したと言うことである。大手の造船会社は早くから脱造船に取り組んでおり、成果を上げているし、高度な技術力を有する付加価値の高い船もどんどんと設計・製造しているわけで、そういった面では、海外の造船所に技術を流し、新興国での連携も巧くやっているようで、この流れに対して差ほど大きなインパクトはないかも知れない。3年前には、2010年問題として、造船もやり玉に挙がっていた。その時、造船業界はやがて来る「船舶大量供給」が予想されると言うことで、2010年以降が本当の勝負だと言われていた。要は船舶を過剰に造りすぎたのである。2008年には、一旦、造船業界急回復により、私が在籍した会社は営業利益が、前期比の5倍に膨れあがったのだが、その先の崖を見据えて、慎重な見通しを立てていた。中国や韓国の台頭で、安易な建造がなされ、船腹の過剰は否めなくなってきた。そこに、主要鋼材の値上げ、さらには円高が加わって、日本の競争力は著しく低下してきたわけだ。当時話題になったのは、韓国・中国が造船受注の大攻勢に転じて来て、日本が世界一の造船シェアの40%弱を占めていた2001年時点に比べて、2007年では韓国40%、中国35%、日本は12%まで後退したとあった。現在でも概ね同じで、日本の地位は低いままである。1986年には、大幅な造船設備過剰が叫ばれ、日本の造船業は、挙って設備を大幅に削減する事態となり、各社とも大きな赤字を出し、無配に転落、さらには、企業の統廃合を行ってきたわけである。業界の再編が進み、日本の造船界は、5つのグループに集約されるに至った。勿論大幅な人員削減(リストラ)を伴ったことは言うまでもない。春闘に於いても、それまで横並びだった賃上げ交渉も、各社の体力と業績に別れて格差を生じることになりベア・ゼロ回答も出てきた。その後も、1994年のOECD造船協議で、各国政府の造船への助成金を原則廃止するなどの造船協定が結ばれた。そしてまた、今日の船腹過剰による建造設備削減の動きである。日本に於ける造船は今後、付加価値の高い船に特化して建造する方向となり、重工業各社では、造船部門をスピンアウトして事業構造の変革で対応しようとしている。今回の波は、当然予想される結果であるが、今年の年頭に言われ始めた造船に於ける2014年問題現実のものとなってきたわけだ。船腹が過剰であり、新造への意欲が減少している上に、需要が戻っても、韓国や中国の安値攻勢には太刀打ちできなくなっている。それではと言うことで、日本は、中国や韓国に於いて成しえない高付加価値船の建造を目論むが、かつて自らが推進した技術流失のためになかなか上手くは行かないようである。そこで再燃しているのが、企業の統合である。JFEとIHIが傘下の造船子会社の合併を決め、三菱重工業も設計の外部供与を始めるなど生き残りをかけて奮闘している。かつての造船大国も、新興国勢力の前にひとたまりもなく、最早見る影が無いとも言えそうだ。かつての大英帝国が辿った道を、今日本は辿ろうとしているようだ。造船は、鉄を扱う国の基幹産業であったが、その固いイメージも、この様なドラスティックな変動の前には、対応力も最早無きに等しい。船は水に浮かぶ巨大な構造物であるが、水に関係しているから水ものだというだじゃれでは済まされない事態になっている。安値攻勢に対抗する手段として考えられているのは、川重のブラジル造船会社との提携や三菱重工のインドにおける提携などに見られる海外生産の拡大である。そういった足場のない企業では、自然と淘汰されるか、寄り合って体力を増強するかのいずれかしかない。また、三菱重工などは、海外への更なる技術提供などを推進し、そのロイヤリティーで収入を得ようとする動きもある。いずれにしても、日本に於ける造船業の将来は暗く、造船が主たる柱の三井造船などは、益々の窮地に立ち至るであろう。
2012.07.21
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結構時間が空いたが、久しぶりに日経十選を鑑賞しようと思う。このたびは、「絵のある場所」で、日本女子大学教授の馬渕明子氏が選んだ作品の鑑賞である。絵を鑑賞する場所とその絵画の関係について考察を加えたものである。第1選はレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」である。10年余前に修復を終えたこの絵は、色鮮やかに蘇っているとのことだ。イタリアは、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院食堂の壁画である。「最後の晩餐」は過越祭にキリストが、「汝らのうちの一人われを売らん」と告げ、弟子たちはいっせいに動揺し、「主よ、われなるか」と、各々の表情で語りかける状況を描いたものだ。この絵画は、厨房から食堂までの通路を確保するため下半分を切られ、第二次大戦での爆撃から守るために必死の作業が続いたが、結局は、この絵の部分だけが残ったのだそうだ。奇跡の壁絵で、訪れる人も多いようだが、我々はイタリア旅行中に見に行くことが出来なかった作品だ。第2選は、ウィレム・ファン・ハーストによる「コルネリス・ファン・デル・ヘーストの収集室 」である。ここに描かれた40点ばかりの絵を収集した部屋で、部屋自体が架空の存在であり、コレクターが客に見て貰いたい作品を一堂に介して描いたのだそうだ。このような架空の部屋に自分が所有する絵画を描いて楽しんだのだろう。第3選は、アントワーヌ・ヴァトーの「ジェルサンの看板」である。絵描きには、キャンバスだけでなく、看板をかくものもそう呼ばれた。ベルリンのシャルロッテン城にあるというこの絵画は、ヴァトーがジェルサンへのお礼として描いた作品だ。画商ジェルサンがノートルダム橋沿いで経営していた画廊の入り口用の看板として制作された作品で、結構度肝を抜くほどの大きさである。壁一面に掲げられた絵画、それを巡って、正に購入しようとしている客が描かれている。18世紀の絵画は重く重厚なものだったようだ。第4選は、ジュール=ウジェーヌ・ルヌヴーの「ミューズと昼と夜の時の寓意像」である。これはパリのオペラ座の天井画であるという。我々がパリに行ったときに、「ま、いいか」とオペラ座に入らなかったが、その天井画と言うから、見ておけば良かったと思う。しかしこの絵は、シャガールの天井画によってそっくり被せられてしまい、今は見ることが出来ないのだそうだ。飛翔する人物が飛び交う姿を描いた絵は、ナポレオン3世に気に入られたが、後の19世紀のフランス文部大臣のアンドレ・マルローによってシャガールの絵と置き換えられたのだそうだ。絵画に対する好みや流行りは、時と共に揺れていることが分かる。第5選はフィンセント・ファン・ゴッホの「ひまわり」である。ゴッホでひまわりと言えば、数限りなく描かれた対象だが、このひまわりも、ひまわり自身を目の前にして描いたものと、それを複製しようとして作られた2種類があるという。東郷青児の美術館にあるこの作品は、後者の複製版であるという。同居者ゴーギャンを迎えるために12点のひまわりで部屋を飾ろうとしたが、間に合わず、夏に描いた絵を冬に模写したというのだ。既に去ったゴーギャンの居る間に完成しなかったようで、もしこれら12点が当初の目的通り1室に飾られていたら、圧巻かも知れない。第6選は、クロード・モネの「藤(部分)」である。オランジュリー美術館にこの作品はある。ルーブル美術館とオルセー美術館に程近いコンコルド広場一角にある。睡蓮の部屋は、いかにも贅沢な部屋だ。徳島の大塚美術館にも同じ模倣の部屋がある。あのオーバル形状のあの睡蓮の上にこの藤の絵を掲げようとモネは考えていたようだ。日本の欄間をイメージしてのことだったようで、現在は、その志には添わず、単独で出品されているという。第7選は、ミレーの「晩鐘」である。余りにも有名で、おそらく小学校か中学校の美術の教科書に引用されている絵画では無かろうか。しかし、この絵は、同階級の人の手に渡ることはなく、金持ちが所有し、その部屋を飾ったのであろうが、敬虔な農民は貧しく、この絵を飾る部屋は大金持ちだとのアンバランスを当時の所有者はどう言った気持ちで観たのであろうか。第8選は、コルネーリス・デ・ヘームの「静物(朝食)」である。このような静物画は良く見る。果物と牡蠣が同じトレーに載っているのも日本とは違った食文化を感じさせる。食が潤沢なテーブルの間に、この絵を掲げる意味は何か、もっと美味しいものをという意味なのか、デ・ヘームの父は、この朝食画を描く画家だったが、自分が描いた絵に「警告 断食すべし。魂の救いのために断食を行わぬ者は、罪と悪と肉欲から解放されぬ」と書き込んだという。いずれにせよ、この絵は何を意味していたのだろうか。第9選は、有名なボッティチェリの「プリマヴェーラ(春)」である。フィレンツェで最も人気のこの絵は、愛と美の女神ヴィーナスを中心に、左にヘルメス・三美神、右に春の女神プリマヴェーラ・花の女神フローラ・西風ゼフェロスを配する。本作に描かれる主題は、今尚解釈に於いて議論のあるところらしい。絵を依頼したのは、メディチ家で、若様の1人が結婚したその寝室の控えの間に飾られたというのだ。権威あるメディチ家の嫁として、子孫繁栄と、夫に対する貞淑と従順を促す目的であったという。この名画がそのような意味を持っているのだと言うことを始めて知った。第10選は、フランソワ・ブーシェの「ソファに横たわる裸婦」である。他の画家が描く裸婦と違った愛らしさがあるが、それでも裸婦像は芸術家わいせつかの議論を巻き起こす。西洋美術に於けるヌードは、かつては、ある必然性に依拠するもののみ許されたが、18世紀のブーシェの時代には、ヌード自体を楽しむ風潮に変わってきたのだという。本画は別名「黄金のオダリスク、金髪のオダリスク」とも呼ばれれ、本作に描かれる人物のモデルはフランス国王ルイ15世の公妾にまで登りつめた、カサノヴァの恋人のひとりでもあったルイーズ・オマフィーだと言う。やがて、3年で王の寵愛を失い、持参金付きで役人に払い下げられたとか。いやはやといった感じである。
2012.07.20
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5月に第82回定例ゴルフコンペを行って、次回は優勝かとの心づもりで居る私だが、先輩は、私にコーチをしてくれた。しかも、練習券付きと来るから、至れり尽くせりである。そんな打ちっ放し練習を2回ほどして、今日は、その成果を見るべく、友人夫妻と4人で、高槻カントリーを回ることになった。友人夫妻とは、先月、連れ合いとの定期ラウンドをして依頼のことである。このところの暑さで、最近はめっきりゴルフにも出掛けなくなっている。その分練習をしているので、何とかなるだろうと言うことだ。7:52スタートで、何を思ったのか、7:15に先輩をピックアップする約束をしたが、もうすこし早くと7:10の約束にしたのだが、考えてみると、遅いかなと勝手に、判断6:50に先輩の家を訪ねた。先輩は、朝の植物への水やりを終えた所のようだったが、私の早すぎる迎えにも快く応じてくれた。そんな時、友人から電話で、奥さんが行けなくなったとのことだったが、理由は、家の鍵を無くしたという騒動で、奥さんは待機するとのことだったが、やがて見つかり、予定通り来てくれると言うことだった。この間、大悶着があったようだが、予定通りプレーは始まった。今日は、コンペがあるとのことで、その前に入り、朝1番のスタートである。No.1(M)でオナーを引いたショットは良い当たりだったが、右のバンカーに入った。通常は手前で止まるのだが、当たりが良くなったので、悪い気はしない。先輩は天ぷら気味、友人はダフリ気味だったので、私は上出来だった。奥さんも良い当たりのスタートだ。バンカーからは7Iで、ピンまで50YDに付けた。そこからオーバーし、返して、1パットのOKボギーだ。先輩は、3パットのボギー、友人は、狂って、奥さんと同様トリプルボギースタートだ。 No.2(M)は、コンペではドラ短のホールだが、当たりよく、右ラフだが、バンカーの手前まで飛んだ。7Wを試したが、少し高く上がり、また、右ラフに落ちた。アプローチで少しオーバー、返して、2パットと、ダボになった。先輩はパー、奥さんは、ボギーと快調、友人は私と同じダボだ。 No.3(M)は、比較的長いホールで、目論見通り、左土手から、左ラフに落ちた。先輩はFWセンター、友人はやっと目覚めたか、山裾を越え、遙かに前に出る。奥さんは、良い当たりで、最前方へ飛ばす。2打目は、超クリーンに当たり、40YDを残した。また、アプローチをオーバーひ、返して1パットのボギーだ。先輩はパー、友人はボギー、一番前の奥さんはダボだった。No.4(S)は、フラットなショートで、少し遠い右グリーンだ。8Iで若干トップ気味は向こうのラフだ。7Iのチップ&ランから1パットのパーだった。このホールはバンカーに入れて、ボギーを叩いた奥さん以外は皆パーだった。No.5(L)は、右ドッグレッグの池有りコースだ。ティーショットは快音で、先輩もナイスと言ってくれた。しかしそこからが悪く、少しスライスして、右の林に入った。救済で出して、セットアップを狙ったボールは何故か良い当たりすぎて、池に転がり落ちた。、1打罰でカラーに乗り、1.5mのパターを2パットと、痛恨のトリプルだ。先輩はすんでのバーディーをボール1個で逃し、友人同様パー、奥さんはボギーだった。なかなかハイブローな戦いである。 No.6(M)は、打上、右ドッグレッグだ。ティーショットは低く、特上の当たりで、FWセンターに落ちた。残り170YDの2打目もこれまた超良い当たりで、今まで飛ばず、2オンすら出来なかったがグリーンをオーバーした。返してオンは、惜しい1パットを逃し、またしても、ボギーだ。このホールは友人のパーを除いて、3人は皆ボギーだった。No.7(M)は、距離の長いハンディキャップ1のミドルで、コンペではドラコンホールだ。先輩と友人が左ラフに外し、私は、右ラフに出た。ただ1人奥さんだけがFWを捉えた。2打目もクリーンに当たり、残り40YD残念ながらアプローチをまたオーバーし、返しが短くグリーンに載ったが、2パットのダボとなった。先輩はボギー、友人は何と2打目を右へ2回OBして、9打をたたき、奥さんは、8打と之に準じた。No.8(S)は、横長のグリーンで、カップは楽な左だ。7Wのティーショットは、届かなかった。2打目も慎重さを欠き3オンの2パットで、ダボ。ここでは奥さんのパーを除き、2人はボギーだった。最終No.9(L)は、ティーショットを左カート道で2回跳ね上げるなど、1番遠くへ飛んだ。打ちにくいので、右に出し、2打目もクリーンに当たって、3打目ではグリーン横に「Almost on」でパターで突っ込みきれず2パットして、ボギーだった。友人がパー、奥さんがダボで先輩は私と同じボギーだった。昨日までの暑さを引きずってはいるが、少しの雲があり、比較的涼しいと思うゴルフ場は、最大標高395mで、市中とは2-3℃低いこともある。昼休みにビールを飲んだが、それまで先輩に奢られて、何という豪勢なゴルフかと思う。午後のスタートはすぐに始まった。No.10(M)は、突然思いもよらぬ事から始まった。オナーの友人が一寸トップし辛うじて池は越えたが、正面のラフに落ちたのだ。今日の友人は、鍵事件の尾を引いてか、一寸乱れたスタートだ。私はよい当たりで、FWだ。2打も超良い当たりで、何と、グリーンをオーバーしたではないか。パターでオンし、惜しくも1パットを外したが、ボギーだ。今日は、グリーン向こうからの返しが多い。先輩のパーの他は皆ボギーである。なかなかハイブローだ。No.11(S)は、7Wで左に少し外れたが、2オン1パットのパー。友人も同じ、先輩と奥さんは、ボギーだが、特に奥さんは手前バンカーからの脱出即オンで、ボギーとしたのは立派だ。 No.12(M)は、クリークのあるミドルで、何時も苦手だが、今日のティーショットは絶好だった。アプローチで2mに2オンしたが、惜しくもボール1つ分外してバーディーを逃した。友人と同じパーで、先輩はボギー、奥さんはダボだった。No.13(M)は、右が崖の、コンペではドラ短ホールだが、ティーショットは良い当たりで、右バンカーの先端を越えた。2打もクリーンに当たり、何と2オンではないか。滅多にないことだ。しかし2パット目を惜しくも外してボギーとした。男性は皆パー、奥さんはOBを含んで、ダボである。 No.14(S)は、打ち降ろしで、グリーン手前は池である、今日は右グリーンで、距離は少し短い。6Iのティーショットは距離は少しオーバーで、右に外れた。ここでも、パターでの2オンから3パットしてしまった。先輩がパーで、友人夫妻は、ボギーである。No.15(M)は、ドライバーは気持ち良く飛び、日頃届かないバンカーを越えるFWに落ちた。それに2打目の4Wウッドがクリーンに当たり、何と2オンである。是も嬉しい。しかし2パット目を外す3パットのボギーだった。先輩はパー、友人もボギー、奥さんはダボだった。 No.16(L)は、打上、打ち降ろしだ。ティーショットは、まずまずのFW。しかし、2打目、3打目を連続ミスして、4打目で、池の手前で辛うじて止まった。ここでも5オン3パットで、たちまちトリプル。友人は、2打目をOBかと探したが、相当前方に見つかり大助かりのパー。先輩もパーで、奥さんは、9打であった。No.17(M)は、右ドッグのドラコンホールで、まずまずのティーショットは先輩を凌駕した。2打目は右に出て、前方の土手に突き刺さるように消えた。溝から出して3オン。ここでも惜しい2パットを外し、ダボだ。男性2人はパー。奥さんは、ティーショット天ぷらで左崖下にOBの9打であった。 後半最終、No.18(L)は、今までにないティーショットで、良かった。ただ2打目のチョロは何をか況やである。3打目はそれほど良い当たりではなく、FWへ。残り130YDを7Wで右から土手を利用してカラーへ。パターでのオンから1パットで沈めボギーだった。上がっては先輩と同様ボギーで、友人夫妻は、共にダボであった。やっと私も100を切るゴルフが出来る自信が付いた気がした。 13:00で終わったが、帰りはレストランで、かき氷を食べ談笑して帰宅した。
2012.07.19
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6年前大阪に帰ってきて、使っていたキッチンの模様替えをした。1週間前には、リビングのソファーを替え、今日の模様替えで、一段落である。上牧のマンションに入ったときから使っていたキッチンのテーブルは、とても大きくて、今のマンションでは、身動きが取れないで居た。冷蔵庫の開閉にも支障があり、冷蔵庫の表面の金属製の板は、テーブルの天板で酷く傷が入ってしまっているほどだ。連れ合いの実家には、キッチンが広い割にこぢんまりしたテーブルがあることに気づいた。横と縦を測り、高さを測ると、こちらのマンションに丁度良いことが分かった。こちらのテーブルはサイズ的には連れ合いの実家のキッチンにマッチするものである。そんな事で、昨日思い立って、1人で、この大きなテーブル同士を交換することに決めたわけだ。私1人でやるには、荷が勝ちすぎると連れ合いは言うが、私には勝算があった。勿論テーブルの天板と足は金具で止められバラバラにすることが可能であるから、先ず、実家のテーブルを解体することから始めた。4脚のトップは各々8本のビスで固定されていて、プラスのドライバーで、1本1本外していった。念のために天板と脚トップのフランジに合いマークを入れておくのを忘れなかった。冷房を効かした部屋での作業でも結構な汗をかく。やがて外れたので、それらを車の後ろに入れ込んだ。こんな時にはワンボックスのハッチバックは便利が良い。それをマンションに持ち帰り、管理人に台車を借りて、部屋まで運び込んだ。今度は、マンションのテーブルを解体する番だ。是は4脚の天板を6角の穴付ボルト各1本で、簡単に固着する方法を採っていた。これを棒状6角スパナで、いとも簡単に分解し、それを台車に乗せて、車まで運んで、台車を返し、実家に搬送した。実家では、組み立てをして、正規に置くと、なかなかマッチングしているようだ。そして、マンションに帰り、実家から搬入のテーブルを組み立てたわけだ。是に案外時間が掛かった。4×8本の32本のビスをねじ回しで、フィックスするのには力と時間がかかった。それでもやり終えると、こちらもマンションには丁度良いサイズである。かくして、テーブルの入替は無事終了し、今後は、テーブルの天板で、開閉時に冷蔵庫のドアを傷つけることが無くなると同時に、リビングへの通路も確保できたという結果になった。何故早く、との疑問が湧くが、丁度思い立ったというのが6年経過したときだったわけだ。是からは家族で集まる実家のテーブルは広くなるし、何ともこの交換劇は、納得のいくことであった。そうすると、テーブルに合うチェアが欲しくなるという連鎖反応で、連れ合いの発案で、また家具屋を訪れた。補助椅子も必要かも知れないが、当面は2脚で十分であり、それも小型で、かつ使い勝手が良い物と言うことで、シートが上下し、回転もするというスツールを、実家分を含めて4脚注文した。納入まで、1週間のリードタイムが必要だから、未だ完成ではないが、あと数日待つことで、部屋はリフレッシュすることになる。借家の部屋でも眺望が良く、かつ6年も住むと愛着が出る。友人宅のサロンのような部屋には及びも付かないが、ここはそれなりに利点もある。些細な交換劇だが、家具を触ることによってもたらされる雰囲気の違いは、人間の心をかくも落ち着けるものかと1人感心した。ふと私自身が過去、世話になった部屋を振り返ると、呉の生家、大阪の社宅2個所、千里山(親の自宅)、玉野の独身寮、それから古ぼけた借家、その後少し明るいがやはり借家だった。その時点で、持ち家制度に踊らされ、小さな1戸建てを購入して、その後母を引き取り増築した。やがて強制転勤で、玉野を離れ、千葉で、会社借り上げのどでかい借家に移った。そこから通勤したが、やがて、出向と言うことで、通勤場所が千葉から川崎に変わった。時間的なロスが大きく、今度は、東京の烏山に、会社の用意した借り上げ社宅に移り住んだ。この社宅は、これでも人間が住む所かという位狭く、かつ天井が低い息の詰まるような家だった。暫時そこにいたが、やがて、どうやら親会社からの三行半が近づいて、北区にマンションを購入することになった。北区では、大枚叩いた南東向きの角部屋で、我が城との感じであったが、この2軒目の自前の家も、居心地は悪く、大阪に帰ることになったわけだが、再び借家暮らしと言うことになったわけだ。この間にも海外での拠点として、フィリピンのマニラ(マカティ)、ジンバブウェ(ハラレ)、サウジ(ジェッダ)、ドバイと半年から1年は暮らした場所がある。世にリバースモーゲージというシステムがあるが、死んで残す家は必要はなく、おそらくは、この借家か、もし必要なら、老人ホームが終の棲家になるかも知れない。等と考えると、このマンションのこの部屋に注力するのは自然の要求であろう。是で、私は、都合、独り立ち前に社宅3軒、自宅1軒を転々とし、勤め初めてからでも、持ち家2軒、借家(社宅など)5軒を経験したことになる。人間1寸先は読めないものだ。
2012.07.18
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いつ頃から降り始めたのだろうか。とにかく急激に「今まで経験したことの無いような」豪雨被害が、北九州一帯で起こっている。最初は、すぐ収まるとでもいった風な災害が、このところ酷くなっていて、今日新たな名前で統一されたようだ。7月3日の報道では、九州北部で記録的大雨とあり、土砂崩れなどl人死亡・l人不明といった、この手の被害にしては、微々たるものだといった風潮であった。何でも、梅雨前線に暖かく湿った空気が流れ込んだ影響でこの大雨となったようだが、その時この大雨が、質の悪い被害をもたらすとは、殆ど考えられていなかったようだ。世の中「想定外」と言うが、そもそも自然現象を人間が想定するなどといったことの不遜さを考えるとき、この響きほど空しく考えさせられることはない。ビッグバンを137億年前として、その後人間(ヒト)がこの地球上に存在したのは、僅か700万年前だと言うことで、まるで誤差の範囲での生活でしか無く、如何に知能が優れた霊長類と勝手に命名しても、自然現象を言い当てるなどは、思い上がりも甚だしいわけだ。地震、津波などについては、広く研究を進められ、まがいなりにも、運用1つで、多くの犠牲者を誘導避難させることも可能であろうで光明が灯ったようだが、これとて人間が推測事など能わないことが山ほどある。今回の豪雨について、降り始め当初から誰が、これ程の被害をもたらすと考えた人が居るだろうか。無くなった最初の人は、共に高齢者であった。年寄りが無理をして・・・、といった趣がないわけではなかった。ところが、この大雨によって被災し、かつ死んでいく人は日増しに増えている。12日には、熊本・大分両県で20人以上の人が死亡かつ不明だと報道された。気象庁によると、阿蘇市乙姫で12日正午までの24時間の降水量が507.5mmに達し、観測史上最多を更新したとの報道が出始める。数字で述べられても、我々はピンとくるものではない。百聞は一見にしかず、これらの水被害が、放映され、濁流が、街を覆っているのを見るとき、心胆を寒からしめるものがある。避難勧告は、漸次出され、被災の人達は眼に見えて増えていく。ところが、ここ大阪では、何事もないかの如く、豪雨の標的は北九州地域に限定されて襲っている。そして14日には34万人に避難指示・勧告が出され、福岡県うきは市の隈上川が氾濫し、花月川では堤防が約40mにわたって決壊したとのことだ。濁流の様子を見るに付け、私は、ジンバブウェでドネーションした6橋を思い出す。乾季と雨季がはっきりしている地方で、乾期の工事中は、何故ここにかくも高い橋脚の橋が必要かと感じたが、雨期になって初めて、その乾舷(フリーボード)の高さが十分ではなかったかも知れないと思うほどの豪雨と濁流に唖然とした気持ちであった。橋の桁下すれすれまで、濁流が流れて、乾舷はほぼ0になっていた。砂漠地帯の涸れた河川を称して「ワジ」と呼ぶが、このワジが濁流となることは、門外漢では想像し得ないのである。今回の濁流は、ちゃちな橋を根こそぎ持って行ってしまった。明らかに橋の強度は、今回の濁流を想定していないことは一目である。やがて15日の報道は、福岡、熊本、大分の3県での死者を26人 不明者は6人となるに至ると書かれている。どうやら、かつて1953年6月には「九州大水害」が熊本を中心に起こっている。正に災害は忘れた頃にやってくると言う事である。 この原因として(何時も原因である)偏西風が蛇行したことに依るとも言われている。気象庁は、日本列島の上空を吹く偏西風が南に蛇行したことで、梅雨前線の停滞が長期化したとみているというのだ。通常なら太平洋高気圧が列島に張り出して、これら雨雲をブロックするのだが、出来なかったというわけだ。その為、今月4~14日の10日間の累計雨量は熊本県阿蘇市乙姫で812・5mmなのだという。そして遅れてこれを書いている20日には死者の数は、29人に上ったと言うことだ。まだまだ犠牲者は増えるかも知れないこの九州北部の豪雨の影響で、京都市や亀岡市では、1時間に約90mmの猛烈な雨が降ったようだ。
2012.07.17
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今日は、先輩と一緒に高校のバスケットボール部のOB会総会を開く段取りを決めるために、母校の門を叩いた。相手をしてくれるクラブ担当の先生は、残念ながら同じ高校出身ではないので便利が悪いものの、実に生徒の面倒を良くみてくれるし、OB会についても格別の配慮をしてくれる。以前からOB会はあったものの、途中頓挫し、有名無実になった感があった。卒業年度別とか、近い卒年の集まりはあるようだが、卒業生全体を通じたものは、死に体であった。先輩の肝いりで、是を立ち上げ直そうと言うことになった。府下の4番目の高校(旧制中学)と言うことで、他校の80周年とか言った記念誌発行などを聞くに付け、少し寂し思いであったところだ。しかし3年前に再興したものの、比較的若い会長は、創立のその日にスピーチをしたきり何の活動もなかった。とにかく、そのようなことに興味がないというのが真実だったようだ。3年の任期中にただ1回のスピーチに唖然としたが、この先誰に頼もうとしてもなかなか引き受けてはない。仕方なく、繋ぎで先輩が会長、私が副会長(何人かの内の)との体裁で向こう3年間を切り盛りすることになった。そこで、会費の納入を計るべく、判明している(していないを含む)バスケット部卒業生宛に封書で、最近の活動を記した小冊子と共に、アンケート形式で、今後の現役生と支援する(会費払う)事と以降の連絡の要否(もう要らないを含めて)を返信葉書にて返事して貰うべく同封した。名簿上の全員に配布した数は約800通である。三々五々返却される葉書を回収したが、1か月余を経過して、回収した葉書は、逝去者3名の知らせを含み、113通であった。それ以前に、行く方不明で返却されて帰ってきた封書が約70通であり、それを含めても、回収率はたったの23%であった。何ともやりきれないのは、過去に役員をしていたOBからも返却がなかったという現実などである。最初の会長が消極的だったので、後事を託すべく訪問した中学校の校長先生でも、口では良いことを言うものの、返信すらないといった現実に唖然とするばかりである。最近富みに学校の先生の品位が問われることが多いが、間近に見ると、驚きを禁じ得ないのだ。それはさておき、たらたらと文句を書いてくる人に限って、現役支援はしないと言ったケースが多い。勿論会費以外の寄付を振り込んでくれる人もいるわけで、世の中様々である。返信葉書は出さないが、会費納入をしているOBもいる。何故、2個所に○を付すだけで投函する葉書が出せないのか、是はもう、人間性欠如以外の何ものでもないと言うことだろう。因みに約800名(全員)-居所不明者(約70名)-返信者(113名)=617名の人が、何らの反応もないというわけだ。この数は馬鹿にならない。殆どが無視を決め込んでいるのであろうが、支援しないということなら、その旨書いてくるくらいは出来ないのだろうか。我々の学校は、府下でも優秀な進学校になっているのだが、そうであってもこの結果で、それが先ず信じられない。年3000円の会費が高くて払えないという人もいるだろう、しかし返事くらいは出来るはずだ。この返信をしない人は、必ずしもクラブに敵愾心を持っている人ではなく、善意の無視であろうが(私も過去、同窓会にはこのような立場を取っていた)世話を焼く身になって初めて、このような経験をするわけで、世に幹事という名前の苦労人に頭が下がるわけだ。会の運営には、最低でも50人くらいが必要だろうし、返信者の中の約60%弱の64人が賛同してくれているので、かつかつ運営は可能かと思っている。残された手は、行方不明者の再調査と、無返信の人へのローラー作戦であろうか。考えてみれば、過去の1時期、バスケットボール部に所属していたとは言え、学校のクラブ活動への積極参加の呼びかけに義理で入部した人もいるだろうし、入ったものの、技量不足で、試合にも出られないまま、卒業したというケースもあるだろう。我々の年代のように、大阪府下で、ベスト4に入ることを2回も経験したクラブ員は居ないので、クラブに対して(バスケットボールに対して)の思い入れはそれほど深くはないのであろう。そうでなくても、返信葉書を投函することくらいの作業をなぜできないのか、ますます判断に苦しむ。袖触れあうも多生の縁と言うが、世代を離れても、同じ学校で過ごしたという連帯意識は、最近では特に希薄になっているようだ。出会う人、別れる人は、多く居るようだが、結構少ないのだ。体も動かない上、もう昔のことは忘れたいと言う年配もいるが、若い平成卒の人は、こういった連帯意識は概して希薄のようだ。私も過去の不作為の償いとして、向こう3年間何とかやっていきたいと思っている。
2012.07.16
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連れ合いの兄が経営するクラブでのカラオケ大会に5回目の参加をした。(通算第179回という事だ)前回の、第178回は「くちなしの花」と「天城越え」を歌い、申告点335点を2点オーバーするという結果で、賞品にありつくことは出来なかった。今日の参加者は少し少なくて、11名だった。回を重ねると、段々と歌える歌が少なくなってきているので、新しい歌を開拓しなければならない。しかし、練習の機会と言ってはなく、何時も何とかしなければと思うものの、練習時間が取れない位に忙しいわけだ。今日もそんなことで、練習はしていないが、iPodでの聞き流しで、何とか誤魔化そうと思っていた。前回は少し高めの申告をさらに上回ったので、私も案外やるもんだと鷹を括り、今回も80点平均×4=320点を目安に+20点というところで340点を申告した。連れ合いは、最初強気の350点と言っていたが、少し落として、私と同じ340点と修正していた。この申告点は皆さんの中でも上位に位置していた。私は、歌う順番で5番目のくじを引き、連れ合いは、1つ前の4番目を引いた。連れ合いの選曲は川中美幸の「ふたり酒」と森進一の「港町ブルース」である。私は、両方とも森進一の「さらば友よ」と「女のため息」である。両方とも余り歌ってはいないが、少し、iPodで聞いてはいる。字幕が出れば何とかなるだろうといった心づもりである。連れ合いの「ふたり酒」は演歌ではあるが、混声合唱のソプラノで鍛えただけに、ややすっきりとした感じの歌だ。1つのパネルは隠してあるが、テレビの方は84点という事だ、なかなか良い出足である。私の番になり、慣れない「さらば友よ」が始まったが、実際に台の上で歌うのは、少し勝手が違うことが分かった。曲に入る所が巧く入れないなど、少しどぎまぎしていたようだ。後から聞くと自信が無さそうだったようだ。案の定、テレビでの採点は、何と76点ではないか。後から見るとこの点は低い方から2番目の得点だったようだ。完全に出足を挫かれた。この採点機はおかしいといっても聞き入れられない。、次回までに歌い込んでいくしかない。皆さんは、それぞれの曲を朗々と歌う。何しろ昼間ここに通って採点機がどれくらい出るか予行演習をしている人もいるくらいだ。これでは勝てない。因みに1曲目の採点で、最高点は88点、最低は、72点という事だった。知らない間に1回りが済み、夕食の時間になった。いつもの幕の内を食べ、満を持して2曲目を待った。連れ合いの2曲目は「港町ブルース」だが、北から南まで沢山の港を回るので、もうこれ位かと台から降りようとするのを押しとどめ、鹿児島まで着いて貰った。さて得点はと見るとパネルが75点と意外に低く、テレビの採点は、93点と高得点だった。(隠しパネルを含んだ合計点は334点)訳が分からない機械だから、一喜一憂しても仕方がない。私の番である。「女のぉぉぉ~・・・、たぁめぇ息ぃぃ・・・」と歌い終わると、パネルは84点を出し、テレビは83点と平均した評価であった。(隠しパネルの点を含めた合計点は326点)これこれと思っても1曲目が予想外だった。連れ合いからは、「何時も熱狂調だけど、こんな歌も出来るのね」と誉められたのかどうか分からないコメントを頂いたのだけど、結果は付いてこなかった。結局2人とも申告点には遠く及ばず、何の賞品にも預からなかった。もし1曲目の76点が85点取れていたとしても未だ足りないと言うことは、申告点が高すぎたと言うことで、前回のオーバー点を考えすぎて、上げすぎたのが良くなかったという結論だ。結局優勝者は、同点ジャンケンで勝った、340点の申告に対して337点の「とんぼ」と「乾杯」を歌った声楽をやる人であり、銀賞は、ジャンケン負けの320点申告で、317点の「王将夫婦駒」と「下町育ち」を歌った82歳最長老者であった。銅賞は、申告点342点に対し、337点の「横浜たそがれ」と「夜桜・・・」を歌った人であった。集計までの間、テレビで、美川憲一が採点するというコーナーがあり、連れ合いは、「宗右衛門町ブルース」を歌ったが、美川のコメントは、「なかなか良いわねぇ、でも自惚れるんじゃないわょ」と言っていた。この採点では、過去1人だけ、最後まで歌わせてくれなかったケースもあったそうだ。次回からもうすこしがんばらないと・・・。
2012.07.15
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今月初めごろから、この文字が紙面に良く登場するようになった。金融関係のことだろうぐらいで読み飛ばしてきたが、何日も続くので、一体どういった内容なのかを、過去の記事を掘り返して、勉強してみた。LIBORとはLondon Inter-Bank Offered Rateの略で、「ロンドン銀行間取引金利」の頭文字をとった略称である。短期金利の国際指標であって、ここでの不正操作と言うことで、どうやら金利を不正に操作したものであることが分かった。ここに登場する主な人物は、バークレイズ銀行の会長:マーカス・エイジアス、同COEのボブ・ダイアモンド、そしてCOOのジェリー・デルミシエであり、イングランド中央銀行(BOE)のキング総裁、タッカー副総裁という顔ぶれである。事の起こりは、2005年にバークレイズ銀行が虚偽の金利を申告し、デリバティヴで不当な利益を得たときから始まる。これによって、バークレイズは、米英当局から360億円の課徴金の支払いを命じられている。短期の国債金利の決定は、市中銀行の短期の取引に用いられた金利を申告することによって、決められるが、この時集められた各行の金利で、上下の各々1/4の銀行を除き中心の1/2の銀行の金利を平均して決めるという手法である。ここで、金利が余り高いと、市場での資金獲得が難しくなるということから、低めの金利に誘導する方が有利であるわけだ。バークレイズではこのような事情から、金利を低めに誘導してきたというのだ。そこに2008年9月15日、リーマン・ショックが起こり、金融危機で、銀行の経営がますます危ないものになってきた。それに連れてLIBOR(金利)は上昇する。前線で、株を取り扱うトレーダーは、この金利が高くなることで商売がしにくくなるため、このままでは大変だと声を上げ、それに呼応して、他行からも同様な申し出があったためにLIBOR担当者は英国の銀行協会に、虚偽の金利申告を行ったというのだ。それだけなら、1銀行員の先走りと言ったことで終わるのかも知れないが、ここにはもっと大きな原因が潜んでいたようだ。2008年英当局である、イングランド銀行(BOE)のタッカー副総裁が、友人関係にあったバークレイズのエイジアス会長に直接、「バークレイズが申告した金利は突出して高いので、市場での資金調達能力を疑われかねない」との電話が入った。ダイヤモンド会長は、それが即不正操作を促すものとは思わなかったようだが、デルミシエCOOは、間接的にこれを聞き、金融当局が「高水準の金利を維持すべきでない」と判断しているものと解釈した。それから、この不正金利を捏造することが始まったというわけだ。こうして辞任した、バークレイズのエイジアス会長、やダイアモンドCEO、そしてデルミシエCOOに対して、官邸からクレッグ副首相などが、退職金があまりに高額すぎるなどと、注文を付けるに至った。バークレイズは自行に有利に金利を不正申告したが、それがバークレイズだけではなく、Citi BankはじめJPモルガン・チェチースなど、名だたる銀行20行余に蔓延している可能性が出てきたわけだ。そして、日本の3大銀行や、ドイツ銀行やスイス、カナダの銀行までも嫌疑が掛かり調査の対象となっているというのが、この一連の不正操作事件である。これから更に追求は続くであろうが、これら国際銀行が、互いにカルテルを結んでいるのではないかというところまで嫌疑は広がっている。BOEのキング総裁は、この事は最近になって知ったと証言し、あくまで、タッカー=ダイアモンドラインでの所業とし、ダイアモンドCEOは、デルミシエCOOの独断専行に封じ込めようとしている。既に、アメリカのガイトナー財務長官とキング総裁の間では、この件についてのメールの交換が為されていると言うことだ。はたしてこの不正疑惑これから先、どう決着が付くのか興味深い所だが、日本では、消えた年金のAIJ問題と言い、この銀行の巨悪な不正行為と言い、物作りではなく、他人の金を転がして儲ける所にろくな事はないと思うのは私だけであろうか。
2012.07.14
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今日は殊の外、忙しい1日だった。午前中になった電話は、住民委員会の人からで、前回話題になっていた、小中一貫校としての京都御池中学校のことを書いた「学びの共同体を創造する学校」という冊子を届けてくれるという。ほどなくして玄関のチャイムが鳴り、例の人の良さそうな顔が見えた。最近はバイクに乗っているので便利だと、手には大きなフルフェイスヘルメットを持っている。私よりは4歳くらい年長と聞いていたので、「え、バイクですか?」と問うと、50CCだそうだ。安心はしたが、私もナナハンに乗っていたことを思いだしたので、聞いたのだが、やはり50CCが妥当な所だろう。それにしても不釣り合いな、ヘルメットではあった。ほどなく新しいソファが届いた。今や、色あせ、ただただ図体の大きな古びたソファを引き取って貰ったが、どうやって運び込んだのかさえ分からないくらいに苦労をしていた。新しいソファは小振りで、部屋には良くマッチしていた。ソファの置く位置も90度変えることによって、随分と感覚が違った部屋になった。連れ合いにメールすると、写メールを送れと指示がきた。連れ合いは今日も授業中である。私はソファをセットして、昼には、梅田に出掛けた。夕刻に、大学の同期生が集まる会合に出席するためだが、昨日新装が成った阪急32番街の様子も見たいし、ヨドバシカメラで購入したい物もあったから、早めに出掛けることにした。そんな事で、映画は何をやっているかと見れば、丁度良い時間に「スノーホワイト」が掛かっていた。グリム童話誕生200周年と銘打って作られた作品は、「白雪姫」をモチーフにして、作られていた。本当は怖いグリム童話という話があったが、「ヘンゼルとグレーテル」も「赤ずきん」も考えてみれば怖ろしいことが書かれているのだと気づく。清純に育てられたスノーホワイト(白雪姫)は母の死後、やって来たラヴェンナという継母(魔女)に父親を殺され、国を乗っ取られてしまう。このラヴェンナも外見は美しい女王で、世界中で一番美しいとされている。このラヴェンナが円形の黄金の鏡の前で、「Mirror, Mirror(ミィラ、ミィラ)」と問いかけるシーンは、この映画のハイライトでもあるだろう。「Mirror, Mirror on the world, who is the first of them all?」(鏡よ、鏡、この世で一番美しいのは誰?)これが字幕スーパーで聞く生の声の凄さであろう。ディズニー版では、こう聞いた女王に鏡が、「世界で一番美しいのは白雪姫」と答えてしまい、怒った女王が、ある狩人に、白雪姫を殺し彼女の心臓を持ち帰るよう命令する。しかし、狩人は彼女を逃し、代わりに豚の心臓を持ち帰る。一方、白雪姫は森で迷ったが、七人の小人の住む一軒の小さな家で暮らした。白雪姫は死んだと思っていた女王だが、その後、鏡に聞き生きているのが分かり、女王手配の毒りんごを食べさせ殺してしまうが、通りかかった王子様のキスによって生き返り王子と結婚して幸せに暮らす一方、その結婚披露宴で、女王は真っ赤に焼けた鉄の靴を履かされ、死ぬまで踊らされたといった段取りだ。しかし本当のグリム童話は、女王(継母)は、あらゆる手段で白雪姫を殺そうとする。それよりもグリムはドイツ人だから「Mirror, Mirror(ミィラ、ミィラ)」は「Spiegel(スピーゲル, Spiegel」となるところだろう。映画のあらすじは、原作を踏襲している関係で、敵味方がはっきりしているので分かりやす。女王は自分が一番美しいままで生きたいし、それには、永遠の若さを得るため、スノーホワイトの心臓を食べなければいけないと云うことになっているため、飽くなき追求でスノーホワイトを追うが、その手先になったのが、最愛の妻を亡くした、黒い森(Dark forest)に詳しいハンターのエリックであり、エリックは、スノーホワイトの優しさに打たれ、寝返るかたちで、スノーホワイトを助ける。さしずめエリックが王子様という役回りである。幼友達で育った、スノーホワイトの父王に仕えた公爵の息子ウィリアムズが、ちょっぴり絡むので、一瞬王子様はどっちなどと気を遣ってしまう。そして終盤には7人の小人が出てくる。森の7人の小人は英語ではドワーフ(Seven dwarf:魔力を持つ、伝説上の小人)と訳されるが、ドイツ語では、sieben Zwergeとなるので、また感じが違うかも知れない。近代映画のCG技術を駆使し、大胆な運びでテンポの速い映画は、飽くことを忘れさせる。ディズニー版白雪姫は勿論白雪姫が主役であろうが、この映画では、女王が、完全に取って代わっているようだ。この映画でも最終的には、スノーホワイトが、エリックやウィリアム王子と共に、抵抗軍を組織し、女王を殺して、大団円になるが、奇想天外な奇獣も出てきたりして、結構楽しめる作品だった。 この物語は、様々な解釈本があり、女王は隣国の王子と白雪姫の結婚式に見に行って死んだ筈の白雪姫が生きているのを知り、ショック死するとか、7人の小人に崖から突き落とされて殺害されるなどとするものもあるようだ。映画が終わり、大学の同期生と会ったが、今日は、少し参加者が少ないようで、私を含め5人だった。連れ合いは、その間学校の先生方との懇親会に出て、帰りは折良く上牧駅で落ち合って帰った。
2012.07.13
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今日も昨日に引き続き小学校の学習会だった。今日は1年生を対象にして、3回目そして1学期の学習会の最終日である。3回目でも間隔が2週間だとなかなか名前と顔が一致するまでには至らない。それでも半数の10人ほどの顔は識別できるようになり、その子達の癖や、挙動が理解できるようになってきている。算数の計算では、プリントをしながら、じっと傍で見ていて欲しいといって、私の手を引く子や、算数は得意と次々に出来たというプリントを持ってくる子、ドングリ目の子など9名それぞれが可愛く、プリントに向かう様は微笑ましい。昨日交流会で、ボランティアの人のコメントに、子供達を見ていると、ほのぼのとした気持ちになり、誰か他の人にも話しかけたくなってくると言った人が居たが、けだしポイントを突いている。子供達に教えていると同時に、老人(?)はそのビビッドな子供達からパワーを貰っている共存関係だなと感じる。国語はカタカナ、算数は足し算のプリントだった。学習会がはねて、連れ合いと、先日購入しておいたカーペットを取りにニトリまで行った。昔は田んぼだった所が開け、様々な建築物が、建っていて、物質的には有り余るほどの潤沢さになっている。昔と今の架け橋などと言う必要もないが、カーペット1つ取っても選択肢は多様であり、物がないアフリカなどとの差を思うと、精神面の荒廃は別として、物質的には、日本は非常に良い国だと思うのである。カーペット1つでそのような感慨にふけるわけでもないが、続いて、百貨店の松坂屋に、連れ合いが若い頃に気に入って、高価で購入した洋服の手直しに訪れた。姫と共同で、丁寧に着ていた、そのお気に入りの洋服は、一部にほころびがあるだけで、捨てるのは勿体ないというわけだ。連れ合いは、年相応になってはいるが、それでも若い頃の体型を維持しているのは、見上げたものである。20年あまり前の洋服が着られるとは、私にとっては羨望の的であるが、どうも之は致し方のないことだ。物を大切にすると言う点では、見上げたもので、やはり辛うじて戦中派というところであろうか。思ったよりも安く手直しが出来ると言うことで、喜んでいた。市場を席巻するのは、ユニクロとか、無印良品、さらにはイオンと言った使い捨て感覚の物が多い中、やはり高価な物はそれなりに償却時間も長いと言うことかも知れない。帰りに、この頃、はまってしまった、赤ワインを購入した。ワインは白かロゼと決めていた連れ合いも、私の影響でか、それとも痴呆予防のポリフェノール故か、赤ワインが分かる(?)ようになったようだ。昔、ワインと言えばフランスとの話だろうが、私は、ジンバブウェ時代に南アのワインをよく飲んだし、その頃世話になった人がチリ・ワインも良いというので、最近はむしろチリ・ワインを求めることが多くなった。明日には、新しいソファーも届けられる予定で、前もってカーペットを変えておこうというわけだ。この歳になって、物欲はあまりないのだが、それでも家具調度や、特に連れ合いは、洋服などについては、まだまだ、意欲的に買い物をする方ではないかと思う。先ほどのべた、若い頃の体系を維持していることも要因だとは思うが、もう古稀に手が届く現在も尚現役として教壇に立っているのを見ると、なかなか出来ることではないと思うわけだ。彼女から、そのテンションを取り去るときのことを考えると少し気になるのだが、それでも、交友関係などを見るとき、何時までも衰えずにやっていくだろうと思っている。私は、この歳になって、教育と言うことに少し手を染めたが、先生をやると云うことは、基本的に子供が好きだと言うことにあると思う。連れ合いが、生まれながらの先生と言われて、自負もしているのは、正にその点にあろうかと思う。今日、いじめ問題の極みとも言うべき大津の中2生徒の自殺問題では、大津の教育長を始め教育委員会の連中も然り、先生も然りで、かような連中が教育に携わっていること自体が、日本国の衰退の原因では無かろうかと思うのである。生涯1教師として、英々と子供の教育指導に当たってきた連れ合いの金字塔はますます輝きを持って私には映るのである。そんな夜、アルコールが少し(?)入った姫から連れ合いに電話が入って、大津問題は「信じられない!、あり得ない!」と長時間話していたようだ。良くできた姫ならずとも、全国の良識ある人は、皆同じ事を考えているのではないだろうか、官憲を構内に呼び入れた、正に未曾有の事態を引き起こした、大津事件関係の先生や、教育長は、その事を以てしても、早期に獄に繋がれるべきだと思う。
2012.07.12
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小学校の学習ボランティアのお手伝いを初めて8回を数える。今日は、3年生が対象だ。3年生とは2回目の顔合わせである。もともと私は低学年にアサインされているようで、1,2年生が対象らしい。従って、この3年生の2回は特別なことだという感じで、今日が最後のようだ。前回自分を御しきれず、廊下を歩き回り、非常ベルを鳴らすなど、多動性の児童とか、何かと問題児が2名居るようだが、それでも今日は大人しく、学習をしていたようだ。国語の読みでは、「実に良く見える」と「リンゴが実る」と言った風に、音読み、訓読みという内容とか、算数は九九の計算といった内容だった。ソロバンをやっている子、大きくて堂々とした字を書く子、落ち着かないが、やり出すと要領よく早く仕上げる子、ボランティアの女性に、「おばさん」と呼ぶ子、などなど多様な面々である。しかし今日は、前回と違って、比較的静かにスムーズに学習をしていたようだ。わずか45分の放課後学習会だが、今年からは、希望者を全て受け入れると言うことで、20名を超えるため、たった2回では、なかなか全員を知るなどということは出来ない。それでも半数くらいは何とか覚えようとするが、覚束ない。終了後、先生と、地域ボランティアの事務局としての「ゆめ本部」とボランティアの人達との交流会があった。先生は、校長、教頭ほか、学年の担任先生が集まり、ゆめ本部からも総責任者が出席、ボランティアは、6人ほどが出席していた。校長の挨拶で始まった交流会は各人の自己紹介と、感想を述べ合うかたちで進められた。先生の全ては、ボランティアの活動に謝意を表し、それはあながちお世辞ではないようだった。昨年から始めたというボランティア側の人の感想では、昨年よりも児童の雰囲気は良くなっているとのことだ。低学年(1,2年)と中学年(3,4年)とを1週間おきに開く学習会だから、それぞれの学年は、2週間おきとなっている。それが、心許なく、せめて1週間おきに開催してはどうかとの積極的な意見もあった。授業に遅れる子を対象にした昨年よりも、自由意思での参加を呼びかけた今年の方が、評判は良いようで、何となく居残り学習(付いていけない子の補助)という面が払拭され保護者にも評判が良いようだ。ゆめ本部の学校代表の先生は、過去10年間宿題をやってくることを標榜してきたが、なかなか定着せず、大変だとの話もあった。振り返って大昔の自分のケースは如何にと思ったが、流石に、そのような詳細は記憶にない。私の場合は、田舎の小学校でもあったし、宿題をどうこうと意識した記憶がない。授業の内容は、その時々に消化していたし、勿論塾通いというものもなかったので、結構のんびりしていたようだ。だから、こういったボランティアの存在などはなく、従って、田んぼや畑、小川で、遊び日呆けていた記憶がある。その頃の方が幸せだったと感じるのは単にノスタルジックなものではないようだ。父兄の中には、子供に多くの習い事をさせ、その中で子供が何に向いているかと見定めようとしている向きもあるようだ。そういった今日の方が良いのか、野放図に遊び呆けていた昔の方が良いのか、などと議論の余地は今日ではない。ただ行け行けどんどんだから、その間を縫って「ゆとり教育」などといったとんでもないことでバランスを保とうとしたのではないだろうか。その志は汲めるものの、そういったゆとり教育が、教育現場の弛緩を生み、今日の学習能力の低下に繋がったのではないかと思う。そんな学習氷河期とも云える世代の人達が現在の子供の父兄くらいに当たるわけだ。DNAの話ではないが、やはり美味しい葡萄は、美味しい蔓から出来ると言うことを考えると、今日の表層的面だけを捉えて、矯正しようとしてもなかなか無理があるようだ。最後の締めくくりではないが、高学年の子供達への補充学習で遅れて参加した先生が、「九九の重要性」と2桁の「引き算」(1を借りてくるなど)の2項目に注力して、飽くなき指導をお願いしますと言われたことは印象的だった。そういえば、低学年での1桁の引き算でも、指折り数えて、必死に取り組む1年生が居たことを思い出した。その先生は、九九の出来ない子の例を挙げ、しっかりと本当の九九を教えてあげて下さいと述べられた。「5×6(ごろく)35(さんじゅうご)と覚えている子がいるのですよ」との言葉に、なかなか根深いものを感じてしまった。
2012.07.11
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本を読み終えた。買ったのは1ヶ月ほど前で、しかもお気楽な体験本なのであるが、最近は読書時間が少なくなかなか読了までに時間が掛かる。私は現在、読書中の本が何冊か有り、それぞれ、中断しているので通しで理解できていないものが多い。中には、プラトンの「国家(下)」や「聖書」なども含まれ、長期ランニングといった様相である。おそらくこの調子で読んでいたら、死ぬまでに買い置きの本を全て読み切ることは出来ないかも知れない。最近では、共に読んでいるのが、デネットの「解明される宗教」というのがあり、これは難解である。私は、本を買うときは、題名と装丁とで買うことが多く、内容は、自分が類推するので、必ずしも思惑通りとは行かない場合がある。私製の図書目録には、「興味」という欄を設け、「希薄」「並み」「小強」「中強」「超強」などと分類している。そして読後の欄の1つには、難解度として「易」「普通」「小難」「中難」そして「超難」に分け、ひとこと読後感には「不可」「並み」「普通」「良」「優」「秀」 (並みと普通の区別は特にないが、並みには感動を伴わなかったのかも知れない)と分けて、簡単に評している。「解明される宗教」はさしずめ「中強」の「中難」になるであろう事、そして、今、読んでいる「アフリカ大陸1周ツアー」は「中強」の「良」と言うことかも知れない。中味は、2009年に、約10ヶ月を掛けて、大型トラックバスでアフリカの26ヶ国(実際に言及しているのは24ヶ国?)の体験旅行記と言ったものだ。筆者は、海外教育に関心を持つ55歳の男性で、家族(奥さん)を説得しての旅行であったようだ。海上でのピース・ボートなどは良く耳にしたが、差し詰め陸上のピース・ボートのようなものだ。ジブラルタル海峡から、モロッコに入り、海岸沿いに南下、少し内陸に入りながら、基本的にアフリカ西海岸を周り、ケータウンを経由して、再び北上、内陸部から、ナミビア、ボツワナ、ジンバブウェと東走し、東海岸沿いに北上してファイナル・デスティネーションは、エジプトという総走行距離4万731kmという行程だ。もうすこし若かったら、参加したいような気分だが、今では及びも付かないほどの行程であろう事は容易に想像できる。私はフィリピンの橋梁調査プロジェクトで、ビサイアス地方(リージョン6)を小型ピックアップで走行したことがあるが、(勿論運転は運転手がする)その時の走行距離は約1万2000kmであったので、4万kmというのが如何に長いか、そして、フィリピンの場合は、国道沿いと言うことで、舗装された道路であることと比べると、更に大変な行程であっただろう。アフリカでの私の経験は、ジンバブウェでの滞在と、関連出張で、ケニアのマリンディ(ケニアの北)その他南アフリカと限られた所しか知らないが、この旅行記を読むと、概して西海岸はグラベル・ロードが多く、東海岸は概ねペイブメント・ロード(舗装道)のようだから、自ずと大変さが分かる。その行程を、世界13ヶ国から集まった、青年や壮年と共に過ごしながら走破するというもので、殆ど気の遠くなるような気分である。アフリカを行くと言うだけで既に大変さは伝わってくるが、食事の問題、トイレの問題、水の問題等々、数え上げればきりがないくらいだ。人間という動物は、現状に満足せず、何処か冒険をしたいと常日頃から思っているのだろう。我々が海外旅行に駆り立てられるその遠因は、勿論未知のものを見たい、体験したいとの誘因であるが、それ以上に、日頃体験できない所に身を置きたいという気分があるからかも知れない。ここにその国々の様子を全て書ききれないが、ほんの少しずつ掻い摘んで書かれた各国の内情を俯瞰するとき、アフリカは1つではないという事が分かってくる。中東や、イスラム教に興味を持った私は、北アフリカのサハラ砂漠以北は、アフリカとは呼ばないで、中近東といった言葉の方がしっくり来ると思う。アフリカ在の、ムスリム達である。広大なサハラ砂漠の南(サブサハラ)からの中央アフリカが、所謂暗黒大陸と呼ばれたり、動物天国と呼ばれるアフリカと言うべきだろうか。更に南アフリカはと言えば、あらゆるアフリカ諸国に入るためのトランジッション・ポイントである、ジョハネスブルグ辺りは、旧ボーア人が支配した、アフリカーンスの世界であるようだ。私が滞在した、ジンバブウェなどは、どちらかと言えば、暗黒大陸と、アフリカーンスの混合地帯とでも言えるだろうか。この本を読みながら、過去の経験と、新聞などで報道されるアフリカ事情などを考え合わせ、自分もかの国どもを共に走っているような気分になれ、面白かった。
2012.07.10
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先月の末の新聞に、「アダムとイヴ」について、美術史家である、岡田温司の入門講座があった。こういった神話には、ついつい惹かれてしまうのだが、人間創世の話ということだから、知っておくのも悪くはない。ユダヤ教、キリスト教そしてイスラム教がその根本的な拠り所としているものに、旧約聖書がある。神は6日掛けて天地を創造したというものだ。そして7日目に安息日を設けた。その創世の土地に、耕す人として、塵から人間を作ったその名がアダムである。神は、そのアダムを、東の方のエデンに園を設け、置いたというのだ。エデンの園は、現在のイラク、バグダッドを要(かなめ)にチグリス・ユーフラテスの川に囲まれた場所と言われている。(4つの川があったという)そこに善悪の知識の木を植えたのである。さらに神は、人は1人で居るのは良くないと、アダムが寝ている間に、その胸から肋骨1本を取り出し、女を作って、それがイヴになった。アダムとイヴは結ばれ地球最初の夫婦となり、我々の遠い父母となるわけだ。互いに裸であった、アダムとイヴは恥ずかしさなどなく過ごしたが、邪悪な蛇が、園の中央に植えられた、禁断の実(善悪の知識の木の実)を食べることをそそのかし、アダムとイヴは互いの裸を恥ずかしいと思い、イチジクの葉っぱで隠したのだ。神は教えに背いた、アダムとイヴにを楽園から追放し、男には労働を、女には出産という罰を与えたというのだ。この時から、男は優位で、女は隷属するものと決められた。この辺り田嶋陽子なら何というか。絵画の世界でも、アダムとイヴを扱った作品は多い。その1例として、ポントルモの「楽園追放」とシャガールの「楽園を追われるアダムとイヴ」とが紹介されていた。ポントルモの方は、天使に剣で威嚇され、騙した女の顔を持つ蛇に、ざまを見ろといった顔で追われる悲壮の2人を表している。ユダヤ人のシャガールの方の絵は、対照的に、解きはなたれたように、明日に向かって希望を持って飛翔するといったとらえ方である。人間にとって、楽園からの追放は、得をしたのか、損だったのかは、今でも意見の分かれるところのようだ。現在、資産世界1というアップル社のロゴマークのかじられたリンゴは、この時の話をモチーフとしているが、かじったアダムは大成功をしていると言えるのではないか。チグリス川とユーフラテス川に囲まれた地域、メソポタミア地方がエデンの園だと言われているが、他の説によると、アジア(極東)とするものと、南方の赤道方面というのがあるようで、あたかも邪馬台国が、畿内か九州かの議論と似ているところだ。中世に製作された地図に「イヴシャムの地図」がある。北を上に書くこの絵の手法では、エデンの園が真上に描かれている。この地図と相まって、ヨーロッパは挙って大航海時代に突入することになる。そしてもたらされた楽園のイメージを描いたのが、ヤン・ブリューゲルとルーベンスの共作の「楽園のアダムとイヴ」であり、そこには、当時のヨーロッパ人が知らなかった、エキゾチックな動物や植物が生育するエデンの園であった。そこで、イヴは正にりんごをもぎ取りアダムに薦めているのだ。再び、アダムとイヴの誕生の話で、神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形作り、その鼻に命の息を吹き入れた。そのアダムのあばら骨からイヴを作るのだが、古事記による、伊邪那岐の神の左目から作られた天照大神などといった風な所がよく似ているのが面白い。アダムが「土」の意なら、イヴには元々「命」という意味があるという。岡田氏は、この2人を含め、中近東の原初の神々には両性具有的な性格を持つとされている事を紹介している。再びシャガールの「アポリネール礼賛」を見ると、ピカソに影響された、この作品で、下半身は同じで、上半身のみ男女に分かれた、プラトン的両性具有を描いている。また、イヴが、アダムのあばら骨から出来たということからも両性具有説も出てきたのだが、これに対して断固反対を唱えたのが4世紀の神学者アウグスティヌスであった。彼によると、先ず神は男のアダムを作り、属性的にも、時間的にもイヴはアダムにより作られたもので、男女の性差には厳然と序列があるといった立場である。もう1つ、聖書の写本である「教訓版聖書」には、十字架に掛けられたキリストの傷口から教会を象徴する女性寓意象が生まれると言うことまで考えられた問題だという。アダムとイヴの子にカインとアベルがいるが、兄カインは土を耕し、弟アベルは羊を飼う者となった。神はアベルの供え物は受け入れるが、何故か兄カインの供え物は受け取らないといった差別を行う。何処にその意図があるのか知れないが、やがて、カインは、嫉妬と怒りで、アベルを殺してしまう。これが、人間の犯した2つ目の大罪であった。カインは追われ、やがてエデンの園に住むようになる。アベルは「神に全てをもたらす者」との意味に対し、カインは、「所有」を意味するのだそうで、土地を自分の所有物と思いこんだカインが神の逆鱗に触れたのであろう。アベルが「善」を、またカインが「悪」を象徴するという説もある。そして元々神は、供え物として、大地の恵みではなく、獣の生贄を好んだのではないかと結んでいる。神は「血」に飢える即ち「知」に飢えると言ったことか。かのジェームス・ディーンの「エデンの東」はこの話をモチーフにした作品である。
2012.07.09
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第百九段【本文】高名の木登りといひし男、人を掟(おき)てて、高き木に登せて、梢を切らせしに、いと危く見えしほどは言ふ事もなくて、降るゝ時に、軒長ばかりに成りて、「あやまちすな。心して降りよ」と言葉をかけ侍りしを、「かばかりになりては、飛び降るとも降りなん。如何にかく言ふぞ」と申し侍りしかば、「その事に候。目くるめき、枝危きほどは、己れが恐れ侍れば、申さず。あやまちは、安き所に成りて、必ず仕る事に侯」と言ふ。あやしき下臈なれども、聖人の戒めにかなへり。鞠も、難き所を蹴出(けいだ)して後、安く思へば必ず落つと侍るやらん。【訳文】 名代の木登りと世間の人が呼んだ男が、ある時、人を指図して、高木に登らせて、梢を切らせた折りに、ひどく危険に見えた間は、何も注意を言わないで、その人が木から降りる時に、軒の高さぐらいになると、「けがをするなよ。用心して降りろ」と言葉をかけましたので、「これくらいになったからには、飛び降りても降りられよう。それなのに、どうして、そう言うのか」とわたしが申しましたところ、「その事なのですよ。高い所で目がくらんで、枝が折れそうで危険なうちは、自分の恐ろしさがございますので、何も申しません。けがは、安全な所になって、必ず致しますものでございます」と言う。 卑しい下賤の者ではあるが、その言葉は聖人の戒めに一致している。蹴鞠でも、むずかしい場合をうまく蹴上げた後で、もう安心だと思うと、蹴りそこなって、きっと鞠が地面に落ちるものだとか、その道の戒めとしてございますそうです。【注釈】・掟:定める→命じる・心して:気をつける・安き:安全な・あやし:賤しい第百十段【本文】 双六の上手といひし人に、その手立を問ひ侍りしかば、「勝たんと打つべからず。負けじと打つべきなり。いづれの手か疾(と)く負けぬべきと案じて、その手を使はずして、一目なりともおそく負くべき手につくべし」と言ふ。 道を知れる教(をしへ)、身を修め、国を保(たも)たん道も、またしかなり。【訳文】 双六の上手と世間が呼んだ人に、その策略を尋ねましたところ、「勝とうと思って打ってはならない。負けまいという気持ちで打つべきだ。どのやり方が早く負けてしまうだろうかと思案して、そのやり方を使わないで、一目でもいいからおそく負けるはずのやり方に従うのがよいのだ」と言う。 この言葉は、ほんとうに、その専門をよく知っている者の教訓であって、自分の一身をととのえ、また、国家を安泰に維持するゆき方も、また、その通りである。【注釈】・身を修め:自己の品行を整え正す第百十一段【本文】 「囲碁・双六好みて明かし暮らす人は、四重・五逆にもまされる悪事とぞ思ふ」と、或ひじりの申しし事、耳に止まりて、いみじく覚え侍り。【訳文】 「囲碁・双六を好き嗜(たしな)んで日夜を過ごす人は、四重罪・五逆罪よりもまさっている悪事をしていると思う」と、ある聖人が申しましたことが、いまも耳に残って、結構なことだと思われます。【注釈】・四重:仏教の四十罪=婬戒・盗戒・殺人戒・妄語戒を犯す重い罪・五逆:五種の罪業=父を殺す・母を殺す・阿羅漢(最高の仏道修行者)を殺す・和合僧(三人以上集まって修行する団体)を破る・仏身の血を出す第百十二段【本文】 明日は遠き国へ赴くべしと聞かん人に、心閑(しづ)かになすべからんわざをば、人言ひかけてんや。俄(にわ)かの大事をも営み、切に歎(なげ)く事もある人は、他の事を聞き入れず、人の愁へ・喜びをも問はず。問はずとて、などやと恨むる人もなし。されば、年もやうやう闌(た)け、病にもまつはれ、況んや世をも遁(のが)れたらん人、また、これに同じかるべし。 人間の儀式、いづれの事か去り難からぬ。世俗の黙(もだ)し難きに随(したが)ひて、これを必ずとせば、願ひも多く、身も苦しく、心の暇もなく、一生は、雑事(ざふじ)の小節にさへられて、空しく暮れなん。日暮れ、塗(みち)遠し。吾が生既(しょうすで)に蹉?(さだ)たり。諸縁を放下(はうげ)すべき時なり。信をも守らじ。礼儀をも思はじ。この心をも得ざらん人は、物狂ひとも言へ、うつつなし、情なしとも思へ。毀(そし)るとも苦しまじ。誉むとも聞き入れじ。【訳文】 明日は遠い国へ旅立って行くはずだと聞いている人に向かって、心をおちつけてやらなくてはならないような仕事を、他人が話しかけるものであろうか。突然の重大事件を忙(せわ)しく処理し、また、ひたすらに嘆き悲しむ不孝がある人は、自分の直面している事件以外のことは耳に入れず、他人の不幸や祝い事を見舞うこともしないものである。見舞わないといって、なぜ見舞わないのかと恨む人もいない。従って、年齢も次第に盛りを過ぎ、病気にもとりつかれ、まして、山家遁世している人というものは、また上に述べたような人と同じことであろう。 世間の社交的儀礼は、どの事が避けにくくないものがあるか。世間の習慣をば黙って無視しておくわけにはいかないからというので、それに随って、社交的儀礼をきっときまり通りにやるとすれば、やりたいことが多くなり、自分の身を酷使して苦しめることになり、心の休まる暇もなくなり、生涯は、こまごました事柄につき自己の義理を立てることに妨げられて、むだに終わってしまうであろう。日が暮れて、わが行く道の前途はなお遠い。自分の生命は、もう道につまずいて、進み得ないようなありさまだ。今こそ、あらゆる心身の束縛を捨て去って、仏道に精進しなくてはならぬ時である。こうなったら、信義も守るまい。礼儀をも心にかけまい。こういう気持ちをも解しない人は、自分を狂人とも言いたければ言え。正気でない、人情がないと思うなら思え。他人が悪口を言っても、苦にはすまい。また、誉めてもそのことばを耳に留めまい。【注釈】・俄かの大事:突然に起こった重大事件・営む:忙しく処理につとめる・いづれの事か去り難からぬ:どれ一つとして、しないで済ますことは難しいものばかりだ・黙し:そのままにしておく・蹉?:ともにつまづくの意味・放下:一物も執着なく捨離する第百十三段【本文】 四十にも余りぬる人の、色めきたる方、おのづから忍びてあらんはいかゞはせん、言に打ち出でて、男・女の事、人の上をも言ひ戯(たはぶ)るゝこそ、にげなく、見苦しけれ。 大方、聞きにくゝ、見苦しき事、老人(おいびと)の、若き人に交りて、興あらんと物言ひゐたる。数ならぬ身にて、世の覚えある人を隔てなきさまに言ひたる。貧しき所に、酒宴好み、客人(まらうと)に饗応(あるじ)せんときらめきたる。【訳文】 年が四十歳をも越えた人が、女色に溺れている方面のことが、もし万一、人目をはばかってあったとしたなら、それはどうにもしかたがなかろうが、自分からことばに出して、男女間の情事や他人の身の上までもふざけて言うのは、実に不似合いで、みっともないことだ。 総じて、聞きづらく、みっともないことといえば、老人が、青年の仲間に入って、面白おかしくしようと何かしゃべりつづけている様子。また、取るに足らぬ分際であるのに、世間から認められる地位の人を遠慮ない仲のように言っている様子。また、貧しい家で、酒宴をしたがり、来客にご馳走しようとはでにふるまっている様子などである。【注釈】・色めきたる:好色めいた方面・いかゞはせん:どのようにしようかどうしようもない→しかたがない・にげなく:実に不似合いで・饗応(あるじ)せん:あるじ→あるじまうけ=主人となって客をもてなす・きらめく:派手に振る舞う第百十四段【本文】 今出川の大殿、嵯峨へおはしけるに、有栖川のわたりに、水の流れたる所にて、賽王丸(さいわうまる)、御牛を追ひたりければ、あがきの水、前板までさゝとかゝりけるを、為則、御車のしりに候(さうら)ひけるが、「希有の童(わらは)かな。かゝる所にて御牛をば追ふものか」と言ひたりければ、大殿、御(み)気色悪しくなりて、「おのれ、車やらん事、賽王丸にまさりてえ知らじ。希有の男なり」とて、御車に頭を打ち当てられにけり。この高名の賽王丸は、太秦殿の男、料(れう)の御牛飼ぞかし。 この太秦殿に侍りける女房の名ども、一人はひざさち、一人はことづち、一人ははふばら、一人はおとうしと付けられけり。【訳文】 今出川の大臣殿が嵯峨へおいでになった折りに、有栖川のあたりに、水が流れている所で、牛飼いの賽王丸が、大臣殿の乗られている牛車の牛を速く走らせたところ、牛が足で掻いてはねかえした水が、屋形の前板までザザッとかかったので、牛車の後部の席に乗ってお供申し上げていた為則が「とんでもない牛飼い童だ。こんな所で、御牛をば追ってよいものか」と叱って言ったので、大臣殿は、ご機嫌斜めになって、「きさまは、牛車の御し方では、賽王丸よりも上手には心得ていまい。きさまこそとんでもない男だ」と言われて、為則の頭を牛車にお打ちつけになった。この有名な賽王丸は、太秦殿に仕える下僕で、院の御用をつとめる御牛飼なのだ。 この太秦殿に仕えていた女房の名前は、一人は「ひざさち」、一人は「ことづち」、一人ほ「はふばら」、一人ほ「おとうし」と、殿がおつけになった。【注釈】・大殿:大臣の異称・賽王丸:当時の有名な牛飼いの名前・あがきの水:「足掻」の意味で、獣(牛)が足で地を掻きはねかえした水・希有:とんでもない、けしからぬ
2012.07.08
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痛ましい記事が出ていた。また「いじめ」だ。いじめはそれだけでも忌まわしい、撲滅したい事件であるが、今回の例は、それに輪を掛けて悪質な内容のものである。大津市で昨年10月17日、公立中2年の男子生徒(当時13)が自殺したのだ。その後、学校は全校生徒にアンケートを実施したのに対し15人が「男子生徒が自殺の練習をさせられていたと聞いた」と答えていたことが分かっていたというのだ。これに対して、大津市の教育委員会は、いじめの存在は認めたが、一貫して「いじめと自殺との因果関係は判断できない」と主張し、昨年11月の記者会見ではアンケート結果などの事実を明らかにせず、調査を打ち切ったというのだ。その事が、生徒の指摘で判明したわけだ。之だけを取っても、この市教委の連中は一体どんな頭をしているのか判断に苦慮する。男子の両親は今年になって2月に「自殺はいじめが原因」として市や加害生徒らに約7700万円の損害賠償を求めて大津地裁に提訴したのだ。この公判の行くへについては挙って注視していかなければならない。私も中学校の学習会の補助で最近、中学生と接する機会が多い。幸い私が接する生徒には、このような事件に関わっている者は居ないようで、安心しているが、参観日などに教室を訪れると、約1割~1.5割の生徒は全く常軌を逸した行動を取っていることに驚いた。この事はやがて大きく取り上げるつもりだが、先生方にあっては、半ば諦めの境地であり、注意はしても、結局はやりたい放題であるという事実である。おそらく、こう言ったことを学校に糺したとしても、返答は、当たり障りのないものになるであろうことは容易に想像できる。こう言ったことが直接いじめなどに結びつくかと問われれば、その因果関係は歴然とはしないだろう。しかし、こういった下地が、いじめなどを醸成していることは、論議を待たないと思うのだが如何だろうか。厳しすぎた反動といった側面もあるかも知れない、こういった状況が、単に未成年と言うだけで放置され、弱い人間はその煽りを受け、心身共に疲弊し、死を選ぶまでになってしまうのだ。そうして、物事をよく知った大人で、中でも、子供を叱咤し、また才能を活かして、次世代の日本を形成する人達を作り上げようとする、教育委員会の連中にして、この対応である。一事が万事といった言葉がある。しかし幾ら偏狭な私でも全ての先生や全ての教育委員会のメンバーが悪いとまでは思っていない。しかしである、2006年には、私の住む隣の市から排出した、大阪府教委の前教育監が収賄で逮捕された事実があるのだ。寡聞ながら私は、教育監がどれ程の地位にあり、どれ程の影響力があるのかは知らないが、極めて重大なことだと今でも思っている。そんな、教育環境で、如何に1先生が頑張っても詮がないのではないかと思うのである。そのような輩は、教育界に入るべきではない。断固として排斥すべきである。この前教育監はその後どうなったかは知らないが、1年の実刑判決で、5年の執行猶予が付いていたので、もう満期明けと禊ぎは済ませたことにはなっている。それはそれとして、今回は、大津市だから、滋賀県であり、大阪府とは関係がないといっては居られない。之と相呼応して、2005年に埼玉県の中1女子が自殺した件で、両親が市と国に計約7670万円の損害賠償を求めた訴訟で、東京地裁は9日、両親の請求を棄却する判決を言い渡したのだ。(之は10日に書いているため)両親は「学校でのいじめが原因で、適切な対策がなかった」と主張したのに対し、舘内比佐志裁判長は「いじめがあったとは言えない」と判断したのだ。一体この裁判長は何を守ろうとしているのか、勿論両親は控訴するとしているが、何ともやるせない。一般の事件では、この頃、冤罪事件が多すぎる、検察の退廃と疲弊が大きな原因であるが、こういったケースでは、「疑わしきは被告人の利益に」(ラテン語:in dubio pro reo)と言う暗黙律に基づいているようだ。之は之で、冤罪を防ぐ砦として必要であろうが、いじめのような、問題は、告発された被告を守る何のメリットがあるというのだろうか。私自身も、初めから教育関係に接したわけでなく、他人事のように考え、我に関係ないと怠慢であったと思う。しかしこのような問題を問われたときに、この判決を下した裁判長の神経を疑う頭だけは持っている。何も大岡裁きを求めているわけではなく、正しく事象を判断する力量を持って欲しいと思うだけだ。逮捕される警察も信用できない、告発され立件する検察も信用できない、その上、之を捌く裁判官が、このようであれば、一体この日本は本当に法治国家と言えるのだろうか。今回の大津の事件では何卒、この教育委員会に鉄槌を、そして、加害生徒に応分の処罰が下されることを願っている。しかも、今日の新聞記事では、さらに、この自殺した生徒の教室に貼ってあった写真の顔に、死亡後も、いじめをしたとされる生徒が穴を開けたり落書をしたりしていたと言うのだから、心胆寒からしめる以外に言葉が見つからない。同校の生徒は「見て見ぬふり、ごめん」と悔いているのだ。「おい!大津市の市教委よ、ちっとは真面目に取り組んだらどうだ!!」
2012.07.07
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やっとまともらしい事故調査報告書が出た。事故調査報告書は4種類ある。それは、1.東京電力福島原子力発電所事故調査委員会(黒川清委員長):国会に設置2.東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会(畑村洋太郎委員長):内閣官房に設置3.福島原発事故独立検証委員会(北澤宏一委員長):民間事故調4.福島原子力事故調査委員会 (山崎雅男委員長):東京電力社内ということだが、これらの逐一比較は、追々するとして、4.の東京電力社内の報告書ほど人を馬鹿にしたものもない。気づいた点を書き留めておくと、国会の黒川委員会によると、この事故は、「自然災害ではなく、明らかに人災である」と言っている点に尽きるかと思う。そして、日経新聞の3面には、この事故で腹をかっ捌いて貰わなければならない極悪人4人の顔写真と共に、その構図が描かれていた。先ず、張本人の東京電力、勝俣恒久会長である。(全て当時の肩書き)この男に対しては、「常により高い安全を目指す姿勢に欠け、原子力を扱う事業者としての資格があるのか」と糾弾している。之を取り締まるはずの、寺坂信昭原子力安全・保安院長である。この男に対しては、「規制の虜」という表現を用いていた。規制の虜とは、規制機関が被規制側の勢力に実質的に支配されてしまう状況であり、けだしぴったりの表現である。自らの天下り先としての機能だけが残り、「官邸の顔色をうかがうだけで、官邸のメッセンジャー・ボーイとしての役割しかない状態であると指摘する。さらには、安全基準を策定した、斑目原子力安全委員長である。安全基準の策定について、のちに、「あれは少し甘かったかなぁ」とぬけぬけと言い放っている点である。尤も、安全委は、保安院の広瀬研吉元院長にシビアな、基準を提示したが、一蹴されたという。当の広瀬本人は、ぬけぬけと、「記憶がない」と嘯くばかり。この3者は、共に原子力ムラなる排他的かつ互助的な社会を形成し、互いに甘い汁を吸い合っていたと言うことだ。最後の悪人は、菅直人首相である。形骸化した保安院を残しておいたのも政府の責任であることは元より、事故が発生した際に、発電所に直接乗り込むなど、指揮系統の混乱を生じせしめたという点である。このような調査報告書を見るに付け、では、その責任を取って、死罪を免れないとしない点である。それぞれにそれぞれの思惑があるのだろうが、我々国民にとっては如何ともし難い有様で、彼らは共に、心安んじて(責め咎は及ばない)、調査結果を聞き置くだけで済むのである。あれほどの犠牲者(6月13日現在死者158,561人)、被災者(負傷者2,939人)をだし、避難生活者は346,987人を数えているのにだ。このように、だれもこの責任を取らないのである。それは、各々が主張する、之の事故は「想定外の津波による」という1言で片付けている(天災だから仕方ない)ために他ならない。ところが、その拠り所としている、津波は想定外ではなく、また地震そのものでも事故が起こりえたという、「事故はやむを得ない」といった根拠を揺さぶるような調査結果であったからだ。であれば、少なくとも、この4人は、市中引き回しの上、打ち首獄門に相当する大罪を犯したことになるわけだ。ところが、その先は、甘さにも事欠いて、東電の西村俊夫社長にあっては、電力料金値上げは、「東電の権利」であるとほざく始末。開いた口がふさがらない方が非常識なのか、と感じるほどに、自責の念など何処へやらであった。流石に、誰かが忠言したのか、後にこの言葉だけは引っ込めたが、値上げ自身は、当然のこととして断行する始末である。(陰の声では「お前等、電気が欲しかったら、値上げは当然受け止めろ」というスタンスである。)事故の原因は、津波に待つまでもなく、地震そのもの(想定内とされている震度内の)によるという見解について、国会の黒川委員会では地震は安全上重要な機器に損傷を与える力があったとし、政府の畑村委員会は重要機器の破談を伺わせる形跡はないと言い、民間の北澤委員会も、変形等は生じていないと判断され、破損は考えにくいと言っている。東電の山崎委員会に至っては、当然の保身から重要度の高低に拘わらず、器機の損傷はほとんど無かったと結論づけている。この限られた紙面では、多くを語り得ないので、是非黒川事故調の報告書を参照されると良いだろう。それには、とてつもなく生々しい言動が行き交っているようだ。しかし、この調査結果を以てしても、極悪人どもを断罪することは出来ないばかりか、原発の停止のおありをくって、原油を(しかも1番高い)買ったが為のつけを国民は払わされることになるようだ。しかも、極悪人で形成する原子力ムラの連中は、被災者よりも遙かに高級をはみ、形ばかりの減給ですませ、温々と生活していこうと言うことだ。一体この国の正義は何処に行ってしまったのだろうか。嗚呼、嘆息するばかりだ。
2012.07.06
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もうこれ以上細かくすることが出来ない素粒子の中の最後の粒子で、「神の粒子」と俗称される「ヒックス粒子(ボソン)」の存在が確実になったというニュースだ。1964年イギリスのエジンバラ大学名誉教授が、存在を予言したという粒子で、重さの起源であるいわれている。ビッグバンが起こった137億年前の100億分の1秒後に、ヒッグス粒子は誕生したのだという。このヒッグス粒子がなければ、ビッグバンで拡散した素粒子は、皆、光速で飛び散り、飛散したであろうとされる。しかしこのヒッグス粒子が誕生したお陰で、光速で飛び散る素粒子が、減速され、そして集まった素粒子が、質量をもたらしたというわけだ。まるで水あめのようにまとわりついて、素粒子を減速させた。別なイメージとしては、何やら鳥もち的な粘性のあるもののようで、このお陰で、互いの素粒子が結合して動きが遅くなり質量が発生したというものだ。この発生は予言されていたものの確認する実験が付いてこなかった。CERNで実験する国際チームは、直径27kmの円形加速器(LHC)で、陽子同士を光速で正面衝突させ、ヒッグス粒子を発生せしめ、瞬時に変態するヒッグス粒子の痕跡を集めて存在の確認を行った結果、99.9999%以上の確率で、その存在が確認できたと言うことだ。先ず以て、137億年前、(とてつもなく前のこと???)、その1億分の1秒後(そんな瞬時のことが何故分かるのか???)と、読んでいて、途方もない前提で話していることに気づく。しかしその事は、物理学会では、極めて常識的なことだとして、何ら異論を挟む余地がないのだそうだ。神は万物を創造した。この事と、ヒッグス粒子が質量をもたらしたことにより、万物の創造という点で、一致点があり、そう呼ばれているようだ。質量のない、素粒子であれば、ニュートリノのように、なかなか捉えられないが、質量を持つことによってそれら素粒子は、ものとして認識されるので、神が造りたもうたと言うことになるわけだ。こうして認識される我々の周りの物質は、宇宙全体の4%に過ぎないというのだ。後の96%は「暗黒物質」(ダークマター)と呼ばれる未知の素粒子だという。同時にこんな記事もあった。かの有名な、ホーキング博士は「ヒッグス粒子の名の由来となったピーター・ヒッグス博士にノーベル賞が与えられるべきだと述べたが、この発見が「物理学上の偉大な進歩は、われわれが予想していなかった結果を出した実験からもたらされてきたことを考えると、(狙い通りの成果を出したヒッグス粒子の発見は)ある意味で残念な気もする」といって、発見されない方に賭けていたので、100ドル負けたというエスプリまで入っている。では、このヒッグス粒子の存在が分かって、何の役に立つのかといった素人考えが湧き出てくる。普通の人間なら真っ先に考えることではないだろうか。で、「それが発見されたら我々の生活はどう変わるの?」である。その答は、「何の役にも立たない」が回答であろう。この発見によって、今後、これらの高エネルギー粒子加速器の「副産物」として新しい技術が登場する事は期待できるが、それが目標ではなく、また、ヒッグス粒子に基づいた技術が登場するのだろうが、それもこの問題を研究し続ける根本的な理由というわけでもない。皆浮かれて、ヒッグス粒子の発見の前夜祭のようであるが、浮かれている全ての人が、その存在を理解しているかというとそうではなく、また恩恵を受けるかというとそんな事もない。人間は、物質を追求していくうちに、水が、水のままでは我慢できなくなり、水は、水分子からできていて、その水の分子はつまり、水素と酸素から構成されるという原子モデルを発見するに及んだ。この事は、今や中学生も水の電気分解という実験で、水素と酸素を得ることを追従実験できている。では何のためにそのような追求をするのだろうか、水素に線香の火を近づけると「ポン」と激しく燃えることを確認したいからでないことは明らかだ。 「科学は最も基本的な人間の行動だ」とチャド・オーゼルは言ったと言うが、人間が考える葦であり、我々は我々が人間だから、科学的探求をするのである、と哲学的になってしまうのだ。ブラックホールに関心を持つのもそうだ。ブラックホールが発見され、その事で、だれか、利益を得るのだろうか。そんな事はなく、我々が人間だからこそ、ブラックホールに関心を持つのではないだろうか。ドコモの「喋ってコンシェル」ではないが、何でも聞けば、たちどころに応えてくれるのでは、人間は何もしなくなるような気がする。
2012.07.05
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第百六段【本文】 高野証空上人、京へ上りけるに、細道にて、馬に乗りたる女の、行きあひたりけるが口曳きける男、あしく曳きて、聖の馬を掘へ落してげり。 聖、いと腹悪(はらあ)しくとがめて、「こは希有(けう)の狼籍かな。四部(しぶ)の弟子はよな、比丘よりは比丘尼は劣り、比丘尼より優婆塞(うばそく)は劣り、優婆塞より優婆夷(うばい)は劣れり。かくの如くの優婆夷などの身にて、比丘を塀へ蹴入れさする、末曽有の悪行なり」と言はれければ、口曳きの男、「いかに仰せらるゝやらん、えこそ聞き知らね」と言ふに、上人、なほいきまきて、「何と言ふぞ、非修非学(ひしゅひがく)の男」とあらゝかに言ひて、極まりなき放言しつと思ひける気色にて、馬ひき返して逃げられにけり。 尊かりけるいさかひなるべし。【訳文】高野山に住む証空上人が京へ上った時に、細道で、馬に乗っている女に出くわしたが、その女の馬の口をひいていた男が、曳きそこなって、上人の乗っている馬を道のそばの堀へ落としてしまった。 上人は、かんかんになって非難して、「これは、とんでもない乱暴じゃ。御仏の四部の弟子というものはな、比丘より比丘尼は位が低く、比丘妃より優婆塞は位がまた低く、その優婆塞より優婆夷はもっと位が低いのだ。そのような低い優婆夷などの分際で、比丘たるこのわしを堀の中へ蹴落とさせるとは、前代未聞の悪行だぞ」と言われたので、口取りの男は、「何とおっしやるのでしょうか、ちっとも聞いてわかりません」と言ったところ、それを聞いた上人は、いっそういきり立って、「何とぬかすか、この非修・非学の下衆め」と荒々しく言ったが、この上もない悪口を言い散らしてしまったと思った様子で、乗っていた馬をもと来た方へ向け返して、逃げて行ってしまわれた。 実に尊く感じられた口論であろう。【注釈】・腹悪しく:怒りっぽく・希有:めったにない→とんでもない・四部:仏弟子の4種の別(比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷)四衆ともいう・え・・・ね(否定):あえて、・・・できない・非修非学:仏道を修業せず、学問しないこと・極まりなき:この上なく第百七段【本文】 「女の物言ひかけたる返事、とりあへず、よきほどにする男はありがたきものぞ」とて、亀山院の御時、しれたる女房ども、若き男達の参らるゝ毎に、「郭公(ほととぎす)や聞き給へる」と問ひて心見(こゝろみ)られけるに、某の大納言とかやは、「数ならぬ身は、え聞き候はず」と答へられけり。堀川内大臣殿は、「岩倉にて聞きて候ひしやらん」と仰せられたりけるを、「これは難なし。数ならぬ身、むつかし」など定め合はれけり。 すべて、男をば、女に笑はれぬやうにおほしたつべしとぞ。「浄土寺前関白殿は、幼くて、安喜門院のよく教へ参(まゑ)せさせ給ひける故に、御詞などのよきぞ」と、人の仰せられけるとかや。山階(やましな)左大臣殿は、「あやしの下女の見奉るも、いと恥づかしく、心づかひせらる 」とこそ仰せられけれ。女のなき世なりせば、衣文(えもん)も冠(かぶり)も、いかにもあれ、ひきつくろふ人も侍らじ。 かく人に恥ぢらるゝ女、如何ばかりいみじきものぞと思ふに、女の性(しゃう)は皆ひがめり。人我(にんが)の相深く、貪欲甚だしく、物の理を知らず。たゞ、迷ひの方に心も速く移り、詞も巧みに、苦しからぬ事をも問ふ時は言はず。用意あるかと見れば、また、あさましき事まで問はず語りに言ひ出(い)だす。深くたばかり飾れる事は、男の智恵にもまさりたるかと思へば、その事、跡より顕(あら)はるゝを知らず。すなほならずして拙(つたな)きものは、女なり。その心に随(したが)ひてよく思はれん事は、心憂かるべし。されば、何かは女の恥づかしからん。もし賢女あらば、それもものうとく、すさまじかりなん。たゞ、迷ひを主としてかれに随(したが)ふ時、やさしくも、面白くも覚ゆべき事なり。【訳文】 「女が何かを言いかけたのに対する返事を、即座に、うまい具合いにする男子は稀なものだ」というので、亀山上皇の御在位の時、いたずら好きな宮中の女官たちが、若い男たちが参内せられるたびに、「ほととぎすをお聞きになりましたか」と尋ねて、どんな返事をするかをためされた折りに、某大納言とかは、「わたしのように取るに足らぬ身には、聞くことができません」とお答えになった。ところが、堀川の内大臣殿は、「岩倉で聞きましたようです」とおっしゃったので、「これは、非の打ち所がない。『数ならぬ身』などというのは、いやなものですね」などと女官たちが批評し合われた。 大体、男子というものをば、女性に笑われないように、立派に育て上げなくてはならないということである。「浄土寺の前の関白殿は、幼いので、安喜門院がしっかりとお教え申し上げあそばしたために、おことばなどが立派なのだ」と、ある方が仰せられたとかいうことである。山階の左大臣殿は、「卑しい下女に見られるのも、ひどく気がおけて、気づかいさせられるものだなあ」と、そうおっしゃった。もし女のいない世の中であったら、装束の付け方も冠のかぶり方も、どうともせよ、きちんとととのえる人もありますまい。 これほど男に気をおかせる女というものは、どんなに立派なものか、と考えてみると、女の本性は、すべてねじけている。女は、自我に執着する状態が深くて、やたらに物をほしがる欲がつよく、物の道理を覚(さと)らない。ただ、迷いの方面にたちまち心が傾いてゆき、口先も達者で、言ってもさしつかえないことでも、こちらから尋ねる時は、隠して言わないものである。用心してしゃべらないのかと思うと、今度はまた、とんでもないことまで、訊かれもしないのにしゃべり出すのである。深く考えてうわべを飾っている点は、男性の智恵・分別よりもすぐれているかと思っていると、そのうわべを飾っている事が、言った後の様子からたちまちばれてくるのをも気づかない。心が率直でなくて、愚劣なのは、女というものである。男が、その女の気持ちの通りになって、好ましく思われようとすることは、情けないことであろう。それだから、何で、女に気をおいて、きまりわるく思うことがあろうか。もし万一、才智のすぐれた女がいるとしたら、それも、何となく親しみがなく、魅力がないに違いない。ただ、迷いに心が支配されて、女の心のままになる時だけ、優美なものとも、おもしろいものとも思われるはずのことである。【注釈】・しれたる→しる: 愚かなる・数ならぬ:取るに足らぬ・堀川内大臣:源具守(堀川相国の子)・定め合う:共に批評する・おほしたつ:立派に養い育てる・衣文も冠も:装束の着付け方と正式な冠のかぶり方・迷ひの方:迷妄・用意ある:心を遣って気をつけること・(た)はかる:考えを巡らす・すさまじ:興ざめ第百八段【本文】寸陰惜しむ人なし。これ、よく知れるか、愚かなるか。愚かにして怠る人のために言はば、一銭軽しといへども、これを重(かさ)ぬれば、貧しき人を富める人となす。されば、商人(あきびと)の一銭を惜しむ心、切なり。刹那覚えずといへども、これを運(はこ)びて止まざれば、命を終ふる期(ご)、忽(たちま)ちに至る。 されば、道人(だうにん)は、遠く日月を惜しむべからず。たゞ今の一念、空しく過ぐる事を惜しむべし。もし、人来りて、我が命、明日は必ず失はるべしと告げ知らせたらんに、今日の暮るゝ間、何事をか頼み、何事をか営まん。我等が生ける今日の日、何ぞ、その時節に異ならん。一日のうちに、飲食(おんじき)・便利・睡眠(すゐめん)・言語(ごんご)・行歩(ぎゃうぶ)、止む事を得ずして、多くの時を失ふ。その余りの暇(いとま)幾ばくならぬうちた、無益の事をなし、無益の事を言ひ、無益の事を思惟(しゆゐ)して時を移すのみならず、日を消(せう)し、月を亙(わた)りて、一生を送る、尤(もっと)も愚かなり。謝霊運(しゃれいうん)は、法華の筆受(ひつじゅ)なりしかども、心、常に風雲の思(おもひ)を観(くわん)ぜしかば、恵遠(ゑをん)、白蓮の交(まじは)りを許さざりき。暫(しばら)くもこれなき時は、死人に同じ。光陰(くわういん)何のためにか惜しむとならば、内に思慮なく、外に世事なくして、止(や)まん人は止み、修せん人は修せよとなり。【訳文】 世の中には、わずかの時間を惜しんで、なすべきことに精進する人がいないものである。これは、わずかの時間を惜しむ必要がないと十分わかっているのか、または、愚かであって、惜しむ理由がわからないのであるか。この愚かで、時間を惜しまず、怠けている人のために一言すれば、一銭はわずかであるが、これを積み重ねれば、貧乏人を金持にするものである。だから、商人が一銭を大切にする気持ちは大変切実なものである。それと同じく、一刹那の短い時間は、はっきり意識されなくとも、その刹那をつぎつぎに経過させて止めなければ、生涯を終える、時がたちまちのうちに到来するのである。 だから、仏道の修行者は、遠い将来にまで続くものとして、長い時間を惜しんではならない。それよりも、現在のこの一瞬間の意識がむだに過ぎてしまうことを惜しまなくてはならない。たとえば、もしも、誰かが来て、自分の命が明日は必ずなくなるであろうと告げ知らせてくれた場合に、今日の日が暮れるまでの間に、何をあてにし、何ごとをせっせと努力してやるであろうか。わたくしたちが生きている、この今日という日も、明日は命がないと言われたその時機と、何で違いがあろうか。しかも、その一日の間に、食事や便通や睡眠や談話や歩行など、やむをえずに、多くの時間をつぶしているのである。その残りの時間がいくらもない間に、むだなことをやり、むだなことを言い、むだなことを考え思って、一日の時間を過ごすだけでなく、日日を経過して、一生涯を送るのは実に愚かなことである。謝霊運は、法華経翻訳の時の筆録者であったけれども、心中には、いつも風雲の興趣のある自然を眺めて楽しんでいたので、慧遠法師は、無益の事をするとして、白蓮社の教団生活に仲間入りすることを許さなかった。しばらくの間でも、短い時間を惜しんで精進する心がない場合は、生きていても、その生の意義は死人と同じものである。それならば、時間を何のために惜しむのかといえば、心中は、あれこれと思い考えることをせず、周囲には世の俗事のないようにして、悪事を止めようとする人は止め、善事を実行しようとする人は実行せよということのためである。【注釈】・寸陰:わずかのひま。尺陰とも・刹那:極めて短い瞬間(仏語)・道人:世俗を離れ専ら仏道を修する人・思惟:思量すること(仏語)・・・人間の業=「身」「口」「意」の3業・謝霊運:中国北朝の詩人、刑死・筆受:仏教の原点を中国語に翻訳する役・慧遠:東晋の高僧(浄土宗を推進)・白蓮の交り:慧遠により往生浄土を所期する集団・止まん:善行を実践すること
2012.07.04
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中堅海運会社の三光汽船が再び倒産と言うことになったようだ。2度目の会社更生法の申請で負債額1558億円だという。(時事通信)朝日新聞に依れば、負債額は1026億円だと言うことだ。三光汽船は尾道を発祥として、大手の三井船舶+大阪商船(後のMOL)を乗っ取ろうとしたり、中堅での暴れ者という感じだったが、今やお馴染みになってしまった、造船・海運不況の煽りで、1985年に経営がいきづまり、5,200億円(一部では6000億円との数字もある)という巨額の負債を抱えて第1回目の会社更生法を申請した。この倒産の額は、当時の日本では戦後最大といわれ、心胆寒からしめるものがあったが、前日に日航ジャンボ機墜落事故(御巣鷹山)が発生したために扱いは小さかったようだ。最初の倒産では事実上のオーナーである自民党の河本敏夫の政界での立場に強く影響し、河本敏夫総裁が吹っ飛んだ1つの要因となった。 しかし、その後、管財人によって急速に業績回復させ1998年に更生計画を終結し、立ち直ったかに見えた。 だが、それから14年で、再び倒産の憂き目にあったことになる。今年2001年3月から事業再生のADR(裁判外紛争解決手続き)を行っていたというが、之に行き詰まり、第1回目と同じく、会社更生法の適用を申請をしたことになる。約1,000億円の債務整理が付かなかったようだ。この遠因も2008年に起こったリーマン・ショックで、運賃の大幅下落を招き、三光汽船の収入源の大半が危険な状態となったわけだから、如何に影響力が大きく、又根の深いものであったということだろう。この時点では、未だ、三光汽船は金融機関の間に第三者を入れて、裁判に依らずに私的整理を行う方向で進めたわけだが、金融機関や船主などと借金の支払い延期の交渉も行き詰まり、今回の事態となり、2回目の会社更生法適用という不名誉な結果になったわけだ。三光汽船は自社船を余り持たず、用船のたびに、船舶の所有者に「用船料」を払って船を借り、運行に当てていたのだが、その「用船料」の支払いに行き詰まったわけだ。複数の船主がこの用船料の支払繰延要請に対して、三光汽船所有の船舶を差し押さえや船舶の引き揚げを行ったために、資金繰りに窮して私的整理手続(ADR)による再建を断念し、会社更生法の申立てになったのだという。勿論こうなる前には、事業の継続を目論んで、新たなリストラ計画で、収益の改善を図ったわけだが、周辺がそれを許さなかったと言うことだろう。この結果、債権者は、大幅な債権放棄を迫られることになり、現に、三光汽船に出資の新生銀行は、この破綻で87億4600万円取り立て不能になる恐れが生じたと発表している。 又この煽りを食って、乾汽船 や明治海運、第一中央汽船など中堅海運の株価が軒並み下落しているようだ。 三光汽船は長期用船で臨んでいたために、好況時の契約で、用船していたものが、この期に大幅高騰したため、倒産の事態に至ったようだ。ばら積み船のうち主に鉄鉱石を運ぶ最大船型「ケープサイズ」の1日あたりの運賃水準はリーマン・ショック前の2008年には20万ドルを超えていたのが、今年6月には4000ドルを割り込んだわけで、運行すればするほど赤字は免れず、体力のない中堅の海運会社はひとたまりもなかったわけだ。ばら積み船運賃の大幅な下落に対し、好況期に契約した船の割高な賃借料という2重苦によって、経営が圧迫され顕在化したと言うことになる。こういった、逆ざや現象は、中堅だけでなく、大手の日本郵船や商船三井などでも同様であるが、大手海運会社は、ばら積み船だけでなく、液化天然ガス(LNG)船や自動車運搬船、資源開発船など様々な分野で多角的な「ムカデ経営」をして、リスクを回避している。しかし、三光汽船など、中堅海運会社の多くは鉄鉱石や石炭、穀物を運ぶばら積み船や、タンカーなど「一本足打法」故に、より厳しといわねばならない。こうしたことから、海運業界の動きは経営難の会社に貨物を預けるのを嫌い、顧客が集中する会社と離れる会社に二極化する、との見方も出ている。更に、船の賃貸契約はドルベースが主流であるため、このところの円高は、国内船主にとって収入の目減という結果になり、その為にも、運輸業者の、用船料(賃借料)の支払い繰り延べ要請を受けることが出来ず、今日の状態になったものだ。この先も、水もののような、運賃の下落に対し、更なる、危機が訪れるかも知れない。
2012.07.03
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雨、晴れ、雨の合間、今日は殊の外暑かったようだ。関電の顔を伺っているわけではないが、部屋の中で戸を開け放ち風を通していると、エアコンまで欲しいとは思わないが、外は暑かったようだ。 今日は、この間、京都のつるやゴルフでバーゲンをしていた時に買ったゴルフパンツの裾仕上げを、私1人で取りに行く計画だった。ところが、出かける時間近くなって、連れ合いからメールが舞い込んだ。何やら学校では球技大会だとかで、蒸し風呂の体育館で缶詰になっていたようだ。「かき氷(絵文字も)食べたーい!」と書かれていて、一緒に京都に行く事になった。出かけた時間は遅かったが、それでもまだ暑い。河原町について、真っ先に向かったのが「祇園NITI」というかき氷で、美味しいとテレビの宣伝に出ていた所を探していく事になった。店の名前と大体の場所は分かっているが、詳細までは分からない。こんな時にはスマホが便利とばかり、調べてみると、場所が分かった。花見小路から少し東に入った所らしい。建仁寺の近くでもあり、歌舞練場のほんの近くらしい。スマホのナビを片手に、歩いていくと、目的の赤丸と同じ所辺りに着いた。キョロキョロ見渡しても、それらしい店はない。どうやら1本手前の道を曲がったようだが、この辺りの御茶屋は、実に細々としていて、公の地図では、載せきれていない。仕方なく、何人かに聞いたが分からず、最後に土地の板前さんのような人に聞いて、通りが違う事が分かった。スマホの限界のようだ。その指示で路地を歩いても、1回では見つけきらない。しかし執念で見つけた場所は、玄関で名前を見るまで分からないくらいに周りに溶け込んだ所だった。連れ合いに聞くと、最近、朝日放送の「みしらん」という番組で、天然氷のかき氷を宣伝していたとか、又氷の掻き方が特許になっているほどの云々とのことだ。後で調べると、NITIの店長はイケメンだとか、恐る恐る玄関をあけると、そのイケメンらしい青年が、応対に出てきた。「あのー、かき氷はやってないのですか?」と連れ合いが聞くと、どうやらかき氷は昼間のことで、午後5時半でラストオーダーとか、既に6時を過ぎていたので、そそくさと退散した。かき氷は昼間だけ、ごく理に叶っている。それでも執念でかき氷を食べたい連れ合いは、四条通を河原町駅に向かう途中の茶寮「都路里」に入った。そこで、待望の宇治金時を注文したのだが、店の中は、必要以上に冷房が効いていて、かき氷を全部食べる事は出来ないほどであった。勿論暑がりの私は一応全部平らげたが、連れ合いの分まで追加で平らげる事は出来なかった。さぁ、出ようかという頃には、体中が芯から冷え込んで、店員の女性に「寒いわ」というと、何やらにっこりと笑っていた。念願のかき氷だったが、全部は食べきれず、出てしまった連れ合いは、「何としても、NITIに行こうね」とまだ言っていた。そこから帰り道に、連れ合いが高島屋で買い物をしている間、私は地下道を通りつるやゴルフのある烏丸まで歩いた。予めスニーカーを履いていたので、歩くのは苦にならなかった。引換券で直しの終了したパンツを受け取り、トイレを貸してくれるように言うと、店員はすまなさそうに「ここはビルになっていまして・・・」という。結局駄目と言う事のようで、回り込んで、ビルの入り口を入り、トイレに辿り着いて、あけようとすると部外者は遠慮下さいと鍵まで掛かっているのには驚いた。帰り道にコンビニを覗き込むと、トイレに「ご自由にお使い下さい」と書いてあるのを見かけ、中に入って用を足したが、ここは逆に、最近のコンビニでは従業員に断ってあけて貰うようになってきているのと違い本当に自由に使えたので、一寸した驚きであった。その後、連れ合いと合流し、夕食にと高島屋の7階まで上がり、スパゲティ屋に入ったが、雰囲気の良い店ではあったが、スパゲティの味はもう一つであった。これも高島屋というか、百貨店が潰れる要因の1つではないかと密かに思った。かくして、「かき氷が食べたーい!」を果たして、帰路についた。
2012.07.02
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「また行こうね」連れ合いの孫は恐竜が好きである。昨年5月に福井の恐竜博物館に行って随分と気に入った様子で、また行こうと言う事になっていた。今日がやっとその日だ。お父さんからは、前の日からワクワクしているとメールが入った。一寸早めに出ようかと7:00出発としたが、奇しくも去年、出掛けたのと同じ時間だった。今日が2回目となる。福井まで3時間以上掛かるので、孫達が退屈しないようにと、DVDが見られる太郎君の車を使う事になっていた。満タンにしておいてくれた車に乗り換えマンションを出発した。一度行っているので、地図は頭に入っている、大山崎ICから京滋バイパスを通り、名神高速から米原で北陸自動車道にはいる。今日は生憎の雨模様で、ゆっくりと走る事にしていた。出発してから約1時間半で、賤ヶ岳SAに着いた。休憩して、スナックを食べ、弟がトイレに行きたいというので付いて行った。広いトイレで、自分で、またがって用を足している。「出た」というので、「良いね」というと、暫くしてまた、「出た」という。そんな風に3,4回言うので、そんなにと思ったら、どうやらそういうとお母さんが拭いてくれるというのだ。慌てて、私が拭いて、トイレから出てきた。その後、ちゃっかりと、ミニカーを2台ずつ買って貰って上機嫌だ。また車上の人になって、今度は、40分ほど走り、北鯖江PAで休憩を取った。そこからすぐの、福井北ICで高速を降りて、下道を走る事40分くらいで、恐竜博物館に到着した。ここまで休憩を入れて、3時間40分ほどだった。往路は、ほとんど借りてきたというDVDを見ながらだから、少しも退屈はしていない。雨で空いている駐車場の外れで、腹ごしらえをする。そして入場。孫2人は相当に高ぶっている。連れてきた方としても冥利に尽きる感じだ。入り口からすぐの所に、「フクイラプトル君」のキャラクターが迎えてくれる。弟君は殊の外おどけて写真に収まった。一気に地下1階まで、エスカレーターで降りて、ダイノストリートを抜けるが、既にお兄ちゃんは両方の壁面を飾る、恐竜の化石に見入る。トンネル状の天井には、生きた化石といわれる、カブトガニが泳いでいる映像が映っている。突き当たりは、カマラサウルスの産状で、右奥には、福井の発掘現場の再現がある。この辺は、前に来たのと余り変わってはいない。階段を、上がるとそこには、改良された動くティラノサウルスがあった。人気のその場所は写真スポットで、やってやろうかと挑戦的な弟も、兄貴と同じく、持参のDS内蔵カメラで、写真を撮っていた。とても幼稚園前の子供だとは思えないくらいだ。そこから先は、恐竜の化石を復元した、例の恐竜の館だ。右側には鳥盤目や、鳥脚亜目が並んで立っている。左側には、獣脚亜目や竜脚形亜目、竜盤目などが所狭しと並んでいる。兄貴の方は、最もどう猛とされる、肉食竜、ティラノサウルスの骨格標本の前でポーズを取り写真に収まった。どっちかがちょこまか動くので、なかなか2人のショットは取れない。どう見ても同じように見えるが、少しずつ違った化石立像を見て2階へのスロープを上る。そこからは、前に来たときに弟君が、突如気に入って声を上げた、オメイサウルスの長い首である。フラッシュ禁止のカメラではなかなか上手く取れないが、中国四川省のジオラマである。背景の色が、1日の様子で、明るい色から、暗い色まで、変化するように作られている。この事を発見したのは兄貴君の方だ。最近の兄貴君は、観察力が一層鋭くなってきているに驚く。その辺りになると、私は急に睡魔に襲われたので、ベンチで休む事にした。その間、連れ合いが、一緒に廻るという。少しとろりと眠ったら、又活力が湧いてきて、3人と合流した。私が眠っている間はそう長くなかったが、その間にも2人は精力的に見て回ったようだ。特に小学校に上がった、兄貴君は、字が読めるようになったので、詳しく読んでは、漢字の分からない所を聞くのだという。1年での成長をまざまざと見る感じである。合流して、すぐ、2人は、2階のティラノサウルス・レックスの全身骨格を詳細に見られる1・2階吹き抜けの階段室ダイノラボで遊ぶという。そこの階段を、きゃっきゃと上がり降りするさまに、連れ合いもその場の椅子に座り込んだ。今度は私が後をついて回る。何回階段を上り下りしたろうか。2人が並んで大人しく計量器の上に載っている。ティラノサウルスの体重が、2人合わせた体重の、何倍になるかが出てくるという体重計だ。遠くで見ると優に90倍は超えているようだ。因みに私の場合は、約85倍だった。そこを出て、エレベーターで3階(エントランス階)に上がろうとしたとき、ハプニングがあったようだ。兄は、上に行くボタンを押した所、弟は、同じように下行きのボタンを押したので、兄貴君が急に弟君を蹴ったというのだ。後で聞いたが、「何故かあの時はそうなってしまった」と反省していた。之は帰ってからの事だが、レストランで、弟君が、ポテトチップスを頼んだ所、兄貴君が断り無しに食べようとしたので、大泣きされ、結局怒られた兄貴君だったが、こんなところで意趣返しかなとも思い、共にイエローカードを渡された。私はそんな事とも知らず、寝ていたときに見落とした、恐竜君達の写真を急いで撮って廻った。その間土産物店で、兄貴君は、他の種類の恐竜は全て持っているので、弟が持っている首の長い恐竜のオメイサウルスのフィギャーを買っていたし、弟君は、即決で、恐竜の卵を買ったのだという。こんな時、弟君の決断力は早いのだそうだ。連れ合いは、恐竜が多数プリントされた、可愛いTシャツを買っていた。驚く事に兄貴君は、私用にと押せば「ぎゃー」と鳴く恐竜の形をしたボールペンを買ってくれていた。そんな事で、振り出し階に戻ったので、時も良いし帰る事にした。見学時間は、3時間10分ほどだ。14:00に恐竜博物館を出発し、雨を突いて、ひたすら走り、途中1回の休憩をしただけで、一直線に、車を走らせ、16:35には久御山淀IC降りた。イオンで何か食べて帰ろうとしたが、うんざりする程の車の待ち行列に、きびすを返し、そのまま帰って、近所のファミレスで、一寸早めの夕食とした。 孫達のマンションに着いて暫くすると、お父さんとお母さんが帰ってきて、合流し、ひとしきり報告をしてから別れた。博物館では、イヤホンガイドがあるが、今度はそれを聴きながら歩くという事と、恐竜の一寸難しい本を買うという目標を立て、今日の締めくくりとした。今日は、1日中雨だったが、420kmほどの行程であり、楽しい1日となった。
2012.07.01
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