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久しぶりに友人と会った。連れ合いとも共通の高校時代の友人で、バスケットボール部で共に汗をかいて来た親しい仲間である。連れ合いは勤めがあるので夕方からしか会えないが、久しぶりに歓談した。友人は杖を使わないと歩行が少し辛い身体ではあるが、快く会ってくれる。6年前に私が帰阪した頃は、少し元気がなかったようだったが、最近は、毎日のようにプールに通い50mプールを10回泳いだとか、兎に角元気いっぱいの様子である。一時衰えていた人が段々と元気になっていく様を見るのは極めて嬉しいことである。6年前にあったときは体重が50kg台であったのが、今は60kgを越えているという。それでも、彼の身長は180cmは越えていたと思うからBMI的には痩身の部類である。顔もふっくらとしていて、血色も良くなり、至って健康そうであるのは嬉しい限りだ。そんな彼は、工芸(彫刻)に凝っていて、今でも素晴らしい作品を生み出している。今日は予て手がけているオルゴールボックスが完成したので見せて貰った。その何とも云えない豪華さは、とても人間業とは思えないといった感じだ。彫刻の中でもバラを彫るのが得意のようで、今まで、数多くの作品を残している。、私などから見れば、プロ級の技であるが、独学で気ままに彫っているからと謙遜する。今日の作品の詳細はと言うと、四方に脚が付いた10~15cm位の高さのオルゴール付き小物入れであるが、その下面を除く5面には、全面バラの花(つぼみや葉を含む)で埋め尽くされているのである。そのバラの花も1つとして同じ物はない個性豊かなバラの軍団である。材質はクスノキだと言い、テーブルに置いた本体からは何とも言えない良い香りがしてくる。このボックスは蓋を除いて全て1木から造って、中はくり抜いたと言うから再び驚きである。大まかには機械でくり抜いたとのことだが、何と、4隅の小さな脚まで一体だというのである。友人の曰く、もし各部材を貼り付けると、コーナー部で彫り込みの連続性が無くなるからと敢えて1木で挑戦したのだそうだ。壁面と、蓋の上面は厚さ3cmを彫り込んでいったというから、薄っぺらいものではなく重厚感がいやが上にも増す。細やかな刀裁きは、ますます熟練度を増してきてるようだ。以前に、額としてのバラのレリーフを見せて貰ったが、その作品よりもさらに進化していることが分かる。その前には、全面にバラをあしらった「バラ時計」を市の作品展に出品し、最優秀作品に選ばれたと言うからなかなかのものである。バラ時計でもメカ(時計の針)との組合せであったが、今回も蓋を蝶番で取り付けるという作業が加わっている。その作業は一口に言うと簡単だが、オルゴールのオン・オフスイッチとの関係や、蓋を閉めたときの各側面との模様の連続性などを考えると、私などには気の遠くなるような事前検討と緻密な彫刻作業が必要である事が覗える。ここに写真を付ければいいのだが、毎回付けていないので、敢えて付けないでおく。私のスマホには写真を残しているので、会う人ごとにそれを見せて宣伝することが出来る。私なら、こんなに豪華に出来た装飾品なら自宅に飾って眺めるところだが、彼は今までの作品を全て人にプレゼントしているのだそうだ。「こんな物でも貰ってくれる人がいるから次を彫ろうかと思う」などと信じられない位に恬淡としている。「商売をしたら」というのは、私のような者の考えることであるが、「まだあげなければいけない人が待っているから忙しくて」と実に屈託がない。実は、連れ合いも以前に黒檀で彫ったバラのブローチを貰っていて、今日も付けて来ていた。私にも紐タイ留めをと言うことだったが、紐タイ自体が好きでないので、断ったら、他の友人に怒られた。かく言う私は、高校時代に、おそらく彼が最初に彫った作品のマネの「少年笛手」を貰っているのだ。それもまた素晴らしい作品で、未だに手元に置いて眺めている。今改めて計ってみるとマネの作品は約13~14mmの板から最薄部を3mm程度を残すまで彫り込んだレリーフである。今回はその厚さが30mmと言うから偉大な進歩を遂げていることになるわけだ。彼は少し前まで、毎年の年賀状も6~7色程度の色事に別け刷った版画を送ってきてくれて、目を楽しませてくれたが、それらは今も私の手元に残っている。そんな彼の彫刻の順番を待って姫の工学博士の学位証を納める額の製作を依頼している。仕上がりは、この次の次なのだそうで、楽しみである。彼はさらに、高槻の山奥に花壇を造成しているという。美術が好きで、彫刻を得意とし、さらに花壇で花を愛でる毎日はさぞかし充実したものであろうし、毎日通っているプールでのアクティビティーが彼の健康を支えてくれているようだ。久しぶりにパワーを貰った感じで、別れてからも、連れ合いと2人でバラのオルゴールボックスの話をしながら帰途についた。
2012.10.31
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昨日の新聞には、「日本海・オホーツク海にメタンハイドレート」との見出しで、日本の排他的経済水域(EEZ)内の日本海からオホーツク海にわたる広域の海底でメタンハイドレートが見つかったと発表された。 明治大学と北見工業大学、東京大学の共同調査グループの成果であるという。従来からメタンハイドレードの存在は知られいたし世界中に分布しているとされていたが、深海にあるとのことで、発掘・抽出に置いて、コストが掛かり云々と言われて手つかずのままであった。今回は、勿論その問題もあるが、メタンハイドレートが海底から数メートル掘った浅い地下に円盤型のシャーベット状になって埋まっているとの事で、掘りやすく有望な資源となる可能性が現実味を帯びてきた。そう言ったことで過去の記事を振り返ると、これまでに太平洋側の南海トラフなどで見つかったメタンハイドレートは海底下数十メートルより深い部分にあり、掘削に向けて技術とコストが課題となっていると書かれていた。しかし、2011年7月25日の記事では、メタンハイドレートは既に海底の100~300m前後の浅い地層にあって、日本近海の6万平方km以上に分布するとみられると発表されていた。そして、分解して得られるメタンガスが燃焼したときの二酸化炭素(CO2)の排出量は石炭や石油の半分で済むが、商業化には抽出や輸送などコスト面での課題が残るとコメントされていた。それと同時に、試験産出を始める旨が記されてた。メタンハイドレードはまた「東部南海トラフ海域」や四国・九州沖、北海道周辺で埋蔵が確認されているともいい、之を以てしても日本を取り巻く海洋には、実に豊富な資源が埋蔵されていることが分かる。さらに、日本の排他的経済水域(EEZ)には、ほかにも「海底熱水鉱床」や「コバルトリッチクラスト」など豊富な海底資源が眠っているというのだ。何を以て資源のない国と言い続けてきたのか理解に苦しむ。経済コスト面を考えて、あるにはあるが取り出しに膨大な金が掛かるというのならそれこそ技術立国、目の覚めるような方法を考えれば良いではないか。何故そのような資源を開発するために資金を出さないのだろうか。政府の金の使い方に大いに疑問を呈するものである。勘ぐるに、メタンハイドレードが比較的安価に入手できるとなれば、エネルギー源として、原発のそれを凌駕することが目に見えており、原子力ムラからの横槍が入ったのではないかと思うほどだ。日本は資源のない国で、エネルギーの殆どを海外から調達しなければならないと教えられ続けてきた。それ故、原発は必要だとの議論のそれもこれも原子力ムラのためかと思うほどに悔しさがにじみ出る。2011年8月15日には、メタンハイドレードが国産燃料として期待大だとの記事を掲載している。そして、メタンハイドレートから、天然ガスの一種メタンを取り出す実験を今年2月に始めることを決めその試掘場所を愛知県の南方押70~80kmと決めていた。同時に、日本近海の埋蔵量は、国内で消費する天然ガスの100年分に相当するとの試算もあって、国産エネルギーとして期待が高まっているとも書かれていた。そして力強いことに、試掘にこぎ着けたのは、メタンハイドレートを溶かしてから、地上にくみ上げる掘削技術に目処が付いたためだというのだ。深い井戸を掘って、メタンハイドレート層にある水や泥を抜くと、圧力が下がって、メタンハイドレードが溶け始める。それを海底から採取に成功すれば世界初となるというのである。ここにやっと日本の技術開発が実を結んだように書かれていた。之こそ日本の技術力ではないだろうか。しかし、勿論絵に描いたようにはいかないようで、メタンハイドレートは、低温・高圧の環境では水のカプセルがメタンを包む形で氷状に固まったものであり、火を付けると燃えるため「燃える氷」とも呼ばれるのだが、試掘する海の深さは約1000m程度で、そんな海底の岩盤を200~300mも掘り進めないとメタンハイドレートの層にたどり付かないとすれば、固体のまま大量に掘り出すのは難しかったわけだ。こういった点で、手間がかかる分、コストアップになり石油やガス田から出てくる輸入天然ガスに比べ採掘コストが膨らむ結果となっていた。掘削・採集コストは、経産省の推計では1立方m当たり46~174円と言うことで、輸入天然ガスの4倍程度掛かることになり、現状では実用化にはコスト削減が欠かせないとしていた。今回の発表も海底から100~300mの岩盤を掘削するとあるので、おなじ条件だと思われるが、記事では、海底の表層で掘り出しやすく、日本海のメタンハイドレートが主要国産エネルギー源としての期待が高まるとしている。私は、過去、OPECが出来る以前に、中東から石油が入らないと言ったオイルショック時に、メジャーがこぞって海底石油掘削リグを建造した事に関わってきたが、その仕様は、6000mの海底をドリルする技術であった。あの技術を以て、しかも改良を重ねていったならば、必ずや安価なエネルギー源を確保することは可能であり、原発は一気に不要となることも考えられたのである。 海底下表層のメタンハイドレートはこれまでもメキシコ湾やカナダのバンクーバー沖、サハリン沖などで確認されているし、今回の、日本海やオホーツク海のメタンハイドレートについてはロシアや中国、韓国も調査を進めているようで、またまた第2、第3の尖閣問題になる前に、日本はしかるべき手を打たねばならない。
2012.10.30
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久しぶりのNHK講座である。残念ながら連れ合いは勤めがあるので、一緒には受講していない。たまには外に出て外気を吸うのも必要かとの思いもある。中東関係の講座はないので、ローマ帝国についての講座を受けることにした。塩野七生さんの「ローマ人の物語」を2つの補巻を含め17巻を読んだので、ローマ帝国については精通しているつもりだが、今回の講座は、ローマ帝国が発生した経緯についてのようなので、受講を決めたのである。この講座は、京都の文化センターでの受講となった。前期もあったようだが、それには気づかなかった。受講生は全部で13名ほどだ。女性が多いのには少しビックリした。4人の講師が順番に講義をしてくれるようで、今日は若い神戸山手大学の青木真兵講師であった。「地中海への拡大~カルタゴとの戦いを中心に」と副題された今日の講義は、海洋国家カルタゴの成り立ちと、ローマがカルタゴのハンニバルと闘った3次に亘るポエニ戦争について詳しく見ていった。現在のシリア(レバノン)辺りに興ったフェニキア人が地中海で縦横に商売をしていて、ギリシャの台頭で、西に追われ、造ったのが新しい都市(カルト・ハダシュト)即ちカルタゴである。ローマはギリシャのタレントゥムを陥落し、西をカルタゴ、東をローマと言った棲み分けで活動を行っていた。カルタゴは、アフリカとの沈黙の交易、寡頭制さらには自国を守るための傭兵制度を取り入れていた。しかし潜主アガトクレスが死んで、傭兵の必要が無くなり、溢れた傭兵は、メッシーナに移った。ローマはカルタゴとの棲み分けを規定した。ローマはイタリア・シチリア条項を破り、禁を犯してメッシーナに出兵しシチリアを属州化したことからカルタゴVSローマの対決構造となった。そして、第1次ポエニ戦争(BC264~241)が起こるのである。傭兵の反乱が起こり、それを鎮圧したハンニバルの父ハミルカルと娘婿のハスドルバルだが、制圧したスペインのカルタゴ・ノヴァで死亡し、ハンニバルが弱冠27歳で将軍となった。そして、第2次ポエニ戦争(BC219年~201年)は、ハンニバルによるローマ進駐で、雪のピレネーを象を伴って越えローヌ河を渡る大遠征を敢行するのである。しかしローマは面と向かっての交戦を避け、並行に対峙する持久作戦を採った。兵站に失敗した(本国の援助を受けられなかった)ハンニバルの虚を突いて大スキピオがハンニバルの本拠地カルタゴ・ノヴァを落とし、逆進してカルタゴに迫った。急遽ハンニバルは本国召還となり、最終的にはザマの開戦で、スキピオに敗れるのである。そして、第3次ポエニ戦争(BC149年~146年)であるが、カルタゴが戦時賠償金を早期に返還したことなどからカルタゴが再び立ち上がれないようにとの大カトの主張が通り小スキピオをしてカルタゴを滅亡させたのである。この戦争で、従来のローマの伝統的手法を採らず、ローマ軍は住民のほとんどを殺すか奴隷にした。そして極めつけはカルタゴの土地を塩で埋め尽くし、不毛の土地にしようとまで試みたとされるほどローマ人のカルタゴへの敵意は凄まじかった。このようにしてローマが地中海の覇権を握るに至ったのである。これら諸事件については、カルタゴが書き残した資料はほとんど無いと言うことだ。替わりに参考となる書物としては、1.旧約聖書、2.ホメロスの「イリアス」と「オデュッセイア」3.ヘロドトスの「歴史などがあるという。講座修了後、連れ合いと待ち合わせて、京都の町を散策した。連れ合いは、母親にカーディガンをとユニクロを覗いた。今は親孝行を精一杯している。河原町通りを三条近くまで上ると、Loftとユニクロが一緒に入ったビルがある。ユニクロは5階と6階を占め、結構広い床面積で、色々手頃な衣類を置いてある。京都も暫く来ないと、あちらこちらが変貌を遂げている。買い物を済ませて、四条に向かうと、何とカラオケショップが目白押しなのに気づく。京都の人はよほどカラオケ好きなのかも知れない。四条に戻って、丸井(旧阪急)の食堂街で、久しぶりに美濃吉の京弁当を頂いた。昼間に外を眺めるのと違って、京都の町の夕刻は、兎に角静寂感がある。町にきらびやかなライトが見えないのだ。せいぜい明るいのは、四条通の河原町から烏丸までと、河原町通り位のものだろうか。喧噪の中に身を置く楽しみもあるだろうが、静寂の中にゆっくりと食事するのもまた贅沢な感じである。やはり、京都には大阪にない静かな風情があるようだ。
2012.10.29
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この映画が在イランアメリカ大使館の人質事件の話だと知ったのはこの間、別の映画を観たときである。実話に立脚した映画を観るのは面白いので、観たいと思っていた。映画のあらすじは1979年11月4日イラン革命の最中、パフラヴィー国王を亡命させたとして、その引き渡しを要求するイラン過激派グループがアメリカ大使館を占拠し、60人もの人質を取るという事件をベースにしている。過激派の大使館内突入を前に大使館員6名が大使館から逃げ出してカナダ大使の自宅に潜伏するのであるが、彼らを救出するため救出作戦のエキスパートであるCIAエージェントのトニー・メンデス(ベン・アフレック)が6人をイランから救出するため、「アルゴ」という架空のSF映画をでっち上げて6人をそのロケハン(カナダ)のスタッフに身分偽変させるという作戦をたて実行すると言う話である。イントロでは、ペルシャ時代のガージャール朝最期の皇帝(シャー)であるアフマド・シャーを廃し、パフラヴィー朝を建てた国王のレザー・パフラヴィーと、皇后の破天荒な治世をちらりと紹介する。何と悪い奴だと仕立てるが、史実では良いこともしているがどうやらそう言った側面もあるらしい。そのパフラヴィー国王に追われてフランスのパリに亡命していた反体制派のホメイニーを指導者としてイラン革命が勃発したのである。あまりにも有名なこの事件を実に迫力ある脚本の下、時にアメリカ独特の陽気な一面をも見せながら、刻一刻と画面から目をそらさせない。パフラヴィー元国王は「癌の治療」のためという名目でアメリカへの亡命を求め、アメリカ政府は最終的に「人道的見地」からその入国を認めた。 アメリカのジミー・カーター大統領は、この要請を受けることでイランの新政権との間で軋轢が起きることを憂慮し、この要請を退けようとしたが、パフラヴィーの友人のヘンリー・キッシンジャー元国務長官らの働きかけを受け、国王とその一行はアメリカに入国したのである。ホメイニーらが敵視するアメリカが、同じく敵視する元国王を受け入れたことにイスラム法学校の学生らが反発し、この事件が起こったのだが、史実では52人が人質となっているようだ。当時カーター大統領は軍事力による人質の奪還を試みた(イーグルクロー作戦)ようだが失敗に終わっている。この映画ではCIAとカナダが協力して、ハリウッド映画「アルゴ」撮影のスタッフにしたてて救出するという方が先にあるように描かれていた。史実はパフラヴィー元国王のエジプトでの死去で解決に向かうのだが、その話になる前に、この映画は先ずカナダ大使館に逃げ込んだ6人を助けることに集中していた。カナダ大使館に雇われている女中がいつ裏切るかと言った6人の息詰まるような日々と、急遽映画作戦中止の本国方針(これがイーグルクロー作戦に変更したためと描かれる)に抗して、全責任を負う覚悟のトニー・メンデスの独自行動への心の中の葛藤をも良く表している。アメリカの方針変更は、即ち6人の死を意味していたが、この6人を救うことがミッションのトニー・メンデスは敢えて実行すると電話で答えている。カーター大統領のサインなしでは動かなくなった映画「アルゴ」作戦は頓挫したかに見えたが、CIAの上司を突き動かし、脱出に向けての航空機手配などで、瀬戸際でサポートする。映画スタッフに偽装して、テヘラン市内を撮影に回るときに、アメリカの銃で殺された息子を持つ親に絡まれるシーンでは、その事に気づいた、一般市民がせり出してきて、一触即発になろうかと冷や冷やさせられるなど、映画の興味は尽きない。当初計画の脱出の日、カナダ大使館を出発したその直後に、イランの過激派がカナダ大使館に入るとか、空港への道すがら、市民のデモ隊の中を車で通り抜けると言った場面はもう駄目かと思わせる。さらに、空港での最終的なパスポートコントロールでの息詰まるやりとりには、手に汗を握る。私もサウジで、ムタワ(宗教警察)のように髭を生やした係官にパスポートを見せるときのことを思い出し不気味な感じが蘇ったが、映画では見つかればスパイとして問答無用で殺されるわけで、正に命がけなのである。大使館に突入すると分かった段階で、職員は、重要書類の焼却や、シュレッダー掛けを行うがその復元に子供達を利用して、顔写真の復元をさせるところなど、いかにも出来すぎている。また、ここが映画の面白いところだが、何とか、最終チェックをくぐり抜け、手配のスイスエアの機上の人となったトニー・メンデスと6人だが、シュレッダーからの復元で、6人の内の1人の顔が割れ、それに気づいた、空港での革命軍兵士が、車やパトカーで後を追い、離陸直前のスイスエアに迫ると言った、見せ場を作るところなどは、脚色とは分かっていても手に汗を握ってしまう。機内アナウンスで「イラン国を出た」と聞き一同はやっと解放された喜びを噛みしめるのである。6人の内、この作戦に最も懐疑的であった1人が静かに立って、無言で、トニー・メンデスに握手を求めるシーンでは、うるうると来てしまった。後にトニー・メンデスはCIAのスター勲章を得たが隠密を要する受賞は公に出来ず、静かに、別居中だった妻や息子と田舎でひっそりと暮らしたとある。カーターは後に、彼こそアメリカの英雄であると称したとか。納得のいく話であった。その後、人質全員は444日ぶりに解放されたとある。
2012.10.28
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今日も土曜スクールがあった。最近集まる生徒数が少なくなったようだ。試験も終わってほっとしているのだろうか、それとも部活動が忙しいからか。8人だったようだ。迎えるボランティア先生は、7人である。1人新しく現役大学生が来ているが、この中学校は彼の母校だとか。中学生と話しているのを聞くと、身近な年齢なだけに、一生懸命聞いていたようだ。銘々が思い思いの学課を履修するのだが、私が今日集中的に教えたのは、数学で、文章の数式化や、×や÷の文字を使わずに数式を表す方法などだ。例えば、3÷(x+y)÷5×xと言った式を3x/5(x+y)と記載することや、a(km)の距離を時速3kmでb時間歩いたとき残りは何kmかと云った問題をa-3bと答える問題である。案外、一挙に考えようとすると、混乱するかも知れないが、前の問題では、左から順番に書いていき、÷なら分母へ、×なら分子に書けばよいなどと具体的に教えていったのである。我々にとって簡単なことでも、中学1年生にとっては、まだ引っかかるのだろうか、時々迷っていたようである。文章の数式化では、言わずもがなであるが、高校か大学で習う、次元解析について触れておいた。次元解析は物理量における、長さ(L)、質量(M)、時間(T)などの次元から、複数の物理量の間の関係を予測することが出来ると言った、割合便利な方法だからである。数式を解くなどと言った単に技術的なことだけを考えずに、物理的本質を分かるようにする方が頭に残りやすいと思ったからだが、これは、「はじきの法則」の普遍的な形と言えるだろうか。先の、a(km)の距離を時速3kmでb時間歩いたとき残りは何kmかと云った問題では答をxとすると。aは(km)、時速3は(km/h)、bは(h)、xは(km)だから3bは(km)であり、a(km)から3b(km)を引いてもa-3bも(km)でありxも(km)だから次元が合い、正解だと予測できて、かつ正解であると言うことだ。生徒は真剣に考えていても、得てして違った答を書いてしまうことがある。ケアレスミスと言えるのだが、機械的に数値を追っているだけで、物理量としての認識が欠如することが根底にあるからだろう。数学でもそうだが、国語や英語などでも、とんでもない話を聞いた。国語の漢字などでは、ある字を10回ずつ書きなさいと言った課題の時に、例えば「持」であれば偏の「手偏」を先に10回書いてその横に旁(つくり)の「寺」をまた10回書くと言ったやり方である。その方が早いと言うことのようだが、之など論外である。また例えば英語では、I am a boy.と言う短い文章を10回書けとの時に、最初に「I」を10回書き、その後「am」を10回と、次々書いて終わらせると言ったやり方だそうで、之もまた文章を理解すると言った根本的なことから逸脱しているわけで、また、何をか況やである。しかし、こう云ったことが現実に起こっていることを考えると、教育の仕方なども再考する余地が十分にあると言わざるを得ない。泉佐野市では市長が学校項別の成績を発表すると言ったことで話題になっているが、一部の学校が成績が良く、これらの学校が出来の悪い学校の成績を引っ張り上げていることを許さない、きめの細かい方法だろうが今、議論を呼んでいる。このように学校社会(成績)も、格差社会であり、一部よく出来る子と、出来ない子では早くも小学校や、中学校で、確実な格差社会が形成されていることになる。従って、現在中学校や小学校のボランテャアで、子供達を教えているが、ちょっとやそっとの考え方の注入をしたところで、焼け石に水程度にしか成らないであろう。そうは言いながら、ちょっとでも意味が分かって勉強すると言った動機付けが出来ればと腐心しているわけである。そこでは、子供を導くテクニックというものが必要になりそうだが、子供1人1人は別々な性格や仕上がりなので、面と向かって相手の子供がどの点で分かり辛いのかを見つけてポイント学習させることが重要だという気になる。私が接した4人ほどの生徒に、先の中間テストの科目別得点数を聞いたところ、国語が難しかったのか50点を切る子が3人もいて、その内の1人は30点をも割り込んでいると聞いてびっくりした。それにしても由々しき次第である。因みに30点未満の子の英語の成績は72点なのだそうだ。私は思わず、「腕白少年であるより、先ず日本人になれ」と言ってしまった。町内では、記念周年の目玉として子供達に作文を書かせる課題を与えたが、1つの例として、○○なので、という接続詞である○○を文頭に持ってくる子が多いとか聞いた。唖然とするが、朝の読書会が有効に使われているのか一寸考えさせられた。また、「ら」抜き言葉は、今日の趨勢であるが、それは「見られる」としたとき、尊敬語かどうかが不明瞭であるが「見れる」と言えば、その点が明確だとの解説(?)があったが、私にとっては「見れる」とは聞きづらい。この変換でもATOKは「ら抜き言葉」とのコーションを出している。なかなか多彩なことである。
2012.10.27
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日経新聞に12日間に亘って掲載された「やさしい経済学」の中、標記について、阪大の瞠目教授が書いたコラムを読んだ。どうも「知」という言葉に弱いので、読み始めたが、中にはこんな事を学んでいる人がいるんだと感心した。以前に「暗黙知」と「形式知(または明示知)」のあることを知ったが、今回の「知」は「専門知」と「総合知」である。この言葉は、2006年に当時東京大学総長の小宮山氏が学生に伝えた告示に見られる。いずれも、知識の分類の一つであり、まず、「形式知」は主に文章化・図表化・数式化などによって説明・表現できる知識を指し、「暗黙知」は認知の過程あるいは言葉に表せる知覚に対して言葉に表せない・説明できない身体の作動を指すということであった。。では、と読み進むと、「総合知」とは「人間学」を基礎に、社会、経済、政治の全体的な関係を把握するものとして定義されているようである。「専門知」はそれぞれの専門分野における深い知識と学力を指すであろう事は言うまでもない。東大の学生には、専門性にとらわれることなく物事を多元的に観ることのできる幅広い教養、すなわち「総合知」を身に付けよと話し、すでに東京大学で学んでいればそれらは自然に身についているというこであった。特に東京大学に限らずとも、総合大学であれば、同じく学んできたことであり、身につけていることなのである。中学校の土曜スクールで、ある生徒が、「まだ決めてはいないけれど、僕は理科系に進みたい」といった。「社会はあまり必要ではないですか?」と質問してきたので、「専門的な知識もいろいろなことを学んでいないと発揮できない」と言うようなことを話したが、正にこのことであると思ったわけだ。瞠目教授が紹介するように、「人間とは何か、何を求める存在か」と問うのが人間学であるが、学問するという究極の目的はこの「人間学」を極めるためにあると言っても過言ではないかと思う。あらゆる学問の基礎を成すものであり、世の中のあらゆる問題は、「人間学」と「経済学」の有機的統合により考慮すべきで、「総合学」とは正にそれを指すというのである。極めて高邁な思想であり、同感した。ここで、同感とは、喜びや悲しみ、怒りなど他人の感情を自分の心の中に写し取り、同じ感情を引き起こそうとする人間の能力であるというのだ。之は、アダム・スミスが「道徳感情論」で述べている。自分の中の客観的な感覚が是認(同感)するか否かで正義感覚がはぐくまれるのである。最近の世相を見るに、この自分の中の「正義感」に著しくもとるような事象が多いので、所謂苛立ちや、絶望的感覚に陥るのであろう。全くと言って「同感」する事が少ないのである。スミスは、またもう1つの有名な「国富論」を著している。スミスのこれら両著から社会と、経済成長、そして政府と、市場についての関係が整理され、ここで最も重要なのは「社会」が議論の出発点であると同時に最終目的であるという点であるとしている。そして、「社会」を突き詰めると、個人の幸福(心の平静)であるというのだ。さらに、これら、「社会」→「市場」→「経済成長」→「政府」の相関関係の構築と解明が「総合知」で成されるということである。さらに市場競争は倫理(人間として歩むべき道)と両立するかである点について、マルクスなどが否定的見解を示したとされるが、市場競争では不確実性故に「運」の影響が大きいため完全な倫理との両立は難しいとしてのである。また、トクヴィルによれは、デモクラシーの根底には平等への執着があり、社会全体への帰属意識が求められるとしている。ジョン・スチュアート・ミルは功利主義(最大多数の最大幸福を政策目標とする立場)をとり、分配の問題に取り組んだが、最近言われるように果たして幸福の比較は可能かと云うことが問題になる。分配の問題では、1.参政権や思想・言論の自由、2.機会均等が成されるという基本原理に立脚しなければならないとしている。一方、インドのセンは、人間は、権利や富や地位が与えられるのを待つのではなく自分の「ケイパビリティ(用いることが出来る能力の幅)」を自ら広げることを願う能動的存在であると述べている。スミスに依れば、いつかは富が欲望を満たし尽くすという前提があるとしているが、これは富の集積に関してであり、このことが、人間の欲望の限界であるとも言われている。最期に、ラスキンによると、経済学者の最大の誤りは、人間にとって生きると言うことは快楽の追求であり、労働は苦痛、その苦痛を補うのが富であるとした点であるといっている。こういった議論の中に人間が求めるもの、求めるべきものなどを探求するために、「総合知」を発揮すべきと言うことなのかもしれない。
2012.10.26
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先ず、今回はいつも参加の友人夫妻が、病気のため不参加となったのが残念である。病後の回復は順調のようで、復帰が心待ちされる。さて、前回は人並みのハンディーになったので、コンペで上位を望める位置にはないから回ごとに1つずつ上がるハンディーを気長に待つ雌伏の時であると書いた。今回も同じであるが、しかし、この間に先輩との練習で力を付けてきたつもりなので、密かに上位を狙っていた。先輩からも90台半ばをと言われていたが、結果は惨憺たるものだった。今回は、友人夫妻に替わって、3歳年下の人(若い人と称す)が加わった。今日は、紅葉も始まり天気も良くゴルフには最高のコンディションである。予定通りプレーは始まり、今日はアウトの4組目のスタートであった。No.1(M)は、軽く振って右のラフに落ちた。2打目はダフリ気味で、95YD を残した。3打目ではトップ気味に当たり、右のガードバンカーに捕まった。脱出は成功で4オン1パットのボギースタートだ。友人もボギー、若い人は7打である。No.2(M)は、左FWを捕らえた。2打目をチョロして、左のラフで、90YDを残した。あろう事か3打目もチョロである。60YDしか飛ばない。やっと4オンしたが、3mの下りで、惜しくも1パット目がそれ、ダボになった。友人は3パットのダボで若い人は1パットのパーだった。No.3(M)は、比較的長いホールで、左の小山が突き出る下のカート道に落ちた。2打目は超クリーンに当たり、70YDを残した。7mに3オンしたが、下りのラインを読み切れず、早いグリーンに3パットしてしまった。友人は3オン1パットでパー、若い人は私と同じくダボであった。No.4(S)は、フラットなショートで、近い方の左グリーンだ。クリーンに当たらずバンカーに入り、2打目は出すだけで、3打目もびびってカラーで止まり、4オン1パットだった。友人パーで、若い人は1オンしたが3パットとボギーであった。No.5(L)は、右ドッグレッグの池有りコースだ。ティーショットは右のFWにまずまずである。2打目はクロスで、左のラフに入る。3打目は芯に当たらず右ラフ60YDに付けた。そこからが馬鹿げている。4打目をシャンクし、バンカーには入らなかったものの、「え!」という感じだ。5打でカラーに、パターで反対側にと無茶苦茶になり、やっと8打で上がったときには疲れが出た。友人と若い人は共にボギーであった。この頃から若い人のドライバーは目を見張るほど飛ぶのを感じた。No.6(M)は、当たりはまずまずの当たりで、右のFWである。2打目も当たりは良く左ラフに落とした。残り80YDである。3打目が甘くガードバンカーに落とした。4打で出すだけ、10mに5オンである。ロングパットの1パット目が惜しくも外れてトリプルとなった。友人と若い人は共にボギーだったが、若い人は、強打の2オンしながら、3パットだったのは痛かった。No.7(M)は、距離の長いハンディキャップ1のミドルで、ドラコン及びドラ短ホールだ。今回から同じホールにドラコンとドラ短を設定してあった。友人と若い人がFWを外す中、当たりはまずまずだで、ドラコンとドラ短の丁度中間どころに落ちた。左足下がりのライで、2打目をチョロしてしまった。145YDの残りをウッドでクリーンに当て、GR向こうのカラーにニアオンである。そこからパターで3回叩きダボとしてしまった。友人もダボで、若い人はトリプルであった。No.8(S)は、横長のグリーンで、カップは花道の延長だ。しかし何故か此処はいつも巧くいかない。どこに当たったのか、分からず、聞いてみると直前のラフにあった。2打目も届かず、3オンして1パット目は惜しかったが、ダボにした。友人はボギーで、若い人はダボだった。最終No.9(L)は、ティーショットはかなり良く打てた。2打目もクリーンで途中の傾斜部のラフを越え平坦部のラフに落ちた。3打目も綺麗に当たり、50YD手前まで来た。しかし4打目はカラーに止まり、そこからパターで2回叩いて、ボギーとしてしまった。友人はダボで、若い人はティーショットを右にOBして、調子を狂わせ、10打叩いた。昼食は天ざるそばだった。No.10(M)のティーショットは、まずまずFW右170YD残であった。前回のようにラフで探すこともない。2打目は当たりが低く飛び70YD残りだ。3オンしたが、下りでしかも思いの外グリーンは3パットを誘いダボである。友人はボギー若い人はいきなりの右OBで8打だ。No.11(S)は、6Iは1オンしたが、下段で、3パットのボギーだ。友人もボギー若い人は1オンしながら4パットのダボである。しかし之がニアピンだったと言うから、どんなパットかと冷やかした。No.12(M)は、クリークのあるミドルで、ティーショットはまた、チョロで屈辱的だ。何とか3オンしたが、3パットとダボ。友人はボギーだった。若い人は、何とドライバーで挑戦、グリーンは外したがほぼ距離はぴたりでパーを取った。No.13(M)は、右が崖の、ドラコン・ドラ短ホールだ。ここで大失敗。慣れてきたドライバーを軽く見て、方向を誤り、がけの下に転がり落ちてのOBだ。プレーイング4の4打目もヘッドアップのチョロ。5オン2パットのトリプルだ。友人はボギー、若い人はドラコン旗を書き換えたが、すぐ後ろの人に書き換えられていた。結果はトリプルを叩いていた。No.14(S)は、打ち降ろしで、グリーン手前は池である、今日のグリーンは右で、150YD打ち下ろしだ。皆乗らない中、私は左の池に入ったかに見えたが、跳ねて左グリーンのカラーに止まっていた。ボギーを拾った。友人はあわや池かと言う当たりをくぐっての1オンから3パットのボギーだ。池に入れた若い人は6つ叩いていた。No.15(M)は、ドライバーの当たりは悪く、左崖から落ちてやっとセーフだ。しかし、2打目はクリーンで、90YDを残した。PWで10mに3オンし、ボギーとした。友人もボギー、若い人は超弩級のドライバーで、飛距離はモンスター友人並だ。しかし、2打目のバンカーに手こずり8つ叩いた。No.16(L)は、あろう事か、ティーショットをダフリ左ラフへ。2打目はクリーンに当たり残り200YDまで回復。続く3打目もクリーンに当たり、70YDの池越えを残した。巧く4オンし、2パットのボギーは、ドライバーのミスをカバーした。友人はパー、若い人は折角の3オンを生かし切れず、またも、4パットのダボとしていた。No.17(M)は、右ドッグのドラコンホールで、ティーショットは、まずまずの左ラフだ。第2打目は超クリーンで、20YDに付け、1.5mに3オンしたが、惜しくも1パット目を外しボギーだった。友人は1パットのパー、若い人はボギーだった。最終、No.18(L)は、前の組との談笑で待ちくたびれたか、右の山を直撃するOBだ。プレーイング4を再びドラーバーで挑戦、今度は巧く当たって、90YDの池越えである。少しゆるめた5打目は池は越えたが向こうの土手の上に留まった。そこから6オンし、1パットでやっとダボ止まりだ。友人は池に落とすなどでやはりダボ、若い人は留めの10打で優勝を完全に逸した。結局、あれこれで、後半は50に留まり前半をカバーするに至らなかった。まんべんなくミスの出た今回は、ずるずると100をオーバーのままで、何となくフラストレーションが残り、飛び賞をも得られず最悪だった。
2012.10.25
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昨日の新聞に胡錦濤氏「院政」を固めるとの記事があった。11月8日に予定されている第18回全国共産党大会に向け水面下では相当なしのぎの削り合いと言うところだろうか。あらゆる公職から引退するという建前であったが、来る党大会後も、党書記長からは退くものの、軍トップの党軍事委員会主席の座は堅持しようとのことである。胡錦濤の提唱する「科学的発展観」を党の重要思想として党規約に盛り込むことを決めたようだ。毛沢東がそうであったように中国の指導者は、自分の考えを党規約にして、永遠の指導者を目指してきた。之で歴代党主席(国家主席)3人、毛沢東、トウ小平、江沢民と並んで、胡錦濤も同じ地位に上り詰めたと言える。現在の中国の党規約は毛沢東時代のマルクス・レーニン主義の堅持と、毛沢東の「実事求是」と、トウ小平の南巡講話などに見られるトウ小平理論で、社会主義市場経済なども之に含まれる。江沢民は国民の利益を代表するのは共産党であるなどの「3つの代表」を提唱してきた。ここに来て、胡錦濤は、「科学的発展観」を唱えているわけだ。元々のマルクス主義は賃金労働者階級(プロレタリアート)が資本家階級(ブルジョワジー)から政治権力を奪取し、生産手段などの資本を社会全体の財産に変えることによって、社会の発展によって階級対立も、諸階級の存在も、階級支配のための政治権力も消滅し、一人一人の自由な発展がすべての人の自由な発展の条件となるような協同社会がおとずれるとした夢のような話であった。現在の中国はと見れば、とてもそのような理想郷とはほど遠く、有るべきはずのない貧富の格差が極端な国になっている。トウ小平が提唱した、4つの原則を堅持していると言うが、内実は資本主義下の需要と供給により形成される自由主義の市場経済をそのまま取り入れて、社会主義市場経済という全く相反する理念(言葉)を導入したのである。これは、単に帳尻を合わせた言葉だと言って良い。ここで、4つの基本原則とは、中華人民共和国憲法の前文に明記されたもので、。 1.社会主義の道 2.プロレタリアート(または人民民主主義)独裁 3.中国共産党の指導 4.マルクス・レーニン主義、毛沢東思想と言うものである。1国2制度や、深せん等の経済特区を設けたことなど、実際的な動きであるが、之は一切共産主義(マルクス主義)とは相容れるはずのないものである。続く江沢民も共産党をして、1.中国の先進的な社会生産力の発展の要求、2.中国の先進的文化の前進の方向、 3.中国の最も広範な人民の根本的利益という所謂3つの代表をなすものであると言った、漠然とした内容の下、共産党の絶対化を鼓舞してきたわけだ。こうしてみると、中国という国は、元々の理想を語っていた時代から、随分とかけ離れた実態になっているにも拘わらず、何かにつけて共産党を賛美することに終止してきた事が見える。胡錦濤が言う、「科学的発展観」は、一言で言えば、人間を物事の中心と位置づけ、あらゆる方向に均整の取れた継続的発展を意図するところにあるという。最終的な目標は「和諧社会」ということで、言い換えれば「調和のとれた社会」を意味する。この、調和のとれた社会が現在の中国が目指すべき目標で、科学的発展観はそれを達成するための手段と見なしている。経済活動もただ成長一辺倒ではなく、均衡の取れた、発展を指向すべきだというのである。之は胡錦濤が当面の目標とする「小康社会(いくらかゆとりのある社会)」に繋がっている。この中には、勿論中国社会が抱える、貧富の格差を是正して、人民がそこそこの豊かであるような社会を実現するというものである。また、環境保護にも留意することも発展観の中には組み込まれている。こういった一連の高邁な理想論は、口で言うのはたやすいが、全く顧慮されていない現状を考えると、少々滑稽感も出てくる。こうして歴代の中国トップが唱えることは、現状とのギャップをますます助長させていることに気づく。過去、4つの原則は、実に分かりやすく実戦されてきた。しかし内実を見れば、共産党のトップの留まるところを知らない腐敗と汚職があり、中国共産党の指導とは、狭義的に共産党幹部の私的な安定を目指しているほかに意味はない。来る11月の党大会では、これらを標榜すると共に、それをなすのに有利なように、人事を展開し、余分な分子を減らすべく政治局常務委員を従来の9名から7人に絞り込もうとしている。次期国家主席の習近平は太子党であり、胡錦濤は青年団出身であることから、胡錦濤の子飼いの弟子である李克強を首相に据えたのもその表れである。有言不実行、中国の次期党大会をそう言った目で検証しよう。
2012.10.24
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今日は雨も降り、急に寒さを感じた。二十四節気で言う霜降(そうこう)である。あの暑かった夏の日々が本当にあったのだろうかと思うほど急激に冷え込んだ。テレビの天気予報もそのことを伝え、日本中が、紛れもなく冬に向かっていると感じさせる。今日から二十四節気の次の立冬までの間(約15日間)が、名残の秋と言うことになる。二十四節気は1年を24の節に刻んだもので、この1節をさらに3つに刻んだのを七十二候と呼ぶ。従って、今日は霜降の初候ということになる。日本では「霜始降」と言い、霜が初めて降る季節と言うことになる。中国の宣明暦では「豺乃祭獣」と呼び、山犬が捕らえた獣を並べて食べると言う何とも季節とはかけ離れた表現になるのだそうだ。 秋と言えば食欲の秋、読書の秋である。幸か不幸かまだ元気なので、この季節は特に注意しなければいけない。食べ過ぎをである。BMIで言えばOver Weightの範疇に入っている。この間も辛口の友人から歳を取って太っているのは良くないと言われた。十分に自覚しているが、之がなかなか減らないのである。 私は過去何度か萎んできたが、現在は、膨れる時期に相当しているのだろう。国際収支も家計簿も体重も皆同じ原理であり、それは収支のバランスと言うことだ。収入が支出を越えていれば、黒字(太る)事になり、逆ならば当然赤字(痩せる)という原理である。私の体重は食欲の秋を待たず、夏場からずっと上位に位置してきた。(黒字続きだ)あの暑い最中でも一向に食欲が落ちなかったのである。 そうすると、この食欲の秋は、どうすればいいのだろうか。日本のプライマリーバランスは借金を除いたざっくりとした数字で歳入は約40兆円で、歳出は約70兆円と言うことで、勿論赤字であり、その補填を国債でまかなっているわけだ。食べる量より消費する量が多いのでやせ細る訳で、私の体とは真反対である。国も私のような悩みであればいいのだが・・・。 私は食べ過ぎに注意し、国は、あまり運動(支出)をしないでおくことだ。私はウォーキングをして消費を増やすが、国は、節約をすることである。 私の場合、ウォーキングが億劫ならば、食べるものを減らせばいいし、国は逆で、食べ物が制限されているから(国債の発行を抑えるには)余分な費用を減らすことである(行政改革)。理屈では分かっているのだが・・・。 読書の秋はややもすると世相の異常な変化が起こるばかりに、ついつい落ち着いて読書の時間が取れなくなっている。世の中の動きを知らなくても、日常の生活がドラスティックに変わるわけではないが、かと言って、世相を見ずにまた触れずに過ごすことは至難の業である。 この秋には最低2冊は読みたいなと思っている。 現在進行形の図書は、「代替医療のトリック」で既に先月から読み始めているのに、なかなか集中できず少しずつしか読み進んでいない。この間次の候補として、大枚はたいて「ダーウィンの危険な思想」を買ってきたので、早くそれに掛かりたいと思っている。 私は文学には食指が動かないので、ノーベル賞作家候補の村上春樹の本は読んだ事がない。NHKのアラビア講座で、エジプトのノーベル賞作家ナギーブ・マフフーズの「バイナル・カスライン」を読んだ位だろうか。この時期を「灯火親しむの候」と言うが、之は韓愈がその子の符に、学問の大切さを諭したとされる五言×54句の長い詩「符読書城南」に出てくる・・・時秋積雨霽 新涼入郊墟 燈火稍可親 簡編可卷舒 (時秋にして積雨霽(は)れ 新涼郊墟に入る 燈火稍(ようや)く親しむべく 簡編 卷舒(けんじょ)すべし)・・・から採られているとか。 ・・・雨もあがった 涼しくなり始め、郊外の村に行き 燈火のもとで 書物を開くがよい・・・と言う意味だ。 秋の夜長を鳴き通す虫の声をと、耳を傾けても、現代では、虫の声すら聞こえなくなってしまっている。書物の紙片をめくるのに変わって、現在では電子辞書で画面を指で払いながら本を読むという時代に変わっている。さらには、目の向くところを逆に追って、ページの終わりになると自動的にめくってくれるような電子書籍も出てきているようだ。 今や時代は変わったとは言え、なにやら蛇の絵が成って、それに留まらず蛇に足を書いているような気がしないでもない。世の中の「知」に触れることこそ、精神が高揚し、高ぶった気持ちになることはない。今が1年の内で最も高揚すべき気候ではある。
2012.10.23
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サッカーの日本代表が12日にフランスと親善試合を行い、1-0で勝利を収めたのを受け、フランス国営テレビが、GK川島永嗣の腕が4本ある合成写真を使って放送し、司会者のローラン・リュキエが不謹慎な発言したことについて様々な反響があった。1週間ほど前にマスコミが取り上げているのを知った。その内容は、まず「日本には素晴らしいGKがいた」と陽気にしゃべり、直後にスクリーンに腕が4本に合成された川島の写真が映し出されると「私は福島の影響ではないかと思うよ?」とジョークを飛ばしたというのだ。スタジオの一般視聴者からは拍手と大爆笑が起きたとも伝えている。このローラン・リュキエは最初にディフェンダーの今野選手について「conneau(コノ) を前にして、フランスの選手は何もできなかったじゃないか」と写真と共に喋ったという。Konno (コンノ)は、conneau (コノ)=馬鹿、まぬけ(仏)に近い発音ということである種、自虐的な意味のジョークを言ったようである。フランスだから通じるジョークであろうが、之は、例えば、日本人がフィンランド選手のアホネンを揶揄するのと同じで、どっちもどっちなのであるが、川島の場合は、原発を意識したもので、チェルノブイリ事故に見られる人体への深刻な放射能の影響(un effet Fukushima)で奇形が生まれるというようなことを想起する点で許されないものであるということだ。日本中からフランスにこぞってブーイングを発している。もっともなことだが、元々フランス人に対して、真剣に怒っても彼らは殆ど意に介していないであろう。このローラン・リュキエはお笑いタレントであり、比較が適切か否かは別として、日本では最大の売れっ子トーカー、明石家さんまと言ったところであろうか。勿論気配りの明石家さんまは、決してこのような発言はしないであろうが、フランス人のメンタリティーとか、唯我独尊の気風とかをベースにすれば、こんな程度の発言も出てくると言うことかも知れない。ローラン・リュキエは原発反対者であることも原因しているかも知れない。日本中がホットになっていても、ローラン・リュキエは意に介さないようで、さらに「この場にふさわしくない論争をやめるためにも、全ての原発も、ポリティカリーコレクト(言葉狩り)もやめにしよう」などと呼びかけているようだ。直接の返答ではなく、ちょっとカーブではないかと思うが、続けて日本の報道などを受けて「コップの中の津波」と表現したという。フィガロ紙はじめ、仏複数メディアが相次いで報じている。 リュキエ氏は番組内で「日本では(有名なシャンソン歌手の)ミレイユ・マチューの人気をしのいだようで、光栄に思う」とコメントし、フランス語で「空騒ぎ」を表す慣用句「コップの中の嵐」を文字って、「コップの中の津波のようなもの。フランスのテレビが何をするかを決めるのは日本じゃない」と日本側の抗議を取るに足りないものと切り捨てる発言した。日本も、まともに受け止めて、いちいち反応するのも大人気ないではないか。顧みれば、フランスでかつて首相を務めた。エディット・クレッソンおばさんを思い浮かべれば明らかだろう。世間知らずの日本で言えば馬鹿鳩(鳩山由紀夫)のようなこのおばさんは、まだ生きているようだが、日本について、当時プラザ合意後の80年代後半頃から日本企業が円高を利用し欧米の有名企業や土地を次々と買収していた折りに世界的にジャパン・バッシングに乗じて「日本人はうさぎ小屋のようなアパートに住み、2時間もかけて通勤し高い物価に耐えるアリのような生活をする、黄色いアリ(fourmis jaunes)(または黄色いチビども)」などと公式な場で発言していた事を思い出す。このときも日本は抗議したが、「市場問題でわれわれに教訓を与えない国からの抗議は受けられない」と、一蹴された。さらに続けて、非公式には「日本人はアリ。何度殺しても出てくるアリ」と発言したと言うのだから何をか況やである。(首相がだ)日本人だけでなく、アングロ・サクソン嫌いのこの女「ほとんどのイギリス男はホモだ」とも発言してはイギリスのタブロイド紙から「イギリス男に振られたのでは」と皮肉られたそうだ。川島の件も、日本はまともに取り合わず、ローラン・リュキエに対して「千手観音は、原発で生まれたのではないことを知らないのか」てなことで受け流せないのかと思う。それでこそ、フランスのエス・プリを越える、日本の落語の落ちと言うものだろう。 因みにこのクレッソン歯科医の便宜を図って架空の書類を偽造した不正を糾弾され欧州委員会により欧州司法裁判所に提訴された由。
2012.10.22
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野洲の友人が、テニスの練習があって吹田まで来るという。そのついでに話をしようと尋ねてきてくれた。絵をたしなむその友人は、また、山歩きでも何回か同行している。今度も奈良の柳生の里を訪れようとのことで、計画を練ってくれている。午前中の早くに訪ねてきてくれたが、午後からも練習があるのでと、そそくさと帰っていった。今日は夕方からカラオケ大会がある。兎に角高槻まで出て、時間を潰すことになった。喫茶店で本を読んでも良いと漠然と出かけて行った。このところ映画を見ることもなく、過ごしていたが、現在上映中の映画の中で見たいものが有ればと映画の上映状況を見てみると、丁度時間潰しに格好の時間帯で、放映されている映画があった。私は「エクスペンダブルズ2」を見ようと思った。何しろ、シルベスタ・スタローンと、アーノルド・シュワルツネッガー、そしてブルース・ウィルスが競演している映画だとの事で、若干興味があった。しかし、連れ合いは他の映画を選んだ。「新しい靴、買わなくちゃ」である。中山美穂が好きな彼女はまたパリの市街が見られると言うことで、前から見たいと言っていた映画である。そんなことで、今回は、別々の映画を見ることになった。そそくさと昼食の寿司をつまんで、銘々の映画ブースに入った。「エクスペンダブルズ2」のストーリーは子供じみた内容であるが、兎に角活劇が半端でない。初編もあったようだが、第2編もまた理屈抜きで画面から目が離せないといった内容だ。敢えてストーリーと言えば、墜落機から冷戦時代にソ連が保有していたプルトニウムの所在を示す地図が入ったデータボックスの回収を引き受けた傭兵部隊エクスペンダブルズが、プルトニウムで金儲けをしようとする武装グループと壮絶な戦いをするという内容だ。そのようなストーリーが根底にあるものの、映画の画面は、機関銃や迫撃砲などが火花を散らす、それはすさまじいものだった。輸送機は東欧バルカン山脈の山岳地帯に墜落した設定であるが、映画でそこの住民が話す言葉が、ウクライナ語とハンガリー語の混ざったような方言だと言っていることから想定したのはカルバート山脈であろうか。活劇に続く活劇だが、文句なしに飽きさせない。部隊の名前が「The Expendables(消耗品)」と言うことだが、最初に悪者に殺された、1人を除いて、部隊は消耗していない。旧ソ連軍の埋蔵プルトニウムは悪い武装グループの支配するところとなったが、やがて壮絶な戦いの末、奪還されたプルトニウムは、最期には、エクスペンダブルズの手に戻るのだが、最終場面で、部隊長であるシルベスタ・スタローンと悪党の親玉である、ジャン=クロード・ヴァン・ダムの壮絶な殴り合いは、双方ともあり得ないほどタフであった。私の映画が20分ほど早く終わり、連れ合いが出てくるのを待って、高槻の町をブラブラしながら、カラオケのクラブに向かった。途中に商店街の真っ直中に温泉が噴き出ていたところが天神の湯として新装オープンしていた。カラオケでは私が歌ったのは森進一のシリーズで、最初は「襟裳岬」であり、2曲目は「わるいひと」である。いつもと同じ申告点に出来るだけ近い方が良いというオネストジョン方式で、巧いと下手には直接関係はない。勿論1点でもオーバーしていると残念ながら失格となるわけだ。1曲目の得点の内パネルでの得点は片方が伏せられているのはいつもの通りである。私が歌った、1曲目の得点は隠された点でないほうは最初が85点であった。2曲目は79+84の163点である。申告点は、335点としていたから隠された点が87点であればぴったりで、それ以上だと失格と言うことだった。一方、連れ合いは、1曲目は「なみだ恋」で、2曲目は「命枯れても」であった。得点は隠されている点以外は、91点と80+87点の258点で申告点は340点としたので隠し点が82点であれば良いという結果となった。最終段階で隠し点が発表され、私は75点で、-12点、連れ合いは82点とどんぴしゃであった。その結果連れ合いが優勝で、2回連続の快挙となった。私は銅賞だったのだが、銀賞の人は、-9点という事で、私の目標点が3点違っていれば、銀賞になっていたかも知れず、そうなれば金銀のフィニッシュとなり、前回の再現となったのだが、惜しいことをしてしまった。もし1-2フィニッシュであれば、馬も買っていたので、懸賞金の5万8000円を獲得できたかも知れないのだ。そんなぎりぎりの3点だったわけで、さすがにそれほど巧くはいかなかったわけだが、それにしても2人共が2回連続でメダリストになったことは、驚異に値する結果である。11月には高槻京都ホテルの壇上で歌わなければならないことになっている。それにしてもついこの間歌ったばかりなのにと時間の経つのは早いものである。夫妻でゴルフを共にしていた友人は、まだ体の調子が回復していないようで、先ずカラオケぐらいで復活デビューすればと思っている。
2012.10.21
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今日は中学校の土曜スクールである。5月に初参加して既に何回になるだろうか、途中サマースペシャルと名前を変えたりしながら中学校の学習ボランティアに参加させて貰っている。今日は中間テストの後だということで、参加人員は7人と少なかった。ボランティア側は、私を含め6人であり、各人自習の子もいるので、暇であった。先ず6人が席について思い思いの学科について勉強を始めた。ボランティアの皆さんは、それぞれ生徒の様子を覗いては、声を掛けている。隣に座ってどこが分からないのか聞き出してそれについて説明をしている人など様々である。暫くして7人目の生徒(中学1年生)が入ってきた。私も一渡り生徒のやっていることを見て回ったが、最後に入ってきた女子生徒は、いつも友達と来ているが今日は1人だった。開いているのは数学の問題小冊子である。暫く見ていると、問題を1つ飛ばして答を書いている。そこで、「この問題はどうしたの?」との問いかけから始める。分からないから飛ばしているといったところから糸口をつかむのである。無闇に押しつけるのも煩わしいと考えるかも知れないと思うからだ。その問題は、文章で書かれた内容を代数の式で表すという一環であった。詳細は忘れたが、例えば、「Xの距離を時速Yで歩くとC時間かかった。このX, Y, Cの関係を表す式を書け」といった類だ。中学校の数学(代数)はこういった文章を式で表すことから始めるのだと言うことは何十年も前に通過した者にとっては、新鮮なことに映る。そんな中で街路樹を植える問題に出くわした。「両端に街灯がありその間の距離はCメートルで、そこにBメートルの間隔で木を植えるとしたらX本植えられた。このX, B, Cの関係を式で表せ」といった問題である。答はX = C ÷ B -1(X=C/B-1)であり、両端が街灯というのがみそだが、説明するのはなかなか難しい。具体的な数字を入れて説明をする。分かったのか分からないのか表情を見ると曖昧である。こんな時には教えるテクニックが必要だと感じるわけだ。ボランティアの中には中学校の数学の先生をしておられた人もいる。その人が別の生徒を教えているときに「はじきの法則」という言葉を口に出された。「何?」と聞き耳を立てた。私にとっては初めて聞く言葉である。それは、 (速さ=距離/時間)の公式を円を書いてその中に「は, じ, き」と書き距離と速さと時間の関係を図解するといった法則である。感心して後で聞いてみると、この言葉は学校同士の連絡会などで誰かが教えた方法らしくそれが今ではどこの学校でも行っているのだそうで、周知の事実らしい。知らなかったのは私だけのようだ。帰ってインターネットで調べるとなるほど書いてあり、その教え方だと簡単に覚えられると感心したわけだ。しかし、この覚えやすい法則にも欠陥があると反対意見を述べている人もいるようだ。曰く、「『はじきの法則』なんて教えちゃダメですよ」というのである。なぜなら『はじきの法則』などという公式にして、ブラックボックス化してしまうと数学があまり得意ではない子がますます嫌いになると言うのだ。物の本質を理解した上でないと砂上の楼閣のようになると言うのがその真意らしい。なるほどと思うものの、では九九などはどうだろうかと考えると、8×5=40を頭で8個のリンゴの箱が5個有ったときには全部で40個などと考えていたのでは間尺に合わないだろう。「はちごよんじゅう」で良いわけで、後で意味が付いてきても良いのではないかと思うわけだ。私などは子供の頃に百人一首を暗記したときにはその意味など全く分からないが、リズムで覚えて、長じてからその意味が、きわめて濃厚な恋歌であることを知ったと言う経験があるが、それはそれで良いのではないだろうか。例えば、「御衛守衛士(みかきもり、えじ)の焚く火の夜は燃えて 昼は消えつつものをこそ思え」などと小学生にその意味が分かるはずはないのであるが、今なお頭に残っていて、まだ作者が若かった頃、一人の女性と燃えるような恋をして、その人の所へ通うために、御衛守の前を通って行くとき、「あの炎は私たちの恋のようだなあ」と思ってこの歌を作ったと言うことを高校時代に知ったというのもまた良かったのではないかと思う。そんなことを考えながら、中学生に教えることは逆に教えられることも多いなどと考えながら今日の土曜スクールを終えた。
2012.10.20
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先月のゴルフに続き先輩と病院の副院長先生と月例コンペの人との4人組で2回目のラウンドをした。私以外は皆さん70才を超えておられ、前回は白ティーから打ったが、今日はゴールドティーから打つことになった。私のとっては、2年後の予行演習と言ったところで、陸上競技なら追い風参考記録と言うことになる。朝先輩ともう1人をピックアップしてゴルフ場に着いたのはスタート時間より50分程度早かった。4人揃ったところで早めのスタートになった。今日は先輩から貰ったドライバー(SR)を使ってラウンドすることにした。 アウトからのスタートであり、ホール・バイ・ホールを記録しておく。 No.1(M)は、軽く振って、FWCRである。まずまずの出足だ。2打目もクリーンに当たり、左のGR横のラフだ。APでのアプローチで3mに3オンした。難しいフックラインを読んで1パットでパーのスタートだ。やはりゴールドティーは楽だ。先輩はいきなりバーディー、先生はボギー、もう1人は、ダボである。 No.2(M)は、通常ドラ短のホールだ。引き続き当たりは良く、FWCRである。しかし、2打目は7Wで当たりが悪く、右にスライスし、あわやOBかと思ったが人工の手すりで跳ねて、バンカーに落ち、ラッキーである。そこから3オンした。しかし、パターで下りを強く打ちすぎまたGR外に出た。頭に血が上って、都合4パットになってしまった。考えられないトリプルである。このホールは全員が悪く、先輩ともう1人はダボ、先生はOBを出し私と同じだった。No.3(M)は、ティーグランドは白ティーから100YDも前方である。左狙いが右ラフに落ちる。2打目はラフに食われて50YDを残した。しかしアプローチはスーパーショットで5cmに付け楽々OKのパーである。先輩も1パットのパー、先生はボギー、もう1人はバンカーに入れダボだ。 No.4(S)は、フラットなショートで、近い方の左グリーンだ。当たったボールを見失い、何とチョロで左スロープのラフの中だ。2打も出し切れず、3打でグリーンをオーバー、4オン2パットのダブルスコアは痛かった。先輩は1パットのバーディー、後の2人は共に3パットで、ボギーとダボである。 No.5(L)は、右ドッグレッグの池有りコースだ。ティーショットは当たりはまずまずだが左足下がりのFWだ。2打目を前方の木に当て、直下に落ち残り95YDとなった。3打目はやはり芝に食われすんでの所で前方から池に転げ落ちた。罰打を入れて5オン、2パットのダボとした。先輩と先生はティーショットを右に大きく外し、OBである。先輩9打、先生はダボ、もう1人はあっぱれのパーである。No.6(M)は、まずまずの当たりで、右ラフだ。2打目はFWをクロスし、左ラフの50YDに付けた。アプローチは5mを残してオンだったが、之も1パットで沈めパーを拾った。先輩も先生はダボ、もう1人はOBを出し、トリプルだった。 No.7(M)は、距離の長いハンディキャップ1のミドルで、通常ドラコンホールだ。結構良い当たりをしたが、右ラフであった。2打目はクリーンで50YD 残のFWであった。7mに3オンし、2パットのボギー、先輩もボギーで、先生ともう1人はダボであった。No.8(S)は、横長のグリーンで、カップのバンカー越えはいつも通りだ。6I で狙うも右の人工手すりに当たる不幸中の幸い(本日2回)で、花道のCRである。4mに2オンしたが、2パットでボギーを拾った。もう1人もボギー、先輩と先生は共にパーであった。前半最終No.9(L)は、之もどこに当たったのか、右に出て、白杭を僅かに割ってOBだ。プレ4からのティーショットは良好で、FWCRに落ちた。なかなか巧くかみ合わないものである。5打で乗せきれず、6オンで2パットの痛恨のトリプルである。先輩ともう1人はボギーで、先生もトリプルである。 終了が10:10と早かったので、スルーでプレーすることにした。 前の数組を待ちながら後半が始まった。 No.10(M)のティーショットは、池の前からだから景色が違う。当たりはまずまずだが少し突き抜け左のラフであわやバンカーのところで止まった。2打目でGRを狙ったら当たり損なって右ラフで45YDを残した。アプローチをややトップ気味で向こうのカラーに外し、パターでのアプローチは5cmに寄って1パットのボギーである。先輩はパー、先生はボギーでもう1人はダボだ。 No.11(S)は、110YDと短い。少し左に外し、アプローチで2.5mに乗せた。2パットでボギーである。先輩はパー、先生もボギーで、もう1人はダボであった。 No.12(M)は、クリークのあるミドルで、今度は231YDと近い。7Wで軽く振って良い場所に付けた。2打目を5mに付け、2パットで楽々パーだ。先輩もパー、もう1人はクリークに入れてボギー、先生は不調でダボであった。 No.13(M)は、右が崖の、ドラ短ホールだ。左を狙い、残り140YDのFWセンターに運んだ。2打目の当たりは今一で、右ラフで残りは30YD。3打目のアプローチはトップ気味で、向こうのカラーまで飛んだ。パターで返して、1パットのボギーである。先輩も先生も同じくボギーで、もう1人はダボである。 No.14(S)は、打ち降ろしで、グリーン手前は池である、1段下のティーグランドからは、110YDだ。ティーショットはGR右で、乗らなかった。2打をピッチランで突っ込みきれず、2パットのボギーである。先輩のみパーで先生ももう1人もボギーであった。 No.15(M)は、352YDだ。ドライバーは当たりはまずまずの感じだが、右のFWバンカーに捕まった。2打目をFWウッドを使って、やや当たりが悪く、右ラフに入れてしまった。そこからのアプローチは巧くヘッドが抜け1mにオン、1パットのパーを拾った。先輩はボギー、もう1人はダボ、先生は絶不調で3パットのトリプルだった。No.16(L)は、打上、打ち降ろしだ。オナーになったティーショットは、距離が縮んで、FW右に無難に落とした。2打目はクリーンに当たり、残り170YDの左足下がりになった。右の池を避けて左のOBラインとの間にレイアップをと振った球はやや左に出て、あろう事か左がけにそのままOBとなる痛恨の1打だった。残っているつもりで前方まで歩いたので、仕方なくそこから2打罰でアプローチした球はGRオーバーで、そこからオンして2パットと、9つも叩いた。先輩はパー、先生はダボで、もう1人は私と同じ9打だった。No.17(M)は、右ドッグのドラコンホールで、ここでは何とティーショットをチョロしてしまった。さすがに引きずっている。2打目はクリーンに当たったが、やっと皆さんの1打目の位置まで飛んだだけだ。3打目もクリーンに当たったが、左のガードバンカーに入れてしまった。4打目は出だすだけとなり、5オンの2パットで、トリプルである。先輩と先生はパー、もう1人は何と8打を叩いたようだが、自分のことが気になって分からなかった。最終、No.18(L)は、今日一番の当たりで、堂々FWセンターである。ところが2打目でまたまたチョロしてしまい、歯車がかみ合わない。3打目はまたクリーンに当たり、残り110YDとまずまずのFWセンターだ。大きめのクラブで振った4打目だが、僅かに向こう側から池に転がり落ちてしまった(今日2回目)。罰打を加え、6オンとし、2パットのトリプルだった。先輩はボギー終了、先生ともう1人はダボ上がりである。 上がり3ホールでしっちゃかめっちゃかになり、やっと100を切っての99は、ゴールドティーの結果なのかと情けないものとなった。16ホールのままで推移したら、40代(トータルでは90代前半)は楽々出たのにとここでも死んだ子の歳を数える結果となった。先輩は82で、先生は丁度100で悔しがられた。もう1人は105だった。
2012.10.19
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呆け防止のためというわけではないが、今の私はあらゆる事に顔を突っ込んでいる。従って非常に忙しい。連れ合いは、未だに教壇に立っているし、それに負けてはいけないというわけでもないが、何しろ多忙にしているため、おそらく呆けないで居られるだろうと高をくくっている。主に何をやっているのかと振り返ってみると、多くの時間はパソコンに向かっている。毎日の出来事や、自分がやったことなどをブログに書きつづっているのだが、これが結構時間が掛かる。このブログの字数は半角で5000字以上を目処としている。以前は10000字としていたが、大変だし、字数に縛られて、冗長になってしまうので改めた。それでも時局に関して書くときには、下調べが要るので結構時間が掛かるのである。月に数回のゴルフだが、ゴルフが今のところアウトドアの唯一の機会になっている。月1回の先輩主催のコンペ、3ヶ月に1回の高校同期生のコンペ、年2回の高校時代の恩師(直接ではない)のコンペ、今は病で頓挫しているが、友人夫妻との月1回のラウンド、時間に縛られてなかなか実現しないが元学校長との不定期ラウンド、先輩を通じて病院副院長とのラウンド、時々姉とのラウンドなど結構忙しい。また時には連れ合いとの2ボールもなかなか楽しい。ゴルフが肩を張らずに出来るようになったのは良いことだが、マナーの悪いのが参入してくるので、時々眉をしかめることもある。しかし、昔は3万円程度は当たり前で、一旦予約したら、雨が降ろうが出かけるといった悲壮感はないのがありがたい。一定期間であるが、あの広い空間を4人(基本)で占有できるのは考えて見れば実に贅沢である。ところが下手の横好きだから往々にして周りの風景を愛でるまでの余裕はないのが残念である。そして時間の制約と言えば、学習ボランティアであろう。中学校(土曜日)と小学校(木曜日)の低学年を担当している。このボランティアでは、子供と接することで、若さを吸収させて貰っている。また、今月末からは、月曜日にNHKの講座が始まるのでその受講で、京都に出かけることになる。さらにほぼ月1回のカラオケ大会への参加である。之は前回連れ合いと1-2フィニッシュ(金銀メダル獲得)をした関係で、おいそれと休むことが出来なくなった。全くの不定期だが、連れ合いの元同僚とその友人2人との4人組でのちょっとヘビーなトレッキングがあり、観音寺上や安土城、近江富士や高野山など、歩ける内に歩こうとの趣旨で計画されるのに参加している。さらに、月2回程度だが、金曜日の夜には、住民委員会があり、町長への提言と言うことで、私の場合は教育に関して考える部会に参加している。昨今のいじめの問題や、非行に走る子などどうしたら身近にいる子供達を良い環境で学ばせることが出来るか、微力を尽くしている。最近特に負荷を感じるのは、高校時代のバスケットボール部OB・OG会の世話をしていることだ。先輩が会長になり、名前だけの副会長を仰せつかって、実質あらゆる事に手を染めている。会の再興をしたものの、笛ふけど踊らずといった若い人の考えに、隔世の感を持つこともしばしばで、特に平成の代に卒業した人などは、全くと言っていいほど会に参加しようとしない(会費を払わない)人が多いことだ。大学時代の同期生との集まりにも可及的に参加することにしている。未だに仕事をしている人には頭が下がる。大学教授をしている(た)人などは遠隔地でもあったり、忙しいこともあったりで卒業以降全く顔を合わしたことがない。これらの合間を縫ってと言うか、こちらの方が優先順位が高いが、連れ合いが学校を休むことが出来るときには旅行を計画することもある。後もう少し海外旅行をしてみたいと思うが、連れ合いが奉職中は叶わないので、もっぱらチラシを見たり、計画擬きのことを考えたりして、旅行気分に浸っている。また時には、ブームの如く映画を見に行くこともある。60歳以上は常に1000円であることも之に拍車を掛けている。連れ合いの孫達との会食も時々ではあるが、重要な行事の1つである。幼かった子が、段々に成長していく様を見るのは目が細まるが、それはとりもなおさず我々の細胞が段々に死滅していくのと同じ事である。(iPS細胞で何とかならないものだろうか)さらには、今は立派に巣立った姫が時々帰阪するが、その時には決まって食事をしたり、買い物に行ったりするのも楽しみの一つである。今年は姫がGCCE(国際家電学会)のConference Chairをした関係で東京に出張できたのは楽しかった。まだまだ不定期なものや年1回程度の行事は結構あるので、全くと言っていいほど無聊を託つことはない。今日も小学校の放課後学習会に参加し、国語の音読、九九の計算、かけ算、書き取りなど、宿題の仕上げをベースに各自一生懸命やっていた。45分の集中がなかなか難しい小学校2年生ではあるが、1年生に比べて若干落ち着いているようで、彼らの成長を観察するのもまた楽しいものである。
2012.10.18
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昨日の奇っ怪な尼崎コンクリート詰め殺人事件と並行して、他人のパソコンに侵入し、なりすましで殺人予告をするという、之までに例を見ない事件の記事が続いている。世の中が完全に違ったフェーズに突入したとしか思えない事件の多発である。このパソコン侵入なりすまし事件は、犯人が、不特定な人のパソコンに入り込んで、恰もそのパソコンを自在に操り、そこから第3者に無差別殺人予告を送りつけたというものである。私もこの事件のようなパソコンに侵入すると言った経験をしたことがあった。何のトラブルかは忘れたが、パソコンの専門店に、自らのパソコンの不調を回復して貰うべく電話でお願いしたときの事だった。応対に出たパソコンに精通した人であろう、ある時点で、「もし良かったら、私がそちらのパソコンを直に操作して解決策を試してみましょう」と言われ、承諾すると、私は画面を見ているだけなのに、カーソルが勝手に動き、次々と作業を進めていくのである。唖然としてみている内に、なにやら問題点が見つかったようで、そのままパソコンは旧態に服したという経験である。当時は「へぇー、こんな事も出来るのか」とその高度なテクニックに感心したものだが、今日のなりすましは次元が違い、人を陥れようとする卑劣なものである。何人かが誤逮捕されて中には、保護観察処分になった学生も居たようだが、昨日の新聞では、犯人が、「私が真犯人だ」と名乗り出たようである。犯人しか知り得ない事柄もその犯行声明文には書かれていたとかで、紛れもなく真犯人のようだ。先に逮捕されたり送検された人たちはこの時点で釈放されたようだが、何とも薄気味の悪いことである。今こうして、パソコンをいじっている間にも、乗っ取り犯が作成したパソコン乗っ取りウイルスが自分のパソコンにも侵入しているのではないとと考えると、おちおちして居られてないと言ったところだ。意識しない間に、私自身の名前と私自身のパソコンから、脅迫メールが相手に届いているというわけである。警察もそこまでは想定していなかったのであろう。確固たる物的証拠があるとのことで、乗っ取られた人たちを次々検挙して、大得意になっていたであろうが、ここに来て大失態を演じていたと言うことになる。犯人の思惑はまんまと当たったと言うことだろう。この犯人は警察に何らかの遺恨のある人間に違いないことは、「警察をはめてやりたかった。醜態をさらしてやろうと思った」という犯行声明文の文章から見て取れる。犯人はその自白メールで、「ある程度のタイミングでこの告白メールを送り、捕まった人たちを助けるつもりだった」と言っているが、捕まった人たちにとっては大変迷惑な話である。捕まった人の中には、おそらく物的証拠をちらつかせて、鬼気迫るような取り調べを受けたら、真実を曲げていると分かっていても自白に追い込まれたのではないかと想像する。たいていの人はそうだが、警察の取調室で何が起こっているかを知ることは出来ない。警視庁特命係の杉下右京にでもならない限り無理である。あのテレビ番組のように、連日自白するまで自白を迫られたら、無罪を主張し続けることは難しいかも知れない。この犯人が、自白メールを送らなかったら、また、なりすましメールを送った後に交通事故などと言った不慮の事故で死んでしまったならば、この誤逮捕者は永遠に浮かばれなかったかも知れないのである。このパソコン乗っ取りはパソコンだけに留まらずインターネットに通じる携帯電話やスマホにも侵入できるわけだから、さらに恐ろしいことである。警察もこのような知見を得た以上は、脅迫者を無闇に犯人扱いすることはないかも知れないが、之がなりすましで、友人に対し誹謗したり、毒づいたりしたときには、警察の介入以前にその友人との関係は壊滅的状態に成るであろうと言うことも考えられる。世界中のウェブにどこからでも繋がると言うことは、世界中からこういった類のハッカーに狙われていると言うことを意味するのである。さらに考えれば、このようなネットワークに侵入して、核保有国の核のボタンを押すと言ったことにも侵入できると言うことになれば、容易に世界戦争を引き起こすことが出来るかも知れない。こういったことに対処するセキュリティーは、高度になればなるほど、簡単には侵入できないようになっているとは思うものの、いつか破られると言ったことを想定外におくことは出来ないであろう。暗号の設定と解読がいたちごっこでその精度を上げてきたように、この類のウイルスも排除ソフトとのいたちごっこで、どんどんと巧妙化されて行くであろう事は容易に想像が付き、それはそれで恐ろしい結果を招くであろう。便利に見えるソフトを安易にダウンロードした結果これらのウイルスに冒され、今このパソコンも誰かに乗っ取られるのではないかと不安になるのである。
2012.10.17
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近頃珍しい猟奇的殺人事件の報道が毎日のように為されている。聞けば聞くほど理解に苦しみ、かつ何が何だか分からなくなってくる。(これは10月17日判明した記事を元に書いている)この殺人・死体遺棄事件は現在進行形であり、その概要が、ここ数日で茫洋と分かってきただけであり、現在行方不明の人たち以外にも犠牲者などが出てくる可能性はありそうだ。この連続殺人・死体遺棄事件は、通常の殺人事件と違って動機は根深い怨恨とかではなく、ある強烈な女(角田美代子:64)に踊らされた周辺の人間が縁故の関係の家に入り込み、そこから金を巻き上げると言ったバックボーンのようである。蛇が見込んだ蛙のようなその家庭に入り込んで、暴力で支配し、挙げ句の果てに殺してしまうと言った内容である。その経緯の中には、巧みなマインドコントロールがあるとも見える。そして、この事件は起こるべくして起こったのではなく被害にあった人は青天の霹靂的なものだっただろうと推察される。現在までの報道では、死体となって発見されたのは、5人で、行方不明になっているのが3人(ラップしているのかも知れない)と言ったところだろうか。そしてそのほかにも犠牲者が居るかも分からないという感じである。事の発端は昨年11月尼崎市内の貸倉庫にあったドラム缶の中からコンクリート詰めにされた大江和子さん(当時66)の遺体が見つかった事件である。当時コンクリート詰めにされた事件については通り一遍の感想しかなかったと思うがそれがこのような複雑怪奇な事件の一端であることなど知るよしもなかった。このときは、被害者の長女で、被害者と同居の香愛(44)と次女の裕美(41)、そして裕美の元夫の川村博行(42)の3人と、本事件の黒幕である近所の住人角田美代子(64)の計4人が関わっていた。親殺しの姉妹とそれに関わる黒幕角田と言ったところだろうか。このとき既に大江さんの住む家の近所の家では他にも4人(87歳女性、71歳女性、68歳男性、29歳女性)が埋められていたことになる。さらに残りの不明者3人(60歳女性、54歳男性、36歳男性)は、1人は岡山、1人は高松そしてもう1人は、コンクリート詰めで瀬戸内海に遺棄されたようだ。これら加害者と被害者の相関関係図が新聞に出ているが、実に複雑怪奇である。こういった殺人事件の中で、87歳女性の女性の孫娘(角田瑠衣=角田美代子の長男の嫁)は、角田美枝子の義理の妹と共謀して祖母の年金口座から現金を引き出すというおまけまで付いているのである。さらに、この角田瑠衣をして、自分の両親を家の外で顔が腫れ上がるまで殴らせると言うことまでさせているのだ。テレビに顔を出して説明する親戚縁者は、一体誰の関係なのかそれも今のところ釈然としない。このように角田美枝子は、他人の家にずかずかと入り込みそこの連中をマインドコントロール(あるいは暴力で)して互いに喧嘩をせしめるなどするというのだ。この点が、マインドコントロールを受けたことがない者にとっては全く理解が出来ないのである。この事件尼崎がその舞台であったが、死体遺棄は、岡山県や香川県にまで及んでいて、広域事件として様相を変えている。角田美枝子の顔写真はまだ分からないが、護送中の車の中で、赤い布をかぶって、その隙間から見える片目は、異様に鋭く、恐ろしい目つきであった。角田美枝子と、殺された一家には、特段に密接な関係はなさそうだが、何故かそれらの家に入り込み主導権を奪うと言ったことになっているようだ。しかし何を以てマインドコントロールや互いに喧嘩をさせるなどが出来たのかについては、釈然としないのが現状である。現在までの状況を読み返しても、何故そのような自体になったのかさえ理解が出来ず、マインドコントロールとは一体何なのか、角田美枝子が、たこ焼きを振る舞って信頼を得たとか、喫茶店開業で相談に乗ったとか色々断片的にかかれているが、そのような単純なことで、大の大人が互いに暴力を振るい合って、角田美枝子に臣従していたとは考えられないのである。この事件は、行方不明者がもうこれ以上増えないのか、そして、関係者の証言通り、岡山や高松で死体が出てきてからよりはっきりするであろうが、何とも言いようがないほど気持ちが悪く、信じがたい事件である。本日時点で行方不明は下記の通りであることを確認して今後の成り行きを見守らねば真相は分からない。■行方不明者7人・兵庫県尼崎市の女性(87) 遺体発見の民家の住人・神戸市の女性(60) 民家の住人女性の次女・高松市の男性(68) 民家の住人女性の長女の元夫の兄・東京都の男性(54) 角田美代子被告の義妹の夫の弟・尼崎市の女性(29) 角田瑠衣被告の姉・尼崎市の女性(71) 角田美代子被告の兄の交際相手・高知県の男性(36) 角田美代子被告の養子の兄
2012.10.16
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第百四十六段【本文】明雲座主、相者にあい給ひて、「己れ、もし兵仗(ひゃうじゃう)の難やある」と尋ね給ひければ、相人、「まことに、その相おわします」と申す。「いかなる相ぞ」と尋ね給ひければ、「傷害の恐れおわしますまじき御身にて、仮にも、かく思し寄りて、尋ね給ふ。これ、既に、その危ぶみの兆なり」と申しけり。 果して、矢に当りて失せ給ひにけり。【訳文】 明雲座主が、人相見にお向かいになって、「自分に、もしかすると、剣難の相がありはしないか」とお尋ねになったところ、人相見は、「ほんとうに、その相がおありです」と申し上げた。そこで、「それは、どのような相か」とお尋ねになったところ、「人から傷害を受ける心配がおありになるはずのないご身分であって、かりそめにも、このように思いついてお尋ねになる、これは、もう、その剣難に逢うという心配の前兆なのです」と申し上げた。 そのことばの通りに、矢にあたっておなくなりになってしまった。【注釈】・明雲:天台座主。法住寺殿の合戦にて入滅。69才・座主:天台宗の首長・相者:人相見・兵仗:武器にかかわる災難。剣難。第百四十七段【本文】 灸治(きうじ)、あまた所に成りぬれば、神事に穢れありといふ事、近く、人の言ひ出せるなり。格式(きゃくしき)等にも見えずとぞ。【訳文】 灸をすえることが多くの個所になってしまうと、神をお祭りすることに穢れがあるというのは、近年、世間の人が言い出したのである。法規や事務規定などを記した書には見えないということである。【注釈】・灸治:灸をすえて病を癒すこと・格式:格・・律令を施行するため臨時に発布された命令・法規。式・・細則・内規第百四十八段【本文】四十以後の人、身に灸を加へて、三里を焼かざれば、上気の事あり。必ず灸すべし。【訳文】 四十歳を過ぎた人が、自分の体に灸をすえ続けるのに、三里に灸をすえて焼かないと、のぼせあがることがある。必ず、三里に灸をすえなくてはならない。【注釈】・三里:灸穴の1つ(膝の二寸下の凹んだところ)第百四十九段【本文】 鹿茸(ろくじょう)を鼻に当てて嗅ぐべからず。小さき虫ありて、鼻より入りて、脳を食(は)むと言へり。【訳文】 新しい鹿角からとった鹿茸を、鼻につけて嗅いではならない。小さい虫が鹿茸の中にいて、鼻から入りこんで、脳をくうといっている。【注釈】・鹿茸:夏至の頃鹿に生える角第百五十段 能をつかんとする人、「よくせざらんほどは、なまじひに人に知られじ。うちうちよく習ひ得て、さし出でたらんこそ、いと心にくからめ」と常に言ふめれど、かく言ふ人、一芸も習ひ得ることなし。未だ堅固かたほなるより、上手の中に交りて、毀(そし)り笑はるゝにも恥ぢず、つれなく過ぎて嗜(たしな)む人、天性、その骨(こつ)なけれども、道になづまず、濫(みだ)りにせずして、年を送れば、堪能(かんのう)の嗜まざるよりは、終(つひ)に上手の位に至り、徳たけ、人に許されて、双(ならび)なき名を得る事なり。 天下のものの上手といへども、始めは、不堪(ふかん)の聞えもあり、無下の瑕瑾(かきん)もありき。されども、その人、道の掟正しく、これを重くして、放埒(ほうらつ)せざれば、世の博士にて、万人の師となる事、諸道変るべからず。【訳文】芸能を身につけようとする人が、「上手にやれないうちは、なまじっか、他人に知られまい。人に知られないように、内々で立派に習得してから、人前に出てやってみせたのは、たいへん奥ゆかしいだろう」といつも言うようであるが、このように言う人は、一つの芸も習得することができないものである。これに対して、まだいっこうに芸が未熟なうちから、上手な人たちの間にまじって、けなされたり、笑われたりするにもはずかしいと思わず、平気で押し通して、稽古にうちこむ人は、生まれつき、芸の急所をとらえる力がなくても、芸の道において停滞することなく、わがまま勝手にせずして、長い年月を過ごすので、器用ではあるがうちこんでやらない人よりは、しまいには、もっと名手の域に達し、人品も十分に備わって、世間の人から立派だと認められ、二人といない上手という名声を獲得することとなるのである。 世の中で第一流の、芸の名手であっても、始めには、下手だという評判もあり、ひど過ぎる恥辱もあったのだ。だがしかし、その人が、その専門の芸道の戒めを正しく守り、またこれを尊重して、勝手気ままなふるまいをしなければ、世間に知られる大家として、多くの人の師匠と仰がれるようになることは、どの専門の方面においても変わるはずはないのである。【注釈】・堅固:ぜんぜん。いっこうに。・つれなく:平気で・骨:コツを覚えるなど。・なずむ:とどこおる。・堪能:器用で上手なこと・無下の瑕瑾:何とも言いようのない酷すぎる恥辱
2012.10.15
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姫が湘南から帰阪した。国際家電学会(GCCE)を終えて、その後始末にまだ奔走中であるという。昔東京を往復するときは、飛行機を多用していたが、今回は新幹線で帰るようだ。とても忙しいようで、帰りの時間はなかなか特定できないようだ。連れ合いは久しぶりに帰阪する娘を迎えるために何かと気遣っている。姫が好むものを食べさせてあげたいと買い物をする時にも遠くに行ってしまった娘を思いやる心がよく分かる。昨日は私が中学校の土曜スクールに顔を出している間、2人で買い物に出かけていた。合流して一緒に昼食をと野菜たっぷりの鍋を囲んだ。この鍋は最近BMI値が気になりだした私にとってもありがたいことである。そろそろ鍋が美味しい気候となってきた。つい先日まであんなに暑かったのだがと思う事がなにやら不自然でもあるかのようだ。その後久御山にあるイオンモールに買い物に出かけたところ、なにやら辻堂駅前に先頃出来たテラスモール湘南と同じようだと言っていたが、出店の専門店数もテラスモールの方が2倍以上も多く格が違うようである。そこで私のシャツを選んでくれたが、ピンク系のストライプシャツは自分ではなかなか選ばないだろうと言った色合いである。連れ合いも履きやすい靴やパンツを買っていた。久御山ジャスコには、道路を挟んで別館があり、そこにユニクロなどが入っているが、姫はユニクロには安くて同じような物があるというので行きたそうだったが、時間も遅くなったので断念して帰ってきた。それが気がかりだったこともあってか、今日は近場のジャスコ店を訪れ、そこでユニクロを訪れた。そこでは確かに安いシャツが山のように並んで置いてある。特別なセール対象品は1点が1980円だというので、多くをピックアップして籠の中に入れてくれた。多く買っても昨日のイオンモールで買った1点よりも安い位である。何だかだと数点買い、寒い日にとちゃんちゃんこスタイルの暖かそうなベストも購入した。着る物がたくさんあっても体は1つであり、もう一生衣類(シャツ)を買わなくても大丈夫と言ったほどに買って帰った。そう言えば先頃新聞で、ユニクロブランドで展開するファーストリテイリングの連結売上高は2013年8月期に1兆円を越えた事が報じられていた。アパレルメーカーでは初めてのことらしい。勿論世界にはZARAのインデックスやH&MさらにはGapなどと言ったアパレル専門店があり、ファーストリテイリングはその後塵を拝しているわけだが、今日の店の繁盛ぶりを見ると、売り上げ1兆円がさもありなんと頷けるのである。姫によるとファーストリテイリングはユニクロショップで購入した物で古くなった衣類を引き取り、世界中の難民や非難民に寄贈しているという。ふとジンバブウェ滞在中のことを思い出した。彼らは避難民ではなかったが、すり切れた衣服や、パンツを身に纏っていた。また世界各地で逃げまどう避難民や、難民はそんなアフリカ人以上に衣類などに関しても飢餓状態にあるわけだ。そんなことに使われるのであれば、ファーストリテイリングのCSRは的を射た物だと思う。それにしても日本のこの豊かさは何なのだろう。やれ若者の就職率が低いとか、お金の周りが良くないと言ったことを聞くがこの店舗を見る限りそんなことは微塵も考えられなくて、贅沢なことを言っているのではないかと思うくらいだ。兎に角多くの種類の衣類が置いてあり、それらを廉価で買うことが出来るのである。衣食足りて礼節を知ると言う言葉があるが、食も日本では、多種多様、日本に居ながらにして世界各国の料理を食べられると言ったことまで出来る。正に飽食と言っても良いほどの感覚である。日本人は今一度自らの足下を見直さなければいけないのではないだろうか。等と考えながら、半ばフィーバー的に数着のシャツを買った。余計なことであるが、街を歩く人たちの服装の多様化には驚きを感じる。実に様々な格好で、歩いているのである。私などは過去の制服延長時代の生活に慣れているから、時に違和感を覚えるものもある。しかしながらそれもこれもファッションだと言われてしまえば後に続く言葉がない。ところがそんな若者達も就職活動などでは画一的に黒っぽいモノトーンの洋服を就活のスタイルとして着るわけである。そこら辺りのギャップが何とも言えず面白い文化ではないかと思うのである。そうこうしているうちに姫が湘南に帰るときが近づいた。車で最寄りの高槻駅まで送って、短い帰阪の時を終えそそくさと1人の生活に戻っていった。
2012.10.14
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昨日の新聞1面にデカデカと報じられたソフトバンクによるアメリカの3位と5位の携帯電話会社買収という記事に驚いた。何が起こっても不思議ではない世界であり、かつ世界的にも何が起ころうとも突拍子もないことではなくなった現在だが、さすがにこの記事には驚いた。かつてソフトバンクはボーダフォンの日本法人を約1兆9172億円で買収して、日本における先行携帯電話会社のNTTドコモやKDDI(au)を追い3大携帯電話会社の一角を占めるに至ったのは8年前の2004年のことであった。そのソフトバンクが今や本格的に世界に打って出ようとしているわけだ。日本の携帯電話会社は、ガラパゴスと揶揄されて、世界では特殊な立場にあったが、今回は世界を舞台にした動きである。ソフトバンクはアップル社からiPhoneの販売権をいち早く得て、その力をめきめき伸ばしてきた。今は昔の話になった第3世代携帯の3Gであるが当時はソフトバンクが先行2社に追いつくために注力してきたところであり、ソフトバンクが携帯電話事業に打って出る要因(戦略)の1つであった。今は巧みなコマーシャルに乗って、iPhoneを他社に先駆けて導入して確固たる地歩を固めた。今回は先に国内のイー・アクセスを傘下におさめそれをベースにアメリカのスプリント・ネクステルの2/3の株式取得に動いたわけだ。子が孫を食い、その子を親が食うといった一連の買収劇で、ソフトバンクは強大化を計ろうとしている。これほどM&Aを駆使して業容を拡大した企業もないだろう。この買収が成功すれば過去JTがイギリスのたばこ大手ガラハーを買収した時より大型の買収劇になるわけだ。今や3Gの3倍以上の通信速度のLTE(ロング・ターム・エボリューション)が常識的なものとなっているが、各社は、それぞれこのLTEの導入を行っている。このIT(携帯電話)業界の行く末はどうなるのか、我々としては複雑怪奇になった利用料金の低額化を望むばかりである。なぜなら通信は、鉄道や高速道路同様現代に生きる人間として今や必須のインフラであるからだ。純利益がおよそ10%にも成ろうかとするこれら通信業界は、こういった社会性を考えてもう少し一般向け料金を低くするように努めなければならないだろう。10%の利益率を持続すると言うことは他の一般企業に於いて容易成らざる値であるが、通信(携帯電話)業界はこの値を遙かに凌駕している。ソフトバンクのこの芋づる式の買収は、総額1.5兆円とも2兆円を越えるとも言われているが、5期連続で最終赤字を強いられているスプリント・ネクステルの株価の動向(急回復するなど)によっては成立断念との含みを持っているという。ソフトバンクの現契約者数3014万件で買収合意済みのイー・アクスエスの413万件と今回のスプリント・ネクステルの契約者数5600万件を加えても9027万件であり、アメリカトップのAT&Tの10520万件や2位のベライゾン・ワイヤレスの9420万件には及ばないが世界3位の契約者数を抱えるメガ通信会社になる。この合併によって互いの重複した部門の削減などによるシナジー効果で、コストダウンも期待できる事になる。しかし、スプリント・ネクステルが赤字に悩む企業だとしても、この小が大を食う買収劇はある種のリスクを伴っていることは否めない。、孫社長のこの勝負が吉と出るか凶となるかについては余談を許さないかも知れない。この買収劇には上で孫と称したアメリカ5位のメトロPCSコミュニケーションズ買収も絡んでいる。4位のTモバイルUSAが同じくメトロPCSコミュニケーションズとの経営統合を協議中だと言うことで、ソフトバンクがスプリント・ネクステルを通じてこのメトロPCSコミュニケーションズの買収に動くことで業界全体が揺れることは必死であるからだ。ソフトバンクの買収へ向けた構想の発表はこういった先行きの不安もあってか、市場の反応は控えめであり、株価は一時17%安にまでなったようだ。この先注意深く成り行きを見ていかなければならないだろうが、日本の携帯電話会社が、世界に向けて大きく1歩踏み出したことに変わりはなくこの買収の成功を祈るだけである。世界の携帯電話会社の売上高を見ると、1位は1.6兆円の中国のチャイナモバイルだという。2位にベライゾン・ワイアレスの1.4兆円が続き、ソフトバンク(含むイー・アクセス)+スプリント・ネクステル連合は3位に浮上1.3兆円になるとの予想だ。アメリカの契約者数1位のAT&Tをも抜き、世界3位の携帯電話会社となる。ソフトバンクは創業60周年に当たる2041年までに時価総額200兆円、グループ企業数5000社とする目標を掲げている。直近の時価総額が約3兆1900億円、グループ企業数は約1000社ということだから画餅のようなものだが、1企業が30年先の広大な方向と目標を掲げて進んでいるにも拘わらず、政治の世界は足下の問題すら解決できず相変わらず政治村内部の問題でもめ続けるのを見るとき、昔言われた、「企業は一流、政治は三流」と行った言葉を思い出した。
2012.10.13
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3ヶ月に1回自由な形で集まる大学の造船学科同期会があった。今日の会合は毎回2回目の金曜日と決まっているので、予定表に書いておくのが常だが、今回ばかりはどういう訳か書き込んでいなかったので失念していた。この会の1人で、メール手法に詳しい友人がなにやらグループ化して登録したら、その登録者全員にメールが行き渡るというのを設定しているので、誰かが書き込むと全員へのメッセージとなる。その機能によって、ある友人が昨日書き込んでいた一言「明日10月12日は参加する予定です」によって注意を喚起されたのだ。早速、自分も参加する旨の書き込みを行うと後に数人が続いた。そして今日は大阪近辺のほぼ全員が集まったというわけだ。この会合は以前にも書いたが、2人でも勝手にやればいいし、集まらなければそれで良いと行ったフリーな会であるから、行かなければいけないといった束縛感がないのが特徴である。この11月には3年ぶりに全国に散らばった全員を対象とする同期会があるので、今日の集まり具合は良かったのであろう。私は、上牧から梅田までだから、ほんの3-40分で行けるのだが、本屋を覗こうといつものように少し早めに出て電車に乗った。電車の中ではいつも本を開けるのだが、何となく眠くて、本を床に取り落としてしまった。之もいつものことだが、隣に連れ合いが居ないと止めてもらえず、気恥ずかしくなる。そこで本をあきらめて、iPODで英会話(ヒアリングマラソン)を聴きながら座っていると、またしても睡魔が襲ってきたようだ。ふと気づいて車窓を見ると寝ぼけ頭にも電車が反対方向に走っていることに気づいた。梅田を折り返し引き返しているのだ。之は大変と、次の駅で飛び降りたが、そこは上り下りのホームがセパレートな南方の駅だった。やむなく京都よりの淡路まで戻り再び梅田行きに乗って、今度は寝込まないように立ったままでいた。そんなことで、会の始まりには若干遅れたが、ぎりぎりに出てきていたら、相当遅れていたであろう。合流して話すほどに盛り上がるが、ちょっとビックリしたところでは、スマートフォン(スマホ)に対する考え方である。私以外の6人は全て在来型の携帯電話で、スマホを使用しているのは私だけだったという事実である。携帯電話に占めるスマホの割合は、近年急速に伸び今や70%に近いと言うし、今後も4年後には82%程度にまで広がるという予測も立てられているのに、おそらく今日集まった友人はその時でもなお従来型携帯電話を駆使していることであろう。中には、一切携帯電話を持たないという友も居た。スマホでなくても電話が掛けられれば全く不都合はないとの話である。そう言われてみればそうだが、時々言葉の意味や、分からないことが起こったときにその場でインターネット機能を使えると言うことは便利だし、スケジュール管理などなど利便性はあるのだが・・・、と言おうとしても全く無意味であることを知った。次に、日頃のよすがについての話では、今なお仕事をしている人(測量士として活躍している人、中小企業のコンサルタントをしている人など)や早々にリタイアした人などであるが、リタイア組はそれぞれの趣味に生きているようだ。リタイア組では翻訳を手がけている人、趣味の三味線を奏でている人、各地に赴いて写真を撮っている人などである。中でも中国語を勉強している人や、イスラム圏に出かけたときに話は出来なくてもあのヒョロヒョロした字を何とか読みたいと勉強している人など語学を学ぶことを趣味としている人などがいると言うことだ。今日は集まっていない人の中には、大学で教鞭を執ってその後も研究活動をしている人たちや微分方程式・物理演習等と言ったホームページを開設して、昔習った数学や物理をひもといている人がいて、その人は、昔学んだ流体力学の解説として、流体力学基礎演習と言うのをアップロードしているようだ。専門的なことはすっかり忘れてしまった私はせいぜい小学校や中学校のボランティアで勉強を教えている位である。工学を志した者も、学生時代から職場でその専門性を必要としていれば、なかなか忘れないものだが、それ以外は、当時の教科書や、仕事の足跡を思い出してもこんな事をしていたのかと思うほどにすっかり忘れていることに気づく。昔惹かれた同じ事を生涯続けられるというのも魅力だが、私のように工学に籍は置いてやってきた者でも、実は歴史などの文化系のことどもに興味があったので会社時代には突っ込みきれなかったことなどを自由に勉強できることは、この上なく楽しいと思っている。勿論間口を広げても所詮は中途半端な底の浅い独学なので、世の中の役に立てると行ったレベルではなく単なる趣味の延長である。しかしながらこの趣味は達成したという時点はなく死ぬまで勉強し続けなければいけないので、ときとして追われる気分になることがある。いつも通り3時間ほどのしゃべりを終えて、帰路についたが、此処に集まった友人は皆元気なので、それが誇りだという友の言葉に納得しながら、またの再会を約して分かれた。
2012.10.12
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今日はいつもの小学校の放課後学習会だった。朝1番に定期的に通っている医者に行って、血圧などの薬を貰う。残念なるかな、生活習慣病の3冠王はなかなか返上できない。3ヶ月に1回程度の検査以外は、ただ顔を出して血圧を測るのと、とぎれた薬を貰うだけが仕事である。人によっては高血圧の薬はとぎれると良くないという。しかし、自覚症状はないので、時として忘れることがある。薬を忘れる位だから体の調子は良いのだろうと思うんだがそうでもないらしい。所謂サイレントキラーと言われるほどで、予告無く突然症状が現れると言うし、現に親しい友人が突然病に倒れたのでなおさらである。友人の場合はかすかな兆候があったやに聞くしそれも数回経験していたという。健康に関して無関心ではないが、まさか自分がと言った気持ちになっているのは、私も同様である。私の寿命はDNA的には80才までと勝手に決めているのでまだ12年はある勘定だ。さらに、山中教授によるiPS細胞など医学の進歩でもう少しは寿命が延びるかも知れないといったところである。小学校でのボランティアは週1回で、放課後1時限と言うから45分間である。勿論予め準備することなどのは必要ない気楽なものだが、小学校に通うだけでもそれ以上の時間が掛かり、せっかく行ったのだからもう少し長時間やればと思うもののそんな効率的なことばかりは言っていられない。増して1年生ともなると、そんな45分間でも集中することが難しい子供達ばかりである。兎に角席に着かせてノートやプリントに向かわせることだけでも大変なのである。しかし、こんな状態を当然と思っているが、他の学校の(他の地方の)場合はどうなのだろうかとふと思ったりする。教員ではないのだからそんな横通しのことなど考える必要はないのかも知れないし、また教員同士では、何らかの交流があるだろうから、今通っている学校が飛び抜けておかしいと言うことでもないだろう。指折り数えて算数の計算をしたり、読み取れないような字を書く子供達がこの学校特有のものではないだろうといった前提での対応である。5,6歳児の平均的な成長状態はどうなのかと考えたりする。この学習会に参加するのは登録制になっているとかで、今日集まった子供達はフルエントリーの20名であった。今日のボランティアは4人で、私ともう1人を除く2人はつい最近参加された新人と言うことで、今日は私が出欠の確認をしたので分かったわけだ。名簿によると、1組が9人、2組が11人という2組からの構成である。連れ合いの孫が1組に所属しているので、私は最初から1組の子供達に接することが多かった。当該孫は水泳スクールとラップしているので、この学習会に参加はしていない。今日の宿題は国語の書き取りと、文章で表現された算数の問題である。国語はノートの文字をなぞることと、新しいマス目にその言葉を書くと言ったもので、算数は例えば「すずめが8羽電線にとまっている、3羽飛んでいった。すずめは何羽になったでしょう」と言った問題である。中には早とちりで飛んで行ったを飛んできたと読む(?)子もいてなかなか面白い。さすがに小学校程度の算数なら、一瞬見ただけで分かるので、○を付けるのも早い。出来るだけ大きな○を付け、「たいへん、よくできました」と添えたり、晴れの日には太陽のポンチ絵を描いてあげると大変喜ぶ。中には、「先生100点ってかいて!」とねだる子もいる。それだけに、間違っているところがあると、その対応に気を遣う。たいていが所謂ケアレスミス(注意力散漫)であるため本質的ではないが、もう少し落ち着いてやる必要があると言うことだ。「あーーー、おしい!ここが合っていたら100点だったのに、残念!はいここだけ書き直してきて下さい」というと、素直に書き直して再提出をしてくれる。私は兎に角大きな声で評価のすることにしている。時にまとまった字や大きな力強い字を書く子供には、「お!、きれいな字だね」とか「これは、力強いかっこいい字だね」などと誉めることを忘れないようにしている。子供は実に素朴で、100点を貰ったとか、誉められたとかすると素直に反応し喜んでくれる。学ぶことで評価され、かつ誉めて貰うことで次へのモチベーションアップになれば言うことない。宿題をこなすことは必要だが、宿題をして満足感を得るところまで行かないと真のボランティアのミッションには欠けると思うわけだ。ボランティアにとっては、実に短い45分であるが、1年生にとっては、緊張が続く限界なのであろう、途中立ち歩いたり、黒板に悪戯書きをしたりする子が出てくる。そんなときどういう風に叱ったらいいのか、今日は大きな声で「さあ今から黒板に悪戯書きをしている子の写真を撮って校門に張ってこの子達は悪い子ですと書きます」と注意した。大半の子はそれで自分の席に戻った。
2012.10.11
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先月30日から東京に出て、帰ったその足で淡路島に行くというスケデュールで、長らく家を空けていたので、溜まった新聞を捌くのに苦労する。世の中の動きから離れて過ごした10日ほどだが、前半は決まった時刻に決まった場所に通うサラリーマン時代の生活と同様なパターンであった。そんなときは、新聞も余り読まず、僅かにテレビのニュースだけで済ましているから梗概的なことしか分からないといった状態であって、それはまさしく過去のサラリーマン時代と同じだと感じた。そう言えば昔は今ほど暇ではなかったし、世の中の動きがどうであれ目先の切羽詰まった課題解決だけが関心事であったように反芻した。まさに「昔は物を思わざりけり」である。しかしそれはそれで済んでいて、今のように世の中の事柄に一喜一憂してみたところで、血圧が上がるだけで、何ら変わらないということも分かった。現在は邪念が多く、腹立たしいことが確実に増加しているとも感じ、なかなか世の流れを看過しづらい気分である。そんなことを考える生活に戻ったときいつもの先輩から電話があった。相棒の捜査三課課長の挨拶代わりの「暇か!」に似ている電話コールから始まる。テスト前の学習会があるがそれは午後からだし何も断る理由はないので「暇ですよ」と応える。「奥さんは出かけたか?」も常習挨拶である。今日も連れ合いは車で登校したので「車はありませんが」とこちらも応えると、高槻から裏道を通って迎えに来てくれる。ゴルフ練習の誘いである。高槻の名神高速沿いにある練習場での打ちっ放しだが、そこへの送り迎えをわざわざしてくれるわけだ。何とも恐れ多いことだが、先輩は実に気さくであり、そのことを厭うことも先輩面することもないきわめて優しい人である。その昔、高校の体育館に来て、シュートのコーチなどをしてくれたときとは様変わりである。1つには私が先輩主催のゴルフコンペでなかなか良いスコアが出せないこともあるが、またご自身も、1人ではなかなか練習場に通うという気にならないから丁度良いのだと言われる。別に高校のバスケットボール部のOB・OG会で会長、副会長というコンビで切り盛りしていると言ったことも基盤にはある。迎えに来てくれるときには必ず手みやげを持参してくれる。それは、自宅の庭で栽培中の草花であったり、収穫物であったりする。今日もハーブやピーマンを持参してくれた。マンション下で合流し、バッグを積んで、練習場に向かう。その練習場のチケットを予め買っておられるわけだが、私の練習代はそこから払われるわけだ。しかも、必ずコーヒー缶を持ってきてくれる。1コイン70球で、ご自分は2コインぐらいだが、私には3コイン打てと言う。その時々にゴルフのコーチもしてくれるわけで、私は一体何様かという感じで、主客転倒と言うより、恐れ入るばかりである。こちらが恐縮していると、「ええねん、ええねん」と軽くかわし、私が家を空けている間に、ご自身は別に所属するクラブコンペで優勝しその成績が79(40+39・・ネット73)だということで、「之も君と練習に来ているおかげや」とこちらの気持ちに負担を掛けないようにと配慮してくれる。もう既に古希を越えておられるので、エージシュートを目指しているという。もう少し練習して2-3年内には達成したいとのことだが、それにしてもリタイア後は、ゴルフ1筋の生活のようだ。人は長じてこれほど丸くなれるものかといった感じである。ドライバーの打ち方を少し変えたとのことで、テイクバック時に、右腰を少しつり上げる気持ちで両肩の水平度を保つことにしたという打法から繰り出す球はなるほど今までよりは低い弾道で、ほぼまっすぐに飛んでいき、前方の上り斜面に書いてある200YDと280YDの丁度真ん中までランで駆け上ると言った案配である。殆ど左右に曲がることのないその打球は、今まで以上に安定感があるようだ。一方私の球は駆け上がってもせいぜい200YDの上に出るのが精一杯である。ゴルフばかりは年齢とは関係ないと言うことをいつも感じる。このたび病に倒れ、昨日まで入院していた友人の話をすると、それは良かったと言われ、次回からコンペに参加するのだったら、ボール探しなどで負担が掛からないようにキャディー付きにしようかなどと、配慮を見せてくれる。その友人なら、先輩よりもうんと飛ぶのだろうなと思いながら、ただ1人自分だけが力がないのかも知れないと自虐的になる。20日ほどゴルフから遠ざかっていたので、ドライバーはまたスライス癖が付いていて、私が「もう開眼していたつもりなのに」と言うと「ゴルフはそう簡単にいかんよ」と言いながらも、多少のアドバイスをくれたのでまた元に戻った。「そろそろまた優勝しろよ」と言われて練習を終えた。帰り際に、「君にドライバーをあげる」と言って取り出したのは昔問題になって公式コンペでは使用禁止になった高反発クラブらしい。自分はもう使えないからと言うことだが、シャフトは「S」で使いこなせるかどうかは分からないものの頂いた。帰りもわが家まで送ってくれたことは言うまでもない。
2012.10.10
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久しぶりに新聞1面に朗報が掲載された。iPS細胞に関しては以前からその有用性が期待され、やがてはノーベル賞は確実といわれながら今日まで経過してきたので、半ば唐突感はなく受け止められたが、大変な慶事であることに変わりはない。iPS細胞(人工多能性幹細胞)は体細胞に特定の遺伝子を導入することでES細胞(胚性幹細胞)と類似の分化性を持たせた細胞であるとされる。ES細胞は再生医療の先駆け的にアメリカで臨床実験などが行われているが、根幹は、他人の細胞を使用すると言った点でイPS細胞とは大きく異なっており、免疫の問題やガン化の問題などを克服する必要があった。山中教授が作成したiPS細胞は患者本人の細胞を使うことから、これらの問題は大きく改善され、非常に先鋭的であると言える。iPS細胞は「induced pluripotent stem cells」の略で頭文字を小文字のiにしたのはiPODに因んで大勢の人に親しんで貰おうという配慮からだという。iPS細胞の作り方については、医学の素養はないので間違っているかも知れないが、報道などを通じて私なりに以下のように認識している。クローン羊のドリー誕生の応用から、受精卵の当初の細胞は身体の各組織に分化する前の未分化状態を維持する機能があるということで、そのような状態に戻すことが根本的な問題である。このように、組織化されてしまった細胞を取り出し、組織化が始まる前段階に戻す(之を新聞紙上では細胞のタイムマシンと呼んでいるようだ)必要がある。山中教授の慧眼は、正にその未分化細胞が現状状態を維持し続けるという遺伝子を見いだせば、この遺伝子が各々の組織に分化した細胞を未分化細胞へと初期化することを誘導するのではないか(同じ働きをする)と考えた点である。各組織の細胞に分化するためには何らかの刺激なりの条件を与えることで、未分化細胞を維持しようとする機能が失われ、各々がミッションを持った体の組織細胞へと成長していくという案配である。そして山中教授はこれらに関与する遺伝子を24種類に絞り込んで実験を繰り返して、この中からさらに遺伝子を4つに絞り込んだのである。その4つの遺伝子がヤマナカファク ター(山中因子)と呼ばれる「Oct3/4(オクトスリーフォー)」、「Sox2(ソックスツー)」、「Klf4(ケーエルエフフォー)」、「c-Myc(シーミック)」である。皮膚から採取した組織化された細胞にこの山中因子を与えることで、胚と同じような多機能細胞を作成したというものだ。そしてこのようにして作られた分化万能性を持った細胞は理論上、体を構成するすべての組織や臓器に分化誘導することが可能であるというわけで、欠損や衰弱した身体部分の組織としてやがて痛んだ体を再生していくことが出来るのである。不謹慎ではあるが、孫悟空が、お尻の毛をちょっとむしって息を吹きかけるとその毛はたちまち孫悟空の分身になるといったことを連想するわけだ。そして現段階では人間から取り出した細胞を使用するという手前で実験用マウスで、その理論通り、iPS細胞から、脊髄の再生に成功したといった段階であるようだ。その後は、山中教授の生い立ちや、学生時代のこと、さらには奥さんとのなれそめ等々、科学者としての偉業の周辺事が多く語られ、それはそれで微笑ましいこととして、山中教授の人となりを表すエピソードとして楽しいものである。私も2008年に教授の講演があるということで、京都大学の秋の講座を聴きに行ったのだが、その折は教授が急用のため講演できなくなり、直接声を聴くことが出来なかったのは残念であったが、多くの事例と共に再生医療の先端の話が聞けたのは良い経験になったと思っている。山中教授はiPS細胞の作成という偉業をなしてから僅かに6年しか経っていないそうで、このような短期間にノーベル賞が与えられたことは過去にはなかったようである。年齢も50代になってわずか1ヶ月余と言うことだから、その若さでの受賞も大いに目を見張るものがある。ノーベル賞の最年少受賞者はアメリカのローレンス・ブラッグという物理学賞受賞者で1915年に25歳で受賞したのだとのことであり、上には上が居るものだとまた感心した次第である。折しも地元中学校のテスト前学習会のボランティアに行ったのだが、この話でもして、少年や少女が目を輝かせるかなとの期待は完全に裏切られ、悪童どもが2階の図書室で学んでいるところへ、何を伝ってきたのか窓から侵入して撃退されたのを見たとき、大いなる挫折感を味わったのである。朱に交われば赤くなるとは良く言ったもので、私がボランティアをさせて貰い始めてから、悪童どもはその範囲を広げると共に、その行状は悪化の一途を辿っているようだ。学問が全てでないことは言うまでもないが、そう言った切磋琢磨する環境が、無いところに育った子供達の将来を考えたとき何ほどの結果となるかは容易に推察できるようで、落胆加減は大きかった。
2012.10.09
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寒露初候、気寒く露草重しで鴻雁来(雁が飛来し始める)という気候になったとか。このところやっと涼しさを感じるほどになったが、ずいぶん異常に暑い日が続いた。昨夜も話し込んで、夜は遅くなり、0時が近くなってやっと床についた。例によって眠りは短時間で十分。素早く朝が来た。みんなが起きてくるまでには暫く時間があった。空気の澄んだ別荘地での朝はまた格別のものがある。その内皆さんも起きてきて、朝の喧噪が訪れた。今日は、もう最終日で、帰阪しなければいけない。楽しい時は瞬時に過ぎてしまう。昨日の帰り、土産を買おうとわざわざ大鳴門橋のたもとの土産物店を訪れようとしたが、駐車場の看板に17:00までとあったため、行かずに引き返してきたので、朝食を済ませ、その店に向かった。駐車場から店までは藤棚のトンネル回廊となっていて、シーズンには綺麗なのだそうだ。店に着くと、なにやら昨日は18:00頃までやっていたそうで、引き返して損をしたようだ。どうやら此処でしか買えないわかめのうま煮やくぎ煮などを求めた。店に着いたのは10:00頃だったが、渦潮が見られるのは11:00過ぎと言うことで暫し待つことにした。店を出た展望台からは、播磨灘側の海が眼前にあり、強烈に潮が瀬戸内海に向かって流れ込んできている様子が、橋脚付近の白波で分かる。東尋坊の近傍に住んでいるという福井から来た夫妻は、それでも瀬戸内海の海は穏やかだと言う。そう言えば、私が玉野に住んでいたときに、バイクを駆って山陰に抜けた折は、少し風が強かったせいもあるが、日本海は白波の波頭が立っていたことを思い出す。それに比べれば、眼前の潮の渦も、まだ柔らかい感じだ。おそらく福良港から出たのであろう、大型の帆船仕立ての潮流鑑賞船が潮の流れに乗って流されているのが見える。大鳴門橋の太平洋側から満ちてくる潮に流されるように橋脚付近を瀬戸内海に押し込まれているのが見える。潮流鑑賞船は客船の上に3本マストをしつらえ、スクーナーのような形状を模しているが勿論動力はエンジンのようだ。流されているかに見えた客船もどきでスクーナーもどきのその船はやおら船首を反転させ、元来た太平洋側に向けた。そこからおそらく全速前進を掛けたのであろう、船体は、激しい流れに逆らってほんの少しずつふたたび橋脚に向かって進んでいく。乗船していたならば、うんと迫力があったことだろう。昨年同じ別荘に招かれたときには観潮船に乗ろうとして福良港まで行ったが、観潮船は強風のために出港を見合わせていたので乗れなかったことを思い出した。私は元々造船の設計で育ったので、船に関しては他の人よりは造詣が深いのは当たり前だが、その後、橋梁の建造にも関わったので、左に見える大鳴門橋の内部に秘められた凄さも他の人よりは十分に分かる。橋梁にはこの大鳴門橋のような吊り橋やハープの形をした斜張橋、斜張橋の主塔を少し低くしたエクストラドーズド橋、大きくアーチをかたどったアーチ橋そして通常の高架橋に使われている箱桁橋など多彩でありどれも設計や施工上の特徴がある。しかしなんと言っても長大スパンを可能にする吊り橋が橋梁の花形であろう。吊り橋といえば、その主塔間の径間長さで比較することが多いが、世界最長が明石海峡大橋である。そしてこの大鳴門橋も30傑は下らないであろう。世界では、トルコのボスポラス海峡に掛かるボスポラス大橋が有名であり、現在第3ボスポラス大橋も計画されている。計画ではなんと言ってもスペインとモロッコを結ぶジブラルタル海峡大橋の計画が希有壮大である。さらには、イタリアの本土とシシリー島を結ぶメッシナ大橋もこれらに次いでいる。今回の旅行のように、明石大橋や大鳴門橋を立て続けに渡れると言うことは、そうそう経験できるものではないだけにそれだけでも大いに意義のある旅では無かろうか。話は反れて、またそのそれた話が私にとっては際限なく楽しいのであるが、土産を買って、別荘に戻り、昼食は吾妻屋に持ち出したポータブル天ぷら揚げ機で、野菜を中心に鶏肉、エビをその場で揚げ、食べるという超豪華な昼食となった。奥さんには、過酷な運転と、食事の用意で、多大な歓待を受けたわけだ。今晩からは娘さん一家が泊まるとかで、昼食頃に一家も別荘に来た。小学校1年生の男の子を頭に4才と乳飲み子の女の子を伴った一家と食事を共にできとても楽しい締めくくりとなった。土産を買ってすぐ帰る予定が段々に伸び、昼食を済ませて、少し休憩した後、福井の夫妻と共に別荘を辞去した。高速道路では、バラバラになるし、途中の休み方も異なるであろう事から、別荘で分かれと再会を約して車上の人となったが別荘ではオーナー夫妻と娘さん一家5人の総計7人が手を振って見送ってくれた。福井の夫妻の車に追従して明石海峡大橋を渡り、我々は、西宮名塩SAに立ち寄って帰宅した。
2012.10.08
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今日は朝から高松観光が予定されている。どこで寝てもいつも朝早く目が覚める。昨日は1番最初にダウンしてしまった関係で、それなりに睡眠時間は足りていたのであろう、午前3時には目が覚めた。2階に寝せて貰っているので、部屋の電気を付けるわけにも行かず、外を散歩することにした。庭に出ると、月明かりと周りの街灯で結構明るい。それにも拘わらず、都会ではこんなに綺麗な星空を見ることが出来ない素晴らしい夜空であった。以前は北極星を見つけ、それから北斗七星を見つけるのが習慣だったが、今日の北極星の位置には薄い雲が出ていて、見ることは出来ない。この別荘団地は山を切り開いて造ったそうで、元々はゴルフ場になる予定の場所だったそうだ。まだまだ上があるので、上っていくと、隣接したところに風力発電用のプロペラ群が13機建って、静かに回っていた。いつもあんな程度の早さで回っていて発電が出来るのだろうかと訝るのだが、詳細の程は分からない。別荘内は住民の私有地で、所々に「風車見学お断り」の看板が立っている。きっといつも何人かが無断でずかずかやってくるのだろう。一渡り散歩して帰って来てもまだ30分も経過していない。1階のリビングで、持って行った本を読むことにした。この本もなかなか読み終えることが出来ない。やがて白々と明けてきて、皆さんも起きられ、朝食のサンドイッチを吾妻屋まで運んで食べた。この吾妻屋で食事するだけでもご馳走であるが、手作りサンドもまた美味しい。食事を終え、ゆったりした気分になったところで、別荘オーナー夫人の運転で、高松観光に出かける時間になった。8人乗りのランドクルーザーのような黒塗りの車は、最後部座席がやや入りにくいが、それでもゆったりしている。淡路島最南端の淡路島南ICに入ると、すぐに大鳴門橋になる。道路下の潮流の様子は見えないが、左が大平洋に繋がる紀伊水道、右が瀬戸内海の播磨灘である。対面交通の自動車専用道路を通り、高松自動車道に自動的に入る。60kmほど走って、高松中央ICで高速を降り、海岸方面に屋島を目指した。屋島は上面はフラットな大きな岩を置いたようなところで、頂上まで車で上ることが出来る。屋島寺の駐車場で降りて、屋島寺から南嶺をぐるりと回った。さすがに四国お遍路の84番札所となっているだけあって、遍路者もちらほら見えるが、一般の観光客が殆どである。土地の氏神である、太三郎狸を撫で、本堂にお参りをした。私の知っている人でもたくさん満願成就を遂げた人はいるが、今のところ私には88カ所を回りきると言う計画はない。展望台で、高松市内や瀬戸内海の眺望を楽しんだ。遠く宇野方面から左(西)に、私が20年以上勤めて暮らしていた造船所が遠望できた。久しぶりに瓦投げをしてみた。この谷の方には山のように瓦が積もっていることだろう。ゆっくりと回って車に戻り、下山途中の源平古戦場の壇ノ浦を見下ろす展望台でまた写真を撮った。そこからドライブウエーの入り口を出た四国村の一角にある、本家わら家うどんで昼食の讃岐うどんを食べた。全員が釜揚げの中ジャンボを注文したが、大きな徳利に入った汁から注いだカップにネギの刻んだ薬味とショウガをたっぷり入れて食べると実に旨く、本場讃岐のうどんを堪能した。女性陣には若干多かったのか、私も連れ合いから少しもらい受けた。そのせいで、お腹がはち切れるようになり、暫く隣の喫茶店で、休むことにした。ここでもアイスクリームを食べたので、なおのことお腹がパンパンになった。食休みもほどほどに今度は市内に入り、先ず高松城跡の玉藻公園に行った。入り口で入場券を買ってから65才以上は無料と知り、全員が該当するので、結局1200円をリファンドして貰った。公園内は松の木が相当数植わっていて、なかなか綺麗な庭園となっていた。高松城は水城で、特にお堀は海水を引き入れていた。従って、海からチヌ(黒鯛)が相当数入ってきていて、餌付け場所では水面が黒く見えるほどである。横の幟には「鯛願城就」と当て字が染め混んであるのもまたユーモアがある。そこを出て今度は栗林公園に向かう。ここでは予めシルバー割引はないかと聞いて見るもそんな制度はないという。ここは名園であり、香川県が運営しているのだそうだ。背景に紫雲山を有し、庭園には枝がくねくねした松が、所狭しと植えられていた。入り口で、高松大学秘書科の学生がパンフレットを手渡しながら、左手の南湖、北湖の方が見所ですと案内していた。どうやら課外授業の一端らしい。全部を回ると2時間は掛かると言うことで、半分の1時間ほどで南側を回った。出がけにシャワー(通り雨)がありほんの少し濡れたが、民芸館に待避して、時間を過ごした。栗林公園からは一気に帰宅だが、途中津田の松原SAでお土産と、眺望を楽しんだ。かくして2日目の行事を終え別荘に帰って、夕食ではしゃぶしゃぶを楽しんだが、1日目の晩に比べると余り多く食べられずまた飲めなかった。きっと讃岐うどんが堪えているのだろう。夕方19:13にふと万歩計を見ると何と11111歩と1が5つ連なっていた。それでは11:11迄待つと9つ1が並ぶと思ったが、24時間表示にしているので、それは叶わなかったが、おしゃべりはその時間を超えて弾んだ。
2012.10.07
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今日はかねて約束の知人の別荘へ集まる事になっていた。知人というのは昨年4月にスペイン旅行で一緒になって急にうち解けた関係の人たちである。その内の1組の夫妻が淡路島に別荘を持っていて、旅行後の昨年9月にも皆で集まって歓談したことのある仲間である。年の似通った4組8人のカップルであるが、その内の1組夫妻は奥さんが腰を痛めたとかで今回は参加しないとのことだった。16時に淡路島の別荘に集合と言うことで、福井からの夫妻は、平成大修理中の姫路城を見てから来るとのことだった。我々は、なんだかだと午前中に用事を済まして、ゆっくりと出かけてきた。実際、私は昨日まで東京で散々汗をかいてきた上、夜は住民委員会で教育問題について論じてきたので、ずいぶんと疲れてていたからである。淡路市の南端といえども高速道路を使えば何ほどの時間も掛からない。高槻での用事を済ませて、茨木ICから高速道路に乗り懸念していた宝塚の渋滞もなく、すいすいと明石海峡大橋にさしかかった。淡路SAでほんの少し休憩を取り、そのまま再び神戸淡路鳴門自動車道に戻った。暫くして、招いてくれた方から携帯に電話があったようで、連れ合いが今向かっていると返事をしていた。淡路島は、南西から北東に延びる島で、その南側に当たるところは即ち西側に位置しているため、西淡三原ICと名付けられたインターチェンジを降りて、ご主人が作られた実に分かりやすいガイド地図に従って、別荘へと向かった。昨年1度来たときは、南からの道を通ったが、今回は北側からの道のようだ。1つの迷いもなく別荘に着いた。既に着いていたオーナー夫妻は快く迎えてくれた。私がお風呂を頂いている間に福井の夫妻からは、もうすぐ神戸淡路鳴門自動車道に入るとの知らせがあったようだ。お風呂には、近所の温泉井戸で沸く温泉水を運んで入れてあった。窓付きの風呂は私の理想としているものだ。温泉風呂を楽しんで、出て程なくして福井夫妻は到着され、今回の3組夫婦は淡路の別荘で再会を果たした。2軒分の土地に建てられた別荘はゆったりとしていて、庭には吾妻屋が建てられている。そこで恒例になった焼き肉のパーティーが始まった。炭火が熾った網の上に上等な肉を置きまた野菜をたっぷりと焼いて次々と平らげた。ビールで再会の乾杯をした後、福井の夫妻が持参した大吟醸を次々と杯を重ねて、したたかに呑んだ。今日の話題の中心は福井の奥さんの宮古島トライアスロンの優勝の話である。女性の年齢を言うのは憚られるが、65才の夫人は、今年の宮古島トライアスロンの年長者の部門で輝かしい優勝を果たされたとのことである。一口のトライアスロンと言うが、最初の水泳が3kmそして自転車で155km最後にフルマラソンの42.195kmを走るという過酷な競技であり、とても余人が簡単にできることではない。真似事でやろうとしても完走すら覚束ないであろう。これを書くに当たって調べてみると、参加者は合計 1,470人で、完走者は1,231人だそうだ。その内女子の参加者は177人で完走者は127人と言うことである。女子の完走率は71.8% となり結構体力などに自慢の選手でさえも10人に3人は途中棄権を余儀なくされるという過酷さのようだ。総合優勝者(男子)は25才のウクライナ人で記録は8時間06分54秒とのことだ。同じく女子の総合優勝者は43才のドイツ人で記録は8時間34分31秒ということである。競技参加は65才を頭にそれを越える参加は認めていないようだ。福井の夫人は正に65才であるから今年が出場の最後の機会であったそうだ。記録は13時間07分18秒で1031位であったという。(因みにラップは水泳1時間18分57秒、自転車6時間39分09秒、ラン5時間09分12秒)完走者の中でも後に196人もの若い人が続いたと言うことであり、さらに言えば、完走できなかった人がその後239人もいたというのだから凄いことである。朝6時頃出発して泳ぎ、ペダルを踏みそして走って夕方の7時頃にやっとゴールするのだから、何とも表現のしようがない。マラソンをテレビで見ることは多いが、あのマラソンでさえ完走が出来ない選手もいるほどだから超人とか鉄人とか言われる所以であろう。もう一度イメージしてみると先ず水泳で、50mプールを30往復した後、自転車で神戸から名古屋まで走りその上フルマラソンするというのだ。想像だけでも疲れてくる。年代別優勝者ということで、テレビのスポーツ欄でデカデカと報じられ、その後コマーシャルの出演依頼もあったそうだ。そんな話で盛り上がり、とても私たちが、カラオケ大会で1-2フィニッシュした(金・銀メダルを取った)ことなど取るに足らないことのようで発表がし辛かった。吾妻屋での食事を終えて、母屋に戻りまた暫く様々なことを話した。どれほど喋りどれほど時間が経ったのだろうか私は疲れていたと見えて、皆さんが話している内に側のソファーで寝込んでいたようだ。次に福井のご主人が寝てしまった頃楽しい話も終わりになったようだ。
2012.10.06
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今日は国際電気学会(GCCE)の最終日である。昨夜は散々であったが、姫の努力で財布も戻ってきたので安心できた。兄の家で2晩泊めて貰ったのだが、昨夜は余り遅くに帰ったので、兄は既に寝ていたが、今朝はゴルフがあるからといって朝早くに起きてきた。自ら朝食を作りながら少しだけ話したが、ゴルフに行く前に私を辻堂駅まで送ってくれた。わざわざ東京泊まりを足を伸ばし、遠く辻堂泊まりに変えた意義は十分にあったと思った。今朝は6:11辻堂発の各駅停車に乗った。既に列車は満員であり、勿論座れない。洗濯物を満載したスーツケースは兄嫁の助言で、宅急便で自宅に送ることにしたので、荷物はパソコンが余分なだけである。東海道線から京葉線に乗り換える区間はとても長く、何カ所かに動く歩道が設けてあるが、その動く歩道も、現在一部修理中である。昨日買った、おにぎりをまだ会場に残してあるので、今日はそのまま会場に向かった。8:07に会場に着いたので、昨日の残りのそのおにぎりを頬張った。いつも早くから来ているジェネラルチェアの教授も私に深々と挨拶をしてくれる。少しは役に立っていることを感じるので、来て良かったと思った。今日は来客もちらほらであり、2階のホールでの特別講演も聴いたことがなかったので、暫し中座して講演を聴きに上がった。昔から、気にとめていたTRONのプロジェクトのリーダーである坂村健教授の講演だというので手伝いに来る前から聴こうとは思っていた。会場は500余席の椅子が設けてあるが、座る席などは全くなく、周りには立ち見(聴き)の人が一杯である。TRONは基本のOSであるが、世の中はマイクロソフトのWindowsが席巻しているため、私などは、TRONは如何に優秀でも端に追いやられた、隠れたOSといった印象を持っていたが、何のことはないTRONは携帯電話をはじめとしてデジタルカメラ、FAX、車のエンジン制御等々、世界でもっとも使われており(プロジェクターの説明では約6割のシェア)だとのことで、まさに目から鱗の状態であった。これから、いつでもどこでもコンピューターといったユビキタスコンピューティング環境を実現する重要なOSでもあるという。さらにはコンピュータを使った電気製品、家具、住宅、ビル、都市、ミュージアムなど広範な適用が期待されるコンピュータ・アーキテクトの中心的役割を担っていることも知った。さらに、これからの家電(白物)のハードとしては単なる箱だけが残り、その箱には、ネットワークに繋がる機能だけを有しているという状態に成るであろう事、そしてそう言った白物家電は、ネットワークの端末であるスマートフォンなどで遠隔操作されるであろう事など、未来社会の一端を伺うことが出来た。今話題のスマートグリッドやクラウド等がより身近になったような気がした。現在はクローズしたグリッドだが、将来はより複雑なグリッド社会が到来し・・・などと、私などには夢想だにできない社会が間近に迫っている印象を受けた。この講演だけを聴くだけでも、今回手伝いと称して来た甲斐があったというものだろう。多額のお金を払っても良いと来訪している客もいる中、受付をしたというだけで、天下フリーの名札をもらえたのだから、之までの疲れが吹っ飛ぶというものだ。しかし、今日は大阪に帰る日であり、新幹線の切符は既に手配済みなので、ゆっくりとはしておれない。残念ながら講演終盤には受付席に戻らねばならなかった。隣の70代の男性に因果を含め、皆さんにもその旨お願いをした。既に慣れた作業となっているために、大きな混乱はないと信じられた。東京発は15:20だから、駆け込みで行けば14:00頃に会場を出ればいい勘定だが、持ち前のいらすけでもあり、又隣のCEATEC会場にも行っていなかったので、折角の機会だと、午前中に仕事を終えて、退散させて貰うことにした。CEATECでは無人で駐車が出来る車のデモは見られなかったし、眼球の動きを読み取りページをめくる電子書籍などといったものは見られなかったが何とも壮大な会場で、多数の人が足を運んでいる様を見ると、やはり東京にいなければ世の中の動きに置いて行かれるのではないだろうかとの懸念も脳裏をかすめた。重い荷物を預けて本格的に見学するには時間もないということで、一渡り会場を歩いて、CEATECから出た。名残惜しい気はするが、幕張メッセを後にして、東京に出た。連れ合いから折角のチャンスにとスクラッチ購入のミッションを受けており、東京で、八重洲口に降りて購入した(残念ながらこのスクラッチは当たっていなかった)また、丁度昼時であったので、各食堂レストランは長蛇の列だった。最も空いているところで探すと、又カレー屋があった。来たときもカレー、帰るときもカレーかと自嘲気味になったが、野菜カレーをそそくさと食べて、駅構内で各所に配る土産を購入し、又新幹線の人となった。島本駅に着いたら嘘のような静寂であり、連れ合いが、駅まで迎えに来てくれていたので、重く嵩張る土産も気にならなかった。
2012.10.05
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今日は国際電気学会(GCCE)の3日目である。今日は講演が終わったあとは会場隣のホテルニューオータニでバンケットが予定されているので、今日始めて来る人は多そうである。今日のボランティアの4人は、昨日まで来ていた人とはがらりとメンバーが変わった。4人とも男性で、1人の70代を除いて3人は60代という事だった。孫娘がバスケットボールを一生懸命やっていながら東大に入学したという70代の男性は訥々として、なかなか味わい深い人であった。その男性と席を隣にしていたので、何かと面白い話が聞けた。他の60代の人は、1人はてきぱきと出来る人のようであったが、後の2人の内1人の男性は少しゆっくりな感じで、余りこういった受付には向かないのではないかという雰囲気だった。私が来客の名前を聞き、その通し番号を言って該当書類を準備するのだが、来客が1人なら集中してやれるが、2人3人と続くと、後の人ははじめの人が終わらないと、書類を探せないと行った様子であった。隣の70代の人が、次々に私が言う通し番号を控えていてくれて、その男性に順次伝えてくれたことで、比較的混乱もなく捌くことが出来た。余談だが、そのゆっくり動作の男性のネームプレートには、「日本地球惑星連合2012年大会」という台紙が流用されていたので、皆でその話で持ちきりになった。そんな集まりもあってこの幕張を使うのだなぁと感心すると共に、その1テンポ遅れた反応の男性に、隣の70代の男性が、「やはり、あなたは宇宙人だ」といって茶化していた。私は、受付業務には、既に習熟していたので、新しく来た方々にも手際よくオリエンテーションが出来、受付作業には何ら問題はなかった。来訪者の中には珍しく黒人も居た。そして、姫が龍谷大学で教えていた女性2人も来ていて、奥で手伝い半分をこなしていた。また、ジェネラルチェアマンの教授との繋がりで総務省の北陸方面の人が自費で駆け付けて、何かと世話をしてくれているようだった。手伝いもしてくれていた芝浦工大の学生さんも親しく受付に来て、「英語が出来ないので、どきどきしています」と童顔に笑いと戸惑いに似た表情で話してくれた。あとで、その学生のコマを聞きに教室に入ったが、不得意といいながら、英語で丁寧に話しているのを見せて貰った。勿論その内容については、門外漢の私の理解が及ぶところではなかった。講演が終わる頃はなにやらロビーがざわついている。夕方6:30からのバンケットに出席する人たちである。 ボランティアの方々にお引き取りを願って、今日来訪した人数やお金を整理しているとやがてバンケットが始まる時間になった。 隣のホテルに移動し、会場に入った。結構広い会場には、京都で見たときのような丸いテーブルが多くしつらえてあり、知り合い同士が同じテーブルを囲んでいた。私は、顔見知りの龍谷大の学生や、卒業生の居るテーブルに座ることとした。 料理は2列でバイキング形式であることは京都の時と同じであった。 バンケット会場では、先ず表彰式が行われ、姫を含む多くの人が表彰台に上っていた。なにやら、主催した側の多くが表彰されているような感じがして、ちょっとお手盛りの様子が忍ばれた。私は連れ合いから頼まれて、姫の活躍ぶりをカメラに納めて送って欲しいと言われていたし、姫のカメラも預かっているので、自分のカメラ、姫のカメラ、そして送信用に、スマートフォンで写真を撮るなどとても忙しくなかなか食事をする暇がないほどであった。 やがて盛況の内にバンケットもフィナーレとなり、来場者は三々五々会場を後にしていた。 私は姫の帰りと合わせ、一緒に会場を出るため少し遅くまで残っていたが、最後の仕上げをした姫とホテルの外に出ると、雨が降っていた。なにやら蒸し暑い日が続き、台風が迫ってきていたようで、その余波である。タクシーで海浜幕張まで行き、京葉線で、東京に出て東海道線に乗り換え、混んでいるので姫はグリーン車を選び、乗った。 グリーン券を払おうと財布を出したが、姫が払ってくれたまでは良かったが財布をしまうときに鞄の中に入れたつもりが外に滑り落ちたようだ。辻堂駅で、姫と別れて、姫は自転車で自宅に向かい、私はタクシーに乗り兄の家に向かった。お金を払う段になって、財布のないことに気がつき持っていた会費の袋からお金を借りて、支払ったものの、そのことを姫に電話をしたところ、辻堂までとって返してくれ、終点小田原駅に保管してあるとの確認を得た上で、そのまま終電に乗って受け取りに行ってくれた。 帰りはタクシーをと言っていたが、とても高い値段なので、駅前のネットカフェで休息して時間を潰し、始発で帰ると連絡があった。私は、遅くまで起きていてくれた兄嫁さんに断りをして、今日1日もすっかり疲れてパソコンでの作業も侭ならず寝込んでしまった。
2012.10.04
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今日は国際家電学会の2日目である。 朝のルートは同じだが、今晩から、兄の家を訪問し、泊めて貰うことになっているので、ホテルはチェックアウトである。荷物をスーツケースに入れ、早々にチェックアウトした。スーツケースを運ぶので動きが悪くなっていることを除けば昨日と同じである。新木場の駅でコインロッカーにスーツケースを預けた。ICOCAカードで預けられるようになっているその大型荷物入れは、700円と高かった。解錠の鍵番号のスリップを受け取って、メッセの会議場受付に行く。今日のボランティアは1日に来た男性と2日に来た男性、新しく来て、ちょっと空気の読めない男性と、フランス語通訳もやるという女性の4人であった。 準備の日に来た男性はNPOの理事の肩書きを持っているだけに、落ち着いていて、なかなかてきぱきと仕事をこなしていた。初めて来た男性の1人は、特に進んで仕事をしようなどと言ったタイプではなさそうだ。もう1人の男性は指示したこともはっきり聞いていなくて、その場面に遭遇した初めて聞き直すと言ったタイプだった。しかも来客が少なくなると、別棟で行われているCEATECの見本市に行って良いかと問う始末で、アルバイトならぬボランティアさんだから無碍にも言えず見に行くことを許可せざるを得なかった。 その頃やっと余裕が出来たきて、よく動く芝浦工大の学生3人の学生とも口をきくようになった。 昨日1日で、約100名弱は来ていただろうか、既に登録済みの250名の4割程の受付が済んだだけである。今日は夕方には特別イベントとして「カラオケ」の企画があるという。ある外国人は、そのことをとても楽しみにしているようだったが、勿論若い人であった。今日も順調に来客があり、ボランティアさんの資料などの受け渡しや、その時口添えする項目などの説明も段々と板に付いてきたようだ。姫が作った来客者の名簿は私が1元管理していたので、情報がラップすることもなく、混乱が避けられたであろうと思っている。之が何千人にもなるのならば、おそらくは、アルファベット別に分散管理が必要だったかも知れない。 講演も、ポスターセッションも順調に運んだようだ。今日は80人近く来たであろうか、予め作って通し番号順に並べていた来客者に渡す領収書のファイルの数もだいぶ減ってきた。私は名簿に確認した人の名をチェックするだけで、後はボランティアさんが巧くやってくれるまでに訓練(?)したので、仕事は楽になっていた。 中にはサムスンの技術副社長といった人も来ていたが、とても若く、腰の低い人のようで、なかなか大物は違うものだと思った。企業から若い人が派遣されているが参加費の中に昼食代が入っていれば、会費が58000円だとしても、食事代は個人が食べるのだから、その2400円分は自腹で払えと言われていると言って受付に来る人も居た。そう言った企業は、概して大企業と呼ばれるところであり、企業名に比していかにもせこいと思わざるを得ない。 そんなことで、今日も写真を撮る以外は講演している部屋に入ることもなく過ぎた。学会中日で順調な運びであったため、比較的早く引けることになった。今日は唯一兄の家で話すことが出来る日である。帰りは姫と、テクニカルチェアの先生と同行した。このテクニカルチェアの先生は時々受付の後ろで仕事をしているが、時として、話しかけるような独り言を言うのでそのたびに振り返るが、パソコン画面に向かって喋っているので、勿論反応がない。勿論カラオケには出ない3人は会議終了後一緒に東京に向け帰った。テクニカルチェアの先生は足を痛めたとかで引きずりながら歩いていたが、気遣うと「大丈夫、大丈夫」を連発していた。会議場から海浜幕張の駅までは、健脚ならさほどではないが、足が悪いと一緒に歩くのは辛かったのではないだろうか。先生は筑波の方から通ってこられていたようだが、交通の便が悪いからと、一旦東京に出るとのことだった。そんなことで、3人は東京行きの列車に乗ったが、私は自分がホテルに帰ると勘違いして、りんかい線が早いと思いこみ、2人と分かれて、新木場で降りて、りんかい線の乗り場に向かったが、何のことはなく、りんかい線は本数が少なくなっていて、40分以上の待ち時間が必要だということが分かった。仕方なく、元の京葉線に戻り、東京を経由して東海道本線に向かい辻堂へ向かった。東京に着いたら連絡せよと兄からメールが入っており、東京発の列車を予め兄にメールを入れておいたら辻堂駅まで迎えてくれた。後で、兄嫁に聞くと、いつも早くからお酒を飲むという兄も、私のために素面で待っていてくれて、車で迎えに来てくれたのだという。ありがたいことである。兄の家で、ゆっくりと話し込んだが、こんな事でもないと、なかなか東京方面に来ることはないので、姫の学会を手伝えることに感謝した。その夜は話が尽きなかったが、夜も更けたので、床につくことになった。
2012.10.03
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今日は国際家電学会の初日である。昨日の準備で、ほぼ先が見通せたが、それでも何が起こるかも分からないので、開始前に余裕を持って着くようにホテルを出た。ホテルでの朝食は時間の無駄だから、全て行きがけにコンビニのおにぎりを買うことにした。いつもより2つほど前倒しの電車を乗ったが、それでも人は一杯である。東京というところは、かくも人の多いところかと感心する。昔は私もこの喧噪の中を通勤していたのでなぁと思うと感慨もひとしおである。海浜幕張で降り、コンビニでおにぎりを買って、少し遅くなったが、8時前にはメッセの受付に到着した。暫くしてボランテャアの方々が到着した。昨日の女性を含む2人と新しい方3名(男性2人、女性1人)の都合5名が来られた。私は先に来ている関係で、その方達に仕事の説明をすることになっていた。男性の中には80代の人も居られて、なかなかフットワークが軽いというわけには行かない。それでも、歳を取ってからでも、社会と繋がっておこうとする前向きな気持ちはなかなかたいしたものである。8:35、最初に受付に現れたのは外国の人で、まだ暇なこともあり、なにやら親しげに話を交わした。アメリカ生まれで、アメリカ人ではあるようだが、大の日本びいきだそうで、骨は日本に埋めるのだとか言っていた。そして三々五々ほとんどとぎれることもなく、来訪者が相次いだ。一目で外国人だと分かる人はまだやりやすいのだが、台湾人や韓国人などで、日本人かと見まがう人などは、少し戸惑うときがある。中でも一番困るのは、日本人なのに、外国人と見まがう人であった。こちらは英語で話しかけると、向こうも英語で答えるので、さらに英語で続けると、どうもイントネーションがおかしい。「日本の方ですか?」と聞くと、「そうです」と応える。日本人なら日本語で言ってくれよなと思いながら、名前を探すのである。また、苗字(ファミリーネーム)がファーストネームのような人がいて、リストではファミリーネーム順となっているため、何度も「ファミリーネーム、プリーズ」と聞くと、最後に「それがファミリーネームです」と日本語で応えられたときには唖然とした。韓国人などは同じリーさんが5人もいたり、同姓同名の日本人が居たりとか、結構受け付け作業も気をつけなければいけないことが人知れずある。まあ、それでも何となく流れが出来て、多くの人を捌くことが出来た。横柄な人はほとんど見かけなかったが、中には、蚊の鳴くような小声で名前を名乗る人も居て、人それぞれであり、個性的である。受付をしていると、来訪する人の態度や言動で、ある程度の人となりは分かるものである。あらかじめ登録していた人は事前に十分な対応が取れるようにしてあるが、初めて受付に来られて、登録する人は、現金での支払いか、カードでの支払いかによって、手間が変わってくることや、カード決済も、スキマーなどの機械がないために、いちいち姫が対応して、登録業務などをしなければいけないことになっていたのは、時間的にも大きなロスであった。受講者や発表者用に用意されていた昼食が眼前にあったが、それを頂く暇もなく、来訪者は忘れた頃にとつとつと現れてくる。現金で支払う人も、非会員であれば、73000円と結構な値段がする。学生会員や、学会員などによって会費も変わるわけで、来訪者が、どのカテゴリーであるかなどについて、来訪者に確認しなければいけないような方式だったので、その点の誤りも発生した。多くは、払いすぎていて、リファンドするものだったので、まだ良かったが、之が、少なく徴収して、実は不足していたケースなどでは、ちょっと問題となるであろうが、そう言ったケースはなかったので、先ず、順調に推移した。折から展示会場ではCEATEC JAPANが並行して行われていて、時々受け付けテーブルを間違って来訪する人も居た。また、ロビーでは同時にポスターセッションが行われていて、興味深いポスターの周りには人だかりがして、内容を説明している担当者もいた。残念ながら、4つの各部屋で行われていた講演者の話を落ち着いて聞くことは叶わず、今最先端を行くITについてのそれらの情報が得られなかったのは少し残念であった。今日も1日中受付に釘付けになっていたが、ずれ込んだ講演も終わり、後片付けも早々に、久しぶりに会う造船時代の先輩2人と待ち合わせの場所に向かった。先輩は気を利かせてくれて、海浜幕張の駅前に食事場所を設けてくれていた。お元気そうな2人に会えて、話は尽きることはなかったが、食も細くなり、酒も深酒の出来る身ではなく、昔のような破天荒なこともなく、賑やかに談笑して、お開きになった。おそらくは、再び東京に来る機会はないかも知れない、そんな意味では、懐かしさ以上に、別れの寂しさはあったが、それぞれの人生の残りを有意義に過ごす事を思うだけである。若き日を共に汗を垂らし、そして指導していただいた先輩に感謝しつつ海浜幕張の反対側のホームから、わざわざ私に会いに来てくれた御2人の姿が千葉方面に向かう電車の中に消えていくのを眺めていた。私はホテルにへの帰途である東京行きのホームで、何とも充実した時間を思い出して、余韻にふけっていたが、東京行きの各駅停車は程なく到着して、そのまま電車に乗った。
2012.10.02
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さぁ、いよいよ今日から姫がコンファランス・チェアを務める国際家電学会の手伝いが始まる。朝は相変わらず目覚めは早い。ホテルのフロント横の喫茶でモーニングを採り、出発した。来る前までは東京回りを考えていたが、大井町から、りんかい線が便利だと言うことに気づいた。調べると、運賃は30円高いが、時間は7分ほど短縮されるようだ。東京駅で京浜東北線降り場から京葉線まで歩く距離を考えると、是非もなくりんかい線が有利である。地下を走るりんかい線に乗り、東雲辺りで地上に顔を出す。暫く地上を走ると終点新木場である。そこで、京葉線に乗り換えて、海浜幕張まで走る。途中進行方向左、真北に東京スカイツリーが臨める。少し首をひねると今日は晴れているため遠く富士山までも見えるようだ。この京葉線は、日本工営に出向中に川崎までの通勤でよく乗ったものだ。舞浜のディズニーランドに出かける人もこの時間はさほど多くないようだ。千葉県に入っても結構長い時間走る。程なく海浜幕張に着く。国際会議の案内パンフレットには、Tokyo(東京)と書かれているが、れっきとした千葉である。表現に問題有りだが、ChibaはなにやらChinaと見まがうとかの屁理屈で、Tokyoとしたようである。海浜幕張からは、何となくメッセの方に歩くが、国際会議場がどこなのか詳しいことまでは知らない。そう言えば、駅前のワールドビジネスガーデンは私が千葉で建築鉄鋼を手がけていたときに鉄骨を納めたことがあったことを思い出した。当時、バブルがはじけて、ここもキックアウトされてしまったのだなぁと感慨深かった。ビジネスマン達は、こぞってワールドビジネスガーデンに吸い込まれていく。私は、外の道をメッセの方に向かったが、この建物の中を通り抜けていく方が近道だと言うことを後から知ったわけである。取り敢えず、国際会議場の指定の部屋に着きジェネラルチェアの教授に挨拶をした。それから受け付け周りについて明日からの準備に入ったが、書類や会議の日程を書いた小冊子などを布製のバッグに入れる仕事が待っていた。午前中は湘南工科大の卒業生が1人手伝っていたが、その作業に結構な時間を取られてしまった。何しろ、登録者数は250人ほどだが、現場に直接来る人など数が読めないこともあって、取り敢えず適当数をセットにして準備をした。途切れ途切れに明日からの受付作業と、現金管理のことなどを聞きながらの作業である。シルバーボランティアの人を頼んでいると言うが、どんな人が来るのか、年齢別のことしか書いていない。中には80代の人もいるとかである。企業時代何らかの事で英語を使っていた人が来るようである。昼食を採りに外に出たが、結局は朝横目で見たワールドビジネスガーデンの中にあるコンビニで、おにぎりとお茶を買って帰り受付の場所で、食事をすることになった。午後からは、ボランティアの中の3人が現れたが、NPOの理事、私より1才年上の男性、そして50代の女性であった。この50代の女性がくせ者で、何に付けても質問をするのだが、それが、どうでも良いことばかりで、辟易とした。成田空港で、医療関係の仕事でボランティアをされていたその女性は、とにかくくどいし、説明を聞く度に質問で時間を取るので、他の人の迷惑になる感じである。最後には、「幕張」の語源についてのうんちくを披瀝していたが、忙しく立ち働いている最中であったから、正直いらつく以外の何物でもなかった。しかし、帰って調べてみるとなるほどそうだったのかと言うことで、以下に調べた内容を書いておく。【「幕張」の由来について幕張は、古くは千葉郡大須賀荘須賀原とか、大須賀荘幕張本郷とか呼ばれ、室町期以後は馬加(まくわり)郷と称したそうだが、大正末期から幕張と改称された。 また、伝説として源頼朝がこの地を通る際、陣幕を張って休息したところからとも言われ、さらに馬加(まくわり)の地名は、その時に不足した馬を加えたところからとも伝えられている。】しかし諸説あるようだ。海外の人に対して、観光案内をするならば、そんなことも必要だろうが、まぁ、ちょっと場違いな感じの女性であった。何だかだと作業もあったが、一段落したのが、夕方頃である。そしてボランティアの方々にお引き取りを願ったあと、今度は各人の領収書と、名札の準備をし、さらにはそれをクリアファイルに収め、その中に、辺りの地図やディズニーの割引券などを入れた1セットずつを人数分だけ作成しなければならないことになった。之が力仕事で、早くにボランティアの人達を帰したのを悔いながら、結構遅くまで、作業しなければならなかった。やっとホテルに帰った時には汗を一杯かいて部屋に新設されたシャワーだけで、共同の温泉などに行く気にもならない位疲れ果てていた。会議開催前夜の終了である。
2012.10.01
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