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経団連、早くも「次」の規制緩和に期待 働き方改革「(戦後の労働基準法制定以来)70年ぶりの大改革だ。長時間労働を是正し、非正規という言葉を一掃していく法制度が制定された」。働き方改革関連法の成立を受け、安倍首相は29日、記者団に胸を張った。「最重要」の法成立に、首相周辺は「何とか乗り切った。一段落だ」と息をついた。株高や雇用改善を政権の支えとする首相にとって、働き方を多様にするとした今回の改革は、人手不足や非効率を解消して経済成長を図るアベノミクスの一環でもあった。「成長戦略に必要。是が非でも成立させないといけない」(官邸幹部)と「働き方改革国会」と銘打ってまで政権の最優先課題にすえた。中でも高プロの導入は、第1次政権の2007年に「ホワイトカラー・エグゼンプション」として打ち出して以来のこだわりのある規制緩和だった。そのため裁量労働制の拡大は、労働時間データの異常値問題で国会が紛糾すると早々に撤回を決断。政府関係者は「首相は『法案は何がなんでも通す』と言っていた。こだわるメニューを通すために早々と切り離した」と打ち明けた。法成立を受け、早くも次の規制緩和を目指す動きも出ている。経団連の中西宏明会長は法成立を歓迎する29日のコメントで「残念ながら今回外れた裁量労働制拡大は早期の法案再提出を期待する」と早速、注文をつけた。---かつて大日本帝国は、全滅を玉砕、撤退を転進と言い換えて敗勢を糊塗しましたが、その血を受け継ぐ安倍政権も、戦争を「積極的平和」とか、公約の破棄を「新しい判断」などと言葉を言い換えてきました。どう見ても働き方改悪としか見えない法案を改革だ、というのもそうです。それにしても、「長時間労働を是正し、非正規という言葉を一掃していく法制度」というのは、さすがに唖然とします。どこが???働く人の残業手当をなくしてしまうことの、どこが「長時間労働を是正」になるのか、どこが、非正規という言葉が一掃できるのか、まったく理解不能です。というか、どうせ安倍のことです。また新しい言葉や定義を捏造するんじゃないですかね。例えば、100時間未満の残業は「長時間労働」とは呼びません、とか、非正規雇用を別の言葉に言い換えて、非正規という「言葉」を一掃しました、とか(笑)「働き方改革」と言いながら、「働くほう」ではなく、「働かせるほう」の代表である経団連が推進している時点で、それは「働き方改革」ではなく「働かせ方改革」(使用者側にとっての改革、働く側にとっての改悪)なのです。とはいえ、現時点ではまだ、ただちに高度プロフェッショナル制度が多くの労働者に猛威をふるう、という状況にはなりません。年収1075万円以上の見込みの人だけが対象だからです。もちろん、この金額は法律に記載されているのではなく省令に記載されているだけなので、法案が成立してしまった今、法律を改正しなくても(つまり国会審議によらず)省令によってこの金額はどんどん引き下げられていくことは確実です。ただ、政府も民意を完全に無視はできないでしょうから、多くの国民がこの制度に批判的で、対象年収に目を光らせていれば、それなりの歯止めにはなるでしょう。みんなが無関心であれば、歯止めは何もない、ほとぼりが醒めれば、数年後には対象年収の引き下げが始まってしまうでしょう。残念ながら後者の道を歩んでしまうだろうという、既視感めいたものはありますが、まだ確定した未来ではないので、これについては今後の動きを注視していこうと思います。
2018.06.30
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王者ドイツが史上初のグループリーグ敗退 韓国に敗れて無念の最下位で大会終了激戦となっているロシア・ワールド・カップ(W杯)のグループFで前回王者ドイツが同国史上初の1次リーグ敗退という大波乱が起きた。27日に行われた第3戦でドイツは韓国を相手に0-2で敗戦した。もう一方のカードでスウェーデンがメキシコを3-0で下したことにより、スウェーデンが逆転で首位、メキシコが2位通過となった。(以下略)---ラテンアメリカ狂の私ですから、サッカーも好きです。もっとも、普段はそれほどサッカーを見ているわけではない「にわか」ですが。昨晩は、メキシコ対スウェーデンの試合を見ていました。もちろん応援するのはメキシコに決まってます。ドイツと韓国に勝ち、勝ち点6で優位に立つメキシコですが、昨日は苦しい試合でした。前半は0-0でしたが、勝てる気がしなかった。案の定後半に入り、1点取られましたが、1点なら、負けても多分得失点差で行けるだろうと思っていたら、何とPKで2点目を取られちゃった。そうこうしているうちに3点取られた時点で、私はもう観戦意欲喪失、ああ、メキシコ決勝トーナメント進出ならず、か、と思って、テレビを消して寝てしまいました。だって、誰がどう考えたって、韓国がドイツに勝つとは思えないじゃないですか。勝ち点ではメキシコ、スウェーデン、ドイツが並ぶものの、3点も取られては、得失点差で負けます。そうしたら、朝起きて、新聞開いたら、見出しに「ドイツ敗退」とある。いやー、びっくりした。ドイツ敗退=メキシコ決勝トーナメント進出、ですから。一度死んだメキシコが生き返った!!!と、いうわけで、朝から私は気分が良い。韓国様々、韓国に足を向けて寝られません。とは言え、まさかドイツがグループリーグ敗退とは、予想もつかない事態でした。これで3大会続けて、前回優勝国がグループリーグで敗退しているのですね。1回飛ばして、その前の日韓大会の時も、前回優勝のフランスがグループリーグ敗退しているので、最近5大会中4大会で、前回優勝国がグループリーグ敗退している、ということになります。ただ、何となく、ラテンアメリカやラテン系諸国はムラっ気による好不調の波があっても、ドイツはそういうものがなさそうな、いつも鉄壁そうな印象でしたが、それは思い込みだけで、実際はそんなことはなかった、ということです。じゃあ、優勝しなければ良いのか、というと、優勝すれば次回大会は無条件で出場資格がありますが、準優勝やベスト4では、次の大会は予選敗退で本戦に出られなかった、というのはよくあります。今回私が応援するもう一つの国であるアルゼンチンも、一時は決勝トーナメント進出ほぼ絶望の状態に追い込まれました。そもそもそれ以前に、南米予選でフラフラで、予選落ちの危険もあったのですが。こちらは奇跡の大逆転で決勝トーナメントに進みましたが、強豪と言われる国と下位の国々の実力差は、次第に接近してきているのかもしれません。さほど多くの試合を見たわけではありませんが、その中でも印象に残っているのはブラジル対コスタリカの試合。結果は順当にブラジルの勝利でしたが、試合経過は伯仲していたように思います。すごい!と思う場面の連続で(というか、コスタリカのGKが圧倒的にすごかった)、引き込まれました。ブラジルは言うまでもなく、コスタリカだって日本代表が戦ったら、負けるんじゃないでしょうか。その日本は、今晩ポーランドとの試合です。過去の実績から言えば、ポーランドはベスト4が2回ありますから、日本よりサッカーはずっと強い。近年は目立った戦績はないようですが、グループリーグ敗退が決まっているとはいえ、3連敗したいと思っているチームなどあるわけがないのです。昨日の韓国、その前日のペルー、いきなり2敗でグループリーグ敗退がすでに決まっているチームが、最後の試合で気を吐いて勝つ展開が続いていることも、気になります。さて、どうなるでしょうね。
2018.06.28
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Hagexさん刺殺、犯行声明か 「低能先生と呼ばれ」福岡市中央区であったIT関係セミナーの男性講師が刺殺された事件で、福岡県警は25日、同市の無職容疑者(42)を殺人と銃刀法違反の疑いで逮捕し、発表した。容疑者は「インターネット上(のやりとり)で恨んでいた」と供述。ナイフで首や胸などを繰り返し刺していることから、県警は強い殺意があったとみて調べている。県警によると、殺害されたのは、東京在住のインターネットセキュリティー関連会社の社員(41)。容疑者は24日午後8時ごろ、起業家支援施設で、被害者の首や胸など複数箇所をナイフで刺して殺した疑いがある。調べに「死なせてやろうと思った」などと供述。2人に直接の面識はないとみられる一方、被害者が「Hagex」の名前で書いているブログに、「(容疑者とみられる人物が)ネット上で誹謗中傷を繰り返している」と書き込んでいたことから、県警は、ネット上のトラブルが原因とみて調べている。被害者はIT関係セミナーで講師を務めた。セミナー終了直後に施設内で待ち伏せていた容疑者が、トイレに入った被害者を襲ったとみられる。県警は25日、容疑者が逃走に使ったとみられる自転車を、福岡市東区の川付近から押収した。容疑者は事件の約3時間後、同区内の交番に出頭した。「人を刺した」などと話し、持っていたバッグの中から、血のついたナイフが見つかった。---何というか、言うべき言葉もない、という感じです。犯人は、はてなブログでの荒らし行為を繰り返してはアカウントを凍結される、そうするとまた捨てアカウントを作って荒らし行為を行う、また凍結される、を繰り返していた人物だそうです。相手に対して「低能」という罵倒を連呼するものだから、「低能先生」と呼ばれていたそうです。最近は、通報すると1時間かそこらでアカウントが凍結されていたというので、はてなブログの運営側にもマークされていたのでしょう。この犯人が作った(とされる)捨てIDのリストがありますが、それを見ると昨年7月から12月までの半年で72個、今年1月から5月末までの5ヶ月で、なんと122個の捨てIDを作って荒らしを繰り返していた、というのですから、どう考えても異常です。いや、異常を通り越して狂気です。その挙句に、荒らし行為を批判したブロガーを刺殺、とは、コメントする気力も萎えるくらい、どうにもなりません。その素性が42歳無職・・・・・・、なんというか、あまりに「予想どおり」過ぎる。それにしても不幸だったのは、たまたまこの犯人が福岡在住で、その福岡で被害者がセミナーを開いてしまった(開くことを一般に告知してしまった)ことです。これが東京や関西だったら、犯人がわざわざ福岡からそこまで出向いて凶行に及んだでしょうか?もちろん、「低能先生」の素性も、どこに住んでいるかも、事件前には分からなかったのだから、そんなことを言っても避けようがないのですが、不幸な偶然だったことは確かです。そして、社会の中に、こういう種類の異常中異常とでも言うべき人間は、わずかとは言え一定数必ず存在する、という事実は動かしがたいものがあります。わたしのブログは、殺された方に比べればアクセス数も何も圧倒的に少ない、無名のブログに過ぎませんけど、政治的主義主張を全面的に出して、ネトウヨ、産経、安倍とその取り巻きをこき下ろしているので、政治的に対立する連中に集中攻撃を受ける可能性は、世の中の大多数のブログよりは高いだろうと思います。実際、初期の頃は粘着質なネトウヨ系に絡まれたこともありました。もっとも、最近はほとんどありません。ネトウヨが使いそうな罵倒用語は、思いつく限りみんな禁止ワードに設定していることも、荒らしが少なくなった理由でしょう。が、粘着質な連中は、禁止ワードを回避して罵倒するくらいこのとはやるでしょう。だから、今の時点では、そういう種類の人間の主要な標的にはなっていないのだろう、と判断しています。もし、今後そういう粘着質な異常人間に目をつけられたら・・・・・・、まあ、やっぱりこれまでと対応は変えようがないですけどね。もっとも、私の場合、ネット上だけじゃなくて、仕事の上でも、こういうタイプのお人柄(おそらく、精神科を受診すれば、境界性パーソナリティ障害とか、何らかの診断名が付く可能性は高そうです)の人たちとやり取りすることがあるので、そっちでも(いや、そっちこそ)気をつけないといけないな、と思ってしまいます。なんにしても、嫌な事件です。
2018.06.26
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沖縄の米軍、朝鮮半島のためだけではない 在韓米軍撤退すれば在日米軍拡充も朝鮮半島が緊張緩和すれば、辺野古移設は必要なくなる-。沖縄県の翁長知事は沖縄全戦没者追悼式で、米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設に反対する理由として「東アジアをめぐる安全保障環境の変化」を挙げた。だが、沖縄に駐留する米海兵隊は朝鮮半島有事のためだけに存在するのではない。朝鮮半島情勢の変化に基づく在沖米軍の縮小論は十分な根拠に裏付けられているとはいえない。翁長氏はこれまで、辺野古移設が「沖縄の基地負担軽減に逆行している」と訴えてきた。しかし、住宅密集地に位置する普天間飛行場が移設できれば、周辺住民の負担軽減につながる面は否定できない。そこで、辺野古移設に反対する新たな理由として加えたのが朝鮮半島情勢の変化だ。米政府は12日の米朝首脳会談を受け米韓合同軍事演習の一部を中止しており、これにからめた議論は耳目を集めやすい。しかし、朝鮮半島の緊張緩和が即座に在日米軍の削減にはつながらない。防衛省幹部は「在日米軍の駐留根拠は朝鮮半島だけではない」と語る。在沖米海兵隊は、日本の防衛支援や台湾、南シナ海有事への対応など広範な任務も有する。韓国に駐留する米軍も、朝鮮半島有事への対応だけが任務ではない。昨年6月の米韓首脳会談で署名した共同声明には「米韓はアジア太平洋地域でルールに基づく秩序を維持するため協働する」と明記している。仮に在韓米軍が撤退しても、どこかで穴埋めをしなければならない。日米外交筋は「在沖米海兵隊の重要性が高まりこそすれ、必要なくなるということはあり得ない」と断言する。元陸上自衛隊東部方面総監は「在韓米軍が撤退するなら在日米軍を増やさなければならない」と指摘する。翁長氏の発言は「結論ありき。辺野古移設が嫌だから朝鮮半島の緊張緩和が米軍縮小につながると思い込んでしまう」と述べた上で、こう続けた。「安全保障で一番危険なのはウィッシュフル・シンキング(希望的観測)だ」---例によって産経の記事です。そもそも普天間基地の移設問題は、元々日本の中でも圧倒的に米軍基地が集中している沖縄で、基地を撤去するのに何故同じ沖縄県内に移設するのか、ということに尽きます。いくらもっともらしい理由を並べたところで、それは沖縄の人たちの賛同を得られることではありません。加えて、普天間基地にいるのは海兵隊ですが、米軍の中でも海兵隊は特に評判がよくありません。米空軍の嘉手納基地は、普天間よりもずっと規模が大きいにもかかわらず、反対運動は普天間ほどには激しくない(反対運動はありますが、普天間ほど大規模ではないし、翁長知事も嘉手納の返還要求は掲げていない)のは、空軍より海兵隊のほうが嫌われているから、ということも大きな理由の一つでしょう。さらに言えば、嘉手納基地に展開する米空軍は、それだけでたいていの国の全空軍力を上回るくらい、圧倒的に強力ですが、普天間の海兵隊は、それだけではほとんど戦力になりません。米軍にとって重要なのは嘉手納であって普天間ではないのです。それにしても、安全保障で一番危険なのは希望的観測だ、という言葉は、悪いけど笑ってしまいました。だって・・・・・・「朝鮮半島の緊張緩和が即座に在日米軍の削減にはつながらない。」「仮に在韓米軍が撤退しても、どこかで穴埋めをしなければならない。」「在沖米海兵隊の重要性が高まりこそすれ、必要なくなるということはあり得ない」「在韓米軍が撤退するなら在日米軍を増やさなければならない」というのはすべて、日本側(の親米派)の言い分、あるいはそれと軌を一にした在日米軍の組織的な言い分に過ぎません。トランプ政権の言い分ではありません。そういう言い方をするなら「独裁政権の支配する北朝鮮との妥協はあり得ない」「核合意が成立しても米韓軍事演習を中止なんてあり得ない」だったはずです。しかし、それをトランプ政権はあっさりとやってしまった。トランプはきわめて問題の大きい政治家であり、わたしは好意的に評価することは出来ません(日本でトランプにもっとも好意的だったのは、他ならぬ産経をはじめとする保守・極右派連中)。ただ、トランプのような政治家が支持を集めたのは、米国がもはや世界の中で圧倒的な超大国ではない、世界の支配者然として振舞うことなど、もう出来ないという現実の反映です。トランプの考えは、米国の利害に絡む部分では実利を得たいけれど、それ以外はどうでもよい-極論すればそういうことでしょう。ならば、米国を射程におさめるかもしれない核ミサイルさえ何とかすれば、それ以上米国が朝鮮半島をめぐる問題に関わる必要はない、ということになります。また、中国とも経済面では戦う気満々のようですが、軍事的に戦う気などさらさらなさそうです。経済面でも、トランプの目から見れば中国も日本も同じようなものでしかありません。それなのに、「在韓米軍が撤退しても、どこかで穴埋めをしなければならない。」なんて、トランプがそんなふうに考えるわけがないでしょう。要するに、産経自身がもっとも希望的観測に陥っている、ということです。いや、産経だけじゃないでしょうね。防衛省も外務省も、「日米安保体制の維持がすべてに優先する」という固定観念に囚われて、思考停止に陥っているとしか思えません。
2018.06.25
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「アンデスの家ボリビア」の店主である福岡稔さんが亡くなられた、との連絡がありました。福岡さんは、日本で最初(おそらく)のアンデス音楽グループ「ロス・コージャス」を1973年に結成(当初は「コンフント・フォルクロリコ」という名前だったそうです)、また並行してケーナをはじめとするアンデス・フォルクローレの楽器の輸入販売を手がけておられました。わたしが初めて買ったケーナは、東武百貨店の楽器売り場で買った、アルゼンチンのアルノルド・ピントス製作のケーナでしたが、これを人前での演奏に使ったことはなく、人前での演奏に使った最初のケーナ、それにサンポーニャ、チャランゴ、ボンボ、要するにギター以外の楽器はすべて、福岡さんのお店で購入しました。1991年から92年ころのことです。福岡さんのお店で購入した楽器です。チャランゴ。ボリビアのレネ・ガンボア工房製です。チャランゴは弦が10本もあって張力が高いうえに、一般的にボリビアの高地と比べて日本の夏は高温多湿であること、ボリビアの楽器の接着技術に難がある場合が多いことなどが原因で、ブリッジが剥がれる事故がよくあります。わたしが過去所有していたチャランゴ系の楽器は全部で4台ですが、そのうち3台はブリッジが剥がれました。唯一、このチャランゴだけが、25年以上無事故です。サンカ(中低音域のサンポーニャ)、トヨ(最低音域のサンポーニャ)、ケーナ、ケナーチョです。実はマルタ(一番使用頻度の高い中高音域のサンポーニャ)も福岡さんのお店で購入しましたが、新しい楽器を買った後、バラバラにして予備管にしてしまったので、現存しません。サンカも、この後2組新しい楽器を購入したため、この楽器は、今は時々練習で吹くだけです。しかし、トヨは未だ、この一組しかもっていません。もっとも、滅多に外で使うことはありませんが。ケーナとケナーチョ。いずれも、ボリビアのアハユという製作者の作です。この楽器(小さいほうのケーナ)で、わたしはアルゼンチン式の調律・運指からボリビア式の調律・運指へ乗り換えました。アハユ-ボリビア91とあります。ただ、わたしが購入したのは92年だったように記憶しています。ケーナは2008年に新しいものに乗り換えましたが、ケナーチョは2015年まで使っていました。ケーナは15年、ケナーチョは23年使ったわけです。ケーナは、長く湿気を吸い続けて、内側がグズグズになってしまいました。そして、ボンボ、毛の生えたままの生皮を張った大太鼓です。これは、福岡さんご自身の製作です。80年代頃まで、動物の生皮の日本への輸入は検疫の問題で難しかったようです。唯一認められていたのは、来日公演を行う音楽家が「自らの演奏のために」持ち込むことだけ。そのため、ラテン系音楽の来日公演を手がけている「ラティーナ」(当時「中南米音楽」)誌(楽器・レコード販売も行っていた)が、フォルクローレグループの来日公演を企画する際、余分に何台かのボンボを持ち込んで、それを販売していたのですが、来日公演が頻繁にできるわけはなく、演奏用というタテマエである以上、一度に10台も20台も持ち込めるわけもないので、ごくわずかな数の販売しかできなかったようです。そこで、福岡さんは自分でボンボの製作を始めたわけです。というわけで、わずかな「ラティーナ」ルートを除くと、福岡さん製作のこのタイプしか、当時の日本でボンボを入手する術がありませんでした。だから、一時期は日本のフォルクローレグループが使っていたボンボの大半は、福岡さん製作だったのではないでしょうか。学生のサークルはほとんどこのボンボを使っていたはずです。しかし、いつ頃からか検疫の規制が緩和され、90年代には日本でも普通にボンボが輸入できるようになっていたようです。一方福岡さんは健康上体力上の問題から(ボンボの胴体の製作は大変な力仕事だし、福岡さんはかなり以前から健康状態はあまりよくなかったと聞いています)、ボンボの製作ができなくなってしまいました。おそらく、ですが、このボンボは福岡さんが製作した中でもかなり最後の頃のものだったのではないかと思います。1990年代後半には、福岡さんのお店でもご自身で製作したものではなく、ボリビアから輸入したボンボを扱うようになりました。ロンロコ(低音用の大型チャランゴ)。これは福岡さんのところで購入したわけではありません。1994年にラパスのクラルケン・オロスコ(グルーポ・アイマラのチャランゴ奏者としても著名)の工房で買ったものですが、日本に持ち帰ったとたんにブリッジが剥がれました。オロスコが気を利かせたつもりで、ブリッジが剥がれないようにとねじ止めしたのですが、まったく意味なし、効果なし。前述の、私が持っていたチャランゴ系の楽器4台のうち3台はブリッジが剥がれた、という中の1台です。で、福岡さんに修理していただいたのです。ブリッジにはねじ穴を埋めた跡があります。それ以来20年以上経ちますが、以降ブリッジがはがれたことはありません。福岡さんは以前より入退院を繰り返しておられ、最近はお店の営業も不定期だったようです。最後に直接お会いしたのは2014年11月のミスティの結成25周年コンサートのときでしたが、そのときにはすでに在宅酸素のボンベを手に引いて、鼻からチューブを入れておられました。その後、昨年春に「ロス・コージャスの軌跡」というCDを製作されて、わたしのところにも送っていただきました。おや、元気を回復されたのだな、と思っていたのですが・・・・・・。↓チャランゴを弾いているのが福岡さんですもちろん、すぐにお礼状を出しましたが、それが福岡さんとの最後のやり取りとなってしまいました。75歳だったそうです。ご冥福をお祈りします。余談ですが、ロス・コージャスが日本で最初のアンデス・フォルクローレのグループとすれば、そのケーナ奏者である東出五国さんは日本で最初のケーナ奏者ということになります。実は、わたしの中学の先輩です。(と言っても、初めてお会いしたのも、中学の先輩と知ったのも、後年のことですが)ケーナに魅せられ41年(2012年時点で)、つまり今は47年。あと3年で50年ですね!!と言いつつ、私も初めてケーナを手にしてから32年、だんだん人のことは言えなくなってきました(笑)ただ、わたしはひとりで吹いていただけの期間が長いので、人前で演奏するようになってからは、まだ26年くらいですけど。
2018.06.23
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肺がん患者にヤジ 自民・穴見議員が謝罪自民党の穴見陽一衆議院議員が、国会に参考人として招かれた肺がん患者の男性に対し、「いい加減にしろ」とヤジが飛ばしていたことを認め、謝罪した。穴見議員は先週、受動喫煙対策を強化する法案の審議中に、参考人の肺がん患者の男性が「屋外でもなるべく吸ってほしくない」などと意見を述べた際、「いい加減にしろよ」とヤジを飛ばした。21日になり穴見議員は謝罪した上で、「喫煙者を必要以上に差別すべきではないという思いでつぶやいた」などと釈明するコメントを出した。法案を審議していた衆議院厚生労働委員会の高鳥委員長は穴見議員を口頭で厳重注意したが、野党側は、「議員にあるまじき発言だ」として男性に直接謝罪するよう求めている。---まったく、穴見議員に対してこそ、「いい加減にしろ」という言葉がふさわしいでしょう。要するに、この人は喫煙者なのです。この人に限らず政治家には多いそうですが。自分たちが自由にタバコを吸いたい、という欲望を満たす妨げになる参考人の発言が許せない、ということなのでしょう。わたしが思うに、きっとこういう人が、将来肺がんになり、在宅酸素になり、それでもタバコをやめないんだよ。挙句の秦に酸素吸入中にタバコを吸って、炎上して死んだりするんですよ。しかも、驚くべきことに、この穴見議員はがん研究振興財団の理事だ、というのです。ステージ4の肺がんといえばガン末期なわけですが、その発言に対してガン研究財団の理事がこのような発言をするとは、ここまで来ると、もはや何かのギャグか?という気分になってきます。もっとも、こういう言語道断の発言を口に出してする議員はわずかでも、腹の中では似たようなことを考えている議員は自民党に大勢いるんじゃないでしょうか。だから、受動喫煙対策法案の改正案が、厚労省の当初案から大幅に骨抜きにされたのでしょう。受動喫煙対策 初の罰則付き法案 自民部会が改正案了承自民党厚生労働部会は22日、受動喫煙対策を強化する健康増進法の新たな改正案を大筋で了承した。昨年の厚生労働省案より規制は大幅に後退したが、喫煙者や施設管理者などに対し、罰則付きで受動喫煙防止を義務づけた。法律で罰則を設けるのは初めて。政府は3月上旬に閣議決定し今国会に提出する。---こうやって受動喫煙対策法の骨抜きを図る一味の一人が穴見議員だった、ということなのでしょう。考えてみると、わたしも受動喫煙の被害はそれなりにこうむって来ました。わたしは生まれてこの方、ただの1本たりともタバコを吸ったことはありません。今後も、笛を吹いている限り、絶対にタバコは吸わないでしょう。それにもかかわらず、20年くらい前まではずいぶんタバコの煙を吸って(吸わされて)きました。まさしく受動喫煙です。20年くらい前に職場が禁煙となって、非常に助かったというのが偽らざる感想です。それでも、いまだに飲食店(主に居酒屋)ではタバコの煙に巻かれることはあります。まあ、飲んでいるその場はあまり気にも留めないのですが、翌日、自分の着ていた服の臭いをかぐと、なんともめまいがしそうな気分になることがあります。まあ、わたしの周囲にも喫煙者はいるので、あまりタバコを悪し様に言うのは気が引ける部分もあるのですが、それでも、やっばりタバコの煙を吸わされるのは勘弁して欲しいと思います。それに対して「いい加減にしろ」などと言う国会議員の存在は、信じ難いとしか言いようがありません。
2018.06.22
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加計理事長、会見は“区切り”狙い?背景は加計学園の問題をめぐる渦中の人物が、問題発覚後、1年以上たった19日、初めて記者会見に応じた。加計学園の加計孝太郎理事長は獣医学部新設をめぐる安倍首相の関与を完全に否定した。処分を発表するという名目だったが、とにかく会見を開いてこの問題に区切りをつけたいという思惑があったとみられる。その狙いは、会期末を控えた政府・与党も同じだったようで、早速、自民党からは「これで、けじめがついた」と評価する声も出ている。一方、批判する声も与野党から上がっている。立憲民主党・辻元国対委員長「会期末に見計らったように、こそこそっと記者会見をされる。非常に姑息な記者会見に見えました」自民党・村上誠一郎議員「事務局長が自分の独断で言ったと。あれは事実じゃないとおっしゃってもね。本当にそうなのかなぁ」また、学園側が実際になかった安倍首相との面会を引き合いに出して申請を進めたことについては、加計理事長は「申し訳ない。これから気をつけます」と述べるにとどめた。しかし、ある自民党議員は「ウソに基づく申請を許せば、国の信用が損なわれる」と批判している。野党は「国民は納得しない」として、改めて加計理事長の証人喚問を求めている。ただ、与党側は全く応じる気配はない。会期末も迫る中、追及する野党にも手詰まり感がただよっている。---昨日は、サッカーワールドカップを見ていましたが、ハーフタイム中に、報道ステーションでこの問題を取り上げていたので、見ているうちにムカムカしてきました。この加計理事長は安倍のお友達だそうですが、人間的にも安倍や麻生に似ているのでは、と思えました。つまり、他人に謝ったりすることのほとんどない人生をこれまで送ってきたのだろうな、ということです。見た目と印象だけですが、謝っている姿に、誠意のありそうな雰囲気をまるで感じないのです。特に、引用記事でも指摘されている学園側が実際になかった安倍首相との面会を引き合いに出して申請を進めたことについては、加計理事長は「申し訳ない。これから気をつけます」と述べるにとどめた。というやり取りの部分は、「なんなんだ、これは?」と思ってしまいました。その嘘が理由で給料の減額や自主返納という処分を決めた、そのことの発表というのがこの日の記者会見の名目だったはずですが、その核心部分について「これから気をつけます」とはねえ。もっとも、実際には安倍との面会が嘘だったとは、とても信じられませんけどね。昨日の会見の方が、よほど嘘だろう、ということはミエミエだったと私には思えます。しかも、引用記事にあるように、昨日は国会の会期末ということもありますが、加えて、大阪の地震の翌日、サッカーのワールドカップ日本対コロンビア戦の当日ということで、世間の注目をできるだけ逸らせる日を狙って会見を開いたことは明らかです。会見の通知は、地元岡山の記者クラブ加盟社だけに、開始2時間前に送っただけ、だそうです。会見を行うことをいつ決めたのか、という問いには、昨晩とか今朝とか一瞬答えが錯綜しましたが、結局「今朝」だそうです。いずれにせよ、大阪で地震が起きた後になって決めたわけです。ついでに、昨日の報道ステーションによれば、会見への入場は通知した地元の記者クラブ加盟社だけに限られ、それ以外の、東京などから駆けつけた記者は会見場への入場を拒まれたそうです。それを決めたのは、理事長だ、と岡山理大(加計学園)の担当者は明言していました。要するに、アリバイ作りのためだけの記者会見であり、しかも、そこで話した内容の根拠を問われると、「記憶と記録」だそうですが、その記録を公表したわけではなく、話の内容を裏付ける証拠はありません。これで、話を信じろと言われても、信じられる方がどうかしています。お友達である安倍にとって都合が良いように作った話をしているだけとしか思えず、まったく真実性が感じられません。あまりにふざけた内容の記者会見もどきだ、と言うしかないでしょう。
2018.06.20
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負傷250人超える=3人死亡、建物被害も―余震、交通混乱続く・大阪地震大阪府北部で最大震度6弱を観測した地震で、負傷者は大阪など2府3県で計250人を超えた。倒壊した外壁の下敷きになるなどし、登校中だった小学4年の女児ら3人が死亡。府などが詳細な被害の確認を急いでいる。新幹線は運転を再開したが、在来線の一部運休など交通の混乱は続いた。京都府で震度3を観測するなど、断続的に余震が発生し、気象庁は引き続き注意を呼び掛けた。瓦や外壁の落下、ブロック塀の倒壊など建物被害も相次いだ。大阪府内では公民館など約400カ所に避難所が開設され、約850人が自主避難した。停電は復旧したが、一部地域でガスと水道が使えない状態が続いている。---※この記事をアップした直後、死者が4人に増えたと報じられています。相棒が関西出身なので、相棒の親族は大阪にいますし、音楽関係の知り合いも何人もいます。地震の報に仰天して(発生の10分後には震度6弱、というニュースをネットで見ていたので)、相棒のお姉さんに連絡を取ったところ、親族関係はすぐに無事が確認できたので、ほっと一安心、というところでした。震源は大阪の北のほうですが、相棒の実家は天王寺のほう(大阪環状線の一番南端)で、その近辺は震度4くらいだったようです。それでも、猛烈に揺れたそうですが。ただ、音楽関係の知り合いで(以前にギターの修理をお願いしました)震源の近くに住んでいる方は、室内がそれはそれはとてつもない状態になってしまったそうです。怪我や預かった楽器の破損はなかったそうですが。そういえば、当ブログの常連(しばらくご無沙汰している気も)のおっちゃんは、大阪の北のほうじゃなかったかな、ご無事でしょうか。相棒は実家に電話してつながったそうですが、わたしは電話はつながらないかも、と思って自重しました。結果的に、facebookのメッセンジャーで義姉とすぐに連絡が付いたので、電話をかける必要がありませんでした。こういうときは、電話よりSNSのほうが連絡が取りやすいかも知れません。相棒はLINEをやっていないので、この機会にLINEやってもらおうかな、と思案中。その一方で若干気になるのは、こういう時に格安SIMはどうなんだろう、という点です。通信の混み合う場所、時間帯は、格安SIMは基本的に冷遇される傾向があります。そりゃ、大手キャリアの側から見れば、高い通信料を払ってくれる顧客を優遇したいでしょうからね。では、災害時は果たして?と、思って検索したところ、こんな解説がありました。格安SIMは災害時でも利用できる?基本的に、やはりMNO(大手キャリア)に比べて、MVNO(格安SIM)はウィークポイントが大きい傾向は否めないようです。大手キャリアから借りている設備(基地局やその間をつなぐ回線網)が破損すれば、貸し出し元の大手キャリアもろとも通信不可能になる一方、大手キャリアと自社の通信設備の接続回線、自社の設備が破損した場合は、貸し出し元の大手キャリアが通信できる状態でもMVNOだけ通信不能になりうるようです。災害に伴って通信量が激増する事態に対しては、対応策もあるけれど、物理的に基地局が倒壊したり、回線が破断したりすれば、どうあっても通信は不可能になる、当たり前と言えば当たり前ですが、そのあたりは留意する必要があります。さて、それはともかく、関西で震度6にも達する地震は、阪神淡路大震災以来でしょうか。もっとも、今回の地震はマグニチュードは6.1なので、東日本大震災は言うまでもなく、阪神淡路大震災に比べてもだいぶ小さいですが。ただ、怖いのは、これが本震か前震か、ということです。東日本大震災の2日前に起きた地震、熊本地震の2回の地震の1回目、に相当する地震ではないことを祈るばかりです。が、ここ数日間は、今回の地震並みかそれ以上の地震が起こる可能性も念頭に置いておいたほうがよさそうです。そして、残念なことに3人の方が亡くなられたと報じられています。特に小学生のお子さんの死は痛ましい限りです。よりによって学校の塀が倒れるとは・・・・・ちゃんと鉄筋は入っていなかったのでしょうか。そのあたりは今後詳細に検証されていくだろうと思いますが、亡くなった方のうちのもう一人も、民家の外壁が崩れてその下敷きになったそうです。大地震の際、壁際、塀際にいることは、結構リスクが高そうです。それにしても、地震予知って、できないものですね。勿論、気象庁が予知のための努力をしているのは、倒壊/東南海/南海地震のマグニチュード8超クラスだけなので、今回の地震はそもそも予知の対象外です。予知の対象としている地震だって、実際に予知できるかはまったく分からないくらいですから、この規模の地震が予知できるわけはないのですが、地面の下で起こることについて、我々人類が分かることは、ごくわずかに過ぎない、ということです。
2018.06.18
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「ダンス禁止」の張り紙再び 警察から指導「時代が戻ってしまったよう」東京・六本木の人気ショットバーが風営法の取り締まりで警察に呼び出しを受け、「ダンス禁止」の張り紙をするよう求められ、やむなく張り紙を掲示した。改正風営法が成立する2015年以前、全国各地でクラブ摘発の嵐が吹き荒れ、取り締まりを恐れる店側は「ダンス禁止」「NO DANCING」といった警告文を掲げていた。再び同じ光景が繰り返される事態に、経営者は「時代が戻ってしまったようだ」と嘆く。発端は今年2月15日。午前3時過ぎ、スーツ姿の警察官4人が店を訪れた。電話連絡を受けた担当者が駆けつけると、こう告げられた。「無許可でダンスをさせてはいけない」担当者が見る限り、数名が音楽に合わせて体を軽く揺らしているだけだったが、「あなたが来る前にはもっと踊っていたんですよ」と言われ、警察署への呼出状を手渡された。経営者は呼び出しに従い、麻布署に出頭。改めて経緯を問われ、「お客さんが勝手に体を動かしていただけ。積極的にダンスをさせたわけではない」と主張した。すると、警察官からこう言われた。「『ウチのお店はそういうこと(ダンス)をする店じゃないんですよ』ということで何か貼るとか、対策をとった方がいい」 2016年に改正風営法が施行され、深夜に酒を提供し、ナイトクラブその他設備を設けて客に遊興をさせる店は「特定遊興飲食店」として営業許可を取ることが義務付けられた。しかし、同店にはDJブースもダンスフロアやミラーボールもない。法律家も「『設備を設けて』という条文の要件に当てはまらない」と指摘している。今年に入ってから、「小箱」と呼ばれる小規模なクラブやミュージックバーへの取り締まりは強まっている。1月末、渋谷のクラブが全国で初めて風営法違反(特定遊興飲食の無許可営業)容疑で摘発され、経営者ら3人が逮捕。その後、原宿の有名DJバーに警察が立ち入り。観客が体を動かす様子を見とがめて、経営者を「踊っているね?」と問い詰めた。更に、渋谷や六本木など少なくとも10店舗に一斉立ち入りが行われた。(以下略)---改正前の風速営業法がダンスを規制していることは、以前に記事で取り上げたことがあります。時代錯誤のきわみその後、この時代錯誤の風営法は改正されて、ダンスに関しての規制は撤廃されました。めでたしめでたし、と言いたいところですが、そうではなかったのです。飲食を伴わないダンス教室、ダンスホールなどは完全に規制が撤廃されたものの(そんなものを2015年まで規制の対象としていたこと自体が充分に異常ですが)深夜まで営業される飲食店に関しては、「ダンス」という単語がなくなった変わりに「遊興」という言葉が登場しているのです。遊興とは具体的に何か。大阪府警のホームページに、実に分かりやすい説明が出ています。(この解釈運用基準は警察庁がだしているものだそうで、したがって大阪府警だろうが警視庁だろうが、基準は同じです)「遊興をさせる」とは営業者側の積極的な行為によって客に遊び興じさせることをいいます。1不特定の客にショー、ダンス、演芸その他の興行等を見せる行為2不特定の客に歌手がその場で歌う歌、バンドの生演奏等を聴かせる行為3客にダンスをさせる場所を設けるとともに、音楽や照明の演出等を行い、不特定の客にダンスをさせる行為4のど自慢大会等の遊戯、ゲーム、競技等に不特定の客を参加させる行為5カラオケ装置を設けるとともに、不特定の客に歌うことを勧奨し、不特定の客の歌に合わせて照明の演出、合いの手等を行い、又は不特定の客の歌を褒めはやす行為6バー等でスポーツ等の映像を不特定の客に見せるとともに、客に呼び掛けて応援等に参加させる行為7上記のほか、営業者側の積極的な働き掛けにより不特定の客に遊び興じさせる行為つまり、一見、ダンスが風営法の規制対象から外れたように見えて、実際には「遊興をさせる」の定義の中にダンスを見せる、客にダンスをさせる(生演奏を聞かせる、もですが)行為を含めることで、相変わらず規制対象となっているのです。しかも、法は特定遊興飲食店の定義に「設備を設けて」という条件を設けているのに、実際には、この規定は無視されて、設備がなくても規制の対象にされているようです。深夜営業は騒音問題が生じがちなので、すべてを野放しというわけにいかないのは分かります。しかし、それならば、店外に漏れる音量が何デシベル以上であってはならない、というような規制であるべきです。音楽(生演奏ではない)を流すのはお咎めなしだが、その音楽に合わせて客が踊るのはまかりならぬ、なんて話に合理的根拠を見出すことは不可能です。また、場所柄的に、六本木や渋谷は不夜城のようなところで、夜間人口も少ないので、騒音に関する苦情が取り締まりのきっかけだったとはまず考えられません。何か、「深夜にダンスを躍らせるなんて怪しからん」的な価値観を相変わらず警察が持っていて、そのために法を恣意的に運用しているように、わたしには見えます。価値観は人それぞれとしても、それに基づいて警察が、「ダンスは禁止」とか、まして経営者を逮捕とは、どれだけ時代錯誤の専制主義国家なのか、と思います。この点に関しては、北朝鮮をまったく笑えません。ラテンアメリカ人が見たら、およそ信じられないような話でしょう。それにしても、カジノで国民から金は巻き上げるけど、国民が飲食店でダンスを楽しむことは許さない、とは、まったく狂った話としか思えません。
2018.06.17
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カジノ法案、衆院委で可決 19日通過へ「カジノを含むIR(=統合型リゾート)整備法案」が衆議院の委員会で与党などの賛成多数で可決された。与党側は来週19日に衆議院を通過させる方針。カジノ整備法案をめぐっては野党側が採決を遅らせるため石井国土交通相の不信任決議案を提出したが、15日の衆議院・本会議で与党などの反対多数で否決された。その後、開かれた内閣委員会でカジノ整備法案は与党などの賛成多数で可決された。立憲民主党・阿部知子議員「非常に大きな問題をこんなに簡単に数で押し切るということが断じて許されるものではないと思っています」与党側は法案を来週19日に衆議院の本会議で可決して参議院に送り、国会の会期を延長して成立させる方針。これに対して野党側は「あらゆる手段を使って阻止する」などと徹底抗戦の構えで、法案をめぐる与野党の攻防は大詰めを迎えている。---カジノ法案には、わたしは断固として反対です。と、いうことに関しては、過去に何回も記事を書いてきました。そこまでしてカジノを導入したいか国家が博打の胴元になろうという話依存症大国 経済的な麻薬この国ではたいていの駅の駅前一等地に、パチンコ屋という名のギャンブル施設が立ち並んでいる国です。とはいえ、パチンコ屋より、アルコールが飲める飲食店のほうが圧倒的に数が多いはずです。それにもかかわらず、依存症者の人数ではギャンブル依存はアルコール依存の5倍もいるという事実が、ギャンブルの「毒素」の強さをうかがわせます。パチンコの害悪は一目瞭然にもかかわらず、現実にはこれを禁止することはどう考えても困難です。ということは、どんなに弊害の大きなものでも、それがいちど既定の事実になってしまうと、禁止することは非常に困難、ということです。カジノも、その弊害は明らかである、と私は思うのですが、ひとたびカジノが合法化されてその営業が始まってしまえば、たとえ弊害がどれほど顕在化しても、様々な利害が絡んで、再度禁止することは至難の技であろうと思います。それにしても、たかがカジノごときを押し通すために強行採決とは、自民党(維新の党も)はその業界と特別な癒着でもある、ということでしょうか。ネトウヨ系言説の中に、「いつまでモリカケやってんだ?」という言い分がありますが、じゃあ、モリカケから「前に進んで」やることがカジノ法案とは、まったく馬鹿げているというしかありません。こんなことが、日本にとって喫緊の課題ですか?強行採決までやって押し通さないと日本が傾くような、重大な案件ですか?まったく狂っているとしか思えない価値判断であり、狂っているとしか思えない政権運営です。
2018.06.16
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新幹線殺傷で死亡した男性は「容疑者を止めに入っていた」 乗客が証言東海道新幹線「のぞみ」の車両内で6月9日午後、3人が刃物で切られ、男性1人が死亡、女性2人が重傷を負う事件が起きた。犯行現場は、新横浜ー小田原間を走行していた東京発新大阪行き「のぞみ265号」の12号車。容疑者は12号車の通路側の席に座っていたところ、突然立ち上がり、隣の席の女性に刃物のようなものを無言で振り下ろした。男性が止めに入ってもみ合いになり、容疑者が男性に刃物で迫ったという。(以下略)---3年前にも同じ東海道新幹線の車内でガソリンをまいて放火自殺を図る事件があり、犯人のほか逃げ遅れた乗客が1人巻き添えで亡くなりましたが、それに続いて再び新幹線車内の凶行が起こってしまいました。別報道によると、犯人が持っていた刃物はナタだそうです。加えて、ナイフも所持していたと報じられています。男性は、いったんは犯人を後ろから羽交い締めにしたようですが、逆襲されて、振りほどかれたのか、羽交い締めされた状態でも背後の男性を刺したのか(ナタだったらそれも可能でしょう)、経緯は分かりませんけど、殺されてしまった。結果として、勇気が仇になってしまいました。もっとも、もしこの男性が犯人を取り押さえようとしていなければ、男性の代わりに最初に襲われた女性が死んでいたでしょう。通路側の席で立ちはだかってナタを振り下ろされたら、逃げようがなかったでしょうから。もし、犯人を取り押さえようとした男性が一人ではなく二人だったら、誰も死なずに取り押さえられた可能性はあるでしょう。亡くなった方も、飛びかかれば誰かが加勢してくれるだろうと考えたのではないでしょうか。まさか自分一人だけで犯人ともみ合うことになるとまでは、思っていなかったのかもしれません。ただし、もし自分がその場にいたとして、二人がもみ合っているところに加勢できたか、というと、正直なところ、自信はまったくありません。というか、固まって動けないだろうと思います。ナタを振り回す相手に、素手で対抗するのは、たとえ二人掛かりであったとしても、勇気という以上のものが必要でしょう。それにしても、この件を契機として、新幹線にも、飛行機のような手荷物検査とか、X線検査、という意見が出ているようですが、それはさすがに現実的ではありませんし、JR東海も否定的なようです。そりゃそうです。駅の構造、新幹線一編成の乗客数(座席定員だけで1300席以上。満席で立ち乗りが出ればそれ以上)、ピーク時にはそれが6分おきに出発する事実、飛行機のように機内持ち込みと預け荷物を分離できない以上、危険物となり得るものの車内持ち込みを禁じることは困難(私は、冬山に登る時、何回もピッケルを新幹線や特急に持ち込んでます)、などの点から見て、明らかに実現不可能ですから。そもそも、今回の件は、たまたま舞台が新幹線だっただけで、秋葉原の事件とか、池田小事件、古くは新宿西口バス放火事件などの通り魔事件と本質的には同じです。新幹線の警備が厳しくなれば他の場所でやるだけでしょうし、かといって在来線の通勤電車や各地の繁華街で手荷物検査なそ、できるわけもない以上、意味のある対策とは言えません。犯人は、おそらく何らかの精神疾患あるいは発達障害があるようで、家族から孤立し、一時は路上生活をしていたと報じられています。親も死ぬほど大変な目に遭ってきた(そして、おそらくこれからも「殺人鬼の親」として、その苦しみがずっと続く)ことは容易に想像できます。路上生活の間に、何らかの福祉施策に救われたとしても、長続きしたとは思えません。こんな性格では、そこでも周囲と散々軋轢を生じさせた挙句、飛び出してしまった可能性が高いでしょう。精神科に入院することはできたかもしれませんが、何もことを起こす前だったら、長く入院することもできなかったでしょう。結局、色々考えても、このような事件の発生を防ぐ手立ては、非常に難しい、と言わざるをえません。どうにもならない。三十六計逃げるに如かず、必死で逃げるしか手はありません。そういう意味では、新幹線や特急に乗る時は、一人で乗るなら窓側より通路側の方が良いのかな、なんて思ってしまいます。
2018.06.14
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米朝首脳会談 北朝鮮、非核化を約束 米、体制を保証シンガポールで史上初の米朝首脳会談に臨んだトランプ米大統領は12日午後、現地で記者会見し、北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長と署名した共同声明を発表した。声明によると、米国が北朝鮮に対して「安全の保証を提供する」ことと引き換えに、北朝鮮が「完全な非核化に対する揺るがない約束」を再確認することで合意した。ただ、日米韓が求める北朝鮮の「完全かつ検証可能で不可逆的な非核化には言及されず、「完全な非核化」に向けた協議のスタート地点に立ったとの位置付けにとどまった。休戦状態にある朝鮮戦争の終結については「朝鮮半島の持続的で安定した平和体制の構築に向け努力する」と記された。一方、日本人拉致問題については触れられていない。 ---はっきり言ってしまえば、トランプも金正恩もわたしは嫌いです。が、しかし、この際そのような好悪の情はどうでもよろしい。色々と思うところもありますが、それらのことを割り引いてもなお、米朝首脳会談によって北朝鮮の非核化への筋道が立ち、少なくとも当面のところ戦争の危険が遠のいたことは、大いに評価すべきところでしょう。これまでの状況に比べれば、はるかに好ましい状況であることは明らかです。もちろん、これで戦争の危険が永久に取り除かれた、というわけではありません。この合意の果実を、どれだけ永続させることが出来るか、それはこれからの関係各国の行動と努力にかかっているのでしょう。それにしても、朝鮮戦争が正式に終結し、米朝が国交を樹立したとしてもなお、日本(安倍政権)は、「拉致が解決しなければ」と言って、国交を閉ざし続けるのでしょうか。「すべての拉致被害者を返せ」というのが日本政府の公式な主張ですが、彼らが本当に生きていると思っている日本人はいったいどれだけいるのでしょうか。拉致被害者の親族は仕方がないです。どんなに絶望的でも、肉親が「生きているに違いない」と信じたい心情は理解できますから。しかし、客観的に見れば、帰国した以外の拉致被害者が生きている可能性はほとんどないし、実際には多くの人がそう思っているはずです。それなのに、政府がその当たり前の推論を否定して、あり得ない前提に基づいている限り、何も先に進まない。いや、「北朝鮮の脅威」を叫び続けるほうが支持層向けのアピールに好都合だからそうしているのかもしれませんが、日本の今後の針路として、北朝鮮と不倶戴天の敵同士としてにらみ合い続けることが望ましい、とは私には思えません。そりゃ勿論、北朝鮮の社会体制は最悪と思いますが、そうだとしても、没交渉であり続けることは得策ではない、だからこそ、トランプも北朝鮮に「体制保障」を与えたのでしょう。
2018.06.12
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ネット右翼のアイドルはこうして自滅した南京事件における「百人斬り訴訟」の弁護を務めて保守派の注目を集めた稲田朋美氏。その後衆院議員、防衛大臣とステップアップしたが、PKO部隊の日報問題で辞任した。文筆家の古谷経衡氏は「よく言えば無垢、悪く言えば無教養。防衛大臣という重責を果たす実力がないのに、ゲタを履かさて任され、自業自得の如く自滅した」と分析する。稲田朋美には保守の世界観や、タカ派的価値観が虫食い状に存在するだけで、体系的なものはない。この虫食い状の保守色は、稲田が「30歳まで東京裁判のことをほとんど知らなかった」という後天性のためである。だから稲田には筋の通った体系的な保守的世界観がなく、漠然と当世の保守やネット右翼が好むものをトレースする態度がうかがわれる。稲田がネット右翼から支持を受けるきっかけは2003年。稲田が、毎日新聞、朝日新聞、朝日新聞記者を相手どり「百人斬り訴訟」裁判の原告側代理人を務めたことである。「百人斬り訴訟」とは日中戦争当時、南京攻略戦に際して日本陸軍の2人の少尉が、敵軍兵士百名の首数を競ったという、「百人斬り競争」なる戦時中の新聞報道に対する「名誉回復」を求める提訴である。この裁判は、毎日新聞・朝日新聞というリベラル系メディア批判を梃子に、「南京大虐殺は無かった」「南京大虐殺はでっち上げ」という主張を全面的に肯定する運動の中心となり、その主張に稲田が奔走した。「百人斬り訴訟」は、両少尉の遺族からの名誉回復が本義であると同時に、「南京大虐殺はでっちあげ」論を司法の場で認定させ、既存のリベラルメディア、毎日新聞や朝日新聞攻撃の嚆矢としよう、という一種の右派イデオロギー運動に移り変わっていたのである。しかし、この裁判は原告敗訴が確定した。稲田はとんだ歴史修正主義をかざして訴訟に及んだものの、司法の場からその主張を却下されたのである。これ以降、右派によるリベラルメディアに対する濫訴はエスカレートした。「既存のリベラルメディアを糾弾する運動」は、当時のネット界隈を巻き込んで一大保守運動に発展したのであり、この契機を作った1人が稲田である。無垢、無教養の稲田が、「百人斬り裁判」を契機に熱狂的な保守派・ネット右翼の支持を受け、衆議院議員になったところで、30歳までの無学習のつけは消えない。自身でも認める無知・無教養ぶりを土台として打ち立てられた政治観は、必然的に既存の保守、ネット右翼の既定の方針をトレースすることになる。憲法9条改正は当然肯定、靖国神社参拝は全力肯定、教育勅語廃止と教育基本法によって堕落した戦後の日本人云々、選択的夫婦別姓絶対反対、在日外国人参政権絶対反対等々、それら全てを「戦後レジームからの脱却」「美しい国」「目指すべき道義大国」などと、安倍内閣のスローガンと直線的に結びつけた。2012年末、安倍内閣は「クールジャパン推進会議」を設置。有識者を招いて国の文化戦略の方針を議論させた。その議長となったのが稲田であった。アニメ、漫画、コスプレ、日本のポップカルチャーや若者文化を、海外に積極的に売り出そうという「クールジャパン推進会議」は、議事録を読む限り惨たんたる状態であった。特に議長を務めた稲田の文化に対する無知ぶりは、突出を通り越して失笑を買った。この後「防衛大臣」の重責を任されると、民進党の辻元清美議員からの追及に涙ぐむ。国家国防を任された陸海空三軍のトップが、いち野党議員の質問に窮して泣き出すという不始末に、稲田の人格的欠点であるという以前に、防衛組織の長としての資質を危ぶむ声も出始めた。(要旨)--- 記事にも触れられている百人斬訴訟、わたしは被告側の支援団体「南京への道・史実を守る会」に参加している関係で、何度か東京地裁の傍聴席から、稲田朋美のご尊顔を至近距離で拝見する機会がありました。(もちろん、見ただけで、話をしたことはありません)※引用記事には書かれていませんが、毎日新聞、朝日新聞とともに訴えられたのは、元朝日新聞記者の本多勝一氏と柏書房です。毎日新聞が、前身である東京日日新聞の日中戦争当時の「百人斬り報道」について訴えられたのに対して、朝日新聞、柏書房、本多勝一氏は、1970年代以降に、「百人斬り」について触れた記事や書籍を執筆、発行したことについて訴えられています。本多勝一氏と朝日新聞に対する攻撃がこの裁判の主目的で、毎日新聞は原告にとっては「つけたし」同然だったとわたしは理解しています。稲田は、弁護士だけあって、弁は立ちます。話の内容はともかく、よく通る大きな声で堂々と話す、その話し方は人をひきつける力があるのは確かです。それは、おそらく政治家にとっても求められる能力のひとつではあるでしょう。ただし、堂々とはしていたけれど、弁護士としての実務能力は疑問符がいっぱいでした。もっとも、百人斬り訴訟のとき、あちら側の弁護団は稲田と高池勝彦(今は「新しい歴史教科書を作る会」の会長)でしたが、この高池というのが、これまた無能弁護士である上に、稲田ほど弁も立たないので、相対的に稲田は「高池よりは(多少)マシ」に見えたのが正直なところです。百人斬り裁判の原告側(弁護士)は、裁判を100%政治宣伝の場として利用する、あるいは支持者にそのようにアピールすることだけを目的にしていた、としか考えられませんでした。もちろん、政治的な意味合いを帯びた裁判では、政治的アピールを前面に出すこと自体は珍しくありません。しかし、百人斬り裁判が異様なのは、原告側が裁判に勝訴するための努力を一切放棄していたことです。たとえば、原告側の呼んだ証人が原告側主張を破綻させる、ということがありました。原告側の主張は「記者は,両少尉に「百人斬り競争」という冗談話を持ちかけたところ,その武勇伝に両少尉が名前を貸し,この冗談話を基に本件日日記事が掲載された」というものでしたが、それに反する証言(つまり、2人の少尉の側から百人斬りの話をもちかけてきた、という証言)を行っている、元東京日日新聞カメラマン佐藤振壽氏の証人申請をして、そのとおりの証言を得た結果、原告側の主張が破綻してしまったのです。驚くべきことに、原告側はこの証言を聞いても、自らの主張が破綻したと認識していないのです。佐藤氏の証言は、大要「百人斬りの話は二人の少尉から聞いたが自分は信じなかった、百人斬りはでっち上げだ(と信じている)」という趣旨でした。しかし、佐藤氏が両少尉に会ったのは、インタビューに立ち会って撮影したときだけです。したがって、インタビューで2人の少尉が話した内容については、氏の証言には重要な意味があります。でも、それ以外の場で2人の少尉が何をしていたかは見ていないので、「百人斬りはでっち上げ」というのは、自身の感想、予想、願望の類でしかありません。それなのに、原告側はその感想、願望の方だけにしか目が行っていない様子でした。もうひとつ、原告側は高裁で裁判官忌避を申し立てたのですが、その申し立てのタイミングを間違える、という失態もやらかしています。私も裁判の専門家ではないので詳細は忘れてしまいましたが、裁判官忌避の申し立ては、結審する前に行わないと意味がないのだそうです。ところが、彼らは間違えて、裁判官が「結審」と言った後で忌避の申立をしてしまったのです。これらの失態から考えて、稲田にしても高池にしても、どう考えても有能な弁護士とは言い難いのです(最大限抑制的な表現です、実際はもうちょっと手厳しい表現のほうが実態に近いと思いますが)。そのことと直接の関係はないかも知れませんが、原告団の内部対立で、稲田は元お仲間の保守陣営から懲戒請求をくらったことがあったはずです。ただし、裁判の勝敗などどうでもよい、むしろ負けたほうがネトウヨ層への危機感を煽り立てて、「日本の誇りが危機に瀕している」とアピールできるから望ましい、くらいに思っているとしたら、このような行為も意味があるのかもしれません。そうだとしたら、弁舌は立つことも考え合わせて、アジテーターとしては有能です。もっとも、アジの材料として負ける裁判の原告に祭り上げられた2人の少尉の遺族はいい面の皮です。わたしが心配する必要のあることでもないでしょうけど。アジテーターとしての才能もあるけれど、実務処理能力は乏しい、稲田の弁護士としての能力はそういうものでしたが、政治家に転進後の一連の経緯を見ると、政治家としても、それはまったく変わらないようです。
2018.06.10
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新元号公表は即位日に超党派の保守系議員でつくる「日本会議国会議員懇談会」は5日、国会内で総会を開き、新天皇即位に伴う新元号の公表は即位日である来年5月1日を原則にするべきだとの見解をまとめた。「女性宮家」創設は不要との認識で改めて一致。女性皇族が皇籍離脱後も公務を行えるよう政府に引き続き要望する方針を確認した。新元号については「平成(であるうち)に公表されれば、現陛下と新陛下の二重権威を生み出す恐れがある」と指摘した。総会には自民党、日本維新の会、希望の党、無所属の計48人が出席した。---ちょっと前にコメント欄で紹介した話です。現行の政府方針である、即位の1ヶ月前の新元号公表だって異常な話なのに、新天皇即位まで新元号を公表するな、と日本会議系の極右議員たちが言い出しました。今の天皇が退位する意味を完全に失わせようという、実に馬鹿げた要求であり、一般社会への影響をまったく省みないという意味で、ある種天皇狂原理主義とも言えるものです。(天皇制大事を掲げてはいるものの、当の天皇自身の意向は完全無視、たまり錦の御旗として利用しているだけ)それなら、いっそのこと、大事に大事を取って、新天皇即位の100年後くらいに新元号を公表したらどうでしょうかね。まあ、それはともかくとして、いっそのこと、やってみればいいんじゃない?とも思います。以前にも書きましたが、現状の改元前1ヶ月の公表という現行スケジュール自体が、充分に異常なものなので、それを即位日に公表とすれば、この機に元号の使用をやめて西暦に統一する企業が激増するでしょうし、ひょっとすると自治体の中にもそういうところが出てくるかもしれません。元号法という法律はありますけれど、あれは別に元号を定める、というだけの法律であって、使用を強制する法律ではありません。民間企業は当然のこととして、役所といえども元号を使い続けるのは、慣習と横並び主義(他自治体もみんな元号なのに、うちの市町村/都道府県だけ捨てるのは、みたいな)の結果に過ぎません。わたしは、元号などという不便な年号の慣習はいらないと思っているので(とはいえ、仕事上はそれを使わざるを得ません)、元号が社会的に衰退することは万々歳でしかありません。その意味では、日本会議系のこういう狂信的主張を押し通すのも悪くないんじゃない?という気持ちが、半分はあります。が、この愚行に最後まで付き合う役所や企業も、おそらく少なくないであろうことを考えると、システム障害やシステム関係者の過労死の多発による社会の混乱が容易に想像できるようなスケジュールを、「よい」と言うわけにはやはりいきません。何となく、こういう超トンデモな暴論を前面に立てて、「それに比べれば1ヶ月前はまだマシ」みたいなトンデモの正当化を図る気じゃないのか、という気がしてしまいます。1ヶ月前というスケジュール自体が、充分に異常なものだということは、改めて付言しておきます。話は違いますが、例えばエクセルなどの表計算ソフトは、元号も計算式上は西暦に換算していますが、当然新しい元号に対応するには修正パッチが必要になるでしょう。しかし、私の使っているオフィスソフトは古いもので、もうサポートが切れているので、新しい元号に対応する修正パッチは提供されないでしょう。別に、問題ないですけどね、仕事以外では、元号なんて使っていないから。
2018.06.09
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神田・神保町の岩波ホールで「マルクス・エンゲルス」という映画をやっていたので、見に行ってきました。と言っても、実は昨日今日ではなく先月の話なのですが。原題はThe Youg Karl Marx、直訳すれば「若き日のカール・マルクス」でしょうが、それを敢えて邦題はマルクス・エンゲルスにしています。でも、その邦題に違和感はありません。マルクスが主人公、というよりはマルクスとエンゲルスが主人公、と言えるような内容でしたから。監督は、ハイチ出身の黒人なのですね。これにはびっくりしました。岩波ホールで映画を見るのは、最近数年の間で3回目くらいでしょうか。前回はアルゼンチンのブラックコメディ映画「笑う故郷」(非常に興味深い内容でしたが、あまりにブラック過ぎて、コメディとは思いませんでしたが)、その前はチリ映画の「真珠のボタン」でした。実にうっかりしたことに、チラシを持って帰るのを忘れました。映画は、マルクスの主義主張の細かい部分には触れず、当時のヨーロッパにおける下層民、工場労働者(エンゲルスの父親が経営する工場の従業員たち!)の悲惨な生活と、それを何とかしようと考えるマルクスたちの若い時代(1840年代、つまりマルクスが20代の頃が舞台)の活動振りが描かれます。一面においては貧しい労働者の味方、でも奥さんは貴族出身。ただし、亡命生活の厳しさで、いつもお金がなくて極貧生活、それなのに浪費家(自分自身の贅沢には興味がなく、もっぱら子どもの教育費につぎ込んだようですが、収入とのバランスを失していたことは明らかです)。いろいろな意味でバランスは取れていなかったものの、歴史に名を残す天才的人物とは、えてしてそういうものでしょう。何を隠そう、私は左派(いや、左派崩れ)とはいうものの、マルクスの生涯についてろくな知識は持っていませんでした。その著作だって、読んだことがあるのは「共産党宣言」くらいで、資本論も読んだことはありません。でも、そんな私でも問題なく楽しめる内容の映画でした。ただ、あとで色々調べると、史実から色々と脚色している部分も少なくないように見受けられます。映画の中ではフランスの社会主義者(無政府主義者)プルードンとの親しい関係が描かれますが、それ自体は間違いではないものの、その後二人は決定的に対立して、不倶戴天の敵同士の間柄になります。他にも、細かく指摘はしませんが、史実との相違は色々あるようです。マルクスは、今年生誕200年なんですね。200年!!ずいぶん昔の人です。日本でいうと、江戸時代後期、文化文政時代の生まれです。桜田門外の変で殺された大老井伊直弼が3年前の1815年生まれ、岩倉具視が7年後、1825年、西郷隆盛は10年後の1828年生まれ。その他の明治の元勲はみんなそれより若い、そんな時代の人物です。マルクス経済学というものがありますが、200年もむかしに生まれた人が考案した経済理論を現在の社会にそのまま当てはめることは無理がありすぎます。その意味では、狭い意味でのマルクス主義(経済理論としての)を金科玉条のごとく信奉することはどうか、と思います。しかし、政治思想としての根幹部分、労働者階級の厳しい生活、貧富の格差といったものに対する視点は、今もなお輝きを失っていない、と私は思います。もちろん、賛否は分かれるでしょう。酷評する奴はいる。けれども、マルクス主義を大なり小なり打ち出した政治勢力が、世界で決して小さくはない支持を集めています。それは、生誕から200年経った今でも、多くの人をひきつけるだけの内容である、ということです。そしてもうひとつ、残念ながら今の時代にも、200年前のマルクスの時代と変わらない労働者階級の貧困、厳しい生活がある、という現実を指し示してもいるのでしょう。
2018.06.07
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自民、「多用途母艦」導入を提言=防衛費、対GDP2%めど自民党は25日、政府が年末に改定する防衛大綱と中期防衛力整備計画(中期防)に向けた提言をまとめた。戦闘機の発着が可能な「多用途運用母艦」の導入検討や、NATO加盟国が目標とする「GDPの2%」を参考とした防衛費増額を求めた。月内にも政府に提言する。多用途運用母艦は、陸上の滑走路が使用できない場合の代替や、災害時の救援活動の拠点としての活用を想定し、戦闘機が発着可能な空母の役割も担えるとの位置付けだ。3月に発表した提言骨子では「多用途防衛型空母」としていたが、党内で「『空母』の表現は誤解を招く」との異論が出たため改めた。---現在の防衛費は、GDP比で1%弱なので、自民党の主張はそれを一挙に2倍に増やせ、というものです。これがもし、「社会保障費を2倍に増やせ」「公共工事費を2倍に増やせ」だったら、世のネトウヨや競争原理主義者が「ポピュリズムだ」「バラマキだ」と大騒ぎをするでしょう。2倍どころか、5兆円増やすだけでも(防衛費を2倍に増やすとは、額としてはそういうことです)同じようなことを言うでしょう。それなのに、防衛費だけは、2倍に増やすと言われても文句を言わないとすれば、不思議なものです。私は、自衛隊は現状の日本にとっては必要と思ってはいます。だけど、日本の国土と安全を守る、という目的から考えて、現在の規模や予算は十分すぎるもので、全体としては縮小の余地こそあれ、拡大の必要はないと考えます。もちろんそれは全体としての話であって、個別には充実の必要のある装備、老朽化して更新の必要な装備はあるでしょうが。そうでなくても財政赤字の深刻な今の日本、いったいどこから5兆円のお金が湧いてくるのでしょうか。国債の増発でしょうか。外国に攻め込まれて国が滅びるより、財政破綻で国が滅びる可能性の方が高いように思いますが。自民党がこんなことを言い出した背景には、米国からの、防衛費を増やせという圧力があるのでしょう。しかしそれは日本を防衛するためではなく、米国の世界戦略の一環として、そのお先棒担ぎのための装備を増やす、ということです。加えて、米国の要求の背景には、日本が日米安保体制に固執して、その前提の中で中国や北朝鮮との対決姿勢を取ろうとする態度があります。トランプ政権は、経済的にはともかく、軍事的に中国や北朝鮮と戦争しよう、なんて気はありません(そして、経済面では中国も日本も、トランプにとっては同列です)。それなのに、日本政府だけが、冷戦時代の思考のままに、中国は不倶戴天の敵だから、米国の威を借りて対決姿勢を取ろうとする。それだったら手前がまっと金を出せ、と言われているのが現在の状況です。要するに、日米安保体制絶対、という固定観念に縛られて、そこから一歩も抜け出そうという発想すらないわけです。加えて、日本の国力が減衰期に入っているのに、強力な敵と正面からことを構える準備をしよう、という発想も抜けない。強力な相手に対して、正面から対峙するような愚を避ければよいだけの話なのに。もちろん、だから非武装でよい、とは言いません。しかし、少なくとも日中の通常戦力を比較して、日本が中国に攻め込むというならいざ知らず、中国が日本の領海領土に侵攻するのを排除するのに、現状の自衛隊の力は十分なものです。第二次大戦型の、何年にもわたる全面戦争でなければ、ですが。(そんなものに、日本はもちろん、今の中国だって耐えられはしません)どう転んでも、防衛費を2倍に増やして、国民の大多数が幸せになることはないでしょう。
2018.06.05
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「活動家」になり果てた2紙の新聞記者 その使命は「煽情記事」を書くことか 作家・ジャーナリスト 門田隆将「悔し涙が出た」「信じられない思いだ」「賠償も受けられず、遺族は泣き寝入りすることになる」-働き方改革法案が衆院厚生労働委で可決された翌5月26日の朝日・毎日の紙面には、そんな過激な言葉が躍った。~毎日も遺族のコメントを引用し、さらに日本労働弁護団幹事長の〈「高プロ対象者の時間的な裁量や、業務量の裁量は、法案のどこにも書かれていない。働き手は業務命令を断れず、従わざるを得ない」〉という談話を掲載した。~だが、読売や産経を読むと、まるで趣きが異なってくる。~読売には50歳代の弁理士が登場し「電話などで仕事が中断されやすい日中を避け、深夜や週末に集中して仕事をするやり方も選べる」「脱時間給の制度で、自分に合ったペースで働く方が成果が出て、賃金も上がると思う」と語る。これまでは深夜や週末にまとめて仕事をしたくても割増賃金となるため経営側から敬遠され、思い通りにならなかったというのだ。法案は、維新の会と希望の党が加わって修正がなされ、適用は本人同意が必要との従来の内容に加え、新たに離脱規定も設け、本人の意思でいつでも離脱できるようになったことが記事では解説されている。つまり、加入も離脱も本人次第で、自分に有利と思えば適用を受け、嫌になればいつでも離脱できる「自分に得になる方式」を自由に選択できるものだというのだ。読売、産経両紙では野党による「過労死促進法案」との叫びに疑問が呈されている。重要なのは、朝日・毎日には、一方のそういう受け取り方が書かれていないことだ。両紙が「安倍政権打倒」に執着したメディアであることは、もとより承知している。だが、自分の主張に都合の悪い情報は読者に提示せず、一方的な煽情記事を書くのが果たして新聞の役割といえるのだろうか。自分たちが、すでに「新聞記者」ではなく「活動家」となり果てていることを認識することをこの際、強くお勧めしたい。---「新聞記者」ではなく「活動家」となり果てている、ですか。産経の阿比留瑠比とか野口裕之のことですね?分かります。「自分の主張に都合の悪い情報は読者に提示せず、一方的な煽情記事を書くのが果たして新聞の役割といえるのだろうか。」これ、全部産経新聞に対する当てこすりですよね?まさか、本心で産経のことを棚にあげて、朝日や毎日の記者を揶揄したりしていないですよね?もし、本気で阿比留瑠比や野口裕之、産経新聞の「一方的な煽情記事」を棚に上げて朝日や毎日を批判しているのだとしたら、わたしは門田隆将なる人物を心から侮蔑します。さて、門田隆将の叫ぶ高度プロフェッショナル制度擁護論(産経や読売の主張でもある)は、果たして事実でしょうか。「電話などで仕事が中断されやすい日中を避け、深夜や週末に集中して仕事をするやり方も選べる」「脱時間給の制度で、自分に合ったペースで働く方が成果が出て、賃金も上がると思う」世の中には色々な考えの人がいるから、このような考えの人がいること自体は否定しません。が、どう考えてもその主張は論理的に破綻しているように思います。「電話などで仕事が中断されやすい日中を避け」というのですが、その電話は仕事と無関係なものでしょうか?もしそうならば、そんな電話はシャットアウトすればよいだけの話です。が、実際には多分そうではない。日中にかかってくる「仕事を中断する電話」の大半は仕事に関わるものです。仕事というのは、他者(雇い主や顧客)との関わりの中で行うものであり、それらとの「報連相」なしに行える仕事などありません。つまり、日中にかかってくる「仕事を中断する電話」に対応することもまた、仕事の一部なのです。いくら「自分たちのペースで仕事をする」と美名を並べたところで、世の中の多くの人は平日の日中に仕事をしている以上、顧客や雇い主とのやり取りも大半が平日日中に発生します。そうである以上、「深夜や週末に集中して仕事をする」から、日中は出社しません、という仕事のやり方が通用する例は、かなり少ないことは歴然としています。結局、日中は電話対応をして、かつ夜間や土日にも仕事をする、というのが大半であり、「高プロ」の対象になったとしても、「だから平日日中は出勤しません」というわけには(ほとんどの場合は)いかない。結局、高度プロフェッショナル制度は、そのような人たちから残業手当を奪い取るだけの意味しかなくなります。適用は本人同意が必要との従来の内容に加え、新たに離脱規定も設け、本人の意思でいつでも離脱できるようになった~つまり、加入も離脱も本人次第で、自分に有利と思えば適用を受け、嫌になればいつでも離脱できるというのですが、では将来産経新聞に高度プロフェッショナル制度が導入されたとして※、「俺は嫌だよ、高プロ適用外にしてくれ」と言い出す社員がいた場合、その権利を完全に保障され、一切の不利益をこうむることがないで済むでしょうか。※もっとも、現状でもマスメディアの記者は裁量労働制の適用対象になっていますどう考えても、絶対に無理であることは歴然としています。企業と一従業員では立場の強さに大きな差があり、また「他の同僚に迷惑がかかる」とか様々な同調圧力の強い日本社会において、社内で一人だけ別行動というのは、たいていの場合は非常に困難であり、退職を覚悟の上でなければ主張を貫くことはできないのが現実です。高度プロフェッショナル制度だけが、その例外になりえると信じているとしたら、あまりにおめでたいとしか言いようがありません。つまり、門田隆将が引用するような高度プロフェッショナル制度推進派の言い分は、所詮「お題目」「絵空事」に過ぎないのです。門田や産経が絵空事を信じるのは勝手です。しかし、他紙がそのような絵空事を信る義務もなければ、紙面を割く義務もありません。自分たちと同じように政権擁護の「高プロ」推進をしないから「記者ではなく活動家だ」というのは、腐り切った言い分としか私には思えません。
2018.06.03
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丹沢・塔ノ岳に登ってきました。大倉から往復、登山口から山頂までの標高差が1200mあります。怪我のあと登った山としては、圧倒的に最大の標高差です。高尾山が標高差400m(2週間前の北八ヶ岳も同程度)なので、その3回分になります。しかし、南北アルプスや八ヶ岳(南八ヶ岳)に登るには、この標高差がクリアできなければ話にならないので、アタックすることにしました。結果として、問題なく上ってくることができました。ただ、塔ノ岳は3回目、初めてのとき(3年前の5月)は塔ノ岳を越えて丹沢山まで往復したのですが(二度目は冬季で、下山時に大回りをした記憶)、今はさすがにそこまでは無理。今日は晴れの予報でしたが、渋沢駅から見る丹沢は、雲に隠れていました。見晴小屋では、まだ視界がありましたが、このあと登るほど視界が悪くなります。新緑の、気持ちよい尾根道。花立山荘。カキ氷がここの名物ですが、残念ながら、今朝方まであまりお腹の調子がよくなかったので、自重。それに、登っている間は汗ダラダラですが、この高さ(標高1000mを超えています)では、止まっていると半そでTシャツでは結構涼しかったですし。視界抜群(のはず)の花立山荘より下界を眺める。かろうじて見えますが、ほとんどガスの中です。花立山荘から山頂までの間の階段。もし階段がなければ、ここがもっとも厳しい場所のはずですが、階段のおかげで楽々です。山頂着。歩きはじめの時間を正確に記録していないのですが、8時過ぎでした。11時20分山頂着なので、所要3時間10分から15分程度。初めて登った2015年5月のときは2時間45分だったので、それより30分ほど遅いですが、まあまあ悪くないペースです。しかし、視界は全然ありません。時々少しだけガスが切れて、丹沢山、蛭ヶ岳方面の稜線が見えるので、その瞬間を狙って撮影。当然、富士山なんて全然見えません。塔ノ岳1490m。丹沢の中では、おそらくもっともポピュラーな山でしょう。実は、東京23区からは、同じ東京都内の奥多摩の山(高尾山~陣馬山は別にして)よりも丹沢のほうが交通の便が良くて、交通費もかかりません。そのせいか、登山者も多かったです。下山中。何となく幻想的な風景でした。ここが、全行程中もっとも険しいくだりでした。登りはストックは使わなかったのですが、下山時はストックを使っていました。しかし、正直ここではダブルストックは邪魔でした。というか、こういう場所ではストックいらないと思いました。ただ、3年前にきたときは、ここが厳しいとはまったく思いませんでした(当時はストックも持っていなかった)。怪我で足の踏ん張りがまだ不足しているため、岩場の下りは以前より厳しくなっていることは否めません。高度が下がってくるにつれて、またガスが切れてきました。大山が見えます。トレランの人たちも多かったです。今の私には絶対できないのがトレラン。前述のとおり、怪我をした左足の踏ん張りがまだ弱いので、足場の悪いところで加速度がついた状態で左脚を着地すると、多分何度も転倒するのではないかと。普通に歩いているだけでも、登山靴だから特に足を痛めることなく下山しましたが、ジョギングシューズでは、足首をひねっていたかも、という場面もありました。※踏ん張りが利かない、というのは、足首で上体を支える力が弱い、ということです。簡単な話し、片足立ちしたときの体の安定性、片足立ちの持続可能時間が、右と左で現状大差があります。それでもずいぶん、左脚の片足立ちが楽にできるようになりましたが。再び見晴小屋に戻ってきました。ここまで下山すると、またまた視界抜群。下山は12時15分頃開始して、3時少し前に大蔵のバス停に戻ってきたので、下山所要時間は2時間40分くらいでした。3年前の、登りの所要時間と大差ないレベルではありますが、まずまず悪くはないペースだったと思います。ただ、やはり下山はいっぱいいっぱいで、これより急いだらどこかで転倒したかも、と思います。足も結構痛くなったし。でも、1200mを登って降りてきました。また一歩回復したかな。今日の登山で、夏山シーズン以降に南北アルプスや八ヶ岳(南八ヶ岳)に登る目処は立ったかなと思います。ただし、日帰り(小屋泊まり)の荷物なら、ね。テント担いで岩場、ザレ場の急坂を下るのは、今シーズンはあきらめるしかないでしょう。テントは登山口に張るパターンなら大丈夫ですが。さて、今回は、完全に登山優先モードで、鳥の写真は後回し。そのため、山の中ではほとんど鳥の写真は撮れませんでした。(鳥を追いかけていると山頂までたどり着けないので)しかし、声はずいぶんいっぱい聞きました。まずアカショウビン、そしてホトトギスとツツドリ(この仲間でもっとも見かける機会の多いはずのカッコウの声は聞けず)、キビタキとウグイス、シジュウカラ。他に、わたしには判別つかない泣き声はずいぶんいっぱい。アカショウビンは、見たかったなあ。ところで、実は例によって、山頂で練習しようと思ったのですが、人が多くて練習しそびれ、大倉まで降りてきてたっぷり30分ほど吹きました。今日は荷物がそんなになかったので、ケナーチョ(大型ケーナ)を欠いた以外は、いつも使う笛をフルセットで以って行きました。なお、2本のケーナとサンカ(大型のほうのサンポーニャ)は、本番演奏用のものです。ケーナは滅多に割れないし、サンカも肉厚の厚いバンブー材なので、まず割れそうにありません。しかし、マルタ(中型のサンポーニャ)だけは、予備用の楽器です。これは肉厚が比較的薄いソンゴ材なので、割れやすいので。
2018.06.02
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3ヶ月ほど前、このレンズを購入した直後、レビューのような記事を書いたことがあります。この買い物は失敗だったかも我ながら酷評記事を書いたものです。が、その後シグマのUSBドックでピント調整をしたところ、ピントの甘さは劇的に改善しました。これ以降、鳥の写真を主目的とする撮影(葛西臨海公園、三番瀬海浜公園)はシグマの100-400mmを使っているものの、山にはそんなに重いレンズを持ってはいけないので、高尾山、上高地、北八ヶ岳は、いずれも18-300mmF3.5-6.3を持っていっています。そこで、改めてこのレンズで撮影した写真の紹介など。まず、北八ヶ岳白駒池では、このレンズとTAMRON AF17-50mmF2.8XR(A16)でほぼ同じアングルの写真を撮り比べています。↑TAMRON AF17-50mmF2.8 F8 1/250 17mm ISO100↑SIGMA Contemporary 18-300mm F3.5-6.3 F8 1/200 18mm ISO100TAMRONSIGMATAMRONSIGMAこのあたりは、等倍ではちょっと厳しいかな、という感じです。色収差がいっぱい出ているような。以下はSIGMAのみです。茶臼岳から撮影した南八ヶ岳です。これをピクセル等倍で表示してみるとピクセル等倍だと、まあまあというところでしょうか。横岳、同じ写真をピクセル等倍まで拡大すると、ややピントが甘いようです。とはいえ、広角で撮影した写真を、わざわざピクセル等倍に拡大する必要性は少ないかもしれません。それならズームして望遠で撮影すればよいだけのことですから。というわけで、300mmでの撮影はどうかというとこのコマドリをピクセル等倍まで拡大してみるとやっぱり、少しピントが甘いですかね。なんといっても、暗い場所でかなり高感度になってしまったのが弱点です。でも、充分鑑賞に耐える、と私は思います。・今後も、山にはこっちのレンズを持っていくことになりそうです。
2018.06.01
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