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タイトルのとおりですが、実はまだ北海道の写真を連載中だった先週金曜に、早くも次の山に登ってきました。タイトルのとおり谷川岳です。ルートは色々検討しまして、西黒尾根から登って天神尾根を下ろうか、とも考えたのですが、足の骨折以来脚力は落ちているので、多分無理かなと思い、オーソドックスな天神平からの往復としてしまいました。新幹線で上毛高原へ、そこからバスで谷川岳ロープウェイへ、さらにロープウェイでビューッと天神平まであっという間。朝9時過ぎには、標高1319mの天神平を歩きはじめました。台風がこの翌日に日本上陸しましたが、このときはまだ天気は問題なく、この時間帯は薄曇でした。山頂オキの耳とトマの耳が見えます。白毛門と朝日岳方面も、ややガスに包まれていますが、だいたい見えます。まだアジサイが見ごろ。ツリガネニンジンでしょうか。谷川岳に無雪期に登るのは5年ぶり2回目で、前回は天神平から登って西黒尾根を降りました。(当時の記事はこちら)そのとき、厳しかったのは圧倒的に西黒尾根でした。鎖場と急降下の連続でしたから。天神尾根は登りだけの片道でしたが、鎖場があったことは覚えていますけど、西黒尾根と比べたら、厳しいという記憶はまったくありません。しかし、現実には。5年前にはほとんど気にも留める必要はなかったのだと思いますが、今の私の足にとっては、この岩場の通過はそれなりに厳しいものがあります。いや、さすがに登りはさほど問題ないですけど、くだりがちょっとね。こういう場所が、何箇所もあって、天神尾根も以外に楽じゃなかったんだ、と。なんでしょう。葉から見て、ツツジ科の何かだと思いますが。キオンの花でしょう。うす曇から、一挙に晴れました。非常に気持ちよい山登りになりました。シモツケソウ下に、登山口の天神平が見えます。山頂までの標高差は650mくらいなので、体力的にはさほど厳しいものではない、はずです。万太郎山、仙之倉山、平標山へと続く尾根。いつか行きたいけど、歩く人は格段に少ないです。肩の小屋に到着。ここまで来れば山頂はすぐ。ニッコウキスゲも咲いています。肩の小屋付近から。ヤマハハコクルマユリそして、谷川岳の最初のピークであるトマの耳に到着、なのですが、帰りに寄ることにして、往路は素通りしてその先のピーク、オキの耳に向かいました。以下、次回に続きます。
2018.07.31
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<稲田元防衛相>“憲法教”ツイートを削除 「誤解招く」稲田朋美元防衛相は29日、ツイッターに法曹界の護憲派を「憲法教という新興宗教」と否定的に評するコメントを投稿した。その後批判を受け、30日までに削除した。稲田氏は29日に保守系団体「日本会議」の東京都中野支部の集会に参加。支部長の弁護士について「法曹界にありながら憲法教という新興宗教に毒されず安倍(晋三)総理を応援してくださっている」と投稿した。これにネットで「憲法尊重・擁護義務に反する」などの批判が相次いだ。稲田氏は毎日新聞の取材に「ツイッターに書くにはあまりにも誤解を招きやすい(表現だった)なと思う。憲法を否定するつもりは全くない」と説明。「憲法を変えさえしなければ日本は平和であるというのもまた違う」とも語った。---「ツイッターに書くにはあまりにも誤解を招きやすい」だそうですが、私の見たところ、稲田の本章、素の主張を明白に示しているだけで、どこにも「誤解を招く」余地などないと思います。「憲法を否定するつもりは全くない」などと、どう考えたって心にもないことを言っているのがミエミエな弁解は、見苦しいとしか言いようがありません。それにしても、よりによって日本会議の集会で「憲法教という新興宗教に毒されず」とはね、言いも言ったり、です。日本会議という組織自体が、神社本庁をはじめとして、「念法眞教」「新生佛教教団」「解脱会」「モラロジー研究所」「倫理研究所」 「キリストの幕屋」「霊友会」等々の新興宗教が中心になって組織しているからです。「憲法教という新興宗教」に「毒され」ていない代わりに、その他のあらゆる新興宗教に「毒され」ているのが日本会議です。それを棚に上げて、よくもまあ、こんなことを言うよね。ちなみに、「日本会議中野支部長」は、内野経一郎という人物です。その日本会議中野支部のサイトにある支部長の挨拶を見ると国民運動やるよりも権力闘争に飛び出してゆきたい位国情を憂えています。平成22~24年の民主党政権下での人権擁護法案、夫婦別姓など危険な法案への反対のほか尖閣諸島を護る運動への支援、正しい教科書採択への働きかけを行ってきました。平成24年、区内小中学校に常時国旗掲揚を区政に請願、10月区議会で採択実施推進、議会は賛否同数、議長採決にて僅差で決議できた。平成25年11月21日 第二次安倍内閣が戦後レジームを脱却し、強い日本を取り戻すスタートを有志で応援するため「安倍晋三内閣を応援する夕べ」を開催することになりました。だそうです。まあ、ひとことで言って、非常に分かりやすい。まさしく、極右教という新興宗教に毒されている、安倍取り巻きに連なる一人、ということです。稲田は、「憲法を変えさえしなければ日本は平和であるというのもまた違う」とも言ったそうです。そりゃ、わたしですらも「憲法を変えさえしなければ日本は平和だ」とは思いませんよ。ただし、「憲法を変えれば日本は安全」というのは、それ以上に違いますけどね。前述の支部長氏もやたらと「日本を守る」と連呼しているようですが、日本の近現代史の中で、こちらから攻めていないのに、一方的に攻撃されました、などという事態は、ほとんど存在したことがありません。したがって、日本を守るために、まずしなければならないことは、他国を攻撃しないこと、に尽きるのです。
2018.07.30
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実は、ずっと連載を続けて、間に他の記事も挟んでいる間に、次の山登りに行ってしまいました。それについてはまた後日記事をアップします。北海道最終日の鳥の写真で締めくくりたいと思います。ただし、霧雨とガスの中なので、写真の状態は悪いです。早朝4時過ぎに宿を出て歩いていたら、いきなりヒバリが寄ってきました。夜は明けていましたが、曇天で暗いので、寝ぼけていたのでしょうか。うっかりしたら踏み潰しかねないくらいの足元まで寄ってきました。すぐ飛んで行ってしまいましたけど。ウミウ。霧多布岬の先端にて。シルエットしなってしまいましたけど。オオジュリン。岬からわずかに引き返した辺りです。オオジュリンは東京でも冬鳥として渡来しますが、オスの夏羽を撮影するのは初めてです。でも、オオジュリンは、本当は年に1回夏羽から冬羽にしか羽根は生え換わらないそうです。では夏羽の黒い頭は何かというと、冬羽の羽がすれて摩滅して、黒い軸の部分がむき出しになるので色が変わるのだとか。なるほどね。きれいな黒頭巾は、実は新品ではなく擦れて汚れて黒頭巾になったと(いかん、ロマンがなくなる)。そして、灯台の敷地内で、最大のお目当ての鳥に遭遇。ノゴマ!この最悪のコンディションでも、喉の赤いのは分かります。北海道で野鳥観察(特に霧多布の開けた草原で)と言えば、私が真っ先に「是非見たい」と思った鳥は、このノゴマとシマアオジなのです。残念ながら、シマアオジには振られましたが。上高地で見たコマドリと同属です。ただ、コマドリは北海道を含む日本全国の高山の樹林に分布しますが、ノゴマは北海道にしかいません。以下は、いったん宿に戻って朝食のあとアセチ岬付近で撮影しました。ノビタキのメス。雨に濡れて人恋しくなったのか(笑)とんでもなく近くまで寄ってきました。ノビタキのメス続き。ノビタキ、同じ個体です。撮影距離は2mか3mです。ノビタキ。この後、バスで霧多布を後にして、雨の中1時半頃釧路に到着。帰りの飛行機まではまだ時間があるのですが、雨なのであちこち歩き気力も湧かず、こちらでお土産を買いました。そして、遅めの昼食も同じ市場内で。うっかりして、ご飯をす飯にしてもらうのを忘れてしまい、普通の白米だったのですが、それでも充分美味しかったです。バスで釧路空港に着いたら、またまたすごい霧の中。一部の便が欠航とか天候調査と言っているので、ドキドキしましたが、どうやらそれは北海道内の便(近距離なので小型のターボプロップ機)だけのようで、東京から来る、私の乗る便は問題なく飛んでいました。それにしてもこんなに視界が悪くても飛行機はちゃんと飛べるんですね。もちろん、レーダーあってのことですけど。そして、とうとう釧路空港を離陸。さらば北海道。また来るよ。(でも、来年は人事異動もあるので、さすがに難しいかもねえ。次は2年後か5年後か、さてさて・・・・・・)
2018.07.28
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同性カップル「生産性ない」 自民・杉田氏の寄稿に批判自民党の杉田水脈衆院議員が月刊誌で、同性カップルを念頭に「彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がない。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか」と行政による支援を疑問視した。人権意識を欠いた記述だと批判が上がっている。寄稿は「新潮45」が掲載。「『LGBT』支援の度が過ぎる」と題して、「『常識』や『普通であること』を見失っていく社会は『秩序』がなくなり、いずれ崩壊していくことにもなりかねません」などと主張した。SNSで批判が広がると杉田氏は22日、自身のツイッターで、先輩議員から「間違ったこと言ってないんだから、胸張ってればいいよ」などと声をかけられたとし、「自民党の懐の深さを感じます」と投稿した。しかし、党内からも批判が相次ぐ。~当事者団体も抗議声明を発表した。LGBT法連合会は「LGBTに限らず広く人権の観点から、『生産性』を引き合いに出す主張は疑問」と指摘。LGBT理解増進会は「重大な懸念」を表明し、自民党本部に善処を申し入れた。杉田氏は23日、月刊誌の発売後に「ゲイだと名乗る人間」から殺害予告のメールが届いたとして赤坂署に被害届を提出し、関連するツイートを削除。その後、朝日新聞の取材には「コメントできない」と語った。(以下略)---杉田といえば、かなりイッちゃった系のネトウヨ議員です。正直なところ、いかにもこういうことを言いそうな政治家が、予想どおりのことを口走った、ということでしかありません。極右議員が極右思想を発露するのは、珍しいことではありませんから。もちろん、意外な発言ではない、というのは、このような発言が許されるべき、という意味ではありません。異常な発言が異常に見えないくらい、日本の政治空間が異常化している、ということです。そもそも、子どもを産む、産まないという話を「生産性」という用語で表現すること自体がまず異常です。生産性とは、経済学で生産活動に対する生産要素(労働・資本など)の寄与度、あるいは、資源から付加価値を産み出す際の効率の程度のことを指す。 というのがWikipediaによる説明です。そのような経済学的用語で子どもを作る作らないを表現するのは、妥当性を欠きます。例えば杉田やこの発言を支持する連中は、このような発言を聞いたら、それをどう評価するでしょうか。自衛隊は何も生産しない、予算を使うだけの生産性の低い組織だから、自衛隊を解散しよう。ほぼ確実に、「国防を経済性で考えるなんて怪しからぬ」などと吹き上がるでしょうね。それに、そういう言い方をするなら、子どもには、(本来の経済学的な意味での)生産性はありません。だって、子供は働いていないし、子育てにも教育にもお金ばっかりかかるんだから。それでも子どもが重要なのは、将来の生産を担うからです。でも経済という側面で語れば、そんな20年も先の損得なんて、不確定要素が大きすぎて、通常は予想の範囲外です。それに、子どもを持つことの経済的利益が、親自身に直接還元されるかどうかも極めて疑わしい。だから、現実に「結婚はコスパが悪い」などと公言して憚らぬ人が増えているわけです。子どもを持つことを「生産性」という視点で見れば、そういう結論に行き着くのは分かりきったことでしょう。そしてもうひとつ問題なのは、「生産性がない」ことを理由に「税金を投入しない」という考え方です。経済学的な意味ではなく、杉田理論に基づく「子どもを作らない=生産性がない」というトンデモ理論に基づけば、子育てが終わった中高年は、みんな生産性がない。高齢者なんて得に生産性がない。要介護の施設入所者など、最低最悪に生産性がない、ということになってしまいます。障害者や重病人もそうです。これぞまさしく、ナチス張りの優性思想に他なりません。この理論を推し進めていけば、子育てが終わった高齢者は生産性がないから、年金は廃止して姥捨て山に送り出せ、なんてことになりかねません。以前にも書いたことがありますが、異性が好き、同性が好き、というのは、人間の本能に根ざす感情です。理論や社会的圧力でどうにかなるものではありません。同性愛は害悪だと叫べば、同性愛者が異性愛者になるわけではありませんし、逆も同じです。社会の圧倒的多数派は異性愛者であり、仮にどれほど同性愛が社会的にもてはやされたとしても、それは変わりません。社会の3割も4割もが同性愛者になったら、確かに色々と問題が生じますが、そういうことは決して起こらないのです。LGBTが子どもを作らないことによる出生率への影響なんて、ほぼ誤差程度のものにすぎません。それに、子どもを作らない=生産性がない、と言うなら、杉田の所属政党のトップ夫婦は、まさしく「生産性がない首相とその夫人」ということになります。そんな生産性のない人は、サッサと首相という座から降りてもらわないといけませんね。加えて、人口の維持という視点で生産性を云々するなら、女性はすべからく子どもを二人以上産まなければならない、ということになります。杉田は、諸情報を総合すると、既婚者ですが子どもは一人のようです(あらかじめ断っておきますと、ご存知のとおり我が家も子どもは一人です)。そうすると、杉田自身も生産性は普通の人の半分だ、ということになります。そんな生産性の低い人が政治家をやっていてよいのか、とっとと辞任しろ、と、杉田理論に基づけば、そういう結論にしかなりえません。要するに、理論として破綻している、ということなのです。感情論を文字にしただけ。LGBTを目の敵にすれば、出生率が上がるのか。そんなことが起こりえないことは歴然としています。杉田の価値観には、LGBTは相入れないのだ、ということはわかりますが(正直に言えば、私もその点に限っては同じですけど)、それだけのことです。なんの害悪もない、法にも触れないLGBTを叩けば、何か社会がよい方向に向かう、なんてことはあり得ません。逆に息苦しくなるだけです。 この人にとっては、自らの価値観に相入れない人が息苦しい社会こそが望ましい社会と思っているのかもしれませんけどね。それは、たいていの人にとっては絶望的な社会じゃないでしょうかね。
2018.07.27
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さて、北海道の旅も最終日です。この日も4時起床。しかし残念ながら天気はすでに悪く、濃霧(ほぼ霧雨)に覆われていました。それでも起き出して外出。まず霧多布岬を目指します。こんな視界なので、景色はまったく見えません。ただし・・・・・・前日の霧多布湿原よりもっとエゾカンゾウ(ニッコウキスゲ)の群落が間近に見えます。やっぱり、派手な花ですね。ほぼ岬の最先端までエゾカンゾウは咲いていました。霧多布灯台。最先端に到達。セグロカモメがお出迎えです。海とエゾカンゾウ。視界がないので、エゾカンゾウの写真ばっかり。(大好きな花ですから)エゾカンゾウのアップ。霧の中のエゾカンゾウの花畑、幻想的ではあります。で、このときも背中には笛一式を背負っておりまして、ただし露天で吹くと霧雨で笛がびしょ濡れになりそうだと思っていたところ・・・・・・屋根があった!!というわけで、ここで30分くらい笛の練習をしました。屋根はあるけど吹き抜けなので、少し濡れましたけど。で、7時頃いったん宿に戻り、朝食をいただきました。なんと、このときは少し暖房を入れたそうです。そのくらい寒かったのです。朝食は美味しかったです。夕食はないとは言え、とてもよい宿でした。宿にしばらくいましたが、待っても天気が回復する見込みもなさそうなので、とにかく出発することにしました。霧多布から釧路行きのバスは、11時半頃発、まだ時間はたっぷりあります。まずはもう一つの岬、アセチ岬へ。この日も馬がお出迎え。アゼチ岬が近付いてきました。でも、この天気ではね。早朝は霧でしたが、この時間帯はもう霧雨ではなく、ザーザー降りになっていました。中央の島の周囲にラッコが居ついているそうですが、これじゃ絶対に見つからないでしょうね。アゼチ岬の先端まで来ました。この日も歩いている人にはまったく出会わず、黙々と歩いて写真を撮っていました。晴れていれば、こんな景色なのだそうです。そんな天気のときに、来てみたかったですねえ。高台から低地の市街地へ下る道です。霧多布市街地のこの場所で釧路駅行きのバスに乗りました。いよいよ旅も終わり・・・・・・ですが、あと1回写真掲載予定です。
2018.07.26
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北海道3日目、阿寒湖と霧多布で撮影した鳥です。まず、早朝の阿寒湖畔散歩にて。カワアイサの母子。この家族は一人っ子でした。子どももまだ小さいです。カワアイサはもう一組いて、こちらは子沢山家族。子どももだいぶ大きくなっています。子どもの数は14羽。超子沢山。そしてもう1種類のカモの家族がいました。マガモです。こちらは、本州でも上高地などの高地で夏場に繁殖しています。アカゲラ。背中の大きな白斑が目立ちます。同じくアカゲラ。湖畔の遊歩道でゴジュウカラ。本州なら、これはコガラなのですが、北海道にはコガラと酷似したハシブトガラがいるので、どちらか分かりません。エナガの北海道亜種シマエナガ宿の前の電線に、シマエナガが群れていました。続いて、霧多布に移動してからです。茶内駅から湿原に出るまでの間の樹林帯にて。この写真で同定できたらすごい!!さっぱり分かりませんが、鳴き声からしか分かりません。この写真でも同定は難しいですが、「チロチロチロビー」(または、「焼酎一杯グイー」とも言われる)という鳴き声がずっと聞こえていました。なので、センダイムシクイです。珍しい鳥ではなく、東京の大きな公園などにも渡来します(東京でも北海道でも夏鳥)。写真を撮るのは初めてですが、子どもの頃明治神宮で見た記憶があります。そして、霧多布湿原に出てから。コヨシキリ。湿原センターの近くで、笛を吹いた辺りで撮影しました。オオヨシキリにさえずりはよく似ています。目の上の白眉の上の黒い筋が特徴。コヨシキリ。一番奥はノビタキのメス。手前2羽はホオジロ科の何かです。オオジュリンのメスか、ホオジロのメスですが、どちらもちょっと違う気がして、はっきりしません。どちらだとしても、東京でも見られる鳥ではあります。同じく、ノビタキとホオジロ科の2羽霧多布湿原を縦断して太平洋岸に出た後も、あちこちの草地で鳥がさえずっています。コヨシキリでしょう。これもコヨシキリと思って写真を撮ったのですが、後で確認したら違いました。目の上の黒筋がない。シマセンニュウです。あとでネットでシマセンニュウの鳴き声を検索したら、確かにこの声はあちこちで聞きました。ちょっと防犯ブザーみたいなさえずり。まともに撮った写真はこれ一枚でしたが、分かっていれば、もっと撮ったのに。以下、あと2回続きます。
2018.07.25
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以前から何度か紹介している「健康で文化的な最低限度の生活」、ドラマ化されて1話と2話を見ました。第1話の後で知人の福祉事務所関係者に聞いたところ、「職場で仕事して、家に帰ってきてテレビで仕事の続きをしている感じ」と言われてしまいました。リアリティは、ケースワーカーが受給者に缶コーヒーをおごる(第1話)なんてことは、少なくとも自分の勤務先では絶対やらない、と言っていましたが、それ以外は「このとおりだよ」とも言っておりました。自転車がポロ、とか、台帳記録に「世帯主」のことを略して「主」と書くとか、その辺りもそのとおりだと(逆に、自分の勤務先以外でも同じだということを初めて知ったと)。第1話は主人公が配属されて早々に受給者が自殺してしまう話、第2話は母子家庭の高校生の息子がアルバイト収入を申告していなくて、不正受給になってしまう話。いずれも超弩級に重たいテーマですが、福祉事務所的には「よくある話」らしいです。高校生のアルバイト収入の未申告による不正受給は、不正受給の中でもよくあるパターンの一つなのだそうです。課税調査で発覚した未申告収入は、よほどやむを得ない事情がない限りは、「78条」(不正受給という扱い)になる、と言っていました。可哀想ではありますが、こればかりは、知りませんでした、可哀想だから、では法律や制度は曲がらないので、いかんともし難いところです。ただ、ここまでのところはリアリティは充分なのですが、井浦新演じる半田ケースワーカーの「課税データは12月までだから、今も働いているとすると、未申告は29万円では済まないですね」(大要)とか、ちゃんと申告していれば基礎控除と未成年者控除で収入認定は半分くらいになったのですが」(大要)と言った台詞、一般の視聴者にパッと意味が通じるのかな、という懸念は、ないこともありません。私はもちろん、知人から色々聞いているので意味は分かりましたけど。そういう意味では、この制度に興味、関心のない視聴者にとっては、とっつきにくいドラマではあるかもしれません。話の内容も重たいですしね。初回の視聴率はあまりよくなかったようなことを、ニュースサイトで見たような記憶もあります。是非健闘してほしいところです。余談ですが、ドラマで「半沢ケースワーカー」役を演じる井浦新さん、あの「ジョン・ラーベ」にも出演していますね。史実を守る映画祭による発上映時に、舞台挨拶に来てくださいました。(残念ながら、わたしは受付にいたので舞台挨拶は見られませんでしたけど)そういう意味では大ファンです。今回も実にいい役を演じています。応援しております。
2018.07.24
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もはや災害レベルの酷暑の中、涼しかった北海道の旅を思い出しつつ(笑)、霧多布湿原を縦断する道路の上から続きです。湿原センターに着いたのは2時でしたが、湿原センターに少しいて、そのあと遊歩道を歩いて笛も吹いていたら、結局出発は3時近くになってしまいました。池塘。湿原なので、水溜りは各所にあります。元々は、最終氷期が終わった後の縄文海進の時代に、今より海水面が数メートル上昇したため、このあたり一帯は海になっていたようです。その後海水面が低下し水が退く過程で海岸に砂丘が形成され、内陸に取り残された海水が沼地化とたのがこの湿原の起源なのだそうです。湿原には川が流入して淡水を供給することから、数千年を経て海水の沼地は次第に淡水化し、ミズゴケを主体とする高層湿原が発達しました。でも、場所によってはまだ汽水域や海水域もあるそうです。ここにも池塘。低木はヤチヤナギでしょうか。南に下って海岸側の端に近付くにつれてこの木が増えてくる印象です。そして・・・・・・南端に近付くにしたがって、花が増えてきました。このあたりはハナショウブの群落。エゾカンゾウ(ニッコウキスゲ)も混ざっています。すみません、この花はなんでしょう。分かりません。花というより、つぼみですけど。そして、ようやく出てきました、エゾカンゾウの大群落。北海道の海岸と言えば、これですね。ハマナス。ハマナスの花のアップ。バラ科です。浜の梨から転じたのであって(ハマナスもナシもバラ科)、茄子はまったく関係ありません。さて、いよいよ霧多布湿原を縦断して、目的地も目前・・・・・・いや、あとまだ5kmくらいあります。霧多布岬まで7kmですが、宿はその2kmくらい手前なので。まだまだ歩かなくてはいけません。湿原を渡りきると、向こうに太平洋、そして沖合いの島が見えます。霧多布半島に入ります。便宜的に半島と書きましたが、基部は水路が貫通していて、つまり実は島になっています。橋を渡ったところが市街地です。宿は夕飯が出ないので、ここで夕飯を食べました。すし屋に入ろうとしたら、「出前で手一杯で出せません」というので、となりの蕎麦屋に入りました。味はごく普通でしたが、翌日の天気から考えると、ここで夕飯に時間を消費するよりも、コンビニで夕飯を調達して、サッサと先に進んで写真を撮るほうが正解だったかな、と思います。このときは、翌日は午後から天気が崩れる、と見込んでいたので、「写真を撮るなら今日中」とまでは思っていなかったのです。ずっと半袖Tシャツでしたが、湿原を渡りきった辺りから寒さを感じ始め、霧多布の市街地に入ったあたりで、これ以上は無理と長袖を着ました。前述のとおり、霧多布湿原は元が海だったくらいなので、海抜高度はほとんどゼロメートル地帯です。霧多布の市街地もそうですが、霧多布半島は市街地のある根元部分は低地ですが、その奥はほとんしど高台になっています。海抜40m程度なので、比高では結構高い。市街地を外れて、高台に登る途中の道端に咲いていました。外来種っぽい感じで、花の名前は分かりません。高台の上に咲いていた花。見たことがある、どこかで見たことがある花だけど、思いだせないし、検索しても出てきません・・・・・・。点々とエゾカンゾウが咲いています。市街地以外の高台の上には人家はほとんどないのかと思いましたが、そうでもありませんでした。が、やっぱり人家はわずかしかありません。馬が2頭お出迎え。そして、こちらがこの日の晩の宿です。この日は、阿寒湖の早朝散歩で4kmくらい、そして茶内からここまでが14-15km、合計18kmくらい歩きました。到着は5時50分くらい。茶内の駅を出てから5時間以上かかりましたが、笛の練習だの夕飯(30分以上かかった)だのを除くと、実歩行時間は3時間半くらいです。
2018.07.23
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北海道滞在の3日目、この日は阿寒湖から霧多布へ移動です。が、まずは朝4時に起きて野鳥観察。鳥の写真は後日アップしますが、1枚だけ雄阿寒岳、阿寒湖、そしてマガモの親子。雄阿寒岳も見納めです。4時に起きて鳥の写真を撮って、6時半に宿に戻って朝食、そして7時半のバスで釧路へ、という超特急スケジュールで、釧路まで来ました。しかし、このバスが2時間近くかかります。(北海道は広いのです)それでも釧路駅には9時25分に着いたのですが、そこから次の目的地霧多布に向かう交通機関は11時43分発の霧多布行きバスか、11時12分発の根室本線(花咲線)根室行きの列車。いずれにしても、1時間以上の待ち時間があります。北海道は交通機関も不便なのです。で、わたしは迷わず列車を選択(というか、最初からその予定でした)釧網本線のノロッコ列車。今やJRグループにわずかしか残っていない機関車牽引の客車列車です。大人気で、この日は3連休の初日ということもあり、指定席は満席とアナウンスされていました。が、私が乗った列車はこれではなくこちらです。列車と言ってもディーゼルカー1両編成。でも、こちらも満員でした。車内でお弁当を食べ、12時18分、茶内駅到着。ちょうどこの駅で列車交換だったようです。根室から来た列車とすれ違いました。対向列車は、車体に「ルパン三世」のキャラクターが描かれています。茶内駅の駅舎。(無人駅)ここにもルパン三世のイラストがあります。ルパン三世の原作者であるモンキー・パンチがこの浜中町の出身なのだそうです。で、この茶内駅から、霧多布岬近くの宿まで行きます。交通機関はありません。歩くのです。距離は、おおむね10kmくらいと思っていたのですが、それは霧多布の市街までの直線距離で、道なりの距離、かつ宿までだと、14-15kmくらいだったようです。当然、そんなところを歩いている人は、誰もいません。駅を出てから宿に着くまで、車には散々出会いましたが、路上を歩いている人には一人も出会いませんでした。霧多布湿原はまだ先で、しばらくの間は牧場と樹林の入り混じった道を歩きます。少し歩いたところで、「霧多布湿原センターまであと4km」という表示板があったので、駅から湿原までがだいたい5kmくらいのようです。この日はくもり気味で日差しはなかったのですが、雲は濃くなく、かなり明るくて、このあたりでは気温もさほど低くはありませんでした。そのため、道路には逃げ水が盛大に出ていました。半そでTシャツで、さほど暑いと思う気温ではありませんでしたが、それでも逃げ水が出現するのですね。もっと盛大な逃げ水です。茶内駅を出て、最初は人家もありましたが、それも途絶え、人影もなく、ひたすら歩き続けること1時間あまり。ちょうど午後2時頃、忽然と姿を現した、新しくて大きな建物。霧多布湿原センターです。ちょうど霧多布湿原の北側の縁に位置していて、小高い丘の上に建てられているので、景色は抜群です。さほど暑くはなかったと書きましたが、それでものどが渇いていたのでしょう。冷たいお水が美味しかった。(もちろん、ザックの中に水はありましたけど)湿原センターからの眺めです。湿原は広い、とてつもなく広い。そして、その湿原を縦断する道が分かるでしょうか。(手前は木に隠れて見えませんが)この道を歩いてきて、さらに先まで歩くのです。行き先は、向こうに見える台地(霧多布岬)です。まだだいぶ遠いです。遊歩道があって、湿原の中を少し歩けるようになっています。中に入ってしまうと、草の丈が高いので、あまり遠くは見えません。車道に戻って、少し歩くと車が数台止められるスペースがありました。地図には「PA」と書いてあるのですが、駐車スペースが設けてあるだけで、それ以外に何の施設もありません。(そういう意味では、先ほどの湿原センターには売店や食堂がありました)でも、ここはチャンスです!ここで、みっちりと練習(笑)ケーナ2本とサンポーニャ2組(マルタとサンカ)を持ってきているので、この旅行中、1日も欠かさずに練習していました。車は通りますが、歩行者は誰もいないので、存分に吹きました。もっとも、湿原センターはそんなに離れていないので、聞こえたかもしれませんが。ひたすら、まっすぐ続く道。「MGロード」という名前だそうです。駐車スペース付近から対岸まで、距離は2km弱と表示されていました。遠いようで、サッサと歩けば30分で着くのです。実際は写真を撮りながら歩いたので30分よりかかりましたが。道路は湿原内では盛り土で嵩上げしてあるので、先ほどの遊歩道よりはるかに視界が利きます。しかし、事前情報ではエゾカンゾウ(ニッコウキスゲ)が満開という話でしたが、そんなもの全然咲いていませんが、どういうことでしょう(笑)いや、時々ポツリポツリと咲いていましたが、そんなものではないはずです。エゾフウロだと思われます。アヤメ、と思ったのですが、ハナショウブのようです。ポツリポツリとは花が咲いています。ただ、実は霧多布湿原で花が多いのは、湿原の真ん中ではなく、太平洋側の縁、つまり対岸のほうだったのです。それは、歩いてみて初めて知りました。以下続きます。
2018.07.22
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阿寒湖と雌阿寒岳初日と2日目に撮影した鳥と花の写真です。初日、阿寒湖展望台付近での撮影。ヒバリだと思って撮影したら、どう見てもビンズイです。尾を振っていた記憶はないのですが・・・・・・ホシガラス残念ながらピンボケになってしまいました。白湯山展望台と雌阿寒岳登山口の間の林道にて。中部地方の2000mクラスの山にもいますが、標高700mか800mで遭遇できるのは、さすが道東です、ウツボグサ。ウツボグサのアップです。以下は2日目、雌阿寒岳登山中の撮影です。ただし、登山のあいだは、鳥にかまけていると足が進まず山頂にたどり着けないので、どうしても鳥の写真は少なくなります。森林限界を超えてかなり行ったところで。どう見てもキセキレイ(メス)です。他の鳥には見えません。キセキレイもちろん、珍しい鳥ではありません。東京でも見かけます。高山帯に進出する鳥、というイメージは皆無だったので、森林限界より上に現れたことに、ちょっとびっくり。ビンズイ先ほどのキセキレイと同じ場所にいました。キセキレイを追いかけていたつもりで、途中で被写体が入れ替わっていました(笑)。キセキレイとは色合いはだいぶ違いますが、同じセキレイ科で、常に尾を振っているという特徴は同じです。この鳥は夏場は北方か高地で繁殖するので、高山帯に姿を現すことは不思議ではありません。登山中何回も遭遇しましたが、撮影できたのはこのときだけです。マルバシモツケさほど花が多くはなかった雌阿寒岳の森林限界より上で咲いていた数少ない花の一つ。コヒオドシ昨年の大雪山や層雲峡にもいましたし、阿寒湖にもいました。メアカンキンバイ雌阿寒岳の名がつく花です。これも、植物の乏しい稜線上に咲いていた数少ない花の一つです。ハクサンシャクナゲ森林限界上は花が少なかった反面、その下の亜高山帯にはハクサンシャクナゲが沢山咲いていました。ハクサンシャクナゲ以下は、雌阿寒岳から帰ってきて、阿寒湖畔の遊歩道で笛の練習の合間に撮影したものです。アカゲラオオアカゲラアカゲラかなと思ってとりあえず撮影したら、オオアカゲラでした。先ほどのアカゲラとの違いは、お腹がアカゲラは白、オオアカゲラは縦の斑点が入る、背中の一番上の白い斑点の形状の違いです。オオアカゲラ続き本州・四国・九州にも分布しますが、数は少ないです。アマツバメ姿も名前もツバメみたいですが(この写真では分かりませんが、色もツバメに似ています)、系統的にはツバメとはまったく違う仲間です。中華料理にある「ツバメの巣」も、実はツバメではなく、アマツバメの仲間(日本にはいないアナツバメという種類)の巣です。ハリオアマツバメやはりアマツバメの仲間ですが、アマツバメの尾がツバメのような燕尾型なのに対して、こちらは丸型の尾です。ハリオアマツバメ丸型の尾から、張りのように細い尾羽が突き出しているのが名前の由来なのだそうですが、この写真では分かるような、分からないような・・・・・・。一説には鳥の中でも最も早く飛べる種類と言われます。
2018.07.21
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東京五輪 暑さ回避、マラソン午前7時 屋外時間繰り上げ2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会はIOC理事会に五輪の競技日程の大枠を提案し、承認された。「酷暑五輪」が想定されるため、男女マラソンは開始時間を立候補ファイル(13年1月作成)から30分早めて午前7時とするなど屋外競技で開始時間を繰り上げ、可能な限り暑さを避けた。暑さ対策として開始時間を早めたのは陸上ではマラソンのほか、競技時間が4時間弱に及ぶ男子50キロ競歩も1時間半早めて全日程で最も早い午前6時開始。男女20キロ競歩も2時間早い午前7時開始とした。とりわけ暑いとされる霞ケ関カンツリー倶楽部で実施される男女ゴルフも当初の午前9時から午前7時に繰り上げた。トライアスロンも午前10時から午前8時と2時間繰り上げた。オープンウオーターも1時間早めて午前8時から始めることにした。また、さいたまスーパーアリーナで実施されるバスケットボールは最終電車に間に合わせるため、試合の終了時間を立候補ファイルの午前0時から午後11時に早めた。ビーチバレーも1時間早めて、午後10時50分に終える。(以下略)---この夏の酷暑ぶりは、なかなか強烈です。この1週間、東京ではほぼ連日高温注意情報が出ており、岐阜県多治見市では40度越え、京都で40度一歩手前の39.8度、熊谷37.8度、青梅36.7度・・・・・・、うんざりする数字が並んでいます。この暑いさなかの2020年7月24日から8月9日までのあいだ、東京オリンピックは開催されます。2年後の長期予報なんてものはないので、東京オリンピックのときの暑さがどの程度か、神ならぬ人間にはまったく知るよしもありません。もしかしたら、運よく冷夏かもしれないけれど、近年の傾向から考えれば酷暑の可能性のほうがはるかに高そうであることは疑いのないところです。こんな暑さの中でスポーツとは、正気の沙汰ではない・・・・・・、と思っていたら、さすがに開催時間が少し変更になったようです。が、どう見ても小手先としか思えない内容です。マラソンは7時開始、競歩は6時開始だそうですが、ゴール時間9時台から10時が想定されます。一昨日7月18日の東京(大手町)の気温は、午前9時33.0度、10時33.2度です。すでに、充分暑い。ここ数日の酷暑では、18日の1日だけです、全国で熱中症の死者が10名、東京23区では梅雨明け以降の熱中症死者が18名と報じられています。17日には、愛知県豊田市の小学校で1年生の男児が熱中症で亡くなる事故がありましたが、この時の郊外活動場所は、学校からわずか1キロ、学校の気温は32度、と報じられています。不要不急の外出は控えるべき、屋内にとどまる勇気を、と言われているこんな気候の中で、フルマラソンを走らせること自体、異常なことです。それを30分や1時間繰り上げたところで、異常なことに違いはないのです。本気で暑さを避けるなら、マラソン朝5時出発、競歩50km4時出発にするしかありません。そうでなければ、今から日程を一ヶ月半、後ろにずらすことです。でも、どちらもおそらく実現しないでしょう。朝4時や5時開始では、運営スタッフやボランティアが、始発電車でも間に合わないし、大会日程はスポーツビジネス業界の都合で決まってしまっているからです。選手ももちろん辛いですが、選手はまだしも、そのためのトレーニングを積んできた、事実上のプロです。私も、足の骨折以降はほとんど走っていませんが、以前は月間100km、夏場も気温30度超でも8kmから10km走って、熱中症になったことはありません。しかし、その私でも今日明日にその距離を走るのは無理でしょう。昔取った杵柄では、体がついていかないからです。同様に、マラソンに出走する現役の選手は何とかなっても、運営スタッフやボランティアは、どうにもならないだろうと思います。このオリンピック、大会ボランティアを8万人、都市ボランティアを3万人も動員するそうです。その人たちに、まさか選手並みの耐久力を求めるつもりでしょうか。個人的な経験になりますが、5年前に東京国体が行われた際、1日だけ駆り出されたことがあります。さる競技会場の駐輪場スタッフです。その日は、大変幸運なことにくもりで、気温は低かったのです。が、午後に少しだけ日が差した、それだけでも暑くて辛かったことを覚えています。大会ボランティアの募集要項を見ると、1日8時間、大会期間中10日以上従事できる人を募集だそうです。そんな長時間を無償のボランティアで済まそうとは、ほとんど搾取同然と思えます。現実問題として、そんな長期間のボランティアは、現役で働いている人には難しく、学生か退職後の高齢者が大半を占めることになるでしょう。前述のとおり、そのときの気候がどうなるかは分からないのですが、今のような猛暑になった場合、ボランティアから熱中症死者が何人も出ても、まったく不思議ではありません。もうひとつ問題なのは、このオリンピックの開会式、閉会式のために祝日を移動する、という話です。元々海の日と、スポーツの日(旧体育の日)を開会式の前日と当日に移動、山の日を閉会式(日曜)の翌日に移動するというのです。オリンピック期間中の交通量を減らすためだそうです。しかし、百歩譲って、元々が7月第3週月曜の海の日、8月11日の(しかも始まったばかりの)山の日はまだよいでしょう。そこになんで10月のスポーツの日を移動させてくるのか。元々がオリンピック起源の祝日だから、という安易な理由で移動させたのでしょう。しかし、秋の様々なイベントが数多く予定されている祝日を奪い取れるほど、オリンピックとは偉いものなのか。酷暑の中の競技、それに無償ボランティアを大量動員すること、祝日の移動、どれをとっても、オリンピックという錦の御旗のためにすべてを従わせよう、という考えがにじみ出ていて、わたしなどは感情的に吐き気を催すくらいの反発を感じざるを得ません。
2018.07.20
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7月13日、いよいよ雌阿寒岳に登ります。天気予報で午後から雨が予想されたため、早朝の出発としました。朝4時起床で4時半出発。4時半は、阿寒湖周辺はガスに覆われていましたが、これはしばらく経つと消えて、日が差したり曇ったりの、まあまあ悪くない天気になりました。先の投稿に書いたように、阿寒湖から雌阿寒岳を目指したたわけですが、ほとんどの登山者は野中温泉かオンネトーから登るので、阿寒湖からのルートは人が非常に少ないです。どのくらい少ないかというと、登山届(表に各自書いていくので、過去の入山者が分かる)では、多い日で1日2組か3組、少なければゼロ、この日は私以外に入山者はいませんでした。でも、登山道はよく整備されていて、途中迷いやすいところは皆無、倒木が道をふさいでいるところが1箇所か2箇所あっただけでした。(1箇所はくぐり、1箇所は脇にそれた)4時半の阿寒湖はこんなガスに包まれていました。こりゃ、山は厳しいなと思っていたのですが・・・・・・歩いているうちに時々晴れ間が見えてきました。2合目まではエゾマツ、アカエゾマツ、トドマツの亜高山帯林、3合目でハイマツが出てきたなと思ったら、4合目で森林限界に達し、視界が開けました。この間、3合目と4合目のあいだに、1箇所、ほんの数メートルの急な登り(全然たいしたことはありませんが)がある以外は、全部なだらかな登り。とても歩きやすいのです。ハイマツ帯をひたすら歩きます。いよいよ山頂が見えてきた、わけではなく、その手前の小ピークです。登山道はこの左側を巻きます。この近辺で、1箇所登山道が斜面をトラバースしているところで、やや崩れかかっているところがありました。特に問題はなかったですが、これからずっと土砂降りが続くとどうかな。雄阿寒岳と阿寒湖がよく見えます。更に登ると、先ほどより阿寒湖がよく見えるようになりました。ハイマツ帯の登り尾根に出たら、山陽が一変。あれほど続いていたハイマツの海が消えて、茶色い岩肌になります。やっぱり活火山だね絵。中央のピークが山頂かと思っていたのですが、後から考えるとこれは阿寒富士でした。阿寒富士の山頂(とは、このときは思っていませんでしたが)。急にガスが出てきました。登山用語で雲や霧をガスと呼びますが、こちらは別の種類のガス(笑)がシューシュー吹き出ています。火口原ですね。登ってきたルートを振り返って。何の装置でしょうか。雄阿寒岳もそうでしたが、雌阿寒岳も新しい活火山なので、花はあまり咲いていませんでした。(花の写真は次回に鳥とまとめて)フレベツ岳かと思ったのですが、方角的に、登山地図にも名前の記載がない1020m峰のようです。先ほどの阿寒富士を山頂だと思っていたら、途中からルートが変なほうへ。あれっ、山頂に行かない、おかしいな、どうしたのかな?そこでようやく、あれは阿寒富士だったと気が付きました(笑)登山道は雌阿寒山頂と阿寒富士への分岐に合流。眼下に火口湖が。そして、阿寒富士はもはやこんなガスの中。そして9時30分、雌阿寒岳到着。10年前、雄阿寒岳に登ったときから「いつか雌阿寒も」と思っていましたが、ついに達成。前述のとおり、阿寒湖から登ってきた人は私一人だけ(入山者名簿で確認)、野中温泉から登ってきた人が3人か4人、日によっては、登山ツアーで多くの人が登ることもあるようですが、この日の登山者はそれだけだったようです。阿寒富士にも登りたい気は少ししましたが、さすがに下りの疲労度と、いつ雨が降り始めるか、という懸念から、阿寒富士はパスして下山にかかります。山頂はガスの中で下が、ちょっと下ると雲の下に抜けて、視界が出てきました。が、もう日差しはありません。ハイマツの海まで戻ってきました。もう、視界はこのとおりです。まだ、阿寒湖が何とか見えます。が、雄阿寒岳はもう見えません。結局、9時ころまではおおむねよい天気で、素晴らしい景色を楽しめました。そのあと急激にガスが湧いてきて、9時半頃山頂に着いたときには視界がありませんでしたが、おおむね満足。下山中も曇りながらも雨はほとんど降らず(一瞬降ったけどすぐやんだ)、本格的に雨が降り出したのは、ちょうど登山口に戻ってきたとき。その後も長い林道歩きのあいだは、樹林帯の中なので雨はほとんど凌ぐことができ、さいごに国道を歩いたところだけ、雨に降られました。前述のとおり、宿から登山口(車道の終点)までが7kmくらい、そこから本当の(?)登山口まで800m、さらに山頂まで5.5km、その往復なので26-27km歩いています。標高差は1080m。
2018.07.18
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というわけで、雌阿寒岳と霧多布の写真(一眼レフ)を何回かに分けてご紹介します。第1回は、初日(7月12日)朝東京を出て、Air DoのB737-700で10時前に釧路空港着でした。阿寒湖に昼前に到着しました。釧路空港は曇でしたが、阿寒湖は晴れ。宿の近くの駐車場にハクサンシャクナゲが植わっています。本州中部なら標高2000m以上にしかない花が、阿寒湖では街中で咲いている。花の名前は分かりません(植栽です)。蝶はコヒオドシ。昼食を食べると、まずは登山口の下見に出かけます。雌阿寒岳登山口は、阿寒湖からと野中温泉(雌阿寒温泉)から、オンネトーからの3つのコースがあるものの、野中温泉とオンネトーは公共交通機関がないので断念、阿寒湖から上ることにしました。が、その登山口へのルートも白湯山自然遊歩道というのとフレベツ林道の二つあります。そこで、下見のため、前者で登山口まで行って後者で帰ってきました。白湯山自然遊歩道は、スキー場から入っていくのですが、そのスキー場の一角に、阿寒湖展望台というのがありまして、そこから撮影しました。阿寒湖と雄阿寒岳がよく見えます。同じ場所で雄阿寒岳のアップ。さらにアップ。雄阿寒岳は10年前に登りました。それ以来、いつかは雌阿寒岳も登りたい、と思って今日に至りました。白湯山遊歩道にて。軽く考えて登山靴は宿において、ジョギングシューズで来ましたが、そこそこの登山道でした。晴れて、下が乾いていたのでさほど問題ありませんでしたが、地面が濡れていたら、ジョギングシューズでは悲惨なことになっていたでしょう。案内板のとおり、周囲は噴煙だらけです。遊歩道の最高地点が展望台になっています。写真を縮小したので読めませんが、標高815mとあります。阿寒湖が同420mなので、標高差400m弱。ほぼ高尾山並みの標高差を登ったわけです。展望台からの景色。絶景です。雌阿寒岳までは登れない人は、ここで写真を撮るだけでも(晴れていれば)充分景色を楽しめます。同じ場所で阿寒湖のアップ。なんだか笑える案内板。文面は仮のもので、これから本格的に表示する、のだと信じることにします。雌阿寒方面もちょっと見えました。基本的に、阿寒湖からは雄阿寒岳はよく見えますが、雌阿寒だけはあまり見えません。展望台の先は林道を歩いて、雌阿寒岳登山口に至ります。入山者名簿を見ると、ほとんど入山者はいません。多くて2組、少ないときはゼロ。雌阿寒岳に登る人の大半は、こちらではなく野中温泉、オンネトー側から登るようです。ここからのくだりはフレベツ林道を下って、宿に戻りました。しかし、このフレベツ林道が長いのです。阿寒湖からフレベツ林道経由で登山口まで6-7km、自然遊歩道経由も大同小異とすると、往復12-14kmくらい。(寄り道したりしているので、 実際はもう少し歩いている)登山口に着くまでが充分遠い。で、翌日の本番の雌阿寒岳登山は、帰りにとおったフレベツ林道経由で行くことに決めました。登山らしからぬ(笑)豪華な夕食をいただきます。写真には写っていませんが、当然泡の出る麦茶もいただきました。小ジョッキにしましたけど。翌日は午後から天候の悪化が予想されたため、早朝4時気性4時半出発と決め、早々に寝ました。
2018.07.17
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本当は、今日は北海道の写真をアップしようと思っていましたが、あまりにひどい話なので「参院定数6増」衆院で審議入り 野党側は反発参議院の議員定数を6増やす、自民党提出の公職選挙法改正案が13日、衆議院で審議入りした。法案は、「1票の格差」是正のため、埼玉選挙区の定数を2増やしたうえで、選挙区が「合区」された地域の議員を救済するため、比例代表も4増やし、一部に「特定枠」を導入するもの。野党側は、「自民党の党利党略だ」などと、反発を強めている。立憲民主・辻元国対委員長は、「選挙制度を短時間、勝手に決めるんだったら、衆議院で廃案にすればいいじゃないかと」述べた。自民・森山国対委員長は、「間に合うならできるだけ早く、本会議で院としての結論を出す」と述べた。与党側は、17日に採決する方針を崩しておらず、同じ日の衆議院本会議で可決・成立させる構え。---議員の定数を減らすことが善、みたいな競争原理主義者たちの言い分はおかしい、とわたしは考えています。その限りでは、定数増=けしからん、ということはありません。だから、埼玉選挙区の定数を2増やす(参院は3年ごとに半数改選なので、定数の増減は必ず偶数である必要があります)こと自体は、まったく問題ありません。ただ、これまで散々「議員定数を減らせ」と言ってきた当人である自民党が突然「定数を増やす」といいはじめた(それも、衆議院ではなく、何故参議院だけで?)ことには、笑止千万、としか思えませんが。人口の多い(1票の価値が軽い)都道府県の定数を増やす場合は、必ず人口の少ない(1票の価値が思い)県の定数を減らすこととセットにされてきました。参院選で、そのような県の定数は2(一度の選挙での改選数は1議席)なので、必然的に隣接する県が合区されてきました。現状では、もっとも1票の価値が重い選挙区は福井、次いで石川で、その両県は隣接しているので、これを合区することとセットにするのがもっとも合理的です。今回だけそれをせずに定数増だけにとどめようとするのは、合理的な説明が付き難い話と私には思えます。それでも、定数増だけの話なら、まだしも全面否定はしませんが、まったく理解不能なのは比例区に「特定枠」なる拘束名簿部分を導入しようという話です。かつて、参議院の比例代表区はすべて拘束名簿式でしたが、党への投票がすべて自動的に名簿順位上位からの順番の候補者への支持ではありませんから、この制度には批判が多くありました。そのため、非拘束名簿式に改められたわけですが、それを実質的に骨抜きにしようという制度です。候補者名簿のうち「特定枠」をどれだけにするかは、各党の裁量に任されるわけですが、名簿のうち1人を残して後は全員特定枠、とすることも可能だということです。これはもう滅茶苦茶なやり方で、候補者個人の名でも投票できるという非拘束名簿式の意味を完全に喪失させるものです。つまり、30人の名簿のうち29人を特定枠にして、残る一人には、知名度がある人寄せパンダ的な人物を擁立すれば、その候補者が最多得票を得ても落選、ということが起こるからです。現状では、「人寄せパンダ」は当選可能性がもっとも高い(人寄せパンダであっても、立候補に当たっては当選して政治家となる自覚が求められる)のですが、この制度が導入されると、名前と知名度だけを利用して、実質的に本人を当選させないことが可能(言い換えれば、知名度だけあって、政治家の資質も自覚もない人物を気軽に擁立できる)ということになります。その背景には、過去の定数是正ですでに合区されて定数減となった選挙区の自民党議員の救済策、という点が指摘されています。合区で選挙区を失った議員に、名簿順位上位を保証しよう、ということです。これが党利党略でなくて、いったいなんなのか、と思います。拘束名簿式か非拘束名簿式か、というのは、いずれか一方を選択すべきものであって、このような折衷案は、明らかに両方の欠点を抱え込むやり方です。こんなことなら、完全拘束名簿式(かつての参院選の方式)の方が、まだしもマシというものです。こんなバカバカしい法案(カジノ法案もそうですが)を、よりによって西日本の大雨災害のさなかに通そうとする安倍政権、狂っているとしか思えません。いや、もちろんそう思えるのは今に始まったことではないですけど。どうせどんな法案を通しても政権は安泰だ、という思い上がりがあるとしか思えません。
2018.07.16
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ただいま北海道に来ています。阿寒湖から雌阿寒岳に登り、昨日は霧多布に移動して鳥の写真三昧、と言いたいところですが、今日は大雨です。初日、多分この日が一番天気が良かったと思うのですがも阿寒湖と雄阿寒岳を展望。雄阿寒岳は10年前に登っており、その時以来、いつかは雌阿寒岳も、と思っていました。翌日雌阿寒岳に登りました。午後には天気が悪化する予報だったので、早朝に宿を出ました。登りの間は、概ね晴れ。9時頃まで晴れていましたが、その後天気が悪化、山頂は・・・・・。山頂はガスの中でしたが、登りの間に十分景色を楽しめたので、満足です。で、翌日霧多布に移動。天気は曇りながら視界は良かったのですが、なぜかiPad miniでは写真を撮りませんでした。そして、今日。残念ながら、早朝は濃霧(というか霧雨)そのあと、加えて雨も激しくなり、視界はこのとおりです。晴れていれば、絶景だったでしょうが、まあ別の意味で幻想的な景色ではあります。向こうに見える島にラッコがいるそうですが、見えるわけもありません。でも、エゾカンゾウ(ニッコウキスゲ)群生が見事でした。なお、4日間の総歩行距離は、60kmを超えたと思います。今日は雨なのでさほど歩いていませんが、毎日毎日、歩いたなあ。その他の写真は、また後日。
2018.07.15
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わたしのものではなく、演奏仲間のものですが、「マトラカ」という楽器です。怪しげなおじいさんのお面。しかし裏返すとこうなっています。どんな楽器か分かるでしょうか。ちなみに、お面は楽器自体の機能とはまったく無関係な、単なる装飾です。今日のタイトルのとおり、「マトラカ」という楽器ですが、いわゆる「ガラガラ」系のパーカッションです。ハンドルを視点にぐるぐる振り回すと、ガラガラガラと音がします。ラテンアメリカ各国に同系のパーカッションがありますが、ボリビアではもっぱら「モレナーダ」という舞曲に使われます。一説には、このガラガラ音は、黒人奴隷が鎖を引きずって歩く音を模したもの、とも言われます。使い方はこんな感じです。お面の部分が、アルマジロだったりその他の様々なものの形を模しているのが分かるかと思いますが、本体部分はこんな感じです。今やYouTubeをちょっと検索すると、マトラカ製作の動画まであるんだから、すごい時代です。が、これはケーナを作るよりよほど大変です。というわけで、再び宣伝です7月29日(日)中野区哲学堂公園にて演奏します。演奏 ティエラ・クリオージャ時間 1回目11時より、2回目午後4時より 各9曲演奏予定(曲目は1回目と2回目でだいたい共通の予定です)演奏場所 哲学堂公園内「宇宙館」(「鬼神窟」から変更になりました)入場無料中野区哲学堂公園 西武新宿線「新井薬師前駅」から徒歩12分 都営大江戸線「落合南長崎駅」から徒歩13分哲学堂公園ホームページ
2018.07.13
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昨年末に足を骨折してから、松葉杖では手提げカバンを持って歩けないので、デイパックで出勤していました。一応治った現在も、それを続けています。ところが、わたしのデイパックは16年以上使っている年代物。汚れ放題だったのは、洗濯したので汚れは落ちましたが(ついでに色も落ちた)、開け方を気をつけないとチャックは頻繁に外れ、肩紐の付け根の生地が破れかかってます。こりゃさすがに限界、ということで、新しいデイパックを買いました。ウエストバンドまで付いているのです。(このサイズで必要とは思えないけど)写真だと右の新しい方が大きく見えますが、実際の容量は左の古いほうが大きいです。正確には不明ですが、30リットル以上の容量があって、実は結構多くの荷物が入りました。ただ、目いっぱい荷物を入れると、中身はグチャグチャになってしまいますが。今回買ったものは27リットルなので、ちょっと小さい。というか、かなり小さいのです。しかし、二層構造になっているので、中の荷物がグチャグチャになりにくい。そのため、背負ったときに体感重量が驚くほど軽い。これは素晴らしいです。お値段はちょっと高くて1万4千円ほどでした。さっそく、通勤に使っていますが、近いうちに山にもデビュー、かも。
2018.07.12
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オウム事件死刑執行、その正当性と今後の課題を考える今国会後にはあるかもしれない。そうは思っていたが、存外早く、その日が突然やってきた。しかも、オウム真理教教祖である麻原彰晃こと松本智津夫のみならず、教団組織の各部署のトップであり、6人の元弟子たちもほぼ同時に執行された。凶悪事件の首謀者であり、多くの信者に犯罪を実行させた麻原が、最初に執行されるのは当然だ。ただし、元弟子6人を教祖と同時に執行したのは、極めて遺憾であった。 麻原が執行されたことについて、マスメディアでは、まるで決まり文句のように「真相は闇の中」というフレーズが使われる。彼は裁判中に精神を病み、心神喪失状態になって、何も語れなかったのだとして、執行は不当と訴える人たちもいる。確かに、麻原自身の口から事件の真相めいた事柄が語られたことはない。ただ、それは彼自身が選択した結果だ。それを心の病のせいにするのは違うだろう。麻原は、自身の法廷で不規則発言で退廷させられたり、次第に意味不明のことをつぶやいたり、法廷で居眠りをするなどの、一見すると異常な状況が続き、被告人質問でも何も語らなかった。ところがその一方で、彼は弟子の法廷に呼ばれた時には、結構饒舌に語っていた。心神喪失どころか、自らを防御するための実に合理的な対応もとっていた。 (以下略)---長いので省略しましたが、なるほど、と思わせます。麻原は、自分自身の法廷では、意思の疎通も図れないような異常な状態を装う一方で、他の信徒の裁判に証人として出廷したときは、まともに話をし、自分の身を守るために他の被告を恫喝したり、書記官の代読した宣誓書への署名を拒み、自分で宣誓文を書いて、余計なことを追記されないように余白を切り取る(視覚障害のため、代読されためのと異なる文面に署名して陥れられることを警戒したらしい)など、自己防衛のための策も弄していた、というのです。要するに、自分にとって都合の悪い場面ではコミュニケーションを拒絶し、それ以外の場面ではちゃんとコミュニケーションをとっているわけです。それが、精神疾患を装う意図によるのか、ただ単に生来のわがまま故なのかは知りませんけど、この状況を見れば、麻原の「精神疾患」が詐病と見做されても仕方がないところだろうと思います。 実際のところ、麻原が「あまりマトモではない精神状態」だったことは間違いなかろうとは思います。精神科医の診察を受ければ、境界性パーソナリティ障害か、気分障害か、不安障害か、具体的には分かりませんが、何らかの診断名がついた可能性は高そうだと思います。が、それが「心神喪失」に相当するほど重篤なものとは、とても思えません。(ちなみに、上記に挙げた障害では、裁判所は心神喪失も心神耗弱もまず認めないものばかりです)そもそも、殺人を犯すような人間が、その瞬間にマトモな精神状態のわけがないのであって、それを「心神喪失だ」と言い始めたら、殺人はたいてい無罪になってしまうのです。だから、精神疾患による心神喪失で無罪になるような事例なんて、滅多にあるものではありませんし、そのような重篤な精神疾患のある犯罪者は、それ以前に起訴されないのです。また、拘置所内での生活ぶりも、外部からの面会の申し出に対しては無反応である反面、運動や入浴の時間には自分で歩いて運動場や風呂場に向かう、食事も介助なくほぼ完食と報じられています。これが事実とすれば、やはり法廷での態度と同様、自分に都合の悪いことに対して無視を決め込んでいるだけであって、精神疾患などではない可能性が高いでしょう。これらの状況を見れば、麻原の死刑判決及び死刑執行は、日本に死刑制度が存在する以上避けがたかった(避ける必要もまったくなかった-という言い方はやや不本意ですが)としか言いようがありません。ただ、先の記事にも書いたように、麻原のマインドコントロール下にあった他の犯人たちも死刑であるべきだったか、またその処刑を麻原と「公平」に同日に行うべきだったか、という点は、大いに疑念を抱きます。リンク先の江川氏の文章は、もうひとつ重要な指摘を行っています。オウム事件の最大の教訓は、人の心は案外脆い、ということだ。どんな人であっても、タイミングや条件が合ってしまうと、思いの外簡単にカルトに引き込まれてしまう。ということです。あの犯罪行為を犯した教団幹部の学歴、経歴を見てください。綺羅星のごとく超一流大学を出た超有名企業の社員や、医師、弁護士などが並んでいます。そんな人たちが、我侭で俗物の極みのような人物にコロリと参って、決して許される殺人やテロ行為に走ってしまったのです。それが何故かを考える必要はあるでしょう。理由は色々あるでしょうが、おそらく入口の部分で、麻原は人をひきつける何かがあったはずです。そうでなければ、ただ単に我侭で俗物の極み、というだけの人物に、あれほど多くの人が引き込まれたことは説明ができません。もちろん、それは詐欺師としての才能、と呼ぶべき部類だってのかも知れませんが。そして、信者に「正大師」だの「正悟師」だのと階級をつける、「自治省」だの「建設省」だのの「省庁」を作る、そして信者同士を互いに麻原崇拝合戦を繰り広げるように仕向ける、要するに擬似国家を作って「愛国心」を競わせたわけです。興味のない外部の人間にとっては馬鹿馬鹿しい限りですが、ひとたび教団に取り込まれた信者たちは、この、いわばミニ国家のような教団内での愛国心競争、出世競争に必死になったわけです。実に馬鹿馬鹿しいことですが、わずか七十数年前、われわれが、擬似国家はない本物の国家の名の下に行ったことは、オウムの蛮行とどれほど違っただろうか、ということもまた、考えてみる必要があるでしょう。いや、70年前だけではない、今も世界には絶えることがない戦争や、それに伴う残虐行為も同様です。一宗教団体という狭いコップの中での群集心理か、国家という広い器の中での群集心理かという違いはあっても、カルト宗教と、カルト的方向に向かってしまった国家、それに熱狂する信者と国民、その違いはそう大きなものではないのではないか、という気がします。
2018.07.10
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西日本豪雨、増え続ける被害者 死者11府県81人に停滞した梅雨前線の影響で西日本各地に被害を与えた記録的な大雨で8日、高知県や岡山県で新たな被害が確認された。大雨特別警報はすべて解除となったが、13府県で81人が死亡、3人が重体、行方不明や連絡が取れない人は87人となり、被害者の数は増え続けている。(以下略)---東京ではあまり雨は降っていないのですが、西日本での一連の集中豪雨は凄まじいものです。高知県では3日間で1000mmを越える雨量を観測した地点もあるとのことで(東京の年平均降水量は1500mm程度なので、その2/3が一度に降ったことになります)、それによって生じた土砂災害の猛威もすさまじいのですが(死者行方不明者の大半は、それによって生じたものと思います)、倉敷市で、多くの家屋が屋根の直下まで浸水して人々が屋根の上に避難している写真も衝撃的でした。あれが平屋だとしても、浸水は3m近くにはなるはずですし、でも多分みんな平屋じゃないでしょう、おそらく2階建てが多いと考えれば、5mを超えるかもしれません。関東地方は、観測史上初めて6月中に梅雨が明けてしまいましたが、実は梅雨明けが発表されているのは7月8日現在、沖縄・真美と関東甲信越だけ、という一軒不思議な状況です。これは、梅雨前線が日本列島を南西から北東にかけて覆っている中で、関東地方だけが梅雨前線から離れてしまった状況が一定期間安定的に続いてしまったことから起こってしまったことのようです。もっとも、例年は「梅雨明け10日」と言って、梅雨明け直後の数日はもっとも天気が安定して晴天が続く時期ですが、今年は、梅雨明け宣言が出た関東甲信越も、それ以降何日か雨の日があり、この土日も、結果的に晴れましたが、大気の状態が不安定で雨の可能性が指摘される状況でした。そして、予報では明日も天気は悪いようです(週間予報では、関東は明後日以降は晴れが続く見込みです)。梅雨明け宣言は速報値であり、関東地方の梅雨明け宣言も、後日訂正になる可能性は多分にあります。この激しい降雨をもたらしたメカニズムは梅雨前線、異例の居座り 大雨を招いたメカニズムはによると、西日本を中心とする今回の大雨は、梅雨前線が東日本~西日本の上空で数日間ほぼ同じ位置に停滞したことが原因梅雨前線は、北側にある「オホーツク海高気圧」と南側の「太平洋高気圧」が、日本の近くでぶつかり、停滞することで生じる。太平洋高気圧の勢力が次第に強まり、前線が北上することで梅雨が明ける。今回は暖かく湿った空気が前線に向かって流れ込む梅雨末期の典型的な雨の降り方だが、前線が同じ場所に長時間居座ったことが異例。台風7号が日本海を通過したタイミングで、太平洋高気圧は南東に移動。このため梅雨前線が再び南下し、台風7号が運んできた暖かく湿った空気が雨雲の供給源となり活発化。広範囲に雨を降らせた。さらに、上空を流れる偏西風の影響などで、太平洋高気圧が北上できないまま、オホーツク高気圧との拮抗が続いたことで、停滞が長期間続いたとみられる。とのことです。それにしても、こうも毎年のように梅雨時期の集中豪雨で大きな被害が出ると、何とかならないかなあ、と思ってしまうのですが、何しろ国土の7割が山、というお国柄ですが、水害を完全に封じる、というのは不可能なのが現実でしょう。話は変わりますが、この水害をめぐって、社民党の福島議員が叩かれているのだそうです。豪雨をめぐる事実誤認を謝罪せず 福島みずほ議員の投稿が炎上福島議員が台風による被害にあわれたみなさんに心からお見舞いを申し上げます。 というツイートを行ったところ「台風じゃない!豪雨だろ!」という「批判」が殺到して、これを削除して集中豪雨の被害が広がっています。亡くなられた多くのみなさんに哀悼の意を表します。また、避難勧告が多くの人たちに出ています。お見舞いを申し上げます。沖縄にも台風情報が出ています。というツイートをしたところ、謝罪も訂正もしないのか、とまたまた騒いでいる奴らがいる、ということです。実に馬鹿馬鹿しい、騒いでいる奴らが、です。どうせ、最初から福島瑞穂のあら探しをしているネトウヨ連中が騒いでいるだけですが、「台風による被害」は間違いではありません。引用記事にあるように、一連の集中豪雨は台風7号が運んできた暖かく湿った空気が雨雲の供給源となり梅雨前線が活発化したことで始まっており、台風第7号が引き金を引いたのは確かです。だから、気象庁も【近畿地方】平成30年台風第7号と前線等による大雨の関連情報と表現をしています。「台風による被害」ではなく「台風と集中豪雨による被害」と書けば、より正しかったのは確かですが、たいした問題ではありません。「台風じゃない、集中豪雨だ」などと、ドヤ顔で書いているネトウヨのアホさ加減には呆れるより他ありません。
2018.07.08
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オウム真理教 松本死刑囚ら7人執行 事件、節目上川陽子法相は6日、東京・霞が関の法務省で記者会見し、オウム真理教による一連の事件で死刑が確定した教団元代表、松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚ら計7人の刑を同日執行したと発表した。上川法相は事件の概要や各死刑囚の役割などについて説明。そのうえで「命を奪われた被害者、ご遺族らの恐怖、苦しみ、悲しみは想像を絶する。慎重にも慎重な検討を重ねて執行を命令した」と述べた。(以下略)---今回7人もが同時に処刑されたことは、日本国内よりむしろ国外に与えた衝撃のほうが大きかったようです。戦後最大規模の死刑執行、世界に衝撃 非人道的と批判もによると、EU加盟28カ国とアイスランド、ノルウェー、スイスが死刑執行に反対する共同声明を出した、ということです。私自身は以前にも何度か触れましたが、死刑制度に対する賛否は、どちらの思いも交錯しているので、何とも言えません。ただ、一連のオウム事件に関して言うと、首謀者たる松本の死刑は、これは良し悪し以前に、避け難い、他の選択肢はないだろう、としか言いようがありません。しかし、麻原のマインドコントロール下にあった他の死刑囚に関しては、それで本当によかったのか、という疑念は捨て難いものがあります。その麻原にしても、結局事件の責任に対して正面から向き合おうとはせずに終わってしまいました。もっとも、何をどうやっても、あの男を事件の責任に向き合わせることは不可能だったのかもしれませんが。死刑の是非はともかくとして、オウムの一連の犯罪行為の推移を見ていくと、この団体がここまで犯罪を繰り返す以前に阻止できなかったのか、という疑念を強く抱かざるを得ません。オウムによる一連の犯罪行為の中で一番最初のものは、1988年9月の信者死亡事件です。死亡の経緯自体は、どうやら事故死だったようですが、事態の発覚を恐れた麻原は証拠隠滅のために遺体を焼却して砕いて遺棄してしまった。さらに翌1989年2月には、脱会しようとした信者を殺害しています。ここまでは闇から闇で、まったく表沙汰になることがありませんでした。殺人が表面化しなかったことで気が大きくなったのか、一人殺せば10人殺すも同じ、と考えたのか、そのあたりは分かりませんが、ここまでの死体遺棄と殺人が表沙汰にならなかったことで、オウムは更なる犯罪に手を染めていきました。同年11月、オウム真理教を批判して、「被害者の会」を組織していた坂本弁護士一家殺害事件です。それまでの犯行は、犯罪の存在すら世間的に知られることはありませんでしたが、この事件で初めて、外部の人間を殺し、その事実が広く世間に(「行方不明」という認識でしたが)知られることになりました。しかも、犯人たちは現場にオウム真理教のバッチを落とす、という大きなミスを犯しています。にもかかわらず、警察は犯人を検挙できませんでした。被害者である坂本弁護士が共産党の支持者であり、日頃警察と鋭く対立していたことが背景として指摘されます。この後、オウムの犯罪はとめどなくなり、信者の死亡事件(事実上リンチ殺害)、ボツリヌス菌や炭疽菌の培養と散布(失敗)、VXガスによる滝本弁護士襲撃(失敗)などを繰り返して、1994年6月の松本サリン事件に至ります。その松本サリン事件でも、被害者の一人が当初、最初の通報者である河野義行氏が、たまたま自宅に農薬や化学薬品を持っていたために疑われることになり、真犯人であるオウムにたどり着くまでに時間を空費している間に、更なるリンチ死や拉致殺害を繰り返して、1995年3月の松本サリン事件に至りました。地下鉄サリン事件は、一連の犯罪について、警察当局がようやくオウム真理教による組織的犯行と確信して、強制捜査に乗り出そうとした矢先に、強制捜査が間近なことを察したオウムが捜査のかく乱を狙って「先制攻撃」に出たものです。坂本弁護士事件ですぐに強制捜査が行われていれば、おそれ以降の犯罪は阻止された可能性が高いし、松本サリン事件で河野氏に疑いをかけて時間を空費していなければ、あるいは強制捜査の動きをオウムに察知されていなければ、地下鉄サリン事件は防げた可能性が高いのではないでしょうか。そう考えると、やはり捜査における最初のミスが致命的に大きかったと言わざるを得ないのではないかと思います。
2018.07.07
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保守速報「存続危機」明らかに 広告完全ストップ...今後は「グッズ販売」?「このままだと存続が危うい状況です」――。有名まとめサイト「保守速報」が2018年7月1日、掲載していた全広告が停止となったことを受けて、管理人の名義でコメントを発表した。今後の運営については、福岡県行橋市の小坪慎也市議から「支援体制について提案がありました」と報告。小坪氏のブログによれば、ノベルティグッズの販売などで運営費を集めることを検討しているという。保守速報は12年4月開設。5ちゃんねる(2ちゃんねる)などの書き込みを転載して紹介するまとめサイトで、保守的かつ「嫌中・嫌韓」的な編集方針で知られる。ツイッターのフォロワーは5万9000人超だ。~こうした保守速報の運営方針をめぐって、ネット上では6月初旬頃から、同サイトに広告を掲載している企業へ取り下げを求める動きが活発化。これを受け、エプソン販売(東京都新宿区)など広告掲載を停止する企業が続出した。実際、同月中旬頃からは、保守速報上のバナー広告がすべて消滅する事態となっていた。このような状況に、保守速報の運営側が初めてコメントを出した。7月1日に「保守速報からのお知らせ」と題した記事をサイトに掲載し、管理人の名義で、「現在広告がない状態で運営しております。このままだと存続が危うい状態です」と伝えたのだ。~---ザマを見ろ、としか言えません。3年ほど前に、自民党の極右系議員の集まりで、百田尚樹が「沖縄の二つの新聞はつぶさないといけない。」とか「マスコミをこらしめるには広告料収入をなくせばいい。」などと叫んだことが報じれれたことがあります。彼らが「沖縄の2紙」(や、朝日や毎日)に対してやろうとしたことを、逆にやられてしまった、というそれだけの話です。それにしても不可解なのは、なんで広告がないと維持できないのでしょうか?わたしのこのブログは使用料無料なので、広告は掲載されていますが、私自身には一銭も収入はありません。仕事でやっているわけではないので、それで何の問題もありません。有料ブログにすれば、広告を消すことも出来ますし、逆に広告を表示して収入を得ることもできます。と、いうことは、「保守速報」が「このまま(広告がない)だと存続が危うい」というのは、有料ブログを使って広告収入を得ていた、ということです。それも、小額の小遣い稼ぎレベルではなく、商売として相当の収入を得ていた、ということなのでしょう。有料ブログの使用料なんて、月額数百円か1000円程度なんだから、広告収入がなくたって、子どもの小遣いレベルで維持できるものです。これぞまさしく、商売右翼というやつなんでしょうねえ。だけど、「まとめサイト」って、要するに2チャンネル上から面白そうな記事を探してコピペするだけですよね。そんな他人のふんどしで広告収入を得ていたわけ?「名無し」さんたちが誰も文句を言わないから問題にならないのかもしれませんが、著作権法上は真っ黒でしょう(匿名掲示板への書き込みの著作権を認め、書籍への無断掲載に損害賠償を認めた判例があります)。ネトウヨ系のYouTubeやメルマガ配信でお金儲けをしている連中がいる、というのは知識としては知っていましたが、まとめサイトも同じだったんですね。というか、そんなのは私が知らなかっただけで、周知の事実なのでしょう。だから広告主を狙い撃ちしたのでしょう。そんな安易な(著作権的に真っ黒な)手段で金儲けしていた連中が、金づるを失って右往左往していても、当たり前のこととしか思えないのです。※余談ですが、わたしはYouTubeのチャンネルも持っておりますが、そちらも1円も収入は得ていません。ただ、YouTubeは無料でも広告は表示されないのです。著作権者(らしきもの)が権利侵害の申立を行うと、広告が掲載されますが、異議申し立てを行えば広告は消えます。権利侵害申立を行う「(自称)著作権者」の多くは、かなり怪しい。だから、JASRACのサイトで権利関係を調べて、嘘と思われる「著作権者」からの申立に対しては異議申立をして広告は消しています。一部、「本物」と思われる著作権者からの申立に対しては、正当な著作権者に著作権使用料が支払われることを忌避する理由もないので、そのままにしてあります。
2018.07.05
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メキシコ大統領選 史上初、左派大統領 「対米改善を模索」任期満了に伴うメキシコ大統領選の投開票が1日にあり、野党・左派「国家再生運動(MORENA)」の元メキシコ市長、ロペスオブラドール氏が当選した。メキシコ史上初の左派政権が誕生する。トランプ米政権に強硬姿勢をみせてきたロペスオブラドール氏だが、勝利演説では米国との関係改善を目指す考えを示した。一方、ロペスオブラドール氏は従来、NAFTAの再交渉は自身の政権が担うと主張。「再交渉で協力を強める必要性があると認識できた場合のみ、加盟国であり続ける」と条件次第で離脱も示唆しており、交渉は長期化しそうだ。「米国第一主義」を掲げるトランプ大統領に対抗し、「メキシコ第一主義」を主張してきたロペスオブラドール氏は、内政不干渉や民族自決の原則を強調した上で「米国との親密な関係を模索する」と発言。トランプ氏もツイートで祝意を示した。日系企業には左派政権を不安視する声もあったが、ロペスオブラドール氏は演説で「企業の自由は保証される」と語るなど、不安の払拭に努めた。メキシコで汚職と犯罪が深刻化する中、ロペスオブラドール氏は効果的な対策を取れない既成政党を批判し「新たな選択肢」として支持を広げた。演説では「汚職と犯罪の不処罰を根絶することが自分の政権の主要な課題」と述べ、政治家の資産公開の義務化など、公約を進める考えを示した。選管当局が発表した暫定結果によると、ロペスオブラドール氏の得票率は53.61%。野党・中道右派「国民行動党(PAN)」のアナヤ前党首は22.63%、与党・中道右派「制度的革命党(PRI)」のミード前財務公債相は15.49%。---ロペスオブラドール候補、フルネームはアンドレス・マヌエル・ロペス・オブラドール、やたらと長い名前なので、メキシコでも頭文字を取ってAMLOと通称されます。ガンダムには乗らないけどアムロです(笑)AMLOは、今回は新党であるMORENA(国家再生運動・この略称自体が「褐色」という意味で、おそらく先住民やメスティソの肌の色を意識して、この党名にしたのでしょう)からの立候補ですが、前回と前々回大統領選には、PRD(民主革命党)から出馬しており、MORENAもまた、PRDからの分派です。という説明の前に、いろいろな政党名が出てくるのでメキシコの政治史を超簡単におさらいします。制度的革命党PRIは、1910年のメキシコ革命によって成立した革命政権から誕生した政党です。1929年の結党(その時点ですでに与党)から2000年まで与党の座にありました。革命政権から始まったものの、長らくメキシコの体制として君臨したため、党内には左派から右派まであらゆる派閥が同居していました。一方、野党は、非合法化されるか、PRIの衛星政党として存続を許されるだけの存在。そんな衛星政党の一つだったのが右派の国民行動党PANです。しかし、80年代以降、PRIは次第に支持率を落とし、それとともに急激に右旋回していきます。それに対して不満を募らせた党内左派は1988年、指導者格のクアウテモク・カルデナス(父ラサロ・カルデナスは1934年から40年まで大統領を務めた)に率いられてPRIを離党、左派の小政党も合流して、国民民主戦線FDN(後に民主革命党PRDに改称)を結成して、大統領選に挑みました。PRIは露骨な開票不正という手で辛勝したものの、PRIの強固な一党支配体制は崩壊し、以降右派のPAN、左派が抜けて右傾化したPRI、左派のPRDがメキシコの主要政党となります。今回大統領に当選したAMLO氏も、元々はPRIの出身で、カルデナスとともに離党した人物です。不正選挙でカルデナスを破ったサリナスは、汚職追放を公約に掲げたのですが、実際にはメキシコ史上でもっとも汚職まみれの大統領となり、最後には自身の後継者候補者が選挙中に暗殺される事件への関与が疑われる中、任期切れとともに国外に亡命してしまいます。そのことも一つの要因になって、その次、2000年の大統領選で、とうとうPRIは負けて、史上初めて下野しました。ただし、勝ったのはPRDではなく、右派野党のPANでしたが。同じ年にメキシコ市長に当選したのがAMLOです。首都メキシコ市は左派勢力の牙城で、市長公選制導入以降、最初は前述のカルデナスが、続いて2000年の市長選ではAMLOが当選しています。AMLO市長と右派のPAN政権は何かにつけて衝突しました。中央政府に噛み付くAMLOは国民的人気を獲得し、次の2006年の大統領選に挑みましたが、史上稀に見る僅差(AMLO陣営は不正を主張していますが)で敗北しました。その後、前回2012年の大統領選でもAMLOは再び敗北。ただし、2期続けて大統領選に勝ったPANも敗れ、政権は再びかつての支配政党PRIに戻ります、この大統領選の過程で、AMLOは所属するPRDに不満を抱いたのでしょう。選挙の後に離党しました。その経緯は、在墨日本大使館のホームページの説明が分かりやすい。2015年メキシコ中間選挙(6月7日実施)-注目のポイントーPRDは,新自由主義改革に反対する元PRI党員と,左派諸勢力が勢力糾合して結成された党であり,88年大統領選で善戦して以来,反PRI運動の中心として勢力を伸ばし,カルデナス元大統領候補,ロペス・オブラドール前大統領候補というカリスマ指導者の下で結束を維持してきた。近年,一定の勢力を得たことを背景に,脱カリスマ指導者,そして責任政党としてのあり方を模索する「新左派」が主流化,同グループは与野党協力による構造改革に貢献した。しかし,2012年にロペス・オブラドール前大統領候補,2014年にカルデナス元大統領候補が離党,深刻な党内分裂に直面した。加えて,2014年ゲレロ州での教員養成学校学生襲撃事件(43人が殺害されたとされる)に自党の地方政府関係者が関与していたことから政治腐敗を追及された。要するに、PRDの主流派は「現実化」という名で与党との妥協の道を選択し、カリスマ指導者、つまり個人的人気の高いAMLOは邪魔者扱いされるようになった上に、政治腐敗や犯罪行為への関わりでもPRDがPRIやPANと変わらなくなってきたので、袂を分かったわけです。そして、自身の政党MORENAを率いて、今回3度目の挑戦で、ついに大統領選に勝ったわけです。では、AMLOと袂を分かったPRDは、今回選挙ではどこに行ったか?何と、右派政党PANと連合を組んだのです。よりによって、PANとPRDの連合、日本で言えば維新の党が社民党と組んだのに近いかもしれません。あまりに野合が過ぎます。あるいは、PANと組んででもAMLOを引き下ろしたいというくらい、かつての同志に対する対抗心が強かった、ということなのかもしれません。さて、しかし問題は当選後です。メキシコの抱える問題は深刻です。経済問題や米国との関係もそうですが、特に深刻なのは政治腐敗と暴力です。この2つの問題は、メキシコにおいては表裏一体です。この十数年間、多くの政治家が暗殺されてきました。罪組織が政治、行政、警察、軍にまで浸透し、自らに敵対的と思われる政治家を消すのです。こういう国で、公的立場にある人間が清廉潔白であり続けることは、命の危険が伴います。協力すれば賄賂を、協力しなければ死を、という究極の選択を強いられるからです。政治家が自らの政敵を犯罪組織に依頼して消させる、という事例すらもあるようです。何しろ大統領が、同じ与党の自分の後継者を暗殺した、との疑いがかけられるくらいですから、推して知るべしです。ジャーナリストやマスコミ関係者も同様です。麻薬組織を非難する記事を書けば、記者が殺されます。そうやって暗殺されたジャーナリストは何十人何百人もいます。いや、公的立場にあるものやジャーナリストばかりではありません。何しろ、年間2万人以上が麻薬組織によって殺されているのです。毎日どこかで惨殺死体が転がっている、それも一人二人ではなく、時には一度に何十人もです。首都メキシコ市などの南部はそんなことはありませんが、米国との国境に近い北部は、目も当てられない状況です。わたしはメキシコが大好きで、是非また行きたいですけど、チワワ州、ソノラ州、コアウィラ州、シナロア州辺りは遠慮します。あまりに危険すぎるので。どう考えても異常な状況であり、大好きな国なのでこんなことは言いたくありませんが、「破綻国家」と言われても仕方がない状況です。その状況をPRI政権もPAN政権も、まったく解決できませんでした。AMLOはどうでしょうか。少なくともPRIやPANではもうどうにもならないと多くの国民が判断したから、AMLOに支持が集まったのでしょう。ただ、問題の根は深く、早々容易に解決できることではありません。彼が背負う責務は重大ですが、大いに期待して行きたいと思います。その期待が裏切られないことを祈ります。
2018.07.03
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演奏のご案内です7月29日(日)中野区哲学堂公園にて演奏します。演奏 ティエラ・クリオージャ時間 1回目11時より、2回目午後4時より 各9曲演奏予定(曲目は1回目と2回目でだいたい共通の予定です)演奏場所 哲学堂公園内「宇宙館」(「鬼神窟」から変更になりました)入場無料中野区哲学堂公園 西武新宿線「新井薬師前駅」から徒歩12分 都営大江戸線「落合南長崎駅」から徒歩13分哲学堂公園ホームページ同ホームページ内にも演奏の案内もアップされました。ティエラ・クリオージャ
2018.07.02
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例によって、葛西臨海公園に行ってきました。猛暑ですが、風が強かったため、思ったほど暑くは感じませんでした。東京近辺ではもっとも鳥の種類の少ない時期なので、珍しい鳥はいませんでしたが、子育て中の鳥はいっぱい。そして、5月に写真をアップしたオオタカの若鳥(多分、同じ個体でしょう)が、まだいました。そのオオタカとハシブトガラスの争いを写真におさめました。さながら、野生のワールドカップです。※鳥の死骸の写真がありますので、苦手な方はご注意オオタカの若鳥が1羽、ウォッチングセンターの前にいました。そこに、ちょっかいを出しにハシブトガラスが2羽登場。怒って、翼を広げて威嚇するオオタカ。堪忍袋の尾が切れて、ハシブトガラスの1羽に向けて突進。逃げるハシブトガラス、追うオオタカ。体の大きさは、オオタカよりハシブトガラスの方がやや大きいですが、何しろ猛禽類ですから、鋭いつめとくちばしの威力で、本気になればオオタカは多分ハシブトガラスより強いのです。ただし・・・・・・ただし、おそらく知能はハシブトガラスの方が上じゃないかと思われます。で、1羽のハシブトがオトリになって逃げ回っている隙を突いて、もう1羽がすかさずカウンターアタックちゃっかりエサの横取りに成功。なかなかの連係プレー。茫然自失の(かどうか知りませんが)オオタカ。なかなかの悪役っぷりですが、そんなハシブトガラスも、腹を空かせた子どもが待っているのですよ。ときには憎たらしく思えるカラスも、こういうときにはかわいいです。
2018.07.01
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