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今日は休み休日にしては割りと早く目が覚めた“どこか景色のいいところで、のんびりと過ごしたい…”そんなことを思い立ち、ふらっと出かけた電車に揺られること2時間弱向かったのは、神奈川県二宮町の吾妻山公園1月から2月にかけて、山頂付近では菜の花が咲き乱れ、一足早く春を感じることができるスポットである 吾妻山公園は、標高136.2メートルそう大した高さではないが、石段続きの道は結構堪えるけれども、自然に囲まれたなかを歩くのは、なかなか気持ちがいい季節を彩る植物がいろいろと植えられているようで、今の時期は水仙の花があちらこちらで群生している一般的に見かけるものから、八重咲き、白い水仙など、甘い香りをほんのりと漂わせていて、眼と鼻を楽しませてくれたゆっくりと歩を進めていったので、二十分弱ほどで山頂に到着した360℃の大パノラマからは、箱根や丹沢の山並み、陽射しを受けてキラキラと煌く相模湾を眺めることができる本来ならば富士山の姿もあるはずなのだが、そちらの方角は大きな雲が居座っていて、その切れ間から一部だけを拝むことができた それにしても、いい天気!ポカポカとしていて、まるで春を思わせる陽気若干見頃よりも早いような気もしたが、たくさんの菜の花が咲いていて、菜の花特有の青臭いような匂いがぼんやりと漂っているまだ年が明けて間もないが、たしかに春を感じていた山頂は、菜の花を楽しむ人で賑わいをみせている親子連れやカップルの姿、ピクニック気分で訪れる中年のグループなど、思っていたよりも多くの人が各々の時間を過ごしている自分はと言うと、木でできた長椅子に腰掛けて、ひたすらボーっとしていた暖かな陽射しを浴びていると、心地よさのあまり眠気に襲われるこんなことだったら、読書するためになにか本でも持ってくればよかった…そんなことを思いながら、春の陽気に身を委ねていたいつのまにか陽はだいぶ傾き、西の空が茜色に染まり始めていた折角だから、陽が沈むのを眺めよう…そう思ったのだが、大きな雲が空を覆いつくしていたのと、丁度山間に夕陽が隠れてしまい、感動するような夕焼けに出合うことはできなかった見晴らしがいい場所だっただけに、ちょっと残念そうこうしているうちに、気づけば閉園時間の17時を迎えようとしていた一体どれほどの時間をここで過ごしたのだろう何をしていたかと言ったら、植物や陽気から早春を感じ、心地よさのなかでただただボーっとしていただけまあそんな日があってもいいよね
2010年01月09日
芝浦とお台場を結ぶレインボーブリッジベイサイドの象徴ともいうべきその橋が、七色に煌いて闇夜に浮かび上がっていたレインボーブリッジだけに、七色?きっとそうだね単純明快で分かりやすい!それにしても七色の橋、素敵だなぁ…虹の架け橋みたいまるでその美しさに導かれるようにして、レインボーブリッジの近くまで車を走らせたこの辺りは埠頭なので、倉庫が多い日中は交通量は多いものの人影は疎らなので、夜ともなると尚更寂しくなるそんな静けさのなか、レインボーブリッジを眺める七色のレインボーブリッジは、スペシャルライトアップとして、1月4日まで実施されるのだそう橋桁から見上げると、かなりの迫力!ひとりではしゃぐ男なんだか分からないけれど、楽しい夜です
2009年12月26日
毎年、紅葉のライトアップを楽しんでいる、駒込にある六義園今年も足を運ぶ早い時期に行こうと思いつつも、いつもギリギリになってしまうよって、自分が訪れるときは、紅葉の彩りもだいぶ褪せている今年はそれが特に顕著に現れているような気がした染井門から入ると、いつもは色鮮やかな紅色が視界に飛びこんでくる紅葉が、頼りなさそうな細々とした枝を剥き出しにしていた葉はすでに散ってしまったようだ水面に映えるようにして枝を張り出している紅葉の木々も、すでに落葉していて、見るも寂しいかぎり暗闇のなかに漠然と浮かび上がる色の無い風景は、すでに秋の名残りすらなく、なんとも寒々しい折りしも今日は冷え込みが厳しいので、身体を縮こまらせて歩を進めた とうに見頃を過ぎていることに落胆の色を隠せないそれでも園内には、いくつか色鮮やかな紅葉もまだ存在していて、楽しむことができたライトに照らされて、闇夜に映えるその姿は、なんとも幻想的なかでも、まるで空を覆い尽くすようにして、空一面を紅く染めあげた紅葉の光景は圧巻その美しさに、寒さも忘れてしばし見惚れた日本の秋は美しい秋の色、好きです歩き回っていると、ついつい寄ってしまうのがお茶屋吹上茶屋で、お抹茶と和菓子のセット赤い毛氈が敷かれた長椅子に腰掛けて一休み薄茶の温かさが、冷えた身体に優しく沁みわたる日本庭園の眺めもいいし、なんだか、まったりしてますそろそろ12月も半ばちかく晩秋のひととき季節を感じ、季節を楽しみ、季節を惜しむそんな夜です…
2009年12月10日
秋もだいぶ深まってきていた今日は仕事で、東京を離れているさすがに自然が豊かな場所となると、いたる所で色づいた木々が眼に留まる都内では、街路樹として銀杏が多く植えられているので、今は鮮やかな黄金色をした葉が、見る景色を秋の色に染め上げているそれはそれで季節を満喫することができるのだが、郊外には郊外の秋の景色がある飾らない純朴な秋も、また趣があっていい 仕事が早めに片付くと、時間もあったので、休憩もかねて、湖畔の遊歩道を歩いた人影がまったくない、ひっそりとした道そこには紅葉が、まさしく文字通り紅く色を讃えていた黄色・橙・茶色…秋を言い表す色は数あるが、自分のなかでは、やはりこの燃えるような紅葉の“紅”に秋を感じる今が見頃なのか、それともちょっと過ぎたのか樹の下には、落ちた紅葉がまるで絨毯のように敷き詰められているそのうえを歩いていくと、カサッカサッと、乾いた音が耳に届くどこか物悲しいその旋律哀愁漂う風景と相まって、せつない思いが自分の胸に去来した今の季節になると味わう、秋独特のせつなさゆったりとした時の流れ誰もいない秋贅沢にも秋を独り占め何をするでなく、一人佇む何も考えない考えたくない今を、この瞬間を大切にしたいそんな風に思った静かに、けれども着実に、秋は深まっていきます
2009年11月30日
立て込んでいた仕事も、取り敢えずは一段落つき、ようやく休みを取ることができた久しぶりの休日…一体何日ぶりだろ?家のなかでのんびり過ごしたいところではあるが、思いきって外出した電車に揺られること、おおよそ2時間弱これだけ電車に揺られていると、ちょっとした小旅行気分降り立ったのは、埼玉県日高市にある高麗(こま)駅この時期に咲く、ある花を見るために訪れたのだ駅から歩くこと約10分高麗川のゆるやかな流れに沿うようにして歩いていくと、目的地である「巾着田」に到着した日高市内を流れる高麗川の蛇行により長い年月をかけてつくられ、その形が巾着の形に似ていることから呼ばれるようになった巾着田は、春になれば菜の花、秋にはコスモスと、草花が四季を彩るなかでも一番有名なのが曼珠沙華およそ100万本もの曼珠沙華が咲く巾着田は群生地として有名で、花の見頃を迎えると、その幻想的な世界を一目見みようと大勢の人で賑わう秋の彼岸の季節の頃になると咲くことから名前がついた“彼岸花”は、別名“曼珠沙華”とも呼ばれているその曼珠沙華の群生地である巾着田まるで赤い絨毯を敷き詰めたかのような、地面を真っ赤に覆いつくすその光景はこの世のものとは思えないほどで、一度見たら忘れられないなので、この時期になると、自然とこの地に足が向いてしまうとはいえ、まるで重なるようにして、毎年この時期は仕事が忙しい結局、去年は休みが取れず、来ることができなかった今年は二年ぶりである自分が巾着田を訪れるのは、例年9月末ごろその頃になると、早咲きの曼珠沙華は、見頃を過ぎてしまっている高麗駅から徒歩で巾着田に到着すると、まず目の前に広がるのは早咲きの群生地今年も早咲きのものは終息に向かっていて、地面を覆いつくすほどに咲き競っている曼珠沙華はすでに色褪せ、どこか物悲しい光景が広がっていた しかし、遅咲きのものは今が丁度見事ということで、足を踏み入れていくと、色鮮やかな曼珠沙華の世界が目の前に広がった地面を真っ赤に染める曼珠沙華…さすがに初めて来た時ほどの驚きと感動はないものの、浮世離れしたこの光景は、何度訪れても圧巻果てしなく続く曼珠沙華の世界に迷いこむかのように彷徨い歩いた今日は快晴に恵まれた歩き回っていると、額にうっすらと汗が浮かぶほど巾着田は、たくさんの人が曼珠沙華を楽しんでいるだいぶ年齢層は高めだが、小さなお子さんを連れた家族連れやカップルもちらほら、遠足なのか?大勢の小学生の姿もある丁度昼時ということもあってか、すぐ傍を流れる高麗川の河原でお弁当を広げている人の姿も多く見られたちょっとした広場では、狭山茶や蜂蜜といった埼玉県特産の土産物屋が立ち並び、軽食の出店も出ていて、それらを買い求める客で賑わっている自分はというと、お腹が空いているわけではないのだが、出店でちょっと面白いものを見つけたので、買ってみたそれは、巾着田名物?のお饅頭ごくごく普通の饅頭なのだが、ネーミングが面白い『まんじゅうしゃげ』曼珠沙華(まんじゅしゃげ)と饅頭(まんじゅう)の二つの言葉を合体させた造語なのだなんともぬるい感じが気に入った別に饅頭のなかに曼珠沙華の花が入っているわけではない饅頭の仕上がりをピンク色にしたところに、花を意識しているのだろうちなみに、餡子のなかには栗の甘露煮が入っていた素朴な美味しさでした巾着田には、コスモス畑、すぐ傍には水車小屋や馬小屋もある遠くを望めば山が見え、緑多い場所に来ているせいもあってか、時間の流れがゆったりと感じられるのんびりと過ごし、大いにリフレッシュすることができたもうしばらく居たいのはやまやまだが、休みは今日だけ日頃の疲れも溜まっているなかで、休みの日まで遊び疲れてしまったら、自分の身体から疲労感が抜けることがなくなってしまうまだまだ時間はたっぷりあったが、後々の事を考えて、後ろ髪引かれる思いで巾着田を後にした
2009年09月25日
仕事柄、朝は早いけれども、今は忙しいので、さらに早起きしている目覚めはいいほうだが、さすがに寝不足の日がこうも続くと、正直言って辛い無情にも鳴り響く目覚まし時計を止めると、眠い眼をこすりながら浴室へと向かうぬるま湯のシャワーを浴びて眼を覚ますと、のんびりする暇もなく、身支度をして家を出る冬場の時期だと暗闇に包まれている外も、日が長い夏場は、東の遠くの空はうっすらと明るくなっているまだ眠りから覚めていない街行き交う車は、トラックやタクシーが多いそんななかを、愛車のハンドルを握って疾走するはじめのうちは薄暗かった空も、時間が経つにつれ次第に明るさを増し、美しいグラデーションが空一面に展開されていたなんと人の心を虜にする光景なのだろう間もなく日の出を迎えるのだろうか神々しいまでのオレンジ色の光が、空を、そして自分までも包みこもうとしていたその光に照らされて、自分は不思議と満たされた気分でいた疲れているはずなのに…眠いはずなのに…こうして朝焼けと対峙していると、パワーを貰えているような気がして、元気になる生きる喜びや希望のようなものを、朝日の光から感じとっていたこれで、今日も一日頑張れる
2009年08月07日
花菖蒲の季節葛飾区は、シンボルの花が花菖蒲というだけあって、区内には堀切菖蒲園、水元公園、小岩菖蒲園といった名所が点在しているそのうちの堀切菖蒲園は先日訪れたので、今日は水元公園に足を運んだ水元公園は、都内最大の水郷公園というだけあって、とにかく敷地が広いそんな緑豊かな広い公園には、家族連れやカップルなど、大勢の老若男女の人たちで賑わっていた花菖蒲の季節だし、今日は土曜日だから人出も多いのかもしれない目指す菖蒲田へと続く、真っ直ぐと伸びる並木道には、たくさんの露店が並んでいるたこ焼きやかき氷といった定番のものから、なぜか八丈島の特産品を扱っている店もあったそのうちの一軒で、“くさや”を焼いて売っていた“くさや”といえば、悪臭高き代物それを堂々と焼いて大丈夫なのだろうか?自分の目の前で焼かれている“くさや”どれほど臭いのか興味津々だったが、自分から嫌な思いをすることはないだろうと、止めておいたそれから、今は陶器市が開催されていた茶碗に小皿、小鉢にマグカップなど、色々な商品が破格の値段で売られていて、それらを多くの人たちが手にとって楽しんでいる自分も興味はあって覗いたりしたが、持ち帰るのが大変そうなので、見るだけにしておいた車を停めた駐車場からのんびり歩くこと10分弱のところで、お目当ての菖蒲田はあった100種、およそ20万本の花菖蒲が咲き乱れるその光景は、なかなかのもの紫、白といった見るからに涼しげな花が、見事なまでに咲き競い合っているそれにしても、人が多い今日は快晴に恵まれたということもあり、「花菖蒲まつり」は凄い賑わいを見せている菖蒲田の傍に設けられた特設ステージでは、地元地域の小・中学校による音楽会が催されていて、そのメロディーと、人びとの明るい声が、絶えず自分の耳元に賑々しく届けられる休日のまったりとした空気を、ひしひしと肌身で感じていた 水元公園の花菖蒲は、数が多いだけに、それはそれは見応えがあるのだが、如何せん花菖蒲の名札が掲げられていないので、何の花かわからず魅力が半減してしまうそれに、菖蒲田の周りには柵が設けられていて、近づけないようになっているので、間近で楽しむことはできないその点からすると、堀切菖蒲園は、ひとつひとつの花菖蒲に名札がつけられていたし、手で触れられるぐらいの近い距離で花を眺めることができて、十分に堪能することができたそう考えると、花菖蒲そのものを楽しみたいのであれば堀切菖蒲園、景観のスケールの大きさは水元公園といったところだろうか広大な菖蒲田に咲き誇る景観も圧巻ではあるが、自分個人的には、じっくりゆっくり眺めることができる堀切菖蒲園がいい 水元公園の菖蒲田も、一部は花菖蒲を間近で楽しめるところがある菖蒲田を跨ぐようにして設けられた木道があるのだそこには、花菖蒲の品種名もしっかりと掲げられている今日は天気がすごくいい暑がりの自分としては、じんわりと額に汗が浮かんでくるその汗を拭いながら、花を楽しむすると、菖蒲田のなかを歩く初老の男性の姿が…見ると、咲き終わったり、萎んだりしている花菖蒲を摘み、手に持ったビニール袋に入れていっているこういった人たちの陰ながらの支えがあって、我々はこの美しい景観を楽しむことができるんだねどうもご苦労さまですさてさて、とにかく水元公園は広大なので、歩き回ったせいかすっごい疲れたけれども、緑豊かな自然溢れる場所のせいか、その疲労感は不思議と心地よい休日らしい休日を過ごした一日であった
2009年06月13日
夜もだいぶ更けた頃…ネオンが華やかに煌く銀座の街家路に向かうために車を走らせていると、ライトアップされた黄色い花畑が視界に飛び込んできた???よく見ると向日葵の花だ!安全なところに車を停めると、銀座のど真ん中になんとも不釣合いな形で突如として現れた、ひまわり畑へと寄った数寄屋橋交差点のすぐ傍にあるソニービル1階のイベントスペースでは、“ひと足早く、銀座に夏をお届けします”と題して、千葉県南房総西岬地区から取り寄せたという3000本の向日葵の花が飾られている偶然にも見つけた、都会の小さなひまわり畑いつもは花材のひとつとして見慣れている向日葵も、さすがに3000本もの数となると、その勢いに圧倒されるライトアップされて、闇夜に浮かび上がる向日葵たちは、太陽が隠れていても、実に活き活きとしている黄色、山吹色、レモンイエロー、ブラウンと、一つ一つの花たちの表情はどれもこれも微妙に違うので、見飽きることがない終電も迫った時間のせいか、家路に急ぐ人々たちを背に、自分はただひとり、向日葵の花に見惚れていたまるでギラギラとした夏の太陽を彷彿とさせる向日葵そんなイメージもあってか、向日葵の花を見ていると、なんだかパワーを貰える気がして元気になる1本だけでもそう感じるのに、今自分の眼の前には3000本もの向日葵がこちらに顔を向けているもう自分ひとりでは抱えきることのできないぐらいの、たっくさんのパワーを貰いましたこれから家に帰って眠りにつくだけだというのに、こんなにパワー漲ってどうするんだろ!?
2009年05月11日
今年、開港150周年を迎える横浜では、様々なイベントが企画されているそのなかのひとつに、『日本大通り フラワーフェスティバル』という催しがある横浜の開港は「象の鼻地区」の港から始まったそこから横浜公園に向かって一直線に伸びるのが日本大通り横浜の近代まちづくりを象徴する道路で、フラワーアートフェスティバルは展開される薔薇約18万本、チューリップ約6万本の花びらを使用横浜にまつわる絵や、一般公募で選ばれた優秀作品など21作品の巨大な花絵を、1800名の市民ボランティアが作成日本大通りは、世界最大級の規模の花絵カーペットによって彩られる(パンフレットより引用抜粋)フラワーアートフェスティバルの開催期間は、5月2日から4日の3日間のみあいにく自分は仕事で休みがとれないのだが、夜間は22時までライトアップしているというので、仕事が終わると横浜まで車を走らせた 横浜中華街から程近いところに、日本大通りはあるこの催しのために通行止めにしたという日本大通りには、花絵の絨毯が長く長く敷かれていたライトアップされて、色鮮やかに浮かび上がる作品は、遠目から見るとなんとも幻想的であるゴールデンウィークということもあり、場所柄さぞかし大勢の人で賑わっているのかと思いきや、そうでもなかったなので、ひとつひとつの作品をじっくりと見て回ることができた開港期から維新期にかけての横浜の光景、市民公募で選ばれた作品などが、薔薇やチューリップの花びら、色砂によって描かれている花絵に使用した花は、薔薇は枝分かれした不要な花をインドなどから輸入し、チューリップは新潟市の協力を得て、球根成長のために開花後すぐに摘み取られた花とのこと無駄にすることなく芸術として生まれ変わったそのどれもが、実に色鮮やかな作品ただ残念なことに、作品を真正面から見ることができず、横から眺める形になるので、作品全体の構図がうまく掴めないそれに、作品の一つ一つが大きい割には、ライトアップのための照明がうまく当たっていないのも、残念だったとはいうものの、闇に浮かび上がる花の絨毯はとても素敵で、通りに面して建っている歴史を感じさせる建造物との雰囲気と相まって、なんだか古き良き昭和の浪漫のようなものを肌で感じたのだった
2009年05月03日
1日2回は、東京タワーを見る職場に向かう車の中から眺める行きは、まだ夜も明けぬ暗いなかなので、闇夜に佇む姿帰りは、ライトアップされて煌々と光り輝く姿夜明け前と夜とでは、東京タワーはまったく違った表情を見せる野暮用を済ませて、家路を向かうビルとビルの合間から、東京タワーが見えた自分が眺めている見慣れた光景しかし、ここのところ、東京タワーはライトアップがいつもと違うすごくカラフルなのだ別に急ぐわけでもないので、車のハンドルを切り、東京タワーへと車を飛ばした東京タワーのすぐ傍にある芝公園に車を停める聳え立つように、堂々と構えている東京タワーいつもは高層ビル群に埋もれて小さく見える姿も、間近で見るとやはり迫力がある夜空に浮かぶカラフルな東京タワーは、なんとも幻想的しばし見惚れるう~ん…でも、自分的には、やっぱり東京タワーは普通のライトアップの方が好きだなぁ東京タワーに特別な思い入れがあるわけではない生まれも育ちも東京でありながら、東京タワーにのぼった事があるのは子供の頃に数回程度それでも、毎日行きと帰り眺めていると、不思議と親近感が沸いてくる自分の日常のなかで、ごくごく当たり前のように1コマとして、その風景が刻まれているあまりにも当たり前すぎて、ちょっと足が遠のいていたなので、今日こうして東京のシンボル的存在である東京タワーを久しぶりにまじまじと見て、その偉大さに改めて気づかされた静かな公園で、ボーっとしていると、突然、目の前の東京タワーが一瞬にして姿を消したライトアップの灯りが消えたのだ時計を見ると24時もうそんな時間なんだ…早よ、帰ろうちなみに、東京タワーのカラフルなライトアップは、2016年東京オリンピック・パラリンピック招致活動応援の一環のもので、その名も『ダイヤモンドヴェール』というそれぞれの色にはメッセージが込められていて、愛・地球・環境・平和を守る心を育むというメッセージが中心となっている
2009年04月17日
オフィスビルが立ち並ぶ汐留から程近くにある、浜離宮恩賜庭園そこで、園内に咲く桜・染井吉野のライトアップが今週だけ実施されているという情報をラジオから得たので、仕事帰りにいってみた“浜離宮恩賜庭園”かつては徳川将軍家の庭園で、歴代将軍によって幾度かの造園と改修工事が行われ、十一代将軍家斉の時代にほぼ現在の姿の庭園が完成した明治維新ののちは皇室の離宮となり、「浜離宮」という名称になったが、関東大震災や戦災によって、数々の建造物や樹木が損傷してしまい、往時の面影は無くなってしまう昭和20年に東京都に下賜されると、整備ののちに昭和21年4月から一般に公開昭和27年11月22日に国の特別名勝及び特別史跡に指定される(パンフレットより引用抜粋)春の嵐か、吹き荒ぶ風に身体を震わせながら、暗い園内を歩いていく場所柄のせいか、仕事帰りのサラリーマンやOLの姿が多く目につく仕事仲間で花見を楽しむためだったり、デートで訪れたりと、ちょっと大人なムードが漂っている お目当ての夜桜のライトアップは、中の御門ちかくで展開されていたといっても、ソメイヨシノの樹は数える程度なので、いまいち迫力に欠ける壮大な夜桜見物を楽しみにしていた自分としては、ちょっと拍子抜けではあったが、それでも、闇夜に色白に浮かび上がるソメイヨシノの姿はなんとも幽玄桜はまだ5分咲きといったところで、ちょっと早い鑑賞となったが、しばし春の風情を楽しんだ歴史を感じさせる桜、そのバックには、いくつも聳え立つ現代を象徴する高層ビルその古いものと新しいものの組み合わせが、なんともミスマッチで、一見不釣合いな構図のように思えるのだが、見ているとだんだんと馴染んでくるから不思議である 桜のライトアップの期間中は、『桜・灯り遊び』と題して、いくつかのライトアップが園内に施されている“染井吉野の花道”と名づけられた、中の御門のソメイヨシノのライトアップをはじめ、華やかな色の光を用いた“光の花道”、水仙やポピーといった花が描かれた12基の灯篭の“灯籠の花道”、足元をピンク色に照らす、水に映る桜と橋の“桜色の花道”と、華やかで優しい春色の灯りが園内に燈るそして、上を見上げてみれば、オフィスビルが立ち並び、いくつもの窓から煌々とした明かりがこぼれて、闇夜を明るく照らすさまざまな光が灯された、春の夜の浜離宮大都会のなかにいるとは思えないほどの静寂に包まれ、春のひとときをゆったりと過ごすのであった浜離宮恩賜庭園桜ライトアップ『桜・灯り遊び』染井吉野…2009年4月1日(水)~5日(日)まで八重桜…2009年4月15日(水)~19日(日)まで
2009年04月02日
浅草大観光祭で、浅草寺界隈が異様に盛り上がっているので、その楽しさに釣られていたら、結構な時間が経ってしまったぶらぶらしているだけといっても、人混みに揉みくちゃにされたせいか、すっごく疲れてる自分に気づくそれにしても、浅草はほんといい街やねぇ浅草六区など、再開発で綺麗になっている一面もあるのだが、昔ながらの景色も、まだまだ沢山残っている遊園地、芝居小屋、演芸場、蔦がからまる古びた建物、歴史を感じさせる年季の入った商店の数々…歩いていると、懐かしい空気に包まれて、なんだか昭和の時代に迷い込んだような錯覚を覚える街全体がアミューズメントパークといった感じ六区ブロードウェイ、浅草雷門通り、新仲見世商店街、伝法院通り、ひさご通り、花やしき通り、奥山おまいりまちと、浅草界隈には色々な商店街が縦横無尽に通っていて、それぞれのお店に目移りして、散策しているだけでとにかく飽きないそんな数あるお店のなか、思い出深いところといえば『マルベル堂』言わずと知れた、昭和のスターたちのブロマイドを専門に扱っているお店である店の入口には、沢山の白黒のブロマイドがズラリと並べられているパッと見ただけでも、美空ひばり氏、吉永小百合氏、山口百恵氏、高倉健氏、石原裕次郎氏、プロレスラーの力道山氏といった、昭和を代表する大スターの方たちの顔ばかり狭い店内にも所狭しと、大御所の俳優から、アイドル、スポーツ選手、お笑いタレントと、昭和の時代を駆け抜けた色々なジャンルの方々のブロマイドが陳列されているそれにしても、皆さん若いなぁそれに、ファッションといい、髪形といい、すごぉぉく年代を感じるこれでもか!というぐらいに、昭和の匂いがプンプンしますワ昔から大好きな女優さんの若かりし頃のブロマイドを見つけたりして、楽しむ自分ですもうひとつ浅草を代表するお店を紹介それは、創業明治35年の『舟和』浅草土産といえば“雷おこし”が有名だが、自分のなかでの浅草土産といったら、舟和の“芋ようかん”これ、定番なのですなんの飾り気のない素朴な味なんだけれど、美味しいんだよねこの芋ようかんは、父がよく買ってきてくれたというのも、釣りが趣味の父は、近所の川で鯉を釣るとき、芋ようかんを賽の目に切って、餌にしていたのだ魚の餌に芋ようかん?と思うのだが、これが不思議と釣れるのであるなので、父が釣りをする際は、必ずといっていいほど、舟和の芋ようかんが自分の口にも入ったというわけ父との数少ない思い出の一品である久しぶりに舟和の芋ようかん食べたけれど、昔から変わらない味ほんと、さつま芋をそのまま齧っているみたい昔のことを思い出しながら頂いた浅草寺で江戸情緒を味わい、浅草の街に昭和の浪漫の風を感じるノスタルジックで素敵な時間を過ごすことができた機会があったら、また浅草の街をぶらぶらしたいな
2008年11月15日
浅草寺西側一帯は通称“奥山”と親しまれ、江戸時代から大道芸や見せ物小屋が並び、盛り場浅草発祥の地でありました(ガイドブックより)提灯が並ぶ大木戸をくぐると、そこには江戸の町並みが広がっていたさすがに、行き交う人々が現代の装いなので、江戸時代にタイムスリップしたとまではいわないが、江戸時代の町並みのなかを歩いていると、なんだか、時代劇の撮影所に迷い込んだような錯覚に陥る浅草寺の西側一帯は、 「浅草奥山風景」と題して、江戸の町並みを再現していて、茶店や、江戸小物などを扱う店など60店余り並んでいる市松人形、羽子板、江戸銀器、鼈甲、組み紐、飴細工、ほうき、手拭いなど、どの店を覗いても、伝統と業が光っている店によっては、実演を拝見することができ、江戸切子では、綺麗な色のガラスをカッティングして模様を入れる作業、提灯屋では、提灯に名を入れるところなど、普段では決して見ることができない伝統の技を間近で楽しむことができたしかしながら、どれもこれもさすがは伝統文化・伝統工芸とあって、値段が張る手間隙かけた職人の方々の熟練のなせる業ということを考えたら当然なのかもしれないが、如何せん財布の紐が固い自分としては、手が伸びないとはいえ、見ているだけでも楽しいさながら、大人が楽しむ露店といったところだろうかゆっくりと江戸情緒を楽しみながら見て廻るそんななか、ちょっと気になる店を見つけたそこは、歌舞伎文字の“御の字”さん和服に身を包んだ女性の方が、団扇に独特の書体の文字を書いている一筆、一筆、丁寧に、団扇に筆をのせていく…団扇に文字を書かれているのは、歌舞伎文字勘亭流の田中志壽氏歌舞伎文字勘亭流は江戸文字の一種として確立・伝承されてきた字体で、元々は歌舞伎芝居の絵看板への書き文字として考案され、柔らかく味わいのある縁起のいいこの字体は、200年の時を経て尚広く親しまれている田中志壽氏は、その伝統的な技を踏襲しながら、時代のニーズに対応し、独自の世界を築きつつある(勘亭流・田中志壽氏の紹介チラシより)“御の字”さんでは、お客さんの要望に応えて、団扇に好きな文字(2~3文字)を書いてくださるとのことそれでいて、価格は1000円だという伝統に対して、こんな事を言うのは失礼かもしれないが、とてもリーズナブルな価格だったので、こんな機会は滅多に無い!と、お願いすることにしたひたすら筆を走らせていらっしゃるので、若干声を掛けづらかったのだが、タイミングを計って声を掛けるすると、注文がちょっと立て込んでいて、1時間ほど時間が欲しいとの事だったので、その足で、再び散策を始めた長椅子に赤い毛氈が敷かれた、なんとも味のある茶屋があったので、そこでちょっと休憩しようかと思ったのだが、なにやら人だかりができているところがあったので、気になって足を運んでみた黒子の衣装に身を包んだひとりの男性を取り囲むようにして、人が集まっている殆どの人が自分より背が低いので、ちょっと覗き込むと、何をやっているか見えた“江戸糸あやつり人形”である自分が訪れたときは、まだ始まったばかりだったのか、どの糸を動かしたら人形のどこが動く…といった、操作の仕方を、慣れた話術で巧みに説明しているところだったあやつり人形と繋がっている糸はたくさんあり、それらを使い分けることによって、あやつり人形の微妙な仕草まで表現することができる説明が終わると、出し物の始まり題名は失念してしまったのだが、内容は酔っ払いの男性を表現したもので、糸を巧みに操りながら、泥酔した男性を表現していく人形の細やかな動きもさることながら、それを操る黒子さんの指の動きが実に見事で、ついつい見惚れてしまった決して派手さは無いものの、凄い!の一言に尽きる続いて、“獅子舞”という作品を披露して終了最後に、皆さんが風邪を引かないように、獅子が廻って、ひとりひとり頭を噛んで廻ってくれるというので、自分も頭を差し出したカツッ、カツッ、カツッ…自分の頭の上で、獅子が歯を合わせる音が響いたこれで今年は風邪引かないかな?なんだか、ちょっと覗くつもりが、すっかり魅せられてしまい、江戸糸あやつり人形を十分満喫したのであった浅草寺界隈のみならず、近辺の浅草の街をあちこち歩いて散策していると、気づけば結構な時間が経っていたそろそろ、お願いしていた団扇が出来ているだろう…と、再び浅草寺へと戻り、“御の字”さんを訪ねたお店に顔を出すと、相変わらずの盛況のようで、黙々と団扇に筆を走らせていらっしゃる自分がお願いした団扇は出来ていた何という文字をお願いしたかというと、一文字で『華』“華のある人生を送りたい…”そんな思いから、一文字だけ書いていただいた白い団扇に浮かぶ、赤茶色の「華」の文字シンプルだけれど、うん、いい感じ注文する際、「華」という一文字で、字は真っ直ぐに…という要望だけで、あとはお任せしたのだが、すっごく気に入りました勘亭流の田中志壽氏のチラシに、こういった一文が寄せられている“心をこめた「手仕事」、させていただきます”まさしくその通り、自分のためだけに書いていただいた団扇華の文字から、一筆一筆の思い、息遣いが伝わってくるようですありがとうございました大事にさせていただきます
2008年11月15日
浅草・浅草寺本堂周辺の界隈は、とても賑わっていたというのも、浅草寺本堂落慶50周年記念、そして浅草観光連盟創立60周年記念を祝して、『浅草大観光祭』と題して、様々な行事が催されているからださきほどの「記念大開帳」をはじめ、浅草寺秘蔵の観音像や絵馬など貴重な寺宝と伝法院の特別公開、江戸時代さながらの町並みを再現した「浅草奥山風景」、浅草寺本堂裏広場に設けられた芝居小屋「平成中村座」、その他にも「浅草今昔展」など、色々な催し物が企画されている 「浅草大菊花展」もその一つで、浅草寺本堂東側一帯には、白や黄色、赤紫色といった、色とりどりの菊の花たちが咲き競っていた戦後焼け野原と化した浅草の復興に立ち上がった浅草の人々は、昭和27年に浅草寺の菊供養に観音本尊の宝前に菊を捧げ、参道に花を供える事により浅草菊花会を発足以来、見事な菊花を陳列し、参拝の人々に喜ばれる名実ともに関東一の賞賛を博するようになった(ガイドブックより)菊の花の展示は、そう多くはないが、菊の花の凛とした佇まい、優雅さ、誇らしさを見ていると、心が落ち着いてくる決して華やかさはないが、日本独特の美意識を見たような気がした五重塔のすぐ傍には、両替の看板をぶら提げた小さな建物があるそこでは、なにやら小判が手に入るとのこと平成の世に小判ですとォ?一体何事かと思いきや、それも『浅草大観光祭』の一環のものであった「平成浅草小判の賑わい」と題して、浅草寺本堂落慶50周年をお祝いして、記念小判が販売されているのだそう一両の小判というても、1枚の価格は300円なんでも、この小判はとても好評のようで、昼過ぎに完売してしまうこともしばしばあるのだとか自分が両替するときも、小判を求める方たちで長蛇の列だった…で、この記念小判なのだが、ただの記念品だけなのではなく、ちゃんとお金として利用できるというところが面白いといっても、“平成浅草小判”なので、世間一般では通用しない、浅草寺界隈でのみ有効の小判なのだ両替というだけあって、1両の価値は、両替したときの300円浅草の仲見世や、江戸の町並みを再現した奥山風景の店で小判を使用することができるつまりは、江戸情緒溢れる店で、小判を出して買物をするという、なんとも粋な江戸風情を楽しむことができるのだなかなかユニークで、人々の心をくすぐる発想やねようやく手に入れた小判~!!時代劇ではよく登場してくるけれど、こうして手にするのは初めてって、ニセモノなんだけれどねでも、ちょっと嬉しい「フフフ…越後屋、御主も悪よのう…」と、小判1枚を手にして、ひとり悪代官ごっこに興じてみたりする小判が入っていた紙袋には、注意書きが書かれている“此小判は平成二十年十月一日より同十一月二十五日迄“小判通用店”の表示された店で一両三百円で通用致し候。ただし現金には取り替えられぬ事御承知おき願いたく候。 浅草勘定奉行”遊び心溢れてるなぁここまで徹底していると、なんだか凄いや1両が300円という値段だから、小判はさぞかし子供騙しのような安い作りかと思いきや、これが意外と重みがあって、結構本格的って、ホンモノの小判を見たことはないんだけれど…小判を使って、買物したい気もするが、なんだか使うのが勿体無いかといって、手元に残しておいても、それはそれできっと使い道はないんだろうけれど…この小判は、浅草寺でご祈祷を受けたもので、記念品としても奨めているそうなので、折角だから使わずに、記念にとっておこうっと
2008年11月15日
さてさて、今日は久しぶりに取れた連休の最終日どこへ出かけようか?と考えたとき、東京の観光地でも訪れてみようと思った考えてみれば、東京に生まれ育ってウン十年経つが、ろくに東京見物などしたことがない普段、流れる景色のなかに断片的にではあるが視界に入るので、自分の中で行った気になっているのかもしれないとは言っても、あちこち見て廻るのは疲れてしまうので、どこか1箇所にスポットを当てることにした東京の観光地…真っ先に思い浮かんだのは“浅草”未だに観光客の足が途絶えることのない、不動の地位にある観光スポットであるよし、浅草に行こう!こうして、自分の休日は始まった…車で行くよりも電車を利用した方が早く着くので、地下鉄に揺られて浅草に到着浅草駅の程近くにある、浅草のシンボルともいうべき雷門まで来ると、あまりの人出に少々面食らってしまった今日が土曜日だからだろうか?それにしても、凄い賑わいだけれど…雷門にぶらさがる大きな赤い提灯をバッグに記念撮影する人、粋でいなせな格好で佇んでいる人力車の車夫の人たちなど、浅草の街に一歩足を踏みいれただけで、普段味わうことのない雰囲気に包まれる雷門を潜り抜けると、真っ直ぐに伸びる仲見世には、通路を埋め尽くすように、沢山の人で溢れかえっている老若男女、日本全国問わず、海外の様々な国々の人たちが、楽しそうに仲見世を覗き込みながら歩く舞扇、提灯、刀、鬘、和装小物といった、いかにも日本らしい雑貨を扱う仲見世の数々に、自分も眼を奪われる仲見世は、雑貨ばかりでなく、お煎餅、人形焼、揚げまんじゅう、甘酒、もなかアイス、きび団子といった食べ物の店もあり、しかもその場で実演販売しているお店がいくつもあるので、仲見世を歩いているだけで、甘いだの、醤油の香ばしい匂いだのと、さまざまな匂いが鼻先をかすめる浅草に来るのは、一昨年の初詣以来だから、実に2年ぶりだけれど、こんなにウキウキワクワクとする楽しいところだったかな?“灯台下暗し”という言葉があるけれど、自分が住んでいる東京にも、まだまだ知らない魅力的な所があるんだなぁ仲見世の両脇にズラーッと並ぶ数々の店に視線を奪われるので、なかなか前に進まないそんななか、ちょっと気になるお店があったので、立ち寄ってみたそこは、ソフトクリームを販売しているお店ショーケースに並んでいる商品のラインナップは、ザッと数えて30種類ほどはあるだろうかバニラやチョコといったポピュラーなものから、さつまいも、柚子といった変わりダネもある色々とあって目移りしてしまうのだが、自分がチョイスしたのは“薔薇”薔薇のソフトクリームだって気になるでしょ?薔薇のソフトクリームを注文する男我ながら、なかなかロマンチストです300円を支払うと、すぐにアイスをウネウネ、コーンの上に巻いてくれて、手渡された淡いピンク色をしたソフトクリーム顔を近づけると、ほんのりと薔薇の匂いがするすげぇ!薔薇や…って、薔薇のソフトクリームを注文したんだから当たり前か味はというと、バニラなんだけれど、しつこくないほどに薔薇の存在が見え隠れするので、クドくなくて美味しいこれ、ちょっと病みつきになりそうソフトクリームをペロペロ舐めながら、仲見世を歩く男なのであります長く続いた仲見世を抜けると、左手には五重塔が見え、ドッシリとした構えの宝蔵門が、自分の前に現れた何やら文字が掲げられている“本堂落慶50周年記念 記念開帳”かつて国宝だった浅草寺慶安本堂が東京第空襲により消失してしまい、昭和33年10月、7年5ヶ月に亘る大工事で、浅草寺昭和本堂が落慶以来、今年は50周年にあたり、記念大開帳を奉修致すことになりましたご本尊は628年以来の秘仏ですが、比叡山三世天台座主、慈覚大師円仁台下謹刻のお前立御本尊をお参りできると共に、お前立観音様とお手綱により結縁できます(ガイドブックより)この「記念大開帳」は、明日11月16日の日曜日までとのことたまたま、何の気なしに浅草を訪れたというのに、なんという奇遇だろうかこの大勢の人だかりも、きっと、この為なんだろうね本堂のご本尊の手に繋がっているお手綱は、3本の開帳塔婆を経由して長く延びていて、赤や緑、黄色に紫といったお手綱を手に取ると、観音様とご縁を結べるということで、多くの人々がお祈りをしている宝蔵門の下では、その開帳塔婆のお手綱を触れるための人々が列を成していた折角なので、自分もその列に並んでみるお手綱に触れることによって観音様との縁を結び、その縁が切れぬように、自分がお祈りを終えると、次に待っている方へと手渡ししていくなんだか非日常的な光景が目の前で繰り広げられていたが、いざ自分もお手綱を手にしたときは、ちょっと緊張して、厳かな気持ちになるのであった
2008年11月15日
ちょっとしたトラブルが発生して、急遽自分がピンチヒッターとして、別の仕事を担当することに本当に急な話だったので、心の準備どころか、何の下準備もできていない状態だったので、朝からてんやわんやもう、内心では“やりたくねえッ!”なんて思いながらも、自分がやらないとどうにもこうにもならないので、腹をくくるとは言うものの、不安と緊張で、鼓動は激しさを増すばかり失敗は許されないというプレッシャーに押し潰されそうで、その追い詰められた状況が続くもんだから、なんだか気が狂いそうあぁ…大きな肝っ玉が欲しいッ!と、始まるまでは、悲観的なことばかり考えて、自分をとことん追い詰めていたが、いざ始まってしまうと、どうにかなるもんだね若干ハイテンションの状態でこなし、結果的には滞りなく任務を果たすことができたヨカッタ、ヨカッタでも、こんな事は、もう懲り懲り…たまには刺激的なことも必要なんだろうけれど、今日のは冗談にもならないほんと、自分は平凡な日々を過ごすのが性に合ってますワ今日一日、気が昂った状態でいたせいか、仕事が終わったら、ドッと疲れが出てしまった肉体的にも精神的にも、かなりのダメージそこで、ちょっと気分転換しようと、明治神宮へ足を運ぶことにというのも、昨晩のニュースで見たのだが、10月31日と11月1日の2日間、明治神宮では、御社殿が戦災から復興して満50年を迎えたことを記念して、『アカリウム』という建物をライトアップするイベントが催されているというので、ちょっと寄ってみることにしたのだ境内は通常、大晦日を除き日没で閉門されてしまうが、今日はイベントが催されていて、しかも世は三連休初日ということもあってか、大勢の人で賑わっていた約1200個の提灯を壁のように並べ、背景のスクリーンの色が赤や青と次々に変わることから“オーロラ提灯”と名づけられた灯りが設置されている第一鳥居の前に来ると、そのイベント会場では、オーロラの光を背にして、エネルギッシュな踊りが披露されていて、会場は賑やかなムードに包まれていたその華やぎを横目にして、南参道へと進む 約800メートルの参道は、“光のじゅうたん”と名づけられ、青い光が、足元を仄明るく照らしていたといっても、その光は点在しているので、参道は基本的には真っ暗闇上を見上げれば、鬱蒼と茂った木々たちの影が、自分のことを飲み込むようにして闇の世界を広げているその深い闇夜のなか、周囲の人々のざわめき、砂利道を蹴る足音が軽やかに響く闇のなかにポッと浮かぶ青白い光の影その幽玄な光に包まれたら、なんだかとても安らかな気分になった色にはパワーが秘められていて、青色には鎮静作用があり、ストレスを軽減する色と云われているそうだが、ほんとそうだね青い光を見ているだけなのに、不思議と癒される色の持つパワーって凄いや今日は、心身ともに疲れきっていただけに、青色が持つ癒しの効果をひしひしと感じながら夜の参道を歩いていくライトアップされた御社殿は荘厳で、自分が訪れたときは、地域住民約1000人の方々による提灯行列が行われている最中だったその見物客でごった返すなか、御社殿を後にした自分は、10月25日から正参道の両脇にて展開されている菊花展を拝見した秋の夜長に、菊の花を愛でるなかなか渋いご趣味で…見事なまでの大輪のものから、懸崖菊、盆栽と、白や黄色にピンクといった菊たちが、照明に照らされて誇らしげに咲き競っていた丹精こめて育てあげられた菊の花たちは、それはそれは見事の一言に尽きる今年は猛暑の影響で、例年より開花が遅れているそうで、今日の時点では、楽しむには若干早すぎたような気もしたが、それでも、日本を代表する花のひとつである菊の花を満喫した 青い夜に包まれて、菊の雅な美しさに酔いしれる日本特有の美意識に触れ、心の奥底まですっかりと癒されるのであった
2008年11月01日
嵐山から嵐電に乗り、北野線の終着駅である北野白梅町に降り立つと、西大路通りを歩いた目指すは、金閣寺銀閣寺は訪れたことがあるものの、京都の有名な観光スポットである金閣寺を見たことがなかったので、この機会に是非にと思ったのである駅を降りて近くのところに金閣寺へと向かうバス停があったのだが、いつ来るか分からないし、それにバスの停留所3つ分だったら乗るのは勿体無いと、歩くことにした駅から10分ちかく歩くと、通りから少しそれたところに、金閣寺はあった長い参道を歩いていき、拝観の受付を済ませると、そこで1枚のお札を手渡されたお札には、“開運招福”“家内安全”と書かれている今まで訪れてきた寺社のように、歴史や案内が書かれた小冊子を貰うのとばかり思っていた自分としては、少々意表を突かれたそれを大事に仕舞い込むと、大勢の観光客に紛れながら進んでいったすると、目の前に大きな鏡湖池が広がり、その池の向こうに、眩いばかりに光輝く金閣寺の姿があったほんまに金なんや!金閣寺は、正式には鹿苑寺という室町時代前期に形成された北山文化の象徴で、黄金に輝く舎利殿(金閣)があまりにも有名なために金閣寺と呼ばれるようになったそう(金閣寺で貰った小冊子より)実際、この目で見ると、ほんと光輝いてるねぇ周囲の濃く深い緑の中だけあって、その輝きは一層際立っている金色に輝く建物であっても、決して嫌味でも下品でもなく、むしろ品すら感じる印象を受けるから不思議昔の人は、よくもまぁこんな贅を考えついたもんだ別の場所で貰った小冊子は、日本語のみならず、英語とハングル文字が書かれているだけあって、金閣寺を訪れている観光客は、外国人の方がとても多いもしかしたら、日本人より多いんじゃないかな?とにかく、様々な言語が耳に飛び込んでくるそんな人たちに囲まれながら、のろのろと園内を散策していく歴史と風格が漂う園内には、夕佳亭と呼ばれる数寄屋造りの茶室などがあるが、如何せん金閣寺のインパクトが強すぎて、しかもそれが初っ端にお目見えするものだから、歩いていて、なんだかどんどん尻すぼみになっていく感は否めなかった金閣寺を出る頃には、時計の針は3時半をすでに廻っていた寺社の拝観時間は限られているので、あまりのんびりはしていられない今回の旅の最後の寺社めぐりは、千本通沿いにある千本ゑんま堂、釘抜地蔵、千本釈迦堂の3箇所実は、自分は、京都を舞台にした推理小説を数多く発表した山村美紗氏の作品を愛読していて、今読んでいる作品に、先に挙げた3箇所の寺社が登場してくるそこで、小説に登場してくる場所を実際に訪れて、少しでも作品の臨場感を味わおうと狙ったのだガイドブックに載っている地図で位置を確認しながら住宅街を抜けてひたすら歩き、千本通に出ると、商店街に並ぶようにして、通りに面した千本ゑんま堂の名で親しまれている引接寺はあった何の気なしにブラブラと歩いていると、「拝観ですか?」と、中年の男性に声を掛けられた「時間はとうに過ぎていますが、今からなら間に合いますから」と、訳が分からぬまま相手のペースに乗せられて、捲くし立てられるように拝観料金を払うと、本堂に案内された本堂の中では、一組の老夫婦が、初老の男性から千本ゑんま堂の歴史や謂れ等の説明を受けていた自分もこれに参加しろって意味なんだろうな?と、横に座り、耳を傾けるでもね、話が難しくて、自分にはチンプンカンプン!?が、ところどころではなるほど!と思わせる話も聞けるので、耳を話しに向けながら、眼は正面に鎮座している閻魔法王像に向けた怖ッ!!その迫力たるや凄まじいものがあった自分が住んでいる街にも閻魔様を安置している場所があり、実際に訪れたことがあるが、その閻魔様とは比べ物にならないほど威厳ある佇まいと対峙していると、恐怖すら感じてくる案内をして下さる男性と老夫婦は閻魔様の話で盛り上がっているので、そんななかにいる自分は若干の居心地の悪さを覚えつつも、普段は非公開だという掛け軸を拝見させていただいたりと、貴重な経験をさせていただく引接寺の一画には、紫式部の供養塔があるその説明を受けながら、自分のなかでは、“ここが第一の事件の死体発見現場か…”なんて、不埒なことを考えていただって、自分が千本ゑんま堂を訪れた目的は、今読んでいる小説の舞台となっている寺社を巡ることなんだもんッ!一通り廻り終えると、そこで解放された千本ゑんま堂を拝観するときは、毎回案内がつくのかな?なんて思いながら外に出ると、入り口に立て掛けられていた看板が目に留まった京の夏の旅と題して、“文化財特別拝観”ということで、7月19日から9月30日までの期間だけ、閻魔法王像が間近で見られるとのことということは、あの案内はその一環だったというわけか受付は4時終了と書いてあり、自分がここを訪れたのが4時過ぎだったので、「まだ間に合う」と受付の男性に言われた理由が、これで判った納得…ゑんま堂内を案内されて廻るという自分にとって想定外の出来事が起こったので、だいぶ時間を割いてしまった歩いて数分のところにある千本通に面した釘抜地蔵と呼ばれる石像寺に着くと、訪れる人は殆どいない時間帯のせいなのか、掃除が始められていた読経が聞こえるなか、遠慮気味に見て廻るもともとは、苦しみを抜き取るという信仰から「苦抜地蔵」と云われていたそうなのだが、それがいつしか訛って「釘抜地蔵」になったそう本尊のある地蔵堂の外壁には、釘抜地蔵というだけあって、八寸釘と釘抜きがはめ込まれている一風変わった絵馬がずらりと並べられており、その光景は、ここならではかもしれない今日数々の寺社を廻ってきたが、町並みのなかに溶け込むようにして建っているせいからかもしれないが、一番庶民的な空間に感じたもうちょっと早く訪れていたら、少しは賑わっていたのかな? 千本通から住宅街へと入り、少し歩いたところに、千本釈迦堂はあった正式には大報恩寺というここでは、千手観音や六観音菩薩など貴重な仏像や文化財が見られるとのことだったが、自分が訪れた際はあいにく拝観時間が過ぎてしまっていたそこで、あたりをぶらぶらと歩いていると、一見目立たないような隅にひっそりと立っている観音像を見つけた観音様の足元に、年老いた男女がすがっているという、ちょっと変わった像は“ぼけ封じ観音像”と名づけられていた色々な観音像があるんだねぇ…ふと、参拝していた親子連れから、「今日の晩御飯、何にするゥ?」という会話が聞こえてきた考えてみたら、もう結構な時間なんだよねぇ西の空は夕日がだいぶ傾き始めていて、オレンジ色をしているそれは、京都の旅も終幕に近づいていることを意味していた
2008年08月21日
祇王寺を出て、ぶらぶら歩いていると、なんとも荘厳な構えをした総門が目に飛び込んできた百人一首で名高い小倉山の東麓に位置する二尊院である紅葉の馬場と云われているゆるやかな階段の参道をあがっていき、今来た道を振り返ると、そこには、なんともいえない景色が広がっていたこれが紅葉のシーズンなら、さぞかし絶景なんだろうなぁ…二尊院は、小倉山の山肌を沿うようにしてあるのか、階段はかなりの勾配軽く息を切らせながら歩く広大な敷地には、いかにも歴史がありそうな数多くの墓が立ち並んでおり、なかには、時代劇役者の坂東妻三郎氏のお墓もあった二尊院の奥まった山中までいくと、藤原定家卿が百人一首を選定した場所として名高い時雨亭跡がある小倉百人一首の小倉は、ここ小倉山のことだったんだ…と感心しつつ、心寂しい細くうねった山の道を歩いていくと、突き当たりにその時雨亭跡はあった跡といっても、石段のようなものがあるだけで、殆ど跡形がないといっても過言ではないしかしながら、ここで百人一首が選定されたのかと思うと、時代を経て今その場所に自分が立っていることを考え、ちょっと不思議な感じがするのであった“花の色は うつりにけりないたづらに わが身世にふる ながめせしまに”百人一首のなかで唯一今でも覚えている、小野小町が詠んだ句が、ふと頭をよぎった急な傾斜の階段を手すりに掴まりながら降りてくると、梵鐘があったそれは“しあわせの鐘”と名づけられていた一つ撞いては、自分が生かされている幸せを祈願し、二つ撞いては、生きとし生けるものに感謝し、三つ撞いては、世界人類の幸せのためと、祈りをこめて三つお撞きくださいとのこと鐘を撞くことなどまずないことなので、体験させていただくことにあまり勢いをつけても迷惑がかかると思い、遠慮気味に撞いたゴォォォォン軽く撞いたにもかかわらず、辺りには住んだ鐘の音色が響いたいつまでも木霊する音色は、自分の胸のなかを震わせる最後の最後まで音がかき消えるまでその場で、目を閉じて佇むなんだか心が洗われたような気がするのであった1回鐘を撞いて満足してしまった自分は、それで終わりにしてしまったのだが、よくよく考えてみたら、世界平和を祈る意味で3回鐘を撞かなければいけなかったんだよね?1回だけじゃ、自分の幸せしか祈ってないじゃん!「………」決して自分の幸せだけ思ってやった事ではないので、ご勘弁ください二尊院を後にしようと思った矢先、また雨が降り始めてきた今度の降りは、今までで一番激しい楓の樹の下に身を寄せてしばし雨宿り楓の葉を伝って雨の雫がいくつも落ちてくるん?ちょっと小振りになってきたかな?このまま足止めされても時間が勿体無いので、小雨振るなか、ゆるやかな境内の道を駆けるのであった二尊院を出て、落柿舎まで来ると、観光客の姿を見かけるようになった化野念仏寺、祇王寺、二尊院と見て廻ってきたが、朝も早かったせいか、土産物屋は開いておらず、観光客らしい姿も皆無に等しかったので、ようやく観光地の京都らしい表情を垣間見たような気がした緑が美しい常寂光寺を散策したあと、朝来た道を逆に辿っていく嵯峨野の竹林、野宮神社は、つい数時間前の静けさがまるで嘘かのように、カップルや親子、観光客といった大勢の人たちで大変な賑わいを見せていた自分が今まで訪れていた奥嵯峨の静寂とはまた違った、京都の観光地らしい表情であるひとりきりで散策していたときは、寂しさを感じつつも、哀愁漂う歴史が息づく奥嵯峨の雰囲気も手伝ってか、落ち着いた情緒に誘われて心地よかったが、こうして人ごみのなかにいるのも、これはこれでいいものである嵐山に近づくにつれ、観光客の姿が多くなっていく気づけば、空は青く澄んでいて、差し込む日差しのせいか、額にはうっすらと汗が滲む、暖かい陽気になっていたそんななか、世界文化遺産に指定されている天竜寺へと足を向けた天竜寺には、本堂参拝と、庭園参拝の二つの受付があった本来ならば二つとも見たいところだが、いくつもの寺社を廻っていると、行く先々で徴収される参拝料は積もり積もって結構な金額となるそこで、庭園参拝の受付を済ませることにした 大方丈をぐるりと廻るようにして歩いていくと、曹源池が広がる庭園があった緑濃き木々が巧みに配置された庭園は、国の史跡・特別名勝第一号に指定されただけあって、その景観は見事背後に佇む嵐山の山姿と相まって、実に美しい情景が紡ぎだされていた天竜寺の法堂の天井に描かれている雲龍図を拝見してみたかったのだが、あいにく今日は参拝日ではなかったので、叶うことはできなかったが、美しい庭園を見て廻っただけで十分に満足 天竜寺を出ると、渡月橋へ京都のなかでも、渡月橋は大好きなスポットの一つであるはじめて京都を旅して以来だから、訪れるのは約十年ぶりだろうか京都の街も歴史の香りは残しつつも、時代の流れとともに町並みは徐々に変わりつつあるが、渡月橋から見る嵐山は、十年前に見た景色となんら変わっていないようだった夕闇迫るときに、ひとり佇んでいたあの時の思い出が、記憶の底からじんわりと滲み出してくるそれにしても気持ちいいなぁ…太陽の日差しはあるものの、時折心地よい風が吹き抜けるしばし渡月橋の欄干に寄りかかり、川の流れに耳を傾けていた気づけば、時計の針は昼過ぎを指していた早朝からずっ~と歩きっぱなしなので、ちょっと休憩するために、渡月橋のすぐそばにある土産物屋の2階にあるcafe’de salanというカフェに入ったアジアンテイストの落ち着いた内装のお店で、店内の一画では雑貨も扱っている外の景観が眺められる窓際の席につくと、店員の方オススメのメニューを注文した“きなこたっぷりわらびもちパフェ”???朝から何も口にしていなかったのだが、なぜかお腹が空いていないんだよねぇなので、パフェ頼んじゃった折角の京都なのに、パフェって…と、自分でもちょっと思ったが、京都らしいパフェということで…それに、これは店員さんオススメだからね和の焼き物の器のなかには、わらび餅、白玉、紫芋のアイス、コーンフレーク、それにチュロス?のようなものが入っていて、メニューの名前にもなっているように、たっぷりのきなこがかかっている一口パクッ!ゲホゲホ…机の上に舞う褐色の粉きなこで咽てしまったこれは注意して食さねば!紫芋のアイスは品のいい甘さで、白玉がモチモチしていて美味しい一つ言うならば、900円という値段の割にはちょっと量が少なかったかな?京都の強い日差しから逃れて、涼しい店内でしばしの休憩窓から見えるのは、嵐山の緑、青い空に白い雲、そして太陽の日差しを浴びて煌く桂川日頃、カフェで時間を過ごすことなどない自分にとって、この時間は、すごく贅沢なような気がしたいつまでも、嵐山の景色を眺めながらボーっとしたいところだったが、パフェ一つでそんな長居もできない嵯峨野・嵐山の散策も済んだことだし、次はどこへ行こうかな?京都のガイドブックを取り出して、これからの予定を決めると、店を出て、嵐電の嵐山の駅へと向かった
2008年08月21日
浅い眠りから目が覚めると、そこは京都だった…疲れた身体で夜行バスに乗れば、7時間ちかくの道中は熟睡できるかと思いきや、やはりバスのなかではそうもいかないようで、浅い眠りを繰り返し、気づけば定刻よりやや早めに到着した京都駅烏丸口に停まったバスから降りると、冷んやりとした空気がフワッと身を包んだTシャツ1枚では肌寒く感じるほどで、その冷たさが自分には意外だった盆地である京都の夏といえば暑いことで有名だからである前日に京都の天気予報を調べたところ、曇りのち晴れで、最高気温は30℃の予想とのこと猛暑とまではいかないものの、暑さを覚悟していたので、この冷ややかな歓迎振りは、少々拍子抜けしてしまったしかしながら、肌寒い気候が好きな自分にとってはありがたいこと 京都駅から地下鉄を乗り継ぎ太秦天神川まで出ると、通称“嵐電”の名で親しまれている京福鉄道に乗り換える誰もいないホームでひとり佇んでいると、駅の掲示板に目が留まった“妖怪電車!?”なんでも、夏だけのイベント列車のようだ乗車運賃は、大人200円、小人200円、妖怪50円よ、妖怪!?これは、関西流の駄洒落?と思いきや、妖怪に扮した乗客は50円で乗車できるんだとかなるほどねぇ考えるもんだって、ほんとうに妖怪に扮装した子供が乗るのかなぁ?と、興味津々だったが、運行時間の都合がつかないので、どうも拝めそうにない残念…程なくして、嵐電がホームに滑り込んできたお馴染みの緑の車輌に、レトロチックな車輌の2両編成折角なので、レトロな車輌に乗り込んだウッド調の落ち着いたモダンな内装に、照明や手すりなども気品があって、古き良き時代の昭和を象徴するかのような空間そんな車内に、乗客は自分ひとりだけなので、電車を貸し切っているみたいで、すごく贅沢な気分ゆっくりと走る電車、心地よいリズムを刻むレールの音、味のある京都の風景なんだか、時間がゆったり流れているような錯覚に陥ったまだ朝早い時間のせいか、閑散とした終着駅の嵐山に到着すると、嵯峨野へと向かったお目当ては、京都のシンボルともいえる風景のひとつである嵯峨野の竹林を見ること昨日、バスの車内のなかでどこに行こうかガイドブックを片手に思案の最中、緑鮮やかな竹林が目に留まって、“これだ!”と思ったのであるあとは、化野念仏寺や祇王寺など、嵯峨野周辺を散策しようと決めていたしばらく歩いていると、霧雨のような細かい雨が降ってきたそんななか、縁結びの神として有名な野宮神社を横目に歩いていくと、竹林はあった天を覆いつくすように鬱蒼としている竹林を目の当たりにすると、その荘厳たる光景は圧巻である一歩足を踏み入れると、日常の空間とは思えないような感覚へと誘われる風が吹くたびに、竹が擦れあい、ザワザワと声を挙げる竹の葉を縫うようにして落ちてくる細かい雨は、自分を濡らすなにやら背筋に薄ら寒いものを感じるほど、そこには非日常的な凛とした空気が漂っていたそれにしても目につくのが、竹に刻まれた心無い悪戯書きの数々記念にとでも思ってやっているのかもしれないが、折角の美しい光景を台無しにしていて非常に不愉快名を刻んでいった人たちのモラルを疑ってしまうそれからもうひとつ思ったことは、竹林の道が意外と短かったということ自分が勝手に、ものすごい広大なイメージを抱いていたので、ちょっと拍子抜けしてしまったとはいえ、ほんと素敵な景色だった朝早いせいか、観光客は自分以外誰もおらず、のんびりゆっくりと散策できて、気持ちヨカッタァ竹林を抜け、トロッコ嵐山駅を見過ごすと、目の前には小倉池があり、その池の畔にひとつの神社があった御髪神社である御髪神社は、日本で唯一の頭と髪の神社であり、頭髪に悩む人々や、美容師を目指す人が国家試験の合格祈願に訪れたりと、まさに頭と髪にまつわる神社髪の毛が細いうえに猫ッ毛なので、「お前は絶対禿る!」なんて幼い頃にからかわれていた自分としては、なんだか人事ではないような気がしたので、興味津々で訪れたまだ朝が早いので、どこもまだ拝観時間を迎えていないそこで、散歩がてら一番奥から観て周ろうと、化野念仏寺へと向かうその道中、相変わらず小雨は降っていたが、コンビニはおろか、土産物屋も開いておらず、傘を買うことができないまぁ傘をさすほどの雨でもないので、しっとりと濡れながら、周囲の景観にあった古風な造りの土産物屋が軒を連ねる街道をそのまま歩いていく雨の降りが激しくなってきた木陰に隠れて、しばし天を仰ぐ天気予報どおり、京都の空は厚い灰色の雲に覆われていたこのまま雨は降り続けるのだろうか?不安な眼差しで空を見つめていると、次第に雨脚も収まってきたので、再び歩き始めたまだ拝観時間を迎えていない念仏寺を見過ごし、鳥居本の歴史と風格ある町並みを散策していると、念仏寺の拝観時間を迎えたので、引き返して足を向けた念仏寺では、数日後に千灯供養を控えているため、その準備で追われているようだった夜間のライトアップのためか、鉄パイプを組む作業が行われているそんななか階段を上り、門をくぐるどうやら自分が1番乗りのようだった化野の地は古来より葬送の地で、初めは風葬だったが、のちに土葬となり、人々が石仏を奉り、永遠の別離を悲しんだ所境内にまつる八千体を数える石仏・石塔は往古化野一帯に葬られた人々のお墓なのである(拝観時に頂いた小冊子より)化野念仏寺というと、やはり西院の河原のたくさんの石仏のイメージが色濃い実際に初めて訪れてみて、意外と狭小なスペースということに驚かされたテレビで見たとき、広く感じていたからである永い年月を経て形が朽ちてきているいくつもの石仏を見ていると、なんともいえない哀しみに包まれた悲愴さが胸を突いてくるこうして自分が一歩一歩歩んでいる地の底に、葬られた人々の思いが今でも眠り込んでいるかと思うと、どことなく神妙な面持ちになるのであった念仏寺を後にすると、次に向かったのは、平家物語の悲恋の尼寺として有名な祇王寺 さほど広くない苔庭は青々として美しく、竹や楓といった木々たちに囲まれて、しばし静寂のなかに包まれるその緑の向こう側に、祇王寺はあった苑内をぐるりと廻るかたちで歩くと、祇王寺の建物はあがる事ができるそうなので、ちょっとお邪魔した仏間にある仏壇には、平清盛公、祇王、祇女、母刀自、仏御前の木像が安置されており、それらを興味深く拝見すると、畳に腰を下ろして、庭を見つめた目にも鮮やかで美しい青々とした庭を見ていると、悠久の流れを感じる時折、雲の切れ間からは太陽が顔を覗かせ、青葉に光が透き通って、煌きを放っていたしばしそんな光景に見惚れていると、自分の背後から横にかけて、なにやら気配を感じた!?見ると、白い猫が1匹いるではないかどこからか迷い込んできたのだろうか?と、思いきや、その猫は我が物顔をして、堂々と闊歩しているよぉく見てみると、祇王寺の襖は、この白い猫がつけたのか、いくつもの引っかき傷があるそして、仏間の隅の障子は、猫が自由に出入りできるように、角が切り取られていたどうやら、祇王寺には猫もよく訪れるようだそれにしても、歴史あるこの祇王寺なのに、猫に好き勝手させていいのかなぁ?そんな自分の心配をよそに、白猫は涼しげな顔をして、チョコンと座っているのだった
2008年08月21日
今日の空は厚い雲で覆われていた天気予報では曇りと伝えていたが、空を見ているかぎりでは、今にも雨が降り出しそうであるあいにくの空模様ではあったが、今日は休日なので出かけることに天気予報を信じて、傘を持たずに家を出た電車に揺られながら、車窓から流れる景色を見ていると、街を行き交う人たちが傘をさしている姿が見えたどうやら雨が降り出したようである窓には、数えるほどの雨粒しかついていないので、パラパラと弱い雨なのだろうこのまま止まないようだったら、駅に着いたらコンビニでビニール傘でも買おうそう思いながら、読みかけの小説に目を戻した今日の目的は、藤の見物であるどこの藤を見に行くのかというと、埼玉県春日部市の“牛島の藤”存在は知っていたものの、一度訪れてみたかったので、今日の運びとなった何度かの乗換えを経て、最寄り駅である、東武野田線・藤の牛島駅に降りたった駅名自体に藤の名所がつけられているのだから、よほどの名所なのだろうちょっと期待に胸はせる今日は土曜日ということもあってか、さぞかし賑わいを見せているのかと思いきや、自分を含めて、下車したのは数人程度駅前には藤棚があり、紫の花が咲いていたものの、街に賑わいは無く、ずいぶんと閑散としたものだった気になっていた雨は、今はあがっているようだが、灰色をした空を見上げているかぎりでは、いつ降り出してもおかしくないような空模様をしている念のためビニール傘を買おうと思ったのだが、あいにく駅前にコンビニはなく、近場を見回してもないまぁ降ったら降ったの話か…と、牛島の藤に向かうことにさて、どうやって行けばいいのだろう?辺りを見回すと、駅前のフェンスに、古びた案内看板がひとつ掲げられていた手描きのずいぶんと簡略された地図であるその案内板を見て、どこを曲がればいいのかだけ確認すると、歩き始めた踏切を渡ると、歩道の幅が狭い道をひたすら歩く藤の名所が近くにあるかどうかの因果関係はわからないが、道すがらに建っているいくつもの住宅の庭に、藤棚があるのが目立つ自分の家にも藤棚が欲しい自分としては、庭先に咲く藤の花を羨望の眼差しで見つめていた等間隔ではあるが、牛島の藤の立て看板が出ているので、それを頼りに歩いていく案内板では左に曲がれとのことだったが、ちょっと行ったところにコンビニの看板が目に入ったあがっていた雨が、ポツポツと降り始めてきているこの先、天気はどうなるのだろうか?このまま藤を見に行くかそれとも、念のためにコンビニに行ってビニール傘を買ってからにするかさあ、どっち!?って、考えることでもなく、雨に降られながらの藤見物は悲惨だろうと、ちょっと遠回りして、コンビニでビニール傘を購入してから訪れた駅から歩くこと、およそ10分牛島の藤として有名な牛島藤花園は、細い道の奥まったところにひっそりと構えていた入園料の1000円を支払うと、中へ足を踏み入れた 一番最初に目につくのは、日本最古の古木として、敷地内の中央にドッシリと根をおろしている、樹齢千二百余年の藤である昭和3年1月、文部省より天然記念物に指定され、昭和38年8月22日、文化財保護法により、改めて国の特別天然記念保存木に指定された牛島の藤は、根元から数本に分岐していて、藤棚の面積は700平方メートルという広さを誇る柵の中に鎮座する曲がりくねった樹の幹は、木の皮が剥げ、剥き出しになった幹には所々に苔が生している一見すると、とても生命力が溢れているような木の根元には感じられないが、その幹からは、縦横無尽に枝が張り巡らされて、その先からは、淡い紫色をした花をつけた房を垂らしていた自分が訪れたときは4分咲きということで、花房の3分の1程が開花した状態ちょっと鑑賞には早いような気がしたが、それでも十分に見応えはあるこれが満開の時期を迎えると、その美しさは世界一の景観と謳われているんだとかそんな絶景を見てみたいものだが、きっとそのシーズンだと多くの人たちでごった返して、ゆっくり見物できないんだろうなぁ それにしても、牛島の藤は凄い!としか言いようがないだって、樹齢千二百年だよ?その長い年月の間には、枯死寸前の状態まで追い込まれた時期もあったようだが、酒粕、油粕、化学肥料等を施肥し、今でもこうして見事な花をつけるのだから、その生命力、花の美しさには神がかりのようなものさえ感じる藤棚の高さは所によっては低いところもあり、屈まなければならないところもある雨はさきほどからちょっと強めに降ってきているのだが、藤の花や枝を痛めない為にも、藤棚の下のなかでは傘をさすことは禁じられているので、雨に濡れながらの藤見物まぁ千二百年という悠久の流れのなか咲き続けてきている、藤の花から滴る雨粒に濡れながらの観賞もいいモンでしょこうして、垂れている藤の花房を見ていると、なんだか藤の雨が降っているみたいで、なんとも情緒が漂っている折角傘を買ったのに、ささないで濡れるだなんて意味ないやんッ!と思いながらも、千二百年という歴史の重さ、神秘さをヒシヒシと噛みしめるのだった藤の花に顔を寄せると、淡い花の香りがするのだが、一際つよい芳香を漂わせている藤があったそれは、だるま藤と呼ばれている藤で、目にも鮮やかな濃い紫色をした花は、通常の藤のように房を垂らして花を咲かせるのではなく、ボテッと一塊となって咲いている園内の藤はまだ見頃には若干早いが、だるま藤はちょうど満開を迎えていた狂おしいほどの気品ある香りにしばし酔いしれる藤の名所ということで、だいぶ人出があるのかな?と思いきや、園内の藤の開花状況が4分咲きと若干見頃には早いのと、あいにくの空模様ということもあってか、人影は疎らだったおかげで、ゆっくり、じっくりと藤の花を楽しむことができたお世辞にも広いとはいえない2ヘクタールの敷地内には、大小色ちがいの藤が咲き、ツツジや石楠花、老松などを愛でることができるさほど花に興味が無い人だと、1000円という入場料を高く感じてしまうかもしれないが、日本最古の古木である樹齢千二百余年の藤は一見の価値がある牛島の藤を目の前にしたとき、樹が持つ生命力、迫力、気高さ、美しさにきっと圧倒されることだろう
2008年04月26日
今日は仕事が休みということで、東京都江戸川区は東葛西にある雷公園を訪れていた大通りからちょっと奥まった住宅街のなかにあるその公園は、土曜の昼時ということもあってか、子供たちが賑やかな声をあげて遊んでいたり、近所のご婦人たちがベンチに腰掛けて談笑していて、なんとも仄々とした時が流れているそんな公園にわざわざ何しにきたかというと、それは数日前に見た、ある新聞記事がキッカケだった讀賣新聞の地域版で、“緑色の桜”が満開になったことを報せる記事が載っていたのである緑色の桜!?その桜の存在は、記事を読んで初めて知った新聞には写真も掲載されていたが、ぜひ自分の目で珍重されているという緑色の桜を見てみたいと、車のハンドルを握り出向いたというわけ四方が見渡せるほどのさほど広くはない公園には、八重桜が咲き誇っていた今日は風が強いせいか、鮮やかなピンク色をした花は、右へ左へと揺れている今時期の目立った花木といえばそれだけで、あとは緑生い茂った木々ばかり緑の桜なんて見当たらないもしかして、昨日の激しかった雨風に晒されて、ぜんぶ散ってしまったのだろうか?すると、公園の隅の方にある1本の樹をカメラで撮影している人がいたよく見ると、樹の幹の周囲には柵が設けられていているもしや、あれが緑の桜!?でも、どう見ても葉桜なんだけれど…近づいてみると、やはりその樹が、新聞に取り上げられた緑の桜だったやっぱり、昨日の台風並みの雨風で散ってしまったんだ…と、樹を見上げたときだった!!!!!それはそれは見事なまでに、桜が咲いていたのであるその花びらは紛れもなく淡い黄緑色をしていた考えてみれば、花びらが黄緑色をしているのだから葉っぱと同化して見えてしまうのも無理はないこうして間近で見上げてみないと、これは気づかないよ遠目で見ると、ただの青葉茂る樹にしか見えないもん樹の傍に立てられている説明板に目を遣った桜の名前は、“御衣黄(ぎょいこう)”という八重桜の一種で、淡黄緑色の花は4月中旬から下旬にかけて開花するこの桜は数が少なく、花の色が珍しい希少種ということで珍重されているとのこと御衣黄の樹を見上げていると、物珍しい桜を前にして感動を分かち合いたいのか、「桜には見えないわよね」「初めてみるワ」と、何人かのご婦人に声を掛けられたので、「そうですね」「新聞記事を見て来たんです」などと、他愛もない言葉を交わした桜といえばピンクというイメージが強いから、御衣黄の花を見てもいまいち桜と結びつかないこうして花を愛でていても、なんだか変な気分である傍から見たら希少な桜とは判らないから、あの青年は樹を見上げて一体何をしているのだろう?と思われているに違いないそれほど、珍重されている桜というわりには、御衣黄の樹はひっそりと佇んでいた花びらをよぉく観察してみると、紅い筋のようなラインが入っている花もある御衣黄には、花びらの中心に白い線があり、満開を過ぎると、その線は鮮やかな紅色に変化すると説明板に書かれていたので、今年の見頃は終焉を迎えつつあるのだろう御衣黄の花の終わりは、花びらがハラハラと舞い散るのではなく、花一輪がそのまま落花する樹の足元を見ると、いくつもの花が落ちていた自分が花を撮影している間、ご婦人たちがしゃがみ込んで何かしていたのは、落花した花を丁寧に拾い上げて記念に持ち帰っていったようだ選り取り見取りしていったのか、綺麗な花びらは殆ど残っていない自分も記念にとの思いで土のうえに鎮座している花をすくうと、掌に収めたのだった
2008年04月19日
読みかけの小説の頁から目を離すと、しばし外の風景に目を遣った車窓から見えるのは、のどかに広がる田園風景青々とした緑のなかに、目にも鮮やかな黄色い菜の花が花を咲かせているその向こうには、山並みの姿も見える今、自分は、群馬へと向かう電車に揺られているかれこれ、2時間ちかくは乗っているだろうか当初の計画では既に目的地の駅へと到着していてもおかしくない時間なのだが、事故の影響で列車のダイヤが大幅に乱れていたのだまぁ急ぐ旅でもなし、こういった時でないと本を読む時間もないんだからと、のんびりと構えていた今日は仕事は休みどこへ出かけようかと思ったとき、数日前に読んだ新聞記事を思い出したそれは、群馬県にある北部運動公園で、芝桜の花が見頃を迎えているというものだった芝桜ごときで?と思ったのだが、記事によると、その北部運動公園では本州最大級の100万株もの芝桜を楽しむことができるとのことそれはこの目で確かめるしかないでしょ!と、群馬行きの電車に飛び乗ったというわけ13時すぎに、ようやく下車駅である太田駅に列車は到着した長閑な風景のなかを走ってきたので、さぞかし心寂しい場所なのかと思いきや、駅は大きくて立派だし、ホームから見る太田の街はだいぶ拓けていて、想像していた風景との食い違いに少々戸惑いを覚えてしまったほど改札口を出ると、南口へと向かった下調べでは、駅の南口から北部運動公園まで、シャトルバスが出ているということだったので、それを利用するためだったが、そこに、まさか落とし穴が待ち構えていようとは思いもしなかったシャトルバスの時刻表を見ると、なんと1時間に1便しか出ていないことが判明しかも、そのバスは10分前に出発したばかりだったのであるなぬぅぅぅぅ!!次のバスを待つために、50分もここで足止めは喰らいたくない歩いていくか?と思ったのだが、バスの運行表を見てみると、駅から北部運動公園まで所要時間は30分と書かれているバスで30分かかるんだったら、徒歩ではどれくらいかかるんだ?1時間以上はかかるってことか?それなら、次のバス待ってたほうがいいじゃん下調べしたつもりだったが、バスの本数までは確認しておらず、想定外のことが起きて、暫し呆然…とりあえず太田駅に戻ることに駅周辺の案内板を見たのだが、北部運動公園の文字は無いそれだけ、駅から離れた場所にあるのだろうさて、どうしようか次のバスまで待つ!?いや、タクシーに乗ろう!ということで、北口ロータリーの前に停まっていたタクシーに乗り込んだ「北部運動公園まで」そういうと、タクシーの運転手は、「芝桜を見にいかれるんですね」と言い、車をスタートさせた駅前の商店街を走り抜けていくなか、自分は、所要時間とだいたい料金はどのくらいになるかを訊いたバスで30分かかる距離だったので、ちょっと不安だったのであるすると、タクシーの運転手は、スムーズに行けば時間は15分程で、料金は2000円程度だと答えた今日は平日なので道は空いているが、土日ともなると、芝桜を見に訪れる観光客の車で大渋滞が起こり、週末は大変なんだとか今日が平日でヨカッタ…なんて変な安堵感を覚えたのだが、シャトルバスで行けば片道200円で済んでいたので、そう考えると10倍もの出費であるこの出費はイタイなぁまぁ悔やんでみたところで仕方ないので、車窓から太田の街並みを楽しんでいた市街地を抜けると、だいぶのどかな風景が広がってくる細い流れの八瀬川沿いには、すでに散ってしまってはいたが、桜並木が続いている咲いていれば綺麗なんだろうなぁ…と景色を見過ごしていると、タクシーの運転手が「あれが、そうですよ」と、声を掛けてきた見ると、前方に見える小高い丘の斜面が見事なまでにピンク色に染まっている「あれが本州一の芝桜かぁ」なんて、自分が声に出すと、それを受けて、タクシー運転手が「日本一の芝桜はどこだと思いますか?」なんて、唐突にクイズを出してきたさては、駅から運んでくるお客さんに同じこと言ってるな?なんてことを思いながら、考えてみたここ群馬県の北部運動公園が本州一なんだから、残すは北海道・四国・九州・沖縄のどこかう~ん、どこなんだろ?お手上げということで答えを訊くと、北海道なんだそうほほぅ…それは勉強になりました2300円の支払いを済ませタクシーを降り立つと、係員の方からチラシを受け取った“第25回全国都市緑化ぐんまフェア”と題された催しは、前橋公園・高崎・伊勢崎といった群馬県の各地で開かれており、今日訪れたおおた(太田)会場は、本州最大と云われている100万本もの芝桜を楽しむことができる手渡されたチラシには会場の案内図が書かれているので、それを頼りに、まずは憩いの丘へと向かう「うわっ!」眼の前には、鮮やかな世界が広がっていた緩やかな傾斜の斜面に、濃淡のピンク、白といった芝桜が植えられていて、地を覆うようにして咲き競っているその景色は、さながら春色の絨毯を思わせるピンク色に染まっている大地を見ていると、地球が春の訪れを歓喜しているように感じられるまた、それとは正反対に、白い芝桜が植えられているところは、雪がうっすらと降り積もったような風情を思わせ、躍動と静寂の2つの表情を楽しむことができる芝桜は草がモサッとしていて、店で商品として取り扱っている立場から言わせてもらうと、手入れが大変なのであまり好きではないのだが、こうして見ると綺麗やねぇ時折吹く風が、わずかに樹に残っている桜の花びらを運んでくるので、花びら舞うなかでの芝桜鑑賞という、なんともオツな演出をしてくれた中央広場を挟んであるのは、見晴らしの丘名前の通り、見晴らしのいい斜面に芝桜が植えられているピンクの芝桜は見頃を迎えているが、白い芝桜は、まだ5分咲きといったところだろうかでも十分に鑑賞には堪えうる春色の芝桜に、気持ちがいいほどに青く澄み渡っている空見ているだけで清清しい気分になってくる春だなぁぁぁぁぁ~正直言って本州最大の100万本の芝桜と聞いて、さぞかし凄いスケールなのかと思っていたが、考えてみたら、芝桜の1株自体がそんなに大きいものではないから、こんなもんだよねあまりにも期待していくと、肩透かしを喰らうかもしれないそれでも、いざその現場に佇んでみると、その華絵巻は圧巻遠路遥々訪れた甲斐はあったかな!?
2008年04月11日
数日前、“千鳥ヶ淵の桜が咲き始めました”という新聞広告を見かけたそこで今日は、仕事が終わったら千鳥ヶ淵にライトアップされた夜桜を見に行こうと決めた天気予報だと、今日一日はあいにくの雨模様しかしながら、思ったが吉日ではないが、今日を逃してしまえば行きそびれてしまうような気がしたので、雨天決行の気持ちでいた外が闇に包まれた頃、仕事が終わったが、雨は相変わらず降っているしかも、冬に舞い戻ったかのような肌寒さとても夜桜見物するような天候ではなかったが、それでも千鳥ヶ淵に向けて車を走らせた近隣のコインパーキングに車を停めると、冷たい雨が降りしきるなか、九段の坂をのぼる悪天候なので、さぞかし桜を楽しむ人はいないだろうと思っていたのだが大間違い千鳥ヶ淵や靖国神社の桜を見に訪れる人たちで賑わいを見せていたそんな人々をかき分けるようにして、寒さに震えながら歩いていく千鳥ヶ淵に沿うようにしてある緑道と、お濠を挟んでの対面にある、ソメイヨシノを中心とした桜は、ライトアップされていて、なんともいえない幻想的な世界を映し出していた本来なら、闇夜の中に浮かび上がる美しい桜をゆっくりと鑑賞したいところなのだが、緑道は人がすれ違えるほどの道幅雨が降っているというのに、日曜日ということもあってか、千鳥ヶ淵を訪れる人は意外と多く、皆傘をさしているので、ボーッと突っ立って景色に見惚れていると通行の妨げとなってしまうのだゆっくり鑑賞したいのはやまやまなのだが、押し流されるようにして緑道を歩いていくしばらく歩いていくと、若干のゆとりが生まれ、ゆっくりと夜桜を楽しむことができた今週末が桜は見頃だと言っていたが、まさしくその通りで、ここ千鳥ヶ淵の桜も満開を迎えていた見上げると、まるで空を覆いつくすかのように、桜の花がビッシリと咲いている照明に照らされて淡い光の色をした桜の花は、まるで緻密に編まれたレース刺繍のように見え、また、青や緑、ピンクといった様々なライトによって浮かび上がる桜は、さながら万華鏡を覗き込んでいるような錯覚を覚えるほど、美しくも妖しい世界が眼の前に広がっていたほんと息を呑む美しさ自然と人の手による美の融合である気になる雨も、空に張り出した桜の枝に咲く花たちがクッション代わりとなり、さほど雨粒は落ちてこないそれでも、桜を愛でるために顔を見上げたり、写真に収めるためにデジカメを覗きこむと、桜の花を掻い潜って、春とは思えないほど花冷えの雨が幾粒も頬を伝ったボーッと桜を眺めていたり、デジカメのシャッターを押しまくったりと、自分なりに夜桜を楽しんでいると、たまたま年配の方の会話を耳にしたその話によると、昔は、見上げると空が見えないほど桜の花が咲いたのだという今でも十分見応えはあるのに、それ以上だったということは、千鳥ヶ淵の桜も年月を経て樹がやせ細ってきているということなのだろうかそういえば去年千鳥ヶ淵に夜桜見物に訪れた際、さくら再生募金なる活動が緑道の道すがらで行われていた樹の老齢化や環境の変化により、年々桜の木の勢いが弱くなっていて、 桜は一度枯れてしまうと、同じ場所には生育しにくい性質があるために、 募金を募り、“千代田区の花さくら再生計画”を行っているというものだったその事を知り、去年は微力ながら少し募金させていただいたそのとき職員の方が活動を呼びかける声を張り上げていたのだが、今年はまったく聞こえてこない特設場所と思われるテントを見つけたのだが、シートに覆われていて今日は募金活動はしていないようである残念! 思う存分夜桜を満喫していると、気づけば2時間ちかく経っていた今日は防寒対策をしてきておらず、だいぶ身体も冷えてきたので、そろそろ帰ることに終始降り続けていた雨だったが、桜の花はまだ散ることはなく、花散らしの雨にはならなかったようだもうしばらくは桜を楽しむことはできそうコインパーキングに戻ってきて、車に乗り込む際傘を閉じると、桜の花びらが2枚張りついていた剥がしてしまうのは、なんだか勿体無いような気がして、そのまま傘を畳み込んで助手席に乗せると、帰路につくために車をスタートさせた【千鳥ヶ淵・桜のライトアップ】2008年3月28日(金)~4月6日(日)まで
2008年03月30日
蝋梅園がある秩父・宝登山の最寄り駅、長瀞駅に降り立った今日は土曜日ということもあって、さぞかし賑わっているかと思いきや、乗降客も少なく実に閑散としたものだったやはり、蝋梅の見頃のピークは過ぎてしまったのだろうか?駅から宝登山に登る為のロープウェイ乗り場までは歩いて約15分程度緩やかな坂を、ゆっくりとあがっていく駅から歩いてくる途中、殆どと言っていいほど人影を見なかったので、いつもは待たされているロープウェイも今日は並ばずに乗れるかな?と思いきや、乗り場に着いてみると、ロープウェイを乗るための順番待ちの列ができていたそれでも、花の最盛期の時には1時間以上待たされたものが、今日は20分足らず待っただけで乗ることができた定員いっぱいいっぱいの50人のお客さんを乗せて、ロープウェイは一路蝋梅が咲く宝登山山頂へ…初めて宝登山に蝋梅を見に来たのは二年前のこと蝋梅独特の甘い芳香が好きで、関東では宝登山が蝋梅の名所ということを知り、訪れたのがきっかけそれに、山の名前が“宝登山(ほどさん)”というのも、まるで宝の山を登るみたいで、縁起が良いような気がして、それからは毎年花の時期になると足を運んでいる蝋梅が咲く時期だけの、年に1回しかここは訪れないのだが、山頂の駅に降り立ち、馴染みある風景に出迎えられると、故郷に帰ってきたような安堵感を抱くとともに、もう1年経ったんだ…という時の流れの早さを感じずにはいられなかった宝登山の山頂付近に広がる蝋梅園に足を踏み入れると、早速甘い芳香に包まれた樹の傍に寄るだけでも香りを感じることはできるが、それだけでは飽き足らず、花に顔を寄せた花びらが蝋細工のように光沢があることから蝋梅と呼ばれているように、薄く透き通った花びらに太陽の日差しが当たり、花は眩いくらいに輝いてみえる目を瞑り、蝋梅の香りをいっぱいに吸い込む背には春を思わせるような暖かな日差しを一身に浴び、のんびりと時を過ごす心配していた花の開花の状況も、若干花びらに痛みは見られるものの、丁度満開を迎えている頃だったが、園内はさほど人影がないので、気兼ねすることなくゆっくりと回ることができ、十分に楽しむことができたあぁ~それにしても、なんて気持ちがいいんだろう空を見上げれば、青い空に気持ちよさそうに白い雲が浮かんでいる燦燦と降り注ぐ太陽の日差しは、身体も気持ちも温めてくれる遠路遥々来てよかった… まったりした気分で散策していたときだった突如、遠くの方から“ゴォーッ”と風の唸るような音が聞こえたかと思ったら、もの凄い勢いの風が山肌に晒されている砂を巻き上げて吹き抜けた髪は乱れ、全身は砂埃まみれほんの一時の出来事なのだろうと、特に気にも留めず、蝋梅見物を続けた山頂に近いところで蝋梅を見物していると、さきほど聞いた風の唸る音が、山の向こうから再び聞こえたすると、またしても強い風が吹きつけてきたその風は蝋梅の甘い芳香を蹴散らかし、砂や落ち葉などを巻き込んで自分に襲い掛かってくるあまりにも強い風なので、風に身体の正面を向けることができず、風が吹き止むまでは背を向けて待機することしかできない他の見物客の方も、風に慄きながらもなす術がないようで、身体を強張らせてジッとしている今日は風が強いのだろうか?それとも、たまたま強い風が吹いただけだろうか?見晴らしのいいところで眺望を眺めていると、空の一角が灰色の雲に覆われていたその方角から、またしても不気味な唸る風の声が…なんだか今日はおかしいそう思ったのもつかの間、ふたたび強い風が吹きつけた今、自分が立っているところは、山頂に程近い山道で、お飾り程度の手摺りしかないところ自分の身体をも揺さぶるような風に体当たりされ、足下は掬われ、恐怖すら感じる必死に大地に足を踏ん張り、土が舞い上がる黄色い世界のなか空を見上げると、いつの間にか灰色の雲は空全体を覆いつくそうとしていたほんの数分前まで気持ちが良いほどの青空が広がっていた空とは思えないほどの変貌振りだったそれからというものの、まるで山の神の逆鱗にでも触れたかのように風は吹き荒れ、鬱蒼と茂る樹木たちは右に左にとその大きな枝をしならせ、土が舞い上がり、落ち葉は踊り狂うそんななか、人々は身を縮めて逃げるようにして山を降りていくそれは、さながらパニック映画でも見ているような光景山頂に上がってきてから、さほど時間が経っていないところでの突然の風の手荒い歓迎まだ蝋梅を楽しみたいところだったが、断念せざるを得ない人々はそのまま下山するようだったが、折角ここまで来たのだからと、自分はちかくにある梅園の方に足を向けたここなら土は剥き出しになっていないので、風が吹いても土埃に塗れることはないからだ紅白の梅は勿論のこと、枝垂れ梅など、数多くの梅がある梅園は、まだ殆どのものが開花していなかったが、それでも、ちらほらと花を咲かせているものもある梅の花に顔を寄せて香りを楽しんでいると、頬に冷たいものを感じた雨?いや、雪だ!あぁ…今日はなんて天気なんだろうそれでも、はじめのうちはちらちらと舞っている程度だったので、雪が舞うなかでの梅見物も風流があっていいんじゃない?なんて思っていたのだが、次第に雪の降り方は強さを増して本格的になってきたデジカメを持つ手は寒さで悴んで感覚を失いはじめ、自分が身にまとう衣服は雪で覆われてきていた辺りを見回しても、こんな雪降るなか花を見物している人間など一人としていない残念だけれど、もう帰ろう…ロープウェイ乗り場に戻ってきてみて我が目を疑ったなんと、突然の天候の変化で皆も帰ろうと思ったのか、下山する為に乗るロープウェイを待つ人々の長蛇の列ができていたのであるその列は駅舎の建物からはみ出て、雪降る外にまで続いているとにもかくにも列に並んではみたものの、何も覆うものがないところで並んでいるので、自分の身体に雪は降り続けるしかも雪だけならまだしも、冷たい風が吹きつけ、容赦なく自分の体温を奪っていくロープウェイを待つ列もなかなか進まず、ただただ雪を憎憎しい眼で見つめることしか、今の自分にはできない山の天気は変わりやすいというが、こうも変わるとは思いもしなかったほんの1時間まえに到着した時とは雲泥の差である空一面灰色に覆われた空からは、粒の大きな雪が次々と落ちてきて、次第に辺りの景色は雪化粧が施されていったなかなか進まないロープウェイ乗車待ちの列…降り続ける雪…その時、自分のなかで何かが弾けた降りしきる雪のせいか、殆ど花の見物をしている人は居ないといっていいどうせ長い間待たされるのなら、雪のなか、誰もいない園内を散策したいそう思い立つと、自然と自分の足は雪の中へと向かっていた降り始めてからそれほど時間が経っていないというのに、辺りはすっかり雪で覆われていた眼下に望むことができた秩父の町並みも、今やすっかり灰の闇に覆われ、さながら雲上の世界に取り残された感である梅や蝋梅たちも、雪に覆われてしまい、花を愛でることすらできないう~ん、それにしても寒いまさかこんな目に遭うんだったら、フードのついているコートを着てくるんだった雪は容赦なく自分の身体に降り続ける首に捲いているマフラーでも頭に捲く?いやいや、そんなことしたら怪しまれるでしょその前に、こんな吹雪いているなか、ひとり歩いていること自体が怪しいかしばらく雪のなかをまるで彷徨うかのように散策していたが、さすがに限界を感じてきたので、ロープウェイ乗り場に戻ったえぇ~!?まだ並んでるの?だいぶ時間は経ったはずなのに、ロープウェイを待つ列は相変わらずだったが、もう雪のなかを駆け回る元気はないので、おとなしく列の後ろに並んだ髪も衣服もグショグショのんびり過ごそうと思ったのに、とんだ休日になったもんだあれっ?なんか雪の降り方だいぶ弱まってきた?見ると、遠くの空は青空を垣間見ることができるという事は、天気は回復の兆しにあるのかな?すると、またしても自分のなかで何かが弾けたまだロープウェイは暫く待たされるみたいだし、もう少し散策しようまたしても順番待ちの列から抜け出ると、園内を散策した雪もすっかり止み、うっすらとではあるが太陽も顔を覗かせてくれた花々には、うっすらと雪が積もり、それはさながら綿帽子を被っているような愛嬌を感じる青い空の下での花見物、そして雪景色、まさか同じ日のしかも短時間で異なる風景が楽しめるとは思いもしなかった春の嵐かそれとも冬の嵐だったのか風に吹かれ、雪に降られ、なんだか踏んだり蹴ったりの蝋梅見物となったが、ある意味思い出に残る一日となった十分満喫したから、もう帰ろう最後に振り返ると、園内の雪は殆ど解けてなくなっていた今さっきまで目の前に広がっていた光景はなんだったのだろうか?夢か?幻か?なんだか悪い夢でも見せられたような気分で、蝋梅園を後にした
2008年02月23日
元旦の京都の旅も、いよいよ大詰め残すは八坂神社への初詣だけとなった料亭・美登幸での昼食と、八坂神社の初詣は、ツアーの日程に最初から組み込まれていたので、ツアー客全員で挙って参拝に行くと思っていたのだが、そうではなく、バスの出発時間まではフリータイムとのことそうとなると、ツアー客の人たちは、時間が勿体無いと言わんばかりに、1組、また1組と慌しく料亭を出て行く腕時計を見ると、集合時間まで1時間弱それだけの時間があれば、どこかに行けないわけでもなかったが、折角京都に来たのだからと、ここは大人しく八坂神社へ参拝して、今回の旅を終えることにした料亭を出て、沢山の店舗が軒を連ねる四条通りに出ると、歩道は八坂神社へと向かう人と、参拝を終えて帰る人とで埋め尽くされていたその人込みの中に身を委ねて、ノロノロと八坂神社へと向かう四条通りには、いかにも京都らしい色々な店舗があるのだが、この人込みを考えると、参拝に相当時間がかかりそうなので、店には入らず、ウィンドーショッピングだけに留めておいた四条通りと東大路通りがぶつかる祇園の交差点に出ると、テレビやドラマでお馴染みの風景を目にすることができた八坂神社である地元の方からは“祇園さん”の名で親しまれ、疫病封じの神社として知られている八坂神社朱塗りが実に鮮やかな西楼門を潜ると、境内は沢山の人でごった返していた人込みに揉みくちゃにされながら、細い参道を歩いていく集合時間までに参拝間に合うやろか?そんな危惧を抱きながら歩を進めていたが、ほどなく参道が切れて広い境内に出ると、人々の動きを鈍らせていた流れから解放された思い思いに参拝をする人、着物で着飾っている人と、境内の中は実に賑々しく、お正月ムードで溢れ返っていた自分も参拝しようとしたものの、あまりの人出に、前のほうへ近寄ることができないので、遠くから賽銭箱めがけて小銭を投げると、今年一年のお願い事をしたさて、初詣といえば、お御籤である去年の初詣で浅草・浅草寺で引いた時は“凶”であったが、今年はどうかなぁ?200円を支払うと、三方のような台の中に無造作に置かれているお御籤を選ぶどれにしようかなぁ?なんて、あれこれ迷うのはみっともないので、自分の直感と運を頼りに、インスピレーションで1つのものを掴んだその場で籤を広げるのは厭らしいので、少し離れたところでヒッソリと見ることにドキドキするぅ!結果は…『末吉』微妙ぅぅぅぅ!!ま、凶じゃなかっただけでも、良しとするかお御籤に書かれていた和歌より“織りかけし 都の錦青柳の たての糸のみ見ゑわたるかな”(詠人・香川景樹)二月の末、八坂の里より眺めた都の景色を詠んだ御歌で、春のさかり近きを思わせる歌の心で、末遠からぬうち幸あることゝの知らせ末遠からぬうちに幸があるんですね今が踏ん張りどころ、我慢のしどころ肝に銘じて、今年一年過ごしますさてさて、気づけばもうそろそろ集合時間八坂神社から円山公園へと抜けて、バスが停まっている知恩院の駐車場へと向かう歩きながら、今日の出来事を思い返していたいかがでしたか?新春の京都の旅は…バスツアーということで、見ず知らずの人たちと行く団体の旅に、自分ひとりだけの参加は若干の不安要素はあったものの、昼食の時に顔を合わせた程度で、終始自由行動だったので、なんの気兼ねもせず、思いのまま羽をのばすことができ、さながら一人旅の気分を味わうことができたフリータイムの時間が限られていただけに、ある程度の慌しさは覚悟していたのだが、時間との戦いで、まさかここまで忙しないとは思いもしなかったそれでも、自分が訪れてみたいと思った名所を堪能することができたし、早朝ゆえに、観光名所ではない普段の京都の街を垣間見ることができ、美味しい京料理も頂くことができたので、とっても満足!たった8時間の滞在という短い時間ではあったが、自分なりに京都を満喫しましたッ!13時30分集合時間に誰一人として遅れることなく、ツアー客を乗せて、東京行きのバスはゆっくりと走り出したみるみるうちに、新春の賑わいを見せる京都の街並みの景色が流れていく今帰るにはあまりにも早すぎる時間ではあるが、これからの東京へと向かう長い長い道中のことを考えると、それもいたしかたない名残惜しい思いで、車窓から京都の街を眺めるのであった……
2008年01月01日
只今の時刻、9時30分前京都での自由時間も、残すところあと2時間えっ?もうそんな時間?いやぁ、楽しい時間は瞬く間に過ぎていきますなぁさて、これから三十三間堂へさすがに歩いていくことはせず、南禅寺の最寄り駅の地下鉄東西線・蹴上駅から、途中京阪線を乗り継いで、七条駅に降り立った地図を片手に、歩くこと数分お目当ての三十三間堂に到着した長寛2年(1164)、平清盛が後白河法皇のために建てたのが三十三間堂正式には蓮華王院といい、内陣の柱間が33間あることから“三十三間堂”と呼ばれている(パンフレットより)旅に出る前に京都のガイドブックを購入し、道中のバスの中で、どこに行こうかページを繰っていると、三十三間堂の千手観音像の画が衝撃的で、観音様やら仏像には興味がないのに、不思議と何か引き寄せられるものを感じ、ぜひ訪れてみたいと思ったのである拝観料の600円を支払うと、中へ本堂内は土足厳禁なので、スリッパに履き替えるお香のような独特の香りが漂い、静寂に包まれた本堂内を静々と中へと進んでいくすると、雛壇に立ち並ぶ千体仏が眼の前に現れた正直、度肝を抜かれた千体仏を前にした時、その光景たるや圧巻で、思わず息を呑んだ神々しく、厳かそこには、今まで目にしたこともないこの世とは思えない世界観が広がっていた魂を揺さぶられるというか、なんというか、言葉では言い尽くせない何かを身体で感じていて、ただただ圧倒されてしまい、暫くはその場に立ち竦んでしまったほど観音様の両肩から出る手の数は一体につき40本1本の手がそれぞれ25の苦悩を救済するというところから、40×25=1000で、千手観音という本堂内には1001体(数体は博物館に貸し出していたり、補修中)の千手観音像があるが、ひとつとして同じものがないというから驚きであるたしかに、ひとつひとつ見ていると顔の表情やら手のしぐさなど一体一体違うそれにしても、ほんと凄い何が凄いって、色んな意味で凄いただただ凄いの一言本堂内には、本尊・千手観音坐像を中心としての千手観音像をはじめ、風神・雷神像といった国宝の像もいくつも展示されており、見応えがある今回は時間に制約がある為、ゆっくりできなかったが、ぜひ再度訪れる機会があるのであるならば、千手観音像とじっくりとゆっくりと対峙させていただきたいものである信仰心が無い自分ではあったが、気持ちばかりではあるが、献灯をさせていただいた薄暗く、ひんやりとした本堂内に揺らめく一筋の炎その火は邪念を燃やす炎か、愚かな自分の身を滅ぼす炎か燃え尽きるのを見届けるまえに、本堂を後にした三十三間堂の千手観音像自分の人生において、忘れることのできない光景の一つとして、深く深く心に刻み込まれるのであった休憩所には、三十三間堂を解説した冊子や、お守りなど、ちょっとした販売スペースが設けられていた何気なく視線を配らせていると、ひとつのお守りに眼が留まった“頭痛封じ守”頭痛封じのお守りこのお守りは、毎年一月に厳修される「楊枝(やなぎ)のお加持」という法要で、加持された浄水を楊枝の枝で参拝者に灌頂する作法に因み、当院の楊枝の枝と供に秘呪「消伏毒害陀羅尼経」一巻を収めた効験ある“頭痛封じ”のお守り三十三間堂に伝わる独特のものであり、頭痛に悩む方は是非肌身につけて癒してください(お守りに同封された説明書き)色々なお守りがあるが、頭痛に効くお守りがあるとは初めて知った自分は、わりと頭痛に悩まされることが多いので、1つ購入することにした京都に来て初めて、ようやく土産らしいものを買ったこれからは、この頭痛封じのお守り毎日持ち歩きますあとから知ったことだったのだが、京のご利益巡りとして、厄除け・安産・学業上達・商売繁盛・縁結びと、色々な神社仏閣があるのだが、そのなかで、ここ三十三間堂は、頭痛平癒にご利益があることで有名なんだとかなぜ今回の旅で訪れるスポットを選ぶ際、三十三間堂に強く惹かれるものを感じたのかもしかしたら、頭痛平癒に関係があるのかもしれないインスピレーションで訪れた場所で手に入れた、長いこと悩まされてきた頭痛を封じるお守り偶然かもしれないが、導かれたような、訪れるべくして訪れたような、何か縁のようなものを感じずにはいられなかった
2008年01月01日
清水寺を後にしたのは、8時ちょっとまえだったさて、次はどこへ行こう?三十三間堂に行きたいのだが、拝観時間は9時からなので、今から行っても時間を持て余すことになる近場で、拝観時間に関係なく楽しめるところはないかと、地図と睨めっこしていると、南禅寺の文字が目にとまった南禅寺は、十年前に一度訪れた場所ではあったが、その時見落としてしまい、どうしても訪れてみたいところがあったので、次なる場所に決めた地図で見る限りでは、歩いていくとなると結構な距離のようだが、三年坂、二年坂と抜けて、散歩がてら歩いていくことに坂を下りていくそろそろ三年坂かな?と思い歩いても、一向にそれらしき坂が見えてこない道は間違えていない筈なんだけれど…坂の途中に掲げられていた近隣の案内図で確認してみると、だいぶ通り過ぎていたなんのために地図見ながら歩いているんだろ慌てて戻って、地図が示していた場所にいくと、細い路地のような曲がり角から、三年坂は始まっていたこりゃあ、気づかないよ石畳のゆるやかな坂道の両脇には、京小物や、漬物屋など、風情ある店が軒を連ねていて、いかにも、京都!といった雰囲気であるしかしながら、残念やなぁだって、朝が早いからどこのお店も閉まっているんだもんッ!人込みを避けることはできて風情を楽しむことはできるが、やはり何か物足りなさを感じてしまうのは否めない朝早く着いて、ゆっくり観光できると思っていたのだが、あまりにも早く着きすぎてしまうのも問題やね二年坂へと続く曲がり角をやり過ごし、三年坂を降りていくすると、目の前に八坂塔が見えてきたあれ?この風景、なんか見たことがあるんだけれど…そうそう、2時間ドラマの山村美紗サスペンス!!京都を舞台にした推理小説を数多く残した山村氏その作品を愛読している自分にとって、京都は大好きでもあり、憧れの街なのである山村氏の作品は、数多く映像化されており、今自分が目の前にしている風景も、二十数年前に放映されたドラマの1シーンとして登場していた二十年も経つと、街並みも変わりそうなものだが、ここはドラマの中の風景と殆ど変わらないほんと、京都は絵になる風景がたくさんあるなぁ三年坂を戻り、二年坂をくだるこちらも坂の両脇にある数々の店は、どこも閉まっていたそういえば、「二年坂で転ぶと、二年以内に死ぬ」なんて、なんとも物騒な言い伝えを聞いたことがあるが、本当なのかなぁ?転ばないよう気をつけねば!そんななか、ある看板に目がとまった最中コロッケ!?絵をみると、最中にコロッケが挟んであるそのまんまやんッ!へぇ…美味しいのだろうか?ちょっと食べてみたい気がしたが、当然のことながら、そのお店も開いていなかったもうガッカリ!ねねの道を抜け、東大路通り、さらには地下鉄東西線に沿うようにして歩いていき、目的地である南禅寺へと着いた着くなり、その大きな三門の圧倒的な存在感に驚かされる高さは22メートルもあるのだとか人影もなく、冬の澄みきった空気の中に佇むその堂々たる三門の姿は、なんとも威厳を感じるさてさて、南禅寺で訪れてみたかった場所というのは、境内の南側にあるレンガ造りのアーチが美しい明治建築の水路閣こちらも度々、山村美紗サスペンスでは登場する場面どこかしら哀愁を漂わせる場所のせいか、ドラマでは犯人の告白シーンや、密会現場など、陰のイメージとして使われることが多いそんなロケ地を、一度この目で見てみたいと思っていたのである境内を進むと、奥にひっそりと佇むレンガ造りのアーチ橋が見えてきたテレビで見るより、意外と短い神社仏閣のなかに、西洋のものがあるだなんて、なんだかミスマッチなような気がするのだが、その光景は不思議と違和感を感じさせないコケが生えて歴史の重みをズシリと感じさせるレンガに手を触れ、アーチの部分から顔をそっと覗かせてみて、一人山村美紗サスペンスごっこをしたりと、傍から見たら十分に怪しい振る舞いをしてしまったそもそも水路閣とは、琵琶湖の水を京都に引くという、明治前半期の京都の最大の建設事業であった疎水事業の一環として造られた、南禅寺境内を通る水路橋坂を上がり、水路閣を覗き込むと、時が経た今でも、たおやかに水は流れていた水路閣を後にすると、再び三門へと戻ってきた楼上からは、盗賊・石川五右衛門氏が「絶景かな、絶景かな」と見得を切った光景を見ることができる前回訪れた時はパスしてしまったが、今回は折角なので、あがってみることに500円を支払うと、楼上は土足厳禁なので履き物をビニール袋に提げ、急な角度の階段を上がっていくひんやりとした木の床が、なんとも冷たい楼上に出た太くてしっかりとした木の欄干に手をかけ、景色を見渡す空は青く澄み、緑は深く、遠くには京都の街並みが見えるこれが、石川五右衛門が見た光景かぁ年月は流れ、その頃に比べたらだいぶ景色は変わってしまっただろうが、石川五右衛門と同じ場所に立ち、彼が観た同じ景色を眺めているのかと思うと、なんとも不思議な気持ちになるのであった楼上を回っていると、やわらかい日差しが差し込んできた清水寺で拝むことができなかった、初日の出である『絶景かな、絶景かな』身体が心底冷え切っていた自分にとって、その初日の出はなんとも暖かかった
2008年01月01日
“国境の長いトンネルを抜けると雪国であった”(川端康成著「雪国」冒頭部分より)“長い眠りから醒め、瞼を開けると京都であった”本来であるなら、そうなるべきであった年末は仕事が多忙で、ろくに睡眠時間も取れずにいたバスの車内では久しぶりに長い睡眠にありつけることを期待していたのだが、実際のところは、短いうたた寝を繰り返すだけに留まった座席のシートを倒すにも後部座席の方に気を使うので、座席の角度はほぼ直角自由の利かないスペースの中での安眠体制の確保は難しいさらには、真夜中の走行中は暖房を切っているのか、車内はかなり冷え込むそんな状況下のなかでは、眠りにつくことはできなかったようだ睡眠できなかったのは、何も車内の環境だけが理由ではない最大の原因、それは…憧れの京都に向かっているということで、気分が高揚して寝つけなかったんだと思う現に、ほぼ睡眠はとっていないにもかかわらず、まったく眠気も無いし、疲れてもいないむしろ心は躍り、楽しくて仕方ないそうこうしているうちに、バスは京都東インターを降り、京都の街を走る時刻は5時すぎ街には人影は無く、まるで街全体が眠りについているかのようだなんだか京都に着いた実感が全くないのだが、車窓から煌々とライトアップされた京都タワーが見えたとき、「あぁ、本当に京都に到着したのだ」と始めて思ったバスは京都駅八条口に到着東京から京都、夜行バスに揺られること約6時間の長旅であったここからは、フリータイムツアー客は各々、元旦の京都を楽しむため、蜘蛛の子を散らすようにして四方へと散らばっていったさて、自分も行くとしますか!昼食は花見小路にある料亭でとることになっており、その料亭に11時30分に集合となっている今は5時30分だから、6時間が自分に与えられた自由な時間6時間と聞くと、すごく時間があるような気がするのだが、実際のところどうなんだろうか?さあ!戦いの火蓋は切って落とされた!!って、京都にまで来て何と戦うの?折角なんだから、ゆっくりすればいいのに…あかんがな!そんな悠長なこと言うてる場合じゃない時間が限られているんだから、サッサ廻らんとな時間の許す限り、自分なりに京都を満喫しようまずは、清水寺へと向かう為、地下鉄に乗車、京都から一駅隣りの五条駅に降り立った地上に出ると、相変わらず外は闇に包まれていたカバンからガイドブックを取り出し、地図を見ながら歩いていく傍から見たら、観光客丸出しでも恥も外聞も気になんてしていられないいかに効率よく廻るかにかかっているんだからそれなら、タクシーを利用すればいいのだろうが、そんなにお金を持ち合わせていないし、歩きながら京都の街並みも楽しみたいんだよね…って、周囲を見回しても辺りは真っ暗普通、こんな朝早い時間帯から観光客って出歩かないかだって、まだ6時前だもん!地図と街に出ている表示板を頼りに、ひたすら清水寺へと向かうのであった五条坂、茶わん坂と上がっていくと、清水寺の三重塔が見えてきたここまで来ると、人影に出くわすようになった腕時計を見ると、時計の針はちょうど6時を指していた清水寺の入り口とでもいうべき仁王門では、ライトアップされたその鮮やかな朱塗りの門を撮影しようと、それなりの人手で賑わっていて、ようやく観光らしいムードになってきた拝観料の300円を支払うと、本堂へと進んだそこが、かの有名な清水の舞台であるまだまだ闇に包まれているせいか、清水の舞台や奥ノ院、辺りの山林はライトアップされていて、なんとも幽美な光景が広がっていたよく、何かを決断するときの心意気として、“清水の舞台から飛び降りる…”なんて諺があるが、実際どれほどの高さなのだろう?太くてしっかりとした欄干に手をかけ、恐る恐る下を覗き込んだムチャクチャ怖いんですけどォ!暗くてよくは見えないが、高い所が苦手な自分としては、足元がすくむような高さだということだけは判るなんでも高さは13メートルあるんだとかこりゃぁ、そう易々と飛び降りられる高さじゃないでしょうよほどの決断をする時にしか、“清水の舞台から…”なんてセリフは吐けないね意外だったのは、清水の舞台から京都の夜景が一望できたこと清水寺って、高いところに建てられているんだね知識がまったく無いので、その眺望の良さに驚いてしまったそれにしても、ライトアップされた清水寺を見ることになろうとは、夢にも思わなかった思えば、6時といえば東京でもまだ暗いのだから、さらに日の出時間が遅い京都なら、暗いのは当たり前かよくよく考えてみれば気づきそうなものなのに…ライトアップされた清水寺は、それはそれで魅力的ではあるが、なんせ初めて来るものだから、明るいときの清水寺も見たかったかな奥ノ院に足を運び、そこから清水の舞台を見たそこには、テレビなどで見かける構図があったそうそう!これが清水の舞台だ!うほ~一人興奮する自分顔、たぶんニヤけていますだってだって、一度は来て見たかった場所に、今こうしているんだよ?そりゃあ興奮するでしょ!舞台上に立っているときにはわからなかったが、こうして奥ノ院から全体を見ると、舞台を支えている立派な骨組みが見える崖からせり出すようにして立つ堂は、139本の欅の柱によって支えられている以前清水寺に関して放送しているテレビ番組で得たうろ覚えの知識なのだが、柱に使用されている欅の木は、樹齢数百年を経過しているもののみ使用しているというそこで、清水寺では広大な山林を買い、欅、檜の苗木を入手した山に植え、将来(数百年先)の修復に備え自前で木材を調達するという超長期のプロジェクトに取り組んでいるそう沢山植樹しても、骨組みに使用できるような木材に育つのはごく僅かとのこと大変な取り組みですそれよりなにより、このプロジェクトは、数百年もの歳月を有する気の遠くなるようなもの今携わっている人々、いやそれに限らず、数代の人々はその仕事を見届けることができず、何代もの人々の手に受け継がれ、繋がれていく、まさに魂のリレー今日明日のことすら考えられない自分にとって、数百年も先の事を見越しての行動とは、なんとも恐れ多い話であるそれもそのはず、舞台を支える樹齢数百年の大木となると、なかなか数が集まらないらしいそこで自己防衛策に踏み切ったというわけ世界遺産を守っていくのも大変なことなんだね気づけば、闇夜だった空も、段々と白み始めてきていたにわかに舞台上の人影も多くなってきていた人々は舞台に腰掛けたり、欄干に陣取りをしているもしかしてご来光が拝めるの?自分も奥ノ院から、清水の舞台へと移動した幸いにも、舞台前に空いているスペースがあったので、そこに陣取った京都は、徐々に夜が明け始めてきていたすると、ライトアップの照明が落とされたいよいよか?若者たちが中心の見物客が賑わいたそれにしても、今日は寒いいや、京都が寒いのか?京都は夏は暑くて、冬は寒さが厳しいと聞いてはいたけれど…昨日のニュースでは、大晦日と元旦の冷え込みは厳しいとのことしかも、昨日出掛け前に調べた天気では、元旦の京都の天気は、晴れのち雪だとか雪が降ったら、そりゃあロマンチックだけれど、この寒さは身に堪える冬の空気に晒された掌は悲鳴をあげ、あまりの寒さゆえに悴んできて、痛さを通り越して殆ど麻痺状態もはや、自分の思いのとおりに掌を動かすことができない無駄な抵抗だとは思いつつも、少しでも暖を取ろうと、自分の吐息を吹きかけ続けた山の上に浮かぶ空は茜色に染まっていた眼下に広がる京都の街並みも、朝日を浴びているのか、オレンジ色に染まっているそれなのに、お日様は一向に顔を出す気配はない本当に、清水寺から初日の出を拝むことができるの?そんな疑問が頭の中を過ぎったもう、どれぐらいこうして待っているだろうか?ただただ突っ立っているだけなので、厳しい寒さは全身に回ってきていたそれに、自分は初日の出を待っているようなほど、のんびりとしてはいられないのだと思いつつも、ここまでこうして待ったのなら、もう少し待ってみようか?なんて、自分のなかでせめぎ合いが始まっていたそんな時、自分の後ろの方から、一人の若者の声がした「初日の出見えるまで、あと1時間ぐらいかかるて」耳にしたその情報に信憑性があるものかどうかすら判らなかったが、その言葉を聞いたとき、“もうこれ以上待つのは止めよう”と、自分の足は清水の舞台から遠ざかっていた本堂の下には、清水寺の名の由来となった音羽の滝がある3筋の清水の流れは、万病に効く霊水といわれ、枯れることなく絶え間なく水を落とす清水寺では、舞台と並ぶ人気スポットらしく、行列ができるんだとかでも、今日は朝が早いせいか、ほとんど人影は無く、折角なので自分も一口頂戴した長い柄杓で、上から落ちてくる水をすくうさぞかし、水は冷たかろうと口にすると、そうでもなかったところで、後から知ったのだが、この3筋の流れには、それぞれに「健康長寿」、「学業上達」 、「縁結び」にご利益があるんだとかで、自分が無意識に選んで口にした水はというと…“縁むずび”でした
2008年01月01日
夜の紅葉を楽しもうと、仕事を終えると、東京は本駒込にある六義園へと向かった11月23日から12月16日の期間中、六義園では『紅葉と大名庭園のライトアップ』と題した催しが開かれており、夜の21時まで園内を開放して、移りゆく秋の景色を楽しむことができるのだ去年はじめて訪れて、夜の紅葉狩りにすっかり魅了され、ぜひ今年も行きたいと思っていたのだが、ズルズルと先延ばしになってしまい、今日ようやくこぎつけることができた入園料の300円を支払うと、薄暗い園内のなか、逸る気持ちを抑えつつ紅葉のスポットへと足を向けた足元には、行灯に見立てられた照明が、まるで別世界へと誘う道標のように、優しい明かりを灯しているさて、今年の紅葉はどうかなぁ?池の畔に枝を大きく突き出す紅葉の木々たちは色鮮やかで、水面にはその姿が反映されてそれはそれは幻想的な光景…の筈だったあれ!?なんか期待に反して、今自分の眼の前には、色のない殺伐とした世界が広がっているんだけれど近づいてみると、紅葉は落葉してしまい、秋色の衣を剥がされて剥き出しになった枝は、なんとも哀れな姿を晒していた水面には茶褐色をした落ち葉が、自分の役目を終えて、まるで安らかな眠りにつくように静々と浮遊している遅かったかぁ…どうやら、見頃は過ぎてしまったようだどおりで訪れるお客さんの人数が異様に少ないわけだ六義園の秋は、自分のことを待ってくれなかったんだねぇ考えてみれば、もう12月も半ばだから、落葉しても無理はないか重ね重ね訪れるのが遅かったことが悔やまれるとはいえ、この色のない世界も、見ようによっては季節の移ろぎ、秋の儚さを感じ、なんとも味のある風景である冷たく乾いた風が吹くと、カサカサと音を立てて赤褐色のモミジが水面へと散っていく人生の無常にも似たそんな光景が眼の前では繰り広げられた 六義園のなかでも、つつじ茶屋のあたりは紅葉のスポットであるライトアップされた紅葉は茶色く映り、さながら色褪せた世界が繰り広げられていた様々な極彩色の色で溢れかえっているこの世の中において、セピア色をした風景は、まるで世間から取り残されたようであり、どこか懐かしささえ感じて心が和むのであったそれにしても、去年はじめて六義園を訪れたことがついこの間のような気がするもうあれから一年経ったんだぁあの頃はデジカメの扱いになれていなくて、夜の風景の撮影に四苦八苦したことが思い出される今でも使いこなせているわけではないが、ちょっとは写真を撮る腕はマシになったかな?紅葉を一通り見て廻ると、園内の中心に程近いところにある吹上茶屋でちょっと休憩ここでは、抹茶と和菓子のセットが500円で楽しむことができる赤い毛氈がひかれた縁台に腰をかける今日はそんなに寒さも厳しくなく、空気は澄んでいるので、夜とはいえ心地がよい茶屋は池の畔に建っているので、池をぼんやり眺めながら、暖かいお抹茶と和菓子をいただいた風流やねぇ渇きを覚え、儚さを感じた、今回の六義園のライトアップ自分の本来の目的である紅葉を楽しむという目的は果たせなかったが、秋の終焉をひしひしと肌身で感じるのであったもう冬の足音は、自分の背後のすぐそばまで来ているようである六義園を後にし、自宅へ向けて車を走らせていると、警察官に止められたまたしても飲酒運転の検問による、アルコールの検査である年末は取締りを強化するとは言っていたけれど、一週間のうちにまさか二度も遭遇するとは…前回は初めてということもあっていささか緊張したが、今回は2回目とあって、アルコールを測定する為に息を吹きかけるのも一発でOKだった自分はアルコールどころか、抹茶をさっき頂いたばかりなので、勿論反応はナシさぞかし、自分の吹きかけた息は、晩秋の夜には似つかない新緑のような爽やかなものだったに違いない
2007年12月12日
横浜で一度訪れてみたかったところそれは、本牧ちかくにある三渓園である三渓園は、正糸貿易で財をなした横浜の実業家・原三渓の元邸宅原氏は、京都や鎌倉などから歴史的に価値のある建築物を移築し、明治39年に“三渓園”として一般に公開したもので、約53000坪という広大な園内には、10棟の重要文化財を含む17棟の古建築物が、四季折々の自然の景観の中にたくみに配置されている日本庭園で、2006年11月には、国の名勝に指定された(三渓園パンフレットより)閑静な住宅街を抜けると、三渓園はあった9時開園ということで、時間に余裕があったので車内で待機していたが、見ると、開園までまだ20分はあるというのに、入口にはカメラを抱えた人達の影がちらほらとあったそんなに景観が素晴らしいのだろうか?ちょっと期待が膨らむそろそろ開園時間という頃になると、駐車場に車を滑り込ませた時間に関わらず駐車料金が500円というのはありがたいこれなら駐車料金を気にせずに、ゆっくりと園内を散策することができる入園料は通常、大人ひとり500円だそうなのだが、12月3日(月)~16日(日)までの期間中は、紅葉が身頃を迎える時期だからこそと、1年間のご愛顧をこめて入園料が300円になっているのだというちょっぴり得した気分です園内を入るとすぐに、左手に大池と呼ばれる大きな池が見えた木々は緑や赤、黄色、茶色といった秋色に染まっていて、その後方には、関東地方では最古の塔である、旧燈明寺三重塔が聳え立っている姿が見える自分の眼の前には、まるで日本画のような、時代劇に出てくるワンシーンのような光景が広がっていたここが横浜とは到底思えない風景である園内の案内板に目を向けると、そのあまりにも広大な敷地ゆえにどこからどう回っていいのか分からなかったので、なんとなしに人の流れに沿って歩いていく自然と足は、昭和33年の公開まで、原家の私庭であった内苑へと向いていたいやはや、それにしても見事な庭園ですなぁついつい、紅葉や歴史ある建物に目を奪われがちだが、ムラサキシキブや山茶花、寒椿といった花たちもひっそりと秋の景色に華を添えているちょっと視線を下に向けてみれば、水仙も葉を伸ばしていたほんと、四季折々楽しめる庭園である 肝心の紅葉はというと、大部分のモミジやカエデといった赤い葉はすでに見頃は過ぎてしまったのか、誰からも見向きされることなく、赤黒くなった葉は今か今かと落葉する瞬間を待っているかのようまたそれも、哀愁を漂わせていて味があるが、どうせなら、燃えるような赤々としたモミジを見たかったというのは、無いものねだりというものだろうかその替わりといってはなんだが、今は銀杏がちょうど見頃を迎えていた黄金色に見紛うほどのイチョウの葉は、銀杏の木々のみならず、舞い散った葉は地面一面をも覆いつくし、眩いばかりの黄金色の世界をつくりだしていたもう、言葉なんていらないただただ息を呑むだけの美しい景色であるイチョウは輝き、モミジは燃える秋といえば、どことなく儚さを感じるのだが、こうも極彩色な紅葉が織り成す秋の景色は、まさに豪華絢爛な絵巻模様自然が紡ぎだす秋色の魔術にすっかり魅せられてしまった内苑の園内には、いたるところに古建築物があるその多くが重要文化財というだけあって、建物に歴史の重みを感じるそれらは、晩秋に染まる木々たちの景観と相まって、なんともいえない雰囲気を醸し出していたそんな景色を眼の前にしていると、移りゆく日本の四季に生きることの悦びを感じ、築き上げられてきた歴史にちょっぴり厳かな気分になったりするのであった古建築物には興味はないのだが、数ある建物のなかでもちょっと気になったのが、月華殿という建物月華殿は、徳川家康が慶長8年(1603)に京都伏見城内に建て、諸大名の伺候の際の控え所に当てたものとされているそういくら歴史に疎い自分でも、徳川家康という名は存じ上げているので、その時代の建物を今こうして自分が目にしているという事実に、なんともいえない不思議な感覚を抱くのだったそれにしても、これだけの見事な景観だから、その景色をカメラに収めようと、カメラ片手に散策している人がとても多いそれも、自分のようなデジカメではなく、本格的なカメラを持った方たちばかりなかでも、元和9年(1623)に徳川家光が将軍職受任のため上洛した折、二条城内に建てられ、のちに乳母の春日局が所持したという建物である聴秋閣のあたりは、よほど撮影スポットなのか大勢の人が美しい被写体の構図を収めようと、こぞって場所取りをしていたさすがは三渓園内でも随一の紅葉スポットというだけあって、赤や黄色といった紅葉たちは実に見事で、それはそれは絵になる風景だった細く急な斜面に設けられた遊歩道には、大勢の人たちが三脚を広げ撮影している折角秋色に染められて良い気分で散策しているのに、ちょっとここで一言毒を吐かせてもらうと、三脚を広げられると、歩くのに邪魔で邪魔でしかたないどれだけ良い写真を撮りたいのか知らないが、ちょっと我が物顔すぎやしない?なんだか散策している人たち、カメラで撮影している人を邪魔しちゃいけないと思って、気兼ねしながら回っているじゃん!己だけの景色じゃないんだから、もうちょっと気ィ使えや!って思ったそんな不快な気持ちも、美しい景色の前では、ほんのひと時のことだけであった入口に置いてあった三渓園のチラシには、“横浜・古都色の秋”と題されていたが、起伏に富んだ地形を生かし、紅葉と歴史ある建物の風景が織り成す景色は実に見事で、ほんと古都に迷い込んだような気分にさせてくれたもうちょっとした、古都一人旅状態いつまでも、その古都の情景に身を置いていたかったのだが、まだまだ園内には見所が沢山ありそうなので、後ろ髪をひかれる思いで、内苑をあとにした
2007年12月09日
11月28日から12月1日の4日間に限り、江東区清澄にある清澄庭園で、『下町の秋の夜灯り』と題して、晩秋の紅葉が楽しめるとのことだったので、仕事を終えると足を運んだ清澄庭園は、江戸の豪商・紀ノ国屋文左衛門の別邸であったといわれているその後、諸大名の下屋敷として用いられ、明治11年、三菱財閥の岩崎彌太郎が社員の慰安や貴賓を招待するために造成した大庭園で、明治時代の庭園を代表する“回遊式林泉庭園”として、昭和54年には東京都の名勝に指定されている(清澄庭園のしおりより)拝観料の150円を払うと、園内へと足を進めるライトアップとはいうものの、池の中央のあたりが照らされているだけなので、散策路はいたって暗い見上げると、闇のなかに赤々とした紅葉の樹が、まるで頭を垂れる稲穂のようにして枝を伸ばしているが、なにぶん暗闇の中では、その姿をはっきりと拝むことはできないしかしながら、ひっそり静まり返った路を歩いていると、紅葉独特の香りを楽しむことができた目で楽しめない分、臭覚を研ぎ澄まし、晩秋を感じる自分が思うに、なんだかライトアップしているところが的外れなような気がするのだが、そう思うのは自分だけだろうか?『下町の秋の夜灯り』というコンセプトの割には、いったい何を見せたいのか、ちょっと首をかしげながら見て廻ったそれは、たぶん自分が期待していたところが違っていたのだと思う自分が想像するに、紅葉のライトアップを期待していたのだが、唯一の見せ場といったら、中の島にその姿を浮かび上がらせる真っ赤に染まったハゼの木程度それはそれで、紅葉が池に反映する姿といい、なかなか幻想的な景色ではあったが、それだけではちと物足りないしかしながら、全体を通していうならば、夜の日本庭園としてはそこそこ楽しむことができた全国から収集したという奇石・名石が園内のいたるところに巧みに配置されており、普段石などに興味を惹くこともない自分ですら、これが自然がつくりだしたものなのか?と、石に手に触れてみたりと、見事に融合した世界観に目を瞠ったまた、近くを流れる隅田川から水をひいているという園内の広大な池は、ひっそりと湛え、そのなんともいえない底儚さが晩秋の風情とあいまって、なんともいえない叙情的な風景をつくりだしていて、しばし時が経つのを忘れてしまいそうなほど、そこにはゆったりとした時間が流れていた闇夜を映し出し、黒々とした水面は、その静けさのあまり不気味すら感じる緑は生い茂り、なんだか東京のど真ん中にいることを忘れてしまいそうになるが、空を見上げれば、高層ビルが顔を覗かせ、ここは東京なんだ…と現実に引き戻させられるその一見するとミスマッチのようにおもえる光景も、過去と現代が融合していて、かえって斬新に思えたりもするのであったライトアップ期間中の清澄庭園は、池を囲うようにしてある散策路だけが行動できるという限られた範囲しかないので、逃げ場が無いというか、通り一遍等でしか見てまわることしかできないのが、自由気ままに散策できないというのが、ちょっと堅苦しく思えた興味がない人であるならば、10分足らずで周回して見終わってしまうだろう自分も、写真を撮ったりして、ゆったりと見て廻ったつもりだったが、1時間もかからなかったなんでも、清澄庭園のライトアップは今年から試みたものだそう初めてのことだったので、暗中模索・試行錯誤があったのかもしれないが、自分個人としては、いまいちライトアップによって何か惹き出されたのかというと、あまりその魅力を垣間見ることはできなかったたぶん、ここの庭園は、明るいうちに訪れたほうがさぞその日本庭園の魅力を楽しむことができるのだろうとはいえ、夜の日本庭園を楽しめることなどそうあることではない晩秋のひとときを、一人しみじみ過ごしたのであった
2007年12月01日
あじさい寺として親しまれている、千葉県松戸市にある本土寺は、四季折々の草木を楽しむことができる寺で、秋は紅葉が季節を彩る今年は、11月の23日から25日までの3日間と、12月1・2日の5日間のみ、夜間も開放して紅葉のライトアップを行うとのことだったので、訪れてみることにした拝観料の500円を支払い、中へすぐ左手には、光に照らされて勇壮に浮かび上がる五重塔が目にとまったまだ18時をまわったばかりだというのに、寺内は闇に覆われているせいか、まるで夜更けを思わせるような静けさで、不気味さをも感じさせたそんななか、ところどころで、ライトアップされた紅葉が、薄明かりのように赤や黄色の色を湛えていたそれらはまるで、遠目から見ると雪洞や行燈といったようなやさしい灯のようにも見え、闇の中から導かれるようにして歩み寄った ライトアップされている紅葉はさほど多くはないので、圧巻という景色とまではいかないが、それがかえって、1本1本の紅葉の美しさを楽しむことができ、日本独特の侘び・寂びの世界を感じるとともに、そのなかに潜む日本の美意識なるものを感じるのであった園内は、夜間規制がひかれていて、見て廻れるところに限りがある紫陽花が見頃をむかえた頃訪れた際、寺内にある徳川家康の側室・秋山夫人の墓がある場所の一帯は、モミジの樹が青々としていて、紅葉の時期に訪れたらさぞ美しい光景なんだろうなぁ…と思って今回楽しみにしていたのだが、夜間は立ち入ることができないとのことで、ちょっと残念本堂周辺の紅葉を楽しむと、ちょっと足をのばして弁天池へと向かったそれにしても、今日は寒い吐く息は白く、体の底から深々と冷える空を見上げると、まん丸としたお月様が我が身を照らすようにして、顔を出していた“自分が先日購入した月の土地はあそこらへんかな?”なんて、月を見ながら、漆黒の寺内を散策していくたった5日間のライトアップで、しかも今日は日曜日ということで、それなりの人出を想像していたのだが、寺内は結構まばらな人影しかみえないしかも、カップルや家族連れなど、思ったより年齢層が若い弁天池の周辺にはたくさんの人が集まり、思い思いにカメラのシャッターを切っていたどうやら、本土寺の紅葉のライトアップの一番の見所のようだどれどれ?目の前に広がる紅葉は、静々とまるで情念のように燃えているかのようだったその紅葉が、弁天池の水面に映え、まるで万華鏡のように独特の世界観を展開している張り詰めたかのようにおとなしい水面に映る紅葉は、ホンモノと見紛うほど鮮やかに映っており、時折ゆらめく水面にその景色が歪むと、映りこんでいるものなんだと気づかされる今日は深々とした寒さだけに、その紅葉の美しさはよりいっそう際立っていたいやいや、これはなかなかの景色ですゾと、デジカメにその景色を収めようとシャッターを切ろうとしたが、手が思うようにいうことをきかない寒さのあまりに手が悴んでしまったのだ手のひらに白い吐息をかけ、手を擦り合わせて血が通うように暖をとると、気が済むまでシャッターを押し続けた秋は秋なりの美しさがある華やかで雅ななかにも、どことなく侘しさ、寂しさをも感じさせるその儚さにも似た美しさ自分は、秋の季節が好きだなぁ…そう改めて感じる日であった【本土寺 紅葉ライトアップ】11月23~25日、12月1・2日の5日間18時~20時まで(入園は19時30分まで)拝観料…500円
2007年11月25日
3ヶ月に1回のペースで通院している、持病であるバセドウ病の定期健診を終えた閉塞的な病院からようやく開放されて外に出ると、見上げる空は青々としていた肌にあたる風はひんやりとしていて、肌寒い感じが好きな自分としては、今日の天気はなんとも心地が良いこんな日は、ちょっと遠出をしたいということで、電車に飛び乗ったというのも今朝、病院に出かける支度をしながら、『姫神』というアーティストの音楽を聴いていたときのことファーストアルバムの「奥の細道」のなかに収録されている“行秋”という曲を聴いていたら、日本の原風景というか、どことなく漂う哀愁を感じさせるメロディーから、なんだかこの曲にあった秋の景色を探しに行きたいなぁ…と思ったのがきっかけとくに向かう先に宛てはなかったのだが、なんとなくインスピレーションで、イチョウ並木が見てみたいと思った病院から徒歩圏には、イチョウ並木で有名な神宮外苑があるが、折角気持ちがいい天気だし、どうせなら今まで訪れたことがないところがいいなぁと、電車に揺られること数十分…降り立ったのは、JR立川駅目指すは、駅から歩いて5分足らずのところにある国営昭和記念公園立川駅に降り立つのは、以前仕事で何度か訪れたことがあるぐらいだから、実に約十年ぶりぐらい定かであるかどうかすら解らないほどのかすかな記憶ぐらいしか残っていないが、駅前広場はだいぶ開拓が進められていて、驚くほどに様変わりしていた案内表示板に従って歩いていくと、目指す昭和記念公園はあった国営昭和記念公園は、昭和天皇陛下御在位50年記念事業の一環として、立川飛行場跡地に建設された総面積180haにおよぶ国営公園見ると、ゲート(立川口)があり、その脇では券売機があったえっ!?入園料取るの?てっきりタダだと思っていた自分は、少々戸惑ってしまったしかもいざ券を購入しようと金額を見ると、なんと大人は400円!高ッ!たかだか公園ごときで400円も払うのォ!?と思ったが、ここまで来て何もしないで帰るのはそれこそ癪だったので、渋々支払っていざ中へゲートをくぐると、すぐ目の前には、イチョウ並木が姿を現した見頃は11月中旬頃からということだったので、ちょっと早いかな?と思ったが、イチョウの葉は見事なまでに黄金色に染まり、今日のような青空の下で見ると、実に鮮やかに映えていた歩道は舞い散った落ち葉で埋め尽くされていて、さながらイチョウの絨毯のようそんなイチョウの並木道を行きかう人々カップル、夫婦連れ、犬を散歩させる人…ドラマのワンシーンのような絵になる風景なだけに、どんな人でも物語の主人公のように見えてくるそれにしても、落ち葉舞い散るなか、楽しそうに歩いているカップルは絵になるねぇいやいや、ひとり並木道を歩いている自分も負けてないんじゃない?どんなシチュエーションに見えるかって?そうだね、恋に破れて失意のなか彷徨っているって感じ?ハハハ…現実は、ただ単に秋を感じたくて歩いているだけなので、ご心配なくイチョウ並木で、一度してみたかったことそれは、ベンチに座って読書することそれって至極贅沢なひとときじゃない?こんな時はロマンチックな小説でも読めばいいのかもしれないが、カバンの中に忍ばせていたのは、なぜか血生臭い推理小説いざ読書しようかとベンチに腰掛けたのだが、これがギンナンの悪臭が酷いのなんのって地面を見ると、ギンナンの身が大量に落ちていたそう、景色は綺麗なのだが、並木道全体はギンナン特有の悪臭で覆われているのである鼻が曲がるほどの強烈な匂いが臭覚を脅かし、とてもではないがムードに浸りながら読書するような気になれなかったので、イチョウ並木は早々と退散したニュースなど見ていると、日本各地から紅葉の便りを目にするが、自分がおかれている環境ではあまり秋を感じることはなかったが、こうして広大な敷地の公園内を散策していると、赤や黄色、オレンジといった、言葉ではうまく説明できない深い色味を帯びた木々たちを見ていると、秋なんだぁ…としみじみ思うのであったそれにしても、今日は実に清々しい青い空空を仰ぎ見るのが気持ちがいいほど目を瞑れば秋の風を感じ、その秋風に乗って、落ち葉の乾いた匂いが運ばれてくるそして耳を済ませば、爆音が……!?!?!?えぇ、爆音です爆音の正体はヘリコプター公園のすぐ隣りが広域防災基地で、ヘリコプターの離発着が絶えず行われているのだ公園の周りには高い建物がないので、緑に囲まれてほんとうに自然の中にいるような気がするのだが、唯一の欠点が、そのヘリコプターの爆音その音はあまりにも凄いので、ひとり緑のなか歩いていると、なんだか物騒な感じがして、「いったい何事?」と、心許なく感じてしまうほど昭和記念公園は実に広くて、広大な敷地には、池やプール、運動場にサイクリングコース、武蔵野の昔の生活を模した広場など、実に様々な展開を見せるはじめは、公園ごときで入場料400円取るだなんて…と思ったが、あまりの規模の大きさに、まぁ妥当な金額かな?なんて思ったちょっと腰を痛めているせいか、ずーっと歩いていると、さすがに腰に痛みを覚えてきた吹きつける風は冷たく、歩きつかれた自分の身体には、ちょっと堪えてきているとてもではないが、園内をすべて散策するには腰の痛みもあり、時間が足りそうにないので、最後に日本庭園に立ち寄った う~ん…なんだろ、この感じ日本庭園を見ていると、不思議と心が落ちつくんだよなぁ昔は庭園なんて興味すらなかったのにそれだけ、趣向が古臭くなったってことか?誰もいない東屋から池越しに、色づき始めた庭園の木々を眺めるあっ!この風景、今日一日を過ごすテーマとして掲げて探していた姫神の曲“行秋”に合う風景なんじゃない?しばし、時の流れを忘れて、身をまかせる地球温暖化が叫ばれる昨今、年々夏の暑さも厳しくなり、明らかに気候がおかしくなってきているのは肌身で感じてはいるが、それでもこうして春夏秋冬の四季は訪れるのだなぁ…と、感慨深く、赤く染まったモミジの木を見上げながら思うのであった折角の休日だというのに、したことといえば、公園内を散策しただけそれだけでも、秋を見て、感じて、自分にとっては有意義に休日を過ごした日頃慌ただしく生活しているだけに、こんなのんびりとした休日を過ごすのもいいんじゃない?
2007年11月19日
今日は仕事が休みなので、出かけることにした電車に揺られること1時間半弱降り立ったのは、西武秩父線・高麗駅彼岸花の群生地として名高い「巾着田」の最寄り駅であるここの地を訪れるのは1年ぶり1年前の丁度今時期、巾着田の彼岸花を見に訪れたその時見た、地を赤く染める彼岸花咲き乱れる光景に目を奪われ、また訪れたいという気持ちが、今日の運びとなった駅前の風景、道端で農産物や名産品を売る露店、鮎の塩焼きを売る出店、アイスクリームを販売する店、道ですれ違う巾着田でコスモスを摘み取って帰路につく観光客、道端に咲く真っ赤な彼岸花…久しぶりに訪れたというのに、見る風景は一年前と何ら変わっていない自分の気持ちも、知らず知らずのうちに、はじめて訪れる時のワクワクした気分になっていた見る風景は変わってはいなかったが、多少の変化は見られた群生地への近道として、去年は高麗川を跨ぐようにして特設の仮橋が架かっていたのだが、今年はそれが無くなっていて、遠回りしなくてはいけなくなってしまったこともう一つは、川沿いの河原の一部が舗装されていたこと大小の石が転がる河原を歩いた去年のことをつい昨日のことのように思いながら、道端に咲く彼岸花に目をやりつつ、群生地へと歩いた入場料の200円を払い、巾着田曼珠沙華公園内に足を踏み入れると、目の前に広がる光景に、思わず息を呑んだ埼玉県日高市の巾着田周辺の高麗川の岸辺には、およそ100万本もの彼岸花が、長さ600メートル、幅50メートルの規模にわたり咲き、彼岸花の群生地としては全国的にも最大級といわれているニセアカシアの深い緑の林の足もとを覆い尽くすように、真っ赤な彼岸花の花が一面に咲き乱れていた歓声を挙げるというよりは、声を失うような幽美で幻想的ななんともいえない妖しい風景ただただ、圧巻としか言い様がないこれが、この世の風景だろうか?その緑と赤の鮮やかな色のコントラストは実に見事彼岸花の赤は、林に敷き詰められた赤い絨毯かそれとも、血の池地獄か見るものによって、その鮮烈な赤色から受ける印象はだいぶ違う自分の目には、まるで大地を燃やし尽くす灼熱の炎のように映るのであった ひっそりとした林の中は、見渡すかぎり彼岸花が咲いている咲き乱れる彼岸花の中を歩いていると、まるで足を踏み入れてはいけない世界に迷い込んでしまったような錯覚さえ覚える歩いても歩いても繰りかえされる風景に、この世とは到底思えない、まるで夢の中を彷徨っているような気さえしたそれは決して恐怖とか不安といったものではなく、むしろ心地よさ、安堵を感じる彼岸花の別名が“死人花”とも呼ばれるように、どこかしら陰を感じさせる花が漂わせる独特なものなのだろうかなんとも言いようの無い世界がそこには広がっていた去年の9月28日に訪れた際は、遅咲きのものが見頃を迎えていて、早咲きの彼岸花はすでに見頃を過ぎ、赤茶色のくすんだ色をしていて、ワビ・サビを漂わせる空間を漂わせていた今年は去年に比べ開花が若干遅いのか、早咲きの彼岸花が丁度見頃を迎えていて、遅咲きのものはほとんどが蕾の状態10月初め頃までは彼岸花を楽しむことができるという彼岸花の群生地として有名な巾着田だが、コスモスの花、そしてそばの花も見頃を迎えていたコスモスは、ほとんどが観光客の手によって花は摘み取られてしまい、おおよそ感動できるような風景ではなかったが、自分の鳩尾辺りまで伸びているコスモスは、秋風に揺られて自由気ままそのもの近くに望む日和田山をバックに見るその風景は、まるで一枚の絵画を見ているようだったいったいどれほどの時間いただろうかそれほど、時間が経つのを忘れてしまうほど、離れたくない、いつまでもいつまでもいたい場所とはいってもず~っと居るわけにはいかないので、後ろ髪をひかれる思いで、真紅の彼岸花をしっかりこの瞳に焼きつけ、後にするのであった
2007年09月26日
夜空を見上げた黒とも、深く濃い藍色ともとれない空は、よどみなく澄み渡っていた今日は中秋の名月月はどこだろう?ぐるーっと見渡すと、真ん丸なお月様がポカンと浮かんでいた堂々としていて、愛嬌があって、妖しくて、見ているとなんだか吸い込まれそうな、人を惹きつける不思議な力を持っている今の今まで中秋の名月は満月とばかり思っていたのだが、そうではないんだとか確かに目を凝らしてよぉ~く見てみると、欠けているような、欠けていないような…夜空に浮かぶ月があまりにも魅惑的だったので、折角ならのんびりお月見をしようと、向島百花園で催されている“お月見の会”へと足を運んだ秋の十五夜をはさんだ3日間開催される“お月見の会”期間中は、通常17時閉園のところを21時まで開き(入園は20時30分まで)、園内では野点や琴の演奏を楽しむことができるという中秋の名月を楽しもうと、向島百花園は大勢の人で賑わっていた琴のやさしく優雅な音色が園内に響き、なんとも叙情的薄暗い園内のいたるところでは、行灯に火が灯され、暖かみのある明かりが園内をおぼろげに照らしていた時折吹く風が、行灯のなかの蝋燭の炎を揺らし、なんともいえない幽美な雰囲気を醸し出している琴の調べにのりながら、揺らめく行灯の灯りに導かれるがままに園内を散策していると、平成の世であることを忘れ、遙か遠い時代に迷い込んだような錯覚を覚えるほど園内には四季折々の草花が咲いているのだが、行灯だけの灯りだけでは心許なく、闇に包まれてあいにくその姿を楽しむことはできない草の陰から聞こえる虫の音色は、琴の調べとまるで競演しているかのようで、なんとも心地がいい静寂と闇の中に身を委ね、空を見上げた夜空に浮かぶその月の姿は、じつに神々しく目に映った同じ東京の空の下で見る月のはずなのに、夜のネオンに囲まれて見る月とはまったく違った表情いつまでも見飽きることのない風景なのだが、見上げてばかりいたら首が痛くなってきたので、そろそろ帰りますこうして秋の夜長は更けていくのであった…
2007年09月25日
折角遠出をしたのなら、ご当地ならではの美味しいものを食べたい!山梨といえば…ほうとう?出かける前からほうとうを食べる気で満々だったのだが、もうとうの昔にお昼は過ぎたというのに、まだ食べていない前日買いこんだお菓子の食べすぎ?いやいや、実は色々と巡ってハシャギすぎたのか、それとも標高が高くて空気が薄いのか(!?)、ちょっと疲れてきていて、どうも食欲がないのであるそれに、昼前から青木ヶ原樹海の近辺にいて、食事処があまり無く、食べる機会を逃していたのも理由の一つだった時刻は15時過ぎ…お腹も空いていないことだし、この際ほうとうにこだわるのは止めようが、折角こうして山梨に来たのだから、何か地のものは味わいたいという事で頭に浮かんだのが、ぶどうそうだ!ぶどう狩りをしよう!という事で、富士に別れを告げて、甲州へと続く峠道の御坂路を行く御坂の町にはフルーツ街道と呼ばれる場所があり、緩やかな坂道の両端には、たくさんの果樹園が連なる客寄せで書かれた「ぶどう」「桃」と大きく書かれた看板が沢山目につき、どこにしようか迷ってしまうが、時刻はすでに16時前というせいもあってか、どこの果樹園もお客さんの姿は無く、閑散としていたさすがに人影が無いところに入るのは若干の抵抗があったので、しばし車を走らせるすると、沢山のお客さんで賑わっている果樹園を発見、車を滑り込ませた車から降り立つと、椅子に腰掛けるように案内された?????すると、サービスとして、3種類のぶどうと桃が出された試食というわけだろうか?こんな事されると、何も買わないで帰ることができないんですけれど…って、買う気ではいるんだけれどね試食として出されたのは巨峰と、あとは名前を失念してしまったが、淡い赤紫色と黄緑色をした3種類のブドウぶどうの中で一番好きな巨峰を始めにいただいたあまっ!!美味しいねその他の2つのぶどうも、甘さのなかに酸味を感じたりと、3種3様の味を楽しめたぶどうを食べていると、お客さんたちは一斉に帰ってしまい、客は気づけば自分ひとり果樹園の方が、話しかけてきた店員『お一人ですか?』自分『えぇ』店員『どちらから?』自分『東京です』女性の一人旅は絵になるが、男の一人旅はあきませんか?一人のほうが自由気ままに自分のペースで楽しむことができるからいいけどなぁ果樹園に一人で訪れる男性など、まずいないらしく、さらには自分が愁いを秘めているように見えたのか?、気さくに色々と話かけてきたきっと、こちとら客だから、気ィ使ってくれているんやろね試食を終えると、ぶどう狩りをする為の入園料は無料で、店頭で販売されているものと、自分で狩ったものは値段が同じだというので、果樹園の方の勧めもあり、ぶどう狩りをすることに今は、巨峰・ピオーネ(巨峰より大粒)・ニューナイ(白黄色)の3種類のブドウを狩ることができるとのこと迷わず、一番好きな巨峰を選んだ『折角だから楽しい思い出をつくりましょう』なんて、果樹園の人が一緒にぶどう狩りを付き合ってくださることに道を隔てたところにある果樹園には、袋に包まれた巨峰がいくつも実っていた巨峰は“ブドウの王様”と呼ばれるだけあって、黒紫色をしたその実は、まるで黒真珠を思わせるようなツヤツヤとした輝きさて、どのぶどうがいいのだろうか?素人目には、沢山実がついている方がいいと思うのだが…聞くと、棚に這うようにしている茎のところが茶色になっていて、そこからぶらさがっているぶどうは甘いとのことぶどうの粒の数は関係ないのだとか料金も1kg・1600円(約2房分)という量り売りなので、粒の数に惑わされることなく、茎の色を見てまわるお目当てのぶどうを見つけた実は茎が茶色いところぶらさがっていて、しかも形が良いさて、ハサミは茎のどの部分に入れればいいのだろうか?あまりヘタなことは出来ないので聞いてみたすると、店員『手で茎を持って、その下にハサミを入れてください』自分『わかりました』って、それだと、ぶどう落ちるやんけっ!これ冗談じゃなくて、実際の会話この店員さん、かなりノリがいいみたい明るく陽気で面白い人おかげさまで、楽しい?思い出ができました巨峰を2房狩って終了果樹園を後にしたなんだか駆け足のように色々なところを巡ったが、心も身体もリフレッシュできて、大いに休日を満喫したさて、そろそろ帰るとしますか最寄の中央自動車道のインターが見えてきた高速道路の状況を報せるその電光掲示板に表示されていたのは、“大月―小仏トンネル 渋滞28km”自分『……………』帰路の途中も様々な出来事があったのだが、これ以上書くと長くなってキリが無いので、ヤメとしておくリフレッシュした気分を帳消しにするような、ストレスを抱えることとなる渋滞に巻き込まれ、自宅に着いたのは、山梨を出てから6時間後の事であった…富士山麓周遊行(全4話)~終~
2007年09月02日
車を走らせていると、花畑が見えてきた道沿いに、色とりどりの百日草(ジニア)の花が広大な敷地一面に咲き乱れ、まるで花の絨毯のように見えたそこは、山中湖から程ちかくにある、富士山を望む高原のお花畑として知られている花の都公園30万平方メートルの園内には、花畑や温室、水辺の空間を演出した清流の里など、自然に溢れた場所である花の都公園の駐車場に車を停めると、しばし、道沿いの花畑を散策する春から初夏にかけては、チューリップ・菜の花・ポピー、夏は向日葵と、その季節ごとによって花を楽しむことができる花畑向日葵はすでに見頃を終え、今の時期は百日草が鮮やかな花を咲かせていた百日草は、すでに先月中頃から見頃を迎えていたということもあってか、近くによってみると、だいぶ痛んでいるものが多かったが、広大な敷地に一斉に咲いているその風景は圧巻である花畑の隅の方では、コスモスが咲いていた見頃を迎えているものもあったが、大半はまだ蕾の状態で、葉の青々しさだけが目につく秋は、ピンクや紅色のコスモスの花が、この花畑を埋め尽くすように咲くことだろう晴れた日であれば、すぐそばに富士山を望むことができるそうなのだが、今日はあいにくの空模様のため、その姿を拝むことはできない季節折々の花が咲く花畑を前にして、後方に望み見る富士山それはそれは、さぞかし絶景なんだろうなぁ…その景色を見ることができず、重ね重ね残念である花畑は無料で楽しめるのだが、入園料の500円を払って、花の都公園の有料施設内へと入る敷地内には、マリーゴールドやニューギニアインパチェンスなど色とりどりの花々が、構図を考えてか整然に植えられ、温室内では、胡蝶蘭やバンダといった蘭類をはじめ、ハイビスカス、極楽鳥花、プルメリアといった熱帯の植物やハーブが楽しめるまた、花だけでなく、“水辺の空間を楽しむ”をコンセプトにしている清流の里があり、親子で楽しめる水遊具広場や、ちょっとしたアスレチック広場があり、子供たちが大いにはしゃいでいた清流の里の最大の目玉は、落差10m、幅80mの“明神の滝”で、通常は雄大に流れ落ちる滝も、ある一定の時間が来ると水を湛えて、迫力ある名瀑となるちょうど自分が足を運んだときは、その時間と重なったので、迫力ある滝に歩み寄って、自然のマイナスイオンをたくさん浴びた公園内を一通り見て回って感じたのは、外の花畑が雄大で心を打つだけに、有料施設内はちょっと物足りなさを感じてしまったことそれだけ、花畑が圧巻の公園であった富士山を囲うようにして走っている国道139号線を走る精進湖、本栖湖と、富士五湖を横目に、山梨県から静岡県・朝霧高原へ向かったのは、花と鳥の別天地・富士国際花園富士国際花園では年間を通して、フクシアやベゴニアの花を楽しむことができるというまた、花だけではなく、園内には約40種120羽の世界のフクロウ・ミミズクを見学することができる富岳風穴を訪れた際、富士国際花園のチラシを見つけて、花が咲いている園内の様子があまりにも見事だったのと、フクロウにも興味を抱き、ぜひ行ってみたい!と思い、足を伸ばしたわけ名前だけ聞くと西洋の建物をイメージしていたのだが、見えてきたのは、おおよそイメージとはかけ離れた、長い塀と立派な門、そして武家屋敷を思わせる和風の建物入場料の1050円を払うと、入口のすぐ脇に、フクロウを発見した何の囲いも無く、ただ切株の上に佇んでいた剥製ではなく、勿論生きているフクロウえっ!?放し飼い?大丈夫、ちゃんと足元は縛られていましたフクロウ自体、この目で見るのが初めてなのに、こんな間近で見られるとは!かなり得した気分フクロウはギリシャの女神アテネの使いとして崇められ、“知恵の神様”“学芸の神様”“農業の神様”“福を呼ぶ神様”などとされてきた(富士国際花園チラシより)こうしてフクロウをマジマジと見ていると、なんとなく賢そうに見えるので、色々な神として称されるのも頷ける気がするフクロウは一日のうち5%程度の時間しか活動しないため、動いている姿を見ることはあまりないそう確かに、自分の中でもフクロウというと、木の枝におとなしくしている姿しかイメージが無いのだが、今目の前にしているフクロウは、啼くし、顔を左右動かすし、時には大きく羽を広げてバタついてみたりしているこんなチャンスは滅多にないので、カメラに収めようと、シャッターを向けるキョロキョロ…撮られるのが嫌なのか、辺りを警戒しているのか、フクロウはなかなかレンズの方に向いてくれないそれどころか、急に啼いてみたりする!!!!!威嚇しているのか?向こうは何も危害を加えないのだろうが、フクロウに手が届くほど近づいているだけに、かなりビビッてしまったハイ、小心者の自分ですあとで知ったのだが、切株の上に乗っているフクロウたちは、調教されているそうそれで、わりと活発なんだね現に、園内には様々なフクロウやミミズクがいるのだが、どれもジッとしたまま動かないそうそう!自分が思い描くフクロウは、この姿!なんて、ビクとも動かない小さくて可愛らしいものから、全身が白いフクロウまで、様々な珍しいフクロウを見て回ったなんともいえないマッタリ感が漂っているが、この独特の空間、結構好きであるさてさて、フクロウを堪能したあとは、いよい温室へ!!!!!扉が開いた瞬間、その光景に目が奪われてしまったそこは、見渡す限り、極彩色の花に囲まれた百花繚乱の世界ここは桃源郷か?と見紛うほどなんなんでしょう、この美しさは!美しさのあまり、男ひとりが不気味にニヤけておりますえぇ笑みが止りませんおかしくなってしまいましたそれほど、魅惑な空間ですあぁ!自分のボキャブラリーでは、この世界、うまく表現できませんとにかく凄い!の一言です赤・ピンク・黄色・オレンジ・白といった、鮮やかなベゴニアが周囲だけではなく、天井からもハンギングで吊るされているなんだか浮世離れした光景に、夢見心地に酔いしれた気分で園内を散策するそれにしても、ここのベゴニアは一輪の花がとても大きい(自分の掌ほどの大きさって判りづらいか…)こちら富士国際花園で交配、実生、選抜を繰り返し、極大輪のベゴニアに仕立てたそうその花々も、バラに似た咲き方のものから、カーネーションに咲き方に似たものまで、実に様々また園内には、球根ベゴニア、根茎ベゴニア、木立ベゴニア、レックスベゴニア等、色々な品種のベゴニアが華を競い合っていたホクシアも実に色々な種類のものが花を咲かせていたが、ベゴニアのインパクトが強すぎるせいか、こちらのスペースはちょっと淋しかった華と鳥の別天地ということで、鳥はフクロウ以外にも、手や肩に寄ってくるというインコやエミュー、カルガモなど、どれも身近に間近で楽しめることができるインコは、100円で販売しているエサ(リンゴの角切り)を手にすれば、寄ってくるということだったちょっと惹かれるものがあったのだが、先に実践していた親子をオリの外から見ていると、たしかにエサ目当てにインコは寄ってくるのだが、頭や肩を掴まれて「イタイ、イタイ」と、笑い叫んでいたので、痛い思いはしたくないと断念したえぇ…自分、小心者ですからまた、エミューもエサやり(50円)を体験できるとの事だったが、いくらおとなしいとはいえ、間近で見るとその大きさの迫力に圧倒されて、こちらも断念したえぇ…自分、正真正銘の小心者ですから十分園内を堪能したあと、お土産コーナーへ“フクロウ=不苦労=福を招く”としてフクロウのグッズを集めている人は多いらしく、ガラスや陶器でできた置物やぬいぐるみ、キーホルダー、ストラップ、箸にハンカチなど、実に様々なフクロウのグッズが取り揃えられているそんな数あるお土産のなかで、目にとまったのが、ベゴニア羊羹!羊羹にはベゴニアの花が入っていて、ベゴニアの酸味がきいた羊羹になっているんだとかベゴニアって、酸味が効いた花なんだね食べたことないから初めて知ったん!?ちょっと待てよ?羊羹といえば、以前に変わりダネ羊羹として、横浜土産の焼き肉羊羹、ラーメン羊羹という嫌な思い出があるのでは?と思ったが、なんだかとっても気になって購入してしまった羊羹は、シンプルな普通の羊羹が一番美味しいのにねほんと懲りないんだからまぁベゴニアを見ての記念ということで…花と鳥という、なんだかまとまりがないような組み合わせかと思いきや、意外や意外、見所が沢山あって、気づけば随分長い間楽しませてもらった富士国際花園、個人的にはかなりツボにハマッたスポットである
2007年09月02日
富士山の裾野の16km四方にわたり広がる青木ヶ原樹海一度迷い込んでしまうと、なかなか出ることは容易ではないことから自殺の名所として知られるそこは、木々が生い茂り、昼間だというのに、なんとも底知れない不気味さを漂わせているそんな富士山麓の樹海には大小さまざまな洞窟があり、そのなかで代表的なものが、国の天然記念物に指定されている富岳風穴と鳴沢氷穴今からおよそ1140年前の貞観6年(864年)、富士山の側火山・長尾山の爆発の際、古い寄生火山の間を灼熱に焼けた溶岩流が流れ下って出来たのが、二つのトンネル式洞窟は、真夏でも氷柱が見られることから訪れる人が絶えないというまず始めは、富岳風穴へ今日は日曜というだけあってか、結構な人で賑わっていた入場料の280円を払い、しばし樹海の中を散策するわずかな溶岩の切れ目に広がる木の根は剥き出しになっている互いに抱き合い、絡み合うようにして密生する木々たちなんだか、根が地を這い、今にもこちらに向かって襲い掛かってきそうな雰囲気さえ漂わせているしばらく歩くと、風穴の入口があった入口の脇には、お客様へ御案内と題して、こんな看板がある“洞内を観覧中、突然停電する時がありますが、送電線の故障か、落雷による一時的な停電ですので、みだりに動揺することなく、その場所に留まり、手すりにつかまって静かにお待ちください。係が御案内にまわります”そんな事書かれると、なんだか動揺しちゃうんですけれどォ自分のなかで、好奇心より恐怖心が大きな比重を占めていくのが、わかった急な階段を降りていくと、明らかに空気が違い、ひんやりとした冷気が身体をすっぽりと包んだまるでポッカリと口を開けて待っているかのように、闇の世界の風穴へと進んでいく自然のままなので、ところどころは屈まないといけないような低さのところがある痛ッ!!気をつけているつもりだったが、岩に頭をぶつけた岩肌が剥き出しになった窟内は、なんとも厳ついこれが火山の溶岩流によってできたものだと考えると、その自然の猛威に恐れ慄いてしまう途中、氷の池と呼ばれる氷の塊や珍しい溶岩を目にしつつ、入口から進むこと130メートルついに一番奥に到着かつて蚕の卵を、遥々秩父のほうから運んで、ここに保存していたそう年間を通して3℃に保たれているというから、天然の冷蔵庫というわけである風穴の終着点はというと、大きな岩がゴロゴロとして行く手を阻んでいたその岩の中に、緑色に光る物体が!その岩壁に青白く光るものは珪酸華(通称・光り苔)と言われ、洞窟に住む目のない微生物の餌になる物だそうテレビなどでは見たことがあるが、光り苔をこの目で実際に見るのは始めてそのやさしいなんともいえない光に、しばし見惚れてしまった来た道を折り返すような形で、風穴を出る外に出ると、ムッとした嫌な空気を感じた山梨の国道のところどころにある温度を示す掲示板は、18℃と表示されていたので暑くはない筈とはいえ、3℃の窟内から出てきたのだから、その温度差は15℃嫌な空気を感じるのも無理はない続いては、車で2~3分のところにある鳴沢氷穴へ大正初期から氷穴の見学が始められたという鳴沢氷穴は、戦争中は観光客が途絶え、洞内は入口付近まで氷で埋まってしまったそうしかし戦後進駐軍の命により氷を切り出し、年月を経た今では設備が整い、観光客も多いため天然氷は昔ほどはなく、特に秋口には氷は少なくなってしまうそうこちらは切符売場のところに注意書きが書かれてあった“天井が非常に低いところがあるので、無理だと思う方は御遠慮ください”というもの溶岩樹形内を通過する狭い場所で、一番低いところでその天井の高さは91cm自分の身長の約2分の1の高さわざわざ注意書きをされると、なんだか尻込みしてしまいそうだが、まぁ屈んでいけばいいだろうと、入場料の280円を支払い、軽い気持ちで行った風穴に比べると、階段はかなり急勾配しかも足元は底がツルッツルのブーツなので、滑らないように竹製の手摺を持ちながら進んでいくとにかく階段の傾斜がキツイ頼りになる筈の手摺も、老朽化?のせいかグラグラしていて、心許ないようやく階段を降りたと思ったら、今度はなめらかな勾配の岩肌を登るすると今度は天井が低くなったここか?一番低いというところは…文字で91cmと見ると余裕かも?なんて思ってみたが、実際にその高さの中を歩くとなると、かなりしんどい身体を丸めて進んでいくほかの一般客の人たちもワーキャー言いながら進んでいくなんだかね、川口浩探検隊みたい(古すぎて分からないか)窟内は、すごく起伏が激しくて、探検しているみたいで面白いようやく起伏が激しいなかを抜け、ちょっとした踊り場に出ると、そこにあったのは地獄穴と呼ばれるところ“この穴は竪穴で、一歩足場を失うものなら二度と帰ることのできない危険な穴です。伝説によると、江ノ島の洞穴まで続いているといわれておりますが、どこまで穴が続いているかは確かめれません”(説明板より)説明書き、ものすごく怖いんですけれどォ柵の向こうにある真っ暗な先を見つめていると、なんだか吸い込まれそうな勢いほんと地獄に続いているかもそんな風に感じてしまうほど、底知れぬ恐怖感を抱き、その闇に向けてカメラを握る手も心ばかし力んでいた 地獄穴を過ぎると、氷が山積みされた氷の壁と、氷の池がある天然の氷柱は冬にでき、初夏ぐらいまで見られるとのことで、もしかして拝めないかも?と思っていたが、半分以上は岩肌が剥き出しになってはいたものの、氷柱の片鱗を垣間見ることはできたこの氷柱は冬の間に天井からしみ出した水滴が氷柱となり、床までつながったものどれだけの時を経て出来たのかと想像するだけで、ただの氷の塊とはいえ、神秘的なものを感じたそうそう、お客さんが口走っていたのだが、氷の壁と呼ばれる氷が、どうも自然なものではないのでは?というもの確かに不自然な感じがしないわけでもないが、まぁそこら辺はあまり深く追求せず、氷の世界を楽しみたい富岳風穴を見ていた際のこと鳴沢氷穴に先にいっていた見物客の一人が、「氷穴より、風穴の方が寒い」なんて言っていた氷穴のほうが寒いでしょ!と思っていたが、実際に比べてみると、やはり風穴の方が寒く感じられたどういうわけなんだろう!?噴火という偶然の産物によってでき富岳風穴と鳴沢氷穴およそ1140年経った今も、そしてこれからも、自然の猛威と神秘を伝えていく
2007年09月02日
記録的な酷暑だった8月も終わった暑さがものすごく苦手な自分だが、なんとか身体は持ち堪えてくれた仕事も一段落したことだし、ここらで身体も心もリフレッシュしようと、たった1日の夏休みではあるが、出かけることに向かう先は、日本が誇る一番高い山、富士山!といっても、山登りをするわけではないアスファルトに囲まれた都会での生活を送っていると、緑が恋しくなってくるので、緑豊かな富士山周辺をのんびりしようという訳朝早く自宅を出たこともあってか、高速道路を快調に飛ばし、2時間弱で山梨県に到着昨日調べた天気予報では曇りとなっていたが、予想通り、天候は今ひとつ道中は時折太陽が顔を覗かせたものの、今見上げる空は、厚い雲で覆われていた富士山が見える位置を走っている筈なのだが、四方見渡すかぎり、まるで空一面をペンキで塗りたくったかのように灰色一色で、日本一の山の姿を拝むことはできないまず初めに向かったのは、富士五湖のひとつである山中湖からわりと近くにある忍野八海湧池・出口池・お釜池・濁池・鏡池・底抜池・菖蒲池・銚子池の八つの湧水池を総称して呼ばれる忍野八海がある忍野村は、その昔“宇津湖”という湖だったが、西暦800年に起きた延暦の富士山大噴火により、そのとき流れた溶岩流によって、湖は山中湖と忍野湖に分かれ、忍野湖は川の浸食や掘削排水のため枯れてしまった忍野八海は、その時残った富士山の伏流水の湧水口の池として、今日存在している(忍野村公式ページより参照)村営の無料駐車場に車を停めると、歩いて数分のところにある忍野八海へまだ8時前ということで、両端に軒を連ねる土産物屋は閉まったままで閑散としてはいるが、意外と訪れている観光客の姿は多い目の前に、見覚えがある水車小屋が見えてきた実はここは、十年程前に1回訪れたことがあるのだが、その時は深夜で、いまいちその魅力に触れることができなかったので、今回もう一度訪れてみようと思ったわけまず始めに目に飛び込んできたのは、湧池忍野八海の池にはそれぞれ伝説があり、この湧池は、富士山が噴火したとき、人々は焼けつくような熱に苦しみ、喉の渇き、人家の火事、野火を消すために人々が水を求めて叫ぶ声が天地に広がり、その時、「私を信じなさい。そして永久に私を敬うならば、私がみんなに水を与えよう」という美しい声が天の一方から聞こえてきたその声の主は“木花開耶姫命”で、その後まもなく溶岩の間から水が湧き出し、その池を『湧池』と呼ぶようになったという富士山に降り積もる雪解け水が、地下の不透水槽という溶岩の間で、約80年の歳月をかけてろ過された澄みきった水ということだけあって、その水はとにかく澄んでいて美しい魚が気持ちよさそうに泳ぐ、まるでアクアマリンの宝石のような深く濃い綺麗な池を見ていると、強く惹かれるものを感じたそれは、単に美しい色にたゆらう水のせいか、語り継がれる伝説か、長い歳月をかけて陽の目を見るという神秘さかは判らないが、その水には間違いなく何かを感じた忍野八海の八つの池は点在しており、案内図を見てもいまいち場所勘が掴めなかった自分は、湧池・濁池・鏡池、だいぶ離れたところ(車で2分程)にある出口池の4つだけを見たその水は手にとると冷たく、澄みきった色をしたどの池も、同じ富士の湧き水のはずなのに、それぞれ違う表情を見せた人と水は切っても切れない絆で結ばれているしかしながら、人々は水を汚し、汚した水に大量の薬品を投下して浄化させ、我々のもとへと届き、また汚してかえすなんとも理不尽なサイクルである蛇口を捻れば出てくる水道水当たり前のことすぎて、普段は水に対して意識をしないが、こうして、様々な伝説と歴史が眠る青き水を前に、水のありがたみを考えさせられる思いであった村営駐車場に戻る際、ある看板に目がとまった“八海庭園 彦兵衛屋敷”こんな早い時間じゃ拝観は無理でしょ?と、格子戸に手をかけると、戸はスルスルと開いた無人運営のようで、入ってすぐ脇にある箱の中に、拝観料の200円を入れる中は和風庭園になっていた松や紅葉といった木々がうまい具合に配置されていて、なんとも美しい景観石橋を渡り、池を覗き込むと、一斉に鯉が近寄ってきた???その訳はすぐにわかった庭園の中央にある東屋に、鯉のエサと書かれた箱が置かれていたのであるなるほど!先ほどの鯉たちは、自分がエサをくれると思って、近づいてきたわけか朝だし、鯉たちもお腹空くわなぁと、気前よく1袋100円だけ購入石橋に戻ると、鯉たちがエサを求めて近寄ってきたところで、独特の匂いがするエサを池へ放り込んだ一斉にエサに群がる鯉たちそれを楽しそうにみる自分ムムム??このシチュエーション、なんだか時代劇で殿様や大名が庭を散歩しているシーンみたい東屋に戻り、ちょっと休憩朝早いせいか、広々とした庭園の中は自分ひとりだけそう、日本庭園を独り占め音もなく、ひっそりとしたなかに身を置き、ただただ時の流れに身をまかせるなんとも贅沢なひととき世は満足じゃ!
2007年09月02日
関東地方は昨日、例年より遅い梅雨入りをした昨日から降り続いている雨は、明け方の今も降っているだが、早朝のニュース番組の天気予報によると、今降っている雨も昼までにはあがるという今日は休みであったが、どうしても片付けなければならない仕事があったので出勤3時間ほどで仕事を終えると、早々と職場を出た外はすでに雨はあがっていたたしか、今日の天気予報は一日曇りだといっていた雨はあがったものの、灰色のあつい雲が空を支配していたが、ところどころでは青空が顔を覗かせていた一仕事を終えたといっても、まだ時刻は朝の8時ようやく街が活気づき始めた時間帯であるさて、これからどうするか?今朝見たニュース番組で、別名“あじさい寺”と呼ばれている千葉県の本土寺で、紫陽花が見頃を迎えているという報道をしていたので、本土寺へ向かうことに本土寺には駐車スペースが無いことを下調べしておいたので、最寄り駅であるJR北小金駅の駅前パーキングに車を停めると、そこから徒歩で向かった駅前にしては、ちょっと心寂しい商店街を通り抜けると、参道が見えた水戸光圀が寄進したと云われる松や杉が聳え立つ参道を歩いていく途中、開店準備に追われる花屋や、土産物屋を通り過ごすと、朱塗りの山門が見えてきた目的地の本土寺である長谷山 本土寺は、約七百年前に日蓮聖人により命名された歴史深いお寺別名“四季の寺”と親しまれている名刹で、今の時期は1万株の紫陽花、5000株の花菖蒲が境内を彩っている山門をくぐり、石段を降りていくと、目に飛び込んできたのは新緑と石畳その風景は京都にでも来たような錯角さえ感じさせるほど、趣と風情があった拝観料の500円を納めると、いよいよ境内へ開園してそれほど時間が経っていないせいか、園内は思ったほど人手は少ないゆっくりと紫陽花が観賞できそうである入ってすぐ左手には五重塔が建っていて、その足元を彩るかのように、ピンクや青、紫といったオーソドックスなタイプの紫陽花が花を咲かせていた今朝方まで雨が降っていたせいか、花や葉は露をふくんでいて、なんとも瑞々しい順路と掲げられた木板を目印に園内を散策するあじさい寺と呼ばれるだけあって、たしかに紫陽花は見事なのだが、庭園もなかなかのものである目にも鮮やかな苔が生し、モミジの葉の隙間からは、眩しいほどの陽がこぼれる静寂に包まれたなか、そんな緑深き光景を前にしていると、日頃の鬱憤や不満など忘れて、心が浄化されていくような気さえした荒みきった自分の心を、どうか洗い流してくださいなほんと、心洗われる光景がそこにはあった写真を撮るのに夢中になっていると、初老の男性に声を掛けられたなんでも、本土寺は紫陽花で有名だが、秋のシーズンの紅葉はそれは見応えがあるというそういえば、園内には青々としたモミジの樹がいたるところで見られる秋に訪れるのが楽しみである 空を見上げれば、青々とした空が広がっていた今朝までの天候がまるで嘘のようであるどんよりとした灰色の雲は姿を消して、昨日梅雨入り宣言が出さればかりだというのに、歩いているだけで額にじんわりと汗が滲むような、真夏を思わせる陽気となった汗を拭きながら紫陽花が咲く道を歩いていると、眼下に菖蒲園が見えてきた今の時期、花菖蒲も楽しめるということだったが、遠目からは感じなかったのだが、近寄ってみると、殆どの菖蒲が見頃を終えていて萎んでいた残念!さぞかし、紫陽花と花菖蒲の競演は見応えがあっただろうなぁ…にしてもだ!水場のせいか、小さな虫がウヨウヨとたくさん飛んでいる虫嫌いな自分は、早々と退散した気がつけば時刻はお昼まえ今が紫陽花の見頃ということもあってか、園内は沢山の人で賑わいはじめていた一通り園内を散策して、十分に堪能したので本土寺を後にすることに駅に向かう参道を歩いていくさなかも、紫陽花目当てに本土寺へと向かう沢山の方々とすれ違ったほんと名所なんだね今回初めて訪れたが、あじさい寺と親しまれているだけあって、ほんと見応えのある名刹だった庭園も趣があって、またお気に入りのスポットが1つ増えた行きがけのとき開店の準備をしていた花屋の店頭には、色々な品種の紫陽花が並べられていたどれも変わった品種のものばかりである手土産に買ってもらおうと、売り子さんが行き交う人に声を掛けていく自分も例外ではなく、『お兄さん、お土産に1鉢買っていかな~い?』なんて声を掛けられたが、笑って誤魔化しただって、自分は花屋に勤めていて、ある程度の相場は知っているから、花の値段に関してはかなりシビアなんだもん!お生憎様でした!
2007年06月15日
街のいたるところで、紫陽花の花を見かけるようになった青やピンクといった花々が、街に彩りを添えているふと、仕事帰りに、紫陽花の花が見たくなったので、白山神社へと向かったわりと近場で、紫陽花の名所と言ったら、文京区の白山神社しか思い浮かばなかったのである駅前の通りから奥まったところに、目指す白山神社はあった文京花の五大まつりの一つに挙げられる、あじさいまつりが明日から催されるということで、駅前の通りや神社の入口には雪洞や飾りつけがなされていた訪れたのが一足早いと言う事で、灯りは灯されていなかったが、多少なりともムードは味わえる白山神社は、1000年以上前に本郷元町の地に創建された歴史の古い神社歯痛止めの神として庶民から信仰された、『歯』の神様でもあり、6月17日には、歯ブラシ供養なるものが執り行われるのだとか針供養や、人形供養は聞いたことはあったが、歯ブラシ供養は初めて知った使い古した歯ブラシを供養してもらうんだよね?色々な供養があるものだわりと遅い時間ではあるが、何人かの方が参拝に訪れていた歯が痛いのかな? 敷地内に、小高い丘になっているあじさい苑があるのだが、あいにく開園時間は午後17時までで、入ることはできなかった辺りは暗く、中を窺い知ることもできないので、ちょっと残念それでも、約3000株の紫陽花があるという、さほど広くない境内のあちらこちらに万遍なく紫陽花が咲いていたので、ゆっくりと観賞したピンク、青、水色、紫、白といったオーソドックスな紫陽花が、咲き競っているおおよそ期待していたほどの光景ではなかったが、なかなか味のある風景には変わりない人影は疎らだが、時おり散歩している近所の人の話に耳を傾けてみると、まだ見頃には早いそうなので、もうちょっと日が経ってから訪れれば、なお見応えがあるのかもしれないそれに、個人的主観ではあるが、紫陽花には朝のイメージがあるので、夜見ても、今いち花の良さが伝わってこなかった紫陽花には隠微なイメージは似つかわしくない見頃が早かったせいもあってか、おおよそあじさいまつりというほどの印象は受けなかったが、一つだけ、それらしきものを発見した白山神社の入口を入って、左手すぐにあった“白山あじさい富士”雛壇に組まれた台に紫陽花を並べて、富士山に見立てたものらしいお世辞にも、良い出来とは言い難いが、無いよりはマシかな現に、散歩に来ていた人たちの目は引いていたし…何も深く考えずに見ていたのだが、それを見ていた他の人が、『上が白い紫陽花なのは、雪に見立てているのね』と言ったなるほど!きちんと考えてやっているんだね【第23回 文京あじさいまつり】白山神社にて平成19年6月9日(土)~6月17日(日)まで
2007年06月08日
今の時期、旧古河庭園では夜間ライトアップされていて、薔薇の花を楽しむことができるというので、仕事終わりに行ってみた大正初期の庭園の原型を留める貴重な存在で、平成18年に国の名勝に指定された旧古河庭園は、武蔵野台地の斜面と低地という地形を活かし、北側の小高い丘には洋館、斜面には洋風庭園、そして低地には日本庭園を配したのが特徴の、西洋と日本が調和する歴史的な名園現在の洋館と洋風庭園の設計者は、明治から大正にかけて、鹿鳴館・ニコライ堂などを手がけ、日本の建築界の発展に多大な貢献をした英国人建築家のジョサイア・コンドルである(旧古河庭園のチラシより抜粋)目指す旧古河庭園は、閑静な場所にあった入園料として150円を支払う趣のある洋館の足元で、赤やピンク、白や黄色、オレンジといった大振りな薔薇が見頃を迎えていたライトアップされて幽玄的な美しさの薔薇を写真に収めようとしたが、今日は風が強いせいか、モデルとなる薔薇は右に左に顔を振って、まるで愚図っている子供のよう風が吹き止む一瞬を狙っての撮影なので、1枚撮るのもかなりの根気が必要となった 洋館を横目にして、階段を降りると、そこは洋風庭園(バラ園)お世辞にも広いとはいえないバラ園には、色とりどりの薔薇が咲き、そのバラを楽しもうと、カップルや友人連れの人で賑わっていた小さな薔薇を見慣れている自分にとっては、どれも大振りで自己主張が強い薔薇の花は、どれも魅力的園内は、かすかに薔薇の花の香りが漂っており、バラ園から見上げる洋館と相まって、なんだか外国にでもいるような錯覚に陥ったでも、辺りは暗い夜なので、薔薇が持つ妖しい魅力と、歴史ある洋館のせいもあってか、なんだか事件が起きそうな気さえしたドラキュラとか、ホラーな感じがピッタリの雰囲気である(サスペンスドラマの見過ぎか…)バラ園を下ると、もう花は終わってしまったがつつじ園があり、日本庭園へと続いている道の足下には行灯仕立てのライトアップが施されていて、なんとも風情があるが、今時期のライトアップはバラ園がメインのせいか、日本庭園の散策範囲はかなり規制されていて付け足し程度のものであったそれでも、心字池や滝を見て周り、洋と和のふたつの庭園を楽しむことができた夜間のライトアップは夜21時までで、気づけばもうそろそろ閉園の時間人影は淋しいほどに疎らになっていたそれこそ、何かが起こりそうな淫靡な雰囲気風のせいで思うような写真がとれずに悪戦苦闘したが、それでも何枚か気に入った写真を撮ることができたお世辞にも見応え十分!というわけではなかったが、それなりに夜の庭園・薔薇を楽しみ、旧古河庭園を後にした【旧古河庭園 夜間のライトアップ】5月11日(金)~20日(日)まで期間中は午後21時まで園内散策可能(最終入園は午後20時30分まで)
2007年05月18日
今日は仕事で朝から川崎へ向かったのは市街地で、緑豊かなところである道路の両端に植えられている街路樹は、まるで天を覆い隠すように大きく育ち、その木々の青々とした葉から射す朝の木漏れ日が、見ているとなんとも清清しい余裕を持って出てきたせいか、約束の時間よりだいぶ早く現場に到着したので、時間つぶしに近くを散策するすると、ゆるやかな坂道の途中で竹薮を発見したなんとも風情があるので、一歩足を踏み入れる地面一面には、散り積もった茶褐色をした竹の葉が敷き詰められていて、一歩一歩踏みしめると、サクッサクッと乾いた音をたてた人が通るであろう一本道こそ手入れはされていたが、辺りを見回すと、朽ちた竹が折れてそのまま横たわっていたり、雑草は生い茂っていて、かなり荒れ放題時折吹く風に竹は撓り、竹の枝同士が擦れてざわめきが起こる人影も無く、外の世界からも遮断されているので、不気味にさえ感じるあてもなく竹藪のなかを歩いていると、あるものに眼がとまった何やら地中から茶色いものが突き出しているもしや筍?竹薮なのだから、筍が生えていて何ら不思議ではない筍は八百屋やスーパーでしか見たことがなく、こうして自生しているものを見るのは初めて高さは70cm弱といったところだろうかこれは大物だ!と思ったものの、見た目がオドロオドロしくて、とても食べれそうにもないそう、その姿はまさしく、筍から竹へと生長を遂げている過程の姿であったそんなシーンに遭遇したことがなかったので、本当に、食べている筍が見上げるほどの高さの竹に生長するんだ…と、興味深げにその姿を見つめた竹は生長がとても早いというこの筍も明日になると、どのくらい背丈が伸びているのだろう?そんなことを思いながら、竹薮を後にした
2007年05月14日
亀戸天神に藤を見に行ったできれば、お天道様が出ている明るいときに藤の花を観賞したいのだが、なかなか都合がつかず、今年も夜藤見物である亀戸天神は、藤の花を様々な角度からライトアップしているので、夜訪れても十分に花を楽しむことができる園内には藤の樹が100本、およそ1万房以上の花が咲き乱れ、濃淡の紫から、白い藤まで、様々な品種の藤の花が、藤棚から花を垂れ下げていた園内は、上品な藤の花の香りが漂っていた一見すると丁度見頃を迎えているようなのだが、花に近づいてみると、だいぶ痛んでいた今年は暖冬の影響で、藤の開花も例年より早いらしく、4月中旬から4月末が見頃なのだというところが、5月のゴールデンウィークに亀戸天神の藤を見に訪れる人が多いので、少しでも開花を遅らせる為に、木の根元を氷で冷やしたりしているのだとかご苦労様です去年訪れたときは、夜ということもあってか、園内の人影は疎らだったが、今日はゴールデンウィーク中ということも手伝ってか、結構遅い時間帯ではあったが、園内は賑わっていたここを訪れるたびに思うのだが、一斉に咲いている藤の景観は、それは見事である闇の中にライトアップされて浮かびあがる藤の花はとても幻想的だ花を下から覗くと、まるで藤の花の雨が降ってきているようにも見える見上げてばかりいるので、ちょっと首が疲れてきた園内に咲く藤の中で、一際人々の関心を寄せていたのが長フジで、花の長さは1.5メートルを超えるという色味がかなり淡い色合いなので、ライトアップされて白く映える長フジは、まるで靄がかかっているかのような幽玄的な光景藤棚の下には池があるので、藤の花が水面に映り、無限に広がる世界を映し出していたそれはそれで美しいのだが、やはり自分は色のしっかりした濃い紫色の藤の花が好みその美しい光景をカメラに収めようとシャッターをきるが、これがなかなか綺麗に撮れないフラッシュを焚くと、藤の花が光に反射して色合いが不自然な明るさになるし、若干の風が吹いているので、垂れて咲いている藤の花は気ままに揺れているのでブレてしまう何より、藤本来の花が持つ美しさがどうしてもボヤけてしまい、まるで霞のように映ってしまうう~ん…夜の藤の花の撮影は難しい 自分が納得いくまで、藤の前でシャッターを押し続けていると、『綺麗に撮れていますか?』と、背後からご婦人に声を掛けられたなんでも、近くに住んでおられるとかで、日中はすごい人出で観賞どころではないので、夕食を終えてから散歩がてらに来たという家の近くにこういった花の名所があるだなんて羨ましいと思いながら、二言三言、世間話を交わしたここを訪れるときは毎回夜なので気にもしなかったのだが、5月の連休中だけで訪れる人は30万人を越え、それはもの凄い混雑ぶりだという夜の幻想的な藤もいいが、藤本来が持つ紫色の花を楽しみたいところしかしながら人込みが苦手な自分にとっては、ひっそりとした夜藤見物がお似合いかもしれない花が終わると、5月の半ば頃から、木が弱らないよう実を結ばせない為に、花柄をすべて鋏で切り落とすそう1万房以上あるわけだから、その作業は大変なもので、延べ50人近くの方々が作業されているとのこと人々の心を魅了する、亀戸天神の藤の花その美しい花の陰には、さまざまな人々たちの支えがあるそれを忘れてはならない【亀戸天神 藤まつり】4月21日(土)~5月6日(日)まで
2007年04月30日
昼前に病院を出たさて、これから何をしようか…空は、どんよりとしていたが、雨は降らなさそうである街を見れば、道端の植え込みのつつじが、鮮やかなピンク色の花を咲かせていた“そうだ!つつじまつりに行こう”地下鉄に乗り込んで、一路、つつじまつりが催されている根津神社の最寄り駅である根津駅へ地下のホームから地上に出ると、不忍通りは、平日の昼にもかかわらず、それなりの人手で賑わっていた歩いて5.6分のところに、目的地の根津神社はある今年で第38回を迎える『文京つつじまつり』境内にある約2000坪のつつじ苑の敷地内には、約50種・3000株のつつじが咲き競う早咲きから遅咲きのものまで種類が多いので、長い期間様々なつつじを楽しむことができるつつじ苑は、例年だと4月下旬前後が見頃だという 去年来たときは夜だったので、今ひとつ雰囲気が掴めなかったが、段々畑のようにして咲いているつつじ苑を前にして見上げた光景は、訪れてよかったなと思った手を伸ばせば届きそうなところからつつじを見ることが出来るのだが、折角来たのだから間近で楽しもうと、200円を支払い入苑した苑内は、白や赤、朱、複色、ピンクといっても濃淡のものから、紫にちかい色のものまで、実に様々な色合いのつつじが、それはそれは見事に咲いていた早咲きのものだろうか?なかには、もう見頃を過ぎたものもだいぶ見られたが、まだまだ観賞には耐えうるまるで、段々畑のような段差のところに、それぞれのつつじがこんもりと咲いていて、上から見下ろすようにして眺めるつつじの光景は、それはそれは見事の一言手入れされていることもあってか、今巷の道端で咲いているつつじたちと同じ花とは思えない赤やピンクといった色調はかなり派手なのだが、周りに緑が多いのも手伝ってか、ふしぎと下品には感じず、華やかさのなかにも日本特有の控えめな美しさを感じた苑内の外からつつじを見るのと、中に入ってでは、見る風景が驚くほど違うここを訪れたら、200円をケチらずにぜひ入苑して、つつじを楽しんでいただきたいそれにしても、ここを訪れている人たちの年齢層はかなり高いまぁ平日の昼間という時間帯ということもあるのだろうが、ほぼ中高年の方々で、ちらほらと外国人の方の姿が見受けられる程度友人たち、夫婦連れ、観光客…と実に様々であるつつじを見てまわっていると、自分の母親の年代の女性に『写真を撮ってください』と声を掛けられた断る理由もないので引き受けたが、ちょっぴり緊張渡されたデジカメで、つつじを前に3人並んでいる女性たちの姿を撮影するこんな時、撮った写真をその場で確認できるデジカメは便利だね画像を確認してもらったら、満足していただけたようなので、ヨカッタ、ヨカッタそれぞれのつつじには、すべてではないが品種名が記されているそのなかで、人々の注目を集めていたのが、 『老いの目覚め』という名のつつじ“老い”という言葉に、皆反応されていたそんな名前がついたつつじは、名前とは反して、綺麗なピンク色をした小ぶりな花を沢山咲かせていたそれから、皇孫敬宮愛子内親王さまの印であるゴヨウツツジ(白ヤシオ)や、黄色いつつじが何本か咲いており、目を惹くのか、珍しさも手伝ってか人だかりができていた十分につつじを満喫すると、鳥居をくぐり抜け根津神社の境内を散策祭りといえば屋台だが、殆どの屋台が営業していなかったので、ちょっぴり残念それでも露天商や、甘酒売りの声を聞いていると、祭りらしい雰囲気を味わうことができた実は気になっていたことがあって、つつじ苑でつつじを見て回っていた時から、ずっと甲高い声が聞こえていて、子供が愚図っているものだとばかり思っていた境内を歩いていると、猿回しをしているのが見えて、ずっと耳にしていた声が、その猿によるものだとその時知った猿回しを見るのは初めてなので、ちょっと興味津々猿を操るは若い女性どうも二人の仲はまだしっくり言っていないのか、どうもぎこちないお姉さんの指図、猿は全然無視して『キィーキィー』言ってるし…なんとか芸をさせようとするお姉さんその必死さがこちらに伝わってくるそんな空気を他の人も感じているのか、外野からは心無い野次が飛んでいたが、それでもお姉さん諦めず、見事猿に前転をさせたのでした(写真は、不甲斐ない芸を見せた謝罪ではなくて、ちょうど前転しようとするところね)【第38回 文京つつじまつり】根津神社にて平成19年4月7日(土)~5月6日(日)まで期間中のつつじ苑開苑時間は、午前9時~午後5時30分まで入苑料…200円
2007年04月23日
電車に揺られていた都内を走る私鉄の各駅停車の電車にしては珍しいボックス席なので、ちょっとした旅気分である大きな窓から降り注ぐ太陽の陽射しが眩しいくらいだ都会を離れると、車窓には田園風景が広がっていたすると、乗客からちょっとしたざわめき声が上がった声があがった方を見ると、広大な畑に、赤や黄色といった鮮やかな花々が目に飛び込んできた風車も見える“これが噂のチューリップまつり?”次の停車駅である京成佐倉駅でホームに降り立ち、すし詰め状態の無料送迎バスに揺られること20分弱…“佐倉 チューリップまつり”の会場へと到着したバスの停留所から会場までは、しばらくの道のり左手には広大な印旛沼が広がり、すでに散ってしまってはいたが、桜並木が続き、足元には菜の花が咲いている広大な蓮華畑のなかを歩くと、ようやくチューリップが目の前に広がった平成元年に日本とオランダの修好380周年を記念して、佐倉チューリップまつりは開催された佐倉は幕末に江戸筆頭老中としてハリスとの日米修好通商条約交渉に身命を賭した佐倉藩9代藩主・堀田正睦が、江戸城内で『西洋堀田』と呼ばれるほど海外事情に詳しく、洋学を積極的に取り入れる先進的な土地柄で、一時期は『西の長崎、東の佐倉』といわれたほど蘭医学が盛んであったこともあり、佐倉とオランダとの関係は意外と深く、それらを記念して佐倉チューリップまつりははじまった佐倉市観光協会では、『佐倉で100万本のチューリップを』というテーマを掲げており、地元の関係者やボランティアの人々、またチューリップの購入や有料駐車場といった代金を資金に充てるなど、沢山の人々によって支えられている事業なのである(パンフレットより抜粋)今年で19回目を迎える“佐倉チューリップまつり”は、年数を追うごとにチューリップの数は増えていき、今年は広大な敷地に、112種類・48万本ものチューリップが咲き競う赤・ピンク・紫・白・黄色・オレンジと、色別・品種ごとに区画されて植えられているので、近くで見ても、遠めで見ても楽しめ、その眼にも鮮やかな光景たるや、息を呑むほどピンクダイヤモンド・スプリンググリーン・黄小町・アンジェリケ・バレリーナと言った、普段から花屋で見かける御馴染みの品種から、初めて知る品種、一重咲き、八重咲き、フリンジ咲き、パーロット咲き、ビリデ咲きといった咲き方が異なる色々な系統のチューリップなど、実に様々なチューリップ咲いている 広場には、オランダ人技師によって建てられたという風車がそびえたち、風に吹かれて風車は回っていた上を見上げれば青く澄み渡った空、のどかに広がる田園風景、そして風車にチューリップ…なんだか、ここが千葉であることを忘れ、まるでオランダにでも来た様な錯覚に陥る(いや、一度もオランダを訪れたことはないんだけどね…)もう、気分はオランダ一人旅チューリップ畑を抜けると、様々な屋台や、地元の特産品を販売するテントなど様々な店が連なり、地元の方たちが盛り上げていこうとしている熱意と言うものをひしひしと感じた土曜ということもあってか、家族連れ、親子連れ、カップル、友達同士など、なかにはオランダ衣装(有料貸し出し)を身に纏った女性などもいて、大勢の人で賑わっていた丁度その時間帯、風車近くでは、アコーディオンの演奏が実施されており、メロディに合わせてお客さんたちは歌い、長閑な空気が流れていたこのなんともいえないマッタリ感が、不思議と心地良かった
2007年04月14日
湯島の梅、根津のつつじ、白山の紫陽花、湯島の菊と並ぶ、文京花の五大まつりの一つに数えられている播磨坂さくら並木のさくらまつり昭和35年頃、『全区を花でうずめる運動』が進められたことをきっかけに、道の中央と両側に桜が植えられ、今ではソメイヨシノを中心におよそ150本もの桜が、播磨坂に春を告げる仕事終わりに播磨坂を訪れると、時間帯も遅いせいか、ぼんぼりの灯りも落とされていて、辺りはひっそりとしていた遊歩道となっている中央分離帯と、それを挟むようにして両側に車道があり、それぞれに桜の樹が植えられている早いもので、東京に桜の開花宣言が出されてからだいぶ経ち、巷で見かける桜は散り始めているので、若干の危惧はあったのだが、播磨坂の桜は想像以上に散っていた長くゆるやかな坂道を歩きながら、街灯に照らされて青白く浮かび上がる桜を見上げると、3分の2以上は花がついていなかった散った花びらを見ると、だいぶ朽ちているので、早い日に散り始めたことが窺える桜が満開の時の播磨坂は、それは見事な光景で、まるで桜のトンネルのようだというしかし、今宵見る限りでは、その面影はいっさい見受けることができなかった残念!来年までお預けであるいささか夜桜見物は不本意に終わったが、その代わりといってはなんだが、遊歩道ではハナカイドウが見頃を迎えていた吊り下がって咲くピンク色の花は、やさしい風に吹かれて揺れていたパッと華やかに咲いて、パッと潔く散る桜…今年の春も終わりを告げようとしていた
2007年04月05日
昨春亡くなった祖父が、春になると『千鳥ヶ淵に行ってきた』と言っていたことを思い出すその祖父が愛した千鳥ヶ淵の桜は、どれほどまで見事なのか4月4日まで、千鳥ヶ淵緑道では桜をライトアップして夜桜が楽しめるというので、仕事帰りに訪れてみた今まで車で通り過ぎたことはあったのだが、、実際に訪れるのは初めてであるお濠沿いの細く長い緑道を歩く桜は若干見頃を過ぎてはいたが、まだまだ鑑賞に堪えうる状態で、暗闇に浮かび上がる夜桜は、荘厳の一言に尽きる緑道を覆うようにして咲くソメイヨシノは、お濠に向かって大きく枝を突き出しているお濠を挟んだ対岸にも桜が咲き、下を眺めればお濠には花びらが浮かんでおり、水面にはライトアップされた夜桜が映し出され、どこを見ても桜その無限に広がる光景は、まるで万華鏡を見ているよう千鳥ヶ淵の桜が好きだった祖父に限らず、ここを訪れた誰しもが、その美しさに心奪われることだろう 街で見かける桜、先日見た墨堤の夜桜、どれも同じ桜のはずなのに、どの桜たちも違った表情を見せるから不思議であるここ千鳥ヶ淵の桜は、高貴に満ち溢れていて、悠久の時の流れを物語っているようであったその空気をひしひしと身体に感じながら、歩いていく緑道は一方通行で交通整理されているので、皆礼儀よく夜桜見物を楽しんでいる遊歩道でスペースが無い為か宴会をしている人もなく、派手な歓声もあがらないので、静かに落ち着いて夜桜が楽しみたいという人には、オススメのスポットといえよう夜桜観賞の途中、静けさを切り裂くようにして声を上げている男性がいたさくら再生募金の活動である千代田区には桜の名所がいくつかあるが、樹の老齢化や環境の変化により、年々樹の勢いが弱くなってきているという桜は一度枯れてしまうと、同じ場所には生育しにくい性質があり、都心部の土地利用の面から新たな桜の名所をつくるのは困難として、今ある名所を守っていこうという取り組みそれが、“千代田区の花さくら再生計画”であるなんだか他人事のような話ではあるが、こうして夜桜も楽しませてもらったことだし、拝観料のつもりで、微力ながらお札を一枚募金したほんのささやかな気持ちの行為だったのだが、片手いっぱいの飴をいただいた見ると、さくら基金と書かれた桜の飴だった切っても切っても同じ図柄が出てくる金太郎飴であるちなみに、飴は甘酸っぱい味でした
2007年04月03日
職場への行き帰りには、隅田川を渡る明け方前、堤防沿いの桜が見事に咲いていたので、仕事の帰りに夜桜見物することにした隅田川を挟むように両岸にはぼんぼりが灯され、ピンク色の灯りに浮かぶようにして、見事に桜が咲いていた隅田公園の桜の景観も見事だが、自分は墨堤の桜の方が好みである享保年間、徳川吉宗がヤマザクラを植えたのがルーツという隅田川沿いの墨堤の桜は、関東大震災で堤の桜は壊滅してしまったが、その後、隅田公園が誕生すると400本のソメイヨシノを植栽さらに首都高速の開通時に200本を植栽し、現在の見事な桜並木の景観となっている結構遅い時間帯だというのに、大勢の人で賑わっていた隅田川には、花見目当ての屋形船が何艘か繰り出されているほぼ満開状態の桜並木と、ぼんぼりの灯りが、果てしなくどこまでも続いているあいにく、今日は風が強い美しく幽玄な夜桜の景色をカメラに収めようとしても、風で右へ左へと桜が揺さぶられるので、ブレてしまい、なかなかうまく撮れないまぁ、それはそれで、妖しい感じを醸し出していい味を出していたそれにしても見事な桜であるこういう美しい景色のなかを歩くときは、自分ひとりで、ゆっくりと歩きたいものしばし、日頃抱えているものを肩から下ろし、何も考えずに自然がつくりだす造形美に見とれながら、桜並木を歩いたどの桜も枝は大きく突き出し、なかには、天を覆うように枝が伸び、隅田川へ垂れ下がっている桜もある手に取る桜は、可憐でもあり、誇らしげでもあり、気品に満ち溢れていたピンク色のぼんぼりに照らされた桜は、なんともいえない妖しい色に染まっていたできれば、純粋の桜の色を楽しみたいところだが、これはこれで一味違った美しさ空を見上げると、一面に散らばった桜の花から月が顔を覗かせていたいつもは暗闇にひとりポツンと浮かんでいる月も、今日だけは嬉しそう自分の顔も、なんだか緩んでしまった対岸の隅田公園は、シートを広げて宴会を開く花見客が多いが、墨堤の桜は、堤防の敷地が横幅に狭いために、ほとんど飲めや歌えやという花見客が見受けられない21時30分を過ぎると、ぼんぼりの灯りも消され、人影も少なくなり、墨堤の桜はひっそりと静まりかえった薄暗いなかに観る桜も、また違った印象を受けるあまり派手なことを好まない自分としては、華やかではあるが、どこか控えめである今見ている夜桜が一番好きかもしれない
2007年03月29日
今日は休日午前中に部屋の掃除を済ませると、午後から出かけることにしたと言っても、どこかに遊びに行くわけではない“たまにはお金を使わない休日を過ごすのもいいんじゃない?”と、小さなカバンにデジカメだけ忍ばせて散歩に出ることにしたそうそう、昨日右足の踵に酷い靴擦れを起こしてしまったので、本来ならサンダル履きでいきたいところだが、自分が持っているサンダルといったら、舞妓さんが履くコッポリのような高いサンダルしかなく、歩くのに不安定なので、比較的サイズの大きめなスニーカーを履いて出かけたそれでも、やはり靴が踵に触れて傷むので、歩き方は不自然である散歩のコースは、夜ジョギングコースとして利用している堤防沿いでいつもは暗いなかを走っているので、陽が高いうちにこうして歩いていると、見慣れている風景のはずなのに、見える景色が違うような印象を受ける夜見ると吸い込まれそうになるほど暗く静かな川も、今は日差しを受けて川面はキラキラと輝いている植え込みには、雪柳や水仙といった純朴な花が堤防沿いの道に彩を添え、家々の庭には、紅白の梅や椿などが花を開かせていたふと、甘い香りが鼻をかすめた沈丁花である甘い香りに誘われて近寄ってみると、マンションの入口の花壇に沈丁花が咲いていた花の中でも、沈丁花の香りは5本の指に入るほど好きなので、しばし、その甘い香りをご馳走になったちょっと堤防沿いのジョギングコースから外れて、今まで歩いたことのない道を散策していると、突如大きな看板が目に飛び込んできた【江戸名勝 ゑんま大王安置堂】ゑんま大王とは、あの地獄にいると言われている閻魔大王のことだろうか!?なかなかお目にかかれることはないので、怖いもの見たさで寄ってみることにする足を踏み入れると、比較的小じんまりとした境内の左手に、安置堂はあった【上品寺の閻魔大王坐像】高さ206cmもあり、かつて江戸16閻魔の一つとして栄え、区内最大のものである閻魔大王は地獄に住み、死して地獄に堕ちてくる人間の生前の善悪を正し、罪あるものには、苦しみを与える冥王として信仰する人が多い当寺の閻魔は、江戸中期にもっとも盛んに信仰され、昭和47年に閻魔堂が新築され現在に至っている(安置堂そばの案内板より)下かえら見上げると、よくは見えないが、お堂の中に鎮座している姿が見えた息を殺して石段を登ると、堂々と鎮座している閻魔大王と初の対面を果たしたそこには、赤い身体に険しい表情をした、ほぼ想像に近い閻魔大王の姿があった目と眉は吊り上り、大きくがっしりとした身体を目の前にすると、威圧されているようで萎縮してしまうその大きな瞳は、まるで自分の悪行を見透かしているようで、居た堪れない空気に苛まれる自分のどこか後ろめたい気持ちが、そう感じさせるのだろうかなんだか居心地が悪く、面と向かって、閻魔大王を見ることことがなかなかできないここを訪れた人たちは、どんな気持ちで閻魔大王と向き合うのだろう今までの自分の過ちを懺悔するのだろうか?それとも、普通に参拝してお願い事をするのだろうか?閻魔大王を前に、しばし躊躇した挙句、自分は頭を下げて、その場から失礼するのであった
2007年02月19日
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