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昭和100年展。
昭和100年を迎える2025年に
上條安里の美術と池上彰の解説、そして荒俣宏のコレクションで
その魅力を体感し再発見する「昭和100年展」を開催


昭和100年 戦争と平和 池上彰
「昭和100年展」(角川武蔵野ミュージアム)にイラッときた話
上記のサイトから、下記の文章をコピペさせてもらいました。
最初は写真見ながら入力してたのですが、なかなか進まなかったのでw
私は、以下の文章がいいと思って書いてたのですが、確か上記のサイトの方の言うように、
少し上から目線なのと、自分達の世代の責任は取ろうとしない。そうかもしれませんね。
「戦中派に反省を迫るくせに、自分たちの昭和後期の失敗は無視して反省しようともしない。
これはまったく卑怯だ。」
でも、戦争に関してはやはり反省して二度と起こさせないようにしないといけないとは思います。
昭和一〇〇年 戦争と平和 池上彰
「第二次世界大戦の敗北は、軍事力の敗北であった以上に、私たちの若い文化力の敗退であった。私たちの文化が戦争に対して如何に無力であり、単なるあだ花に過ぎなかったかを、私たちは身を以て体験し痛感した」
これは当ミュージアムの入口ロビーに掲げられている角川源義の言葉である。角川源義は、一九四九(昭和二四)年五月三日、つまり日本国憲法が施工された二年後の「憲法記念日」に、「角川文庫発刊に際して」と、この文章を発表している。このとき角川源義はまだ三一歳。その若さと行動力に驚嘆する。
それから七六年。私たちが築いてきた文化は、戦争に対して無力になってはいないだろうか。源義の文章を読み返すたびに、それを自問する。
今年は昭和にすると一〇〇年。この会場に再現された住宅は昭和四〇年当時をイメージしている。とりわけ団塊の世代には懐かしい光景だろう。若い人たちにとっては、驚きの生活風景かもしれない。日本にもこんな時代があったのだ。
今年は各地で「昭和一〇〇年」をテーマにしたイベントが実施されたり、テレビで回顧番組が放送されたりしている。番組はいずれも高視聴率を記録している。
それはそれでいいのだが、一方で、「昭和一〇〇年」と一括りにしていいのだろうかという思いもある。昭和は一九四五(昭和二〇)年で分断されているからだ。昭和の初めの二〇年は戦禍に苦しみ、後半の八〇年は復興と平和の時代だったと称していいだろう。つまりは「戦争と平和の世紀」だったのだ。それは一括りにできないのではないか。
一九三一(昭和六)年の満州事変、一九三七(昭和一二)年の盧溝橋事件をきっかけに、日本は中国大陸での戦争に突入していく。これに対して欧米は、日本に対し、いまでいう経済制裁を科す。アメリカからの石油や屑鉄の輸入が途絶し、日中戦争が継続できなくなると焦った日本は、オランダ領東インド(現在のインドネシア)の油田を奪い取ろうと計画。それを妨害するであろうイギリス軍とアメリカ軍の基地を先制攻撃する。真珠湾攻撃とマレー沖海戦だ。一九四一(昭和一六)年のことだった。こうして戦火は中国大陸のみならず東南アジア、太平洋へと拡大していく。まさに「戦争の昭和」だった。
この戦争で、日本はアジア各地で多数の人々を犠牲にしてしまったことを忘れてはならない。
多くの日本の人たちは、日本本土に対するアメリカ軍の攻撃で多数の犠牲者が出たことを記憶しているが、これは、いわば被害者としての記憶だ。しかし、本土以外では、加害者としての責任もあるのだが、体験が語り継がれてこなかったために、記憶が薄れてしまっている。戦争体験を振り返るとき、私たちは被害者と加害者の両方の記憶を持ち続けなければならないのだ。
戦争が終わると、私たちの先輩たちは、極度の飢えと貧困に苦しみながら復興の歩みを止めなかった。その成果が、いまの日本だ。こちらは「平和な昭和」だ。世界を見渡しても、第二次世界大戦後八〇年にもわたって平和を維持してきた国は、なかなか存在しない。その背景には、悲惨な戦争の記憶があるからだろう。
しかし、戦争体験者が減ると、戦争の悲惨さを知らないまま勇ましいことをいう人が出てくる。とりわけネット空間では誹謗中傷やら攻撃的発言やらが横行している。これを見るにつけ、源義の文章の続きを思い出す。
「自由な批判と柔軟な良識に富む文化層として自らを形成することに私たちは失敗して来た」
いまもまた、私たちは失敗しようとしているのかもしれない。
ロシアによるウクライナ侵攻やガザでの悲惨な戦闘をみるにつけ、平和とは尊くも維持しづらいものだと痛感する。絶対平和は幻想なのだろうか。しかし、たとえ実現が困難であろうとも、絶対平和の理想だけは忘れてはならないのだと思う。
ここに展示されている昭和四〇年代のの生活ぶりを見ると、貧しくとも肩寄せ合って生きてきた時代の平和の香りが漂ってくるではないか。
源義は角川文庫発刊に際し、「学芸と教養との殿堂として大成せんことを期したい」と述べている。それは、当ミュージアムを運営する私たちの決意でもある。
角川武蔵野ミュージアム館長 池上彰
ブックストリートにも「絶対平和」が掲げられてましたね。
<第2期>【昭和100年】+【角川源義没後50年】特別編集書架

出版人・俳人 角川源義没後50年、角川武蔵野ミュージアム開館5周年 文化の力を未来へつなぐ記念展覧会・イベントをところざわサクラタウンと角川武蔵野ミュージアムで開催
「第二次世界大戦の敗北は、軍事力の敗北であった以上に、私たちの若い文化力の敗退であった」という文章で始まる「角川文庫発刊に際して」において、角川源義は「祖国の文化に秩序と再建への道を示し、この文庫を角川書店の栄ある事業として、今後永久に継続発展せしめ、学芸と教養との殿堂として大成せんことを期したい」と語っています。
<文化の力による「絶対平和」の実現>
「日本の文化が永遠に発展せしめらんこと」を願った角川源義の志と、その思いを空間として表現した角川武蔵野ミュージアムの将来像ならびにその志を踏まえた文化の復興について、昭和100年・戦後80年の節目の年に、同ミュージアム館長の池上彰氏が講演いたします。
















4階 エディットタウン・ブックストリート



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