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NHKの紅白歌合戦を2年ぶりに拝見しました。日本の歌謡界の文化、層、質は 深く、雄大だと感じた。新しい感覚の歌が多く現れ、世代の交代を感じさせられた。昨年は美空ひばり様の佐渡情話など、ひばり様の歌に夢中だった。
2013.12.31
オリンピックは 既に、国際公約であり、知事選の争点にしては ならないと、確認したい。きちっと成功させて、日本国の素晴しさを 世界に示したい。それは 当分の大きな 夢である。
2013.12.31
2013年12月30日 22:35 自分は正しいことをしているんだと思っていたのにある日気付いたらいじめの加担をしていたということになったら、どうします?それは大いに有り得るのでは?反省して、改めて、 罪滅ぼしをすれば 良いですね。 良かったですね。 気づいて。
2013.12.31
2013年12月30日 22:35 人間は動物に対しては呪わないのに、なぜ人間に対してだけ呪うのだと思いますか?これは簡単ですね。 動物は本能で動いているので、 呪っても影響が無いからですね。人間は影響で 動かされると考えているのですね。
2013.12.31
2013年12月30日 22:37 善人、悪人といいますがそれぞれ何をもってそう言うのでしょう?次の公正の原則を}破るものが 悪であり、守れるものは善人では? 再生核研究所声明 129 (2013.8.28): 美しい社会はどうしたら出来るか ― 世の中なぜ上手く行かないか(2013.8.22零時頃 新しい声明案が湧き、大いに気に成る。良い社会を築く問題点である。) 再生核研究所は 今の世の中 おかしいのではないか として、美しい社会を築くにはどうしたら良いかと考察し、始めに再生核研究所声明1で 次のように述べている:(最近の世相として、不景気・政界・財界・官界・大学の不振、教育の混迷、さらにニューヨークのテロ事件、アフガン紛争、パレスチナ問題と心痛めることが多いことです.どうしたら美しい社会を築けるでしょうか。一年半も前に纏めた次の手記はそれらのすべての解決の基礎になると思いますが、如何でしょうか。平成12年9月21日早朝、公正とは何かについて次のような考えがひらめいて目を覚ました。1) 法律、規則、慣習、約束に合っているか。2) 逆の立場に立ってみてそれは受け入れられるか。3) それはみんなに受け入れられるか。 4) それは安定的に実現可能か。これらの「公正の判定条件」の視点から一つの行為を確認して諒となれば、それは公正といえる。現在、社会の規範が混乱し、不透明になっているように思うが、公正の原則を確認して、行動していけば ―― これは容易なことではないが ―― 世の中ははるかに明るくなり、多くの混乱は少なくなると思いますが如何でしょうか。) そこで、上記 閃きにしたがって逆の立場から、考察、補充して置きたい。まず、大きな権力と影響を与える政治家の立場から、考察しよう。政治家は地位を得るのに汲々として、公正な行為がとれない本質的な問題を抱えているのが、民主主義の制度ではないだろうか。絶えず、地位が侵される立場であるから、まずは、自己の立場、権力の維持、したがって自分と仲間の視点を重視せざるを得ないのは、深刻な 当然の、本質的な問題である。古くは論功賞、ご恩と奉公はそれらの基礎である。民主主義には選挙過程と政治家の地位保存で膨大な労力を費やし、公正の原則や在るべき政策以前で終わってしまうような状況が有るのではないだろうか。安定した王政や貴族政、世襲制の方が良いという面が多いのではないだろうか。将来の大きな問題として提起しておきたい。次も参照: 再生核研究所声明 33:民主主義と衆愚政治 権力者が、在るべき社会の在りようを無視して、狭い意味での自己の利益を優先させる事である。明治初期には 国家の指導者たちが、相当に公や国家を論じて、義を重んじ 常に公を心にした高い志が 日本国の輝かしい時代を築いた原動力ではなかったかと評価、追想される。それは政治家ばかりではなく、大学や学会などその他至る所でも 公の地位を利用して、自己の都合の良いように行うのは 世界的に見られる恥ずべき現象である。公の立場と個人的な利益の混同は 常に批判して、何時も人格の高潔さに思いを致すべきである。政治的な面は、お金と権力に結び付き易いから、政治性に興味を抱く者、政治家などでは、始めから いわゆる野心家がいて、自己の利益追求を考えている者が多い現実に注目して 新しい制度の在りようの検討とともに大いに警戒すべきである(再生核研究所声明 52: 政治家や組織の代表者の選出における留意事項)参照。公正と正義となれば、それらを守らせるのが、裁判官、検事などの役割で 国家の基本であるから、それらに圧力を掛けたり、また圧力に屈していると見られるようでは 共に卑劣、言語同断 それこそ、昔の武士道では切腹者である。公正な真実の報道を魂とし、社会正義を志すマスコミ関係者も同じように聖職者であり、同じような厳しさが求められるのは 当然である。日本では、大事な、政治家、司法関係者、マスコミ関係者、多くの権力者たちが上記、公の立場をないがしろにして、自己の利益を図ったり、あるいは圧力に屈しているように見えるのが、当初に述べているおかしな社会にならしめている 元凶ではないだろうか。そこで、再び公正の原則を確認して、公の立場に従って行動できるように、行動させるようにお互いに自戒して行くように心掛けたい。それが帰するところ、美しい社会の実現の第1歩、基礎であると考える。そこで、モラルの面で、いわゆる社会の上層部、指導者たちが高い学歴を有しているのは 普通であるが、いわゆる中国の科挙制度が おかしな、厳しい試験制度を永く続けたため、その制度の弊害で良き人材が現れず、中国が衰退の道を歩んだとの説もあるが、日本でも知識偏重で 人物たる教育の面が疎かになっているようなことはないか と大いに気に成る。それは 頭ばかりが大きくて 心が貧しいと表現されるだろう。 以 上 追記: 稲村和夫氏 などを 全国紙の論説主幹などに登用できる文化力が日本に有れば、日本は どんなに素晴らしい国になるだろう。人材の登用がおかしいのでは? 2013.8.24.10:45 2013.8.22.14:50 半分くらい書く、当たり前、うまくできるだろうか。2013.8.22.15:45 一応の文章になる、そのうち形が整い、実が入るのでは?2013.8.22.17:35 少し、形になる。2013.8.22.18.10 結構良い。2013.8.23.09:05 良い。2013.8.23.12:45 結構良い。2013.8.23.17:15 最後の文が独りでに加えられる。2013.8.24.09:25 立場による利害について、気になる。2013.8.24.10:45 美しいアヴェイロの入り江を眺めて、追記、挿入の考えが湧く。2013.8.24.15:00 さらに、追記、修正。2013.8.24。18:20 良い。公表 日付けを入れる。2013.8.25.08:45 良いのでは。2013.8.25.13:252013.8.25.17:30 少し、追記、考えが湧くもの。2013.8.25.17:502013.8.26.08:10 良い。2013.8.26.11:002013.8.26.17:40 良い、完成できる。2013.8.27.08:40 良い、言い回しに修正あり。2013.8.27.09:20 完成、公表。
2013.12.31
2013年12月30日 22:38 人を信じると言う事は大切か?そもそも、どこで誰にそれを教わるのか?もし、人を信じる事を知らずに育つとどんな人間になりますか? 人を無条件に信じるはまずいのでは。何時も疑って対応は 社会生活の 第1っぽでは。 付き合いをとうして、信頼関係や愛が生まれるのでは。 始めは 疑ってかかるが 基本では?
2013.12.31
2013年12月30日 22:40 「差別」に換わる言葉として「侮区別」というのはどうですか?・・・この世は相対で成り立っていると言います。尊敬の反対は軽蔑だと思います。人を尊敬する人は、必ず人を軽蔑もするのでしょうか?軽蔑について、それが一人の人に対してだけでなく、ある抽象的な民族や階層、また職業に従事する人たちに及ぶとそれが「差別」ということになるのではないでしょうか?先日いわゆる「差別」と「商品の差別化」という時に使う場合の「差別」という言葉について、受ける印象のニュアンスがあまりに違い過ぎるので、いわゆる「差別」の方を別な言葉にできないだろうかということをこのカテでも問いました。(以下はSSカテに問うた内容ですが、質問の意味がよく分からなかった方もいるようです)http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1311844104...それで私も考えてみた結果、差別に換わる言葉として「侮区別」という言葉を思いついたのですが、皆さんはこの言葉についてどう思いますか?私自身は「差別する」こと自体を悪いことだと思っておらず、そこに侮蔑の感情が入ることが悪いのだと思うのです。(これは以前に哲学カテで論議をしました)差別ということがなければ、人間の生活は成り立たないと思います。どう思いますか?用語に基本的な 誤解が有るのでは。 区別、特徴、類別、 分ける、など度、差別は違うのでは。 差別は、 人種差別の色彩が 強く、欧米で、最も嫌う言葉ですね。 人種は違いますが、 それらをらけ隔てて、 評価したり 扱うを変えることを嫌う事ですね。 人種で基本的な人権に差を付け、 分け隔てし、固定化するような 語感が有りますね。
2013.12.31
2013年12月30日 22:44 日中開戦したら、アメリカは日本を守ってくれるか大学の先生(アメリカ人)は「日本は友好国だが、これからは経済的な面で中国の方が日本よりはるかに重要なパートナーになる。日米安保があるから、中国をどれほど挑発しても日本に中国は戦争を仕掛けられないと思っていたら危ない。日中戦争になったら、アメリカは日本の味方をするのを断ると思う。ニューヨークやワシントンに核爆弾が飛んでくるんだよ。もちろんそうなったら、こちらは北京や上海を攻撃するけれども、米中戦争になったらアメリカが勝てるが世界は破滅だ。中国が「日本と戦争するがアメリカには敵対しない。アメリカとの友好関係維持のために具体的にアメリカにこういう点を譲歩する」と確約すれば、アメリカの世論は日本を見捨てると思う。だから、靖国みたいに周辺との関係を悪くすることをわざわざするのは最悪だ」「日本がつまらないことで中国ともめる。その結果戦争になったとする。アメリカ市民としては、ニューヨークが核攻撃されるのを覚悟で日本と組んで、中国と戦争するべきだなんて誰が思う んだ?」反論したいので、意見をお願いします。アメリカは 中国とともに全面的な戦争は もはやないですね。 お互い自滅で 損だからです。 日・中戦争で 消耗戦争になれば、 アメリカは血を流しても 利益を得て、 日本を ますます属国化でき、 漁夫の利を得ますね。 ベトナム戦争や、イラク戦争を見ても アメリカは、戦争で、 貧しい層を 犠牲にして、戦争で 利益を得る層が シッカリしているから、戦争は 歓迎では?
2013.12.31
2013年12月30日 22:46日米同盟は、今後、以前より、重視されなくなると考えますか?世界的な交流が盛んになる時、 前後冷戦時代の志向で、 日米同盟などと 発想しているのは おかしいのでは。 国連中心に世界史を進化させるべきでは。日本は 自衛隊を国連軍に経費を込めて 一定数、献軍して、憲法の精神を活かすべきでは? 再生核研究所声明 10(2007/9/10): 絶対的な世界の平和のために地球上から一切の暴力を無くすることできたら どんなに素晴らしい世界が実現できるでしょうか。しかしながら、その実現は 実は簡単ではないでしょうか。声明1の公正の原則:1) 法律、規則、慣習、約束に合っているか2) 逆の立場に立ってみてそれは受け入れられるか3) それはみんなに受け入れられるか4) それは安定的に実現可能かによって、暴力のない社会が実現できると考えます。 大きな暴力は戦争であり、小さな暴力は個人的な或いはある組織による暴力です。 暴力のない世界を実現するには 暴力のない国を参考にすればよいのではないでしょうか。 それには先ず1)大きな権力を国際組織に移すために、各国とも自国の約4分の1の軍隊を 経費も含めて国際組織の配下において運営し、地球防衛軍(地球公務員)として、高い名誉と任務を与え、国家間の戦争を阻止する。地球防衛軍は 初期の段階では世界の秩序の保全を主な任務とするが、世界が安定するにつれて、地球の環境の保全や災害補助活動などが主な任務になる。2)国際組織は国連の改革、拡充によって実現できると考えます。3)国際組織は 日本国憲法第25条:すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない の精神に従って 全ての人間に最低生活(生存権)を保障することを世界に宣言し、かつそれを確実に実行する。 これらが実現すれば 絶対的に平和な世界が実現し、本質的には暴力のない世界が実現できるのではないでしょうか。大国アメリカは、イラク問題などで多くの犠牲者を出し、膨大な軍事費をかけていますが、そのような経費をこのような方向でかければ、遙かに少ない経費で大きな効果を挙げることができると考えます。世界の如何なる国にとっても この方法は安上がりであり、人類と地球に優しい世界が実現すると考えます。この方向は 日本国において明治政府が樹立され、平和な国家が実現した流れを想起すれば、実現できると考えます。最低生活が保障されれば、暴力を起こして殺戮するようなことを考える人は 世にいなくなるのではないでしょうか。国際組織が権力を掌握するにつれて 各国は軍事費を抑え、民生や環境に優しい 美しい営みに それらの経費をまわすことができます。多くの軍関係者もそのような美しい営みの方向に力を向けることができます。みなさん このような方向で、絶対的に平和な世界の実現の為に努力しようではありませんか。 このような精神の基で、平和憲法をもつ日本が 世界に先駆けて、日本軍の約4分の1を経費も含めて国連軍として、国連に出す意志のあることを宣言することを提案します。 ただ戦争や暴力を批判しているのではなく、どの様にすれば そのようなことを無くすることができるかを 具体的に提案しているのです。 以 上
2013.12.31
2013年12月30日 22:52 学校が授業料免除などしていいスポーツ選手を特待生として入学させることにどんなメリットがあるのですか?あたりまえのことかもしれませんが教えてください。一芸に優れた者を活かすのには 良いのでは? 天才教育も進めて、多様性のある大きな世界を志向したい:再生核研究所声明 60 (2011.05.07) : 非凡な才能を持つ少年・少女育成研究会(2011年5月2日 5時 次のような構想が湧いて目を覚ました。) 再生核研究所声明9: 天才教育の必要性を訴える にもあるように、 日本国でも 特殊な才能を持つ者に対する 特別な配慮や教育が必要ではないかと いわゆる天才教育の必要性を訴えている。 最近、中部地方にも そのような少年、少女が現れ、 父兄、少年、少女たちが一様に困っている情報がもたらされた: やはり「学校での授業が飽きてしまう」ということで、それぞれ児童生徒の対応に苦慮しているようでした。 学校の授業のレベルが低すぎてつまらない など。そこで、再生核研究所として、次のような構想を 積極的に進めたい:1) いわゆる特別な才能を持つ少年、少女の交流に便宜を図り、また、関係者の協力を求めて、才能を伸ばすために、助言や援助を行う。いろいろな相談にのって頂く。2) 個別面椄や指導、対話も大事なので、 年一回くらい 全体的な会合を持つ。3) 他は、スカイプ、インターネットなどで、効率的に個別に進める。詳しい運用、基準などは別に定めるが、形だけにならないように、形は簡素にして、実際的な 交流や、貢献を考える。 参加者は ボランティア精神で臨んで頂くが、誰も損をしないように (公正の原則)、 また楽しい参加 (人生の意義は 感動することにある) になるように、運用、進めるように配慮する。そこで、このような構想に興味と関心のある方は、下記あてにご連絡ください。 便宜、出来る範囲での ご協力をお願い致します。交流、連絡などは、直接約束、企画されたもの以外は、メールに限る事とします。特に、関係ご父兄、本人、さらに指導する立場の人は、数理科学専門の人ばかりではなく、哲学者、文学者、教育学者、心理学者、教師、芸術家、音楽家など幅広い人の参加を期待しています。 参加ご希望の方は 簡単な自己紹介用文書やご希望やご意見を添付の上 ご連絡ください。 以 上再生核研究所声明 9 (2007/09/01): 天才教育の必要性を訴える次はある人の経験です:今日午後 塾の先生と母子が研究室を訪れました。子供は小学校2年生、8歳のM君です。化学の先生や物理の先生、整数論の先生にも立ち合って頂きましたが、非凡な才能のもち主です。数覚が発達していること、πの値を60数桁すらすら覚えていること、サリンなどの複雑な分子構造等を覚えていること、原子の周期表を覚え、記号も覚えていること。勿論努力して覚えればできない事ではありませんが、自然にいろいろ勉強して一人で勝手に覚えていると言うのです。今まで、このような才能のある人に会ったことはありませんでした。記憶力が良く、漢字にも強く、英語も得意と言っていました。宇宙の物語や計算機の内部にも興味をもっていて、電気にも異常に興味をもっているとのこと。数学について質問を求めたところ、0.999999・・・・・ =1の理由を聞かれました。納得のいく説明ができたと思います。ご両親はいろいろなことを質問されて困っていると言うのです。今日は非凡な才能のもち主に会いました。どうしたら、M君の才能を活かせるでしょうか。考えたいと思います。このように特別な才能をもつ人に対して、現在の日本の学制では才能を活かせないばかりか、才能を殺してしまうと考えられます。そこで、このような特別な才能を活かせる制度の確立を求めたいと考えます。数学などの研究では 凡人の1000人以上の仕事を一人の天才が成し遂げることがよくあります。そこで、このような特殊な才能を活かせる制度の確立を研究し、可能となるような制度の確立を求めます。これについて、次のようなことが考えられるのではないでしょうか。1)。 進級制度を確立すること。あるいは特別な学校を作ること。2)。 特殊な才能のもち主であることを認定したら 特別のチームを作って、所謂天才教育を国もしくは地方公共団体の補助の下で、行う。特殊な才能は理工学に限らず、スポーツ、芸能、芸術などいろいろな分野で考えられ、いわば国の宝として、それらの才能を活かせる道を確立したいと思います。このようなことは 日本国にとっても才能をもつ者にとっても重要であると考え、関係者に検討を要請致します。みなさま、日本でも超大物を育てようではありませんか。
2013.12.31
2013/12/30 地球は・・・みんなに平等ですか?平等など殆どあり得ないのでは 歴史も経過も違いますね。 平等とは、法の下の平等くらいでは?
2013.12.31
朝日新聞は 高い見識を持つ、立派な新聞と高く、評価できる:年末 帰国して、朝日新聞、NHKテレビなど拝見していますが、朝日新聞の紙面全般に対して高く評価できる。良識ある高いレヴェルの新聞で、たのもうしい。如何して、変な政治世相になっているのか、不思議だ。他方、NHKは 文化面、学芸、ドラマなど 出来過ぎで、政治面で 変な1方的で、安倍首相を支持する様な 意図的な報道を感じる。 変な世相を作った原因に NHKの 影響があると感じられる。
2013.12.30
2013年12月29日 22:19 自民党には立候補の年齢制限があったと思いますが、年齢制限は民主主義に反するということはないんですか?補足無所属で立候補できるから無所属で立候補しろと言うのでは、無所属は『姥捨て山』じゃないですか。違うんですか?年齢で制限はおかしいですね。本務で、適任者をきちんと選出出来るが 大事では? 再生核研究所声明 52(2011.3.22): 選挙における心得、留意事項 プロ野球やサッカーチームの監督が、極めて重要な役割を果たすように、いわゆる選挙で選らばれる人は その組織において極めて重要である。それは選挙で選ばれた人は、逆に何らかの権力、決定する権利を有することになるからである。 例えば、衆議院は国権の最高機関として首相を選出する権利を有するばかりではなく、国家の意志にかかわる重要事項を決定する重要な権限を有している。地方議会や知事や市長等々、何らかの大きな影響力と権限を有している。 そこで、そのような人物の選出において、適切な人物を選ぶ大事な視点について考察したい。 どのように心得て人物を選ぶかという、視点である。まず はじめに留意すべきことは、1)職務を全うできる体力、健康の面、および能力が有るか。- これは当然である。2)職務に取り組む真摯な態度が有るか否か。- この点は真剣に観察、判定を誤らないように留意すべきである。権力や名誉、地位のために立候補して、本務に対しては真剣でない人物が 世に多いということである。立候補の動機など注意深く観測する必要がある。 天下り、代理、後継者、団体の推薦、仲間の推薦などで、適任でない者が、仕方なく立候補する場合も世に多い。また、いろいろ良くやっているように、見せかけに奔走して、人気取りを図り、実際には組織に損害を与えていたり、組織を利用して楽しんでいる場合が 世に多いと言える。 立候補者の哲学、志の所在、本質を把握、捉える必要がある。3)権力や影響力が大きいという観点から、選ばれる者は、信頼できる人物でなければならない。信用できるかどうかという観点は、発言に矛盾はないか、言行一致しているか、公正であるか、騙したり、裏切ったりすることはないかなど 注意深く観測する必要がある。しかしながら、これらにおいて大事なことは、それらが全ては守れない、実行できないのが、現実の政治社会であるから、全体として、判断する幅の広さも肝要である。4)いわゆる、公約や政治姿勢、政策方針などは 党派や支持母体などの影響を受けるので、党や支持者の周辺の人物にも注意深く観測する必要がある。政党政治においては所属政党が大きな判断基準になるのは やもう得ない。政治社会は大きな世界であり、個人では力を発揮することができない状況だからである。5)職務を 如何に良く全うできるかが決定的な観点であるから、格好が良い、感じが良いなどの 本質的でないところについては 大いに妥協すべきである。 立会演説会などで、感じによって あるいは、弁舌の巧みさなどで 大きな影響が出やすいが、この点は大いに注意すべきである。6)日本では未だに、地縁、友人、団体などの縁で投票する風潮があるが、公職に就く者の立場からあくまでも、選挙の趣旨に相応しい人物を 高い立場から、判断して投票すべきである。特に自分の利害の観点で投票するのは 卑小な態度である。 あくまでも組織全体のことを考えるべきである。7)政治に無関心で、興味もない、あるいは政治に嫌気が差して、あるいは専門や仕事に追われていて真面目に考えられない人は、 利害や関係のない 第3者で 常日頃尊敬している人 の判断を参考にするのが良いのではないだろうか。信じられる人を探しておくのは 良い心得である。8)政治や自分の関係する組織について、日ごろ興味を持ち、国の在り様、組織の在り様、社会の在り様について、意見を交わして、それらに関する文化レベルの向上に努めたい。お気に入りの政治家などの応援、支持活動を人生の1つの趣味にされると 人間関係や視野が広まり、それだけ豊かな人生になるのではないだろうか。9)政治に多くの人が関心を持ち、真面目に考えることができるのは不可能であり、従って、自由な投票を保障した上で、投票を強制せず、1%の投票率でも十分と言えるような、投票の質を考えて行きたい。ただ投票率を高めれば良いとの風潮は 改めて行きたい。これは事情を知らずに 無理に投票する必要がないことを述べている。投票しない権利を認めている。 以上は前向きに検討する心構えを述べたが、逆に 避けるべき人物像についても特に述べておきたい。A) その職について、真摯でなく、意欲と情熱、使命感の足りない人B) 権力欲の強い人、威張りたがる人、派手好きな人、軽い人C) エゴイスト、視野の狭い人、広く意見を率直に聞けない人D) 公正でなく、公の立場に真剣でない人物、仲間の利益を考える人E) 言行不一致の人物、 言葉に矛盾がある人F) 選挙活動などにおいて、公正でないこと、いろいろ策をめぐらしたり 騙しや脅かし、利益誘導を行う者G) 特に組織の代表者となると、格好や感じが良いかなど 見栄えに影響され易いので、くれぐれも気を付けたいH) できるだけ、若い世代を育てて、伸ばすように配慮したい。 指導部の若返りを常に心がけたい。特に過去の経歴で推薦され、惰性の状態にある人は、避ける方向で検討したい。これはまた、将来について永きおいて 責任がとれる立場であることを示している。I) 理想的な人物でも、当選の可能性の低いものは避けたい、最善よりは少しでも良い方向での、現実的な効果を考えたい。 政治社会は 現実が大事である。現実が少しでも良くなる方向で、考えたい。特に 選挙に立つような人物は 一般に、賢い人物であるから、いろいろ上手な働きかけ、言葉を巧みにして、有権者の意を引こうとするので、 投票する人は くれぐれも惑わされないように 日ごろの行動、言動に気を付けて、良い代表者を選出したい。
2013.12.30
2013年12月29日 22:20 尊厳死は認めるべきです。死を思いやることも大切。肺ガンは壮絶です。息ができないのですからただ長く生きれば良いは 問題であり、死を選択することを 保証すべきでは。 肯定死を考えている: 再生核研究所声明 120 (2013.5.24): 終末の在りようについての 総合的な検討を、遅れている面での 文化を進めよう ― 個人の自由意志の尊重に基づく 肯定死の保証 と 方法の確立を 人間の終末の在りようは、生きたいという生命の本能に抵触するように感じられるから、誰とて、考えたくない課題であると言える。しかしながら、伝統、習慣、宗教などの永い役割は 自然科学的な精神の影響をうけて、大きな変革が起きていると考えられる。これは 社会の在り様の問題であるから、まずは、再生核研究所声明1(良い社会を作るには)における、公正の原則を基本に考えるべきであると考える。他の重要な要素とは 基本的な人権に基づく、個人の自由意志の尊重である。客観状況としては、世界に70億を超える人口を有す地球規模における 人口抑制の視点で 今後大きな問題に発展すると考えられる。もちろん、この世の何事をも 再生核研究所声明13: 第1原理 ― 最も大事なこと に 抵触、背馳してはならない。再生核研究所は、再生の理念を進める研究所であるから、その原点である死の問題を 再生と一体の問題として 一貫して重要視してきている。生も死も一体のものと 捉えられるようになれば、ただ1日でも、少しでも長く生きれば良いとは考えず、肯定死も肯定できると考える(再生核研究所声明 47: 肯定死)。また、次も参照: 再生核研究所声明 118: 馬鹿馬鹿しい人生、命失う者は 幸いである、 と言える面もある ― 再生核研究所声明 19 : 超越への道、悟りへの道 をおし進めると ― 人間は自分の生命をも選択する自由を有し、自己の全人生に責任を果たすことが出来る 高貴な存在であると考える。ところが 有史以来、肯定死を肯定し、どのように保証し、実現を保証するかという社会制度は、在りようは 検討されたことさえ無いようである。そこで、基本的人権として、肯定死を肯定し、実現させる方法の総合的な検討を提案する。公正の原則と個人の自由意志の尊重を基本に 将来の問題として検討すべきではないだろうか、提案したい。関連問題として、終末医療の在りよう、最期の時を迎える、在りようの検討、葬儀の在りようの検討、墓など その後の在りようについての 総合的な検討。それらは、文化や伝統、習慣、宗教、個人の考え方によって大きな影響を受けるので、上記 公正の原則と個人の自由意志を尊重する形で、慣性の法則(再生核研究所声明 72:慣性の法則 ― 脈動、乱流は 人世、社会の普遍的な法則)なども 参考にして、慎重に しかし、総合的な検討が求められる時代を迎えているのではないだろうか。人生についての総合的な見方については (再生核研究所声明74: 人生・生命の肯定について) を参照。フランスでも同性婚が認められ、ポルトガルでは 既に法律で認められているが、 公正の原則に背馳しない限り、個人の自由意志を尊重し、多様な世界を志向するのが良いのではないだろうか。上記検討課題についても、個人の自由意志の尊重である。 以 上 2013.5.18.15:35 一気に纏める。2013.5.18.16:30 相当形になる。2013.5.18.18:20 完成度高い。数学一つ気づく、修正、追加。2013.5.19.08:50 良いのでは。追加。2013.5.19.10:35 良い、雨が降っては晴れてくる、不安定な天気。2013.5.19.13:35 大丈夫?2013.5.20.08:55 十分に良い、修正なし。2013.5.20.11:35 語句の修正。2013.5.20.17:55 良い。 人間の愚かさ - この課題も良い。2013.5.21.10:20 良い。2013.5.21.18:35 良い。2013.5.22.08: 20 良い、晴天2013.5.22.17:25 著書版を完成させ、急に出版先が気に成りだす。2013.5.22.18:45 良い、完成。2013.5.23.08:30 完成、公表。http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10118649115
2013.12.30
2013年12月29日 22:24 物やお金にがめつい人って、お金の価値を知らないんですかね?どうしたらお金の価値を知ることができるか…どなたか?「それにはお金を持つことだ」なんて回答がきそうな哲カテ。笑お金はは 大事な問題、3つの声明を書きましたが、もっと書いて欲しいとの要望が出ています。参考にして下さい:再生核研究所声明 125 (2013.8.24): お金の問題 ― 貨幣について ― 本質論再生核研究所声明 126 (2013.8.25): お金の問題 ― 貨幣について ― 如何に使うか、支出について再生核研究所声明 127 (2013.8.26): お金の問題 ― 貨幣について ― 収入ついて 補足難しいかも知れませんね。主(あるじ)がいるとして…世界を生命体に任せたら地球は美しくなった。だが愚か者に任せたことで地球は汚れた。こりゃ管理人を取替えなきゃいかんなあ…と主人は想うことになる。いやいや、分りやすいかと思って人間くさい主を想定しましたが、人間が主なら独裁者になりたがる、しかし独裁者は愚かゆえに国土は荒れ果てる。 物やお金の価値が分る主人はがめつく独占しない…こんな感じで良いですか? (>_
2013.12.30
NHK の明暗: 出来過ぎ、素晴らしい文化面、芸能、ドラマ番組;他方、政治面では基本的な公正の報道さえ 貫けない貧しさ; これらを評価すると、国民を美しい画面にくぎ付けにして、衆愚に導く、危険な公共放送とも。
2013.12.30
NHKの 尖閣諸島の報道、扱いは、公正な報道に反すると 考える:それは 昨年も 繰り返して述べてきたが、本年も 同様と言える。今日 午後6時のニュースで尖閣諸島に中国船が 領海を侵したと報道したが、 中国側が 日本の領有を認めていない以上、 領海とは 言えず、領土問題が全然ないという 一方的な主張を、日本政府の主張を代弁する形で 報道している だけであり、公正とは言えない。 国民に領土問題が無いように 誤解させている。公正な報道とは、 中国などの主張を紹介し、中国等も領有権を主張している 尖閣諸島領域に などの 他の意見をきちんとさせるは、公正な報道が、魂である公共放送の 有るべき姿であると考える。再生核研究所声明で いろいろ言及しているので、 参考にして欲しい。再生核研究所声明 98(2012.9.23) 矛盾、日中は戦争状態にある ― 日本はそんことをしていて良いのか、 原因を取り除け 日、中 間に 混乱が起きている。 原因は 中国外務省が明確に声明を発表しているので 明らかである、すなわち、 72年の中日国交正常化、78年の平和友好条約締結の交渉過程で、両国の一世代上の指導者は大局を見て、「釣魚島問題を棚上げにして、解決を後回しにする」との重要な了解と共通認識をまとめた。日中国交正常化の門はここから開いたのだ。 日中の諒解事項を日本が1方的に破り、 2012.9.11 日本が尖閣諸島の国有化を宣言して、その諒解事項が壊れたのであるから、 現在、 尖閣諸島は 日本の立場では、 日本の領土であり、中国も中国の領土であると宣言しているから、尖閣諸島は 両国の所属となり、いわば 矛盾した、両立できない危険な諸島 であるということになる。普通、他国に無断で入れば、 強制退去、逮捕、射殺などが国際慣例であるから、お互いが国家として 固有の権利を行使すれば、 熱い戦争に成りかねず、危険状況、戦争状態にあると考えるべきである(再生核研究所声明 97(2012.9.22) 虚妄、空想、日中戦争の分析と顛末) 再生核研究所声明97で考察しているように、 日、中紛争、戦争は両国にとって 何ら得るところがなく、騒げば騒ぐほど、 損失が増大するだけであるから、 速やかに初期の段階に 冷静に回帰すべきであると言える。 そこで、 挑発して原因の基を作った、石原知事の断罪、政府の公的な謝罪と 78年の平和友好条約締結の交渉過程の精神に回帰する との決断が求められる。 日本国憲法の精神を尊重し、平和を愛する日本国の人々に、そのような方向での圧力を加えるように訴えます。特に石原氏に対しては、 直ちに 石原知事のリコール運動の展開 を提案したい。それは、日本史と世界史の 進化の大義 に叶うものであると考える。美しい 日本国の 良識を持つ者達よ 立ち上がれ、折角ならば、世界史の進化と、大義に生きたいものである(再生核研究所声明 41 :世界史、大義、評価、神、最後の審判)。 を提案している(再生核研究所声明 96(2012.9.20))。 現にある重大な問題を避けて、平和、平和と叫び、国民の生活が第一、原発反対、福祉、教育などと、叫んでいても 空しいのではないだろうか。それらどころではない、重大な問題ではないであろうか。 それでは 日和見主義の浮草のように、無責任な存在になってしまう。 また、世間では あまりにも つまらない問題で、騒ぎ過ぎではないだろうか。 日本国の 良識を持つ者達よ 立ち上がれ、 世界史の進化と、大義に生きたいものである。 何をしている、日本国民よ。敵は、問題は 外にではなく、内にあるではないか。生活の基である、日本経済に大きな影響力を持つ、財界も 大いに圧力を 加えるべきでる。このままだと、経済的にも 甚大な損失が生じることが、懸念される。 いま、第2次世界大戦前の状況に 想いを致したい。 以 上
2013.12.29
2013年12月28日 22:51 なぜ人は、実在なんてしない神を崇めるのですか?それは、神を誤解しているからでは 無いでしょうか? 次は如何でしょうか? 再生核研究所声明 122 (2013.8.1): 神の存在と究極の信仰 - 人間よ 想い煩うことはない。 神は存在して、一切の存在と非存在を しっかりと支えられておられる、 人は必要なときに必要なだけ、 念じるだけで良い。 (2013.7.29.7時半、光り輝く 入り江の美しさに 感銘を受けながら、研究室に向っているとき、声明の原案が電光のように閃いた) 数学とは何か ― 数学と人間について国際数理科学協会会報、No. 81/2012.5, 7―15 説明: http://www.jams.or.jp/small-ball.gif No.81, May 2012(pdf 432kb) に公刊したが、その第8節に、ここで、神の定義と神の存在証明ができそうであるが、未だ不十分である と述べている。それ以降も考察は自然に無意識の中でも進んでいたのであるが、究極の信仰:2013.7.27: 7時前ころ、ひらめいた直観である:神は存在し、 存在も、非存在も しっかりと支えておられる。 人間は想い患うことはない。 ただ、必要な時に 一心に念じれば良い。との直観が湧き、上記のように声明に纏める事とした。 これは数学の研究で、永い考察を行なっていたものが ちょっと違った方向から 突然直観的に完全な解に達した時のような、現象である。今回のは 反例の発見や、不可能の証明に近いと言える。 そもそも神とは何だろうか、人間とは何だろうか。 動物たちが美しい月をぼんやりと眺めている。 意識はもうろうとしていて、ほんにぼんやりとしか とらえられない。 自らの存在や、ものごとの存在すら明瞭ではない。人間も、殆ど 同じような存在ではないだろうか。 人類よ、人間の能力など 殆ど動物たちと変わらず、 ぼんやりと世界を眺めているような存在ではないだろうか。 神も、一切の存在も観えず、ただかすかに感じているような存在である。 それゆえに、人間は あらゆる生物たちのレべルに戻って 生物たちから学び、 また原始人に戻って、また子供たちのように 存在すれば 良いと言えるのではないだろうか。 - このような精神は、悟りへの道にも通じると考えられる (再生核研究所声明 118: 馬鹿馬鹿しい人生、命失う者は 幸いである、 と言える面もある ― 再生核研究所声明 19 : 超越への道、悟りへの道 をおし進めると ―)。 またこのような精神は、ヨーロッパで 4年以上暮らし、4年2か月、キリスト教の強い影響で目覚めた心情で、 尊敬する仏教の発想から出たものではないと言える。 しかしながら、ここで述べられた精神は あらゆる神と宗教と信仰の 共通の核心 であると考えられる。本声明は、生きとし生けるもの、命あるものの 究極の救済 を求めているものである。 また、人は必要なときに必要なだけ については 再生核研究所声明85: 食欲から人間を考える ― 飽きること を参照。本声明は 宗教の統一 を成し遂げたものであると言える。 以 上2013.7.29.08:352013.7.29.11:202013.7.29.11:452013,7.29.13:302013.7.29.15:10再生核研究所は、跪くことによって 神を捉えることが出来た と言える。2013.7.29.16:45 最後の文はどうか??いきとしいけるもの【生きとし生けるもの】の意味 - 国語辞書 - goo辞書dictionary.goo.ne.jp› 国語辞書Traduzir esta p?ginaいきとしいけるもの【生きとし生けるもの】とは。意味や解説。[連語]《「と」「し」は強めの助詞》この世に生きているすべてのもの。あらゆる生物。→生(い)ける - goo辞書は国語、英和、和英、中国語、百科事典等からまとめて探せる辞書検索サービスです。2013.7.29.17:302013.7.29.18:102013.7.30.08:302013.7.30.11:352013.7.30.13:152013.7.30.13:30 最後の文が 独りでに閃く2013.7.30.15:20 良い。2013.7.30.16:152013.7.30.18:30 素直に心情が表現されているか? ならば良い。2013.7.30。19:002013.7.31.08:40 再生核研究所は 跪くことによって、神を直観し、世界の宗教を統一していると言える。2013.7.31.08:55 完成、公表
2013.12.29
2013年12月28日 22:52 美しさを競うこと僕はフィギュアスケートがあまり好きではないのですが、その理由は「『美しさを競う』という行為が美しくない」と感じているからです。そう感じる源流には、日本人的な「粋な美しさ」という価値観の刷り込みがあるからなのかなぁと思うのですが、周りの人(もちろん日本人)は存外にフィギュアスケートが好きなようで、日本人だから「美しさを競うこと」に嫌悪感を感じるというわけでもないのかなと感じています。そこで皆さんに質問なのですが、皆さんは美しさを競うことについてどう感じますか?「良い」「やだ」「嫌いだけどフィギュアは好き」等々、できれば理由をつけてお答えいただければ幸いです。なるほど、貴方の考えには、 共感、共鳴できます。 しかし、競い合って、美を、完全をむざすのも 有って良いのでは。 それは、それで良いと考える。
2013.12.29
2013年12月28日 22:53 知的障害と精神障害の違いをわかってない人が多くないですか?知的障害の人は、人に殺意を持ったりしません。しかし、精神障害の方は、人に殺意を持ったりします。どれだけの人が、区別できているのでしょうか?疑問に感じたので、回答をよろしくお願いします。用語ですので、辞書によるべきであると考えますが、 注目すべき視点 を述べられていると思います。
2013.12.29
2013年12月28日 22:53 愛と自由とお金の関係性を分かりやすく、あなたの考えを教えてください。再生核研究所声明で、相当触れています。愛、お金については、声明が出ています。自由ですね。 好きな事ができる状態ですから、 公正の原則に従い、 するのですが、 現代では 多くはお金が有るほど 自由になれるのでは??人にも寄りますが。
2013.12.29
2013年12月28日 22:54 世の中の善行はすべて偽善なのでは?.下心の伴わない善など存在するのですか?少なくとも僕の中には無いように思えます。善行は有るのでは。 社会の為に、人の為に尽くしたいは 人の喜びでは。 共生、共鳴、共感が有るから、みんな幸せになりたいですね。そこで、誰でも社会の為に なれたらいいと 考えるのでは?
2013.12.29
2013年12月28日 22:56 倫理的には死刑制度には反対だが、哲学カテ的には白鳥を処刑したほうがよいという奴はいるか人を意図的に殺害すれば、処刑は当然では? さもなければ、 殺された人の無念を どのように考えれば 良いでしょうか? 公正の原則 では?
2013.12.29
2013年12月28日 22:57 環境破壊なんて存在しない。人間自体、宇宙すら自然だからだ。エコとはなにか。それは自然である僕たち、いや、僕たちはそれに対する思考を持ってはならない。破壊ではない。自然だ。(๐• ·• ๐)な?1 yes2 yeah多くの大都市に行けば 満足に息もできず、先も見えない 深刻な大気汚染が、また、汚染された川が 見られ、環境破壊は 深刻な問題ですね。人類絶滅の大きな要因になるのでは?
2013.12.29
2013年12月28日 22:59 「幸福論」に課題はないのでしょうか?あるとすれば、どのような点にあるのでしょうか?幸福を求めるのが人間ですから、 私にとって幸福とは 何かと 絶えず、考えるべきでは。 まずは、生物的な欲求を満たすと考えるべきでは、 それからが、難しい、人それぞれで、違い、 おおいに個性によるからです。
2013.12.29
2013年12月28日 23:00 人の命(人の死といった方がいいのかも)に軽重があるのかどうか?新聞に、巨星落つと報道される人の命と、回覧板の訃報ではじめて知った近所の見知らぬ91歳のばあちゃんの命。その軽重に差はあるのですか?そんなことより、先日亡くなった、生涯孤独で、酒を飲むのが唯一の楽しみで、飲むとやたら饒舌になったのが今は懐かしい、沖縄出身の、喧嘩もしたが、それなりにこちらから敬意も払って接していた、アイツの命の方が今は、わたしにとっては重い気がする。価値は、誰に取ってかで、全然違いますね。 人それぞれが、人をぼんやり 評価していますね。 社会的に大きな影響を与えている人も 明暗有って、難しいですね。次を参考にして下さい: 再生核研究所声明 41 (2010/06/10): 世界史、大義、評価、神、最後の審判Add Star声明36(恋の原理と心得)で、元祖生命体(本来の生命、生物界全体)は 永遠の生命を有し、人間的な意識と自由意志を有し、存在すること、知ること、美を求めることなどを目標に生命活動を続けている。 人類の発展の先は いまだ不明である。 確かに言えることは、生存を続けること、知ることを求めること、感動することを希求しているということである。 と述べて、人類は 人間存在の原理(人間である限り否定できない、不変的な原理を述べているもので、人間である限り、存在していること、そして、存在していることを知っていること、そして、求めているという三位一体の、デカルトのコギトエルゴスム(我れ思う、故にわれ在り)を基礎に置いた考え方: 夜明け前 よっちゃんの想い:211ページ)によって、世界の歴史を発展、拡大、深化させていくであろう。ここで、世界史とは 人類が得たあらゆる知識、情報を意味するが、世界史は過去の一切のことについても真相の究明を続けていくであろう。これは真実を知りたいという人間存在の原理に他ならないからである。個々の人間の目標は、 人生における基本定理 (声明12) に述べられているように 生きること、感動できるように生きることであるが、人間は同じ元祖生命体の分身であり、個々の人間は1個の細胞のような存在であり、個々の人間の存在は 元祖生命体の雄大な存在からみれば 大河の一滴 (五木 寛之) と考えられるが、しかしながら、それは同時に全体に関係し、全体を内包しているから、限りなく貴い存在である (声明36)。そこで、人間にとって真に価値あることとは、人類の目標のために貢献することではないだろうか。 人類の営みは世界史によって、表現されるから、世界史のため、人類のため、元祖生命体のために貢献することこそが、真の意味における大義と言えよう。 人類が、世界史が進化していけば、過去の元祖生命体の営みの総体を次第に明らかにして、物事の真相と評価、位置づけ、位置関係を明瞭にしていくであろう。- すでに、グーグルの世界に それらの初歩を見ることができる。神とは全知、全能の存在とされるが、世界の全体を捉えられるのは現在、人類以外に存在せず、未来において、進化した元祖生命体こそが、神に相当する存在ではないであろうか。進化した未来人は 現代人の能力のレべルを あたかも幼稚園生くらいとみ、現在のコンピュータのレベルを 手動計算機程度くらいとみるだろう。そのとき、世界の歴史は、個々の人間の存在の関係 (評価) をきちんと明らかにするであろう。この声明の趣旨は、先ずは 世界の政治家の皆さんに、世界史に耐えられるような上記大義に基づいて、行動して頂きたいと要請しているのです。 小さな自分たちの立場ではなくて、より大きな世界のために高い志の基に、行動して頂きたいということです。 同時に、不正や不義は 歴史的に明らかにされ、真実は必ず、明らかにされるということに注意を喚起することにある。 研究者や芸術家たちは 近視眼的なことに拘らず、己が道を進めばいいのであって、適切な評価は必ず下されると考えるべきです。 マスコミ関係者や解説者の皆さん、思想家たちの皆さん、世界史の評価に耐えられるような高い視点と志で、重要な職務を果たして頂きたいと考えます。 人間にとって価値あることとは、小さな自己の世界に閉じこもらず、上記大義の基に努力することではないであろうか。将来、世界史が明らかにする、世界史の全体における個々の関係こそが、最後の審判ではないだろうか。 それは同時に 未来ではなく、現在、いまの 個々の人間の 深奥に普遍的に存在する神性と良心 に通じていると考える。 それらを捉え、それらに調和し 忠実に生きることこそ、良く生きることに他ならない。 悪いことは苦しいことである。必ず、良心の呵責として、その深奥から湧いてくるからである。他方、大義に生きることは 上記永遠の生命の中に生きることを意味するから、楽しいことである。 滅ぶことも消えることもない。
2013.12.29
2013年12月28日 23:01 反面教師の親の、子どもにとっての価値・・・人格未熟でも体力旺盛、このような状態で通常子どもを作るわけですよね?人格未熟でも体力旺盛、このような状態で通常子どもを 作るわけですよね? それで...それで、子どもを育て終わった頃、人は少しずつ人格の 成熟を伴うようになっていくのですよね?子育ては自分育てという具合に。ところで、子ども自身にとっては、こういうことはどうなのでしょう?確かに未熟な親を反面教師にできるという点での、反面教師となる側の親の存在価値といったものはあるのでしょう。しかし、教師となる親(つまり人格が成熟した親)の存在価値と比べた場合にはどうなのでしょう?これは長らく抱きつづけてきた疑問なので、どなたかご回答ください。環境が人間に大きな影響を与えますが、 その環境、親や、学校もそうですが、何が良いかは 一概には言えない複雑な関係では。 余り強制しなければ、 未熟の親でも、学校でも心配するほどではないのでは。 愛情は かけて欲しいですね。 親は親として、学校は学校として。
2013.12.29
2013年12月28日 23:米、同盟深化へ日本にスピードと集団的自衛権行使を期待集団防衛構想よりも、国連の機能の強化による、世界史の進化を 志向して欲しい。 国連は、ニューヨークに有りますね。 しっかり支えて欲しい。 2013.12.28 20:47 (1/2ページ) 【ワシントン=青木伸行】米政府は日米同盟強化という観点から、日本政府の国家安全保障戦略や防衛計画の大綱、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設にゴーサインが出されたことなどを評価している。そうした中で米政府が日本に求めるのは、日米同盟の強化のスピードアップであり、集団的自衛権の行使容認だ。ただ、安倍晋三首相の靖国神社参拝で安倍政権への疑念が芽生えてもいる。 普天間飛行場の移設に向けて辺野古の埋め立てが承認され、米政府は「画期的な出来事」(ヘーゲル国防長官)と歓迎した。だが「方向性がようやく見えてきたという程度にすぎない。しかも今後、沖縄県の情勢変化による紆余(うよ)曲折も予想され、手放しで評価してはいない」(米軍事筋)というのが本音である。 1996年の普天間飛行場の返還合意から実に17年。さらにこの先、移設まで約10年の歳月を要する。しかも普天間飛行場の運用を5年以内に停止するという点について、米政府は作戦行動を安定的に継続できないと反対。仮に5年以内に米軍が普天間飛行場から暫定的に他の基地などに「仮住まい」する事態ともなれば、拒絶する構えだ。 普天間飛行場が移設されるまでの間に地域情勢は急速に変化し、技術革新による装備の更新・近代化も進む。米政府はとりわけ、中国の海洋覇権拡大と装備の更新・近代化のスピードや、朝鮮半島情勢の不安定化を憂慮している。 このため「前線基地である普天間飛行場の移設をこれ以上長引かせることは、米軍再編と軍事情勢の観点から許されない」(同筋)という認識は強い。 一方で米政府は、日本政府が今月閣議決定した、中国の海洋覇権への対応を打ち出した国家安全保障戦略と防衛計画の大綱、中期防衛力整備計画を、日米同盟の強化に貢献すると評価。加えて、米政府には集団的自衛権行使容認への期待が強い。日米同盟の強化と、米軍のアジア・太平洋地域における再均衡戦略にとり、有効に作用すると認識しているためだ。 だが、安倍首相の靖国神社参拝は、行使容認や日米韓同盟の強化の動きに水を差すものだと映る。米政府は、参拝は中韓の反発を招き、地域の緊張を高めると懸念。対中国・北朝鮮をにらんだ日米韓の連携にも響きかねない。米政府がバイデン副大統領などを通じて参拝の「自制」を求め、後に「失望」を表明したのもこのためだ。米政府筋は「安倍首相は自分で自分の首を絞めた」とみている。
2013.12.29
それは そうかも 知れない。しかし、何故 世界史の進化を志向しない。
2013.12.28
2013年12月27日 22:59 哲学を別の言い方したら「求道」ですね?そうすると、哲学者は求道者となる訳ですが、どう思われますか?自分の哲学は趣味だとか遊びだというかたはいらっしゃっても良い訳ですけどね…。ちょっと違うのでは、 哲学は 真智恵への愛であり、 求道より 広いとも言えますね。求道とは、 人間として生きる道 を求めるでは?
2013.12.28
2013年12月27日 23:00 どちらが真理でしょうか?『目の前のたった一人の犠牲で千人、万人が助かる』と、いう状況です。一人の犠牲で千人、万人が助かるのなら、その一人を犠牲にするのが大局的な考えである。目の前のたった一人を助けられない者が、千人、万人を助けようなどと言うのはおこがましい。非常に深い2択だと思います。個人的には『卵が先か、鶏が先か』並みです。皆さんはどちらですか?まず、最初は 必ずしも真ならず、 第2も真とは 云えないですね。 場合、場合により、簡単では ないですね。
2013.12.28
2013年12月27日 23:00 クラスには、冗談を言う人、真面目な人、知らないのに先生の質問に手を上げて答えようとする人(指名されて、自分で手を上げて、分かりません答える)、頭の良い人、悪い人、スポーツの得意な人、苦手な人、優しい人、イジメをする人、恐い人、何でこんなに色々な人が、色々なことをやっているのですか?そのとおりですね。 生物の原理に 多様性の原理が 働いているからですね。 多様性が 社会、世界を大きくさせており、 それが、 人間存在の原理ですね。
2013.12.28
2013年12月27日 23:02 なぜ?「たとえ世界の終末が明日であっても、自分は今日リンゴの木を植える」「たとえ世界の終末が明日であっても、自分は今日リンゴの木を植える」ゲオルギウ「第二のチャンス」の中で、ルターの言葉として語られた台詞のようです。一体なぜそうしようと思うのでしょうか。あるいはなぜそうすべきだと思うのでしょうか。この名言に共感された皆様、ぜひこの言葉に関する皆様自身の解釈を教えて下さい。結局、 人生で、しなければならないことが、 不明だということですね。 対応は、 人それぞれでは。 多くは 家族や、恋人と一緒にいたい等では?人間の原理に、共感、共鳴が有るからですね。
2013.12.28
2013年12月27日 23:04 どうして平和を学ばなきゃいけないのでしょうか。小学6年女子です。私は、国語の授業で『平和』について学習していて、作文を書く事になりました。作文には、平和とは何か、平和を実現するためにできることを書く事になっています。周りの生徒は、戦争がないことや、いじめがないこと、十分な生活ができること、などの「形」での平和について作文を書き、そのために自分は身近の人との関わりを大切にする、食事に感謝するなどの考えを発表をしていました。でも、私はそんなの誰でもできるような当たり前のことだなぁと思います。そう言う人に限っておかしいなと思う行動をたくさんしています。そして、「平和について考えてみてください」という大人たちも、平和と何も繋がらないことばかり考えてると思います。平和とか、幸 せとか言うなら虐待問題、少子化問題、地球温暖化。。。そういうのどうにかしろよって思います。地球温暖化進めてるのは、私たち人間です。子供産まないのは、私たち人間です。変な教育してぐれた子供作るのは私たち人間です。そんな人間がなぜ偉そうに、平和が一番などと言っているのでしょうか。私は、考え方を変える。行動をする、という考えを言い、何もしないのはおかしいと思います。だから、作文なんて書きたくないのですが、そんなこと言えば結局私は、何もなかったことになってしまいます。私は、無責任なのかもしれません。人嫌いなのかもしれません。作文になんて書けばいいのでしょうか。回答よろしくお願いします。少し、歴史を学び、戦争が如何なるものかを 知れば、 平和の尊さを知るのでは。 おrかな、軍事費にお金をかけて、 苦しい生活の方が 良いでしょうか。普通は、 殺し合いは したくないのでは?
2013.12.28
2013年12月27日 23:05 人類の平和のために提案します。沢山の種類の認知バイアスがあることがわかっているわけですが、1つ新しく付け加えましょう。『正義の見方・バイアス』です。 無意識にうちに自分は正義に味方だと思い込んでしまい,無意識のうちに、ひとを悪者だと思い込んでしまい、人を悪者扱いする人間の困った頭のはたらこのことです。このことを頭に置いておくようにすると、人類の平和の役に立つのではないでしょうか?素晴らしい、それは本当ですね。 疑っている外国でも 同じような人が いて、同じように考えて、 暮らしていますね。 どこでも 同じように人が 考え、平和を望んでいますね。
2013.12.28
2013年12月27日 23:07 私だけでしょうか。先日、彼の実家へ行ったときの話です。外食に行くということで、彼の母が運転する車に乗りました。運転席には彼の母、助手席には彼の父、後部座席に彼と私がそれぞれ座りました。乗り込む際、「すみません、お願いします。」と一言伝えてから乗りました。これまで、私は身内以外の車に乗る際は必ず、この言葉を伝えていました。ですが、彼の父が鼻で笑うかのように、「お願いしますって。タクシーかよ。」と。私は今まで“礼儀”として、乗る際は「お願いします」、降りる際は「ありがとうございました」と、伝えていたのですが、彼の父の言葉で私は間違ったことをしてきたのだと、恥ずかしくなりました。みなさんは車に乗り降りする際、どのような言葉をかけているのでしょうか?貴方の行為は 礼儀正しい 立派な美しい行いですね。素晴らしい人です。 場違いの場合は、軽くですね。 お気持ちだけでも 十分と考えましょう。
2013.12.28
2013年12月27日 23:10 悪いことして反省文を書かされたんですけどガラス割ったぐらいで原稿用紙2枚分も書けるか???つまらないことで、大げさですね。
2013.12.28
2013年12月27日 23:13ヒットラーは選挙で選ばれたのでは?ヒットラーって悪者なのですか?なぜですか?元々選挙で選ばれたのではないですか?戦争に負けたから悪者としないと収まらない政治的配慮でしょうか?日本の戦犯みたいなものですか、日本の戦犯は日本人にとって尊敬すべき英雄だと思います。日本に核爆弾を落とした米大統領は悪者ですか?フセインは悪者ですか? ヒットラーは やってはいけない、ユダヤ人虐殺などをしましたので、 選ばれたとしても 大きな 罪を犯していますね。 日本に核爆弾を落とした米大統領は、 非戦闘の大量虐殺を、敗戦まじかの国に対して行い、同じく、大罪ですね。世界史は そうやがて判断するでしょう。日本の戦犯者は、法には反しておらず、 罪びとでは 無くて、 敗戦の責任者たちですね。
2013.12.28
2013年12月27日 23:20 核武装外交についてもはや、核武装も 軍事増大も 意味が無いのでは。 単なる脅かし道具で、 賢明に判断すれば、 時代遅れでは。 膨大な経費をかけるより、平和攻勢を それらの資金を 世界で展開した方が 有効では。 インターネットや、観光、国際交流、教育などですね。
2013.12.28
2013年12月27日 23:22 日本の国際化を!留学生倍増、大学2言語 ・春秋入学体制へ! 100の行動50 文部科学4大きな提案であるが、基本的に 諒であると 賛成したい
2013.12.28
2013年12月28日 7:49 「多様で丁寧な」を目指す大学入試改革とは?――何が必要で可能なのか 大学入試は 教育の在り様に大きな影響を与えるので、 真剣に、賢明な在り様を検討して頂きたい。 入試の簡素化と 外国の例の参考は 良いのでは? ポルトガルの 大学入試には 大いに参考になるのでは。
2013.12.28
2013年12月26日 23:28 「正義・邪義・善・悪」…の続きです。宇宙の法を理解できなくても・知らなくても世界は美しい。そこには宇宙の法の中で生きることで生命体は世界の美に貢献している事実がある。他の生命体と同様に、人間も世界の美に貢献するためには宇宙の法のなかで懸命に生きることが正しいと導かれる。これに異論はあるだろうか?すなわち、法は宇宙を貫く法。正義は人間が他の生き物と同様に世界の美に貢献する大道。正義の大道を外れる営みは邪義であり、それでは宇宙の法にそぐわなくなる。私たち生物は元々は親兄弟であったかも知れない他の生物を殺して食って生きて良い。ここで重要なのは知恵ある者は正義の目的を知ることであり、正義の目的は世界の美であり、殺す行為を正当化するものでない。殺す行為を正義の目的とするとき、世界中の生命体を殺しつくすことが正義とされてしまって、地球を生命体が住めない死の星に変える思想を正義としてしまう。その思想の先にオームのサリン事件が起きたのであり、そのことが理解できればオームのサリン事件を招いた責任はオームだけに止まるものではないと導かれる訳で す。正義を宣揚せず、あまつさえ邪義を煽った思想家・政治家・法律家・宗教家たちに責任がない等とどうして言えようか。しかるに愚かなオームの民たちだけを責めるのでは余りにも愚かであり、それでは世界を破滅へ導く邪道の歩みと言うしかない。即ち、正義は人類が決して踏み外してならない基準と結論づけられる。善悪は人間同士が幸せに暮らすための約束ごとのベースに置くもの。他の生き物のどこまでを仲間・家族と見做すかの判断は人間に委ねられる。現時点での人間同士は家族として殺してはならないというのが時代の潮流になっているが、それでも已むを得なければ人間を食って生き延びることは正義に適っている訳で、但し、殺人は大善でなく、小善でもなく、殺人は大悪であるとして私たちは道理に暗くとも過去に得た知識・知恵が殺人を悪(にく)ませるのではないだろうか。善く生きることで家族は和やかに暮らせるし、善政で社会には平和で穏やかな人々の心が満ちていき、争うよりは楽しいほうが誰しも望みな訳ですし、無法よりは遵法のほうが居心地は良いから、その居心地の好い生活を捨ててまで 誰が罪は犯そうとするものか…と導かれる訳です。すなわち、政治家の質の高さが求められる所以ではないだろうか。どなたも、ご意見を戴けると嬉しいです。まずは、次のように考えたい: 再生核研究所声明 129 (2013.8.28): 美しい社会はどうしたら出来るか ― 世の中なぜ上手く行かないか(2013.8.22零時頃 新しい声明案が湧き、大いに気に成る。良い社会を築く問題点である。) 再生核研究所は 今の世の中 おかしいのではないか として、美しい社会を築くにはどうしたら良いかと考察し、始めに再生核研究所声明1で 次のように述べている:(最近の世相として、不景気・政界・財界・官界・大学の不振、教育の混迷、さらにニューヨークのテロ事件、アフガン紛争、パレスチナ問題と心痛めることが多いことです.どうしたら美しい社会を築けるでしょうか。一年半も前に纏めた次の手記はそれらのすべての解決の基礎になると思いますが、如何でしょうか。平成12年9月21日早朝、公正とは何かについて次のような考えがひらめいて目を覚ました。1) 法律、規則、慣習、約束に合っているか。2) 逆の立場に立ってみてそれは受け入れられるか。3) それはみんなに受け入れられるか。 4) それは安定的に実現可能か。これらの「公正の判定条件」の視点から一つの行為を確認して諒となれば、それは公正といえる。現在、社会の規範が混乱し、不透明になっているように思うが、公正の原則を確認して、行動していけば ―― これは容易なことではないが ―― 世の中ははるかに明るくなり、多くの混乱は少なくなると思いますが如何でしょうか。) そこで、上記 閃きにしたがって逆の立場から、考察、補充して置きたい。まず、大きな権力と影響を与える政治家の立場から、考察しよう。政治家は地位を得るのに汲々として、公正な行為がとれない本質的な問題を抱えているのが、民主主義の制度ではないだろうか。絶えず、地位が侵される立場であるから、まずは、自己の立場、権力の維持、したがって自分と仲間の視点を重視せざるを得ないのは、深刻な 当然の、本質的な問題である。古くは論功賞、ご恩と奉公はそれらの基礎である。民主主義には選挙過程と政治家の地位保存で膨大な労力を費やし、公正の原則や在るべき政策以前で終わってしまうような状況が有るのではないだろうか。安定した王政や貴族政、世襲制の方が良いという面が多いのではないだろうか。将来の大きな問題として提起しておきたい。次も参照: 再生核研究所声明 33:民主主義と衆愚政治 権力者が、在るべき社会の在りようを無視して、狭い意味での自己の利益を優先させる事である。明治初期には 国家の指導者たちが、相当に公や国家を論じて、義を重んじ 常に公を心にした高い志が 日本国の輝かしい時代を築いた原動力ではなかったかと評価、追想される。それは政治家ばかりではなく、大学や学会などその他至る所でも 公の地位を利用して、自己の都合の良いように行うのは 世界的に見られる恥ずべき現象である。公の立場と個人的な利益の混同は 常に批判して、何時も人格の高潔さに思いを致すべきである。政治的な面は、お金と権力に結び付き易いから、政治性に興味を抱く者、政治家などでは、始めから いわゆる野心家がいて、自己の利益追求を考えている者が多い現実に注目して 新しい制度の在りようの検討とともに大いに警戒すべきである(再生核研究所声明 52: 政治家や組織の代表者の選出における留意事項)参照。公正と正義となれば、それらを守らせるのが、裁判官、検事などの役割で 国家の基本であるから、それらに圧力を掛けたり、また圧力に屈していると見られるようでは 共に卑劣、言語同断 それこそ、昔の武士道では切腹者である。公正な真実の報道を魂とし、社会正義を志すマスコミ関係者も同じように聖職者であり、同じような厳しさが求められるのは 当然である。日本では、大事な、政治家、司法関係者、マスコミ関係者、多くの権力者たちが上記、公の立場をないがしろにして、自己の利益を図ったり、あるいは圧力に屈しているように見えるのが、当初に述べているおかしな社会にならしめている 元凶ではないだろうか。そこで、再び公正の原則を確認して、公の立場に従って行動できるように、行動させるようにお互いに自戒して行くように心掛けたい。それが帰するところ、美しい社会の実現の第1歩、基礎であると考える。そこで、モラルの面で、いわゆる社会の上層部、指導者たちが高い学歴を有しているのは 普通であるが、いわゆる中国の科挙制度が おかしな、厳しい試験制度を永く続けたため、その制度の弊害で良き人材が現れず、中国が衰退の道を歩んだとの説もあるが、日本でも知識偏重で 人物たる教育の面が疎かになっているようなことはないか と大いに気に成る。それは 頭ばかりが大きくて 心が貧しいと表現されるだろう。 以 上 追記: 稲村和夫氏 などを 全国紙の論説主幹などに登用できる文化力が日本に有れば、日本は どんなに素晴らしい国になるだろう。人材の登用がおかしいのでは? 2013.8.24.10:45 2013.8.22.14:50 半分くらい書く、当たり前、うまくできるだろうか。2013.8.22.15:45 一応の文章になる、そのうち形が整い、実が入るのでは?2013.8.22.17:35 少し、形になる。2013.8.22.18.10 結構良い。2013.8.23.09:05 良い。2013.8.23.12:45 結構良い。2013.8.23.17:15 最後の文が独りでに加えられる。2013.8.24.09:25 立場による利害について、気になる。2013.8.24.10:45 美しいアヴェイロの入り江を眺めて、追記、挿入の考えが湧く。2013.8.24.15:00 さらに、追記、修正。2013.8.24。18:20 良い。公表 日付けを入れる。2013.8.25.08:45 良いのでは。2013.8.25.13:252013.8.25.17:30 少し、追記、考えが湧くもの。2013.8.25.17:502013.8.26.08:10 良い。2013.8.26.11:002013.8.26.17:40 良い、完成できる。2013.8.27.08:40 良い、言い回しに修正あり。2013.8.27.09:20 完成、公表。
2013.12.27
2013年12月26日 23:29 道徳の授業が全くわかりません……中学生女子です。小学生の時からそうだったんですが、道徳の授業がいつも分からなくなってしてしまいます。例えば、Aさんはどういう気持ちになると思いますか。とか、この人はどのような行動に出ればよかったですか。などの質問があります。時間ぎりぎりまで考えるんですが、どの文章を読んでも全く分かりません。思いついた答えを書いても批判されたり、提出した道徳のプリントの先生のコメントはいつも[?]とか[何故そう思ったのですか]と帰ってきます。どうしたら上手な回答ができますか?次を参考にすれば、大抵解決できるのでは? 再生核研究所声明 129 (2013.8.28): 美しい社会はどうしたら出来るか ― 世の中なぜ上手く行かないか(2013.8.22零時頃 新しい声明案が湧き、大いに気に成る。良い社会を築く問題点である。) 再生核研究所は 今の世の中 おかしいのではないか として、美しい社会を築くにはどうしたら良いかと考察し、始めに再生核研究所声明1で 次のように述べている:(最近の世相として、不景気・政界・財界・官界・大学の不振、教育の混迷、さらにニューヨークのテロ事件、アフガン紛争、パレスチナ問題と心痛めることが多いことです.どうしたら美しい社会を築けるでしょうか。一年半も前に纏めた次の手記はそれらのすべての解決の基礎になると思いますが、如何でしょうか。平成12年9月21日早朝、公正とは何かについて次のような考えがひらめいて目を覚ました。1) 法律、規則、慣習、約束に合っているか。2) 逆の立場に立ってみてそれは受け入れられるか。3) それはみんなに受け入れられるか。 4) それは安定的に実現可能か。これらの「公正の判定条件」の視点から一つの行為を確認して諒となれば、それは公正といえる。現在、社会の規範が混乱し、不透明になっているように思うが、公正の原則を確認して、行動していけば ―― これは容易なことではないが ―― 世の中ははるかに明るくなり、多くの混乱は少なくなると思いますが如何でしょうか。) そこで、上記 閃きにしたがって逆の立場から、考察、補充して置きたい。まず、大きな権力と影響を与える政治家の立場から、考察しよう。政治家は地位を得るのに汲々として、公正な行為がとれない本質的な問題を抱えているのが、民主主義の制度ではないだろうか。絶えず、地位が侵される立場であるから、まずは、自己の立場、権力の維持、したがって自分と仲間の視点を重視せざるを得ないのは、深刻な 当然の、本質的な問題である。古くは論功賞、ご恩と奉公はそれらの基礎である。民主主義には選挙過程と政治家の地位保存で膨大な労力を費やし、公正の原則や在るべき政策以前で終わってしまうような状況が有るのではないだろうか。安定した王政や貴族政、世襲制の方が良いという面が多いのではないだろうか。将来の大きな問題として提起しておきたい。次も参照: 再生核研究所声明 33:民主主義と衆愚政治 権力者が、在るべき社会の在りようを無視して、狭い意味での自己の利益を優先させる事である。明治初期には 国家の指導者たちが、相当に公や国家を論じて、義を重んじ 常に公を心にした高い志が 日本国の輝かしい時代を築いた原動力ではなかったかと評価、追想される。それは政治家ばかりではなく、大学や学会などその他至る所でも 公の地位を利用して、自己の都合の良いように行うのは 世界的に見られる恥ずべき現象である。公の立場と個人的な利益の混同は 常に批判して、何時も人格の高潔さに思いを致すべきである。政治的な面は、お金と権力に結び付き易いから、政治性に興味を抱く者、政治家などでは、始めから いわゆる野心家がいて、自己の利益追求を考えている者が多い現実に注目して 新しい制度の在りようの検討とともに大いに警戒すべきである(再生核研究所声明 52: 政治家や組織の代表者の選出における留意事項)参照。公正と正義となれば、それらを守らせるのが、裁判官、検事などの役割で 国家の基本であるから、それらに圧力を掛けたり、また圧力に屈していると見られるようでは 共に卑劣、言語同断 それこそ、昔の武士道では切腹者である。公正な真実の報道を魂とし、社会正義を志すマスコミ関係者も同じように聖職者であり、同じような厳しさが求められるのは 当然である。日本では、大事な、政治家、司法関係者、マスコミ関係者、多くの権力者たちが上記、公の立場をないがしろにして、自己の利益を図ったり、あるいは圧力に屈しているように見えるのが、当初に述べているおかしな社会にならしめている 元凶ではないだろうか。そこで、再び公正の原則を確認して、公の立場に従って行動できるように、行動させるようにお互いに自戒して行くように心掛けたい。それが帰するところ、美しい社会の実現の第1歩、基礎であると考える。そこで、モラルの面で、いわゆる社会の上層部、指導者たちが高い学歴を有しているのは 普通であるが、いわゆる中国の科挙制度が おかしな、厳しい試験制度を永く続けたため、その制度の弊害で良き人材が現れず、中国が衰退の道を歩んだとの説もあるが、日本でも知識偏重で 人物たる教育の面が疎かになっているようなことはないか と大いに気に成る。それは 頭ばかりが大きくて 心が貧しいと表現されるだろう。 以 上 追記: 稲村和夫氏 などを 全国紙の論説主幹などに登用できる文化力が日本に有れば、日本は どんなに素晴らしい国になるだろう。人材の登用がおかしいのでは? 2013.8.24.10:45 2013.8.22.14:50 半分くらい書く、当たり前、うまくできるだろうか。2013.8.22.15:45 一応の文章になる、そのうち形が整い、実が入るのでは?2013.8.22.17:35 少し、形になる。2013.8.22.18.10 結構良い。2013.8.23.09:05 良い。2013.8.23.12:45 結構良い。2013.8.23.17:15 最後の文が独りでに加えられる。2013.8.24.09:25 立場による利害について、気になる。2013.8.24.10:45 美しいアヴェイロの入り江を眺めて、追記、挿入の考えが湧く。2013.8.24.15:00 さらに、追記、修正。2013.8.24。18:20 良い。公表 日付けを入れる。2013.8.25.08:45 良いのでは。2013.8.25.13:252013.8.25.17:30 少し、追記、考えが湧くもの。2013.8.25.17:502013.8.26.08:10 良い。2013.8.26.11:002013.8.26.17:40 良い、完成できる。2013.8.27.08:40 良い、言い回しに修正あり。2013.8.27.09:20 完成、公表。
2013.12.27
2013年12月26日 23:31 この世のすべては必然の連続ですよね?「神はサイコロを振らない」アインシュタインの有名な言葉です。アインシュタインがどういう意味で言ったか調べた事ないので知らないですが、自分なりの解釈だと多分確率論(偶然)を論破(否定)しているんですよね。"偶然に左右されることなんて無く、全ては必然で起こっている"とね。サイの目ですらサイコロを振った力や落ちた場所などで必然的に決まります。それを計算出来ないからサイコロは何が出るか分からず偶然だと人は思い込むだけ。神だったら狙ったサイの目を必然的に出すことが出来ます。必然になる理由が理解できないだけです。偶然や確率などは知識がない人の言い訳にしか過ぎないです。宇宙に地球が誕生したのも地球に人類が生まれたのだって必然だと思います。私やこの質問を呼んでる人が生まれたのだってそうです。偶然の連続でこの世ができているのではなく、必然の連続でこの世ができています。それは何者かによってプログラムされているように必然なんです。あと勘違いしてほしくないのは、物事は必然があって後付で理由がある訳ではなくて理由があって必然があるって事。(人の場合だと結果を見てから理由を考える事が多いですがね)"必然(理由)→必然(理由)→必然(理由)"全ての始まりからこれをループさせてきています。ただ、始まりだけは分からない。理由がなく物事が起こるなんてありえるとは思えない。宇宙の誕生(ビッグバン)が全ての始まりか知らないですが、ビッグバンにも必然的な理由があってビッグバンより前があったとしても、一番最初の始まりはPCの電源を入れるように神が何かのスイッチを押したんだと考えるしか解決方法ないですね。貴方はどう思いますか?それは 難しいですね。 何か見えない大きなものに動かされているようですね。再生核研究所声明 122 (2013.8.1): 神の存在と究極の信仰 - 人間よ 想い煩うことはない。 神は存在して、一切の存在と非存在を しっかりと支えられておられる、 人は必要なときに必要なだけ、 念じるだけで良い。 (2013.7.29.7時半、光り輝く 入り江の美しさに 感銘を受けながら、研究室に向っているとき、声明の原案が電光のように閃いた) 数学とは何か ― 数学と人間について国際数理科学協会会報、No. 81/2012.5, 7―15 説明: http://www.jams.or.jp/small-ball.gif No.81, May 2012(pdf 432kb) に公刊したが、その第8節に、ここで、神の定義と神の存在証明ができそうであるが、未だ不十分である と述べている。それ以降も考察は自然に無意識の中でも進んでいたのであるが、究極の信仰:2013.7.27: 7時前ころ、ひらめいた直観である:神は存在し、 存在も、非存在も しっかりと支えておられる。 人間は想い患うことはない。 ただ、必要な時に 一心に念じれば良い。との直観が湧き、上記のように声明に纏める事とした。 これは数学の研究で、永い考察を行なっていたものが ちょっと違った方向から 突然直観的に完全な解に達した時のような、現象である。今回のは 反例の発見や、不可能の証明に近いと言える。 そもそも神とは何だろうか、人間とは何だろうか。 動物たちが美しい月をぼんやりと眺めている。 意識はもうろうとしていて、ほんにぼんやりとしか とらえられない。 自らの存在や、ものごとの存在すら明瞭ではない。人間も、殆ど 同じような存在ではないだろうか。 人類よ、人間の能力など 殆ど動物たちと変わらず、 ぼんやりと世界を眺めているような存在ではないだろうか。 神も、一切の存在も観えず、ただかすかに感じているような存在である。 それゆえに、人間は あらゆる生物たちのレべルに戻って 生物たちから学び、 また原始人に戻って、また子供たちのように 存在すれば 良いと言えるのではないだろうか。 - このような精神は、悟りへの道にも通じると考えられる (再生核研究所声明 118: 馬鹿馬鹿しい人生、命失う者は 幸いである、 と言える面もある ― 再生核研究所声明 19 : 超越への道、悟りへの道 をおし進めると ―)。 またこのような精神は、ヨーロッパで 4年以上暮らし、4年2か月、キリスト教の強い影響で目覚めた心情で、 尊敬する仏教の発想から出たものではないと言える。 しかしながら、ここで述べられた精神は あらゆる神と宗教と信仰の 共通の核心 であると考えられる。本声明は、生きとし生けるもの、命あるものの 究極の救済 を求めているものである。 また、人は必要なときに必要なだけ については 再生核研究所声明85: 食欲から人間を考える ― 飽きること を参照。本声明は 宗教の統一 を成し遂げたものであると言える。 以 上2013.7.29.08:352013.7.29.11:202013.7.29.11:452013,7.29.13:302013.7.29.15:10再生核研究所は、跪くことによって 神を捉えることが出来た と言える。2013.7.29.16:45 最後の文はどうか??いきとしいけるもの【生きとし生けるもの】の意味 - 国語辞書 - goo辞書dictionary.goo.ne.jp› 国語辞書Traduzir esta p?ginaいきとしいけるもの【生きとし生けるもの】とは。意味や解説。[連語]《「と」「し」は強めの助詞》この世に生きているすべてのもの。あらゆる生物。→生(い)ける - goo辞書は国語、英和、和英、中国語、百科事典等からまとめて探せる辞書検索サービスです。2013.7.29.17:302013.7.29.18:102013.7.30.08:302013.7.30.11:352013.7.30.13:152013.7.30.13:30 最後の文が 独りでに閃く2013.7.30.15:20 良い。2013.7.30.16:152013.7.30.18:30 素直に心情が表現されているか? ならば良い。2013.7.30。19:002013.7.31.08:40 再生核研究所は 跪くことによって、神を直観し、世界の宗教を統一していると言える。2013.7.31.08:55 完成、公表
2013.12.27
2013年12月26日 23:35 安倍首相、米の意向無視…参拝前に自制要請あった 米政府当局者は26日、安倍晋三首相の靖国神社参拝について、オバマ米政権が「中韓両国の反発を招き、大きな国際問題になる」として、外交ルートを通じて首相に参拝を控えるよう求めていたことを明らかにした。米側の意向が無視された格好で米政府声明も「遺憾」などではなく、より批判的なトーンの「失望」を選んだとしている。 靖国参拝をめぐる日米間の温度差が浮き彫りになった。中韓との関係だけでなく、今後の日米関係にも影を落とすことになりそうだ。(共同)アメリカの意向の 無視は 日本にとって、良いことは無いのでは。 道理として、 靖国神社参拝は 分かりますが、対外的な影響も考慮すべきでは?: 1.5 再生核研究所声明 5(2007/4/8): 靖国神社問題に対する提案:2009-02-05 08:09:25 | Weblog戦後、60年以上も経た現在においても、機会あるごとに靖国神社問題が取り上げられ、多くの議論が繰り返えされているのは、極めて残念なことである。これでは日本が論理的な思考能力が足りないと言われても仕方がないと考える。声明1の 「公正の原則」 に従ってあるべき姿を提案したい。1) 先ず、近代に確立した, また確立されなければならない 「政治と宗教の分離の原則」 に 厳格に従うべきであり、よって公人としての参拝は厳格に禁止されるべきである。また同時に 靖国神社に対する国の政策による活動及び補助も当然禁止されるべきである。2) しかし、国や社会を良くしようと考える公人たる者が 国の為に殉じた人達に敬意を表わしたいと考えるのは極めて自然であるから、私人としての参拝はこれを禁じるべきではなく、参拝に当たっては個人の立場である事を明確にすること。さらに、戦争で傷ついた諸外国の人たちの心情を察し、これらは慎ましく行い、マスコミなどは双方の気持ちを汲んで 報道に当たっては慎重に扱うように期待したい。3) 靖国神社の宗教法人としての自主性を重んじ、神社は法人としての責任で運営されるが、法人としての神社は 戦死者を祭っている事に鑑み、常に祭られている人やそのご遺族の方々の心情と国民の意思を最大限に尊重していく事が望まれる。しかし、法人は一法人であり、その法人が運営する宗教に対する個人の対応は 全く個人の自由であり、靖国問題は一法人と個人の自由な関係と捉えよう。4) 3)の観点で、特に所謂戦犯についての合祀については これを疑問視する考えが諸外国ばかりではなく、日本人の間でも起きることは 日本人の心情と日本の歴史に基づいても理解される。戦いを指揮した者は敗戦に至った場合には責任を果して来ていると考えられる。さもなければ、その指揮下で亡くなった者の立場はどのようになるでしょうか。従って、この点については神社の検討の余地があると考える。-- しかし、戦犯とよばれる人たちも同じ犠牲者であるという立場にも正当性があると考えるが、この点については、国民と被害を受けた諸外国の人々の心情に よく配慮する必要があると考える。5) 第2次世界大戦について、十分な反省と謝罪の気持ちを表明していき、もろもろの各論的な問題についての無用な繰り返しやぶりかえしをせず、明るい未来の友好親善の視点を強めていくように努力していくことが望まれる。特に 多くの戦争はどちらが悪いかの問題ではなく、戦争そのものが悪であり、双方に悲惨な状況を生み出していくものと考えて行きたい。6) 戦死者のご遺族の方々は 上記第1―2項についてご不満の念を抱かれるのではないかと考えます。 そこで、日本国の首相は新年に当たって伊勢神宮を参拝するという美しい伝統を持っているのに鑑み、同じように靖国神社を参拝するような伝統を自然な形で作られたら如何でしょうか。ご提案致します。 以 上
2013.12.27
2013年12月27日 4:20 エントロピー増大の法則は絶対か?物理学の世界では ある孤立系(閉鎖系)で外からエネルギーなどが加わらなければ宇宙の法則として、秩序は失われて行き 全ては崩壊し最後は最も劣化した熱だけになって宇宙は熱死すると言われいます。 つまり秩序崩壊の法則が宇宙の真理だというのですそれに対して 複雑系はエントロピーを減少させる とも言われますどうでしょう 祇園精舎の鐘の声 全ては崩壊して春の夜の夢の如しと言う滅びの美学が真実か?それとも太陽系に奇跡的に生まれた地球の生命、そして人間がその例外を生み出すか?貴方の経験上 思索上 どうですか 最後は滅びでしょうか それとも新しい可能性が生まれるのか?出来れば簡単に 思うところを教えてくだ さるとありがたいです。基本的に、物理の法則は そのような法則で 動いて行きますが、 生命の作用は そのように}なっていないという面白い現象が有りますね。生命活動と物質は性質、法則が 違いますね。
2013.12.27
2013年12月27日 4:21 物質・エネルギーと性質は独立しているか?属性といわれる性質ですが 性質は真理に基づいて働いています。性質でググッてもあまりに説明が少ない 本質が書いてない誰か性質の名誉の為に 性質の独立を語ってください反対意見もどうぞ性質は心を成し、精神・我も性質で出来ていると考えます。私は。金も銀も 物質で エネルギーに結びつきますが、 性質は異なり、 性質は相当に 明確なものが有りますね。 よって 独立では無いですね。
2013.12.27
2013年12月27日 4:22 学問は人を豊かにするのか?学問にそんな力はあると思いますか?勉強をし知識を蓄える。見聞が広がり人生が豊かになる。果たしてそうでしょうか?識字率を高めて国は豊かになったかもしれませんが、犯罪が減ったでしょうか?差別が減ったでしょうか?逆に勉強をし知識を蓄えたという自負から、人を見下す心が発生していないでしょうか?職業に貴賎はなしと言われ、どのような仕事も社会に必要とされているものであるとされていましたが、学問を究めた方ほど職業に優劣をつける傾向にある。アカデミックハラスメントというものあります。学問を究めた教授や教職員がその権力を濫用して学生や配下の教員に対して行う様々な嫌がらせ行為ですね。昨今ゆとり教育への不 満から、ゆとりだからダメだとか申す者も現れている。「ゆとりだからダメ」という論拠には、学問は人格形成に役立つと盲目的に信じているのではないのか?しかしながら上記の事例を見る限り、学問に人を豊かにする力は備わっていないように思うのです。学問に人を豊かにする力はあるのでしょうか?この質問は純粋な疑問であり、勉強をすることを否定しているのではありません。学問とは何か、 豊かさとは何かを はっきりさせなければ、 明確な議論はできませんね。 しかし、一般には、学問は、知識を広め、視野を広め 世界を広めますので、 これらを求めるのは、}人間の本能に属すると考えられます。 幸せや、 人物を育てるとは 直接は 結びつかないのでは?
2013.12.27
2013年12月27日 4:25 愚かな議論を終結させる最良の方法は何か。イエス・キリストについて、聖書について愚かな議論が繰り返されてきた。愚かな議論を終結させる最良の方法は何か。それはあなた方の行っている議論は愚かであると述べることではありません。その愚かな議論を更に推し進めることである。そしてその愚かな議論や考えを推し進め途方もなく愚かな領域に至らしめるのである。するとある時点にて人間がこれ以上愚かには成り得ない極限の愚かさに至るのである。そのとき深い沈黙が訪れ、これまで愚かな議論を続けてきた者は自ら哀れを感じるよーになる。そしてこれまで延々と続いてきた愚かな議論は静かに消えてゆくのである。愚かな議論を終結させる最良の方法、これ以外あるまい。 人それぞれで 場合、場合によりますね。 押しつけは 良くないのでは。 相手を見て、ですね。
2013.12.27
2013年12月27日 4:26 学校で飼っているウサギを逃がしたらいけない理由を教えて下さい。檻に入っているウサギを自由にしてあげたいです。相当恵まれた環境で無ければ、 自由にさせれば、 生きてはいけないのでは。 みんなで 大事に育てた方が、 良いのでは?
2013.12.27
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