全336件 (336件中 1-50件目)
2013年10月31日 7:51俺の考えでは神が存在すると言う人は頭が悪いか特殊な知的欠陥を持っているか気が狂っているか嘘をついているかいづれかなのですが、 百歩譲って神を信じたい気持ちの人を認めるにしても、特定の宗教の信者になる人が理解できません。神を信じるだけで十分であって、なにもキリスト教などに入信する必要はないじゃないか。宇宙を創造したほどのお方が特定の宗教の信者だけを救うような狭量なことをするだろうか?貴方の気持は良く分ります。次の考えに近いですね。 ただ、 いろいろと参考に したり、勉強は良いのでは?再生核研究所声明 132 (2013.9.10): 神を如何に感じるか - 神を如何に観るか (2013.9.5.6:50 まだ 薄暗い中、研究室に向っているとき、神を如何に感じるか という、 新しい声明の原案が閃いた。) 神の問題を 直接 再生核研究所声明122 でとりあげ、述べたのであるが、それらは、意識を越えて ひとりでに述べられたと言えよう。そこで、気づいて、改めて感じたのが上記のようにである。表現を試みたい。まず、上記声明で大事なことは 神の定義を 厳格に与えたということである。― 神は存在し、一切の存在と非存在を しっかりと支えておられる存在で、 永遠や無限や愛のように 我々の想像上に存在し、信仰によって観える。 ― 極めて良い たとえ がある。よくみかける 幼児キリスト を擁かれた マリア様 の像である。キリストを ユニバーサル; すべての存在と非存在と考え、マリア様を神と考えれば よい。我々の能力では 神は定かには捉えられない ― (動物たちが美しい月をぼんやりと眺めている。 意識はもうろうとしていて、ほんにぼんやりとしか とらえられない。 自らの存在や、ものごとの存在すら明瞭ではない。人間も、殆ど 同じような存在ではないだろうか。 人類よ、人間の能力など 殆ど動物たちと変わらず、 ぼんやりと世界を眺めているような 存在ではないだろうか。 神も、一切の存在も観えず、ただかすかに感じているような存在である。 声明122)大地震が世界を襲い 多くの命を奪うように、人間の都合の良い優しい神、人間を簡単に救ってくれるような いわゆる神などは存在しない (再生核研究所声明 119:冷酷な神々、自然 ― 見捨てられた人類)。しかしながら、神は、全ての存在を支えられていて、人間は想い患うことはない。 ただ、必要な時に 一心に念じれば良い。 それは古代から、あらゆる社会で 祈りの形式をとってきた、全ての宗教と 神を正確に捉えるものであると考える。 これは 世界の宗教の統一 を成し遂げているものであると言える。神を よりよく観るのは、人生の目標と言っても良い、 ― 実際、人間は、究極、神、自由、不死を求めるもの であるからである。実際、世界がより観えて、自由になり、死から解放されて 永遠のものに帰せられるは 何と素晴らしいことだろう。― 神が存在しなければ、所詮は 全ては空しく終わってしまうだろう。しかしながら、どうしたら、如何にしたらできるかが無ければ 多くの提案は 空しいものになるだろう。そこで、どうしたら について 触れておきたい。これはもちろん、人生如何に生きるかに近い、多様な近づき方が有るのは当然で、多種、多様である。個性にも、大いによると考えられる。得意なところから、触れたい: 数学とは何か ― 数学と人間について国際数理科学協会会報、No. 81/2012.5, 7―15 説明: http://www.jams.or.jp/small-ball.gif No.81, May 2012(pdf 432kb) に公刊したが、その第8節に、ここで、神の定義と神の存在の説明ができそうであるが、未だ不十分である と述べている。さらに、神の気持ち、神は2を愛し給う、神は2が 好きだとか、神は恥ずかしがりや だ とか、神のいじわる、などと述べている。他の研究では 神の思わせぶりが出ていて、堪らなく楽しいとか、神がそんなに美し過ぎる数学を作っているはずがない などと述べてきた。実際、数学と数学の研究は 神との対話のような面が有って、数学は 極めて神学に近いと言える。数学の存在そのものが ― 数学の神秘性 ― 神の存在を示しているようにもみえる。ベートーベン交響曲第9番などの美しい音楽の世界に 神を直観する者は多いのでは。美しい満天の星空を眺めていて、美しい森を歩いているとき、月光の下で、光輝く小川を眺めているとき。思えば、不思議にも修学旅行で 日本平 をみんなで歩いているとき、神がのりうつってくるような恐ろしい感覚に襲われた。芸術家の創造活動も数学の研究と同様、さらに科学の研究もみな同じようではないだろうか。生物界;生命の発生から、生体、進化いずれも神秘に満ちていて、背後に神の意志が感じられるのは多い。彫刻などにも 技術にもそのような面が出るのでは? 実際、芸でも、歌手でも、スポーツ、技術でも 神業 は世に多い。政治社会や戦場などでもいわば 義の精神が湧いてきて、神を直観する場面は多いのではないだろうか。お釈迦様も述べられているように、過酷な修行など逆に精神を萎縮させて、修行としては良い方向ではないようにみえる。あくまでも健康で、精神が溌剌として弾むような状態が良いのではないだろうか。心身 身を清めそれぞれの国で、文化を持つ 神殿などを参拝するのは もちろん大いに効果が有るのではないだろうか。大事なことは、究極には 経典や教えにあるのではなくて、全ては 各々の心の中に存在するということではないだろうか。それ故に 自分の心の世界を清め、よく治める心がけが 大事ではないだろうか。神に近づく修行には終わりは無く、無限の深さを有する 神秘の世界であると言える。しかし、適切な道を見出し、歩めれば 生き生きとした人生を送ることが出来るだろう。それは力を有する愛と希望の源だからである。 以 上 2013.9.6.15:20 中国に出かける前で 精神が集中しないので、一気に纏めてみる。一気に書いたら、結構纏まっている。直観が湧いたから。2013.9.6.16:20 結構良い、中国に出かける前に完成できるのでは。2013.9.6.17:20 カストロ教授、申請書完成版をもってくる。凄いことが書かれている。9月5日 その申請の案の作成で、早朝来た。2013.9.6.18:45 良い。2013.9.7.09:35 少し追加、しかし、本質は良い。言いたいことは十分表わされている。大きな意味のある声明である。2013.8.7.09:55 追加記入が気に成って、確認、良い。2013.9.7.12:05 良い。2013.9.7.16:10 少し良い文を挿入、公表日付けを入れる。2013.9.7.18:50 良い。2013.9.8.10:00 少し言い回し修正、2010 東京オリンピック開催決定。2013.9.8.10:55 神業の文を加える。2013.9.8.16:50 声明133の原案作成、新しい数学の結果を得る原理を発見、明日、ロドリグスに話したいと メールする。2013.9.8.18:00 良い。2013.9.9.7:45 良い、完成できる。2013.9.9.8:15 完成、公表、神がかったような 美しい日。
2013.10.31
2013年10月31日 7:53 なぜ人間は痛みを感じるように作られたのでしょう?これは簡単では。 健康を維持するため、危険を知らせるため、避けるように、気を付けるように合図している、知らせている、警報の1種ですね。
2013.10.31
2013年10月31日 7:55 よく宗教的なお話の中に、人間の本性というものに関するお話があって、人間の本性というものは全きものではあるのだけれど、その本性が曇ってしまっていて、それがために人間は人間の本性ということが分からなくなってしまって、迷いの中に生きる存在になったというような話があります。このようなお話は非常に多くの宗教にあるお話ではないかと思います。仏教の中にも人も含めた万物は「仏性」をもつというようなお話がありますし、ヒンドゥー教でも「マーヤ(迷い?)」などという言葉が出て来ます。キリスト教でも「知恵の実」を食べたので人間が罪人となり神のことが分からなくなったとうわけです。新興の宗教のお話などの中にも、人間はみな心に大きなダイヤモンドを有しているが、その心が欲でまみれているため、そのダイヤモンドが磨かれざる状態になってしまっているのだというようなお話もあるわけです。こういうようなお話全体について、あなたはどのように思いますか?私は、そのような話し、良く理解でき、共感できます。人間には、 良心や神性が有るのに 良くない環境で、 おかしく ゆがめられているという現状ですね。
2013.10.31
2013年10月31日 7:56 嘘をつくことは悪いことだと考えるのは人間の(客観的)理性でしょうか?おそらくですが、嘘をつくことはいけないことだというのは、古今東西問わずにそうみなされて来たし、親は子どもにもそう教えて来たのだと思います。(ここでいう「嘘」というのは仏教でいう方便凡の嘘のような嘘ではなく、正真正銘のウソという意味での嘘のことです)もしそうであれば、嘘をつくのは悪いことだということは、人間のいわば天来(生得的)の性質の中に組み込まれているものだと理解してよいのでしょうか。またそれは天来の「理性」であるとみなしても差し支えないとあなたは思うでしょうか?理性の客観性ということに疑念を呈される立場の人は、この件についてどう考えるのだろうか。嘘はそんなに深い問題ではなく、嘘をついても良い場合は 世に多いですね。 何が」問題かというと、信頼の問題ですね。嘘を理由もなくつけば、その人の言葉が信じてもらえないと言うことですね。しかし、場合にはその嘘が信頼を失わないで理解される場合も 世には多いですね。ですから、 場合、場合だと言うことですね。
2013.10.31
2013年10月31日 8:05 勝間勝代は「やればできる」って本書いてるけど、能力のないやつが何やっても無理なのは当たり前だろって思うよ?あの人は、なんかね・・・自分が成功者だからってちょっと「やればできる」とか言ってますけど、私みたいな底辺がみてやる気になってもしょうがないと思うですよね。まあそれを巷では、自己啓発というみたいですが、やっぱりあーいう本は頼ってはいけないと思います。大切なことは、自分軸で生きること。これだけなんすよ。他人とか気にしたり競っているレベルでは、まだまだ甘いってことです。でもね、僕たちゆとり教育の世代は、これでダメになったって言われていますがそうじゃないんですよ。競わせなかったという理由じゃなくて、礼儀とか我慢とかもうなってないし、他にも昔に比べて遊びが増えたのも要因じゃないんですかね。まあ、一概には言えないけど、、、、さておき、や ってもできないとわかってやることが非常に大事なんだと個人的に思います。だから、やってもできないと受け入れる精神で臨んでほしいです。お気持ちは 分りますね。 何でも うまくこなせる人と、上手く こなせない人は 居ますね。 人 それぞれですね。 自分に 合った様に、合った方向で、 好きなように できれば 良いですね。ただ、頑張りなさい、やれば できると 励ましたり、修行も 人生では 必要では?
2013.10.31
2013年10月30日 20:28 宮崎駿監督「平和憲法がいい」 ネット世論に危機感 (10/30 10:47)憲法9条を守る、と語る宮崎駿監督=東京都内のアトリエ憲法9条を守る、と語る宮崎駿監督=東京都内のアトリエ大賛成です。 当たり前では?日本の世相、日本おかしいのでは?
2013.10.30
2013年10月30日 20:29婚外子規定の民法改正すると家族制度がなんで崩壊するんですか?違憲判決が出たのに自民党は変えたくないらしいんですけど普通に考えて、これのほうが不倫とかの抑止力が強くなって家族制度はより強固になるとしか思わないんですが世の秩序の問題で、最高裁の判断は 問題を残しているのでは?
2013.10.30
2013年10月30日 20:31 理由はどうあれ、こう言う無差別テロは絶対に許してはいけません。ところで中国国営通信社はこの、ウイグル人と思われる人物が運転していた車が北京の天安門広場に突っ込んだ自爆テロをどこまで報道しますか? 何でも公表すれば 良いとはならないですね。 世の秩序を考えるは、 統治者として 慎重にならざるを得ないのでは?日本でも そうですね。
2013.10.30
2013年10月30日 20:34国際成人力調査で日本の平均値が高いそうですが。アメリカよりも、北欧の教育熱心な国よりも、日本人は、読解力、論理的思考力などが高いそうです。※ただし平均値。これは、明治以来の国民皆教育という行政目標を達成したという成果ではありますが、コレ自体が最終目標ではなく、日本の発展の為の手段であったはずです。一方、国力で見れば、平均学力の低いアメリカが(一部の超エリートと、多数の低レベル、識字率も低い)人口増と合わせて成長を続けています。日本のとった国民皆教育 という手段より、アメリカのような、一部の超エリートと多数の低レベル、の組み合わせの方が良かった、なんてことはあるでしょうか?自分の仕事に照らし合わせても、大規模な開発になればなるほど、上流工程での仕様策定が決定的な影響力を持ち、末端レベルでの努力ではとても改善は不可能に思います。企画の筋が悪ければ、職人ががんばっても取替えしがつかない。戦略の失敗は戦術では取り戻せないとも言いますし。WW2であれだけ強かったアメリカ軍も、頭の戦略的判断は優れていても、兵士自体は自分の名前も書けないモノも多かったとか。もう一つは、原因は分かりませんが、学歴が高くなると出生率が下がると言うことです。私の同級生でも、有名国立大学に行った人など、未婚率が高く、高卒で地元に就職した人など、早くに結婚して子沢山です。少しずつでも数が増え続けているうちは、ねずみ講だって破綻しません。日本も、昔のように、10%程度の大卒者のレベルを高くし、多数を統率させる頭にして、他は高卒で早くに結婚して子供を作り、働きありに徹する(地方で安定して暮らせる程度の収入はある)方が、現在の経済活動や国力として強いのではないでしょうか。本人達の希望や感情と言うのは、置いておいて、社会形態としての話。絶対王制化の庶民や、現在のアメリカ下流など、悲惨で嫌です。これは難しい問題ですね。 社会には いろいろな役割が 必要ですから、みんな 同じようの、平均的な考えは 良くないのでは。 それぞれ、個性を 活かせて、多様な人材を育てなければ、 大きな 健全な社会とは 言えないですね。高学歴が、 少子化を もたらしている現実が有るのでは? 多くの高学歴の女性は、 育児より いろいろな生き方を選んでいる場合が多いですね。 また、仕事や勉学で、適齢期を過ぎて、 結婚などしたくない人も 増えていますね。 また、子を産む年齢も高齢化して、少子化に繋がってしまう。
2013.10.30
2013年10月30日 20:35 小中学校の教員数についてこの件に対しては、財務省の増員という主張と、文科省の増員という主張があります。皆さんはどちらに賛成ですか?また、簡単なものでも構いませんので、それぞれのメリット・デメリット等があればそれも一緒にお願いしたいです。教員の負担が 過剰な現状を考えて、文教予算を増大するのが 良いのでは。 EU など先進諸国を大いに参考にすべきでは?
2013.10.30
2013年10月30日 20:35 戦争を肯定するようなゲームやアニメは規制すべきではないですか?世論として、負けないように 平和運動を 起こすべきでは? 昨今艦隊これくしょんという戦争を肯定するようなゲームや女子学生が旧日本軍の戦車を動かしたりするアニメが流行っているようですがこういった戦争を肯定するような物は規制すべきではないでしょうか?昔はこういった作品は自主規制で作られなかったのに、最近になってから戦争肯定の作品が多く見られます。これは日本の再軍備を躊躇無く行えるようにゲームやアニメを媒体として少しずつ戦争に対する抵抗感を薄める布石に思えてなりません。女子学生が武装して戦争をおこなったりするような作品が野放しになっている現状もおかしいではないですか?こういったとんでもない内容の作品は発売できないようにする等の法案の整備が必要ではないでしょうか?
2013.10.30
2013年10月30日 20:41 都道府県教委の7割「権限残すべき」 中立性担保求めるこれは 制度の問題では無くて、 人の問題では?変な政治家が、変な圧力をかけているように見えますね。選ぶ、人の責任が大きいのでは? 残念です。立派な人が 居るのに活かせない、日本の社会。
2013.10.30
2013年9月13日 6:24 成績低い小学校の校長名公表、県教委は反対これは行き過ぎでは。 校長の責任に見えるのでは?このような情報の使いは、微妙で、難しいところが有るので、慎重な姿勢が大事では。 再生核研究所声明1を参照して下さい。携帯に送るヘルプ 今年度の全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)を巡り、静岡県教育委員会は13日、同県の川勝平太知事が国語Aの平均正答率で最下位だった県内小学校の一部校長名を公表する意向を示したことに対し、反対することを決めた。 近く、川勝知事に申し入れる。同日午前の定例会で、安倍徹教育長が「校長名と学校名はほぼイコール。教育委員会としては公表しないことを(知事に)話したい」と述べ、了承された。 同教委は、個別の学校名を公表しないとする、文部科学省が作成した全国学力テストの実施要領を踏まえて反対することを決めた。 ただ、委員からは「知事が集会などで校長たちに直接(危機感を)訴えてほしい」などの声も上がった。県教委事務局は、県内の全公立小中学校の校長や教頭らを集めた「学力向上集会」を10月に開催し、解決策の検討を始める方針を伝えた。(2013年9月13日13時59分 読売新聞)
2013.10.30
2013年9月13日 6:28 マオリ女性入浴拒否、東京五輪控え「多用な文化への敬意、対応策必要」菅長官これは日本の 異常制を示していますね。 入れ墨など 相当に国際的で、普及しています。個性や、相手を尊重して、色々なものをいけ入れる姿勢が、大事では。日本の勝手と国際的には、見なされるのでは。 場合によっては、差別や基本的な人権に反するとみなされるのでは?人は人自分は、自分、しっかり自我をしっかりして行くことが、大事では?
2013.10.30
2013年9月13日 6:38 首相、財務省と激突 消費増税時に5兆円経済対策 法人税減税良い意味で首相頑張っているように見えますが、 国の財政に責任を持つ、財務省が 悪いとは言えないですね。どちらが 適切かの判断は、専門家でも難しい、本当にむ 、現金給付…2013.09.13 安倍首相(左)と麻生財務相は、財務省の抵抗を突破できるか【拡大】 安倍晋三首相が、スーパー官庁・財務省に圧力をかけている。消費税率を来年4月から5%から8%に引き上げる際、景気の腰折れとデフレ圧力を防ぐため、増税分3%のうち2%分に相当する5兆円規模の経済対策を要求したのだ。財務省は財政規律を重視して消極的だったとされる。首相周辺は同省への警戒感を隠さず、一歩も引かない構えだ。
2013.10.30
2013年9月14日 0:34 平等について。A君が100円、B君が200円持っているときA君とB君にそれぞれ100円ずつ渡すのと、A君にだけ100円渡して二人とも200円にするのではどちらが平等かを考えるときもともと持っていた100円、200円がどの様に手に入れたものかも考慮するべきだと考えますか。それでも足りなくて、総合的な考えが必要ですね?平等とは何かを 考えて見ると、それは意味がなくなるのでは?
2013.10.30
2013年9月14日 0:35 AがBと対峙していて折り合いがつくCに落ちついたとき、また新たに対峙するDという問題が生まれ折り合いのつくDへと永遠に移行していくことを哲学の分野では何と呼ぶのでしょうか?教えてください!しよう (アウフーヘーヴェン) と いっていいですね。 高まって行くのですね。
2013.10.30
2013年9月14日 0:37 正しいとは何ですか?間違っていないことですか?それなら間違ってるって何ですか?科学の世界では、それぞれの分野が判断して呉れますが、 世の問題については、再生核研究所声明1を参照して下さい。
2013.10.30
○○は可愛い、△△は馬鹿である、□□は綺麗である(美しい)これらは、すべて自分のイメージの中にある○○であり△△であり、□□でありますよね?だから正しく言うときには、私のイメージの中にある彼女は可愛いだとか、私のイメージの中にある彼は馬鹿だとか、私のイメージの中にあるあの国は綺麗だとかいうことになりますよね?確認質問です。当然のことかもしれませんが。そのとうりです。 省略して言っているのですね。
2013.10.30
2013年9月14日 0:40 どんな悪魔のような悪人だろうが、神が生かしているのだから、誰にもその巨悪や極悪人を殺す権利はないでしょうか。その様な面は確かに有りますね。 殺す人も、退治する人もいるので、安心はできませんね。
2013.10.30
2013年9月14日 0:41 地球での学びについて考えた事のある方いませんか自分の抱えている状況の全てが、地球での「学び」の一環のために設けられた条件であると仮定したとき、いろいろな出来事のつじつまが合ってくるような気がします。こことに全く気づかずに毎日生きているよりも、もっと合理的に選択的な生き方ができるようです。私はゲーマーではないのですが、RPGのようですね。もし、地球での学びについて考えた事がある方がいれば、これからの進み方の参考になるご意見を頂戴したいです。宜しくお願い致します。再生核研究所声明などは 参考になるのでは。まずは、アースデイの理念などを参照して下さい。
2013.10.30
2013年9月14日 0:41 地球での学びについて考えた事のある方いませんか自分の抱えている状況の全てが、地球での「学び」の一環のために設けられた条件であると仮定したとき、いろいろな出来事のつじつまが合ってくるような気がします。こことに全く気づかずに毎日生きているよりも、もっと合理的に選択的な生き方ができるようです。私はゲーマーではないのですが、RPGのようですね。もし、地球での学びについて考えた事がある方がいれば、これからの進み方の参考になるご意見を頂戴したいです。宜しくお願い致します。再生核研究所声明などは 参考になるのでは。まずは、アースデイの理念などを参照して下さい。
2013.10.30
2013年9月14日 4:05 <しつけ:「うそをつくな」で年収に50万円差 神戸大調査毎日新聞 2013年09月14日 10時13分(最終更新 09月14日 10時58分) 幼い頃に「うそをつくな」としつけられた人は平均年収が約50万円高い--。神戸大の西村和雄特命教授(数理経済学)らがインターネット調査でしつけと所得の関係を調べ、13日に発表した。「他人に親切にする」「勉強する」などのしつけでも、同様の傾向だった。西村教授は「しつけを受けた記憶の有無が重要。子供には、必要なしつけを繰り返すことが大切ではないか」と分析している。 調査会社に登録する国内の18歳以上の男女9万人を対象に今年2月、ネット調査し、1万5949人から回答を得た。幼い頃のしつけで代表的な8項目の記憶の有無や現在の所得を尋ねた。 その結果、「うそをついてはいけない」というしつけを受けた人は平均年収が約449万円。受けた記憶がないと答えた人は約399万円で、約50万円の差があった。 「他人に親切にする」「ルールを守る」「勉強をする」というしつけも、受けたという人の年収が15万~29万円高かった。さらに、これら4種のしつけをすべて受けたという人と、「いずれも受けた記憶がない」とした人を比べると、年収差は約86万円に広がった。 一方、「ありがとうと言う」「親の言うことを聞く」などは所得に差がみられなかった。逆に、「あいさつをする」は、しつけを受けていないとした人の年収の方が約13万円高かった。【吉田卓矢】何でもお金に換えるのは問題が有るとしても、 事実は正しいことを述べているのでは。 結局、徳のある人は 得をするということの 当たり前の結果を述べているのでは?
2013.10.30
2013年9月14日 23:55 権利と義務という次元を掘り下げることはできないか? (もののあはれ) たとえば おそらくもっとも存在の奥底にあると思われる権利は 《生きる権利》であろうと思われます。 ここでの問いは これをなぜ《権利》と言うのか? です。 権利や義務の次元をはるかに超えた(もしくは それよりも深いところで希求される)なにごとかであると思われるからです。 存在が存在であること自体の欲求ないし要請である。と考えられますまいか。生物は何でも生きたいと本能で出来ていますね。 それを、保障しようと言うのですから、生きる権利を保証するのは 基本的な権利として、大事では?法の中心になりますね。
2013.10.30
2013年9月14日 23:58 原因と結果の法則を超越するものとは何かそれは 色々あるのでは。 それを混沌というのでは? それは我々人間である。1つ問うてみるがよい。人間は生まれたいと願う意思(原因)によって、生まれた(結果)のか。そーではなかろー。何か分からんが気付いたら自分がおったゆーことではないのか、ウハハ。そもそも人間は原因と結果の法則を超越しておるのである。
2013.10.30
2013年9月14日 23:59 言葉が先か?意識が先か?哲学素人です。ギリシャから現在に至る、哲学の歴史の変遷に興味があり、あくまで趣味です。現在、構造主義をかじってますが、泥沼に陥いってます。正しく理解しているかわかりませんが、構造主義の立場では、私たちが思考したり感じたりするときに、まず頭の中で「言葉」を使用し作文を作ることにより「意識」が生まれるとの立場のようです。意識とは?をネットではなく、哲学辞書を引いて調べてみましたが、「人は何かを意識する時、自分がそれを意識していることを意識しながら意識するということになる。意識の明確な定義はない。すべての定義は意識によって成立するものだからである。」とあり、ますます混乱!どなたかすっきりした回答を いただければ幸いです。これは難しい問題ですが、赤ちゃんの成長をしっかり観測すると分かるのでは。結論は、どちらとも言えず、 共に発展しているのでは。しっかり、 観測して見て下さい。
2013.10.30
2013年9月15日 0:01 殺生について。助けてください人間は躊躇いなく虫を殺したり動物実験を行ったり普段から生き物を食べたり、たくさんの命を奪っています。殺生は悪とされていますが、それをはじめに決めたのは自分が殺されたくなかったから、ではないですか。善や悪というのは人が決めたものです。普段牛や豚を食べている人が動物実験に強く反対をしていることがありますが、殺される側にとって理由なんて関係なく命が奪われるのは一緒です。殺しは悪で、どうしても殺す場合には合理的な理由が必要だというのは、そう言わないと生き物をむやみに殺すことになってしまい人間に都合のいい自然が壊れてしまうからと、やはり人間が決めたことだと思います。本当は動物は他の命を奪いながら生きていくのに、人間は人間だけの平和を求めて勝手に殺生を悪としました。私は他の生き物を平気で殺す人間に恐怖を覚えました。自分も今まで多くの命を奪ってきたのでこのように正当化して考えないと本当に罪悪感に押しつぶされそうになります。ここ最近このようなことを延々と考えてしまい、答えが出ず、人間は悪だと思って周りの人も怖く見えてしまったりします。上に殺生は悪ではないと正当化した意見を書きましたがやはり罪悪感はあるし、でも殺さないと生きていけないし、という具合にとても苦しいです。自分のことを客観的に見たら他の生き物の死など別に興味はなく自分が善良な人間だと思いたいことと、他人が悪に見えてしまい怖くなることに苦しんでいるのかなとも思います。善悪は所詮人が決めたことだと思いたいのに結局はその感覚に囚われていて矛盾していることはわかっています。とにかく苦しいです。たすけてください貴方の心は美しいから、 悩むのですね。 本当に生物界は 無情なところがあって、食うか食われるかは 必然ですね。 しかし、他方、大きく観ると 共生、共鳴、共感の関係ですので、 生命の美しい面も大いに評価して、大きく考えるようにしたいと思います。 自分を大事にして、 段々に枠を広げて行きたいと思います。
2013.10.30
2013年9月15日 0:05エリートとは、卓越した教養、見識を持ち、物事を感情ではなく、合理的に処理出来る人間であるはずなのに、日本では、どこぞ、大学や資格取った事や外国に留学するだけで、エ リートと見做す風潮が強い様に感じてしまう大学、資格、留学で示せれるのは、多少の記憶力と論理力を試すテストに勝ち抜けた自身を飾る見栄えの良い学歴を得られただけなのではないか?ご回答のほど、お待ち申しております!そのとうりです。 そのまま受け入れ、エリートなどは 大したものではないと 解釈するようにすれば、お終いですね。 博士なども、 博士だけでは価値が落ちていて 何の役に立たない場合は 既に世に多いですね。
2013.10.30
2013年9月15日 0:09 金持ちにお金を使わせる方法累進課税の考えがそうでは? 昔の参勤交代みたいに金持ち、権力者にお金を強制的に使わせて市民が活性化するようなシステムって何かありますかね?
2013.10.30
2013年9月15日 0:20 集団的自衛権について、あなたならどう答えますか?冷戦が終わって、 ロシア、中国が成長した今、 集団安全など 時代遅れで、対立関係が世界的に薄れているのでは、世界史を進化させて、 平和な世界は近いのでは。今回のシリア問題でも、 ロシアもアメリカも中国も大人になっている事が良く分かりますね。 EUなどとっくに御卒業ですね。大国では 日本が、対立関係をわざわざ、作っているように見えますね。 それが集団的自衛権の時代遅れの発想ですね
2013.10.30
2013年9月15日 4:45 シリア:米露、化学兵器の完全廃棄で合意…軍事攻撃回避これは、プーチン大統領の貢献は 大きいですが、 アサド大統領も、オバマ大統領も 賢かったですね。 一人日本だけが 馬鹿な感じでは?これは 世界の平和に 大きな道を開きましたね。
2013.10.30
2013年10月28日 21:21 この世を生み出したのは何だと思いますか?全ての始まりの原点は何だと思いますか?このような問題は難問で 分からないですね: 再生核研究所声明 132 (2013.9.10): 神を如何に感じるか - 神を如何に観るか (2013.9.5.6:50 まだ 薄暗い中、研究室に向っているとき、神を如何に感じるか という、 新しい声明の原案が閃いた。) 神の問題を 直接 再生核研究所声明122 でとりあげ、述べたのであるが、それらは、意識を越えて ひとりでに述べられたと言えよう。そこで、気づいて、改めて感じたのが上記のようにである。表現を試みたい。まず、上記声明で大事なことは 神の定義を 厳格に与えたということである。― 神は存在し、一切の存在と非存在を しっかりと支えておられる存在で、 永遠や無限や愛のように 我々の想像上に存在し、信仰によって観える。 ― 極めて良い たとえ がある。よくみかける 幼児キリスト を擁かれた マリア様 の像である。キリストを ユニバーサル; すべての存在と非存在と考え、マリア様を神と考えれば よい。我々の能力では 神は定かには捉えられない ― (動物たちが美しい月をぼんやりと眺めている。 意識はもうろうとしていて、ほんにぼんやりとしか とらえられない。 自らの存在や、ものごとの存在すら明瞭ではない。人間も、殆ど 同じような存在ではないだろうか。 人類よ、人間の能力など 殆ど動物たちと変わらず、 ぼんやりと世界を眺めているような 存在ではないだろうか。 神も、一切の存在も観えず、ただかすかに感じているような存在である。 声明122)大地震が世界を襲い 多くの命を奪うように、人間の都合の良い優しい神、人間を簡単に救ってくれるような いわゆる神などは存在しない (再生核研究所声明 119:冷酷な神々、自然 ― 見捨てられた人類)。しかしながら、神は、全ての存在を支えられていて、人間は想い患うことはない。 ただ、必要な時に 一心に念じれば良い。 それは古代から、あらゆる社会で 祈りの形式をとってきた、全ての宗教と 神を正確に捉えるものであると考える。 これは 世界の宗教の統一 を成し遂げているものであると言える。神を よりよく観るのは、人生の目標と言っても良い、 ― 実際、人間は、究極、神、自由、不死を求めるもの であるからである。実際、世界がより観えて、自由になり、死から解放されて 永遠のものに帰せられるは 何と素晴らしいことだろう。― 神が存在しなければ、所詮は 全ては空しく終わってしまうだろう。しかしながら、どうしたら、如何にしたらできるかが無ければ 多くの提案は 空しいものになるだろう。そこで、どうしたら について 触れておきたい。これはもちろん、人生如何に生きるかに近い、多様な近づき方が有るのは当然で、多種、多様である。個性にも、大いによると考えられる。得意なところから、触れたい: 数学とは何か ― 数学と人間について国際数理科学協会会報、No. 81/2012.5, 7―15 説明: http://www.jams.or.jp/small-ball.gif No.81, May 2012(pdf 432kb) に公刊したが、その第8節に、ここで、神の定義と神の存在の説明ができそうであるが、未だ不十分である と述べている。さらに、神の気持ち、神は2を愛し給う、神は2が 好きだとか、神は恥ずかしがりや だ とか、神のいじわる、などと述べている。他の研究では 神の思わせぶりが出ていて、堪らなく楽しいとか、神がそんなに美し過ぎる数学を作っているはずがない などと述べてきた。実際、数学と数学の研究は 神との対話のような面が有って、数学は 極めて神学に近いと言える。数学の存在そのものが ― 数学の神秘性 ― 神の存在を示しているようにもみえる。ベートーベン交響曲第9番などの美しい音楽の世界に 神を直観する者は多いのでは。美しい満天の星空を眺めていて、美しい森を歩いているとき、月光の下で、光輝く小川を眺めているとき。思えば、不思議にも修学旅行で 日本平 をみんなで歩いているとき、神がのりうつってくるような恐ろしい感覚に襲われた。芸術家の創造活動も数学の研究と同様、さらに科学の研究もみな同じようではないだろうか。生物界;生命の発生から、生体、進化いずれも神秘に満ちていて、背後に神の意志が感じられるのは多い。彫刻などにも 技術にもそのような面が出るのでは? 実際、芸でも、歌手でも、スポーツ、技術でも 神業 は世に多い。政治社会や戦場などでもいわば 義の精神が湧いてきて、神を直観する場面は多いのではないだろうか。お釈迦様も述べられているように、過酷な修行など逆に精神を萎縮させて、修行としては良い方向ではないようにみえる。あくまでも健康で、精神が溌剌として弾むような状態が良いのではないだろうか。心身 身を清めそれぞれの国で、文化を持つ 神殿などを参拝するのは もちろん大いに効果が有るのではないだろうか。大事なことは、究極には 経典や教えにあるのではなくて、全ては 各々の心の中に存在するということではないだろうか。それ故に 自分の心の世界を清め、よく治める心がけが 大事ではないだろうか。神に近づく修行には終わりは無く、無限の深さを有する 神秘の世界であると言える。しかし、適切な道を見出し、歩めれば 生き生きとした人生を送ることが出来るだろう。それは力を有する愛と希望の源だからである。 以 上 2013.9.6.15:20 中国に出かける前で 精神が集中しないので、一気に纏めてみる。一気に書いたら、結構纏まっている。直観が湧いたから。2013.9.6.16:20 結構良い、中国に出かける前に完成できるのでは。2013.9.6.17:20 カストロ教授、申請書完成版をもってくる。凄いことが書かれている。9月5日 その申請の案の作成で、早朝来た。2013.9.6.18:45 良い。2013.9.7.09:35 少し追加、しかし、本質は良い。言いたいことは十分表わされている。大きな意味のある声明である。2013.8.7.09:55 追加記入が気に成って、確認、良い。2013.9.7.12:05 良い。2013.9.7.16:10 少し良い文を挿入、公表日付けを入れる。2013.9.7.18:50 良い。2013.9.8.10:00 少し言い回し修正、2010 東京オリンピック開催決定。2013.9.8.10:55 神業の文を加える。2013.9.8.16:50 声明133の原案作成、新しい数学の結果を得る原理を発見、明日、ロドリグスに話したいと メールする。2013.9.8.18:00 良い。2013.9.9.7:45 良い、完成できる。2013.9.9.8:15 完成、公表、神がかったような 美しい日。http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10115630035
2013.10.29
2013年10月28日 21:23 人が何かを考えた時すでに洗脳は始まっているある講演で聞きました深い言葉だなあと思ったんですがみなさんはどう思いますか?本当ですね。 人間は単細胞的存在で、 予断と偏見に満ちていますね: 単細胞人間 ― 単細胞的思考
2013.10.29
2013年10月28日 21:28 どうして人によって興味に差が生まれるのでしょうか?学問にしろスポーツにしろ触れてみた時に興味を持つのか持たないのかの違い、また興味を持ったならばその興味の強弱の違いはどこで生まれるのでしょうか?生物の多様性の原理ですね。その原理は、 元祖生命体ですね。 個性と環境ですね。 教育、特に若いころの教育、環境が大きな影響を与えますね。云わば、人格構成期ですね。 言語を見れば明らかですね。再生核研究所声明 36 (2010/05/14): 恋の原理と心得 元祖生命体(本来の生命、生物界全体)は 永遠の生命を有し、人間的な意識と自由意志を有し、存在すること、知ること、美を求めることなどを目標に生命活動を続けている。人類の発展の先は いまだ不明である。 確かに言えることは、生存を続けること、知ることを求めること、感動することを希求しているということである。 元祖生命体においては 男女はなく一体の存在である。 従って、恋も、もちろん、男女の愛も親子の愛もそして死も本来存在しないものである。 元祖生命体においては 本来 永遠の生命を有していたから、 食欲や生命間の争いも無く、人類の進化の先をもっぱら志向しているとみられる。しかしながら、物質の形をとって、 生命が存在するためには、そのままで、永年存続させることは、 物理的に不可能であり、再生機能による仕掛けを用意する必要があった。 厳しい自然環境に柔軟に対応できるように、多様な生体系に分け、多様性の観点から、高等生物を2種類に分け、2つの作用によって、生命を再生させる仕掛けができて、それらが、男女の誕生、恋、結婚、出生、育児、親子の基本的な営みができたというのが そもそも恋の原理である。 これが子の誕生と死の輪廻、再生の原理である。 実際、人類以外の多くの生物は、生きること、恋をすること、子を設け、育てることで 殆どその生命活動は尽きると言える。 もちろん生物である人類にとっても、 基本は同様であると言える。 実際、 人生のあらゆる活動の大部分を それらに関して費やしていると言える。 種の保存は あらゆる生物の第1原理 であるから、当然である。 実際、人生を表現するあらゆる文学の課題がそれらに絡む題材であると言っても過言ではない。このような発想はギリシャと仏教の思想にあると考えるが、 夜明け前 よっちゃんの想い で最初に述べられた 最も大事なこと ― 必然的に新しい価値観と考え方を限りなく発展させて、雄大な世界を拓く - となるので、深入りはしないことにしたい。 そこで、心得の方に視点を移したい。 男女がどのように恋について関わるかは 2人の自由であるから、それらの内部関係ではなくて、社会的な在り様についてまず触れたい。 実際、現在でも国や、社会によって多様な在りようが存在するのが 現実であり、実際である。 しかしながら、それらの在りようの基本として、声明1に述べられている、 公正の原則は ここでも基本になり得ると考える: 1) 法律,規則,慣習,約束に合っているか.2) 逆の立場に立ってみてそれは受け入れられるか.3) それはみんなに受け入れられるか. 4) それは安定的に実現可能か. 殆どの小説の題材になる程に 恋の問題は、人間の精神に深い影響を与えるものであるから、 特に個人個人が 自己の心に忠実に、全体として、諒となるように対応するのが 最も肝要である。 自己の心とは実際深く、複雑なものであるから、しっかりと自分を捉えて対応するのが肝要である(恋の心得)。 上述のように そもそも 恋は生と死に関わる人生の大事 であるから、特に恋の 第一の結晶作用(スタンダール)がはじまる以前においては 慎重さが大事であり、第二の結晶作用 前においては 恋を解消する勇気を持ちながら、十分な時間をとり、全人格を賭けて決断を行なうことが特に肝要である。恋には、一個の人間の、愛、欲求、良心、熱情、不安、畏れ、などなどの激しい葛藤があり、その意味で、恋にどのように関わったかは、1個の人物の第1次の総合指標を表していると言える。 恋の現象として、特に印象深い、参考文献、表現について触れておきたい:恋の問題を人生・世界の広い視点から深く扱っているものとして、ゲーテのファウスト。女性の恋と性は簡単ではなく深いものであることに触れている、バルザックの谷間のゆり。自殺する前に話した、先輩の言葉: 私の人生で、真実は唯一つ、A を愛したことだけである。- 実際、恋のいわば失敗で、自殺に追い込まれたり、生涯に亘る傷を負うことは世に多くみられる。人生の基本定理(声明12)に寄せられた言葉: 出産が 私の最も感動したときである。 少し、超越への道について触れたい。 食欲と性欲は 基本的な人間の欲求とされるが、上記 元祖生命体においては 本来それらは、無いものであり、本来の生命活動としては、それらを超えたところに存在するということである。 したがって、 食べるために生きる、恋のために生きるは、本質的な誤りを含んでいる。 真実、本質は逆である。 生きるために食べ、生きるために恋をするのである。 したがって、それらは無限ではあり得ない。 人類が 元祖生命体の人類の先を志向するのは、あらゆる生物のうちで、人類だけができる人類の崇高な使命である。 人類は己が存在の基礎に元祖生命体の己の分身が雄大に広がっていて、同じ運命共同体であることを忘れてはならない。 もちろん、人間は同じ元祖生命体の分身であり、個々の人間は1個の細胞のような存在である。 まこと 個々の人間の存在は 元祖生命体の雄大な存在からみると 大河の一滴 (五木 寛之) と考えられるが、しかしながら、それは同時に全体に関係し、全体を内包しているから、限りなく貴い存在である。元祖生命体の高度な謙虚な営みの一つして、 数学者の人生を紹介したい。 数学者は関係を追及していて、ただその関係はどうかという問題意識を持ち、あるいは その真偽の追求、あるいはそのような関係を求めて、真理の追求を行っている。 面白いのは、それらは世の中と何ら関係がなくても、 それはどうか、どうかと限りなく追及していることである。 しかも その中に、美と感動を見出して、その追求には終わりはなく、 無限である。実際、たとえば、オイラーの公式の魅力は千年や万年考えても飽きることはなく、数学は美しいとつぶやき続けられる、と言える。数学者にとっては 人生は短すぎると言える。また、移ろい行くものや世事に関心が薄く、実際、戦場でも数学を考えていたというような逸話が残されている。 科学者や芸術家も同じような人生ではないかと考えられる。実際、人間は有限性と無限性の両面を持っている存在である。以 上
2013.10.29
2013年10月28日 21:29 頭のいい人が、そうでない人をバカにするという行為は、身体障碍者のできないことをバカにするのと同じ意味合いになるでしょうか?たとえば、ここでの回答があまりにも拙いものに対してなど。 同じようなところが有るのでは? 智恵の足りなさ、浅はかさを 表明しているようなものですね。 お互い同じような存在なのに?単細胞的な存在:再生核研究所声明 69(2011/09/27) 単細胞人間 ― 単細胞的思考 (背景: 2011/09/22 宿舎で朝食をとっている最中に 突然閃いた考えです。 単細胞人間という言葉を聴いたのは 恩師がゼミの学生に言われた言葉として、伺って来ました。類語辞典には 近視眼的な ・ 目先の利益だけ考えた~ ・ せっかちな(結論) ・ (単なる)向こうみず ・ 単線思考の ・ 単細胞(人間) とある。 また、 ツイッターで、 恩師が、単細胞人間 と言った ということを 思い出させます。 小さな真実を見て、 全体が見えないのですね。 愚かさの表れ ではないでしょうか。 脱原発デモ なども そうではないでしょうか と呟いた後です。) 単細胞的思考とは小さな事実を それに関係する全体の中での 位置づけができず、その局所的な、断片的な事実をもって全体に普遍させてしまう愚かさであると表現したい。 まず、現実的な問題で考察し、しかる後に一般論を展開したい。脱原発デモ、脱原発運動、これはどれほどの意味があるでしょうか。そのまま主張を全て受け入れたら、どのようになるでしょうか。長年かけて膨大な資金を注ぎ、人と設備を整えたものを活用できないとなれば、電力会社は 膨大な損失である、相当に電気料を課しても経営が成り立たないのは 素人の目にも明らかではないだろうか。電力会社は どの程度の損失に当たるかを明らかにして 国民に理解を求めるべきである。天災の事故で、恐ろしいは 分かるが、何十年も続けてきたことをいきなり、中止せよ反対、このような要求は 子供の要求と同じで、単細胞的思考の典型的な例と考えられる。まともな考えとは、くれぐれも慎重に運営して欲しい。場合によっては、在り様は 分かれるが、段階的に縮小して欲しいという意見ではないだろうか。これについては、再生核研究所声明 67: 脱原発デモ ― 非現実的な貧しい二律背反の発想と飛躍した議論 を参照。 相当の人が、国防の在り様について、敵地攻撃能力の整備を と主張している。自分は強く、相手を罰せられるので安全になると考えているのであろうか。 しかし、逆に考えてみれば、当然、公正の原則で 相手も敵地攻撃能力を高めて、直ちに軍拡競争に入ってしまう。場合によっては、逆襲され、先に攻撃して、壊滅させてしまえ となりかねない。 経済的にも大変で、危険性を増大させる、それこそ、単細胞的思考ではないだろうか。空母が欲しい、軍事的には、南シナ海、東シナ海を「日本海」にすることだ、そのためには原子力潜水艦を持つことに尽きる 等も同じような考えではないだろうか。 次を参考: 再生核研究所声明 49: アジアの愚か者、アジアの野蛮性。 次に、有名な蓮舫氏の発言について「研究は1番でないといけない。“2位ではどうか”などというのは愚問」とは おかしいと考える。 そのような質問をせずに、切りなくお金を注げば、第一 他の いろいろ大事な研究費を圧迫してしまう現実。 研究費は 無限ではないので、 どのように配分するかは、 国家の大事な問題。 戦艦大和のように 時代遅れの兵器を、研究でも、お金を掛ければ、大きければ、世界第1位でなければ、の発想は おかしい。 蓮舫氏は、 決めつけているのではなく、 なぜかと問うているのだから、 きちんと答えるのは、 研究者の 国民に対する義務であり、また、他の多くの研究者や、若い研究者も、どうしてそちらばかりお金をかけるか、知りたい 自然な 質問ではないだろうか。 蓮舫氏の質問は,政治家として、当然の立派な質問だと評価したい。専門家は日本国が破産を迎えても、自分のところの研究費だけはと 要求するだろう。 これは専門家の独善と大局に想いを致せない単細胞的思考の現れと言え、 専門化、局所化した現代社会の本質的な問題と考える。高度に専門化して、自分たち仲間でしか議論も話しも通じず、他の価値さえ理解できず、本当に生体の中の ほんの一部の細胞の役割しか 果たせなくなっている。 人事の進め方、評価なども 結局 仲間同志の中でしか、考えられない 現実である。 検察や弁護士も法律の条文にばかりに囚われていて、法の精神や生きた社会や世界的な視野に欠けて、おかしな判断をすることが多い(再生核研究所声明 31:法の精神と-罪と罰)。 上記 事例で分かることは 愚かさの故の行為と 背後に利害が絡んでいて 理に反しても強弁している場合とがあるということである。 何れも人間の本質的な弱点であると自戒したい。 そこで、 単細胞的な思考 に陥らない心得を 次のように纏めて置きたい。 1)絶えず、逆の立場、反対を考えて、みる。2)その意見を 徹底的に進めたら どうなるかを考えてみる。3)みんなが、それに賛成、実現したら、どうなるかを考えてみる。4)特に関係の無い第3者や 素人の意見も参考にする。5)世の問題は、真か偽か、正しいか正しくないか、赤か白かのように きちんと分けられるものでは ないものであり、微妙に入り混じっている複雑な在り様であり、在り様の在り様を 多様に考える 幅の広さに心がける。6)一度決めるとそれに拘り、その意見に固執しがちであるから、絶えず高い立場の見解、良い意見に止揚していく心構えを柔軟に持つ。7)くれぐれも派閥、仲間、専門家あるいは、地域、職業、宗教などの集団の枠、組織に囚われない。 また、考えを固定化したり、人を分け隔てたような考え方をとらない。8)ある程度時間をかけて、大事な問題ほど、影響が大きい問題ほど じっくり考える。 全体の状況が 見えるまでは 謙虚な態度で臨む。 これらを 単細胞的思考から抜け出す心得としたい。しかしながら、人間は 本質的に愚かであり、予断と偏見に満ちた存在であること を肝に銘じて置きたい。 なお、個人と社会の在り様については 次を参考にして頂きたい: 再生核研究所声明 35: 社会と個人の在りよう ー 細胞の役割(この声明の趣旨は 人体と細胞のように国家と個人は、社会と個人は有機体の存在として、 調和ある存在 になろう ということにある。 実際、一個の人間の存在は 細胞が生体の中で有機的な存在であるように、本来社会の中で有機的な存在ではないだろうか。 生体が病んでしまったら、個々の細胞の存在はどのようになるかに 想いを致したい。 実際、人類の生存は、如何なるものをも超えた存在である(最も大事なこと:声明13)。 以 上
2013.10.29
2013年10月27日 22:54 哲学を沢山勉強なさって来た方が例えば人格者であった場合、それを見た人は、ああ哲学というものを勉強すればあのような立派な人格が形成されるのかと思って、哲学というものに魅力を感じたりするということはあると思いますが、哲学をしてきた人が、仮にまったく非人格的な人、たとえば怒りっぽく、他人の意見さえも尊重できないような人であった場合、なーんだ、哲学をやってあんなもんか、いやあんな奴が哲学なんてものを好むのか、それとも哲学を勉強するとああなってしまうのか、という具合に考えてしまう危険性というのもないでしょうか?一般的に哲学という言葉を聞いてもはっきりとそれが何であるのか分からない人が多いと思うからです。この質問は、哲学が立派な人格を形成することを目的としているとかいないとか、そういうことを問うている質問ではないことをご理解ください。これは哲学の用語を 他の数学とか、物理、 音楽、他の用語で 変えても成り立つ議論で、 人格者、 良い人とは 直接結びつかないと 考えられますね。別と考えうのが 良いのでは。良い人物に憧れ、 大きな影響を与えるは 現実ですね。
2013.10.28
2013年10月27日 22:55 哲学は物事に定義づけを行うことではないということを大変よく哲学を勉強なさった方が言われましたけど、これは皆さん、本当のことなのですか?私は定義づけを行うのも哲学だと思ってました。精神とは何か、物質とは何か、など。貴方の考えは 適切だと思います。 定義することは、 本質を捉えようとする精神ですから、 哲学的な 要素を持ちますね。
2013.10.28
2013年10月27日 22:58 哲学と正義は同義語である…肯定しますか? 否定しますか?全然間違いですね。 哲学は真智への愛、 すなわち、 いろいろ考え求める精神ですね。 正義は、多く、社会の問題で、 良いか、悪いかの問題ですね。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13115577818哲学は幸せの道具・手段…肯定しますか? 否定しますか? 全然、間違いですね。 哲学は、幸せとは直接関係ないのでは。 真理を追究して、苦しい道を歩んだ人は 世に多いですね。
2013.10.28
2013年10月27日 23:00 なぜ生んでくれと頼んだわけではないというのは禁句なのでしょうか?(生への感謝は義務なのか?)なぜでしょうか。確かに親が子供を産もうとする気持ち、子孫を残そうという気持ちは解ります。しかしながら苦行としか言えないようなこの世の中に誕生するしないを選択する権利は親にはありますが、子供にはないため、生に対して感謝をしろと言うのは余りにも一方的だと思います。世間一般でタイトルが禁句とされている理由は何でしょうか。(言われた側が傷つく等はこの質問の本質ではないのでご遠慮ください。)ここで一つだけ理解いただきたいのが無責任に言っているわけではありません。私が今現在ここに存在できるのは両親のお蔭だという事ははっきりと理解しています。教育,食事,道徳,経験数えたらキリが無いほど両親にはお世話になりました。言葉ではこのような表現しかできませんが、非常に感謝をしています。(この気持ちも自ら感謝こそすれ強要されるものではないと思いますが…)それらのなぜ私が今この場に存在できるかを理解したうえで質問しています。その為感情的なお答えはなるべくご遠慮ください。それは 実は 大問題ですね。なかなか人生を肯定できない現実があって、 生まれてこなければ 良かったは世に多いい感性では。 すると、 無責任子を設けられないと成りますね。世界は、世の中は どう動いているかと考えてしまう: 再生核研究所声明 72(2011/12/06) 慣性の法則 ― 脈動、乱流は 人世、社会の普遍的な法則まず、 ルネ・デカルト - Wikipedia から慣性の法則を抜粋しよう:(デカルトは、物体の基本的な運動は、直線運動であること、動いている物体は、抵抗がない限り動き続けること(慣性の法則)、一定の運動量が宇宙全体で保存されること(運動量保存則)など、(神によって保持される)法則によって粒子の運動が確定されるとした。この考えは、精神に物体的な風や光を、宇宙に生命を見たルネサンス期の哲学者の感覚的・物活論的世界観とは全く違っており、力学的な法則の支配する客観的世界観を見出した点で重要である。)いわゆる 慣性の法則 は、 ニュートンの運動法則 の第1法則(慣性の法則)で、外力が加わらなければ、質点はその運動(静止)状態を維持する。(力を加えられない質点は等速度運動(等速直線運動)を行う)。 要するに 動いているものは そのまま動き、止まっているものは そのまま止まっているという法則である。 この法則は、 物理法則としてばかりではなく、 人生、社会の人世、精神、生命などの在りように普遍的に存在する いわば、連続性を表す 世の法則 ではないだろうか。 この観点からいくつかの考察を行い、世と上手く付き合っていく心得、人間の在り様としての心得について触れておきたい。人は 人生とは何か、生命とは何か、生きる意味を 繰り返し問う。 この難しい問題を足もとから、現、在から考えてみよう。 今日あれば、 昼には昼食をとり、夕べには 夕食をとるは 相当に大事な 今日の要素である。 ― 実際、 夕食がとれないような状況が有れば、それは人生の意味などを超えて 全ての人間にとって重大であろう。 ― 仕事や予定が有れば、 何時ものようにやり、 少し上手く行けば、 それだけ充実感がするだろう。 在り様は もちろん、 個人にとって、人生そのものである。 人生とは それ以上のものではない。 今日の在り様は 多くは昨日から、 決まっていて大きな変化が有っても 既に準備されているものである。 今日あるから、 明日も 今日のように生活することになる。 このように 人生とは繰り返えされてきたものである。 子供のころの生活も同じように 少しずつ繰り返しながら、 変化してきて、 現在に至ったのである。 それは個人の人生ばかりではなく、 動物としても、生物としても 少しずつ慣性の法則に支配されているように 展開して来ているのである。 それらの背後には 大きな生命の営みが感じられるが その本質は 定かには分からない。 我々の自由意志は 本能原理の上に わずかに存在するが、大きな生命の営み、日常の連続性によって働いており、その大いなる流れの上にあることに想いを致せば、 大きな迷いや不安から、解放されるだろう。 その流れを観、感じ、捉えることが肝要である。 多くの人は両親や近い人の終末から、自分の終末を予感し、覚悟し、 子供たちの終末を予感するだろう。 永い間、代代繰り返えされてきたのだから、 私もそうなるだろうと悟るだろう。 およそ人生とは そのようなものである。 然り 大河の中の一滴のように である。 世の、始めも、終わりも、人生の始めも、終わりも、定かには分からない。 ただ大きな流れの上に生きているということである。 大きな変革も、ちょうど地震のように エネルギーが次第に高まり、 その流れの中で起きたものである。日本社会をみても、大震災による原発事故、増大する膨大な債務、政権交代も同じように考えられる。40年以上も稼働して来たものが、稀有な天災で甚大な被害を受けた、しかしながら、今まで築いてきた膨大な設備を、それでは直ぐに廃止とは行かないのは 当然である(再生核研究所声明 67: 脱原発デモ ― 非現実的な貧しい二律背反の発想と飛躍した議論)。どうしようもない膨大な債務と財政難も同様である。大きな船の舵のように、急には財政改善とは行かない、改善は総合的な難問ではないだろうか。政権交代も、自民党の長期政権が疲弊、衰退し瓦解により、政権交代はしたものの、外交、軍事、財政、経済、何れも急には変えられないのは 道理であり、現実の日本の上に 政治を進めるためには、そんなに変えようがないという苦しみを 現政権にみることができる。それは大きな政治社会、大きな国の機構、現実を見れば 当然であり、菅氏が人間性の観点から批判されたのは 当然としても(再生核研究所声明 71:菅 暗黒政権 を総括する)、鳩山氏の過ちは小さく(再生核研究所声明 59: 鳩山政権の総括と反省)、野田首相はしっかり バランス良く賢明に政治を進めていると 高く評価されるべきである。 要するに、現実の日本が有る限り、 そう簡単には 変えられないというのは、 慣性の法則の重要な視点である。永い歴史が有って現在がある、 歴史の流れの上に、 明日からの未来を少しずつみつめて 着実に歩みたい。 歩んで来た過去をしっかりみれば、 明日の在るべきことは 相当に決まっているものである。 それを歴史的必然とも表現できよう。 現在、未来は 過去の歴史から、慣性の法則で、押し出されていくものであり、 自由を行使する判断でさえ、過去の積み重ねられた知識、体験の学習の結果であり、 多くは慣性の法則で 動いていると言える。 我々が創造と呼んでいるものもそうである。 積み重ねられたものから、生命作用として、噴き出ているのである。 それゆえに、歴史を真面目に捉え、飛躍が無いような、総合的な、大きな視点を持つように心がけたい。もちろん、震災、財政危機、政権交代などの社会現象は 世界史で 繰り返し 繰り返し展開されてきたことである。少子高齢化、教育の問題、産業構造と失業問題、環境問題など、何れも局所的対応、単細胞的思考では対応できず、各々の専門性を超えた 総合的、全体的な視点が大事である。 そのような視点を国民が全体的に持ち、 対応する力が無ければ 混乱と破局を早晩迎え、それも1時代の現象と評価されることになるだろう。 実際、我々は沢山の 世紀末的現象を 世界史の中に 見出すことができる。 世界は 大きな流れの中で、成るように成るものであると 半ば悟った様な心持ちは 視野を大きくさせ、賢明な有り様を選択させるだろう。以 上
2013.10.28
2013年10月27日 23:01 正義で倒せない悪に例外を設けるべきだろうか?・正義と悪の関係ってなんだろうか?私たちは幼い時から「悪を倒す正義」という構図をすり込まれてきました。月光仮面だの、鞍馬天狗だの、仮面ライダーだの、黄金バットだの、そして今でもその流れを続いていてTVドラマでも正義が悪を退治する構図に国民は拍手喝さいをおくる。それで悪人を憎まない者は白眼視されて悪人の仲間と見なされたりする訳で、しかしこの構図は主権者にとってお誂えの有難さのようで、国民を敵味方に二分するのに使われやすい。つまり敵視する側を悪として非難することで自陣を正当化する。ホントに悪は正義で倒すべきだろうか?「悪妻はやっつけるべきだろうか?」と尋ねると、それとこれとは別だとか言い訳しながら逃げるしかない訳で、しかし悪をやっつけるのが正義なら悪妻はやっつけられて当然で、悪旦那も悪息子も悪娘もやっつけるべきで、、、それでかどうか、親が幼児を折檻死させたり、老親を息子・娘が怒って死なせたり、、それは悪い奴をやっつけた訳で「よくやった」と言う責任が政府にも文科省にも、もしかあなたにもある筈だが、それは別だというのではありませんか?そのような二枚舌をつかう場所が哲学を語る場である訳はないと思うのだが、あなたは如何思われるだろうか?正義、悪の区別が 難しく、判断できないから 問題ではないでしょうか?
2013.10.28
2013年10月27日 23:03 世の中はだんだんと悪くなっていく、過去に比べて人の性質は荒廃してくという終末思想的な考えの方もいらっしゃれば、世の中は進歩していき昔に比べて教育が普及したので精神も健康で明るい人間が増えている、というように考える人もいらっしゃる。この差はどこにあるのでしょうか。ちょっと昔は新自由主義と言われて社会は発展進歩していくので悪い事は淘汰されて無くなるはずだとされていましたが、そうはなりませんでした。人間は、ある精神の能力はたえずブラッシュアップしないと筋肉と同じく使わなくなり衰えてしまうかもしれないので、悪くなっていくという人と良くなっていくという人が出てくるのですか。これは、社会の世相で、 波を打つのでは? 時代の背景で変化するのでは。政治の有り様、 生活の豊かさ、 大きく影響しているのでは?今は、 不安な よくない方向での世相では。原因を考えて、 努力は 必要では?教育なども大事では?
2013.10.28
2013年10月27日 23:04 悪いと思わなくても謝るが勝ちみたいな考え方・・・日本人の考え方の中には自分の方が悪いと思ってなくとも、頭を下げるが勝ちみたいな考え方ってありますよね。こういう考え方というのは韓国人や中国人、また欧米人など他の国にはあまりない考え方なのでしょうか?こういう考え方もある程度は頭の中にないと、悲惨な状況になりやすいということはないのでしょうか?人生哲学上の質問とみなしてください。そのような いい加減な対応は よくないのでは。 表現を気を付けて、 きちんとしたいですね、 それは 信頼にも繋がるのでは?
2013.10.28
2013年10月27日 23:05 「必要条件」という言葉が、論理学から離れて、ちょっとかっこつけた「必要」の協調系みたいに使われることが多くて、混乱します。なまじ論理学なんてかじったことがない人ならいいのですが、そうでない人には。「スポーツに励む」のは「健康になること」必要条件だ。なんて堂々と言っている人がいる。だけどこれは、逆です。「健康になること」は「スポーツに励む」ことの必要条件なんです。なぜなら、「健康になる」にはスポーツだけではだめだからです。過剰なストレスや精神問題もある。スポーツで故障して不健康に結びつくこともあるわけですから。この「必要条件」の悪用乱用誤用をなんとかできないのでしょうかね?確かに、 必要条件これは数学の学術語ですが、数学の論理など 社会に適用するとおかしなことが 起こるは世に多いですね。 社会の問題は、きちんと割り切れない、微妙な問題が絡んでいるからですね。 全体的な捉え方、 判断が大事ですね。どちらかでない、問題が多いですね。
2013.10.28
2013年10月27日 23:05 多様性万歳と叫ぶ人は博愛主義者でしょうか?哲学的次元において、多様性万歳と叫ぶ人のことです。この「次元」についてですが、我々の思考や判断は色々な次元においてなされるでしょう。たとえば、日常生活的次元、政治的次元、(それも地方政治的次元、一国の政治的次元、国際政治的次元)、そして哲学的次元や、倫理的次元などいろいろ。)ところで哲学的次元において多様性礼賛者が政治的次元において、独裁を志向するということもあると思いますか?私は次元が違う以上、そういうこともあり得るのではないかと想像しますが。人間存在の原理で 世界の拡大 があると思います。 そこで、多様性で、いわば悪いこと、悪も必要なのでは という意見では? それも 考えられると思いますが、 大きさや質の問題で、全体的な在り様では。 難しい観点を指摘されていると思います。悪や、悪いことの無い世界も 考えにくいですね。
2013.10.28
2013年10月26日 23:35 なぜ或る思想を好むのか、その原因は・・・形而上学的観念の由来というものについて、自分の中には以前からどうしてもプラトンやここにおられるねたろーせんせいのような考え方、つまり形而上学的観念は天来(生得的)なものであるとする考え方から離れられません。こういう考え方をずっと持ち続けてきた私なのです。http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1411552232...またそうであってこそ、人間の尊厳やらなんたらというものはあり得ることになるという風に考えております。今朝からのどなたかの質問に、良心のカケラももたないような人間はいるかというのもございました。私はこの人間の心の奥深いところにある良心もまた天来のものであるのだろうという捉え方をしております。(そういえばイエスの言葉の中にも、「あなたがたは神の宮であって神の御霊が自分の内に宿っているのを知らないのか」というのもありました)また先日来「理性」というものに関しての論議めいたことを致しておりますが、それもまた今ほど言った良心と連なるものだとの考え方を抱いていて、それはつまり形而上の世界と言いますか、プラトンが言うところのイデアという世界に連なるものだと考えております。こういう風に言うと、中にはお前は未だに二千数百年も前の哲学者の唱えているオカルトめいた論証可能性(実証可能性?)のないものを信じているのかと言われてしまうのかもしれませんが、これはこう考えてしまう感覚を持っているという事実なのでありまして、自分がどうしてこういう風な考え方をしてしまうんだろうということの方に、むしろ私の興味はあるわけなんです。皆さんにも考えてみて頂きたいのです。人によって興味を抱く思想に違いが生じるのはどうしてなのかということ。蓼食う虫も好き好きということなんですが、それは一言で言えば個性という簡単な言葉で言いくるめられてしまうのですが、それでは納得できないものが自分の中にはあります。どうぞどなたか答えをください。人間には、 良心や神性を持っていると思います。環境で素直に育たない場合もあると思いますが、 良い環境で育てられれば、 良い精神を持たれるのでは?生命には、一体感、 共有、共感、 共鳴の精神が有るのでは?
2013.10.27
2013年10月26日 23:37 どうして動物は生き物を食べるのですか?植物だけの世界なら、動物が植物を食べることも無かったし、動物が動物を食べることもなく、食物連鎖の頂点にいる人間が人間同士で争うなんて醜い世界ではなく平和な世界だったろうに…どうして生き物を食べる動物などというものが生まれてしまったのでしょうか?厳しい環境で、大きな生命を保つために色々な役割が 必要なのですね。元祖生命体です。 再生核研究所声明 36 (2010/05/14): 恋の原理と心得 元祖生命体(本来の生命、生物界全体)は 永遠の生命を有し、人間的な意識と自由意志を有し、存在すること、知ること、美を求めることなどを目標に生命活動を続けている。人類の発展の先は いまだ不明である。 確かに言えることは、生存を続けること、知ることを求めること、感動することを希求しているということである。 元祖生命体においては 男女はなく一体の存在である。 従って、恋も、もちろん、男女の愛も親子の愛もそして死も本来存在しないものである。 元祖生命体においては 本来 永遠の生命を有していたから、 食欲や生命間の争いも無く、人類の進化の先をもっぱら志向しているとみられる。しかしながら、物質の形をとって、 生命が存在するためには、そのままで、永年存続させることは、 物理的に不可能であり、再生機能による仕掛けを用意する必要があった。 厳しい自然環境に柔軟に対応できるように、多様な生体系に分け、多様性の観点から、高等生物を2種類に分け、2つの作用によって、生命を再生させる仕掛けができて、それらが、男女の誕生、恋、結婚、出生、育児、親子の基本的な営みができたというのが そもそも恋の原理である。 これが子の誕生と死の輪廻、再生の原理である。 実際、人類以外の多くの生物は、生きること、恋をすること、子を設け、育てることで 殆どその生命活動は尽きると言える。 もちろん生物である人類にとっても、 基本は同様であると言える。 実際、 人生のあらゆる活動の大部分を それらに関して費やしていると言える。 種の保存は あらゆる生物の第1原理 であるから、当然である。 実際、人生を表現するあらゆる文学の課題がそれらに絡む題材であると言っても過言ではない。このような発想はギリシャと仏教の思想にあると考えるが、 夜明け前 よっちゃんの想い で最初に述べられた 最も大事なこと ― 必然的に新しい価値観と考え方を限りなく発展させて、雄大な世界を拓く - となるので、深入りはしないことにしたい。 そこで、心得の方に視点を移したい。 男女がどのように恋について関わるかは 2人の自由であるから、それらの内部関係ではなくて、社会的な在り様についてまず触れたい。 実際、現在でも国や、社会によって多様な在りようが存在するのが 現実であり、実際である。 しかしながら、それらの在りようの基本として、声明1に述べられている、 公正の原則は ここでも基本になり得ると考える: 1) 法律,規則,慣習,約束に合っているか.2) 逆の立場に立ってみてそれは受け入れられるか.3) それはみんなに受け入れられるか. 4) それは安定的に実現可能か. 殆どの小説の題材になる程に 恋の問題は、人間の精神に深い影響を与えるものであるから、 特に個人個人が 自己の心に忠実に、全体として、諒となるように対応するのが 最も肝要である。 自己の心とは実際深く、複雑なものであるから、しっかりと自分を捉えて対応するのが肝要である(恋の心得)。 上述のように そもそも 恋は生と死に関わる人生の大事 であるから、特に恋の 第一の結晶作用(スタンダール)がはじまる以前においては 慎重さが大事であり、第二の結晶作用 前においては 恋を解消する勇気を持ちながら、十分な時間をとり、全人格を賭けて決断を行なうことが特に肝要である。恋には、一個の人間の、愛、欲求、良心、熱情、不安、畏れ、などなどの激しい葛藤があり、その意味で、恋にどのように関わったかは、1個の人物の第1次の総合指標を表していると言える。 恋の現象として、特に印象深い、参考文献、表現について触れておきたい:恋の問題を人生・世界の広い視点から深く扱っているものとして、ゲーテのファウスト。女性の恋と性は簡単ではなく深いものであることに触れている、バルザックの谷間のゆり。自殺する前に話した、先輩の言葉: 私の人生で、真実は唯一つ、A を愛したことだけである。- 実際、恋のいわば失敗で、自殺に追い込まれたり、生涯に亘る傷を負うことは世に多くみられる。人生の基本定理(声明12)に寄せられた言葉: 出産が 私の最も感動したときである。 少し、超越への道について触れたい。 食欲と性欲は 基本的な人間の欲求とされるが、上記 元祖生命体においては 本来それらは、無いものであり、本来の生命活動としては、それらを超えたところに存在するということである。 したがって、 食べるために生きる、恋のために生きるは、本質的な誤りを含んでいる。 真実、本質は逆である。 生きるために食べ、生きるために恋をするのである。 したがって、それらは無限ではあり得ない。 人類が 元祖生命体の人類の先を志向するのは、あらゆる生物のうちで、人類だけができる人類の崇高な使命である。 人類は己が存在の基礎に元祖生命体の己の分身が雄大に広がっていて、同じ運命共同体であることを忘れてはならない。 もちろん、人間は同じ元祖生命体の分身であり、個々の人間は1個の細胞のような存在である。 まこと 個々の人間の存在は 元祖生命体の雄大な存在からみると 大河の一滴 (五木 寛之) と考えられるが、しかしながら、それは同時に全体に関係し、全体を内包しているから、限りなく貴い存在である。元祖生命体の高度な謙虚な営みの一つして、 数学者の人生を紹介したい。 数学者は関係を追及していて、ただその関係はどうかという問題意識を持ち、あるいは その真偽の追求、あるいはそのような関係を求めて、真理の追求を行っている。 面白いのは、それらは世の中と何ら関係がなくても、 それはどうか、どうかと限りなく追及していることである。 しかも その中に、美と感動を見出して、その追求には終わりはなく、 無限である。実際、たとえば、オイラーの公式の魅力は千年や万年考えても飽きることはなく、数学は美しいとつぶやき続けられる、と言える。数学者にとっては 人生は短すぎると言える。また、移ろい行くものや世事に関心が薄く、実際、戦場でも数学を考えていたというような逸話が残されている。 科学者や芸術家も同じような人生ではないかと考えられる。実際、人間は有限性と無限性の両面を持っている存在である。以 上
2013.10.27
2013年10月26日 23:38 意識と生命の関係性・・・哲学的に、意識とはどういうものなのか、それは何なのか、また生命とは何なのか、それはどのようなものだと理解すればよいのか、・・・・これらのテーマについて論ずるならば、一冊か二冊かの本になってしまうくらいのテーマなのでありましょう。意識をどのようなもととして捉えるのか、また生命に関してはどうかということが、哲学者一人一人の見解としてあるわけだと思うので。そこで皆さまご自身が考えられる「意識」また「生命」でよいので、この「意識」と「生命」というのは、どのような関係性の上にあるものなのか、また関係性というものはなく、それぞれが独立したものとして存在するのか。以上ご考察をお願い致します。生命、脳の働きとして、 意識が湧いてきますね。 楽器が奏でる 音楽の様ですね。意識は、われ思う、ゆえに われ在りと意識することですね。 そこから、考える働きが湧きますね。 認識する全ては、意識の世界ですね。
2013.10.27
2013年10月26日 23:38 あらゆる全ての存在や世界に属さない、存在すら超越した、説明のつかない何かはいますかそればかりですね:再生核研究所声明 132 (2013.9.10): 神を如何に感じるか - 神を如何に観るか (2013.9.5.6:50 まだ 薄暗い中、研究室に向っているとき、神を如何に感じるか という、 新しい声明の原案が閃いた。) 神の問題を 直接 再生核研究所声明122 でとりあげ、述べたのであるが、それらは、意識を越えて ひとりでに述べられたと言えよう。そこで、気づいて、改めて感じたのが上記のようにである。表現を試みたい。まず、上記声明で大事なことは 神の定義を 厳格に与えたということである。― 神は存在し、一切の存在と非存在を しっかりと支えておられる存在で、 永遠や無限や愛のように 我々の想像上に存在し、信仰によって観える。 ― 極めて良い たとえ がある。よくみかける 幼児キリスト を擁かれた マリア様 の像である。キリストを ユニバーサル; すべての存在と非存在と考え、マリア様を神と考えれば よい。我々の能力では 神は定かには捉えられない ― (動物たちが美しい月をぼんやりと眺めている。 意識はもうろうとしていて、ほんにぼんやりとしか とらえられない。 自らの存在や、ものごとの存在すら明瞭ではない。人間も、殆ど 同じような存在ではないだろうか。 人類よ、人間の能力など 殆ど動物たちと変わらず、 ぼんやりと世界を眺めているような 存在ではないだろうか。 神も、一切の存在も観えず、ただかすかに感じているような存在である。 声明122)大地震が世界を襲い 多くの命を奪うように、人間の都合の良い優しい神、人間を簡単に救ってくれるような いわゆる神などは存在しない (再生核研究所声明 119:冷酷な神々、自然 ― 見捨てられた人類)。しかしながら、神は、全ての存在を支えられていて、人間は想い患うことはない。 ただ、必要な時に 一心に念じれば良い。 それは古代から、あらゆる社会で 祈りの形式をとってきた、全ての宗教と 神を正確に捉えるものであると考える。 これは 世界の宗教の統一 を成し遂げているものであると言える。神を よりよく観るのは、人生の目標と言っても良い、 ― 実際、人間は、究極、神、自由、不死を求めるもの であるからである。実際、世界がより観えて、自由になり、死から解放されて 永遠のものに帰せられるは 何と素晴らしいことだろう。― 神が存在しなければ、所詮は 全ては空しく終わってしまうだろう。しかしながら、どうしたら、如何にしたらできるかが無ければ 多くの提案は 空しいものになるだろう。そこで、どうしたら について 触れておきたい。これはもちろん、人生如何に生きるかに近い、多様な近づき方が有るのは当然で、多種、多様である。個性にも、大いによると考えられる。得意なところから、触れたい: 数学とは何か ― 数学と人間について国際数理科学協会会報、No. 81/2012.5, 7―15 説明: http://www.jams.or.jp/small-ball.gif No.81, May 2012(pdf 432kb) に公刊したが、その第8節に、ここで、神の定義と神の存在の説明ができそうであるが、未だ不十分である と述べている。さらに、神の気持ち、神は2を愛し給う、神は2が 好きだとか、神は恥ずかしがりや だ とか、神のいじわる、などと述べている。他の研究では 神の思わせぶりが出ていて、堪らなく楽しいとか、神がそんなに美し過ぎる数学を作っているはずがない などと述べてきた。実際、数学と数学の研究は 神との対話のような面が有って、数学は 極めて神学に近いと言える。数学の存在そのものが ― 数学の神秘性 ― 神の存在を示しているようにもみえる。ベートーベン交響曲第9番などの美しい音楽の世界に 神を直観する者は多いのでは。美しい満天の星空を眺めていて、美しい森を歩いているとき、月光の下で、光輝く小川を眺めているとき。思えば、不思議にも修学旅行で 日本平 をみんなで歩いているとき、神がのりうつってくるような恐ろしい感覚に襲われた。芸術家の創造活動も数学の研究と同様、さらに科学の研究もみな同じようではないだろうか。生物界;生命の発生から、生体、進化いずれも神秘に満ちていて、背後に神の意志が感じられるのは多い。彫刻などにも 技術にもそのような面が出るのでは? 実際、芸でも、歌手でも、スポーツ、技術でも 神業 は世に多い。政治社会や戦場などでもいわば 義の精神が湧いてきて、神を直観する場面は多いのではないだろうか。お釈迦様も述べられているように、過酷な修行など逆に精神を萎縮させて、修行としては良い方向ではないようにみえる。あくまでも健康で、精神が溌剌として弾むような状態が良いのではないだろうか。心身 身を清めそれぞれの国で、文化を持つ 神殿などを参拝するのは もちろん大いに効果が有るのではないだろうか。大事なことは、究極には 経典や教えにあるのではなくて、全ては 各々の心の中に存在するということではないだろうか。それ故に 自分の心の世界を清め、よく治める心がけが 大事ではないだろうか。神に近づく修行には終わりは無く、無限の深さを有する 神秘の世界であると言える。しかし、適切な道を見出し、歩めれば 生き生きとした人生を送ることが出来るだろう。それは力を有する愛と希望の源だからである。 以 上 2013.9.6.15:20 中国に出かける前で 精神が集中しないので、一気に纏めてみる。一気に書いたら、結構纏まっている。直観が湧いたから。2013.9.6.16:20 結構良い、中国に出かける前に完成できるのでは。2013.9.6.17:20 カストロ教授、申請書完成版をもってくる。凄いことが書かれている。9月5日 その申請の案の作成で、早朝来た。2013.9.6.18:45 良い。2013.9.7.09:35 少し追加、しかし、本質は良い。言いたいことは十分表わされている。大きな意味のある声明である。2013.8.7.09:55 追加記入が気に成って、確認、良い。2013.9.7.12:05 良い。2013.9.7.16:10 少し良い文を挿入、公表日付けを入れる。2013.9.7.18:50 良い。2013.9.8.10:00 少し言い回し修正、2010 東京オリンピック開催決定。2013.9.8.10:55 神業の文を加える。2013.9.8.16:50 声明133の原案作成、新しい数学の結果を得る原理を発見、明日、ロドリグスに話したいと メールする。2013.9.8.18:00 良い。2013.9.9.7:45 良い、完成できる。2013.9.9.8:15 完成、公表、神がかったような 美しい日。
2013.10.27
2013年10月26日 23:39 色々なものに対する自分の好悪感が同調意識によって形成されたものだと気づけずにいるということは、90%以上の人にとって結構一般的なことでしょうか?どのように思われますか?共感、共鳴、 同調の心ですね。 好みは 性格や、育ち、教育などに影響されますね。
2013.10.27
2013年10月26日 23:40 心というものはひとりの人間にひとつだけあるものなのでしょうか?小さな心が沢山あって、上手く全体が纏まっているようですね。生命の内部に 浮いているような感じも。 無意識、本能などが 心を動かしていますね。 音楽など、環境もそうですね。複雑ですね。
2013.10.27
全336件 (336件中 1-50件目)


![]()