全23件 (23件中 1-23件目)
1

年末の大掃除で大忙しでした。「猫の手」も借りたいということで、とらねこにも手伝いをさせたところ・・・こんな状態に(笑)本年もいろいろとお世話になりました。本来ならばお伺いしてご挨拶させていただくところですが、こちらで失礼いたします。また改めてお伺いさせていただきます。皆様がいいお年をお迎えされるようお祈りいたします。 三人文殊追伸 コメントの返信が遅れておりますが、必ずお返事いたしますので、しばらくお待ちくださるようお願いいたします。ブログランキングに登録しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2007年12月31日
コメント(20)

ブログランキングに登録しています。クリックよろしくお願いします。 ↓ 先日今年母を亡くされた方から、こんなことを言われました。「残された父が気落ちして、後を追うのではないかと心配です。」「そうでもないと思いますよ」「妻に先立たれて、まもなく夫が後を追うように死ぬ例は 多いのではないでしょうか?」「そんなことはないですね」はっきり言い切ってしまいました!具体的なデーターを示すわけにはいきませんが、夫が後を追うというのを1~2年以内とした場合そのような例は多くはありません。しかし、なぜそんなことが言われるのでしょうか?最近発表された平成17年の平均寿命は男性が78.79歳、女性が85.49歳です。男女差が6.95ですから、女性の方が7年あまり長生きする予想となっています。すなわち同じ歳同士の男女が結婚した場合、男性が先に亡くなり、その後女性は数年一人で生きる可能性が高いといえます。実際は夫婦では男性が年上の場合が少なくありませんので女性が一人で長生きする例も少なくありません。逆に女性が先に亡くなった場合、男性が長く一人で生きる可能性は少ないのかも知れません。とはいえ、男性の平均余命は85歳の場合でも5.93歳ですから、1~2年で死ぬ例は少ないように思います。ただ、女性の後を追うように男性が亡くなる例が少なからずあり、そのイメージが強いのでしょうか?長年連れ添った伴侶を亡くすというのは想像以上にショックが大きいようです。 ちょうど年取りを迎えるいい機会です。相手が亡くなってから気落ちするよりも相手が亡くなる前に少しでも尽くしてあげませんか? コウユウブログランキングに登録しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2007年12月29日
コメント(32)

ブログランキングに登録しています。クリックよろしくお願いします。 ↓ 朝から、例のイヌマキの剪定を行なっていました。とらねこはというと何か狙っているようです。狙いは・・・これでしょうか?日本でも盛んに行なわれているクリスマスですが、何故か前日のイブの方が華やかに感じます。ケーキも25日のクリスマスの夕方になると安売りしていますし(狙い目)イベントもイブに行なわれるほうが多いような気がします。その理由はキリスト教会の暦が「日没をもって日付の変わり目とする」からだそうです。また、カトリックでは「クリスマスには夜半・早朝・日中の三回ミサを行う」そうです。面白いですね。ちなみに仏教でも法要や行を行う時には、日没を持ってはじまりとして、初夜(夕方)・後夜(朝)・日中の三回行います。たとえば、二月十五日の涅槃会は二月十四日の夜からはじまり、二月十五日の日中まで行なわれなます。その名残か、逮夜(前日の晩)に法要を行なう地方もありますし、徳島では、お葬式の後の骨上げの法要を「お六日(初七日の前の晩)」ともいいます。昔は電気もありませんから、日没をもって、一日の終わりとして、早く寝るのが普通だったのかも知れません。 コウユウブログランキングに登録しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2007年12月24日
コメント(28)

ブログランキングに登録しています。クリックよろしくお願いします。 ↓ 毎年、徳島では年末に真言宗各派が「歳末助け合い托鉢」と称して、街頭での托鉢を行なっています。毎年、12月23日の恒例行事となっていました。私は毎月23日は地蔵講があるため、永久に参加できないと思っていましたが、今年は、22日ということで参加予定に。ところが朝からあいにくの雨です。雨なら休み?と期待しながら問い合わせすると「雨でもしますよ」と言われガックリ(汗)寺町の善福寺に集合して、1キロほど雨の中を徳島駅前まで歩きます。雨降りでなければ、網代笠を被って整列しながら向うのでしょうが、雨のため傘を差したり、合羽を着たりで、一貫性が(汗)駅前で並んで、まず般若心経をお唱えします。「托鉢」というからには、そのまま般若心経を唱え続けるのかと思っていましたが・・・心経は三巻で止め、後は歳末助け合い運動の募金を呼びかけます。時折、般若心経を唱えますが、ほとんどは通行人に募金のお願いをしました。なかなかいただけませんね(苦笑)寒い中立ったまま募金を集めるよりは、各寺院に「歳末助け合い募金」を割り当てて集めたほうが効率的だし、金額も集まるはず、というのが本音です。ただ、仏教には喜捨というものがあります。募金という形を取ることによって、募金していただく方に功徳を積んでいただく機会を与えるという目的があります。また、僧侶も社会奉仕活動を行なっているという布教活動でもあります。とはいえ、なかなか募金を呼びかける声を出すだけでも勇気が要ります。ずっと般若心経を唱え続けたほうがはるかに楽です(苦笑)愛想よく心から、募金をお願いすれば結構集まるのかもしれませんが、寒いのと通行人がほとんどの人が素通りするので、募金のお願いの声も心がこもっていませんし、せっかく募金いただいても、ニコリともできません(汗)「募金箱になりきる」ことを考えれば形を変えた立禅とでもいえます。約一時間の募金活動を終え、集合場所の寺町まで雨の中戻ります。募金いただいた方ありがとうございました。 コウユウブログランキングに登録しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2007年12月22日
コメント(25)

ブログランキングに登録しています。クリックよろしくお願いします。 ↓ 年賀状を印刷屋さんに「大至急お願いします」とお願いしたのが12月10日(汗)出来上がったのが15日ですが昨日から書き始めました(汗)ちなみに私の母親などは「年内にお葬式があるかもしれないので、 元日に出せば良い」と豪語していました(笑)ところで、11月頃から、「喪中につき新年のご挨拶を遠慮させていただきます」というような葉書きが舞い込んできます。世に言う「喪中欠礼」です。さらに、当院にも「私の○○が亡くなったのですが、喪中欠礼の葉書きを出した方がいいのでしょうか」というような問い合わせがよくあります。そもそも「喪」というのは、儒教の制度で私は本来門外漢ですが、聞かれた以上は答えざるをえません。(笑)以前にも書いたように「喪」というのは「私は身内が亡くなって悲しんでいる」ということを世間に知らしめることが目的です。したがって、喪中欠礼の葉書きを出すかどうか迷うようなら、やめるべきというのが私の意見です。現代では「喪」に服して仕事を休んだり、外出を控えて家に籠もるというのは世間的にもなかなか認められることではありません。それでも、せめてお正月の外出は控え、お経を一巻でもあげて、故人を供養したいものです。 コウユウブログランキングに登録しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2007年12月21日
コメント(24)

ブログランキングに登録しています。クリックよろしくお願いします。 ↓ いつも書き込みしていただいている方のところで、カーボンオフセット年賀というものを見つけました。カーボンオフセットとは、「地球温暖化の原因となる温室効果ガスをクリーンエネルギー事業などを通じて打ち消し、削減する。」というのですが・・・今年の夏は本当に暑かったです。今年ほど地球温暖化を感じた年もないでしょう。少しでも二酸化炭素を削減しなければ、そう感じて、今まで車を使っていたところを原付で、原付で通っていたところを、自転車で、自転車で通っていたところを歩いて(これは関係ないですか)二酸化炭素の削減には努力しています。さらに少しずつ木を植えています。年賀状も差出枚数を、昨年の半分程度にカットする予定です。まだ書いていませんが(汗)そもそも、日本では温室効果ガスの削減が進んでいません。さらにいえば、そのような政策も取っていません。かつて「ぬるま湯カエルの脱出記録」というタイトルのブログを書かれていた方がいました。カエルは熱湯に入れると熱くてすぐに飛び出しますが、ぬるま湯から徐々に熱していくと、飛び出す機会を失い煮えてしまうということです。ちょうど地球が現在そんな状況です。そう考えれば、強引にでも二酸化炭素の削減を考えなければいけません。「地球温暖化の原因となる温室効果ガスをクリーンエネルギー事業などを通じて打ち消し、削減する」これはすなわち、どこかの国で、ある事業に伴ない発生する二酸化炭素を削減する代わりに、排出権を手に入れるというような日本の経済の発展を確保しながら、二酸化炭素の削減を目指すというような悠長なことをしている場合ではないのではないでしょうか?まず、化石燃料を使わないということで「日本の原油輸入量を10パーセント削減する」また二酸化炭素を吸収する農地・山林がどんどん減っているような現状では二酸化炭素を増やしているのと同じです。「農地・山林を転用する時は、必ず代替地を用意して、農地・山林を確保する」無駄な土地開発がなくなり緑が戻ることでしょう。さらに、山林・農地を増やすため「新たに建築物を建てる場合には、容積率の30パーセントを山林・農地とする」こうすれば、超高層ビルを建設する場合には、莫大な緑の敷地が生まれます。こんなことをすれば日本経済は確実に崩壊します。しかし、その程度でも温暖化は止められるかどうかわかりません。温暖化が進めば日本経済の崩壊どころではありません。生まれてくるすべての生き物に、住みやすい地球を残したいものです。 素光ブログランキングに登録しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2007年12月20日
コメント(18)

ブログランキングに登録しています。クリックよろしくお願いします。 ↓ このところあわただしい日が続いています。それというのも新しい年を迎える準備をしなければならないからです。準備といっても主要な仕事は掃除です。一年間使わなかったものは、もう使わないということで思い切って捨てたいところですが・・・そうもいきません(汗)お正月は元々歳徳神を迎える行事です。歳徳神とは実りの神様のことで、その神様をお迎えすることによって、今年一年の豊作を祈願するわけです。したがって神様をお迎えするためには、家を掃除して邪気を祓わなければなりません。そして神様が寄り付く門松をたて、神様のお供えである鏡餅を飾ってお正月をお迎えしました。ちなみに箒は元々掃除道具ではなく、祭祀用に使われていたものでした。葬儀の列を組む際に箒を持って歩く「箒持」という役割があり、箒で邪気を祓ったともいいます。私の子供の頃は、大晦日には年取りといっておせち料理を食べる習慣がありました。なぜ年取りと言っていたのか当時はわかりませんでしたが、今になってよくわかります。現在は暦がしっかりしていますので、何年の何月何日に生まれたということがはっきりわかっています。したがって年齢を数える時には、誕生日を迎えるたびに一歳二歳と数えていけばいいわけです。しかしその昔は、現在のように暦が発達していたわけではありませんので、何月何日というのがはっきりわかるわけではありません。したがって、生まれた時が一歳、そして正月を迎えるたびに一つづつ年を取って行くわけです。最近は年末年始といっても、普段とあまり変わらなくなってきました。お店もお正月から開いていますし、特別な日ではなくなってきたということでしょう。しかし、やはり年末年始はいい区切りです。年末にはお掃除をして気持ちよく新年を迎えたいものです。 コウユウブログランキングに登録しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2007年12月19日
コメント(14)

ブログランキングに登録しています。クリックよろしくお願いします。 ↓ しばしば真言宗の檀徒さんから「やはり(他宗派と比べて)真言宗が良いですね」という声を聞きます。真言宗をほめられているので、「それはそうでしょう!」と素直に喜びたいところですが、実際は「そうですか?」と苦笑してしまいます(汗)さて、昨日お話ししたように真言宗の僧侶はあまり常用経典の「理趣経」でさえ教えません。すなわち、真言宗は僧侶がお唱えするお経と信者さんがお唱えするお経でさえ違うのです。これは何を意味するのでしょうか?実は真言宗は基本的に自分で救われる努力をしなければならない教えです。それなりの修行と勉強をしなければなりません。だから、仏様に助けを請うだけでは全く救われない教えですが、そのことは全く理解されていません。現実の真言宗は、日本の民族信仰である葬送儀礼の上に載った状態で一般に認識されています。「羊の皮を被った狼」のような状態ですね(笑)したがって、前述の「真言宗が良い」という発言も皮の部分を見ての発言なので、苦笑せざるをえないのです。このような状況は真言宗に限らないでしょう他の宗派についても同じように日本の民族信仰と本来の教義との間の相違が大きいに違いありません。ですから、家に仏壇をお持ちの方にはぜひ、信仰している宗派の教義についても理解していただきたいと思います。 素光ブログランキングに登録しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2007年12月16日
コメント(16)

ブログランキングに登録しています。クリックよろしくお願いします。 ↓ 真言宗はいつも使うお経(常用経典)が他の宗派と異なっています。通称「理趣経」というのですが、他の宗派では使いません。理趣経というのは金剛頂経という密教経典の一部だからです。ちなみに、密教は他の地域にも伝わりましたが、理趣経が重要視されたのは、真言宗だけです。真言宗では、朝のお勤めに始まり、法要といえば「理趣経」を用いた「理趣三昧」が一般的です。法事でも、お葬式でも、お盆の棚行に至るまで理趣経一本です。それだけ重要な経典にも関わらず、僧侶が信者さんには、このお経を教えてくれません。それはなぜでしょう?一般的には、「理趣経」というのは誤解を招く怖れがあるお経と言われていますので教えないというのが建前なのですが・・・戦前までならまだしも、現代では理趣経に関する解説書はたくさん出ていますし、それどころが弘法大師が伝教大師に貸すことを拒みそのために仲違いしたとまで言われる「理趣釈」までが公開されています。それが本当の理由とは思えません。私もなんとなく人に教えたくないのですが・・・(汗)高野山では理趣経を教わるには行をしなければなりません。行をするためには、まずお供えをお祀りして壇を作ります。その前でまず礼拝行をします。礼拝行とは立った状態から、四つんばいになって頭をつけて(五体投地といいます)また立つを100回(実際は108回)します。それも、カイタクという拍子木にあわせて行なうのでスクワットをしているようなものです。高野山の専修学院には年齢制限がありますが当然だと思われます。その後すぐに、今度はお経と真言を1時間ほど唱え続けます。終わったら、お供えを替えて少し休憩してから、同じことを繰り返します。それを掃除や勉強を挟みながら一日三回、一週間ほど続けてやっと理趣経が授かります。自分は行をして「理趣経」を授かっただから、行をしていない人には教えられない。というところが本音のような気がします。「理趣経」ぐらい教えて欲しいという人には教えてあげればいいのではないか?というのが一般的な意見かもしれません。心が狭いような気もしますが、「理趣経」を習うのなら本気でお願いしますという気もします。いかがでしょうか? 素光ブログランキングに登録しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2007年12月15日
コメント(21)

ブログランキングに登録しています。クリックよろしくお願いします。 ↓ 「真言宗は自力ですか?それとも他力ですか?」こんな質問も何度か聞いたことがあります。このシリーズの最初に「自力」「他力」の話をしましたが、真言宗はどちらとも思えないからでしょう。真言宗では「おん~」「のうまくさーまんだ~」(仏様に帰依します)と真言を唱えて仏様に救いを求めるのみならず、「南無大師遍照金剛」(弘法大師に帰依します)と御法号を唱えてお大師さんにまで助けを請います。この辺りはどう見ても「他力」としか思えません。一方では、真言宗の行といえば、滝に入ったり、護摩という炎を焚いたり・・・また、厳しい修行に耐え切らないと僧侶になれない?と本には書いてあります。すると「自力」?という感じがするのでしょう。「真言宗は自他力???ですよ」と浄土宗の僧侶から言われたこともあります。当たらずといえども遠からずというところでしょうか。前にも登場したM先生いわく「真言宗は自力でも他力でもなく三力である」すなわち「我功徳力」(行者=自分の力)「如来加持力」(仏様の力)「法界力」(宇宙の力)の三つです。宇宙の力とは???それより、仏様の力とは???仏様の力も、宇宙の力も、他力です。普段なく自分を後押ししてくれる、不思議な力が「如来加持力」一方、自分から求めた時だけ力を貸してもらえる不思議な力が「法界力」私にはそんな気がしています。 素光ブログランキングに登録しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2007年12月14日
コメント(14)

ブログランキングに登録しています。クリックよろしくお願いします。 ↓ さて、長々と連載してまいりましたが、まだ説明していないのはあと一つ真言宗を残すのみとなりました。真言宗は今までたくさん説明してきたので、話さなくてもいいですね・・・と言いたいところですが、流石に何も書かなくてはまとまりがつきません。教義等については今まで何度も書いていますが簡単にはこちらをご覧ください弘法大師入定と即身成仏即身成仏への道今までお話しなかったことに触れながら、他派との違いを説明してみます。天台宗の僧侶に「真言宗と天台宗とどちらが厳しいですか?」と聞きますと「それは天台宗でしょう」という答えが還ってきます。しかし真言宗の僧侶に同じ質問をしても「それは天台宗でしょう」(苦笑)笑い話のようですが、厳しいか厳しくないかは相対的なものです。同じ修行をしても、厳しいと感じる人、楽しいと感じる人、それぞれです。平安仏教である真言宗は鎌倉新仏教と異なり、天台宗と同じように総合仏教の側面を持ち合わせています。それにもかかわらず天台宗の方が厳しいと感じられるのは真言宗と天台宗の僧侶養成の違いを現わしているようにも思います。すなわち、天台教学という、カリキュラムに基づいて修行していく天台宗と、体系だった修行システムを持たない真言宗の差かも知れません。行なうことが決められていると、宿題ではありませんが、重荷になりかねません。さらにいえば祖師(宗派を開いた)弘法大師と伝教大師の修行に対する考え方の差が大きいかも知れません。ある程度枠にはめて、弟子を厳しく指導した伝教大師と個々の僧侶の自主性に任せた弘法大師。現在の結果を見る限りでは、伝教大師の教え方の方がすぐれていたように思いますが、まだこれから先どうなるかわかりません。 素光ブログランキングに登録しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2007年12月13日
コメント(17)

ブログランキングに登録しています。クリックよろしくお願いします。 ↓ とらねこは師走にも関わらず、のんきにお昼寝です。 ゆうきブログランキングに登録しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2007年12月12日
コメント(20)

ブログランキングに登録しています。クリックよろしくお願いします。 ↓ さて、天台宗は伝教大師の死後、悲願の大乗戒壇を設立します。一方、開宗以来のウイークポイントであった密教ですが、唐に送り込んだ円仁・円珍の両大師が請来することによって解消します。さらに浄土思想をも取り入れますます発展していきます。しかし、本来の天台教学は密教・浄土などを包括する教えではありません。それを日本独自の曖昧さでうまく取り入れたように思われたのですが、抱え込んだ矛盾が臨界点を越える時が来ます。それが末法の時代といわれた鎌倉時代です。高度な教学と修行体系を持った天台宗は天変地異に苦しむ庶民に対して、有効な手段を持ちえませんでした。むしろ単純な教義とたやすい修行方法が待ち望まれました。浄土教団がまず天台宗から離脱し、禅宗も袂を別ちます。日蓮上人は多様な教えを抱え込んだ天台宗に対し法華経の本義を説き、親鸞上人は戒を捨て阿弥陀如来に対する確信を重要視し、道元禅師はただ、座禅する形に仏を見いだして独自の世界を作り上げていきました。日々の生活に苦しんでいた当時の庶民にその教えは広く受け入れられて行きました。現代においても天台教学に関する書物が一般の文庫や新書で親しまれることは少ないですが、日蓮上人、親鸞上人、道元禅師に関する著作が少なくないことを考えれば、お分かりいただけるかと思います。一方で、日本仏教のほとんどを生み出した天台宗は現代においても十二年籠山行・千日回峰行などで今なお注目を集める存在です。 素光ブログランキングに登録しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2007年12月11日
コメント(16)

ブログランキングに登録しています。クリックよろしくお願いします。 ↓ 当時、僧侶になるには、二百五十の戒律を受けなければなりませんでした。奈良仏教の諸派の僧侶は当然のこと、その後に成立した真言宗もこの戒律を授かることが僧侶になる条件でした。ところが、伝教大師はこれに異を唱えます。その前に仏教についてお話しなければなりません。インドで仏教は大きく部派仏教(小乗仏教)と大乗仏教に分かれました。簡単にいえば部派仏教は「個人が自らの救済を求める」のに対して大乗仏教は「他者の救済を重視する」といえます。日本に現在残っている仏教諸派はすべて大乗仏教の影響を受けています。当時でも部派仏教は大乗仏教への仏教哲学の基礎として学ばれていたに過ぎません。ところが、前述の二百五十戒は部派仏教に基づく戒であり、大乗仏教の戒とは異なります。それゆえ、伝教大師は「大乗仏教の僧侶は大乗戒を授かるべき」と考え大乗仏教の戒檀(戒を授かる場所)を作ろうと考えました。ところがこれがまた、当時戒壇を管理していた奈良仏教の諸派との軋轢を生みます。伝教大師は大乗戒壇を見ることなくその生涯を閉じました。一方真言宗は二百五十戒に加えて密教戒を別に授かることで、その問題を解決します。 素光ブログランキングに登録しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2007年12月10日
コメント(10)

ブログランキングに登録しています。クリックよろしくお願いします。 ↓ 伝教大師は約一年の滞在の後、帰国します。天台教学を期待されて持ってきたはずだったのですが、意外にも評価されたのは、ついでに請来した密教のほうでした。翌年、天台宗を正式に開宗しますが与えられた枠は天台教学1名、密教学1名でした。(当時の僧侶は国家によって枠が決められた定員しかなれませんでした)したがって天台宗は中国の天台とは異なり、法華経と密教の融合した形という独自のものとなりました。天台宗は総合大学にもたとえられ、禅(禅定)・円(天台)・密(密教)・戒(戒律)とも言います。それに対して以前に紹介した五つの宗派はその一部を発展させた専門大学ともいえるでしょう。天台宗の特徴としては一乗の成仏を唱えたことがまずあげられます。簡単にいえばすべての人は救われるということです。現代では「当たり前ではないか!」と言われそうですが、その当時の仏教(奈良仏教)ではそうではありませんでした。そのために、伝教大師は徳一菩薩という法相宗を代表する高僧と合計9つの書物をお互いに著して激しい論争を展開しました。 素光ブログランキングに登録しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2007年12月09日
コメント(8)

ブログランキングに登録しています。クリックよろしくお願いします。 ↓ 日本仏教の信徒数は平安仏教系 真言宗 1000万 天台宗 140万禅宗系 (臨済宗100万)(曹洞宗160万) 浄土系 (浄土宗650万)(浄土真宗1300万)法華経系 (日蓮宗 1100万)その他 170万概数でこれくらいといわれています(平成九年度宗教年鑑より)カッコで括った5つの宗派についてこれまで紹介しましたが、これらの宗派の祖師(宗派を開いた人)はいずれも天台宗の比叡山で学びました。すなわち、天台宗は日本仏教の源とも言えるのです。その天台宗を開いたのが伝教大師(最澄)です。伝教大師は若くして比叡山に籠もり、修行生活に入ります、そのうちに法華経に基づいた天台教学こそが真理であるとの確信を持ちます。その後奈良仏教を嫌い京都に遷都した桓武天皇と和気広世の庇護を受け、奈良の学僧を相手に法華経を講義したりしますが本格的に天台教学を請来したいと思い遣唐使船に乗り唐へ向います。当時の遣唐使は成功率50パーセントとも言われ文字通り命がけでした。そのときの遣唐使船は四隻。伝教大師の船は順調に唐へと着きましたが、もう一隻は漂流の末、ようやくたどり着き、後の二隻は難破し、行方不明になっています。ようやくたどりついた船に乗っていたのが弘法大師でした。もし、遣唐使船のうち唐についた二船が行方不明になり、行方不明になった二船が唐に着いていたら?日本の仏教も大きく変わっていたかも知れません。 素光ブログランキングに登録しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2007年12月08日
コメント(22)

ブログランキングに登録しています。クリックよろしくお願いします。 ↓ 公案というのは回答のない問題です。結論から言えば、先日の「拈華微笑」も「なぜ摩訶迦葉(迦葉尊者)だけが笑ったか?」については全くわかりません。そのように判らないことを、座禅しながら考えると答えが浮かぶかも知れませんし、浮かばないかも知れません。不思議なことに、回答のないはずの答えにそれに対する答えがでてくることがあります。答えが出てきた場合がいわゆる「悟り」です。答え自体には意味がありません。そうではなく、自分の仏性に気付くことに意味があります。このような話をある人にしたところ「自分で答えが出るだけですか?」と問われました。「いえいえ、禅宗では師家という人がいて、その「悟り」が正しいか見るんですよ」「どんな答えが出るかわからないのに どうやって確かめるんですか?」「人を見ればわかると思います」(推定)「・・・」絶句されてしまいました(苦笑) 素光 ブログランキングに登録しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2007年12月07日
コメント(14)

ブログランキングに登録しています。クリックよろしくお願いします。 ↓ 再びお遍路をしていた時のことです。ある寺院をお参りしたところ、和尚さんからお菓子をいただきました。お礼に境内を掃除させていただきました。その後本堂でお参りしようとしたところ、「本堂はお参りしなくてもいいですよ」「何故ですか?」「私のところの宗派は生活すべてが修行です。境内を掃除をしていただいたので、本堂をお参りしていただいたのと同じです。」仏となるにはどうしたらいいか?経典を読んだり、座禅したり、念仏を唱えるだけでなく、普段の生活自体が修行であると捉えた宗派があります。それが臨済宗です。禅宗といえば禅問答のように思われますが、昨日お話した曹洞宗は禅問答を行いません。一方臨済宗では公案という問題を使って禅を行います。一昨日お話した「拈華微笑」もその公案です。詳しくは次回お話します 素光ブログランキングに登録しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2007年12月06日
コメント(22)

ブログランキングに登録しています。クリックよろしくお願いします。 ↓ 昨日の「拈華微笑」についていろいろとコメントいただきありがとうございます。この話はしばらく置いておきます。ところで、こんな話があります。ある禅僧の弟子が毎日座禅をしていました。師僧は聞きました「何のために座禅をしているのだ」「仏になるためです」その答えを聞いた師僧は落ちていた瓦を拾って磨き始めました。弟子はビックリして尋ねました。「何をなさっているんですか」「瓦を磨いて鏡にしようとしている」「瓦を磨いても鏡にはならないと思いますが」「では、座禅をして仏になれるのか」曹洞宗を開いた道元禅師の座禅はまさにこれに答えたものです。瓦を磨いても鏡にはなりません。もともと鏡だからこそ磨いたら光り輝くのです。それと同じように仏でないものが座禅をしたところで、仏になることはできません。すなわち自らが仏であるからこそただ坐禅にうちこむことが最高の修行である(只管打座)という結論に達しました。曹洞宗については想い出があります。只管打座というのは何も考えずにただ座る(座禅)だけの教えなので、ある曹洞宗の僧侶に「曹洞宗は座るだけの教え」と言ったところ、「座るだけではありません!お経も唱えますし、作務(掃除など)もありますし、食事の作法もあります。いろいろありますよ!」と怒られてしまいました(汗) 素光ブログランキングに登録しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2007年12月05日
コメント(10)

ブログランキングに登録しています。クリックよろしくお願いします。 ↓ 以前僧侶になる前、お遍路をしていた時の話です。高野山大学院卒のお坊さんと同行になりました。その方は何を聞いても教えてくれる生き字引のような方でした。その方に禅問答の話を聞いたところ、教えてくれたのが「拈華微笑」の話です。それはこんな話です。「お釈迦さんが説法していた時に、突然金の蓮を「くいっ」とひねりましました。説法を聞いていた弟子達はその意味がわかりませんでしたが、摩訶迦葉(迦葉尊者)だけが微笑んだというのです。」そのお坊さんに、「何で摩訶迦葉だけが笑ったんですか?」と聞くと「それが禅問答の答えです。詳しくは禅宗のお坊さんに聞いてください」お遍路を終えてから、私の実家の旦那寺の禅宗寺院で和尚さんに聞きました。「何で摩訶迦葉だけが笑ったんですか?」「それが以心伝心ということだよ。言葉を言わなくても心から心へ伝わるという・・・」「そうなんですか! ところで何で摩訶迦葉だけが笑ったんですか?」「いろいろ理由があるな」「いろいろってなんですか?」「座禅をやったらわかるということや」「どう判ったんですか?」「・・・・・」キチンと答えてもらえませんでした。あれから15年ぐらい経ちました。今は意味がわかるような気がします。 素光ブログランキングに登録しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2007年12月04日
コメント(30)

ブログランキングに登録しています。クリックよろしくお願いします。 ↓ 日蓮上人の同時代に忍性菩薩といわれる真言僧がいます。一般的にはあまり知られていませんが、日蓮上人の伝記には必ず「極楽寺 良観」として登場します。当時は天変地異が起こり、国土が荒廃して庶民は苦しんでいたにもかかわらず、真言・天台をはじめ既成仏教はそれを救済する手段を持っていませんでした。そのため、一部の僧は庶民救済を目指します。一つの流れが、鎌倉新仏教。もう一つが既成仏教の改革の流れです。真言律宗を開いた興正菩薩叡尊は戒律の復興を行いそれと共に社会救済活動を行ないました。その高弟で東国に活動を広げたのが忍性菩薩です。橋を架け、道路を作り、井戸を掘って庶民の暮らしを豊かにしていきます。さらに極楽寺に「救らい」施設をつくり20年間に五万七千人を治療し、四万六千人が治ったという奇跡を起こし、生き仏と崇められていました。その住持していたお寺の名前のごとく、現世に極楽を出現させたのです。一方日蓮上人は現実の暮らしを変えていく活動ではなく、あくまでも己の信ずる教義に忠実に行動していきます。すなわち、ただひたすら法華経を広めることにより現実の世界を浄土に変えていこうとしました。果たしてどちらが宗教者としてすぐれているか?難しい選択かもしれませんが、私は日蓮上人に軍配を上げたいと思います。その姿には理想の宗教家像が映し出されているように思います。皆さんはいかがお考えでしょうか? 次回はお待ちかね?禅宗の登場です。 素光 ブログランキングに登録しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2007年12月03日
コメント(9)

ブログランキングに登録しています。クリックよろしくお願いします。 ↓ 日蓮宗が嫌われる理由は戦闘的であることですが「念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊」と他宗派を過激に攻撃したのは何故でしょうか?日蓮上人は著書で「正しい法(仏法)が行なわれていない国には三災七難が起こる」と書いています。すなわち、天変地異が頻発していた当時にあってはそれなりに説得力のあった説といえるでしょう。それ故「正しい法(法華経)に帰依して国家の安泰をはかれ」と為政者に迫ったのであり、邪宗(法華経以外の教え)は国を滅ぼす教えだとして攻撃したのです。当然のことながら他宗は一斉に反発します。ところが恐ろしいことに法華経にはこの教えを悪世で広めると迫害を受けると書いてあります!すなわち他者から攻撃を受けることは法華経の正しさを証明するのです!それ故、迫害を受ければ受けるほど、過激になって行く負の連鎖が法華経にはあるといえます。 素光ブログランキングに登録しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2007年12月02日
コメント(26)

ブログランキングに登録しています。クリックよろしくお願いします。 ↓ ロッキー・ザ・ファイナルのDVDを借りてきて見ました。引退して年老いたかつての世界チャンピオンが、現在無敵の現役の世界チャンピオンと戦う???あまりにも非現実的な設定です(苦笑)とはいえ最後まで見てしまいました!シルヴェスター・スタローンがあまりにもロッキーにはまっています!そもそも「ロッキー」自体がありえない設定の物語です。建国200年祭のイベントの世界ヘビー級タイトルマッチで、世界チャンピオンであるアポロが対戦相手に無名のボクサー「ロッキー」を挑戦者に指名する。そんな馬鹿な話があるか?ところが、これは実話を基にしています。時は1975年世界ヘビー級王者のモハメッド・アリが対戦相手に選んだのは、全く無名で本業は保険の外交員という35歳のロートル「チャック・ウエップナー」でした。これがいかに世界を驚かせたか?まず、モハメッド・アリがどれだけ凄いボクサーだったか、語らなければなりません。アリはローマオリンピックの金メダリストからプロ入りして、無敗のまま世界王者に上り詰めます。それ以前のヘビー級は力任せに殴りあうだけでしたが、アリシャッフルと呼ばれるフットワークを使って、「蝶のように舞い、蜂のように刺す」という華麗さがありました。それに加えて「ビックマウス」と呼ばれ相手を挑発するような「ほら」を吹き予告KO宣言をしたりするショーマンシップにあふれていました。順調に防衛を重ねるアリでしたが、いきなりタイトルを剥奪されます。その理由は「ベトナム戦争への徴兵拒否」ベトナム反戦運動の旗手にまつりあげられます。ベトナムからアメリカが撤退し、アリもようやくリングに戻ります。しかし、全盛期に3年間のブランクは大きく、世界王者に挑戦しますが退けられます。2年後再び力を蓄え、40戦全勝37KO勝ちという殺人的な強さを誇ったジョージフォアマンに挑み、ついに世界王者に返り咲きます。アリは当時、世界で最も有名な男といわれました。さて、果たして最初の防衛戦を誰と行なうのか?世界が注目する中、発表されたのがチャック・ウエップナー戦でした。新聞には「多くの人はただもう驚き、残りの人は悪い冗談だと受け取った。そう思わなかったのはただ一人、チャック・ウエップナーその人である」とまで書かれます。勝敗予想などは成立しません。アリの勝ちは決まっています。アリ自身が「今度の試合には何もしなくてもお金が貰える」と言っていたぐらいです。ところが蓋を開けて見ると、チャック・ウエップナーは予想外の善戦!アリからダウンまで奪います。結果的にアリはKOで勝ったとはいえ試合は15ラウンドまでもつれたのでした。これがロッキーのモデルとなった試合です。ロッキーは再戦で世界王者となりますが、ウエップナーが世界タイトルを戦うことは二度とありませんでした。一方アリは世界王座を防衛し続けますが、歳には勝てず19度の世界タイトル防衛と3度の世界王者返り咲きを土産にボクシングの世界から遠ざかります。アトランタオリンピックの開会式で病気のためプルプル手を震わせながら聖火台の点火していた姿が印象的でした。引退して何十年も経ったボクサーが復帰するのはありえない話ですが、段々と老いに近づいて行く人間にとっては夢のような話です。 コウユウブログランキングに登録しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2007年12月01日
コメント(6)
全23件 (23件中 1-23件目)
1

