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最近お通夜に行って驚くのは、喪服の人が増えてきたことです。もともとお通夜は文字通り「夜通し遺体の番をする」ものだったはずです。その昔、野犬やオオカミから遺体を守るのはもちろん、医学が発達していなかった時代では、死んだはずの遺体が生き返ることも少なくなかったようです。どちらにしても怖いので、皆で番をするというのが通夜なのです。儀式ではありませんので、酒を飲みながら一晩中起きていればよかったと思われ、当然喪服は必要なかったはずです。最近都市部では通夜に参列することで、葬儀に参列する代わりとすることが増えてきたようです。それ故、通夜が葬儀式としての性格を帯びてきたのでしょうか?皆様のご意見をお伺いしたいところです。 ゆうきブログランキングに登録しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2007年10月29日
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美加。さんのブログで、チベット問題に対して「特に同じ仏教界なら、この弾圧ぶりに何らかの声が上がりそうなのにと思ってみています。」と書かれてしまいましたので、遅くなりましたが書きます(汗)真言宗が密教というのはよく知られています。密教は仏教が発展した形といわれており、仏教のふるさとインドでは大乗仏教の後に興ってきたといわれています。本格的に持ち込んだのが、真言宗を開いた弘法大師であることはよく知られていますが、これは中期の密教です。さらに後期の密教は系統的には日本に持ち込まれることはありませんでした。その後期の密教が伝えられた国がチベットです。すなわち、真言宗とは兄弟とでも言えるでしょう。一方チベットにはインドの仏典の原形をとどめているというチベット語訳の大蔵経典があります。河口 慧海が数々の苦難を経てチベットへ向ったのもこのためです。チベットは1949年以来中国により軍事的な圧力を加えられてきています。「中国政府、チベット高僧の転生に事前申請を要求」(中国政府は、輪廻転生を続けるとされるチベットの高僧(活仏)が転生する際、政府の許可なしの転生は認めないことを決定した。)政府が宗教を管理したいということでしょう。という暴挙に加え「チベット人僧侶、ダライ・ラマの受賞で中国警察と"衝突"」(ダライ・ラマ14世に米議会の最高勲章が授与されたことを祝っていたチベット人僧侶が中国警察と衝突し3000人の武装警官が寺院を包囲している)ダライ・ラマに対する祝賀行事をさせないことが目的だそうです。宗教に対して寛容さがない日本ですら、宗教儀式に政府が介入することはありません。参考までにダライラマ法王日本代表部事務所実はこの二つの事件を私は知りませんでした(汗)日本のマスコミももう少し取り上げて抗議をして欲しいところです。 あと宗教界の方にも、何らかのメッセージを期待します 素光ブログランキングに登録しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2007年10月26日
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イトシロから山を超え、美濃白鳥へ。さらに美濃白鳥から長良川沿いに下ると郡上八幡です。古くからの城下町です。レポートしたいところですが、時間がありませんので通過。再び山越えをして飛騨に入ります。飛騨の入り口の金山から下呂までの渓谷は中山七里と呼ばれ景勝として知られています。列車で通過すると20以上のトンネルがあって、ほとんどこの景色を見ることができません。その渓谷を抜けるといきなり都市が現れます。その昔「上州の草津、津陽の有馬、飛州の湯島」といわれた天下の三名泉の下呂温泉に到着。かつての湯之島は夜遅くまで、温泉客が歩きまわり大変賑わっておりましたが、最近はそんなことも無くなりました。子供の頃、タオル一本ぶら下げて出かけた共同浴場です。すっかり姿を変えてしまいました。その頃は温泉客も少なく、昼間から営業していますので、午前中に行ったりすると誰も入っていないで湯船の真ん中に湯の華が浮かんでいました。また、冬にはそのタオルが逆さにすると立つぐらいの寒さでした。菩提寺のO泉寺です。長い石段の両脇にお墓が並んでいます。ここで子供の頃、火の玉を見ました。しかし、以前より町はずっと明るくなりました。もう火の玉が現われるほど暗くはありません。(笑)コウユウブログランキングに登録しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2007年10月23日
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白山中居神社から目的のイトシロの大杉に向います。神社のところの案内板を見ると、大杉登り口まで車で30分、登り口から徒歩10分とあります。車で30分?確か距離は七キロのはずですが・・・大杉林道に入るとその理由を思い出しました。ガードレールのない荒れた林道は、一応舗装はしてありますが、所々穴だらけ。さらに、山側からの湧き水がその穴に溜まっています。うかつに入り込むと大変なことになりかねません。その穴と、山側からの落石とをかわしながら進むには、普通自動車ではちょっと無理。高速の上り坂では、目一杯踏み込んでも、どんどんスピードが落ちる軽自動車にわざわざ四国から乗って来た甲斐があるというものです(苦笑)ようやく大杉の登り口に到着!ここから420段の石段を登るとついに大杉に出会えます。はやる気持ちを抑えずに(笑)どんどん登りました。前の林が開けて、ついに大杉と御対面白山中居神社には浄安杉という公称樹齢800年という杉もありますが比較になりません。かつては樹齢1800年というのも大袈裟に聞こえないほどの風格があり圧倒的な迫力がありました。そして日本最大の「杉の大杉」を凌駕する気をまとっていました。ところが・・・十数年ぶりに会えた大杉はそれらを失っていました。なぜでしょうか?幹は以前から先が折れたことによって枯れていました。しかし、多くの他の木々を幹に寄生させ一種独特の小宇宙とでもいうべき世界を作り上げていました。それが、幹が腐り始めていることによって、根底から覆ろうとしています。ただ、それで大杉が枯れてしまうことはないでしょう。しかし、遠くない将来、この大杉は大きく形を変えてしまうことでしょう。巨木はそれ自体が特別なわけではなく、それが生えている場所が気を集めるパワースポットなのです。かつてこれだけの巨木を生えさせたパワースポットがその働きを失いつつあるのかも知れません。そんなことを考えながら、この場所を離れました。もう二度とこの杉に会いに来ることはないでしょう。かつて白山への修行者を見送り力を与えていたこの杉が朽ち果てて行く姿は見たくありません。 コウユウブログランキングに登録しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2007年10月21日
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10月17日から飛騨へ帰郷しました。飛騨へ行くならば、どうしても寄りたいところがあります。イトシロ(石徹白)です。イトシロは岐阜県と福井県の県境に位置し、かつては「登り千人、下り千人」白山美濃禅定道の拠点として栄えていました。日本を代表する「石徹白の大杉」があり、白山中居神社があります。徳島から一泊二日の旅(予定)でイトシロまで足を延ばすことは100キロ以上遠回りにはありますが、この機会を逃しては二度といけないかもしれない。そんな想いに駆られ、徳島発4時の予定を立てました。忘れ物を何度も確認して出発して車に乗り込んだ途端忘れ物に気付きました。なんとガスがありません(汗)高速のインターまでにスタンドがあるだろうと走りましたが、皆閉まっています(汗)結局インター手前でUターンして、お寺の近くのセルフのガソリンスタンドまで戻りました(汗)結局出発したのは5時少し前(汗)イトシロは美濃白鳥から山を超えて行きます。登り口の北濃までは越美南線(現在は長良川鉄道)が来ています。山の向こう側の九頭竜(福井県)までは越美北線が延びています。その昔、越前と美濃を結ぶ越美線が計画されていました。昭和9年には岐阜県側が現在終点の北濃まで開通。しかし、戦争により計画が中断。昭和35年に越美北線が一部開通。昭和47年に九頭竜まで鉄道が延び、開通が期待されましたが、地元の期待を裏切りついにつながる事はありませんでした。途中にはこんな景色もあります。イトシロの集落の突き当たりにある目的の白山中居神社に着いたのは10時過ぎでした。10数年前と同じく、神社は神々しさを失っていませんでした。巨木に囲まれた参道はかつてと同じかそれ以上の妖気を漂わせ背筋がゾクゾクするような怖さを感じます。数珠をしっかり握り締めながら、入るものを拒むような巨木のトンネルをくぐります。ようやく神社への橋が見えるとほっとします。橋を渡ると神様が舞い降りるが如き岩に囲まれた神殿が姿を現わします。樹齢数百年の大木が林立する境内は確かに普通の場所ではない何かを感じさせます。しかし、それ以上にかつては栄えていたであろうこの神社が、現在常住する管理者もいないために放置された廃墟のように物の怪を招き入れていることは否定できません。 コウユウブログランキングに登録しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2007年10月19日
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当院でも墓地を整備いたしましたが、あまり需要がありません。原因は永代供養でしょうか?近年、子供が少なくなり、先祖のお墓を見れる人が減ってきています。また、社会の流動化と共に、お墓のある場所と施主の住んでいる場所とが離れていることも少なくありません。したがってお墓を見ることができなくなるので、お寺で見てもらおう。あるいは、最初からお墓を作らないで永代供養をしたいという方も出てきました。ある檀家さんから永代供養について質問がありました。「最近永代供養とかあるけど、どうで?」「どんなことでしょう」「永久に面倒見てくれるんで?」「それはないでしょう。 普通は30年とか50年とか区切って預かると思いますが」「そのあとどうなるんで?」「・・・多分・・・合祀するのでは」「そしたら、無縁さんと一緒になるんやな」「・・・う~ん・・・そうなるかも知れません」「それは嫌やな」「そうしたらお墓のほうがいいでしょう。 守する人がいる限りは見てもらえますからね。」「うちの息子はお墓を見るやろうけど、孫、 そのあとになったら見てくれるかどうかわからん。 誰も見んようになったらどうなるんで?」「それは、うち(当院)で見ますよ」「ええ~、そら無縁さんに入るんと違うんで?」「・・・まあ・・・そうですね」「それも嫌やな。 コウユウさん。なんかいい智慧ないで?」「・・・・」ご先祖様を祀って子孫繁栄を願うしかないようです。 コウユウブログランキングに登録しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2007年10月15日
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今度は某檀家さんから電話が掛かってきました。「すいません。ちょっとお尋ねしたいことがあるんですが」「なんでしょう」「仏壇の扉はどうして置くものなんでしょう?そのことについて 友人に聞かれたんですが、いろいろな意見があってわかりません 教えてもらえますか。」「それは答えにくいですね。 先祖供養については、旦那寺のやり方に従うのが作法です。 友人の方の旦那寺さんに聞いてはいかがでしょう?」「もううちの旦那寺さんに聞いておくといったんで、 教えてもらえませんか。」困りました(汗)そもそも仏壇とは何か?仏教では仏様の象徴として、本尊を祀ります。その本尊を中心として礼拝する場所を設けたのが寺院の本堂です。そのお寺の本堂の雛形が仏壇といえるのではないでしょうか?すなわちその仏様をお祀りすることによって功徳をその家に遍満させる「幸福発生器?」のような効果があると推定されます。また仏壇に通常は位牌を置きます。仏様を祀る功徳をご先祖様に振り向けることによって子孫繁栄・家内安全を狙う効果もあるでしょう。そんなことを考えると・・・開けて置いたほうがいいようにも思います。しかし、本尊様をむき出しのままにしておくのは畏れ多いような気が・・・扉はどうしたらいいのでしょうか?実はよくわかりません(汗) コウユウブログランキングに登録しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2007年10月12日
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先日、近所の某店経営者のOさんが女性を連れていらっしゃいました。「お寺さんに相談したいことがあるんやけどよろしいか」「ハイどうぞ」Oさんは当院の檀家さんではありませんので、なんの相談だろうと思っていますと「うちの従業員のことやけど」と同伴の女性を紹介して、「R済宗から真言宗に変わりたいんやけど、簡単にできるんかいな」「今の時代ですから、難しくはありません」と前置きをして「当院へ替わられるんですか?」とお尋ねすると「いや、もう替わるお寺は決まっとるんやけど」「・・・」「どんな手続きが要るんかいな」「それは、替わられるお寺で相談されたほうがよろしいと思いますが」「知識として教えてもらおうと思ってな」近所の人だけに無下に断るわけにもいかず。旦那寺にまず相談すること受け入れ先のお寺に条件を聞くことからはじまって、一応のお話はしたのですがそもそも檀家制度自体が地域性が強いものですからあまり参考にはなりません。最後にOさんが「何かの時には微力ながらご協力させて貰いますので、遠慮なくいうてください」と言われましたので、期待して待ってます(笑) コウユウブログランキングに登録しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2007年10月10日
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以前人間は生まれる時も死ぬ時も一人というコメントを書きました。屁理屈といわれました。それに対する回答です。全く関係ない話ですが、先日数キロ離れたところから、歩いて帰ってきました。運悪く、途中で尿意を催しました。ところが付近にトイレがありません。しばらく我慢して道沿いの公衆トイレで用を足しました。用便すら自由にできない社会?これが果たして幸福な社会なのでしょうか?そんなことをふと思った時こんな記事を見つけました。「クマと もりと ひと」40年も昔、私の育ったところでは見渡す限り、段々畑が広がり、その奥に山が見えていました。ほとんどが未舗装道路でその道を馬が荷車を引いていました。馬が道の真ん中で糞をします。何故かその馬糞に乗ると背が高くなるという言い伝えがあり、馬糞を見つけると争って上に乗っていました(笑)その頃なら、トイレに困ることはなかったでしょう(笑)段々畑には新しい道路が作られ、未舗装道路は舗装され田圃には建物が建っていきました。それでも、私が長じるまではあちこちに空地があり、遊ぶ場所には困りませんでした。今はそれらの空地がすべて駐車場となりあるいは建物が建てられ、今は当時の面影もありません。都市化して便利になったかも知れません。ところが生きやすくなったのでしょうか?熊だけでなく動物にとって生きにくくなっている地球が人間にとって生きやすいということはないでしょう。人は単独で存在しているわけでなく外の世界とつながっています。密教では人間もその他の生き物もさらにはこの世の中を作り上げているすべてのものが、どんどん細かくしていくと同じものでできている、しかもその境はないと伝えてきました。現実の素粒子の世界もそのようになっています。自分の体と、その外の気体・液体・固体とには密度の違いがあるだけで境などはありません。40年前、既に自然破壊が問題なっていました。その当時から考えられないほど、破壊は進んでおり、未だに改善される見込みがないのは残念です。ほとんど自分の体を傷つけているといっても言い過ぎではありません。本当に考えたいところです。 素光ブログランキングに登録しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2007年10月09日
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テレビなどで犯罪を起こした人の周りの人にインタビューをしていると「あのおとなしい人が」「事件を起こすようには見えなかった」「近所の(職場の)評判はいいのに」などと答えているのを聞きます。「真面目な人ほど怖い」「おとなしい人ほど切れると怖い」とも言いますが、そうではないでしょう。犯罪を起こした人の見えている姿からは想像できなかっただけで、その人の性格が変わったわけではありません。もともとその人が持っている性格なのです。それが普段人に見せないようにしていたのか?それとも見えていなかっただけなのか?あるいはある条件化で現れたのか?そもそも一緒に住んでいる家族ですら、そのすべてを私たちは知っているわけではありません。すなわち、ある人の一部だけを見て、その人のすべてだと思い込んでいるのです。ですから、同じ人の評価が善悪両極端に分かれることもあるわけです。また、たとえ極悪人のように思われる人であっても泥の中から美しい蓮が咲くようにすべてが悪い人など存在しません。 素光ブログランキングに登録しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2007年10月04日
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子供の頃、キャプテンウルトラで正義の味方を演じていた中田博久さんが、いつも時代劇で悪役を演じているのを見ていつもがっかりしていました。ちなみにウルトラマンを演じていた黒部進さんも悪役が多いですし、ウルトラセブンを演じていた森次晃嗣さんも先日、悪役を演じていました。「正義の味方が悪役を演じるとは!」と言いたいところですが、役者なんですから当たり前かも知れません。しかし、怪獣や侵略者と戦っていた主役が他の番組とはいえ悪役を演じるのには違和感を感じるのも事実です!「頼むから悪いことはしないでくれ」とお願いしたいところです(笑)ところで、教科書から「沖縄戦で住民に集団自決を日本軍が強制」という記述が削除されたことが波紋を呼んでいます。削除は当然です。何故ならば日本軍が戦略として集団自決を強制したわけではないからです。誤解されている方もいるのではないかと思いますが「日本軍=日本政府」なのです。すなわち、日本軍が強制したということは日本政府が政策として行なったということに他なりません。住民に集団自決を強制する?そんな馬鹿なことを日本政府が行なう訳がありません。少なくとも、日本政府はそのようなことを認めることがあってはなりません。そんなことを認めたら、国民を集団自決に追い込んだ危険な政府ということになります。もちろん集団自決の事実を否定するものではありませんし、問題が無かったといっているわけではありません。まず、事実を調査すべきです。強制の事実はあったのか無かったのか?あったとしたら、誰がどのように命令したのか?もはや戦後62年経っています。流石に個人の責任を追及するのは酷なようにも思いますが、戦争犯罪としてきちんと調べるべきです。ただ、特殊事情も考慮しなければなりません。集団の意見の中では個人が発言しにくい日本の土壌。戦争という異常な精神状態でしかも追い詰められている状況。上官には従わざるを得ない軍隊組織。その上でどのような原因で集団自決が起きたのかを後世に伝えるべきでしょう。「沖縄戦で住民に集団自決を日本軍が強制」如何にも日本が沖縄で住民に死ぬように強要したようなオドロオドロシイ表現は止めませんか?子供の頃こんな記述を目にしたら、いかにも日本軍が恐ろしい組織に思えてしまいます。「日本軍は日本を守る軍隊」だったんです。我々のお父さん、お祖父さん、曾お祖父さんが兵隊だったんです。そんなに恐ろしい組織ですか?それよりも、現実に行なっている海上自衛隊のインド洋での給油活動はテロ対策の名を借りた戦闘行為です。さらに在日米軍に数千億円もの駐留経費を負担しています。すなわち、日本はアメリカのスポンサーとなって戦争に加担していることは明らかです。日本は平和かもしれません。しかし、沖縄戦での集団自決と同じような悲劇が今アフガンでイラクで起こっているかもしれません。教科書を変えて過去の事実を指摘するよりも、現在の社会を変えましょう。 ゆうきブログランキングに登録しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2007年10月03日
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高野山登嶺以来時間を作っては夕方にお散歩しています。明るい時間には眉山へ登って行くのですが、ビックリするほどたくさんの人が眉山を歩いています。それも下のほうではなく山頂付近でもです。足どりがしっかりしている人もいますが、杖をつきながらやっとという人もしばしば見受けます。多くの人は定年を過ぎたと思われる年齢です。私は眉山上り口まで約1キロ程度のところに住んでいますが、それでも上のほうまで歩いていくのには時間がかかります。「どこに住んでいて、どこから歩いてきたんだろう?」とか「あの足どりでここまでいったいどれ位かかるんだろう」と不思議に思っていました。ちなみにある檀家さんと山頂付近で出会うのですが、その人は山頂まで7キロぐらいのところに住んでいます。「私は毎日来るんですよ」といわれたので「毎日14キロ???」そんなに元気なのかな???などと思っていましたが・・・最近になってそのからくりがわかりました。下のほうを歩いている人は、上り口の麓まで、自転車・バイクなどで来ています。中腹・山頂まで車で来て、そこから歩いている人も少なくありません。わざわざ眉山まで???とも思いますが、やはり市内の自分の住んでいるところより気持ちがいいのでしょう。いっそ山奥にでも住んだら、毎日大自然の中でお散歩できて良いのにと思ってしまいます。ちなみに私は定年?になったら、奥深い山のお堂の守をしてみたいと思っています。 コウユウブログランキングに登録しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2007年10月01日
コメント(30)
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