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久しぶりの園芸ネタです。昨年挿し木して唯一生き残ったサルスベリですが、早くも花を咲かせようとしています。隣に生えているのは文旦?デコポン?忘れましたが柑橘系の種をまとめて植えたものが発芽しました。一方、昨年芽を出したイヌマキは元気よく伸びています。出世株がこれです。15センチぐらいに伸びているでしょうか?雑草の中でも生き延びています。人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2009年07月31日
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神峰神社から下って、もう一度ご神水をいただき、二リットルのペットボトルに詰め、納経所で唐浜駅の時間を聞く。現在9時50分。次の列車は11時です。下りでは油断できません。特にアスファルトは足にダメージを与えます。風がゆるやかに吹いて気持ちがいいです。真っ縦をゆっくり下っていきます。下りきった頃、二人のお遍路さんが、普通の自転車に乗ってやってきます。「自転車で行けますか?」「ちょっと厳しいと思います」年配の女性でお遍路さんの姿ですが、自転車遍路とは思えません。不思議だと思っていましたが、唐浜駅に着くと謎が解けました。ここ安田町では安田駅前の文化センターで自転車を貸してくれます。多分そこで借りて乗って来たのでしょうが・・・苦労されたと思います。土佐くろしお鉄道の唐浜駅はビックリするような立派な駅!車50台は止まられようかという駅前の駐車場。併設する同じ位の広さの公園。待合室も20人は入れるでしょう。トイレも真新しくきれいです。農村地帯の真ん中にそんな駅が出現します。まだ、整備される予定と思われる、公園の柵の内側には何も植えられておらず、砂利が敷き詰められていました。まだ、少し時間があったのでホームに設けられたベンチに腰掛けて列車を待つと、程なくして高架の線路の上を、カラフルなワンマン車両が現れました。乗客はほとんど乗っていませんが、阿佐東線同様、きれいな車両です。列車は海沿いを走っていきます。初夏の太陽に照らされて、海はキラキラ光り、青い空とのコントラストがとてもきれいです。昨日の荒天が嘘のようです。列車は途中の安芸で、乗り換えします。今度もワンマン列車ですが、座席が空いていないので、「のいち」駅まで座ることが出来ませんでした。のいち駅には12時前に着きます。駅前はフジグラン(複合スーパー)があり、青山・はるやまが競うように立っていて、バーミヤン(中華料理のチェーン)もあり都市部の郊外らしい雰囲気になっています。食事を取りたいのですが、まず、28番札所を目指します。気温が上がり、陽射しによって暖められたアスファルトが、熱を放ち始めてきました。駅からの道はきれいに整備されていますが、新しく出来たようで食事を取るようなところは見当たりません。30分ほど歩いて28番札所大日寺に着きます。ほぼ平地を歩くのですが、28番は少し登った所にありますので門前には少し石段がありますが、長くはないので問題なくスッと登ります。門前には遍路用品店があります。普段はお遍路さんが歩いてくると、表へ出て愛想を振りまくお姉さんも団扇で扇ぐのに必死で、こちらが通ったことにも気づかないようです。大日寺はこじんまりした境内に本堂と大師堂が、ちょうど90度の形に向き合っています。敷き詰められた白い砂が太陽光を反射してさらに暑さを増しているようにも感じます。境内に入るとまず腰を下ろし、汗を拭き、水を補給します。誰もいない境内が静かだったので本堂の縁で大声を張り上げて読経をしていると、後から現れたお遍路さんを少し邪魔したようです。納経まで終わったところで12時50分。29番札所までは、歩いて約9キロ。あるいは「のいち駅」まで2キロ歩いて、鉄道で後免駅まで移動し、後免駅から2.5キロ歩く。後者を選んで、のいち駅へ戻りました。
2009年07月28日
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いつもおいでいただく忠武飛龍さんのサイトで最高裁判事の国民審査判事のの記事がありました。衆議院選挙だけでなく、最高裁判事の審査も行なわれるのですが、こちらは全くマスコミも報道していません。私などは毎回全部×をつけていましたが、こうして判事の紹介などをしていただけると判断材料になります。ところが関連サイトを覗いていたら気になる記事がありました。一票の格差は許されないまたミクシーではこんなトピックがありました。~~~~~以下引用~~~~~参院選の時の有権者数を基に直してみた (衆院選・都道府県の小選挙区数) 【増員すべき所】 北海道 12→13 埼玉県 15→16 千葉県 13→14 神奈川県18→20 東京都 25→28 静岡県 8→ 9 愛知県 15→16 兵庫県 12→13 【減員すべき所】 岩手県 4→ 3 山梨県 3→ 2 福井県 3→ 2 三重県 5→ 4 滋賀県 4→ 3 徳島県 3→ 2 高知県 3→ 2 佐賀県 3→ 2 熊本県 5→ 4 鹿児島県5→ 4 沖縄県 4→ 3 11増11減になるが影響を受ける都道府県が多すぎるので 現実的には5増5減程度に留まるかも~~~~~以下引用~~~~~埼玉県 15→16四国は徳島県 3→ 2 高知県 3→ 2 香川 3 愛媛 4四国四県で11人(案)現状でも13人歴史的にも独立性の強い四国の議員定数が現状でも埼玉県より少ないのはどう見てもおかしくないか?四国自治区として独立運動でもしないといけませんね!以前にも一票の格差については記事を書いてきました。地方はどうなる?2ー一票の格差を是正することに反対する会地方はどうなる?3ー都会人?の反論に答える 以下は2008年における都道府県の人口ランキングです。41 山梨県 872,724 ▲11,791 42 佐賀県 855,676 ▲10,693 43 福井県 812,479 ▲9,113 44 徳島県 794,189 ▲15,761 45 高知県 773,961 ▲22,331 46 島根県 725,202 ▲17,021 47 鳥取県 594,915 ▲12,09741位から45位までが定数3から定数2に減員の対象となっています。島根・鳥取は?すでに定数2です。以前書いた文章ですが、~~~~~以下引用~~~~~徳島県 794,508人 世田谷区 858,522人世田谷区の方が徳島県全体より人口が多い!しかし、面積を比べると徳島県 4,145.90キロ平米 世田谷区 58.08キロ平米なんと面積は71倍!もし一票の格差を人口だけで考えたら、徳島県と世田谷区が同じ価値???当然、世田谷区と徳島県が同じだけサービスを受けたとしたら、一人当たりは同じかも知れませんが、面積あたりでは71倍も差がつきます。すなわち、単位面積あたりでは、世田谷区の方が71倍も投資されます!ただでさえ、都市と地方の格差が問題にされている時にこれはあまりにも不平等で格差がどんどん開いてしまいます。~~~~~以上引用~~~~~こう書いたところ、こんな反論がありました。>田舎のほうは一人辺りでは道路の長さも非常に長く、>学校も一人当たりの面積や教師の数が多く、>優遇されています。>田舎は収入が少ないので、所得税も少ない>物価が安いので消費税も比較的少ない。>土地が安いから相続税も少ない。また一票の格差を考える会では以下のように書いています。~~~~~以下引用~~~~~6.地方は都市部に比べてハンディがあるのだから 「 一票の格差 」 が大きくても良いのでは?という疑問 確かに地方と都市部とでは、それぞれに優れた点と劣った点とがあります。 私たちの活動の過程で寄せられたまじめな反論の多くは、次のようなものでした。 「 地方は都市部に比べていろいろの面で遅れており、不便であり、しばしば貧しい。 だから、初心者にハンディキャップをあげるような意味で、議員定数を多く与えないと、都市部との競争においてますます不利になる 」 これに対しては、次のようにお答えしたいと思います。A.地方の 「 遅れや貧困 」 への対応は ( 適切な範囲内の ) 地方交付税の供与や、( 適切な内容に限った ) 公共事業投資のような経済的施策で行うべきです。 この対応を議員定員増により行うというのは、見当はずれ、ないしは問題のスリカエです。 下記のような国会議員による選挙区への利益誘導を是認する考えであるだけでなく、これをますます奨励する結果になります。B.国会議員は、誰かさんのように、出身の地元や出身グループへの利益誘導することが主な仕事なのでしょうか。 確かに、政党政治というからには、出身グループ、階層などの利益代表という考えも基本の一つでしょう。 しかし、議員自身だけでなく、有権者までもがそれが国会議員の主務であると誤解していて、いろいろと利権誘導を 「 せびる 」 ところに、政治の貧困と腐敗の原因の一つがあると思います。 日本全体を大所高所から見ながら、地域エゴなく適切に財や権益を配分して行くことができるのが、真の国会議員です。C.国会議員の大事な仕事は、財や権益の配分だけではなく、もっとほかにある筈です。 安全保障、教育制度、エネルギー供給、少子化、年金、財政再建ほか幾多の、日本の将来を左右する 地方にも都市にも共通の全国的な課題への取組みと解決が、もっと大切な職務です。D.こういう仕事の出来る人材を全国から探し出し選ぶ事こそが、国政選挙の本来の姿でしょう。 こういう仕事を安心して任せられる、広い視野、高い理想、高潔な人格を持った議員が少ないのが、残念ながら現状ですが、こういう課題のための国会議員であるなら、それは全国から有権者数に比例して選ばれるべきです。参考:有権者への質問「 あなたが投票する候補者に、地元と国家のどちらに力点をおいて活動してほしいですか 」青森・・・地元 61 %; 国家 25 %東京・・・地元 33 %; 国家 55 % ( 前回総選挙中の毎日新聞世論調査より )E.これに対して、地方の道路だ橋だ空港だという問題は、各県知事、県議会に任せるべきです。 そのために必要な金は、国から地方に与え、それを何にどう配分しどう使うかは、国会議員ではなく県知事や県議会が考えて決めるべきことです。 これこそが真の地方分権でしょう。~~~~~以上引用~~~~~要は国会議員は国民の代表ですから、地方に利益誘導などせずに日本国全体のことを考えて行動すべきということです。実は私もそう思います。それゆえ、あえて一票の格差の是正には反対します。選挙の意識を比べるのに青森と東京のは実は反則です。私も東京都民だったので知っていますが、東京は地方出身者が多く、選挙に関しても関心が少ない人が多いように思われます。むしろ33%も地元を考えてほしいという人がいるほうが驚きです。さらに言えば、東京に生活している人のほうが青森に住んでいるより満足度が高いからこのような結果が出たとも言えるでしょう。ところで、銀座の土地は平米3000万徳島駅前は平米43万当院の前の土地は7万(平成21年度路線価)一票の格差どころではありません。徳島駅前と銀座では70倍。当院と銀座では400倍以上地価が違います。日本国に同じ広さの土地を持ちながら、こんなに価値が違うのはおかしいではありませんか?私個人は土地を全く持っていませんが、一票の格差を問題にして訴訟するなら、地価の格差も問題にして、「日本の政策によって損をさせられた」と行政裁判を起こしてもいいのでは?「地方が優遇されている」と100万回言ったところで、どれだけデーターを並べようとも、現実にはどんどん地方の人口は減っています。こんな現実もあります。受験地獄ー怖いものがある大学が通える範囲にない地方の高校生が進学するのは大変な負担です。住んでいる場所によって教育の機会が失われているとしたらこれこそ問題にすべきではありませんか?この日本をどのように豊かにしていくか?地方の問題を抜きにしては答えは出ないでしょう。苦し紛れの地方は禁断の選択をしようとしています。この実態を理解してもらいたいものです。地方はどうなる?ー再処理工場の是非人類はどこへ行く必ずしも、定数是正をしたところで、国政がよくなる保証はありません。その証拠に、厳しい選挙戦を戦っている都市部の候補は本来は多数の有権者から選ばれて優秀な人材を出すはずがそうとも言えないようです。地方再生こそが日本再生のカギです。日本の安全保障の要である農林水産業を担っているのは地方です。その地方選出の議員定数を減らすべきではありません。人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2009年07月28日
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27番札所の本堂・大師堂をお参りしてから、その上にある神峰神社に向います。元々の札所はこちらの神社がある場所ですが、上まで登る人は少ないです。大師堂の横から舗装路を登り始めます。前に、大きな荷物を背負った歩きのお遍路さんがいました。「神社へ行くんですか?」「いえ、上の公園に行きます」どうやら、展望公園に向うようです。荷物を下に置いている私は「お先に」と声を掛け軽々と彼を抜いて行きます。舗装路から神社の石段に入ります。結構急な石段は今ではお参りする人も少ないためか、荒れていてしかも昨日の雨で塗れた石の上に落ち葉が積もって、歩きにくい。何故か、先ほどのお遍路さんが私についてきています。その石段を登りきると、緩やかな道になりしばらく進むと大きな杉や楠の生えている場所に出て、石段が現れます。その古い石段を登りきった先に社があります。お参りする人も無く、水も止められて、ひっそりとする中に背中がぞくぞくするような妖気を漂わせています。本殿へ進もうとするとヘビが現れます。この神社の守り神様の化身でしょうか?その時、先ほどの若いお遍路さんがここへ登ってきましたが、辺りを見回すと、すぐに来た道を戻ります。来るものを拒む何かを感じてしまいます。ここには灯明岩というふしぎな岩があり、何か異変がある場合には光るといい、日清・日露・関東大震災・太平洋戦争時にも光ったといいます。少し境内を撮影させてもらいましたが、こういう霊気の強い場所では気をつけないといけません。ふざけるととんでもない目に会います。ゆっくりと石段を下り27番札所に戻ります。
2009年07月27日
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昨日は般若心経秘鍵の講習会に行ってきました。夕方17時からです。場所は桑野の梅谷寺、駅から徒歩2分ということなので、当院からはJRで行きました。しかし、出発が少し遅れて、桑野駅着が16:58。ギリギリです。ようやくお寺に着いたと思ったら、見慣れない顔の方ばかり???先日もボーリング大会の案内があったので、行ってみたら知らない方ばかり!よく見ると主催は「御室派」しかも「四県合同」ついでに当派も招待されているだけでした(汗)そういうこともあったので、警戒を強めたのですが・・・受付は当派の方でした。真言宗の教学なので、他派の方が多くこられているようです。本当は手伝いをしなければいけないのではと思い、「すいません、今度はもっと早く来ます」と言うと「三人文殊さん『頭』をお願いします」「ええ~」『頭』というのは、お経をお唱えするときに、最初に声を出す役割でそのお経を仕切ります。普通の法要では老僧の役割です。「私がするんですか~?」「お願いします」「緊張してうまくできないかもしれません」「大丈夫ですよ。住職ではないですか!」「ちょっと待ってください、何を言うんですかね」「適当にお願いします」「適当は困るので・・・まず心経、それからなんですかね」「本尊様阿弥陀さんなので・・・」「阿弥陀?」「『おんあみりたていせいからうん』です」「書いておかないと忘れますね」緊張しましたが、なんとか終了しました。般若心経といえば、一般的には「空」の思想を説く般若経典の真髄ということで解説されておりますが、弘法大師は般若心経を般若菩薩の体験の境地を示したものとして解釈されています。この独創性こそが、まさに弘法大師ワールド。思考を積み重ねて結論に至る手法ではなく、自らの体験から演繹的に真実を抉り出して行くような形でしょうか?それゆえ、引用された経典などから解釈すると相当無理がある論理のように思えるのでしょう、他宗からは批判を受けやすいかもしれません。解釈の相違などなんのその。真実は論理の積み重ねにあるのではありません。書物の上で理解しようなど到底無理です。真言宗を理解しようとすれば、その中に入り込んで実践しないとわからないといえるでしょう。今回は導入部分で終わりました。私も準備不足で般若心経秘鍵に取り付いていません。ゆっくり勉強して次回は講師先生に深く切り込んで見たいと思います。人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2009年07月27日
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床に着いても、体が熱い。足も熱を持っています。わずか10キロ程度しか歩いていないにも関わらず、腰も痛くなりなかなか寝れません。ようやく寝付いたと思うと、3時頃目が覚めますが、まだ起きるのは早いと思い、5時少し前まで布団に入っています。外は明るく、晴れそうな雰囲気です。身支度を整え、6時少し前に食事をいただき、門前で一泊の宿に感謝して、般若心経を一巻上げて出発します。出発前にすごく気になっていたのが、宿の代金。値段を聞かずに宿をお願いしたので、高かったらどうしようかと思いましたが、6500円でした。6時21分のバスで、安芸方面へ。朝早いバスにも関わらず、学生が乗っていて、所々で乗車していきます。朝日でキラキラ光る太平洋を見ながら、海岸沿いの道をバスは走っていきます。昨日とはうって変わっていい天気です。このあたりには、吉良川・羽根の古い街並みなど見どころもありますが、バスで突っ走ります。約50分で唐の浜東のバス停につき、27番札所を目指します。ここから、ほとんどが舗装路で約4キロの登りです。最初は緩やかですが、上の方は真っ縦と呼ばれる急坂です。バスを降りた辺りに、地元産の販売所があり、「荷物預かります」と書いてあります。店も開いていましたが、なんとなく預けるのは気が引けて重い荷物を背負ったまま登り口へ向かいます。登っていくうちに陽が高くなってきて、暑くなってきますが、昨日の雨天よりはましです。少しずつ山を登っていきます。土曜日だからでしょうか?27番札所へ向かう県外ナンバーの車が、私をどんどん追い越していきます。あと、1,3キロのところから、山道へ入る道があり、そこにベンチがあるので、しばし休憩します。下で見かけた歩きのお遍路さんが追い越していきます。次に短パン姿で巡拝道具だけを持ったお遍路さんがやってきました。休みませんかと誘うと、「少し休みます」と私の隣に座った。「本物のお坊さんですか?」「本物かどうかは知りませんが、坊主です」無精髭を伸ばして、僧形でもないのになぜわかるんでしょう?休憩を終えて、山道を登り始めます。ここは、ほとんどが舗装路で、山道はほんの僅かのように思っていましたが、結構長く感じます。そこをゆっくりと登ると、舗装路に出ます。真っ縦の舗装路です。カーブでは内側を回るのが最短距離ですが、九十九折れの内側に傾斜がついていて、内側がきついため登れず、外側を回り、結果的に最長距離を進むので歩みがのろいです。お寺に着いたのは1時間半後の8時40分を回っていました。27番札所神峰寺はきれいに整備された庭を持つ美しいお寺です。境内には霊水が湧き出ています。この水を飲むと生き返るような気がします。
2009年07月25日
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先日、当ブログにもよく書き込みくださる大法螺窟様が大型バイクで来訪されました。空冷4気筒のCB750です。少し前に、近くのバイク屋さんに愛車アドレス125のオイル交換に行ったとき、そこの店頭に、ゼファー1100がありました。空冷4気筒1100CC。ツインスパークの名機?店主に具合を聞いてみました。「あれはボイジャーの水冷のエンジンをベースに、空冷にしたもので設計が古いね!最初から、空冷設計のエンジンならツインスパークにはしなかったと思うよ」「ゼファーの750は載ったことあるんですけど、比べたらどうですか?」「ゼファーの750は650のエンジンベースで軽いし小さいしあっちの方がバランスいいと思うよ」売る気ないんかい?本当は最新鋭機のZZR1400とか欲しいんですが・・・再び店主に聞いてきました。「ZZRとか300キロ出るんですか?」「250キロにリミッターがついてるからね、外さないと出ないよ」外したら出るんかい?しかし、200キロ以上のスピードを出そうとすると、皮のブーツ、グローブ、ウエアは必須。しかもウェアはプロテクターつき。ヘルメットもフルフェイス。どう見ても30万は下らない!(汗)それに、前傾のきついポジションのバイクは体力的にもきつい。現実的には大法螺窟様と同じようなカウルなしのスポーツ750ぐらいが気負いが無くてブーツなし、普段着で、素手で乗れていいかも?そうなると空冷4気筒カワサキといえばカワサキゼファー750登場した頃、ジムカーナー最強とも言われ、非常に程度のいい「Z2改」と呼ばれた名機!ただ、カワサキのゼファーは高いですね!ホンダブロス650この辺りが意外におすすめでしょうか?人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2009年07月25日
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雨の中、さっき上がってきた道を逆に下って行く。先ほどの登りで足はガクガクになっています。今回の旅で初めて金剛杖を突きました。実は私は普段は金剛杖を全く突きません。手に持って歩いているだけです。突かないなら、金剛杖など要らないだろうといわれそうですが・・・金剛杖はお大師さんの化身と言われていますので、お遍路さんは持つのが作法です。お大師さんと同行二人というのは、心の中で思うだけでなく、実際に山中で頼りになるのはこの金剛杖だけです。私も何度助けられたことか?しかし、いつもこの杖に頼っていたらどうなるか?徳島辺りでは、歩きのお遍路さんと、車のお遍路さんの区別はつきにくいですが、愛媛香川辺りに来ると一目瞭然です。金剛杖の先が磨り減っているのでよく判ります。中にはかなり短くなっている人もいます。それだけお大師さんに助けられたということでしょう。私は1周目のお遍路で、金剛杖を二度と使えないくらいすり減らしてしまいました。その教訓から、余程のことが無い限り突かないと決めました。そうなると、だんだん突くのが勿体なくなってきます。その結果、歩きで五回お参りしたにも関わらず、ほとんど杖は磨り減っていません。杖を突きながら用心深く下っていきます。雨は上がってきました。15分ほどで、民宿うらしまに到着します。新しい建物なので、ずぶぬれで入るのは気が引けましたが、どうぞといわれるので、合羽を表で払って中へ入ります。ここは、親切な宿でした。というより、遍路宿は皆親切です。突然の来訪に嫌な顔せず、応対してくれます。「合羽はここにほして」「荷物はここ」「洗濯はここで、干すのはここ」まず、宿に入ったら、金剛杖を洗うのが最初です。杖を洗い、きれいに拭いて、今日一日の無事を感謝してから他の事を行ないます。遍路宿は原則として、布団などは部屋においてあります。それを自分で敷きます。ここは、最近改装したようですが、基本は変っていません。押入れも無く、テレビと小さなテーブルが一つだけ置いてあります。洗濯機は以前は頼んで貸してもらっていましたが、今は乾燥機も結構揃っています。タオルとか歯ブラシとかは普通の旅館のようにあるわけではありません。お風呂に入れてもらい、洗濯を仕掛けて食事をいただきます。食堂に下りていくと、「お先に」と食事を取られている年配の女性がいました。ビールを飲んでいるので、何をしている人だろうと思いましたが・・・店主との話を聞いているとお遍路さんのようです。今回の旅で気が付いたことのひとつに、「一見お遍路さんに見えない人が多い」というのは発見でした!以前は、お遍路さんの姿を解いても「お遍路さん」と判る人が多かったような気がしましたが気のせいでしょうか?11時頃食べたきりだからか、自分でも驚くほどお腹が空いていてたくさん食べてしまいました。さらに部屋の戻ってからもお菓子をむさぼるように食べてしまいました。6月5日 四ヶ寺 一社 参拝 歩行距離 11キロ
2009年07月24日
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一旦止みかかった雨ですが、再びバシャバシャ音を立てて降り始めました。その雨の中を4時少し前に、約4キロ先の26番金剛頂寺へ向います。室戸の旧道を歩いていきます。道行く人は、皆、笑いかけながら挨拶をしてくれます。「たいへんやな~がんばって」と声を掛けてくれる人もいます。26番を目指すという選択は正しかったのだろうか?室戸で泊まるなら、25番札所で宿を紹介してもらうという手もありました。しかし、街中の25番と違い、山の上にあり、街から離れた26番ではそれは難しいでしょう。その先の奈半利を目標にしましたが、宿がある保障はありません。宿の確保は当然のことながら、遅くなればなるほど困難になります。旧道が新道に合流し、街の中心から外れて行くのにしたがって、前方に山が見えてきます。26番金剛頂寺のある山です。5時までにここへ着かないと、次へ進めません。雨の中、焦りますが、なかなか前へは進みません。得意のバスを使いたいところですが・・・生憎バスがやってくるのは、4時半過ぎ、しかも、26番金剛頂寺は登り口から一キロぐらいあります。バスを待っている間に進んだほうが早いでしょう。とりあえず、何とか、金剛頂寺の看板が出ているところまで来ました。主要道路から右へ折れて登って行くと金剛頂寺ですが、その登り口の手前の左手に「民宿 うらしま」の看板が見えました。休館と地図にはありましたが、店には電気が灯っています。扉を開けようとすると、店主さんが出てきてくれました。ずぶぬれで立ったまま、「今日泊めてもらえますか?」「いいですよ」雨の中疲れていたので、ありがたかった。荷物を置かして貰う。「26番へ行ってきます」「間に合うか?」「大丈夫です」時計は4時半を指していた。雨の中、頭陀袋、改良服、納経帳をビニールに巻いて手に持って出たのだが、それが失敗でした。荷物が重すぎて持ちにくい。記憶では26番は主要道から右へ折れてすぐ左に曲がるはずですが・・・その曲がり角が遥か彼方???その交差点を左折して突き当りから山道に入るのですが、これがまた急な山道で、階段状の岩場のようなところを登っていきます。途中で息が切れて何度も立ち止まります。このような急坂は、自分の呼吸と歩みを合わせます。一歩進んで息をはいて、一歩進んで息を吸う。それくらいゆっくりした歩みで、森の木々の力を借りながら進めば、休むことなく登れる。これまではそれで切り抜けてきましたが・・・今回は使えません。時間制限があるからです。進んでは休み進んでは休み、まだか、まだかと気ばかり焦ります。ようやく26番の駐車場に出ます。やっとたどり着いた・・・しかし、境内までは女坂・男坂の33段、42段の結構段差のある石段があります。奈落の底に突き落とされるような感じです。私は何度もここには来ていてこの石段の存在は十分に知っています。けど、実際に見てガックリ来ました。たった、75段の石段を休み休み登ります。山門をくぐりようやく境内に入ります。雨の中、境内には誰も姿が見えません。時計を見ると4時45分。恐ろしく長く感じた15分間でした。金剛頂寺は室戸三山の中でもっとも大きなお寺です。この三つの寺院が海沿いの町にあるにもかかわらず、三つとも申し合わせたように山の中腹に作られているのは、津波に対する備えでしょうか?あるいはかつては灯台の役割を果たしていたのでしょうか?取り急ぎ納経を済ませ、本堂で読経します。途中で5時の鐘がなります。本堂を途中で閉められるかも知れないと思い、外で拝んでいたのですが、私が終わるまで本堂を閉めるのを待ってくれました。納経所の役僧に御礼をいい、大師堂に向います。読経が雨音にかき消されていました。
2009年07月23日
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今日の皆既日食は残念でした。特にツアーに行った方は暴風雨だったようで気の毒ですね。徳島でも多少暗くなりましたが、曇っていて太陽は見えませんでした。三日月のように見えたという報告もありますが・・・古代に日食が起きたら大変だったでしょうね。アマテラスが天岩戸に隠れて世の中が闇になるという話は、卑弥呼が死んだとされる247年と248年に日食が起きたという説もあるので大事件だったと思われます。ところで、私が大学へ入った頃は、日食時には物理学者が「一般相対性理論によると重力場では光が曲がる」という現象を観測しようと必死になるといわれていましたが、今回はどうだったんでしょう?※日食で隠れた太陽のすぐそばの星の光が太陽の重力でどれぐらい曲げられているかを観測する。次は26年後!2035年9月2日 日本でも富山と茨城を結ぶ一帯で見えるそうです。ちょうど私の父親の66回忌?元気なら飛騨で見ましょうか?人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2009年07月22日
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高知東部交通の営業所について14:55分のバスを待ちますが、なかなか来ません。3分遅れぐらいでやっと来ました。手を挙げて載る意思を示します!バスが止まり、運転手さんに「このバスは25番札所の近くまで行きますか?」と尋ねます。既にバスが遅れているので、すぐ出発するかと思いましたが、道路にバスを停めたまま、運転手さんがバスを降ります!「運転手が代わります」「ええ~」交替の運転手さんはなかなか来ません。しかも、乗り込んでからが、準備が遅い!後から判ったのですが、路線バスは通過予定時刻より早く通過するとクレームが来るので、遅めに通過する。このような営業所で時間調整をするそうです。そんなことを知らない私は心の中で「早う出発してくれないと、バスを選んだ意味が無い」ようやく出発したのは3時過ぎ!室戸のバス停で降ります。運転手さんが、「札所はそこの山ですよ。」と教えてくれました。しかし、迷いました。教えてくれた山に対して来た道を戻るように回り込めばよかったのですが、直線的に進もうとしたのが間違い。実際に道が無いのでどんどん離れていきます(汗)雨が降り始め、気ばかりが焦ります。3時過ぎに着くつもりの25番札所津照寺に着いたのは、3時半近くです。バスに乗った意味がありません(;一_一)津照寺はかじとり地蔵と呼ばれ、小山にあります。お寺のすぐ前には室津港がありますので、ここの守護であった事は間違いありません。室戸三山として東寺(24番)西寺(26番)と並べられていますが二つのお寺と比べる街中にあることも理由でしょうが境内はコジンマリしています。ただ、天に向かうように本堂へ石段が伸びています。足の悪い人なら、見ただけで本堂への参拝を諦め、大師堂で代拝とする人も見たことがあります。納経所の前で、荷物を下ろしていると、「ベンチの上に置いてください」「濡れているんですが」「構いませんよ」24番札所もそうですが、ここの札所も親切でした。本堂・大師堂をお参りして、時計を見ると4時少し前です。26番札所には5時前に着けるでしょう。しかし、下ってきて6時頃のバスに乗ると、27番の麓は7時くらい?これはあくまで予定ですが、宿に入るのが7時では遅すぎます。雨も降ってきたし、室戸に泊まろうか?しかし、なんとなく気が進みません。思い切って進むことにしました。宿の予定は26番の少し先の奈半利。26番が終わってバス停まで出たときに電話をしよう。うまくいけば、6時頃着けるので、許容範囲です。もし、宿を断られたら、その先でビジネスホテルを探せばあるだろう。最悪、高知市内まで捜せばあるのでは?しかし、予想もしない展開が待っていました。
2009年07月20日
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最御崎寺から来た道ではなく、室戸スカイラインの九十九折を下っていきます。目の前には太平洋が広がり、雨もやんで明るくなってきました。スカイラインを下ったところで20分経っていました。25番札所津照寺までは4キロぐらいと勘違いしていたので(実際は七キロ)こんなにスカイラインは長かったかな?と漠然と考えていました。さて、道は二つに分かれています。海岸線を走る新道を選ぶか?旧道を選ぶか?近いのは多分、新道。しかし、問題はバスがどちらを走っているか?旧道を選んでみる。しばらく進んでバス停が無かったら、新道へ移動する!この辺りの見極めは難しい!室戸岬町の旧道を歩いていきます。バス停がありました!片側にしかないバス停の時刻表を見ると、次のバスは14:45分ぐらいの予定です。あと25分待つよりは少し進みます。町並みは古ぼけた感じがします。鉄道が通っていないからでしょうか?時代から取り残されたような感覚さえあります。室戸はかつては遠洋業業の基地として栄えた町です。飲み屋の数が往古をしのばせるという話を以前聞きました。しかし、捕鯨が禁止、マグロもかつてほど捕れなくなった今あれから15年、人口が2万人を切った町にどんな展望があるのでしょうか?隣の東洋町は高レベル放射性廃棄物最終処分施設を巡って揺れました。町民の判断はノー。しかし、過疎の根本的な解決には至っていません。時計を見ながら、時刻表を見ながら進みます。二つの時間が交差する地点。そこにバス停があれば、いいのですが・・・無ければアウト?この時点では知らなかったのですが、四国の田舎のバスの多くは乗客数を増やすため、フリー乗車・フリー下車システムを採用している所も多いので、田舎では手を上げれば結構バスは止まってくれるそうです。ただ、気になることがありました。25番札所津照寺までどれ位の所まで進んでいるか?区間距離を4キロと誤解していたので、(実際は七キロ)かなり近づいていると考えていました。バス停で二つぐらいならバスに乗る必要は無いのです。それを裏付けるように?だんだん家が密集してきて、町の中心に近づいている様に思えました。(25番札所は街中です)地図を出して調べればいいのですが、雨天用に荷造りしていますので、簡単に出せません。近くの商店のおばさんに札所の場所を聞きます。「歩いて40分、バスで10分ぐらいかな?」「え~そんなにあるんですか?」「雨も上がったし、歩いて行き」「バスで行きます。バス停どこですか?」「がんばったら35分ぐらい。バスを待つ時間で着くわ」「・・・」オバサンは親切にいろいろと説明してくれるのですが、私は早くバス停に着かないとバスが通過して乗り遅れないかと気が気ではありません。おばさんに礼をいい、すぐ近くだという高知東部交通の営業所までダッシュしました。バスに乗れば3時過ぎには札所に着くだろう!
2009年07月20日
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先日、境内に植えてあるユリがきれいな花を咲かせたと思ったら、今朝外へ出ると、ユリの葉が散乱しています。面妖な?よく見ると、咲いたばかりのユリの茎がちぎられています!犯人は誰だ!先日も当院の立ち木が勝手に伐られていました。お墓参りで泥棒とはおそれ入谷の鬼子母神!人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2009年07月19日
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御厨人窟から、少し歩くと、最御崎寺への登り口があります。今はこの室戸岬廻りの道も通る人が少なくありませんが、かつては、この岬を廻る道は大変な難所で、普通は岬を山越えしてショートカットしていたようです。現在でも、この岬を避けた三津から室戸中心部に抜ける道路があります。その道から少し入ったところに四十寺という山があり、四十寺というお寺があります。24番最御崎寺の奥の院ともいい、このに24番が在ったともいいますが、位置からすると、最御崎が難所だったので、ここで札収めをしていたとか、最御崎での行の拠点という時代があったのかもしれません。ともあれ、最御崎寺は室戸岬にあるといいながらも、その切り立った山の平地に在るので、地図上で想像するより遥かに登らなければなりません。わずか700メートルの距離で80メートルも登ります。コンクリートや石畳の通路の上に、落ち葉が積り、しかも雨にぬれているために滑って登りにくい。高知の札所では大した登りはないと見て登山靴でなく、スニーカーを選択したのが、ここでは裏目に出ています。一歩一歩確かめるように登っていきます。相変わらず雨は降っています。汗が出ないうちに何とか登りきり境内に入ります。本堂の柱や縁にうっすらと緑がかった苔が目立つ辺りは室戸岬という海にごく近い場所にありながら深山のような雰囲気を持つ札所であす。そして木々に囲まれて静かな境内が、雨によってさらに音を吸収されているような感じがします。納経所のおじさんが、なんとなく愛想よくしてくれたのも、お参りが少ないせいでしょうか?時間を見ると2時近い。今日の当初の目標は24番、25番、26番という室戸の3札所を打ちぬけて、27番神峰寺の麓まで進みたいのでしたが・・・ここから25番まで七キロ、26番までさらに四キロ。歩きでは3時間。お参りが1時間かかりますので、歩いては無理。(5時までにお寺に入らないといけない)日程の消化にはバスの連絡がうまくいくことを願うしかありません。さらに27番の麓まではバスで1時間あまり。果たしてどうなるでしょうか?
2009年07月18日
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今日は久しぶりに法事がありました。終わった後、会席を用意していただき、私がその店へ入ろうとした時、同じように二人連れの人が店へ入ろうとしていました。その一人が振り向いて、いきなり私に「すいません」「・・・」「すいません」「私ですか?」「はい、手を合わせるとき(合掌の形をしていました)節と節を合わせると、不幸せになるって聞いたんですが・・・本当ですか?」「聞いたことないですね」「どうなんでしょう?」「それはないと思いますよ」「そうですか」そのまま店へはいって行かれました。ただの語呂合わせですが、言霊の恐ろしさがわかりますね!人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2009年07月17日
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10時45分の海部行き列車に乗ります。少し早いですが、道の駅「ひわさ」で購入した巻寿司とコルネを食ます。そういえば、昨日も一昨日もお昼は、パンと飴を補給しただけでろくな食事を取っていません。11時20分にJR四国の終点の海部に着きます。ここから、たった8キロの阿佐海岸鉄道に乗り換えます。ワンマンカーに乗ったのはわずか4人。そのうちの一人は外国人女性。身長は180を超すと思われる巨体に背中には身長を上回る大きさの巨大なリュックを担ぎ、両手に一杯の荷物を持っていて、しかもサンダル履き。お遍路さんっぽいが、歩けないだろう?雨にぬれる待合の場所を譲ったら、そこに彼女は荷を降ろし、話しかけてきた。「88ヵ所のお参りですか?何日ぐらいかかります?」お遍路さんではないようである。程なく列車は阿佐海岸鉄道の終点「甲浦」につく。やっと徳島から高知に入りました。何も無いところに作られた「甲浦駅」高架のホームを降りると、高知方面行きのバスの待合所です。売店があります、そこのオバサンはお客もほとんどいない田舎駅ですので、人懐っこそうに話しかけてくれます。甲浦の在る東洋町はかつて、原発の高レベル放射性廃棄物最終処分施設を巡って揺れた町です。本来なら、この先室戸岬を廻って、高知へと向う鉄道ができるはずだったのですが・・・車社会の到来と共に置き去りにされてしまいました。少し待っていると、高知東部交通のバスがやって来ます。乗客は外国人女性を除いた3人。黒ずんだ板張りの床が年期を感じさせます。バスはバシャバシャ雨が車体を叩く中を、室戸へ向います。海岸沿いの道を走りますが、海は荒れ、白い大きな波が打ち寄せては、堤防にぶつかり、しぶきを上げています。日和佐ー室戸の80キロは俗に、歩いたら2泊3日といわれています。しかし、それは整備された現代の話。弘法大師の時代には村も無く、山を越え、浜に降り、山を越え、浜に降りを繰り返し1週間を費やしたことでしょう。右手は山、左手は海、その間に申し訳程度にある平地をバスは走り、1時間ほどで、室戸岬に近づきます。要塞のように家の周りをコンクリートで固められた家が目立つようになります。この辺りは台風の本場です。以前、この辺りで、被っている笠が飛ばされそうな強風に遭いました。付近の人に、「さすがに室戸は風が強いですね」と言うと「えっ、そうですか?いつもこんなものですが・・・」という答えが返ってきました。巨大なお大師さんが見えて来るとすぐ先は室戸岬です。バスを降りるボタンを押しました。室戸岬の先端お大師さんが修行した御厨人窟 (みくろど)の前で降りるつもりでしたが・・・なんと・・・御厨人窟を右手に見ながらバスは通過していきます!オオ~マイブッダ!御厨人窟 にバス停がないとは!!!200メートルほど走り、岬ホテルの前でバスは止まりました。雨は相変わらず降っています。今来た道を戻り御厨人窟へ向います。御厨人窟はお大師さんが修行したといわれる岩屋です。また、岩屋から見える空と海から「空海」という名前をつけられたともいわれます。普段は乾いている岩屋ですが、雨がどこからか流れ込んでいるのでしょうか?岩屋の中の地面は濡れています。荒天のためか人も車もやってきません。静かに1200年前のお大師さんに思いを馳せます。すぐ前の納経所で納経を受けます。お婆さんが、「お坊様の納経は私では恥ずかしいのですが」といいながら、私よりはるかに達筆で書いてくれました。
2009年07月15日
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先日、東京都議選が行われました。結果はご存じのとおりです。自民大敗とは言いますが・・・自民は48から38しかし、もっと負けている党があります。共産党 13→8 生活者ネット4→2一方 公明党は一議席上乗せして、22→23民主党は大勝と言いながら過半数に届かない54そもそも、首都とはいえ地方選挙で国政を問うのはいかがなものか?マスコミは煽っていましたが、違和感があります。地方選挙はあくまで地方選挙。地方の政策の可否を問うのが正道。確かに国政の失点が地方選挙にある程度反映されるのはやむを得ないとはいえ、極端すぎませんか?自民党は大敗の責任が問われると言いますが、盟友の公明党は微妙に勝っていることから、負けではないという言い訳も出来そうです。その、公明党が都議選で勝っている(支持されている)にもかかわらず、解散総選挙に反対するのは奇怪?都議選に続いて衆議院選挙を行うと困る理由でもあるのか???共産党の敗北は大打撃。自民・民主は大差なし。公明党は勝ち馬に乗る。とすると、異議を唱える政党は共産党しかない。共産党の政策はいいとも思わないが、チェック機能を果たすのは共産党しかない。ところで民主党が大勝して大丈夫か?民主党の衆議院新人候補を見て思うことがあります。何故か、他の政党に比べて華麗なる経歴の持ち主が多いです。海外留学、大学院、が当たり前。大企業・先端企業のエリート社員。今の社会状況を考えれば、弱者の代表を入れてもよさそうな気がするんですが・・・フリーターとか派遣労働者とか零細自営業者とか農林漁業従事者とか・・・20人ぐらい立てたらどうですかね?それを無視した民主党のマニュフェストなど絵にかいたモチのように思えて仕方ありません。それにもっと気になるのが投票率!54.49%で前回より10ポイント超す伸びとはいうものの、半数近くの人は投票していません。民主が勝ったとはいえ有権者数に対する得票率はせいぜい20%、無投票者の半分以下です。手放しで喜べる状況ではないでしょう。人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2009年07月15日
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23番札所を後にして、道の駅「日和佐」へ向います。そこのあずまやに職業遍路らしい、自転車にたくさんの荷物を載せた老遍路がいました。なにやら熱心に書き物をしています。今回、たくさんのこのようなお遍路さんを見ました。「へんど」ともいわれ、結構嫌われる存在です。いくあてもなくルーレットのように四国を廻り続ける。今回意外にたくさんのこのようなお遍路さんを見て、一体どこで寝ているのだろうと考えてしまいます。駅もだめ、バス停もだめ、公園もだめ・・・行く所がないのでは?話してみると、意外にプライドが高く、それなりに面白い話し方をする人が多いです。ちなみに、当院にやってくる遍路まがいの「乞食」ともちょっと違いますね。むやみに物乞いをするような人ではないかもしれません。四国霊場はこういう人たちを、抱える余地がいるのではないか?と私は考えます。だから、偏見かもしれませんが、生活にも困らず、帰る所もある人が「野宿をしながら、歩きで巡拝」すると、四国霊場が荒らされるように思えてなりません。現実に駅もバス停も公園も宿泊禁止の張り紙がされました。その人たちは四国霊場がどうなろうと構わないかも知れません。帰る所もあるし、そこで生活しているわけではない。しかし、四国霊場が変化したら、そこで生活している「へんど」はどうなるのでしょう?実は同じような構図があります。某へんろ団体は山に埋もれたへんろ道を復興しています。へんろ道とて、元は生活道路。地元の人が生活に使わなくなった道路は自然に帰すべき物で、現実に自然に埋没しています。それを、わざわざ復興してどうする???そこに住んでいる動物にとっては「歩きへんろ」が通りまわることは迷惑この上ありません。日和佐で切符を買い、室戸を目指します。ホームに上がると、昨日、20番、21番であった女性のお遍路さんがいました。昨日のお昼に21番、その日はふもとの宿に泊まるという話だったので、そこから22番まで7キロ、さらに23番までは20キロ。とても歩いてきたとは思えません。「どうしたんですか?」「昨日、21番までお接待していただいた方に22番まで送ってもらい、今日泊まる予定の○○に昨日泊まったんです。」唖然としてしまいました!あらかじめ宿を予約しないで夕方になって頼むのは迷惑だという意見を聞いたことがあります。ところが、夕方になって宿をキャンセルするのはもっと迷惑ではないでしょうか?歩き遍路だから予定が立たないから、キャンセルしても良いと考えているのでしょうか?知り合いの「へんろ宿」の人の話では、無断キャンセルの歩き遍路が増えて困っていると聞いたことがあります。確かに、さまざまな事情で、予約していた宿まで、どうしてもそこまで進めないこともあるでしょう。ねんざとか、急病とか医師の処方が必要な事態ならやむを得ません。しかし、そこまで歩けないだけという事情なら他の交通機関を使ってそこまで行くのが当然でしょうし、先へ進んだとしても、戻るのが当たり前ではないでしょうか?そんなことが私の頭の中を駆け巡りました。たぶん不機嫌な顔になったように思います。そのお遍路さんはそれを察したのか、会話はそれで終わってしまいました。それがよかったか悪かったかよくわかりません。私は宿を予約することなく歩いていたことがありました。夕方進めるところまで進んで、そこの宿があればお願いする。無ければどこかの軒を借りる。しかし、運悪く宿も軒も無い場合があります。その場合は、深夜まで歩いたこともありますし、寝ずにベンチで一夜を過ごしたこともありますし、朝まで歩き続けたこともあります。夕方になっても寝るところも無く歩き続けていたら、泊まるところがあるということが如何にありがたい事かよく判ります。この時点では今日の宿など決められません。しかし、泊まるところあるかな???一瞬の不安が頭をよぎります。
2009年07月14日
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6月5日、6時47分徳島駅発、海部行の各駅停車で日和佐に向かいます。徳島駅では2両編成の列車がガラガラです。しかし、南小松島・阿波赤石で学生がたくさん乗ってきて、立っている乗客もいました。列車は日本の原風景とも言える山間の田圃の中を走っていきます。四国の遍路道を残そうという動きもあるようですが、本当に残すべきはこの農村地帯ではないでしょうか?阿南に着くと多くの学生が降りますが、降りた学生の半分くらいの学生が乗ってきます。しかし、次の見能林で学生の多くは降りて、新野を過ぎるとガラガラになります。朝は曇っていた空ですが、大粒の雨が落ち始めました。新野を過ぎると列車は山の中へ入っていきます。両側から伸びている枝をかすめながら進みます。トンネルが現れ、由岐を過ぎると、海も見えます。8時26分ようやく日和佐につきます。日和佐は阿波南部の中心都市でウミガメの上陸で有名です。とはいえ、人口は1万人に満たない小さな町です。しかし四国遍路においては、この日和佐から先は町らしい町は約90キロ先の室戸までありません。JR日和佐駅から、薬王寺の伽藍が見えます。併設されている「道の駅日和佐」を通って薬王寺に向います。幸い雨は上がっています。徳島きっての大寺院で正月3が日で20万人を集めるという厄除けのお寺も、梅雨という季節からか、ほとんど参拝者は見えません。厄除けの石段を登ると、本堂では団体ツアーのお遍路さんがお参りしていました。荷物を下ろしていると、役僧が現れましたが、よく見ると高野山専修学院の同期生のD君でした。手を振ると気づいたようで、「久しぶりですね」と声を掛けてきました。「三人文殊さんお遍路ですか?」「ええ」「一人ですか?」「ええ」「歩きですか?」「いえ、公共交通機関を使いながらです」「そうですよね。歩きは大変ですよね」「そうでもないけど・・・時間がないからね」「お寺はどうしているんです」「明日帰ります」9年振りなのに、昨日も会った様なしゃべり方なのが面白い。彼はここで役僧をしているのだが、今のところどこかのお寺に入る気はないという。二人目の子供が生まれて、生活は楽ではないそうだが、大変なので住職にはなる気はないらしい。「だって住職って大変そうじゃないですか?」そう笑いながらいわれても返す言葉はありません。(*^_^*)そういう選択肢もあるのかな?変った人だな?と考えながら、よく考えると、いきなり一人背中に荷物を背負った遍路姿で現れた私の方が変った人かもしれないと思うとおかしくなってきました。「歩きの遍路は大変ですよ」彼はそう語ったのですが、私はそう思いません。多分、私に足りない時間さえ手に入れれば、楽しいものになることでしょう。人は経験していなことは大変だと想像するのでしょう。「歩き遍路は修行」という話はよく聞きます。「歩き遍路が苦行」という話も聞いたことがあります。私はそれを否定します。歩き遍路は遊びです。修行したいなら、山の中で一人でやってくれ。さらに野宿で廻るという人の話も聞きます。しかし、ほとんどの人はテントを背負っています。テントを使うのが野宿???家を背負っているのと同じでは???野宿も歩きも大変ではない。大変ならやめれば?わざわざするほどのものではないし、その価値も無い。以前、老遍路に語った言葉ではありませんが、野宿も歩きもそれが目的ならどこでもできるでしょう。もし、どうしても歩きや野宿にこだわって遍路をしたいならその宗教的理由が必要だろうと思います。人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2009年07月13日
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もうそろそろお盆の季節がやってきました。徳島では初盆の迎え火に提灯を用います。その提灯に戒名を書くのですが・・・なかなか、普段書きなれないものは書きにくいですね。七月のはじめからボツボツ持ってこられてのですが、そのまま置いていました。ところが、今日ある檀家さんから電話がありました。「今日提灯を持っていきますので書いていただけますか?」もう、書かないといけません。お盆についてはこちら~~~~~以下引用~~~~~お盆は盂蘭盆経というお経に基づいているといわれています。盂蘭盆(うらぼん)というのはサンスクリットのウラバーナ(逆さづり)の音写です。だからお盆は「うらぼん」と言いますが「おもてぼん」というものはありません。そのお経の内容はお釈迦さんの弟子の中で神通第一と呼ばれた目連という尊者がいます。今風の言葉で言うと神通とは超能力です。目連尊者がその超能力で持って自分の母親がどうしているかを見たところ、餓鬼道に落ちて逆さづりにされるような苦しみを味わっていました。何とか助けようとしましたがどうにもなりません。そこでお釈迦さんに相談したところ、7月15日の安居明けの日に僧に食事を供養しなさいと言われました。その通りにしたところ、お母さんはその功徳によって救われたといわれています。一方儒教では7月15日を中元として、終日庭で火を焚き、罪を懺悔した日ともいわれています。また、父母、年寄りなどに尽くす日といわれています。ちなみに1月15日を上元、10月15日を下元といいます。また日本では古来から1月と7月が祖霊を祀る行事が行われていました。1月は神を祀るように思われていますが、日本では祖霊が神に昇格すると言われています。かつては正月のように7月の1日から行われておりました。また「1日から地獄の釜のふたが開く」ともいいます。しかし、時代の流れとともに縮小して現在のように15日を中心とした日に落ち着きました。昨日お話しした盂蘭盆経、そして儒教の中元、日本の祖霊信仰、この三つが重なりあって現在のお盆を作っています。~~~~~以上引用~~~~~もともと「○月」という呼び方は新月を一日、満月を十五日とした月の満ち欠けに基づくもので、現在のように太陽の運行に基づいて月を12ヶ月に割り振るのはニセモノの「月」なのです。お盆などは成立した経緯からも旧暦を使うのが当然ですが、去年はたまたま、旧暦の七月十五日と新暦の八月の十五日が重なっていました。ところが、一昨年は八月二十七日、その前の年は八月八日、さらに、その前の年は八月十九日・・・と違うほうが普通です。毎年お盆が新暦では違う日になってしまうというのは都合が悪かったようで、現在では七月十五日か八月十五日(新暦)に行なうのが普通です。ただ、本来の意味からは旧暦の七月十五日に行なうものであることは憶えておいてほしいところです。ちなみに、今年は9月3日!遅いです。人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2009年07月11日
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いきなりバス停の表示もない道路でバスが止まったとおもったらそこが阿瀬比でした。下ろされて道を挟んだ対面には、かつて商店だったとおもわれる建物があり取り残されたようにポツンと一台の自動販売機が置かれています。鶴林寺の麓で購入した水はこれまでの行程で飲みきっていましたので、その自動販売機で水を購入します。雨は本降りになって来ました。22番平等寺までは約5キロです。舗装路からコンクリートの農道へと進み、山道に入ります。歩行距離は10キロ程度ですが、午後になって疲れたからか、鶴林寺、太龍寺の山道で消耗したからか意外にきつい上り坂に苦しみます。あと少しと言い聞かせながら、一歩一歩雨の中を進みます。程なく大根峠を越えます。なんとなく充実感を憶えて、22番札所に届いたような気になりましたが、幻想でした。だらだらした下りがこれでもかと続きます。実際は大した長さではないのでしょうが、永遠に続くくだりのように思えます。雨の中休む場所もありません。いい加減疲れきった頃にやっと山道を抜け、舗装路に出ました。いつの間にか雨は上がっています。少し舗装路を歩くと、地元の人が用意してくれたらしいベンチがあったのでありがたく休ませてもらう。「四国の田舎ではお遍路さんに優しい。」「休憩所を用意してお遍路さんをお接待してくれる」県外からやってくる人はそう感じているらしい。半分は本当です。でも半分は違うとおもう。四国の田舎ではどんどん人が減っている。人が田舎に来ることが少ないのだ。だから、人が来て話してくれたらうれしいのだ。だから、お遍路さんを見てニコニコしながら挨拶をしてくれる人を見ると複雑な気がします。休憩しながら、時計を見るとビックリ仰天!もう15時30分過ぎ!阿瀬比から1時間も経っている!平等寺をお参りしてから、JR新野駅から列車で徳島に戻る予定で新野駅発の徳島行きは16時56分を予定していました。遅くてもこれには乗れるという見込みだったのですが・・・次が18時23分。1時間半も間があります!平等寺までは2キロ、そこから新野駅まで2キロ!1時間に4キロ進んで、お寺に30分滞在したら・・・17時過ぎ(汗)休憩しようと下ろした荷物をあわてて背負います。勢いよく平等寺を目指しますが、気ばかり焦って前へ進みません。頭の中を計算が駆け巡ります。18時23分の列車で帰ったら・・・帰りは8時過ぎ、つかれきってしまうでしょう。もし新野で泊まったら?泊まりの準備をしていないので、明日徳島へ帰ることに最初から室戸を廻って高知を目指す予定で準備をしていれば焦ることはなく、新野で泊まれば良い。日和佐(23番)まで進んでも良い。しかし、昨日の失態が頭に残り、荷物を最小限に抑え徳島へ引き上げることを前提に予定したのが裏目です。そうはいうものの、最初から泊まりを予定して荷造りしていたら鶴林寺、太龍寺へ登れたかどうかわかりません。22番平等寺に着いたのは4時頃でした。お参りを省略することも考えてしまいましたが、お参りあっての巡拝という信念をここで曲げては挫折と同じです。丁寧に理趣経を上げます。ちょうど同じ頃やってきた歩きのお遍路さんは、本堂に札を納めるとそのまま下っていきます。なんとなく気になりましたね(苦笑)お参りが終わると16時30分です。新野駅へ大急ぎで向います。早く歩こうとしますが、体力が無くなっているのか足がもつれます。途中で高校生に挨拶されますが、キチンと挨拶を返す余裕もありません。ようやく踏切が見え、新野駅が見えました。喉はからからです。阿瀬比で購入した水は飲みきって、平等寺には名水がありますがそれを汲む暇はありませんでした。とりあえず、合羽を脱いで、飲み物を買おうとおもっていたら、脱いだと同時に列車が入ってきました。水~水をくれ~と思いながら各駅停車に揺られて帰りました。6月4日 三ヶ寺 一社 参拝 歩行距離 18キロ人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2009年07月09日
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太龍寺から13時40分のロープウェイで下ります。ところで、歩いて四国遍路をしているとよく聞かれる質問があります。「歩くと何日ぐらいで廻れるか?」少なくとも私に取っては意味のない質問です。四国遍路は一周約1200キロ、1日30キロぐらい歩けば40日ぐらいで廻れるというのが前提にあるようですが・・・その前提はおかしいのでは?私はかつて、一周平均60日~65日かけていました。「ずいぶん遅いですね!」と言われたこともあります(*^_^*)ちなみに、私の平均歩行距離は一日40キロ~45キロぐらいでした(*^_^*)決して遅くはないはずです。平均速度は遅くないのに、一周廻る日数が長い。何故でしょう?まず、お参りの時間が考慮されていません。私は以前にも申し上げましたが、一か所あたり30分以上かけてお参りしています。一方、歩きのお遍路さんの中には、お参りよりも歩くことに重点を置いている人が少なくありません。88か所も廻ったら、50時間は違いが出るでしょう。すなわち、同じ速度でも5日ぐらいは余計にかかるということです。もう一つは、番外霊場をたくさんお参りしていることです。片道50キロある、太龍寺の奥の院の黒滝寺や、海上の大三島、石鎚山上、などは代表ですが、それ以外にも一周あたり100か所以上の番外霊場をお参りしています。時間がかかって当然です。「歩くと何日ぐらいで廻れるか?」という質問があまり意味のない理由がお分かりいただけたと思います。今回は流石にたくさんの番外霊場はお参りしませんが、重点的にいくつかはお参りしています。ところが、気に入らないのは「全部歩いているんですか?」と人から聞かれて「いえ、公共交通機関を併用しています」と答えると、「そらそうでしょうね、歩いたら大変ですからね」となんとなく低く見られること。公共交通機関を使っただけで評価が下がるんかい???さて、ロープウェイは弘法大師が修行した場所といわれる南の舎心を通過していきます。ここには弘法大師像があります。舎心はもともと捨身だったとも言われています。北にも舎心がありますが、どちらも大きな岩の上で断崖ですから「捨身」という字が本当でしょう。かつて南の舎心から鷲敷の中山薬師に下る道があったと言いますが、私は下ったことはありません。現在、遍路道と言われているのは、太龍寺への車道のだらだら坂を阿瀬比まで下り、そこから山越えをして22番札所の平等寺に向います。私はロープウェイで下り、バスで阿瀬比に移動して山越えを目指します。ロープウェイ乗り場から、最寄りのバス停までは800メートルです。雨が降ってきましたので、合羽を着て、ポリ袋で雨用の覆いを掛けます。準備をしているうちに14時近くなりました。バス停のある195号線へ向かう途中に、蛭子神社があります。見事な鳥居杉のある神社ですが、時間を見ると14時15分バスは14時20分なので、参拝は諦めます。和食東のバス停からバスに乗り、歩道もバス停の表示もない阿瀬比のバス停で降ります。乗客は例によって私一人でした。人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2009年07月08日
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さて、20番鶴林寺から21番太龍寺に至る道が難所です。来た道を下り、登り口の生名に戻ることも考えましたが、時間もまだありますので、直接山道で21番札所へ向かうことにしました。距離は6,5K標高500Mから50Mまで下り、再び520Mまで登ります。まず、下りが問題です。かなり急な下りです。荷物の負荷が足にかかり、意外に体力を使います。さらに疲れているときは足を痛めやすいので、ゆっくり慎重に下りていきます。かつては、20番→21番を1時間半を切り、車のお遍路さんより早く着いたものですが、今は昔(*^_^*)一部の道では草が生い茂り、通行しにくいところがありました。この時期になると通行不能になるへんろ道も少なくありません。四国の温暖な気候は驚くほど草木を成長させます。わずか二キロで45分もかかりましたが、無事に降りられたことに感謝して、麓の八幡神社にお参りしました。八幡神社のすぐ下のあずまやで休憩します。先ほどの青年が先客です。少し下ると集落があり、那賀川を渡ります。那賀川は渇水と言われており、水は少ないですが、川幅は驚くほど広いです。橋を渡ってしばらくは舗装路を谷沿いにだらだら登って民家がない山の中を進んで行きます。途中にあずまやがあり、再び青年と出会います。さらに進むと急に視界が開け、こんな山奥に田畑が現れます。そこから急な山道に入ります。途中で休み休み登っていきます。坂道では滝のように汗が噴き出します。もし雨天で合羽を着ていたら登れないでしょう。しかし、少し休むと汗がすっと引き、涼しくなってきます。しばらく、休んでいると鳥の声が聞こえてきます。必至になって登っているときは、周りの景色を見えない、音も耳に入らない。こうやって、静かにしていると周りもだんだん見えてきます。少し登ると、道は緩やかになり、コンクリートの道に出て、太龍寺の山門が見えてきました。もう1時近くなっており、鶴林寺から3時間経過していました。境内に入ると4人の歩きらしいお遍路さんがいました。どこから出現したのでしょう?一人は、先ほどの青年。二人は夫婦?カップル?もう一人は、先ほど鶴林寺の登りで抜いた年配の女性でした。私が抜かれていないのになぜ???話を聞くと、お接待でロープウェイ乗り場まで車で乗せてもらったということです。今日は21番の麓の宿に泊まると言います。やっと納得しました。太龍寺は弘法大師の「三教指帰」に出てくる阿国大瀧嶽と言われています。ここにはかつて奥の院である龍王の窟という洞窟がありました。弘法大師が求聞持法をしたとしたらここだったのではないかと思われます。戦前までは存在していましたが、現在はありません。驚くべきことにセメント会社に売られてしまい失われてしまいました!貴重な霊場であっただけに残念極まりありません。大きな杉の木立に囲まれた静かな場所です。西の高野と言われています。最初ここへ来た時には大きな寺院なので、なるほどと思ったものですが、多少大袈裟です。確かに、大師堂は高野山の奥の院の雰囲気に似ています。ミニ高野ぐらいが適当です!お参りしているうちに、4人の歩き遍路さんはいなくなっていました。ロープウエイを使うので、もう彼らとは会うことはないでしょう。人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2009年07月07日
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ところで、19番札所から20番札所までの間には重要な番外霊場が3つあります。慈眼寺・星の岩屋・取星寺です。四国遍路の最古のガイドブックは寂本の「四国遍礼霊場記」ですが、この本には7つの番外霊場が載せられています。金毘羅宮・篠山観世音寺・月山・洲崎の堂の4つと上記の三つです。7つのうち3つがこの19番→20番の間にあるのは不思議です。まず、取星寺と星の岩屋は、どちらも19番の奥の院と称しています。空に悪星がでた時にお大師さんが星の岩屋で祈願したところ取星寺に落ちたと言う説があるが定かではありません。星の岩屋は丁度、鶴林寺から勝浦川をはさんだ対岸の山の中腹にあります。本堂への石段の脇には鳥居杉があり、本堂脇には岩屈そこを抜けると滝の裏に出ます。滝を裏から見るので「うらみの滝」とも言います。クスノキにお不動さんが彫ってあります。すなわち「生木不動」です。慈眼寺は20番札所の奥の院と言われ、途中に灌頂の滝と呼ばれる徳島最大の滝があります。納経所から本堂までは少し登りますが穴禅定と呼ばれる行場(鍾乳洞)があります。さて、俗に四国遍路はお大師さんに出会う旅ともいいます。しかし、実際にお大師さんに会った体験談はあまり聞いたことがないでしょう。そもそも、お大師さんに出会うということはいったいどういうことでしょう?15年前、私が初めて四国にやってきてお遍路をしたときの話です。足摺で高野山で修業したという若い僧と出会います。たまたま、同じ宿に泊まったところ、いろいろ真言宗の話やら弘法大師の話をしてくれました。そして何故か、その僧がどこまでもついてきて私にしつこく托鉢を勧めます。当時、素人で仏教にも全く興味のなかった私は、それが嫌でその僧が托鉢している間に先に進み、その僧を完全に振り切った。と思ったら・・・歩き遍路17回という行者さんに捕まります。気合いの入った修験者の格好で強面、威圧的な態度と声の大きさに普通の人は圧倒されます。さながら、不動明王の化身?「お前は托鉢をするんだ」と言われ、その行者さんと一緒に強引に托鉢をさせられます。その行者さんが酒を飲んでいるうちに逃げ出してやっと自由を手に入れた・・・と思ったら、足を捻挫?してほとんど歩けない状態に・・・その間に若い僧が追い付いてきて、笑いながら「托鉢する運命にあるんですよ・・・」托鉢の話はさておき、その行者さんが私に言った言葉が今でも忘れられません。遍路の途中で酒屋に入り、私に質問します。「お大師さんはどこにいる?」「・・・」その時、たまたま前日同じ宿だった遍路三度目というお遍路さんが、水かジュースを買いに酒屋へ入ってきました。行者さんはそのお遍路さんを指差して「お前のお大師さんはこの人だ」その時はその意味が全く判りませんでした。後にその意味がわかってきます。四国遍路は不思議です。必要な物は必要な時に、必要な人も必要な時に、自分の目の前に現れます。当然のことながら、お大師さんは必要な人の前には必ず姿を現してくれるのです!人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2009年07月06日
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6月4日 一夜明けた朝。再び四国遍路に挑みます。本来なら今日から泊まりの予定だったのですが、昨日の経験から日帰りとして多少でも荷を減らし負担を軽くしました。スニーカーを選ぶことも考えたのですが、今日の行程は山道が多く雨が予想されるので、登山靴を選択します。十分に慣らしができていないため、登山靴は履いた瞬間に足が痛い。歩き遍路のサイトを見ると、登山靴を勧めているケースが多いです。確かに、ある程度の荷を背負い、山道を歩くことが多い歩き遍路にとっては、登山靴はベターな選択かも知れません。一方で、登山靴は重くて足に負担を掛けることも事実。それゆえ足を痛めることもあります。また、普段から歩いて慣らしておかないと履きにくいことが多々あります。むしろ私のような素人はスニーカーがベストかもしれません。徳島駅前から横瀬行きのバスに乗ります。乗客は一人。昨日の帰りのバスも乗った時は私一人。バス会社の採算が取れるかどうか心配になります。バスは徳島駅から南下して、勝浦川沿いに走ります。途中から通学の高校生が乗ってきます。昨日乗った「西岡上」のバス停を過ぎ、登り口の「生名」へ向かいます。「生名」のバス停の前には、商店があり、そこで食料を購入します。20番鶴林寺から21番太龍寺に至り、太龍寺を下るまで商店はありません。水・食料は確実に必要です。今日の目標はとりあえず20番札所まで登り、その時点で21番札所を山道で目指すか?あるいは、いったん現在位置まで戻りバスで徳島まで戻り、21番札所の下まで公共交通機関を使うか?問題は今にも泣き出しそうな空。雨天となったならば、20番~21番間の山道は難しいかもしれません。7時40分ごろ出発しようと背負子を背負っていると軽装の若いお遍路さんがすぐ前を歩いていく。向こうはこちらに気づいたか気づいていないか?お互い挨拶はしませんでした。その、お遍路さんについて行こうと思ったら、あっという間に見えなくなりました。車道から農道に入り坂がだんだんきつくなってきます。先ほどの若いお遍路さんが道の真ん中に大の字になって寝ています。若いということはうらやましい。そこで抜いて行ったのですが、本格的な山道に入る手前のベンチで休んでいるところを抜き返されます。もう一人大きな荷物を背負った若いお遍路さんが私を抜いていきました。本格的な山道(ただし整備されています)は延々と続くように思えます。この道は永遠に続き、終わりがない、そう覚悟を決めなければ登ることはできませんでした。ただ、有り難かったのは雨が降ってこなかったことです。不意に視界が開け、鶴林寺の駐車上に出ます。登り切った!登り口から一時間半を超えていました。駐車場を横切り、山門をくぐり鶴林寺の境内に入ると平地だからか急に体が軽くなりました。霧の中に立つ杉の大木の間はきれいに掃き清められ、まるで私を迎えてくれているような気がしました。荷物をベンチに置き、本堂への石段を登ります。荷が無いと足はなんと軽いことか!先ほど私を抜いて行った青年は大きなリュックを背負ったまま本堂以外の三重塔などを丁寧にお参りしています。僧侶でもなさそうですが、熱心に祈願しています。一方、軽装の青年はベンチで座って休んでいます。実は、このお遍路さんこそが「お大師さん」だったのです!人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2009年07月05日
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四国地区仏教連合会がダライラマ14世を招聘する計画があります。ダライラマ法王日本代表部事務所チベットを援助せよ3人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2009年07月04日
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小雨のなか櫛渕八幡神社を出発します。空が明るくなってきました。途中のバス停でカッパを脱ぎ、再び歩き始めます。旧道から新道に合流した辺りで、一台の車が私の前に止まります。中から、おじいさんが下りてきて「お接待させてください」車の後ろを空けて缶コーヒーとパンをいただきます。「いや~私は徳島県人なんで・・・」と断ったほうがよかったのか?お接待は遠くから来ている人にするものという意識があります。だから「がんばってください」といわれると複雑な気持ちがします。「実は今日20番まで打って家に帰るんですよ」と言ったら驚くのでしょうか?貰ってはいけないものを黙って貰ったような気がしてなんか詐欺師のような気分です。本当なら、お接待を受けたら、感謝の気持ちに納め札を渡すのが作法なんですが、生憎雨によって納め札は背負子の中にしまいこんでいます。痛恨のミスです。ところで、吉報です。葦原のバスの転回上を発見しました!立江から鶴林寺方面、3,5キロぐらいまで小松島市営バスで行けます。しかし、ここから先約二キロはバスがありません。しかも、一部狭いところがあり、車がスレスレを走り結構怖い道です。本当ならバスでパスしたい道です。休むところもなくトボトボ歩きます。ふくらはぎが痛んできました。程なく、勝浦川沿いの道に出ました。15年前、ここで台風並みの強風と豪雨に見舞われました。真っ直ぐ歩くことすら困難な風雨。その中を20番鶴林寺へ向いました。鶴林寺は標高500メートル、山の中腹にあり、登り口の標高30メートルから3キロで470メートルを登ります。狂ったように荒れ狂い怒れる山は、私に容赦なく襲い掛かります。合羽の中は汗だくとなり暑さで蒸れ、どんどん体力を消耗していきます。立ち止まることすら恐怖に思える林の中で、私は道に迷いぶつかり擦れあう木々におびえました。立江を午前7時頃出た私が鶴林寺に着いたのはお昼頃。先を進むことは断念し、当時営業していた鶴林寺の宿坊に宿を乞いました。その日、鶴林寺へ徒歩で登ったのは私だけ。立江から向ったお遍路さんは、あまりの風雨に麓で泊まったそうです。今までの遍路経験で最も厳しかったのがその時の鶴林寺。しかし、再び鶴林寺が私の前に立ちはだかります。勝浦川沿いに出たとき、道案内がありました。鶴林寺まで7キロ。立江寺まで6キロ。立江からたった6キロ???見間違いではないようです。もう一時を過ぎています。予定なら鶴林寺に登り始めていなければなりません。足の痛みと疲労がピークに達しています。20番札所、鶴林寺に登ることを諦めます。ただ、せめて、鶴林寺の登り口まで行きたい。無情にも再び天から雨粒が落ちてきます。再び合羽の行軍となりました。粘りましたが、もう歩けない。鶴林寺の登り口まであと2キロ。鶴林寺まであと5キロ以上ある地点で先へ進むことを断念。西岡上のバス停から徳島駅前行きのバスに乗車しました。6月3日 二ヶ寺 一社 参拝 歩行距離 17キロ 15年の歳月が想像以上に重くのしかかります。人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2009年07月02日
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立江寺では雨がバシャバシャ降る中をお参りします。一人のお遍路さんから声を掛けられました。「ずいぶん速いですね。さっき車で追い越したんですが・・・」予想より進行が遅い私にとっては皮肉にしか聞こえませんでした。(;一_一)お遍路さんはお参りが主である。だから境内でのお参りを重視すべきだ。というのが私の持論です。(*^^)vある歩きのお遍路さんのサイトに「まず体つくりから」と書いてありました。しかし、私はわざわざ特別な運動などしませんでした。「歩く体力が無かったら、歩いてお参りしたらアカンのか?」「それはどう考えてもおかしいやろ」全く運動をしていない言い訳に聞こえるかもしれませんが、声を大にして言いたい所です。歩いて廻ること自体に意味はない。信仰こそが重要だ。途中で止まったら、そこで終わりにすればいい。遍路とはそういうものだ!そう思いながら、10時50分に立江寺を出発する。目指すは13キロ先の山上にある20番札所鶴林寺。雨はだんだん小降りになってきました。しかし、なかなか休憩もできない。(*^_^*)トボトボ歩いていると、路線バスが追い越していく。おお~バスがあると思い、バス停で時間を確認すると・・・次のバスは・・・二時間後?(*^_^*)そもそも、このバスはどこへ行くんだろう???私と同じ方向へ進んでいるのはわかる。ただ、「立江・葦原行き」?せっかく進んだのに立江へ戻ったら大変だ!バス停を見てもどこへ行くのか判らない?どこへ持って行かれるか判らないのでは、地元の人ならともかく、土地勘のないお遍路さんにとっては怖くてバスに乗れない。一体どれだけ歩いたんだろうと思うぐらい、長時間歩くと小学校の先に巨大なクスが現れた。櫛渕八幡神社である。ところで、四国遍路は昔から神仏両参りといわれています。その意味をご存知でしょうか?四国遍路は弘法大師にすがって廻るといいますが、それを助けてくれるのは、土地の神様であり、土地の人達です。その神様や人達に感謝がなければいけません。どういう形で感謝の意を現わすか?その一つの方法として、鎮守社にお参りするという方法を私は取ってきました。鎮守社はその地域の人の守り神様です。鎮守社にお参りすることによって直接土地の神様に感謝し間接的にその地域の人に感謝の意を示す。私はそう解釈してきました。特に、四国を歩いて恩恵を受ける「歩き遍路」は札所だけでなく鎮守社にお参りすべきであると私は思います。そうでなければ、歩き遍路の意味がない!能書きが長くなりましたが、こちらがその神社です。この巨大なクスを見よ!お参りせずに素通りはできまい!境内に入り、石段を登り道中の安全に感謝してお参りします。時計を見ると・・・12時!さて、どれ位進んだろうと地図を開くと・・・たった3キロ???明らかにペースが落ちています。(;一_一)その時点で、21番札所へ向う予定が無理に思えました。新たな目標は10キロ先の20番札所へ登り、同じ道を戻る。麓から徳島までバスで戻り、21番札所は翌日チャレンジだ。全工程13キロ。5時までには麓まで下りてこられるだろう。その読みも多くの希望的観測を含んでいることにまだ、私は気づいていませんでした。人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2009年07月02日
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さて、次は関所寺といわれる19番札所立江寺です。関所寺では信仰心のうすい者、邪悪な考えのものに仏罰が下る。と言われています。かつて「お京」という娘が不義の相手と共に夫を殺し、この立江寺までやってきた。ところがお京の髪は寺の鐘に巻きつき天罰が下ったという伝説があります。徒歩で向うには、恩山寺への上り坂の途中から、山道に入ります。通称義経ドリームロードといわれています。義経が屋島へ進軍した道だというのですが・・・人一人やっと通れる道で、そんな軍隊が通れるか?伏兵がいたら、全滅するやないか?しかし、上陸した義経軍はたった150騎!なるほど・・・程なく旧道(車道)に出ます。出口には伝説の遍路、中務茂兵衛のへんろ石があります。相変わらず雨は降り続いています。立江までの道は勝手知ったる道。わずか4キロですが・・・遠い。立江寺の少し手前に前述の「お京」を祀る「お京塚」があります。コンクリートのお堂の前には草が伸び、以前より心なしか寂れたように見えます。ここまで来るとあと一息。橋を渡り正面に見えるのが立江寺です。立江寺はやや狭い境内に巨大な本堂がでんと構え、諸堂が所狭しと並んでいます。時計を見ると10時10分。4キロで1時間20分???結構時間が掛かった。体も既にバテています。雨が降っているからだ。ゆっくり抑え気味に歩いたのだ。自分でそう思い納得しました。ただ、20番札所(ここから13キロ)には2時。21番札所には(さらに6.5キロ)には5時までに着けるだろう。21番からはロープウェイで山を下るというのが私の読みでした。かつて、20キロの荷を背負い、一日平均40キロを超す歩行を半年以上続けたことからすれば、わずか10キロそこそこの荷で30キロ弱の歩行という数字は山岳札所を含むとはいえ、不可能な数字ではないはずでした。但し、15年前ならば・・・人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2009年07月01日
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