全20件 (20件中 1-20件目)
1

先日徳島駅前を歩いているとこんなものを発見しました。自転車専用道路です。歩道に歩行者と自転車を分離する柵ができています。歩道が広くなったからでしょうか?猛スピードで走る自転車をよく見かけます。危険極まりないです。このように自転車道と歩道が表示が分けられています。自転車と歩行者は速度が違いますから分離するほうが安全です。しかし・・・自転車道部分に自転車がたくさん停められているのがすごく気になります。人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2009年03月31日
コメント(18)

昨日、一昨日の休日は高速道路のETC割引の影響でしょうか、徳島市内も車が多かったです。この3月31日までにETCを取り付ければ、公費で一部負担してもらえ、しかも土日に走ると割引になるということで、私もETCの取り付けを考えたんですが・・・結局つけませんでした。そもそも、土日は忙しいので外出する可能性は少ないし、その支払はクレジットカードといいことですので、クレジットカードを持ってない私は支払い方法がありません。(;一_一)大体、カードを持つということは、銀行の口座にそれなりのお金が入っていないと使えないし、その残高を把握していないといけないし、口座にお金が入っていないと、支払日までに入金しないといけないし、もしはいっていなかったら、ブラックリストに載るし・・・あまりにも複雑すぎて使えない。(;一_一)クレジットカードって言うとすごい金持ちしか持って無いようなイメージがあったんですがETCを使っている人は皆持っているんですね(@_@;)ところで、土日の割引って効果あるんでしょうか?確かにどこまでも1000円というのは魅力的です。しかし、普段、高速道を乗りなれないドライバーが、“この時!”とばかり、高速道を走るくらい怖いものはないですという「きゃり子さん」の意見もあり私も同感です。普段高速道路を乗らない人が増えて、単位当たりの台数が増加したら事故が増えるんではないですか?それに、地球温暖化にとっては車の多用は著しいマイナス。高速道路値下げにより通行量が普段の30パーセント増ともいいますので、それによりCO2が普段の5パーセント増と仮定すると・・・なんと驚くことにレジ袋を70倍増やしたぐらいのCO2が発生!本来なら公共交通機関を使うよう奨励すべきなのに、その逆!いくら景気対策とはいえ無謀のように思えます。景気対策なら雇用対策を兼ねて「有人ゲートでETCカード」使用の割引こちらを検討してもいいのでは?人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2009年03月30日
コメント(23)

『三人文殊さんは、「宗教」をどのようにお考えになっているのか?』こんな質問をいただきました。漠然とした質問ですが、自分なりに答えてみます。こんな話を聞いたことがありませんか?「宗教は道は違っても、いきつくところは同じ」相当修行をされた方が言われるのなら、なるほどと思うのですが、宗教とは縁があまりない、もしくは、それほど詳しいとは思われない方からそう言われてビックリすることがあります。「何を根拠にそんなことを・・・」そう思わざるを得ません。何故か宗教の話になると、専門家と素人の区別がないように思われます。例をあげるのもなんですが、宗教と言ってもイスラム教などは日本でいうところの、「宗教+政治+軍事」のようなもので他国を攻撃して、占領したところに教線を拡大するようなスタイル。「どう見ても日本の宗教とは感覚とは違いますよ」といったところ「三人文殊さんなんか、そんな感じに見えますけどね」と言われて・・・絶対に違う(;一_一)それはさておき、同じ仏教と言っても、たとえば真言宗と天台宗禅宗は重なっている部分もあるような気がしますが、浄土宗はどうなんだろう?まして浄土真宗なら???しかし親鸞上人の六角夢告に話など聞くと・・・~~~~~以下引用~~~~~親鸞上人は29歳の時に比叡山と決別して下山し、後世の祈念の為に聖徳太子の建立とされる六角堂へ百日参籠を行いました。そして95日目の暁の夢中に、聖徳太子が示現され(救世菩薩の化身が現れ)、「行者宿報設女犯 我成玉女身被犯 一生之間能荘厳 臨終引導生極楽」あなたは、今まで坊さんたるものは妻をめとってはならない、と禁止されていた伝統の戒律を、今こそ破らねばなりません。私は玉のような美しい女性となり、あなたの妻になりましょう。そして、一生の間、よくあなたの活動をたすけ、いのち終わるとき、私の生涯はこれで十分であったと、心から喜べるようになる極楽浄土に一緒に参りましょう~~~~~以上引用~~~~~一般的に考えれば「なんという都合のいい話」一方で人間の弱さをさらけ出したという評価もされています。でも私はそうは思いません。ちなみにこの「女犯偈」の内容は、さまざまに評価されているようですが、たぶん親鸞上人以外には全く意味がない代物と思えます。その意味がない代物を勝手にさまざまに解釈されることは、多分、親鸞上人からすると恐ろしく不本意。実は、これがまさしく行者である親鸞上人の悟り禅問答の答えのようなものですね。というのが私の勝手な解釈です。そう考えると、浄土真宗とも近いものがある?結局、私にとっての宗教とは「見えない世界を感じれるもの」のように思います。この文言だけをみると非常に誤解されやすいかもしれません。私は宗教の世界に完全に入り込んでいますので、このような極めて主観的な言い方になります。まとまりのない文章で、申し訳ありません。即身成仏への道人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2009年03月29日
コメント(14)

昨日の続きです。当時の山野や川というのはごく身近な存在です。自然葬として遺棄してしていたとはいえ、そんなに遠い場所ではありません。飼っていた犬や猫が亡くなると庭に埋めますが、それと同じ感覚だと思っていいでしょう。現在のようにわざわざ交通手段を使ってお骨を撒きにいく散骨とは趣が違います。むしろ、私の提唱した、自宅の庭に埋めるほうが自然葬の名にふさわしいことがお分かりいただけますでしょうか?人間は自分達が便利なように都市を作りました。ところが、その都市が皮肉なことに住みにくい。そこで、たまに自然の中へ出かけます。「いや~自然はいいな~」でもそこに住もうとは思わないでしょう。それは不便だからです。自然のたくさんある田舎は、不便です。出かけるのも大変だし、儲かる仕事もできないし・・・だから過疎化が進んでいます。でもそんなところに住んでいる人がいます。もし、住んでいないとしても、いきものはいます。散骨をしたいという人で、大都市のど真ん中でしようとする人はいないでしょう。もし行ったとしたら「節度がない」といわれるんでしょうか?でも、海や山なら散骨してもよい???そこで生活している、生活の糧にしている人に理解が得られなくて、反発されるのに???「田舎に住んでここが好きだから死んだら庭に埋めてほしい」「都会に住んでここが好きだから死んだら庭に埋めてほしい」これは理解できる意見です。尊重したいとも思います。「都会に住んでいる、でも死んだら静かな海や山(田舎)で眠りたいので散骨してほしい」「田舎に住んでいる、でも死んだら大都会に住んでみたいので大都会で散骨してほしい」これは二つともおかしくありませんか!散骨をしたいという意見自体を否定する気はありません。するなら、交通機関など使わない、お散歩の距離ぐらいでしてほしい!かつての日本人は自然を畏れかつ敬っていました。だから入ってはいけない神聖な場所を設けていました。自然を人間が利用し、その恩恵を受ける、その一方で自然を畏れ無制限の開発から守っていく。それが誰に教えられることなく、受け継がれてきました。それが日本人の自然観です。自然とともに生きる生活。その中で自然葬があることは当たり前の話です。どう考えても、お骨をわざわざ砕いて、交通機関を使って誰もいない場所へ撒きに行くのは不自然すぎます。環境にも優しくないし、人間が住んでいないところへ散骨に行けばいくほど自然環境に余計なストレスを掛けてしまいます。それが宗教行事といわれると疑問を感じざるを得ません。いかがでしょうか?人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2009年03月26日
コメント(14)

先日、葬送の自由?-あまりにも不自然な自然葬という記事を書きました。大変反響があったようです。それに答える形で、延々と論を重ねている方も日記を書かれました。それを読んでよくわかった事実があります。「散骨は宗教行事か?」ということです。その方は、散骨は宗教行事だと思われているようですが、こちらはそう考えておりません。全く議論がかみ合っていなかった理由も判りました。三度び葬送の自由をすすめる会に登場していただきます。~~~~~以下引用~~~~~「骨を砕いて粉と為し、之を山中に散らすべし」と遺言した淳和天皇(786年―840年)や、「それがし閉眼せば、加茂川に入れてうほ(魚)にあたうべし」と言い残した浄土真宗開祖の親鸞(1173年―1262年)などの例からも、遺灰を山や川にまいていた日本人の姿が想像できる。~~~~~以上引用~~~~~昔から散骨は行われていたと主張したいようです。権力者はともかく、一般庶民は山野に遺棄されて、川に流されたというのが事実でしょう。ただ、その根拠として淳和天皇や浄土真宗開祖の親鸞を引き合いに出すのはいかがでしょうか?淳和上皇は危篤となったとき、兄の嵯峨上皇や仁明天皇に遠慮して「自分の遺骨を散骨して、この世に野心を残していないことを示して欲しい」と遺言したのです。つまり政治的な問題から墓所を作らず散骨を選んだということです。自分の息子が権力闘争に巻き込まれる心配がなかったなら陵を築いたはずです。一方の親鸞上人と言えば浄土真宗の祖です。浄土真宗の教義は「阿弥陀如来の慈悲にすがれば極楽浄土へ往生できる」というものです。さらに言えば「阿弥陀如来にすがった時点で、極楽へ行くことが決まっている」のです。だから、今世はどんな苦難があろうとも、極楽往生出来ることに感謝して生きるべきと考えていました。死後の自分の葬送方法に興味などあろうはずがありません。川に入れること自体に意味はなく。「適当に処分して欲しい」という解釈が普通ではないでしょうか?つまり淳和天皇や親鸞上人は、むしろ、ある程度地位があった人の間では、墓所を作ることが普通だったことの裏返しのように思われます。当たり前のことは記録に残さない。むしろ、特異なことを記録する。という歴史の原則からするといわば、自然葬が普通でなかったという記述です。しかし、一般庶民は山野に遺棄されて、川に流されたというのが事実だろうといわれそうですが・・・そのとおりです。しかし、それゆえ私は散骨に問題ありと思うのです。続きます。人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2009年03月25日
コメント(4)

ネットを見ても、メディアを見てもWBC一色です。ちょっと騒ぎすぎという気がしないでもありません。サッカーのワールドカップと違って野球はなぜか、日本球界が一丸となって国際大会に臨むということがありません。日本は長打力不足ですが、ヤンキースの松井がいたら、国際経験豊かな上原がいたら、中日の選手は何故でない?それ以外にも出たらという選手は何本か指を折れるはず。それに監督の選考。どうしても、実力以外の要素が入っているように思えてなりません。優勝を決めた試合はところどころ見ました。確かに延長までもつれこんだのはいい試合といえなくもないですが、チャンスを潰し過ぎ!15安打も放ちながら、わずか5安打の韓国に延長にまで持ち込まれたのはいかがなものか?勝ったからいいようなものの、負けていたら・・・手放しで喜んでいる場合とは思えません。とはいえ、勝ってよかったのも事実です(*^^)vところが、こんな記事を発見!韓国の相手は日本ではない! 韓国に勝つこと道義的に許されない! きれいな敗北 汚い勝利!これはいくらなんでも言いすぎです!こんな人が半島には多いとは思いませんが・・・日韓が永住外国人の選挙権で協議選挙権などは当たり前の話ですが、日本人固有の権利です。日本人ですら公務員や教員になれないこの時代に「在日韓国人を地方公務員や公立学校教員に採用する取り組み」というのもいかがなものでしょうか?人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2009年03月25日
コメント(17)

北朝鮮が人工衛星と称して、弾道ミサイルを打つ気配があります。それを、日本は迎撃しようとしていますが・・・ミサイル迎撃、外相「難しい」政府筋「当たらない」~~~~~以下引用~~~~~北朝鮮が発射を予告している「人工衛星」が日本に落下しそうな場合、迎撃が技術的に可能かどうかについて、中曽根外相は24日の閣議後の記者会見で「難しい」との認識を示した。政府筋も23日、「当たらないと思う」と発言。政府筋発言に対しては、24日開かれた自民党国防関係3部会でも「発言が報道で流れること自体が極めてマイナスだ」「緊張感が足りない」と批判が相次いだ。中谷元・元防衛庁長官は「釈明なり事実の打ち消しなどを求めたい」と記者団に述べた。 朝日新聞 2009年3月24日13時34分~~~~~以上引用~~~~~そもそも政府筋ってなに???それはさておき、弾道ミサイルは超高速で飛んできます。(最新型ではマッハ20以上という速度を出す)それを、それより遅いミサイルで撃ち落とすというのが現実。(射程400キロ、上昇限度250キロ)発射される場所が特定でき、(これは軍事衛星があればできます)飛んでくる場所が大体分かりその付近で迎撃の準備をしたとしても発射されたことが、わかってから7~8分で北朝鮮から日本に到達しますので、その間に迎撃の判断をしなければいけません。まして、今回のようにどこへ向けて撃つということが全くわからなかったら・・・弾道ミサイルの迎撃など現実には不可能です。ミサイル防衛などという絵にかいた餅に多額の開発費をつぎ込むのは理解できません。弾道ミサイルを迎撃するよりもっと効果的なのはミサイル発射基地を攻撃することです。もし、日本が北朝鮮の防空警戒網をくぐってミサイル発射基地を攻撃する能力を持っていたとしたら・・・北朝鮮がミサイルを発射することはないでしょう。北朝鮮は「ロケットを迎撃することは戦争を意味する」と警告しています。迎撃が戦争につながるとしたら・・・戦争は避けなければいけません。しかし、攻撃されたら日本を守ることが必要のように思います。何が日本にとってベストなのか?真剣に防衛について考えるいい機会ではないでしょうか?人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2009年03月24日
コメント(9)

先日、自然葬について書いたところ、コメントをいただきありがとうございました。参考にさせていただきたいと思います。ところで、以前、葬儀に公正証書遺言が必要か?という記事を書いたことがあります。遺言までして自分の葬儀を指示することにどれほど意味があるか?また、遺言までしなければならない人に葬儀を頼むというのもいかがなものでしょう。~~~~~以下引用~~~~~まずは親類縁者とよい関係を築くこと、そして自分の意思を伝えること、そしてそれ以上に自分が先祖の供養を行なうことです。自分が信心深く、周りともよい関係を持っていれば、自分の意思に近い葬儀を遺族が行なってくれる可能性は高くなります。~~~~~以上引用~~~~~こう締めくくりました。葬送の自由をすすめる会のサイトでもう一つ気になることがありました。自然葬契約と自筆証書遺言自然葬相談会で、参加者から「自然葬契約を締結したけれども、その実施を確実にするために遺言を作っておきたい。という趣旨らしいですが・・・身寄りがいない一人ぐらしの独居者ならともかく、身内がいるならそう頼んだら済む話のように思いますが・・・さらに言えば、わざわざ葬儀方法を指定するということは身内を信じていないということ。死んでまでわがままを通すように思えてなりません。そのような遺言する人を、故人の望んだ葬送方法で送ったとして遺族は満足できるでしょうか?そのようなことは考えられないように思います。「所要の費用を支払い済みなら、その旨を記載し、もし不足が生じたならば、本人の死後の財産から支弁する旨を併せて記載すること。」遺言のサンプルにこのような条文が入っているのも不可解?実行するときの支障になりそうです。「亡くなってから火葬して遺骨になるまでの費用は平均で50万円から70万円。」う~ん、自然葬も結構お金がかかりますね!さらに、それを散骨ということになると100万近くいきそうです。「カネばかりかかり心のこもらない旧い葬送習俗、つまり葬式仏教とか金ぴか葬儀への批判」ということがこのサイトには書いてあるんですが・・・しかし、自然葬でこんなにお金を払う人がいるとは意外!(@_@;)実は当院には墓地で登記している山林があるんですよ!「雄大な吉野川を見ながら、眉山で眠りましょう」おお~キャッチコピーも出来た!早速、自然葬に参入を検討しないと(*^^)vちなみに徳島では葬儀社に頼んでも火葬だけなら10万もかからないはずです。そういえば、質問のあった遺骨の粉末方法。1、家族の手で砕く2、専門家に頼む粉末化に使うのは理化学実験用のスタンプミルという高さ1メートルほどの試料粉砕装置だそうです。身内のお骨の粉砕を人に頼むのも・・・そこまでして自然葬???人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2009年03月23日
コメント(14)

先日から、ある方と延々と葬儀についての論を交わしています。その中で散骨を含めた自然葬の話が出てきました。その方がおすすめされているのがこちら葬送の自由をすすめる会現在日本には「墓地埋葬法」というものがあり「埋葬又は焼骨の埋蔵は、墓地以外の区域に、これを行ってはならない」とされています。つまり、墓地と決まられた以外の場所に埋葬してはいけないということです。一方、この団体は自然葬という名のもとに、散骨を行なおうとしているようです。~~~~~以下引用~~~~~本会は「会結成の主旨」で「遺灰を海・山にまく散灰は、それが節度ある方法で行われるならば法律に触れることはありません」「私たちは先入感となら わしに縛られて自ら葬送の自由を失っている」と主張した。~~~~~以上引用~~~~~まず気になるのが、「遺灰を海・山にまく」という部分です。自然葬というからには、自然に帰すのが目的ではないでしょうか?それならば、海や山にまく必要は無いでしょう。自宅の庭で十分ではないでしょうか?さらに言えば、火葬時に焼骨を拾わないという選択肢もあると思います。そうすれば産業廃棄物として処理されるでしょう。また、一般的な葬送方法であるお墓を建ててお骨を納めても、いずれはお墓も無くなり、骨壷も無くなり、お骨は自然に帰ります。それに、海はともかく、山には墓地として許可を受けているところが少なくありませんし、そこでは「自然に帰すように見える」散骨も可能です。そう考えると、「先入感とならわしに縛られて自ら葬送の自由を失っている」のは失礼ながら「葬送の自由をすすめる会」の方ではと思えてなりません。もともと葬送儀礼自体は法律などで制限されている訳ではありません。現実に自由に行われているはずです。ただ、散骨というのは衛生上の問題もあるでしょうし、もっといえば、日本人の穢れに触れる部分がありますので管理者がいる土地で公然と無許可で行うことは出来るとは思えません。私などは他人のお骨を自宅に撒かれたら気持ち悪いと思うのですが、「葬送の自由をすすめる会」に入っている方はそう思わないのでしょうか?延々と論を交わしている方は「散骨は反社会的ではないし、違法でもない」とおっしゃられますので「ではご自宅の庭を自然葬の散骨場として開放されてはいかがですか?」と申し上げました。本当に、お骨を自然に帰すのならば自宅の庭で十分です。自宅の庭にお骨を撒かれるのは嫌だが、海や山にお骨をまきたいなどというのは自分勝手としか思えません。そう考えた時にこの「葬送の自由をすすめる会」には葬送の自由という旗印の下に、自分さえよければいいとうエゴが見え隠れしているように思えてならないのですがいかがでしょうか?人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2009年03月21日
コメント(30)

もうそろそろ、高校野球の選抜大会が始まります。NHKが一日中、全試合をノーカットで流してくれますが、最近はほとんど見ることはありません。当たり前のことですが、普通の生活をしていれば、見る時間などほとんどないのが普通。高校野球を一日中見ていられたのは今から考えると小学校の高学年から大学に入るまでの時期でしょうか?その最後の年?1981年の夏の話です。私は郷里の岐阜県で高校野球の地方大会を見ていました。岐阜県では、当時岐阜県の県予選以外に、愛知県予選も準決勝から放送していました。名電工(名古屋電気工業高等学校)のエースの工藤公康は大府高の槙原(寛己のち巨人)とともに三羽ガラスといわれ注目の存在でした。しかし、体も大きくないし(私と同じくらい)ストレートもまあまあ、見た感じそれほど大した投手ではないように思われました。実は、工藤は甲子園へ行くまでに魔球をマスターします。その魔球とはカーブ。遊びで投げたら、曲がったので実戦で使ったと言いますが・・・本当でしょうか???一見なぜあの球が打てないか判りません。簡単に打てそうに見えるのですが・・・左腕から投げられるその球は、完全にボールになるコースから鋭く落ちながら曲がってストライクゾーンをかすめていきます。魔球を手に入れた工藤は甲子園でノーヒットノーランを演じます。あれから28年。自称「ハマのおじさん」こと工藤公康は西武・ダイエー・巨人・横浜とプロ野球界を渡り歩き、通算222勝を挙げて大投手の仲間入りを果たします。それ以上に驚くべきことは、今年、登板すれば実働(現役生活)28年という大記録を達成します。17個の打撃タイトルを取り、監督兼選手として優勝まで経験しながら、解任されても現役を引退することを潔しとせず、球団を変えながら現役にこだわった野村克也でさえ粘ったあげく26年の現役生活でバットを置きました。それより2年も長いとは!ちなみに、私は大学からドロップアウト。紆余曲折の人生を歩みながら、現在は徳島の寺院の居候。その間、ずっと工藤はプロ野球界に身を置いていたのです。がんばれ!工藤のおっさん!人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2009年03月18日
コメント(22)

今日は朝から納骨を行いました。今回の墓地の整備でたくさんのお骨が出てきました。土葬されていたものは、先日火葬に行ってきたのですが、それ以外に焼骨があり当院の本堂で預かっていたのですがそれを永代供養堂に運びます。といっても納骨などという生易しいものではなく、段ボール30箱ぐらいのお骨を永代供養堂に運ぶのでほとんど、肉体労働。ついでに先代住職が預かっていた30余りのお骨も併せて移動。膨大なお骨が永代供養堂に収まり、線香を立て読経して供養しました。これで安心です。人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2009年03月18日
コメント(18)

今日からお彼岸に入りました。二年前に書いた文章をお彼岸ごとに使いまわしていますが初めての方はお読みください。~~~~~以下前掲~~~~~お彼岸は先祖供養の行事になっており、仏壇を祀りお墓をお参りしますが本来はそのような行事ではありません。彼岸とは此岸に対する言葉です。此岸(迷いの世界)から彼岸(悟りの世界)へ渡ることを意味しています。日本で親しまれているお経に般若心経があります。この般若心経は正式には「摩訶般若波羅蜜多心経」といいます。この「波羅蜜多」というのが到彼岸と訳されています。つまりは悟りを得るための修行をすることが彼岸なのです。では何故この時期にするのか?お彼岸の中日は春分(秋は秋分)にあたります。この日に太陽は真東から登り、真西に沈みます。現代でも「暑さ寒さも彼岸まで」といわれるように季節の変わり目にあたっています。昔の人はこの季節の変わり目の不思議な日に修行をすると悟りを得られると思ったのではないでしょうか?ですから春分の日をはさんで前後3日ずつを彼岸として修行期間としたような気がします。いい機会です。お経を読むのもよし写経をするのもよし。何か仏道修行をしてください。お彼岸ー明日のためにその一 布施(ダーナ)お彼岸ー明日のためにその二 持戒(シーラ)お彼岸ー明日のためにその三 忍辱(クシャーンティ)お彼岸ー明日のためにその四 精進(ビーリヤ)お彼岸ー明日のためにその五 禅定(ディヤーナ) お彼岸ー明日のためにその六 智慧(プランジュニャー) ~~~~~以上前掲~~~~~先祖供養で境内墓地にお参りしたときは、先祖の墓地だけでなくお寺の本堂もお参りください。人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2009年03月17日
コメント(16)

自民農業基本政策委:減反協力金増額、予算化を要請へ~~~~~以下引用~~~~~自民党農業基本政策委員会は13日、政府・与党が検討している09年度補正予算案に、コメの生産調整(減反)に参加した農家への協力金の上積みなどを盛り込むよう求めることを決めた。具体策を今月中にとりまとめる方針。石破茂農相はこの日の閣議後会見で、協力金の増額などについて「納税者の理解をどこまで得られるかなど検証が必要」と慎重な姿勢を示し、調整が難航する可能性もある。毎日新聞 2009年3月14日~~~~~以上引用~~~~~食糧自給率が40%を切っている状態で、まだに減反をするとは、協力金以上に納税者の理解が得られないように思います。コメ減反見直し 選択制に賛否 農相に農林族反発~~~~~以下引用~~~~~特に農林族を刺激したのは、農林水産省が検討していると一部で報じられた「減反選択制」の導入だ。減反への参加・不参加を自由に選ばせ、参加した農家には米価下落による減収分を補償する仕組み。現在も減反に参加すれば助成金が出るし、不参加への明確な罰則はないが、自治体や農協の職員が農家を説得し、地域の「しがらみ」で参加を促すため強制色が強い。それを「原則自由」に切り替えれば過剰生産が一気に顕在化し、米価が暴落する可能性もある。ある農相経験者は「選択制は過去にも検討したが、意向調査をしたら大半の農家が『自由にコメを作りたい』と答えた」と指摘。自民党農業基本政策委員長の西川公也衆院議員は、現在60キロ当たり1万数千円の米価が5000円程度に下がり、農家への所得補償に1兆数千億円必要との試算を示す。~~~~~中略~~~~~主食用米の価格を下支えするため、作付面積を制限する政策。コメ需要が減り続けているのに、政策的に高い米価を維持した結果、大量の過剰米が発生したことが背景。71年から本格実施され、08年産米では約239万ヘクタールの水田面積のうち約85万ヘクタールが減反目標面積とされた。麦、大豆などへの転作が主体だったが、09年産からは飼料米や米粉用米などへの助成が強化される。毎日新聞 2009年2月24日~~~~~以上引用~~~~~興味がわいたので、作物統計を見ていたら面白いことに気が付きました、統計が始まった明治16年のコメの収穫量は456万トン昭和8年に戦前の最高1043万トンを記録しますが、敗戦の年は582万トンまで下がりますが、すぐに900万トンぐらいまで増えます。そして昭和42年には1425万トンを記録します。減反政策が考えられたのはこのころからです。減反が始まった昭和45年からは徐々に収穫量が減っていますが、平成17年でも906万トンです。一人当たり72キロぐらいです。1日当たり200グラム弱。1,3合。ちょっと生活するのは苦しいのでは?一方の作付面積は昭和44年の317万ヘクタールから170万ヘクタールに減少しています。しかし、耕作可能面積は240万ヘクタールあり、減反目標が85万ヘクタールです。生産調整をしないで240万ヘクタールで全部米を作れば1250万トンです。国民一人当たり100キロ弱。1日当たり270グラム程度。2合ありませんが、戦時中の配給と同じくらいで、なんとか生活できるレベル。何で自由に米を作らせたら価格が3分の1に下がるのかよくわからないところですが、1兆数千億円ぐらいの保障なら、農家にしてあげたらいいではないですか。何しろ、農産物は軍事に匹敵する重要物資、もう、お金を出せばいくらでも買える時代は終わりました、餓え死にするより絶対にまし!それで食糧が確保できるなら1兆数千億円など安いものです。人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2009年03月14日
コメント(13)

法事の後には御膳を用意していただくことも多いのですが、私はあいにくと人見知りが激しく、愛想もないので施主の方も話しにくいのでしょう。よく聞かれる質問が「ところで三人文殊さんはどこのご出身ですか?」「岐阜県ですけど」「へ~遠いところから来られたんですね」「ええ」「ところで、お寺の住職になるには、本山からここのお寺が空いているから行けとか言われるんですか?」「いえ」「ではどうやったら住職になれるんですか?」「自分で入るお寺を探すんですよ」「ええ~、そんなのできるんですか?」「相当難しいですね」「坊さんになったら、どこかのお寺に派遣されると思っていました」「それが違うんですよ」最近はお遍路ブームです。たとえば一般の人がお遍路さんをして真言密教に興味を持ったとしても、高野山で修行するだけでも相当大変です。1、高野山真言宗の住職に保証人をしてもらう。まずこの段階で、寺院の子弟でないと難しいと思われます。昔ならいざ知らず、権利を主張する人が多い世の中では最低でも真言宗の檀徒でないと保証はほとんど無理でしょう。2、高野山の山内寺院(高野山の上にあるお寺)の住職に保証人をしてもらう。「さあ、坊主でもやろうか?」と思ってもあまりにも不可能すぎて想像できないぐらいハードルが高いですね!寺院の子弟以外から住職になった人で、高野山大学出身者が多いのは2がクリアーしやすいからでしょう。(高野山大学の先生をしている、山内寺院の住職が何人かいます)ちなみに、これは高野山の中の修行道場である、専修学院・真別所に入る条件です(年齢制限・定員もあります)。また両方とも試験・面接があり、希望者全員が入れるわけではありません。それ以外に高野山の山内寺院で行をするというルートもあります。こちらはそれほどハードルが高くないので、たとえば定年後に真言密教の修行をかじってみたいという方などにはお勧めかもしれません。前述のハードルを乗り越え、高野山で修行して僧侶の資格を取ったところで新たな問題が発生します。3、空き寺は基本的にない。当たり前の話ですが、住職がいないお寺は、できるだけ早く住職を補充するはずですし、後継者が無くて困りそうなお寺はそれを避けるために早めに手を打ちます。就職のように新規募集をまとめてしているわけではないので修行がおわって「さあ、お寺へ」というのは無いのが普通。どこか大きなお寺で手伝いをしながら、空き寺情報を入手するのが一般的です。とはいえ、大きなお寺の手伝いも無制限にはあるわけではないので、それからあぶれるのが一般的かもしれません?勿体ない話ですが、大変なハードルを超えて修行をしてもそれでおしまいになる可能性が高いのです。私の師匠の弟子は20数人という話を聞いたことがあります。住職までたどり着いたのは二人とか?庵などの布教場所を確保した方でも五人ぐらいとか?私は30過ぎてから、お遍路に出て、縁あって高野山に登りお寺に入った経歴からか「坊さんになりたいんですが?」と相談を受けたこともあります。「紹介してもいいですが、お寺には入れませんよ」と答えざるを得ないのは残念です。やっと、空き寺情報を入手しても、うまい話はそうそう転がっていません。それなりの覚悟が必要です!高野山にいたころ、専修学院の寮監を長くしていた「Sぽん」という人がいました。私と同じ歳ですから、高野山大学を卒業してから十数年たっていたのでしょうか?「Sぽんさんお寺に入らないんですか?」「なかなかいいお寺がないんだよ。やはりキチンとした収入がないといけないし、お寺を運営していくだけで精一杯ではちゃんとした布教もできないし、お寺を立て直すことに人生を傾けるようでは・・・」今の時代、地方ではお寺の運営収入だけでは生活できない僧侶も増えています。副収入がある方でないと、入れそうなお寺を確保するのことすら至難です。極端かも知れませんが、とりあえず、雨露がしのげる場所を確保すればよし、というあたりで手を打たないと・・・さらに、現在の住職(管理者)並びに檀信徒の意向が重要です。こちらの希望と相手の希望が合わない場合が結構多く、相手がよほど急いでいるというような場合でない限り無条件で入れることは少ないと考えられます。だんだん気が重くなってきましたね!住職になるのも大変ですが、なってからは責任がかかってくるのでもっと大変です。ちなみに、今お話したのは、手続きの問題です。真言密教の修行はそれなりに面白いので、物にこだわらず人生を楽しく生きたいという方にはお勧めかもしれません。そうそう、言い忘れましたが、お寺の子弟でなくても住職になる近道がありました。男子がいないお寺の女子と恋愛!私が知っている限り、修行をしてからお寺に入るより大きなお寺に入れる可能性が高そうに思えます!最初から住職を目指される方はこちらがお勧めかもしれません。(*^_^*)人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2009年03月13日
コメント(27)

昨日は列車で四国遍路に行ってきました。四国霊場一番札所に最も近い板東駅に降りたのは15年ぶりぐらいでしょうか?以前も、四国霊場とは無縁のように見える寂れた駅前でしたが、駅前にあった(私の記憶が確かならば)商店は店を閉め一番札所へと続く商店街からも、飲食店などが消え、多くの商店はシャッターを閉めていました。一番札所に入るとそれまでの寂れた風景とは無縁の喧噪。かつては、珍しかった歩き遍路が石を投げれば歩き遍路に当たるのではと思われるほど数が増えているのには驚きました。一番札所から二番札所まで歩いてみました。樹齢千年といわれる二番札所のこの杉は、人間の思惑など全く関係なく、四国霊場の栄枯盛衰を見てきたことでしょう。人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2009年03月11日
コメント(18)

永源寺の修行僧が後輩倒し死なす、酒飲み口論~~~~~以下引用~~~~~後輩の修行僧に暴行し死亡させたとして、滋賀県警東近江署は7日、同県東近江市の臨済宗永源寺派総本山「永源寺」の修行僧、内山忠昭容疑者(52)を傷害致死容疑で逮捕した。内山容疑者は6日午後11時30分頃、同寺境内にある寮の自室で、後輩の木畠均さん(47)と酒を飲んで口論となり、木畠さんの腕をつかんで、縁側から約50センチ下のコンクリート地面に背中から落とし死なせた疑い。木畠さんは頭を強く打ち、病院に運ばれたが、7日午後に脳挫傷で死亡した。 内山容疑者は7日昼、同寺関係者に付き添われ、同署に出頭した。内山容疑者は、同寺で約20年間修行していたという。調べに対し、内山容疑者は「修行態度をなじられ、部屋から追い出そうとしたら頭から落ちた」と供述しているという。(2009年3月8日 読売新聞)~~~~~以上引用~~~~~本音を言えば僧侶は出家者ですから、出家した時点で社会とは離れています。それゆえ、その専門道場でなにか事件があっても社会的には関係なく不問と言いたいところです。ネットの書き込みなどを見ると、「容疑者は、同寺で約20年間修行」というあたりがよく理解できていないようです。宗派が違うのではっきりとわかりませんが、禅宗の道場は本人が希望すれば、かなり長く置いてもらえるようです。これは、かなり修行体制としてはいいシステム。真言宗には同じシステムがないので実はうらやましい。(厳密にいうと戦前までは真言宗も形は違っても長く修行できるシステムを持っていたのですが・・・)一方で、現在の寺院も世襲というスタイルが確立している状況で、長く修行したからと言ってどこかの寺院を任されるわけではなく、お寺に入れない僧侶が多く出てしまうことにも問題があるのかもしれません。問題があった永源寺というお寺は意外にも臨済宗の中で評判のいい道場を持っていたようです。それだけに余計残念です。ただ、飲酒自体は仏教では禁止されている行為です。以前の日記で中川大臣の酩酊会見に対して~~~~~以下引用~~~~~過去に酔って「行き倒れ」「意識不明でのバイク運転」「喧嘩」などなど飲酒が原因とみられる失態を度々演じてきた私としては人事とは思えません(;一_一)(弁明ーここ15年ぐらいはそういうことは一切ありません)酒酔いと本人の能力には全く関係がありません。酔った状態だけで、本人を判断して欲しくない!~~~~~以上引用~~~~~こう書いた私ですが、今回の件ではさすがに擁護しようがありません。飲酒に関してはこちら酒はほどほどにと言いたいところですが、それができないのが酒。今回の件で打撃を受ける臨済宗と永源寺ですがそれを乗り越えて、法灯を絶やすことなく、維持して行ってほしいと思います。人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2009年03月09日
コメント(28)

近所の法事に行ってきました。「三人文殊さん忙しいですか?」「いえ、そうでもないですけど・・・ただ、墓地の整備で多少忙しいんですが・・・」「そうですか?墓地は前にいた人に一旦移動してもらって、整備して墓地を戻して、後は販売するだけではないんですか?」「・・・」そんなに簡単に思われていたとは・・・人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2009年03月07日
コメント(14)

昨日の夜のことです。寝ていると、妹から電話がかかってきました。「もしもし、いわくつきの写真があるんだけど 送るからよろしくね!」「あ~?」「頼むね。受けてくれなくても送るけど」「あ~?」「じゃあね。」「ん~?」気になりましたがとりあえず寝ました。朝になり昨日のことを思い出すと・・・ひょっとして心霊写真???なんとなく楽しみ?(*^_^*)しかし、メールで問い合わせると、そういう類いのものでなくもっとオドロオドロしい因縁がありそうなものでした。以前、人が亡くなった場所のお祓いを依頼されたことがあります。縁がある方からの依頼ではないので「お葬式をされたお寺にお願いされてはどうですか?」「それがお祓いしたことないと言われて断られたんです」「何宗ですか?」「真言宗です」「それはおかしいですね。真言宗ならできるはずですが・・・」「受けてもらえませんか?」「判りました。やらせてもらいます」しかし、現地へ行き詳しい話を聞いた途端、背筋が寒くなりました。う~ん最初に聞いていたら断っていたかも・・・葬式だけして逃げる坊主に喝!しかし、それ以来の背筋がゾクゾクする様な内容。「近所のお寺の賽銭箱に写真と一緒にお金を包んで入れておく」というのが我ながらいい選択?(;一_一)しかし、きちんと供養してくれるだろうか???そう考えると、やはり私が受けざるを得ません!ちょっと気合いを入れて行います。人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2009年03月06日
コメント(26)

不況のためか、このところ増えてきたのが、葬儀をしないで、火葬してそのままお墓に入れること。以前から、亡くなったけど正式なお葬式をしないでとりあえず拝んでほしいというケースが一年に一度くらいはありました。しかし、去年の年末からこの二か月くらいで三件もありました。ほとんどが、肉親が一人だけの付き添い。戒名も無しでお墓に納骨して読経だけ。いくらお葬式が悲しいものとはいえ、肉親一人だけの見送りでそのまま納骨というのも悲しいものです。人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2009年03月03日
コメント(24)

再び訴訟?三度び訴訟?実はこの程度は序の口。何度も工事中止の危機に見舞われながらも、まれに見る幸運に支えられ、これしかないという道を読みきり(結果的に)神がかり(仏がかり?)的な綱渡りをしながら、ようやく奇跡的に完成して陽の目をみた当院墓地です。ようやく肩の荷が下りたと思った瞬間、足元をすくわれます!ついに予想していた恐ろしい事態が現実になりつつあるかも!当院墓地の整備事業を行っていたN社が県外で行っていた大規模工事が立ち行かなくなり危機的状況に。N社が飛んでしまえば、まだ支払いが終わっていない当院墓地は、債務になってしまいます。N社はほとんど資産がない、さらに回収できる優良債権も少ないと推測されていますので、数少ない優良債権と思われる当院墓地がターゲットになる恐れが出てきました。押し寄せる債権者!最悪には取り付け騒ぎ並みに???N社と共に当院の債権者であるB社は「お墓受付の横に債権者受付を設けなあかんかもしれん」などと冗談を言われていますが、内心は相当不安そう。まだ、工事が終了していない状況で、債務を負うという最悪の自体は回避しましたが、それでもかなりのピンチかも!そして、怖れどころかN社の債権者が当院にもやってきました。「A社と言いますがN社に債権があるので当院の墓地で 仕事をさせてほしいんですが」「当院には関係ないでしょう」「N社がそういっていました」「無理です」「何人か私の所のお客さんが、ここの墓地を 買っているんですが?」「ええ~」「代替地で取得された方もいますが・・・」「ええ~そんなの知りませんよ、どなたです?」「ええっと・・・ちょっと調べてみます」そんな私の知らない事実があるとは・・・背筋がゾクゾクしたんですが・・・「○○という方です」「その方はもう墓石を建てられました」「△△という方もそうです」「その方は、まだ買っていません」「購入予定なんですか?」「そうです」「では当社で建てさせていただきたいんですが・・・」「A社さんが建てるんなら、△△さんには 当院の墓地を売りません!」「どうしてもだめですか?」「今回はお引取りください、縁があったらまたお願いします」A社の立場は可哀そうだとは思いますが、そういわないと「○○寺でN社の債権が回収できそう」という噂でも流れたら、大変な事態になります。実はこの程度と甘く見てはいけません。本当に危ない話は書けません。県外業者がやってきて、夜の9時まで対応したことも・・・たたりか、呪いか、はてまた悪霊か?さすがに、かつて徳島市内で最も荒れた境内墓地といわれただけのことはあります。毎日、B社と作戦会議です!人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2009年03月02日
コメント(15)
全20件 (20件中 1-20件目)
1


