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6月3日、雨がパラパラ降っている。気が重い。雨の中の出発とは・・・列車の中で白衣に傘をかぶり、金剛杖を持ち、背負子を背負った姿は、通勤途中のサラリーマンや学生に混じるとなんとなく場違いで違和感があります!(*^_^*)7時過ぎ、南小松島駅に降り立ちました。小松島は平家を討つ為に義経が上陸した地点でです。それにあやかったわけではありません。たまたま当院の位置からすると、次の札所は18番札所の恩山寺雨の中、合羽を着て、いざ出陣!(*^^)vところが・・・いきなり道に迷う(;一_一)というより全く調べていない(;一_一)適当に進めば行けるだろうという安易な考えが大失敗!道路工事のおじさんに道を聞いた道を進み、ふと横を見ると、ホームに人が・・・南小松島駅???30分近く駅付近で迷っていた。(;一_一)教えてもらった道を進んでいると、だんだん家がなくなり寂しくなってきた。思い切って曲がると国道55号に出た。さらに国道を渡ると・・・「恩山寺」という看板!見覚えのある道が、ありました。おお~へんろ道に出た!(*^^)v「これで安心」と思うのもつかの間でした。雨が降り続いており、疲れないように「ゆっくり・ゆっくり」と言い聞かせながら歩きます。左側に旗山が見えて来ます。この上には八幡神社があり、登ったこともありますが余裕がありません。とりあえず「18番札所の恩山寺」へいくべし。しかし・・・遠い・・・地図上では5キロ一時間ぐらいのはずが・・・延々と歩いているような気がしてきました。ようやく恩山寺の登り口の看板が見えました。大袈裟でなく、今までに無い位うれしかったです。しかし、そこからが長い。左に舗装された車道を登るのですが、恩山寺がこんなに遠かったとは・・・ようやく18番札所の恩山寺に到着。弘法大師再興の寺院と言われ、お大師さんのお母さんの遺骨が山中に埋められ、石塔が立っていると言われています。お参りもなくひっそりとしています。本堂にお参りしようとしていきなりピンチ!ライターを忘れて、線香に火をつけられない。とりあえず線香なしでお参り。本堂では真言僧らしく理趣経をお唱えします。15分位拝んでいるうちに、お参りの人がやってきてローソクを立てましたので、最初から予定だったようにその火をもらって線香に火をつけてお供えします!(*^^)v大師堂もお参りして納経所へ行き納経を受けます。しばらく納経所で休憩して8時50分頃恩山寺を出発しました。実は私は四国遍路に出発したことに興奮してこの時点で恐ろしい兆候が現れていることに全く気づきませんでした。人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2009年06月30日
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最初は5月28日を出発予定日に定めました。しかし、その予定は脆くも崩れ去ります。理由は雨天が予想されたからです。出発日が雨の中など誰も行きたくはない。それに出発の準備ができてない。それにやっておくべき仕事ができてない(;一_一)雨音を聞きながら、おもむろに、四国遍路に持っていく荷物の確認を始めた。まず、新品の背負子。ザックは背中が蒸れる。背負子が一番です。小型のリュック。15年前も使った赤のペラペラのザック。さすがに地図は2種類。歩きへんろの定番の「へんろ道保存会の地図」。これが以前は評判がよくなかった。5万分の一の地図に、ルートや店などを書き込んであるのだが、異常に読みにくかった。何しろ地元の人に見せてもその人が、その地図を全く読めないという代物。しかし、メリットもありました。正確な測量図なので、道の傾斜(きつさ)が判るし、山の形もわかるので、自分のいる場所もわかりやすい。ただ、それを読む技術がいるというのは難点です。今回購入したものは、以前のものより悪くなっている。以前は見開き一ページの大きな地図で周辺の様子もよく判ったのですが、今回のものは、それが2分割されていたりします。それに要望が無かったのでしょうか、番外霊場が少なくなっています。そこでもう一つ地図を買いました。それにカッパ(大袈裟にストームクルーザーとか書いてある)折りたたみの傘。寝袋・テントは検討したがパス。(個人用のものを持っています)野宿が目的ではないし、持ち歩きが体力的にもきつい。ほとんど野宿で廻った時でも、出だしの徳島では寝袋は持っていなかったし(途中で購入)テントなど持ったことがない。それにテントを背負って遍路するのは家を背負っているのと同じでお大師さんにすがって歩くという私の考え方にはそぐいません。それでも、雨露がしのげる場所で寝られたものです。寝袋の代わりに、ペラペラのシートを持っていく。最悪それにくるまって寝るのです。ハンカチ・ちり紙を入れたら、これでほとんどおしまい。歩きへんろの装備を見ると驚くほどの荷物を持っています。コンパスだのラジオだの医療品だのあんなに持てないし、いらない。必要なものがあったら、現地で買うぐらいの気持ちの方がいいと思います。あとは、白の上下と、改良服、数珠と袈裟。おさい銭と線香と納め札と納経帳。着替えがワンセット、下着がワンセット、あとタオルぐらい。30キロまで背負える背負子がスカスカです。15年前は20キロぐらいの荷物でしたが、荷物はその人の業。軽いほうがいいですよ。次に5月29日を出発予定日に定めたのだがその予定も脆くも崩れ去ります。理由は再び雨天が予想されたからです。それに、なんとなく気が進まない。よく考えると、靴も用意していない(;一_一)なんといういい加減さであろうか。几帳面な人なら目眩がしてしまうに違いないと思います。30日こそは出かけようと思ったが・・・前日に遅くまで予定などを検討していて眠れない。朝うとうとしている中で、5時半過ぎ、お葬式の連絡がありました。ついに出かけられなくなりました。31日は法事がある。それとお葬式。6月1日は予定はないが、6月2日は午前中に例の裁判の公判。午後からは例のトラブルの主がやってくる。もう出られない。6月2日は忙しかった。まず、裁判の出廷。これは弁護士さんから電話があり、来なくても良いとのことです。せっかくですから行きたいのですがと言うと、「相手も来るでしょうから、裁判所で喧嘩されても困ります」とやんわり断られました。9時半T氏、10時N社、11時、N氏、11時半O氏、2時M氏、6時A社と立て続けに訪問があり、その間に眼鏡を購入に行き、B社に池の水質改良実験に立会い。6時過ぎになって、本堂の常夜灯が何故か切れている(汗)結局7時過ぎまで何も準備ができなかった。そこからあわただしく準備。10過ぎにやっと終わった。果たして出発できるのでしょうか?人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2009年06月28日
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四国遍路にお参りに出かけようと思ったのは、昨年の年末のことでした。墓地の整備が進まず、体調を崩していた私は何故か四国遍路に出て弘法大師にすがりたいという思いを持ちました。歩き遍路は弘法大師にすがる旅。僧侶のするものではない。平成13年に当院に入ってからはそんな機会は永久に訪れることはない。そう思ったはずですが、それが何故かまた、四国遍路に引き寄せられてしまいました。しかし、今までの旅と何か違うものを感じます。そう、今までの旅は戻ってくることにない旅でした。正確にいえば、戻って来る場所のない旅でした。四国遍路として四国にやってくる人のほとんどは四国遍路を終えた後も帰る場所を持っています。四国遍路に出る理由はそれぞれあるでしょうが、それぞれの生活を離れ、四国へ来て四国遍路をして、終わってからどこかへ帰り、また別の生活を始める。中には、四国遍路がそれまでの生活の延長に組み込まれて、単なる旅行にしかなっていない人も少なくないでしょう。しかし、1000人に一人ぐらい、帰る場所を持っていない人がいるのではないか。四国へ来て遍路となり、生きている限り、そのまま四国を廻り続ける。無限のルーレットのような、そこから抜け出したいそんな思いを抱きながら抜けられない。そんな人をたくさんみました。高知のある公園で野宿で一緒になったオジサンがいました。その人は高野山で修業して、下ってから10年間四国を廻り続けていると言っていました。それが本当かどうかわかりません。野宿をしながら、延々と四国を廻り続けている人にしては気さくで親切に思えたその人と、私は話をしました。「ところで、なぜ四国を廻り続けているんですか」「そうやな、四国の人は優しい、それに温かい。そういう人と話をするといろんな話を聞けて勉強になる」「それだったら、四国以外でしてほしいですね」私は四国霊場がすごく好きです。霊場のみならず遍路文化は貴重な歴史的文化遺産だと思っています。信仰心のない人が廻ってほしくないと思っている。だから、基本的に「歩くこと」にしか興味のない歩き遍路が嫌いです。歩いて何かを体験したい。それならば、四国以外でしてほしいというのは私の本音です。自分だけは違う何物かでありたい。そんな思いが、私にそんな発言をさせました。その言葉を言った瞬間その人の顔色がサッと変わり「えらそうなことを言うな」急に乱暴な言葉使いになり、怒って何も言わなくなりました。今から考えるとすごく悪いことをしたと思います。その言葉自体は多分その人の本音ではない。本音は言えないのかも知れないし、自分でも表現できないかもしれない。私が、今、四国遍路をしようとしていることなどは、どんな理由をつけようとも、他の人には理解できないだろうし、自分でもそれが本当の理由だとは思えない。うまく表現できないのです。オジサンも同じだったと思います。自分が四国を廻り続けている理由など自分でも表現できない。普通に理解してもらいやすい理由を言ったに過ぎないのでしょう。それを否定されることは、尻尾を踏まれるのと同じだったのだろうとおもいます。ずっと旅を続けている理由などない。しかし、行くところがない。それと同じように、私が、今、四国遍路をしようとしていることなどは、どんな理由をつけようとも、他の人には理解できないだろうし、自分でもそれが本当の理由だとは思えない。その思いは、うまく表現できないことでしょう。私は出かけることを前提にして、準備を始めました。人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2009年06月27日
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4月から延々と行なわれていた税務調査ですが、大体決着しました。過去帳は見せるべきか?宗教の自由についてー教団治外法権論 再び過去帳は見せるべきか?宗教法人課税の流れ?税務署員の来寺回数6回、延べ調査員数9人、税務署に出向くこと1回他電話での交渉数回。この間、対抗するために、30冊ぐらい税務に関する本を読みました(*^^)v正確には税務に関する本というより、税務調査に如何に対抗するか?という本が中心ですが・・・六法全書や判例、通達などを引用して対抗するという手法。当たり前の話ですが、税務署員といえども法律・判令・通達に通じているわけではないのでそれを盾にすると、一旦は結論持ち越しとなります。昨日、税務署に行き、最終交渉を行いました。当院の主張は通りませんでしたので、後は税務署が課税額を決めた納付書を送ってきます。なお、修正申告ではないので、異議申し立て可能です。異議申し立ての場合は、税務署による再調査が行われ、課税額の再決定が行われます。それに不服がある場合は国税不服審判所へ審査請求。さらに税務訴訟で争うことも可能です。異議申し立ては平成19年度高松国税局管内で263件。一部異議申し立てが認められたのがたった6件。しかし高松国税不服審判所では121件中全部認められたのが13件。一部認められたのが40件!おお~これは勝てそうだ!(*^^)vちなみに訴訟は12件中1件が一部勝訴で後は負け。全国的に平均すると2割ぐらいはひっくり返ります。ただし、私の調べたところでは、税務訴訟はそれ専門のプロ(出向している判事)がチームを組んできますので勝つのはほとんど無理。ここなんか異常な勝率ですね。税務署に異議申し立て時の再調査はできるだけ制限して、(制限しないと再調査で課税額が増える恐れがあります)国税不服審判所で争点を絞って争う方法がよさそう???ただし、それなりの資料が必要です。人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2009年06月24日
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このところ、日記の更新を休んでおりましたが、6月3日~6日、11日~13日、17日~22日の13日間四国遍路に行ってきました。もともと歩きで考えておりましたが、体力と時間の関係で、公共交通機関を併用しました。日記については後ほどゆっくりアップします。この八年間、四国にいながら見えなかったものが見えました。13年ぶりの歩き遍路でしたが、想像以上に四国霊場は変貌していました。お遍路さんも四国の道も札所も姿を変えていました。今、四国遍路はブームの様です。また、徳島の札所には高速道路料金が安くなった関係で車のお遍路さんが殺到しています。その熱狂の中で、四国霊場の信仰という部分が失われつつあるような気がしてなりません。四国遍路はかつての弘法大師と四国の人にすがりながら霊場を巡る信仰の旅から、スタンプラリーになりつつあります。それに伴い札所も修行の場だった面影を失いつつあります。霊場会から脱退して勝手に納経時間を設定している寺院。納経所に犬を引き入れて、納経机の上を歩きまわらせている寺院。一方四国の道は不必要なほど張られたへんろ道のシールや立札によって埋め尽くされています。お遍路さん用の休憩所は増えました。しかし、一方で、駅やバス停での宿泊は禁止というところがほとんどです。不治の病や障害や悩みを抱え、四国遍路に最後の望みを託して暗くうつむき加減に歩く遍路は減り、逆に健康を誇るかのように元気に歩く遍路が増えたように思います。一体四国霊場はどこへ行くのだろう?そんな心配が杞憂に終わればいいのですが・・・人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2009年06月23日
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●「税務運営方針」(国税庁) (調査方法等の改善) 税務調査は、その公益的必要性と納税者の私的利益の保護とのバランスで、 社会通念上相当と認められる範囲内で、納税者の理解と協力を得て、 行うものです。 一般の調査においては、できる限り事前に通知し、また、 現況調査は必要最小限度にとどめ、反面調査は客観的にみて、 やむを得ないと認められる場合に限って実施するものです。 ●昭和36年国税庁長官通達 昭和36年7月14日 調査にあたっては、いたずらに調査の便宜のみとらわれて、 納税者の事務に必要以上の支障を与えることのないよう配慮します。 特に、反面調査の実施に当っては、十分にその理解を得るよう努めましょう。 ●反面調査の要件を厳格に解釈する判例 ・静岡地方裁判所(第一審) 昭和47年2月9日 昭和43年(わ)第537号 反面調査について、調査の相手方は直接に納税の義務を負うものではありません。 また、法により法定資料の提出を義務づけられた者でもありません。 その行使の範囲は、他の調査の場合よりさらに厳格に解すべきです。 この場合の質問検査権の行使は、通常の納税者への調査の過程において、 その調査だけではどうしても内容が把握できない場合にかぎり、 かつ、その限度において可能であると解すべきです。 また、反面調査、臨時家宅調査のいずれにおいても、 その調査にあたっては、調査の相手方が要求するかぎり、 調査理由を開示すべきです。 人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2009年06月16日
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那賀川:取水制限きょう60%に ダムの底水利用も--渇水調整協 /徳島那賀川の渇水が深刻化する中、取水事業者や県など関係機関による渇水調整協議会は12日、取水制限率(農業用水、工業用水とも現在55%)を、13日午前9時から60%に引き上げることを決めた。 国土交通省那賀川河川事務所によると、那賀川流域の渇水状況は、梅雨入りで若干の緩和は見られたが回復には至らず、長安口ダム(那賀町)と小見野々ダム(同)を合わせた総合貯水率は、12日午前0時現在で11・4%まで低下している。取水制限:物部川と鏡川で節水再開 /高知高松市:11万世帯、18.5%の減圧給水 第2次取水制限対応 /香川以上毎日新聞四国で水不足です。雨乞いにご協力お願いします。人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2009年06月15日
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皆さんお久しぶりです。いつも訪問ありがとうございました。久しぶりの日記です。特別多忙という訳ではありませんが、更新をお休みしておりました。ご心配もおかけいたしましたが、元気です。ちょっと四国遍路に出かけていました。公共交通機関による遍路公共交通機関による遍路2また日記にてアップさせていただきます。ミクシーでこんなコミュがあります。四国遍路~公共交通機関を使おう税務署がやってきた件ですが、まだ続いています。宗教法人課税の流れ?情報を開示しなかったためか、かなり反面調査されたようで、昨日約一か月振りに来られました。こちらも、一か月の間にかなり税務について勉強しましたので、まだ、何度か来ていただくようになりそうです。訴訟はまだ、書面の交換の段階です。過去帳の次はお骨?なお、現在、当院の池で実験が行われています。トランスマスターという、磁気による水質浄化実験。もともと、燃費を良くするために開発されたものですがそれを、水質浄化に使えないかという画期的な実験です。現在、透明度が5センチぐらいだった当院の池が、透明度20センチ以上まで改善されました。はっきりした結果が出ましたら、お知らせいたします。またしばらく休ませていただきます。皆様お元気で。人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2009年06月09日
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