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「お葬式で弔電披露はおかしい」ということを近所の住職さんから言われたことがあります。その人いわく「本当なら、わざわざ、お葬式に来てくれた人の名前を 読むべきなのに、来てないで電報だけ送って来た人を 名前を読むのはどうか?」鋭い指摘です。新聞に死亡広告載せると、必ず政治家から来ますね。田中角栄氏は「結婚式は後でもお祝いできるが、葬式はその時限りだ」と言って、バタバタしながらも、葬式のかけもちをしたそうです。徳島選出の国会議員も見習ってはいかがか?しかし、政治家の弔電でもこんなのがありました「○○兄は~・・・いつも私をお導きいただき・・・」前衆議院議員から延々と長い文章。さぞかし、その方はその議員さん親しいと思いきや・・・全く知らないとか(*^_^*)なかなか小技使う方がありますね(*^_^*)最近は家族葬が流行っています。家族+身内で送ってあげるのですが、たまに弔電があります。家族葬に弔電は要らんやろうと思うのですが、なぜか、葬儀社が「いつ読みましょう?」「読まなくても良いじゃないですか?」「読まないんですか?」「家族葬でしょう。必要ないですね」「・・・」あと、最近、気になるのがお通夜の服装。なんか黒ずくめで並んで座られているとビックリ!(@_@;)お通夜は、「知り合いが亡くなったので、取り急ぎ駆けつけた」という形ですから、平服が基本です。黒の礼服などで出かけると、亡くなるのを待っていたように思われ失礼と思われないんでしょうか?(*^_^*)そういえば、こんなこともありました。先日のお葬式で故人が某寺院住職と知り合いだそうで、喪主の方から「すいません。大変申し訳ないんですが○○寺さんが お通夜に来られるんですが・・・」「ああ、そうですか。」お通夜に、坊主の「平服」?である改良服で、出かけて故人の枕元に座ると、○○寺住職登場。しかし、法要用のフル装備(@_@;)三文「ええ~この格好で拝もうと思ったんですが」某住職「ああ、構いませんよ」三文「そういうわけにもいかないので着替えてきます」実は徳島ではお通夜をフル装備で拝む人も結構多くその方は、そういう地域なんでしょう。導師である三人文殊 平服故人の知り合いの某住職 フル装備さすがにこれでは恰好がつかない(;一_一)そうそう、香典などは薄い墨で書くという作法があります。「墨を摺る時間もなく取り急ぎ駆けつけた」という意味だと理解していたところ、ある方曰く「悲しみで涙があふれ、墨が薄くなったという意味だとか?」それはないやろ(*^_^*)ちなみに葬送儀礼は地方の差が大きいです。北海道では香典を渡されたその場で破って領収を書くとか?昔はそんなに頻繁に往来できないほど、各家が離れていたんでしょうか?それゆえ、その場で受け取りを渡したんでしょう。私の田舎では、知っている人が入院していて、それを知らずにお見舞いに行かなかったときなどは、受付で香典と一緒に「赤のしのお見舞い」を付けて渡しますね。律義な土地柄でしょうか?しかし、こちらでは「葬式に「赤のし」なんか持ってったらあかんわ」とか。皆さんいかがでしょう?人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2011年02月25日
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先日、当院の巡拝をされている方からこんなことを言われました。「三文さん、以前行った西国巡拝よかったね~」「そうですか」「善光寺もよかった」「ええ」「泊まった宿坊のお風呂が壊れていて温泉行ったのが良かった」「そうですね」「また行きたいな~」「しかし、善光寺遠いですね」「東大寺のお水取りでもいいな~」「お水取りに行って何するんですか???」「ええ~!三文さん、お水取り知らへんの?」「う~ん、名前は聞いたことありますが・・・」「ええ~!坊さんやのに知らへんの?」「いや~宗派違いますからね」「テレビで見たことない?」「いや~ようわかりませんが・・・」「そら~坊さんやったら知っとかな~!」調べてみると、こんな行事です。東大寺二月堂修二会(お水取り・お松明)~~~~~以下引用~~~~~1250年以上一度も休むことなく続く伝統行事で、寒い真冬の夜に、大松明を持った童子(どうじ)が観客の頭上に火の粉を散らしながら舞台を走り抜けます。二月堂の本尊十一面観音に、東大寺の僧侶が人々にかわって罪を懺悔して国家の安泰と万民の豊楽を祈る法要です。行中の3月12日深夜(13日の午前2時)には、「お水取り」といって、若狭井(わかさい)という井戸から観音さまにお供えする「お香水(おこうずい)」を汲み上げる儀式が行われます。夜毎、大きな松明(たいまつ)に火がともされ、参集した人々をわかせます。このため「修二会」は「お水取り」・「お松明」とも呼ばれるようになりました。~~~~~以上引用~~~~~松明が走り回るとこを、皆さん見たいんですね(*^_^*)私も、松明持って走り回りたい(*^_^*)さて、東大寺の法要について少し調べてみました。4月21日 御影供 弘法大師忌8月6日 聖宝忌 理源大師忌なんと、真言系の祖師の忌日が二つもあります(@_@;)弘法大師は東大寺の第14代別当。理源大師(醍醐寺を開き、真言系修験道の元祖)は、東大寺に東南院を建立して三論教学の中興と言われています。三論宗というのは、「空」の教えを説いたと言われていますが日本ではあまり広まりませんでした。一方で「空」の教えが日本で広まったのは皮肉ですね。しかし、次第(法要の内容)を見る限りでは、真言系の法要とはかなり差がありそうです。よく分からないのが「講問」というもの。法要の中心みたいですが、なんでしょう?華厳宗は密教化されているともいいますが、法要を見る限りでは真言宗とは別物です。ところで、「修二会」の松明を持って走り回るのは、二月堂へ入るための灯りだそうです。そう考えたら、そこを中心に見るというのもいかがでしょう?(*^_^*)「修二会」は正式には「十一面悔過(じゅういちめんけか)」といい十一面観音菩薩様に懺悔(さんげ)するそうですが、しかし、調べても何をするのかさっぱりわかりません。(*^_^*)東大寺に尋ねるのもねえ~向こうが答えてもらっても私に知識がないとわからないし・・・やはり、私が引率をして「お水取り」に行くのは無理という結論ですかね(*^_^*)人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2011年02月23日
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ネットでも書店でも、「お金持ちになる方法」が大流行りです。実はひそかに研究しました(*^_^*)大体重要な点は三つですね。1、ポジティブ志向をする。現実に何かものごとが起こった時、一喜一憂するのはやむをえません。しかし、諦めてはいけないということです。チャンスは必ずある。その可能性にかける能力があるかどうかです。残念ながら、私が知っている限り、これは誰でもできるというわけではありません。2、お金に対して関心?執着心?を持つ。これが重要なところですね。お金を増やそうと思ったら、金銭出納帳をつけるのは当たり前。何にいくら使うか?好きに使っても構いませんが、必ず何に使ったか?チェックするということです。多分、チェックするだけでお金に関心が出来ます。「高い財布を使え」とか「お札は揃えて入れろ」などお金に関心を持たせる意味があるんでしょう。3、お金を寝かせないで運用する。以前なら、銀行に預けていただけで増えましたが、最近はほとんど金利など無いようなもの。それなりに、うまく運用しないと、いけません。さて、どれ位お金が必要か?60歳で定年になるとして、年間400万使うとしたら、25年で1億円。まあ、これくらい必要でしょう。一方、20歳から月5万づつ積みたてたら、年60万で40年間で2400万。金利・退職金など考えたら3000万~4000万ぐらいでしょうか?それでは足りませんね(*^_^*)さて、仮に年間10%で運用します。1年目60万(元手)2年目60万+66万(10%運用)=126万 ・ ・ ・10年目60万+895万(運用益)=955万意外に大きくなりますね。約1,6倍です。その後も計算しました。20年目 2488万30年目 4940万 40年目 8865万おお~目標の1億円に届きそうです(@_@;)さて、どうやってこの運用益を出しますかね?そのあたりは研究してください(*^_^*)うまい話などありません。ただ、追い風はありますよ。今のように金利の低い時代には、お金を借りるのも安いです。つまり、お金を借りて運用するというのも可能。ただし、成功するには前提があります。私が決定的にかけている能力ですが・・・(*^_^*)「事務管理能力」絶対必要です。事業を始めるにしろ、資金を運用するにしろ、帳簿は正確に付ける必要があります。帳簿をきちんとつけることによって、どこで利益が出ているかどこで損が出ているかチェックできます。その分析が出来ない人は利益など出すことは不可能です。「お金持ちになる方法」いかがでしょう?ただし、ネット上で「フリーター(の一部)が貯金400万」という記事を読んでビックリしている私が言っても説得力がないですが(*^_^*)人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2011年02月22日
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一昨日から書き続けている相国寺派管長の申告漏れ問題の続きです。恥を知れー金閣・銀閣寺住職、2億円申告漏れ…国税指摘再び金閣寺住職申告漏れ問題しつこいと思われますが、また書きます。この問題で気に入らないのが、相国寺派、臨済宗、仏教関係者などの意見があまり発信されていないことです。ネット上を見る限り「 宗教法人に課税せよ」「坊主丸儲け」などと仏教界には逆風ばかりです。すくなくとも、ネットで発信している仏教関係者は賛成するにせよ反対するにせよ、意見を述べるべきではないか?ここで沈黙していたら、ネットなどすべきではないと思います。見解は異なりますが、自分の意見をはっきり述べている「大法螺窟様」には感謝したいと思います。さて、今日は別の角度から見てみたいと思います。「なぜ、揮毫料を寺院会計に入れなかったか」最初は、私もよくわからなかったのが考えられるケースがあります。「自由に使えるお金が必要だった」誤解されやすい良い方なので解説いたしますと、一般に寺院会計に入れた場合、当然のことながら会計上のチェックを受けます。実はそれが障害になります。寺院の役員はすべて仏教に理解があるかと思うとさにあらず。意外に理解が無い方が、役員を務めているケースがあります。そうなると、住職とは言え役員の一人ですから、宗教的に必要と思われるケースでも反対が多いと支出できないことが起きてきます。今回のケースでも、「金銭的理由などで手放される貴重な文化財が海外に流出するのを 防ぐため、墨跡や陶磁器などを購入」これが本山の役員会で認められるかどうか?かなり高い確率で必要なしと判断されるかもしれません。そう考えて、あえて「揮毫料を寺院会計に入れず、個人で使えるようにした」という可能性はあるかもしれません。さて昨日も書いたように揮毫料は金閣寺、銀閣寺、相国寺の会計に入れるのが普通で、個人で取るべきものではないと書きました。国税は「個人の雑所得」として課税しているが、揮毫料自体が個人の能力によるものでない以上、これは不当という主張はできるはずです。今回は3年間2億円が雑所得として課税され1億円を修正申告したそうですが、法人からの給与の源泉所得税の過少申告としたらどうでしょう?文化財の購入に1億5千万を使っていたとして、それを経費として除外すれば、該当する課税対象額は5000万。管長の給与がどれくらいかは知りませんが、課税額は3000万を超えることはないでしょう。一旦納付したうえで、戦えば十分勝ち目のあるケースのように思われます。認められれば還付額もそれなりになりますから金額的にも、社会的な名誉も回復できそうな気がします。専門家のご意見をお伺いしたいところです。寺院関係者として金閣寺寄りに発言してみましたが、この程度は誰か発言してほしいですね。人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2011年02月19日
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昨日は感情的に書いてしまったので、今日は冷静に問題点を指摘します。金閣・銀閣寺住職、2億円申告漏れ…国税指摘~~~~~以下引用~~~~~臨済宗相国寺(しょうこくじ)派管長で金閣、銀閣両寺住職の有馬頼底(らいてい)氏(78)が、大阪国税局の税務調査を受け、2009年までの3年間に掛け軸などの揮毫(きごう)料として得た個人所得約2億円の申告漏れを指摘されたことがわかった。徴税額は消費税や過少申告加算税などを含め約1億円とみられ、有馬氏は修正申告したという。有馬氏は揮毫料について、「お布施のようなものと考え、税務申告は必要ないと思っていた」とし、意図的な課税逃れを否定している。有馬氏は東京都内の美術品販売会社など3社の依頼で掛け軸や額などに揮毫し、1作品につき約5万円を受け取っていたが、税務申告していなかった。宗教法人が受け取ったお布施は原則非課税扱いだが、同国税局は、「宗教法人に入金されておらず、個人所得にあたる」と判断したとみられる。2011年2月17日07時20分 読売新聞~~~~~以上引用~~~~~>「お布施のようなものと考え、税務申告は必要ないと思っていた」これは普通はあり得ない話です。金閣寺に限らず、一般寺院は1、お布施などの宗教上の収入(非課税)2、それ以外の収益事業収入(課税対象)この二つの収入があります。ちなみに、当院などは収益事業は行っておりませんので、「1」しかありません。この、課税・非課税というのはいわゆる法人税の話です。「お布施」であっても、宗教法人の会計に一旦は入り、給与をその法人から貰いますが、この時に所得税を支払います。要するにサラリーマンが払っているのと同じように坊主も税金を払っているということです。確かに法人は非課税ですが、サラリーマンから「坊主は税金を払っていない」と言われるのは心外かと(*^_^*)一方、経営者からは優遇されていると思われるかもしれません。しかし、一方では公益事業のようなもので、当院の境内も通過に制限はないし、檀信徒でないと思われる方でも水道を使ったり、ゴミを捨てたりするし、公園みたいな感覚の人も少なくないのでやむを得ないかと(*^_^*)もうひとつ、税務調査で不適当な経費支出が指摘されたら個人の所得として課税されます。ちょっと脱線しましたが「お布施のようなものと考え、税務申告は 必要ないと思っていた」ということで、個人で取りこんでいたのはおかしいというのがわかりますか?>揮毫(きごう)料として得た個人所得約2億円こういわれておりますがこれもおかしい。揮毫料なるものは個人所得ではありえないからです。何故ならこれには「金閣寺銀閣寺住職相国寺派管長」とあってこそ、その書を買う人がいるからです。一般的に「書」なるものは書家ならともかく「坊主」の書は安いものです。江戸期の真言宗ナンバーワン僧侶の書が15万明治~昭和の真言宗有名僧侶の書が2万今でも○○派の管長の書は高いですが、やめたら二束三文というのが相場です。そう考えたら、揮毫料は金閣寺、銀閣寺、相国寺の会計に入れるのが普通で、個人で取るべきものではありません。ちなみに、これは「雑所得」として、国税は課税しておりますが、そう意味からすると、個人の雑所得として課税するのは不適当。法人からの給与の源泉所得税の過少申告として課税すべきではないかと思うのですが、専門家の方のご意見いただきたいです。「文化財保護に使ったのに」 有馬管長強調~~~~~以下引用~~~~~臨済宗相国寺派の有馬頼底管長は、揮毫料の使い道について「海外流出の恐れがあった文化財の購入に充てた」などと、私的な目的が一切なかったことを強調した。相国寺派大本山の相国寺境内に昭和59年、承天閣美術館を建設。金銭的理由などで手放される貴重な文化財が海外に流出するのを防ぐため、有馬管長個人も数億円を費やし、墨跡や陶磁器などを購入してきたという。有馬管長は「本来は国が文化財を保護するべきなのに、予算をつけないのがおかしい」と国側に注文した上で、「納税する金は残っていないので、今まで購入した文化財を売らないと仕方ない」と嘆いている。2011.2.17 02:00 産経ニュース ~~~~~以上引用~~~~~これもおかしな話です。そういう意図なら、最初から個人で取り込まないで、全部お寺に入れておけば、なんの問題もなかったはずです。「納税する金は残っていないので、今まで購入した文化財を売らないと仕方ない」これもあり得ない話です。課税されているのは管長個人であって、お寺ではありません。管長の申告漏れのために、お寺の備品を売るのはいかがなものか?実際1億円の課税額を作るために、文化財を売って、そのお金で納税したら、今度はその1億円に源泉所得税が掛けられますよ。ちょっとお粗末な話です。私の実家は臨済宗の檀家ですし、禅宗には一目置いていますので感情的になりましたが・・・今日は冷静にかけてますね(*^^)v人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2011年02月18日
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こんなニュースが朝、飛び込んできました。金閣・銀閣寺住職、2億円申告漏れ…国税指摘~~~~~以下引用~~~~~臨済宗相国寺(しょうこくじ)派管長で金閣、銀閣両寺住職の有馬頼底(らいてい)氏(78)が、大阪国税局の税務調査を受け、2009年までの3年間に掛け軸などの揮毫(きごう)料として得た個人所得約2億円の申告漏れを指摘されたことがわかった。徴税額は消費税や過少申告加算税などを含め約1億円とみられ、有馬氏は修正申告したという。有馬氏は揮毫料について、「お布施のようなものと考え、税務申告は必要ないと思っていた」とし、意図的な課税逃れを否定している。有馬氏は東京都内の美術品販売会社など3社の依頼で掛け軸や額などに揮毫し、1作品につき約5万円を受け取っていたが、税務申告していなかった。宗教法人が受け取ったお布施は原則非課税扱いだが、同国税局は、「宗教法人に入金されておらず、個人所得にあたる」と判断したとみられる。2011年2月17日07時20分 読売新聞~~~~~以上引用~~~~~最初は宗教法人の収入として計上したものが、個人の雑所得と指摘されたとおもい、著しく不適当だと思いました。そこで、宗教弾圧かと思いミクシーにも日記を書きました。しかし調べてみると事実は違いました。「最初から収入を入金していない」意図的な課税逃れですね。そう思ったら腹が立ってきました。ちなみに、一般の宗教法人は基本的に収入は全部法人に入れ、そこから給与をもらっています。だから、税金は払っています。しかし、もっと腹が立つのは、この言い分け。「お布施のようなものと考え、税務申告は必要ないと思っていた」本当にそう思うなら徹底抗戦したらどうか?一億も国税に指摘されたらだけで払うのはおかしくないか?「お布施に課税するのはおかしい」と戦うべきです。実際「禅宗の威信にかけて」戦うべきだと思います。私は以前税務署員にこんな話をしました。~~~~以下引用~~~~~宗教団体から税金を取らなければ、そのお金はすべてお寺のもの使用方法は無言ながら制約を受けます。それなりの使用方法を考えないと非難を受けることでしょう。一方、現在のシステムのように住職が給与を受けて税金を取るシステムだと、給与は住職個人のお金であってお寺のお金ではないので、それを何に使おうと自由という考え方になりかねず、税金を払っているのに、文句を言われる筋合いはないという開き直りにもなってしまいます。だから宗教団体から税金を取ると堕落するという話をしましたが全く理解されませんでした。税金を逃れるために凄い言い訳をする人間と思われたでしょう。国から教えを自由を与えられるというのは、本当の自由ではなくのであくまで限定されたもの国家権力から離れた本当の宗教の自由が欲しいものですが難しいでしょう。~~~~以上引用~~~~~宗教の自由についてー教団治外法権論禅坊主なら、正しいと思ったら折れるべきではない。特に今回は教団の存続に関する問題です。法律自体がおかしいとなぜ戦わない。一億も払うなら戦うべきではないか?「戦わずして逃げた」今回はこの事実に腹が立って仕方ありません。人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2011年02月17日
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一昨日、徳島でも雪が降りました。中庭はこんな感じです。これが外の様子です。雪国の方というより私の田舎と比べても大したことなののですが、こちらでは大変(@_@;)全国ニュースでも徳島積雪6センチと報道されてました。以前は私は冬になるとスノータイヤに履き替えていました。それが私の田舎では普通です。平成15年に徳島で積雪がありました。たった5センチぐらいの積雪でスリップする車が続出スノータイヤの私には何でもないところで、滑りまわる車を見て怖いの怖くないの(@_@;)外出しておりましたが、普段の二倍以上の時間をかかってやっと帰りました。その時は昼間から積もった雪が夜になると凍りました。すると大変なことに(@_@;)なんと夕方から国道が渋滞して、朝になるまでに家に帰れない人続出!(@_@;)それを見て、スノータイヤはやめました(*^_^*)何かの時には自分の車で動かないでタクシーで移動すべし!その、3年後再び積雪がありました。運悪く、火葬場に拝みに行く予定が(@_@;)朝からタクシーに電話すると、どこも出払っています。やむなく数キロの道のりを長靴をはいて歩いて向いました(*^_^*)終わった後、葬儀屋さんが「言ってもらっったら迎えに行きましたよ」先に言ってほしかった(*^_^*)さて、先日タクシーに乗った時運転手さんに聞きました。「この車スノータイヤ履いてますか?」「いや~履いてないね」「雪降ったらどうするんですか?」「一応チェーンは会社に3本あるけど、かけたことないし」「・・・」「大体市内のタクシー会社はスノータイヤなんか履いてないで」「・・・」タクシーに頼むのも不安です(*^_^*)南国とは言え、雪に対して弱すぎ!私の高校など、山の中腹にあったのに、積雪が1m以上になっても休みになりません。「大雪警報」では休みにならないで「暴風雪警報」でないと休みになりませんが・・・「暴風雪警報」など、私の知っている限り出た記憶がない(;一_一)それに、雪国とそうでない地域の際にあるので、結構シビアです。雪の少ない時には除雪車が走るんですが(国道だけ)大雪になると除雪車が来ません。その理由は、もっと北がさらに大雪なので、除雪車がこちらまで回ってこない(;一_一)そういえば20年ほど前こんな話がありました。私の実家の前は緩やかな坂道です。12月のある日、突如雪が降り始めました。ちょうどそこへ通りかかった車が一台。雪に足を取られてスリップして上がりません。後続の車が来ました。しかも運転者は60過ぎの女性(@_@;)どうなる事かと思ったら、その女性が下りてきて、トランクからチェーンを取りだし、手際良く巻きつけて5分足らずで発進。驚きました!(@_@;)徳島も多少は雪に対する備えも必要ですね(*^_^*)ちなみに、私はスノー対策グッズを持ってます(*^^)v人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2011年02月16日
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先日、猫又童子さんのところで、「もし、高校時代に戻ったらトップの成績を取れるかも知れない」という問いに対して「当然でしょう」と大きく出ました(*^_^*)ある人にその話を伝えたところ、「時間を巻きもどしたらみんな成功者になれる」と言われましたが、本当にそうですかね?仮に、私の時間を10年巻き戻してみる。いろいろなイフが考えられますが、考察してみると面白いです。考えられるのは次の3通り。1、別の道を選んだら確実にメリットがあるもの2、別の道を選ぶことは可能かもしれないが、同じような状況を 招くもの。3、別の道を選ぶことは可能かもしれないが、 その先が読めないもの。ちなみに、10年前と言えば、現在のお寺に入る4カ月ぐらい前の時期です。深く考えてみると、「1」は、人生を大きく変えるメリットなど無いですね。「3」では「現在入っているお寺に入らなかったら」というイフが考えられますね。師匠のところに残ったら、それなりに僧侶としてはキャリアを積めたので、修行者としては良し。ただ、空いている寺院に入るというのは難しいので、現在もまだどこのお寺に入っていないことも考えられます。良いとも悪いとも言えません(*^_^*)別の道もあったという話ですね。「2」では、「現在の当院の本堂を建て直せたか?」実は当院の本堂はボロボロなのですが、私が入って3カ月ぐらいの時に総代さんから「屋根を葺き替えたら?」という申し出がありました。その方は趣意書まで作って持ってこられたのでかなり力を入れていただいていました。ただ、問題は総代さんが全部賛成では無かったこと。7人のうち2人賛成、2人反対、3人保留。結局私が反対したので話は流れました。反対の理由は1、反対派がかなり非協力的だった。 「本堂は雨漏りしても我慢して使うもの」 「今回葺き替えしたら、あんたの代では一切直さない」というような意見を言われると難しいですね(*^_^*)2、できたら建て直したかった。ということだったのですが・・・この時話にのっていたらというイフです。本堂の「葺き替え」を「建て替え」に代えて、合わせて墓地の整備まで行なえればベストです。メリット1賛成派が協力してくれるのでお金を集めやすい。メリット2私が入った時期なので、集めやすかった。メリット3前住職から協力を得られた。一方で、デメリットもありました。デメリット1入ったばかりなので、影響力が無く、主導権を取れない。つまり、私の「こうしてほしい」という意見は通りにくかったですね。デメリット2時間的な制約があった。また、不可避の問題として当院の後継者問題が起こります。そのため、私が住職ともそうでないとも言えないような状況で15年~18年夏まで運営しています。そう考えると、わずか1年足らずで行うとしたら、「本堂の建て替え」「墓地の整備」は無理。「葺き替え」も結構難しいかもしれません。そう考えると、結果は同じですかね?(*^_^*)私は10年巻き戻しても成功?の眼は無いですね(*^_^*)皆さんいかがですか?人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2011年02月13日
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もう、25年も前の話になりますが、同じ会社にいた人Kという人がこんなことを言っていました。「Hさんは成功者ですからね」Hさんというのは、その会社に最近入って来た人ですが、前の会社がつぶれて、この会社にやってきました。新卒での採用などあり得ず、給与の割に仕事がきつく、入れ替わりの激しい職場に中年になってやってきたHさん。とても私には成功者とは思えませんでした。しかし、Kさん曰く、「Hさんは家がありますからね」当時40過ぎのHさんより少し若く、集団就職で東京にやってきて、まだ結婚もしていないKさんにとっては、東京(郊外)で結婚してこどももあり家を持っているHさんは人生の成功者に見えたようです。それより少し後に、こんなことを言われたことがあります。「三人文殊さん、資産何がある?」時にバブルが終わったころ、とは言え、バブルの恩恵をほとんど受けていない私は資産などあるわけでなし・・・不動産なし、株もなし、貯金もなし(*^_^*)30近くならそれなりに何かあると思われたんでしょう。実際、同級生でその頃家を買っている人もないことはありません。貯金もそれなりに持っている人間もいるでしょう。そう考えると、当時何もなかったというのは・・・(*^_^*)ちなみに、えらそうに言うわけではありませんが、現在でも資産なし(*^_^*)将来的にもなかなか難しいでしょう(*^_^*)さて、人生で勝つ条件ってなんでしょうか?やはり、死に際まで勝敗はわからないような気がしますが死ぬ時は納得して死にたいですね(*^_^*)そういう意味では、仏教を信仰しているというのは有利ですね。また商売柄、いろんな人の最後を見ますが客観的には100歳まで生きたら、人生勝ち?みたいな気がしますね(*^_^*)長生きするというのは、肉体的な健康もさることながら精神的な健康が必要とされるような気がします。ただし、100歳でも自分で動き回れることが条件です。人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2011年02月12日
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時にジャイナ教の教祖のマハーヴィーラのもとに、有力なウーパリという弟子がいました。あるとき、お釈迦様と対論に向かいます。ところが、ウーパリは逆にお釈迦様に教化され、お釈迦様の弟子になってしまいます。それを聞いたマハーヴィーラはジャイナ教徒を引き連れてウーパリを訪問します。そして、お釈迦様と対論に出かけたにもかかわらず、反対に教化されるとは何事ぞ!と罵倒します。それに対しウーパリはお釈迦様の「マーヤー」を賛美します。マハーヴィーラはそれにショックを受け、吐血して亡くなります。また、お釈迦様をあるバラモンが「マーヤービン」であると誹謗して異道の弟子を転向させていると言われていました。さて「マーヤービン」って何ぞ?「マーヤー」は幻術。「ビン」は持っているもの。なんとお釈迦様は幻術使いだった?さて、宮坂先生はその先も考察されています。1、アスラ(阿修羅)はインドラ(帝釈天)と戦って 破れている。2、インドラが阿修羅王を治療する条件としてマーヤーの 教示を乞うがアスラは教えない。3、マーヤーはアスラが使っていた魔術である。4、アスラの起源は古代ペルシャの アフラマスダという神にある。ここから推測されるものは、1、釈迦族=アスラ系(被支配民族?)=マーヤーが伝わっていた。2、ジャイナ教?バラモン教?=インドラ系(支配民族?)= マーヤーを持たない。この先については、宮坂先生は少し歯切れが悪いです。「お釈迦様のマーヤー=巧みな教化方法」ここまで来て、こういう結論とは(*^_^*)この先の切り込みは圓寂坊様にお願い致します。人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2011年02月09日
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続きます。3、仏教はカースト制度に反対したのではない。仏教はカースト制度に反対して、平等をうたったと思われていますが、この「平等思想」自体は部族による共和制だった釈迦族では階級性がないのが普通であった。カースト制が出来上がったのは当然のことながら奴隷制国家が成立してからです。実はカーストに反対したのではなく、それ以前の思想を残しているのである。仏教は、「カースト制度に反対して、平等を訴えた」というのが仏教の先進性だと思われていたのですが、逆だったとは(@_@;)4、仏教が所有欲を否定するのも部族社会の名残?仏教は物に対する執着を離れることを説きますが、それも、もともと部族社会の原始共産制の名残であり、私的所有によってその社会が崩壊したことによる。これも、意外な見解かもしれませんが、奴隷制国家が、共和制の部族国家を駆逐していった時代背景からするとあり得ない話ではありません。5、仏塔崇拝も部族宗教が起源原始仏教が仏塔を崇拝しはじめたのが、本来の悟りの智慧を求める原始仏教の変質のように書かれているのが従来の説ですが、なんとその起源も部族宗教にあった。日本人がお墓を拝むのも、日本古来の民族宗教に起源があり、仏教とは全く関係ないと思っていましたが実は仏教的行為とは(@_@;)従来の仏教は、仏教はお釈迦様からスタートしたと思われていましたが、「それに先行する教えがあった」というのはよく考えれば当たり前のことかもしれません。宮坂先生はそこに焦点を当てたということで、大きな意味があったと思われます。一方で、40年前に発売されたこの本が全く注目を浴びていないのは不思議な話です。昨日、圓寂坊僧正様に「この本読みましたよ」とお伝えしたところ、「マーヤビンの話ありましたでしょ」「???」「それはダメですね。読んでないですよ」帰ってから、もう一度読み直しました。そして発見した戦慄の事実!お釈迦様は実は○○だった(@_@;)この続きはまた次回お話します。人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2011年02月08日
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以前出定後語を書いた時に圓寂坊僧正様に「宮坂宥勝師の仏教の起源」を勧められました。ようやく読みましたぞ!お釈迦様と言えば、皆さまご存じのとおりの仏教の開祖様。インド(ネパール)の釈迦族の王子として生まれた、お釈迦さんは何不自由なく育ちますが、深い人生の問題に悩み、29歳で出家6年間の苦行ののち、菩提樹の下で深い瞑想に入り悟りを開かれました。お釈迦の悟り、説いた教えとは中道、縁起、四聖諦、八正道で修行を積むことによって輪廻から解脱することができるとしています。さて、それが、時代を経るにつれて、民間信仰を取り込み変質していく。それゆえ、先の「大乗経典」はお釈迦さんの教えでは無いというような考えが出てきました。ところが、宮坂宥勝師の「仏教の起源」の説にはビックリ!(@_@;)1、お釈迦さんは王子では無い 当時は古代奴隷制国家と部族共同体社会の並立期であり、奴隷制によって富を蓄えた国家が部族社会を圧迫していた。「釈迦族」は部族共同体であり、「王子として何不自由なく生活した」ような状態では無い。おお~いきなり戦慄の事実(*^_^*)しかも、引用されているのがエンゲルスの「家族・私有財産・国家の起源」ってどうよ!昔読んだときは気付きませんでしたよ(*^_^*)2、仏教はお釈迦さんのオリジナルでは無いジャイナ教(仏教と同時期にできた宗教)の開祖マハーヴィーラはその所属していた部族宗教の24世であり、ジャイナ教を開いた。釈迦族も部族宗教を持っていたはずでお釈迦さんはその継承者であったはず。過去七仏の思想はそれを現わしている。これも、指摘されれば確かにそう思えますが、思いつきませんね。以下続きます。人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2011年02月07日
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テレビを見ていて、鈴木寛という文部副大臣がえらそうに、説教していましたが、「そんな資格があるか?」と言いたいです(超激怒)そもそも、国会が空転しかかっている時期にこんな大相撲の問題がいきなり浮上してくるのが不思議です。最初から、民主党が国会の予算の問題から眼をそらそうとして計画していたとしか思えません。問題はこっちだ!(怒)税収 37.4兆 国債発行 44.3 支出 92.3兆(平成22年度)税収 40.9兆 国債発行 44.3 支出 92.4兆(平成23年度)そもそも、税収が増えるかどうかわからないのに、支出がわずかながら増えています(@_@;)年収374万の人が、月々40万近い借金をして、支出が年間923万。追求すべきはこっちでしょう!(怒)そもそも、大相撲の八百長自体は昔から指摘されていました。7勝7敗で千秋楽を迎えた力士の勝率は9割ともいいます。これで負けて相手が陥落するのでは、なんとなく力が入らない。というのは心情的にもある話です。私自身は今回のケースでも問題ないと思います。金で星のやり取りをするのは、けしからんという話も判らなくはないです。しかし、一般社会ではよくある話。むしろ金のやり取りなしにガチンコで、世渡りする方が珍しくありませんか?(*^_^*)それに、今回発覚するまで判らなかったし、ビデオで見ても八百長には見えませんよ(*^^)v大相撲も興行ですから、見に来た人が納得して帰れば、それでよし。「神事だからけしからん」という意見もあるかもしれませんが、本当に神事というなら、それこそ序の口にも参加資格を与えて、年に一度トーナメントをしたらいいでしょう。その成績によって、番付けは固定して、一年間興行をうつ。現在のように成績によって番付が場所ごとに入れ替わるシステムでは神事とはいわんでしょう。(*^_^*)大相撲の力士は選ばれた人です。細かいこと追求しないで、任せたい。私はそう思いますがいかがでしょう。人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2011年02月03日
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我に七難八苦を与えたまえ!という日記を書いたばかりですが、再び難がやってきました。 先月30日、寒い中、徳島市議会議員「西林みきのぶ」氏の事務所開きに足を引きづりながら出かけました。帰ってくると何か寒気がするような気がします。寒い日だから当たり前だろう。そう思っていました。ところが、そうでは有りませんでした。夕方に体温を測ると36.8度(@_@;)高い!このところ経験したことない高さ、しかし、それは序曲でした。再び、測るとなんと37.2度(@_@;)熱が出ない??? 熱が出ないので心配していましたが、あっさり40年ぶりに37度オーバーを記録します。その後も、体温は上がり続け、観測史上最高(と思われる)38.2度まで上昇します。しかし、思ったほど苦しくない。昔、記憶にある高熱は、幻覚を伴い、眼に映る風景はゆがみ、漂い、平行感覚を失わせるものでした。そんな感覚は全くありません。しかし、時折発作のようにやって来る咳と高熱から来る息苦しさが好むと好まざるとに関わらず、眠気を催させない。午前を回っても、全く寝れそうな感じがありません。寝れない以上、格なる上は、断固戦う!私は、必死の決意を持って、戦いはじめました。その戦闘方法は、瞑想。私の体内に巣食うウイルスを焼く尽くすべく、私の攻撃部隊が延々と戦い続ける。この瞑想ってどうよ。うまくいけばこれで治るはず!それが功を奏したのか、熱は下がったようでいつの間にか睡眠に入っていました。翌日は37,5度に下がっています。病院に行き薬を処方してもらいます。しかし、下がったのは束の間、再び体温は上昇し、38度を超えた状態が続きます。ついには、39.4度を記録!(@_@;)高熱状態も思ったほどは苦しくありませんが、体が持つかどうか?こんなに自分の体が高熱を出せるのにビックリ!全力で走って100キロ出せるかどうかのシトロエン2CVが200キロで走っているような驚きです(*^_^*)38度前後のまま、翌日を迎えます。流石に疲れが出てきました。皮膚が荒れ、喉もザラザラして味覚がおかしくなってます。午後になると、薬の影響が出てきたのでしょうか、体温は37度台になり、夕方には36度に下がりました。そして、今日になって、体温は36度台のまま、時折35度台に下がり、平熱まであと一歩です。ご心配いただいた皆さまありがとうございました。人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2011年02月02日
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