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櫛渕八幡神社を出て、さらに進みます。気になることが一つ。めし~めし~めし~19番の立江寺の門前にあったはずなんですが・・・捜してもありませんでした(;一_一)しかし、勝浦町の街中へ入るまで店はありません。ここから約4キロ、1時間はかかります(;一_一)そう思ったら・・・いきなり目の前に「うどん」の幟が(@_@;)周りを見渡すと、50メートルほど右側に並行する道路の向こう、さらに離れたところに「うどん店」発見!しかし、一見、垣をめぐらした民家の様?わずかに、回転灯が営業中を現わしています。なんか、勇気がいりますね(*^_^*)歩いていると、100メートルも道をそれるのは大変なロスですが、背に腹は代えられません。40分差まで詰めた2年前の私を追うのをやめて、左へ舵を切り、うどん屋へ向います。整地しただけの空き地に、装飾の無いプレハブの建物が立っています。中も期待を裏切らない、あっさりした感じ(*^_^*)しかし、歩き遍路の諸君、お昼はここで食べるがいい。意表をついて、腰のあるうどんに、アツアツのかき揚げが載って出てきましたよ。値段もリーズナブル!(*^^)vチラシ寿司のお接待までいただきました(*^_^*)3度び「徳島の人間ですが」と断りながら納め札を渡します。さて、給油?も終わっていざ出発。丁寧におかみさん?が道案内に出て来てくれました。ここらあたりで、少し足が痛くなってきました。さすがに鶴林寺というお寺は意地悪ですね(*^_^*)スタート時の遍路には厳しい。勝浦町に入ったところで休憩所がありましたので少し休みます。少し休んで、再び出発しようとしたところ、休憩所の前にある民家の奥さんに呼び止められます。「お遍路さん、お接待します」4度び「徳島の人間ですが」と断りながら・・・赤の納め札が無くなりました(;一_一)3枚か用意していませんでした。徳島の人は親切ですね(*^_^*)勝浦川に沿った広い道路に出てしばらく歩いたところで、向こうから徳島行きのバスが走ってきます。二年前はあのバスに乗って帰りました(;一_一)二時ごろ、あの西岡上のバス停を通過。立ちはだかる壁ー20番札所鶴林寺の巻感慨深いですね!さらに先に向います。目指すは20番鶴林寺登り口。しかし、あっさり2時半過ぎに到着。実は余裕があったら行きたいお寺があります。「星の岩屋」という霊場で勝浦川を挟んで鶴林寺の対岸の山の中腹にあります。こちらを目指すという道もあったのですが・・・ここのお寺は夕方登ると怖いんですよね(*^_^*)妖気が漂ってますよ。ということで無理。さて、20番鶴林寺に行ってみようか?ここから3キロぐらいですから、1時間で登れるはず。しかし、甘かったですね。南小松島から18キロぐらい歩いてからの夕方の登りは・・・しかも、昨日までとは打って変わった暑さ(;一_一)ようやく境内にたどり着いたのは4時少し前(;一_一)一応リベンジ成功(*^^)vお参りすると、4時過ぎています。心なしか暗いような気がします。とぼとぼと山を歩いて下ろうとしたら・・・「お遍路さん車で送りましょうか?」車でお参りに来られた方から声を掛けられました。おお~お大師様のサプライズ?(*^^)vお願いしてしまいました。麓まで降ろしていただき、5度び「徳島の人間ですが」と断りながら、納め札を渡します。元徳島藩の淡路の方でした。ずいぶん助けられましたが、余程疲れていたんでしょう。「助けてくれ」オーラが出ていたのかも(*^_^*)人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2011年06月24日
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本来は21日~22日に掛けて、残る札所71番~75番、81番、82番、84番~88番を終えて、四国遍路9度目の結願の予定だったんですが・・・ちょっと予定が変わってしまいました。21日は見送って、22日に出発に決定。しかし、日帰りで讃岐まで行くのは遠いなあ。よし、2年前に途中リタイヤの醜態をさらした18番~20番に挑戦しましょうか?立ちはだかる壁ー20番札所鶴林寺の巻ー遍路日記その6実はバスの時間などを調べてあるので、18番~21番ぐらいまで行けそうなんですが、私はあえて再び南小松島から歩く。しかし、昨夜の時点で準備が出来ていないので、早朝の出発は無理(;一_一)前回は南小松島7時5分スタートが、9時42分スタートになってしまった(@_@;)しかも、今日は日中は真夏日になりそうな勢い(@_@;)目標は小さく前回並みの停留所まで(*^_^*)しかし、スタートは軽快です。道が判っているだけに真っすぐ18番札所を目指します。途中で歩いている人に追い付きます。年配の女性ですが、てくてく歩きのようです。お先にと声を掛け、進みます。18番恩山寺に程なく着きます。心なしか2年前より楽みたい?境内にも活気があって?10人ほどのお遍路さんがいます。お参りを済ませると年配のおじさんが若い歩きのお遍路さんに話しかけています。「あんた速いな、駐車場で見かけたけど追いつけなんだ」(歩き遍路相手に、そら無理でしょう(*^_^*)「どっから来た」(それを聞くのは禁句ですよ)「東京からです」「歩いて来たんか?」「ええ」「東京から?」「ええ」「船は使ったやろ」「しまなみ街道歩いて来ました」「へえ~学生か?」「仕事していたんですがやめて・・・ 歩いたら交通費タダですからね」「そらおかげいただけるやろ」「今日一日過ごせたらいいというのが願いです」野宿しているようですし、うれしそうに語るところなんか、どうもねえ~(*^_^*)なんか言おうかな、と思ったんですが・・・彼の杖は、まだ半周しかしていないのに、20センチほども短くなり、先がささくれてトグロを巻いています。杖はお大師さんの化身です。こんなに短くなっているようでは・・・何も言わずにすぐにその場を立ち去りました。18番から車道を下るところを、何故か、間違えて、登って来た山道を下ってしまいます。19番への近道への分岐より遥かに下に降りてしまいました。戻ったほうが早いのですが、何故か面倒になり、朝来た道を下ります。ビワをもいでいる人がいたので、挨拶すると。「ビワ持っていきませんか?」このために、わざわざ道を間違えたのかもしれません。お接待をいただいたら納め札を返すのが作法ですが・・・これがやっかい(*^_^*)「実は徳島の人間ですが」と断って渡します(*^_^*)お接待下さる方は、遠くから来て大変だろうと思っているのに、納め札には住所が書いてあるので、住所が判ります。こちらは遠くない(*^_^*)今日帰りますしね(*^_^*)車道を回ったんですが、やはり遠いです。19番立江寺の中間地点の商店で飲み物と飴を購入します。断って店の前で少し休ませてもらいます。すると、店の方が「お接待です」と「ちくわ」をいただきました。再び「徳島の人間ですが」と断りながら納め札を渡します。程なく、19番立江寺に到着。お参りしようと思ったら・・・大師堂でお葬式(@_@;)大師堂の前に焼香台が用意されています。皆さん焼香されている中に混じって、お参りするのも勇気がいりますね(*^_^*)本堂でお参りが終わったころ、お葬式が終わって導師が出てきました。導師が髪の長い坊主(;一_一)納経所へ入っていきます。私も納経所に入って納経をお願いしていると・・・坊主が葬式の時に着るキンキラの袈裟「衲衣(のうえ)」を着たまま煙草を吸っています。言おうか言わまいか考えてしまいました。(;一_一)喧嘩しに来たわけではないので、とりあえず我慢。立江寺を出発して、勝浦町を目指します。前回休憩した櫛渕八幡神社でお参りして再び休憩します。見えない現実ー番外霊場櫛渕八幡神社の巻時間を見ると、12時40分です。おお~南小松島で2時間37分あった差を、たった3時間余りで40分にまで詰めています!(*^^)v二年前の私を追い詰めていく私?(*^_^*)人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2011年06月22日
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うどんを食べた後、JR宇多津駅に戻ります。再び列車で八十場駅で降り、七十九番札所高照院へ向かいます。ところで、列車はディーゼルでなく電車でした。徳島には電車が無いので、珍しいです(*^_^*)相変わらず、雨はバシャバシャ降っています。道をすれ違う人もなく、程なくして正面に白峰神社を見ながら高照院の境内に入ります。人気が全くありません。四国札所では珍しいことです。お参りしてから白峰神社にお参りし、納経所に向かいます。その間約三十分、誰にも会いませんでした(@_@;)こんなことは納経時間前の早朝や納経時間後の夕方遅くを除くと初めてです。また来た道を戻り、再び八十場駅から国分駅まで列車に乗り、八十番札所国分寺へ向います。相変わらずの雨の中、国分寺の本堂へ向います。ここは四国四県の国分寺の中で最も大きいお寺です。しかし、本尊千手観音が日光の手前?失礼ながら、国分寺の本尊様は薬師如来です。多分、本物の本尊様は失われて、塔頭の本尊様が残ったのでしょう。ところで、国分寺と言えば以前にこんな話があります。十五年ほど前の話ですが、五十二番太山寺を下っていたところ、ある年配の女性から声を掛けられました。「立派な声ですね。もう入られるお寺は 決まっているんですか?」「いえ、私は素人ですが・・・」「そうなんですか、私のお寺は○○の国分寺なんですが 娘が三人いるんですが、後継ぎがいないんですよ」「国分寺なら大きいお寺ですから、来たい人は 多いのではないですか?」「いえ、うちは小さいお寺なので・・・、良かったら 来ていただけませんか?」なんという答えをしたのか憶えていません(*^_^*)応じも断りもしない、曖昧な答え方をしたような気がします。八十番札所の門前に「お遍路の駅」という幟があります。前から気になっていました。列車の時間もあるので、「無料休憩所」かと思い覗こうとすると前に人がいます。「昼食は終わったのでコーヒーならできます」そういいながら、扉を開けて中へどうぞと言われます。覗くと、お遍路さんでなく年配の方ばかり・・・入ると・・・休憩所というより・・・ただのお店ですね(*^_^*)「お遍路の駅」という幟を上げて、お遍路さんを招きいれようという作戦です。コーヒーを一杯いただいて駅へ向います。国分駅から高松駅へ向います。時間は三時少し前、JR高松駅で下車して、琴電「高松築港駅」へ向います。向う途中でビックリするような光景を見ます。高松駅前で「徳島ラーメン」が出店(@_@;)なかなか大胆ですね。うどん王国讃岐の中心部に特殊工作部隊がヘリで降下したような感じですね(*^_^*)琴電「高松築港駅」にもビックリ、切符を買って、自動改札を抜けようとすると、切符の差し込み口がありません。他の人は、定期をかざしながら通過しています。うろうろしていると駅員さんが「こちらからどうぞ」と言いながら切符にハサミを入れました(@_@;)カードをかざすだけで通過できる駅で「切符にハサミ」?「切符にハサミ」なんて三十年ぶりぐらいではないですかね?若い人はご存じないかも知れませんが、昔、列車に乗る時には切符にハサミを入れて、一部を切って改札を通った証明にしたんですよ。それが未だにあるとは!(@_@;)電車で一宮駅まで向います。これ、残念でしたね。少し前に、八十三番札所の田村神社まで来たんですよ。その時、納経してもらえば・・・って何回も廻ってますから関係ないですが(*^_^*)お参りして再び一宮駅に戻ります。琴電でビックリしたことがもうひとつ。始発駅のはずなのに、電車が入って来た、と思ったら、人が乗ったらすぐに折り返して出発します。確か、高松築港駅でもそうでした。讃岐の人はせっかちなんですかね?(*^_^*)高松駅から徳島へ向けて特急で戻ります。五時過ぎの列車なんですが、結構満員でビックリ(@_@;)雨は帰るまで降っていて、雨にたたられた一日でした(*^_^*)人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2011年06月21日
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6月16日には、香川方面へ向かいました。あいにくの雨模様ですが、一路特急剣山で西へ向います。阿波池田で特急南風に乗り換えます。8両編成の大型特急は違いますね。(*^_^*)善通寺で降りて、各駅停車に乗り換え、金蔵寺へ。金蔵寺駅で降りて雨の中、76番金倉寺へ向かいます。駅からすぐかと思いましたが・・・結構ありますね。やや広い境内には、3人の歩き遍路さんがいます。他のお参りはなさそう。善通寺から歩いて来たんでしょう。この金倉寺は弘法大師の甥の智証大師の生誕地ともいわれます。大師堂には正面に智証大師、向って右に弘法大師左に役の行者という配列。智証大師と言えば、弘法大師を激しく批判した天台僧であり、後の天台宗を二分する山門派、寺門派のうち寺門派の巨頭です。同じ讃岐の同じ一族から、ほぼ同じ時代に、真言天台の礎を築いた僧侶を輩出しているのは面白いですね。ちなみに、このお寺は役の行者をお祀りしていることからも修験道と縁が深いということが判りますね。お参りを終わって、金蔵寺駅へ向かおうと思いましたが距離は約4キロ。戻ってもすぐには列車は来ません。「ちょっと待て、歩いてみるか?」という気になりました。雨がバシャバシャ降る中を、77番の道隆寺へ向かいます。もし、雨が降っていなかったら、歩いてみようとは思わなかったに違いありません。しかし・・・いきなり道を間違えましたよ(;一_一)大体方向はわかりますが・・・結構遠いです(;一_一)前を傘を差しながら歩いているお爺さんがいますが・・・速い(@_@;)少しずつ、差が開いていきます(;一_一)程なくして、77番の道隆寺へ向かいます。お参りを終わると、また声を掛けられました。「お坊さんですか?」「ええ、まあ、一応」「一応ってのはお坊さんでは無いんですか?」「とりあえず坊主です」どうも受け答えが難しいですね(*^_^*)「お坊さんですか?」「真言僧です。何か用ですか?」とか言うのもねえ~?77番を終えて多度津駅へ向います。次の札所までは6キロ超もあるので、公共交通機関を利用します。多度津から宇多津までは列車です。このあたり「津」って付くのは昔は船着き場だったんでしょうね。宇多津駅から郷照寺まで向います。途中で歩きのお遍路さんに会ったんですが、挨拶しても無視されました。(;一_一)こういうのってどうよ。宇多津の郷照寺は時宗のお寺です。時宗と言えば浄土系なんですが、何故か護摩祈祷を行っています。その理由を尋ねたら、「うちは時宗と真言宗のあいのこなんで・・・」もともと浄土系の教えも真言宗には含まれているんですが???再びお遍路さんに話しかけられます。「どちらのお寺さんですか?」「どちらというか・・・」「お寺さんでは無いんですか?」「一応徳島ですが・・・」どうも受け答えが難しいですね(*^_^*)「どちらのお寺さんですか?」「三人文殊寺です。何か用ですか?」とか言うのもねえ~?別に隠れて巡拝しているわけではないんですが、「坊主ですか?」と言われると気になりますね(*^_^*)門前の餅屋。以前は古い店だったんですが新しくなってます。一遍食べてみたいのですが・・・雨降りなので入りずらくて通過します。ちょうどお昼なので、道路沿いのセルフうどんに入ります。先日9番札所の門前ではやられましたが、今度は本物の讃岐うどんです。大丈夫でしょう。讃岐うどんセルフは、べらぼうに安い値段で他府県ではいわゆる「手打ちうどん」並みの味を実現しています。しかし・・・すでに値段が安くない。徳島と変わりません(;一_一)天ぷらもうどんも徳島の方が上(;一_一)ところが・・・私が食べているうちに、店の外まで行列が出来ています(@_@;)讃岐うどん破れたり!徳島の方が上ですよ。(*^^)v人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2011年06月18日
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池がかなり汚れてきたので、掃除をしていただきました。緑の水が透明になりました。池の水草もすっきりしました。鯉も元気よく泳いでいます。今日、四国遍路に行ってきました。讃岐の国分寺の池の鯉より、当院の鯉の方が大きいですね!丸々しています(*^^)v讃岐国分寺の猫遍路日記はまた後日です。人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2011年06月16日
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さて、お参りを終えて10番札所へ向かいます。向こうから、お遍路さんがやってきます。結構服装もそれなり。推測するに、88番からのお礼まいりでしょう。「これからですか?」「ええ、まあ」「頑張ってください」「ありがとうございます」その人の杖は20センチ位短くなってますかね。1回目ならば、比較的長い方でしょうか?短い杖を見ると、その人の苦労が判りますね。この付近は公共交通機関が無い場所です。そのためか、所々、家が売りに出てきます。一方で、新しく建て直した家も目につきますが、農村地帯にも拘らず「農家」をするようには見えません。さらに、新興と思われる住宅群もいくつか見られます。「旧農家」→「当主死去」→「農家廃業」→「農地売り出し」→「新興住宅」こういうサイクルが進んでいるように見えます。将来の農業はどうなるんでしょう?都市部の方には、絶対に輸入食料を買わないで、国産だけを選んで買ってほしいものです。さて、10番札所をお参りして阿波川島駅へ向かいます。日本最大の中州である善入寺島です。広さ500ヘクタールにかつては3000人が住んでいたという広大な中州ですが、洪水の危険のために大正時代に住民は移住して、現在は畑だけがあります。この中州に渡るには洪水時には水の下になる潜水橋しかありません。道幅が狭いので、車が来ると、脇によけるのですがちょっと怖いですね。かつて、大雨の後にこの道を通ったことがあります。阿波方面から善入寺島にわたるのには支障がありませんでした。ところが、川島側に渡るのに、なんと潜水橋が増水して水没(@_@;)こんな時には人もいません。まさか、元来た道を戻るのか?途方に暮れた時、一台の車がやってきました。「お遍路さんどうした?」「潜水橋が渡れないんですが・・・」「それは大変やな、載せてってやるわ」お大師さんに助けられました(*^^)v今回は問題が無く阿波川島駅に着きました。ただ、10番札所の最寄りの駅がこの阿波川島駅ってどうよ。少し手前の、192号線にもバスが走っていますが、6キロほど歩くのは大変ですね(*^_^*)しかし、もっとひどいところがあります。66番札所の雲辺寺は最寄りの交通機関まで15キロ以上(@_@;)かなり元気な人でないと、公共交通機関を使ってお参りするのはきびしいです(;一_一)四国にも、もっと公共交通機関網が欲しいところです。人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2011年06月12日
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前日に引き続き、四国遍路に向いました。まずは、徳島バスの羅漢バス停で降りて、5番の地蔵寺からお参りします。今日も札所は静かです。そこで事件発生?お賽銭が少ない(;一_一)昨日、忘れたお鈴と納経帳は持ってきましたが・・・お賽銭を追加するのを忘れていた(;一_一)格なる上は・・・お賽銭をケチる!一枚づつに節約すれば、10番まで行ける!(*^^)vその代わり、般若心経だけでなく、理趣経を上げて、ケチった分は、お布施にしてくださいぞ(*^^)v逆打ちで4番札所へ向かいます。日差しも強くありませんので、ゆるゆると歩きます。4番札所はきれいになりましたね。そこへ行く道も、以前は狭くて車が来ると怖かったものですが、今は二車線になってます。ただ、日差しの強い真夏は厳しいですね。以前なら木陰で多少日差しが防げたんですが、今は日差しと照り返しとの二重苦ですね(*^_^*)再び羅漢に戻って、徳島バスに乗ります。どうでも良いですが、路線バスの徳島バスの乗り心地悪いですね。気分が悪くなるぐらい乗り心地が悪いです。観光バスとは雲泥の差。徳島バスの子会社の旅行会社の社員の方にお話したところ・・・「観光バスと路線バスでは原価が違いますからね~ 路線バスは出来るだけ安く作っているんですよ」そういわけかどうかわかりませんが、乗客は私だけ(*^_^*)お遍路さん、乗ってくださいよ。羅漢から西へ向かいます。この道はかつては鍛冶屋原線という鉄道が走っていました。その面影か道路がところどころ広がっている場所があります。そこに昔駅舎がありました。犬伏ー羅漢ー神宅ー鍛冶屋原羅漢前は不釣り合いなほど広いと思いますが、昔駅跡だったんですね。さて、運転手さんがたった一人の乗客であるである私に話しかけていました。「どこで降りますか?」危うく、札所から離れた終点まで行くところでした(*^_^*)バス停から6番札所までは一キロくらいです。淡々とお経を上げてお参りします。終わると、7番へ向います。これは6番から7番へ向かう途中にある遍路石です。お地蔵さんと同じように祀られているのが面白いですね。7番では初遍路らしい人に会いました。3人でお参りはじめたようですが・・・お経が全く揃っていない(*^_^*)次の8番札所でも初遍路らしい人に会いましたが、やはり同様。お経を途中から読み直しています。妙な良い方ですが、素人っぽい(*^_^*)私などのように何回もお参りしていると、道を間違えることも少ないし、札所での作法も迷わないし、感動が少ないですね(*^_^*)淡々とお参りしていますね。それに比べるとはじめての人ってのは、もの凄く感動するんでしょうね(*^_^*)それがもう味わえないのは残念です(*^_^*)7番札所の門前に「たらいうどん」があります。時間も11時を過ぎています。食事の時間ですが・・・「門前のうどん屋」ってどうよ。パスします。4キロ先の8番札所を少し下ったところに、私の行きつけの食堂(といっても3回ぐらいしか行ってない)があるんですよ。しかし、天は我に味方しなかった。「行きつけ」というのは15年ぐらい前の話です。もう、店を廃業されてました(;一_一)この辺には食堂も店もない。「めし~めし~めし~」1時過ぎているのに何も食べれないとは・・・こういう時に限って食料も持ってません(;一_一)彷徨うように、9番札所を目指します。おお~9番札所の門前のうどん屋?土産物屋?が開いています(@_@;)札所行く前にとりあえず「めし~」店番はビジュアル系のお姉さん?「うどん出来ます?」「ええ」おお~やっと食事にありつけます(*^^)vしかし、うどんは・・・実は四国のうどんは恐ろしいのだ。騙されてはいけない。ずいぶん前の話ですが、金毘羅さんに行きました。あるうどん屋さんの前で妙齢のお姉さんが呼び込みしています。「おいしいですよ」という声につられて入りましたが・・・日光の手前(;一_一)しかし、続きがあります。再び金毘羅さんに行きました。あるうどん屋さんの前で妙齢のお姉さんが呼び込みしています。「おいしいですよ」という声につられて入りましたが・・・入ってから思い出しましたよ(;一_一)恐ろしいうどんの話はたくさんあります。とりあえず食事にはありつけました。人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2011年06月11日
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二年ぶりに、一人歩き?の四国遍路に出ました。「なぜ四国遍路にでるか?」実はよくわかりません。さて、先日、所属する仏教会で、昨年に引き続き四国遍路の企画が出されました。その時の話です。昨年の1番から~7番までの集団の歩き遍路では気象条件もあってみんなバテバテ灼熱の四国遍路!灼熱の四国遍路!2 灼熱の四国遍路!3灼熱の四国遍路!4その経験を踏まえて、ある方が言われました。「11番~12番の遍路転がしに行くには、みんな、もう少し鍛えないと無理って、N僧正が言ってましたよ」N僧正は四国遍路経験者にして、登山のスペシャリスト。確かに、あの状態を見たら、もう少し鍛えないとというのは事実かもしれません。以前も申し上げましたが、歩きの四国遍路のサイトに「四国遍路はまず体つくりから」と書いてあるくらいです。「元気な人でないと歩いてお参り出来ない」ともいいます。本当にそうだろうか?四国遍路の目的はなんでしょう?歩くことが目的ならば確かにもう少し鍛えてからお参りするというのが本当かもしれません。ただ、四国遍路はお参りが目的です。「歩くのが目的では無い」これだけは声を大にして言いたいところです。一昨年は1番~3番、11番、12番、18番~70番が終わっています。残りは4番~10番、71番~88番しかし、一昨年と同じように、なかなかずるずると出発できません。(*^_^*)四国遍路の準備段階と出発前夜まで重い腰を上げて13番へ向かったのは6月8日の朝です。奇しくも、一昨年と同じように雨模様(*^_^*)体力不足でリタイヤした恐怖がよみがえります。見えない現実ー番外霊場櫛渕八幡神社の巻立ちはだかる壁ー20番札所鶴林寺の巻本来ならば、70番~の遠隔地からお参り始めて、近隣はすき間の日にでもお参りすべきですが、一番安易な13番~17番を選んでしまいました(*^_^*)13番札所に9時ごろ到着します。おお~納経帳とお鈴を忘れました(;一_一)取りに帰るのもねえ?境内は閑散としています。お参りを終えて、隣の一宮神社へ参ります。この一宮神社が江戸時代の本札所です。この橋登れます???(*^_^*)この橋の脇に「このはしわたるべからず」と書いておいたら一休さんはどうしますかね?(*^_^*)雨がパラパラする中を14番札所へ向います。途中で歩きのお遍路さんに追いつきます。足を痛めているようで、ゆっくり歩いています。お先と声を掛けて14番へ札所では先にお参りしている人がいます。みると、納め札入れと思われる入れ物に錦の札をたくさん指してます。「わざわざ見えるようにしているってどうよ(*^_^*)」ちょっと説明しますと、納め札はお参りしている回数によって、色を変えている人がいます。目安としては一回~四回 白五回~八回 緑九回~一四回 赤一五回~二四回 銀二五回~四九回 金五〇回~ 錦 (三人文殊基準)お大師さんには何色でも関係ないのですが、「錦」とか「金」とか何回も回った人の納め札は功徳があると思われて、札所の納め札入れを探し回る人もいます。そういうことで、私は通常は白を使っていますが、お接待をいただいた時にお礼に返す分として「赤札」を持ってます。先ほど追い越したお遍路さんに会いました。荷物を持ったまま足を引きずって本堂へ向かおうとしていたので、「荷物置いて少し休んではどうですか?」「ありがとうございます。一番から来たんですか?」「いえ、スポットで・・・」「お坊さんですか?」「ええ、まあ」どうも、声を掛けられると返答に困りますね(*^_^*)14番から15番へ向かう途中の八祖大師派手ですね(*^_^*)15番では、お参りしていると、バイクに乗ったお遍路さん?が来ました。見ていると、本堂に納め札を入れて、大師堂に納め札を入れて・・・お参りしないで・・・そのまま納経所へ向かいます(@_@;)その後、車に乗った二人連れが来ましたが・・・同じくお参りしないで納経所へ(@_@;)こういうのもねえ~(*^_^*)ところで、こんな立て札があります。「境内での托鉢を禁止します」免許証持ってたらどうよ(*^^)v(私の托鉢免許証です)15番から16番へ向かう道は変わってしまいました。昔は両側に田畑が広がる農村地帯のまっすぐの一本道を進んだ記憶があったんですが・・・こんな道が出来ています(@_@;)こんな道いらんやろ~16番では先達らしい人に声を掛けられました。「歩きのお遍路さん?」「ええ、まあ、一応」「どっから来たの?」「徳島市内ですけど・・・」「・・・」話が止まってしまいましたね(*^_^*)17番札所についたのはお昼前。想定よりより早い(*^_^*)17番札所をお参りして戻る途中に、遍路石を見つけました。「18番まで17,7キロ」意外に18番まで近いんですね(*^_^*)次回は翌日の4番~10番までです。人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2011年06月10日
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垂直離着陸輸送機オスプレイ、来年後半に配備~~~~~以下引用~~~~~北沢俊美防衛相は近く沖縄県を訪問して仲井真弘多知事に米海兵隊の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの配備計画を説明する方針を明らかにした。米国防総省が6日、2012年後半の米軍普天間飛行場への同機配備を表明したことを受けたもの。沖縄側は同機について開発段階で事故が相次いだため配備に反対しており、普天間問題に新たな火種が浮上した形だ。同機は老朽化した輸送ヘリコプターCH46の後継で、ヘリのように垂直に離着陸できる一方、固定翼機として高速での長距離飛行が可能。~~~~~以上引用~~~~~昔から垂直離着陸機はSFには付き物のアイテム!サンダーバード2号とか科学特捜隊のビートルとか(古い?)・・・しかし、空想の世界ではともかく現実には結構大変(*^_^*)サンダーバード2号とかビートルみたいに、離着陸と推進用のエンジンを別に積むのはあり得ない話。何故なら、離着陸時は推進用のエンジンが、推進時には離着陸用のエンジンがお荷物になります。(*^_^*)したがって、離着陸時と推進時にエンジンの噴射方向を変えてやる。ということで出来たのがハリアー。しかし、問題がありました。その一、フル装備すると垂直離着陸できない。戦闘機なのに、武装を減らして離陸するのはいかがなものか?ということで、通常は普通の飛行機のように滑走して離陸。その二、不整地には離着陸しにくい。下向きに噴射すると、いろいろなものを巻き上げて、さらには故障の原因になる。垂直離発着するために、さまざまな犠牲を払っているのに、その機能が不完全ではねえ?ということで計画されたのがジェット型では無いプロペラ型。オスプレイです。ヘリみたいに、回転翼を上へ向けながら上昇して、上空では前へ向けて飛行機みたいに飛ぶ。 飛行機並みの速さで、ヘリみたいにちょっとした空地でも離発着できるってのが売り。配備するのは結構ですが、オスプレイってそもそも戦闘機としてのビジュアルが最悪!(;一_一) こんな不細工なデザインを誰がした?さらに、アメリカは開発に何年かかったか? どれだけ失敗したか? それに結構現在でも危なそう。 その理由は、簡単にいえば、二つのプロペラの間に重心が無いということでしょう。上昇する時は、二つのプロペラの間に重心があったほうが安定する。しかし、プロペラを前に向けて推進する時には、重心がそこにあると不安定。というジレンマがあるようです。同じビートルでも、ハリアーの方が、遥かにカッコよくて、遥かに強いでしょう。 ハリアーは「珍機」とゲテ物のように言われましたが、フォークランド紛争で、戦闘機と格闘できる能力を見せつけました。 しかし、オスプレイは戦闘機と格闘など出来るか??? 大日本帝国海軍が誇るゼロ戦に負けるぞ。 弱い・危ない・不細工の三拍子そろったオスプレイなど地球上に必要ありません(;一_一) ヘリで十分です。人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2011年06月08日
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久しぶりの政治ネタです。「首相は長く居座らぬ」=9月までの退陣示唆-枝野官房長官~~~~~以下引用~~~~~9月前半に米国で予定されている日米首脳会談に関し「首相は(2日の)記者会見でも自分が出るようなことは言っていない」と述べ、新首相が対応するとの認識を示唆した。東日本大震災の復興で「一定のめど」が付いた段階で若い世代に責任を引き継ぐとした首相の民主党代議士会での発言に触れ「その(部分の)前に『首相という重い責任を任せられている』と言っている」と述べ、退陣を意味するとの認識を表明。さらに、「だれがどう聞いても(退陣は)そう遠くない時期だ」と指摘した。2011/06/04-13:20 時事ドットコム~~~~~以上引用~~~~~そう遠くない時期に、退陣する首相に、「原発対応と震災復興をやらせるメリットは?」少なくとも多くの国民が当然思うであろうこの質問に民主党は答える義務がある。「そう遠くない時期に退陣するならすぐに退陣するべき」というのが一般の国民の共通意見のように思えます。一昨日、正午のニュースを見ようとしたら、いきなり民主党の代議士会の映像が流された。「なんで一政党の集会をわざわざニュースを止めてまで 流す必要がある???」そう思いながら見ていましたが、管首相の発言を聞きながらどうしても納得できない部分がありました。「政権を絶対に自民党に渡さない」ちょっと待ってほしい。今は非常時ではないか?この復興が円滑に行えるなら、一旦政権を自民党に渡しても良いのではないか?「この非常時に権力闘争を行っている」「震災復興に力をそそぐべきではないか」という批判が自民党に対してある。私はそうは思わない。私は自民党の支持者では無い。むしろ自民党を批判してきた立場なので、自民党が政権を取ったら批判に回るだろう。しかし、この震災の終息までは自民党に任せてみても良いかもしれないと思う。震災が起こった直後に、私は某新聞に挙国一致内閣で国難に臨めという投書をしました。他の政党も、これまで問題があって「死に体」だった管内閣ではありますが、未曾有の国難には一致して管内閣を支え乗り切ろうと思わなかった国会議員・国民は誰ひとりいなかったはずです。その期待をことごとく裏切って来たのは誰か?何も手を打て無いまま復興を遅らせている管首相にこのまま任せて大丈夫かという思いの方が遥かに強い。もっと奇怪なのは「震災復興の目途が立ったら退陣する」という管首相の言葉を、鳩山氏や原口氏が擁護したことです。震災復興に成功することは、首相続投につながるのは当然ですが震災復興の目途が立つことは、その後の処理についてもある程度責任を持って行うのが当然で、すなわち首相続投となるというのが一般的な意見に思えませんか?すなわち、復興の目途が立たなければずるずると続投するということで「震災復興の目途が立ったらやめる」というのは「首相はやめる気が無い」という風に思うのが普通では無いですか?不信任決議が否決された後で、管首相のやめる時期について民主党・政府の関係者が次々とコメントするのも奇怪(@_@;)管首相が辞めるってことは、事実上の不信任では無いですか?信任されているなら任期が明確に決まっているわけでないのでやめる必要などまったくないはずです。こういう非常時に、茶番はやめてほしい。人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2011年06月04日
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昨日は春季講習会に行ってきました。タイトルは「教誨師としての私」ということで、教誨師をされている某僧正のお話をお伺いいたしました。「モバイルツールによる講演内容の外部への情報発信は ご遠慮ください」と書いてあったが、PCはどうなんだろう?私は勉強会が好きです。それも実習系ではなく、教学系。現在でも某青年教師会という青年僧侶の団体に所属しています(私自身は青年という歳ではない)まだ、発展途上の青年僧侶ということで、勉強会を毎年企画しております。しかし、毎回、教学系の勉強会を提案してはボツという歴史があります(*^_^*)どうも、実習系の方が人の集まりもよく、役にも立つ?ということで、比較的実習系になってしまうのは残念。しかし、僧侶に必要なのはなんだろう?ノウハウだろうか?私は違うと思う。ノウハウなどは後から付いてくるのだ。まずは心ではないか?そういう意味から、教学系の勉強をしていると本来の仏教の真髄に触れるために「僧侶たるものこういう気持ちで普段から生きるべき」という気になります。(*^_^*)ぶっちゃけていうと、先生には失礼ながら内容はどうでも良いかも(*^_^*)先日の瀬戸内さんの講演会など、率直に言って全く期待していませんでした。しかし、その中に何か違った気付きがあります。今回の教誨師の講師先生の話も似たようなものですね。「信仰があろうとなかろうと、犯罪とは関係ない」というのが私の持論です。「法的な罪と、信仰的な破戒」も関係ないと思います。いつも本山の講習会は何かの行事とぶつかっています。坊主の予定は「休みである友引」に掛けて作られています。しかも、土曜日曜祝日祭日は外しますから、限定されてきます。ということで、あまり行けないので、「今回は行っとこか」という感じだったんですが、以外に面白かったです。面白いといっても笑うような面白さではありませんが、苦悩する教誨師の講師先生の姿が興味深かったです。人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2011年06月01日
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