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連日、猛暑が続いていると報道されています。温暖化で大変だとまたマスコミが騒ぐのでしょう。地域のニュースを見ていたら、小学生に環境を考えてもらおうと「温暖化=二酸化炭素説」を説明しているイベントが紹介されていました。未だに「温暖化=二酸化炭素説」など説明する人がいることにビックリ(@_@;)だって、地球の温室効果にもっとも影響を与えているのは二酸化炭素ではなく「水蒸気」実際、曇りの日と晴れの日を比べてみれば解ること。それは、さておき、温暖化は人類にとって困ることなんですかね?そもそも、人間が裸で生活していたら、25度でも寒いくらい。30度くらいでまあまあではないですかね?つまり、熱帯夜では寒すぎるということです。まして冬など・・・ですから、温暖化自体はそれほど問題ではないのです。何が問題か?都市化によって、人工物が増えることにより一部の気温だけが異常に上昇したり、下がらなかったりしているのが問題。それによって、自然では起こり得ないような気象状況を作り出しているのです。巷では温暖化対策?として緑のカーテンなどを進めていますが元凶となる人工物を制限しなければ、まさに「焼け石に水」そのものでしょう。もうひとつ、都市化が進んで、地域社会が崩壊したことにより昔なら窓など開けたままで寝られたものが、戸締りをしなければならなくなった。「温暖化」などという問題のすり替えには気をつけたいものです。
2012年07月28日
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書道を習いに行っている話をしましたが、先日、書道用具のカバンを開けると硯がない(;一_一)「すいません。「硯」忘れたんで取ってきます」と隣の人に小さい声で伝えたところ・・・「えっ、何をわすれたんですか?」と先生に聞かれてしまった(;一_一)「すいません。「硯」忘れたんですけど」「えっ?」「近くなんで取ってきます」普通、書道習いに行って「硯」忘れますかね?(*^_^*)ところで、私の書道用の「硯」は100円ショップで買ったもの。講座の最初で先生が「う~ん、この硯では・・・」と言われたのも当たり前かも(*^_^*)最近、「かな」を習っているんですが、「かな」は墨汁ではなく、墨を擦るんですね。そこで、家にあるもう一つの硯をきれいにして墨を擦ってみました。ん、100円ショップの硯とは明らかに擦った墨が違う(@_@;)これは、本格的な硯を用意する必要があるのでは?さて、自転車で15分ぐらいのところにある書道具専門店に行ってみました。「すいません。かなの硯と墨ください」「色々ありますけど」二種類ぐらい出していただき、表面を触ってくださいと言われる。「違いわかります?」「解りません(*^_^*)」表面が細かい方が上等だそうです。「どれくらいのものが必要ですか?」「何しろ素人ですから・・・」おもむろに、触った硯をひっくり返すと「3500円」の値札。「一番重要なのが予算です。予算がこれくらいと決まっていたら その値段の範囲で、もしよろしければ、高いのも お見せできますが・・・」「いや、そんなに予算は・・・」じゃあ、これなどどうです?最初の硯より明らかに小さい。「硯がよくないと高い墨を使ってもいい色でないですよね」「墨は安くても硯がよければ色は出るんですよ」「そのあたりを説明しても、理解してくれない人いるんですよね」能書が長い(*^_^*)本題に入りました。「いくらですか?」「6800円です。高いですか?」最初の硯より高いのを出してきた(*^_^*)「それで結構です」「では、いくつか同じのがありますので、見てください」なかなか買えませんね。(*^_^*)「これなんか、ちょっと模様はイマイチなんですが、 目は細かいです、どうでしょう?」「機能が優れた方がいいです」「ほお~男性は見た目を重視する人が多いんですが・・・」どっちでもいいんですが・・・(*^_^*)「ではこれでいいですか」「はい」「墨は安いのでいいですか?」「はい」おお~墨はは1200円です(*^^)vさて、帰ろうか?「では硯を使えるようにしますね」「???」「表面にある油を落とします」「???」「硯の保護に表面に油が塗ってあるので、 耐水ペーパーで落とします」「・・・」「これ見てください、水をはじくでしょう」実は以前硯をいただいたんですが、墨を擦ろうとすると水をはじいて全然擦れない。こんな不良品をよこして・・・と思っていたんですが・・・表面に油が塗ってあるとは(@_@;)知らないということは怖いことです(;一_一)「これで、油が落ちました。水をはじかないでしょう」「ありがとうございます」やっと帰れる(*^_^*)「試しに墨を擦ってみてください」「え?」試しに墨を擦る私。「力入れなくていいですよ。墨が粗くなります」「はい」「墨を立てないで、寝かせて擦って下さい」「はい」「もう、擦れてますよ、試しに書いてみてください」「え?」あまり濃くないんですが・・・「筆を使った後は、洗わないで、濡れた和紙などで 墨をふき取ってくださいね」わざわざ、実際にやって見せてくれる。「では包みますから」なかなか丁寧な書道具屋さんですね(*^_^*)普通の文房具店では、そのまま買って帰るだけなんですが、細かい説明がありますね(*^_^*)
2012年07月25日
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昨日は「ここのあたし」さんが来られました。たまに、ネットでお知り合いの方と、リアルでお会いすることがありますが、ギャップを感じることも多いですね(*^_^*)多分、ネットでお付き合いしているので、勝手に素敵な方と想像しているんですが・・・(*^_^*)(勝手に美男・美女と思いこんでいる)勝手な思い込みで申し訳ないです(;一_一)そう思っているからか、逆に「会いませんか」と誘われてもいま一つ躊躇することもありますね(*^_^*)ただ、訪問される方は大歓迎です。さて、私などどう思われているんでしょう。ネットの世界では「荒らしの常習犯」という有り難くないあだ名も付いているそうで、アクセス禁止にされていることもしばしば。大体、私が一度も訪問したことない人、付き合いが思い当たらない人からからアクセス禁止されているってどうよ(*^_^*)特に真言坊主からアクセス禁止にされているんですよね(*^_^*)頼むから、「真言宗」の看板掛けて「アクセス禁止」なんてやめてほしい。ちなみに、そういう人間に限って本名・住所・氏名とかネットで解るんですよね(*^_^*)電話したりして?訪問したほうが面白そう?冗談はさておき、どこかで会う可能性があるのにどうするんですかね?「はじめまして○○です」という紹介を受けた後に「はじめてじゃないです。○○の件でアクセス禁止にされた 三人文殊こと○○です」どういう反応するんですかね?(*^_^*)多分、相手は私をまともな真言僧とは思ってないんじゃないかと思っているのと思うんです。だから、真言僧の集まりには来ないだろう。その考えが死を招く(*^_^*)確かに、私はまともな真言僧ではないかもしれない。その考えは正しい。しかし・・・真言僧の集まりには出るんですよね(*^_^*)普段から愛想がない、社交性も無い、人の集まりも嫌い。一言多いし、人の感情を逆なでするようなことを言ってしまう。だから、「顔つなぎ」で会合だけはなるべく行く(*^_^*)どう?どう?どう?想定外でしょう(*^_^*)話が脱線しましたが、たまにネット上で想像しているより素敵な方もいらっしゃるんですよね。今回の「ここのあたしさん」はそのパターンでした(*^^)v前回来ていただいたときは、あいにく当方不在で、「河童の三平」をお土産にいただき。今回もまた素敵なお菓子をいただきました。お互いの都合で、30分ぐらいしかお会いできなかったのは残念でした。また、ゆっくりとおいでください。
2012年07月24日
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よくコメントとをいただいていた大法螺窟師のブログが突然に閉鎖されました。原因は「2ちゃんねるで攻撃を受けた」そうです。該当する2ちゃんねるページを見るとひどいものです。大法螺窟師の書き込みの一部を切り取って批判していますがこれは反則。本来は大法螺窟師がサイトを開設していたのでそこで論争するのが正道でしょう。さらに、真言僧と思われる人間が加担して、徳島の真言宗や大覚寺派の批判を展開しているのはいかがなものか?確かに、大法螺窟師の書き方にはトゲがあると言われ、一見すると「ここまで書くか?」と思われなくもありません。一方では、これほどまでに「僧侶の立場からの主張」をはっきり書いているサイトもありません。何しろ、「かなり自由勝手気ままに自分の思ったことを書いている」と思われている私ですら、現実社会で経験した問題に関してはほとんど書いていないのが現状。(*^_^*)もし、書いている場合でも「かなり、時間がたってから」「事実に脚色して」「本人が読んだとしても一般論に感じる」ぐらいの配慮をせざるをえません(*^_^*)そういう意味では、現実の寺院に関する問題をかなり事実に即した形で「僧侶の立場から主張」する大法螺窟師は善し悪しは別にして貴重な存在。大法螺窟師の主張は私が知っている限りでは二つの特徴があります。1、布施の功徳を説いている。2、師資相承の重要性を説いている。実はこの二つは現代日本の宗教界ではあまり語られない事柄です。1、「布施の功徳」については「布施を出すことが施主の功徳になる」というのが仏教本来の教えで、それも悟りにいたるための方法(六波羅蜜)のトップなんですが・・・なかなか言いにくいですね(*^_^*)露骨に言うと「坊主丸儲け」とか「金に目がくらんだ坊主」とか言われそうで(*^_^*)ちなみに、功徳ではありませんが、こんな話があります。ある方から、「自分が死んでも名前も残らないのは残念だ」という相談を受けたので「ではお寺に多額の寄付してください。 しばらくは名前が残りますよ」実際に当院の本堂の本尊様が祀られている宮殿は江戸時代の篤信者の方が寄付されたもの。また、同じく江戸時代の大般若経も寄付者の名前が残っています。少なくとも、「一般市民」が自分の名前を残す方法としてはかなり有効に思えるんですが・・・冗談と思われたようです。(*^_^*)2、「師資相承の重要性」についてはほとんど無視されていますね(*^_^*)こんなことがありました。四国遍路のサイトでお遍路希望者から質問がありました。「お遍路さん格好はいつそろえたらいいですか?」三人文殊「真言僧です。1番から10番まで歩いて、まだ、その先進む気があるなら、10番札所下に 遍路用品店があるので揃えたらどうですか。そちらのほうがかなり安いですよ」実際、最初だけでやめる人も結構いるらしいので妥当なアドバイスだと思ったのですが・・・某先達「四国遍路公認先達です。安いという理由だけでお遍路さんの格好をしないで歩くのは勧められません。高くても一番札所で遍路用品は揃えるべきです」この発言どうなんだろう?どう思います?そもそも、先達って何なんですかね?「先達」は四国遍路の案内人にすぎません。また「四国遍路」は弘法大師を慕う旅については異論がないところではないでしょう。ではなぜ先達さんは弘法大師の教えを継ぐ立場つまり「真言僧」にならないのだろう?実際に私が知っている限りでは「四国遍路」→「先達」という人は多いでしょうが「四国遍路」→(「先達」)→「真言僧」は少ないように思えますね(*^_^*)ここまで書くと私の「この発言ってどうなんだろう」という疑問はわかっていただけると思うのですが、実際には「でも」という人も少なくないはずです。つまり1、布施の功徳を説く2、師資相承の重要性を説く大法螺窟師の主張はある一定の批判の眼を持ちながらみる限りに置いては現代宗教の抱える課題に対する糸口があったと言えるでしょう。
2012年07月22日
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