「知る」だけでなく、「わかる」も、「わかる」「わかっている」「わからない」「わかっていない」の使い分けが特殊だが、最近気になる使い方をされているのは「思う」である。現在形の「思う」と「思っている」の使い分けについて、おかしいと思うことが増えている。もちろんこの二つの表現の境目は結構微妙だから、どちらがいいとも言いかねるような場合も多い。しかし、最近明らかに「思う」を使うべきところに「思っている」を使う例が散見されるのである。
一般に、自分の意見、考え、印象などを表明する場合に「思う」を使い、認識を表明するのには「思っている」を使う。だから「今後はこのようなことはないようにしたいと思います」だし、「あの人のことは友達だと思っています」というふうに使い分ける。境目になるのは、「これは大きな問題だと思います」と「これは大きな問題だと思っています」のような場合で、これは状況に応じて使い分けるはずである。どう思うか意見を聞かれたときには前者で、自分がどう認識しているかを述べるときには後者という具合に。
もちろん、ある程度の期間ずっと思い続けていることを強調するために、「思っている」を使うことはあるから、すべての「思っている」が気になるというわけではないのだが、以前はここまで「思っている」は使われていなかったと思う。ってこんなところで「思っている」を見かけたりもするのである。「思う」で十分なところにも、「考えている」でいいじゃないかと思えるようなところにも、「思っている」が使われていて、四六時中思い続けているのかと言いたくなる。
もう一つ気になるのが、やり・もらい動詞の「頂く」と「下さる」を混同している文である。正確には、この二つの動詞と助詞の組み合わせが、おかしいと思う場面が増えている。最初に気づいたのは安倍首相が演説で「有権者の皆様が御支援いただいた」とか言うのを聞いたときだったのだが、最近、スポーツ選手のインタビューで、「応援していただいた」とある前に、記者がわざわざ「(ファンが)」と注記を入れているのを発見した。
話している時に、文末に「下さる」を使うつもりで「ファンが」を使ったあとで、「いただく」と言ってしまうのはわからなくはない。しかし、編集の段階で、文章のプロである編集者がこういう間違いを付け加えるのはいただけない。それとも、最近では日本語のやり・もらい動詞の使い方が変わったとでも言うのだろうか。
それはともかく、安倍総理大臣の「有権者が〜いただく」というのは、有権者を動作主として謙譲語を使っているわけだから、有権者を見下している証拠だとか何とか、揚げ足取りが大好きな野党が批判するかと期待していたのだが、野党の揚げ足取りに選ばれたのは、「そもそも」だった。そもそもをめぐる野党の批判も愚かなもので、首相だけでなく、野党側もその意味、用法をちゃんと理解できていないことが明らかだったから、補助動詞としての「いただく」も首相同様まともに使えないのかもしれない。
念のために書いておくと、「有権者の皆様が御支援いただいた」は、「有権者の皆様に御支援いただいた」か「有権者の皆様が御支援くださった」となるべきものである。日本語の中でも重要な一部をなす、やり・もらい動詞の敬語形を、首相も新聞記者もちゃんと使えないというのは、嘆くべきことであろう。首相をはじめとする政治家たちも、敬語ではない「くれる」と「もらう」に関しては間違えないことを祈っておこう。そうか、政治家たちは自分たちは偉いと思い込んでいて、他人に対して敬語を使わない生活をしているから、まともに使えないのかもしれない。問題は、やり・もらい動詞ではなく、敬語だったのか。
有権者に敬意を払えない政治家、そんなの選ぶなよ。
2018年12月6日9時30分。
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