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2020年09月15日

チエツコスロバキア考(九月十二日)



ここ から)

 久しぶりにこのことを思い出して、再び国会図書館のオンライン目録で、検索をかけてみた。書名と目次に使われていない用例は発見できないが、ある程度の傾向は見えてくるはずである。検索するのは、「チエツク」「チエツコ」「チエコ」「チエク」の四つ。拗音も促音も、直音に置き換えて、表記が違っても読みが同じなら、検索結果として表示されるは、ありがたくもあり、面倒でもある。
 ありがたいのは、「エ」と「ツ」の大きさを変えて、すべてのバリエーションを試す必要がないことで、面倒なのは漢字表記でも、同じ読みの部分があればリストに表示されることである。「チエコ」で検索すると確実に「智恵子」なんかも引っかかるし、「チエツク」の場合には、検査するという意味の「チェック」も引っかかる。今回は1920年以前のものを調べたので、数が少なかったのが幸いである。

 調査の結果、最も古い、今日のチェコの地域をさすと思われる用例は、「チエツク」で、1905年のものだった。東京大学法学部の機関誌のようなものである「法学協会雑誌」の10月号(第23巻10号)に「雜報 プラーグのチエツク大學に於ける新設備」という記事が載せられている。国会図書館では雑誌に関しては、古いものでデジタル化されていても、館内閲覧に限定していてネット上では見られないようになっているので、記事の内容は不明。
 この「チエツク大學」が、プラハにあった唯一の大学であるカレル大学を指すのは間違いない。ただ、当時は、ドイツ系とチェコ系の二つに分裂していたため、単にカレル大学という名称が使えなかったのであろう。また、ボヘミア、もしくは当時よく使われていたボヘミヤという表記にしなかったのは、地域的な区別ではなく、民族的な言語的な区別だったため、モラビアなどを含まないボヘミアのしようも避けたと考えるのがいいか。いや、英語での大学の名称(略称かも)をそのまま使ったと考えるほうが自然か。

 とまれ、国会図書館に収蔵されている書物の題名、および目次から確認できる限りでは、今日のチェコ共和国の領域を一語で示した言葉の使用は、直接地域名としては使われていないとはいえ、1905年の「チエツク」にまでさかのぼるのである。ここにスロバキアに相当する言葉が欠けているのは、当時はまだチェコスロバキアという概念が存在しなかったはずなので当然である。

 二つ目の用例は、第一次世界大戦勃発後の1915年のものである。外交関係を論じる記事を中心とする雑誌を刊行していた外交時報社から発行された『国際関係地図』第四に「チェック族の國」という章がたてられ、巻末に収められた地図の説明として、使用者の割合から「独逸語地方」と「チェック語地方」に属する地名が、ドイツ語使用者の割合が多い順番に羅列されている。ちなみにオロモウツは、全部で144の町のうち、順番で65番目、チェコ語使用者率が78パーセントほどで、「チェック語地方」に入っている。オーストリア=ハンガリー時代の調査だろうから最低でもこの程度だったと考えてよさそうだ。
 巻末の地図の方を見ると、基となった地図がフランスのもののようで、フランス語っぽい(本当かどうかは知らん)表記が残っている。いや、地図の題名が「チェック族の國」になっている以外は、すべて原図のままという手抜き?ぶりである。興味深いのは、「チェック族の國」と言いながら、チェコだけではなく、スロバキアの大部分の地図も含まれていることである。この事実は、1915年の段階で、フランスなどの西欧に、チェコとスロバキアを結びつけるというマサリクの考えがある程度知られていたということを示すのかもしれない。たしかこの年にスイスを経て、フランス、イギリスなどに向かっているはずである。

 『国際関係地図』は著作権の処理が済んでいて、雑誌でもないからインターネット上で閲覧できる状態で公開されている。興味のある方は こちら から。この本では、地名は原則としてチェコ語で表記されており、こんな早い時期に、日本語の書物でチェコ語のハーチェク、チャールカが使われていたとは、想像もしなかった。

 とまれ、シベリア出兵の口実となったチェコ軍団の存在が日本の書物に登場する以前に、使われた現在のチェコを指す言葉は、二例しか確認できなかったけど「チエツク」「チェック」だった。どちらも実際には「チェック」と読まれていたのだろうけどさ。
 ということで、チェコ軍団についての記述が増える1918年以降については、回を改める。
2020年9月13日14時。








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