百姓達は、そんなこととは夢にも気づかずに、やがて御者台へと乗りこんで、はいはいどうどうと馬を御して家路についた。彼等はそれから余程たってから、ようようヤンが荷馬車のなかに眠っているのに気がついた。
彼等は考えた。
「さて、こいつをどう始末をつけたらいいだろうなあ。うむ、よし、馬車のなかに麦酒樽(ビアだる)がひとつあった。一番こいつをあの麦酒樽のなかへほうりこんで、そして森へ置いてきぼりにしてやろう!」
こう考えると、彼等はそのとおりにした。
ヤンは麦酒樽のなかへほうりこまれても、なかなか目をさまさなかった。彼はずいぶん永いあいだそのなかで眠っていた。しばらくして、彼はようよう目をさますと、自分が麦酒樽のなかにいるのに気がついた。けれども、彼は自分がどうしてこんな麦酒樽のなかへはいったか、また一体自分は今どこにいるのだか、さっぱり当(あて)がつかなかつた。ただ何だか麦酒樽のまわりに、異(い)体(たい)の知れぬものが。行ったり来たり駈けまわっている容子(ようす)なので、彼は麦酒樽のちいさい孔(あな)からそとを覗いて見た。ところがおどろいた。外には実に数えきれぬほどの狼がむらがっているのである、彼等はいずれも人間の臭いを嗅(か)いであつまって来たらしかった。
やがて一匹の狼は、ヤンの覗いている孔へ尻尾(しっぽ)を突きこんだ。ヤンはそれを見ると、始めは生きた心地もしなかったが、しかし根が豪胆な少年であるから、いきなりその尻尾を手へ絡みつけた。狼は不意を喰らっておどろいた。そして尻尾の先へ樽をくっつけたまんま、どんどん逃げはじめたが、しかし逃げれば逃げるほど、樽はすさまじい音を立てながら尻尾へ付いてくるので、怖さはよけいひどくなった。とうとう狼は物狂わしく駈けまわったすえ、樽をとある岩角へぶつけたが、樽は岩へぶつかると同時に、微塵になってしまった。ヤンは狼をはなした。すると狼は一目散に、雲を霞と逃げていった。
さてヤンは、人気もない、寂しい山のなかで、ひとりぼっちになった。彼はどうすることも出来ないので、唯(ただ)分(わけ)もなく山のなかをさ迷った。ところが、彼はふと思いがけなくもひとりの隠者に逢った。
その隠者はヤンにむかって言った。
「おまえはどこの者だか知らないが、とにかく己(おれ)と一しょにここにいなさい。実は、己はもう常命がつきて、三日の内に死ななければならないのだ。己が死んだらば、どうぞ己の亡骸をうずめてくれ。そうしたら、己はおまえに立派に礼をしてやる」
そこで、ヤンはその隠者とともに山にとどまることになったが、それから三日たつと、隠者の死はいよいよ近づいた。隠者は目を瞑ろうとする時、ヤンを膝近く呼びよせて、一本の杖をわたして言った、
「これヤンよ、この杖はな、おまえが行きたいと思うところを指せば、どこへでもゆかれるという不思議な杖だ。これをおまえにやる」と言って、それから隠者は更にひとつの袋をヤンにあたえて言った。
「それからこの袋はな、およそなんでおまえが欲しいと思うものは、おまえはこのなかから取りだせるという奇妙な効能のある袋だ」
隠者はこう言って三番目に、更にひとつの帽子をヤンに渡して、
「またこの帽子はおまえがかぶると同時に、おまえの姿が消えてしまうという摩訶不思議の力ある帽子だ。己はおまえのやさしい心立に感じて、この三つの宝をやる」とこう言って、隠者は安らかに永劫の眠りについた。ヤンはその隠者の亡骸を丁重に葬った。
ヤンは三つの宝物を授かると、まず杖を指して言った。
「杖や、己を王様の住んでいる都へつれてゆけ」
すると彼はたちまちとある華かな都の真只中に自分を見いだした。ところが彼はこの都会で、奇怪千万な噂を耳にした。それは、この国の王様のお妃が、毎夜一ダースの靴を履き切ってしまうが、誰もそのお妃が、どこへどうしていって、そんなにたくさんの靴を履き切って来るのか、知る者もないというふことであった。国中の華族達や、えらい人達はみんな争ってこのお妃の秘密を探ろうとしたが、ヤンもそのなかのひとりに加わった。
彼は王様のお城へ行って、王様に拝謁を願いたいと言った。やがて彼は王様に拝謁を許されて、王様の面前に伺候すると、彼は、自分はお妃の秘密を探りたいと思って、あがった者でございますと言った。
王様は彼に言った。
「ふん、おもしろい奴じゃ。しかしそちの名前はなんと云うのじゃ?」
「わたくしはねぼけ小僧のヤンともうす者でございます」と彼は答えた。
「なんだ、ねぼけ小僧のヤンだ! おまえはねぼけ小僧で、どうして己の妃の秘密を探ることが出来る? おまえはもしもやり損ったら、首を亡くしてしまうことは承知か?」と王様は言った。
「無論承知でございます」ヤンはきっぱりと答えた。
ヤンのあてがわれた部屋は、ちょうどお妃の隣りの部屋であったが、お妃が外へ出るには、どうしてもヤンの寝ている部屋をとおらなければならなかった。ヤンは一晩中まんじりともしなかった。
真夜中になって、お妃はそろりと自分の部屋を抜け出して、さてヤンの部屋をとおろうとすると、ヤンはわざと大鼾(おおいびき)をかいて狸寝入りをしていた。お妃はどうもヤンの容(よう)子(す)をあやしいと思ってか、持っていた蝋燭の火で二三度ヤンの足の裏を焼いて見たが、それでもヤンが鼾をかいて起きようともしないので、彼女は安心をしたらしく、十二足の新しい靴を持って、お城を抜け出した。
ヤンは寝床から跳ね退きて、手疾(てばや)く帽子をかぶり、例の杖をさして言った。
「これ杖よ、王さまのお妃の入らっしゃるところへ己を連れてゆけ」とこう言って、彼はお妃のあとを追った。
さてお妃は、非常な疾さである巌(いわ)のところまで来ると、地は二つに割れて、中から二匹の龍があらわれて彼女をむかえた。そしてその二匹の龍は、彼女を背中へ乗せて、鉛の森へ案内した。
ヤンはこの容子を見ると、杖に向って、
「それ、あのお妃のあとを追え!」と言って、彼もまた鉛の森へ行った。
彼はこの森へ這入(はい)ると、証拠のため、鉛の枝を一本折って、それを持っている袋のなかに入れた。しかし彼が鉛の枝を折る時、ちょうど鈴が鳴るような強い音がした。お妃はこの音を聞くと、ぶるぶると身顛いをして、そしてまた先へ進んで行った。
ヤンはまた杖を指して、
「己をお妃のいるところへ連れて行け」と言った。
すると、こんどは杖はお妃のあとを追って、彼を錫の森へ連れて行った。彼はここでまたまえのように枝を一本折って袋のなかへ入れた。枝はふたたび鈴のような烈(はげ)しい音をたてた。お妃はこの音を聞くと、いよいよ真蒼(まっさお)になって、そしてまたさきへ進んで行った。
ヤンはさらに杖に言いつけて、
「己をお妃のいるところへつれてゆけ」と言うと、彼はたちまち銀の森についた。
彼はここへつくと、型のごとく一本の枝を折って袋のなかへ入れたが、折る時、あいかわらずけたたましい鈴のような音がしたので、お妃はとうとう気をうしなってしまった。龍はこの容子を見ると、おどろいて、路を急いで、とある青々とした草原へ出た。
この草原へ来ると、たくさんの悪魔がむらがってお妃をむかえたが、悪魔等はお妃が気をうしなっているのを見ると、みんなして彼女をよみがえらせて、そして盛んな宴会を開いた。
ねぼけ小僧のヤンも、この草原へ着いた。ちょうどこの日は悪魔達の抱えている料理番が留守であったが、ヤンはその料理番の席へ据わっていた。けれども彼は例の不思議な帽子をかぶっていたので、誰も彼に気付く者はなかった。悪魔は、料理番のために自分達の食物を少しづつ取り退けて置いてやった。ところが、ヤンはそれを残らずたいらげてしまった。これには、流石の悪魔達も目を回しておどろいた。しかし彼等は、それをまさかヤンの為業(しわざ)だとは気付かなかったので、べつだん大して気にもかけなかった。
宴会がおわると、悪魔達はお妃と一しょに踊を踊った。彼等はお妃が十二足の靴をみんな履き切ってしまうまで、夢中になって踊りまはった。やがて靴が一足もなくなると、二匹の龍があらわれて来て、最初に彼女を迎えた巌のところまでおくりとどけた。彼女はここまで来ると、それから先は歩いて城へ向った。
ヤンは彼女の後をついて歩いた。けれども、城の真近まで来ると、彼は、お妃より一足先に城へ帰って、そして床のなかへ潜り込んで、知らん顔をしていた。
お妃はヤンの寝間を通り抜けてゆくとき、ヤンの容子を窺うと、ヤンは高鼾で眠つているので、ほっと安心をして、そのまま自分の部屋へ這入って寝についた。
夜が明けると、華族達や、さまざまのえらい人達は王様の御前にあつまった。この時王様は一同の者に、誰か妃の秘密を探り当てた者はあるかと聞かれたが、誰もわたくしが存じておりますと云って、御前へ進み出る者もいなかつた。一堂唯面目なげにしたをむいているばかりであった。そこで王様はねぼけ小僧のヤンを呼び出して、彼に聞かれた。
ヤンは答えた。
「陛下、わたくしはおおせのようにお妃さまのおあとをつけまして、お妃さまが、十二足の靴を、地獄の草原で履き切っておしまいなさるのをちゃんと見届けました」
お妃は思わずまえへすすみでた。するとヤンは落付いて、袋のなかからなまりの枝を出して言った。
「お妃さまは二匹の龍に乗って地獄へむかわれまする途中、鉛の森へお立寄りになりました。わたくしがその森でこの鉛の枝を折りました時、お妃さまはたいへんおどろかれたようにお見受けつかまつりました」
「ふん、そちはなかなか旨いことを言う。しかしその枝は、そちが自分でそんな物をつくって、そして好い加減の嘘をならべたてるのであろうがな」と王様は言った。
ヤンはそんなことには構わずに、袋のなかから更に錫の枝を取り出して、そして言った。
「さてそれからお妃さまは錫の林へおいでになりました。この枝はすなわちその林で折ったものでございます。お妃さまは、その時たいそう蒼くおなりあそばしました」
こう云って、ヤンはこんどは銀の枝を出して言った。
「お妃さまは、それからのち、銀の森へゆかれましたが、わたくしがその森でこの枝を折りますと、お妃さまはおどろきのあまり、たおれておしまいになり、悪魔達がおよみがえしまをすまでは、なにも御存じない御容子でした」
お妃はなにもかも一切残らずあばかれると、きゅうに大声に、
「地よ、地よ、わたしを呑んでしまっておくれ!」と叫んだ。
すると、地は瞬く間にお妃を呑んでしまった。
ねぼけ小僧のヤンは、その国の半分を貰った。そして王様が亡くなると、外の半分も譲られた。
出典:松本苦味編『たから舟 世界童話集』東京、大倉書店、1920.7.18
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