さて、彼はあんまり長いあいだ為事がなくて、そう毎日ぼんやり靴下の直しばかりもやっていられないので、そこである日、きゅうに思い立って、世界漫遊としゃれこんだ。この時、彼は自分の帯へ、「一撃九匹を斃(たお)す」と、れいれいとおおきく金文字で書いた。
彼は路でひとりの小僧に逢った。その小僧は彼に雀を一羽買ってくれないかと言った。彼は言われるままに、その雀を小僧から買いとって、そして持っている袋のなかへ入れた。それからしばらくゆくと、彼はある百姓家のまえをとおりかかった。見ると、そこのかみさんは、たいそううまそうな乾酪(チーズ)をこしらえていたので、彼はかみさんに、その乾酪と、それから牛乳をすこしわけてくれないかと頼んだ。かみさんは、こころよく、こしらえていた乾酪と、それから牛乳を二三杯わけてくれた。彼は牛乳を即座に飲んで、乾酪を袋へ入れて、そしてまたのこのことさきへ歩いて行った。しばらくして、彼は町へ着いた。
その日は、夏の真中の、たいへんに暑い日であったので、のんきな仕立屋先生は、別に急ぐ旅でもないので、道端の涼しそうなところへごろりと横になって、ぐうぐうと寝込んだ。そこへ、ひとりの雲突くばかりの、おそろしい大男がとおりかかった。大男はひょいと寝ている仕立屋の帯を見ると、金文字で、「一撃九匹を斃す」と書いてあるので、目を円くしておどろいた。
彼は仕立屋を揺りおこして、
「おいおい、君はほんとうに一時に九匹を殺したのかい?」と聞いた。
仕立屋がそうだと答えると、大男は、
「そいつあおもしろい。それじゃこれから、君が強いか、己(おれ)が強いか、ひとつおたがいに腕くらべをやらかして見ようじゃないか。まず己はこの石を天へ投げるが、落ちてくるまでには一時間かかるから、見ていたまえ」と言った。
仕立屋はそれを聞くと、ふふんと笑って、
「それじゃ己は、もう降りて来ないほど高くほうって見せるよ」と言って大男を茶化した。
大男は腹を立てて、石を天へ投げたが、実際下へ落ちてくるまでには一時間の余かかった。しかし仕立屋は石のかわりに雀を投げたので、勿論かえっては来なかった。
大男はぎゃふんとまいった。しかしこんなちっぽけな虫けら見たいな奴に負けては残念だと思ったので、彼はまた、
「それじゃあ、こんどは、別のことをやって見よう。己はこの石を握り砕いて見せる」と言った。
だが仕立屋はにっこりと笑って、
「なんだ、砕くばかりかい。己は握り潰して、汁を出して、見せてやる」と言った。
大男は、なにを小癪なと、石を握って粉微塵に砕いた。しかし仕立屋は乾酪を出して、それをぎゅっと握ったので、まわりから汁がはみ出した。
大男はまた鼻っぱしをへし折られた。彼はどうしても仕立屋のほうが自分より上手だと認めないわけにはゆかなかった。
そこで大男はさっそく仕立屋と仲よくなって、ふたりはそれからぶらぶらと、とある草原までやって来た。その草原には実が一ぱいに熟(な)っている一本の桜の樹があった。ふたりはその実が食べたくなった。仕立屋は攀(よ)じ昇ってその実を取ったが、しかし大男は無造作に、苦もなく桜の樹を曲げて、実を取った。大男は食べたいだけ食べると、きゅうに手をはなしたので、樹に乗っていた仕立屋は、弾みを食って、はるか向うへ跳ね飛ばされて、草原の隅の、枯草の山のうえにおちた。
仕立屋は枯草の上から降りて来ると、苦い顔をして、お尻をさすりながら。
「おい君、冗談じゃないぜ。僕は飛行術を知っていたから助かったが、それでなければ、今頃は三途の川へ行っていた時分だよ」と言った。そして、その内に、折があったら、君に是非飛行術を教えてやろうと約束をした。
ふたりは手を取り合って、それからとある町へ行った。その町へ這入(はい)ると、どうしたのか、町のなかはいやに陰気であった。ふたりは不思議に思ったので、町の人に聞いて見ると、この町の人のいうには、ある一疋の恐ろしい大蛇が、この町の会堂の中に住んでいて、さかんに人を呑んでいるので、この町の人はひとりとして安心をしている者がない、為方(しかた)がなしに、王様はその大蛇を殺した者には一万円の褒美をやるということになつているのであるが、いまだに殺す人がないと答えた。それを聞くと、ふたりは早速王様のところへ出かけて行って、われわれがその大蛇を退治いたしましょうと言った。そして彼等はおおきな鉄鎚と火箸とをあつらえた。それが出来てくると、大男は自分は火箸を持って、そして仕立屋に鉄鎚を担いでいってくれろと言ったが、仕立屋は笑って、
「おい、それっぱかしの物をふたりで持って行ったと言われてはわれわれの名折れだから、君がみんな一しょに持って行きたまえ」と言った。
ふたりが会堂の入口まで来ると、大蛇はいきなりおそろしいいきおいで飛んで出て来て、仕立屋を押し倒して彼を呑もうとした。すると、大男は持っていた鉄鎚で力まかせに大蛇の頭を打って、ただ一撃に殺してしまった。
仕立屋は起きあがると、喜ぶかと思いのほか、不愉快そうな顔をして、
「君、なんだって殺してしまったんだい。困るじゃないか。僕は大蛇を生捕(いけどり)にして、見世物にでもして、おおいに儲けようと思っていたんだぜ」と言った。
大男は真に受けて、
「そうかい、それはすまなかったね」と言ったが、仕立屋はじきに機嫌をなおして、
「まあいいや。それはそうと、今日はこれから我輩の得意の飛行術を君に教えてあげよう」と言った。
それから、ふたりは連れ立って会堂の高い屋根へ登った。
仕立屋が大男をかえりみて、
「いいかい、己が一、二、三と合図をしたらば飛び降りるのだよ」と教えた。
大男は仕立屋の合図にしたがって下へ飛び降りたが、脳骨を微塵に砕いて、死んでしまった。
細(ほそ)からぬ仕立屋さんは、この容子を見ると、赤い舌をぺろりと出して、
「大蛇を退治いたしましたのは、かくもうすわたくしでございます」と言って、まんまと王様から一万円の金を貰って、ポッケットへ捻じ込んでしまった。
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