多少繰り返しになるけれども、前提となる話からということで、チェコ語の動詞は、動作が完了することを意識する完了態と、完了することではなく動作が行われることを意識する不完了態という二つの種類に分けられる。不完了態は、継続を意識する形と言われることもあるのだが、それだけでは説明しきれないところがあるような気がする。日本語使用者に限ってのことかも知れないけど。
重要なのは、基本となる動詞は、原則として不完了態の動詞で、その動詞に接頭辞を付けることで、完了態の動詞が作られるということだ。そして、接頭辞によって微妙に意味が異なる完了態が出来上がるため、完全に意味の対応する不完了態が完了態から作り出される。
電車が駅に近づいていることを告げる放送では、「p?ijet」を使って、もうすぐ到着する、もしくはホームに入ってくることを告げ、電車がすでに構内に入って停車しようとしている状態では、「p?ijí?d?t」ですでに到着しようとしていることを告げるのである。なので、「p?ijede」なら、まだ少し余裕があってホームに走る必要はないが、「p?ijí?dí」の場合には急いだほうがいい。同様に「odjede」はこれから出発することを、「odjí?dí」は出発しようとしてすでに動き出そうとしていることを示すのである。
この完了態と不完了態の違いは、命令形にも反映される。同じ動詞だとあれなので、別の動詞を使うと、食べる「jíst」には、「sníst」「dojíst」「najíst se」などの完了態が存在する。お客さんに食べ物を出して、「食べてください」という場合には、食べてしまうことを意識しない「jíst」の命令形を使わなければならない。全部食べずに残してもいいわけだから。
「sníst」を使うと「全部食べてください」という意味になり、「dojíst」だと「残っているものを全部食べてください」になってしまって客に言うには不適切になってしまう。親が子供に言うのであれば問題ないのだろうけど。「najíst se」の場合には「おなかが一杯になるまで食べる」だから、使える状況はありそうだ。
では、逆に禁止する場合を考えると、「sníst」は「全部は食べるな」で、「dojíst」は「残りは食べないでおけ」となり、食べてしまうことを禁止することになる。「najíst se」の場合には「おなかが一杯になるまでは食べるな」だから、まだ次の料理が出てくるときに、ほどほどにしておけよという場合に使えるかな。いずれにしても。完了態を使った場合には、食べること自体を禁止するのではなく、食べることが完了することを禁止することになる。
だから、毒が入っているから食べるなとか、俺のものを食うんじゃねえとか言いたい場合には、不完了態の「jíst」の禁止形を使って食べること自体を禁止しなければならないのである。一般的に禁止の場合には、不完了態を使うことが多いといわれるのは、動作そのものを禁止することになるからである。
さて、以上のような、肯定の命令形、否定の命令形(つまりは禁止)と完了態、不完了態の関係をある程度(完全にとは口が裂けてもいえない)理解した上で、なお理解できない命令形の使い方がある。それは、寝ている人を起こそうとして「起きろ」という場合である。目を覚ましてベッドから出て起き上がることで、起きるという動作を完了させる必要があるから、完了態の「vstát」の命令形を使うのが正しいと思うのだけど、なぜか不完了態「vstávat」が使われるのである。
納得がいかないので、いつものように、なぜ、なぜと訊いて回ったけれども、納得の行く答えは誰からも返ってこなかった。日本語でも、「待ってください」と「待っていてください」の使い分けはできても、その理由を説明できるかと言われると困ってしまうから、チェコ語ばかりを責めるわけにはいかないのである。
2月5日22時30分。
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