最初にその思い込みが粉砕されたのは、1995年の阪神淡路大震災のときで、確か当時アルバイトをしていた出版関係の会社のテレビとしても使えるパソコンで、ニュースを見てその惨状、高速道路を含め、ほとんどの建物が倒壊している情景に大きなショックを受けた。烈震という言葉と家屋が倒壊するという説明文から想像できる情景とはまったく違っていた。想像力が貧困だったのか、現実が想像力を超えていたというべきか。物心付いてから初めての巨大地震が、この震災だったというのも大きいのだろう。
その後、高速道路に関しては、建設当時の工事が手抜きだったんだという話が出てきたし、関西は長い間地震が起こらない地方だと思われており、そのせいで地震対策が進んでいなかったのも被害が大きくなった原因だという説も読んだ。関東は、関東大震災の再来が予言されて久しいから、地震対策は進んでいるという話もあったけれども、木造の築ウン十年のアパートに住んでいた人間には気休めにもならなかった。
チェコは地震のない国である。活動を停止したかつての火山は存在しても、活動を続ける火山もなく、おそらくはいわゆる断層なるものも存在しないのではないだろうか。そんな国で起こる地震といえば、原因がよくわらからない西ボヘミア地方のマグニチュードがせいぜい2ぐらいの小さな地震か、地震と言っていいのかどうかはわからないが、炭鉱のある地域で地下の地盤沈下などで地表が揺れる地震のようなものしかない。住んでいるモラビアの真ん中にあるオロモウツは、地震とは全く縁のない町である。
その分、2011年の大震災のニュースに大きな衝撃を受けたのかもしれない。朝起きたときには、すでに地震が起こっていて、普段は視聴できないNHKのネット上での放送も、国外からのアクセスに対して解放されており、それも事態の深刻さを想像させた。各地の震度を見ていると、6がいくつもあって、7なんてものもあるのを見たときには、この地域では各地で建物が崩壊し、阪神淡路大震災のとき以上の惨状になっているのではないかと、正直、現地の映像を見るのが恐ろしいような気分になった。
それが、実際に見てみたら、家屋や高架の倒壊は、思ったほど多くなく、被害もそれほど大きくないのだろうと一安心したところ、津波、さらには福島の原子力発電所の爆発というさらなる大問題が立て続けに発生していても立ってもいられなくなってしまうことになる。こんな気分には阪神淡路大震災のときにはならなかったのだが、何かをせずにはいられないような気分に襲われた。それは、外国にいるからこそ、強く感じる日本人としてのナショナリズムの発露だったのだろうか。
ネット上に拡散したアメリカの新兵器の実験の結果起こった地震だとかいう、言い出した人だけでなく、それを信じて広めてしまう人間の知性も疑ってしまうようなデマに、日本も科学教育の崩壊具合を嘆いたり、地震を自然への感謝を忘れた日本人への天罰だなどとさかしらなことをほざく連中に殺意を覚えたりした。この手の一見何だか哲学的で正しそうでありながら、実はでたらめこの上ない意見に納得してしまう連中が、たぶん日本の新宗教を支えているのだろう。オウムとか幸福の科学とかさ。
衝撃のあまり、ボランティアとして東北に向かうために日本に帰国するなんて人もいたけれども、仕事を持つ身としてはそんなこともできず、せいぜい友人知人の間でお金を集めて、たまたまオロモウツにいた東北出身の人に町に寄付するために持って帰ってもらったり、チャリティーコンサートの開催の手伝いをしたりしたぐらいである。
フリーの通訳として活躍している知人は、最初の何年かは毎年のように仕事のない時期に日本にボランティア活動をしに行っていたので、二年目ぐらいまではそいつにお金を託していたけれども、次第次第に日々の仕事に追われ、地域によって差はあるようだが、少なくとも地震と津波で被害を受けた地域では復興が進んでいそうな様子に、関心を失ってしまっていた。
このブログ一年目の去年は、この日に全く関係のないテーマで文章を書いているし、あのときの衝撃はどこに行ったのだろうと言いたくなるほどである。熊本の、これも予想外の地震で記憶が改まったこともあるので、今年はこのテーマで一文物しておくことにした。
3月12日17時。
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