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2017年04月16日

『単一民族神話の起源』( 四月十三日)




 個人的に、この考え方に最初に触れたのは、中学生の頃、1980年代の半ばに当時の中曽根首相が、日本社会とアメリカの社会を比較する文脈で、日本の優れた点として発言したことで、国内外から大きな批判を受けたときのことだ。当時はへえそんなものかとしか思わなかったのだが、左翼がかった社会科の先生が、声を大にして批判していた。「北海道にはアイヌ民族がいて、沖縄には琉球民族がいる。それに在日韓国人や朝鮮人がいるのに、単一民族とはどういうことだ」というのだ。
 このときは、いや今でもかもしれないが、国籍をもとにしての日本人と、民族性に基づいての日本人の区別がはっきりついていなかったから、沖縄の人が日本人じゃないというのは変な話だと思った記憶がある。沖縄についてしか感想を抱かなかったのは、九州の人間にとってアイヌ民族というのはピンと来ず、身近にいわゆる在日の人もいなかったからだろう。

 それで、日本が単一民族国家だという考え方は、右の人たちが日本の優れたところとして社会の均一性を主張する際に使われ、左の人たちが、それに対してアイヌ民族などを持ち出して批判するものだというのが頭に刷り込まれた。90年代に入ってからの出来事も、そこから大きく逸脱するものではなく、単一民族説=右翼、多民族説=左翼という構図は歴史的にも、つまりは戦前、戦中にも適用できるのだと思い込んでいた。
 この時点では、国籍上日本人でありながら、国内の少数民族として規定しうるアイヌ民族や琉球民族と、国籍からして外国籍である在日韓国人、朝鮮人を一緒くたに扱うことに対する疑問すら感じていなかった。それに、中曽根首相が批判に対してどのように反論したのかも全く記憶にないし、外国人でも、日本国籍を取れば日本人になるぐらいの意識しかなかった、民族主義とか、民族自決主義なんて言葉を、今にして思えばその意味もわからないままに振り回していたものである。

 この思い込みを粉砕してくれたのが、本日取り上げる小熊英二氏の『単一民族神話の起源』である。著者は、明治維新以来のさまざまな論者の日本人、日本民族に関する言説を分析し、日本人がその起源をどのように意識していたのかを歴史的に明らかにする。
 著者によれば、日本には古来現在の日本人につながる民族しか住んでいなかったとする単一民族説と、原住の民族に、移民、もしくは征服のために日本にやってきたさまざまな民族が混ぜ合わさることで誕生したとする混合民族説の対立は、すでに十九世紀の終わりに形成され、その枠組みは現在でも大きく変わらないのだという。
 簡単に戦前の動向をまとめると、日本がまだ欧米の列強に対して劣っているという意識を持っていた時代には、単一民族説が強く、それが日本国内の他民族を排除する論拠となっていた。それに対して、日清、日露戦争を経て国力に自信がついてくると、日本人は日本にやってきた他民族を同化してきたという主張が有力になり、それが日本人の優秀さを主張する根拠となる。

 その後、台湾や日韓併合などで、大日本帝国内に異民族が存在するようになると、他民族支配の根拠として日本人の多民族起源が使われるようになる。本来日本人を天皇家の子孫が日本中に広がったものと規定していた国体論も再編を余儀なくされ、他民族を養子に取るとか、婚姻関係から日本民族に包摂できるとかいう論理が生まれる。それが日本民族は世界中の民族をその庇護下に置いて同化しなければなければいけないという方向に向かう。
 つまり、日本には古代から日本民族という単一の民族しか住んでいないという考えかたでは、台湾と朝鮮半島を領有した日本の現実に対応できなくなり、拡大を志向する帝国の論理として、日本人は多くの起源を持つ混合民族であるという考え方が選ばれたのである。醜悪なのは、その理論が、日本人の祖先となった人たちの住む地域への侵略の理論として使われたことである。

 ただし、この手の民族論を差別解消のための理論として使おうとした人たちもいた。現在でも根強く残る在日韓国人、朝鮮人への差別に対して、古来多くの渡来人が朝鮮半島からやってきて日本人の中に入り込んでいること、その中から天皇の生母になった人もいること、天皇家の先祖が大陸から朝鮮半島を経て日本に渡ってきたという説があることなどを理由に、その不当性を訴える人たちがいるのと軌を一にするのであろう。
 しかし、ともう一度ひっくり返さなければならないのは、日本人が朝鮮半島からやってきたという説、つまり日鮮同祖説は、日本が朝鮮半島で露骨な同化政策を行なう根拠となった過去があるからである。日本人にとっては新しい差別解消の理論のように見えても、朝鮮半島の人たちにとっては、忌々しい日本化教育を思いこさせて、本人は支援しているつもりでも、反感を買うという結果をもたらしているかもしれない。

 戦後になると、大日本帝国時代の政策への反省から、古来日本には日本民族だけが住み続けているという単一起源の日本民族説が優勢を占めるようになったようだ。そこには、戦前のことはろくに検証するとなくすべて悪として否定することで済ませてしまった日本の戦後というものが反映しているのだろう。
 そして、もう一つ忘れてはいけないのは、単一民族国家と言った場合の単一民族が、単一起源の民族をささない場合があることだ。つまり、単一民族といいながら、実質は戦前の混合民族説と変わらないのである。80年代に強く批判された中曽根首相の発言も、多民族が同化されて均一化したという意味での単一民族を意識していたらしい。

 戦後の日本が自信をなくしていた時代には、日本民族の単一起源説が優勢を占め、経済成長を遂げて国力に自信がついてくると、それが右翼を批判するものであったとしても、日本の多民族性を強調する考え方が台頭してくるというのは、明治維新期の動向と類似していて興味深い。この事実は、かつて思い込んでいた単一民族説=右翼、多民族説=左翼という構図が何の意味もないものであること、日本を単一民族だと発言した人間を、日本国内の他民族の存在を理由に批判することの不毛さを示している。

 以上が『単一民族神話の起源』を読んで考えさせられたことである。特に読み返すことなく記憶に基づいて書いたので誤解しているところもあるかもしれない。それにしても、戦前の議論の方が噛み合っているような気がするのは、気がするのは気のせいだろうか。最近は、単一民族説は批判しておけばいいというような短絡的なマスコミが多いような気がする。
 戦前の民族を巡る議論を知る人たちが、ほとんどいなくなってしまっている以上、戦前から続く新聞社、出版社などが、自らの過去を振り返った上で、つまりは戦前、戦中、戦後を通じて自社で発表した民族論を通時的に検討し、その正当性、時代背景などを分析、反省した上で、新たな民族論を打ち立てる必要があろう。それが組織によって違ったところで、少なくとも建設的な議論の入り口には立てる。そうしなければ、単一民族説であれ、混合民族説であれ、多民族混住説であれ、悪用されることを防ぐのは難しい。
4月14日23時30分。










タグ: 民族 日本
posted by olomou?an at 06:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 本関係
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