開票作業がすぐに終わるのは、投票数の少ない投票所なので、最初に集計されるのは田舎の人口の少ない地域の票で、最後に加算されるのが大都市、特にプラハの投票所の開票結果である。ということは、地方ので強いゼマン大統領は、最初に公表される結果から徐々に得票率を減らしていくことになり、プラハで支持を集めそうな、他の候補者達は徐々に得票率が上がっていくことが最初から想定できる。
当初の予定では、二時からバーツラフ・モラベツが司会をするチェコテレビの選挙特番にチャンネルを合わせるつもりだったのだけど、昼食を食べた直後ぐらいにクロアチアで行なわれるハンドボールのヨーロッパ選手権がいつの間にか開幕していることに気づいてしまい、しかも今日チェコ代表の緒戦が行われるというので、その中継の情報を集め始めて、選挙のことはすっかり忘れてしまった。
ハンドボールのほうは、チェコではSPORT1というチャンネルで放送するというのだけど、うちでは見ることができず、チェコのハンドボール協会のHPで紹介されていたEHFのネット中継用のページでは、チェコからの視聴は不可になっていた。他の試合は見られるのだけれども、チェコ代表の試合は放映権料を払って中継するテレビ局があるから駄目だということのようで、結局映像は見ることができなかった。優勝候補の一角スペインとの一戦はダブルスコアの大惨敗だったようだから、精神衛生上は見なくて正解だったかもしれない。
さて、肝心の大統領選挙の結果だけれども、うちのが選挙から返ってきた三時過ぎにチャンネルを合わせることになった。その時点で結果は大方の予想通り、ゼマン大統領が一位、ドラホシュ氏が大差の二位というものだった。ゼマン氏の得票率は40パーセントちょっとで、これから大都市の開票が進むことを考えると、一回目の投票で当選が決まるという可能性はなくなっていた。同時にドラホシュ氏がゼマン氏を逆転するのは、いかにプラハの票が多く、ドラホシュ氏への支持率が高いといっても、ありえないことも明らかだった。この時点で、ゼマン氏とドラホシュ氏が決選投票に進出することが事実上決定していた。
結局ゼマン大統領の得票率は、38.5パーセントぐらいまで下がり、ドラホシュ氏は26.5パーセントほどまで伸ばした。その差は12パーセント弱で、五年前のゼマン氏とシュバルツェンベルク詩の差が1パーセント弱しかなかったことを考えると、逆転は難しそうな大差である。ただ今回は、前回とは違って、一回目の投票で敗退した候補者達の多くが、ドラホシュ氏を支持することを明言し、ホラーチェク氏にいたっては、自分が大金を出して確保したポスター掲示用の大看板をすべてドラホシュ氏に無償で使ってもらうように提供すると申し出ている。この反ゼマン連合が十分に機能するようであれば、ドラホシュ大統領が誕生する可能性はなくはない。
一方で、ゼマン大統領側は、一回目の投票を前に、現職の大統領は選挙の結果がどうあれ決選投票に進出できることになっているというデマがかなり広まったために、ゼマン大統領支持者の中には、選挙に行かなかった人たちがかなりの数いるはずだなんてことを主張している。それがなければ50パーセントを越えて一回目の投票で当選が決まっていたはずだとまでは主張していないけれども、二回目に向けて、他の候補者の指示はなくても表の上積みはできるという主張なのかもしれない。
三位以下の結果で意外だったのは、ホラーチェク氏の得票が伸びなかったことだ。知名度ではゼマン大統領、トポラーネク元首相に次ぐ三番手と言ってもいいような存在だったのだが、賭けの会社のフォルトルナの創設者で大金持ちであるという経歴が、反バビシュでもある反ゼマン派の支持を集めきれない原因になっていたのかもしれない。結局9パーセント強の得票で全体で四位ということになった。
三位に入ったのは、選挙期間が始まった頃には予想もされていなかったフィシェル氏で、前回の選挙でもフィシェル氏が三位に入っているけれども、あちらは元暫定首相のヤン・フィシェル氏で、こちらは元駐フランスチェコ大使のパベル・フィシェル氏である。苗字のつづりはどちらもドイツ語風で同じようだけど特に親戚とかいうことはなさそうである。この人の選挙運動もそれほど大々的なものではなく、テレビの討論番組でも、ものすごく目立っていたわけではないけれども、堅実な回答で支持者を増やしたようだ。今後どうする予定なのかは知らないが、次の大統領選挙では有力候補として戦えるような立場を築けたのではないだろうか。
五位には、当初は全く無名で一般市民からの書名で立候補を目指したものの数を集められず、急遽国会議員の署名を集めて立候補したヒルシュル氏が入った。選挙と特別番組によると、海賊党が支持を表明したわけではないけれども、海賊党支持者が最も多く票を投じたのがヒルシュル氏だったらしい。全くの無名からホラーチェク氏に迫る9パーセント弱の票を獲得するところまで来たのだから、選挙運動は大成功だったと言っていいだろう。
そして、一時は決選投票に進むのではないかという予測も出たトポラーネク氏は予想以上に伸びず、4パーセント強と、5パーセントにも届かず6位に終わった。首相を務めていた頃も決して人気の高い政治家とはいえなかったのだから、順当な結果だったと言える。むしろ理解できないのは、しばしば見かけたトポラーネク氏を有力候補とみる見解のほうである。
残りの三人の候補者は、ヒネク氏は1パーセントの壁を越えたものの、ハニク氏とクルハーネク氏はともに0.5パーセント前後に終わった。前回はここまで得票数の少ない候補者は居なかったと思うのだけど……。
決選投票まで二週間、またゼマン大統領で決まりだろうという諦めは消え、今回は大統領が負けるかも知れないという期待もなくはない。ただドラホシュ氏が勝った場合に、一回目の選挙であんなに差が付いていたのにという選挙の結果を疑問視する声も上がりそうだなあ。
2018年1月14日17時。
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