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2020年12月11日
犬のある生活(十二月八日)
先週の月曜日からだと思っていた、学校での授業の拡大は、今週からだったかもしれない。昨日のニュースで学校の様子が取り上げられていた。先週も似たようなことをいっていたと思うのだけど、一番の問題は、規制の緩和にしろ強化にしろ、情報が錯綜しているのがいけない。ネタもとはニュースなのでニュースの報道が悪いといいたいけれども、それ以前に政府の発表自体が混乱しているようで、しばしば批判する人が登場する。
これを以てバビシュ政権の情報の伝達のあり方を批判するのは正しいが、だからバビシュ政権はという方向に行くのは間違っている。チェコの行政の情報伝達のあり方がめちゃくちゃなのは今に始まったことではなく、必要のない情報はいくらでも入ってくるのに、必要な情報がそれを必要とする人のところには届かない、もしくは届くのが最後になるというのはチェコの伝統のようなものである。
もう十年以上も前の話だが、職場から「ロドネー・チースロ」という、チェコ人には生まれたときに生年月日を元に与えられる個人番号のようなものをとれと言われたことがある。同時に、どの役所に問い合わせればいいかも教えられたのだが、その役所に問い合わせても、その役所に言われた別の役所に問い合わせても、外国人がどのように申請すればもらえるのか全く情報が手に入らない。
幸いいつまでにという期限はつけられていなかったので、一旦諦めて放置していた。そして、毎年恒例のビザの延長の手続きに出かけた外国人警察で、こういうことで困っているんだけどと、駄目もとで聞いてみたら答が帰ってきた。ビザの延長の申請をした時点で「ロドネー・チースロ」の申請もしたことになっているから、特に何もする必要はないと教えてくれたのである。
前年の延長の手続きの際に申請したことになっていたのか、この年の申請で申請扱いになったのかは不明だが、それから程なくして「ロドネー・チースロ」を取りに来いという通知が外国人警察から届いた。その通知が二回来て、一回目の通知で受け取りに行った後の二回目は間違いだったという落ちはつくのだが、オロモウツに住む外国人にとって一番頼りになる役所は、やっぱり外国人警察だったのである。
そんな情報不伝達の状況は現在もあまり変わっていない。それでも、今回の政府の対応には、春から何度も同じようなことをして来ているのに、改善の後が見られないというのにはいい加減にしろといいたくなる。最悪なのは鳴り物入りで導入されてうまく活用されているかに見えた犬システムが、いつの間にか有名無実のものになりつつあることである。
危険度カテゴリー5から4へ切り替えて規制緩和に踏み切ったときの対応は悪くなかったのだけど、その後は……。金曜日の会議で規制について決めて翌月曜日から適用すると言っていたはずなのだが、月曜日からの変更は学校関係のものだけになっている。それも任意なので学校によってはまだ規制緩和に対応していないところもある。
とまれ、一度はチェコ全体の数値がレベル3に落ちて安定したことで、生活必需品以外の販売店の営業の再開など大幅な緩和が行われたのだが(これも月曜からではなく木曜からだった)、その後数値は再び悪化を初め、チェコ全体ではレベル4、地方によってはレベル5のところもあるという状態になっている。この状態が一週間続いたら、規制の強化が行われるものだと思っていたのだが、そんなことにはならないようである。
犬システムの危険度評価の内容自体を見直す動きもあるようだし、同時に犬システムが規制を決定するわけではないという声も聞こえるようになった。これでは夏の信号システムと大差ない。規制の強化をしないならしないで、本来なら強化すべきだけど、商業のことを考えてクリスマスまでは規制の強化はしないとか言えばいいのに、聞いているほうがうんざりするような言い訳ばかりである。
さらに昨日の閣議で、水曜日から犬システムには規定されていないレベルでの規制強化が行われることになった。レストランの営業時間が短縮され、屋外でのアルコール飲料の消費が再び禁止された。またクリスマスマーケットでは料理と瓶入りも含めてお酒の販売も禁止された。コップ入りはともかく、瓶入りのお酒の販売を禁止する理由は不明である。
結局、どんなに優れたシステムであっても運用する人次第では意味のないものになってしまうという事なのだろう。犬システムが優れているのかどうかは知らないけど、結果としてはあってもなくても大差のないものになりつつある。新しい厚生大臣も、反バビシュの署名をしたことがあるというわりには、すぐに同じ穴のムジナになっちゃったしなあ。
2020年12月9日23時。
2020年12月10日
カレル・チャペクの戯曲番外続(十二月七日)
昨日のチャペクの戯曲『母』は舞台での上演で、作品の発表から50年近く後のものである。現代化がされていたようには見えなかったが、冷戦末期の東側での上演という時代背景が演出に影響を与えていないという保証はない。チャペクのような有名作家の作品だと影響があったとしてもそれほど露骨ではないだろうし、気づけるだけの知識は持っていないから気にしてもしょうがないのだけど。
それに対して、今日見た映画の「白い病気」は、戯曲が発表された翌年の映画化なので、監督のハースの解釈が入るにしても時代背景はチャペクの原作と共通するはずである。この映画が1937年末に完成して公開されたのは、1938年にはミュンヘン協定が結ばれることを考えると、ぎりぎりで間に合ったと言いたくなる。ナチスドイツの影響下にある政権に、こんな、かなりあからさまな反ナチス映画の制作を認められたとも思えない。
話はとある国で、俗に「白い病気」と呼ばれる致死性の病気が流行するところから始まる。感染してなくなる人の大部分が50歳以上の年配の人という辺りが現在の状況に似ているともいえなくはない。それがこの秋、原作となった戯曲の日本語訳が連続して刊行された理由のひとつであろう。とまれ、国立病院(多分)の伝染病の権威の下でも定められた療法を守るだけで、この場合には治癒のための療法がないため、対処療法で最後はモルヒネを与えることしかできていなかった。
そこに、ハース演じる、貧民の間で医療活動を行っているという医師が現れて、自分が試して効果のあった療法を試してほしいと求める。最初は断られるのだが、あれこれあって試すことになり、その療法が効果的であることが確認され、「白い病気」は死病ではなくなる。だが、皿洗いで見ていないので事情はわからないのだが、その療法は公開されることなく、ハースにしか治せない病気になってしまう。
その裏側で、この国では軍の将軍が政敵を追い落として独裁体制を確立させており、周囲の小国を制圧するために軍備を増強し戦争の準備を始めていた。このあたりが、原作が執筆された1937年当時のナチスドイツを思い起こさせるわけである。独裁者に指導された国民も、小国を制圧するための戦争を熱狂的に支持していた。
そんな中、独裁者の右腕とも言える男爵が、「白い病気」に感染し、身分を隠してハースの元に出向いて治療を求める。ハースは悩んだ挙句に、独裁者の戦争を止めることを条件に治療を約束する。男爵としては飲める条件ではなく、交渉は物別れに終わる。医者としては、患者の治療に条件をつけるなんていいのかね。
病気を抱えた男爵を心配する独裁者は、ハースを呼び出し、さまざまな条件を出して治療を求めるが、交渉はまとまらず、病死に怯えた男爵は自殺してしまう。独裁者はその死を乗り越えて、軍には宣戦布告なしの隣国への侵攻を指示し、自らは官邸のバルコニーから集まった市民に対して、開戦の演説をする。市民達も熱狂的に独裁者を指示し戦争を求める声を上げる。
その演説の最中に、一度建物の中に引っ込んだときに、ありがちな展開だけど、独裁者は自分が「白い病気」にかかってしまったことを知る。それで、治療を受けるために戦争をやめるか、余命三ヶ月で戦争を続けるかの選択を迫られる。結局は娘と男爵の息子である副官の説得を受け入れて、戦争の停止を決意するのだが……。
あんまり事細かに書くとネタばれになってしまうので、この辺で自粛するけれども、最後の部分を見ながら、あらゆる権力を求めて手に入れた独裁者と、その独裁者を生み出し熱狂的に支持する民衆のどちらがたちが悪いんだろうなんてことを考えてしまった。国民国家の成立以後の独裁者は、ほとんどすべて民衆の支持を得て、民主主義的な手続きを経て権力の座についているのである。アジア、アフリカの旧植民地の独立国なんかは例外も多いけどさ。
2020年12月8日23時
2020年12月09日
カレル・チャペクの戯曲番外(十二月六日)
チャペクの戯曲の話だとは言っても、まだ読んだことがない『母』とか、『白い病気』を読んだというわけではない。『白い病気』は最近日本語訳が相次いで刊行されたはずだから、読むべきは今だと言えなくもないのだけど、チェコにいると読む以前に買えないのである。いや、hontoで買えばチェコまで送ってくれるだろうけど、緊急事態宣言が発令されて外出に制限がかかっている中、郵便局に荷物を取りに行く気にはなれない。
それに戯曲は読むの苦手だし。ということで見ることにした。以前チェコテレビで放送されたチャペクの戯曲『母』と『白い病気』が映像化されたものを、録画するだけして見ていないものがあるのだ。『白い病気』は以前も存在だけ紹介した、フゴ・ハースが監督主演を務めた映画だが、『母』のほうは、映画ではなく1985年に国民劇場で上演されたときの映像である。
まずは、土曜日の昼食時に「母」を見た。食事しながらで、その後皿を洗ったりコーヒーを入れたりしたので、最初から最後まで集中して見たわけではないが、なかなか見ごたえのある作品だった。出演者達もほぼみんなビロード革命後も役者として仕事を続けていて、どこかで見たことがあるという人たちばかりだったし。
ストーリーは、どこかで読んだ「反戦、反ファシズム」という面もないわけではないけれども、一面的なものではなく、むしろ、子供を守ろうとする母親としての女性の論理と、自分にしかできないことだという理由で命を懸けてしまう男性の論理のぶつかり合いが中心になっているようにも見えた。男性の考え方を英雄願望なんて言葉でも表現していたような気がする。
登場人物は、母親である女性と、その夫、五人の子供たち、それに父親の八人。劇が始まる時点で夫と長男、次男、父親の四人はすでに死んでいるようである。生きている人物だけが登場する場面、すでに死んだ人物だけが登場する場面、そして母親と死んだ人物が登場する場面が、頻繁に入れ替わりながら進行して行く。
夫は軍人で戦争中に自ら最も危険な任務に赴き戦死、長男は医者で死亡率の高い伝染病の研究中に命を落とし、次男は航空技師で自ら設計した飛行機の飛行中に墜落死だったかな。いずれも自分の使命と信じる仕事について、危険な自分にしかできないことをしようとして命を落としたということになる。最初の場面では生きている三男はチェスに夢中で、四男は狩猟が趣味なのか銃を持ち歩いている。
ただ一人、末っ子だけが、特に夢中になることもなく、母親も兄たちもこの子だけは他の子供たちとは違うと考えている。言い換えれば、未だ母親の庇護の元で子供であり続けているといってもいいのだろうか。そんな状況で話は始まり、死者たちと母親との会話で、それぞれの亡くなった事情が明らかになるのだが、男たちが「母さんにはわからないんだ」などと自ら死地に赴いたことを言い訳すると、母親は「男はいつもそうだ。都合が悪くなると、女にはわからないと言う」と批判する。
そして、この家族の暮らす国で内乱が発生する。細切れに見ていたので、よくわからなかったのだけど、他国に占領されていてそれに対して市民が蜂起したという話だったかもしれない。とにかくその蜂起に参加して三男も四男もはかなくなってしまう。その結果、末っ子も戦いに向かうことを求めるのだが、母親は拒否する。亡くなった夫や、子供たち、いつの間にか現れていた父親から、末っ子ももう大人なんだから本人の意思を尊重して、戦いに行かせてやれといわれてもかたくなに拒否する。
私には末っ子以外には何も残っていないのだから、取り上げないでほしいという母親の叫びは痛切に響き、男たちも諦めたように見えたところで、自体は急変する。戦闘の様子を伝えるラジオが、町のどこか、病院だったかなで、敵軍が80人もの子供たちを虐殺したというニュースを伝えた瞬間、母親は豹変して、末っ子に隠していた銃を与えて戦いへと送り出すのである。
演劇は、何を言っているかわからず、見てもつまらないと思うことが多いのだが、この「母」は台詞も聞き取りやすく、途中で何度も席を外したけど、最後まで面白く見ることができた。この内容を知っているという強みを基に読めば、苦手な戯曲も読み通せるかななんてことも考えたけど、「母」の収録された『チャペック戯曲全集』は、電子化してないんだよなあ。
2020年12月7日10時。
2020年12月08日
ハンドボール女子ヨーロッパ選手権開幕(十二月五日)
ノルウェーが開幕直前に開催を返上した結果、最近流行の共同開催のはずが、デンマーク単独での開催となったこの大会、そろそろ始まることだと思っていたら、すでに始まっていた。16カ国の代表を集めて、コリングとヘアニングの二つの都市で開催される大会は、木曜日に開幕しており、チェコ代表もすでに試合をしていた。
チェコ代表は、Bグループに入っているのだが、対戦相手は順に、スウェーデン、ロシア、スペインというすべて格上のチームである。監督によれば今大会の目標は、一次グループで3位以内に入って二次グループに進出することだというが、対戦相手を見たときに正直無理だろうとしか思えなかった。
ロシアは二年前のヨーロッパ選手権で準優勝、昨年の日本で行なわれた世界選手権で3位に入ったチームだし、スペインは世界選手権準優勝のチームである。この2チームと比べると、前回のヨーロッパ選手権で5位に終わったスウェーデンは組しやすい相手ということになるが、同じ大会でチェコが1勝もできずに敗退し、15位という順位に終わったことを考えると、期待はしづらい。
これまでチェコ代表は何度か番狂わせを起して上位に進出したこともあるわけだけど、小ずるさが売りのバルカンの国ならともかく、正統派の北欧の国相手に番狂わせは想像もできない。善戦はできると思うのだが、最後は正面から実力で突き放されて負けてしまう様しか想像できない。特に今回は、長年チームの攻撃の中心を務めてきたコレショバー(旧姓ルズモバー)とフルプコバーがそれぞれの事情で参加できないわけだし。
もちろん、世界中で武漢風邪の流行する現状を考えれば、どこの国にも欠場を余儀なくされた選手はいるに違いない。ただチェコのような小国では、中心選手が欠場する影響は、ハンドボール大国と比べると、はるかに大きいのである。出場できただけでも、チェコのハンドボール界にとっては大成功だといってもいい。とはいえ、できれば一試合ぐらいは勝ってほしいと思うのもファンの審理としては当然である。
金曜日の夜のニュースで、すでに木曜日に行われていたことを知った緒戦のスウェーデンとの試合は、試合展開をみると凄くいい試合だったようだが、結局負けてしまった。前半は、ほぼリードを許す展開が続き、終了間際に13−13の同点に追いついている。最大でも2点差までしか許さなかったおかげである。
そして、後半に入ると、すぐに連続で得点を上げ、最大で3点差でリードする。その後スウェーデンの守備が改善されたのか、なかなか得点できなくなり、あっさり逆転され、6点差にまで広げられてしまう。最後で連続で2点とって、4点差となったが、23−27で敗戦。後半30分の得点が、最後の2点をれても10点というのは少なすぎる。スウェーデンの対応力が上だったということだろうか。見たかったなあ。
同グループのロシアとスペインの試合は、意外なほど差がついて、31−22と9点差でロシアが勝った。これを見て、スペインになら勝てるかもなんて思ってはいけない。勝ち目がなくなってから気が抜けて一気に差を広げられた可能性もあるのだから。
今日行われたロシアとの試合は、事前に試合が行われることを知っていたので、テレビでは見られなかったものの、オンラインのライブスコアで試合展開だけは追いかけることができた。前半は最初のうちはリードしていたものの逆転され、最後にゴールを決めて、13−15と2点差に迫ったところで終わった。
後半も二度同点に追いついた以外は、常にリードをゆるし、22−24と2点差で負けたまま終了した。後半だけを見ると9−9だから、どちらのチームもディフェンスが改善されたのか、攻撃がうまくいかなくなったのか。それでも、優勝候補の一角を相手に互角の試合を演じたことは高く評価されていい。残念ではあるけれども、調整段階の強国相手になんとか善戦というのが今のチェコ代表の限界なのだろう。
裏の試合で、スペインとスウェーデンが引き分けた結果、チェコが二次グループに進出するためには、最終戦でスペインに勝たなければならなくなった。難しいとは思うけれども、月曜日もスコア速報だけは応援しながら追いかけることにしよう。テレビで見られないのが残念でならない。とはいえ、このためだけに有料チャンネルと契約するところまではトチ狂えないからなあ。テレビで見るのは来月の男子の世界選手権まで我慢するしかないか。
2020年12月6日12時。
2020年12月07日
バビシュ首相からのクリスマスプレゼント(十二月四日)
スロバキアでは十月の末から十一月の半ばにかけて、二度の、場所によっては三度の週末を使って、感染の疑いの有無に関らず全国民を対象にした、希望者を対象にするという名目での半ば強制的な大規模検査が行われた。その結果、少なくとも一時的には新規感染者の数を減らすことができ、批判にさらされていたマトビッチ首相は一息ついたようである。
その成功? に触発されたのか、オーストリアでもウィーンや、チロル地方などで、希望者を対象にした大規模検査が始まったらしい。この二つの大規模検査には、これまでの精度は高いけれども結果が出るまでに時間のかかる検査の変わりに、精度が低い代わりに十分ほどで結果の出るアンチゲン(抗原?)と呼ばれる方法が使われている。オーストリアではこの簡易検査で要請になった人に関しては、これまでの方法で再検査をして本当に陽性かどうか確認することにしているという。
チェコでも最近になって、このアンチゲン検査の導入が進められていて、各地の老人ホームなどでは、職員と入居者の検査が義務付けられたという。ただし、政府が各施設に配布するはずだった検査用のキットが期日までに届かず、対応に苦慮しているなんてニュースも流れていたのは、チェコのチェコたる所以である。この老人ホームでの検査が、一回きりなのか、繰り返し行なう予定なのかは知らない。
それに続いてバビシュ首相が、希望者全員を対象に無料でアンチゲン検査が行えるようにすると言い出した。その理由が、クリスマスに普段は離れて暮らしている家族が安心して会えるようにというものだった。日本のお正月やお盆のように家族が集まって過ごすのがチェコのクリスマスなので、それまでに陰性であることを確認できれば、自分が感染する恐れも、感染させる恐れもなく家族と会えるだろうと考えたらしい。
当然、専門家の間からは、検査の精度を問題にする声はもちろん、検査から時間が空けば、陰性が陰性であり続ける可能性が下がることを指摘する声が上がっている。実際チェコテレビの科学担当のアナウンサーの実体験によれば、僅か数時間の差で、陰性が陽性になったらしい。この人は専門家ではないけれども、知識のある人だったから、一度の陰性で大喜びをせずに、念のために時間を置いて検査を受けて、陽性が確認できたが、一般の人だと陰性の結果が出たら、これまでの慎重な生活態度を変えかねない。
検査の数を増やすことで流行の拡大を押さえ込みたいのなら、一回の大規模検査で終わるのではなく、何度も繰り返さなければならないのは、サッカーリーグの感染対策を見れば明らかだとおもうのだけどねえ。毎週一回検査を実施していてさえ、集団感染が発生して隔離に追い込まれるチームがいくつも出てしまうのである。ヨーロッパリーグに出場しているリベレツなんて、週に二回検査を行っていたはずなのに、一度に十人以上の選手が陽性判定を受けて欠場を余儀なくされている。
だから、希望者全員を対象に検査を行ったとしても、気休めにしかならないと思うのだけど、今の状況では気休めさえもありがたいと考えるのだろうか。木曜日からの規制緩和で、感染状況が再び悪化することが予想されているから、自分だけでも陰性であることを確認したいという人も多いのかもしれない。とまれ、先ずは、学校の先生たちを対象に希望すれば無料で検査が受けられるようになった。そして18日からは全国民を対象に無料で検査が提供される予定だという。最近評価だけでなく人気も落としつつあるバビシュ首相から国民へのクリスマスプレゼントというところか。チェコ人じゃないからもらえるかどうかわからないけど、正直もらいたいとは思わんなあ。
スロバキアでは二回の大規模検査で減った感染者の数が、また増加傾向に転じているらしい。それでクリスマス前にもう一度とマトビッチ首相が言い出したようだが、検査の実務を担当した地方公共団体からはやめてくれという悲鳴が上がっている。検査を繰り返すことで感染を押さえ込むことができるのはその通りでも、それが経済的負担、人的負担に見合うのかどうかはまた別問題である。
2020年12月5日20時。
2020年12月06日
初雪(十二月三日)
つい先日、今年の冬は、チェコの冬にしては暖かく、初雪もまだ降らないために、こちらに来て以来培ってきた季節感が狂って仕方がないなんてことを書いたわけだが、バチがあたってしまった。十二月に入って、気温が下がり始め、朝の最低気温がマイナスになるようになった。そして今日、朝起きたときには寒いと思っただけで、そんな気配はなかったのだが、昼前にふと思いついて外を見たら、雪が降っていた。
降り始めたばかりではなく、かなり降り続いたと思しく、周囲の家々の屋根も地面も道路も真っ白い雪に覆われていた。雪は嫌いだけれども、この雪景色は嫌いではない。しんしんと、この魅力的な擬態語もチェコに来て静かに雪の降り積もっていくさまを目にするまでは、その真価を知らなかったのだけど、雪の降る様子は眺めていても飽きない。それに今年は人通りや車の数が少ないおかげで、積もった雪がきれいなままの状態が長く続くような気がする。
そんなことを考えるのは部屋の中から外を眺めているからで、昼過ぎに職場に向かうのは、雪のせいで億劫で仕方がなかった。幸い粉雪で。路面がべちゃべちゃになっているということもなく、一度解けたものが凍結してつるつるすべるということもなかったのだが、歩きにくいことには変わりはない。雪の中を歩くことを考えて引っ張り出したごつい冬靴を、今年初めて履いたのも歩きにくさに拍車をかけていた。
日本にいた頃は季節によって靴を替えようなんて発想はなかったのだが、こちらで夏に履くような軽い靴を履いたら、冬場は足がとんでもないことになりそうである。靴底も雪や氷で滑りにくくなっているはずだし、それでも滑るけど、雪が降り始めると冬靴は生活に欠かせないものになる。ちょっと重いのが玉に瑕で、一日履いていると足が疲れてしまう。かと言って、夏場と違って職場で仕事靴と称して裸足にサンダルというわけにもいかないしなあ。
気温が下がって雪が降っているということは、服装も真冬仕様に変えるということである。気温が下がった火曜日から、厚手の上着を引っ張り出して着始めた。うちを出たときは暖かくていいのだけど、マスクをしているせいもあって、歩くことで体内に発生した熱が、うまく発散できなくて、職場につく頃には汗びっしょりになってしまう。前を開けて冷たい空気を入れるなどの対策はするのだけどなかなかうまくいかない。
夏場のくそ暑さで汗をかいてしまって着替えが必要というのはまだ納得できるのだけど、寒さに震える冬に汗をかいて、職場に出て最初にすることが着替えというのは納得いかないものがある。放置すると風邪を引きかねないからなあ。チェコで冬場に着るものを選ぶのは難しいのである。だからこそ、選択がうまくいって、寒いと感じることもなく、汗をかくこともなかったときの喜びは大きいのだが、そんなことで喜べるなんて我ながら安っぽい人間だとは思う。
着用が義務付けられて久しいマスクも悩みの種で、職場に付く頃には濡れて冷たくなっている。今後気温がさらに下がったら、冷たいどころか凍り付いてシャリシャリになってしまうに違いない。その不快感を考えたら、多くの人が自主的な規制緩和を始めてマスクの着用を辞めてしまった気持ちもよくわかる。
まだ年も明けず、初雪が降ったばかりだというのに、春が待ち遠しくて仕方がない。何か毎年同じような愚痴めいた話を書いているような気もするけど、初冬の風物詩だということにしておこう。来年も同じようなことを書くなら、できればマスクなしで書きたいものである。
2020年12月4日21時。
2020年12月05日
自主的規制緩和?(十二月二日)
今週の月曜日から、規制緩和の一環として、基礎学校で授業が行われる学年が増えた。これまで1年生と2年生の授業だけが許可されていたのだが、5年生までと、卒業と高校受験を控える最終学年の9年生の授業が再開された。他の学年も、一部授業が再開されたのだが、二つのグループに分けて、一週間ごとに学校での授業とオンライン授業を交互に行うことになっている。高校でも、確か卒業試験と大学受験の準備が必要な最終学年の授業が再開され、他の学年が一週間ごとにオンラインと学校での授業を交互に行う点では基礎学校と同じである。
月曜日からの変更点はあくまで学校での授業が増えるということだけのはずなのだが、街を歩くと明らかに人の数が増えていた。ホルニー広場のクリスマスマーケットの準備も進んでいるので、道行く人の数が増えていること自体は、驚きでもなかったのだが、驚いたのは、ジョギングやサイクリングなどスポーツをしているわけでもないのに、マスクをしていない人が多いことだった。
学校以外の規制緩和は明日の木曜日から適用される予定だが、マスクの着用に関しては変更はないはずなのだが、人もそれほど多くないからということで、自主的にマスクの規制を緩和したというところだろうか。これまでもマスクを外して歩いている人がいなかったわけではないが、大抵はマスクは着用しているけれども口と鼻からは外していて、人のいるところでは、ちゃんと口と鼻を隠すというやり方をしていた。それが今週に入ると、マスクを持ってもいないような人が多くなっているのである。
どこまで効果があるのかもわからないマスクをしていると眼鏡が曇るし、息がしづらいし、もううんざりだという気持ちはよくわかる。だから、自分も日本にいたらマスクなしで町中を闊歩しているかもしれないとも思う。ただなあ、外国に住まわせてもらっている身としては、政府の出した規制を無視はしにくい。
ちなみにマスクは、うちののお手製の布のマスクを使っているのだが、先日市販のFFP2というカテゴリーのものを使ってみた。かけ心地自体は悪くなかったのだが、眼鏡が曇るのは布のものと大差なかったし、しばらく歩いていると内側が湿り始め、やがて雨が降っているような何とも不快な状態になってしまった。水蒸気がマスクの内側にこもって、外気に冷やされて結露し、小さな滴となって落ちてきたのだろう。せっかく高性能のものがあるのだけど、どうせ人とも会わないし、こんな不快になるのなら、使う必要はないか。
さて、明日からレストランなどの飲食店は、定員の半分、博物館は4分の1を上限に客を入れることが許可される。生活必需品以外を販売するお店も営業再開が許可され、売り場面積15平方メートル当たり一人が上限になっている。クリスマスプレゼントを求める人で行列ができるのは目に見えているから、買い物に出るのはクリスマス開けになるだろうけど、普通の生活が少しは戻ってくるようで嬉しい。
戻ってくるといえば、スポーツの試合に観客を入れることも許可されるという話があって、木曜日にヨーロッパリーグの試合を行うスラビアの場合には、2万人を超える収容人数を誇るエデンのスタジアムで600人にファンが声援を送る予定だという。この数字がどのようにして出てきたのかはわからないけれども、もう少し多くてもいいような気がする。十分の一で2000人とかさ。規制緩和で一度に集まれる人の数が増やされるはずだけど、それが600人になるのかもしれない。
深夜の外出禁止が解除されるのは悪いとは思わないが、外での、つまり道や広場を歩きながらの飲酒が解禁されるのは、あまり嬉しくない。せっかく飲み屋の営業が再開されるんだから、外じゃなくて中で飲めと言いたくなる。つぶれる飲み屋を減らすためにも、屋台でプンチなんてあまり美味しくもないお酒を飲むぐらいなら、飲み屋でビールを飲んだほうがましだろ。
その飲食店なんかでも、フライングぎみに営業を再開しているところがあるようにも見えたのだけど、あれはこちらの勘違いだったのだろうか。自主的に規制を強化する自粛を強要する人たちがいるのだから、自主気的に規制を緩和する人たちがいても不思議はない。
2020年12月3日14時。
2020年12月04日
ボジェナ・ニェムツォバー(十二月朔日)
チェコの女性作家というと、真っ先に思い浮かぶというか、ほかの名前がまったく思い浮かばないのだけど、チェコで過去、現在を問わず、最も有名な女性作家がボジェナ・ニェムツォバーである。ボヘミアの人で、オロモウツとはあまり関係ないと思うのだけど、旧市街の外側の公園に像が建てられている。田舎の因習と戦いながら作家活動を続けた人なので、女性解放のシンボルとしてチェコ各地に像が建てられたのかもしれない。
作品として最も有名なのは、1855年に発表された『Babi?ka』(おばあさん)である。チェコでは何度か映画化もされており、一番有名なのはリブシェ・シャフラーンコバーが主役の女の子を演じたものかな。また舞台となった地域は、「おばあさんの谷」として観光地になっている。
当然というわけではないけれども、日本語にも翻訳されていて、国会図書館のオンライン目録で確認できる範囲では、以下の二つの翻訳が単行本として刊行されている。
?@栗栖継訳『おばあさん』(岩波書店、1956)
言わずと知れたチェコ文学専門の翻訳者栗栖継の翻訳は、当初岩波の少年文庫の一冊として刊行されたようだ。その後、少年文庫を外れて、岩波文庫に収録されたのが国会図書館のオンライン目録によれば、1971年のこと。
念のために、hontoで確認をしたところ、少年文庫版は1979年の版が一番新しいようだが、残念ながら品切れで購入はできない。岩波文庫版は、1977年の版が重版を重ねているようで、今でも手に入るが、1188円という価格になっている。大部の本ではあるので、『R.U.R.』のような薄い本と比べると高くなるのは当然だが、70年代の文庫本の値段ではない。90年代に購入したときには、1000円以下だったと思うのだけど、古本屋で買ったんだったかなあ。
?A源哲麿訳『チェコのお婆さん』(東京、彩流社、2014)
二冊目は、「チェコの」という枕をつけて刊行された。訳者の源哲麿は、専修大学教授でドイツ文学を専門とする方。チェコの民族覚醒の象徴でもあるニェムツォバーの作品を、対立していたと思われるドイツの文学を専門とする人が翻訳したという事実にちょっと驚いてしまった。
事情の一端は、hontoの商品解説のところに書かれていた。「当時、ドイツ語系高等学校の
チェコ語の教科書として使われ」ていたというのである。当時が指すのが、19世紀後半のことなのか、チェコスロバキアが独立した後なのかはわからないが、個人的には、この本でチェコ語の勉強はしたくない。
それで思い出したのが、二年前のサマースクールで『Babi?ka』の一節を読まされたときのこと。知っている言葉でも形が微妙に違ったり、書き方が違ったりするというのも難しいと感じた原因の一つだったのだが、もう一つの問題は、先生の言葉を借りると、ニェムツォバーの時代のチェコ語は、まだまだドイツ語の影響を強く受けており、語順などがかなり現在のものと違うことだった。
ということは、ドイツ語を母語にする学生にとっては、比較的読みやすかったということになるのかもしれない。それで、ドイツが専門の方が、恐らくドイツ語版から翻訳したということなのだろう。でも、あのときのドイツ人の同級生達は、特にそんな感想はもらしていなかったけど。
商品解説には、「カフカの『城』の構想に大きな影響を与えたと見られる」なんてことも書かれているが、プラハに住んでいたカフカならチェコ語版を読んでいてもおかしくないような気もする。この時代のチェコの言語事情というのは、想像もつかないものがあるからなあ。
日本では『おばあさん』の作家として知られるニェムツォバーだが、エルベンと同様に民話を採集して集成するという仕事もしていた。ニェムツォバーの民話集、童話集というのは読んだことはないけれども、子供向けの童話映画の中には、たくさんニェムツォバーの作品を原作にして制作されたものがある。そんな原作、もしくは原案となった童話も翻訳されている。
?B中村和博訳「金の星姫」(『ポケットのなかの東欧文学 : ルネッサンスから現代まで』(成文社、2006)
原題は「O princezna se zlatou hv?zdou」で、同名の映画の原作になっている。同じような童話映画がいくつもあるので、記憶の中でごちゃ混ぜになっているのだけど、お姫様の婿取りの話。婚約者候補を嫌って城から逃げ出すのだったか。姿を変えて他所の国の城の厨房で働いているところを、王子に見出されて結婚したんだと思う。
番外
出久根育『十二の月たち : スラブ民話』(偕成社、2008)
原題は『O dvanácti m?sí?kách』。原作としてニェムツォバーの名前は挙がっているが、翻訳ではなく絵本として刊行されている。文章はついていても翻訳ではないということかな。この作品も映画化されているのだけど、エルベンの「花束」と同じようになかなかこわい作品になっていた。テーマは継子いじめ。
他にも童話や民話のアンソロジーの中にニェムツォバーの作品は入っているとは思うが、現時点では確認できていない。クルダやエルベンの童話のように、作者名を挙げずに翻訳が掲載されている可能性もあるので、著作権切れでデジタルライブラリーで閲覧できる戦前の童話集を探してみようか。発見したらまた報告することにしよう。
2020年12月2日12時。
2020年12月03日
アロイス・イラーセク(十一月卅日)
以前、イラーセクの『チェコの伝説と歴史』の日本語訳を紹介したところで、イラーセクの日本語訳はこれが最初なんてことを書いたのだが、単行本としての翻訳は2011年のこの本が最初だが、国会図書館のオンライン検索で調べたら、短編の翻訳が雑誌に掲載されたのは、1954年が最初だった。掲載した雑誌が共産党系の文学雑誌「新日本文学」だったというのは、時代のなせる業であろう。チェコスロバキアも共産圏の国だったわけだし。『チェコの伝説と歴史』刊行以前に雑誌などに発表されたイラーセクの作品の翻訳は以下の二つ。
?@種村季弘訳「ヤン様 チェコ人形劇上演台本」(「新日本文学」新日本文学会、1954.2)
訳者はなんと、ドイツ文学というよりは、澁澤龍彦と並ぶ怪奇幻想文学の大家の種村季弘。恐らくはドイツ語からの重訳であろう。わからないのは原典で、「ヤン様」というのは、チェコの人名としてヤンは存在するので、題名としてはおかしくないのだけど、「様」がついているということは、「Pan Jan」だろうか。呼びかけの形で「Pane Jane」でもいいかもしれない。ただし、そんな題名の作品は確認できなかった。
後に「チェコ人形劇上演台本」とあるから、イラーセクが人形劇用に書いた戯曲と考えてもいいのかもしれない。チェコという国は伝統的に人形劇が盛んなところで、プラハに限らず、いくつかの町に人形劇専用の劇場があるのだ。子供向けのテレビ番組「ベチェルニーチェク」で、普通のアニメーション作品以外に、「パットとマット」を代表とする人形アニメーションが制作され続けているのも、その伝統に連なると言っていい。もちろん、シュバンクマイエルの作品もそうである。
だから、イラーセクが人形劇の台本を書いていたとしても全く不思議はない。不思議なのは種村季弘がイラーセクを選んだことで、どこで見つけたんだろう。この翻訳は、後に没後に国書刊行会から刊行された『怪奇・幻想・綺想文学集 : 種村季弘翻訳集成』に「ヤン様」として収録されている。
?A石川達夫訳「ファウストの館」(『東欧怪談集』河出書房新社、1995)
この本は国会図書館のオンラインカタログでは、収録された作品の一覧がなかったため見落としていたのだが、今年九月に刊行された新版のところに付された収録作品一覧で発見した。この手のアンソロジーに収録された翻訳作品の中には、同様の事情で発見できていないものも結構ありそうである。
掲載作品の「ファウストの館」は、おそらく『チェコの伝説と歴史』中の「Faust?v d?m」の翻訳だろうと思われる。ファウストと言うと、ついついゲーテを思い浮かべてしまうけれども、プラハにもいたのである。チェコの歴史は神聖ローマ帝国と分かちがたく結びついているので、ドイツのものだと思っているものの中にも、実はチェコのものだったり、チェコにもあったりするものは、意外と多い。
ちなみに、編者はポーランドの文学作品の翻訳も多い沼野充義氏。旧共産圏という意味での東欧文学のアンソロジーをいくつか手がけていたと思う。日本で旧共産圏の文学が取り上げられるときに、どうしてもポーランドが中心になるのは、国の大きさから言っても仕方がないのかなあ。チェコの人間としてはちょっと残念である。ポーランドの文学も嫌いじゃないんだけどね。『クォ・ヴァディス』とか面白かったし。
そして、2011年になって『チェコの伝説と歴史』(Staré pov?sti ?eské)が北海道大学出版会から、『暗黒』(Temno)が2016年に成文社から刊行される。上下二分冊で刊行された『暗黒』には、「18世紀、イエズス会とチェコ・バロックの世界」という副題がついている。訳者はともに浦井康男氏。この二冊についてはすでに紹介したので特には記さない。
2020年12月1日12時30分。
2020年12月02日
連立解消寸前(十一月廿九日)
バビシュ首相のANOとハマーチェク内務大臣が党首を務める社会民主党の連立政権は、その成立以来、両党の意見の対立で何度も解消の危機を迎えてきた。社会民主党内の閣僚ではない有力政治家が下野を求めて声を上げたのも一度や二度のことではない。そのたびに、どちらかというと社会民主党側が妥協することで連立が継続してきた。
春の緊急事態宣言が出ていたころも、当初の先がまったく見えなかった最悪の頃は、政府全体が一致して行動をしている印象がなくはなかったが、感染者の数が減り始め、規制緩和が日程に上るころになると、主導権をどちらが握るかの争いが始まり、例によってメディアやSNSを通じて、それぞれが見解を発表して、意見が一致していないことを衆目にさらしていた。
そしてその対立は、最も重要な来年度予算の編成とその国会での審議でも、最悪の形で現れた。チェコの政界では、かつて市民民主党が政権をになっていた時代に導入された所得税の制度を改正することが懸案となっていた。これは、給与所得に直接税率をかけるというものではなく、所得額を元になんだからよくわからない「スーパー・フルバー・ムズダ」というのを算出して、それに税率をかけて税額を決定するというもので、市民民主党さえ廃止を主張していた。
バビシュ政権もこの税制の改正を政策の一つとしていたのだが、ここまで実現できていなかった。それを現在の経済危機の状況で、経済的な対策の一環として実現しようというところまでは、政府内で一致していたのだが、改正後の税率に関してANOと社会民主党の意見が合わず対立していた。ANOは給与所得に対して一律15パーセントを主張し、社会民主党はそれでは国家の収入が減りすぎるとして19パーセントを主張していた。どちらも大幅な減税になるという点では変わりはない。
そして、与党二党は、事前の話し合いで合意に達するという努力を放棄し、そのまま予算案を下院に提出し、それぞれが修正案を同時に提出するという、ありえないだろうと言いたくなるような挙に出た。そして、市民民主党とオカムラ党の支持を得た15パーセントの修正案が可決され、社会民主党側の反発を呼んだ。市民民主党は税率15パーセントというのはもともと自分たちの案だから賛成するのは当然だといい、社会民主党は市民民主党の案だから賛成できないんだとか言っていた。
同時に、与党が対立して混乱していたせいで、海賊党の提案した控除案などのいくつかの減税案が可決された結果、来年度の税収が1300億コルナほど減ると試算されている。ただでさえ大きな赤字で予算が組まれている上に、これでは大変なことになると、バビシュ首相とシレロバー蔵相は、次に予算案を審議する上院に対して、下院で可決された予算案をそのまま承認しないように求めている。何やってんだかである。
社会民主党だけでなく、ANOと市民民主党が可決させた15パーセントという税率に反対している人たちが、一番問題にしているのは、地方公共団体の収入が激減することである。チェコでは、住民の支払った所得税の一部が地方公共団体に分け与えられることになっていて、それが収入の大半を占めるのである。当然、すでに来年度の予算を、今年の税制を基に立てているところが多く、この時期になって収入が大きく減るような減税をされるのは、迷惑以外の何物でもなかろう。
今回の予算案と共に可決された減税案が実施されれば、給与の額は変わらなくても、手取りの額は毎月数千コルナ増えるらしいから、個人的にはありがたいと思わなくもないけれども、その程度の額で、ギリシャのように国が破産なんてことになったら割に合わない。バビシュ政権の悪いところは、極端に走りがちなところである。現実的な線で考えたら少しの減税でも喜ばれたと思うのだけどなあ。
来週からの規制緩和についてもANOと社会民主党は対立していて、緩和を進めたがるANOの閣僚に対して、ハマーチェク内務大臣が反対しているようである。結局数の論理で、ANOの主張する規制緩和が行われることになった。ただし月曜日からではなく、木曜日からカテゴリー3の規制に切り替わるらしい。つまり、食料品や薬など生活必需品以外を販売する店も、レストランなどの飲食店も規制はあるものの営業が再開されるのである。
2020年11月30日16時。