全445件 (445件中 301-350件目)
9月に走った「佐渡島一周」の完走証が記録などと一緒に送られて来た。完走証の中の写真は、確か初日のまだ早い段階で撮られたものと思う。私はランパン、ランシャツ姿で満面の笑みを浮かべ、まだまだ余裕がある表情をしている。完走証のデータのうち、第3ASと第4ASの設置地点が同じ距離と誤記なのがご愛敬か。 「佐渡島一周」はタイムを争うレースではないとの理由で、原則として順位は発表しないし表彰もない。さらに言えば「参加賞」だって主催者のS木さんが好きな新潟の銘酒「越の寒梅」と決まっているのだ。(笑)冗談はともかくとして、折角送っていただいた記録表なので、大会の趣旨に反するかも知れないがゴールした順に整理してみた。ご参考まで。☆エントリー人数52名 ☆不参加4名 ☆途中リタイヤ5名 ☆コースアウト1名順位 タイム 選手名 県 年齢 性別 出場した主な大会 1 28:45 O 埼玉 34 男 萩往還 250 42:24 2 30:27 S 宮城 60 男 萩往還 250 39:29 3 31:01 K 新潟 55 男 雁坂峠 141 19:27 4 34:29 S 東京 61 男 ぎんが 100 11:10 5 34:31 N 東京 59 男 秩父 140 22:00 6 35:29 K 神奈川58 男 冨士五湖117 11:29 7 35:57 W 神奈川69 男 さくら道270 43:00 8 36:09 H 栃木 62 男 さくら国250 33:51 9 37:15 K 神奈川47 男 隠岐島 100 12:1910 38:03 S 大阪 56 男 佐渡島 211 38:5911 38:41 N 富山 59 男 丹後 100 13:1612 38:58 O 宮城 56 男 佐渡島 211 43:2013 39:14 F 秋田 36 男 ぎんが 100 9:1314 40:00 A 神奈川52 男 甲州夢 215 34:3715 40:23 私 宮城 63 男 佐渡島 211 41:4016 40:30 T 千葉 55 男 川の道 522 121:5917 41:25 D 宮城 50 男 萩往還 250 46:2318 41:39 S 富山 36 男 佐渡島 211 46:3819 41:41 T 宮城 59 男 くびきの100 12:3120 42:15 H 兵庫 60 男 萩往還 140 21:3921 42:16 S 兵庫 37☆女 甲州夢 215 32:5522 42:24 K ブラインド 男 ー 23 42:32 S 神奈川39 男 サロマ 100 ? 24 42:55 Y 東京 47 男 エコ 100 12:5025 43:36 O 新潟 42 男 しまなみ100 12:0026 43:58 U 新潟 54☆女 くびきの100 13:0127 44:24 N 兵庫 60 男 太陽の道190 39:2328 45:24 I 埼玉 男 -29 45:37 S 埼玉 67 男 磐梯高原102 13:3430 45:38 M 宮城 56 男 佐渡島 211 43:2030 45:38 Y 宮城 52 男 サロマ30 45:38 K 宮城 60☆女 宮古島 100 13:2630 45:38 S 東京 72 男 磐梯高原102 13:5734 45:47 K 新潟 33☆女 北丹沢山 44 9:0435 46:23 H 新潟 36 男 佐渡島 211 45:4836 46:25 T 新潟 38 男 くびきの100 13:4237 47:14 K 福岡 21 男 宮古島トライアス10:5638 47:31 F 新潟 49 男 くびきの100 13:1338 47:31 T 新潟 52☆女 磐梯高原100 13:5840 47:57 K 兵庫 51 男 伊豆大島100 12:5440 47:57 S 埼玉 52 男 サロマ 100 12:1140 47:57 O 群馬 56 男 くびきの100 11:20 これまで走った最長距離がたった44kmで参加した新潟の愛ちゃんとトライアスロンの経験しかなかった福岡の正太君(レース中に21歳の誕生日を迎えました)。皆の注目を集めた若き男女2人が200kmを越える超長距離のレースに挑戦し、見事完走を果たしました。私の目から見たら無謀とも思える彼らの挑戦でしたが、良く頑張ったと褒めておきましょう。 愛ちゃん(HN:銀のねこさん)と共に私のブログに書き込みをしてくれた秋田のF原さんが、悪戦苦闘した「佐渡島一周」の完走記を彼のブログにまだ執筆中です。これも「佐渡」が取り持った縁でしょうね。良かったら覗いてみてくださいね。 http://plaza.rakuten.co.jp/RJUN100/ です。
2007.10.18
コメント(4)
昨日の仙台の最高気温は14度にもならなかったとか。道理で寒かった訳だ。急いで居間に電気カーペットを敷き、私の部屋にはコタツを作った。まだ温風ヒーターへ灯油は入れてないが、これでも当分は暖かく過ごせるだろう。 今日は帰宅ランの後昼食を済ませ、値段が安いと聞いた遠方の園芸店までマウンテンバイクで行ってみた。タマネギの苗を買う予定だったが、苗が出回るのは今月末か来月初めになるとのこと。夏が暑かったせいかも知れない。我が家もタマネギの種を蒔いたのだが、長雨で折角出た芽が駄目になってしまった。 店内を見回すと結構安くて良い品が多く、折角なのでケイトウを4本と千円の西洋シャクナゲを買った。念のためにシャクナゲの植え方を聞いたら、鹿沼土に腐葉土などを混ぜると良いらしい。帰宅して今度は荷台のある自転車でDIY店に行き、鹿沼土、砂利、芝の目土を購入。 西洋シャクナゲを買ったのは、先日庭仕事中に、私が誤って折ってしまったからだ。植えてから6年ほど経ってようやく花芽をたくさんつけたのに残念だった。来春の植木市では是非買いたいと思っていたところだった。植木には鹿沼土が合うことは、知識として頭のどこかにはあったのだが、実地には生かしてなかった。例えば西洋シャクナゲだが、これまでなかなか花芽がつかなかったのは、土の成分などについて余りにも無知だったからだろう。 今年たくさんの実が生ったユスラウメが夏以降に急に枯れた理由が分からなかったのだが、妻が果樹に詳しい人に聞いた話だと、果樹は酸性度の高い土を嫌うとのこと。そのため石灰で中和し、腐葉土などを鋤き込んで土の成分を良くする必要がある由。そう言えば今回のユスラウメ同様にずいぶん前に枯らしたアンズも、畑の直ぐ側に植えていた。もちろん石灰は撒いてはいたが、それ以上にせっせと窒素肥料を撒き、酸性化させてたのが悪かったのだろう。 ナナカマドやカリンなどを枯らしたのは、移植した時に根を切り過ぎてしまったからだった。この秋移植したハナズオウも葉がすっかり枯れている。ひょっとしたらこれも駄目にした可能性が高い。狭い庭なので樹木が大きくなると、どうしても植える場所を変える必要が出て来るのだが、素人の悲しさで樹木の性質や土の成分、植え方などの知識が足らないために、結局駄目にすることが多いのだろう。 元々我が家の土地は30年間も放置して全国を異動しているうちに工事の残土などを捨てられ、石ころなどがゴロゴロ出て来てとても畑や庭になる場所ではないのだ。畑の方は年に何度か掘り返すため徐々に土壌の改良も出来るけど、庭の方は全て掘り返すことは出来ず、栄養が悪いままなのだ。それでも最近では梅、柿、イチジクなどの実の生る木や花の咲く木の根元には、春先に堆肥を撒くようにしたのだが。 オオテマリや柿の葉が毒蛾の幼虫にほとんど食べられた年もあった。またバラや梅にはアブラムシなどがつくため消毒が欠かせないし、畑の葉物には直ぐに蝶々が卵を産み付ける。ひょっとしたら人間が生物を育てることは、他の生物との競争なのかも知れない。この秋、小さな畑で育てた春菊を、もう何度か摘んで食べた。例え失敗は多くても、そんなささやかな収穫が私達夫婦の目下の楽しみになっている。
2007.10.17
コメント(4)
昨日から第1現場では冬の制服を着用し始めた。厚い生地の冬服。ワイシャツにネクタイ。腹部を縛る幅広のベルト。暑苦しい帽子。半袖の軽い制服に慣れていた体に、冬の重たい制服は厳しいだろうと思っていたのだが、このところ急速に気温が下がって来たせいで案外大丈夫だった。 その代わり良く動き回る第2現場の作業服はまだ半袖シャツのままだし、作業中はそれすら脱いでTシャツだけになっている。そして帰宅ランはランパンに半袖Tシャツ。そのスタイルで走っていると、通りすがりの人が首をすくめている。その姿を見てるだけでも寒さを感じるのだろうか。 63歳にもなってこの時期にランパンで走れる健康体を感謝すべきなのだろう。一昨日のクラス会で聞いた話だと、当時55名いた級友のうち既に8名が物故者となり、目下6名が体調を崩しているらしい。それに住所不明になった級友も3名いた。 少し書き足すとO江は唯一私が警備員として働く姿を見ている。彼はそのビルの関連会社の社長のようだ。道理であそこで出会えたわけだと納得。鶴岡に住むS藤は、かつて私が「鶴岡100km」への参加を目指していたことを良く覚えていてくれた。 最近ハーフ程度の距離を走れるようになったと話すS木は千葉県佐倉市に自宅があるが、住所を見たらこの3月に走った「佐倉マラソン」のスタート地点の直ぐ側だった。近所の児童館の館長をしているS原には帰宅ランの途中に何度か会っている。宴会の席で私が100kmとか200kmとかを走ると話すと、皆はビックリし、きっとこの中で最も長生きするのは先生と私だろうと話していた。(笑) さて、先日のWBCフライ級タイトルマッチの最中に発生した「亀田事件」に対して、このたびJBCから裁定が下った。18歳の大毅本人は1年間の出場停止。試合でセコンドを勤めた兄の前世界チャンピオン興毅に対しては厳重戒告。父親でセコンド役の史郎トレーナーについては無期限セコンド資格停止。そして所属ジムの金平会長は3ヶ月間のオーナー資格停止と言う厳しい処分内容に加え、今後は「亀田道場」での練習を認めず、金平ジムでしかトレーニングを受けられないことになった。 つまり今後父親の史郎氏が亀田兄弟を指導することは一切不可能で、兄が弟の試合のセコンドに立つことも出来なくなる。聖なる世界タイトルマッチの場を汚した代償は、余りにも大き過ぎたと言うべきだろうか。本来最もストイスティックなスポーツであるボクシングの試合が、あたかも芸能ショウのようになってたこと自体が間違っていたのだ。今回の処分に対する亀田家側の反撃も難しいと思うがどうだろうか。
2007.10.16
コメント(0)
久しぶりに背広を着、バスに乗って郊外の温泉に向かう。ホテルに着くと受付に3人のクラスメートがいた。どうやら私が一番乗りだったみたいで、恩師もほかの級友もまだ着いてない。案内状を良く見ると開宴は6時からのようで、まだ2時間もある。暫く部屋で寛いでいた。恩師がホテルに着いたのは5時半頃。一緒に温泉に行く。 恩師の喜寿の祝いを兼ねたクラス会の司会者はA沢。彼は地銀の支店長を勤めた温和で面倒見の良い男。彼がいなければ2年に1度のクラス会も開かれないだろう。その彼の口から思いがけない言葉が出た。この1年で2人の級友が亡くなったとのこと。 そのうちの一人Yは学生当時は合唱部に所属し、美しいバリトンの声でいつも歌を披露して呉れた。彼の死因は舌癌だった由。あの明るい男の美声の歌がもう聞けないと思うと、とても淋しい。これでクラスの物故者は8名になった由。宴会に入る前に全員で黙祷。 恩師は昨年の3月まで高校で国語を教える非常勤講師を勤めていた由。仕事を辞めて以来毎日が日曜日で張り合いがなくなったと話す。視聴覚教育の中心だったため、3年生を担当したのは私達と2年先輩達だけだったとか。その2つの年度の卒業生が良くクラス会に招いてくれると喜んでいた。 代表の挨拶をしたのはクラス委員長だったS井。彼は大学1年の時に父親を亡くし、稼業の船具店を継いだ。おっとりした人物でクラス会の永久会長に衆議一決。その彼が私の第二詩集を持参したことにはビックリ。 代表でお祝い金を渡したO場は当時サッカー部所属。自営業で悠々自適のよう。春先ランニング中に出会った時に、恩師の喜寿の会を催す予定と教えてくれたのが彼。レースとかちあわなくて本当に良かった。 横浜に住むA達はクラス会初参加で皆と会うのは46年ぶり。彼の住所をずいぶん前に同窓会に教えたのが私だった。東京勤務時代の私に結婚式の司会を依頼しに職場に訪れ、私が司会をしたそうだがすっかり忘れていた。だが一緒に行った鎌倉で迷子になり、別々に帰ったことを彼は忘れていた。 大阪に住むT代はクラス会にはいつも飛行機で来る常連。彼の出身はどういうわけか鹿児島の屋久島なのだとか。島には甥が経営している旅館がある由。ひょっとして今後お世話になる可能性があるかも。 Y田は国立大学の経済学部を卒業して金属加工のメーカーに勤務し、経理部長を勤めたとか。現役の最後の方は外国に建設した工場へばかり行っていたと話す。意外だったのが現住所で、何と走友会の練習コースの直ぐ側だった。 Y夫は私と同姓で地銀の支店長を勤め、定年後は関連会社の経理部長をしていた。まだ詩を書いてるのかと私に問う彼に、今は毎日ブログに3千文字ほど日記を書いてると話すと驚いていた。高校当時まだ坂元町だった彼の家に遊びに行ったことがあったが、海が荒れていて泳げなかったことは忘れていた。 参加者22名の話は尽きない。席を廻っているうちにすっかり酔ってしまった。私の他は全員一泊し、翌日は懇親ゴルフもあるのだが、翌朝勤務のある私は2次会に少しだけ顔を出し、9時過ぎにタクシーで帰宅した。 今日は名幹事A沢が作ってくれた級友の住所録を見ながら、昨夜のことを書いた。恩師が元気そうだったのが何より嬉しい。実は私達夫婦の仲人をしてくれたのも恩師だった。そして長らく企業戦士として頑張って来た級友達一人一人の健康を、心から祈りたいと思う。
2007.10.15
コメント(0)
昨夜は珍しく8時間ほど眠れた。そんなに眠るのは年に数回しかない。よほど体が疲れていたのか、夜中にトイレに起きたのも2回ほどだけで済んだ。今朝は久しぶりに走ろうと思って、枕元にトレパンなどを用意していた。日曜日の朝から走ることも私にとっては珍しいことだった。 窓ガラスに結露が出来ている。今シーズンでは初めてのこと。きっと朝方の気温が低かったのだろう。用意したTシャツは幸い長袖のもので、用心して軍手をはめることにした。愛犬を犬小屋から出すと、もう散歩に行くのだと張り切って飛び出す。左手にはウ○チ用の袋、右手にはリード(綱)を持って、明るくなった朝の道へ走り出す。 そうそう、今朝のランニングは愛犬の散歩を兼ねてのものにしてみたのだ。久しぶりに私と走る愛犬はいつもと様子が違うので、どう走ったら良いか戸惑っている。オシッコやウ○チに時間を取られるのは最初だけで、徐々に彼もペースが分かって来たようだ。 愛犬とランニングするのはZ川沿いの11kmのコースと決まっている。後でノートを調べてみたら、彼とこのコースを走るのは何と元旦以来のことだった。(笑)いつもは反時計回りをするのだが、今日は最初から太陽に向かう時計回りにして見た。朝風が冷たく感じて鼻水が出る。やがて走っているうちにそれも治まった。 Z川の堤防まで来ると、風に乗って良い香りが鼻腔をくすぐる。最近除草をしたばかりなのか強烈な干草の匂いだ。刈られた草が太陽に照らされて発するその香りが、私はとても好きだ。暫くこのコースを走らないうちに、新しいマンションやコンビニが幾つか出来、道路が拡張されていた。そして稲刈りの済んだ広い田圃の向こうには、走友会の練習コースである隣の市の山々が朝日を浴びていた。11kmを長く感じたのは、間違いなく練習不足のせいだろう。(笑) 10時過ぎに町内会の集会所に行く。今日は豊齢会(老人会)の集まりで、郷土史の講演があるらしい。約束の時間より早いのに、もう話が始まっていてビックリ。話の内容は私達が住む地区の歴史で、講師は博物館で市史の編纂に携わっている方。さすがは研究者らしく渡された資料には出典が細かく載っている。専門は近世史かと感じた。 古代から中世、近世、近代、現代へと、私達が住む地区の歴史が1時間かけて説明された。私の関心事でもあるだけに興味が湧き、あっと言う間に話は終わってしまった。直ぐに退出すると言う講師に古代の官道がどこを通っていたか訊ねた。これまでの研究では実方中将が通った山沿いの道だと思われて来たが、つい最近発掘された大野田の遺跡や、その周辺に「東街道」の地名があることから平野部を通っていた可能性もあるとのこと。専門家の間でもまだ結論は出ていないようだ。 さて、今夜は高校時代の恩師の喜寿を祝って、郊外の温泉でクラス会が開かれる。祝賀会、懇親会に続いて二次会があり今夜は一泊し、明日は親睦ゴルフとか。私は明朝も仕事があるので今夜のうちに帰宅する予定だ。そのことはまた明日書くことにしよう。
2007.10.14
コメント(0)
柿の葉が落ち出した。黄葉したシャラの葉が風に吹かれて玄関先に散っている。風は既に秋のもの。今日は風呂の床に敷くマットと、湯船の保温用のシートを物置から出した。コタツを作るにはまだ早いものの、つい先日まで着ていた半袖ではもう寒い。 建築家の黒川紀章さんが亡くなったことをニュースで知った。春の都知事選や夏の参議院選に立候補して話題を振りまき、ついこの間まで元気でいたのが嘘のように思えるほどあっけない最期。選挙中も決して体調は良くなかったようだが、あの大騒ぎは一体何だったのだろう。 先日創立30周年祝賀会開催の案内が来た8番目の職場の建物は黒川氏が設計したものだった。その後何度か増築しているが、設計者である黒川氏の了解を得るのが大変だったとも聞いた。自分が手掛けた建物に対する思い入れがそれだけ強かったのだろう。それにしても人の生命とは、実に儚いものだ。 今朝は起床して直ぐ、自転車で3度石材を運んだ。様々な色と形をした石が石材店の石置き場に捨ててあるのだが、その中から敷石になりそうなものを選ぶ。捨ててあるくらいだからあまり立派なものはないが、そんな石でも幾つか荷台に積むと相当重い。坂道をえっちらおっちら、ふうふう言いながらペダルを踏む。足にかなりの加重がかかり、とても良いトレーニングだ。 朝食後裏庭に敷石を敷く作業を開始。まず硬い土を掘り起こし、石の厚さや大きさに応じて穴を掘る。次に適当に土を均し、既に敷いてある石とのバランスを考えながら石を敷いて行く。結局今回持って来た石材だけでは家の周りを一周させることは出来なかった。 近所のスーパーで買い物した後、今度はDIY店まで芝生を購入しに行く。実は前日も芝生と砂利を買い、庭の手入れをした。先日来の美化運動の続きで、石を敷き芝生を張るスペースはまだまだあるが、問題はどこまでやるかだ。 そんなことで疲れが抜けず、午後は横になりながらパリーグのプレーオフを観て、走友会の練習には行かなかった。今月走ったのは2回で、合わせてもまだ29kmだけ。下旬にはレースでフルマラソンを走る予定があるが、焦りはまったくない。私は疲れが激しい時に無理はしない主義だ。 階段を上り下りして建物を巡回したり、重いダンボールを持って何度も踏み台に上がる肉体労働が目下の私の仕事。それに愛犬との散歩、自転車での買い物や野球観戦など、日々の暮らしの中での運動が、きっと少ないランニングの練習量を補い、自然と足腰を鍛えてくれているのだと思う。 さて、地元のユネスコ協会の理事長をしている先輩から、「県民大学」に入るよう勧誘があった。だが私はまだまだ現役の労働者で、平日の日中から講義を受ける身分ではない。これからも汗を流しながら働き続け、ウルトラマラソンの費用を稼ぐ積りだ。「県民大学」や「老人大学」へ行くのは、仕事を辞めてゆっくり出来るようになってからでも遅くはないだろう。
2007.10.13
コメント(0)
昨夜はWBCフライ級世界チャンピオンタイトルマッチがあった。チャンピオンは内藤大助33歳、挑戦者は同級世界14位亀田大毅18歳で期待して観ていたのだが、挑戦者の経験不足で試合内容には大きな差があった。亀田陣営の筋書きとしては最年少チャンピオン誕生を狙っていたようだが、頭突きや肘打ちが多くて見せどころが少なく、最終回はタックルなどのルール違反で3点減点されるなど散々な出来だった。 これまでの試合で圧倒的な強さを見せ付けて来たのは一体なんだったのか。やはり「旬」を過ぎた弱いボクサーばかり相手にしてたのが実態だったのだろうか。世界チャンプの兄興毅がセコンドに入って違法な反則技を指示していたと言う報道もあるようなので、今後コミッショナーがどう動くかだ。 違法と言えばつい最近ネットを介した嘱託殺人で30代の男性が逮捕された。妻が治療のためにもらった向精神薬をネットで販売したり、自殺の手助けや挙句の果ては殺人の請負まで、手作りのHPで表明していたと言う。容疑者から睡眠薬を購入し自殺した人も現実にいたようだし、睡眠薬を飲んだ女性の依頼で袋を被せて窒息死させたと言うから世も末。死を商売の道具にして得た金を、容疑者は遊びの資金にしていたようだ。ネットの闇は深い。 簡単に人殺しの手伝いをする人がいる一方、前途ある青年を寄ってたかって殺した相撲部屋があったことにも驚いた。何度か逃げ出した新弟子に「焼き」を入れるため、親方の指示で兄弟子が徹底的に痛めつけ、ついに死に至らしめてしまった。親方自身、亡くなった青年の頭部をビール瓶で殴っていたと言うから呆れて物が言えない。 この事件は横綱朝青龍の非常識極まる態度などとは問題にならないくらい社会的影響が大きい。何故なら朝青龍の問題は彼個人の倫理観とか非常識が問われるだけで済むが、今回の死亡事件は犯罪だからだ。他の部屋でも新人に「焼き」を入れることはあるらしいが、果たしてこれが「国技」とも言われる大相撲界の実態だとしたら悲しいし恥ずかしい。密かに噂される「八百長」など、大相撲の世界には我々がまだ知らない闇の部分が、きっと存在しているのだろう。 さて、ミャンマーで銃殺された報道カメラマンの死も悲惨だった。我々があまり良く知らないミャンマー軍事政権の実態の一部が、今度の事件で明らかになったのではないか。多くの民衆から尊敬を受けている僧侶すらデモに立ち上がったミャンマーの今の姿を、世界に伝えようと危険も顧みずに現場に向かって撮影を続けるカメラマン。それを妨害するため、背後から至近距離で発砲した兵士。 亡くなったカメラマンの手に最後まで握られていたビデオカメラだが、ミャンマー軍が証拠隠滅するためか遺族に返還されることはなかったようだ。アウンサン・スーチー女史の軟禁と言い、彼の国の民主化への道のりは遥かに遠そうだ。民衆を苦しめる深い闇。我が国にもかつてそんな闇の時代があったことを、決して忘れてはいけない。
2007.10.12
コメント(0)
昨日は朝から晩まで働き通しだったためにクタクタの状態で日記を書いていた。今読み返しても疲労感が滲み、全く文章に潤いがない。が、それはそれで仕方がないと思う。今日も睡眠不足が重なってまだ疲れは取れず、似たような状況で日記を書いている。 出来る限り毎日日記を書くと言うノルマを課した以上、草臥れて多少硬い表現になったとしても許してもらうしかない。変な譬えかも知れないが、自分にとっての日記はウルトラマラソンのレースと同じで、じっと辛抱の修行みたいなものだ。そのうちまた楽になる時が来る。 さて、8番目の職場だったさる博物館から案内状が届いた。勤務したのは10年以上も前のこと。世間ではまだ馴染みの薄かったマルチメディアを取り入れた最先端の研究と展示を試みる斬新な職場で、パソコンなど機器類の扱いが最も苦手な私がどうした訳かシステム関係の部署に配属され、予算要求の説明などで相当苦しんだものだ。 来月中旬に開館以来30周年を迎えるに当たり、記念式典と祝賀会を開催するための案内状と、別途特別企画展の案内が今回届いた。仙台から遥かに遠く、私が欠席しても何の影響もないためはじめから出席する意思はなかった。だが自分にとって仕事は厳しかったが、国内で最先端の博物館活動には目を見張るものがあり、とても良い刺激になったことだけは確かだ。 話は変るが、私も今日何通かの案内状を全国に出した。筑波時代の悪友と年1回定期的に開催している麻雀大会がその用件。昨年愛知県犬山市での大会で優勝したため今回は私が幹事だったのだが、8月の「立山登山マラニック」9月の「佐渡島一周」を無事完走して、ようやく準備する気になったのだ。 皆の都合を問い合わせた結果、今月下旬の最終土曜、日曜が好都合だと分かった。希望があった飯坂温泉周辺の宿を急遽手配し、パンフレットが届いた今日案内状を送付した次第。欠席は3人で1人は高齢に因る症状でドクターストップ中の先輩。1人は超多忙で来年2月まで予定が立たない後輩。そしてもう1人はたまたまその日都合が悪かった後輩。10人近いメンバーにスケジュールを照会すれば、どうしても誰かが犠牲にならざるを得ない。 遠く三重から1名、東京から2名、千葉から1名、茨城から2名、そして宮城の私の合計7名が今回の参加メンバー。年々OBが増え、この会合を楽しみに待っている先輩や同僚も多くなった。現役時代は女房に目の敵にされた麻雀仲間だが、今もなお最も気心の通じ合う悪友はとても大切な存在で、勝っても負けても一晩中酒を飲みながら戦い続ける姿は、とても女房族には見せられない。(笑)ビバ!懐かしい悪友達よ。再会の日はもう直ぐだ。
2007.10.11
コメント(0)
今日は遅番のため夕方からの勤務だった。夕方から夜の8時まで勤務する遅番のTさんが飲み会で、早番の私と交代したのだ。私は本来朝からお昼前までの勤務だから、遅番の彼と直接顔を合わせることはない。このためノートに業務上の連絡事項を記して、共通認識を持つようにしている。 この5月から勤務してからようやく半年経った彼は元高校球児だけに、ノートに書かれた連絡事項の内容はいつも明快だ。それに建設業界で長らく営業を担当して苦労したせいか配慮に富み、いつも打てば響くような答えが帰って来るので有難く思っている。 今回は彼の依頼で勤務を交代したが、来月は私が胃の検診を受けるために交代をお願いした。胃の検診なんて前職を辞めて以来だから4年ぶりのことになる。妻が国民健康保険で安く受診出来ると言うので初めて申し込んで見たのだ。歳を取れば健康には人一倍気を遣うが、一人勤務の職場ではお互いに融通をし合わないと休みも取れないのが実態。 そんな事情のためレースの際も極力休暇は取らないようにし、近場だと100km走った翌日も早朝4時半には起きて仕事に向かう。レースで大怪我などしたらたちまち勤務先に迷惑をかけてしまうのでうっかり怪我も出来ない。また、疲労で勤務に支障が出るようでも困る。 今朝は久しぶりにゆっくり起きた。勤務先へは午後4時頃まで行けば良いので、またまた朝から家の仕事に専念した。まず西隣の駐車場近辺の雑木を切る。持ち主は東京の人でほとんど管理してないような状態。桑も竹も簡単に伐れるので手間はさほどでもない。これからは太陽の位置が低くなる一方なので、木を伐ると我が家の庭に良く日が当たるようになる。 引き続き花桃とムクゲを移植。次いで敷石を敷き直し、芝生を張り替えた。午後からは犬小屋周辺に砂利を敷き、人工芝のマットを敷く。それもこれも退屈した愛犬が穴を掘って芝を台無しにしたからだ。芝生、砂利、人工芝は自転車で出かけ、DIY店で買って来た。2束の芝や4袋の砂利は非常に重く、一度は自転車のハンドルが取られ危うく転倒するところだった。 ともあれこの所続いていた我が家の美化作戦はほぼ終了した。見違えるようにきれいになった庭や畑を見て、妻もすっかりご満悦。多分暫くは機嫌良く接してくれるだろうと淡い期待をしている私だ。その妻は私が枝を伐り過ぎた表の家に、お詫びの印として柿を買い持参した由。妻との関係同様に、近所付き合いはなるべく穏やかな方が良いみたいだ。
2007.10.10
コメント(0)
キンモクセイの強い香りが漂って来る。ムラサキシキブの小さな紫の実が宝石のように光っている。そしてウメモドキの赤い実は、今年はまだヒヨドリに食べられずに済んでいる。朝夕は寒さすら感じるようになり、朝の散歩時にはまだ夜空に星が光っている。それだけ夜明けが遅くなったのだろう。昨日の愛犬との散歩の時に、赤い実のついたガマズミの枝と萩の一枝を手折って来た。秋は少しずつ深まって来たようだ。 この3連休、私はまたまた畑や庭仕事に精を出した。移動した物置があった場所には砂利と敷石を敷いた。先日狂い咲きして白い花をつけたハナズオウを移植したが、根を切り過ぎたので果たして根付くかどうか。茂り過ぎたレンギョウは、思い切ってかなりの枝を剪定した。お蔭で塀際がすっきりし、見通しが良くなった。 畑では大根の最終間引きをし、土寄せをした。これで虫に食われて遅れ気味だった成長の度合いが少しは早まると思う。京水菜は先日消毒したせいか、その後虫食いは治まり苗の成長が目立った。今回は間引きした苗を他の畝に移植してみた。お百姓さんがそうしているのを見たからだが、何とか根付いてくれそうな感じだ。 DIYショップに行って花の苗や球根などを買った。今回買った球根はチューリップと百合とスイセン。きっと来年の春には美しい花々が我が家の庭先を飾ってくれるに違いない。そして花の苗は紫の花を持つハーブとパンジーなど。それらは今、花壇や植木鉢で鮮やかな彩りを見せている。 そしてDIY店では庭用の照明装置も買った。3千円ほどの安物だがソーラー式で、年1回電池を替えるだけで良い。人が近づくとセンサーが働き、案外足元を明るく照らしてくれる。実は駐車場からの階段が暗く、時々足を踏み外すことがあったのだ。これから歳を取るにつれて危険度が増すと考え試しにつけて見たのだが、喜んだ妻は用もないのにその前を何度もウロウロしていた。 我が家に入り込んでいた裏の家の篠竹を何本か切った。表の家には断って高い桧の枝を切らせてもらった。だが、そんなに伐り過ぎた訳ではないと思うのだが、妻の話ではそこのご主人が怒っていたみたいだ。前回木を伐ってと頼んでも彼はなかなかやってくれず、やはり私が危険を冒して伐った経緯があった。 本来なら隣家に迷惑をかけないよう自分で処理するのが鉄則。今回の「事件」が今後何らかの軋轢になるかは分からないが、気にしながらも極力気にしないでおこうと思う。人間には誤解がつき物。そして人生万事平穏とは限らない。ひょっとして、秋は己の生き方を振り返る季節なのかも知れない。さて、明日は芝の張替えでもするとしようか。
2007.10.09
コメント(0)
しかしまあ強い人がいるもんですねえ。これがまだ若い女性なんですからビックリです。名前は「佐渡島一周」で一緒だったR子さん。佐渡の翌週に215kmの「甲州夢街道」を完走したことは既に紹介したところです。初日、2日目と共に雨だったそうです。その雨にも負けず、峠を幾つか越えて、無事日本橋のゴールに着かれたんですねえ。 そのR子さんがこの3連休でまたまた200kmを走られたとか、土曜日の練習会の時D口氏に聞きました。レースの名前は聞いたのに忘れてしまいましたが、土曜日に50km、日曜日に100km、そして今日月曜日が50kmと3日間のレースのようです。「甲州夢街道」ゴール後、彼女のアンヨは「象の足」状態になっていたとか。 そんな状態にも関わらず3週連続で200km超級にチャレンジする彼女の強さは、一体どこから来るのでしょう。見た目はとても優しく、走り方も力強いと言うよりは、淡々と走ってると言った方が適切でしょうか。その彼女がウルトラに魅せられたように、次々とレースに参加するとは・・・。 私達の走友会にも強い人がいます。スパルタスロンに60代半ばで挑戦したM仙人や、2年連続で萩往還250kmを完踏したD口氏です。でも彼らの強さはレースだけではなかったようです。何とあの難関の「東京マラソン」に2年連続で当選されたと聞きました。これはかなりの強運の持ち主ですね。古川のT田さん、仙台明走会のノリピーさんとか、他にも知人で当選された方が何人かおられるようです。皆さん、大いに楽しんで走って来てくださ~い。 走友会の掲示板を見たら、昨日の「松島ハーフ」にもたくさんの仲間が参加したことが分かりました。今年から「一般参加の部」が新設されて、参加者数もずいぶん増えたとか。驚いたのは伴走を勤められていたU海さんがレースの途中で足を傷め、苦しんでいるのをたまたま通りかかったH田さんが見つけ、急遽伴走を交代し無事ゴールまで導いたと言う実話も知りました。思わぬ仲間の助けを得たU海さん、さぞ安心されたことでしょう。ここにも友愛で結ばれた強い人達がいました。 話は変わってメジャーリーグの話題ですが、松坂や岡島がいるレッドソックスや松井稼が所属するロッキーズが早々に地区予選で勝ち進んだのに、ゴジラ松井のNYヤンキースは2連敗後ようやく1勝目を挙げたようです。ゴジラ松井は膝を傷めて苦戦中とも聞きましたが、何とかリーグ内のプレーオフ進出めざして頑張って欲しいものです。 ちょっぴり驚いたのが我が東北楽天の守護神的存在だった福盛投手が今シーズン後FA権を行使し、メジャーリーグに挑戦すると言うニュースでした。既に福盛に対して関心を寄せているチームも存在するとか。もし楽天からメジャー選手が誕生したら大きな話題になるし、きっとこれからの励みにもなりますね。 3年間親しんで来た「フルキャスト球場」が無くなると言う、若干心が曇るようなニュースもありましたが、犬鷲軍団には是非来年もまた新たな希望に向かって、より一層力強く羽ばたいて欲しいものです。
2007.10.08
コメント(0)
パリーグの公式日程が全て終了し、明日からのクライマックスシリーズ(CS:プレーオフ)を残すのみとなった。残念ながらわが東北楽天はBクラスでCSには進めなかったが、1年間戦って67勝75敗で勝率が4割7分2厘、借金がわずか7で済んだのは立派。それに順位は4位で下には西武とオリックスが控えている。(笑) 一昨年、昨年とダントツのビリだった新規加入球団がようやくここまで来たことが何よりも嬉しい。負けた試合の中には作戦ミスも7つや8つはあったから、タラ話にはなるが上層部の作戦ミスさえ無ければ決して5割達成も無理ではなかったはずだ。前年までの無様な負け方が大幅に減り、その分最後まで接戦で試合を盛り上げたゲームがずいぶん増えた。 私は10月2日(火)から4日(木)まで、楽天の本拠地であるフルキャストスタジアム宮城で開催された楽天主催試合を3日連続でレフト外野自由席で応援したが、最後の最後まで熱心なファンが押し寄せ、素晴らしい応援風景が見られた。 2日(火)は先発の岩隈が1回の最後まで持たず玉砕。見所はフェルナンデスの3ランホームランと5回表に揚がった花火くらいなもので、日ハムに3対11の完敗だった。岩隈はこの日の負けで結局5勝5敗に終わり、シーズン後右肘の手術を予定しているとか。期待はずれの感が否めない一場と共に来季の活躍を特に願っている。 3日(水)の日ハム最終戦は田中が先発。見事に苦手の日ハムを5対1で下し、田中は11勝目(7敗)を挙げた。ヒーローインタビューには田中と枡田が上がった。枡田はこの日が初めての1軍デビュー。タイムリー3塁打ほかヒット2本、2打点の大活躍にはファンも驚くやら喜ぶやら。11勝で新人賞の獲得が確実視された田中だが、西武の岸もその2日後に11勝目を挙げているのでどうなるか。いずれにしても楽天の今年の快進撃の蔭に、ルーキー田中の大活躍があったことだけは確かで、まさにチームのエース的存在だった。 4日目が本拠地の最終戦。4時15分と早目の入場だったにも関わらず、この時点でレフト自由席で空いてるのは芝生席だけだったのにはビックリ。林恩宇、ドミンゴとつなぎ、最終回は引退する吉田豊彦が打者2人に対して最後の投球を披露した。また同じく今季限りで引退する関川は1番センターでフル出場、最後までファイト溢れるプレーを見せた。 結果は0対3の敗戦。ゲーム後強い雨が降り出し、自転車の私は大急ぎで球場を後にしたが、2人の引退セレモニーは粛々と続いていたようだ。関川はまだ幼い子供を抱いていたとか。引退する2人のほかにも球団から今季で戦力外通告を受けた選手も数人いたらしい。我が東北楽天のために草創期の何年かを頑張ってくれた選手には心から感謝したい。 山崎のホームランと打点の2部門での1位、つまり2冠王も特記すべき活躍だった。今季に入る前にはあまり自信がなかったようだが、2軍でじっくり調整したのが結果的に良かったのだとか。打率部門では最後になって股関節を傷めて欠場したリックが第2位に落ちたが、それでも長い間トップで頑張っていたのは立派だった。 投手は田中だけでなく青山や永井など若手がかなり頑張り、野手の直人(渡辺)、捕手の嶋も1軍に定着したのは立派で、来季に期待が持てる活躍だった。編成部やコーチ陣にも変動がある中、野村監督が来季も引き続いて監督を務める意欲を示したことも、チームのさらなる強化に繋がるだろう。 我が楽天とは相思相愛の仲だった仙台育英の最高球速156km佐藤投手が、高校生ドラフトでヤクルトが交渉権を引き当てたのは、地元仙台にとってはちょっぴり残念なニュースだった。 さて今シーズン私はフルキャスト球場に23回観戦に行き、14勝9敗の成績だった。このうち田中が先発で投げた試合は10回見ており(見てないのは1試合のみのはず)、結果的に他のピッチャーが勝ち投手になった試合を含め7勝3敗の好成績だった。田中の背番号入りのユニフォームを着た甲斐があったと言うものだ。 4時間ほどかかる試合時間のうち、楽天の攻撃中は立って応援するレフト自由席。たった1200円の前売り券であれだけ楽しめる熱気に、今年はすっかりはまってしまった。この分だと間違いなく来年もファンクラブに入って応援し続けるけることになるだろう(笑)。 さて来シーズン、犬鷲軍団東北楽天ゴールデンイーグルスがどんなドラマを描き、我々ファンにどんな感激を与えてくれるのだろうか。ますます楽しみが増えそうだ。頑張れ~、我らのイーグルス~っ!!
2007.10.07
コメント(0)
昨日の日記にも書いたが、佐渡から帰宅して行ったことの一つが畑や庭の始末だった。何しろ塗装工事のため、家の周囲に足場が組まれていた時は、家の周りを一周することが困難で雑草は伸び放題になるは、東側の畑の菜っ葉は虫に食われるはでどうしようもなかった。 ようやく足場が取れてすっきりしたのを待ちかねて早速作業開始、最初は草取りから始まった。次に植木の剪定。気になっていたユズ、イチジク、コテマリ、ユキヤナギ、山椒、萩などの枝を刈り込む。特にユズは植えてから一度も剪定したことなく、これでは何時まで経っても実は生らないと近所の人が教えてくれたのを実行してみた。まず上へと向かう枝を途中ですっぱり切り落とし、枝もかなり間引きした。つまり果樹のような枝ぶりにしないと花も咲かないし、実も生らない由。なるほどと感心した次第。 庭木のうち増え過ぎた椿を3本切り倒し、1本を移植。ボケとムラサキシキブも1本ずつ伐り、1本ずつ移植して救済。枯れたユスラウメは抜き、残っていた椿の根っこも抜いてゴミに出した。 次が農作業。まず東側の塀に沿って植えたゴーヤの苗を全て抜き、その後を耕した。ここには「仙台冬菜」の種を蒔いたのだが、昨夜の雨が効いたのか早くも芽が出て来た。大根、京水菜は間引き後消毒し、追肥を施した。京水菜は相当青虫に食われていたが、無事育つかどうか。キュウリを植えていた畝は全て耕し、これからタマネギの苗を植えるためのスペースとして確保した。 さて今年の夏野菜だが、カボチャ1個、ナス13個、トマト12個、トウモロコシ7本、ピーマン13個と長雨の影響で不作だった。特にトマトは例年の15分の1ほどの収穫量しかなかった。ミニトマトは最後に持ち直してそこそこ採れた。長雨の影響がほとんど無かったのがキュウリとゴーヤで、キュウリは94本、ゴーヤ95本と良く健闘している。ただし今年のゴーヤは実が小ぶりの種類だったのが不満。 次に花壇の手入れ。玄関脇の花壇は崩れたレンガブロックを組み直し、アイリスの球根を植えた。一方裏の花壇からはリュウノヒゲや野草を抜いて整理し、孔雀草を移植した。今後はさらにスイセンなどの球根を植える予定。 次が物置などのガラクタ整理。始末した不用品は「燃えるゴミ」が大型ポリ袋に5個分。「プラスチックゴミ」がポリ袋1個分に達した。また物置の位置が変ったことで家の裏側の風通しが非常に良くなり、これまでジメジメしていたのが嘘のように乾いて来た感じ。 最後に下水の掃除。台所からの排水が流れ込むマンホール内を掃除したが、ほとんど脂が付いてなかった。我が家では女房が極力油を使わない主義なので、下水に流れ出る脂分も少ないのだと思う。こんな具合に1人で一気に「環境整備」をしたため非常に疲れたが、その代わりとても気持が良くなった。やはり普段から身の回りに注意し、極力不用品を溜め込まないことが大切だと感じた次第。今度の週末の3連休も、さらに農作業など予定している。当分私の仕事の種は尽きないようだ。
2007.10.05
コメント(0)
9日ほどかけてようやく「佐渡島一周」の完走記を書き終えた。1回平均で3千字以上、合計で3万3千字ほどの大作になった。自分にとって文章を書く行為は真剣勝負そのものだ。まして「佐渡島一周」206kmもの長旅になれば、完走記も206km走ったと同じくらい疲れるのが本当のところ。 執筆中は十分神経を遣った積りだが、悲しいかなどうしても誤解や勘違いが生じる。例えば「A子さんはひょっとしたら姫津港への道をパスしたのではないか」と感じたことについては、ご本人から「手抜きせずちゃんと走りました」とコメントが入った。謹んでお詫びする次第である。 また第2日目の表現で、「対岸に米山が見えた」と書いたが、新潟在住のA子さんのブログだと佐渡から見えた山は「弥彦山」みたい。そう言えばこれまで何回か米山PAから佐渡の方角を見たが、一度として佐渡の姿が見えた試しがない。きっと方角的に見えるのは無理なのだろう。 だがこのことで弥彦山に祀られている弥彦神社が、何故古来から人々の篤い信仰を受けて来たのかが分かった。古代の越後には陸路を行った場合、筒石や親不知子不知(おやしらずこしらず)のように断崖絶壁の難所が多く、死ぬ危険性が極めて高かった。またツツガムシ病と言う厄介な風土病も存在していた。 このため古代の越後の旅は陸路より海路を取る方が安全だったと思われる。特長のある山容の弥彦山は海上から良く目立ったはずだ。もちろん米山も全く同じだ。越後沖からは弥彦山や米山が航海の良い目印になり、それが安全な航海に繋がり、次第に信仰の対象として崇拝されたのが真相だと思う。 さて佐渡から帰宅以降、完走記を書くだけの日々を過ごしたわけではない。この間に約1ヶ月に及ぶ塗装工事が終わって自宅の周囲を取り巻いていた足場が外され、私がすべき仕事が急に増えた。つまり庭や畑の草取り、畑の夏野菜の始末、植木の剪定と植え替え、秋、冬野菜の種まき、移動した物置の整理、下水溝の清掃などである。これについては日を改めて書いてみたい。 また一昨日から東北楽天の本拠地での今シーズン最後の試合が始まり、楽天ファンの一人として連日応援に行き、今夜もこれから出掛ける予定だ。このことも別途紹介したい。職場では残業を再開し、幹事として筑波時代の仲間達との麻雀大会の準備にも取り掛かっている。 佐渡島の完走記を書き上げてホッとしてるのは確かだが、このように何時までも佐渡の余韻に浸っていることは難しくなった。週末の連休では心身ともにリフレッシュし、そろそろ次のレースに向けて始動したいと願っている。それにしても眠い。
2007.10.04
コメント(2)
<書き残したことなど>☆「佐渡島一周」はタイムを競うレースではなく、レース終了後は何の表彰もありません。ただあるのは、自分はどれくらいで厳しいコースを走り切ったという満足だけでしょうか。レース後の打ち上げで発表された1位の選手は28時間45分ほどでのゴールだったみたい。そのまんま東似のO久保さん(34歳)の挨拶によれば、前週に140kmの「雁坂峠」を走ったばかりとのこと。やはり強いウルトラランナーでした。☆そして2位になったのが仲間のS藤さん(60歳)。1位の若いランナーとは1時間30分以上差があったみたいですが、ベテランの意地と底力を見せたと思います。話をしたのは今回が初めてでしたが、S藤さんをはじめ実力のあるランナーは決して自慢話をしませんね。同部屋だったので彼の発達した大胸筋や見事に割れた腹筋もしっかり見せてもらいました。普段から厳しい練習で鍛えている体は、素晴らしいの一語でした。☆お金を少な目に持って行った私に快く貸してくれたのが仲間のO川さん。彼の話によれば、レース中いつも付いて来た選手がいたみたい。つまり今回が初参加で、「地図代わり」に利用したと彼は嘆き、「この大会は自分で地図を確認し、迷いながらコースを辿るのが趣旨なんだよ」と諭した由。良くぞ言ってくれました。他人に引っ付いてしか走れないのは、真のウルトラランナーじゃない!もちろんお互いにペースが合い、合意の上なら別ですが。☆レース中に200枚以上写真を撮ったと言う仲間のT田さん。彼は全国にマラソン仲間がいるようです。バスで新潟駅に着いた時も、制服を着たお巡りさんが彼と親しそうに話をしていました。後で聞いたらネットの走友がT田さんのスケジュールを連絡していた由。つまり現職のお巡りさんもネット仲間のランナーだったと言うウソのような本当の話。☆舘ひろし似のK茂さん。彼は最終ランナー3人組の1人ですが、何と仮眠所で朝起きたら誰もいなくなっていたとか。慌てて飛び出し、後を追ったみたいです。その彼と初日はかなりの距離を前後して走ったのですが、ゴール後に「歌を唄ったり、時々メモしたり、かなり余裕でしたね」と言われました。鼻歌が出たのは初日の途中まででしたが、メモは終始しっかり取りました。完走記を書くためです。もしメモを取ってなければ1時間以上ゴールが早まる可能性がありますが、肝心の完走記にリアルさが足らなくなるかもね。☆第1仮眠所で私の酷い股摺れを見た年配のランナーの方が、打ち上げの時に心配してわざわざ見舞いに来てくれました。「あれで最後まで走れたの」と言うのがその時の言葉。お蔭様でようやく今「かさぶた」が取れかかって来たので、もう直ぐ走れるでしょう。☆スタッフのS木さんが最終日の打ち上げ前にロビーで名刺の整理をしていました。少ない人数で大会を組織するのが大変で、今回はかなり地元の協力を得たようです。「来年9月は秋田内陸があるから来れないかも」と言うと、「じゃあ、佐渡を1週間ずらすか」とのきついジョークが返って来ました。スタッフの皆さ~ん、本当にお世話になりました!!☆帰宅後「佐渡」で一緒だったランナーが、はるばる私のブログを訪ねてくれました。1人は秋田のF原さんで、第1仮眠所から第2仮眠所へ向かう途中に抜かされた若者。ゴール後足首が腫れていて心配でしたが、接骨医の注意も聞かず(?)早速練習を開始したようです。彼はフルはサブ3、100kmはサブ10の実力者ランナーのようですよ。彼のブログのURLは http://plaza.rakuten.co.jp./RJUN100/ で、「佐渡」の完走記を書き始めたみたいです。☆もう1人が新潟のA子さん。今回ウルトラの経験なしに佐渡へ挑戦した勇気ある女性です。彼女のブログのURLは http://blogs.yahoo.co.jp./silvercat6231です。「佐渡島一周」での悪戦苦闘ぶりの完走記が、目下進行中です。☆颯爽と島内を駆け抜けたものの、ゴール寸前で迷子になったと言う兵庫のR子さん。佐渡の一週間後に「甲州夢街道」215kmを走ると話されていましたが、先週の日曜日に見事完走されたと、同レースのボランティアをされたちっちさんが教えてくれました。R子さんの無駄の無いフォームを思い出します。さすがはウルトラ娘ですねえ。R子さん2周連続の200km超級レース完走、おめでとうございます♪<これが本当の最後です。長い間私の駄文にお付き合いくださってありがとうございました>
2007.10.03
コメント(4)
<夢をつなぐ> 私は62歳の昨年、初めての200km超級レースに挑戦した。それが「佐渡島一周」だった。かなり逡巡したが、人生において200km以上もの超長距離に挑戦する機会はそう多くは無いと考え、申し込むことにした。私が住む仙台からは新潟行きの長距離バスが出ており、佐渡への足も案外便利だと思えなくもない。それに「佐渡島一周」に挑戦したいと言う大勢の仲間がいたことも、参加の大きな動機になったと思う。 さて、今回のレース結果をどう考えるか。昨年のゴール時間41時間40分に対し、今回は40時間23分。単純に見れば約1時間20分弱記録を縮めたように見える。だが果たして記録は本当に縮まったのだろうか。実は昨年のレースの正式な距離は211kmであった。道路の一部が工事中のため、標高400m近い山道を約5kmほど長く走っている。 それに今回のような案内の標識は皆無で、ずいぶん道に迷い余分に走った。それらを合計すると今回より11kmは長く走った計算になる。また時間にしても、昨年は小木のラーメン店で30分以上休憩したことを考えると、ひょっとしたらあまり速度は変らないか、昨年の方が速かった可能性すらあるのだ。 だが、昨年より進歩した部分もある。その第一はレース後の疲労回復度だ。筋肉痛や疲労感は強かったものの、帰宅した翌日には軽く走れるほど回復していた。やはり200km超級のレースに少しは慣れたと考えて良いだろう。それにシューズの底の減り方がまるで違った。昨年は途中で足を引き擦ったのか、左のシューズだけが刃物で削ぎ落としたように磨り減って使えなくなったのだが、今回はフォームを意識して走ったせいか、ほとんど変化はなかった。やはり200kmものレースでの走り方が、少しは分かって来たと考えられなくも無い。 今回のレースの反省点が幾つかある。1つ目は服装の選択だ。やはり超長距離ではいくら暑がりと言ってもランシャツは無理だと感じた。それにランパンも股摺れの要因になるので避けた方が良かった。2つ目の失敗は背負ったリュックの問題。いつも背負って帰宅ランをしているのだが、今夏は特に暑さが厳しくて大量の汗を吸い込み何度か洗濯している。この結果、防水性を失い、レース中の大雨で中の荷物が一部濡れてしまった。事前に撥水性のスプレーをしておくべきだったろう。 3つ目の失敗は予算の問題。エントリー料にはホテルの宿泊費が込みで入っていると勘違いし、少な目に持参してしまった。またこれに関して4つ目の失敗がある。リュックの中の財布に入れていた帰りのバスのチケットが濡れてヨレヨレになっていた。レース後の疲労で判断力が鈍っていた私は、それを「お土産割引券」と一緒に何気なく捨ててしまったのだ。一緒にバスに乗る仲間の存在がチケットを買ってあることの証明になると、安易に考えていた。この2つの失敗で仲間には大迷惑をかけてしまった。大いに反省したいと思う。 さて、来年の9月は「秋田内陸100km」が3年ぶりに復活する予定だ。走友会の大勢の仲間は当然秋田に行くだろうと思う。私もこれまではそう考えて来たのだが、この厳しい「佐渡島一周」のコースに来年も3回連続で挑戦するのも悪くないとの思いも、頭の中のどこかに芽生え始めている。 ウルトラマラソンの先輩を見ていると、失礼だが65歳が一つのピークのように感じられる。私の場合もその年齢に直ぐ届くところまで迫っている。そう考えると200km超級のレースへの挑戦の機会は、そう多くはないのだろう。さて、今回の参加者の最高年齢は72歳だった。出来れば私もそんな年齢になるまでウルトラマラソンに挑戦し続けたいし、そのためには今後ますます色んな努力やレース上の工夫が要ると思っている。 この歳になってもそこそこ走れることは嬉しく、かつ楽しい。幸いにして私は今のところ健康で暮している。それに身近には大勢のウルトラ仲間がいて、始終刺激を受け続けている。そう考えれば、健康でいる限りもうしばらくは、長い距離を走ると言う私の夢をつなぐことが出来そうだ。 さて、来年の9月は久しぶりの「秋田内陸」か、それともより条件の厳しい「佐渡島一周」か迷うところだ。まあ残された時間が1年近くあるので、この間大いに迷うのも楽しいかも知れない。今回「佐渡島一周」を走った大勢のマラソン仲間よ、本当にお世話になりました。皆さんあの厳しいコースで良く健闘されましたね。その努力を大いに讃えたいと思います。そしてこれからも、またどこかのレースでお会いしたいものです。ではその日までお元気で~!! これで<完成>の予定でしたが、明日もう1回「おまけ分」を書きます。
2007.10.02
コメント(2)
<勇者の横顔> ホテルに向かうマイクロバスの中から、にせこさんが走っている姿が見えた。ずいぶん前で抜いたと思ったが、きっと私の最後の走りは彼の歩きとさほど速度が変らなかったのだろう。昨年彼は少ないスタッフの一員として狩り出され、第3ASで私達のお世話をしてくれた。今回ようやく念願かなって選手として走ったのだが、果たしてどんな感想を抱いたのだろう。 ホテルに戻るとS藤さんとO川さんが部屋に居た。S藤さんは30時間台、O川さんは38時間台でのゴールだった由。萩往還250kmを39時間台で走ったS藤さんもさすがに疲れたようで、到着したお昼ごろからホテルで眠っていたとか。一方のO川さんだが、この夏は佐渡対策の一環として、山形の山寺から二口峠越えのロングランを実行した由。また翌朝は数ヶ月前に退院されたばかりの奥様を気遣いつつ、電話で完走報告をされていた。 私は風呂に入り直ちに床に就いた。目が覚めたのはO川さんが仲間の3人組がゴールしたか確認するために階下に降りた時だから、多分朝の4時半頃だと思う。食堂に行くとM井さんはその場所で眠り、Y田さんは食事中だった。どうやら仲間の3人組は全員無事ゴールしたようだ。ウルトラ未経験で初参加のA子さんもゴールしたみたい。私は暖かいトン汁とお握りで空腹を満たした。 食後ホテルの外へ出ると、「舘ひろし」と仲間2人が、まさにゴールへ向かう途中。「間に合いますかね」。舘ひろしが聞いたので、「大丈夫。絶対間に合うから」と励ます。朝風呂に入り部屋へ戻ると、Y田さんが布団で眠っていた。その手にそっと触れてみる。彼を「佐渡」へ誘ったのは私だ。スピードこそないが堅実なランナーで我慢強い山男である彼にはとても向いているし、200km超級のレースに挑戦するチャンスは滅多に無いと思ったからだ。 朝の7時過ぎ、最長老のS野氏夫妻がタクシーで観光に出かけた。後で知ったのだが彼はA子さんと夜っぴて歩いたようだ。第1仮眠所の先で走りながら私を抜いて行った秋田のF原さんの足首は、朝、赤く腫れ上がっていた。きっと軽い捻挫状態のまま走り通したのだと思う。湿布薬を上げるからと制止したのだが、彼は急いでタクシーに乗り、港へ向かった。 打ち上げの料理は豪華だったし、朝から飲むビールも美味かった。第1ASで「早くもばてました」と話していた21歳のトライアスリートも、稲荷寿司をおすそ分けした後輩のS潟さんも無事ゴールしたようだ。舘ひろし達3人組は制限時間3分前のゴールだったみたいだ。驚くべきことに翌週も215kmを走るR子さんはゴール寸前で道を迷い、かなりの時間徘徊していたとか。実に不思議な話だった。 皆良く頑張った。仲間のK藤さんの顔は少し青かったけど、完走の喜びに溢れていた。「今回は練習出来てなかったので初めから完走は無理だと思っていた」と、途中リタイヤのD口夫人。病気の親御さんを見舞うためしょっちゅう帰郷していたようで、出来れば万全の体調で走ってもらいたかった。そして皆を激励して廻ったH多夫人には、かなり疲労が色濃く出ていた。 確認はしなかったがD口氏は昨年のタイムを大幅に更新したはず。普段は話好きのT田さんが意外に大人しい。三脚まで背負って走った206kmもの道のりは、初参加の彼にとって相当厳しかったのかも知れない。目覚めたM井さんは大いに飲んだ。きっとY田さん、K藤さんを率いて無時ゴールさせ、去年の「借り」を返した喜びに溢れていたのだと思う。参加した48名の選手それぞれに、様々なドラマがあったことだろう。 ともあれ、こうして第2回の「佐渡島一周」は終わった。だが、新潟へ向かうフェリーの船室でも、M井さんの祝宴はまだ続いていた。 <いよいよ明日は最終回の予定です。>
2007.10.01
コメント(0)
<夕日の悪戯と月明かり、そして栄光のゴールへ> さて、ここからゴールまでは約32km。昨年は気持が昂ぶるあまり、この辺りでラストスパートをかけてしまった。さらに昨年は地図の確認を一緒に走った大阪のランナーに頼った挙句残りの距離を10km以上も間違え、幻覚と幻聴に悩まされる大変な体験をしている。 例え疲れから来る判断ミスでも今回は極力避けたい。リュックからナンバー21以降の地図を出しポシェットへ移す。そして該当する1枚だけを半ズボンのポケットにしまい、時々出して集落名を確かめることにした。そうすればゴールまでの正確な距離を認識出来るはずだ。 S潟さんは走っては歩く繰り返しだが、私はゆっくりでもまだ走れる。そのうちに差が開き始め、私は一人になった。17時42分、180km過ぎの赤玉集落を通過。ゴール後に宇都宮のHさんから、ここで産出する赤い石を海岸で拾ったと聞いた。微かな夕日が後から刺し込み、淡い影がどこまでも追いかけて来る不思議な現象を今回も体験。 181.5km地点の鮑(あわび:正確な集落名は虫ヘン)集落で赤色灯を点灯。182.5km地点東強清水の弁天岬辺りからは月光が道案内してくれた。そして遥か彼方の対岸には新潟市の仄かな明かりも。186.8km地点から長く続く大平トンネルを潜る。188km過ぎの片野尾集落で給食のため暫し休憩。ここは昨年完全に意識が飛んで、残りの距離が分からなくなった箇所。そしてゴールまでの正確な距離を地図で確かめ教えてくれたのが秋田のF原さんだった。 190km手前の弁天崎灯台にも要注意。私はここを姫崎灯台だと信じ、今回も危うく間違いかけた。疲れるととかく勘違いしがちなのだ。191km地点の水津を通過。昨年の私はここを両津の入口だとばかり思っていた。だから残りは3km程度と疑わなかったのだが、実際はまだ15kmもある。ふう~っ。今回の水津が暗く感じたのは何故だろう。 水津を過ぎても真っ暗で姫崎灯台は見えず、どこで岬を廻ったのかもさっぱり分からない。コースは良く覚えているのでいつのまにか地図を確認しなくなった。繰り返す厳しいアップダウン。昨年は氷雨が降るのに合羽を着る心の余裕も無く、最後の10数kmを4時間近くかかって歩いてしまった。その途上で初めて幻覚と幻聴を体験したのだった。 196km地点の羽二生辺りで赤色灯が点滅してるのを発見。近づくと「Aさん?にせこです。もう走る元気がなくて」と、「川の道」522kmを走破した勇者とも思えない弱気な言葉。何時の間にか夜風が冷たい。ここはゆっくりとでも走った方が良い。そう思って先行する。昨年幻覚を見た集落も通過。今回も標識が踊る感じがしたが、あえて凝視せず目を逸らす。 それにしてもゴールまでこんなに遠かったか。昨年は何の経験も無いのに、疲れた体で良く最後まで頑張れたものだ。きっと完走すると言う強い意思が私をゴールに導いてくれたのだと思う。何度か自販機で飲み物を買い、残った食料を有効に活用して何とかガス欠を防ぐ。橋を渡って長かった真っ暗な道におさらばし、比較的明るい市街地に入る。ようやくシーサイドホテルまで来ると「頑張ってください」と、既にゴールした人から応援をもらう。「今頃どこへ行くの」と聞くと、答えは「浜辺で星を見に」。実に余裕のあるランナーだった。 22時20分ついに「おんでこドーム」にゴールイン。記念写真を撮り、椅子に座ってビールを飲んだ時にボランティアの女性がゴール時間を22時23分と記入。「ん?どうしてビールを飲んだ時間がゴール時間になるの」と思ったが仕方がない。何と言う後味の悪い幕切れだろう。 ふう~っ。ともかく疲れた。早くホテルへ帰ろうと思ったところへH多夫人が駆けつけて来た。ホテルに向かうバスの車中から私の走る姿を見つけて、急遽運転手さんに頼んで戻って来た由。いつも通りの優しい気持に、冷えた心に再び明かりが灯った。ありがとうH多さん。
2007.09.30
コメント(2)
<だから人生は面白い> 144km地点の小木港で飲食したのは、トマト、稲荷寿司、さつま揚げ、それに豆乳。こんなレースでは極力自分の食べたいものを食べるのが私の流儀。その方が走るためのエネルギーになるし、走後の回復も早いと思うのだ。直江津へのフェリーが出る港に別れを告げ、サングラスをかけ急いでR子さんの後を追う。 そのR子さんが思わぬ場所から出て来た。何と道端のパチンコ店だ。「そこではランナーに冷たい水や食べ物を提供してくれるんです」と名前の通り涼しい顔をして言う。昨日は複数のマスコミがコースで取材しており、きっと島の人達は報道で私達のことを知ったのだろう。先ほどの食べものがようやく効いて来たのか何だか足取りが軽くなり、ついにR子さんの前に出た。 150km地点の大泊集落付近まで来ると遥か彼方の海上に対岸の米山が見え出す。ここでは潜水漁法でもしてるのか、水中の呼吸音みたいなのが聞こえた。12時12分。154km地点の大杉集落で前方に3人のランナー発見。近づくとD口氏、東京のY本さん達だった。驚いたような表情のD口氏。昨年追い着いたのは今思えば確かゴール手前20km付近だったし、今回は私が第2仮眠所で休んでいることを知ってるはずだから驚くのも無理はない。「暑いし眠い」と私が言うと、「もう足が痛いんですよ」とY本さん。「ゆっくり行くね」と言って先行する。 13時8分、159.5km地点の赤泊港に到着。昨年も入ったお店で牛乳とアイス最中を買う。歩きながらアイス最中を食べている後ろから私の名を呼ぶ声がする。わざわざ第3ASへ応援に駆けつけてくれた鼓動のメンバーの方だった。手を振って応える。橋を渡った辺りで前方にランナー発見。近づくと横浜のS潟さんみたい。歩いてはいるが表情も足取りも実にしっかりしている。「お疲れ様」と言ってここでも先行。 164.5km地点が昨年の第4ASで迂回路の山道への分岐点だったところ。確か昨年は祭りの太鼓の音が聞こえた神社の境内で軽い食事を摂っている目の前を、S潟さんが脇目も振らず歩いて行った。食事を済ませ早速彼の後を追う。だがどうもおかしい。道路標識がピョンピョン飛び跳ね出した。幻覚がついに白昼に襲って来たのだ。 無理も無い。昨夜は一睡もしていない上に、今日も気温が高かった。きっと疲労が極限まで達しているのだろう。バス停の小屋で眠ろうと思って行くと中が汚い。次のにしようと諦めたその時、向こうで手を振ってる人が見えた。H多夫人だった。体調が悪く、D口夫人と一緒に第1仮眠所でリタイヤした由。私が眠くて倒れそうだと言ったら肩を貸して案内してくれた。 そこが170km付近の浦川内にある最終ASだった。芝生の椅子に座ると、スタッフのT本さんが黙って缶ビールを差し出した。一瞬、ん?と思ったが構わず飲んだ。美味い。こんな状態でもビールが飲めるのには驚いた。もっと驚いたのはH多夫人の話。これからバスを乗り継ぎ、昨年沿道で応援してくれた方に会いに行くとのこと。どこの集落のどの人か私は知らないけど、そのために彼女は仙台からお土産まで持参した由。日ハムの監督じゃないけど、「信じられな~い!?」 レースに復帰した後も異変は続いた。今度は波の音が人の話し声に聞こえるのだ。幻覚に続いて日中から幻聴を聞くとは。奈良時代に対岸の柏崎との連絡航路が開かれていた171km地点の松ヶ崎集落を通過。ここからは真野にある国府などへ官道も敷かれていたようだ。 16時15分。174km地点の岩首でようやくS潟さんに追い着く。岸壁で休みながら話をすると彼の故郷は愛媛の松山で、何と小学校、中学校は私の24年後輩だったことが分かった。これだから人生は面白い。206kmものレースの最中に偶然出会った遥かな後輩に、稲荷寿司とさつま揚げを勧める。「美味しいですねえ」。思わずほころぶ彼の顔。
2007.09.30
コメント(2)
<お買い物大作戦が完走の決め手になるか?> 国道350号線を小木に向かって進む。やがて下り坂。ここを下り切れば小佐渡の西端である沢崎灯台への分岐点に出る。5時20分西三川のバス停到着。ここで朝食にする。お茶とお握りと相川のコンビニで買ったキュウリの漬物。血圧降下剤も忘れずに服用。目の前を走り行くランナーに分岐点が近いことを教える。22分後レースに復活。ここからは走り始めようと、恐る恐る足を出す。お~っ、スピードは出ないけど、今年も何とか走れそうだ。 海岸への分岐点2箇所に丁寧にも標識が。昨年は迷いに迷ってずいぶん距離と時間を無駄にした。それに砂利道の水溜りが去年よりずっと小さくて助かる。海辺の小さな水田が黄色く色づき、浜辺にはサーファーが数人。そうか今日は日曜だった。素浜キャンプ場付近で猛烈な睡魔が襲い、ついに炊事場の戸板に身を横たえる。ここでようやく眠れそうだと思ったのも束の間、ブ~ンと蚊の飛ぶ音。私は蚊に弱いのだ。眠い目を擦ってヨロヨロ立ち上がる。 去年コースを間違えた井坪集落からアップダウンの連続。大浦集落で腹が空き、パンとキュウリの漬物を食べる。念のため三共胃腸薬を服用。これが良くなかったのか胸が苦しい。疲れが溜まったせいか背中も曲がって来た感じ。田野浦海岸から江積海岸にかけて枕状溶岩が海の中に散在。奇景の烏帽子岩、神子岩を過ぎると沢崎灯台が見え出す。勇んで灯台下のトンネルを抜けると沢崎の橋。昨年はここでも道を間違ったっけ。 137km地点の第3ASへ着いたのは8時46分。第2仮眠所を私より先に出たR子さんがここにいた。既に20名のランナーが通過したとスタッフの方。この方は佐渡市の観光協会の職員みたい。とりあえず飲んだコーラのせいか、はたまた三共胃腸薬が合わなかったのか、胃の具合が最悪の状態。ようやくお握り1個とミカンを食べる。 ベンチの蔭で誰かが眠っている。第2仮眠所でお世話してくれたS木さんだ。一睡もせずに選手の世話をしてくれ、ここで睡魔が襲ったようだ。去年レースに出た地元の方が応援に見える。佐渡の名物である太鼓グループ「鼓動」のメンバーのようだ。年齢を訊ねたR子さんがあまりの若々しさに驚いていた。 少し前に出発したR子さんの後を追って9時10分にスタート。ここでの休憩時間は24分。火山性地形である深浦湾に架かる長者橋から覗くと下は紺碧の海。まさに絶景とはこのこと。道沿いに「犬神平」、「強清水」、「宿根木」と珍しい名前の集落が続く。宿根木新田の土手には満開のコスモス。それを観光客と思しき人がカメラに収めている。空は青く、吹き抜ける爽やかな風。これはまさに秋の風景そのものだ。 坂道の先にR子さんの姿を発見。2日目なのにしっかりしたペースなのは、若いながらウルトラの経験が豊富な証だろう。並走しながら話すと第2仮眠所の2階に上がって来たのは彼女だったことが分かった。部屋が暑くて結局眠るのを諦めた由。そして途中まで一緒に来たD口氏はずいぶん前に走って行ったとか。 小木の手前の道端でR子さんがしゃがみ、ポケットから取り出したお握り食べ出す。私も昆布の入ったお握りで付き合う。「リュックは背負わないの」と訊ねたら、今回はポシェットだけにしたとのこと。栃木のHさんと言い、R子さんと言い、強い人はリュックは不要なんだろうか。それに長袖、長ズボンとは恐れ入る。食べ物もほとんどASで出るもので済ますとか。それでは私は20kmと持たないだろう。 小木ではラーメン店には寄らず、フェリー乗り場近くの「ひまわりスーパー」で買い物をすることにした。それで15分はタイムが縮まるはず。小ぶりの稲荷寿司10個、小さなサツマアゲ10個、トマト2個、豆乳1パック、おからとホウレンソウの煮物1パックを買うと千円近くになり、持つとずっしり重い。買い過ぎたかとも思ったが、ゴールまでの貴重なエネルギー源になると思い直す。10時40分ロータリーの芝生で早めの昼食。目の前を走り去るR子さんに手を振る。
2007.09.29
コメント(2)
<闇夜を一人トボトボと> 90.5km地点の第1仮眠所から歩き始めてどれくらい経ったか頃か、後から声を掛けて走って来た人がいた。名前入りの反射材と鈴の音とで私だと分かったようだ。声の主は秋田のF原さん。昨年ほぼ同時にゴールした好青年だ。昨年は第1日に膝を傷め、第2日はほとんど歩いたと話していたが、「今回はどこも傷んでないのでこのまま走り通します」と元気良く暗闇の中へ消え去った。 東北電力相川火力発電所前を通過。ここは去年物凄く淋しく感じたところで、思わず愛犬の名前を呼んだものだ。(笑)沢根の三叉路へ向かう途中、多分98km地点辺りで誰かが前から歩いて来るのに気づいた。時間は11時近いはず。道は真っ暗なのに良く一人で歩けるものだと驚く。ひょっとしたら相手の方がもっと驚いたかも。 沢根の三叉路から旧佐和田町へ入る。ここは細長い街道が続き、あの曽我ひとみさんとジェンキンスさん一家が住んでる町だ。昔の佐渡金山もこの周辺にあったはず。街外れに海沿いの道へ右折の標識があった。その辺からポツリポツリと雨が降り出す。去年はかなり手前から強い雨だったことを思えば至って楽なものだ。 105km地点の第2仮眠所へは0時9分に到着。昨年より1時間ほど早い。S木さん手作りの暖かいスープなどをいただき、2階の仮眠室へ向かう。先客2名が仮眠中。極力音を立てないよう注意し、まず膝などへ湿布薬を張る。今日一日酷使した足に少しでも休養を与えるためだ。だが、毛布に包まって横になったものの緊張が解けず全く眠れない。 そのうち誰かが隣の部屋に来て、再び降りて行った。階下で男女が話している。どうやらD口氏とR子さんみたい。ひとしきり聞こえた声が暫くして止み静寂が戻った。2人とも前後してスタートしたようだ。よ~し、そろそろ私も行くか。出発前にもう一度スープをいただく。時刻は去年より35分早い1時55分で休憩時間は1時間46分だった。 佐和田から真野の町へ入る。ここは奈良時代に佐渡国府や国分寺が置かれた由緒ある地区で順徳上皇陵もある。この町外れでむやみに腹が空き、マンゴージュースを飲みクリームパンを貪る。ようやく落ち着いて国府川に架かる橋を渡る。後は朝になる前にどこまで歩けるかだ。地図は見ない。昨年も歩いたので道を迷うことはない。夜中の風が案外肌寒く感じるのは海岸が近いせいだろう。 小屋作りのバス停で誰かが眠っている。次の小屋は無人。足も痛いしここで寝ても良いのだが多分眠れないだろう。とうとう去年朝食を摂ったバス停まで来た。初めての200km超級だったのに、良くこんなところまで寝ないで歩けたものだと自分のことながら感心する。今年はもう少し先へ、行ける所まで行ってみようか。118km地点の田切須集落付近でついに夜明を迎える。ふう~っ。
2007.09.29
コメント(2)
<第1仮眠所での作戦は?> トンネルを出て直ぐに鹿ノ浦大橋を渡る。去年はたくさんのツバメが空に舞っていたところだ。73km過ぎの戸地集落に17時20分着。ここでパンと牛乳でエネルギー補給。尖閣湾沿いの北えびすを17時50分通過。去年は真っ暗だったが今年は何とか明るい。歌を口ずさみながら走っていると歩道に姫津漁港への矢印が書いてある。 昨年の前半は4万分の1の地図を見ないで走り、標識も無かったために直進した所だ。確か説明会では集落に入ると2km余分に走る計算と話していたはず。この時点ではまだ余裕があった私は迷わず右折し、漁港へ向かったが後ろの2人は直進したのか話し声が聞こえなくなった。 下り坂はまだ良いが漁港を一巡りすると帰路は結構な登り坂になる。レース上ではあまり意味の無いループのようで、元の場所に出るんじゃないかと冷や冷やした。真っ暗な道を疲れた足で歩くしかなくなった。18時10分頃にようやく国道へ脱出。リュックに赤色灯を点す。何でも私が通過したした後で、あの標識は外されたとか。この遠回りですっかり疲れ、走る元気を失った私だった。 85km過ぎの相川のコンビニに着いたのが19時35分。急いで野菜ジュース、キュウリの漬物、チオビタドリンクを購入。外のベンチでお握りを食べ野菜ジュースを飲み、19時45分出発。5.5km先にある第1仮眠所の「ホテルめおと」までほとんど歩き続ける。20時40分ついに到着。歩いた分去年より12分遅かった。 玄関先で食事中のA子さんを発見して驚く。「速いね」と言うと「私は・・」と口ごもる。その口ぶりに、やはり44kmの経験だけでは無理でリタイヤしたのかと判断したのだが、そうではなかったようだ。 まず風呂に入り、裸になってビックリ。両股の付け根が摺れて真っ赤に腫れている。ランパンも靴下も血染め状態。おまけに左肩にはリュックで摺れた深い傷が出来ている。今回は服装の選択を誤ったようだ。年配のランナーが心配し「それでも走るの」と訊ねた。「ええ、痛いのは生きてる証拠ですから」と私。入浴後ランシャツ、ランパンを洗い、靴下は捨てる。 風呂場にはT田さんがいた。既に夕食は済ませたと言う。前半で撮った写真が100枚を越えた由。三脚も持って走るため、夏場はリュックに8kgの荷物を入れて走る訓練をしていたとか。人知れず努力する人だ。A子さんとはほぼ同時にゴールした由。彼女が口ごもった理由はどうやら姫津漁港への道をパスしたことのようだ。説明会でちゃんと指示しない方が悪いと思う。 後半の服装は半袖Tシャツと半ズボンの組み合わせにする。体が温まったところで玄関に向かう。D口氏が既に食事中で、やがてM井さんとY田さんの2人連れが到着。初200km級挑戦のY田さんもどうやら調子は良さそうな感じだ。 S原パパが差し出す缶ビールを断りお茶をもらう。そして味噌汁の中に弁当のご飯を入れて掻き混ぜる。これだと幾分食べ易い。風呂と食事の順番を変えることや「猫マンマ」にしたのは予め考えた作戦だった。次の作戦はここで休まずに第2仮眠所まで辿り着いてから休むことだ。仲間にはそう伝えて21時25分に出発。到着は遅かったが休憩時間は昨年より53分少なくて済んだ。さ~て、これからは気合を入れて夜道を歩くぞ~っ。
2007.09.28
コメント(3)
<雨の外海府海岸を走る> 願集落を通って佐渡島一周道路へ出る。願(ねがい)集落には祝(ほうり)と言う姓しかないと新潟のF川さんが話していたので表札を探したが、どの家にも表札はなかった。ひょっとしたら同じ姓だから表札を掲げる必要がないのかも知れない。 「大野亀」の絶景が目の前に迫る。不思議な形の島。ここは火山性の地形に間違いないはず。11時40分。曲がりくねった坂道を下りながら走っていると雨が降り出した。誰かが早朝の天気予報では雨が降ると話していたので覚悟は出来ていた。それまで気温が高かったので、却って走りやすいだろう。ところが左目が猛烈に痛くなって来た。どうやら目に入り続けた汗が滲みるようだ。 北鵜島の小さなトンネルを幾つか過ぎた頃には本格的な雨になった。後からついて来るランナーは「舘ひろし」に似た兵庫のK茂さんか。Z字形の急な坂道では、道路が小川のようになっている。シューズはたちまちビショビショ。もう逃げ場は無い。一旦海岸を離れ、しばらく山道を走る。一軒の農家で脱穀をしている。ここは去年も脱穀の作業中だったっけ。 坂道を登り切ると目の前に棚田が広がる。黄色く色づいた田圃の畦道に真っ赤な彼岸花が映える。12時30分海府大橋通過。眼下には深い谷が覗く。押出岬の跳坂は去年崖崩れがあったところで、レースまでに復旧するか冷や冷やしたものだ。坂を下る途中に小さな橋が架かり、真上に滝が見えた。滝の傍の山道を誰かが降りて来る。 「何をしてるんですか」と訊ねたら、答えは釣り。こんな絶壁の川に魚がいるのか不思議だったが、どうやらそこから別の渓谷へ入ったようだ。48km地点の岩屋口に13時15分着。東屋で休憩し郵便配達の人と暫し歓談。53km過ぎの大倉には14時到着。Aコーポでバナナ、パン、牛乳を買う。バナナはほとんど醗酵寸前のもの。仕方なく店の前で3本とも一気に食べ牛乳を飲む。下痢をするかそれとも直ぐにエネルギーになるか賭けるような気持だ。 14時35分石名清水寺到着。ここの湧き水は温いのでそのまま通過。59km過ぎの北田野浦でようやく雨が止む。61km地点の入崎海水浴場前にある第2ASには15時17分着。ここまで既に30名が到着したとスタッフのS木氏。お握りやおかずを食べ、予備食にパンをもらう。ASの直ぐ傍に水道があったのだが、痛む左目を洗えば良いことに思いが及ばなかった。そろそろ疲れが出て来たのだろう。12分休憩し、15時29分出発。 64km地点北川内を16時10分通過。長い長い3kmほどもある南片辺トンネルをようやく抜け出たのは16時42分。去年より18分速い。国道の直ぐ傍には安寿と厨子王丸の記念碑があったはずだ。
2007.09.27
コメント(0)
<いよいよスタート!> 9月22日(土)朝6時、いよいよ「佐渡島一周」のウエーブスタートだ。昨年も参加してると言う理由で、同じ走友会のO川さんらと共に第1陣となった。暫くの間O川さんと並んでトップを走る。大通りを左折し、直ぐに右折して国道へ出ると役目は終了。後は道なりに行けば良い。 仲間のS藤さんは迷わず前へ出た。萩往還250kmを39時間台で走った彼は、腕にラップを書き込んだテープを巻いている。さくら道ネーチャーラン250kmを33時間台で走った栃木のH氏はポシェットだけと言う軽装で前へ行った。そんな恰好で206kmもの道のりを走れるのだろうかと疑問に思うのだが、一流選手にとっては十分なのかも知れない。 スタート前に神奈川のW辺さんに遭った。昨夜は10時の最終便で佐渡に着いた由。名簿で知ったのだが69歳の彼は、さくら道270kmを43時間で走破した実績がある。道理で7月の「磐梯高原」では95km辺りであっさり抜かれた訳だ。 初参加のK藤さんに206kmを走る感想を訊ねたら「心臓バクバク」と話していたけど、一旦走り出したらもう仲間の心配はせず、自分の完走だけ考えることにする。宮城UMCのユニフォームに白いランパン。リュックには「立山登山マラニック」でもらった雄山神社の御札と鈴を付け、蛍光テープで書いた名前も付けた。これだと良く目立って無様な走りは出来なくなる。 足を持たせるため、初日は55分の走りと5分の歩きを交える戦法を取る。最初の歩きで仲間のD口氏や「川の道」522kmを走破した「にせこ」さんに抜かれ、昨年のレースでは、残りの距離が18kmだと地図を見ながら教えてくれた秋田のF原氏にもその後抜かれた。海辺には庚申様の小さな祠があり、刈り入れたばかりの稲が干してある。16km地点の浦川集落を7時55分に通過。新潟の男女3人組にも抜かれる。 その後急に気温が上がって来る。海に突き出た黒姫橋を渡ると間もなく20km地点。25km地点の北小浦集落を9時20分に通過。早くも3本目のペットボトルを購入。20歳のトライアスリートが茂みに消える。海岸の岸壁に干された栃の実。第1AS手前の坂道にはトンボの大群も。 約33km地点の第1ASには10時31分到着。O川さん、栃木のH氏が出発するところ。ここでウドン、お握り、おかずなどをいただく。スタッフのS原パパから缶ビールの差し入れ。それを仲間のM井さんと半分ずつ飲む。同じテーブルにR子さん。来週は「甲州夢街道」215kmを走る予定とか。嬉しそうに話す彼女の声は実に爽やかだ。 10時55分AS出発。去年は間違って直進した道を右折して海岸に向かう。道端の赤い実はガマズミか。去年一緒に道を間違ったR子さんが一言。「道が新鮮ですねえ」。やがて前方に「二つ亀」島の姿が見え出す。足元が徐々に悪くなり石ころだらけになると「賽の河原」の奇景が洞窟の中に現れた。おどろおどろしいこの場所は、時々撮影にも使われるとか。この周辺で仲間のD口氏、M井さん、T田さん達を追い抜く。
2007.09.26
コメント(0)
<プロローグ> どれくらいの大昔か知らないが、地球がまだとてつもなく熱かった時代に佐渡島は火山島として誕生したそうな。そう言えば島内のあちこちで火山性の地形を見ることが出来る。そしていつの頃からか人間が住み着いた。海岸部の海蝕洞窟には穴居時代の遺跡がある。 そして歴史時代になると古代の佐渡には「佐渡国」として真野近辺に国府が置かれ、島内の主要部に都と連絡するための官道が設けられた。また佐渡は、権力争いに敗れた皇族や名高い宗教家が流された地でもあり、江戸時代には犯罪者などが金山で過酷な労働に従事した歴史も残っている。金が採れるのは火山活動があった証らしい。 暖流が周囲を流れる佐渡は、大坂から北陸を通って陸奥や蝦夷が島(今の北海道)へ向かう北前船(北前は日本海の異称)の寄港地ともなり、時化(暴風)を避けるための良港が多かったようだ。それらの事情から佐渡の文化は昔から高く、意外にも物資が豊富だったのではないだろうか。 豊かな自然と素晴らしい景観の残る佐渡。人情味の篤い島佐渡。その佐渡を舞台に繰り広げられるのが「佐渡島一周エコ・ジャーニーウルトラ遠足206km」。第2回に当たる今年は北海道から九州に至る県から48名のランナーが集った。最高年齢は72歳、そして最も若いランナーが20歳。この52歳と言う年齢差も物凄い。私達宮城UMCの仲間は10人。参加者の中で20%強に相当する人数だった。 前夜の懇親会ではご馳走を食べ、皆大いに飲んだ。206kmもの長い距離に挑戦する緊張感と期待感に溢れるランナー達の挨拶。その中で目を引いたのが2人の男女。1人は若干20歳のトライアスリートでウルトラマラソンの経験は皆無。もう1人はこれまでの最長レースが44kmの33歳の女性。彼らの挑戦は長くウルトラレースに出ている私には、余りにも無謀のように思えた。 ところで7月の「磐梯高原」の宿で同室だった東京のSさんが参加者名簿にあり、彼からお土産まで戴いた。彼は5月の「いわて銀河」のレース中に私が「佐渡島一周」のことを話しているのを走りながら聞いてたようだ。「磐梯高原」で再びその話を聞き、やはり同室だった神奈川のW辺さんと共に、その後出場を決意したとか。そのW辺さんの姿は最後まで見ることが出来なかった。
2007.09.25
コメント(2)
朝の6時が「佐渡島一周」の制限時間。その3分前に3人の選手がゴールして今年のレースは終わりました。午前9時半から選手とスタッフ一同で「打ち上げ」。12時半佐渡発15時新潟着のフェリーと新潟発16時35分発の長距離バスで、何とか仙台へ帰って来ました。 今回一緒に行った仲間10人のうち8人が目出度く完走。うち2人は体調不十分で残念ながら途中リタイヤされました。でもそれぞれが精一杯頑張ったと思います。レースの状況については明日からぼちぼち書き始める予定です。
2007.09.24
コメント(0)
この日は第2仮眠所で約1時間ちょっと休憩。結局睡眠は取れないまま朝の5時過ぎまで歩き、朝食後ランニングを再開。疲れや眠気と戦いながら、ゴールしたのは夜の10時23分でした。前日スタートしてから40時間23分でのゴールになりました。
2007.09.23
コメント(0)
「佐渡島一周」の第1日目はスタートが午前6時。この日は105km地点の第2仮眠所に夜中の0時過ぎに到着しました。
2007.09.22
コメント(0)
いつもの時間に起き、いつものように愛犬と朝の散歩に出かけ、いつものように一人で朝食の準備をし、いつものバスに乗って、今日は「佐渡島」へ出発です。 走るのは明日の朝6時から。帰って来るのは24日(月)の夜遅くです。10人の仲間達との206kmの旅では、どんなことが待ってるのでしょうか。楽しみですねえ。では、行って来ま~す。楽しい完走記が書けますように!
2007.09.21
コメント(0)
今日は急に気温が上がった。予報だと仙台では32度Cになると言ってたけど、実際はどうだったのだろうか。帰宅ランをしようと思ったが、あまりの暑さにバスで帰った。こんな時に無理する必要はないし、焦る必要もない。 さて、先だって第1現場のビルで立哨中のこと、足元にうごめく緑の虫を発見。何とそれは1匹のイナゴだった。大都会の真ん中でイナゴを見るとは不思議なこともあるものだ。イナゴよ、お前はどこから迷い込んだのか。そう言えば前にはアゲハチョウやシオカラトンボを見かけたこともある。まだ昆虫が住めるような自然が、付近には残っているのだろうか。 今日は小さなことだが怒りが治まらないことがあった。第2現場では機密文書の裁断作業に従事しているのだが、ここで使うカッターが連続で無くなったのだ。1度目は刃の広い頑丈なヤツで2度目は新品。どちらもダンボールを切り裂き、ラベルを切り取るためには不可欠な道具だった。今回は古いのが代わりに置いてあった。そんなことをするのは内部の人しかいない。第一、その部屋に入るのには鍵が必要なのだ。 頭に来た私は作業終了後、主任にそのことを話した。すると主任は急に話をはぐらかした。誰かが何食わぬ顔をして新しいのと古いのを取り替えたのだろう。カッターが必要ならちゃんと私に話すべきだし、第一それが無くなると私の仕事が著しく停滞することに気づかないはずはないのだが。 仕方がないので家のを持って行く積りだ。そして「他人の道具を黙って持ち去るヤツには仕事について語る資格はない」と紙に書いておこうと思う。犯人が誰か大体の目星はついている。もし彼に良心が残っているなら、もう3度目の事件は起きないはずなのだが。 帰宅すると、家の壁にこげ茶色の「帯」が入っていた。今度の塗装工事でツートンカラーにしたのは良いのだが、2つの色とも大人し過ぎて境目がはっきりしなかった。工事は終わってはいたが足場はまだ残っている。そこで現場監督にお願いしてみたのだが、意外にも答えは「業者にやらせましょう」とのこと。これできっと遠目にも引き立って見えるようになると思う。 現場監督には衛星放送の画面がおかしいことも話した。それに対しては生返事だったが、その後妻が電話したようだ。2階の私の部屋だけでなく、1階の居間の衛星放送もおかしくなったと。電気屋さんが屋根に登って調整した結果、やはり横方向にずれていたとか。私が足場に上って見ても衛星放送用のアンテナの足が浮いていることが分かったので、今回の塗装工事が原因で動いたのは間違いない。小さなことだが主張すべきことはその時にしっかり主張しないといけないと思った。 妻の方は私よりもしっかりしている。現場監督には「樋の掃除」までついでに依頼したし、足場のあるうちにと言うことで、今日は私にも2階の窓ガラス掃除の命令が下った。ベランダはともかく、2階の窓は身を乗り出すのが難しくて窓ガラスはきれいになりにくいのだ。明日から「佐渡島」へ気持ち良く出掛けるためにも、ここはじっと我慢の子になっておこう。う~む。
2007.09.20
コメント(0)
昨日、今日と雨が降って、気温がぐっと下がった。夜は少し厚めの布団に毛布をかけることにした。そして朝は薄手のセーターを着る。涼しくなったお蔭で、残業も楽になって助かる。庭にはシュウメイギクが咲き出し、ワレモコウとウメモドキの実が赤く色づいている。そろそろムササキシキブも瑠璃色の実をつける頃だろうか。 帰宅するなり、妻が愛犬を風呂場に連れて来てと言う。こちらはまだ昼食前なのだがと思いつつ従う。抱っこすると暴れはしないが25kgほどある中型犬はかなり重い。妻が気になっていたのは前回のシャンプーからかなり日が経って、臭っていたことだった。あまり天気は良くないのだが、辛抱し切れなくなったのだろう。 昼食を済ませ暫く休んだ後、歯医者に行く。3月に抜けたままだった歯は入れたし、病んでいた歯も一応症状は落ち着いたのだが、それで治療を終了すると言う歯医者の言葉に少なからず抵抗があった。忙しいのは分かるけど、最後なら口の中全てを見てから決めるべきではないかと思ったのだ。それでせめて歯石の除去でもと願い出て、今回処置することになったのだ。これで後顧の憂い無く「佐渡島」にも行けそうだ。 さて、台風11号の影響で秋田や岩手ではずいぶん大きな被害があったようだ。秋田では阿仁川の上流で堤防が決壊したとか。あの辺りは「秋田内陸100km」のコース近辺だと思う。今年の「秋田国体」に影響がありそうだし、来年久しぶりに開催予定の「秋田内陸100km」にも影響が残らないことを心から祈っている。 政局も気にる。安倍総理の症状はまだ悪そうだ。自民党総裁選に立候補した福田氏と麻生氏の戦いも、あっという間に福田氏が有利な展開になったことに驚いた。官房長官時代には何だか冷たい口ぶりが嫌だった福田さん。これに対し、いかにも若者や最近の「文化」に理解がありそうな気配の麻生さん。どちらも今一だが、現状では福田さんの安定感に期待が集まりそうだ。 スポーツの世界では谷亮子選手が「ママでも金」を勝ち取った。リオで開催された世界柔道選手権女子48kg級で7度目の優勝は見事の一言。2年間のブランクを全く感じさせない圧倒的な強さだった。男子も棟田が無差別級でようやく金メダル獲得。女子78kg超級の塚田も立派に金を取り、柔道発祥国の面目を何とか保った。 大相撲では優勝が期待されていた横綱の白鵬が2敗目を喫し、新大関の琴光喜に至ってはもう4敗目を喫している。やはり重圧があるのだろうか。これに対して新入幕の豪栄道が、ただ1人1敗を保ったままなのは凄いことだ。急遽今後上位と当たるよう、取組が替えられることになるのではないか。 そして3連敗中の我が東北楽天だが、今日の対日ハム戦での先発は田中。相手はエースのダルビッシュで何の不足もない。今2点のビハインドだがさてこれからどうなるか。う~む!?
2007.09.19
コメント(0)
<不安との戦い> 206kmもの道のりを走り歩く旅では、正直言って色んな不安があると思います。自分にとって未知の長い距離に対する不安、48時間と言う時間に対する不安、自分の走力や体調に関する不安、天候に関する不安、見知らぬ土地やコースに対する不安、深夜に走り歩くことへの不安などなど。まさか「拉致」に対する不安はないでしょうが。(笑) 206kmを走り、歩くと言うことは、それらの不安との戦いそのものです。でも既にエントリーして後はスタート地点に立つだけですから、今更逃げるわけにも行きませんね。私も昨年が200km超級のレースの初めての経験でしたから、上に挙げたような様々な不安がありました。要はそれらの不安から逃げずに真正面からぶつかる以外に方法はありません。 距離も、コースも、2昼夜走り、歩き続けることも、雨の降る夜道をたった1人でトボトボ歩くことも、全て不安だらけでした。でもその一方で、206kmの旅でどんな出会いがありどんな経験が出来るのか、まだ見ぬ佐渡の景色はどんなものか、40時間以上体を動かすと体調はどう変化するのかなどなど、楽しみでもありました。 夜道を歩く淋しさと不安の中で愛犬の名を呼んで自らを励ましたり、2日目の夕暮れには夕日との不思議な追いかけっこを経験したり、2日目の深夜疲労のあまり幻聴と幻覚を初めて体験したりと、206kmもの旅は、今になって見れば不思議な世界との遭遇だったとも思えます。 そんな不安に揺れ動く気持を抱きながら、最後まで私をゴールに向かわせたのは、「何としてもゴールしたい」と言う強い思いでした。真っ暗なコース上に誰がいてもいなくても、たとえ自分1人でもゴールを目指す気持があれば、必ずゴールは近づいて来ます。「佐渡島一周」は、きっと自分自身の甘えと戦う良い機会になることでしょう。<無上の喜び> そんな苦労の末のゴールは、ランナーに無上の喜びを与えてくれるはずです。不安が強ければ強いほど、ゴール達成後の喜びは大きいものになるでしょう。昨年レースの途中、確か140km付近のASで、スタッフから上等の生ハムをつまみにビールを勧められたことがありました。「ええっ、こんなところでビール?」と怪訝に感じたものですが、超長距離のレースではあまり細かいことに拘る必要はないのでしょうね。 レースでありながらレースではない。「佐渡島一周」はそんな大会です。第1回の昨年は、結果的にコースアウトしたランナー(チェックポイント不通過、あるいはショートカット)もいたようですが、タイムを競わないマラニックと言うことで失格にはならなかったようです。「何でも有り」の精神で佐渡島を大いに満喫していただければ、参加した意義があるようにも思います。あまり参考にはならなかったでしょうが、この4回のシリーズが少しでも不安の解消に役立てれば望外の幸せです。<完>
2007.09.18
コメント(0)
<必要な荷物は自分で運ぶ> 「佐渡島一周」は、スタート地点から島を一周して元の場所に戻って来ます。この間、自分に必要なものは全て自分が運びます。もちろん不要なものは、そのままホテルに置いておくことが出来ます。荷物を運ぶために最適なのは、何と言っても体にフィットしたリュックでしょう。特に普段からリュックを背負い慣れないランナーにとって、この選択を誤ると辛いかも知れません。例えば体のどこかに当たって擦れるとか、バランスが悪くて走りづらいなどです。何しろ共に206kmもの旅をする訳ですから、自分の体にとって相性の良いものを選ぶ必要があるのです。 次のポイントは欲張らないことです。つまりなんでもかんでも積み込めば良いと言うものではありません。リュックの容量には限界があります。初めから一杯だと、極端に言えば途中で買う品物や手渡される弁当が入らなくなる可能性もあります。それに最初は軽く感じる荷物も徐々に重たく感じて来ます。 私の昨年の失敗例ですが、衣類が多過ぎて重たくなりました。幸い、昨年は体調不調のランナーが依頼した伴走車が居て、たまたま積んでもらうことが出来ましたが、それは全くの偶然です。また2日目には途中の公園に濡れタオルとスポーツドリンクを置いて来ました。それすら体が重たく感じられるようになったのです。<天候と服装> 最大48時間もの長い間、島内を駆け巡るうちには天候の変化があります。今のところ佐渡島のレース中の天候は比較的安定していて、天気も良く気温も仙台より1~2度高めとの予報になっています。昨年は台風の余波か、第1日目の夜中から2日目の未明にかけて雨が降りました。また第2日目の深夜にも雨が降り出しました。 疲労した状態で長い間冷たい雨に降られると体温が奪われます。ですから今後の佐渡の天気予報には十分注意して見ておくことが必要です。たとえ予報で雨が降らなくても、穴を開けたビニール袋や簡易なビニール合羽などの準備は必要と思われます。昨年雨具の準備をしてなかったランナーが第2仮眠所でリタイヤさせられたとも聞いています。 あまり参考にはなりませんが、汗かきの私は初日第1仮眠所まではランパン、ランシャツの組み合わせで走りました。まだ体力があったためか、それでもさほど寒さは感じませんでしたが、これはお勧め出来ません。また第1仮眠所で入浴後、半袖Tシャツと半ズボンに着替え、そのままゴールまで同じ服装でした。夜間の寒さを心配して長袖Tシャツや手袋も用意していましたが、私にとっては不要で結果的に無駄に感じました。<濡らさない工夫など> 唯一の手がかりとなる地図をどう保管するかも大事です。いちいちリュックから取り出していたのでは不便です。濡らさず、しかも手軽に地図を確認できる工夫を考えてみてください。 また事務局から携行を義務付けられている赤色灯、懐中電灯などの準備も怠らないようにしてください。電池切れのチェックも大切です。できればリュックは防水加工してあるのが望ましいのですが、そうじゃない場合でも最低ビニール袋の用意は必要でしょうね。<荷物の厳選> 最後にもう一度。本当に必要なもののみリュックに入れるのが肝要です。着替えも最低のもので良く、多少の汗臭さは我慢することです。私は昨年汚れた靴下は途中で捨てました。荷物は徐々に減るのが理想です。最も大切なことは最後までエネルギー補充が可能であることです。また最悪の事態に備えて、健康保険証や携帯電話は必要でしょうね。そんなことをチェックしながら、じっくり準備されてはいかがでしょうか。
2007.09.17
コメント(0)
<佐渡の給食と給水> 普通の100kmマラソンなら、ほぼ2.5km毎に給水所があり、5km毎にASが用意されて、ランナーはそれらのお世話になりながら最後まで走ることが出来ます。でも、「佐渡島一周」ではそんな手厚い給食・給水はありません。 最初に説明会で説明があると思いますが、206kmのコース上で数箇所弁当やお握りを手渡されるポイントがあります。選手はそれをその場で食べたり、まず確保して後で食べたりします。また驚かれると思いますが、コース上で24時間開いているコンビニは、85km地点の相川にある1軒だけです。自分の体調を見極め、ここでどんなものを「仕入れる」かが重要になります。私は野菜サラダ、牛乳、パンを買いました。 その手前にある幾つかの小さな集落には個人商店があります。それを目ざとく見つけて、自分の食べたい(飲みたい)ものを買い、その場で飲み食いしたり、リュックに入れたりします。私はパン、さつま揚げ、ナッツ類を買いました。 2日目に通る小木(おぎ)の町は比較的お店が多いところです。良く探せばスーパー、八百屋、ラーメン店が見つかるはずです。私は八百屋でオレンジを買い、ラーメン店でラーメンを食べ、港近くのスーパーでは稲荷寿司を買いました。ここから先に店はあまりないし、疲れて体調が変化するので何を買うかが重要です。 赤泊の集落には小さな店がありました。私はここでトマトと牛乳とアイスクリームを買いました。ここから先にはもしお店があっても、通り過ぎる時間の関係で開いていないと思った方が賢明です。そうなると残り50kmほどはランナー自身がリュックに入れた食べ物が唯一の栄養源になります。 一方、自動販売機は結構見つかります。でもスポーツドリンクばかりだと味が嫌になったり、舌がおかしくなったりして来ます。私はずいぶんお茶を飲みました。本当はミネラルウォーターが良いのでしょうが、ほとんどの自販機にはありません。 これらの事情は今年もあまり変わらないでしょう。ただし配られる弁当は昨年より良くなると思います。(昨年は全く同じものを3回もらい、さすがにウンザリしましたよ。笑)206kmの道のりを完走するために、また最後まで体調を良く保つために、ランナーがどんな食べ物や飲み物などを事前に用意し、あるいは途中で買うかがとても大切なポイントになります。 また、薬剤、栄養剤、塩、総合ミネラル剤など、自分に必要と思われるものの助けを借りることも大切でしょう。
2007.09.16
コメント(0)
「佐渡島一周」が近まりました。1週間後、来週の土曜日には佐渡島の島内を元気にテクテクと走っていることでしょう。「佐渡島」へ参加される皆さんは、今頃は最後の調整や準備をされているのでしょうか。 我が南仙台走友会のY田さん、宮城UMCの仲間のK藤さん、同じく古川のT田さん。このブログを読んでおられますか~? 今回初めて佐渡島へ参加される方は、いろんな不安があるでしょうね。後1週間に迫ったこの時期に、昨年参加した時の反省なども含めて、「佐渡対策」について書いて見たいと思います。古川のS藤さんも初参加ですが、佐渡以上の距離を経験されているベテランですから何も心配は要らないでしょう。<距離と時間に関する考え方> 「佐渡島一周」は206kmを48時間で走るマラニックです。ですから単純計算で行けば、1時間に4km余りを前進すればゴール出来るわけです。でも人間休んだり、トイレに行ったり、食べかつ飲んだり、眠ったりする時間も必要ですよね。そんな時間を差し引いても、時速6kmの速さで走ったり歩いたりすれば十分ゴール出来ます。<昨年の例から> 距離と自分の走力に自信がなかった私は、初日は次のような考えで臨みました。1時間のうち50分だけ走り、残りの10分間は歩くのを繰り返すのです。勿論食事の時間などは除きます。朝6時にスタートして、95km地点の第1仮眠所のホテルに着いたのが夜の8時20分ごろでした。計算上は休憩時間も含めて1時間に6.5km以上前進したことになります。 夜間は全て歩きました。雨も降ってる闇夜に走る自信がなかったからです。もちろん走力に自信があるランナーは夜間も走っていますが、ここで無理をする必要はありません。何故なら第2日目もまだ相当の距離が残っているため、夜間は体力を温存し、危険を避けた方が賢明だからです。また道を間違う可能性もあるのです。 仮眠所は90.5km地点のホテルの他に、105km地点の海の家にもあります。まずホテルでは食事も出来ますし、入浴も出来ます。出来れば初日の汗を流し、気分転換の意味からも入浴することお勧めします。(私は入浴後、後半戦に備え着替えをしました)また、例え人の出入りが激しくて眠れない場合でも、少し横になることをお勧めします。それだけでも体の疲れはかなり取れるからです。なお「海の家」にはお風呂はなく、水シャワーだけです。真夜中の冷え切った体に水では冷た過ぎますからね。<夜中の行進> 昨年参加した雲峰師匠は第1仮眠所で6時間眠ったそうです。それでもその後休まずに走り、歩いたお蔭でちゃんと時間内に完走されています。私は2箇所の仮眠所で合計3時間ほど身を横たえました。結局脳が興奮状態で全く眠れませんでしたが、その後眠気で苦しんだことはありません。きっと気が張っていたからでしょうね。で、夜中から朝まではゆっくり歩いていました。多分時速4kmほどのスピードでしょうか。それでも幾らかは距離を稼ぐことが出来ました。<再び走り始める勇気> 朝6時ころ、バス停で朝食を摂っている横をランナーが走り抜けて行きました。私も勇気を出して恐る恐る走って見ました。ところが意に反して、ちゃんとアンヨが動いてくれたのです。2日目は50分(あるいは55分)走って、5~10分間歩く「尺取虫走法」は止めました。自分の体調に応じて、あるいは地形(佐渡島は海岸沿いのコースのため、結構アップダウンがあります)に応じて、走れる所は走るという戦法に切り替えました。<最後までペースを守る大切さ> 私が去年失敗したのは残り30km付近からラストスパートをかけたことです。フルマラソンでも、100kmマラソンでも30kmも距離が残っているのにスパートするランナーはそう多くはないはずですが、睡眠不足と異常な高揚感で判断が狂っていました。(地図を見ながら残りの距離を確認することすらしませんでした)ですから、最後まで自分のペースを守るのが完走の秘訣です。無理、ムラ、無駄を無くせば自ずからゴールは近づきます。<地図を見て判断する必要性> 昨年私が失敗した一つは、何箇所かでコースを間違ったことです。工事中のためコースの変更があったことも含め、11kmほど余分に走ってしまいました。初めのうちはランナーの姿も前後に見られますが、出来れば地図を見、コースを確認しながら走るのが、結局は「近道」になります。「地図を読む」訓練になるし、最後まで正確に判断するためでもあります。現地の説明会で渡される25枚ほどの地図と是非お友達になりましょう。
2007.09.15
コメント(2)
行って来ましたフルスタへ。昨夜の対オリックス戦です。この日のピンバッチは草野大輔選手でした。イーグルスのファンクラブ会員証と当日のチケットをファンクラブのテント前に提出すると、今年は色んな選手のピンバッチをくれるのですよ。今シーズンもらったバッチは20個にもなったでしょうか。 また試合に先立って、「あやや」こと松浦亜弥が応援歌を歌ってくれました。彼女は試合中のイニングの間にも再び歌ったのです。そして5回表の攻撃前には、夜空に大輪の花火が打ち上げられました。私がフルスタで花火を観たのは今シーズン2度目かな。こんなサービスが受けられるイーグルスは最高ですね。 さて、試合は5回まで0対3の重苦しい雰囲気でした。それもそのはず、イーグルスが放ったヒットは1回裏にトップバッターの高須が打った1本だけでしたからねえ。それだけ相手の先発岸田の調子が良かったのです。それが6回裏には4本のヒットで同点に追い着くのですから、まだ前夜のサヨナラ勝ちの「ツキ」が残っていたのでしょう。 残念ながら7回から9回までの好機を物にすることは出来ず、9回を投げ切った田中に白星はつきませんでしたが、10回表のピンチを何とか小山が凌ぎ、後は前夜に続いてのサヨナラ勝ちを待つばかりの雰囲気になっていました。 先ず嶋が珍しく2塁打を放つと、もう「白風船」の準備が始まります。これは楽天が勝利した場合に行う「儀式」なのです。高須がバントを決めて1死3塁。草野が敬遠で1死1、3塁。ここで高波に代わってピンチヒッター礒部の登場。球場内には「ゴーゴーゴー イーグルス 杜の都の牛タンパワー スタミナ満点 止められない ワッショイワッショイ♪」の大合唱。 これで前選手会長の礒部が燃えないわけがありません。このところ自打球による怪我や憲史や高波など若手の守備が上手い選手の出現で出番が少なかった礒部ですが、初球からストレート1本に的を絞っていたようです。そこへ来たのが「低めの真っ直ぐ」。振り切ったバットから放たれたボールは1、2塁間を破ってライト前に抜け、3塁から代走の塩川がバンザイしながらホームイン。またまた前夜に続く「奇跡」(?)のサヨナラ勝ちでした♪ 我が東北楽天、本当に強くなりましたね。点を取った時、そして勝利を物にした時、ファンは狂喜してミニバットをお互いにぶつけ合い、最後に外野まで走って来た選手と一緒にバンザイをします。これが実に良いんです。4時間も応援した疲れが吹っ飛ぶ瞬間なんです。たった1200円でこれだけ熱くなれることって他にありますか~? と言うわけで、昨夜で私は今季13勝7敗の好成績を収めました。今日は10月2日(火)、3日(水)の対日ハム戦のチケットを買いました。3日は今季最終戦で田中が投げることがほぼ決まっていて、これを買うのが大変なんですよね。一般販売に先行して購入出来るため、ファンクラブに入っているんですが、きっと来年も止められないでしょうね。(笑)
2007.09.14
コメント(0)
安倍総理、とうとう入院しちゃったようですね。すっかり闘争心を失ってしまったのでしょう。昨夜は総理辞任のニュースが全国を駆け巡ったようです。一方ではオシム・ジャパンがサウジに辛勝したとか。でも、私は試合があることすらすっかり忘れていました。私にとっては楽天対オリックスの試合の方がもっと気がかりだったのですよ。 セリーグもパリーグもAクラスとBクラスのチームがハッキリして来ましたね。パリーグでは日ハム、ソフトバンク、ロッテが優勝を懸けて戦っています。残念ながら我が東北楽天は優勝を争うまでには到っていません。それどころかビリ争いの渦中にあります。4位タイの西武と楽天から6位のオリックスまで、わずか0.5ゲーム差ってんですから、こっちの方の戦いも物凄いのですよ。 何しろ新生楽天は2年連続のビリ。今年は田中マー君の入団で結構良い勝負が出来ています。今の時期に借金が1桁なんて、昨年まではとても考えられないことなんですからね。優勝争いは無理としても、少しでも上位を目指して頑張って欲しいと言うのが我々ファンの願いです。 昨夜も期待の岩隈が乱れて2対5で負けていたのを終盤同点に追い着き、9回裏1死満塁で山崎の内野ゴロ併殺崩れの間にホームイン。奇跡(?)のサヨナラ勝ちですから堪りません。実は殊勲打の山崎ですが、肩や腰に加え股関節も傷めているとか。そんな状態でも必死に戦っているのですぞ。安倍総理や朝青龍には山崎の傷だらけの姿を見せてやりたいなあ。そして「男は闘争心を失ったらお終いだよ」って言ってやりたいねえ。 一方大リーグで「お役御免」になった桑田ですが、捻挫で傷めた足首を手術するとか聞きました。これまで足が万全で無い状態で大リーグで投げていたんですねえ。で、手術が無事終了したら来年もまた大リーグに挑戦するんですって。知ってました?凄いですねえ。桑田の尽きること無い闘争心は。私達ウルトラランナーだって、絶対ゴールするぞ~っと言う気持が無くなったら、100kmはおろか42.195kmすら走れませんからね。 さて、今夜の楽天の先発は田中。またまたフルスタへ応援に行って来ます。今日も入れてフルスタで今年試合を見られるのは、後8回だけなんですよねえ。田中がフルスタで投げた試合は確か9回だと思うんですが、私はそのうち8回見ています。5勝2敗かな。1試合は抑えの福盛が勝ち投手になりました。 レフトの自由席前売り券1200円也で4時間以上興奮できるんですから安いもんですよね。今日も勝って、選手と一緒に万歳三唱をやりたいなあ。じゃあ今年20回目のフルスタへ行って来ま~す♪
2007.09.13
コメント(0)
安倍総理が辞任の意思を表明した。唐突でもあり、辞任の理由も良く理解できない。開催された国会で所信表明をした直後の辞任表明には、与党の中枢にいる人にも驚きだったようだ。それにしても行動が幼い。誰しも考えるように、もし辞任するなら惨敗を喫した参院選の後が自然だったろう。 「美しい国」発言に見られるように、安倍総理には「精神性」は感じられても生活感は全く感じられなかった。だから支持率が急落すると、忽ち意気消沈したのだろう。辞めるタイミングがあまりにも悪過ぎる。これでは途中で投げ出した感が否めないのは当然だ。エリートの何という脆さ。やはり最後になって経験不足がもろに出てしまった。あれが政党のエースだったのだから、人材不足なのだろう。 総理の行動に比べるのもおこがましいが、私の人生で2度身を引いたことがある。初めは勤労学生だった頃のこと。ノンポリの学生委員会に所属していたのだが、大学紛争に怖気づいた先輩が委員長選挙への立候補を直前になって降り、2年生の私にお鉢が回って来たのだ。全国的な学園紛争の影響で校舎が封鎖されるなどの騒動が続き、結局機動隊導入で反対派の先鋭的な学生は排除された。 夜学の学生には勤務先で組合活動をしてる人も居て演説は上手い。一般学生の代表だった私達はとてもプロの活動家には敵わなかった。それでも何とか学びたい一心で通学している勤労学生の代表として頑張った。体重は1年で6kgほど減り、50kgそこそこまで痩せた。2年目の選挙には心身ともにクタクタで、再び立候補することはしなかった。 これまで大学側の運営に反対を唱えて来た先鋭的な集団は、思わぬ当選に困惑したようだ。攻撃は得意でも、文化を創り出すことは出来なかったのだ。彼らの1年間の行動で、夜学の学生達も何が真実なのかをようやく悟ってくれた。 2度目は前職を定年の1年前に辞めたことだ。組織の大改革を前に上層部は全国の情報を求めて苛立っていた。直属の上司、部下は共に更年期の女性で、的確な指示が出来ず、間に挟まれた私と同僚は戸惑いの連続だった。そのうち窮地に立った同僚が私を攻撃し出した。上司の目を逸らすためだったのだろう。 私は事務方のトップに辞職を申し出た。私の場合、辞職の承認を得るためには6ヶ月前に申し出る必要があった。後任人事で全国に影響するからだ。私の最後の職場はそれまでの管理運営が悪く、施設も雨漏りするなどニッチもサッチも行かないような状態だったし、職員の意識も最低で私はとても管理職とは言えない業務に奔走していた。 私は辞めて清々したが、同僚は後で困ったと思う。もう攻撃する相手がいなくなり、自ら動かざるを得なかったからだ。この2つの事件には実は深い関係がある。同僚は夜学で委員長だった私を攻撃した一人だったのだ。私は良く知らなかったのだが、あの時の反対運動で彼は退学処分になっていたようだ。それで私を恨んでいたのかは不明だが、元々恨まれる筋合いではない。 「人間、引き際が大切だ」と、自分の体験からも強く感じる。全国組織の大改革に関連して何人かの仲間が現職で亡くなったと聞いたのは、辞職から1年後のことだった。
2007.09.12
コメント(0)
久しぶりに青空が戻り、今日は山道を走って帰った。その道すがら、萩の花が咲いてるのを何箇所かで見かけた。もうこんな季節になったのだ。気のせいか大気も少しひんやりし、暑かった夏の頃に比べれば走りやすくなったようにも感じた。 萩の花で思い出すことがある。まだ図書館に勤めて日が浅かったころのことだ。東京から赴任した課長に、「この辺の萩はどんな種類があるの」と聞かれて、「ミヤギノハギとセンダイハギ」と答えたら即座に笑われた。「センダイハギはお芝居だろ?」と言うのだ。 課長の言うとおり伊達藩のお家騒動をテーマにした「伽羅先代萩」と言う名の歌舞伎はあるが、センダイハギと言う種類の萩も聞いたことがある。だが、まだ駆け出しの図書館員だった私には、自信を持って「ちゃんとあります」と証拠と共に答えるだけの分別はなかった。「センダイハギ」の植生と実態を知ったのはそれから何年も過ぎてからだった。 帰宅して歯医者に行く。今日は病んでいる歯を抜くことになっており、それだけで朝から憂鬱だった。待合室で待つこと2時間近く。これでは何のために時間を予約してるか分からないじゃないかと、変な怒りが込み上げて来た。その割にいざ椅子に座ると、尻の辺りから冷や汗が滲んで来たようだ。 歯科医はレントゲン写真を見ながら奥のインプラント部分の病状について説明する。もう3度ほど同じ説明を聞いた。先週暫く様子を見ましょうと言う話に、これでは何時まで経っても埒があかないと業を煮やし、潔く抜くことをお願いした私だった。ひょっとしてこの先生は自信がないのかとも勘ぐったのだ。インプラント(人工歯根)を行うためには、歯科医と口腔外科の2つの資格が要る。先生はきっと口腔外科の資格が無いんだろうとも思った。 だが、今は炎症が治まっているし、最奥部の歯を抜くとその手前のインプラント部分も弱くなり、噛むことが困難になるとの説明が良く理解出来、今回は抜かないことで合意した。ただ、歯石は除去して欲しいとお願いし、歯間ブラシの使い方を歯科技工士の方から教わって帰った。 最初のインプラントを行ったのは16年前の沖縄でのこと。優秀な女性歯科医の勧めで琉球大学医学部口腔外科の先生が手術してくれた。女性歯科医はその何年か後に沖縄県で初めての女性副知事に推薦されたが、ある政党の反対にあった。余りの自信と豪胆さが裏目に出たようだ。エピソードも幾つか知っているが今回は止めておこう。 2番目のインプラントは山形で7年前に受けた。この先生は学術的な興味が旺盛な方で、この先生のためなら実験台になっても良いと思って協力したのだった。だが、虫歯の親知らず歯の根っこを引き抜き、それを反対側の下顎骨を削って埋め込む手術には、少し無理があったのだと思う。何故なら最初からグラグラしていたからだ。 この先生は自信と言うよりは、学問的な良心から歯の移植を勧めてくれたのだと思っている。歯で苦しむのも段々歳を取って来た証拠だろう。今日は思わぬ「歯無しの話」になった。
2007.09.11
コメント(0)
昨日の夕方の散歩の時、畑に転がっていた「夕顔」を拾って帰った。農家が家庭菜園用に貸し出した畑には、色んな人が色んな作物を育てている。きれいに畝を耕し見事な野菜が生ってる畑もあれば、雑草が伸び放題の畑もある。結構高いお金を出して借りている畑で生った野菜も、毎日のように収穫に来る人もいれば、種を蒔き、苗を植えっ放しの人もいる。 「夕顔」が捨てられていたのは、あまり手入れの良くない畑だった。それでも10個以上の大きな実が棚にぶら下がっていた。折角作ったものの、大きな夕顔の実に辟易したのだろうか。何個かは収穫したようだが、残りは放置した感じだ。 そのまま腐らせるのは勿体無いので有難く頂戴する。ちょうどキュウリが取れなくなったので糠漬けには持って来いだ。今朝「瓶」から出して食べてみたらちょうど良い漬かり具合だった。残りは煮物にしても美味しいかも知れない。(笑) 今日は午後から雨の予報だったが、意を決して自転車で職場に行った。勤務後、病院に行きたいと思ったのだ。歩けばかなり遠いし、診察時間が遅くなる。それに沖縄料理店から借りた本を返すためにも自転車の方が好都合なのだ。幸いにして午後になっても雨は降らず、無事用件を果たした。 沖縄料理店からは2冊の本を借りた。8月の下旬沖縄に帰る際に新しい本を持って来ると聞いてたので期待していたのだが、今回専門書の類はなかった。店の主人のお父さんは沖縄で医者をしてるとか。これまで借りた本の内容からかなりのインテリで愛書家なのが分かっていたが、さすがに蔵書が尽きたか、読書家でない息子に大切な本を貸したくないかのいずれだろう。あるいは重い本を運ぶのが大変だったのかも。 病院での診察の結果は異常なし。女医さんもいつもの通り機嫌が良い。血圧が安定しているのは、規則正しい生活のお蔭だろう。それに歩き、走り、毎日のように体を動かしていることも大きいと思う。全て順調のように見えるが、この秋の健康診断はどうだろう。現役を退いてから胃のレントゲン写真を撮ってなかったが、初めて市の健診を受けることにした。自己負担が500円とのこと。「只」みたいなもんだ。 雨が降りそうな気配に、愛犬との夕方の散歩を早める。やはり勘は的中、散歩の途中に降り出した。雨の中で冬野菜の種を蒔いている農家の人。彼らにとっては多分恵みの雨だろう。帰宅した時には豪雨になった。今日から家の壁を塗り始めた業者も、さすがに作業を終了して帰った。屋根はもう1回本塗りをするとか。こちらも順調に進んでいるのが嬉しい。
2007.09.10
コメント(0)
今日もまた良い天気。昨日は2回洗濯した妻だが、今日も洗濯をしたようだ。明日から天気が崩れるようなので、晴天は貴重なのだろう。今朝はいつもより1時間ほど遅い起床。その分愛犬との散歩も遅い。だが彼は時計をしてないので、今か今かと私が外へ出るのを待ち構えているのだ。 朝食後、妻がお握りと稲荷寿司を作る。今日は高原にコスモスを見に行くことにしていた。それだけ無く温泉にも入り、高原野菜を中心とした土産物センターも覗く予定。行き先は薬莱高原。毎年8月に宮城UMCの仲間と走るマラニックのゴール地点でなかなか素敵なところなのだが、車の無い我が家ではこれまで話だけで妻を連れて行くことが出来なかった。 それが先日バスの中に、「高速バスで行く薬莱リゾート」のちらしが吊るされていたのを発見。バスの料金は片道1200円で、ガーデンと温泉が半額、それにアイスクリームのサービス付きらしい。これは良いぞとばかり、山や花や温泉好きの妻に話したら、早速出かけることになった。秋の山も眺めは良いだろうし、高原に咲くコスモスの風情も楽しみだった。 駅から乗ったバスは観光バスじゃなく、普通の路線バスなのにはビックリ。ただし一部高速道路を使うので1時間半ほどで着くようだ。4枚つづりの回数券だと800円安くて助かった。車窓からは黄色く色づき出した田圃や七つ森などの風景を楽しむ。 大衡まではマラニックのコースと一緒だった。だが、王城寺原へは曲がらずに色麻町役場方向へ直進。さらに旧中新田町を経由してようやく旧小野田町へ辿り着く。あの何も無い田圃の中の道は通らないのは人家が少ないからで、わざわざ色麻町役場、加美町中新田支所、同小野田支所を大回りするのも路線バスの宿命だろう。 さて、終点の薬莱山麓にある「やくらいガーデン」付近では、ちょうど「ベゴッコ祭り」で大賑わい。スキー場のゲレンデを会場に、大バーベキュー大会などが開かれていた。ガーデンでは良く手入れされ広々とした園内に咲き乱れる季節の花々。台風のためにコスモスが少し倒れかけていたのが残念だが、満開になればさらに見事だろう。丘の上には絵のように可愛い教会があり、結婚式も挙げられるとか。 ソバの白い花が咲く丘の展望台に上がって、澄んだ音色の鐘を鳴らす。木陰のベンチで、薬莱山を見上げながらの昼ご飯も美味しかった。油絵のモチーフのため、妻は何枚か写真を撮った。帰りは薬師の湯まで高原の道をハイキングする。 温泉も地元の小母ちゃん達が生産する高原野菜が中心の土産物センターも、妻は気に入ったようだ。温泉は2度入り直したようだし、たくさん買った高原野菜は私のリュックを重たくした。無料サービスのアイスクリームに舌鼓を打ち、お土産まで入れて2人で6千円ほどで済んだプチ旅行に大満足の一日だった。
2007.09.09
コメント(0)
台風が去って青空が戻った今日は、朝からいやに蒸し暑かった。何をしても汗だくで、朝一番の愛犬との散歩から帰ると顔から背中から猛烈に汗が滴り落ちる。昨夜は夏蒲団にしたが、それすら掛けずに朝までパジャマのままで寝ていたのだから、やはり暑かったのだろう。 朝食を終えて、台風で汚れた玄関先やガレージの掃除をしているところへ塗装業者がやって来た。確か今日は休みの予定だったのにと思っていたら、台風で遅れた分を取り戻すためらしい。1人は屋根に登って養生を始め、1人はガレージの壁面に養生を始めた。こうなると私も仕事をせざるを得ない。 まず愛犬を道路に出す。道路と言っても我が家は路地の奥なので、車は入って来ないし邪魔にもならないのだ。犬小屋、梯子なども邪魔にならないところへ移動。ガレージの壁に立てかけていた支柱や植木鉢などは壁から離す。屋根と壁面の塗装が本来の工事なのだが、サービスでガレージの壁面も塗ってもらうことにしたため、積極的に協力した方が良いと思ってのことだ。 それらが終わると台風でビショビショになった玄関マットを干し、生ゴミを入れるコンポスト用の土を運び、キュウリ3本、ゴーヤ5本、パプリカ1個を収穫。100本近く採れたキュウリも葉が大分黄ばんで来たので、間もなく寿命だろう。たった1個実を結んだカボチャもさほど大きくならず成長が止まったようだ。 妻に頼まれた買い物ついでにコンビニに寄って楽天のチケットを購入。コンサートのチケットを買う人が居てかなり待たされたが、今日の分と10月2日(火)の分をゲット。10月3日(水)が今シーズンの最終戦で田中が先発する予定と聞いてるが、発売計画はまだ発表がないのだ。 2時試合開始のフルスタは猛烈に暑く、まるで真夏並み。多分体感温度が35度ほどにはなっていただろう。だが先発の一場はロッテ打線に早々に捕まり、2回3分の2まで投げたところで7安打で3点を失った。この後出て来た永井、川岸、小倉が片っ端から打たれ、大量10点を献上した。打線も良いところ無くリックのポテンヒットで辛うじて2点取っただけの実にお粗末な試合だった。 殆んどの回ロッテの攻撃が長く続くのに対して、楽天の攻撃はたった5分ほどで終わってしまう。相手のピッチャーを助ける以外の何物でもない「早打ち」の連続。期待して観に行った一場だったが、中継ぎ陣も含めてまだまだの状態だ。きっと選手層の薄い楽天では、暑かったこの夏の疲れが出ているに違いない。 そんな中で、わざわざ福岡まで行ってソフトバンク戦を応援して来たと言う熱心なファンもいた。ヤフードームでの楽天ファンは完全なアウェーで、岩隈が投げた日で30人田中が投げた試合が100人ほどしかいなかったとか。そんなところまでわざわざ行って来るファンがいることに正直驚く。 試合後大急ぎで帰って、愛犬と夕方の散歩。ガレージ内は業者の人がすっかり片付けてくれていた。周囲の壁にはペンキが塗られ、明るくかつきれいになって妻も大喜びだった。夕食の前に水シャワー。暑かった日の汗をしっかり流した。我が楽天の力も今が限界か。プレーオフは無理だが、せめて4位か5位には留まりたいなあ。それにしても9月の仙台で水シャワーとは、やはり今年は異常気象かもねえ。
2007.09.08
コメント(0)
昨夜眠りに就いた頃には、まだ風雨は強くなかった。ただ、ラジオで聞いていた楽天対ソフトバンク戦が、期待の田中が先発だったのに逆転負けしたことだけが心に残っていた。今朝起きると強い雨。それでも日課の愛犬との散歩に行く。風も強くなっていて、忽ち傘が壊れてしまった。雨の日の散歩には欠かせない大切な傘だったのだが残念だ。 早目に切り上げて家に帰ると、庭から一羽の鳥が飛び立った。山鳩だ。つい1ヶ月前ほどから我が家の庭で遊ぶようになったこの若鳥は、台風の日にも遊びに来たようだ。慌てて逃げるような感じもないが、何故遊びに来るのか訊ねても、ただ「デデポポ」と鳴くだけで返事はない。 今日はいつもより早目に出勤。愛用の大きな傘が壊れたため、小さめの傘になり濡れてしまうが仕方がない。その代わり足元は長靴にした。ダイヤ通りに来たバスに乗り込むと案外空いていて座ることが出来た。先日まで読んでいた「うちなぁぐちフィーリング」を読了し、今日から城野宏著「古事記と人間」を読み始める。 亡くなった経済人の著書の復刻だが、歴史学者が気づかなかったり、気づいても取り上げなかった視点から書かれた文章は捉え方が鋭く、なるほどと思うことが多い。これまでの私の歴史観を変えてくれるのではないかとも感じる。これはゴミとして裁断に出されたのを現場で拾ったもの。世の中には勿体無いことをする人がいるものだ。 第1現場ではいつも朝一番で登る塔屋には登らなかった。突風に煽られると危険なためだ。喫煙のために開けた窓も逐一閉めた。そのままだと雨が吹き込んで大変なことになる。玄関先で立哨しながら外の様子を窺うと、強風で傘を壊される人が大勢いる。またこんな荒れ模様の日に傘を差しながら自転車に乗る若者がいることにも驚く。 帰宅してニュースを観たら、台風は福島の会津地方から山形、秋田方面に向かったとか。多摩川の濁流に流されるホームレスの人が何人かいた。家が全壊したり、橋が落ちたり、土砂崩れが起きたりと、各地で被害が出ているが我が家では特段の被害はなかった。工事のため家の周囲に張り巡らしていた「幕」は台風の襲来に備えて予め業者が折り畳んでくれたし、午前中も巡回に来てくれたようだ。 夕方、風がまだ強い中、愛犬と散歩に行く。10時間近く犬小屋の中に閉じ込められていた愛犬も、ようやく自由になり嬉しそう。明日は台風の余波のフェーン現象で最高気温は32度まで上がるとか。その中を走友会の仲間達は山形蔵王坊平高原の合宿先まで60km以上走って行くようだ。先週の「ビールラン」にも今回の合宿にも参加出来なくて残念だが仕方がない。皆さん、頑張ってくださ~い♪ さて、今夜のフルスタでの対ロッテ戦は再び流れてしまった。残り22試合、我が東北楽天には何とか最後まで粘って欲しいものだ。頑張れ~っ楽天!!
2007.09.07
コメント(0)
もう何日か前のこと、高知の長女から電話があった。届いた桃のお礼だった。品質も良く、とても美味しかった由。これは8月の初め福島の果樹園に桃狩りに行った際、発送をお願いしたもの。1個500円ほどだったので美味しいのは当然かも知れない。二人の孫も「美味しかったよ~」と可愛い声で教えてくれた。 今年から小学生になった上の孫は実は果物がきらいなのだ。四国は柑橘類の宝庫だが、この孫は見向きもしないようだ。だが妻が送ったサクランボは珍しかったのか喜んで食べたそうだし、今回の桃も抵抗なく食べたようだ。こんなことでもないと可愛い孫の声はなかなか聞けない。この孫達が嫁に行くまで、果たして私は生きていられるかどうか。 一昨日の夜のこと、宮崎にいる弟から電話があった。時刻は9時半ごろだったが私は既に眠っていた。電話から漏れるテンションの高い弟の声に目が覚める。来月の半ばで定年になる由。宮崎に赴任して2年になる彼の身には妻がガンで亡くなるなど色んなことが起きた。 宮崎では前知事の汚職による逮捕、鳥インフルエンザの発生、東国原知事の誕生などのビッグニュースが続いた。さる通信社の支局長をしている彼にとって、きっと気が休まらない日の連続だったに違いない。そんな中で初めて任地に伴った妻が亡くなったのだから、苦労が絶えなかったと思うのだが、話し声にはそんな雰囲気は少しも感じられなかった。 今、週1回地元のテレビに出てコメンテーターを務めている由。退職後も引き続き出演を請われているので出ようと思うと弟。宮崎は気候も人柄も暖かく、物価が安くて暮しやすい由。退職金をもらったらマンションを買い、そのまま宮崎で暮すのだとか。 また亡き妻の遺灰は、遺言により各地に少しずつ撒いているとのこと。先日は沖縄の本部半島周辺の海に撒いて来たようだ。残りは宮崎の海や、父母が眠る生まれ故郷の北海道のお墓にも入れるとか。これからもし良い人と出会ったら一緒に暮すのも良いかもと、屈託無く話す弟の口ぶりに暗さはなかった。 心配なのは、これまで社会人として忙しく過ごして来たのが、退職して急に暇を持て余し、体調を崩すことだ。週1回ゴルフもし、テレビにも出てるから大丈夫と言う弟に、健康には十分注意するよう話して電話を切った私だった。 高給取りで社会的にも高い地位にある弟。それに対して、第一線を退いてなおパートの肉体労働者として小遣い稼ぎの日を送っている私。だが健康で色んな趣味を楽しめるのが一番。何も他人の暮らしを羨むことはない。さて、風が強く吹き始めた。空はまだ青いが、台風が少しずつ近づいているのだろうか。
2007.09.06
コメント(0)
「立山」の完走記執筆中に、今月走る「佐渡島一周」のナンバー通知などが届いた。参加者名簿を見たら、昨年参加していた新潟のK生さん、I橋さんの名前がない。お二人とは7月の「磐梯高原」でお会いしていたが、不参加とは淋しい限りだ。 宮城UMCからは10名の参加になっていた。このうち6人が我が南仙台走友会のメンバーだ。初参加はY田さんK藤さんに、旧古川市のS藤さん、T田さんの合計4人。206kmもの長い距離に初挑戦する4人の心境はどんなものだろう。昨年もここを走っている私には特に心配な点はないが、天候だけは安定して欲しいと願っている。 12月の予定レース「NAHA」のツアー申し込みをした。妻は仕事の関係で行けないため、私は安い宿を斡旋してもらった。1人ならそれで十分。ついでに来年1月に予定している「宮古島100kmワイドーマラソン」の宿と飛行機の手配もお願いした。こちらはまだレースのエントリーはしておらず、目下大会要項を取り寄せ中だ。 NAHAは今回が10回目の参加で何も心配することはない。一方の宮古島は初めての参加。「宮古島100km遠足」も前日の土曜日に開催されるが、これだと金曜日に休む必要がある。「ワイドー」は日曜日の開催だし、月曜が祭日のため仕事上の迷惑を掛けずに済むのが参加の決め手になった。 ついでながら来年は主にウルトラを走ろうと考えている。目下の予定レースは以下の通りだ。一部変更があるかも知れないが、多分このまま行くことになるのではないだろうか。☆1月13日(日) 宮古島100kmワイドー☆3月23日(日) 伊豆大島ウルトラ100km☆5月18日(日) いわて銀河100km☆7月5日(土) 磐梯高原100km☆8月23日(土) 立山登山マラニック65km☆9月21日(日) 秋田内陸100km☆11月23日(土)屋久島エコジャーニーラン80km
2007.09.05
コメント(0)
9月2日第1日曜日は町内会の草刈の日で7時半から始まる。折角大阪世界陸上の女子マラソンを観ていたのだが、これも近所付き合いなので仕方がない。例によってバス停前の除草に精を出して居た時だ。突然頭に鋭い痛みを感じた。長く伸びた草に長老が気の毒がって、草刈機で刈ってくれていたのだが、その辺りにアシナガ蜂がたむろしていたようだ。 つい1ヶ月前も同じような状況で左腕を刺され、2週間ほど強い痛みと腫れに苦しんだのだが、すっかりそのことを忘れていたのだ。良く見ると小さな巣があった。鎌で叩き落し、長靴で巣を踏みつける。慌てて自分の巣を探しに戻って来た蜂も、帽子で叩き落した。2度目の今度は「抗体」が出来て大変な思いをすると覚悟したのだが、「免疫」が出来ていたのかほとんど痛みも無くて済んだ。 女子マラソンは土佐が良く頑張ったと思う。中国の合宿で膝を強打した影響があるかと思っていたが、彼女は実に苦境に強い選手だ。涙を流しながらの力走で銅メダルを手にし、ついでに北京オリンピックへの出場も一発で決めた。 大阪国際陸上でほかに観たのは、男子100mリレーの決勝と、山崎選手が競技役員の誘導ミスで途中棄権になった50km競歩くらいか。男子のリレーは日本新とアジア新記録を出しての5位。世界との差は小さくない。またあの誘導ミスはお粗末の一語。ほぼ8位入賞と北京への切符を手にしかけていただけに、残念でならない。 女子マラソンを観た後、私は久しぶりにフルスタへ向かった。球場の命名権問題が急遽持ち上がって来たフルスタ。折角馴染んだ名前だが、来年の春には別な名称が付くことになるだろう。それはともかく、6月までに15回も通っていたのに、その後忙しくなり7月に1回、8月に1回行ったきりだった。 8月31日(金)はあの雨の中で対西武戦を強行した。西武は前日延長戦が長引き、試合当日早朝の移動だったので疲れ果てていたはずだ。一方の楽天は前日は試合がなく休養十分なのに加え、この日も朝から室内練習場でみっちり練習をしていた。先発の田中は10勝目を目指し、敵を待ち構えていた。これに対し西武は、雨で試合はないと思っていたのではないか。そうなると勝敗の行方は初めから決まっていたようなものだ。大勝で田中は悠々と10勝目ゲットした。 翌日の2戦目、先発はドミンゴ。日本新記録のボーク4つを出した上に、審判に悪態をついて退場処分になった。だがこの日はフェルナンデスが前日に続いて大当たり。2日で11打点の大活躍だった。ドミンゴの後を受けた永井が好投し、棚ボタの6勝目を挙げた。 私が行った3戦目の先発は朝井。3連勝すれば4位の西武と順位が入れ替わる大事な一戦だった。初回山崎のピッチャーゴロを相手がFC。暴走とも思えた3塁からの帰塁が、何と好走塁になるのだから楽天はついていた。その後2点追加して3対0。これは楽勝かと思ったら和田の2ランホームランでたちまち1点差。だが前日中村の頭部に死球を投げて退場させられた小山が良く踏ん張って勝利を手にした。 この日レフト自由席には2人の珍しい客人が応援に来ていた。1人目がローリー。長い金髪にピンクのトップタンクとパンタロン。頭にはこれもピンクのカーボーイハットと超ど派手なイデタチにはビックリ。いつもはロッテや楽天のファームを応援してるらしい。この人、実は男で、顔を良く見るとヒゲの剃り跡が青々としてるのが分かる。勤め先は「国分町」(仙台の夜の繁華街)らしいが本当はどうなのか。 もう一人の珍客は銀次。背番号67、ファームのキャッチャー銀次のユニフォームが決まってるが顔が本人とは違う。この人はどうも歌手のようだ。良く見るとCDが入った袋にサインをして配っている。銀次と言う売れない歌手が仙台にいる話は聞いていたが、その本人のようだ。楽天が強くなるとこんな人までが応援に来るようになるのか。残りは後24試合。どこまで勝てるのか、我が東北楽天! さて本日の話題は極めてローカル色が強いものになりましたが、お許しを。(笑)
2007.09.04
コメント(0)
この一週間、疲れと戦いながら「立山」の完走記を書いていた。走後の痛みは全く無かったが、残業も続いていて疲れはなかなか取れなかった。参加条件が厳しくかつ人気が高い「立山」では、ずいぶん多くの人が選考に漏れたようだ。折角参加することを許されたのだから、簡単にリタイヤするのは選考漏れのランナーに申し訳ないと言う思いが今回は強かった。 10年ぶりにお会いした滋賀のOさん。スタート前は緊張されていたように感じたが、無事ゴールされた夜の懇親会場では、表情が一変して喜びに満ちていた。今回称名滝ASでリタイヤされたH多夫人だが、一緒に走っていたM仙人の体を終始心配されていたようだ。自分の体調不調に時計の電池切れのアクシデントが加わり、ついに諦められたとか。 O氏もH多夫人も過去にこのコースを完走されている。コースの厳しさを知るだけに、体調が悪い時など、完走できるかどうかより不安が高まるのかも知れない。そう言えばレースの翌日、誰かが「初めての参加者は大抵完走するものだ」と話しているのを耳にした。前途の厳しさを知らないだけに、夢中になって走り、歩き、登るため、知らず知らずのうちにゴールしてしまうのだろうか。 レースから帰って、O氏のブログや雲峰さんのBBSに掲載された「立山」の写真を何枚か見た。それらの写真を見ると、レースの状況やコースの途中で見た風景が、まざまざと思い出された。なるほど写真はあの時の雰囲気を捉えている。私の完走記は殺風景にも文章だけだが、その代わり私が受けたレースの感動が何とか伝わるよう苦心した積りだ。 さて、完走記を書いてる途中に、約1ヶ月かかる我が家の塗装工事が始まった。今我が家の周囲は足場と幕に囲まれて薄暗く、風通しも悪いためか洗濯物も乾きにくい。それに家の周囲を歩くのは困難。不便なので畑の一部を潰してコンポストを据え付けた。何とか持ち応えたトマトやミニトマトを工事前に処理したのは残念だったが、その後に大根の種を蒔いた。虫の音が聞こえる。どうやら我が家にも「秋」の気配が少しずつ忍び寄って来たようだ。
2007.09.03
コメント(0)
<フィナーレの時> 懇親会は8時から食堂で始まり、私達のテーブルには雲峰さんやクニさんも集まった。今回クニさんは不調で伴走はせず、途中リタイヤされた由。それにしてもあんな厳しい登山道を、盲人ランナーも伴走の方も良く登られ完走されたのは奇跡に近いと思う。H多夫人はコースの途中でフラフラし出し、リタイヤされたとか。それにM仙人共々、腕時計の電池が切れたそうだ。レース当日に仲間の2人が同時に電池が切れるとは、何という偶然の確率だろう。 私はE子ちゃんを探して食堂の中をほっつき歩いた。だが何度見回しても見つからない。走ってる姿は知ってるが、しっかり顔が確認できた訳ではなかった。さて、トップ到着で紹介された選手はまだ若いランナーだった。第10回記念大会の副賞として、カリマンタン(ボルネオ)島キナバル登山マラソンへ2名の招待が決まった。確か東南アジア最高峰で4千mクラスの山だったと思う。 疲れと酔いで雷鳥荘の1階をフラフラ歩いていた時E子ちゃん発見。仲間の男女8名と同室とのこと。私がゴール出来たのは、彼女のペースが参考になったのに加え、最後まで走ろうとした姿を目にしたからだ。お礼の積りで握手しようとしたら、彼女の両手は生憎懇親会の余った「つまみ」で塞がっていた。仕方なく彼女の手に軽く触れたのだが、果たして私の気持が正しく伝わったかどうか。(笑) 深夜2時、K合さんが静かに部屋から出て行った。そのまま何時まで経っても帰って来ない。てっきり雄山からのご来光を観に行ったのかと思い、すっかり眠気が醒めてしまった。彼が戻ったのは2時間後。照明を消し、温泉の中から夜空の星を眺めていた由。とても星がきれいで流星が4つも見えたと嬉々として語る彼。それを聞いてM仙人とD口さんも未明の温泉に入りに行った。 その間私はK合さんと様々な話をした。山の話、古い道の話、宗教の話、アイヌや沖縄の話、歴史の話など話題は尽きなかった。K合さんと話すのは今回が初めてだったが、とてもユニークな視点を持った人だと言うことが直ぐに分かった。 夜が明け、私は建物の外へ出た。雲峰さんは既に散歩をされていた。リンドウ池から血の池方面まで歩く。眼前には雄山の雄姿。昨日レースで登った時はずいぶん急峻に感じたのだが、正面から見ると稜線が緩く見えるのは何故だろう。初めて妻とここへ来た時、ミクリが池越しに望む山々にはとても感激したものだ。あの素晴らしい光景を、今回はランナーとして眺めることの不思議さを思う。 バスで室堂を立つ時、車窓からスタッフの人が掲げるボードが見えた。そこには「第10回記念大会の感激をありがとう」と書かれていた。「ありがとう」と言うのは私達ランナーの方だ。私は急にウルウルし、危うく涙が流れるところだった。厳しくもかつ素晴らしい体験をした今回のレース。63歳の私には一抹の不安もあったが、やはり挑戦して良かったと思う。 驚いたことにM仙人は金沢に1泊し、翌日は白山登山に挑戦される由。腰を痛めながらの登山行には頭が下がる。D口さんは金沢へ、K合さんは富山空港へ向かい、私とH多夫人は富山からほくほく線経由で越後湯沢へ向かった。2時間の旅の途中に、私達は夢中で色んなことを話した。65kmで3003mを駆け登る「立山登山マラニック」は、どうやら私の脳裏に強いインパクトを与えたようだ。<完>
2007.09.02
コメント(2)
<餓鬼と化す> 御祓いの順番を待つ間、お世話役の人に雄山神社の祭神を訊ねた。スリッパを履いたラフな人だったが、その時だけは「イザナギノミコトとアメノタヂカラオノミコト」ときっぱりと答えた。イザナミと夫婦神でこの国を生んだイザナギが祭神なのは分かるとして、天照大神が籠もる天の岩戸を曳いた手力男も祭神の一人とは、一体どんな意味があるのだろう。 10分ほど待って私達のグループは本当の頂上に登ることを許された。まず神主が祈祷し、私達を御祓いしてくれた後、この峰の一部が本来の頂上で3003mであることや、信者の方が下界から運んだ石をコンクリートで固めて神社の基礎にしたことなどを話してくれた。そして最後に戴いたお神酒の味はまさに甘露そのものだった。 晴れ晴れとして絶壁の上の神社から降りると、そこには順番待ちのM仙人がいた。私の後はD口さんで、M仙人はずっと後を走っていたはず。その彼が頂上まで来ていたことに、正直驚いた。室堂到着は関門閉鎖の僅か30秒前だったと、淡々と話す彼。この夏、利尻岳登山で傷めた腰の不調が彼を苦しめたようだ。 一の越まではかなり急な下りだが、どこが比較的安全なルートかは直感で分かった。やはり40年前の登山で得た経験を体がまだ覚えていたようだ。一の越からは石畳道を走って見た。たまたま一緒だった今回の参加者名簿1番のAさんが走っていたからだ。一の越の山小屋で買ったウーロン茶を飲み、途中の雪解け水に手を浸したりしながら、とうとう室堂ASまで走って帰る。 室堂で荷物を受け取り、今晩泊まる雷鳥荘まで歩く。そのアップダウンの激しさ、距離の長さに驚く。重たい荷物を肩に掛けながらの歩みは、まるで修行そのものだった。雷鳥荘の前で岡山のS藤さんが立っていた。確か今朝は18km地点で置き去りにしたはずなのに、彼は9時間台で頂上に到着した由。翌朝話を聞いたら若い頃は岳連に所属する登山家で、この周囲の山々にはずいぶん登ったのだとか。今でも富士登山競走のために大山でトレーニングを続けている由。66歳の彼は、まるで仙人のように軽やかに山道を駆け抜けたのだろう。 山荘で受付を済ませ、部屋に荷物を置いて早速風呂へ行く途中H多夫人に逢う。皆と一緒に夕食するので少し待つと言う。天然の温泉には和んだ。大きな窓が開かれ、眼下には異臭を放つ地獄谷の風景が。風呂から上がってから部屋へ戻らず、迷いながらも食堂へ向かった。腹が異常に空いていたのと、一般客を待たせているので食事を早目に済ませるよう案内されていたからだ。 雲峰さんとE子ちゃんが話しながら食事している姿は見えたが、まず自分の飢えと喉の渇きを満たすのが先。ご飯は2杯、味噌汁は3杯、お茶も2杯いただき、ようやく落ち着く。雲峰さんのところに挨拶に行くと、E子ちゃんの姿は既に無く、ビールを1杯勧められた。冷たいビールが喉に心地良い。 ようやく仲間が食堂に集まり、H多夫人と共に夕食を摂っていた。先に食事を済ませたことを詫びる。私はつい先ほどまで餓鬼と化していたのだった。
2007.09.01
コメント(0)
<ついに天空のゴールへ> 室堂ASから出発して、雄山頂上を目指す。スタートする際にスタッフの方のチェックを受けた。「頂上へ行くんですか?」との質問に驚く。ここの制限時間はまだ28分ほど残ってる。「もちろん行きます」。答えは決まっている。次のAS一の越までの距離は2.5kmほどで200mほどの登り。 室堂広場の方へ走って行くと誰かが私に声を掛けた。H多夫人だった。「ゼッケンはどうしたの?」。「称名滝ASでリタイヤしたの」。ははあ、それでここに先回りして応援してくれていたのか。でも話は後でゆっくり聞こう。今は前進あるのみだ。 石畳のような登山道を登る。「萩往還道」もこんな感じなのだろうか。その時足を引きずりながら歩いている女性ランナーが「Aさん強いですね」と私を振り返った。「E子ちゃん、どうしたの」。「称名でシューズを替えたら足が摺れて」。声は小さく、手には1本のストック。あれだけ頑張って私の前方を走り続けたE子ちゃんがこんなところで歩いていたとは。 舗装道路では何とか走れても、登山道路に入ればよほど山に強い人じゃないと走れないはず。私の読みは当たった。室堂の関門さえ通過すれば、後は何とかなる。だが、この先は私にとって未知の道だ。「最後まで頑張ってね」。そう言って私は彼女の横を走り抜けた。登山道の一部にはまだ雪が残り、雪渓からは雪解け水も。やはりここは下界とは大違いだ。 喘ぎながら登り詰めたところが一の越のAS。と言っても出されたものは、チューブ入りの梅肉1口分にミカン1かけにグレープフルーツが1かけ。あらら、ずいぶんこじんまりしたASだこと。ここから先のASは雄山の頂上だけだが、登山道を仰いでも頂上は見えない。先ずはバイオ処理のトイレに入り、憂いを亡くす。 まるで崖のような道をランナーに混じって登り下りしている一般の登山客。これは大変だ。覚悟を決めて登り出す。オーバーハングしてると感じるような箇所や上から覆い被さるような岩山もある。全精神力を傾けての登山。もはやこれはマラニックではない。その時上方から私に声を掛ける人がいた。 見上げると雲峰さんが笑っていた。膀胱ガンで手術をされた後なのに、到って元気な姿に内心驚く。やおら雲峰さんはカメラを構え私を写してくれた。急角度の登山道途中の写真は、後日メールに添付され送られて来たが、アングルと言い背景と言い、やはり尋常なものではなかった。「じゃあ夕方また」。そう言って雲峰さんはスタスタと山を降りて行った。「じゃあ後でね」。私も再び「崖」に挑戦。 途中の岩場で小休止し、ポシェットから「草餅」を取り出す。ガス欠を感じたのでエネルギー補給と言う訳だ。やはりここまで持って来て良かった。手に粘る餅に苦戦しながら、全て平らげる。足元の青いイワギキョウに気づく。花が多い白山と違って、岩だらけの禿山のような雄山だが、注意して見ればこんな可愛い花が咲いていたとは。 ようやく頂上の小屋が見え出す。頂上には狭いけど平らなスペースがあり、スタッフの人がゴールテープを持って待っていてくれた。ついに天空のゴールへ到達。時刻は午後3時16分。朝の4時にスタートし、12時間の制限にまだ44分ほど余裕があった。ゴールした証に「日本三霊山立山頂上登拝」の「三社札」と「立山頂上雄山神社」の札が付いた鈴が手渡された。 ここが3003mかと思ったら、どうもそうじゃないようだ。10mほど高い峰の上に神社があり、ランナーが何人か座っている。神職による御祓いがあるのを待っている由。折角ここまで来たのだから私も御祓いを受けよう。ところが私が到着する前に到着していたK合さんはスタスタと山の裏側へ行ってしまった。後で聞いたら隣の大汝山(3015m)まで登って来たらしい。ふ~む、やはり山男はやることが違う。
2007.08.31
コメント(0)
全445件 (445件中 301-350件目)