全445件 (445件中 401-445件目)
<ロング缶とサングラス> 蛇行する有料道路を最短距離で駆け下る。車がほとんど来ないため、そんな裏技を使えるのだ。飛滝展望台ASで水を飲んでるI橋さんを発見するがパス。コース最高地点の八方台からは10kmで約600mの高低差。あまり飛ばすと後で足に来るため、大胆かつ慎重に走る必要がある。エネルギー源になりそうもないキュウリより、八方台ASではお握りを食べるべきだったかと少し反省。 下りに下ってようやくゴールドライン出口に到着。ここが35km地点。残念ながらお握りは無かったが、じっくりパンなどを貪る。宿の朝食から7時間以上経過。腹が空くはずだ。39.8km地点のモンターニャASで給水。まだ下りは続いている。40km過ぎでようやく視界が開ける。やはり下界は暑い。24度にはなってるだろう。 42.4km地点の第6ASまで緩いアップダウンの繰り返し。惰性で山下りをした身には、僅かの登り勾配もきつく感じる。このASで待望のお握りを頬張る。それに梅干とスイカも。そこから暫く行くと湖畔までは下り坂。翁島駅周辺の給水所で誰かが手に何かを持って私を待っていた。どうやらK川さんのようだ。ロング缶のビールを私に飲めと差し出す。「ゴメンネK川さん、昨夜から歯が痛くて」。折角の好意を断り先を急ぐ。彼はその直後にもビールの自販機を見つけたようだ。 44.7km地点の亀屋AS。ここは着替えのポイントだったようだが私はパス。小ぶりの饅頭もあったがお握りを食べた後なのでスイカだけにする。そこから右折して国道49号線へ。46.9km地点のみなとやASでも休憩。ボランティアの女性は仙台出身とかで、私のユニフォームを見て喜んでくれた。折角なのでここでもスイカを2切れいただく。 長浜の先から再び山道へと入る。標高は100m以下だが意外と登りがきつい。大阪の女性2人連れを追い抜き福島県重要文化財の天鏡閣横を通過。下り切って十六橋に出る。ここには「安積疎水」の取水口がある。猪苗代湖から郡山市方面まで延びる農業用水だ。51km地点の会津レクレーション村。昨年ここでは冷たい素麺が出たのだが、今年は何とゴムホースから水道水が出てるだけでガックリ。気温もさらに上がって来たみたい。ポシェットからサングラスを取り出し、気合を入れ直す。
2007.07.11
コメント(0)
<去り行く走友と生キュウリ> 裏磐梯の五色沼付近まで来ると、周辺にはリゾート地の雰囲気が漂う。静かな森とその蔭に潜む大小の湖沼群。そして散在する瀟洒なホテルや小ざっぱりした民宿も。16.5km地点五色沼入口の第2AS。ここも寄らずに通過。手に持ったペットボトルにはスポーツドリンクにアスリートソルトやヴァームの粉末を溶かしている。気温も低いのでこれを飲んでれば当面持つだろう。 この辺りまで話をしながら一緒に走っていた仙台のHさんが飛び出した。O内さんには既に2km辺りで引き離された。結局彼はそのままのスピードで走り切り、サブ10を果たしたようだ。5km辺りまで一緒だったO川さんもO内さんの後を追って行った。1人走る後ろから、ボートを牽引した車が数台追い抜いて行く。湖にボートを浮かべて釣りをするのか、それとも波を蹴立てて走るのか、いずれにしても優雅な遊びだ。 21.5km地点の第3ASで小休止。ここから磐梯山へのゴールドライン有料道路で、きつい登りが始まる。その前に水を飲み、果物でも食べておこうと思ってのことだ。ついでにペットボトルにも水を補給。ゆっくり戦列に戻る私を、昨夜同宿した東京のSさんが声を掛けて追い抜いて行った。彼の話だとDさんがここのASに寄らず、たった今走って行った由。なるほど坂の向こうに彼の背中が微かに見えた。 徐々に勾配がきつくなり、ついに歩き出す。ここは手を振って元気に歩けば、ゆっくり走るのとさほど差は出ないはずだ。だがH多さんがいつもの笑顔で追い抜いて行く。彼は高校時代都大路を駆け抜けた経歴の持ち主で、オリンピックで活躍した円谷選手とはライバル関係にあったとか。新潟のI橋さんまでが私を置き去りにして行った。 ふう~っ。まあ良いさ。自分は自分、他人は他人。先は長いし、焦る必要はない。そう言い聞かせて坂を登る。だが目の錯覚か、下りなのに足が重く感じる。本当は登りなのだが、視点が高いためにそう感じるのだろう。火口口駐車場で水を飲み、裏磐梯の荒々しい山容を望む。案内板によれば1888年に頂上付近が爆発し、あんな形になったとか。爆発で吹き飛ばされた土砂の量も半端じゃなかったろう。それが川を堰き止めて多くの湖沼が出来たのだ。 26.3km地点八方台の第4ASに到着。ここがコースの最高地点で約1190m。もう顔見知りのランナーは誰もいない。黙々と冷えたスイカとオレンジを食べ、さらに味噌をつけたキュウリをいただく。味噌が無くなり、半分ほどの生キュウリを手に再びレースに戻る。いつもならここから雄大な猪苗代湖の全景が見える。だが今日はガスがかかって下界の様子は窺えなかった。味気のないキュウリを食べながら、急な坂道を最短距離で下る。
2007.07.10
コメント(0)
<完走時間を予想させる男> 皆旅なれている人ばかりで安心し、温泉にも入って8時半頃には眠りに就いた。だが、何だか騒がしい。犬の鳴声に人の話し声がうるさい。あのねえ、こちらは2時には起きて走るんだよ。静かにしてほしいなあ。そう思いながらも何時しか夢の国へ向かっていた。ところが10時45分ごろには突然の目覚め。トイレを済ませても眠れない。左の頬が痛むのだ。疲れが出るといつもこんな症状になる。きっと歯茎から侵入した歯周病菌が炎症を起こしたのだろう。 うつらうつらしてる間にWさんの目覚ましが鳴った。1時45分だ。明かりを点け、両膝にテーピングを施す。眠ったのは2時間ほどか。でも横になるだけで結構体は休まる感じ。トイレを済ませ、1階の食堂へ。朝食はお握りかと思っていたが、ちゃんとした内容のものだった。おかずがあり、味噌汁が飲めるとエネルギー補給ができて助かる。 1人のランナーが話し掛けて来た。どうも66歳と言う年齢を誇示しているようだ。何だろうこの男は。68歳のWさんだって年齢を自慢したりはしない。次に「自分はどれくらいで完走できるかね?」と訊ねる。「分かりません。あなたの走力を知らないので」。私は即座に答えた。続いて「去年は102kmで制限が13時間30分だったんですよ」と二の矢を放つ。それを聞いて「それじゃ完走は無理だったな」と漏らした。立ち上がる姿を見るとでっぷりと腹が飛び出、メタボリックシンドロームそのもの。「他人にゴール時間を予想させるより、まずしっかり減量して参加しな」と言いたくなる体格だ。 2時45分バスが会場へ出発。外はまだ暗くて涼しい。スタート地点のカメリーナには10分ほどで着いた。スタート前の点呼もないので緊張感もない。中間地点へ預ける荷物もないので、すべて体育館のコインロッカーに入れた。問題は鍵の管理。体育館の係員に鍵を持って100km走るのか訊ねると、大会事務局では自主管理を考えているようだが預かってもらうことで決着。まだ細かい打ち合わせが十分出来てないようだ。 仲間も次第に集まって来た。仙台のHさんとも逢った。彼とは「秋田内陸」で4、5回一緒だった。今年の「仙台国際ハーフ」でも完走し、来年の参加資格を取ったとか。秋田出身の好青年だ。のんびりしたカウントダウンの後、4時ちょうどにスタート。空は僅かに明るくなって、走りにくいことはない。走りながらレース中にビールのロング缶を6本飲んだとか話しているランナーがいた。もしやと思って話しかけると、やはりPちゃんの掲示板に良く書かれているK川さんだった。彼とは昨年の「奥武蔵」や「えちごくびき野」で一緒だった。どこでビールを売っているかを直ぐに見つけるのが彼の特技のようだ。 初めの数キロは猪苗代町の市街地を走る。結構大きな街並みで、中には早起きして応援してくれる町民の方も。昨年は山の上のスキー場からスタートして国道へ出たが、その分岐点まではほとんど平坦に感じた。昨年同様の場所に第1AS発見。古川のT田さんが要所で休みながら写真を撮っている。なるほど人それぞれに楽しみ方、走り方が違うものだ。10km地点は1時間を切り、15km地点でもまだキロ6分を切るペースだ。コースは徐々に登り坂となり、霧が立ち込めて来る。だが涼しくて走りやすいのが有難い。
2007.07.09
コメント(0)
<走友との再会> 受付会場の猪苗代町総合体育館に着くと、真っ先にスポーツショップが目に付いた。昨年も来ていた仙台の方だ。短時間のうちにランパンを選んで購入。ほとんど毎週北関東から東北のマラソン大会に店を出していると言う。いつものことながら「学割でね!」と言うと、4割引くらいにしてくれた。 会場に入って受付を済ます。私のナンバーは18番。これは良い。楽天の田中と同じ番号だと気づく。そして何人かの走友との再会。まずは先月「エンジョグinみちのく」で来られた古川のS藤さんとT田さん。T田さんはサロマでY田さんと一緒だったらしく、その時撮った写真を渡していた。その中にT田さん自身の姿と文章が載った葉書があった。瞬間で筆まめな文章家との印象を持った。 私達の走友会からはY田さんの車に、D口さん、O川さん、それに私が便乗させてもらっての参加だった。T田さんがD口さんに私のブログに載った「エンジョグ」の話をしている。とても感心した様子だった。我が走友会の人からは直接そんな話を聞かない。まさか、わざわざ古川から参加されたT田さんの口からそんな話が聞けるとは思っていなかった。素直な感想には正直言ってとても嬉しかった。 宮城UMCのH多さん、O内さんの姿も発見。4時からの前夜祭に備えて同じテーブルに集まる。昨年の「佐渡島一周」で一緒だった新潟のH口さん、I橋さん、I井さんともお会いした。皆変わり無く元気そうで何より。さて今年の前夜祭はオードブルを自由に食べるこれまでの方式から、各自弁当と飲み物をもらうシステムになった。これだと遅れて来た人も同じように食べられる。昨年のレース後、アンケート調査が来た。これはその結果を受けての改善の一つだろう。 大会委員長、国会議員、県会議員などの挨拶が長々と続く。だが、壇上のE藤実行委員長からは一言も言葉は出なかった。「磐梯高原ウルトラ」はE藤さんの努力無しでは開かれない。私も3月の「佐倉マラソン」で会ったが、雨の中で「磐梯」のパンフレットを配っていた。前夜祭の前に話しをしたが、今年各地のレースで配ったパンフは1万5千枚だった由。D口さんの話では昨年の後夜祭に会場関係者と大喧嘩したらしく、今回会場が変ったのはそのせいのようだ。 私達ランナーが各人拘りを持つように、E藤実行委員長にも何とか「磐梯高原ウルトラ」を日本一良い大会にしたいと言う強い思いがあるようだ。それでなければ身銭を切ってまで開催することはないだろう。私達はレースを走るだけで良いけど、実際にレースを運営する側では色んな難問を解決しながら開催に漕ぎ着けているのだと思われる。有難いことだ。 テントを張って泊まる仲間と別れ、私は宿泊施設からのバスを暫く待っていた。あまり来ないのでスタッフの方に連絡してもらい、45分ほど待ってようやくバスが来た。私が泊まるのは押立(おったて)温泉の国民宿舎。これも事務局が自動的に割り振った結果だった。満遍なくランナーが泊まるので、地元の方も喜ぶだろう。同室の先客は食事中で、私は部屋の隅を選んで荷物を置いた。 やがて2人のランナーが部屋へ戻って来た。活発な方は東京のSさんで61歳、大人しい方は横浜のW辺さん68歳だった。Sさんは秋田出身で「いわて銀河」も出たとか。私が田中マー君のユニフォームで走ったことを話すと、良く覚えていた。W辺さんは年間数回のウルトラレースに出ておられる大ベテランだった。こうして各地で出会ったウルトラ仲間と、ウルトラ談義が出来るのが一番楽しいひと時だ。
2007.07.08
コメント(0)
コースが昨年と変更になりました。当地の最高気温は29度だったようです。磐梯山を一周する間は曇りで気温も低く走りやすかったのですが、「下界」に降り、猪苗代湖を一周する頃には晴れて気温がドンドン上がって来ました。今肌が真っ赤に焼けています。 さて、つい先ほど現地から帰宅したばかりなので、今夜は結果だけ記し、明日から完走記を書く予定です。☆結果 12時間55分37秒 (117位)
2007.07.07
コメント(0)
明日は磐梯山と猪苗代湖を一周する100kmを走ります。仲間と一緒にこれから出発。帰るのは明日の深夜になるでしょう。留守にしますがよろしくね!では行って来ま~す♪
2007.07.06
コメント(0)
雨が降り続いている。もうどれくらい降っただろう。今朝第1現場の屋上に登ると、石油貯蔵タンクの下にかなりの水が溜まっていた。そして水路にはアヤメのような草が生えていた。僅かに溜まった土の上で奇跡的に芽を出した植物。何故こんな所に生えたのだろう。可哀相だが引っこ抜いた。私の仕事柄そのまま見過ごすわけには行かないのだ。 1階の吹き抜けには7mほどの樹が植えられている。どんな季節でも緑の葉をいっぱいつけている美しい樹だ。根元には潅水装置があって、2、3日に一度自動的に水が撒かれる。この樹は春になると葉が落ちる。遅番の同僚は春に葉が落ちるのはおかしいと思ってるようだ。確かに秋に落葉するのが一般的だが、ユズリハとかクスのように春になって次の葉が芽吹くと、古い葉が落ちる樹もあるのだ。ユズリハは名前の通り次の葉に世代を譲り、「楠落葉」は春の季語になっている。 6月の末に株主総会があった。その時に上層部の人事案件も承認されたのだろうが、7月に入ってからビルの偉い人2人の顔が見えない。黒塗りの車で送られて来る偉い人の表情が厳しくなった。そして黒塗りの車も1台減った。屋外の喫煙所で煙草を吸っていた女性も来なくなった。総合職の人と思われたが、彼女の会社では以前時ならぬ時に採用面接をしていたので、あれは彼女が辞めた後を補充するものだったのかも知れない。 もっとも、あるフロアにある会社ではしょっちゅう顔ぶれが変る。電子機器を販売する会社のようだが、若者が短期間にしかも大量に入れ替わる。それだけノルマが厳しいのかも知れない。何時ぞやは隣の会社から壁越しに気勢を上げる声が煩いので注意して欲しいとクレームがあったくらいだ。喫煙所の椅子を乱暴に扱って私に注意された若者もとっくに辞めた。朝出会っても挨拶もしない若者達。彼らも日々の営業に苦しんでるのだろうけど。 管理会社の若い職員が最近良く居眠りする。兄貴分の責任者の方が居眠りが得意だったのだが、親会社から離れた現場なので油断しているのだろう。吸い始めた煙草は私が注意したら止めたが、今度は朝から居眠りだ。警備を担当する私達の士気にも良くないし、突然来訪者があった時などとても困っている。話題も合わない、自分の子供よりも若い監督者を、つい昔の癖が出て、管理職の目で見てしまう。 現場にほど近い街中の本屋が先月末に廃業した。帰り道に寄って「ランナーズ」などを買っていた本屋で、県内では郷土史を発行する貴重な存在だった。今、漫画とか週刊誌とか「軽い」ものしか売れず、学術書の売れ行きはさっぱりとか。資本力のない小さな書店は、そんな時代の波をもろに被ったのだろう。どんな郷土史が残っていたのか、閉店する前に確かめなかったのがとても残念だ。
2007.07.05
コメント(0)
梅雨の畑から丸ナスが2本取れた。これは野菜炒めに入った。2個取れたミニトマトは野菜サラダになった。ささやかな収穫だが、こんなものでも家庭菜園を趣味にする者にとっては無上の喜びだ。今年は暑くなっても、トマトとトウモロコシには極力水を撒かないようにしようと思う。その方が強い根を張るし、実が甘くなるからだ。昨日はインゲンの種を蒔いた。たっぷりの雨と高温で作物がどんどん成長してくれるのが楽しみだ。 今朝の通勤途中、路地裏の公園で子猫に餌をあげている女の人がいた。その人はほとんど毎朝のようにわざわざ公園に寄って、餌をあげているようだ。だから子猫も恐がらずに寄って来るのだろう。野良猫が増える原因にもなるかも知れないが、梅雨空の下で子猫の命が生き長らえることを喜ぶべきだろう。別の公園では若者が汚れたベンチで眠っている。職がないのだろうか。でも働く意思さえあれば、何とかなると思うのだが。 田中が昨夜6勝目を挙げた。盛岡の球場のマウンドは雨で滑りやすかったらしく、ソフトバンクに早々に3点を取られた。おまけに7回表には打球が左手首を直撃し、負傷退場したようだ。それでも味方の野手がフォアボールを挟んで7連続安打を放ち、7点を取って逆転したとか。今年の3月にデビューして以来なかなか勝てなかった田中だが、今や堂々たる楽天のエースに成長した。 先月の29日に野村監督は72歳の誕生日を迎えた。だが、チームは監督になかなか誕生祝をプレゼント出来なかった。監督が一番喜ぶ勝ち星をプレゼントしたのはやはり田中だった。「ハンカチ王子」に「はにかみ王子」。そんな愛称の若者が今、スポーツ界を賑わしている。田中は彼らのようにカッコ良くも、能弁でもない。だが、どこか泥臭い、素朴な青年が今楽天を支えている。野村監督にとって、田中は今最も信頼出来る孝行息子なのだと思う。 今週末に走る「磐梯高原100km」の宿からようやく案内があった。昨年までは選手が直接宿泊の申し込みをしていたのだが、今年は大会本部が仲介するようになった。きっと宿泊施設から様々な要望があったのだろう。折角大会の運営に協力してても、宿泊客が全くなかったらガッカリするのが普通だ。選手側には特にこだわりはないから、宿泊客が万遍なく散らばり、地元のために役立てることが出来た方が嬉しい。 宿泊施設の種類に関わりなく素泊まり料金が5500円。今回の案内には、朝食はお握りで追加料金が800円、個室は追加料金500円と書かれていた。朝食を申し込むついでに個室を頼んだら慌てて断られた。まあそれぞれに色んな事情があるのだろう。Y田さんからは「磐梯」の最終確認のメールが来た。「サロマ」を無事完走出来たことも書かれていた。きっと「磐梯」でも全員完走の朗報を伝えられると思う。U海さんからは、8月の「薬莱山とお足ラン」の案内メールが来た。いずれも体調をしっかり整えて参加したいと思っている。
2007.07.04
コメント(0)
黒犬が草を食む。きっとまた抜け毛が胃に溜まったのだろうと男は考えた。黒犬を繋いでいる場所を丹念に掃除しているんだがなあ。それに匂いと汚れが酷くなった。そろそろシャンプーをしてやらないと。散水器が壊れていたがDIY店でつい最近新しいのを買った。強圧用のでも800円以下で買えるとは安くなったものだ。これは畑の水撒き用だが、黒犬をシャンプーする時にも不可欠なアイテムだ。 このごろ我が家の畑に良く雀の群れがやって来る。地面に降りてしきりに啄ばんでるが、一体何を食べてるのだろう。男はまたも考える。今日も蒸し暑かった。クーラーが効いてない部屋に入るとムッとする。制服が半袖になってからずいぶん楽になったが、それでも一通り巡回を終えると汗が噴出す。 そんな日に男は山越えで帰宅ランをした。だが足が重く歩幅が伸びない。街中をランパンランシャツ姿でノロノロ走る姿は無様でもある。それでも男は無頓着だ。公園の一角で女性のホームレスがぽつねんと座っていた。梅雨時のホームレスは大変だろうなあ。男は思う。雨が降る夜は寝床の確保が難しいだろうとも。 それにしても楽天の選手が8人もオールスターに選ばれるなんて変な話だと男は思う。野村監督が「楽天の選手は1軍半のが多い。オールスターじゃなくてオールスターダストだ」と言っていたのを思い出す。フルスタへ応援に行った時も、男はオールスターの投票は書かなかった。オールスターの期間、楽天のベテラン選手は休養し、若手は練習に励んだら良い。冷徹な男はそう考えていたのだ。 パリーグ2冠王の山崎は順当だが、先発投手部門の田中は人気が先行し過ぎ。残りの6人はオールスターと言う柄じゃないだろうな。中継ぎの松本なんて選ばれても目下2軍へ降格中だから辞退せざるを得ないし、選ばれた選手が正当な理由無く辞退すると、オールスター後の公式戦で10試合出場停止の罰則を適用されるんだよ。今年はフルスタでオールスターの第2戦があるので、きっと熱心なファンがつい夢中になって投票したんだろうけどしょうがないなあ。 しょうがないと言えば、「しょうがない発言」をした防衛大臣が顰蹙を買い、とうとう辞任したんだってねえ。「日本が戦争に負けたのはしょうがない」。大臣はそんなことを言ったのかと思ったらそうじゃなくて、「原爆が日本に落とされたのもしょうがないこと」とか言ったらしい。普通のオジサンならいざ知らず、あの人は原爆が落とされたご当地、長崎選出の代議士なんだよ。 原爆で大勢の人が亡くなり、今も後遺症に苦しむ人が大勢いるのに「しょうがない」ってのはどうかしてるね。「女性は産む機械」と言った大臣。不明朗な事務経費が判明して自殺した大臣。そして「原爆が落とされてもしょうがない」と言って自ら辞めた大臣。これが「美しい国ニッポン」の代表選手なの? きっと日本の政治家には政治に対する理念がないんだろうね。国民の生活水準をどうしたら上げられるかとか、国民が健やかに過ごせるためにはどうすべきかとか考えるのが政治家でしょ?きっと彼らには自分の出世と所属する党が選挙で勝つことしか眼中にないんだろうね。そんな政治家を選ぶ国民もしょうがない人達なんだろう。そこで一つ、男は大きなため息をついた。ふう~っ。
2007.07.03
コメント(0)
冷蔵庫が新しくなり、妻が喜んでいる。野菜室は広くなったし、冷蔵部分の照明が明るくなって中が見やすいのだ。だが妻は忙しい仕事に従事しているせいか、時々覗いて見ないと野菜が悪くなってる時がある。先だっても京水菜が少し傷んでいたので、私が悪くなった部分を取って洗い、味噌汁を作った。私は3年ほど単身生活をしていたが、あまり物を腐らせることはなかった。冷蔵庫も小さかったし、最大1週間分しか物を買わなかったせいだと思う。 古い冷蔵庫からは「酒盗」の瓶詰めが出て来た。鰹の腸で作った塩辛だ。きっと塩分がきついために腐らなかったのだろう。新しい冷蔵庫に移し、時々ご飯にかけて食べたが実に美味しかった。あれは確かお向かいさんが四国へ旅行した時のお土産だったはずだ。 四国と言えば、高知の娘から鰹のたたきと焼酎が送られて来た。先月の父の日のことだ。例年夏物の半袖シャツを贈って呉れたのだが、服は私にとってそれほど必要ではない。娘が贈って呉れたシャツは4枚にもなったし、最近のレースでは色物の半袖Tシャツを呉れるところがあるので十分間に合うからだ。 本場の鰹のたたきは脂が乗って実に美味かった。刺身が好きな妻が大喜びしたほどの上物だった。冷やした焼酎に氷を入れて飲むのも良い。新しい冷蔵庫では特定の容器に水を入れて置くと自動的に製氷してくれる。これで面倒な製氷皿での氷作りからようやく解放された。その焼酎も既に飲み果たした。 先日は娘が果物を送ってくれた。妻の所望は「小夏」だったようだが、柑橘類の本場の四国でも今の時期は何もないようだ。代わりに小玉のスイカ、スモモ、ヤマモモなどが入っていた。確かヤマモモは高知県の県花だったように記憶している。味は?マークで妻は食べず、果物なら何でも好きな私が専ら食べている。 ヤマモモの樹は皇居外苑にもあったはずだ。枝に生っているのを摘まんで食べたが、案外美味かった。沖縄の職場で見た古い絵には「ムムウイアンガー」が描かれていた。「桃売り小母さん」の意味だ。小母さんの頭の上には大きな「たらい」のような桶が載っている。その桶の中に果物が山盛りになっている。この実がヤマモモなのだ。頭の上に桶を載せて、ヤマモモを売りに歩く女性の姿は、沖縄では戦前まで良く見られたのだろう。 さて、最近沖縄関係の2冊の本をようやく読み終えた。1冊は琉球の王城と陵墓の関係について記した専門書で、私の知らなかった点を幾つか新たに知り得た。もう1冊は子供向けの沖縄史だったが、これが大変な名著だった。太古から日本復帰後の数年間まで優しい表現で丁寧に著されているが、恐らくは今の子供が読んでも何のことか良く分からないだろう。それほど内容的には重要な話の連続だったが、ここでその内容については触れないでおく。 先だって沖縄では戦後62回目の「慰霊の日」を迎えた。その数日前、教科書検定に関して、沖縄戦では日本軍が地元民に対して「集団自決」を強要した事実はないとの意見が出されていた。そのことに関して国内の反応は鈍かったが、やはり沖縄県内では猛反発が起き、多くの市町村議会と県議会では全会一致で抗議することが決定した。 島津藩が琉球王国を侵略して以来沖縄は略奪の対象になり、犠牲を強いられて来た。同じ祖先を持つ民族と言う美名の下に、どれだけの辛苦を沖縄の人々は味わって来たのだろう。頭に大きな桶を載せた異国情緒たっぷりな物売りの姿。それものどかなかつての沖縄の光景ではあるが、今も心に大きな傷を負った人々があの島にいることを忘れてはならない。
2007.07.02
コメント(0)
今日は第一日曜日、町内会の草刈の日だ。これがマラソンのレースとぶつかる場合がある。班の中で私はこれでも若手の方(笑)なので、あまりサボると迷惑が掛かる。幸い今月のレースは今週の土曜日なので今日は参加出来た。長靴に軍手、そして鎌を持つ。私は今回排水溝に入って、普段はなかなか刈れない雑草を一掃した。暑がりのため半袖だったのが裏目に出、蚊に刺されて痒いの何の。45分ほどで終了し、引き続き我が家の庭の雑草を取る。 それが終わってようやく新聞を読み、次いでDIY店へ。昨日雨のため買えなかった花の苗を買いに行く。先週も買ったばかりなので全て1鉢100円以下の安いヤツを選ぶ。ブコワリヤ、千日紅、日々草、マリーゴールド(ボレロ)、メランポジウムなどを色違いで。どうも外国の花の名前は覚えられず、直ぐに忘れてしまう。(笑) 帰宅して植木鉢の苗を買って来たのと交換。ついでに越冬させたベコニアや、まだ花がきれいなガザニアも階段に出す。花や野菜関係は全て私の小遣いから拠出している。これが意外に馬鹿にならない。はっきり計算はしていないが、おそらく年間を通じれば少なくても2万円にはなるだろう。だから月5千円と言えども住民税の増税は、私の小遣いがさらに減ることになり、とても困るのだ。昨夜は我が家の財務大臣と何とかならないか交渉してみたが、やはり拒否されてしまった。(笑) 農作業もそうだが、ウルトラマラソンに挑戦し続けるのも私の元気の源の一つだ。妻が絵の会合に行ってる間にスポーツショップへ行ってみた。出来ればウルトラ用のシューズが欲しい。古くなったトレパンも新しいのが欲しい。テーピング用のテープも無くなりつつあるし、ヴァームの粉末も残り少ない。これらは元から財務大臣は当てに出来ないので、先日戴いた「金一封」を財源にしよう。 フル用の軽いシューズは2足ある。ウルトラ用のもあるにはあるが、シューズの内側が滑るのと、どうも履き心地が良くない。と言うより、折角のパワーが上手く伝わらない感じなのだ。「いわて銀河」でレース中の途中にシューズを履き替えたのはそんな理由があったからだ。幸い良い感じのシューズが見つかった。偏平足の私は殆ど特定のメーカーのシューズばかり履いていたのだが、最近はワイドのシューズを幾つかのメーカーでも売り出し、そんな中に案外合いそうなシューズが見つかることがある。 トレパンも安くて良いのが見つかったし、ヴァームの粉末は今日までが特売と言うのがあった。喜び勇んで帰宅し、早速シューズに紐を通す。遅めの昼食後はラジオで野球の中継を聞いていた。だが楽天の敗色が濃厚になった辺りで放送が終わった模様。それを良いことに新しいシューズの試し履きをすることにした。玄関に居る愛犬を「巻いて」台所からそっと出、山のコースに向かう。 太白山裏手の林道から梨野へ出、県道31号線を折立方面へ下る。大梅寺への登り口で折り返し、山からの湧き水をペットボトルへ補給。さすがに自然の水は美味い。距離は往復で18kmほど、標高差は130mほどか。途中の林道は涼しくて気持が良いし、適度のアップダウンは今週末に走る「磐梯高原」の良い練習にもなる。シューズの履き心地もグー。これで磐梯山と猪苗代湖を一周するコースも、何とか制覇出来そうだ。
2007.07.01
コメント(0)
週末で疲れが残っていたのか、今朝は少し遅めの起床だった。妻が仕事に出かけた後、庭仕事をする。そう、今日は馬鹿になる日だ。まず、もう花が咲かなくなったキヌサヤの支柱を外し、苗を全て抜く。キヌサヤの盛りもあっと言う間、毎朝若い緑のサヤを摘むのが楽しみだったのだが。次いでキヌサヤの陰に隠れていた雑草を抜き取る。 枝に残ったユスラウメの実を全て摘む。生食用だ。大部分は妻がジャムにし冷蔵庫に入っているが、まだ味見はしていない。落ちた実は愛犬にあげた。喜んで口にする彼。農作業の間は彼を庭に放つのはいつものことだ。そして梅雨の間に伸びたユスラウメとレンギョウの枝を思い切って剪定。これで柵がきれいになった。 すっきりしたところでゴーヤの支柱を左右に拡げる。ゴーヤは繁殖力旺盛で、蔓を四方八方に伸ばすからだ。ユスラウメの枝を刈ったのも実はそのためだった。ゴーヤの4本の苗は柵沿いに植えてある。これだと場所を取らないで済むし、支柱を柵に固定するので頑丈。今年は東側の柵に沿ってゴーヤを鈴生りにする計画だが、果たして上手く行くかどうか。(笑) トマトの先端がさらに伸びたので支柱に結び直し、併せて葉の間引きと脇芽の除去も行う。ミニトマトは脇芽を一切摘まないで伸び放題にしている。その方が小さいけどたくさんの実を取れるからだ。トウモロコシからはもう白い穂が出て来た。雨が降り、追肥が効いてかなり成長したが、背はもっと伸びるはず。立派なトウモロコシが実ることを楽しみにしている。 抜いて裏庭に干したタマネギの葉が腐り小蝿が集まるので、鎌で葉を落としてコンポストへ。次に柵に吊るした植木鉢を1つ移動し、その下へ朝顔のプランターを置いてみた。そして4本の支柱を施す。そのうちにきっと鮮やかな花を咲かせてくれるだろう。DIY店へ花の苗を買いに行こうとしたところで雨。作業を切り上げて昼食にする。 午後から西武対楽天戦をラジオで聞きながらパソコンを開く。雨がぱらついていたため、走友会の練習へは行かなかった。夕方からラジオ持参で愛犬と散歩。大きな音が嫌いな彼はいつもと様子が違うのでビックリ。結局9回裏にサヨナラホームランを打たれて楽天は敗れた。礒部の調子と言い、どうもこのところ打線が湿りがちなのが気になる。 さて、今日で6月はお終い。今年も半年が過ぎたことになる。月日が経つのは早いのか遅いのか。ともかく明日からは7月が始まる。1週間後には「磐梯高原」で100kmを走る予定だ。曇り時々雨と天気は悪そうだが、気温は28度の予報だ。コースが一部変更された今回は、一体どんな走りが出来るだろう。 そうそう、ネットの若い知人であるりゅうたさんのHPを久しぶりに訪ねたら、初のウルトラだった先日の「サロマ」を彼は8時間30分で、奥さんのおさるちゃんが10時間台で完走したことを知った。共にフルでは国際レースに出る彼らだが、実に恐るべきアスリート夫妻だ。(笑)
2007.06.30
コメント(0)
朝から結構強い雨が降り続いた今日。第1現場に出勤し、自分のロッカーを開けると半袖の夏用制服が2着入っていた。昨日の日中に上司が届けてくれたようだ。早速封を切って着て見る。袖が短い分軽いし、着ていても楽。汗っかきの私にはとても有難い。4月末から新しく入った同僚が半袖の夏服を支給されたと聞いて請求したのだが、それまでは袖をまくっていた。これで少しは暑さから解放されるだろう。 机の上の自分のトレーを開けると給与の明細書も入っていた。前日が我社の給料日なのだが明細書が私の勤務時間内に届かなかっただけで、給与はちゃんと銀行に振り込まれていた。残業10時間分が増えてるのが嬉しい。これは第2現場で頑張った分だ。だが今月から住民税が大幅にアップしている。上がったのは5千円ほどだがほぼ倍。その分私の小遣いが減るのでとても不満。 重役を乗せて出勤するハイヤーの運転手が今朝から変った。昨日まで送り迎えを担当していたAさんは昨日で定年とのこと。この人はとても常識的で社内の色んな情報を聞くことが出来て貴重な存在だった。また野球にも詳しく、会話が楽しかったのだがとても残念だ。今後は本社で少し仕事をするのと、仕事の合間に個人タクシーとして市内を「流す」とのこと。 当の重役は何人かの人と一緒にビルを出た。10時から株主総会があるらしい。そのこともAさんから聞いていた。何度か会社の事故がニュースになり、総会も波乱含みかと他人事ながら心配したが混乱はさほどでも無かったらしい。 帰りがけに上司が表彰状、それを入れる額縁、金一封を届けに来てくれた。応募した論文が東北地区で2位入賞したものだ。同じ論文が宮城県2位になった時は、副賞として商品券をもらい外国製のベルトを買ったが今度は現金。原稿用紙5枚の「作文」が意外な形になったことに驚く。そしてこれからも一層気を引き締めて勤務に就きたいと思う。 一方クーラーの効かない部屋で書類の裁断作業をする第2現場では、作業服を脱いでTシャツになっている。夏は汗ビショになるからだ。第1現場とはまるで仕事の内容が異なるが、同じなのは自分しかいないこと。他人が見ていなくてもサボらず手を抜かず、きちんと処理するのが自分流。表彰状と今回の金一封は、2つの現場での仕事に対してのものと自分に言い聞かせている。 帰宅してニュースを観ると、TBSの株主総会で筆頭株主である楽天の要求は退けられたとか。三木谷氏には逮捕されたIT企業の若き旗手達と同じ道を辿って欲しくない。何故なら彼は東北楽天のオーナーだからだ。「本丸」の経営が傾けば、関連企業としての東北楽天の運営にも支障が出るだろう。私達ファンはそれを最も恐れる。危うい金儲けに現を抜かさず、先ずは自社の経営に全力を傾け、なおかつ東北楽天の強化にも力を注いで欲しいものだ。
2007.06.29
コメント(0)
シンバの様子がおかしい。私が通りかかっても最近はじっとしていることが多い。シンバは近所の雑種でとても大人しく人懐っこい犬だ。飼い主のTさんの話だと年齢は12歳らしい。私達がここに家を建ててから10年なので、来たばかりの頃は2歳だったわけだ。尻尾を振り振り近づいて来る姿には癒されたものだ。名前は101匹ワンちゃんから採ったとか。 12歳のシンバは今、物憂げに横たわることが多くなった。足取りもどこかヨロヨロしている。もう歳なのだろうか。体も太ったようだし、代謝が落ちているのかも知れない。共稼ぎで子供の居ないTさん夫婦にとっては、子供みたいな存在なのだろう。番犬としていつも日の当たらない庭に放され、散歩する姿を見たことがないシンバ。時には太陽に当たったり散歩をすることが犬の健康にとっても大切だと思うのだが。 一方、隣のゴンタはとても元気だ。こちらは1歳半ほどの雑種。元気なのは良いのだが、どうも保健所に飼い犬の届けを出していないようなのだ。届けを出さなければ狂犬病予防のための案内は来ない。狂犬病注射接種済みのシールが平成12年度のままだ。隣家で前に飼っていた雑種のコロはフィラリアで死んだようだ。蚊が媒介する犬の病気だが、隣家の周辺には元の小川の名残の水路があって、始終水が溜まっている感じ。どうやらそこが蚊の発生源になっているようだが、隣家はまるで無頓着。きっとフィラリアの薬ものませていないと思う。 犬は飼い主である人間が気をつけることで健康で過ごすことが出来る。だが先日、中国産の穀物を原料にして作ったアメリカの飼料から有害な物質が検出された。食品だけでなく色んな製品から鉛や有毒の化学物質などが次々に発見され、人間にとっても危険な中国。世界的な常識が通用しない巨大な国では国家のコントロールが効かないのだろうか。もっとも日本でも精肉の偽装とかが罷り通って大きなことは言えないけど。 さて「ランナーズ」の8月号には、ランニングが脳に刺激を与え、ボケを予防する効果があることが分かったとの記事が載った。日頃運動している人のアルツハイマー病の発症率は、運動していない人の半分以下らしい。また運動を継続することによって脳の容量が大きくなることや、最大酸素摂取量が増えることも確かめられたとか。さらには高齢期に入ってからの体力が、元気で長生きするための重要な要因とも。 ところで我が家の愛犬マックスは散歩が好きだ。朝晩2回の散歩で2kmから6kmは歩く。そして早朝の誰もいない原っぱなどでは彼を走らせている。全速力で走る姿や、大きくジャンプする姿はとても見事。顎髭こそ少し白くなって来たが、今年の9月で9歳になる彼はまだまだ衰えを感じさせない。品質の良い餌、適度の運動、ストレスが少なく衛生的な環境。長く付き合うためにも、日頃からそんなことを心がけている。 暑い中、今日は帰宅ランで山越え。途中銀行に寄って健康保険料を振り込んだ。ランパン、ランシャツ姿で銀行に寄る客は少ないだろう。(笑)走ることと用事を共に済ませて有意義な日だったと一人悦に入っている。ランナーの皆さん、この夏も暑さに負けず大いに走り、大いに汗を流しましょう!
2007.06.28
コメント(0)
朝は雨が降っていたが昼から晴れた。この日の天気予報では変わりやすい天気とか。夜は雨だろうと覚悟していたがそうでもなさそうな感じで、気温はどんどん高くなる。これは良いぞと急いでフルキャストスタジアムへ向かった。対巨人戦が大人気で、空席を見つけるためには少しでも早目に球場に着いた方が良いからだ。 まず自転車を停めた場所を頭に入れておく。ウロ覚えだと帰りが混んで大変なのだ。次に「東北楽天ファンクラブ会員証」と当日の入場券を持って、ピンバッチを受け取る。今年になってからもらったバッチは13個にはなったろう。それをポケットにねじ込んで外野の入場口に急ぐ。まずリュックを開けて手荷物検査。次に入場券を示し、左手にスタンプが押される。これは再入場する時の確認用だ。蛍光剤が塗られているのか、専用の機械で照射されると光を放つようだ。 ようやくレフト自由席のあるスタンドへ。さすがは巨人戦、ほとんどの席は人が座るか物が置かれている。ようやく最上部辺りに1つだけ見つかる。左隣は爺さんで右隣は妙齢のご婦人。席に落ち着いて田中マー君のレプリカユニフォームに着替え、楽天の野球帽を被る。次にリュックの底から飲み物を取り出そうとして唖然。弁当とおつまみの入った袋がない。あんまり慌てて家に忘れて来たみたいだ。 仕方なくアウトレットのパン屋で買った2個のパンを食べ、ウーロン茶を飲む。実は殆どの球場ではペットボトルの持ち込みは禁止されている。興奮してグランドへ投げ込まないための対策だ。それにここフルスタでは食べ物も持ち込めない。だが球場内のテナントで買うと相当に高上がりになる。生ビールが1杯650円で焼きソバが500円。寿司は千円以上するだろう。だから私はいつもリュックの底に弁当と飲み物を上手に隠して通り抜けるのだが。 先発ピッチャーは巨人が木佐貫で楽天は田中だった。やはり読みは当たった。これはついてるぞ。今滅法強い巨人を相手に早速3点を先取。周囲のファンと応援用の小さなバットを打ち合って喜びを分かつ。だが高橋由伸には2ランホームランを打たれて、たちまち1点差になった。それでもこの日の楽天は強い。巨人のミスにつけ込んでどんどん点を取る。 5回が終了した時点でスタジアムマリッジ。バックネット裏4階のテラスで新郎新婦が抱擁し、熱いキスを交わす。それが大型のスクリーンに映し出されるのだが、今夜のキスの長いこと。「この~、大衆の面前で好い加減にしろ~!」と怒号。おっと、それは私の叫びだった。 レフト側外野自由席は楽天の攻撃中、立ったまま応援するのが普通。ここは観覧席ではなく応援席なのだ。私の背中からはトランペットの物真似まで飛び出す。楽器が禁止されているため物真似なのだが、それが堂に入っている。聞くともなしに会話を聞いているとわざわざ関東まで応援に行く熱心なグループのようだ。お蔭で曖昧だった選手の応援歌のメロディーを殆ど覚えることが出来た。 ついに腹が減って焼きソバとお握りを買って来た。確かに高い割に味はイマイチ。398円のいつものカツ丼の方が安くて美味しくて、しかも楽天が勝利する確率が高い。だが、焼きソバでも少しは効果があったのか、鉄平が今月10日以来のホームランで止めを刺す。たちまち場内に鳴り響く「鉄平コール」。 だが抑えの福盛が本調子じゃない。9回表2アウトの時に勝ったと勘違いして一旦は白いジェット風船が飛ばされたが、ファールだった。その後巨人のランナーが次々と出塁し2点を献上。すっきりしなかった最後だが勝つのは勝った。対巨人戦は今季初の1勝だった。そして田中はチーム最多の5勝目。高卒ルーキーで6月までに5勝した投手はこれまで数人とか。そのいずれもが球界に名を残した大投手のようだ。 田中、嶋とルーキーコンビが揃ってのお立ち台は初めて。インタビュー終了後、外野では選手とファンが揃っての万歳三唱となった。これがファンにとっては至福のひと時だ。今夜も燃えたフルスタ。勝利の歌が夜空に響き渡った。私が観た6月の試合はこれで4戦全勝。今季通算でも10勝5敗の好成績だ。確かに田中の入団で、何かが変わって来たように感じる。
2007.06.27
コメント(0)
先だってまで巣の中で餌をねだっていたツバメの雛が見当たらない。4羽か5羽は居たはずなのに巣は空っぽ。数日後、電線に停まっている5羽のツバメを見つけた。口ばしがまだ黄ばんでるのできっとあの雛達が巣立ちしたのだろう。ようやく一人前に自分で餌を捕れるようになったのだ。それにしてもあんなに大きくなったら一つの巣では狭いだろうに、彼らは一体どんな風に暮しているのだろうか。 昨日も今日も雨が降り、少しは梅雨らしくなって来た。ミヤコキンバイやラベンダーも咲き出したが、やはりこの季節は紫陽花が一番元気だ。紫のと白い紫陽花が庭の片隅で次々に花を咲かせている。昨日はトウモロコシに肥料を施し、土寄せして見た。日曜日にバスツアーで行った山形県村山市の蕎麦屋の畑で、土寄せしている畝を見て家でも試して見たのだ。 何度か移植したキュウリの苗は何とか根づいたようだ。この雨でゴーヤの苗も急に大きく育ち、蔓を伸ばし始めた。トマトはちょっと目を離すと脇芽が伸び過ぎて幹に栄養が廻らなくなるので注意を要する。ゴミの中から発芽したカボチャも元気に育っている。困ったのは山芋。千切れた根から発芽して盛んに蔓を延している。旺盛な生命力には驚嘆の一語だ。 昨日はユスラウメの種を抜く作業をした。一粒ずつ潰しながら種を取るのはとても面倒で、ランニングシャツがピンクの汁に染まったり、最後は左手が痙攣するようになる。ザルに残ったのを数えたら160粒あった。全体ではその10倍ほどなので1600粒を潰した計算だ。人に上げたのまで加えたら枝から取ったのは1800粒ほどになる。 作業は1時間半ほどかかったか。山盛りになったユスラウメの鍋を妻に渡す。レモンの汁を加え、コトコト煮たてて妻はジャムを作ったようだ。枝にはまだ150個ほど実がついている。ヒヨドリの餌になるのも良し、彼らが残したのを取って食べるのも良い。高級なサクランボほどではないが、戦後の少年期に飢餓を経験した身にはそれでも十分美味しい。 キヌサヤエンドウの勢いが衰えて来た。この春になってから種を蒔いたのだが順調に育ち、我が家の食卓を賑わしてくれた。まだ少しずつは取れそうだが、大事に食べてやろうと思う。先日畑から抜いて裏庭に干してあるタマネギも、ボツボツ食べられるだろう。今年も新タマネギのサラダが美味しい季節になった。小さな畑からの大いなる恵みに感謝しつつ。
2007.06.26
コメント(0)
妻と日帰りバスツアーに行って来た。今回のはサクランボ狩りがメインで、昼食はソバ、そして温泉で入浴と言う内容だ。サクランボ狩りの場所は山形の天童市。今年は天候の関係で成育が1週間ほど遅れ、色の付き具合があまり良くないそうだ。バスから降りる前に添乗員さんから、バッグなどにサクランボを入れて帰らないようにとの注意。そして降りてからは農園の人からサクランボを取る際の注意があった。 昼食前の40分間でどれだけ食べられるか分からないが、サクランボの木がある場所まで歩いて移動する時間が勿体無い。着く早々色んな枝に手を延してサクランボを取る。そして次々に口の中へ。たちまち甘い汁が口じゅうに広がる。少し酸味がある実もあるが、それはそれで美味しい。ほとんどの品種が「佐藤錦」のようだが、日向と日陰では色づきも甘さも少し違う。 サクランボ狩りは初めての経験。脚立に登って高い場所の実を取るのも楽しい。合計で60個も食べただろうか。甘いサクランボジュースを5、6杯も飲んだ感じだ。料金は1人1800円とか。十分に元は取ったので、時間を残してバスに戻った。 バスは最上川の3難所である碁点、三ヶ瀬、隼の付近を通った。最上川の急流は芭蕉の句「五月雨を集めて早し最上川」で有名だが、急流と言うより岩礁が覗く危険箇所が所々にあったと言う方が正確なのではないか。山形の紅花や米を大坂、京へ運ぶために底の平たい川舟を利用したようだ。そして河口の酒田港で西廻り船に荷を積み替え、帰りは京や大坂で仕入れた品々を再び川舟で最上川沿いの諸藩へと運んだ。当時の最上川には「川番所」も設けられていたほど運輸の大動脈だったのだ。 村山市はソバ街道発祥の地とか。更科とか信州のソバは蕎麦の実の中心の粉しか使わないため色が白く、細くて食べやすいようだが、ここ山形は蕎麦粉100%色黒の太い麺で食べ難い代わりに香りが強い。また盛りが良いことでも有名だ。この日食べた「板ソバ」も1.5人前もあったろうか。キュウリのおしんこ、キクラゲやワラビの漬物なども美味しく、いつもは小食の妻も残さず食べた。 温泉は陸羽東線沿いの瀬見温泉で、私達が入浴したのは天皇皇后両陛下がまだ皇太子殿下、妃殿下だった頃に泊まった宿だった。美しい庭園を眺めながら温泉に入れるなんて最高の気分。ただし、メタボリックシンドローム気味の裸体を見せられたのには、いささかうんざりした。(笑)美味しいものを食べるだけじゃなく、もっと健康にも気をつけなくちゃね。8月のバスツアーは福島の「桃狩り」を予約済み。これも楽しみですねえ。
2007.06.25
コメント(0)
週末の土曜日、朝から青空がのぞく。天気予報では最高気温は29度になるとか。愛犬との散歩も朝食もいつもより少し遅い時間。血圧を測り、新聞を読み、朝の連続ドラマを観て庭に出る。このところの雨で伸びた雑草を何とかしなくちゃ。それに畑の手入れも。家の周囲の雑草を抜くのに1時間はかかったか。次に伸びた梅、イチジク、柿の枝を剪定。去年古い大きな幹が腐ったイチジクも枝が茂り、大きな実が幾つかついている。だが枝はまだ細く、茂った葉の重みに耐えられないようだ。伸びたヒバの枝も全体的に丸く刈り上げる。 タマネギを畝から抜き発泡スチロールの箱へ。これは裏庭で陰干しにするのだ。本当はもう少しそのまま畑に置いたほうが葉の栄養を吸って甘くなるのだが、次の作業があるので止むを得ない。昨年より球太りが良くないのは種まきの時期が遅れたためだ。タマネギを抜いた畝を耕し、牛糞と石灰を散布。それから畝の両端にポールを立て、ネットを張る。所々に支柱を施してネットを固定。なかなか良い具合だ。次にキュウリの苗をネットの両側に移植した。18本のキュウリの苗に如雨露で水を撒く。これまでキュウリは東側の塀沿いに植えていた。だがキュウリにも連作障害があると聞いて、今年は初めて別の畝にしてみた。 トマトの脇芽を摘んで1本仕立てにする。こうした方が大きな実が実るのだ。ついでに余分な葉を切り、満遍なく日光が当たるようにする。西の塀沿いに植えた3本のカボチャにも支柱。これは塀に蔓を這わせようと言う魂胆だ。ついでに塀の外の雑草を刈る。外は駐車場なのだが、地主は東京の人で全然手入れをしていない。だから雑草の種が我が家に落ちないための防御策なのだ。 東側の塀沿いにも支柱を施す。ここには4本のゴーヤの苗を植えている。生命力旺盛なゴーヤを思い切り延してやろうと思っての初の試みだった。それらの作業が終わると、お茶を飲んで買い物へ。週末恒例の買い物は妻に頼まれたもので、近所のスーパーまで自転車で。帰宅後直ぐに品物を冷蔵庫に仕舞う。 次に枝に半分残ったユスラウメの実を取ってザルの中へ。掛かった時間は30分ほどか。それが済むと昼食の準備。昼食は殆どが麺類だが今日は焼きソバにした。暑い日は冷やし中華が良いのだけど、今日はザルにユスラウメが入ってる。(笑)油の代わりに水で麺を柔らかくするヘルシーな焼きソバの具は、ホウレンソウのお浸し、シメジの煮物、焼き豚と全て余ったおかずだ。 昼食後今度は洗濯物と干した布団の取り込み。自分のものは自分で畳み、タンスに区分しながら仕舞う。妻が仕事から帰宅した後ようやく安心して30分ほどソファーで午睡。目が覚めるとランシャツランパンに着替えて走友会の練習へ。今日はM仙人、私、I藤さん、K塚さん、S藤さんの5人だけだった。いやいやA原さんはいつものように先行したようだ。我が走友会の最長老は81歳。とても元気な現役アスリートだ。 暑い中を汗をかきながらゆりが丘へと登る。「こんな暑い日は汗を流すのも良い練習になるんだよ」とM仙人の有難い教え。仙人は今朝も重たいブーツを履いて太白山に登ったようだ。また大年寺の長い石段を登るのも最近の日課とか。それもこれも全て来月の「富士登山競走」に向けてのトレーニングのためらしい。来月「くりやま」を走るI藤さんも、「磐梯高原」を走る私もM仙人の前では頭が上がらない。いっぱい汗をかいた今日の練習。人間には馬鹿になる日が時々は必要ですね。(笑)
2007.06.23
コメント(0)
「エンジョグinみちのく」の資料作りとマラニックの話を書いているうちに、もう10日間が過ぎた。「いや~っ、歴史って本当に良いですね。楽しいですね。でも書くのは疲れますね。皆さんまたお会いしましょうね。ではサヨナラ、サヨナラ、サヨナラ・・」。もし淀川長治が歴史愛好者だったらきっとそんな挨拶をする(?)だろう。それにしても良く書いた。1回平均3千文字として11回分で3万3千文字。400字詰め原稿用紙に直せばざっと82枚半か。これまで書いてた「さるさる日記」だと33回分にも当たる。 それでもまだ書きたいことが幾つかある。まず「道祖神」についてだが、一昨年の「エンジョグ」で、泉区根白石から中山観音に向かう途中の萱場川または八乙女川に架かる橋の傍に「道祖神」の標識があった。探したのだが道の直ぐ傍ではなく、少し奥まった谷間のようだったので断念した経緯がある。ひょっとしたら岩窟に彫られているのかも知れない。いつか是非訪ねて見たいと思っている。 2つ目は実方が「下品(げぼん)の女神」と評したと言う天鈿女(あめのうずめ)のストリップのこと。弟神スサノオノミコトの狼藉に怒った太陽神である天照大神(あまてらすおおみかみ)が天の岩戸に隠れたため世の中が真っ暗闇になり、困り果てた鈿女はストリップしたのだが、沖縄にも一つの伝説が残っている。餅を食べたい一心で鬼と化して追いかける兄に、困り果てた妹は下半身を曝す。すると目が眩んだ鬼は大慌てで退散すると言う「鬼餅」(ウニムーチー)の話だ。 つまり2つの話で共通するのが、女性の下半身には災難を退散させる霊力が潜むと考えた古代思想の存在だ。それにしても問題行動を起こすのは決まって男の兄弟で、女性が裸身を曝すことで災難が治まるストーリーは何を象徴しているのだろう。鈿女が道祖神の「片割れ」とされた経緯は何なのだろう。そして道祖神社の別名である佐倍乃神社の「さへの」とは、何を意味する古語だろう。と、謎は尽きない また、実方中将の墓の北側の丘陵には式内社「佐具叡神社」の跡があるという。式内社とは平安初期に編纂された法制書「延喜式」の神名帳に記載された由緒ある神社で、古代の名取郡にはここも含めて2社あったらしい。現在この神社は残っていないが、宮中から御遣いが来る古社だから、きっと陸奥国守である実方も参拝したであろうと考えられる。今回走ったコースの周辺にはまだまだ謎が多く、これからも何度か訪れる必要がありそうだ。 と、まあこんな風に歴史愛好者が一旦歴史のことを考え出したら、なかなか止まらなくなるんですよ。でも自由に空想(妄想?)を楽しむのも良いものです。何しろ全て「ただ」ですからね。(笑) さて、この10日間は名取市内の「歴史研究」に費やしたばかりではなく、フルスタにも2回応援に行った。田中が勝ち投手になった13日(水)の対中日戦と、朝井が勝ち投手になった17日(日)の対横浜戦だ。これで6月に私が行った3回は全て勝利で、通算だと9勝5敗の好成績だから結構ついてるかも知れない。因みに雨で流れて再試合となった来週26日(火)の対巨人戦の”プラチナチケット”も何とかゲットしましたよ。ふふふ。 一方ランニングでは来年2月の「第2回東京マラソン」の申し込みをネットから行った。また来月の「磐梯高原100kmマラソン」の参加者と集合場所などがY田さんからのメールで明らかになった。今年は全員レース当日に帰宅するみたい。それに制限が15時間に延びたので、全員完走は間違いないだろう。翌日の走友会恒例の「サクランボ狩り」もきっと楽しいことと思う。 そうそう、畑ではキヌサヤエンドウが毎日採れている。雨がたくさん降ったせいかゴーヤやキュウリ、トマトなどの成長が著しいので、ネットを張る必要もありそうだ。それに半分残ったユスラウメの実をもがなくちゃいけない。これは種を抜いた後、妻がジャムを作る予定だ。おっと、いつの間にか雨が止んだぞ。買い物がてら、愛犬と散歩に行かなくっちゃ~!梅雨の合間は忙しいなあ。
2007.06.22
コメント(0)
<話の付け足し> 「エンジョグinみちのく」の翌日、熊野那智神社からゆり上浜までの14kmを歩く催しがあった。この神社ではかつて「お浜降り神事」と言うのが行われていたようだ。ゆり上の浜に打ち上げられた仏像を遥々運んで安置したことに因むものだ。明治になって神仏が分離されるまで、我が国では仏教と神道が一体となった山岳信仰が盛んだった。いわゆる「本地垂迹説」に基づく思想だ。東京の浅草寺は昔海の傍(浅草海苔の名前が残っている)で、ここの観音も浜に流れ着いたのを安置したと伝えられている。 それはともかく、今回の「お浜降り神事」を模したハイキングがニュースで伝えられた時、熊野那智神社の標高を204mと話していた。私はエンジョグのスタート地点で、海抜0mから300mまで登ると説明したが、あれはF田さんの受け売りで地図を確かめてのものではなかった。慌てて地図を見ると神社の標高は203mだった。「立山登山マラニック」の僅か15分の1しかない。立山の厳しさを改めて感じた。 ついでに幾つかのことについて補足しておこう。まず「十三塚」についてだが、私達がもらった名取市作成の資料によれば、公園の近くに「十三塚遺跡」があると書かれている。素直に考えれば13の古墳があったのだろう。古代の朝鮮半島には伽耶国と言うのがあった。大和朝廷と関係が深いとされる「任那」の付近だ。伽耶国の王は9つほどの密集した円墳に葬られている。愛媛県伊予市の伊予津彦神社の裏手にも9つほどの円墳があり、ひっそりと寄り添っているのを見たことがある。 道祖神社の祭神の一人であった猿田彦は元々日本列島に居た神(国つ神)で、天孫族(天つ神)が到来した時に道案内したとされる。これが後世の人に旅の安全を守る道祖神と同一視される基になったようだ。天皇の祖先である天孫族は中国か朝鮮半島から稲を携えて日本列島に来た集団の頭であろう。つまり猿田彦は原住民である縄文人の代表で、天孫族の天鈿女(あめのうずめ)は後から渡来した弥生人の代表。この二人が結婚して東北にも稲作を広めて行ったと見ることが出来ないだろうか。 初めは縄文人が狩猟のため主に山野に、弥生人は稲作のため主に平野部の湿地帯にと、「棲み分け」ていたのだろうが、稲作が広まるにつれ戦闘も行われたと考えられる。だが縄文人が稲作による安定した暮らしに憧れるようになると、民族の融和と結婚に因る混血が加速度的に進んだのではないか。猿田彦と天鈿女の夫婦神の誕生は、きっとそのシンボルのような伝説なのだと思う。 恐らく雷神山古墳東麓付近を通っていたと思われる古代の官道が廃れたのは、源頼朝が武家による幕府を鎌倉に開き、奥州藤原氏を武力によって討伐して以降、国府多賀城に行く必要が無くなったからではないだろうか。東北の地が治まって地頭が置かれると、税を納めるべき国の出先機関である多賀城は存在意義がなくなるし、関東武士団が駆けつけた広い官道を維持し続ける必要性がなくなったとも考えられる。 高館山一帯にあると言う200基もの板碑は何のためのものなのだろう。梵字が刻まれているものは仏教としての供養のためだろうが、頼朝時代の合戦時のものか、北条氏時代のものか、それとも南北朝時代の合戦による死者を弔うためのものか。十三塚遺跡もそうだが、「名取市史」を読めば疑問は解けるはずだ。 いずれにしても今回のマラニックコースが、郷土の歴史へのさらなる関心と新たなる謎を抱く基になったことは間違いない。太古(雷神山古墳)から現代(仙台空港)に到るまで、悠久の時を巡る32kmの旅は、私にとってとても貴重なものだった。もし自分に能力があるのなら、今回訪れた旧跡を舞台にして壮大な歴史ドラマでも書きたいくらいの心境だ。最後に今回のマラニックをお世話してくださった皆さんに感謝しつつ、合計11回に及ぶ膨大なレポートを閉じたい。<完>
2007.06.21
コメント(0)
<熊野那智神社~打ち上げ> 難問だが答えは簡単。つまり被葬者は誰だか分からないってこと。古墳に葬られた人で名前が特定されているのは天皇くらいのものだ。いや、その天皇陵ですら間違っているものがある。例えば継体天皇陵とされる大阪府茨木市のものは時代が合わず、隣の高槻市にある今城塚古墳が継体天皇の陵であることが学問的にほぼ裏づけられている。 被葬者が特定できない理由は墓に名前が刻まれていないからだ。文字の伝来は仏教の伝来と同じ538年ころと言うのが通説。古墳時代も後期の頃だ。天皇陵以外の古墳で例外的に名前が特定できそうな古墳がある。埼玉県稲荷山古墳出土の太刀には三十数文字の漢字が純金で象嵌され、「ワカタキルに杖人として仕えたヲワケが剣を賜った」ことが刻まれていた。 ワカタキルは第21代雄略天皇<大泊瀬幼武(おおはつせわかたけ)大王>と考えられている。雄略の名は後代になって付与されたもので、古代の天皇は日本式の「本名」があった。稲荷山古墳の被葬者はほぼヲワケと言う人物だろう。奈良市郊外の茶畑の一角に太安万侶(おおのやすまろ)の墓がある。安万侶は古事記や日本書紀の編集者で、墓からは彼の名を刻んだ銅板が見つかった。彼は奈良時代の官人で古墳時代の人ではないが、名前が特定できた古代人の稀有な例である。 さて、私達が先ほど登って来た雷神山古墳に眠る勇者の名だが、仮に「名取大王」としておくのが良いだろう。陪塚であると考えられる小塚の被葬者は、妃なのかそれとも大王に殉じて死んだ重臣のものだろうか。おそらくこの謎は古墳を発掘調査しても解けないと思う。ただ私達東北人の遠い祖先であることだけは間違いない。稲作をしながら日本列島を北上して来た祖先だ。 コースは熊野那智神社から那智が丘団地へ向かい、途中から階段を下りてショートカットする。高館の集落へ出る頃には、那智の滝を廻ったために抜かれた第2グループにも追い着いた。そこからは2つのグループが入り乱れて最終地点の極楽湯を目指す。残された距離は3kmほどか。住吉台走友会や仙台明走会の速いランナー達は、弦を放れた矢のように猛ダッシュ。何とか私も付いて行ったが最後の信号で振り切られた。 F田さんのサポート車到着を待って荷物を受け取り極楽湯へ。裸になると日に焼けて肌が赤い。早速体を洗い水風呂へ入る。冷たいがとても気持が良い。ついでに屋外の薬湯へも。入浴後は先ず牛乳を飲み、それから生ビール。その頃になってようやく第3グループが到着。遅れたのはリーダーの1人Y野さんの目にゴミが入って病院に行ったのと、途中でコースを間違えたためとか。32kmの旅程にはどんなハプニングが起こるか分からない。 打ち上げの会場は仙台駅周辺の居酒屋。日本料理がメインで、値段の割には良心的な内容。お世話役の皆さんの挨拶に続いて乾杯。走った疲れも手伝って杯を上げる毎に酩酊の度が進むメンバー。天気とコースに恵まれ今年も成功裏に終わったエンジョグ。打ち上げも和気藹々で賑やかだった。でもすっかり出来上がり、ろくな挨拶が出来なかった私だった。やがて埼玉のO野さん夫妻が新幹線の時間が近づいて帰られた。皆さんまた来年も来て下さいね~!
2007.06.20
コメント(0)
<実方中将の墓から熊野那智神社まで> 再び県道39号線を北上し、最後のポイントの熊野那智神社へ向かう。途中に今熊野神社があった。高館の熊野三社以外にも熊野信仰の神社があることに驚く。高館山入口の鳥居前で水分補給のため小休止。第2グループとの間隔をこれ以上広げないための調整でもあった。私は桃のジュースを飲んだ。甘くて冷たいジュースが喉に染み渡る。10分ほど休んで走り出すと、山沿いの道を走って来る第2グループの姿が見えた。 広い道路は徐々に登りがきつくなる。砕石所の付近から右折すると、いよいよ神社への山道になった。小石混じりの道は結構勾配がきつい。初めのうちはなんとか走って登っていたが、途中から音を上げて歩き出す。お世話役のF田さんから神社のある辺りは標高が約300mと聞いていた。ここで走れないのでは8月の「立山登山マラニック」はとても無理だ。何せ海岸から立山の頂上までの高度差は3003mにもなるのだから。 木立の中の道は暗くて涼しい。とぼとぼ歩く後から、どんどん抜いて行く第1グループの仲間達。暫くすると勾配が緩くなったので走り出して見る。空が明るくなって来たのは頂上が近い証拠だろう。その時左手の森の奥に屹立する石碑が見えた。振り返って見ても枯れた立木ではない。間違いなくあれは鎌倉時代に建てられた板碑だ。高館山全体で200基もあると言う板碑。まさかその一基を自分の目で確かめることが出来たとは。聖なる領域に入ったことを実感した一瞬だった。 坂道を登り切った頂上にH口さんのエードがあった。山麓で3台の車が追い越して行ったので神社で会えるとは思ったが、目の前には冷たい素麺が待っていた。量は少ないけどH口さん心づくしの素麺に舌鼓を打つ。残った汁に水を足し全て飲み干す。しょっぱい味が美味しく感じられるのは、長い間炎天下を走ったことで塩分を失ったためだろう。昨年は陸前浜田駅前でミョウガの味噌汁を作って待っててくれた彼女。あれも美味しかったが、良くお礼を言わなかった気がする。 頃合を見て彼女は封筒を手渡してくれた。先月の「いわて銀河」の75km周辺ですれ違った時、M井さんと並んだ姿を彼女が撮ってくれた写真が入っているみたい。「写真、もらってやって下さい」といつもながらの謙虚な言葉と心遣い、本当にありがとうね! エードに長くいたせいか、はたまた仲間の「鐘撞き」に付き合っていたせいか、リーダーのM仙人の姿がどこにも見当たらない。一瞬慌てたがきっと展望台の方だろうと「斥候」を出す。やはり先着した仲間が数名展望台から下界の景色を眺めており、M仙人は東屋で悠々と休んでいた。やっと最後のポイントに到着した。遥か沖合いの海には大きなフェリーの姿も。 仲間が揃ったところで、展望台の周辺の3つの小山は円墳だと思うと話し掛けて見た。だがもう何の反応もない。疲れたのか、それとも最終ポイント到着で安心し切ったのか。M仙人の先達で那智神社の名の由来になった滝に向かう。途中のひっそりした茂みの中に破屋が1軒。こんな所に一体誰が住んでいたのだろう。ほどなく滝に到着。裏の沼から流れ出る滝はとても可愛らしいサイズだった。その中に立つ不動明王。こんな滝でも、きっと昔は山伏達が修行したのだろう。 滝とキャンプ場を一周して神社前に戻ると、D口氏ら数名が素麺を食べるのに夢中になっていた。ここからはM仙人の先達なしに那智が丘団地方面に下りる。その途中で一つの問いが私に発せられた。第2グループの人が「雷神山古墳に葬られている人は誰か」と聞いてたらしい。う~む。
2007.06.19
コメント(0)
<道祖神社から実方中将の墓まで> 本来旅の安全を守るべき道祖神が、何故実方中将を落馬させたのだろう。下馬しないで社殿の前を通過したくらいで神が怒るものだろうか。塩竃神社付近にも下馬の地名が残り、貴人と雖も馬から降り歩いて社殿に向かったことは確かだが。手元のパンフレットには実方の乗った馬がぬかるみに足を取られたと書かれていたが、出羽国の阿古耶の松を訪ねた長旅の疲れと、急な坂道が原因で落馬したのが真相ではないのだろうか。ふとそんなことを考えながら次のポイントに向かう。 アップダウンの多い県道39号線を北上すると、左手に「実方中将の墓」の大きな案内板が現れた。山道に向かう入口にまず芭蕉の句碑。歌人西行に憧れて「奥の細道」の旅に出た松尾芭蕉は、何とか実方の墓に参ろうとしたがぬかるみに阻まれて参拝出来なかったと言う。やむなく雷神山古墳周辺の植松の地から遥拝し、「笠島はいずこ五月のぬかり道」と手向けた。西行が墓に詣でた500年後のことだ。 暗く細い山道の奥に柵に囲まれた実方の墓があった。陸奥国守の墓が実に粗末な土饅頭なのに驚くが、奈良時代には「薄葬令」が出、貴人と言えども大きな墓を造ることが禁止されていた。それにしても淋し過ぎる終末の風景だ。都を追われるように多賀城へ赴任した実方は「光源氏」のモデルだとの説もあるほどの美貌だったとか。「みちのくの阿古耶の松をたずね得て 身は朽ち人となるぞ悲しき」が中古三十六歌仙と褒め称えられた実方の最期の歌となった。 墓の直ぐ隣には西行の歌碑。今から820年前に陸奥国の歌枕に惹かれた西行がこの地を訪れた当時、墓前には淋しげな枯れススキが茂るばかりで、さすがに哀れさが増したのだろう。「朽ちもせぬ其の名ばかりを留めおきて 枯野のすすきかたみにぞ見る」と詠んだ。その「形見のススキ」が今風に戦いでいる。 少し道について考えて見る。芭蕉が遥拝した植松は国道4号線の旧道に沿っているが、この道は仙台藩祖伊達政宗が参勤交代のために改修したものだ。「長町や中田の馬を増田までもの言わぬ間(岩沼)に着きのき(槻木)の里」と謡われた街道だ。改修前はかなり荒れていたと言うから長く使われなかったのだろうが、その前身は「官道」だったのではないか。 官道は都から各国府へと真っ直ぐ延び、緊急連絡のために数キロ毎に駅舎が設置され、道幅は20m近い広さだった。仙台市太白区の郡山にあった官が(「が」は行の間に吾の字)や、国庁である多賀城に行くためには、当然最短距離でかつ見通しのきく平野部を通る方が好ましい。 一方道祖神社や実方の墓の前を通る県道39号線は、岩沼市の竹駒神社の裏手から仙台市内へ向かう抜け道で、名取川にはその昔「栗木の渡し」があった。かつては「東街道」と呼ばれ官道と同様に古くから存在した道で、官道が廃れた時期はこの山沿いの道がメインだったのではないだろうか。道無くして人も物資も動けない。道は太古から人を移動させ、文化を運び続けて来たのだ。
2007.06.18
コメント(0)
<十三塚公園から道祖神社まで> 公園の林の中をM仙人はグループを先導して快調に走る。まさに快調な会長だ。それに色んな道を良く知ってるのにも驚く。67歳の仙人の練習コースはとてつもなく広範囲に及んでいるようだ。公園の裏手には小さな沼。そこから一般道路へ出、砂利道の農道をガンセンター方向へ向かう。ここへ入院したらもう危ないとメンバーの誰かがのたまう。東北新幹線愛島トンネルの脇を通って山道へ。ここから県道39号線(岩沼ー仙台線)に出る。 信号を渡った道路の向こうに第7ポイントの「道祖神社」があった。この前は何度か通ったことがあり、名前は見たはずなのに記憶が残っていなかったのは何故だろう。道祖神は旅の安全と夫婦和合の神で、道端に石仏として置かれる割と粗末な扱いなのが普通。それに夫婦が睦みあった姿が低俗な迷信であるとして明治新政府が遺棄した経緯があり、現在まで残されたものは少ないはず。 だがここは正一位の神格を授かり立派な社殿を構えているのは何故だろう。祭神は猿田彦と天鈿女命(アメノウズメノミコト)の夫婦神。猿田彦は全国にある土地の神。つまり後から渡来した天孫族より前に居た原住民の信仰する神だ。また天鈿女は天照大神が弟の暴挙に怒って天の岩戸に隠れた時に、岩屋の前でストリップをし、その笑い声に何事かと天照大神が顔を覗かせた神話が残されているその当人だ。 また武甕鎚(たけみかづち)神も祭神の一人だが、この神は本来茨城の鹿島神宮に鎮座していた。やがて藤原氏が奈良に春日大社を建立するとここに白い鹿に乗って移る。何故その武甕鎚がここに祀られるかだが、私は落馬して死んだ陸奥国守の藤原実方との関係だろうと推察した。武甕鎚は藤原氏の氏神なのだ。本来素朴な民間宗教のはずの道祖神に正一位が授けられたのはそのせいだと思う。それも「左遷」された実方の祟りを恐れた皇室によって。 夫婦和合の石碑どころか、神体すら拝めない正一位の神格を持った道祖神社の存在理由はきっとその辺にあるのだと思う。今回の「エンジョグinみちのく」の旅で、謎を解く私の楽しみが増えた感じがしている。
2007.06.17
コメント(0)
<洞口家住宅から十三塚公園まで> 掘割に囲まれた洞口家住宅に別れを告げ、ダイヤモンドシティに向かう。仙台東部道路の高架下に大量のゴミが投げ捨てられている。美しい田園風景にそぐわない不埒な行為に怒りが湧く。ダイヤモンドシティ到着は10時20分頃か。D口氏から集合時間と館内での行動について説明を受け、早速新しい建物内に入る。 お握りはリュックに入っているので、後はビールを買おうか。M越デパートの店舗にはたくさんの食料品が並び目を奪われる感じ。ようやく棚で目当ての缶ビール発見。手に持ちながらレジを探しているとなにやら行列が。キウイフルーツの試食だ。これは良いと1皿いただく。ビール代を支払ってロビーのソファーへ。ここは涼しくて良い。汗臭くて申し訳ないがどっかと腰を下ろしてお握りを食べ、ビールを飲む。 つい先ほど洞口家住宅前でエードを受けたばかりなのに、案外スムースに食べられる。まだ10kmも走ってないのに、お握り3個が食べられるのも不思議。おまけに仲間のK山長老からはクリームコロッケをいただいた。私があげたアスリートソルト3粒のお返しらしい。M井さんが食べてる焼きソバも、K山氏が食べてる弁当も美味しそう。こんなことなら何もコンビニでお握りを買うこともなかったか。 1時間以上も休んだためか、疲れは全くない。11時45分約束どおり駐車場前に第1グループが集合。メンバーを確認して次のポイント「雷神山古墳」に向かう。田圃に風が渡り、イネの葉が翻る。最終目的地の高館の山も、わずかに雪を戴いた蔵王連峰の山並みも遥かに見晴るかす絶景。気温が徐々に上がって来たようだが、汗が噴出す感じではない。まさに至福の一時だ。 長い田圃の中の道をようやく館腰駅の方角へ右折。駅の裏側から雷神山東麓の遊歩道を通り、途中から古墳への山道を登る。巨大な墳丘に感嘆の声。今は芝生になっているが墳丘の周囲には周濠があったことが窺える。陪塚の小塚古墳も右奥に見えた。古墳の後円部に登頂。名前の由来になった雷神の祠の前で私から簡単な説明。皆神妙に聞いてくれた。巨大な墳墓に眠る「名取大王」に別れを告げ、下山途中第2グループと入れ替わる。 古墳の裏側には説明板とトイレがあった。名取市がこの歴史的な遺産を大事にしてることが分かる。清冽な掘割の流れに沿って細い道を走る。歌枕で名高い多賀城の玉川はコンクリートで固められて興ざめだったが、ここは自然が残されていてとても良い感じだった。行き交う女子中生が挨拶してくれた。木々の合間から薬師堂古墳(?)が見えた。地図によれば付近には観音塚古墳もあるみたいで、メンバーは急に古墳の愛好者になった感じ。 野球場脇の林を抜け、旧中沢家住宅へ。ここは名取市指定の文化財になっていて、老婆が一人留守番をしていた。その老婆にメンバーが色んなことを尋ねるのだが、適当な返事が返って来ない。意味が飲み込めていないようだ。ここは江戸時代の典型的な農家だったのだろう。その奥の十三塚公園が美しい。名取市民球場では中学生の野球大会の真っ最中のようだ。そして坂の上にはA山さんのエードが待っていた。 ここ十三塚の名前はまだ幼い頃に祖母から話を聞いたことがあったが、それが何ものでどこにあるのかは分からなかった。民俗学者柳田國男の著書にも出て来る全国各地の「十三塚伝説」とは一体何なのだろう。古墳があった感じはする。その証拠に付近には「箱塚」の地名も残っているようだ。ペットボトルに水と塩を補給し、木漏れ日の下でグレープフルーツの輪切りを食す。冷たくて美味しいエードに暫し暑さを忘れる。
2007.06.17
コメント(0)
<スタートから洞口家住宅まで> 心配された天気だが快晴に近い上天気に恵まれたようだ。最寄の長町駅に自転車で行く途中、コンビニでスポーツドリンクとお握り3個などを購入。9.3km地点のダイヤモンドシティでの昼食が10時半と言うのはあまりにも早過ぎる。その後、公園で休んだ時などに食べることもあると考え、お握りにしてみた。 長町駅にはかなり前に着くが、仲間の姿は全く見えない。そこへやって来た下りの電車に飛び乗る。どうやらこれが再び戻って仙台空港へ行くアクセス鉄道のようだ。仙台駅のホームで一旦降り、再び乗車。幸い改札はなさそうだ。座席に着席していると仙台明走会の若い男女が乗り込んで来たので、一緒の座席を勧める。二人ともこの電車に乗るのは初めてのよう。 ランニングスタイルの乗客は東京方面から来られた方か。長町駅、太子堂駅から仲間達が乗り込んだみたい。7時半仙台空港駅に到着。そのまま空港の2階ロビーに向かう。一角に旅行客とは明らかに様相が違う一団が集まっている。スタッフと参加者で50名以上になるとの話だったが、知らない方が大勢いた。D口夫人の紹介でネットで名前を良く聞く星峰さんにご挨拶。去年9月の「佐渡島一周」以来のS木さん、T本さんにも久しぶりの対面。T本さんは骨折治癒後もまだ肩が本調子じゃないみたい。 さて着替えもしなくちゃいけないし、トイレにも行く必要がある。そして主催者を代表してD口さんからガイダンスが始まる。引き続き私からコース中の主な観光スポットについて簡単に紹介。その後グループ毎に車に荷物を預け、スタート地点に移動。貞山堀の最南端、木曳堀の畔で記念撮影。何だか慌しい雰囲気だ。 撮影後グループ毎にウエーブスタート。私は先頭の第1グループで先導者はM仙人。木曳堀の緑陰を爽やかな風を受けながら走る。気温は高そうだが風があるし湿度も低くて気持良く走れる。サイクリングセンターから橋を渡ってゆり上の港へ。休憩時に作業場を覗くと、乾燥ナマコを手入れしているおばさん達がいた。きっと中華料理の材料として中国へ輸出されるのではないか。 名取川の河口では漁師の人達が胸まで水に浸かりながらアサリを獲っている。引き潮になっているようだ。のんびりした光景を楽しみながら堤防の上を走っていたら、突如サイレンの音が響く。いったい何ごとかと驚く我々。後で聞いたら防災訓練のようだ。上流のダムで放水した場合に備えての訓練だろうか。 県道10号線を潜ると、道路脇に高い松並木が見え出す。これが藩制時代に仙台からゆり上へと続く街道の名残で「あんどん松」と言う。案内板の解説によれば遠州からわざわざ取り寄せたものとか。見事な黒松は防砂のために植えられたのだろうか。そう言えばそんな話を聞いたことがあるような気がする。 何度か仙台東道路を潜って「洞口家住宅」へ。ここは江戸時代の庄屋クラスの大農家で、国の重要文化財に指定された建物だった。指定を受けるに際し、かなり手を入れてかつての姿に直したようで、現在は隣の新しい住宅に住まわれているみたい。裏の土蔵2棟はかつての宮城県沖地震に因る災害で、壁が大破していた。住宅前で洞口家の遠戚であるH口さんがエードを開いてくれており、冷たいオレンジを貪るように10個ほどをいただく。H口さん、いつもいつも優しい気配りを有難う~! <続>
2007.06.16
コメント(0)
<高館山・熊野堂周辺> 高館山周辺には熊野三社(熊野本宮社、熊野新宮社、熊野那智神社)をはじめ、三社から分離した新宮寺、大門山中世墓域群、熊野堂横穴墓群、高館城跡などがあり、古代から中世にかけての一大聖域だった。 霊験あらたかな熊野に対する皇室や貴族達の信仰は、荘園の発達と共に東北にも及び、福島県喜多方市の熊野社、山形県寒河江市の新熊野十二社権現、岩手県平泉の今熊野社などと共に、平安末期には名取の地にも熊野三社が勧請される。これによってわざわざ遠い熊野まで詣でなくても良くなった。また修行と信仰の流布のために東北を訪れる修験道(山伏)も増えた。出羽三山は修行地として名高く、蔵王山の名の元の蔵王権現は吉野の金峰山にまつわるものである。 今回のマラニックで訪ねる予定の熊野那智神社には国指定の重要文化財である懸仏や銅鏡が41点もあり、このうち数点は仙台市博物館で観覧できる。なお、熊野三社は江戸時代まで伊達家の庇護を受けていた。山上の同社からは遠く太平洋が望め、一帯は公園として整備されている。 また尾根の突端には中世の城跡である高館城跡があり、南北朝時代は平泉中尊寺の命を受け、近辺の益田(ますだ)の関の警固に当たったと言う。付近の大門山は経塚山とも呼ばれ、200基を越える板碑や蔵骨器を伴う中世墓域があり、この近辺が一大聖地だったことが窺える。<その他>○あんどん松 ゆり上浜は仙台藩の五十集(いさば=漁港)であった。ゆりは門の中に水と書く作字であるが、水門で「みなと」とも読める。港にほど近い神社の境内に円墳があり、この地が古くから開けていたことが窺える。仙台からゆり上に向かう名取川沿いに江戸時代の古い松並木が僅かに残っている。高さも相当あり、当時の面影が偲ばれる。○洞口家住宅、旧中沢家住宅 私は両家住宅の詳細は知らない。洞口家住宅は確か重要文化財に指定されているはず。江戸時代の庄屋を務めた旧家ではないか。実態は現地の案内で分かると思う。○十三塚 ここにどんな由来があるのかは知らないが、私は幼い頃に祖母からこの名を聞いた。民俗学者の柳田國男の著書には、国内何箇所かにこの「十三塚伝説」があることが記されているようだ。 ○道祖神社 実方が地元の人の諌言を聞かずに下馬しなかったため、馬がぬかるみに脚を取られて落馬し、終に亡くなったと伝えられるのがこの神社だ。本来道祖神は旅の安全と夫婦和合を叶える土地の神。睦みあう男女の姿が彫られた石仏がここで見られるだろうか。 以上、拙い解説で済みませんでした。今回のコースは知らないところばかりですが、資料を作ることで自分自身の勉強になりました。明日は「エンジョグinみちのく」で皆さんと一緒に現地を訪ねるのが楽しみです。さて、どんなところなんでしょうね?
2007.06.15
コメント(0)
昨日の記事で書き忘れたことがある。運河や堀の名になっていた「貞山」のことだ。これは仙台藩祖である伊達政宗の諡号(しごう=おくりな)。諡号は本人の死後、生前の徳を讃えて贈られる名前のことで、伊達藩では代々「山」がつくのが慣わしだった。だから「貞山堀」も「貞山運河」も政宗存命中の名称ではなく、その遺徳を偲び現代になってから命名されたものだ。<雷神山古墳> 名取市館腰の東北本線沿線の山上に雷神山古墳がある。全長168mの前方後円墳で東北地方最大の古墳だ。(第2位会津若松市大塚山古墳、第3位仙台市遠見塚古墳=108m)墳丘の下部は基盤を掘り出して造り、上部には盛り土をしている。そして墳丘の表面には葺石(ふきいし)を施している。この古墳に接するように直径54mの円墳である小塚古墳があるので探してみよう。 河出書房新社「図説宮城県の歴史」1988年刊によれば、雷神山古墳は従来5世紀のものとされて来たがほぼ4世紀と考えられ、仙台市の遠見塚古墳に次いで古いとされて来た。だが最近では雷神山古墳の方がより古いと考えられているようだ。つまり名取で勢力を築いた豪族がやがて仙台平野へと進出したとの見方である。 巨大な墓を造らせるだけの力を有した東北の豪族は、この墓制の源である近畿の豪族との結びつきがあったことは間違いない。だが、遠見塚古墳からの出土品がさほど豪華でなかったことは、その結びつきがさほど強固なものではなかったことを物語るようだ。 名取市内には雷神山古墳のほかにも大塚山古墳などたくさんの古墳がある。この地が古くから開けていたことや、稲作によって富を集中して行く権力者の存在を裏づけ、東北の民が単なる蛮族ではなかったことを示している。それらが後代の奈良時代に陸奥国分寺、国分尼寺、仙台市郡山の官が跡、国庁としての多賀城の敷設へと繋がるのであろう。なお、東北地方最北部の前方後円墳は岩手県の水沢にある。<実方中将の墓> 名取市愛島塩手の山中に実方の墓がある。藤原実方は関白道長とは従兄弟同士で、美貌と中古三十六歌仙の一人として都では名高い人物だった。だが、宮中で藤原行成と歌のことで争い、行成の冠を奪って捨てた。この一件を知った一条天皇は実方を蔵人頭とし、「歌枕見て参れ」と陸奥守に任じた。 こうした経緯によって実方は長徳元年(995年)任地の多賀城に赴任する。陸奥では事情を知った武士達に尊敬され、日夜奉仕されたと言う。足掛け4年が経過し、任を終えるに際して陸奥国の歌枕を訪ねる旅を続けるが、名高い出羽国千歳山の阿古耶の松を訪ねた帰り、名取郡笠島の道祖神社まで来た時に馬が泥道に足を取られ、落馬して重傷を負った。 一説に因れば、土地の人が効験無双の道祖神の前では下馬するよう諌めたにも関わらず、実方は、「下品(げぼん)の女神にや、下馬に及ばず」と無視して過ぎようとしたらしい。土地の人達の手当の甲斐なく、長徳4年(998年)11月13日鬼籍に入った。(源平盛衰記)「みちのくの阿古耶の松をたずね得て 身は朽ち人となるぞ悲しき」が最期の歌。なお、阿古耶の松は山形市の千歳山山頂に何代目かの小松が植えられているが、現在は枯れている。ついでであるが笹谷峠にも阿古耶の松があると聞く。 この実方の墓を文治2年(1186年)の秋、西行法師がわざわざ訪ね、「朽もせぬその名ばかりを留めおきて 枯野のすすきかたみにぞ見ゆ」と詠んだ。その500年後、奥の細道の途中に芭蕉はこの墓を訪れようとしたが雨で道が悪く詣でることが出来ず、「笠島はいずこ五月のぬかり道」と一句を手向けた。
2007.06.14
コメント(0)
<貞山運河> 阿武隈川河口から旧北上川まで総延長49kmにも及ぶ国内最長の運河がある。貞山(ていざん)運河がそれだ。このうち旧北上川から鳴瀬川河口の運河を北上運河、そこから松島湾に抜けるのが東名運河と呼ばれ、両方とも明治政府が野蒜港と併せて建設したものだ。残念ながら野蒜港は建築後3年で台風により破壊され、新たに出来た横浜港にその役割を譲ることになった。 一方県南部の阿武隈川河口から松島湾までの人工堀を貞山堀と呼び、このうち最南部の名取川河口までが木曳堀、名取川河口から七北田川河口までが新堀、砂押川河口から松島湾までが御舟入堀と呼ばれている。御舟入堀は仙台藩第2代藩主である忠宗が作らせたもので、多賀城から塩釜港に向かう県道10号線沿いにあり、多くの船が係留されている。 新堀は井土浜(いどはま)から蒲生までのサイクリングロード沿いにあり、明治維新後没落した旧武士階級を救済するため工事に当たらせたようだ。周囲にはラムサール条約に関わる大きな干潟があり野鳥の天国になっている。また引き潮になるとシジミ獲りで賑わう場所でもある。屋敷林を持つ「イグネ」で有名になった集落はこの堀の近辺にある。 運河の最も南に当たる木曳堀は藩祖政宗が川村孫兵衛に命じて工事に当たらせたものだ。孫兵衛は石巻港を開港したり、仙台城下に飲み水を提供する四谷用水(現在も工業用水、農業用水として使用)を完成させた土木家で、夫妻の墓は石巻に在る。この堀は仙台城下を建設するための用材を阿武隈川上流から運ぶためのもので、ゆり上(ゆりは門の中に水)港からは名取川、広瀬川を遡って運搬したようだ。(かつて北材木町、南材木町の町名あり) なお、仙台市内の木流堀は城下で必要な薪を名取川上流から運ぶためのもので、終点の県立仙台南高前はかつて木場後と呼ばれていた。今回のコースは仙台空港からこの木曳堀に沿って走るが、注意しないと見逃してしまうほどの幅しかない。いずれにしても藩祖政宗が仙台藩の発展のために切り開いたこの運河を郷土の誇りとしていつまでも大切にしたいものだ。(続)
2007.06.13
コメント(0)
暫く前のこと、D口夫人からメールで依頼があった。6月にある「エンジョグinみちのく」の時に説明して欲しいと言うのがその内容。第4回目の今年は名取市内を走ることは聞いていたが、自分に説明出来るようなコースなのだろうか。そう思ってその時は聞き流していた。 さらに暫くしてから再びメールが来た。それにはコースの概要が示されていた。仙台空港を出発し、貞山堀~あんどん松~洞口家住宅を経由してダイヤモンドシティで昼食。そこから雷神山古墳~十三塚公園~中沢家住宅~道祖神社~実方中将の墓~高館山~熊野那智神社を経て極楽湯がゴールのコースだ。 一見して面白そうなコースだと言うことが分かった。古代(雷神山古墳、実方中将の墓)、中世(熊野那智神社)、近世(貞山堀、洞口家住宅、中沢家住宅)と各時代の史跡や文化遺産をたくさん巡り、十三塚公園や道祖神社なども興味深い箇所だ。知ってるところもあるが、むしろ知らない箇所の方が多い。そんなところを私が説明することが出来るだろうか。何か資料はあるはずだからまずはそれを探して見ようか。 不思議なことに何点かの資料が直ぐに見つかった。まずは名取市観光協会が作成した「中将実方朝臣の墓」と言うパンフレット。これには実方中将の墓は勿論のこと、今回の巡回ポイントがほとんど載った地図まで掲載されていて、まさに打ってつけの資料だ。2つ目は同協会が作成した「名取熊野三社」と言うパンフレットも見つかる。これには高館地区の歴史遺産が網羅されていた。 3つ目は「貞山運河・高城川歴史散策ガイド」。これは宮城県土木部河川課の製作によるもの。阿武隈川河口から北上川河口に到る49kmの「貞山運河」に関する説明が載っていた。だが適切な図がない。机の周辺を探すと、何と「貞山運河」に関する新聞記事が出て来た。何かの役に立つだろうと思って切り取っていたようだ。さらに河出書房新社刊「図説宮城県の歴史」で雷神山古墳関係の資料を発見。よ~し、これで何とか説明資料は作れるだろう。 早速コンビニで資料をコピー。次にそれを切り張りして組み合わせる。先ずは中央部に名取市の観光地図をドカンと。そしてその周囲に「貞山運河の図面」、「熊野堂周辺地形図」、「熊野那智神社の概要」、「実方中将関係年表」、「雷神山古墳の地形図」を張り巡らして見た。ほほう、なかなかの出来だ。さらに理解を助けるため、コース順とその番号などを書き込む。完成した資料を翌日コンビニに持参し、D夫人に聞いた人数分をコピーした。ふう~っ。 何とか恰好はついた。だがこれを見て直ぐに理解することは困難。やはり説明は必要だろう。それもスタート前に行うことが出来れば、きっとマラニックにも楽しみが増えると思うのだ。最初にD夫人から頼まれた(?)時は戸惑ったが、身近な土地の歴史を知る良いきっかけになると思う。今回作った資料が参加者の関心を呼び覚まし、何らかの役に立つことを願っている。 そうそう、文中で「不思議なことに・・」と書いたが、何故そう思ったか書き忘れていた。名取市作成のパンフレットも、宮城県土木部作成の資料も、実はかつて働いていた現場で拾ったもの。つまりゴミとして捨てられていたのを偶然見つけて、取って置いたのだ。それだけ私の関心があった証拠だろうか。さて、明日からは引き続き説明編を書いてみたい。玄関脇のクジャクサボテンの花が昨日から咲き出した。鮮やかなショッキングピンクの花だ。
2007.06.12
コメント(0)
妻がつくばから帰宅した。一晩中話し込んでいたらしく、昨夜は睡眠不足と体調不良で夕食も摂らずに床に就いた。8時間以上眠り、トイレを済ませた今朝の妻は見違えるように元気を取り戻していた。「モネ展」も良かったようだし、23年ぶりの「同窓会」も楽しかったようだ。お土産も色々いただいて来た。だが時間が無くて東京の次男には会わずに帰って来たようだ。 今朝は久しぶりに晴れた。庭の紫陽花が蕾をつけている。枝一杯に実るユスラウメは僅かに色づいて来た。ブルーベリーのまだ小さな枝にも、それなりに紫の実がついている。今日は運動を兼ねて自転車で出勤。川端のサクランボも色づいた。先日3粒ほど食べたが、まだ少し酸っぱい。だが鳥が食べる分には困らないだろう。間もなく鳥の大群が平らげるはずだ。 どうも楽天が勝てない。巨人とヤクルトに3連敗中。その中で一人気を吐く山崎が24本目のホームランを放った。パリーグではロッテと日ハムが快勝。9連敗中の西武はオリックスと代わって最下位に転落した。メジャーではついにあのオールドルーキーが登場。桑田がヤンキース戦で投げ、2回2失点のデビューだった。 勝敗は抜きにしてスポーツが爽やかなのに対し、政治がおかしい。いや行政と言うべきか。特におかしいのが年金問題。基金の使い道から始まった問題は、今最も根本的な年金関係のデータがデタラメだったことが明らかになった。5千万件以上の不正データに加え、未入力のデータが1千数百万件あると言うお粗末さ。 どんなに優れたシステムを構築しても、個々のデータが信頼できなければ、結果として出力されるものは正しくない。ましてやデータを管理する立場にある行政自らが、その重要性に気づいていないのだから悲劇と言わずして何と言うべきか。大切な老後の生活資金が行政の怠慢によって間違った支給額となるなんて許されないことだ。 数千万件のデータ照合をたった1年で行うなんて可能だろうか。「年金を政争の具にするな」などと叫んでいる政党もあるが、農林水産省関係外郭団体の官製談合などお粗末な行政の実態が次々に明らかになっている。介護の問題も然り。業界最大手のコムスンの不正な申請と処分を免れるための届出。福祉までが「銭儲け」の手段になっている現実はどうだろう。 コムスンの親企業グッドウィルが西武と深く関わっているのだから問題はややこしい。不正な資金提供で問題になった今シーズン当初も西武は勝ち続けて来た。だが、球場の命名権をグッドウィル社に売り、さらに2軍の名前までも同社に売ってしまった西武。コムスン・グッドウィル問題が明らかになったから負け出した訳ではないだろうが、資金難の西武にとってこの難問を乗り切るのはかなりきつそうだ。 全日本選手権のシングルスカルで武田大作選手(33歳)が6回目だかの優勝を果たした。同選手は私が松山勤務時代のマラソン仲間だった。当時はまだ農学部の2年生で、学業の合間にトライアスロンに打ち込んでいた。だがその後国内でボートの第一人者になり、大学院に進んでからはアジア大会などでも上位入賞するようになった。今朝久しぶりに彼の顔をテレビで見たが、爽やかな表情は当時と全然変わっていなかった。やはりスポーツの力は素晴らしい。
2007.06.11
コメント(0)
土曜の夜は大体「日立世界ふしぎ発見」を観ている。世界の色んな「謎」を学ぶことが出来るからだ。とても知的な番組で、撮影やその編集にはかなりお金がかかっているように思う。昨夜は確かスロバキアが登場したはずだ。夜半雨の音で目を覚ます。妻もいない休日の夜はどう過ごしても怒られることはない。眠れないままチャンネルを廻し、色んな番組を観ていた。 今朝も雨。愛犬との散歩は、彼の生理現象を助けるために必要な最低の範囲に止める。雨の庭で露草が咲いている。西の壁際ではシャラの花も。これは仏陀が涅槃に入った時、身近にあった沙羅双樹の親戚のようだ。だが大樹ではない。去年は咲かなかったのに、今年はピンクの花を咲かせた。玄関脇の白い花の方は今年も花芽がつかないのは何故だろう。 雨が止んだ頃を見計らい、自転車で市立博物館へ向かう。山越えの道は厳しいが30分ほどで到着。特別展「吉村作治の早大エジプト発掘40年展」が今日の目当て。「ふしぎ発見」でも彼は10回以上登場したのではないか。その都度発掘の現況や苦労話を聞いた。人当たりの柔らかい彼は、現在「サイバー大学学長」だ。そして早大客員教授(工学博士)でもある。 小学生の頃は苛められっ子でずっと図書室に通っていたとか。そこで読んだ「ツタンカーメン王のひみつ」が引き金になり、22歳で早大を卒業するとエジプトに渡った。勿論発掘をするためだ。だがエジプト政府からの許可は下りない。已む無く彼はイスラム教に改宗し、エジプト人の妻を娶ったとか。 ようやく発掘の許可が下り、これまで誰も手をつけなかった地区を掘り始める。皆は冷ややかだったが、マルカタ南の「魚の丘」からエジプト史上初めてとなる「彩色階段」を発掘。たちまちAP電によってスクープは世界に伝えられる。以降40年間で「クルナ村貴族墓」、「王家の谷・西谷遺跡」、「アプ・シール南遺跡」、「ダハシュール北遺跡」などの発掘を次々と手掛け、世界に早大調査隊の名を広めた。 彼の素晴らしい点は発掘品を自国に持ち帰らず、すべてエジプト政府に帰属させたことだ。これで信頼関係が築かれ、歴代の考古庁長官とも親しく付き合っている。また、人工衛星からの写真を発掘に生かしたり、レーダーによる探査技術を導入するなどの新たな手法を考案した。その成果がツタンカーメン王とアンケセナーメン王妃の対の指輪、セヌウの彩色木棺と青いミイラマスクの発掘につながり、第2の太陽の舟の存在確認に役立った。 全長50mもの巨大な第2の太陽の舟はまだ地下深く眠ったままだ。これを掘り上げるには巨額な資金と膨大な労力が必要なようで、彼の夢はまだまだ終わっていない。ピラミッド建設の労働者達が決して王の奴隷だったのではなく、パンやビールを与えられ給与ももらっていたことや、ナイル川が氾濫して農業に従事できない時期の労働だったことなどが、彼の発掘品によって確かめられたことを私はこれまでの「ふしぎ発見」で知った。 展示品はツタンカーメン王の遺品のようなまばゆいものではなかった。だが古代エジプトの息吹が十分伝わって来る貴重なものであり、エジプト政府が長年エジプト考古学界の発展に寄与した吉村博士のために、特に日本への貸し出しを許可したものばかりだった。いつもテレビではニコニコ顔の吉村作治さん。あんたは偉い。これからも頑張って発掘を続けてね。そして素晴らしい番組「ふしぎ発見」でその成果を私達に教えてね~♪
2007.06.10
コメント(2)
朝早く妻は家を出た。生憎の雨でタクシーを呼んだようだ。今日は筑波勤務時代の仲間がつくば市に集まるようだ。妻がつくば市で当時の仲間と会うのはおそらく23年ぶりだと思う。その前に新国立美術館で開催中の「モネ展」を観たいと言っていた。JRから地下鉄への乗り方を教えたが、果たして12時頃の「つくばエキスプレス」に無事間に合ったかどうか。 現在つくば市にいるのはKさんだけ。会計畑のご主人共々鳥取から筑波へ来た。そのままつくば市に家を建て、研究学園都市に残っている。Mさんは京都の出身でご主人は技術畑の人。筑波から課長職で関西に戻られ、現在は大阪に自宅がある。Yさんは私と同じ職場で奥様は仙台出身の方。ご主人とは東京で同じ職場だったが両方とも大学が仙台だったのが縁で結ばれたようだ。 夫が勤務する部局は違っていたが、宿舎は同じ地区だし子供達の年齢が近かったから、妻達は自然に仲良くなったのだろう。その後夫達は転勤で全国に散らばったが、妻達は連絡を取り合っていたようだ。筑波に行った当時は20代の若さだったが、いつの間にか妻達も60代になった。そして今頃は大騒ぎで23年ぶりの同窓会を楽しんでいる頃だろう。 妻を見送ってから私は古新聞を片付け、雨の合間に庭の草取りをした。だがたった30分の間にも蚊に刺された。もうこんなに蚊が出る季節になったのだ。妻から頼まれた用件を思い出した。愛犬のフィラリアの薬を獣医にもらいに行くことだ。フィラリアは蚊が媒介する犬の病気で、感染すると幼虫が心臓に達して死に至る重大な病気なのだ。 がめつくてあまり好きではない獣医ではあるが、わが愛犬が幼犬の頃からずっとお世話になっている病院だ。病室の中に入ると獣医も奥さんもやけに愛想が良くなった。きっと近所に新しい獣医が出来たせいだろう。1万円ちょっとを支払って検査を受け、薬をもらって帰る。いつもなら7か月分を買わされるのだが、今日は持ち合わせが無いと言って6か月分だけにした。その後花の苗(イソトマ)を買い、植木鉢のパンジーと入れ替える。 午後は久しぶりに走友会の練習会に赴く。来週の土曜日に開催される「エンジョグinみちのく」の説明資料を作ったので、お世話役のD夫人に手渡そうと思ったのだ。だが、集まったのは私を含めて3人。結局資料はM井さんに託した。M井さんもF田さんもエンジョグのお世話役をされる。その2人とゆりが丘に向かう。途中のコンビニでM井さんのおごりでアイス最中などをご馳走になる。そして急に思い立ってS女学院の裏から熊野那智神社に行くことにした。 山道はぬかるみ薄暗い。おまけに終盤には雨まで降って来た。M井さんのシューズは裏に風通し用の穴が開いてるらしく、水が漏って来たようだ。次第に心細さが募った頃、道は広がり神社が見えた。入口の旗を立てる柱に書いてある名前を見てビックリ。何とそれは従兄夫妻の名前だった。確かに従兄は名取市内に住んでいるが、まさか山中の神社に寄進の名が刻まれていたとは。 家に帰るともう6時を過ぎていた。慌てて体を洗い、愛犬と散歩に出掛ける。帰宅して夕食の準備をし、テレビを観ながら夕食。おかずはすべて冷蔵庫の中の余りもの。この際きれいに片づけるのも良い。だが、豆の煮物は傷んでいた。危ない危ない。夕食を終えて巨人対楽天戦のナイターを観たら、既に7対0の大差で負けている。昨夜は2対3の惜敗だったのに今夜も惨敗か。巨人は誰もが4番バッターで良いくらいのオーダー。余りある軍資金で強い選手を集めてるんだもの強いのは当たり前じゃないか。おっと、山崎が今日もホームランを打って何とか一矢報いたぞ。頑張れ~我らが楽天~っ!!!
2007.06.09
コメント(0)
5日(火)の夜、眠ったのは11時過ぎだった。朝早い私はいつもなら10時前には就寝し、早い時だと9時半くらいに眠ることもある。その夜は楽天対阪神の試合がフルキャスト球場であり、私はラジオを聴いていたのだ。楽天の先発は永井。逆転に逆転を重ねる好試合で、9回の裏に同点に追い着いた我が楽天だったが、そのまま延長戦に突入。ラジオ放送は11回表に阪神が1点取ったところで終わった。 その後の展開が気になったが何とか眠った。翌朝起きて朝刊を見ると、11回表に何と5点も取られていた。頼みの綱であるクローザーの福盛が滅多打ちされ、炎上したようだ。勝つチャンスもあった試合だったが、勿体無いことをした。悔しかったがその借りは6日(水)の試合で返すしかない。 幸いそのチケットを私は買っていた。5月23日(水)の田中が先発で10回裏ヤクルトにサヨナラ勝ちした試合後、レフト側の臨時発売場でたまたま売っていたのだ。ただし先発が誰になるかは分からず、全くの運任せだった。阪神戦は人気が高くて直ぐに売り切れ、当日券もわずかしか売らないから本当にラッキーだった。心配なのは雨。6日の夜は大気の状態が不安定で、雷雨があるとの予報だった。事実自転車で自宅を出発した頃から雨が降り出し、妻が呆れ顔をしていたほどだ。 先発は偶然にも田中だった。だが相変わらず制球が定まらず、1回の表に早くもランナー2人を出したが何とか0点に抑えた。その裏礒部がエラーで出塁した後、主砲山崎が難しい球を掬い上げてレフトスタンドに運んだ。田中にとってはまたとないプレゼント。その後も阪神の守備が乱れ続々と得点を重ねた。 レフトスタンドからホームベースまでは遠くて良く見えない。球の高さは分かるがコースまでは不明だ。田中はかなりの球数を投げた。嶋の要求で早めにスライダーを使い、決め球が無くなったようだ。だがこの日は楽天の打線が爆発。前夜延長で負けた悔しさを一気に晴らした。継投も上手く行って吉田が8回、9回を0点で抑え、2人のリレーで11対1の快勝だった。田中が勝ったのは5月2日(水)以来で、約1ヶ月ぶりの3勝目。ヒーローインタビューは目下2冠王の山崎と田中マー君の2人。20歳も歳が離れた2人が揃ってお立ち台に上がったのは、これで2度目のようだ。 フルスタではこの夜3回雨が降り、私はその都度クレムゾンレッドのポンチョを被った。雨に打たれながら、立ち上がって声を嗄らして応援した甲斐があった。疲れたがとても心地良く嬉しい疲れだ。応援は阪神も負けてなかった。ライト側の外野席と1塁側の内野席は阪神ファンで埋まり、物凄い応援の声がフルスタに響き渡った。熱狂的な虎キチが集まるあの阪神を、我らのマー君が破った。 球場から自宅に向かう夜道で、阪神のユニフォームを着てトボトボ歩いている夫婦を追い越した。私は声を上げて歌った。「ゴーゴーゴー イーグルス 杜の都の牛タンパワー スタミナ満点 止められない ワッショイワッショイ!」それは楽天が得点チャンスを迎えた時にだけ歌う応援歌なのだ。これで昨夜の借りは返したぞ~阪神め~っ! 夫婦がどんな顔をしてたかは分からない。 今年はオールスターの第2戦目が7月21日(土)、フルスタで開かれる。先発ピッチャーの部では田中が、DH部門では山崎が、そしてセカンドでは選手会長の高須が目下ファン投票の1位だ。高須は得点圏打率0.467でリーグ1位だし、山崎は打点とホームランで文句なしの2冠王。田中も防御率が4.34まで上がって来た。目下借金は1。オールスターまでさらに成績が上がることを願っている。さて、今夜の巨人戦はどうかな?
2007.06.08
コメント(3)
東京国立博物館東洋館の軒先にあった石棺が気になっている。明治期に破壊された一塚古墳から出土したものであることは分かったが、何故あんな所に「放置」されていたのだろう。答えは簡単。あの博物館にとっては、あまり重要な展示物じゃないからだ。限られたスペースの収蔵庫に入れるのさえ勿体無い石棺とは何だか哀れだ。 ざっと見たところ材質は軟らかそうで、凝灰岩で出来てるような感じだった。2方向に「取っ手」がついていたので、「長持ち型石棺」と言う形式のものだと思う。確かに細工は丁寧ではなかった。仙台平野に進出した豪族の片割れの墓だろう。ある資料を作る必要があって「図説宮城県の歴史」河出書房新社1988刊を見ていたら、古墳の名前は「長町一塚古墳」となっていた。また近くにあった二塚古墳は「長町二塚古墳」で、私の推察どおり前方後円墳であることがわかった。 権威ある国立の博物館があんな場所に石棺を「野ざらし」にするなんて、私にはとても信じられない。博物館にとっては学問的な価値が低い展示物の一つかも知れないが、あれは紛れも無く私達東北人の先祖の一人が眠っていた文化遺産だ。もっと丁寧に扱って欲しいし、出来れば仙台市博物館からでも返還願いを出して欲しいほどだ。墓は永遠に眠るための「施設」で、興味から暴かれる性質のものであってはならない。 「東京喜多マラソン」でも気になることがある。ゴール後にくれたリンゴとバナナとポカリスエットだ。あれを呉れるくらいなら、レースの最中にエードとして出して欲しかった。炎天下で走るランナーにとって、どれだけエネルギーになったか分からない。エントリー代金は5千円で水しか出ない大会は珍しい。私は要項を取り寄せた時に、余ったお金はラジオ体操連盟の活動資金になるのだろうと思ったくらいだ。 会長の挨拶の話だと、あの河川敷で大会を開くには国土交通省の許可が必要らしい。ゴミ収集車を河川敷に入れるのは許可されないと話していたが、同じあの河川敷を利用した「谷川真理ハーフマラソン」が好評なのは、運営やエードがしっかりしていることも原因だろう。他のレースで出来たことが、高いエントリー料の大会で出来ない理由はない。 朝はスタッフの人が大勢いた。だがレースが始まると、いつの間にか給水係の人しかいなくなった。たった1人炎天下で選手達への給水作業を黙々と続けるスタッフも気の毒だと感じた。ゴミが散らばるのを恐れるのであれば、江北橋下の本部前1か所だけでもリンゴやバナナやスポーツドリンクを出せるのではないだろうか。 帰路大宮に向かう車中から、旧岩渕水門が一瞬だが見えた。私は今日あそこを走ったのだと懐かしかった。これからも東京へ向かうバスの中から、荒川の河川敷を見ることがあるかも知れない。きっとその時は「東京喜多マラソン」のことを思い出すと思う。だが、私がこのマラソンへ出ることはもうないだろう。たった1回だけ走った暑いレースよ、永遠にさようなら。
2007.06.07
コメント(0)
<厳しい条件をどう走るか:後編> 2周目に入ると気温はますます上がって来た。日陰が全くない河川敷。手っ取り早く暑さを避ける術は、水を被ることくらいか。会長が朝の挨拶で「給水は何箇所かありますが、もし水が無くなったらゴメンなさい」なんて呑気なことを言っていたが、幸い水が無くなることはなかった。予報では24度Cとか言っていたが、それ以上はありそうな大変な暑さだ。 24km地点辺りの土手では太鼓の練習風景も。「下町人情太鼓」の名が刻まれた太鼓のリズミカルな音が耳に心地良い。2周目ともなるとさすがにコースも疎らになった。おまけに歩き出すランナーが目立つ。1周目では後からスタートしたハーフの部の元気な選手達に次々と抜かれた。彼らは既にゴールし、灼熱のコースに苦しんでいるのはフルの選手のみ。 堀切橋手前で2度目のUターン。30km地点辺りから1人の女子選手とバトルを繰り返す。私が抜くと彼女が抜き返し、それを私が再び追い抜く。年齢は30代後半か。ペースがほとんど変らないのはよほど練習を積んでるのだろう。「ここのASには食べ物がないね」と声を掛けると、「羊羹を持って来たの」と彼女。「俺はね、飴を5つほど」と私も答えを返す。つい先ほど、ポシェットから「バターボール」を取り出して舐めたばかりだ。 レース前には餡子がぎっしり入った大福を食べた。ペットボトルには最初ポカリスエットに「アスリートソルト」と「ウルトラパワーの塩」を加えたものを入れていた。2周目に入る前には「ヴァーム」の粉末と「ウルトラパワーの塩」をボトルに補給した。両方ともかなり濃い味だったが飲みにくいことはない。これだけ太陽に照り付けられ大量の発汗があると、水をガブガブ飲んで血液がかなり薄まる。塩分やミネラルの補給はとても重要なのだが、ど素人が運営しているこの大会では自分で気をつけるしかない。 江北橋に戻ると予想通りバナナは無かった。午後からスタートする10kmの部の選手達が集まっていたが、きっと彼らが食べたのだろう。飴を持った私や羊羹を持った彼女のように予め食べ物を準備していたランナーは良いが、今トボトボとコース上を歩いている人のほとんどはそこまで考えつかなかったのだと思う。 最後の北半分。彼女に「強いね」と言うと、「そうじゃないですよ」と言いつつも、どんどん遠ざかって行った。暑いが苦しさは感じない。暑さなら昨年8月に走った「奥武蔵」は36度だった。河川敷コースも気にならない。大阪「枚方ハーフ」のコースは淀川の河川敷だが、ここは川の水面すら見えずひたすら砂利道を走った。2回の周回も大阪「吹田中の島5時間走」に比べたら楽だ。あそこでは2.5kmの周回を20回も走った。深呼吸とフォームに気をつけながら最後まで気を抜かないで走る。 最後の折り返しに差し掛かっても彼女は帰って来ない。帰路を走っていたら彼女が北上するところに遭遇した。給水で休んでいたのだろう。残り3kmから「チャングム」のテーマソングを歌いながらラストスパートをかける。あっけに取られるランナーを尻目にひたすらゴールへ。タイムは4時間27分20秒で180位。シューズのチップを外し、その代わりに完走メダル、完走証、バナナ、リンゴ、スポーツドリンクを受け取る。 用意してあった濡れタオルで体を拭いて着替えし、もらったリンゴを丸齧りする。昨夜の残りの魚肉ソーセージもペロリといただき、スポーツドリンクも1本飲み干す。さらにバス停に向かう途中、日本茶を買い飲みまくる。相当に水分が失われたようだ。大宮駅ではトロロソバを汁ごといただき、さらに新幹線の車中でもサンドウィッチ、牛乳、バナナを食す。 こうして6月の予定レースである「東京喜多マラソン」は終わった。あまりレースらしくない大会だったが、前日は博物館で展示を観、ホテルに泊まるなど結構贅沢な旅になった。来月の「磐梯高原ウルトラマラソン」へ向けて、良い練習になったと信じている。<完>
2007.06.06
コメント(0)
<厳しい条件をどう走るか:前編> ホテルは赤羽駅の近く。チェックインすると記念品の中から何か選べと言う。ネット予約のお礼らしい。色んな場面に役立つと思い、小型のライトをもらう。夕食は大衆食堂でレバニラ炒め定食と餃子を食べた。帰路リカーショップでビール、酎ハイ、つまみを、コンビニでポテトサラダを買う。楽天が勝ったとニュースで聞き、スポーツニューを観たが、途中で眠くなった。 翌朝4時過ぎ起床。お握りと味噌汁の朝食がついてるが、7時からだと間に合わないと思いコンビニで弁当と味噌汁を買い、ポテトサラダと共に部屋で食べる。食後に血圧降下剤を服用。赤羽から王子駅まで京浜東北線で行き、そこから会場の江北橋まで歩く。案内だと2.5kmらしいが、結局4kmほどにもなったか約1時間かかった。暫くの間歩いているランナーに遭わなかったので、遠回りしたのだと思う。これも直観力を養う練習だと思えば良い。 江北橋の付近まで来た時、ようやく旗を持って迎えるスタッフの人がいた。橋の下の本部で受付を済ます。渡された大きな袋はガラガラで、中にはタオルが1枚だけ。想定内だったためさほど驚きはないが、それにしても淋しい内容だ。指定のテントで着替えし、開会式の後ラジオ体操第一と第二を全員で。主催者は北区ラジオ体操連盟なので、この時ばかりは力が入っていた。 会長の挨拶もルールの説明ものんびりしたものだった。ともかく皆の後について走れば何とかなるだろう。コースはまず荒川の河川敷を東南に向かい、扇大橋、西新井橋、千住新橋、つくばエキスプレス(常磐線、千代田線、東武日光線)の鉄橋を潜り、京成鉄橋と堀切橋の手前で折り返す。ここまでが約9km。 江北橋まで戻って来ると18km。ここからは河川敷を西北に向かい、五色桜大橋、鹿浜橋(環七)を過ぎてから土手に上がり新岩淵水門を渡って隅田川との分岐点を暫く行った所が第2の折り返し地点。江北橋まで戻ると21km余でちょうど半分になり、これをもう一度繰り返す。 道の左手に荒川江北橋緑地を見ながら走っていると、色んな団体がスポーツを楽しんでいる。少年野球、社会人の草野球、少年サッカー、大学生のラクロスなどだ。マラソンコースは自転車のツーリングでも賑わっているため、注意しないと接触しそうだ。最初の9kmは風もあり快調。クローバーの香りが風に混じり、実に爽やかな気分だ。 江北橋からコースを西北に向かうと、今度は右側に都民ゴルフ場が広がり、空き地では凧揚げやラジコンカーや模型のグライダーで遊んでいる人達が見られた。鹿浜橋から土手に上がると荒川と隅田川が良く見えて気持が良い。新岩渕水門の上にも給水所。そこを過ぎると両河川の分岐点に旧岩渕水門が見え、間もなく折り返し地点だ。 ハーフを終えた江北橋に初めてバナナが置いてあった。だが数が少ない。まだ青くて甘さの少ない小さなバナナの切片を、慌てて3個ほど口に入れる。この調子だと他で食べ物は出ないだろう。食べ物はおろか、この炎天下にスポーツドリンクも塩も置かれてない。きっと今日はランナーにとって過酷なレースになるだろう。私にはそんな予感があった。
2007.06.05
コメント(0)
<東京国立博物館にて> 東京八重洲通り往き高速バスの車中では、スポーツ新聞や「ランナーズ」を読んで寛いだせいか、1時間ほどまどろむことが出来た。これで2週間続いた残業や、日頃の寝不足や「いわて銀河」の疲れが解消したように感じた。幕の内弁当を食べ、終点の八重洲通りに着いたのは12時45分頃か。 上野駅で降り公園口から東京国立博物館に向かう。「レオナルド・ダ・ヴィンチ展」の入場券は1200円。入場までには30分ほど並ぶようだ。東洋館の前から本館まで長蛇の列。待ってる途中、東洋館の軒先に2つの石棺があるのを発見。一時的に列を抜けて見に行くと、そのうちの一つは何と仙台市太白区鹿野1丁目にあった「一塚古墳」出土との標識。 解説板には埃が被って字が読めない。この古墳跡は国道286号線沿いの長町中学校テニスコートの横にあることは前から知っていた。今朝自転車通勤の途中に解説文を読むと、6世紀頃の古墳とある。明治期に古墳は壊されたが、石棺には副葬品として鏡、玉類、耳環などが納められていたようだ。近くにはこれも明治期に壊された二塚古墳と言うのがあったようだ。こちらは名前から推察すると前方後円墳だったかも知れない。 ようやく本館内の特別室に入る。ここには彼の傑作の一つである「受胎告知」が飾れていた。何せ観覧客が多くて、なかなか絵の傍まで近づけない。近くへ行ってもじっとして観ている訳には行かず、とうとう押し出されてしまった。絵の大きさは縦が1m、横が2mほどのごく小さなものだ。寺院の一室に飾られていたようだが、元来右手前から見上げるような角度で観るように描かれているとか。つまり真正面から観ると、マリアの右手が異常に長く見えてしまうらしい。 これで終わるのでは勿体無いので2階に上り、縄文時代から古代にかけての美術品だけを急いで観て来た。ここはもう5、6回も観てるところだ。次に平成館に向かう。ここにはダ・ヴィンチが研究した各分野の成果が展示されている。イタリアルネッサンス時代に活躍したダ・ヴィンチは稀代の天才と言われ、画家、彫刻家、科学者、技術者、哲学者と色んな一面を持っていることで知られている。 彫刻家としてのダ・ヴィンチは、ある時高さが人間の8倍もある巨大な馬を鋳造しようとした。必要な工程を実現するため、まず工場建築計画を立案する。CGで再現された映像を見たが、余りのスケールとその緻密さに度肝を抜かれた。残念ながらこの計画はパトロンだった王の死によって実現は叶わなかった。 通常ヨーロッパ人の書体は左から右に綴られるが、彼の場合は右から左に、しかも裏表逆に綴る特殊な筆跡だ。また彼は飛行船、ヘリコプター、人力飛行機などを発明し、よりリアルな絵や彫刻を造るため、死者を解剖して人体の仕組みまで研究したことでも知られる。それらの研究は描かれた絵と特殊な書体とが奇跡的なくらいはっきりと残されている。私はかなり前のNHKの番組でそれらのことも知っていた。 今回博物館の構内で初めて見たものがある。その一つは「法隆寺宝物館」。ここには古代の豪族が自家の護身仏とした小型の仏像がたくさん収容されていた。2つ目は黒門。これは江戸時代の大名家の門で、後に東宮(皇太子の居所)の門として転用されたことがあるとか。そして3つ目が東洋館。前に博物館を訪れた際、この建物は既にあったが入館する暇が無かったようで、今回が初めての観覧だった。 インドインダス川流域の古代ギリシャの影響が残る仏像が特に秀逸だった。中国の青銅器文化には圧倒された。器の形ごとに特殊な漢字が存在すること自体、高度な文明の証だし、権力の凄まじさを実感できた。また磁器、陶器の上品さには言葉も出ない感じだ。朝鮮半島の古代文化には我が国の源流を感じられるものもあった。ともかく展示品の数の多さには驚かされた。いつか改めてゆっくり観覧したいものだ。結局東京国立博物館には4時間もいて、隣接する寛永寺へ寄る暇がなくなったのが残念だった。
2007.06.04
コメント(0)
<評判と考え方> 「東京喜多マラソン」の評判を「長野マラソン」で一緒だったランナーから聞いた。曰く。ラジオ体操連盟の主催なのでレースの運営が素人。曰く。料金が高い割につまらない等々。それは自分でも感じた。送られて来た大会要項を読んでのものだ。エントリー料が5千円なのに参加賞はタオルだけと書かれている。その大会要項そのものが、何度もコピーを繰り返して字が良く見えないのだ。これまで参加したレースでも、そんなぼやけた大会要項を送って来たところはない。 参加を止めたらどうか。私も一時はそう思い、東京の夢の島である24時間走へのエントリーを考えた時期もあった。だがその日は妻が旅行する予定が入り、愛犬の面倒を見るために私が留守番をすることになった。大体にして6月は参加するような大会が少ない月だ。私が今年の目標として掲げた「毎月フルかウルトラに出場し完走すること」を諦めたら簡単なのだが、その実現のためには「そこ」へ行くしかなかった。 評判も良くないし、受けた印象も悪い。そんな大会だが何か取り得はあるだろう。第一そうじゃないと走っていても面白くない。5月は「いわて銀河」で100kmを走る。6月はその2週間後のレースで、疲れがどれだけ抜けているかが心配だ。いつもなら夜行バスで東京へ行き、そのままレースに参加するケースだ。だがたまには前泊して少しでも良い体調で臨もう。そう考えて2ヶ月前にはネットでホテルを予約した。 42kmなら練習でも走れる。今回はさほど気の進まないレースに出るために、エントリー料5000円、長距離バス3800円、宿泊費7200円、帰りの新幹線9900円、雑費4100円、合計3万円も費やすのは勿体無い気もするが、贅沢な練習をすると考えを変えれば良いんじゃないか。そうそうこの際どこか美術館でも観よう。前日ネットで調べたら、東京国立博物館で「レオナルド・ダ・ヴィンチ展」が開催中だと分かった。時間があれば近所の「国立科学博物館」にも寄ろうか。そう考えると楽しみが少しだけ増えた。 問題はやはり天候だろう。1週間も前から東京の天気予報を見ていた。当日は曇りで23度と言うのが前々日の予報だった。だが気温はもっと上がる可能性がある。ランパン、ランシャツは当然として、帽子にサングラスも欠かせないだろう。それにアスリートソルト、ウルトラパワーの塩、ヴァーム粉末1袋、飴玉5個を用意した。それだけ慎重だったのに、何故かテーピング用のテープも摺れ止め用のスプレーも持たなかった。今回は(も?)完走が目的なので、ゆっくり走れば良いと考えていたのだと思う。
2007.06.03
コメント(0)
近所を流れている小川の畔にエゴの花が咲き出した。白くて星のような形をした花だ。木の高さはさほどでもないのに、こんもりと茂る様子はいささか陰鬱でもある。河川敷には毎年「苦菜」の花が咲き、今はそれが菜種になっている。5月の連休の頃は、毎年この蕾を摘んでお浸しにする。少し苦いけど私達夫婦は案外好きだ。 曲がりくねった土手の奥にはフキの群落がある。ここのは大きい割に柔らかい。筍などと一緒に煮ると立派な献立の一品になる。その手前のサクランボの木には毎年数千もの可愛らしい実がたわわに実る。それがようやく色づいたと思った途端、ほとんど一日で食べ尽くされるのが不思議。犯人はヒヨドリだ。私も一度摘んで食べたが、小さいけどちゃんとサクランボの味がした。そのサクランボの枝がここ数日前から茶色に枯れている。護岸工事の人が出入りしてるせいかも知れないが、正確な原因は分からない。枯れた枝は数本なので、きっと鳥達の食べる分は残るだろう。 夕方愛犬との散歩を兼ねて買い物へ行った帰り、ある家の軒先から賑やかな声が聞こえて来た。見ると巣の中から数羽の雛が必死に嘴を伸ばしている。ツバメの親が餌を与えようとしているところだ。バス停の前の美容室にはたくさんのツバメの巣があった。それが昨年のある日、改装のために巣は壊された。確かここの巣は昨年から見かけたので、ひょっとしたらこちらへ引っ越したのかも知れない。小川の傍なら虫も多く、巣の材料になる泥や土もある。ツバメのためにはその方が良かったのだと思いたい。 さて我が家では、つい最近新しい冷蔵庫を買った。届けてくれたのは近所の電気屋さん。量販店の方が安いのは知ってるが、近所の店だと簡単な修理は只でしてくれるのでとても助かる。その電気屋さん曰く。この辺にはカモシカやハクビシンやタヌキがいると。カモシカ、ハクビシンは私も道路端で見た。タヌキはゴミ置き場から袋ごと持ち去り、離れた場所で食べる習性があるとのこと。散歩の時に良くキジの鳴声も耳にする。ごく近くに豊かな自然が残っているのはとても嬉しい。色んな生物達の生き様を身近に見られるからだ。 庭のドウダン、アヤメ、マーガレット、セキチクなどが咲き出した。また今日の午後は、垣根に吊るした植木鉢の花をパンジーからペチュニアに入れ替えた。移植した余分なトウモロコシの苗は昨夜の雨で根付いたようだ。そして昨年咲かなかったシャラが、今年は幾つもの花芽を持っている。どうやら今年は花が見られそうだ。 私は明日の朝早くバスに乗る。明後日「東京喜多マラソン」を走るためだ。天気予報ではレース当日の日曜日は24度Cになるみたい。仙台なら夏に近い気温だ。さて、今回はどんな風に走ろうか。それが目下の最大の問題だ。
2007.06.01
コメント(0)
第1現場の制服を持ち帰りました。明日から6月。いよいよ夏服への衣替えです。冬用の制服は重たくて、蒸し暑くて、広いベルトを締めているためかとても窮屈でした。大汗かきの私にとって、あの鬱陶しさから解放される喜びは大変なものです。帽子も涼やかな色に変るだけでなく、実際にとても涼しくて助かります。 さて、これまで私が借りていた「さるさる日記」から、つい最近楽天のブログに変えました。理由は前の日記が何の予告なしに3日間も使えなくなったためです。焦りましたねえ。何しろ私は書くことに命を懸けているところがあって、自分の意思と異なって突然書けなくなるのは困るんです。もっとも書くと言う行為に苦しむこともありますが。 使用不能になって少し調べたら、「さるさる」には幾つかの「禁止事項」があり、それに違反したら警告なしに削除すると書かれていました。他の人の日記はちゃんと見ることが出来たので、私はてっきり削除されたと思い込んでいたのです。再利用申請のメールも跳ね返されましたしね。ところが知人が調べてくれたら、実態は私の日記を維持しているサーバーだけが故障したようです。 復活はしましたが、使わないことを決めました。これからもそんなことが始終起きても困りますから。パソコン初心者にとって一番困るのは不安定な運用です。毎日ちゃんと動いてくれないと日記は書けないでしょ。楽天の方にはいろんな機能がついてます。ブログも初心者から上級者まで、さまざまなレベルに応じて編集することが出来るようです。残念ながら現段階では十分に使えこなせていません。雲峰師匠から字が小さいので前の方が良かったと書き込みがあって、何とかならないかといじって見た結果が今の状態なんですよ。ゴメンなさいね~師匠。字は大きくならなかったけど、デザインはすっきりして見易くなったと思うんだけど。 話は変って昨夜の楽天は強かったですねえ。9回表1アウトからの逆転劇でした。これで借金ゼロ。すっきりした気分ですなあ。わはは。それと白鵬の横綱昇進も爽やかで良かったですね。「精神一到」なんて今時の若者は言わないですよ。それがモンゴル出身の青年が良い言葉だと感じるなんて素晴らしいじゃないですか。 モンゴルでは引退した旭鷲山が人気があるようですね。何しろモンゴル人で最初に大相撲に入った人ですから。国に帰ったら国会議員になるなんて噂もあるほど、有名人でかつ実力者らしいです。朝青龍に比べて白鵬の人気は今一みたいですよ。その理由は白鵬が日本人と結婚したからなんだって。やはりモンゴル人にとっては朝青龍のようにモンゴル人の奥さんの方が良かったんでしょうね。でも2人の取組になるとテレビの視聴率は97%にも跳ね上がるって言うからモンゴルの英雄なんでしょう。 あれは誰でしたっけ、丸の内でストリート陸上をやった人。為末?テレビのクイズ番組で獲得した賞金をあのイベントに使って陸上競技に関心を持ってもらおうなんて企画、良いですねえ。爽やかですねえ。これから梅雨も近くなるでしょう。話題だけでも爽やかな方が良いなあ。
2007.05.31
コメント(0)
いや~とっても疲れました。ええ、疲れの原因は分かっています。まず「いわて銀河」で100km走った翌日から残業が始まったことです。先週は30分でしたが、今週から1時間30分に延びました。何だそれくらいかですって?爺がやってる残業ってのは肉体労働でね。中には30kgほどのダンボールを高さ1.5mの台の上まで持ち上げたり、40kgにもなるビニール袋を4段に重ねたりもするんです。 昨年は夏にこの作業をしたんですが、上は半袖Tシャツ下は半ズボンでも汗でビショビショ。午前と午後でタオルハンカチやTシャツを替えるくらいの大仕事なんですよ。9月の「佐渡島1周」211kmの前にあの重労働は辛かったなあ。今年は早めに始めたので少しは楽ですが、他の現場で椅子に腰を掛けると眠気が襲うのには参ります。 2つ目の原因は建築業者との打ち合わせがあったことかな。家を建ててから10年目の点検をしてもらったんですけど、屋根と壁を塗り直す必要があるようです。時期は夏から秋にかけてになるみたい。10年の保障期間内で見つかったひび割れの工事もつい先日終わりました。これからまとまったお金が要るけど、そっちの心配は我が家の財務大臣に任せておきましょう。 3つ目の原因は楽天の応援かな。先週は水曜日のヤクルト戦を観に行きました。先発の田中が打ち込まれ、早々に交代しましたが10回裏にサヨナラ勝ちをしました。球場から帰って来たのが11時近く。これで完全な寝不足になりましたねえ。 土曜日の巨人戦は1対4で負け。先発は青山でしたが、これも観に行きました。巨人の戦力は凄いですね。ビッグネームがずらりと揃って、それだけで名前負けしそうです。4月に観た巨人対横浜戦の時よりずっと強くなっていました。あの頃の横浜は勢いがあったんですよね。 何が疲れるのかと言うと、私は最近レフト側の外野自由席ばかりです。ここは楽天の応援団が陣取っていて、楽天の攻撃中は立って応援するのが普通なんですよ。選手1人1人違った応援歌と応援フォームがあるんですよね。シートが安く、しかも面白いのは良いのですが、この応援でかなりのエネルギーが失われます。爺にはちと過酷かな?(笑) さて4つ目は長男が要らなくなって送って来た地デジ対応テレビ。これで観られるチャンネルが増え、多少は寝不足の原因になってるかも知れませんねえ。5つ目は・・。なになに~っ、もうそんなこと聞きたくないって~っ?ずいぶん長くなりましたからねえ。その話は明日にしましょ。さて、今夜の対中日戦ですが、先発予定の田中マー君の調子はどうだろうねえ?
2007.05.30
コメント(0)
<その後の走友達> スタッフの人と一緒に万歳三唱した後、完走証と食べ物飲み物の引換券などをもらう。参加賞は半袖のフィニッシャーTシャツ。今回は紺とグレーの混じったしゃれたもの。デザインもグーでこれなら普段着にしても良い。体育館で預けた荷物を受け取る途中、秋田娘と遭遇。 「どうも済みません。一人で走って」。と謝る彼女に「そんなことないよ」。と答えて握手。余力のある人がラストスパートするのは当たり前のことだ。最後まで頑張るなんて気持が良いじゃないか。来年もまた出遭って成長振りを見たいものだ。アーリーエントリーの返金2千円もしっかりと頂く。うふふ。これでお土産を買えるぞ。 シャワーを浴びて着替えを済ませ、M井さんに教えてもらった畳の敷いてある部屋へ行くとY田さんがいた。どうやら86km過ぎの関門に捕まったみたい。30km辺りで風のように追い抜いて行った塩竃のK村女史も同じ所から収容バスに乗った由。う~ん残念。今年もリベンジ成らずか。 少し離れた所に北海道のオバサン3人組がいた。首にレイをした人に「悪かったね」と言うと、「いや~、楽しかったねえ」との返事。結局義理の姉妹達は12時間半近いタイムで、ほぼ同時にゴールしたみたい。一番若そうに見える女性が10時間台でゴールしたと話していたのにはビックリ。相当の実力者のようで、後で調べたらURC所属となっていた。 体調が落ち着いたのでテント村に行く。塩竃のO笠原さんが「ビール2杯飲んだら」と言って飲み物券をくれた。2杯目に挑戦してみたが、やはり胃が受け付けない。だがソバを2杯とホタテ貝を食べ、お握りは盛岡行きのバスの中で食べた。12時間02分で走った去年はホタテ貝しか食べられなかったのに、今年は低温とアスリートソルトのお蔭で快調だ。 膝痛で苦しんでいたD口さんも見事完走。終始取材に付き合ったS木さんも気力でゴールし、出迎えていた奥様と感激の再会を果たされた由。M仙人は10時間台での堂々たるゴール。O川さんY川さんも好タイムでゴールされたようだし、後半レースを共にしたM井さんも元気にゴールされた。 仙台明走会のM井会長からは、50kmの部初出場のノリピーさんが見事完走されたと聞いた。何とかあの坂を下ったようだ。また同会のN田さんは100kmの部で7位入賞、女子では確かT中さんが2位、年代別で1位になったと聞いた。宮城UMCの仲間として心から快挙を讃えたい。 盛岡から乗った新幹線では、牛乳を飲み笹かまぼこを食べた。仙台駅では野菜ジュースを飲んだ。少しでも体力の回復を図るためだ。家に着くと愛犬が猛烈に尻尾を振って出迎えてくれた。この日は妻が鳥海山へ泊り込みで絵を描きに行き、愛犬が留守番をしてくれていたのだ。荷物を玄関に置き、彼と夜の道へ散歩に出かけた。 後日、イーグルスさんがBBSへ書き込みをしてくれ、彼が練習量が少ないと話していたのは月間の走行距離が300kmにまでは達してないと言う意味だったことや、レースに備えて坂道でのトレーニングを積んでいたことも知った。道理で12時間を切るタイムでゴール出来た訳だ。 ノリピーさんからは写真と手紙が送られて来た。坂道の途中での私の助言は、彼女にとって最も適切なアドバイスだったようだ。何か役立ったことは嬉しいが、心配なのは彼女が足首を捻挫したこと。幸い軽いようだが油断は禁物。捻挫は癖になるし、良く治さないで走ると危険なのだ。50kmの旅を経験して、彼女のランニングライフにも新たな1ページが加わったことだろう。 私はゴール時の写真を注文した。年甲斐も無くクレムゾンレッドのユニフォームを着た老人が歓喜に溢れ両手を挙げている。楽天のマー君と走った今回の「いわて銀河」の良い思い出になると思う。その代わり完走メダルはその日のうちに捨て、完走証やプログラムは完走記を書き終えてから捨てた。今年は今年、そして来年はまた新しい出会いがあるだろう。思い出は自分の心の中にそっとしまっておくだけで良い。<完>
2007.05.29
コメント(0)
<ゴールは岩手山> ここまで来てようやく空が晴れ、気温が17度ほどまで上がって来たような気がする。手袋を外しポシェットにしまう。それにしても寒い一日だった。M井さんに追い着き併走。「去年抜かれたのはこの辺でしたっけ?」彼が尋ねる。「いや、けんじワールド手前の坂じゃないかな」。「今年はロングスパートしないんですか?」。「再来週にフルを走るんで今日は無理しない。まあ完走出来れば良いからね」。 90.7km地点の第19ASが5つ目の関門。午後の3時半までに通過できないとアウトだが十分に余裕がある。コースが山間からやっと人里まで出た感じ。M井さんの計算だとkm8分のペースでも十分にゴール出来る由。 95.8km地点が最後の第20AS。ここでM井さんが先行し、私と秋田娘が追いかける。秋田娘は大館の人で県外のレースは今回が初めてとか。「秋田内陸」でゴールする友人を見て感激し、自分も走り始めた由。1年後には「秋田内陸」の舞台に立っていたとのこと。やはり100kmものレースには、人の心を打つ「何か」が潜んでいるのだろう。 暑さと共に体から発散する汗の臭いが気になるようになった。マー君のユニフォームは11時間分以上の汗を吸い込んで、今や自分でも感じるほどの臭いだ。各ASで飲んだスポーツドリンクやペットボトルのヴ○ーム水溶液の匂いも混じっていると思う。自分は仕方ないとして、併走する秋田娘が気の毒だ。気休めに全国を走った話や、孫の話を聞かせる。そしてゴールには岩手山の雄姿が見えることも。 「最後の急坂。あと1.7km」と地元の団体が書いた標識。陸橋の下を田沢湖線(秋田新幹線)が通っているようだが良く見えない。いつの間にかスパートした秋田娘をM井さんが追走。私も必死に追うが差は広がる一方になった。それでも雫石総合運動公園の入口で数人を抜き、ゴールへ飛び込む。岩手山に迎えられ、12時間17分43秒の旅は終わった。
2007.05.28
コメント(0)
<ゴールへの死闘> 結局ノリピーさんに追い着いたのは80km辺りから始まる下り坂の途中だった。懸命に力走する彼女の後姿は足が流れている感じ。走り始めて間もない彼女には、まだ50kmもの長距離を楽に走り抜くための筋肉が十分に出来ていないようだ。昨年12月のNAHAで初めてフルマラソンを完走したばかりの彼女にとって、この下りはかなり辛いはずだ。 追い抜きざま彼女に声を掛ける。「ノリピ~っ、姿勢に注意して。そして時々深呼吸。そうじゃないと酸素が血液に乗って全身に行かないよ。そして下り坂は慎重にね!」極めて抽象的なアドバイスだが、彼女に意図が伝わったかどうか。 それから間もなく2人並んでいるランナーが目の前に。オレンジの帽子は仲間のはず。腰に黄色いウインドブレーカーを巻きつけたのはD口さんみたい。何時の間に抜かれたのか記憶がないが、きっとASで休んでいた時だろう。膝痛と戦いながらの前進はさすがだ。手を挙げて前へ出る。 さらに下ると今度はM井さんが目の前に。「D口さんがいたよ」と言うと、ビックリしている。彼はノリピーさんのことは認識していたが、不思議なことにD口さんを抜いた実感はなかったようだ。まあこんなことは長い距離を走るウルトラでは良くあることだ。 坂を下り切った辺りで歩いているS木さんに遭遇。今朝彼とスタート前に会った時は、どこかの放送に取材されていた。何でも彼が大会本部に寄せたメッセージに興味を抱いたマスコミが、番組を作りたいと考えたのがことの真相のようだ。そう言えばコースの要所要所でカメラが待ち構えていた。100kmもの道のりを追っかけられるなんて、きっと大変だと思う。 「リタイヤしても絵になると思うけどね」。私の言葉にM井さんは答えた。「S木さんはリタイヤする人じゃないですよ」。私よりもS木さんとの付き合いが長いM井さんの方が、彼の気質を良く理解しているようだ。86.3km地点のASに到着。ここは4つ目の関門だが、制限まではまだ相当時間がある。 ここに北海道のオバサングループの1人がいた。首に花のレイを掛けた人だ。「何だかフラフラするの。ゴールまで一緒に行って」。彼女にとって深刻な状態だったのかも知れないが、私もゴールまで連れて行く自信はない。「血糖値が下がったんじゃないのかな」。「きっとそうかも知れない」。私は彼女を見捨てて別な女子ランナーとスタートした。M井さんに「一緒に連れて来て」と言われた若い人だった。
2007.05.27
コメント(0)
全445件 (445件中 401-445件目)