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このイラストはよく見かけますのでご存知の方も多いでしょう。初めて見る方にお尋ねします。後から見た若い女性に見えますか。それとも物悲しい表情のお婆さんに見えますか。私は最初若い女性に見えました。お婆さんに見えるなんて、目が悪いのではないかと思いました。お婆さんに見えるという人の説明を聞いて、「そういえばお婆さんに見える」と納得できました。若い女性のあごにあたる部分が、お婆さんの鼻にあたります。若い女性のネックレスがお婆さんの口にあたります。これは事実の見方に問題提起をしていると思います。いったん「こうだ。間違いない」と思ったり考えたりすると、他の事実は見えなくなってしまう。そして、自分が決めつけた見方に固執してしまう。他を排除するようになる。それが昂じると喧々諤々言い争いが始まります。宗教戦争なんでそうですね。私たちは、森田理論学習によって事実は軽々しく扱ってはいけないと学びました。先入観や決めつけで事実を見誤って行動するととんでもない方向に進んでしまいます。できるだけ事実に近づくことができれば、仮に方向性が間違っていても被害は最小限で済みます。また、一つの考え方に固執しなくなりますので、柔軟性が出てきます。人間関係の軋轢から逃れることができます。そのためには、自分の考え方に反発する人や異議を挟む人は、貴重な存在です。自分の固執した考え方を見直す機会を提供してくれているからです。反発したくなるでしょうが、まず相手の考え方をよく聞いて理解することです。そしてその違いを把握するように努めることです。つぎにその溝を埋めることができないか考えてみることです。そのためには、自分の気持ちや考え方を相手に伝えなければなりません。冷静に話し合いをしていけば、もう一段階高い新しい考え方ができるようになります。別の考え方を加味して新たなステージに立つことができるのです。途中で喧嘩になりそうなときは、しばらく冷却期間をおいて、論点を整理して話し合うとよいでしょう。なかには自分のことを毛嫌いして、反対のための反対意見を述べている人もいるかもしれません。そういう人は少し話を聞いただけですぐに分かります。自分の意見というものがないのです。そういう人とはすぐに距離をとるようにしましょう。
2019.11.30
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今日はテレビでよく見かけるお笑いタレントのジェイソン・ディヴィッド・ダニエルさんを紹介したい。さわやかで風刺の効いた面白いことを言う人だ。彼はアメリカミシガン州出身だ。秀才で17歳でミシガン大学に飛び級で進学。その後イリノイ大学大学院を卒業している。2005年に訪日し日本に1年間滞在。旭化成で音声認識のソフトの開発の仕事をした。その時に「エンタの神様」の面白さにはまったのが、芸能界に入るきっかけとなった。2015年R-1グランプリで決勝戦進出、2016年2年連続R-1グランプリファイナリストに残った。さわやかで、親しみのある外国人タレントとしてとても好感が持てる。現在はワタナベエンターテイメント所属。外国人から見た日本や日本人への疑問をネタにしている。例えば、日本人はお祝いなどがあると、水引きなどで結びを大切にしているのに、サラリーマンが酔っぱらうと頭にネクタイを結ぶのはなぜか。消防団が出初式で梯子乗りを披露するとき、どうして逆立ちをするのか。などなど。ネタは主に電車の中で作っているという。彼は、お笑い芸人のほか、ベンチャー企業の役員もしている。お笑い芸人をしながら、畑の違う会社の役員をしているというのは大変珍しい。社業はお笑い芸人の仕事のため、半休をとったり、取締役会を途中で抜けたりもしている。「本業は何」と聞かれるけど、その言葉自体がおかしいという。これは仕事=人間という先入観、軽蔑の言葉であるという。お笑いもベンチャー企業の仕事もすべてが本業であるという。「僕は人間・ジェイソン・すべてが本業」と言い放つ。オリンピックで金メダルを獲る確率は1000万人に1人であるという。もし金メダルを獲れれば、有名な日本人として取り扱われることになる。ほとんどの人にとっては、宝くじに当たるような確率でしかない。ジェイソン氏を見ていると、一つの道で有名人になることはほとんど不可能だ。だったら、100人に1人になることを目指したらどうだろうか。これも確かに難しいことではある。でも可能性としては身近なものになる。そして次にそれを3つ身につける目標を立てて努力してみる。それが仮に目標に近づくと相乗効果が出てくる。つまりそれらを掛け合わせると100万分の1のレアな人間として認知されるようになるということだ。在日外国人である。日本語が堪能。もちろん英語も堪能。日本語と英語の同時通訳。翻訳ソフトとの開発技術者兼役員。日本と日本人を風刺したお笑い芸人。これがジェイソンさんのスタイルだ。これらは、それぞれの分野では得意の人はいくらでもいる。ところがすべてを組み合わせるとシナジー効果を生みだしているのである。神経質者の中には、他人から評価されたいという欲望の強い人がいる。そういう人は、ジェイソンさんの考えを参考にして、行動してみてはどうだろうか。最低3つの分野である程度の成果が出せるようになると、面白い人、変わった能力の持ち主として評価されるようになると思う。すると自信が生まれてくる。さらにやる気や意欲が高まっていく。
2019.11.29
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数年前に韓国で旅客船が沈没して多くの若者が亡くなるという痛ましい事件がありました。この時は、沈没する船から一目散に海に飛び込んだ人が助かりました。一方、「慌てて動かないでください。船内でそのままお待ちください」という船内放送に従った人は残念なことに命を落としました。亡くなった人たちは、危機一髪にもかかわらず、船内放送を信用したのです。最初のうちは少しの傾きで収まるのではないか。何とかなるはずだ。船長をはじめ乗組員が適切な処置をしてくれるはずだ。たとえ危険な事態になっても命を守ってくれるに違いないと思っていたのです。まさか大型客船が沈没するとは夢にも思わなかったのです。そのうち船室に徐々に海水が入りこみ、パニックになった時点でもうなすすべはなくなっていたのです。最初の時点で危機感がなく、何とかなるだろうという楽観的な考え方が命取りになりました。自分の命を守るという感性が湧いてこなかったのではないでしょうか。この事件から学ぶことは、自分の命にかかわるような出来事に遭遇したときは、即座に危険を察知する感性を普段から鍛えておくことが大事だということです。そして、そのような事態に直面したとき、自分の命を守るために、躊躇することなく、勇気を持って危険回避の行動をとることです。今日は最初の問題について考えてみたいと思います。感性は鋭い人と鈍い人がいます。神経質者はもともと鋭い感性の持ち主が多いと思います。普通の人が気がつかないようなことにどんどん気がつくというのが、神経質者の特徴です。集談会に来る人で、私は感性が鈍いと公言する人がいます。それは症状に注意や意識を集中しているために、感性が鈍いように見えるだけのことです。神経質者は、元々鋭い感性を持っているのです。それが他の人と差別化できる長所なのです。それは高性能のレーダーや高性能のソナー(魚群探知機)を標準装備しているようなものです。これを大いに活用しようではありませんか。問題は普段から操作方法を訓練して使えるようになっているかどうかということです。危険を察知する感性は普段から鍛えていないと、とっさに働いてくれないと思います。そのために心がけることは、緊張感を持って生活しているかどうかにかかっています。昼間起きているときは、精神緊張状態を維持しているかどうかです。森田理論でいう「無所住心」の生活態度のことです。森田先生の話の中に、騒音のない静かな山奥に行けば、勉強に集中できるだろうと考えるのは軽率だ。そういう刺激のないところでは、神経が弛緩状態に陥って、かえって勉強がはかどらない。街中でいろんな騒音で神経が緊張状態にあるときの方が、勉強がはかどるものだといわれています。神経が緊張状態にあると、鋭い感性がどんどん高まり、気づき、工夫、アイデアなどが昏々と泉のように湧き出てくるのです。集談会や会社でも、素晴らしいアイデアを出してくれる人は、生活自体が活性化している人です。俳句や短歌などでもいいものを作りたいと考えているだけでは、決して斬新なものは出てきません。普段、生き生きと生活して、次から次へとやるべきことを抱えている人が、精神が緊張して新しいこと、面白いことをはっと思いつくようになっているのです。緊張感を持って日々生活している人は、生命の危険に遭遇しても、感性がきちんと働いてくれるものと信じています。
2019.11.28
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ジョン・グレイの著書「ベスト・パートナーになるために」(三笠書房)にこんな寓話があります。男性は火星人、女性は金星人でした。ある日、男性が望遠鏡を覗いていたら美しい女性の姿が目にとまります。彼は思い切って声をかけました。思いがけずデートに応じた彼女とその後もデートを繰り返すようになります。この頃、二人はお互いの考え方、感じ方に自分とは異なるものがあるのに気づきます。それはすぐには受け入れることのできないものですが、それでも二人は相手は異邦人なのだから、そんなことがあって当然、と許し合ことができました。やがて惑星空間でのデートにも飽き、そろそろ落ち着きたいと考えた男性は女性にプロポーズし、めでたく結婚して地球に新居を構えます。子供が生まれます。実はこの頃から二人のコミュニケーションはギクシャクし始めます。生まれた子供は地球人です。そして自分たちも地球人だと思い始めるようになりました。するとそれまで相手の考え方、感じ方に違和感があっても、相手は自分と違う異邦人だからと許せていたのに、同じ地球人なのになぜ同じように考えないのだろう、感じないのだろう、許せない、ということになるのです。始めは分からなくて当然と思っていて、分からないことを前提に逆にわかろうとする努力をしていたはずなのに・・・。(アドラー心理学入門 岸見一郎 ベスト新書 170ページより引用)人間は百人百様で、生育環境、性格、ものの考え方、欲望、経験、行動様式が違います。そういう人間が自分の気持ちや考え方を述べ合えば、一致しないのは容易に想像できます。そういう前提に立って、相手と付き合っているかというとはなはだ疑問です。最初から相手の話を聞くという謙虚な気持ちになりません。暴力に訴えてでも、自分の考え方に同調させたいと考えがちになります。相手は戦う相手であり、一旦その戦いに負けてしまえば、以後すべて相手の言いなりにならなければならないという恐怖心から来るものと思います。相手に思うがままにコントロールされることは、心身共に地獄の苦しみを味わうことにことになります。自由を奪われて、服従させられることはなんとしても避けたいという気持ちがとても強いのです。こうなりますと人間関係は対立的、防衛的、逃避的になります。本当は仲間として受け入れてもらいたい、他人から評価してもらいたいと渇望しているにもかかわらず、実際にはそれと反対のことをしているのです。これを解消するためには、相手とは生育環境、性格、ものの考え方、欲望、経験、行動様式が違うのが当たり前という前提に立って付き合うことが大切になります。その立場に立つことは、森田理論学習では「事実本位」の生活態度というのです。そういう立場に立つと、まず相手の気持ちや意見、考え方をよく聞くようになります。そして自分の気持ちや考え方との違いをはっきりさせて、その間に横たわる溝を理解しようとします。ここが人間関係ではポイントとなります。その次には自分の気持ちや考え方を相手に説明することになります。その気持ちや考え方を抑圧してはなりません。そうすれば相手の言いなりになるばかりです。またそれらを相手に押し付けることでもありません。相手とのギャップを相手に分かってもらうことに力を入れることです。相手とあくまでも対等な人間関係作りを目指すことです。あとは双方による話し合いです。譲ったり譲られたいという駆け引きに持ち込むことです。貸しを作ったり、借りを作ったりする付き合いが普通の人間関係と心得ておくことです。これが、ストレスの少ない人間関係作りのコツとなります。
2019.11.27
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ローマ教皇が11月23から日本を訪問された。24日には被爆地長崎と広島を訪問されて犠牲者に祈りをささげられた。そして世界に向かって核廃絶を訴えられた。核兵器のない社会の実現は全人類の願いであろう。ところが現実問題としては、アメリカやロシアなどを初めとして何万発の核兵器が存在している。また、新興国で核開発を急いでいる国もある。さらに反社会的勢力が核兵器開発を進める危険性も今後ますます増加する。もしそうなれば人類の滅亡は、にわかに現実のものとなる。現在核兵器は、外交の強力な後ろ盾としてその存在感を誇示している。核兵器を持たないで、国益をかけて他国と交渉するということは、核を持っている国に容易に服従させられてしまう。ですから世界各国で必要悪として核兵器を持つという選択となる。持たない国は、核兵器を持つ国の同盟国となり、相当の負担覚悟で、庇護してもらう選択肢しかない。唯一の被爆国である日本はまさにその道を歩んでいる。核兵器のない社会の実現は全人類の願いであるにもかかわらず、それを声高に訴えれば訴えるほどむなしくなってくる。それは世界を支配している国々の支配者にとっては、まったく考えてもいないことだからである。もし核兵器を放棄すれば、たちまち力の均衡が崩れて他国に支配されてしまうという危機感があるからである。ですからこのままでは永遠に核兵器廃絶の時代はやってこないと考える。むしろ世界のどこかで核兵器が使用されて、悲惨な状況を招く可能性が非常に高まっている。私はこの問題を考えるにあたっては、人間や社会や大国の果てしない過度の欲望の追及が抑止されない限りよい方向には向かわないと思う。歴史的に見ても、一人一人の人間、社会集団、国同士はいつの時代でも自己中心、エゴのむき出しであった。力の均衡が崩れれば、そのすきを見て、武力や経済力を背景にして、他人や他の集団、他国を攻撃して征服してきた。征服された人たちは、多くのものを収奪されて悲惨な生活を押し付けられてきた。自己中心の考え方は、人間に宿命づけられているのでどうすることもできないのだと思う。ではどうすればよいのか。子孫たちに喜んでもらえる社会を残していくために、私たちが取り組むことは何なのか。それは森田理論の中にこそあると確信している。森田理論でも、真っ先に自分の欲望を追求していくことが大切であるという。現在の自分や社会や国が抱えた問題や課題を解決するために行動することは、人間が生きている証でもある。ただし、そのような欲望を持つということは、同時に不安も発生する。普通はこれが抑止力となって欲望の暴走はくいとめられるようになっているのである。森田理論でいう精神拮抗作用が自然発動するのが人間の普通の状態である。ただ現在の社会は欲望に弾みがつきすぎて、抑止力が全く働かない状態になっている。坂道でブレーキの壊れた車を運転し、さらにアクセルを思い切り踏み込んでいるような状態である。核兵器廃絶は各国の指導者、多国籍企業の指導者に声高に訴えたとしてもほとんど効果はないと思う。環境破壊に対してもさえもその訴えはほとんど実現不可能の状態である。別の道を模索したほうがよいと思う。私は、全人類が森田理論の「欲望と不安」の学習を行い、欲望の制御機能を取り戻すことが必要だと考えるる。欲望と不安のバランスのとれた社会の実現こそが重要な時代に入っていると感じている。それはまず個人個人で取り組んで、社会全体の共通認識にまで高めていくのが大切なのではなかろうか。森田先生は人生観が変わらないと、本当の意味で神経症は治らないと言われた。核兵器廃絶は、全人類が森田理論でいうところの「欲望と不安の関係」を学習して理解し実践していかないと、絵にかいた餅に終わることは自明のことである。
2019.11.26
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1917年森田先生は中村古峡が主催する「日本精神医学会」の評議委員を受諾している。森田療法が確立したのが1919年であるから、その2年前のことである。評議委員の中には、渋沢栄一、幸田露伴をはじめ、10名を超える東京帝大教授などが含まれていた。中村氏の「日本精神医学会」の設立趣旨に、「はやく父を失ったため10年にわたって苦学する間、脳神経衰弱に襲われ、ひいては脚気、心臓病、肺尖カタルなど万病を併発し、後には弟が精神病にかかり入院中に死亡するという悲惨な経験を経て、ここに新たに精神医学と云う一科を建設してみたいと云う決心を起こしました」と述べている。この経験は森田正馬の体験とよく類似しており、二人は意気投合したという。中村古峡との付き合いは1925年で終わっているが、それまでは親密な付き合いが続いている。中村古峡は「変態心理」という雑誌を発刊していた。変態というのは、正常でないこと。異常心理、超心理というほどの意味である。この雑誌には、幸田露伴、賀川豊彦、伊藤忠太、生田長江、柳田國男、井上円了、金田一京助、富士川游、高群逸枝、南方熊楠、古屋信子などの多彩な著名人が寄稿している。ただし主催者の中村古峡以外で、中心になって積極的に寄稿していたのは森田正馬であった。その一端を紹介しよう。「迷信と妄想」(15回連載)「児童恐怖症について」「恐怖に対する余の臆説」「誤れる不良児の教育法」「神経質の話」「神憑の現象について」「夢の研究」(5回連載)「どんな人が自殺するか」「ヒステリーの話」(2回連載)「催眠術治療の価値」「精神療法の基礎」「赤面恐怖治癒の一例」「肝臓癌の治癒した一例」「神経衰弱に対する余の特殊療法」「若返り法と霊子術」「潜在意識について」「夢の研究に就いて」「変質者に就いて」(2回連載)「形外漫筆」(9回連載)「嫉妬妄想に就いて」「有島武郎の死を評す」「流言蜚語の心理」「心身の健康とは」「注意は活動である」(2回連載)「精神病とは如何なるものぞ」「生の欲望と死の恐怖」(2回連載)私たちが森田理論学習で学習している内容が、この時にすでに考えられていたということです。その他、この雑誌の購読者に対して講話も積極的に行っている。原稿の執筆も含めて「変態心理」に費やす時間は相当なものであった。呉教授をはじめ精神病学の本道を歩む人たちからは顰蹙をかっていたという。しかし「変態心理」は森田先生にとって精神療法を進展させるチャンスだったのであり、自ら正しいと信じて、周囲の眼などは気にかけなかった。それが森田正馬の本領なのである。そして1922年本格的な神経質治療の著書「神経質及神経衰弱症の療法」「精神療法講義」を出版している。この2冊は神経質研究を完成させる重要な役割を担った。森田正馬にこの2冊の主要著書の執筆を勧め、困難を排して自ら刊行した中村古峡の貢献は大変大きいものがある。その後自宅で入院生を受けいれての神経症治療が本格化してくるとともに、二人は疎遠になっていった。1926年に書き手を失った「変態心理」は終刊を迎えた。ところで、森田正馬と別れた中村古峡は40歳から医師を目指している。1942年には名古屋大学で学位論文を提出して学位をとっている。千葉市で中村古峡が開設した診療所は、「中村古峡記念病院」として現在に至っているという。中村古峡は交渉力にも優れ、積極果敢な行動力には驚くばかりである。森田先生が中村古峡と過ごした7年間が森田療法確立に果たした役割は大変大きいものがある。(森田療法の誕生 畑野文夫 三恵社 314ページから320ページ要旨引用)
2019.11.25
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ジャガイモ、ハクサイ、ダイコン、カリフラワー、芽キャベツの収穫をしました。今日はハクサイを使って鍋にすることにしました。大根おろしもたっぷり添えます。大根おろしはツナやちりめんとあえるとピリリと辛いつまみになります。神経症で苦しい人ほど家庭菜園をお勧めします。運動にもなるし、新鮮野菜が食べられるし、いろいろ気づきや工夫も思いつきます。趣味と実益を兼ねてこんなに充実した時間を過ごすことがてきて幸せ者です。梅酒やラッキョウ漬けにも取り組んでいます。畑やベランダのある人はぜひ取り組んでみてください。
2019.11.24
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今までこのブログのアクセス数は毎日1000人程度だったが、最近急増している。閲覧者の報告によると、11月18日 1438名11月19日 1766名11月20日 1769名11月22日 2007名11月23日 1820名7年前に始めた当初はわずかアクセス数は20名足らずであった。隔世の感がある。一旦ステージが変わってくると、よほどの失態がない限りそのステージ内にとどまるように感じている。閲覧者が増えればいいというものではないが、森田の考え方が日本中の人に認知されるように、微力ながら投稿し続けることが私の当面の目標です。読者の皆さんで森田理論の素晴らしさに気づいた方は、ぜひとも森田の考え方を日本中に広めていこうではありませんか。そして自助組織の生活の発見会の会員が3万人を超えるような時代が来た時、日本や世界の欲望の暴走に歯止めがかかるのではないかと考えています。
2019.11.24
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ここは兵庫県加東市上三草1136にある。仏教の聖地といわれている。とにかく圧倒的なスケールである。施設内は案内付きで3時間30分から4時間かかる。建物のスケールとともにさくら、五月、もみじなど季節の花々が咲き乱れる。建物内の装飾、使われている柱、仏像などもすごいが撮影不可であった。世界中からのお布施によってできたものであるという。当然世界中からの巡礼者でいっぱいである。問い合わせは0795-44-1800である。予約がいる。一度は訪れてみたいところである。
2019.11.24
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森田先生の精神療法はイタリアのマリア・モンテッソーリの影響を受けているといわれている。森田先生の考え方はこうだ。特に上から指示命令するのではなく、誰もが持っている心身の自然発動を促す。神経質性格を抑圧するのではなく、むしろこれを利用して、人間の元々持っている能力を最大限に発揮させることが肝心だ。これはモンテッソーリの教育方針そのものだ。今日はモンテッソーリの児童教育について紹介してみたい。モンテッソーリはイタリアで「子どもの家」を運営していた。2歳半から7歳までの児童を50名ほど預かっていた。貧困家庭で子供の世話が十分にできない子供を預かって教育していたのである。ここから困難に打ち勝ち、積極的で、好奇心が強く、社会に調和した子供たちが生みだされたという。時間は冬は朝9時から夕方5時まで、夏は朝8時から夕方6時までだった。教師は全員女性で、同じ共同住宅に住みこんで子供たちの模範となることが求められた。基本的な教育方針は、人間は元々あらゆる障害を自ら乗り越えて運命を切り開いていくという宿命を背負っている。そのために私たち教育者は、子供たちに完全な自由を与えて、子供たちが興味や関心を示すような教育、教材の提供、環境整備が重要であると考えた。先生が子供の活動を指示や叱責によって、子供の自然発動の芽を摘んでしまうことは、子供の生命そのものを窒息させてしまうと考えていた。間違いを指摘することもタブーとされていた。指導者は子供に奉仕するが、子供たちが自分でできることには安易に手を出さないという忍耐強い教育であった。子供に知らないことをたくさん教え込むという教育ではなく、子供たちを一人一人よく観察して記録をとることを重視していた。教師が魂を持って一人一人の子供に接して、彼らの内なる生命を目覚めさせるところに注力していた。またモンテッソーリは感覚教育を重視していた。触覚、視覚、聴覚の訓練のための様々な教具を考案している。その教具は子供たちに喜ばれ、子供の持っているエネルギーが発揮されるように工夫されていた。目隠しして物の形を識別する様々な練習器具や、紙やすりで粗さの段階が識別できる感触を訓練する器具。色と形、大きさの違いを識別できる視覚ゲーム。ハーブを使った音響の識別とリズム感覚の訓練もおこなった。このような教育によって、「こどもの家」からは、豊かな感情、鋭い感覚、すぐれた知性を備え、外からは「小さな大人」あるいは「熟慮する裁判官」に見える子供たちが育ったという。しかも、驚くことに、どの学校よりも規律がとれていたという。森田先生もこういう人間に成長してもらいたいという人間愛にあふれていた。モッテソーリの書物によって人間教育を学ばれたに違いない。
2019.11.24
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20年ぶりに中学校の同窓会の案内がとどいた。出欠に迷ったが、思い切って出席することにした。150人の同級生のうちすでに物故者が15名程度おられるそうだ。今後仮に20年後となると、どれだけの人が生存されていることかと心細くなる。私はこの同窓会を精一杯楽しむためにできる限りの準備をすることを思いついた。・まず自己紹介で話す内容を考える。笑いのとれるものにする。・幼稚園、小学生、中学生時代の写真を整理してみる。・卒業アルバムなどを用意して持参する。・古い写真をパソコンに取り込むソフトがあるので、これはと思った写真をパソコンに取り込む。・パワーポイントでスライドショーをつくる。・みんなで歌える替え歌を作る。・当日はパソコンとプロジェクターを用意する。・会場に電話してスクリーンを借りる。・幹事の人に了解をとって、懐かしい写真をみんなに見てもらう。・余興に備えて、高知のしばてん踊り、手品、腹話術、どじょう掬い、浪曲奇術、獅子舞、アルトサックス演奏から一つは用意していく。・二次会のカラオケに備えて、何曲か選曲しておく。そして練習を重ねておく。おさななじみ、長生き音頭、仲間たちなどがよいかもしれない。懇親会で聴いてみたいこと、話す内容については事前によく練っておく。・健康に関すること、普段の生活、生きがいについて聞いてみる。・生計はどうやって立てているのか。・稲作は今後どういう方向に向かうのか。・墓仕舞いのこと。・井戸水の濁り解消法。・田舎で面白いことをやっている人のこと。鯉の養殖、農園、果樹園、民宿、そば打ちなど。・ピザ釜、味噌、漬物などの加工食品作り名人を紹介してもらう。・人とのつながりをつけるためのグループはどんなものがあるか。・田舎暮らしで楽しいことは何か。農園付き別荘の現状。・イノシシやヘビ除けはどうしているのか。・ニンジンやホウレンソウは発芽しにくいが、どうしているのか。・余った野菜を売るところはないのか。・高低差の激しい田んぼの畔の草刈りはどうしているのか。・その他全部は消化しきれないと思うが、これだけを徹底して準備していけば、楽しい同窓会になるような気がしてきた。精一杯楽しんでみたい。
2019.11.24
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森田正馬は1898年9月に東京帝国大学医科大学に入学している。25歳の時である。入学試験はなかった。高等学校を卒業することで大学への入学資格を得られれば志望のコースに進めたのである。ところで、森田正馬先生は、高校生の頃から脚気と心悸亢進発作で苦しんでいた。森田正馬は我々と同じように神経症の経験者だったのだ。大学入学後も心悸亢進発作をたびたび起こしている。病気と不安神経症のため勉強が進まないことに悩んでいた。当初は神経症と身体疾患を抱えているために勉強ができないのだと本気で思っていた。それを覆すような出来事があった。これがのちに森田療法を生みだしたエピソードとして知られている。お父さんが養蚕の仕事が忙しくて2か月も送金がなかったのである。森田正馬は人を恨み、身をかこち、やるせない憤怒の極み、自暴自棄になったという。よしー父母に対する面当てに死んで見せようと決心した。後で考えれば、きわめて馬鹿げたことであるけれども、自分自身のその時にとっては真剣である。薬も治療も一切拒否した。夜も寝ずに勉強した。まもなく試験も済んだ。ここが我々と違うところだ。自暴自棄になって何もかも放り投げなかったことがすごい。成績が思ったときよりも上出来であった時には、いつの間にか、脚気も神経衰弱も気にならなくなっていた。国元からの送金もあった。養蚕が忙しくて、送金することを忘れていたとのことである。私の今までの神経衰弱は、実は仮想的のものであった。もとより脚気でもなかった。これは後の人間森田正馬の研究により事実と合わないことが分かっている。しかし事実を偽っていても、森田療法(森田先生自身は神経症に対する特殊療法といわれている)誕生に大きなヒントを得たということは間違いない事実である。神経症は、病気のようであるが器質的な病気ではない。誰にでもある不安や恐怖。違和感、不快感にことさら意識や注意を向けて精神交互作用によりあたかも重大な病気であるように錯覚しているのである。神経症は認識の誤りにより、時として実際の器質的な疾患よりも重い障害を呈する。精神交互作用の打破と思想の矛盾の打破が神経症の克服には必要であることがはっきりと分かったのである。このエピソードが森田療法誕生に一役買っていることは間違いないようである。森田正馬は1902年の年末に東京帝国大学を卒業している。1898年に入学してから1901年まで脚気と神経症で苦しんできたが、この年を最後に心悸亢進発作は一度も起こしていない。神経症発症のメカニズムがはっきりと分かったのであろう。これから様々な経験を積んで1919年ついに世界に誇る森田療法を完成させたのであった。その間約18年の歳月を費やしている。その後は自宅に入院生を受けいれて本格的な指導が行われている。
2019.11.23
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2015年12月7日に森田家家系図を投稿したが補足をしておきたい。これを頭に入れておくと、森田正馬全集第5巻、森田正馬評伝、森田療法の誕生などを読むときに大変参考になる。森田正馬は4人兄弟であった。5歳上に異父の姉、道さんがいた。「はちきん」といわれるような人で、小さい頃正馬にいろいろと家事を指示していた。この方はその後、田原秀明氏と結婚した。子供はいなかった。そこで正馬の11歳下の妹の「磯路」が濱田眞鉏さんと結婚していたが、そっくり養子縁組をしている。濱田姓から、田原姓に変わったのである。子供が4人生まれた。森田正馬は一人息子の正一郎君がいたが、20歳で亡くしている。そこで「磯路」さんの子供あった田原家の次男、三男を養子に迎えた。森田俊喜さんと森田秀俊さんである。お二人ともお医者さんになられた。森田秀俊さんは三島森田病院の院長をされていた。そこに田原あやさんがおられた。森田先生が存命中は、森田先生の身のまわりの世話をされていた方である。この方は田原秀明さんの妹の子供さんである。田原秀明さんの長女が嫁がれた土居家からは、土居光知という大学教授が出ている。森田先生の伝記によく出てくる人である。森田先生の4歳下に弟の「徳弥」さんがおられた。兄弟とはいえ性格的には異質であったという。勉強ができて、兄の正馬と同じように旧制中学への進学を希望したが、父親の反対で農業を継いだ。正馬は向学心の強い弟を医者にしようと思い、大学を卒業した年に、東京に呼び寄せた。柔順な弟は兄のすすめに従い、1年間独学して、医学前期の試験に合格した。その後、慈恵医学校の入学試験にも合格して3年生に編入された。しかし、慈恵に入学してわずか2か月足らずのうちに日露戦争が勃発した。予備役だった徳弥氏にも詔勅が発せられ、その日のうちに高知の連隊に向かって出発した。その後日露戦争の最激戦地旅順の攻撃にあたる。そして戦死。享年27歳であった。前途有望で、森田正馬の後継者となるべき人が、理不尽な戦争で命を落としたのである。森田正馬は日記に次のように書いている。「徳弥入営の報あり。父は我に学問させるため、徳弥を学校にやらず終に一兵卒となりて入営す。彼の心情を思ひやりて涙を催したり。将来我が幸福の半分は彼に分たる事を潜かに誓う」運命に翻弄されたとはいえ、実に残念で無念の死であった。(森田療法の誕生 畑野文夫 三恵社 203ページより引用)
2019.11.22
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私たちは自分の持っているものはあってあたりまえとそのありがたみを感じないことが多い。したがって乱暴に取り扱う。十分役に立っているのに、その価値を評価しないで、すぐに新しいものに目移りしてしまう。便利な機能があれば、まだ十分使えるのに、買い替えてしまう。自分のことに親身になって寄り添っている人のことは、やってくれて当たり前だと思ってしまう。そんな人をぞんざいに扱って、そうでない人の関心を引こうとする。自分の性格、容姿、能力、欠点、弱点を、人と比較して、事実以上に過小評価してしまう。注意や意識を集中、拡大させて、悲観上手に陥っている。劣等感で苦しんでいる。そして客観的に見るととるに足らないようなことにことなのに、自分の一生を左右するかのような重大な事案とみなしてしまう。弱点や欠点が一つでもあると、もう生きて行けそうにないと落ち込んでしまう。反対に他人が持っているもの、他人の性格、容姿、能力、長所、強みなどは拡大解釈してしまう。隣の家の芝生が実際よりもより緑に輝いて見えるようなものだ。実際の事実よりも、顕微鏡でのぞいたように勝手に拡大しているのだ。あまりにも誇張した現実を見ているのです。次にあまりにも拡大した他人を物差しにして、自分の置かれている状態と比較するようになります。するとどんなことが起きるのか。自分が持っているものがとてつもなくつまらないように感じる。惨めな気持ちになる。実際の格差以上に、どうすることもできないほど大きく差が開いているように感じる。それをもとにして自己嫌悪、自己否定してしまうのです。悪いことに、拡大解釈と過小評価は対になっているので、一つの傾向がある人は、もう一つの傾向も持ち合わせているのです。その結果事実のとらえ方が、実際とはどんどん乖離していくことになります。拡大解釈や過小評価する人は、事実そのものときちんと向き合っていません。観念で事実を大きくゆがめてしまい、それを事実と誤認しているわけです。それに基づいて行動しようとしているわけですから、どんどん横道へそれていってしまいます。また、想像上の事実をねつ造しているわけですから、いかようにも拡散してしまいます。だから他人から見ると、そんなことで生きるか死ぬか悩むなんて馬鹿げていると思っても、本人はどうすることもできないのです。そういう習慣が身についているのです。この呪縛から逃れるためには、事実を事実としてみれるような態度を養成していくしかありません。そのためには森田理論学習が有効です。そして「かくあるべし」を少なくして事実本位の実践です。そのための方法はこのブログでもたくさん取り扱ってきました。10のうち1つでもできるようになると、だいぶ事実本位に近づいていると思います。
2019.11.21
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認識の誤りの学習の中で「全か無」の思考法の弊害が出てきます。例えば、1位にならなければ挑戦する意味はない。だから取り組もうとしない。一流企業に就職できなければ、仕事にはつかない。外国人は、宗教が違えば敵であると思う。上司に仕事のやり方の改善を指摘されただけなのに、「要するに能力がないということですね」と反発する。友達にそっけない態度をとられたと感じると、「要するに自分のことが嫌いということなのだ」と決めつけてしまう。新規の営業活動でも、「あの人が買ってくれるはずがない。無駄な営業活動は疲れるだけだ。だから営業活動はしない」などと言い訳をしてさぼる。0か100。白か黒。正しいか間違いか。成功か失敗か。敵か味方か。善か悪か。好きか嫌いか。どちらかの立場を決めて、それ以外の考え方、態度、他人などは一切受け入れないということです。いわゆるグレーゾーンはないという立場に立っています。これらは「かくあるべし」の一種ですが、決して妥協のない「かくあるべし」の思考方法です。100だけは認めるが、1から99までは完全ではないので、批判や否定の対象にするという態度です。雲一つない日本晴れならよいが、少しでも雲があれば、不快な気持ちになるので認めない。融通がきかない。妥協点を見つけて歩み寄ろうという気持ちはさらさらない。こういう考え方は窮屈だ。自他ともに苦しむことになる。さぞかしつらいだろうと思う。ちょっとした不安や不快感、恐怖や違和感も見逃さないのです。自分の容姿、性格、能力、弱点、欠点、ミス、失敗はことごとく目の敵にしてしまいます。他人の容姿、性格、能力、弱点、欠点、ミス、失敗も決して許すということをしません。理不尽な自然現象、経済変動などへは恨みつらみでいっぱいになります。「全か無か」の思考方法をとる人は批判や否定名人です。否定することに生きがいを見つけているような人です。誰でも自分のことを非難され、存在を無視されると腹が立ちます。そして反抗的な態度をとります。否定する人は自他ともに不幸な人生を送ることになります。また、非活動的になります。自分が成功間違いなしと確信を持てることしか手を出さなくなります。自分が手がけないことは、他に依存するようになります。したがってますます自立することができなくなります。経済的にそれが可能でも、肩身の狭い思いをします。そして暇を持て余すようになります。神経質性格の人は、自己内省性が強いですから、ますます気持ちが暗く沈んでいきます。日本人は宗教では一つの宗教に凝り固まっている人は少ないようです。葬式は仏教でも、クリスマス会を開き、正月には神社に初詣に行く、結婚式になると、洋式、和式と様々です。ちゃらんぽらんです。これを外国人から見ると、信念がないとみる向きもあるようです。外国では宗教が違うといがみ合いの戦争に発展してしまいます。これを優柔不断な民族とみるか、あるいは多様性を受け入れる包容力を持ち合わせた民族とみるか。多様性を受け入れると、自由な生き方ができるように思います。人間関係も、敵か味方かを厳密に区別しないので、幅広く展開することができます。この思考パターンから逃れる方法はないのでしょうか。田原総一郎さんの討論番組を見ていると、全く違う考え方をしている人を呼んでいます。そして喧々諤々激しいバトルを繰り広げさせます。中には勢い余って、相手の人格否定をする人がいます。時には、途中で退席してしまう人もいます。その人たちはある一定の考え方に凝り固まっているので、簡単には考え方を変えるようなことはありません。ところがそれを周りで見ている人にとっては、もう少し相手の考え方を理解するようにしたらどうなのかと思ってしまいます。ひとつの見方・考え方に固執してしまったときは危険が迫っているときだと思います。自分、他人、自然現象を批判・否定して、打ち負かすことにエネルギーを集中します。その結果、最終的には自分の存在、人間関係などの破壊に向かってしまいます。森田では両面観の考え方をお勧めしています。例えば円錐柱を上から見ると円に見えます。横から見ると三角に見えます。いずれも間違いです。多方面から見ることによって、円錐柱であることが分かります。ひとつの考え方に凝り固まったときは、「ちょっと待て」というキーワードを自分に対して発して、別の見方・考え方はないのかと考えてみることです。自分一人では判断がつかないときには、周囲の人の考え方を聞いてみることが大切です。するとバランスのとれた中庸の見方・考え方に変わってくるものと思われます。
2019.11.20
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普段の生活でこんなケースはないでしょうか。朝、職場で親しい先輩とすれ違って挨拶をした時、相手の表情がいつもより硬かったり、冷たい態度をとられたと感じるようなことです。挨拶を返してくれない。あるいは、返してくれても、いつもと違ってそっけない態度をとった。そんな時、次のように考えてしまうことはないでしょうか。「私何か気にさわることをしただろうか。きっと何かあったんだ。そういえば、昨日先輩の意見に反論したけど、それを根に持って嫌がらせをしているに違いない」「先日仕事でミスや失敗した自分を許せないと思っているに違いない」「自分は間違いなく嫌われている。どうしよう」とすぐに不安になる。仕事には身が入らなくなり、相手の態度ばかりが頭の中を駆け巡る。相手にしてみれば、そのとき考え事をしていて気がつかなかった。他のことに気をとられていた。急いでいてそれどころではなかった。心配事があり、気分的に落ち込んでいた。こういうことだって十分にあり得ることです。普段からいがみ合っている先輩ならば、嫌がらせをされている可能性は大です。ところがそれが一過性の現象ならば、事実誤認の可能性がとても高いと思います。その割合は50%~80%ぐらいは十分にあり得ることでしょう。ところが、その事実を考慮することもなく、自分にとって不利でネガティブな事実をねつ造しているのです。そこから不安、恐怖、不快な感情が生まれて、次第に増悪しているのです。もし相手の本当の事実が分かっていたならば、イヤな感情は生まれてこなかったはずです。損な性格ですねといってしまえば、それまでのことですが、森田理論では事実にきちんと向き合っていない態度とみなします。こんな時、とっさに先輩に向かって、「今日何かありました?」「私何かとんでもないことをやらかしましたか?」と聞くことができれば、すぐに解決するような出来事です。でもそんなことをすぐいちいち先輩に聞くことなんかできませんよ。そう反発する人がいるかもしれません。そういう人は、せめて事の真相は分かりませんと白旗を上げることです。自分は事実確認をしておりません。また確かめようとも、分かろうともしていません。憶測、決めつけ、先入観の多くは間違っているので、今はこの件にはかかわりません。昼ごはんの時まで待ってから、それとなく先輩に聞いてみたいと思います。私は事実をねつ造する名人です。それで今までどんなに苦しんできたか。事実誤認で、不安に苦しむことほど情けないことはありません。だからこの件では、「まいりました」と白旗を上げて、一旦降参します。時と場所を変えたときに、改めて確認作業を行えばよいと考えるのです。今すぐにすっきりしたいと慌てふためくのは、事態をさらに悪化させます。
2019.11.19
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森田正馬が指導を仰いだのは、呉秀三先生であった。呉先生は著書の中で神経症の治療として「精神練習法」について述べている。「精神練習法は精神の活動力を練習するによりて、精神的作業力を振興し、これによりて各種の病的現象を軽減し治癒することを目的とする。この練習中もっとも有効なるものとしては、まず、指を意志練習法に屈すべし」これによると、神経症で苦しんでいる人は、体を動かす、作業をすることを推奨しておられる。そうすると、症状にばかり向いていた注意や意識が軽減される。それをどんどん推し進めていけば、神経症は治癒に向かうという考え方だ。森田理論学習をしている人の中には、「そういうことか。分かった。症状を治すためには症状との格闘を止めて、実践や行動をすればいいんですね」と思う人がいる。馬車馬のように実践・行動に注力する人のことだ。最初のうちは何ら問題はない。むしろこの方法をお勧めしたい。ただいつまでもこの方法を推し進めていくことは、考えものである。この考え方で行動することは、行動の目的が神経症のつらさや苦しみを取り去ることにある。神経症が少しでも良くなっているか、快方に向かっているかに常に意識が向いているのです。決して目の前の手掛けている物事には向いていないのである。この方法をとっていると、神経症の治療としては、すぐに壁にぶちあたる。神経症が治るどころか、増悪するケースもでてくる。この点に関していえば、森田正馬先生が言いたいことは、「意志の力によって感情をコントロールしようとする愚かさ」のことである。例えば、電車に乗れない人に同行して、買い物に行く行為が一見練習に見えるがそれは違う。イヤだけれどもやむをえずに必要なことに飛び込むことであって、繰り返し練習することとは全く意味が違う。意志は練習によって強くなるものではないことを森田先生は見抜いていたのです。どんなに強い不安、不快な感情が沸き起こってきても自然現象なのでどうすることもできない。それはそのままに受け入れていくしかない。しかし日常生活はどんどん進行していく。感情はそのままにしておいて、気は進まなくても、目の前のことにイヤイヤボツボツと手がけていく。これが実践・行動するということです。いやな感情を楽にすることを目的としているものではない。その時の意識は症状に向いているのではなく、物事に向いているのです。すると新たな気づき、関心や興味などが湧いてくる。ここが大切なポイントです。すると今まで不安や不快から逃れようとしてどうすることもできなかった感情が変化して楽になっているではないか。急がば回れではないですが、不安や不快な感情の取り扱い方は意外な方向にあったということが体験しておぼろげながらわかってくる。あとはそれを裏付ける体験を積み重ねて、感情の取り扱い方名人を目指していけばよいのです。基本的には行動実践と不快な感情は別物として切り離すことができるようになります。(森田療法の誕生 畑野文夫 三恵社 357ページ参照)
2019.11.18
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森田先生はひょうきんもので芸達者であった。1900年2月18日夕方、医科大学2年生会に上野三宜亭に出席す。会するもの30余人。酒たけなわにして大いに興ずる。余は風邪にて呼吸切迫、心悸亢進ありたるも終に権兵衛の種まきを踊り大喝采を博したり。宴会にて踊ることは之を初とする。その後正馬は、宴会での余興に滑稽綱渡りと権兵衛の種まきをしばしば演じるようになる。自ら幹事をしている宴会の途中で、飲みすぎによる会費不足が判明したとき、正馬は一計を案じた。髭を生やした者、眼鏡をかけている物に税金をかけ、さらに箸拳やめくら拳をやらせて1回5銭の税金をかけて金を集め不足分を補った。郷土の先輩として親しかった詩人・評論家の大町桂月宅で大きな宴会が開かれたとき、正馬は宴たけなわを見計らって持参のものを振舞った。それは、便器(おまる)に入れた土佐の鯖寿司その他、尿瓶に入れた酒であった。大うけだったという。(森田療法の誕生 畑野文夫 三恵社 169ページより引用)こんなことをとっさに思いつく森田先生はとても好感が持てる。滑稽綱渡りは森田全集第5巻293ページに載っている。ちょんまげのカツラをかぶり、黒紋付きに赤だすき、尻はしょおりで、日傘をさした身軽な出で立ち、口上と曲芸とをみなお一人でやられる。広瀬夫人が、三味線方である。(口上)鳴り物を鎮め置きまして、大夫お目通り正坐まーで控えさせます。ハッ」と右手をかざした様おかし。「まずは最初、綱調べと御座い」畳の上を、両足を順次に、ずらせ進む様、その姿勢・態度全く綱渡りのようである。「次は鶯の綱渡リーイ、チンチン、チンチン、チンチン」、両足を同時に、小刻みに、早調子で進行するのである。先生の芸のうまいのに、一同どっと喝采した。私はこれにヒントを得て、一人一芸を磨いてきた。アルトサックスの演奏、安来のどじょう掬い、獅子舞、腹話術、浪曲奇術などである。これらの持ち芸で老人ホームの慰問活動を続けて約10年になる。これらはほぼ毎日練習している。練習を怠ると所作を忘れるからだ。この活動の時は対人恐怖症のことは全く忘れている。一人一芸への取り組みで神経症を克服してきたようなものである。
2019.11.17
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森田正馬先生は読書好きであった。日記によると、読書には「精読、通読、通視の三通りの読み方あり。通読は疎粗略に読み、通視は所々必要なるところを読むものなり。雑誌、毎月凡そ30余冊を通視す。読書ははじめて昨年10月(1925年)より記録することを試みたり。此の1年間、79冊、1か月平均6冊半、総頁数凡そ20030頁、一日平均64頁なり。電車、汽車、人を訪問して待つ間等には常に雑誌又は小冊子を読む。病気の時は読書すること一つの楽しみなり。平常読みたき物を買い集め置きて、病気するとき、片端より之を読む。長く病むときは30冊許りも読みたり。常に枕元に書を起きて、不眠には読書を楽しむ。2時、3時迄も読むこと稀ならず」79冊のうち文芸書が32冊にのぽる。次いで精神医学、医学、心理学などの専門書が17冊である。この中に「二葉亭全集」がある。全三巻で、平均700ページの大冊である。正岡子規については、作品そのものよりも、病床の身にありながらも創作活動に情熱を傾けたその生き方に注目していたという。森田正馬の身の回りの世話をしていた田原あやさんによると、「森田先生は、熱があって、床についておられても、何かをなさっていらっしゃいました。40度位の時には「漫画でも学べる」といって漫画を読まれ、38度の時には寝たまま勉強をされ、37度の時には、普通に起きて、仕事をなさいました」と述べている。さらに「先生は、時間も、1時間たりとも無駄にされませんでした。40通の手紙も20分で処理され、返事を書かれました。「だれでも返事が貰いたいから手紙を出すんだ。返事はすぐに出さねばならない」と言っておられました」森田正馬のノートには、手紙、毎日23通書く。大正14年発信1005通とある。大変な作業を日々淡々と継続されていることに驚いてしまう。ふつう体調の悪い時には、憂鬱で何も手につかなくなるものだが、森田正馬は寝込んでしまうということはなかった。体調に応じて臨機応変に、今の自分ができることに精いっぱい取り組まれていたのである。64歳という短い生涯ではあったが、その中身を見てみると、普通の人の2倍も3倍も充実の人生を送られているように感じる。
2019.11.16
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今日は、「森田療法の誕生」という本を紹介したい。かなり読むのに骨の折れる本であるが、人間森田正馬研究に関心のある人は必読書である。私は読了するのに1週間かかった。著者は畑野文夫、出版社は三恵社、現在第2版、460ページ、税別3000円の本である。畑野文夫氏は森田療法家、鈴木知準先生の門下生である。この本は、鈴木知準先生が持っておられた森田正馬先生の日記のコピーをもとに書かれている。その日記は35年分だそうだ。森田先生の生涯の半分以上に及んでいる。事実に基づいて、畑野氏が分析や解説をされている。森田先生の伝記である。どういう環境の中で森田正馬が成長していったのかがよく分かる。そしてどんな特徴があり、どんな生活をしていたのかよく分かる。この本は、森田先生の生活を自分の生活に応用するための参考書となる。またこの本には、森田先生と付き合いのあった人の人生や考え方も詳しく紹介されている。よくここまで根気よく調べ上げられたものだ。その内容が特に優れている。森田先生は「不即不離」の人間関係を持っておられたことがよくわかる。それと同時にいろんな精神療法を一つ一つ検証して、森田療法誕生に行き着くまでの過程がよくわかる。一朝一夕でできた療法ではないのである。改めて森田療法の凄みを感じた次第である。それだからこそ1919年に確立された森田療法が、100年経た現在まで続き、さらに世界に羽ばたいていった精神療法であることが納得できた。この本には「森田家家系図」と「森田正馬自筆年譜」が載っている。野村章恒先生の「森田正馬評伝」を読んだ人は、この本を読むことを強く推薦します。今後しばらくは、この本から感じたことを投稿してまいります。
2019.11.15
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森田先生は催眠術の研究を盛んに行っていた時期があった。神経症の特殊療法(のちの森田療法)の確立が、1919年といわれているから、その少し前のことである。他の精神科医は眉唾物として排斥していたが、森田先生は果たしてそうなのか、実際に真偽の程を自分の体験で確かめようとされていたのである。事実催眠術には一定の効果もあったようだ。明治38年には、途中尿意を催すことを恐れて、少しも外出することのできなかった強迫観念の一患者を、その催眠術で2、3ヶ月もかかって全治させ、これを中外医事新報に報告したこともある。また、疼痛、つまり頭痛、歯痛、神経痛、ロイマチス、肩の凝り、分娩時の陣痛などには、睡眠術はとても効果があるという。その他、「五感感覚の障碍」として、「ヒステリー性の聾とか唖とか失声症」とか、其他異常感覚や、感覚麻痺や、若し催眠術にかかりやすいものならば、催眠術は極めて気軽に、之を治すことのできるものであるとしている。この他、「内臓感覚及び内臓機能の障碍」「運動機能」などへの適用例をあげている。ただし、赤面恐怖の患者には全く効果がなく、逃げ回っていたようなこともあった。こうして長年研究をしたにもかかわらず、最終的には、神経質の治療法としては、催眠術の必要を認めなくなったと言っている。効果がないことに気づかれたのです。最終的には、神経症の治療に、「徒に催眠術の効を誇張して余り軽便に考えてはならない」といわれている。以後神経症に対して催眠術を応用することはなくなった。ここで注目するところは、森田先生が自分の目で真偽のほどを確かめようとされたことである。催眠術は眉唾物だと最初から決めつけるのではなく、一度は自ら確かめようとされていた。自分が様々に試行錯誤する中で、すべてを簡単に切り捨てるのではなく、催眠術にも一定の効果は認めていた。これは実際に確かめようと実験をしないと到達できないことである。普通は先入観、決めつけで全く真偽のほどを確かめようともせずに、切り捨ててしまう人が多い中で、事実に向き合う姿勢は驚嘆に値する。我々も人のうわさ話で、その人の性格や人格を決めつけてしまうことが多々ある。実際に話をしてみると、先入観とは大きくかけ離れていたということに驚くことがある。噂話はあくまでも噂話である。事実の裏づけをきちんととらないで、これから先の行動を決断することは間違いが多くなる。森田理論は事実をできるだけ正確に観察して、事実に基づいて思考、行動する理論である。そのことを森田先生は身を持って教えてくださっているように感じる。我々は森田先生の生活態度に学んで、事実本位の生活態度を身に着けたいものだ。
2019.11.14
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森田正馬と妻久亥は1924年(大正13年)協議離婚している。二人は高知でいう「いごっそう」と「はちきん」で夫婦喧嘩は絶えなかったようである。日記を見ると、「朝、久亥と論争し、後久亥が離縁せんと云い出すに至る。夕方に至り更に久亥の陳謝するありておさまる」と書いている。時には激しいこともあった。「久亥と争ひ怒に乗じて膳をひっくりかえす」という記述もある。まるでテレビドラマの寺内貫太郎一家を思わせる。二人は母親同士が姉妹のいとこであったから性格的にはよく似たところがあったのかもしれない。共に自分のいい分を表に出して、一歩も引くということはなかった。対等の立場で自己主張を繰り返した。正馬は久亥に英語を教えていたが、その教え方で、しばしば口論になった。習う時間よりも口論の時間が多かったと書いている。それでもこりずに、算術と日本外史なども教えている。その上、妻の久亥は夫に内緒で他人名義の口座を作って金を貯めて、無断で家を購入することもあった。また正馬の母亀との確執もあったようである。だから正馬夫婦が離婚に至ったのは自然の流れと見る人もいたのである。しかし実際は違っていた面も多かった。正馬はしばしば自宅に友人を呼んで酒盛りをすることがあったが、妻の久亥はいやな顔をしないで接待していたという。少ない家計費の中から、酒のつまみをつくり、酒が不足すれば1合ずつ買いに出たという。家計が火の車の妻がこのようなかいがいしい世話をするとは思えない。久亥はこの新婚当時が一番人生の中で楽しかったといっている。正馬は、久亥が音楽学校の入学試験を受けたときは、妻を気づかい、全く勉強する気にならなかったと書いている。つまりいろんな問題が起きれば起きるほど、それを糧にして益々夫婦の絆が強固になっているのである。我々のように小さな問題が起きると、益々無関心になっていくのとはえらい違いなのである。だが傍で表面だけ見ている人は、喧嘩の絶えない仲の悪い夫婦に見えたのであろう。離婚の真相としては、相続の問題が絡んでいたようである。久亥は二人姉妹の長女で、父親がなくなったとき、旧姓田村家の家督を相続することになった。そのためには正馬と離婚して田村家の戸主になる必要があったのだ。実際には離婚する気持ちはなかったのだが、経済上の理由から離婚したということだ。1924年というのは1919年に確立した神経症の特殊療法(のちの森田療法)が爛熟期を迎えて、多くの入院生を受けいれていた。その中で久亥の役割もとても大きな力となっていたのである。かくして、正馬・久亥夫婦は、1931年(昭和6年)再び入籍を果たしている。森田正馬・久亥は一つの夫婦の人間関係の在り方を教えてくれている。(森田療法の誕生 畑野文夫 三恵社参照)
2019.11.13
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森田正馬は、実に面倒見のよい人であった。群を抜いている。そのエピソードを紹介したい。1901年の暮れ、正馬と同郷の藤次という男が親に無断で正馬を頼って上京する。明治法律学校入学を目指しているというので家に同居させた。彼の生活のため書生の口を探してやるが見つからず、車夫になることに決まる。警察へ同行して車夫の鑑札を取得させる。正馬自身、中学生のとき親に無断で上京し辛苦をなめた経験がそうさせたのであろうか。まことに面倒見がよい。初日は正馬がまず客になる。日記に次のように書いている。「車夫の稽古にとて先づ余を載せて上野に遊び、帰途藤次は客を得て乗せて走り行きたり」その3日後、「夜、余はハッピを被り車夫の出で立ちにて藤次を乗せて上野に行き、後余は車を曳き藤次は後より従ひて客を求めたれども得ず。上野に藤次と共に牛飯を食ひ少しく酒を傾け更に出て客を求めたれども得ず。再び大学赤門辺より藤次を乗せ他の車夫に劣らず走りて藤次を驚かせたり」当時の超エリート、東京帝国大学の学生で車引きをした者がはたして他にいただろうか。親切心を超えた正馬の飾らない性格を見る思いがする。変人の奇行ともいえるが、正馬持ち前の瓢軽さと好奇心に藤次への思いやりが加わった振る舞いであろう。藤次は2か月足らずで下宿先をみつけて正馬の家を出ていくが、転居後も勉強の面倒を見ている。論理学、心理学などを教え、明治法律学校入学の目的を果たすよう藤次に援助を惜しまなかった。しかし、半年後には藤次が女をつくり身を持ち崩しているところを発見する。借金の返済を肩代わりして面倒を見るが立ち直る様子は見られず、やがて絶交するに至る。正馬にとって親切を尽くして裏切られる最初の体験となった。(森田療法の誕生 畑野文夫 三恵社 144ページより引用)
2019.11.12
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次のような考え方のクセを持っている人はたくさんいます。一部分の事実をすぐに自分の人生すべてに影響を与えてしまうかのように大風呂敷を広げてしまう人です。一般化のし過ぎと言われています。部分を全体に広げることが習い性になっている人です。それも悲観的、破滅的に拡大してしまうのです。例えば、上司に仕事のミスを指摘されて叱責され時に、すぐに自分の仕事に対する能力はゼロだ。この会社での居場所はなくなった。自分は何もやってもダメだ。同僚たちは自分のことを馬鹿にしているに違いない。誰でも経験のあるような単純なミスなのに、自分の人格否定にまで発展してしまっているのです。こうなると、自分の将来をネガティブに考えてしまいます。意欲や熱意は持てず、悲観上手になってしまいます。また一度恋愛に失敗すると、これからも恋愛はうまくいかないだろうと決めつける。私は何度お付き合いをしても、最後には相手から嫌われる運命にあるのだと思ってしまう。こういう考え方をとっていると、将来は暗澹たる暗闇のような世界で、希望を持つことができなくなってしまいます。もう決して恋愛なんかしないと決めてしまう。自己否定するのですから、生きていくことは苦しみの連続となります。こうした人たちがよく使う言葉があります。みんながそう言っている。いつも悪い結果で終わる。自分にはよいところなんて一つもない。やることなすことほとんど失敗してしまうはずだ。何をしてもすべてだめに決まっている。これまでうまくいったためしがない。この先もずっとうまいかないはずだ。この人たちは目の前の出来事や事実に向き合っていないと思います。向き合おうとうしていないようです。すぐに観念や思考の世界に入り込むことが習慣になっているのです。そこがとても居心地がよいのでしょうね。問題は、ポジティブに受け取れればよいのですが、ほとんどネガティブに結論づけてしまうのです。一つの些細なマイナスの出来事から、自分の人生を左右するような大きなマイナスの問題に拡大する名人のようなものです。このような人は自分で自分を苦しみのどん底に突き落としているのです。これを改善するには事実にきちんと向き合うということが欠かせません。そのためには事実を具体的に観察して、事実をよく見ることです。そして事実に沿って見たままを詳細に話すということに取り組むことです。「みんなが言っている」というのではなく、だれとだれが言っているのがはっきりさせる。「いつも悪い結果で終わる」は、いつどんなことが思惑が外れた結果に終わったのか、具体的に考える。「やることなすことほとんど失敗してしまう」は、失敗した具体的な出来事を問題にする。「何をしてもすべてだめだ」すべて失敗ばかりしている人はいません。成功体験や楽しい体験もたくさんしてきているはずです。抽象的な思考をするのではなく、事実に基づいた具体例を取り扱うことが大切です。「これまでうまくいったためしがない」失敗だらけの人は生きていけません。失敗と同じ数の成功体験も持っているはずです。失敗の事実だけに意識や注意が向いて、問題視しているだけのことです。実にバランスに欠けた考え方をしておられるということです。「この先もずっとうまいかないはずだ」将来のことを不安視する前に、今現在の課題や問題点に取り組むほうがより重要です。
2019.11.11
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「うつの8割に薬は無意味」(朝日新書)だという、精神科医井原裕医師のお話です。思春期のうつ状態においては、注意すべきは睡眠相の後退とその結果として生じる「起立性低血圧」です。病状の改善が見られなくて、井原先生のところにやってくる患者さんがいる。やってくる患者さんは、小児科で「起立性調整障害」と診断されて、メトリジンという昇圧剤の処方を受けています。この診断は間違いではありません。しかし、そういう患者さんのほとんどは、「睡眠相後退症候群」を伴っており、その結果として起立性低血圧症状(めまい、立ちくらみ、頭痛、朝の倦怠感など)が起きているにすぎません。ですから、起床・就床リズムという生活習慣に踏み込まない限り、昇圧剤を使っても治りません。思春期の生徒たちに指導する際には、人間の身体は、起床とともにオンになり、16時~17時間するとオフになるようにできていることを理解させる必要があります。中学生なら16時間、高校生なら17時間しないと眠くなりません。ですから宵っ張りの朝寝坊を治すためには、朝起きするしかないのです。わずか1日だけ早起きして、その後、16~17時間眠らないで耐える。そうすれば、夜遅くならないうちに自然と眠くなります。人間の体は16~17時間以上眠らないで起き続けることはできないようになっているのです。思春期のうつ状態や身体障害を治すには薬に頼っていてはいけない。第一は、睡眠相を安定させることだといわれています。中学生だと8時間の睡眠が必要です。高校生だと7時間の睡眠が必要です。今の時期は6時台には明るくなってきます。その時間に起床しようとすると10時に就寝しないといけません。高校生は11時です。仮に日が短くなって7時に起床するとすると、11時から12時に就寝しなければなりません。これがネットゲームなどで1時、2時、3時まで起きているということは、身体面にも精神面にも変調きたすということになります。うつ状態や身体障害の引き金になっているということです。大人の場合は睡眠時間が少なくなります。それでも太陽が昇ってくる5時台から7時台に起床しようと思うならば、少なくとも12時までには就寝する習慣をつけたほうがよいと思います。大体頭を使って勉強したり、思索するには、夜よりも朝の方が効率が上がります。その時間帯に眠っているということは、時間の無駄遣いをしていることになります。また朝起きて、太陽の光を浴びることは、生活リズムを作るうえでとても大切なことです。どうしても夜遅くまで起きている人は、朝は太陽が昇ってきたらすぐにカーテンをあけて太陽の光を浴びることに挑戦してもらいたい。森田理論は生活リズムを大切にしています。起床時間、身支度、朝食、家事や仕事や勉強、昼食、休憩、また家事や仕事や勉強、夕食、入浴、就寝と規則正しい生活を繰り返す。そしていま取り組んでいることに、ものそのものになりきる。そのなかで気づきや発見、興味や関心が高まる。工夫や改善をしながら生活をする。平凡な生活は変化に乏しく、刺激が少ないかもしれないが、それは人間本来の生き方です。その中で小さな楽しみや喜びをたくさん見つけることができるようになることが重要です。
2019.11.10
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10月号の生活の発見誌に、学校生活につまずいた生徒たちは、本人が無自覚かどうかは別としても、「どう生きるか」よりも「なぜ生きるか」に関心が向き、その答えを見つけようとしているのではないかという記事があった。学生たちは、きわめて哲学的なことを考えているのである。そういえば私も高校生の頃、「人間は何のために生きているのか」と考えた時期があった。結論は出なかった。これに関して「幸福論」を書いたヒルティは次のように書いている。「これは疑問の中の疑問である。非常に浅薄な、あるいは動物的な人でない限り、誰でも少なくとも一生に一度は、この疑問の答えを求めようとする。そして・・・早速、こう言わなければならないのは残念だが・・・たいていの人は今日、この答えを得ないままこの世を去るのである」私は「なぜ生きるのか」よりも「どう生きるか」と考えたほうがより建設的、生産的であると思う。この世に生まれてきた時に、あらかじめ目的を持って生まれた人はいない。生まれた国、生まれた時代、自然環境、生まれたときの家族、社会情勢に影響されて生きていかざるを得ないのが実情である。そんな時に生きる目的を詮索しても仕方がないと思う。人間は生まれる前から使命が与えられていると思うことは、甚だしい思い上がりであると思う。自分が置かれている境遇を受けとめて、なんとかできるだけ長く延命を図ることことが一番大切である。生物は草木に至るまで、できるだけ生きながらえ、命を次の時代へとつないでいくことを宿命づけられていると思う。それが自然のいとなみなのである。そういう意味では、衣食住の確保、安全の確保、他者と共存共栄関係の構築は欠かせない。当たり前の生活の中で、問題点や課題が出てくる。工夫や改善点も生まれてくる。そのような生活の中で、関心や興味が膨らみ、夢や希望も出てくる。こうしてみると淡々と流れいく大河の流れのような生活を大切にして、精魂込めて1日1日いとおしむように生活していくことの中に生きる意味は存在している。私の座右の銘は「凡事徹底」である。人生は「雑事に始まり、雑事に終わる」日常茶飯事に丁寧に取り組む中で、小さなしあわせのかけらをいくつも見つけている人が、人生を締めくくるにあたり、「いろいろとあったけど、まあまあの人生だった。また機会があったら人間に生まれてみたい。今度はこれまでの経験を活かしてもっとましなことができるだろう」と思えるのではなかろうか。
2019.11.09
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企業は同業他社と熾烈なシェア争いを繰り広げていきます。企業が生き延びていくためには、シェアナンバーワンをめざすことが目指すことが大切です。シェアがナンバーワンになると、どんどん波及効果が出てきて、益々自社商品が売れるようになります。特に営業努力をしなくても、テレビ宣伝するだけでどんどん売れていくので笑いが止まらない状況になります。これに対して、ナンバー2以下の企業は、いくら営業努力しても太刀打ちできなくなります。多額のテレビ宣伝費を投入しても、思ったほどの効果が上がりません。こういう状況に陥いると、ナンバー2以下の企業は、ついに白旗を上げて吸収合併や撤退に追い込まれる場合があります。利潤が出ないので、生産すればするほど損失が拡大していくのです。事業継続の意欲が根こそぎ奪い取られてしまうのです。このようにして弱肉強食でナンバー2以下の企業は淘汰されるということになります。ナンバーワン企業とナンバー2企業のシェアが接近している場合は、熾烈なシェア争いに巻き込まれます。戦略としては新規顧客の獲得に目が向くようになります。まだ自社商品を手にしたことのない人に、その商品の魅力を伝えて、同業他社から一人でも多くの顧客を奪い取ろうとする戦略です。営業力、広告宣伝費を既存の顧客ではなく、未知の顧客にばかり向けているのです。これは市場動向調査、広告宣伝費もかかり、地道な営業活動の継続が必要になります。この方面だけの努力でライバル企業に勝てるのか。必要条件ではあるが、十分条件とはなりえない。ここで注意しなければならないのは、既存の顧客の満足度をさらに高めていくということです。その方面の努力を忘れてはならない。自社商品の強みを自覚して、その強みをさらに高めて、顧客満足度をさらに高めていくという活動です。そうしないと、大切な自社の顧客がライバル企業に鞍替えしてしまいます。ザルで水を掬うような結果になってしまいます。顧客はその商品の本来のよさが失われた。商品の改悪があった。価格が高くなった。その商品よりも他社商品の優位性が少し高まった。同業他社の商品には多くのポイントがつく。サービス品がついてくる。営業マンの訪問がなくなった。同業他社の営業訪問が増えている。そしていろんな情報を持ってきてくれる。他社のテレビ宣伝が目立つようになった。店に行くと同業他社の商品が一番目立つところに置いてある。手に取りやすい目の前に置いてある。こういうマイナスの行為が続けられると、顧客はどんどん同業他社に流れていく。雪だるまを坂道で転がすように、どんどん勢いを増して、どうすることもできなっなってします。気が付いたときはもう手の施しようがないという状態に追い込まれることになります。自分の持っている強みをさらに高めていくという地道な活動の継続が大切だと思います。神経質性格者はいろいろと欠点を気にして、それと格闘することが多い。そして神経症で苦しんでいる人がいる訳です。神経質性格にはマイナス面も確かにありますが、プラス面も数多くあります。そのバランスをとっていくことが大切です。いつもはマイナス面ばかりを気にしていますから、そういう人はプラス面ばかりにフォーカスしてみる。神経質性格のプラス面を大いに磨いて生活に活かしていく。このことを意識して生活することが大変重要です。神経質性格者でオーラを放っている人はそういう人だと思います。
2019.11.08
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私には小学生の男の外孫が2人いる。我が家にやってくると必ずゲームセンターに行く。持参品はプラスチックの箱に入れた20枚程度のカードだ。このカードを読みこなせると、自分のキャラクターのパワーが増強されるという。このカードには力の強いものと弱いものがある。力の強いカードをゲットすると、自慢げに詳しく説明してくれる。5つのボタンとレバーなどを操り、怪獣などの敵と戦って、課題を次々とクリアしていく。目にもとまらぬ的確な操作技術とゲームにかける意気込みには恐れ入った。それを兄弟で競い合っているのだ。ところで、私は以前パチンコ依存症になりかけたことがあった。孫もゲーム依存症になってしまうのではないかと少し心配になった。これについては、堀江貴文氏が貴重な見解を述べておられる。子供がゲームに熱中しているのならば、中止させてはいけない。「あんたは勉強もしないで、ゲームばっかりして、ダメじゃないの。お金もかかるのよ。すぐに止めなさい」などと叱ってはいけない。理由は簡単。「熱中」することほど価値のあるものはないからだ。熱中するものは、ゲームでも、恋愛でも、本でも、鬼ごっこでも、もしくは勉強でもなんでもいい。熱中するものがあり、その体験を積み重ねることは、その子の宝になる。その子の自信となり糧になることは間違いない。熱中すれば、努力を努力と思わずに自然に工夫するようになる。そうすると、工夫する思考回路が育つ。よい思考を形成するうえでは、イヤイヤ取り組む勉強より、自発的に「熱中」できる何かのほうが役に立つ。親はその子が興味を持ったことを、見守り、応援してやればよい。そう考えると、子供が野球、サッカー、水泳、熟などなどに通っていて、「やめたい」といったら、すぐにその訴えを聞いてあげてほしい。普通は「そんな根気のないことでどうするの。あんたのためなのよ。いくらお金がかかっていると思っているの。せめて我慢してあと1年は続けてみなさい。そのうち興味が湧いてくるかもしれないじゃないの」などと、子供の気持ちを否定します。子供のやめたいという気持ちは、「飽きっぽい」「怠けている」ということではない。単に興味と関心がないだけなのだ。大人が興味や関心がないことを、他人から続けるように強制された場合のことを考えてみよう。こんなにつらいことはない。これが長期間にわたると、身体も精神も病んでしまう。子供の興味の対象なんて「移り気」「浮気性」で当たり前です。大人はそれを黙認して、側にいて、応援してあげるだけでよいのだ。親は子供の主体的、意欲的な活動の芽を、安易に摘み取ってはならないのである。(好きなことだけで生きていく 堀江貴文 ポプラ新書 186ページより要旨引用)
2019.11.07
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キリンビールの社員でNKK活動と銘打った営業を展開した人がいた。それは1時間で25軒、2時間で40軒、何も(N)考えないで(K)行動する(K)というすさまじい訪問活動でした。「考えたら身体が動かなくなる。まず何も考えずにひたすらお得意様を訪問しよう」というものです。1時間25軒回るためには無駄話はしない。各得意先の訪問時間は約10秒。例えば、新商品のサンプルを置いてくる。リーフレットを置いてくる。情報を伝える。そんなシンプルなことを次々にやっていくのです。「どうもキリンです。新商品のサンプルです。お願いします」常識的に考えると、得意先を訪問するときは、事前にしっかりと訪問計画を立てる。1軒当たり、ある程度の時間をかけて訪問し、信頼関係作りから始める。おのずと訪問件数は少なくなるが、それは仕方ない。つまり考えながら、営業活動をしているのです。これが普通の営業スタイルだと思います。この営業マンの担当エリアは静岡だったのですが、「いちばん元気なビールメーカーは?」というアンケートに「キリン」と回答した割合が格段に増えた。活動前には18パーセントだったものが、1年後には40パーセントにも達した。(キリンビール高知支店の軌跡 田村潤 講談社新書 要旨引用)実はこの営業スタイルは、訪問営業でセオリーとされているものです。頭を空っぽにして、片っ端からくまなく訪問していく。ローラー作戦というものです。これは言うは易く、実行は極めてハードルが高いのです。断られたら、「じゃまた機会がありましたら、ぜひお願いします」と言ってすぐに引き下がる。断られて自尊心が傷ついて、仕事に対する熱意が失われることはない。そんなことを考える暇があれば、次の家を訪問するという行動をとる必要があるからだ。分かりきったことだが、営業成果に結びつかない訪問は格段に増える。そんな無駄な訪問をして効率が悪いのではないかと考える人がいるかもしれない。ところが実際には、失敗の経験を数多く積み重ねることで、成功のためのノウハウを次から次へと身に着けているのだ。成功のための検証作業を行っていると見たほうがよい。ますます営業のコツを身に着けていく。優秀な営業マンとなるための登竜門だ。さらに考える前に身体を動かして営業するというスタイルが習慣化してくる。習慣化してくると、周りで見ている人が、「そんなことがよくできますね。よく身体がもちますね」と言われてもピンと来なくなる。自分を鼓舞して、無理やり行動しているという気負いはないのだ。習慣化するということは、ルーティン化しているということだ。習慣化してくると、かえってそれをすっぽかしてしまうことのほうに不安を感じるようになる。これはよい習慣だけでなく、悪い習慣も同様なことが起きますので注意が必要です。何も考えずに、同じ時間に、同じ行動が繰り返されるようになっているのです。気負いはありません。あくまでも毎日やるべきことを何も考えないで、淡々とこなしているだけなのです。ところが平凡を積み重ねていくと、とても非凡な成果を生み出すということを忘れてはなりません。森田の先人たちも「凡人主義」「平凡主義」と言っていましたが、生活をよい習慣で彩るということなのです。
2019.11.06
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好きなことをやれる体力を死ぬまで保ち、病気を予防するにはどうしたらよいのか。長野で暮らす医師の鎌田實さん(71歳)は、バランスのとれた食事とともに、スクワットなどの「筋活」と、かかと落としなどの「骨活」を勧めておられる。鎌田さんは3年前から実践し、骨密度は若年成人平均比で130%になったという。まず「筋活」初心者には、両手の反動を利用したスクワットが適している。両足を肩幅に広げて、爪先は真っすぐ前を向けて立つ。両手を頭上に上げた姿勢から開始する。気を付けの姿勢になるまで両手をゆっくり下ろしながら、膝を曲げる。太ももが床と平行になるまで、お尻をつきだし、5秒間キープする。手をゆっくりと頭上に上げて、最初の姿勢に戻ってから手を下ろす。これを1回として、1セット10回を1日3セット行う。テレビを見ながら隙間時間にやってみるのがよいそうだ。注意点は、背筋を伸ばしたままで、膝が爪先より前に出ないようにすることです。次に「かかと落とし」は、椅子の背などにつかまり、かかとを床に着けたまま、爪先をゆっくり持ち上げ、2秒間保つ。2秒間キープしたら、かかとをドーンと落とす。難しいことはない。これを1回として、1セット10回を1日3セット行う。「かかと落とし」は、骨を再生する骨芽細胞に刺激を与え、骨密度を上げる効果が期待できる。また、爪先を上げることで、すねの前の筋肉を鍛えて、転びにくくなるという。鎌田医師は、「僕は80歳までイラクの難民キャンプで子供たちの診療をしたい。85歳で大好きなジャズを聴くため、地下にあるライブハウスの階段を下りたい。93歳までスキーを楽しみたい。そのために必要なのが、筋活と骨活とバランスのとれた食事です」と言われています。(中国新聞 2019年8月23日より要旨引用)私は獅子舞を踊るために、机に手をついたスクワットを毎日20回行うのが習慣化しています。習慣化してくると苦にならなくなりますが、そこまで持っていくのが、大変だと感じています。
2019.11.05
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ビール業界ではキリンビールが一人勝ちという時代が続いていました。1970年代に入るとシェアーが60%を超えて、独占禁止法に抵触するため、売りすぎないようにという通達が出るような状況だったとのことです。ところが1987年アサヒが「スーパードライ」を発売してから、キリンの独壇場だったビール業界に大きな変化が起きました。スーパードライは、発酵度を非常に高めた製品で、鮮度やコクとキレを前面に押し出して、爆発的なヒットとなりました。そのため1997年のキリンの国内シェア63.8%でしたが、1995年には50%以下にまで落ち込みました。そして2001年には40パーセントを割り込みました。そしてついにアサヒビールに首位の座を明け渡すことになりました。これに対してキリンビールは危機感を持って消費者の意識調査を実施しました。すると若者を中心として、キリンのラガービールは「苦い」「古い」というイメージが強いことが分かりました。従来のラガービールの特徴は、喉にガツンとくるコクと苦みが持ち味で多くのファンを掴んでいたのです。しかしこのままでは、スーパードライに対抗できないと経営者は結論づけました。特に若者のラガービール離れが加速すると判断したのです。そして安易に、苦みを抑えて若者好みの飲みやすいビールに変更したのです。その結果どうなったか。若者はスーパードライからラガービールに変えてはくれませんでした。逆に昔からのラガービールファンのキリンビール離れに火がついたのです。営業マンが訪問する先々で、「どうしてラガーの味を勝手に変えたんだ」といわれるのです。仕事が終わり、よく冷えてコクがあり、苦みのあるビールを飲むことを楽しみにしていたお客様の信頼を裏切ることになったのです。市場調査を基にして、弱点である若者層を取り込もうとして、大切な昔からのラガーファンを失っていったのです。一旦失ったお客さんは、アサヒのスーパードライに鞍替えしてしまいました。キリンビールは戦略の立て方を間違えてしまい、アサヒの怒涛の快進撃を、指をくわえて呆然と眺めることしかできなくなりました。これが売れすぎて、売上制限をしていた会社の変貌のすべてです。(キリンビール高知支店の奇跡 田村潤 講談社新書 参照)この事実から私たちは何か学ぶことはないのでしょうか。私たちは小さなことが気になる神経質性格を持っています。この性格は、ちょっとしたことで不安や恐怖に襲われて、動揺して振り回されてしまいます。そして、外向的で発揚性気質のような性格に生まれ変わりたいと考えるようになります。元々神経質性格には、感受性が強い、まじめで努力家、分析力が優れているなどの長所があるのですが、それらはあって当たり前という気持ちが強いのではないでしょうか。それらを放り投げてないものねだりをしていることはありませんでしょうか。神経質性格の特徴で学んだように、性格にはプラスとマイナスの両面があります。マイナス面にはある程度目をつむって、プラス面をさらに鍛えて、伸ばしていくことが肝心なのではないでしょうか。この社会は神経質者がいなくなると、暴走社会で厄介になると聞いたことがあります。会社でもいけいけどんどんの人ばかりだといずれ破綻してしまいます。私たちは自分に元々備わっている性格をはぐくみ育てていくという気持ちを忘れてはなりません。
2019.11.04
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今日はダイコンと白菜の収穫をしました。ダイコンは小ぶりのものもありますが、大根おろしにするとピリリと辛みが効いています。自給野菜を作りたい人は、作りやすいダイコン、ミニトマト、ジャガイモ、サツマイモは特にお勧めします。作りやすいものばかりです。ダイコンは発芽率100%近いです。ほとんど虫がつきませんし生育旺盛です。間引きしたものも全部食べられます。それに引き換え、ハクサイ、キャベツ、ブロッコリーなどは虫除けのネットを張らないとほとんど虫に食べられてしまいます。ニンジンやホウレンソウは発芽率が悪いようです。タマネギは苗ではなく球根のようなものを植えてみました。3週間ぐらいしてやっと芽が出そろってきました。生姜やサトイモも難しかったです。それにしても家庭菜園は、森田実践にもなるし、趣味と実益を兼ねて最高ですね。
2019.11.03
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1、初めて集談会に参加した人への対応について・初めて参加した人は不安でいっぱいです。・初心者の対応係を決めておられますか。そして、いち早く声掛けをされていますか。・対応例・・・「こんにちは。おいでいただきましてありがとうございます。私は初めて参加された方の対応係の○○です。ご不明の点は何なりとお尋ねください。今日の学習会は1時から始まります。配布物をお渡ししますので、ご覧ください。それから初めての方に参加者記録、ご質問用紙がありますのでご記入の程よろしくお願いいたします。個人情報は外部に漏らすようなことはありません。」・個人情報は絶対に漏らすことはないという確約書を相手に渡すなどの配慮が必要です。他の自助組織では、ハンドルネームで呼び合うなどプライバシィの保護には神経を使っています。・参加者名簿の記入、参加費を伝える。開催日、曜日、会場を伝える。・配布物・・・○○集談会のご案内、神経症から回復する生き方(兼入会申込書)、一人で悩んでいませんか、生活の発見会の相談室、初心者のみなさんへ(これは生活の発見会のホームページに用意されています)等・初心者がいる場合は、発見誌の「活動の指針」のコピーを渡して読みあげる。・幹事世話人は時々「初心者や悩みの分かりにくい人への対応」を学習する。 2、自己紹介の注意点・自己紹介カードを回しながら行う。5分以上にならないようにあらかじめ注意しておく。警告のベルを鳴らす場合があることを周知しておく。・初心者がいるときの自己紹介は、自分が神経症で苦しかった時のことを話してあげる。あらかじめ原稿を作っておく。・初心者がいないときの自己紹介は、次の項目であらかじめ家で整理して参加する。・ここ1か月の間に身辺に起こった出来事。うれしかったこと、困ったこと、感動したこと、挑戦したことなど。・親、子供、職場での人間関係。症状、病気、健康に関すること。・発見誌の感想、新聞、映画、音楽、コンサート、川柳など・森田的観点から学んだこと、気づいたこと、会得したことなど。・自己紹介には以上2つのパターンがあることを周知徹底しておくこと。 3、体験交流の注意点・体験交流は5人ぐらいのグループに分けて行う。机を片付けて椅子だけで行う。・体験交流の進行係を決める。場合によっては時間管理担当をつける。・進行係は幹事や世話人が行う。・進行係は終了時間までの時間を把握して、一人当たりの時間配分を決める。・進行係はみんなが話できるように気を配る。・体験交流で話す内容は①いま悩んでいること②生活上困っていること③森田を生活の中で活かして気のついたこと④森田の学習で気がついたこと⑤森田理論で疑問に思っていること⑥最近失敗したこと、うまくいったこと⑦その他である。・これらを体験交流を始める前に説明する。・今後はあらかじめ家で用意してきてもらうことを説明する。特に幹事世話人は留意すること。以上は、集談会運営の基本事項だが、いつの間にか基本が無視される場合があります。そんな時は、これらを参考にして、すぐに基本に立ち戻ることが必要だと思います。
2019.11.03
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今日は快晴でとても気持ちのよい日でしたね。海もきれいで、心が洗われるようでした。釣りを楽しむ親子連れがとても多かったです。私たちは、手作り豆腐の店、オリーブ園、瀬戸内海の島々を見て回りました。海岸で食べる弁当は格別でした。場所は広島県呉市の音戸の瀬戸です。海の向こうに1時間ほど高速船で行くと四国の松山です。松山といえば道後温泉と正岡子規記念館が有名です。
2019.11.02
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今日は「うつの8割に薬は無意味」という本を紹介します。この本は読み物としてブラックユーモア満載で大変面白い本です。著者は井原裕医師 朝日新書です。井原氏は大学病院の教授ですが、大変ユニークな方です。うつ病の治療というと、すぐ「心のケア」という言葉を思い浮かべますが、その前にまず体のケアが大切です。「健全な心は健全な体に宿る。健全な体は、規則的な生活習慣あってのこと」それが基本中の基本です。そのために心がけてほしいことは次のようなことです。1、一日7時間の睡眠をとる。または1週間に50時間の睡眠をとる。入眠時間を早めることがポイントです2、次に睡眠相を安定させる。具体的には平日と休日の起床時刻の時間差を2時間以内に保つことです。それ以上になると海外旅行の時差ボケ状態になる。これが心の不調の原因になる。3、薬物療法中はアルコールを飲まないことです。「酒を飲んだら車を運転しない。薬を飲んだら酒は飲まない」を徹底することです。薬をアルコールで流し込むようなことは避けるべきである。これは意外と無視されているケースが多い。4、高齢者については、30分のウォーキングを行う。5、さらに一日の臥床時間を8時間以内に留める。働き盛りの人のうつは、働きすぎや生活の乱れによる睡眠不足が原因です。1、2、3を心がけることです。高齢者のうつの場合は、不活発な生活習慣にあります。「昼間ゴソゴソ、夜ガサガサ」といった生活になると、精神も身体も衰えてきます。つまり運動不足が原因です。だから歩かせれば治ります。現在は心の健康を損なうとすぐに心療内科にかかり、すぐに薬物療法に入ります。ところが生活習慣の乱れによる、うつ状態の場合は、薬は効きません。規則正しく、リズム感のある生活に切り替えることで、多くのうつ状態は改善できるのです。井原先生のところでは、薬物療法に加えて、生活指導を実施している。睡眠状況の記録を提出させている。これは薬物療法以上に効き目がよいという。精神科医の先生は、病院にやってくる人は精神的な病気にかかっているに違いない。適切な診断をして、何とか薬で楽にしてあげたいと思っているのです。たしかに2割ぐらいの患者さんは、薬が効くような精神疾患を抱えている。ところが後の8割の人は、生活習慣の乱れ、働きすぎ、パワハラ、派遣切り、失業、多重債務、恋愛、嫁姑問題、家族や会社での人間関係で心の問題が生じているのです。脳に障害が起きているのではなく、生活面の問題が心の問題を引き起こしているのです。そういう人に多少は薬の効果はあるかもしれませんが、根本的な解決策ではありません。何とか薬だけで治そうとすると、種類も量も増えて、薬漬けになってしまいます。こうなると最終的には、体も精神も、社会生活も破壊されてしまいます。精神科医に悪意はありません。すべて患者さんのために行っている善意の医療行為なのです。生活習慣の改善、労働基準監督署、警察、弁護士、カウンセリング、集談会などで解決すべきことをすべて精神科医に頼ろうとしているのですから問題がでてきているのです。これは精神科医の問題というよりも、我々自身の問題解決の選択の誤りなのです。
2019.11.02
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教育の起源を考えてみたい。ものごころついた大勢の子供を一カ所に集めて教育するシステムは、産業革命後のイギリスではじまったという。それまではそういうシステムはなかったそうだ。産業革命によって、工場労働、単一労働、分業制、大量生産による資本主義の時代が始まりました。この時代の要請を受けて国家による教育制度が確立したのだ。大量生産をする工場では、読む、書く、計算ができる人間が必要とされる。また指定された工場に、毎日遅刻しないで通って来る責任感のある人間が求められる。さらに一旦取り交わした約束を確実に順守して、上司の命令には決して逆らわない人間が必要になる。そして言われた通りの単純作業を黙々と定年まで続けられる忍耐強い人間が望まれる。上司、会社、国家の要請には無条件に従い、イヤなことにも我慢して黙々と取り組んでくれる人間を大量に作り上げることが教育の目的だったのだ。教育という言葉は、教えて育てると書く。つまり為政者が目的を持って子供たちを洗脳していくことが教育の中身だったのだ。学校はもともと、子供という「原材料」を使って、「産業社会に適応した人間」を大量生産する「工場」の一つだったのである。その際たるものが、戦前の日本の「国民学校」での教育であると堀江貴文氏は指摘している。戦時下の日本では国家が教育システムを利用して国民をあまねく洗脳していった。国民は天皇陛下のために命を捨てる覚悟で敵と闘わなくてはならない。国民は天皇陛下のために命を投げ捨てることを、徹底して無意識に刷り込まれた。この洗脳教育はおみごとというほかない。滅私奉公の人間が出来上がっていた。国民は国家のために働き、税金を支払い、子供を産み、お国のために喜んで戦地に赴くような人間教育を行ってきた。それが日本全国隅々まで徹底して教育されたからこそ、一億総玉砕されるまで戦うのだという人間が出来上がったのだ。(すべての教育は洗脳である 堀江貴文 光文社新書 一部引用)本来の教育は、望まれてこの世に生まれ出た子供が、生の喜びを心の底から味わうことができるようにサポートすることにある。会社や国家があっての人間教育ではないはずだ。一人の人間が先にあって、家族、社会、会社、国家が個人の生の喜びを感受するためにどのようなことを教えていけばよいのか。ここから発想して考えていく必要がある。心身共に自立して生きていくことができる人間作りが大切になる。その次には基本的な社会のルールを教える。子育てや人間関係の在り方を教える。基礎的な読み書き計算を教える。それと並行して、その人のやってみたいこと、やりたいことを見つけるためのサポートを行う。そのためは、子供たちにいろんな体験、経験の機会を用意する。興味や関心を持てるものを数多く用意して、それを見つけたらどんどん応援していく。それが将来自分の打ち込む仕事につながってくればよいのだと思います。困難に打ち勝ち、好きなものに取り組んでいける人間を養成していくことが肝心です。ここまでくれば、自分は人間に生まれてきて本当によかった。また機会があれば、また人間に生まれ変わりたいと思えるのではないだろうか。今の教育制度では、もう金輪際人間に生まれて、死ぬほどの苦悩や葛藤は味わいたくないと思う人が増えてくるのではないだろうか。ただ井の中の蛙状態なので、今の教育の問題に気づいている人は少ない。森田先生は、「教育の弊は、人をして、実際を離れて、徒に抽象的ならしむるにあり」といわれています。教育をすればするほど観念的、理想的、完璧主義に陥って思想の矛盾で苦しむ人間を作りだすといわれています。つまり「かくあるべし」でがんじがらめになり、生きる意義を見失ってしまうということだと思います。教育については客観的な視点で考えてみることが大切だと思います。
2019.11.01
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