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2011.05.23
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カテゴリ: 歴史
アジサイの蕾がふくらみ、もうすぐ梅雨に入る季節となるが・・・・

日本から多くの植物をヨーロッパに持ち帰り、日本には当時最新の博物学と、絵師に書かせた多数のボタニカル・アート、そして娘のイネを残したシーボルトである。
アジサイ1

古い雑誌「新潮」から、江戸期の博物学や小石川植物園の果たした役割について書かれた論考を紹介します。
(松浦寿輝さん・・・知らんな~)
田舎町の図書館の本を、本棚の右から左にと言えばウソになるが、とにかく手当たり次第に借りて読んでいる大使であるが・・・・(暇なこっちゃ)
図書館では古い雑誌類を定期的に廃棄しているので(ひとり5冊まで持ち帰り可)、この雑誌をもらった次第です。

「明治の表象空間―松浦寿輝」新潮2007年8月号、新潮社、2007年刊


 もちろん、博物学(natural history)それ自体に関するかぎり、江戸期の日本に独自の発達と洗練があったのは周知の通りである。今日、江戸博物学の豊饒このうえもない表象世界は、新たな「考古学」的視線による発掘の対象となりつつあるが、それは本掲載の主題ではないのでここでは再述しない。それでも、植物に関わる博物学ないし博物誌が、中国起源の本草学の受容という形をとったという点をはじめとして、その沿革の基本的な流れには一瞥をくれておいた方が良いかもしれない。本草学とは言うまでもなく薬草に関する知識の集積である。その輸入の過程には奈良時代以降長い前史があるが、江戸以降に話を限るなら、日本の本草学者に大きな影響を与えた重要な著作は、李時珍が明末に著した『本草綱目』(1596年頃)である。江戸の本草家たちは、そこに記載されている植物が日本のどの植物に当るかを究明することに精力を傾注した。この時点では、日本の本草学は中国伝来の原典をめぐる訓古註解にとどまっていたとも言える。
 しかし、そこに貝原益軒が現れる。本編16巻、付録2巻、図譜3巻からなる益軒の『大和本草』(1709年)は、カノン化された漢籍のブッキッシュな受容にとどまっていた日本の本草学に突破口を切り開いた画期的業績である。そこには和漢洋の動・植・鉱物1362種が記載されているが、うち358は「和品」(国産品種)が占める。益軒は、李時珍の記述の註解に飽き足りず、みずから日本の山野で植物種を広く採取し観察し、その図示と分類を試みたのだ。その分類法も、『本草綱目』に準じながら必ずしもそれを金科玉条とはせず、独自の立場を打ち出している。そもそも、ある種を「和品」と特定するためには、それが漢籍に記載されていないことを確証することが必要であり、従って益軒が『本草綱目』をはじめ中国の本草学をめぐって徹底的な研鑽を積んだことも明らかである。フィールドワークと文献学を結合し、また、薬用の範囲を超えた総合的な植物誌をめざしているという点で、『大和本草』は本草学から博物学への脱皮を徴づける日本最初の著作と呼びうるものであった。

 以後の江戸期の博物学の進展については多くの文献で紹介されているので、ここでは深く立ち入らない。『大和本草』をはじめ、稲生若水、小野蘭山などの多くの労作によって、日本固有の本草学の伝統の形成されていったこと、江戸時代末期にはチュンベルクやシーボルトなどを介して西洋本草学の影響が日本に波及し、リンネの分類に基づく飯沼慾斎『草木図説』(1852年)、江戸時代最大の植物図譜である岩崎常正『本草図譜』(1828年)などが出版され、日本の植物についての知識が集成されていったことのみ記すにとどめよう。こうした過程で、本草家のみならず絵師や園芸家の手になる植物画が数多く描かれ、江戸文化は繊細なボタニカル・アートの驚異的な財産を所有することにもなった。

 ただ、こうした江戸の博物学の豊饒な伝統は、個物を観察しそれを精確に描写することのマニアックな歓びに突き動かされていたもので、「学」としての体系性へと向かう志向性が弱かったことは否定できない。フーコーが西欧の「古典主義時代」の知の原理として指摘した「マテーシス」や「タクシノミア」の貫徹への要求はそこでは希薄であり、江戸の本草家たちによる図説や図譜の作成行為の底に脈打っていたものはむしろ、豊かな多様性とともに繁茂し増殖する生物種の群れを遺漏なく列挙しつくしたいという偏執であった。徹底的な列挙によって一覧表を作成したいと欲しつつも、その表の内部でそれら種の集合にいかなる秩序を与えるかという知的な問いが彼らの興味の焦点をなすことはなかったのだ。生物種の多様性を一貫したシステムによって整序し、かくしてこの「世界」全体を包含しつくす無矛盾的な説明原理を編み出そうという形而上的要求は、彼らを決して捉えなかったのである。かくして、江戸の博物学はむしろ博物誌と言うべき水準にとどまり、一人のリンネも一人のキュヴィエも生み出すことはなく終わった。
『言葉と物』におけるフーコーのシェーマに従うなら、19世紀初頭、西欧ではすでに「古典主義時代」は終わりを告げ、キュヴィエの言説の出現とともに博物学から生物学への「エピステーメー」転換が始まっている。幕末期の日本では、リンネの高弟ツュンベルクや、そのツュンベルクの『日本植物誌Flora Japonica』を日本に伝えたシーボルトなどを経由し、リンネの分類秩序が徐々に導入され、本草学の博物学化がゆるやかに進行してえいたが、その間、当の西欧ではもうすでに博物学の言説自体が過去のものとなり、生命そのものを問題化する生物学の時代が始まっていた。

 従って、小石川薬園が未だに「薬園」のままにとどまっていた明治初年の日本の植物的な知には、二段階のキャッチアップを同時に行うという慌しい責務が課せられることになった。まず第一に、本草学の残滓を一掃し、博物学の知の体系を整備しなければならない。その手始めとして要請されたものこそ、「薬園」の看板を「植物園」に架け替えるという作業にほかならなかった。だが、それだけではまだ足りない。明治の植物学者は、記載と分類による一覧表作成という博物学的身振りから離脱し、顕微鏡を駆使しつつ細胞レベルで生命の謎を探るという近代生物学の冒険に乗り出さなければならなかった。東大理学部付属となった小石川植物園は、その冒険が繰り広げられる舞台となることもまた要請されたのである。
 小石川植物園が東大の所管となることが決まったとき、医学部所属とするか理学部所属とするかについては議論があり、容易には結論が出なかったという。薬用植物の栽培所であるかぎりは病の治療という具体的な目的に奉仕しなければなるまいが、薬園という名はすでに消え、それは今や植物園と命名し直されている。理学部に所属させるという最終的な結論は、この施設を実利的目的に奉仕させるよりはむしろ学問研究の場として定義しようという東京大学側の意思表示であったわけで、薬草という概念自体が近代医学においてすでに存在感を失いつつあった以上、これは明らかに正当な措置であった。

 明治初頭の十年間に、この薬園がまず病院と医学校、それから博物局へ、さらに東大理学部へと次々に所属を替えていった過程は、本草学から博物学へ、そして生物学へという「ディシプリン跨ぎ越え」の運動がこのとき一挙に進んだことの、凝縮された表現だったとも言える。その背景には、焦燥感に駆られた知的エリートたちによる途方もない量の思考の堆積があったに違いないが、ともあれこのラディカルな知の更新の運動が、たったの十年弱という短い期間に緊密な形で推移したところに、明治維新という事件の苛烈このうえもない性格が露呈していよう。もちろんそれは制度上の所属や名称の変更をめぐる形式的変革にすぎないと言えば言えるが、そこに、西欧の何をキャッチアップすべきかについての透徹した見通しだ胚胎されていたことは事実である。当時の文部行政の責任者たちは、これから日本が植物をめぐっていかなる知的営みを行うべきかに関して、聡明で明確な展望を持っていたのである。

 日本における植物知は、治療という具体的目的の経験的追求(本草学)から、可視的特徴の記述とそれに基づく分類の試みへ(博物学)、さらに生命それ自体をめぐる真理の解明へ(生物学)と進展していったのであり、この進展が繰り広げられた舞台として、絶えず重要な役割を果たしてきたものが、小石川植物園なのである。やがてこの植物園に植わった樹齢200年近いイチョウの大樹から精子が発見され(明治29年)、それは日本の植物学が世界に貢献した最初の業績の一つとなる。
(中略)

 最後に、小石川植物園が東京府の民衆にい対して果たした啓蒙的役割にも触れておこう。一般的に言えば、植物園の機能とは、資料の収集と保存、教育研究の補助、植物知識の一般普及の三つからなる。広く植物の種を集めて育成し、随時それを標本化して標本室の形で収蔵すること、アカデミックな植物学研究に必要な環境とインフラを提供すること、園を一般民衆に開放し、植物に関する知識の啓蒙に努めることの三つである。この最後の点に関わってもまた小石川植物園は、閉鎖的な薬園時代にはなかった模範的な役割を果たすようになり、それは今日なお続いている。


明治維新という激動の時代に「ディシプリン跨ぎ越え」を果たしたのは、江戸時代から続く役人や庶民の知的ポテンシャルの高さにあるわけで・・・・








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Last updated  2011.05.24 10:01:09
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