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2021.04.07
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カテゴリ: 気になる本
図書館で『熱帯』という本を手にしたのです。
神出鬼没の古本屋台「暴夜書房」ってか・・・奇妙な本ではないか。





森見登美彦著、文藝春秋、2018年刊

<「BOOK」データベース>より
沈黙読書会で見かけた『熱帯』は、なんとも奇妙な本だった!謎の解明に勤しむ「学団」に、神出鬼没の古本屋台「暴夜書房」、鍵を握る飴色のカードボックスと、「部屋の中の部屋」…。東京の片隅で始まった冒険は京都を駆け抜け、満州の夜を潜り、数多の語り手の魂を乗り継いで、いざ謎の源流へー!

<読む前の大使寸評>
神出鬼没の古本屋台「暴夜書房」ってか・・・奇妙な本ではないか。


rakuten 熱帯


「第二章 学団の男」で池内氏が書き続けているノートの顛末を、見てみましょう。
p48~55
 11月下旬のこと、彼女はその喫茶店で池内氏を見かけた。
 それだけのことなら何の不思議もないのだが、池内氏と一緒にテーブルを囲んでいる人々が彼女の興味を惹いた。ベレー帽をかぶった小太りの初老の男性、眼鏡をかけてガリガリに痩せた大学生風の若者、指輪をきらめかせながら珈琲を飲む五十代ぐらいの御婦人。白石さんは三人に「ベレーさん」「がりがり君」「マダム」と素朴な渾名をつけてみた。

 どう見ても池内氏の取引先という感じではなかった。親戚の集まりという感じでもない。年齢も雰囲気もバラバラで何の共通項も見えなかった。
 彼らは珈琲を飲みながら、テーブルに広げた大きな紙を囲んで熱心に議論していた。池内氏はノートを膝に広げて、ベレーさんの話に相づちを打ちながらメモを取っている。がりがり君は何か不満そうな顔つきでときどき口を出しているようだ。マダムだけは何も喋らず、薄く色のついた眼鏡の奥の目を気だるそうに閉じている。

「犯罪計画を練っている悪の組織だろうか?」
 そのとき、池内氏が彼女の視線に気づいて微笑んだ。マダムがそれに勘づいて、色づき眼鏡の奥からこちらへ視線を送ってくる。白石さんは慌てて文庫本に目を戻した。
 なんだか見てはいけないものを見たような気がしたのである。

                ◇
 12月に入ってからも池内氏は几帳面に模型店を訪ねてきた。
 あの謎めいた会合のことは一度も話題に出なかった。白石さんはあれこれと妄想していた自分が恥かしくなった。このところ小説を読みすぎて、いわば「物語的神経」というべきものが過敏になっているのである。

 有楽町駅界隈はクリスマスの賑わいを見せていたが、地下街の模型店は季節の流れを超越しているかのように静かだった。「これはこれで心が安らぐわい」と白石さんは思った。あいかわらず池内氏は規則正しく姿を見せ、車内放送のように淡々と語り、昼休みが終わるとピタリと会話を切りあげて職場へ戻っていく。

 ひとつ彼女が困ったのは店長のことである。
 この叔父はどちらかといえばブッキラボーなる人物で、親戚の中でも変り者扱いされていた。年齢の近いこともあって彼女とは昔から馬が合ったのだが、その叔父が「あの男性客は姪っ子に会いに来ているようだ。そして姪っ子もマンザラではない」と思いこんだらしい。

 池内氏が姿を見せる時間帯になると、決まってフラリと店を出ていくようになった。それは無器用な叔父にとって渾身の気遣いにちがいなかったが、白石さんには「くすぐったい」ばかりであった。池内氏は時刻表通りに運航される電車なのであって、この鉄道模型店は停車駅にすぎず、自分は停車駅の駅員なのである。通りすぎる電車と駅員の間にロマンスは生じないのである。
(中略)

 心打たれた文章をノートに抜き書きするのが楽しみなのだと池内氏は言った。そうやってノートに書きためた文章を持ち歩いて、ことあるごとに読み返す。いずれの文章も自分が手間をかけて抜き書きしたもの、骨肉となるべき文章である。自分の選んだ文章で自分を創っていく、その作業が目に見えるかたちでノートに記録されていく。それがなんとも頼もしく感じられて、たいへん心が休まるのだという。
(中略)

 それでは何がきっかけでノートをつけるようになったのかと訊ねた。
 池内氏は「それが少し妙な顛末なんですよ」と言った。

 5年前の晩秋のことである。
 奈良へ寺めぐりの旅に出かけた池内氏は猿沢池のほとりにあるビジネスホテルに宿を取り、興福寺や東大寺、新薬師寺などを歩いてまわった。民家の軒先に吊るされている干し柿、夕陽に染まる古びた土塀、ナンキンハゼの枝の先にぷつぷつと見える白い種子。新薬師寺の門前には小さな受付小屋があり、窓口の女性は居眠りをしていた。晩秋の奈良の風情を味わって、池内氏がホテルへ戻ってきたのは日暮れ頃だった。

 ロビーのお土産物コーナーの隣に、小さな書棚が置かれていた。
 自由に持っていってかまわないが、そのかわりに自分が読み終えた本を置いていくという仕組みらしい。ちょうど読み終えた文庫本があったので、それを書棚に入れ、何か一冊選ぶことにした。旅先で偶然に出会った本と秋の夜長を過ごすのもステキである。

 そのとき池内氏は隅に差しこまれた本に目を引かれた。
 「なんということもない本だったんです」池内氏は白石さんに語ったという。「文庫本よりも少し縦長ノサイズで、表紙には幾何学模様が描いてあって…一昔前のシンプルなデザインの本です。その佇まいが、そのときの自分の気持ちにピタリと合いました」
 「運命の出会い?」
 「実際そうなんです。その通りだったんです」

 少し客室で休憩してから、池内氏はその本を携えて街へ出た。商店街で夕食をとったあと、暗い裏町を抜けて奈良ホテルのバーへ出かけた。池内氏は酒を飲みながら本の頁をめくった。それはなんとも妙ちくりんな小説だった。ビジネスホテルへ戻ってからも読み進め、およそ半分ぐらいまで読んだ。やがて枕元にその本を置いて眠りに就いた。残りは帰りの新幹線で読むつもりだったという。

 「ところが翌朝になると、本が消えてしまった」 
 「…消えた? どうして?」 
 「それが分からないのですよ。しかし紛失してしまったものはしょうがないので、東京へ帰ってから探してみることにしました。ところがですよ。古書店やネットでいくら探しても、私が読んだ小説は見つからなかったんです」 

 そうしている間にも、どんどんその本の記憶は薄れていく。
 ある日池内氏は思い立ってノートを買い、その時点で思い出せるかぎりの内容をメモした。それが現在まで続く読書ノートの一冊目となったのである。

 「妙な顛末でしょう?」 
 池内氏はそう言って、手に持ったノートを撫でた。
 「いまでも私はその本を探している」 
 「よっぽど面白い小説だったんでしょうね」 
 「それはね、佐山尚一の『熱帯』という小説なんです」 

『熱帯』1 :『熱帯』という謎の本p12~16





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Last updated  2021.04.07 08:07:01
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