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2022.08.20
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カテゴリ: 気になる本
図書館で『ブラックボックス』という本を、手にしたのです。
著者の作品『小隊』を図書館に予約しているが、なかなかまわってこないのです。
でも『ブラックボックス』が見つかってラッキー♪




砂川文次著、講談社、2022年刊

<「BOOK」データベース>より
ずっと遠くに行きたかった。今も行きたいと思っている。自分の中の怒りの爆発を、なぜ止められないのだろう。自転車便のメッセンジャー、サクマは都内を今日もひた走る。第166回芥川賞受賞。

<読む前の大使寸評>
著者の作品『小隊』を図書館に予約しているが、なかなかまわってこないのです。
でも『ブラックボックス』が見つかってラッキー♪

rakuten ブラックボックス



まず、冒頭から・・・見てみましょう。
p1~5
 歩行者用の信号が数十メートル先で明滅を始める。それに気が付いてか、ビニール傘を差した何人かの勤め人が急ぎ足で横断歩道を駆けていく。佐久間亮介は、ドロップハンドルのポジションをブラケット部分からドロップ部分へと変えた。状態がさらに前傾になる。

 サドルから腰を上げ、身体を左右に振って回転数を上げる。車体は、振られた身体とはほんのわずかだけ逆方向に傾くが、重心は捉えている。雨音の合間を縫うようにしてラチェット音が聞こえる。速度が上がるにつれて頬を撃つ雨粒一つ一つがちくりとした痛みを伴うようになった。

 信号なんかで足止めを食らいたくなかった。
 歩行者の信号が赤に変わる。サクマは口をすぼめて腹の底から息を吐きだす。視線を車道の信号に一瞬向ける。ドロップハンドルをさっきよりも強めに握った。バーテープのクッション感と心地よい反発がグローブを通して伝わってくる。追い越し車線を走る車のブレーキランプが先頭から順々に点灯しだす。車道の信号は黄色。横断歩道まであと少し。左右の景色が流れていく。

 いける、とサクマは即座に判断した。判断すると同時に身体はもう動いている。サクマにとっての判断とは、思考というよりもむしろ習性(過去の経験と現在との類似性を照合して当てはめるのではなく、その瞬間瞬間の環境に脊髄とか筋肉とかが反応するという点において)に近いものだ。

 シフトレバーはブレーキと一体型のものだったから、中指と薬指で以ってこれを左側に弾くようにして1ノッチ上げる。変速機からBB(ボトムブラケット)、クランク、シューズ、脚という順を経て負荷が増したことを身体が知る。だけどこれを頭で理解するのはもう少し後だ。

 それまで気にならなかったのに、とたんに胸に熱さと、痒いような痛いような感覚が広がる。熱した砂粒を肺の中でばらまかれたみたいな感じだ。斜めにかけたメッセンジャーバッグがいつもよりキツく締まっている気もした。

 風の音がする。汗と雨水が風圧で後ろに流れて首筋で合流した。前輪は拘束で回ってアスファルトに溜まる雨水を一定のリズムではね上げていた。自分の吐息が誰かのものに思えた。
 あと少し、と思った矢先、ドロップハンドルの突端に、申し訳程度につけられた小さなミラーが何かの影を捉える。

 いけるぞ、という判断と止まれ、という警告が頭の中で交錯した。意識するとどうしたって身体の方はワンテンポ遅れる。両脚はまだペダルを回していて、腰は立つとも座るともいえぬちぐはぐな位置で泊って、両手はブレーキレバーにかけこそすれまだ握りしめて制動をかけるには至っていない。バラバラだ。今一度信号に一瞥をくれてやると、まだ黄色のままだった。だけれども、身体と意識とマシンの一体感はすでに失われている。

 ミラーが捉えた何かは車で、むしろ速度を上げて交差点に進入しようとしていた。
 意識が身体を取り戻し、一挙に緊張と激しい動悸と息苦しさと汗と雨の不快感を全身に伝える。気が付くとブレーキレバーを目いっぱい握りこんでいる自分がいた。ブレーキシューがリムを挟み込むが、雨の日はどうしたって制動力が落ちる。思考と習性は、速度に応じて関係性が変わる。サクマはこういうことを言語化することはできないが、肌で分かっていた。

 速度が速いとき、身体は習性で動き、遅かったり止まったりしているとき、とりとめのない思考が縦横無尽に駆け回る。バイクの速度が落ちるにつれて、思考のほうが「これは間に合わない」、と結論を導き出していた。かといって習性の方が万能なのかといえば決してそういうわけではなく、頭の片隅ではまだ「いけるぞ、渡り切れ」と叫んでいる。サクマを追い上げていたのは白いベンツで、すでに並走していた。

 こっちのタイヤは止まってはいたが、濡れたアスファルトの上だったから、それこそ氷の上みたいに慣性の任せるままに滑っていった。ハンドルを左に切り、身体はしかし反対方向に傾けた。車を避けようとする恐怖からきた行動だった。悪手だった。

 なんだか全部が止まったみたいだな、とぼんやり思った。そういうのんびりとした思いとは一転、状況は結構緊迫していた。ベンツは速度を落とすことなく左折し、サクマの進路を一瞬ふさぐ形になった。向こうは自転車が並走しているのを認めたのか、はたまたその速度がためか大き目の弧を描いて曲がっていた。だめだ、と思うが早いか、サクマは身体をさらに傾ける。当然の如く落車した。横断歩道の真ん中あたりだった。ベンツは走り去っている。

 歩道には信号を待つ人々がいる。車もみな停止線の手前で止まっていた。回転する景色は雨の中でもいちいち鮮明に見えた。右手にはビルが林立していて、左手には皇居の濠がある。こんな雨の中でもランニングに興じる中年男がいて、横断歩道の手前で軽快に足踏みをする。空には低い、厚い雲が広がっている。
(中略)

 幸いというべきか、ベンツと接触することはなかった。早々に走り去ったベンツではあったが、サクマがこういう状況になっていることは、多分今度はあちらのミラーに映っているはずだ。

 ふざけんなよ、と内心毒づき、恨みがましく走り去った方向を見遣る頃には、エンブレムがどこにあるかも分からないくらいのサイズになっている。後に残るのはやり場のない怒りだけだった。大体あの手のドライバーがどのくらい周囲に気を配っているのかは疑問だ。ミラーに自分が映りこそすれ、彼又は彼女の意識に自分が投影されることはないだろう。思うと、波形の怒りがまた皮膚の下で蠢動する。


ウーム 宅配ドライバーの落車事故ってか・・・アップ‐ツー‐デートなシーンではないか♪
トライアスロンの練習中に落車事故を起こしたことがあるので、この作品には身につまされます。





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Last updated  2022.08.20 00:01:26
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