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2023.10.31
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カテゴリ: 気になる本
図書館に予約していた『地図と拳』という本を、待つこと9ヵ月ほどでゲットしたのです。
ゲッ! 分厚い本ではないか、読破できるかな? というのが第一印象でおました。





小川哲著、集英社、2022年刊

<「BOOK」データベース>より
「君は満洲という白紙の地図に、夢を書きこむ」日本からの密偵に帯同し、通訳として満洲に渡った細川。ロシアの鉄道網拡大のために派遣された神父クラスニコフ。叔父にだまされ不毛の土地へと移住した孫悟空。地図に描かれた存在しない島を探し、海を渡った須野…。奉天の東にある“李家鎮”へと呼び寄せられた男たち。「燃える土」をめぐり、殺戮の半世紀を生きる。

<読む前の大使寸評>
ゲッ! 分厚い本ではないか、読破できるかな? というのが第一印象でおました。

<図書館予約:(2/01予約、副本6、予約175)>

rakuten 地図と拳


1909年冬から見てみましょう。
p165~169
<第5章 1909年、冬>
 オケアノス。
 須野は南満州鉄道株式会社(通称「満鉄」)に提出する資料の冒頭を、そう書き直した。
「オケアノスとは、ギリシャ神話に登場する海神である。古代ギリシャの詩人ホメロスは、『オケアノスは神々の親であり、万物の始まりである』と歌っている。世界の果てはオケアノスという大海である。この世界の海も川も泉もすべてオケアノスから生まれたのであり、ゆえにオケアノスは万物の父である。ホメロスはそう考えていた。

 古代ギリシャのアレクサンドロス大王は、世界の果て、つまりオケアノスを目指して東征を続けた。アレクサンドロス大王の挑戦はインダス川の向こう、ヒュダスペス川で行き止まりとなるが、その野心は二千年以上の時が経った今も語り継がれている。
 さて、私たちにとって満州はオケアノスなのだろうか。激しい日露戦争を戦った結果得られた果実は、『万物の始まり』たりえるのだろうか。
 ホメロスはまだ見ぬ世界の果てに『万物の始まり』を見た。その後プラトンは大西洋にアトランティスという失われた帝国があると考えられた。人類は古来、まだ見ぬ世界に何かがあると空想し、それを地図に記してきた。この報告書は、いわば人類の空想の歴史であり、人類が世界をどのようにして捉えていたのかを遡るものである・・・」

 須野は序文をそこまで書いてから原稿用紙を丸めて捨てたが、屑籠はすでに破り捨てた原稿用紙でいっぱいになっていた。
 紙の山からこぼれた塊が、ころころと寝床まで転がった。本郷にある六畳二間の窮屈な家は、台所まで古地図や中世の史料、プラトンやサルマナザールなどの本が山積みにされていた。それまで部屋の大半を占めていた気象学の研究書はほとんどすべて売り払っていた。

 須野は隣人に譲ってもらった清酒を、酔わない程度に呷った。苦しくて苦いだけだった。
 すでに夜は更けていて、あたりは静寂に包まれていた。大学の研究室から持ちだした石油ランプの明かりが、広い宇宙に浮かんでいるようだった。寒さに身を震わせながら毛布をかぶり、新たな序文を考える。そもそも、これほどまでに序文に悩む意味はあるのだろうか。どれだけ知恵を絞ったところで、この文書を読むのは調査部の新井だけだろう。彼を納得させるためだけに、自分はあまりにも多くのものを犠牲にしてしまったのではないか。

 だが、それでも書かなければならない、と須野は思い直した。
 この報告書は、須野にとって単なる報告書ではなかった。須野自身の、あるいは人類の何か大きなものが記された神託書のようなものだった。
 須野は何かが降りてくることを祈りながら、再び「オケアノス・・・」と書いた。

 転機は二年前だった。東京帝国大学で気象学を研究していた須野のもとに見知らぬ男が現れた。
 男は満鉄の歴史地理調査部に所属している新井だと名乗った。何やら須野に依頼があるらしい。満鉄のことはもちろん知っていた。新聞や雑誌で何かと話題となっていた。数々の英霊を犠牲にし、やっとのことで日露戦争に勝利し、日本はロシア帝国から東清鉄道の南満州支線を手に入れていた。満鉄とは、その鉄道路線と付属地の経営を目的に作られた半官半民の特殊会社だった。まだ設立されたばかりだったが、日本政府は多額の資金を出資しており、また日露戦争の戦果が満鉄の経営にかかっていたこともあり、国内でも非常に注目が集まっていた。

「黄海にあるとされる青龍島という小さな島が実在するかどうか調査してほしい」
 新井は須野に向かってそう言った。
 今でも、どういう経緯で自分のところに依頼が来たのかはわかっていない。須野の専門は気象学であり、地理も船も専門外だった。粗いが言うには、須野の同僚だった元木教授から推薦があったという話だったが、元木教授も気象学が専門としており、そもそも彼のところに依頼が向かった経緯もわからなかった。ただ、当時の自分には二十代特有の無根拠な自信に満ちており、たとえ専門外であろうとも、無能な専門家よりは良質な仕事ができると信じていた。それに、もし島が見つかった場合に自分の名声になるのではないかという色気もあった。須野は即座に引き受けた。

 すでに調査航海の日程は決まっていた。
 段取りは新井が行った。旅順港から海軍の軍人、満鉄の社員らと漁船に乗り込み、ロシアが作ったとされる地図の該当する海域を調査した。調査は一週間に及んだ。その間、須野は買ったばかりのドイツ製双眼鏡で周囲を観察し続けた。一週間くまなく調査したが、青龍島は発見されなかった。もちろん地図上の緯度や経度が誤っていたという可能性は残されていたが、学者としての答えは「青龍島は存在しない」というものだった。





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Last updated  2023.10.31 00:05:04
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